「フランス語100講」第14講 無生物主語 (1)

 中学校で世界史を学んでいたとき、「都市の空気は自由にする」というドイツの諺を知りました。封建制のもとで自由がなかった農奴でも、都市に逃げ込んで一定の期間が過ぎると市民権を与えられたという制度を言い表したものです。しかし、子供心にもこの言い回しは不自然な日本語だと感じたものです。なぜそう感じたのでしょうか。

 この諺はドイツ語のStadtluft macht freiを訳したもので、分解すると「都市の空気」+「する」+「自由」で、英語にするとUrban air makes free.となります。不自然に感じた理由は、「する」という運動動詞の主語が「都市の空気」という無生物だったからなのです。これが今回の講義のテーマである無生物主語構文です。この構文はフランス語が直接語順 (ordre direct) を異常なまでに好む言語であることから生まれたものだと考えられます。

 フランス語の文法書で無生物主語構文が取り上げられることはありません。代表的な文法書である朝倉季雄『新フランス文法事典』(白水社 2002年)にも、目黒士門『現代フランス広文典』(白水社 2015年)にも無生物主語構文は立項されていません。わずかに町田健『フランス語文法総解説』(研究社 2015年)が1ページを割いてこの構文を取り上げ、次のような例文を載せています。

 

 (1) La pauvreté de sa famille a obligé François à quitter l’école.

     家が貧しかったので、フランソワは学校を辞めなければならなかった。

   (直訳 : 家庭の貧しさがフランソワに学校を辞めることを強いた)

 

 (2) La nécessité crée l’invention.

  必要から発明は生まれる(直訳 : 必要が発明を生み出す)

 

 なぜ文法書が無生物主語構文を取り上げないのかは明らかです。このような文は〈主語+動詞+直接目的補語(+間接目的補語)〉という規範どおりの文で、文法の上で特別な解説が必要な点はどこにもありません。フランス語を使う人にとっては不自然なところはないのです。これを不自然だと感じるのは私たちが日本語を話しているからに他なりません。つまりフランス語と日本語とを比較対照するという見方がなくては特に問題とはならない現象なのです。

 名著『翻訳仏文法』(注1)の著者の鷲見洋一氏は第1章「フランス語の特性」で無生物主語構文に触れて、それを「フランス語は抽象性の強い言語である」という項目の一部として解説しています。La curiosité l’avait amené dans cette ville.「かれはもの珍しくてこの町に立ち寄った」(直訳 : 好奇心が彼をこの町に連れて来た)という例文を挙げて、この文にはある人物が好奇心から町に来たという意味内容以上のものが含まれていると述べています。それは何かと言うと、

「話し言葉における人間中心の写実表現を一度バラバラに解体し、人(かれ)ともの(好奇心)を同一平面上に位置づけなおしてから、今度は因果関係を軸にして叙述の方法を決めるという抽象表現がそれである。」(同書、p. 48)

と書かれています。鷲見氏は無生物主語構文をフランス語の抽象性を表す特徴として捉えています。フランス語の書き言葉が抽象性の強い言語であるということは確かにそうなのですが、それはいったん脇に置いておいて、意志を持たず動く能力もない無生物が運動動詞の主語になっているという点に注目しましょう。(注2)

 明治時代になり外国人が日本文化を研究するようになると、日本語では無生物主語構文が使われないことに着目した人もいました。1873年に来日し東京帝國大学で教鞭を執ったイギリス人のチェンバレン(Basil Hall Chamberlain 1850〜1935)は次のように書いています。

「(日本語の)もうひとつの欠点は、擬人法を避けるという習慣である。この特徴は大変深く根ざした一般的なもので、中性名詞(=抽象名詞)を他動詞と結びつけて用いるということすら妨げられてしまう。例えば、日本語では『熱気が私をだるく感じさせる』The heat makes me feel languid.『絶望が彼を自殺へ追いやった』Despair drove him to commit suicide. などといった表現は許されない。『暑いので私は身体がだるい』とか、『希望を失って彼は命を絶った』などと言わなくてはならないのである。言うまでもなく、日本語のこのような欠陥のために、詩は散文以上に損失を被っている。」  (Things Japanese1890、高梨健吉訳『日本事物誌』東洋文庫)

 

 チェンバレンが上の文章で抽象名詞を主語にした擬人法と呼んでいるのが無生物主語構文に他なりません。チェンバレンは無生物主語構文がないことを日本語の欠陥と見なしています。

 一つ注意しておかなくてはならないのは、無生物主語構文が書き言葉に属するということです。フランス語は話し言葉と書き言葉の落差が大きい言語です。抽象名詞を主語にした無生物主語構文は日常の話し言葉ではあまり使われず、もっぱら書き言葉で使われるものです。このことをよく示しているのが鷲見洋一氏の著書でも紹介されている Eloi LegrandのStylistique française『フランス語文体論』(注3)というフランスの学校でよく使われていた教科書です。この本は左側に話し言葉の文を、右側にそれを書き言葉に直した文を配した形式で書かれています。その中の長い複文をコンパクトな単文に書き換える練習に無生物主語構文が登場します。いくつか例を挙げてみましょう。それぞれのペアのa.が日常会話や緩い書き言葉の表現で、b.がお奨めの無生物主語構文です。

 

 (3) a. Parce que vous manquez de suite dans votre conduite, vous ne réussirez pas.

    あなたの行動には一貫性が欠けているので、将来の成功はおぼつかない。                          

           b. L’inconséquence de votre conduite vous empêchera de réussir.

    直訳 : あなたの行動の一貫性の欠如が成功を妨げるでしょう。

 (4) a. Lorsque nous sommes sans inquiétude, nous cessons d’être d’accord.

    人は不安にかられていないときには意見がばらばらになるものだ。

       b. La sécurité nous divise.

    直訳 : 安心安全は私たちを分断する。

 (5) a. Bien que nos opinions soient différentes, nous restons bons amis.

    私たちは考えはちがうがずっと仲のよい友人だ。

          b. Nos divergences d’opinions n’altèrent en rien notre amitié.

    直訳 : 私たちの意見の相違はいささかも友情を損なうことがない。

 

 この本を見るとフランスでは無生物主語構文は文法ではなく文体の問題とされていることがわかります。引き締まった高級な文章を書くために心がけるべき訓練というわけです。しかしフランス語を学ぶ私たちにとっては、無生物主語構文はたんなる文体の問題ではありません。それは私たちが話している日本語がフランス語とは大きく異なる文法を持っているからです。フランス語話者には文体の問題であっても、日本語を使っている私たちにとってはフランス語の文法的な特徴として理解すべきことなのです。「フランス語らしさ」の一つの要素となっていると考えてもよいでしょう。

 それではどのようにすれば無生物主語構文を使いこなせるようになるでしょうか。ここでもルグランの『フランス語文体論』が役に立ちます。(3)〜(5)に挙げた例のような複文から単文を作る手順は次のように説明されています。

 i) 従属節の動詞や属詞を抽象名詞に変える。

 ii) 従属接続詞を削除する。

 iii) 抽象名詞を新しい文の主語に置く。

 iv) 主節の動詞を意味が適切なものに置き換える。

ちょっとやってみましょう。元になるのは次の複文だとします。

 

 (6) Comme le temps était orageux, nous n’avons pas pu partir.

          天気が荒れ模様だったので、私たちは出発できなかった。

 

 手順のi) で属詞のorageux「荒れ模様」を名詞の orage「嵐」に変えます。ii) に進んで接続詞のcommeを消します。iii) で L’orage…を主語にします。ちょっと難しいのはiv)です。「嵐のせいで出発できなかった」では「嵐」は出発できなかった原因です。直接語順に基づく無生物主語構文では、〈主語+動詞〉という統語構造に〈動作主+動作〉という意味が張り付いています。ですから「嵐」が何かをしたように表現しなくてはなりません。「嵐のせいで私たちが出発できなかった」ということは、「嵐が私たちの出発を妨げた」と言い換えることができます。使う動詞は empêcher「妨げる」ですね。すると (6) は次のような無生物主語構文に書き直すことができます。

 

 (7) L’orage a empêché notre départ.

   直訳 : 嵐が私たちの出発を妨げた。

 

 もう一つのやり方を見てみましょう。

 

 (8) a. On arrive en Italie par ce col.

   この峠を越えればイタリアに行ける。

  b. Ce col donne accès en Italie.

          直訳 : この峠はイタリアに通じている。

 (9) a. Par suite de ma vieillesse, je dois enfin me retirer des affaires.

    歳を取ったせいで私は商売を辞めざるを得ない。

  b. La vieillesse m’arrache des affaires.

    直訳 : 老化が私を商売から引き離す。

 

 (8 a)では場所の状況補語のpar ce colのce colが (8 b) では主語になっていて、まるで場所が何かをしているように表現されています。また (9 a)では理由を表す par suite de ma vieillesseという状況補語の中から vieillesseという抽象名詞が取り出されて (9 b)の主語に取り立てられています。(9 b) のように、無生物主語構文の主語に置かれた抽象名詞は、原因・理由という意味を帯びやすいのです。このために動詞には entraîtner「引き起こす」、empêcher「妨げる」、permettre「可能にする」のような状態変化動詞がよく使われます。

 最後に無生物主語構文の極北といえる文を挙げておきましょう。

 

 (10) Noblesse oblige.

             貴族の身分には義務が伴う

   (直訳 : 貴族の身分は強制する)

 

 

 主語のnoblesseに冠詞が付いていないのは昔のフランス語の名残で、ことわざにはよくあることです。obligerという動詞は、ふつう Son père a obligé Jean à étudier les droits. 「父親はジャンに法学を学ぶよう強いた」のように、直接目的補語と〈à+不定形〉が続くのですが、(10) ではそれがなく、いわゆる他動詞の絶対用法になっていることも特徴的です。そういえば最初に挙げた「都市の空気は自由にする」も目的補語がない絶対用法で、日本語にしたときの不自然さの原因の一つとなっています。

                             (この稿次回に続く)

 

(注1)もともと『翻訳の世界』という雑誌に連載されたもので、日本翻訳家養成センターから1985年に上下2冊で刊行。後にちくま学芸文庫として2003年に再刊された。

(注2)鷲見氏より前に『翻訳の世界』に連載を持っていた安西徹雄氏の『翻訳英文法』(日本翻訳家養成センター、1982年)も第III章で無生物主語構文を大きく取り上げている。この本は『英文翻訳術』とタイトルを変えてちくま学芸文庫から再刊されている。安西は江川泰一郎『英文法解説』(金子書房 1953)ですでに無生物主語構文の指摘があるとしている。私は改訂三版 (1991)を取り寄せて見てみたが、確かに「日本語と異なる名詞の用法」という章で無生物主語構文が取り上げられている。

(注3)J. de Gigord社刊、1924年初版。ただし購入するときは Livre du maître(教師用)を買うのがお奨め。