第417回 川野里子対話集『短歌って何?と訊いてみた』

 今回は久しぶりに歌集ではなく歌書である。歌人の川野里子がさまざまな分野の人と短歌をめぐって対話するという贅沢な企画だ。歌誌『歌壇』に「ことば見聞録」というタイトルで2021年から14回にわたって連載したものに、新たに俳人の高野ムツオとの対話を加えたものだという。東大教授で古代ギリシア哲学研究者の納富信留に始まり、サンキュー・タツオ、伊藤比呂美、三浦しをん、宮下規久朗など多彩な顔ぶれである。「今、なぜ短歌を作るのか」という問に自覚的な川野だけに、それぞれの対話は問題の深い層にまで及んでいて読み応えがある。ありすぎて読了するまでに相当な時間がかかってしまった。以下、やむをえず断片的になるが、印象に残った発言を中心に見てみたい。

 はじめに納富信留との対話から。

川野 しかも定型詩の言葉って私のものと言えない気がするんです。典型的には枕詞とか季語ですが、それ以上に定型詩というものに言葉を差し出すときに、「私」の言葉でありつつ、「私」と読者の中間あたりに言葉を差し出すような気もする。そういう中間地点に言葉を差し出すことが詩を書くことのような気がするんです。

納富 仰ること非常によくわかるんです。(…)大きなクラウドみたいなのがあって、我々はそこからただ借りてきているというと極端かな。喋ってる私の主体性がどれくらいあるのかという問題だと思うんです。 

 対話の流れを見ると、川野は定型詩に限定して話しているが、納富は言葉一般の使用について語っているように聞こえる。「私」と「あなた」の中間に言葉を差し出すというのは、言葉一般の使用についても当てはまるが、定型詩ではさらに重要だと言えるかもしれない。日常会話で「今夜はステーキが食べたい」と言うとき、その欲求は100%話し手である「私」の感じているものである。この文の言葉は「私」について語っている。しかし津村信夫が次のような詩を書くとき、その言葉は何について語っているのだろうか。(引用はママ)

私は憶えている。

尾花の手にさげた婦人が、まるで肖像のように立っていた

家の入口を、あるいは、午後を。       「秋の歌」 

 これは津村の「私」の言葉ではない。生身の津村個人について語っていないからである。しかし津村の言葉ではないとも言えない。津村が自分のペンを使って記したからである。詩の言葉は、子供がうっかり手を放した風船のように、「私」へと係留する紐が切れて一種の虚空間を漂う。そして時おり読者の許を訪れる。そういう言葉である。

 次は俳人の井上弘美との対話から。本書の対話が行われたのは、コロナ禍が日本中に猛威を奮っていた時期である。コロナ禍で集えないという状況が俳句や短歌に影響したかという司会者からの問に答えての発言である。 

井上 俳句はまさに三密から生まれ、三密が育てている文芸なので、当初は本当に参りました。俳人は皆、座の文芸であることを大切にしています。今回、川野さんの歌集を改めて拝読して、一首一首が作者の中で、完結しているんだなと思いました。だけど俳句は、他者によって評価されることで一句として成立するところがあるのです。ここが、五七五に七七がある短歌と、七七の部分が無い俳句の大きな相違点だと思います。 

 俳人ならではの感想である。まず俳句は座の文芸であり、他の人から評価されることで一句として成立するということ。具体的には結社誌に出詠したり、句会で発表したりして他者の評価に晒す。選者が「この句は取りましょう」と決めたり、句会で多くの票が入って句としてひとり立ちする。俳句では他者との協働や共有が重要であり、五七五という短い詩型の俳句は「外部」の支えによって成立するとも言える。井上が短歌には七七があると述べているのは示唆的だ。短歌では、上句の五七五で提示したものを下句の七七で回収する。これが短歌は「完結している」という感想につながる理由である。しかし、井上との対話で川野も触れているように、完結するからこそ短歌はモノローグになりやすいということも憶えておく必要があるだろう

 次は俳人で歌人でもある堀田季何との対話から。 

堀田 ある世代から「私性」が激減してゆきました。赤裸々な「私」を表現するのが恥ずかしい、いやだという感覚があったり、「ぼくたち」「わたしたち」という言葉や感覚が増えたりして、そこから変わってきましたね。パラダイム・シフトが起こっています。

川野 確かにそれを感じます。「私」が「わたしたち」に変わったということでしょうか。以前は短歌にとって厄介だった「私性」というものがむしろ弱まって、群像的になっています。(…)複雑で陰々とした時間経過を表現するのが得意なのが文語表現だと思いますが、口語短歌が主流になるとその「時間」が消えてしまいました。どこを切っても「今」です。 

 「私性」は近現代短歌にとって永遠の課題である。確かに堀田が指摘するように、今の若い作者の短歌には赤裸々な私はあまり見られない。しかし短歌にとって赤裸々な私が果たして良いものかも疑問だ。唯一無二の「私」という近代的な概念は、明治維新によって西欧から輸入され、その後、自然主義の思潮に乗って広まったものだ。私小説では日本独自の展開を見せてもいる。また河野が指摘している「私性」の希薄化と口語短歌における時間の消滅は相関しているだろう。永田和宏が『現代短歌雁』48 (2000)に書いた「時間は無垢か」という評論がしきりに思い出されるのである。

 次は美術史家の宮下規久朗との対話から。日本では背景知識がなくても鑑賞できる印象派の絵画に人気があるが、それ以前の絵を見るには知識がいる。宮下はそのような絵画の見方を教えてくれる人である。宮下はカラヴァッジョの専門家なので、ローマのサン・ルイージ・フランチェージ教会にある「聖マタイの召命」に描かれた人物のどれがマタイかという話がとてもおもしろい。しかしこれは短歌には関係がない。

 話は静物画に及んで、高橋由一の「鮭」について、川野が「あれは短歌的世界ではないのか」と発言すると、それを受けて宮下は次のように述べている。 

宮下 全くそのとおりです。西洋の静物画は、いろいろなものを置いて描く。でも由一の「鮭」は、そのまま台所に吊るしてあるのを描いた。俎板の上の豆腐を描いたり、どれも非常に身近なものです。

川野 「鮭一匹に神を宿らせる」的なタッチですね。

宮下 そうです。そういう切り取られた自然みたいなものって、結構、日本の特色だと思うんです。まさに短詩型文学の世界ですよ。でもその神様は厳しいものではなくて、馴染みやすいものです。西洋の神とは全然違う、もっとやさしい、どこにでもいる、アニミズム的な神、そういうものですね。

 西洋の絵画や室内装飾は空白を恐れるようにさまざまなものを詰め込むが、日本の美術はそうではなく、逆に余分なものを削ぎ落とす。フランス料理もいろいろな味を重ねてゆくが、和食は引き算の料理だ。「鮭一匹に神を宿らせる」精神は短詩型文学に通じるだろう。

 驚いたのは、18世紀までの日本美術には青空がなかったという話だ。青い空に白い雲という対比に日本人が気づくのは、西洋近代に触れてからだという。

 武蔵野美術大学教授でキュレーターの新見りゅうとの対話から。

新見 いい絵画って、絵画とは何かを最も深い形で造形的に問うている。すばらしい彫刻、第一級の彫刻って彫刻とは一体何かというもっとも深い疑問が彫刻の形で表れている。疑問の深度が造形化されているかだけ。たとえば、(絵画で)線引くわけだけど、その線みたいなものがさっと引かれているように見えるけど、さっと引かれてる30センチのなかに何万回も振動しているような線でなければそれは線じゃない。(…)「魂が震えている」線こそが絵画とは何かを問いかける。 

 「絵画とは何か」という疑問を問い掛ける絵画が良い絵画だということは、他の芸術にも当てはまる。しかしそれは、小説の中で「小説とは何か」という問題が論じられるメタ小説のようなことではない。作品制作がその根源的な疑問から出発しているということだ。たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチの絵がそうだろう。死ぬまで手放さず手を加え続けた「モナリザ」がその一例である。またジャコメッティの絵では、人物の顔の立体的な奥行きを捉えようとして何十本もの線を引いた結果、人物像は輪郭が曖昧になり靄のうしろに隠れてしまう。何十本も重ねて引かれたジャコメッティの線は、「絵画とは何か」を問い続けた苦闘の跡だ。

 さて、本書を一読して「短歌とは何か」という疑問に答が出たかというと、もちろんそんなことはない。しかし、異なる分野の人たちとの対話を通して、「短歌とは何か」という疑問を掘り下げたことは確かである。そもそもアートとは、答を求めて放浪する旅であり、答に到達した瞬間に旅は終わってしまう。しかしその認識ですら幻影に過ぎない。そういうものではないだろうか。