116:2005年8月 第2週 仙波龍英
または、うす紅色に咲くサクラはすさまじき修羅の花

どんぶりに桜花(あうくわ)をもりて塩ふりぬ
       朝焼け激しき食卓なれば

         仙波龍英『墓地裏の花屋』
 読みたくてもどうしても手に入らない歌集というものがある。私の場合、その筆頭はさしずめ仙波龍英の『わたしは可愛い三月兎』だろう。1985年に詩人荒川洋治の個人出版社である紫陽社から出版されている。表紙の装画は吾妻ひでおの筆になる。吾妻ひでおといえば、可愛い少女とマスクにレインコートという典型的な変態姿の男が登場する不条理マンガで一世を風靡した漫画家である。1989年11月のある朝のこと、吾妻は「煙草を買って来る」と家人に言い置いて家を出て、それっきり失踪した。最近出版された『失踪日記』によると、ホームレス生活を送りアルコール中毒で強制入院されていたという。漫画家は時に激しい人生を送るものだ。仙波龍英の第一歌集の装画を吾妻ひでおが描いていたという事実に、なにかしら暗合めいたものを感じてしまうのである。

 仙波龍英は1952年生まれ。早稲田大学在学中に、同級生の藤原龍一郎にすすめられて短歌を作り出したという。藤原と同じ「短歌人」会に入会している。また仙波はホラー小説の作家としても知られていて、何冊かの著書がある。インターネットの古書検索でひっかかるのはたいていホラー小説のほうである。『墓地裏の花屋』は1992年にマガジン・ハウスから出版された第二歌集で、荒木経惟の撮り下ろし写真と短歌のコラボレーションとなっている。最近でこそコラボレーションは増えて来たが、当時としては珍しい試みだっただろう。

 『墓地裏の花屋』は入手し読むことができたが、最初にも書いたように『わたしは可愛い三月兎』は読んでいないので、これから書くことは勢い不完全なものにならざるをえない。その欠落をいくらかでも補ってくれるのが、関川夏央『現代短歌そのこころみ』(NHK出版) の記述である。『わたしは可愛い三月兎』から次のような歌が引用されている。

 〈ローニン〉の大姉〈ポンジョ〉の姉ふたり東洋の魔女より魔女である

 スティングレーのりまはす姉ワルキューレ狂ひのおほあね撲りあふ朝

 一首目には「’61 葉山・姉21歳と19歳、少年は9歳」という詞書きがある。仙波は歳の離れたふたりの姉を持つ末っ子として育った。ふたりの姉は腹違いだったようだ。大姉は医学部志望で〈ローニン〉を重ねて精神の安定に異常をきたす。下の姉は〈ポンジョ〉すなわち日本女子大に進学している。「東洋の魔女より魔女」というだけあって、姉たちは激しい性格だったようだ。小児結核を患った経験を持つ仙波は、このような姉たちに囲まれる「可愛い兎」であった。仙波は3月生まれである。

 二首目には「’65 / 田園調布5の37の2・姉25歳ローニン、23歳アソビニン、少年は13歳」という詞書きがある。田園調布に自宅があり、葉山に別荘がある。仙波の父親は亡くなったとき、新聞の訃報欄に記事が掲載されるような人だったという。葬儀の際には妾腹の子がどこからか現われた。姉は女子大生の身分で高価外車シボレー・コルベット・スティングレーを乗り回し遊び回っている。仙波はこのような家庭環境に育った。修羅という言葉がふと頭に浮かぶほど、すさまじい家庭環境である。

 『わたしは可愛い三月兎』の解説に小池光は次のように書いているそうだ。「’52年生まれの仙波は、常道ならばこの一冊で青春のドラマを展開しなければならない。愛と別れ、反抗と挫折、生活と幻想といった青春抒情を、である。ところが仙波は全くそれをやらない」 仙波における青春の輝きの圧倒的な不在は痛ましい。おそらく仙波は愛する前に別れ、反抗する前に挫折し、生活を凝視できずに幻想の世界に没入したのだろう。

 『墓地裏の花屋』の最も私小説的作品は母親の死を詠んだ部分であり、その毒は紛れもない。しかしその毒が仙波の内部にあったのか外部にあったのかはもはや知ることが難しい。 

 ひら仮名は凄(すさま)じきかなはははははははははははは母死んだ (享年七十二歳)

     「坊さん三人つけること !」病院で姉が叫ぶ
 あはれなり死ぬよりはやく葬儀屋の手配などされははそはの母

     とにかく煙草ほどのけむりも出ないのだつた
 まる焼きの、かんぺきにまでまる焼きの母はいまだに母であらうか

     それからやがて、骨肉の争ひは起るのである
 葬式のをはりを飾る姉の見栄・憎悪ふたつが眩く眼を指す

 仙波の短歌には詞書きが多いのが特徴である。詞書きといっても、上に引用した二首目以下のように、短歌の前に短い文章が添えられていて、いかにも伝統的なスタイルを模倣しているものもあれば、一首目のように短歌の終わり、しばしば次の行末にカッコに入れて付け足しのようにしているものもある。

 小池光は「詞書きはなぜ叱られるか」(『街角の事物たち』所収)のなかでかなり皮肉っぽく、詞書きが結社で嫌われるのは、納入した会費と投稿できる文字数の計算が狂うからであり、伝授教育ができず添削もできないからであると書いている。これをどこまで真面目に受け取ってよいかはさておき、仙波の詞書きに触れて、それが伝統的なものではないことを指摘している。「一首の理解を助ける手段ではなく一見それらしい体裁に配置された何ものかである」とし、このような態度に通底するのは短歌という伝統的詩型への絶対的信頼感の喪失だと結論している。

 上に引用した母親の死をめぐる一連の歌の場合、詞書きはそれに続く短歌と意味的に関連しており、歌が作られた現実の背景を説明する役割を果たしている。したがってこれはまだ「一首の理解を助ける手段」だと言ってよいだろう。しかし次のようなケースについては話がちがう。「水洗便器の逆襲」と題された一連である。

   袋小路ではない。 
 清掃歴二十余年の小母さんの温もり残る便座を恐る

   まして花瓶のはずがない。
 美しき尻のためのみ在るとして腰をおろすほどの勇気はありや

   もちろん山手線とは違ふ。
 上蓋は都市的叙情に汚れつつ存在理由を問はれつづける

   あるいは宇宙船かもしれない。
 終日を丸井愛子の尻ばかり乗せて便器は氾濫したり 

 文語定型の短歌と対比して、詞書きの部分は歌と歌のあいだで低くささやかれた個人的なつぶやきのようである。並べられた歌は一段低いつぶやきの泥田に咲いた模造花のように連なる。このいかにも造りモノめいた感じが、荒木経惟の写真とよく合っているのである。

 小池は仙波の短歌を評して、「短歌をヤッテない人はおもしろがるが、短歌をヤッテる人は、十中八九まで、たぶんいやな顔をする」と述べている。それはなぜかというと、仙波の歌にはどこかしら短歌定型に対する悪意を感じさせるところがあるからだろう。仙波のなかには短歌定型に納まり切らない余剰があり、それが「詞書きらしきもの」として滲み出し、短歌に対して時に悪意を滲ませる眼差しとして現われる。それが「マジメな」歌人の神経に触るのだろう。

 もっとも次のようないかにも短歌らしい短歌もないわけではない。

 ひたひたと水の寄せくるごとく春北上してはししむら濡らす

 窓硝子すべて激しく共鳴す桜の蕾ひらきゆくとき

 海舟の墓に花降りかたはらにモダンバレー踊る少女などゐる

 さみしさのそのゆくすゑを描きゐる銀杏(ぎんなん)ひとつ雨にうたれて

 しかし仙波がこのような歌の世界に満足できたとはとても思えない。身に溢れるほど浴びてきた修羅の毒と世界への悪意はどうしようもなく噴出するのである。

 住職の妻臨月の腹ゆらし空にさらすは満月の顔

 いつからか住職の妻と「デキテイタ」墓地裏の花屋の居候

 わが骨の置き場所としてある若葉二丁目あたりあゆみゆくかな

 われといふ時計は疾うに停止して「なぜにおまへは生きてゐるのだ?」

 三首目・四首目は「骨の置き場所 / I.D.を落として」と題された連作に含まれている。40歳にして「この世は骨の置き場所」と観ずるのは尋常ではない。四首目は『墓地裏の花屋』の掉尾を飾る歌である。「われといふ時計は疾うに停止して」と感じざるをえないところが痛ましい。

 『現代短歌事典』(三省堂)の仙波の項目を執筆した藤原龍一郎は、『わたしは可愛い三月兎』所収の次の歌を代表歌として出している。おおかたの賛同するところだろう。

 夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで

 『わたしは可愛い三月兎』が出版された1985年といえば、前年に貿易収支黒字額が過去最高となり、日本経済がバブルにさしかかっていた頃である。渋谷の公園通りでは西部デパートが「劇場型消費社会」を実現すべく市街整備を進めていた。糸井重里の「おいしい生活」というコピーや、石岡瑛子の力強いポスターなどが記憶に残る。このように時代の寵児になろうとしていた西部PARCOを三基の墓碑として、渋谷に降り注ぐ陽光を滅びの夕照として描くのは、もちろん歌人の幻視なのだが、セゾングループの置かれている現状を考え合わせると、ほとんど予言的とすら思えてくるのである。繁栄のただなかに滅びを幻視する。考えてみればこれは古来詩歌がなしてきたことのひとつであり、仏教の無常観を輸入して以来日本人の感性の底に流れてきた心の構えでもある。この意味においては、仙波の歌が示している感性は、意外に日本の伝統的感性の正統的嫡子であるのかもしれない。仙波の短歌の露悪的なケレン味を剥ぎ取ってみたら、また新しい読み方ができるのではないだろうか。

 仙波は2000年4月15日に48歳の若さで急死している。歌集を読んでからこんなことを言うのは後付けの理屈にすぎないが、仙波の歌にこれでもかと盛りこまれた修羅の毒を満身に浴びれば、これ以外の結末はなかったような気すらしてくるのである。