「フランス語100講」 こぼれ話 (5) ー gentiléの話

 あまり知られていない単語だが、gentilé(ジャンティレ)とは地域・地方・町などの住民をさす単語をいう。パリに住む人はun Parisien / une Parisienne、ノルマンディー地方la Normandieに住む人なら un Normand / une Normandeである。ちなみにgentiléはそのまま形容詞としても使えるので、頭を小文字にして la mode parisienne「パリのファッション」un cidre normand「ノルマンディー産のシードル」のように使う。

 gentiléは派生語 (mot dérivé) の一種なので、名詞から形容詞を派生する語尾を持つものが多くある。次の単語の語尾の –al, -ois, -ien, -ainなどは、名詞から形容詞を作るときによく使われるものである。

 

 la Provence プロヴァンス地方→ un Provençal / une Provençale プロヴァンス地方の住民

 la Suèdeスウェーデン → un Suédois / une Suédoise スウェーデン人

    l’Alsace アルザス地方 → un Alsacien / une Alsacienne アルザス地方の住民

 l’Amérique アメリカ → un Américain / une Américaine アメリカ人

 

 しかし国や地域・地方・町の名は固有名詞なので、ふつうの形容詞を派生する語尾とはちがう形になるものもある。たとえばモナコ公国 la Principauté de Monacoの住人は un (une) Monégasque という。このように予想のつかない形があるので、gentiléはクイズ番組でもよく出題される。

 gentiléを知るために参考になる文献としては次のものが挙げられる。

 ・新倉俊一他『フランス語ハンドブック』白水社、1978.

 巻末にフランスの地方名とその形容詞、世界の国名一覧表とその住民名が掲載されている。しかし古い本なので、国名が変わっていることもあり、新しくできた国は載っていない。都市の住民名も出ていない。

 ・倉方秀憲『倉方フランス語講座 II 語形成』トレフル出版、2024.

 第4章「形容詞を作る」に、「国・都市・地域などを表す形容詞を作る接尾辞」という項目があり、多くの例が挙げられている。しかしあくまで語形成の規則を扱っているため、例外的で特殊なgentiléは載っていない。

 こんなとき頼りになるのがインターネットだ。フランス語版 Wikipediaを引くとその都市の住民名が書いてある。たとえばパリ郊外の町の Saint-Germain-en-Layeの住人は un (e) Saint-Germanois(e)というとわかったりする。

 ヨーロッパの国の住民名は教科書などに載っていることが多いので、フランス語を学ぶ人にもなじみが深いだろう。

 

 l’Espagne スペイン → un(e) Espagnol(e) スペイン人

 lAllemagne ドイツ → un(e) Allemand(e) ドイツ人

 l’Angleterre イギリス → un(e) Anglais(e) イギリス人

 la Belgique ベルギー → un(e) Belge ベルギー人

 

 しかしあまりなじみのない国だと住民を表す単語にも意外性がある。

 

 le Yémen イエメン → un(e) Yéménite イエメン人

 le Congo コンゴ → un(e) Congolais(e) コンゴ人

 le Lichtenstein リヒテンシュタイン → un(e) Lichtensteinois(e) リヒテンシュタイン人

 

 イエメン人の語尾の-iteは住民を表すときによく使われる語尾で、京都の住民は un(e) Kyotoïte、東京の住民は un(e) Tokyoïteという。「キョトイット」「トキョイット」と読む。

 都市名で定冠詞の付いている都市名は定冠詞を取ってgentiéを作る。

 

 Le Havre ルアーブル → un(e) Havrais(e)

 La Rochelle ラロシェル → un(e) Rochelais(e)

 

Saint-の付く都市名はSaint-を取るものが多い。

 

 Saint-Tropez サン・トロペ → un(e) Tropézien(ne)

 Saint-Malo サン・マロ → un(e) Malouin(e)

 

 都市名が複合語になっている場合は、その一部だけを使ってgentiléを作ることが多いようだ。

 

 Aix-en-Provence エクス・アン・プロヴァンス → un(e) Aixois(e)

 Salon de Provence サロン・ド・プロヴァンス → un(e) Salonais(e)

 

ただし、Aixois(e)Aix-les-Bainsの住民もさすのでややこしい。

 まったく予想のつかない gentiléもある。その多くは昔のラテン語の綴りから来ていることが多い。

 

 Saint Etienne サン・テティエンヌ → un(e) Stéphanois(e)

 Cahors カオール → un(e) Cadurcien(ne)

 Le Mans ル・マン → un Manceau / une Mancelle

 

 サン・テティエンヌの住民名は、Etienneという人名がラテン語でStephanus「ステェファヌス」だったことに由来する。またカオールの住民名は、昔その地方に住んでいたcadurci「カドゥルキ族」の名に由来するという。ル・マンは自動車の24時間耐久レースが行われることで知られている町である。ちなみに un Manceau / une Mancelleはル・マンのあるメーヌ地方の住民も指す。その地方は古フランス語ではMancelと呼ばれていて、そこから来た住民名のようだ。

 

「フランス語100講」第16講 直接語順と感情表現

 私が通っていた中学・高校は、フランス革命の直後にリヨンで創設され、その後カナダに本拠を移した修道会が運営していた学校です。そのためカナダ人の神父やブラザー(注1)が多くいました。大学に入ってしばらくして母校を訪ねたとき、校長だったアラール神父様に再会し、J’apprends le français à l’université.「大学でフランス語を勉強しています」と報告すると、神父様は Ça me réjouit.とおっしゃいました。日本語ならば「それはうれしいですね」と言うところですが、フランス語では「それは私を喜ばせる」と言うのです。第14講と第15講でお話した直接語順による表現が日本語と最も大きく異なるのは感覚や感情を述べるときの表現パターンではないかと思います。いくつか見てみましょう。

 

 (1) La géopolitique m’intéresse.

  私は地政学に興味がある(直訳 : 地政学は私の興味を引く)

 (2) Les abats me dégoûtent.

  私は臓物料理が苦手だ。(直訳 : 臓物料理は私に嫌悪感を与える)

 (3) Les loups me font peur.

  私はオオカミが恐い。(直訳 : オオカミは私を恐がらせる)

 (4) Tu es toujours en retard. Ça m’énerve !

  君はいつも遅刻するな。イライラするよ。(直訳 : それは私をイライラさせる。)

 (5) La tête me tourne.

  頭がくらくらする。(直訳 : 頭が私においてくらくらする)

 (6) Je n’aime pas ce pull. Ça me pique au col.

   私はこのセーターが嫌いだ。首のところがチクチクする。

  (直訳 ; それは私の首のところを刺激する)

 

 このような直接語順を用いない表現のやり方もないわけではありません。(1) Je m’intéresse à la géopolitique.「私は地政学に興味がある」のように「私」を主語にして代名動詞 s’intéresserを用いて言うこともできます。また(2) Je n’aime pas les abats.「私は臓物料理が嫌いだ」、(3) J’ai peur des loups. 「私はオオカミが恐い」のように「私」を主語にした別の言い方もあります。しかし (4) (5) (6) はちょっと他の言い方が思いつかないほどフランス語に定着しています。

 日本語でこのような感覚・感情を表現するやり方はフランス語と大きく異なります。好き嫌いのように時間によって変化しない性質や、「心配だ」のようにある程度長く続く感情では「私」を主語にするのがふつうです。

 

 (7) 私は牡蠣が嫌いだ。

 (8) 私は父の健康が心配でならない。

 

 しかし、たった今感じている感覚や感情は、「私」を表に出さずに言います。この場合 (9) のように無主語文になることも珍しくありません。

 

 (9) ああ、暑い!

 (10) 腰が痛い。

 

 一方、フランス語では上の (1) (6) を見ればわかるように、直接語順の表現パターに従って、次の三種類の関係を重ね合わせた言い方を使います。

 

 a.〈主 語〉─〈動詞〉─〈直接目的補語〉

 b.〈動作主〉─〈動作〉─〈被 動 作 主〉

 c.〈原 因〉─〈影響〉─〈影響が及ぶ対象〉

 

 ですから例 (2) Les abats me dégoûtent.のように、あたかも主語のles abats「臓物」が私に対して嫌悪感を抱かせるという表現になるのです。

 フランス語をちょっと離れて英語を見てみましょう。英語を習っているときに、心理や感情を表すのに〈be動詞+過去分詞〉をよく使うことを不思議だと感じませんでしたか。

 

 (11) I’m interested in history.

   私は歴史に興味がある(直訳 : 私は歴史に興味を引かれている)

 (12) I’m deeply concerned about my father’s health.

   私は父の健康状態を憂慮している。

  (直訳 : 私は父の健康状態に心配させられている)

 (14) I was surprised by the test results.

   私は試験の結果に驚いた。(直訳 : 私は試験の結果に驚かされた)

 

 これらの表現で使われている〈be動詞+過去分詞〉は、もともとは受動態ですから「私が〜される」という意味を持っています。ただし受動態由来ではあっても、これらの表現の中の過去分詞は形容詞に近づいていると考えられます。

 英語もフランス語同様に直接語順を好む言語ですので、たとえば (14) The test results surprised me.「試験の結果は私を驚かせた」のように、〈動作主〉─〈動作〉─〈被動作主〉パターンを使って言うこともできます。しかし英語では心理や感情の主体である「私」を主語にして〈be動詞+過去分詞〉を用いる言い方が多く見られるようです。そのほうが心理や感情の主体である「私」について語っているというニュアンスが強くなるからでしょう。

 フランス語でも感情や心理を表す動詞を受動態で使うことはあります。

 

 (15) J’ai été étonné de la franchise de ses paroles.

   私は彼(女)の物言いの率直さに驚いた。

 

 しかし英語ほど多くはありません。それにはいくつか理由が考えられます。

 第一の理由はフランス語が受動態を嫌うということです。(注2)同じことを表現するときに、フランス語は英語より受動態を使うことが少ないことが知られています。受動態を使うと、〈主語─動詞─直接目的補語〉という統語構造に〈被動作主─動作─動作主〉という意味役割が与えられることになるので、直接語順の表現パターンから外れてしまいます。ですからフランス語は英語以上に直接語順を好む言語だということになるでしょう。

 もう一つの理由はフランス語には代名動詞があることです。初級文法のクラスでは代名動詞に次の3つの用法があると習うことが多いでしょう。

 

 (16) Je me lave la figure. [再帰用法]

   私は顔を洗う。

 (17) Ils se téléphonent tous les jours.[相互用法]

   彼らは毎日電話をかけあう。

 (18) Le vin blanc se boit frais.[受動用法]

   白ワインは冷やして飲むものだ。

 

 しかしもう一つ大事な用法があります。それは「自発」、つまりしようと思ってするのではなく、ひとりでに起きることを表す用法です。(注3

 

 (19) Clarisse s’est réveillée tôt le matin.

   クラリスは朝早く目覚めた。

 (20) La porte s’ouvre toute seule.

   ドアは自動的に開く。

 (21) Les fleurs se sont fanées.

   花はしおれてしまった。

 

 (19)se réveillerは再帰用法に分類されることがありますが、目覚めるのはしようと思ってすることではなく自然に起きることですから、自発に分類するのがいいでしょう。(20) (21) のように無生物が主語のときは当然ひとりでに起きることを表します。

 心理や感情を表す表現には代名動詞が多く見られます。その理由は次のように考えられます。たとえば「思い出す」se souvenir de 〜を例に取ると、確かに人の名前を失念してしまい、懸命に思い出そうとすることはあります。しかしそうではなく何かをきっかけとしてふと思い出すということもあるでしょう。そんなときは過去の記憶が自然に甦ったように感じます。À la vue de ce paysage, Clarisse s’est souvenue de son enfance.「その風景を見てクラリスは子供時代のことを思い出した」と言うときは、思い出は向こうからやって来たように感じられます。次に挙げるのはいずれも心理や感情を表す代名動詞の自発用法です。

 

 (22) Il s’est aperçu de son erreur.

   彼は自分のまちがいに気づいた。

 (23) Elle s’est repentie de son passé.

   彼女は自分の過去を後悔した。

 (24) Je m’inquiète de perdre mon emploi.

   私は職を失うことを心配している。

 (25) Il se fâche pour un rien.

   彼はちょっとしたことで怒り出す。

 

 étonner「驚かす」という動詞にもs’étonner「驚く」という代名動詞の用法があります。ですからフランス語には次の3通りの言い方があることになります。

 

 (26) a. La séparation de Jean et de Nicole m’a étonné.

   (直訳)ジャンとニコルが別れたことは私を驚かせた。

    b. J’ai été étonné de la séparation de Jean et de Nicole.

   (直訳)私はジャンとニコルが別れたことに驚かされた。

   c. Je me suis étonné de la séparation de Jean et de Nicole.

    私はジャンとニコルが別れたことに驚いた。

 

 (26 a) étonnerを他動詞として用いた直接語順の表現です。(26 b)は同じ動詞を受動態で用いたもので、(26 c) は代名動詞s’étonnerを使っています。英語には (26 a) のような他動詞の言い方と、(26 b) のような受動態の言い方しかありません。ところがフランス語には (26 c) のような代名動詞を用いた表現方法があります。このためにフランス語は英語ほど受動態由来の言い方を使わないのだと考えられます。

 このようにフランス語では心理や感情を述べるときに代名動詞が活躍するのですが、この問題についてはまた回を改めてお話することにしましょう。

 

(注1)ブラザー (brother、仏 frère)とは、布教やミサ聖祭には携わらず、修道院の日常業務を担当する修道士のこと。辞書では「平修道士」と訳されていることがあるが、入会時に神父になるかブラザーになるかは本人が選ぶので、神父とブラザーに上下関係はない。

(注2)フランス語が受動態を嫌うことは第50講で詳しく検討する。

(注3)自発用法は emploi neutre「中立的用法」と呼ばれることもある。

 

「フランス語100講」第15講 無生物主語構文 (2)

 なぜフランス語の無生物主語構文をそのまま日本語にすると不自然に感じられるのでしょうか。夏目漱石は無生物主語構文を嫌っていたようで、次のような言葉を残しています。

「元来余は所謂抽象的事物の擬人法に接する度毎に、其多くの場合が態とらしく気取りたるに頗る不快を感じ、延いては此語法を総じて厭ふべきものと断定するに至れり。これ恰も多年の修養を都会に積みし田舎漢を再び昔の山出しに引き直して、しばらく十年前の気分に帰れと強ふるが如し、不自然もまた甚だしと云ふべし。」

                     (夏目漱石『文学論』1906) 

 漱石は英文学者でイギリスにも留学しており、英語には通じていたはずなのにすごい反発ぶりですね。よほど嫌いだったのでしょう。

 日本語で無生物主語構文が不自然なのにはいくつか理由があります。そのひとつは、フランス語の動詞は人にも物にも使われることが多いということです。

 

 (1) a. Jean marche sous la pluie.

    ジャンは雨の中を歩いている。

   b. Cette machine à laver marche bien.

    この洗濯機は快調に動いている。

 (2) a. Hélène a écrit une lettre de recommendation.

    エレーヌは推薦状を書いた。

   b. Ce stylo à bille écrit rouge.

    このボールペンのインクの色は赤だ。

 

 ですからたとえばfavoriserという動詞を、(3 a)のように人を主語にして使っても、(3 b)のように抽象名詞を主語にして使っても不自然にはなりません。

 

 (3) a. Le président favorise les grandes entreprises.

    大統領は大企業を優遇している。

   b. L’obscurité a favorisé notre opération.

    暗闇が我々の作戦に有利に働いた。

 ところが日本語の運動動詞は主語に人をとるか物をとるかが決まっているものが多いのです。次の例のbalayerという動詞は、人が「掃除する、掃く」とも、物が「吹き飛ばす」とも使えます。しかし日本語で「掃く」は主語に人しかとることができないので、 (5 b) はとても不自然になってしまいます。

 

 (4) a. Claris a balayé le living. クラリスは居間を掃いた。

   b. Le vent a balayé les nuages. 風が雲を吹き払った。

 (5) a. 太郎は居間を掃いた。

   b. ??風が雲を掃いた。

 

 しかしこれだけが理由ではありません。フランス語で無生物主語構文がよく使われる最大の理由は、第7講と第13講でも触れた「直接語順」(ordre direct)にあります。ちょっとおさらいすると、直接語順とは、〈主語+他動詞+直接目的補語〉という統語構造の裏側に〈動作主+動作+被動作主〉という意味構造が張り付いていることをさしています。次の例を見てください。

 

 (6) Le gouvernement a augmenté l’allocation familiale.

   〈動作主〉 ─ 〈動作〉 ─〈被動作主〉

   政府は家族手当を増額した。

 

 (6)では主語のle gouvernementが動作主、つまり「何かをする側」で、動詞のa augmentéが動作を表していて、直接目的補語のl’allocation familialeが被動作主、つまり「何かをされる側」になっています。これが典型的な直接語順です。

 政府は政策を実行するので、何かをする側として振る舞うのは自然です。しかしフランス語の特性は、このパターンを本来何かをする側ではないものにまで拡張して適用するところにあります。同じaugmenterという動詞を次のように使うことができます。

 

 (7) L’attitude de Jean a augmenté la colère de son père.

     〈動作主〉 ─ 〈動作〉 ─〈被動作主〉

   ジャンの態度は父親の怒りに油をそそいだ。

 

 (7)ではl’attitude de Jean「ジャンの態度」という抽象名詞があたかも「何かをする側」であるかのように動作主として振る舞っています。l’attitude de Jeanがほんとうに何かをしているわけではなく、父親の怒りが激しくなったことの原因です。〈動作主〉 ─〈動作〉─〈被動作主〉という行為連鎖を、〈原因〉─〈影響〉─〈影響が及ぶ対象〉という因果関係にまで拡張するのが無生物主語構文の本質と言えるでしょう。

 しかし、日本語では不自然になる無生物主語構文がフランス語では自然なのはなぜなのでしょうか。アメリカ構造主義言語学の泰斗ブルームフィールド (Leonard Bloomfield 18871949) は主著『言語』Language (1933)の中で、すべての言語には常用文形式 (favorite sentence-type) というものがあり、英語のそれは actor— actionであると述べました。(注1)続けて、現在の印欧諸語の相当数のものは、同じ常用文形式を用いる点で英語と軌を一にすると書いています。actor — actionとは「誰かが何かをする」という表現のパターンで、actorは主語、actionは動詞がそれを表します。つまりブルームフィールドは、英語を初めとするヨーロッパの言語では「誰かが何かをする」という表現パターンが基本だと考えているのです。

 しかし日本語はそうではありません。この点に関する研究では、元東京大学教授の池上嘉彦氏の『「する」と「なる」の言語学』(注2)がおそらく最初でしょう。これに続いて、荒木博之『やまとことばの人類学』(注3)、安藤貞雄『英語の論理・日本語の論理』(注4)などでも同じ考えが展開されています。その骨子は、英語はものごとを「誰かが何かをする」と捉えて表現することを好む「する言語」なのにたいして、日本語は誰かがするのではなく、ひとりでにそうなるという捉え方を好む「なる言語」だというものです。次の例を見てみましょう。

 

 (8) a. Voici venir le printemps.

    b. 春になった。

 (9) a. J’ai perdu un bouton.

    b. ボタンが取れた。

 (10) a. J’ai entendu un cris.

   b. 叫び声が聞こえた。 

 (11) a. Je vois un voilier au loin.

      b. 遠くヨットが見える。

 (12) a. Il fait beau.

   b. 天気がよい。

 

 (8 a)では春がこちらに移動して来ると捉えていますが、日本語では「なる」を使っています。(9 a)ではjeが主語になり、ボタンがとれることが「私」の行為として表現されていますが、(9 b)には「私」はどこにも表されていません。このちがいは (10) (11) のような知覚動詞にはっきり現れます。(10 a)では「私が聞いた」と表現されていますが、(10 b)では「聞こえる」という可能動詞を使っていて、主体は「叫び声」であり、聞いた「私」は表に出ません。(11)についても同じことが言えます。(12)のような天候表現でもずいぶん大きな違いが出ます。フランス語では非人称主語ilを立てて、動作動詞であるfaireを用いていることからもわかるように、フランス語も英語と同様に「する言語」なのです。このために天気のような自然現象についても、「誰かが何かをする」という表現パターンを当てはめて使います。この表現パターンを支えているのが、〈主語+他動詞+直接目的補語〉という統語構造の裏側に〈動作主+動作+被動作主〉という意味構造が張り付いている直接語順であることはおわかりでしょう。

 しかし、どうやらフランス語は昔からこのような言語ではなかったようです。そのことは英語の歴史で研究が進んでいます。たとえばthink「考える」やdream「夢を見る」やlike「好きである」といった動詞は、古英語の時代は非人称動詞でした。「私」は与格に置かれて Me thinkθ that…「〜のように私には思われる」のように使いました。今なら主語にItを起きますが、この時代にはまだ使われていません。likeも現代のように I like…「私は〜が好きだ」ではなく、Me lykeθ…「私に〜が好まれる」と表現していました。古英語の時代には現代でも非人称である天候表現の他に、思考・認識や好き嫌いを表す動詞は非人称だったのです。今よりも少し「なる言語」に近かったということです。スペイン語やイタリア語では非人称ではなく倒置構文になりますが「私」が与格に置かれるところがよく似ています。

 (13) スペイン語

  Me gustan las naranjas. 私はオレンジが好きだ。

  私に好まれる定冠詞(pl.)-オレンジ

 (14) イタリア語

  Mi piace la musica. 私は音楽が好きだ。

   私に好まれる定冠詞音楽

 

 古英語の時代には40ほどの非人称動詞があったと言われていますが、これらの動詞は人称化していきました。人称化というのは、Me thinkθ 「私に思われる」の与格のMeが主語と再解釈されてI think「私は考える」へと変化したのです。これには名詞の格変化の消滅にともなうSVO語順の増加が関わっていました。この変化は英語史の中でも最も大きな統語的変化として知られています。

 フランス語でも古フランス語の時代には非人称動詞がもっと使われていたようです。(注5remembrer「思い出す」のように今では消えてしまった動詞もあり、またse souvenirは昔は非人称動詞でした。その名残りはアポリネールの「ミラボー橋」(Le pont Mirabeau)という詩に見られます。

 

 Faut-il qu’il m’en souvienne ?  思い出す必要があるだろうか

   La joie venait toujours après la peine 辛いことの後にはいつも喜びが待っていた

 

 フランス語もSVO語順の確立によって、直接語順が強まるにつれて非人称動詞が使われることは少なくなりました。つまり直接語順の定着によって、フランス語は「する」言語の性格を強めたということになるでしょう。このことはフランス語と日本語を較べたときに表現パターンのちがいとなって現れます。一つ例を挙げると、フランス語は所有表現を好みますが、日本語は存在表現を好むということです。

 

 (15) a. J’ai deux enfants.

      b. 私には二人子供がいます。

 (16) a. Cette pièce a deux portes.

   b. この部屋にはドアが二つある。

 

 市場で買い物をするときに日本語では「アスパラガスありますか」と聞きますが、フランス語では Vous avez des asperges ?と言うのが普通ですね。所有表現は「する」言語の表現パターンで、存在表現は「なる」言語が好む言い方です。

 

(注1)もう一つの常用文形式は Come !「来い」のような不定詞を用いた命令文だとされている。

(注1)大修館書店、1981

(注3)朝日選書、1985

(注4)大修館書店、1986

(注5Ménard, Ph., Syntaxe de l’ancien français, SOBODI, 1973

「フランス語100講」第14講 無生物主語構文 (1)

 中学校で世界史を学んでいたとき、「都市の空気は自由にする」というドイツの諺を知りました。封建制のもとで自由がなかった農奴でも、都市に逃げ込んで一定の期間が過ぎると市民権を与えられたという制度を言い表したものです。しかし、子供心にもこの言い回しは不自然な日本語だと感じたものです。なぜそう感じたのでしょうか。

 この諺はドイツ語のStadtluft macht freiを訳したもので、分解すると「都市の空気」+「する」+「自由」で、英語にするとUrban air makes free.となります。不自然に感じた理由は、「する」という運動動詞の主語が「都市の空気」という無生物だったからなのです。これが今回の講義のテーマである無生物主語構文です。この構文はフランス語が直接語順 (ordre direct) を異常なまでに好む言語であることから生まれたものだと考えられます。

 フランス語の文法書で無生物主語構文が取り上げられることはありません。代表的な文法書である朝倉季雄『新フランス文法事典』(白水社 2002年)にも、目黒士門『現代フランス広文典』(白水社 2015年)にも無生物主語構文は立項されていません。わずかに町田健『フランス語文法総解説』(研究社 2015年)が1ページを割いてこの構文を取り上げ、次のような例文を載せています。

 

 (1) La pauvreté de sa famille a obligé François à quitter l’école.

     家が貧しかったので、フランソワは学校を辞めなければならなかった。

   (直訳 : 家庭の貧しさがフランソワに学校を辞めることを強いた)

 

 (2) La nécessité crée l’invention.

  必要から発明は生まれる(直訳 : 必要が発明を生み出す)

 

 なぜ文法書が無生物主語構文を取り上げないのかは明らかです。このような文は〈主語+動詞+直接目的補語(+間接目的補語)〉という規範どおりの文で、文法の上で特別な解説が必要な点はどこにもありません。フランス語を使う人にとっては不自然なところはないのです。これを不自然だと感じるのは私たちが日本語を話しているからに他なりません。つまりフランス語と日本語とを比較対照するという見方がなくては特に問題とはならない現象なのです。

 名著『翻訳仏文法』(注1)の著者の鷲見洋一氏は第1章「フランス語の特性」で無生物主語構文に触れて、それを「フランス語は抽象性の強い言語である」という項目の一部として解説しています。La curiosité l’avait amené dans cette ville.「かれはもの珍しくてこの町に立ち寄った」(直訳 : 好奇心が彼をこの町に連れて来た)という例文を挙げて、この文にはある人物が好奇心から町に来たという意味内容以上のものが含まれていると述べています。それは何かと言うと、

「話し言葉における人間中心の写実表現を一度バラバラに解体し、人(かれ)ともの(好奇心)を同一平面上に位置づけなおしてから、今度は因果関係を軸にして叙述の方法を決めるという抽象表現がそれである。」(同書、p. 48)

と書かれています。鷲見氏は無生物主語構文をフランス語の抽象性を表す特徴として捉えています。フランス語の書き言葉が抽象性の強い言語であるということは確かにそうなのですが、それはいったん脇に置いておいて、意志を持たず動く能力もない無生物が運動動詞の主語になっているという点に注目しましょう。(注2)

 明治時代になり外国人が日本文化を研究するようになると、日本語では無生物主語構文が使われないことに着目した人もいました。1873年に来日し東京帝國大学で教鞭を執ったイギリス人のチェンバレン(Basil Hall Chamberlain 1850〜1935)は次のように書いています。

「(日本語の)もうひとつの欠点は、擬人法を避けるという習慣である。この特徴は大変深く根ざした一般的なもので、中性名詞(=抽象名詞)を他動詞と結びつけて用いるということすら妨げられてしまう。例えば、日本語では『熱気が私をだるく感じさせる』The heat makes me feel languid.『絶望が彼を自殺へ追いやった』Despair drove him to commit suicide. などといった表現は許されない。『暑いので私は身体がだるい』とか、『希望を失って彼は命を絶った』などと言わなくてはならないのである。言うまでもなく、日本語のこのような欠陥のために、詩は散文以上に損失を被っている。」  (Things Japanese1890、高梨健吉訳『日本事物誌』東洋文庫)

 

 チェンバレンが上の文章で抽象名詞を主語にした擬人法と呼んでいるのが無生物主語構文に他なりません。チェンバレンは無生物主語構文がないことを日本語の欠陥と見なしています。

 一つ注意しておかなくてはならないのは、無生物主語構文が書き言葉に属するということです。フランス語は話し言葉と書き言葉の落差が大きい言語です。抽象名詞を主語にした無生物主語構文は日常の話し言葉ではあまり使われず、もっぱら書き言葉で使われるものです。このことをよく示しているのが鷲見洋一氏の著書でも紹介されている Eloi LegrandのStylistique française『フランス語文体論』(注3)というフランスの学校でよく使われていた教科書です。この本は左側に話し言葉の文を、右側にそれを書き言葉に直した文を配した形式で書かれています。その中の長い複文をコンパクトな単文に書き換える練習に無生物主語構文が登場します。いくつか例を挙げてみましょう。それぞれのペアのa.が日常会話や緩い書き言葉の表現で、b.がお奨めの無生物主語構文です。

 

 (3) a. Parce que vous manquez de suite dans votre conduite, vous ne réussirez pas.

    あなたの行動には一貫性が欠けているので、将来の成功はおぼつかない。                          

           b. L’inconséquence de votre conduite vous empêchera de réussir.

    直訳 : あなたの行動の一貫性の欠如が成功を妨げるでしょう。

 (4) a. Lorsque nous sommes sans inquiétude, nous cessons d’être d’accord.

    人は不安にかられていないときには意見がばらばらになるものだ。

       b. La sécurité nous divise.

    直訳 : 安心安全は私たちを分断する。

 (5) a. Bien que nos opinions soient différentes, nous restons bons amis.

    私たちは考えはちがうがずっと仲のよい友人だ。

          b. Nos divergences d’opinions n’altèrent en rien notre amitié.

    直訳 : 私たちの意見の相違はいささかも友情を損なうことがない。

 

 この本を見るとフランスでは無生物主語構文は文法ではなく文体の問題とされていることがわかります。引き締まった高級な文章を書くために心がけるべき訓練というわけです。しかしフランス語を学ぶ私たちにとっては、無生物主語構文はたんなる文体の問題ではありません。それは私たちが話している日本語がフランス語とは大きく異なる文法を持っているからです。フランス語話者には文体の問題であっても、日本語を使っている私たちにとってはフランス語の文法的な特徴として理解すべきことなのです。「フランス語らしさ」の一つの要素となっていると考えてもよいでしょう。

 それではどのようにすれば無生物主語構文を使いこなせるようになるでしょうか。ここでもルグランの『フランス語文体論』が役に立ちます。(3)〜(5)に挙げた例のような複文から単文を作る手順は次のように説明されています。

 i) 従属節の動詞や属詞を抽象名詞に変える。

 ii) 従属接続詞を削除する。

 iii) 抽象名詞を新しい文の主語に置く。

 iv) 主節の動詞を意味が適切なものに置き換える。

ちょっとやってみましょう。元になるのは次の複文だとします。

 

 (6) Comme le temps était orageux, nous n’avons pas pu partir.

          天気が荒れ模様だったので、私たちは出発できなかった。

 

 手順のi) で属詞のorageux「荒れ模様」を名詞の orage「嵐」に変えます。ii) に進んで接続詞のcommeを消します。iii) で L’orage…を主語にします。ちょっと難しいのはiv)です。「嵐のせいで出発できなかった」では「嵐」は出発できなかった原因です。直接語順に基づく無生物主語構文では、〈主語+動詞〉という統語構造に〈動作主+動作〉という意味が張り付いています。ですから「嵐」が何かをしたように表現しなくてはなりません。「嵐のせいで私たちが出発できなかった」ということは、「嵐が私たちの出発を妨げた」と言い換えることができます。使う動詞は empêcher「妨げる」ですね。すると (6) は次のような無生物主語構文に書き直すことができます。

 

 (7) L’orage a empêché notre départ.

   直訳 : 嵐が私たちの出発を妨げた。

 

 もう一つのやり方を見てみましょう。

 

 (8) a. On arrive en Italie par ce col.

   この峠を越えればイタリアに行ける。

  b. Ce col donne accès en Italie.

          直訳 : この峠はイタリアに通じている。

 (9) a. Par suite de ma vieillesse, je dois enfin me retirer des affaires.

    歳を取ったせいで私は商売を辞めざるを得ない。

  b. La vieillesse m’arrache des affaires.

    直訳 : 老化が私を商売から引き離す。

 

 (8 a)では場所の状況補語のpar ce colのce colが (8 b) では主語になっていて、まるで場所が何かをしているように表現されています。また (9 a)では理由を表す par suite de ma vieillesseという状況補語の中から vieillesseという抽象名詞が取り出されて (9 b)の主語に取り立てられています。(9 b) のように、無生物主語構文の主語に置かれた抽象名詞は、原因・理由という意味を帯びやすいのです。このために動詞には entraîtner「引き起こす」、empêcher「妨げる」、permettre「可能にする」のような状態変化動詞がよく使われます。

 最後に無生物主語構文の極北といえる文を挙げておきましょう。

 

 (10) Noblesse oblige.

             貴族の身分には義務が伴う

   (直訳 : 貴族の身分は強制する)

 

 

 主語のnoblesseに冠詞が付いていないのは昔のフランス語の名残で、ことわざにはよくあることです。obligerという動詞は、ふつう Son père a obligé Jean à étudier les droits. 「父親はジャンに法学を学ぶよう強いた」のように、直接目的補語と〈à+不定形〉が続くのですが、(10) ではそれがなく、いわゆる他動詞の絶対用法になっていることも特徴的です。そういえば最初に挙げた「都市の空気は自由にする」も目的補語がない絶対用法で、日本語にしたときの不自然さの原因の一つとなっています。

                             (この稿次回に続く)

 

(注1)もともと『翻訳の世界』という雑誌に連載されたもので、日本翻訳家養成センターから1985年に上下2冊で刊行。後にちくま学芸文庫として2003年に再刊された。

(注2)鷲見氏より前に『翻訳の世界』に連載を持っていた安西徹雄氏の『翻訳英文法』(日本翻訳家養成センター、1982年)も第III章で無生物主語構文を大きく取り上げている。この本は『英文翻訳術』とタイトルを変えてちくま学芸文庫から再刊されている。安西は江川泰一郎『英文法解説』(金子書房 1953)ですでに無生物主語構文の指摘があるとしている。私は改訂三版 (1991)を取り寄せて見てみたが、確かに「日本語と異なる名詞の用法」という章で無生物主語構文が取り上げられている。

(注3)J. de Gigord社刊、1924年初版。ただし購入するときは Livre du maître(教師用)を買うのがお奨め。

「フランス語100講」第13講 主語(4)─ 主語の意味役割

 第10講で主語の定義を検討し、主語とは文に不可欠の名詞・代名詞で、動詞の活用を支配するものであることを見ました。これは確かに主語の定義としての必要条件と言えます。主語ならあまねく持っている特徴を述べているからです。しかしこの定義は主語の文法的な特徴は捉えているものの、主語の意味的な性質については何も述べていません。伝統的な主語の定義には、主語は能動文で動作主 (agent) を表す要素であるということが含まれていました。今回は主語が文の中でどのような意味役割を持っているのかを見ることにしましょう。

 まず予備的作業として、動詞を大きく二つの種類に分けます。状態動詞 (verbe d’état) と運動動詞 (verbe d’action) です。

 

 (1) Angéla est italienne.

  アンジェラはイタリア人です。

 (2) Yves ne sait pas l’adresse de Pierre.

  イヴはピエールの住所を知らない。

 (3) Claire court à toute vitesse.

  クレールは全速力で走っている。

 (4) Jean a ouvert une conserve de thon.

  ジャンはツナ缶を開けた。

 

 話をかんたんにするために、主語はすべて人にしました。(1)のêtre「〜である」や (2) のsavoir「知っている」などは時間によって変化しない状態を表す状態動詞です。(3)のcourir「走る」や (4) のouvrir「開ける」は時間によって変化する動作を表す運動動詞です。

 主語が動作主を表しているのは、動詞が運動動詞である (3)と(4)です。(3)ではクレールは走る人で、(4)ではジャンは缶詰を開ける人です。「何かをする人」であるためには動詞が運動動詞でなくてはなりません。動詞が状態動詞である (1) と (2) では、アンジェラやイヴは「何かをする人」ではありません。(1)でアンジェラは「イタリア人」という国籍を持っている人で、(2)でイヴはピエールの住所という知識を保有していない人です。このようなとき、(1) や (2) の主語は動作主という意味役割ではなく、siège de la prédication「主述関係の座」と呼ぶことがあります。述語が表している状態や性質がある場所というくらいの意味です。(1)ではアンジェラが「イタリア人である」という属性が成り立つ主体であり、(2)ではイヴは「ピエールの住所を知らない」という状態が成り立っている人と言えるでしょう。

 では動詞が運動動詞のときは、主語は必ず動作主なのかというと、そうとも言えません。動作主がみずから主体的に行動するものとするならば、それができるのは意志を持つ人間か動物に限られます。意志を持たない無生物は動作主にはなりません。

 

 (5) Le Rhône coule vers le sud.

  ローヌ河は南に流れている。

 (6) Le couteau est tombé par terre.

  ナイフは床に落ちた。

 (7) La bombe a explosé.

  爆弾は爆発した。

 

 (5) でローヌ河はそうしようと思って南に流れているわけではありません。地形という自然の要因によってそうなっているだけです。(6) でもナイフは自分で落ちたのではなく、誰かが取り落としたのでしょう。(7) でも爆弾が爆発したのは、誰かがスイッチを入れたか、時限装置が作動したせいです。

 では (5)〜(7)の主語が動作主でないとすると、それを何と呼べばよいのかという問題が生じます。このような不都合を避けるために、動作主という意味役割から意図性 (intentionalité) を除外しようとする考え方もあります。つまり自分でしようと思ってしたのかどうかとは関係なく、運動の主体となっているものはすべて動作主と呼ぼうということです。このような考え方を採るならば、(5)〜(7)の主語も広い意味で動作主と呼ぶことができます。

 

 (8) Les soldats ont subi une torture.

  兵士たちは拷問を受けた。

 (9) Jacques a reçu une averse en rentrant de l’école.

   ジャックは学校からの帰りににわか雨に遭った。

 

 (8) (9) となるとますます主語を動作主と呼ぶのが難しくなります。(8)では兵士はそうしようと思って拷問を受けたわけではありません。 (9) でもジャックは自分で何かをしたわけではありません。広義の動作主と見なそうとすると、(8)の兵士や (9)のジャックを運動の主体と見なさなくてはなりませんが、 (8) の兵士は拷問という行為の主体ではなく拷問を受ける側です。また (9) でもジャックは雨に降られているので、運動の主体とは言えません。

 このような例を見ると、たとえ広い意味に取ったとしても、運動動詞の主語をすべて動作主と見なすのは難しいことがわかります。ではどうして伝統的な主語の定義には動作主という意味役割を含むものが多いのでしょうか。そこにはどうやら二つの理由があるようです。

 まず状態動詞と運動動詞の数を較べると運動動詞の方が多いという事実があります。このために動詞の主語は何かの動作・行為の主体と見なされやすいのです。この点で日本語は極端で、状態動詞は「いる」「ある」「できる」「思う」「値する」くらいしかなく、後は「書ける」「見える」などの可能動詞で、これらを除く残りの動詞は全部運動動詞です。フランス語では状態動詞の savoir「知っている」やressembler「似ている」も、日本語の「知る」「似る」は運動動詞です。確かに状態の種類より運動の種類の方が多いので、運動動詞が多いのは言語によらずよく見られることです。

 また自動詞より他動詞の方が多いことも挙げられます。他動詞ではPaul a cassé un verre à vin.「ポールはワイングラスを割った」のように、主語は何かの動作をする側で、直接目的補語は動作の影響をこうむる側です。このために主語が動作主である場合が出来事のプロトタイプのように見なされたのだと考えられます。

 しかしこの問題には歴史的な背景もあるようです。昔からラテン語・ギリシャ語などの古典語やヨーロッパの他の言語と比較して、フランス語が優れた言語であることが論じられてきました。なかでもよく知られているのはリヴァロルの『フランス語の普遍性について』です(注1)。この文章の中でリヴァロルはフランス語の優れた点として、直接語順 (ordre direct) を挙げています。その部分を引用して拙訳を添えておきます。

 

   Ce qui distingue notre langue des langues anciennes et modernes, c’est l’ordre et la construction de la phrase. Cet ordre doit toujours être direct et nécessairement clair. Le français nomme d’abord le sujet du discours, ensuite le verbe qui est l’action, et enfin l’objet de cette action : voilà la logique naturelle à tous les hommes ; voilà ce qui constitue le sens commun. Or cet ordre, si favorable, si nécessaire au raisonnement, est presque contraire aux sensations, qui nomment le premier l’objet qui frappe le premier. C’est pourquoi tous les peuples, abandonnant l’ordre direct, ont eu recours aux tournures plus ou moins hardies, selon que leurs sensations ou l’harmonie des mots l’exigeaient ; et l’inversion a prévalu sur la terre, parce que l’homme est plus impérieusement gouverné par les passions que par la raison. Le français, par un privilège unique, est seul resté fidèle à l’ordre direct (…).

 古典語や他の現代語と較べたとき、わが国の言語の特色は語順と文の組み立て方にある。この語順は常に直接的でなくてはならず、必然的に明晰なものである。フランス語ではまず文の主語を述べ、次に行為を表す動詞を置く。そして最後に行為の対象を述べる。これが万人にとって自然な論理である。これこそ常識というものである。ところがこの語順は推論にとって実に好適で必然的ではあるものの、感覚の命じるところとはほぼ逆となる。なぜなら感覚においては、私たちの五感が最初に捉えた対象をまず名指すからである。このような理由によって、あらゆる民族は直接語順を捨てて、感覚や語の調和が命じるままに、程度の差はあれ奇抜な言い回しを採用した。こうして地上に倒置がはびこることとなった。というのも人間は理性よりも感情に支配されることが多いからである。特別に選ばれたフランス語のみが変わることなく直接語順に忠実に従っている。

 

 リヴァロルはこの引用にあるように、〈主語─動詞─目的語〉という語順を直接語順 (ordre direct) と呼び、それがもっとも理性にかなった語順であるとしています。この文章が書かれたのは18世紀の啓蒙主義の時代で、数年後にはフランス革命が勃発するという頃です。「理性」は人間を正しく導くものとして重んじられていました。そして〈主語─動詞─目的語〉という直接語順の裏側には、〈動作主─動作─被動作主〉という意味役割が張り付いています。直接語順は動作主から被動作主へと向かう動作の方向をそのまま表したものとされているのです。上の引用のすぐ後によく知られたCe qui n’est pas clair n’est pas français. 「明晰でないものはフランス語ではない」という文章が続きます。

 リヴァロルはこのように直接語順をフランス語の明晰さと普遍性の鍵と考えたのです。驚くのはこの直接語順の神話が現代でも生きているということです。フランス学士院 (Institut de France) の名誉総裁 (chancelier) であったド・ブロイ (Gabriel de Broglie) がアカデミー・フランセーズの代表団長として2014年に北京を訪問した折に、「フランス語の美しさ」(La beauté de la langue française) と題する講演を行いました。その一節を引いてみましょう。(注2)

 

 Le principal caractère c’est l’ordre direct. Le français obéit à l’ordre direct. (…) La langue française commence par ce qui commande la compréhension, le sujet, puis par ce qui découle de ce qui vient d’être dit, c’est-à-dire que l’ordre rigide des mots est régi par leur fonction et leur rapport. La proposition principale vient avant la proposition subordonnée. Le sujet vient avant le verbe qui exprime l’action et le verbe est suivi de ses compléments directs, puis indirects qui indiquent les conditions dans lesquelles le sujet a agi. C’est cela l’ordre direct.

 フランス語の重要な特性は直接語順です。フランス語は直接語順に従います。(…)フランス語では文の最初に理解の要となる主語を置きます。次に置かれた主語から発するものを述べます。つまり単語の厳格な順序はその機能と関係によって支配されているのです。主節は従属節の前に置きます。主語は行為を表す動詞の前に来ます。そして動詞の後には、主語がどのような条件で働きかけたかを示す直接補語と間接補語が続きます。これこそが直接語順です。

 

 まるで18世紀の亡霊が現代に蘇ったようですね。現代の言語学では、〈主語─動詞─目的語〉という語順が「最も理性にかなった」ものだということは否定されています。主語をS、動詞をV、目的語をOと書くと、順列組み合わせによって次のような6通りの語順が可能になります。ある統計によれば(注3)、世界中の言語でそれぞれの語順の占める割合は次のようになっています。

 

 SOV 39%   SVO 36%   VSO 15%   VOS 5%   OSV/OVS 5%

 

 フランス語のようなSVO言語は36%を占めていますが、日本語のようなSOV言語は39%あり、それより多くなっています。SVO言語以外の語順の言語を話している人が合わせて64%もいるのですから、その人たちが「理性にかなっていない」言語を話しているとは考えられないでしょう。自分たちの言語のSVOという語順が最も良いものだというのは、よく見られる自民族中心主義 (ethnocentrisme) に他なりません。

 では直接語順というのも一種の幻想なのでしょうか。いえいえ、そんなことはありません。フランス語が直接語順を好む言語であるということは厳然たる事実です。また〈主語─動詞─目的語〉という統語構造の裏側に〈動作主─動作─被動作主〉という意味役割が張り付いているというのも、フランス語という言語の大きな特徴となっています。このことはすぐ後にお話する無生物主語構文を理解するのに大いに役立つでしょう。                      

(注1)Antoine de Rivarol, De l’universalité de la langue française, 1784.

(注2)https://www.academie-francaise.fr/la-beaute-de-la-langue-francaise

(注3)クロード・アジェージュ『言語構造と普遍性』白水社、1990.

 

 

「フランス語100講」こぼれ話(4)─ onとl’on

 不定代名詞の onは et, ou, où que, siなどの単語に続くときは、l’onと綴ることがある。

 

 (1) si l’on considère l’état actuel de notre pays…

   わが国の現状に鑑みるならば

 (2) Il faut que l’on se mette d’accord sur ce point.

        その点についてみんなが同意する必要がある。

 

 そうする理由は、もし si onや où onとすると、フランス語が嫌う母音衝突 (hiatus) を起こしてしまうからだと説明される。queは qu’onとエリジヨンして母音衝突を避けることができるが、他の単語ではそうはいかない。

 しかしもし母音衝突を避けるのが目的ならば、他の子音字でもかまわないはずだ。事実、疑問倒置では A-t-elle été en Espagne ?「彼女はスペインに行ったことがありますか」のように –t- が使われている。l’onl’はエリジヨンしない形は leで、これは定冠詞の男性単数形である。なぜonに定冠詞が付くかを知るには、フランス語の歴史をさかのぼらなくてはならない。

 onの語源はラテン語の homo「人」である。現在でも生物学の学名ではラテン語が使われているので、 現世人類はHomo sapiensホモサピエンス」と呼ばれている。「言語を使う」というヒトの特徴を捉えて Home loquens「話すヒト」などと言うこともある。onはもともとは「人」を表す名詞のhomoだったために、定冠詞を付けてl’onのように用いるのは、その昔は珍しいことではなかった。ところが現代フランス語では si l’onのように母音衝突を避ける場合にしか使われなくなったのである。

 さて、ラテン語の homoからはhomme「人、男性」という単語も生まれた。こちらはれっきとした男性名詞である。なぜラテン語の一つの単語からフランス語の二つの単語が生まれたのだろうか。その理由もフランス語の歴史の中にある。

 フランス語の親のラテン語には名詞の格変化 (déclinaison) があった。格とは、日本語ならば「花が」「花を」「花に」のように、格助詞のガ・ヲ・ニなどを使って表す文法関係を、名詞の語尾変化で表すことをいう。ラテン語には全部で6つの格があった。やがてラテン語は俗ラテン語の時代を経て、だいたい9世紀くらいに古フランス語になったと考えられている。名詞の格体系は大幅に簡略化されて、主格と斜格の2格体系になった。主格 (cas sujet) は名詞を主語や呼びかけに用いる場合で、斜格 (cas oblique) は直接目的語などそれ以外の場合に用いる。次はmur「壁」という単語の格変化である。添えられた定冠詞も格変化している。

 

 

 ざっくり言うと、主格単数形と斜格複数形に –sの語尾が付いた。(注1)見てわかるように、斜格の単数形 le murと複数形 les mursが後に現代フランス語の単語となった。なぜ主格ではなく斜格の語形が生き残ったのだろうか。それは統計的な頻度の問題である。次の物語の冒頭部分を見てみよう。

 

 (3) Delphine et Marinette revenaient de faire des commissions pour leurs parents, et il leur restait un kilomètre de chemin. Il y avait dans leur cabas trois morceaux de savon, un pain de sucre, une fraise de veau, et pour quinze sous de clous de girofle. Elles le portaient chacune par une oreille et le balançaient en chantant une jolie chanson. À un tournant de la route, et comme elles en étaient à « Miroton, miroton, mirotaine », elles virent un gros chien ébouriffé, et qui marchait la tête basse.             (Marcel Aymé, Les contes du chat perché)

デルフィーヌとマリネットは両親に頼まれた買い物を終えて家に戻るところでした。家まではもう1kmしかありません。買い物籠のなかにはせっけんが3つ、砂糖の固まりが1つ、仔牛の腸間膜と15スー分の丁字が入っています。二人は買い物籠の取っ手をひとつずつ持って、すてきな歌を歌いながら籠を揺らしていました。曲がり角にさしかかり、ちょうど歌が「ミロトン、ミロトン、ミロテーヌ」まで来たとき、毛を逆立てて頭を下げて歩く大きな犬が見えました。

 

 主語はボールド・イタリック体にして、直接目的補語には下線を引いた。主語は Delphine et Marinetteだけが名詞で、あとは il / il / elles / elles / elles とすべて代名詞である。これは第11講で触れた主題の一貫性(英 topic continuity)の原則による。談話やテクストでは、一つの主題について連続して語ることが多い。このため同じものをさす代名詞が多くなるのである。一方、直接目的補語を見ると、un kilomètre de chemin / trois morceaux de savon / un pain de sucre / une fraise de veau / pour quinze sous de clous de girofle / le / le / un gros chien ébouriffé, et qui marchait la tête basseとなっていて、代名詞leが二つあるが、残りは全部名詞である。(注2)しかも長い名詞が多い。一般に新しい名詞が登場するのは直接目的補語の位置であることが知られている。

 これは物語という書き言葉の話だが、話し言葉ではこの傾向はもっと強くなる。Colette Jeanjeanは話し言葉のコーパス調査から、すべての文のうち名詞の主語を持つ文の割合は2%〜2.8%にすぎないと報告している。(注3)私自身の調査でも、名詞主語の出現率は 2.4%〜5.7%であった。これにたいして直接目的補語は名詞であることが多く、フランス語で最もよく見られる文型は、〈代名詞主語+動詞+名詞の直接目的補語〉という組み合わせなのだ。(注4)このように主語は代名詞が多く、直接目的補語は名詞が多いために、よく目にする斜格形が名詞の形として残ったのである。

 しかしながらon / hommeは例外的に主格形と斜格形の両方が残った。その理由は、onが「人一般」を指したりnousの代用形として用いられたりして、主語人称代名詞と同じような使われ方をするために、使われる頻度が高かったためと考えられる。 on / homme以外にも主格形と斜格形の両方が残った単語がいくつかある。

 

         主格形          斜格形

  copain          compagnon 「仲間」

       gars(俗語で)若者     garçon「少年、男の子」

  sire (呼びかけて)陛下    seigneur「領主」

 

 これらの単語はすべて人をさす単語で、呼びかけで使うことが多い。呼びかけには主格形が使われる。このために主格形と斜格形の両方が残ったのだと考えられる。

 以上のことから何を導くことができるだろうか。それは「言語使用が文法を作る」(英 Usage makes grammar.)ということではないだろうか。フランス語でも日本語でも文法は誰か特定の人が設計図を描いて作ったものではない。(注5)言葉の使用が集積して、やがて慣習として固まったものである。野原を横切るときに、たくさんの人が同じルートを歩くと、やがて草が踏み固められて道ができる。文法とはそのようにしてできたものではないだろうか。

 

(注1)主格単数形の語尾の –sは、Georges、Jacquesなどの人名にその名残を留めている。

(注2)非人称構文の il leur restait、il y avaitに続く名詞は、文法的には直接目的補語である。

(注3)Jeanjean, Colette, “L’organisation des formes sujets en français de conversation. Etude quantitative et grammaticale de deux corpus”, Recherches sur la français parlé 3, 1981.

(注4)東郷雄二「話し言葉のフランス語に見る文法の形成過程の研究」、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)研究成果報告書、1998.

(注5)ポーランドの眼科医であったザメンホフが作ったエスペラントのような人工言語は例外で、一人の人が考案した言語である。

「フランス語100講」第12講 主語 (3) – 主語と主題のちがい

 フランス語では主語は無標の主題としてはたらくこと、そして主語は主題が文法化されて生まれたものと考えられることを見てきました。では主語と主題はどこがどうちがうのでしょうか。いくつかポイントを見てみましょう。

 

(A) 主語は必須だが主題はなくてもよい

 フランス語では主語は動詞の活用を支配し、文にとってなくてはならないものです。このため天候表現のように主語を考えにくい自然現象にも非人称主語のilが必要なのです。このように何もささないilを虚辞 (explétif) と呼ぶこともあります

 

 (1) Il pleut à torrents.

  どしゃ降りだ。

 

このように主語は文法によって規定され要請される要素です。これにたいして主題は、相手に何を伝えるかという談話レベルの概念で、しばりも緩やかなものです。文によっては主題がないものもあります。

 

 (2) Une vieille dame entra dans la salle d’attente de l’hôpital Cochin.

   コシャン病院の待合室に一人の老婦人が入って来た。

 

 この文には主題がありません。このようなタイプの文は、出来事文とか現象文と呼ばれています。これについてはまた別の所でお話しします。

 

(B) 主語は文に一つだが、主題は複数あることもある

 主語は動詞の活用を支配するものですから、文に一つしかありません。Paul et Jean「ポールとジャン」のように複数の名詞が等位接続されているものは、全体がひとつの主語になります。

 

 (3) Paul et Jean sont partis en voyage.

  ポールとジャンは旅行に出かけた。

 

 主題は文がそれについて語るものですから、文あたり一つなのがふつうです。しかしそうではない場合もあります。私の指導教授の一人だったキュリオリ先生 (Antoine Culioli) が好んで講義で挙げたのは次のような文でした。こういうものは何十年経っても覚えているものです。

 

 (4) Moi, mon frère, son vélo, la peinture, elle est partie.

    僕、お兄ちゃんね、自転車ね、塗装がね、剥げちゃったんだ。

 

 この例では最初に並んでいる moi, mon frère, son vélo, la peintureは、「僕」→「僕の兄」→「兄の自転車」→「その塗装」とまるでリレーのようにつながっています。一つ一つを主題と考えれば、この文には複数の主題があることになります。ただし、文の主語のelleがさしているのは最後の la peintureですから、これがほんとうの主題で、残りはそれを導くための呼び水のようなものと考えることもできます。

 

 (5) Les élections législatives, je m’en fous, moi.

       国会議員選挙なんて、どうでもいいさ、俺。

 

 この例では文頭の les élections législatives 「国会議員選挙」が主題ですが、文末にもmoiが付いています。この人称代名詞自立形のmoiは、Moi, les élections législatives, je m’en fous.「俺、国会議員選挙なんて、どうでもいいよ」のように文頭に置くこともできます。ですからmoiは文の主題としてはたらくこともあるのですが、例 (5) のように文末に置かれることも多いのです。このmoiは「私について言うと」くらいの意味なので、文末のmoiも主題と見なすならば、(5) にも二つの主題があることになります。ただし、文頭のles élections législativesは明らかに主題ですが、文末のmoiは主題というよりは、文の内容が誰に関わるものかという「関与」を表すというはたらきのちがいを認めることができます。

 

(C) 主語は動詞の前に置くが、主題はそうでないこともある

 平叙文では主語は動詞の前に置かれるのがふつうです。

 

 (6) Les vins français sont appréciés dans le monde entier.

   フランス産のワインは世界中で高く評価されている。

 

平叙文でも次の例のように主語が倒置 (inversion) されて動詞の後に来ることがありますが、これについてはまた別の場所でお話しします。

 

 (7) Sur le boulevard défilèrent les soldats américains.

   大通りではアメリカ兵が行進した。

 

 一方、主題は文頭に置かれることが多いのですが、文末に置かれることもあります。

 

 (8) Il est à qui, ce briquet ?

   誰の、このライター?

 

 この場合は、「誰の?」という言いたいことを先に言ってから、後から思いついたように「このライター」と付け加えています。Ce briquet, il est à qui ?「このライター、誰の?」のように主題を文頭に置く構文を左方転位 (dislocation à gauche) 、(8)のように主題を文末に置く構文を右方転位 (dislocation à droite) と呼びます。(注1)TVドラマ「太陽に吠えろ!」で松田優作が演じたジーパン刑事が腹を撃たれた傷に触れて、「何じゃ、こりゃ!」と叫ぶシーンはよく知られています。ここでも「何じゃ」と言いたいことを先に言ってから「こりゃ」と主題を後から出しています。日常会話ではよくあることですね。

 

(D) 主題は定だが主語はそうでなくてもよい

 主題とはその文で話題の中心になっているものですから、話し手も聞き手も知っているものでなくてはなりません。このために主題は定 (défini) である必要があります。定なのは、固有名詞と定冠詞・所有形容詞・指示形容詞が付いている普通名詞です。これらの名詞は次のように有標の主題にすることができます。

 

 (9) La Joconde, tu l’as vue ?

   モナリザって見たことある?

 (10) Le nouveau prof de math, il est génial.

   新任の数学の先生やばいよ

 (11) Mon vélo, il est parti je ne sais où.

   僕の自転車どこかに行っちゃった。

 (12) Ces pommes, elles sont bonnes.

   このリンゴ、おいしいよ。

 

 不定冠詞と部分冠詞が付いている名詞は不定 (indéfini) で、聞き手が知らないものをさすので主題にできません。(注2)次の文はだめです。

 

 (13) *Une chaise, elle est cassée.

   椅子が一脚壊れている。

 (14) *Du café, je l’ai bu réchauffé.

   コーヒーは温め直して飲んだ。

 

 ただし不定冠詞が付いていても総称を表すときは主題にできます。総称 (générique) というのは、たとえばこの世にいる「犬というもの」全体をさす場合を言います。(注3)

 

 (15) Un enfant, ça salit tout.

   子供って何でも汚してしまう。

 

 このように主題を表す名詞句は定か総称でなくてはならないのですが、主語にはそのような制約はありません。主語は不定でもかまいません。

 

 (16) Un chasseur errait dans la fôret.

   一人の猟師が森をさまよっていた。

 (17) Des enfants jouaient dans le squarre.

   公園で子供たちが遊んでいた。

 

 ただし、すでに見たように主語は無標の主題ですから、無標とはいえ主題の性質も持っています。このため、実際に用いられる文では、主語は圧倒的に定が多数を占めています。エクス・マルセイユ大学のジャンジャン (Colette Jeanjean) の調査によれば、話し言葉では主語が不定の割合は2%〜2.8%にすぎないとされています。(注4)

 文頭を占める主語には定の名詞句や代名詞を置く傾向が強いため、たとえば (17)は次のように il y a構文を用いて表されることが多いのです。

 

 (18) Il y avait des enfants qui jouaient dans le squarre.

    公園には遊んでいる子供たちがいた。

 

 不定の主語として特に避ける傾向が強いのは、次の例のように部分冠詞の付いた名詞句です。このような文は容認度が特に低いようです。ですから定でも不定でもどんな名詞句も主語に使えるというわけではありません。次のような文は容認されません。

 

 (19) *De l’eau coulait sur le plancher.

   床に水が流れていた。

 

(E) 動詞は主語を選ぶが主題は選ばない。

 主語は動詞が表す意味に合ったものでなくてはなりません。たとえばmanger「食べる」という動詞の主語には、食べるという行為を行う人間か動物が選ばれるのがふつうです。(注5)これを動詞による主語の選択制限 (restriction sélectionnelle) といいます。(22)では石はふつうものを食べないのでおかしな文になってしまいます。このように動詞と主語のあいだには、意味の面でも緊密な関係が見られます。

 

 (20) Pierre a mangé une pomme.

   ピエールはリンゴを食べた。

 (21) Le chat a mangé du fromage.

   ネズミはチーズを食べた。

 (22) *La pierre a mangé du blé.

   石が麦を食べた。

 

 ところが主題はそうではありません。たとえば次の文では les huîtres「カキ」が主題ですが、それと呼応するような意味の動詞は文の中にはありません。主題はこのように文との文法的・意味的な関係が主語よりも緩いものになっています。

 

 (23) Ah, oui. Les huîtres, je crois que le restaurant de Paul est le meilleur.

       ああ、カキなら、ポールのレストランがいちばんだと思うよ。

                            (この稿次回に続く)

 

(注1)左方転位と右方転位のあいだには談話的なはたらきのちがいが少しあるが、ここでは触れない。また右方転位は後から思い出して取って付けたように置かれるので、英語ではafter thought「後からの思いつき」と呼ぶことがある。

(注2)ただし Des tiques, il y en a partout. 「ダニはどこにでもいる」のように、不定冠詞複数形のdesが付いた名詞は、中性代名詞のenで受け直すとき主題になれるが、この問題についてはあまりよくわかっていない。

(注3)(15)のように転位されている総称名詞句に不定冠詞 unが使われているときは、それを受ける代名詞はçaを用いる。これについてはまた別の所で論じる。

(注4)Jeanjean, Colette, “L’organisation des formes sujets en français de conversation. Etude quantitative et grammaticale de deux corpus”, Recherches sur la français parlé 3, 1981.

(注5)ただしmangerが比喩的に使われた場合は、Le soleil a mangé les couleurs du rideaux.「日光でカーテンの色があせてしまった」のように、主語が人間・動物以外のこともある。これは一種の擬人化である。

「フランス語100講」第11講 主語 (2) – 主語と主題

【無標の主題としての主語】

 前回の終わりに書いたように、フランス語で主語は無標の主題 (thème non marqué)としてはたらきます。その意味するところを少し見てみましょう。

 

 (1) Nicolas a oublié son parapluie dans le bus.

   ニコラはバスに傘を忘れた。

 

 (1)をふつうのイントネーションで発話したとき、この文は主語のNicolasについて何かを述べる文と解釈されます。(1) は次のような文に続けて使うことができます。実際の対話ではNicolasはilと代名詞化されますが、それはここでは考えません。

 

 (2) Quoi de neuf avec Nicolas ?

   ニコラについて何かニュースはあるかい。

    ─ Nicolas a oublié son parapluie dans le bus.

     ニコラはバスに傘を忘れたよ。

(3) Qu’est-ce qu’il a, Nicolas ? Il a l’air triste.

   ニコラに何があったんだい。しょげているよ。

     ─Nicolas a oublié son parapluie dans le bus.

    ニコラはバスに傘を忘れたんだよ。

 

 (2) (3) の文においてニコラは話題の中心になっています。このように「それについて語るもの」(ce dont on parle) を「主題」(thème) といいます。(1)の文は、「ニコラについて何か語るなら、彼はパスに傘を忘れたのだ」と言い換えができます。

 (1)では主語が主題を兼ねているので、主語を無標の主題と呼びます。無標というのは、特別な理由がない限り選ばれるものという意味で、デフォルトということです。

 

【主題の連続性の原則】

 ここまで述べたことを踏まえて、次の例文を見てみましょう。

 

 (4) Jean a frappé Paul au ventre. Il s’est mis à pleurer.

  ジャンはポールのお腹を殴った。彼は泣き出した。

 

 さて、泣き出したのはJeanでしょうか。それともPaulでしょうか。殴られた方が泣き出したと考えたくなりますが、正解は殴った方のJeanです。そう解釈できるのは、フランス語には次のような原則があるからです。(注1)

 

 (5) 3人称の人称代名詞の主語は原則として前の文の主語をさす。

 

 例文 (4) では前の文の主語はJeanですから、IlはJeanを指すと解釈されるのです。なぜこのような原則があるのでしょうか。それは「主題の連続性」(英 topic continuity / 仏 continuité thématique)のはたらきによります。主題とは話題となっているものですね。私たちが何かを話すとき、ある話題についてしばらく続けて話すことが多いでしょう。たとえば新しいカフェが駅前にオープンしたら、あの店のコーヒーはおいしいとか、あの店ではWifiが無料だとか、「新しいカフェ」がしばらくのあいだ話題の中心になるでしょう。これが主題の連続性です。もし「駅前に新しいカフェができた」に続けて、「今日のフランス語の授業は休講だ」、「私は昨日寝坊した」などと続けたら、話題がころころと変わってしまい、一貫した会話になりません。ですから主題の連続性はフランス語に限ったものではなく、どの言語でもある程度成り立つ普遍的な原則だと考えられます。

 ただし、(5) は談話の進め方についてできるだけ守るべきとされるゆるやかな原則で、文法の規則のように破ってはだめというものではありません。主語が人称代名詞ではなく名詞のときは、次の例のように新しい主語に変えても差し支えありません。

 

 (6) Claire est entrée dans le salon. Georges lisait le journal.

   クレールは居間に入った。ジョルジュが新聞を読んでいた。

 

 また (5) の原則が成り立つのは3人称の人称代名詞 il(s) / elle(s)に限られます。同じ代名詞で主語として使われる指示代名詞の ce には当てはまりません。

 

 (7) Hélène a vu bouger quelque chose au coin de la cuisine. C’était une souris.

   エレーヌは台所の隅で何かが動くのを見た。それはネズミだった。

 

(7)ではふたつ目の文の主語になっているC’ (=Ce) は、ひとつ目の文の直接目的補語 quelque choseをさしていて、主語の Hélèneをさしているのではありません。

 

【主題をスイッチする手段】

 それでは (4) の文に続けて、主語のJeanではなく直接目的補語のPaulを次の文の主語にしたいときにはどうすればよいのでしょうか。そのときは指示代名詞 celui / celle–ciという接辞を付けたものを使います。次の例を見てみましょう。女性名詞のla radioではなく、男性名詞のle radioとなっているのは男性の無線技師を指しているからです。(注2)

 

 (8) Le radio toucha l’épaule de Fabien, mais celui-ci ne bougea pas.

   無線技師はファビアンの肩に手を触れたが、ファビアンは身じろぎもしなかった。

                          (Saint-Exupéry, Vol de nuit

 

 mais以下の文でもし il ne bougea pasのように人称代名詞のilを使うと、前の文の主語のle radio「無線技師」をさすことになってしまいます。このように celui-ci は主語を別のものに切り替える手段となっています。

 このはたらきは指示代名詞 celui / celleの次のような用法に由来するものです。

 

 (9) La Seine et le Rhône sont deux grands fleuves français ; celui-ci coule vers le sud et celle-là vers le nord.

セーヌ川とローヌ川はフランスの二大河川です。後者(ローヌ川)は南に流れ、前者(セーヌ川)は北に流れています。(注3)

 

 もともとの直示的用法では接辞の –ciは話し手から近い場所を、-làは話し手から遠い場所をさします。名詞の後に付けて次のように使います。

 

 (10) Lequel préfères-tu, ce vélo-ci ou ce vélo-là ?

   こっちの自転車とそっちの自転車のどちらがいい?

 

 指示代名詞のcelui-ciは、〈指示形容詞 ce+人称代名詞の自立形 lui+接辞 –ci〉が組み合わさってできたものです。日本語で言うと「こっちのほう」くらいになるでしょうか。このように celui-ciは話し手に近いものを、celui-làは話し手から遠いものをさす直示的用法が基本だと考えられます。

 

【物理的空間からテクスト空間への拡張】

 ところが例文 (9) ではcelui-ci / celui-làは発話の場にあるものをさすのではなく、celui-ciは前の文にある le Rhôneを、celui-là はla Seineをさしています。これはどういうことでしょうか。フランス語には次のような原則があるのです。

 

 (11) 発話の場にあるものを直示的にさす言語記号は、テクスト内にある

   ものを照応的にさす記号として用法が拡張される。このときテクス

   トは擬似的な発話の場としてはたらく。

 

 このような用法の拡張によって、celui-ciはそれが用いられたテクスト上の場所から前にさかのぼって近い所にあるものをさします。(9)で近い所にあるのは le Rhôneですから、celui-ciはle Rhôneをさします。一方、eelle-làは遠い所にあるものをさすのでla Seineが先行詞となります。ですからcelui-ciは「後者」、celle-làは「前者」と訳すこともできるのです。

 このような発話の場という物理的空間からテクストという言語空間への拡張は、次のような例にも見られます。

 

 (12) Voici ce que tu dois faire. Finis tes devoirs et va au lit.

   今からお前がしなくてはならないことを言うよ。宿題を済ませて寝なさい。

 (13) On n’y pouvait rien faire. Voilà tout ce qu’il m’a dit.

   どうしようもなかったんだ。これが彼が私に言ったことのすべてです。

 

 voici / voilàは提示詞 (présentatif) と呼ばれていて、voiciは話し手から近いもの、voilàは話し手から遠いものを提示します。

 

 (14) Voici mon lit et voilà le vôtre .

     こっちが私のベッドで、そっちがあなたのです。

 

 この用法から拡張されて、(12)ではテクスト上でこれから述べることを、(13)ではそれまでに述べたことをさします。この用法ではこれから述べることが話し手から近いもの、今まで述べたことが遠いことと見なされています。

 

【有標の主題】

 主語は無標の主題ということはお話ししました。それでは主語以外のものを主題にしたいときはどうするのでしょうか。それには特別な統語的手段を使って、主題であることをはっきりさせます。特別な手段を使って主題としたものは、有標の主題 (thème marqué) といいます。フランス語では主に次のような手段が用いられます。

 

 (15) a. 転位構文 (dislocation) / 遊離構文 (détachement)

   主題となる語句を文頭に置き、それを文中で代名詞で受けます。i)では主語が、

   ii) では直接目的補語が転位されています。主題化 (thématisation) と呼ぶこと

   もあります。

   i) Mon père, il est terrible. うちのお父さんときたら、ひどいんだよ。

   ii) Cette poupée, je l’ai trouvée au marché aux puces.

    この人形はノミの市で見つけました。

   b. 主題標識

  Quant à 〜「〜については」、Pour ce qui est de 〜「〜に関しては」、Concernant〜「〜については」、A propos de〜「〜については」のような表現は、文頭に置いてそれが主題であることを示します。

   i) Quant à la rémunération, on en parlera plus tard.

       報酬についてはまた後で相談しましょう。

   ii) Pour ce qui est du tennis, Claude est le meilleur.

    テニスに関してはクロードが一番だ。

 

 有標の主題は談話の途中で主題を変更する場合などに使われます。

 

 (16) Ton père est gentil. Tu as de la chance. Mon père, il est terrible.

   君のお父さんは優しいね。君はついてるよ。僕の父ときたら、そりゃひどいんだよ。

 

 この例では最初は ton père「君のお父さん」が主題ですが、途中から mon père「僕の父」に主題が切りかわっています。         (この稿次回に続く)

 

(注1)フランスの学校でよく使われている E. Legrand, Stylistique française, J. de Gigordにも次のように書かれている。

Pierre a volé Paul ; il a porté plainte.

   On veut dire que Paul a porté plainte ; on dit en réalité que Pierre est à la fois le voleur et le plaignant. (…)En effet, quand deux propositions se suivent, il / elle , en tête de la seconde, représente toujours le sujet de la première. (Livre du maître, p. 68)

ピエールはポールから盗んだ。彼は訴えた。

 ポールが訴えたと言いたいのだろうが、実際にはピエールが泥棒であると同時に訴えた人であるという意味になる。(…)二つの文が続くとき、二つ目の文頭のil / elleは常に一つ目の文の主語をさす。        

(注2)朝倉季雄『新フランス文法事典』(白水社)の文例。 

(注3)京都大学フランス語教室編『新初等フランス語教本〈文法篇〉』白水社         

「フランス語100講」第10講 主語 (1) – 主語とは何か

 第8講の文(1)に書いたことですが、フランス語や英語のような欧米の言語では、文の基本構造は〈主語+述語〉(sujet+prédicat)だとされています。「主語」という用語は、中学校の英語の授業で初めて耳にする人が多いでしょう。しかし文の組み立ての基本だとされているにもかかわらず、主語とは何かをきちんと定義しようとするとなかなか面倒なのです。代表的な定義をいくつか見てみましょう。

 (1) La grammaire traditionnelle définit le sujet comme celui qui fait ou subit l’action exprimée par le verbe. C’est ainsi un terme important de la phrase puisqu’il est le point de départ de l’énoncé et qu’il désigne l’être ou l’objet dont on dit quelque chose en utilisant un prédicat.          

  (Jean Dubois et als. Dictionnaire de linguistique, Larousse, 1973)

伝統文法では、主語を、動詞によって表現される行為をするもの、または受けとるものと定義する。それゆえ、主語は発話の出発点でもあり、また人物や事物を指し、それについて述語を用いることにより、何かを語るものであるので、文の重要な辞項である。

   (伊藤晃他訳『ラルース言語学用語辞典』大修館書店、1980)

 まず伝統文法の定義が挙げられています。動詞が表す行為をするもの、または受けとるものというのは次のようなことを想定しています。

 

 (2) Le directeur a grondé Julia.

   部長はジュリアを叱った。

 (3) Julia a été grondée par le directeur.

   ジュリアは部長に叱られた。

 

 (2) の能動文では部長が「叱る」という行為をする人で、(3) の受動文ではジュリアが「叱る」という行為を受ける人です。つまり主語とは、能動文では動作主 (agent) で、受動文では被動作主 (patient) であるという意味論的な概念によって定義されています。しかしよく考えてみてください。(2)の能動文ではジュリアが動作を受ける人ですが、主語ではなく直接目的補語です。また(3)では部長が動作をする人なのですが、これも主語ではなく動作主補語 (complément d’agent) です。これはちょっとまずいですね。どれが主語かを判定することが、能動文・受動文という態 (voix) に依存しているからです。

 上の定義の後半では、「それについて何かが語られるもの」(ce dont on dit quelque chose) と述べられています。しかし、現代の言語学では「それについて何かが語られるもの」は「主題」(thème / topique) と呼ぶのがふつうです。主題というのは談話文法でよく使われる概念です。実はアリストテレスのいう主語 subjectumは、sub-「下に」+ jectum「投げ出された」で、「これからこれについて話しますよ」と相手に提示するもののことで、今で言う主題に近い概念です。こうして見ると、上に挙げられている伝統文法による主語の定義は、意味論の概念と談話文法の概念をミックスしたものになっていて、ほんとうの意味で文法的な定義とは言いにくいものです。

 次の定義はこれとはちょっとちがっています。

 (4) SUJET. Ce mot dénote la fonction assumée par le terme ou le membre qui confère à un verbe ses catégories de personne, de nombre et éventuellement de genre. Il a donc une valeur strictement grammaticale et n’est pas à confondre avec les termes qui évoquent l’agent, le siège ou le patient du procès.

(Wagner, R. L. et J. Pinchon, Grammaire du français classique et moderne, Hachette Université, 1962)

主語。この語は、動詞に人称・数そして場合によっては文法的性のカテゴリーを付与する語句または文要素が担う機能を指す。したがって主語は完全に文法的な価値を持つものであり、動作主や行為の座や被動作主といった概念を表す用語と混同してはならない。 

 おやおや、ヴァグネールとパンションは、「動作主や被動作主と混同してはならない」とわざわざ伝統文法の定義に陥らないよう釘を刺していますね。彼らによれば、主語とは、文の中核的要素である動詞の人称・数を支配するという文法的機能のみによって定義されるものです。

 もうひとつ見てみましょう。代表的な文法書である Le Bon usageのものです。ここではJean rougit.「ジャンは顔を赤らめる」という2語からなる文を例に挙げて、どのような基準によって主語と判定するかが論じられています。それによると主語は次の4つの基準によって特徴づけられるとされています。

 

 (5) a. 語順:平叙文では先に来るのが主語

   b. 品詞:主語は名詞で、述語は動詞

   c. 活用の支配:主語は動詞の人称・数を決める

   d. 主題:主語はそれについて何かを述べるもの (ce dont on dit quelque chose)

 

 ところが同書ではこれに続けてこのような基準を満たさない例を挙げて、Par conséquent, il est impossible de donner du sujet et du prédicat des définitions qui satisfassent entièrement. 「したがって、主語と述語に完全に満足のいく定義を与えることは不可能である」と匙を投げる始末です。

 

【主語とは相対的概念である】

 現代の言語学で主語をめぐる議論は1970年代から80年代にアメリカで盛んに行われました。その代表的なものはキーナン (Edward Keenan) の研究です(注1)。その研究のなかでキーナンは主語が持つ計30ほどの特徴をリストにしています。それらはおおまかに4つのグループに分かれます。代表的な特徴だけ挙げてみましょう。

 

 (6) 主語の特徴

 (A) 指示の自立性 (autonomy principles)

  i) 主語は文に不可欠の要素である、ii) 主語名詞句は自立した指示を持つ

 (B) 格表示 (case marking properties)

  主語名詞句はしばしば格の表示を持たない

 (C) 意味役割 (semantic role)

  主語名詞句は能動文では動作主、受動文では被動作主の役割を持つことが多い

 (D) 直接支配 (immediate dominance)

  Sノードに直接支配され、動詞の人称・数を決める

 

 キーナンは、このように主語を定義する特徴を列挙した上で、ある言語Lでこれらの特徴をいちばん多く持つ要素を主語と認定することを提案しています。つまりある要素が主語であるかどうかは程度問題ということです。(注2)世界中の言語を考慮に入れて主語を定義しようとすると、どうしてもこうなってしまうのですね。

 しかし心配することはありません。フランス語では主語はとてもはっきりと定義することができます。それは上に挙げたヴァグネールとパンションの主語の定義に近いものです。次のように考えればよいでしょう。

 主語は、i) 文に不可欠の名詞句・代名詞である

     ii) 動詞の人称・数を支配する 

この定義によれば、次の例文のボールド・イタリック体の語句が主語となります。

 

 (7) Paul adore les macarons.

  ポールはマカロンが大好きだ。

 (8) Il me serait agrébale de vous rencontrer.

  あなたにお会いできればうれしいのですが。

 (9) Il lui est arrivé un grand malheur.

  彼(女)の身に不幸な出来事が起きた。

 (10) Ça, c’est une autre histoire.

  それはまた別の話だ。

 

 (8) と (9) は非人称構文ですが、非人称主語のilは文に不可欠であり、動詞の人称・数を決めているので上の条件を満たしています。(de) vous rencontrerや un grand malheurを実主語とか真主語と呼ぶかどうかはまた別の問題です。どうしてフランス語ではこのようなシンプルな定義で済むのでしょうか。

 

【主語優位言語と主題優位言語】

 注(1)に挙げた Subject and Topicという論文集に収められているリーとトンプソンの論文(注3)は新しい類型論を提案してその後の研究に大きな影響を与えました。その類型論によると、世界中の言語は主語 (subject) が優位な言語と、主題 (topic) が優位な言語に分けられるとされています。(注4)

 フランス語や英語は典型的な主語優位言語 (subject prominent language) です。主語優位言語では、主語は文に欠かせない要素で、また文中の名詞句のどれが主語かを比較的はっきり判定できるとされています。このような言語では〈主語+述語〉が文の基本的な構造となります。(英)It rains. / (仏)Il pleut.「雨が降る」のような非人称構文を持つのもこのタイプの言語の特徴です。どうしても主語が必要なので、何も指さない it / ilのような意味的に空の要素を主語に置くのですね。

 一方、中国語や日本語は主題優位言語 (topic prominent language) です。このような言語では〈主題+解説〉(topic+comment) という構造が文の基本となり、主題は明らかならば省略できるので、「車の運転できますか?」という質問に「できます」と解説だけで答えられます。主題卓越言語では、主語がはっきり定義できなかったり、「象は鼻が長い」のようないわゆる二重主語構文があるのが特徴です。

 日本語とフランス語がこのように異なる類型に属していることを知るのも、フランス語を学ぶ上で大事なことです。

 

【主語は文法化された主題】

 川本茂雄編著『フランス語統辞法』(白水社、1982)は、主語についてユニークな解説をしています。まず文とは何かを考えるにあたって、Fermé「閉め切り」、Horrible !「おそろしい!」のように、単語ひとつからなるものを挙げて、これを一肢文と呼んでいます。ひとつの要素からできているという意味です。たとえばドアにFermé「閉め切り」という貼り紙があるとしましょう。閉め切りなのは貼り紙が貼られたドアですから、これはCette porte est fermée.「このドアは閉めきりです」という意味です。この「〜は」の部分を主題 (thème) と呼びます。この場合のように、使われている状況から主題が明らかならば主題は省略されます。Ferméは説述 (propos) (注5)といい、一肢文は主題を省略して説述のみからなる文です。

 次に二肢文が挙げられています。Moi, mentir !「僕、嘘付くって!」、Cela, impossible !「そりゃあ、出来ないことだ!」のように、ふたつの単語からできている文です。二肢文では、Moiが主題で mentir ! が説述になります。これに続けて同書では次のように述べられています。

 (11) 上掲の例において、 « Maman, partie. »は « Maman est partie. », « Cela, impossible ! »は « Cela est impossible ! »とほぼ同じ意味をもつものである。このことから、主題は文法において〈主語〉と一般に称されるものに近いということがわかるであろう。(…)多くの文が主語を備えているという事実は、何らかの説述が行われるためには主題が与えられることが必要であり、主題はしばしば文法上の主語として表されるものであことを、ここにすでに予見することができる。(同書、p. 15)

 ここには〈主題+説述〉という関係が〈主語+述語〉の関係へと発展していったというニュアンスが読み取れます。現代の言語学ならば、「主語は文法化された主題である」と言うところです。このため現代フランス語においても、主語は無標の主題 (thème non marqué) として働きます。「無標」というのは構造主義言語学の用語で、特に理由がないときに選ばれる要素、つまりデフォルト要素ということです。

                      (この稿次回に続く)

 

(注1)Keenan, Edward L., “Toward a universal definition of ‘subject’”, Charles N. Li (ed.) Subject and Topic, Academic Press, 1975.

(注2)”Thus the subjecthood of an NP (in a sentence) is a matter of degree.” (Keenan, op. cit. p. 307)「このように(ひとつの文で)どの名詞句が主語であるかは程度問題ということになる」

(注3)Li, Charles, N. & Sandra A. Thompson, “Subject and topic: A new typology of language”, Charles N. Li (ed.) Subject and Topic, Academic Press, 1975.

(注4)正確には提案されているのは4つのタイプである。i) 主語が優位な言語 ii) 主題が優位な言語 iii) 主語も主題も優位な原語 iv) 主語も主題も優位ではない言語。日本語は iii) に分類されているのだが、フランス語と対比させるために、ここでは日本語は主題が優位な言語として話を進める。

(注5)『フランス語統辞法』の用語をそのまま用いている。本稿では説述とは言わず、解説 (commentaire) と呼んでいる。thèmeと proposは、Charles Bally, Linguistique générale et linguistique française, Editions Francke, 1932が使っている用語。

 

「フランス語100講」こぼれ話(3)─ duとdesをめぐる話

 フランス語の初級文法の最初の方に冠詞が出て来る。フランス語では原則として名詞には何かの冠詞が付いているので、早くから学ばなくてはならないのだ。不定冠詞 は単数形がun / une 、複数形がdesで、定冠詞は単数形が le / la 、複数形がlesであり、部分冠詞は du / de laと学ぶ。

 同じ頃に前置詞の deと定冠詞の縮約も登場する。deleduになり、delesdesとなる。ここでおかしなことに気づかないだろうか。deleが縮約したduは部分冠詞の男性形と形が同じで、delesが縮約したdesは不定冠詞の複数形と同じではないか。実にまぎらわしい。jouer du piano「ピアノを弾く」のduがどちらなのかはまちがう人が多い。これはdeleの縮約形である。一方、jouer du Mozart「モーツアルトを弾く」のduは部分冠詞だ。これはどういうことだろうか。

 もうひとつおかしなことがある。不定冠詞の単数形のun / uneと複数形のdesは形がちがいすぎる。おまけに複数形のdesは前置詞のdeと定冠詞のlesが縮約したものと形が同じだ。これも不思議なことである。

 このことを理解するには、フランス語がたどってきた歴史を振り返る必要がある。フランス語の親であるラテン語には冠詞がなかった。冠詞はラテン語からフランス語に変化する間に作り出されたものである。英語でもそうだが、不定冠詞の単数形は数詞の1の un / uneから作られた。古フランス語の時代には冠詞の体系は次のようになっていた。

 

       男性    女性

     単数  複数  単数  複数

 主格  uns         un

                                                  une        unes                   

 斜格  un           uns

 

 

 主格単数のunsの語尾の-sは、複数の印ではなく主格の印である。この表のうち斜格の形が残って、現代語の不定冠詞となった。unの複数形はもともとはunsなのだ。スペイン語は今でもそうで、不定冠詞の男性単数形はunoで複数形はunosである。このほうがずっとすっきりしている。ではどうしてdesunsにとって代わったのだろうか。それには部分冠詞の形成が関係している。

 部分冠詞は不定冠詞からずいぶん遅れて現れた。その形成過程は次のようである。まず前置詞のdeにはもともと何かの部分を表す意味があった。今でもその意味は残っていてIl a mangé de ces fruits.「彼はその果物を少し食べた」ように使う。定冠詞はラテン語の指示詞から発達したもので、le painには今のように「パンというもの」を表す総称の意味はなく、「目の前にあるパン」(現場指示用法)「(話題に出た)そのパン」(前方照応用法)を意味した。deleが縮約したものは当時はdelと綴ったので、mangier del painは「(特定の)そのパンの一部を食べる」を意味した。何かの一部なので部分冠詞 (article partitif)と呼ばれたのである。やがて定冠詞は総称の意味を持つようになり、それにともなって manger du painは今のように「(不特定の)パンを(少し)食べる」を意味するようになった。複数形のdesは使われることが少なかったが、類推によって同じように変化したと考えられる。manger des cerisesが「そのサクランボの一部を食べる」という部分の意味から、「サクランボを(少し)食べる」という不定の意味へと変わり、やがてunsを駆逐して不定冠詞複数形の場所に収まったのである。こうして不定冠詞は単数形が un / uneで複数形がdesという不ぞろいな形になってしまった。

 このように部分冠詞の男性形のduが前置詞deと定冠詞leの縮約形と同じ形をしており、また不定冠詞複数形のdesが前置詞deと定冠詞lesの縮約形と同じ形なのは決して偶然の一致ではなく、もともとは同じものだったから当然のことなのだ。

 少し古い時代の文法書では、desは不定冠詞ではなく部分冠詞の複数形としているものがある。たとえば次がそうだ。(注1)

Les formes de l’article partitif sont : du (anciennement de le, del, deu), de l’, de la, des (anciennement de les, dels).         

部分冠詞の形態は、du(古くは de le, del, deu)、de l’、de laとdes(古くはde les, dels)である。

 フランス語の歴史を考えれば、確かにこうまとめた方がすっきりしている。

 部分冠詞が前置詞deと定冠詞の縮約形に由来することを知っていると、次の文法規則がよく理解できる。前置詞deの次に不定冠詞複数形のdesや部分冠詞の du / de laが続くと、冠詞は削除されて名詞が無冠詞になる。

 

 (1) le toit couvert {de+des} ardoises → le toit couvert d’ardoises

   スレートで覆われた屋根

 (2) la table pleine {de+de la} poussière → la table pleine de poussière

   ほこりだらけのテーブル

 

ところが不定冠詞の単数形だけは削除されずそのまま残る。

 

 (3) Nous avons besoin {de+un} bon dictionnaire.

  → Nous avons besoin d’un bon dictionnaire.

     私たちにはよい辞書が必要だ。

 

 (1)をもし de des ardoisesとすると、元を正せば {dedeles} となり、前置詞のdeが二度重複して現れる。これはまずい。だから前置詞dedesが続くとdesは省略されるのだ。{dedele}も同じである。一方、不定冠詞の単数形の {deun / une}という連続には何の問題もない。だから不定冠詞の単数形は省略されないのである。

 最後に部分冠詞 (article partitif)という呼び名に異議を申し立てたい。何かの部分を表しているのは昔の用法で、今のフランス語では boire du vin「ワインを飲む」は、そこにある特定のワインの一部を飲むことではなく、不特定のワインを少し飲むという意味だ。何かの部分ではないので部分冠詞という呼び名はふさわしくない。今のフランス語では「非可算名詞用の不定冠詞」と呼ぶほうが実態に即している。(注2)

 

(注1)Anglade, Joseph, Notes sur l’emploi de l’article en français, Didier, 1930.

(注2)森本英夫『フランス語の社会学』(駿河台出版社、1988)で森本氏も、「部分冠詞」という呼び方は混乱のもとなので、いっそ不定冠詞は「数冠詞」、部分冠詞は「量冠詞」と呼び替えてはどうかと提案している。