第56回 高柳克弘『未踏』

一月やうすき影もつ紙コップ
             高柳克弘『未踏』
 作者は一句における漢字と平仮名の配合、ひいては漢語と和語のバランスに腐心しているようだ。「うすき」「もつ」を漢字で「薄き」「持つ」としたら、「一月や薄き影持つ紙コップ」となるが、そうすると句の与える印象がかなり変わってしまう。平仮名で書くことによって、コップの影が柔らかくはかなげになり句の印象は深まる。また漢字よりも平仮名の方が読字時間が長いため、句は時間的長さを獲得し、一月の低い日光が作る影がテーブルに長く伸びた感じが内的に強化される。前衛短歌は雅語とは縁遠い生硬な漢語を歌に取り入れることによって、伝統的和歌に染みついた「奴隷の韻律」を克服し思想性を獲得することをめざしたが、高柳の行く道はそれとは逆で、俳句に柔らかな抒情性を回復することのようだ。
 掲句の描く場面は日常的なもので、取り立てて珍しいものはない。テーブルの上に紙コップが置かれているのだが、中身は飲んだ後で空と見たい。紙コップは部分的に光を透過するので、もともと濃い影はできない。加えて一月の陽光は弱々しく、ただでさえ薄い影がさらに薄くなっている。ただこれだけを詠んだ句なのだが、深い印象を残すのはなぜだろう。なぜだろうと問うところに、文芸としての俳句の拠って立つ根拠を露わにする弾機がある。そのひとつはありふれたことの発見だろう。ありふれていて誰も取り立てて言わなかったことを指摘されると、「ああ、そうか」と思う。自分が何も見ていなかったと気づく。焦点の合った眼鏡に掛け替えたような思いがする。しかしそれだけではない。ありふれた光景を新たな角度から眺めることによって、私たちは世界と存在についての認識を少し深める。認識が深まるということは、親和性が増すということである。私たちは前よりもほんの少し深く世界に参入することができる。その意味で掲句は、形象と存在について深い思索を残したモランディの静物画を思わせる雰囲気を湛えていると言ってよかろう。
 高柳克弘は1980年生まれ。「鷹」に入会して最晩年の藤田湘子の薫陶を受ける。23歳の最年少記録で俳句研究賞を受賞し、弱冠25歳で「鷹」の編集長に就任。2009年に上梓した『未踏』で第一回田中裕明賞を受賞している。「鷹」主宰の小川軽舟が行き届いた序文を寄せていて期待のほどを窺わせる。構成は俳句研究賞を受賞した2003年から2008年に至る編年体。巻頭の句「ことごとく未踏なりけり冬の星」が一時俳壇で議論の的になったようだ。冬空に輝く星に人類はまだ一度も到達していないという神野紗季のナイーブな読みから、星は句界に燦然と輝く俳句の先達を象徴し、作者は先人の境地に至らんとする若々しい抱負を述べているという解釈まで乱れ飛び、もし後者ならばそんな句をぬけぬけと巻頭に置くのはいかがなものかという意見まで出たようだ。『未踏』は青春句集である。作者はあとがきで「20代の墓碑として一集を編むことにした」と書いている。青春の墓碑とは常套句であるが、作者が本集を青春句集と認識していることを示している。冒頭の句もその文脈で理解すべきだろう。
 これ以外にもいかにも青春句という句が多くある。
卒業は明日シャンプーを泡立たす
大会の近づくクロールのしぶき
大欅夏まぎれなくわが胸に
わが拳革命知らず雲の峯
マフラーのわれの十代捨てにけり
イカロスの羽根冬帽に挿したきは
うみどりのみなましろなる帰省かな
 変に斜に構えずに正面から青春を受け止めるところに作者の美質を認めるべきだろう。「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」「夏井戸や故郷の少女は海知らず」などの句を残した寺山修司の例を引くまでもなく、近代俳句は青春性に彩られている。もともと近代短歌も青春の文学なのだが、短歌の世界で本集に匹敵するような青春歌集が出にくいところに、今の短歌が置かれている困難な現状が察せられる。
 しかし『未踏』は単なる若書きの青春句集ではない。小川軽舟は序文の末尾で、「やがて高柳君は、波郷や湘子がそうしたように、青春詠の時代を遠い故郷として捨て去り、見晴るかす荒地に足を踏み出すだろう」と書いているが、高柳はこれらの青春詠の局面をすでに脱しており、敢えて捨てずに収録したのはまさに墓碑とするためだと思われる。  高柳の俳句の特質は、揺らぎのない目で形象を捉え、そこに柔らかな抒情を乗せてゆく確かな措辞にある。冒頭で述べた漢字と平仮名のバランス感覚はそのひとつの現れである。そのことをよく示す句を引いてみよう。
ゆびさきに蝶ゐしことのうすれけり
雨よりも人しづかなるさくらかな
やはらかくなりて噴水了りけり
白桃の舌のちからにくづれけり
 いずれも平仮名の含有率が高く、それに平行するように内容も無音の微細な感覚を詠んでいる。蝶を指でつかむとき、潰さないように注意して力を込めないので、蝶をつかんでいる感覚自体が薄いものだが、蝶を放した後の指の感覚はさらにはかない。そんな極小の感覚を句にするところに、作者の世界に対する向き合い方が見える。二句目では雨の中の花見が詠まれているが、人語は絶えて無音の景が広がる。三句目は閉園時間を迎えて公園の噴水が停まる一瞬を詠んだものである。最後に噴き上がった水が後続を断たれて力なく落下する様を、「やはらかく」と表現したところがミソである。「了」の字もまた事が納まる様をよく表している。四句目は完熟した白桃を口に含んだときの感覚を詠んだもので、やはり微細な口中の感覚を取り立てている。高柳の拠る句誌「鷹」は「二物衝撃」という句作法を理論化した本家だそうだが、高柳の作風は強引な取り合わせや意味の飛躍からはほど遠く、無理のない自然な言葉の流れの上に細やかな抒情を漂わせている。無理のない言葉の流れの裏側に、どれほどの技巧が隠れているかは言うまでもない。
蝶ふれしところよりわれくづるるか
大景に雪降りわれに雪降りけり
てふてふや沼の深さのはかれざる
キューピーの翼小さしみなみかぜ
人形の頭のうしろ螺子寒し
 集中にとにかく蝶の句が多く、作者の偏愛を表している。一句目は蝶を詠んで〈私〉の危うさに及ぶ他とはやや趣を異にする句。二句目は広がる大景と極小の〈私〉の対比が眼目で句の丈が高い。四句目は私が特に愛する句だが、摂津幸彦の「南国に死して御恩のみなみかぜ」という名句を思い出す。キューピーの翼が存外小さいという発見と、これでは実際に飛ぶことはできまいという思いに、穏やかな南風が重なるところに軽い悲しみの情が漂う。六句目も人形の頭の後ろのネジという目につきにくい細かな物の発見が句の静かな抒情を支えている。
死に至るやまひの蝶の乱舞かな
キャラメルの角のゆるくて水澄める
春昼の卵の中に死せるもの
ランボオの肋あらはや蝶生る
缶詰の蓋に油や冬の滝
 一句目は「乱心のごとき真夏の蝶を見よ」という阿波野青畝の句を思わせる。本歌取りではないものの、作者も意識しているのかもしれない。「死に至る病」とは孤独の謂である。二句目は「水澄める」が秋の季語なので秋の景なのだが、まだ気温が高くキャラメルの角が柔らかいのだろう。「ゆるくて」と表現したところがミソ。四句目は「あばら」と「あらわや」に言葉遊びがある。五句目は『新撰21』の座談会で小澤實が絶賛していた句。ハイキングの昼食で開けた缶詰の蓋の裏側に油がついているのだが、このささやかな発見と山中の凜とした冬の滝の取り合わせが眼目なのだろう。いかにも小澤實風なのだが、私は高柳の句ではもう少し抒情的な句の方が好みである。
 『現代詩手帖』2010年6月号の特集「短詩型新時代」の城戸朱理・黒瀬珂瀾との鼎談で、高柳は「先代から受け継がれたものを後代に受け渡すことを自分の責務とするのか、それともいままでのものを打ち壊すべきなのか、もっと大衆に降りていってその叡智を拡散するのか、……いろいろなスタイルをとれるところがあって、それによって作家性というものが決まってくる」と述べた後で、自分としては表現史というものを意識して、自分の立ち位置を表現史のなかに求めていきたいと決意を述べている。その言葉やよしである。『未踏』ほど清新という言葉がふさわしい句集はあるまい。俳句の若手が元気だということを証明してくれる句集である。