「フランス語100講」第15講 無生物主語構文 (2)

 なぜフランス語の無生物主語構文をそのまま日本語にすると不自然に感じられるのでしょうか。夏目漱石は無生物主語構文を嫌っていたようで、次のような言葉を残しています。

「元来余は所謂抽象的事物の擬人法に接する度毎に、其多くの場合が態とらしく気取りたるに頗る不快を感じ、延いては此語法を総じて厭ふべきものと断定するに至れり。これ恰も多年の修養を都会に積みし田舎漢を再び昔の山出しに引き直して、しばらく十年前の気分に帰れと強ふるが如し、不自然もまた甚だしと云ふべし。」

                     (夏目漱石『文学論』1906) 

 漱石は英文学者でイギリスにも留学しており、英語には通じていたはずなのにすごい反発ぶりですね。よほど嫌いだったのでしょう。

 日本語で無生物主語構文が不自然なのにはいくつか理由があります。そのひとつは、フランス語の動詞は人にも物にも使われることが多いということです。

 

 (1) a. Jean marche sous la pluie.

    ジャンは雨の中を歩いている。

   b. Cette machine à laver marche bien.

    この洗濯機は快調に動いている。

 (2) a. Hélène a écrit une lettre de recommendation.

    エレーヌは推薦状を書いた。

   b. Ce stylo à bille écrit rouge.

    このボールペンのインクの色は赤だ。

 

 ですからたとえばfavoriserという動詞を、(3 a)のように人を主語にして使っても、(3 b)のように抽象名詞を主語にして使っても不自然にはなりません。

 

 (3) a. Le président favorise les grandes entreprises.

    大統領は大企業を優遇している。

   b. L’obscurité a favorisé notre opération.

    暗闇が我々の作戦に有利に働いた。

 ところが日本語の運動動詞は主語に人をとるか物をとるかが決まっているものが多いのです。次の例のbalayerという動詞は、人が「掃除する、掃く」とも、物が「吹き飛ばす」とも使えます。しかし日本語で「掃く」は主語に人しかとることができないので、 (5 b) はとても不自然になってしまいます。

 

 (4) a. Claris a balayé le living. クラリスは居間を掃いた。

   b. Le vent a balayé les nuages. 風が雲を吹き払った。

 (5) a. 太郎は居間を掃いた。

   b. ??風が雲を掃いた。

 

 しかしこれだけが理由ではありません。フランス語で無生物主語構文がよく使われる最大の理由は、第7講と第13講でも触れた「直接語順」(ordre direct)にあります。ちょっとおさらいすると、直接語順とは、〈主語+他動詞+直接目的補語〉という統語構造の裏側に〈動作主+動作+被動作主〉という意味構造が張り付いていることをさしています。次の例を見てください。

 

 (6) Le gouvernement a augmenté l’allocation familiale.

   〈動作主〉 ─ 〈動作〉 ─〈被動作主〉

   政府は家族手当を増額した。

 

 (6)では主語のle gouvernementが動作主、つまり「何かをする側」で、動詞のa augmentéが動作を表していて、直接目的補語のl’allocation familialeが被動作主、つまり「何かをされる側」になっています。これが典型的な直接語順です。

 政府は政策を実行するので、何かをする側として振る舞うのは自然です。しかしフランス語の特性は、このパターンを本来何かをする側ではないものにまで拡張して適用するところにあります。同じaugmenterという動詞を次のように使うことができます。

 

 (7) L’attitude de Jean a augmenté la colère de son père.

     〈動作主〉 ─ 〈動作〉 ─〈被動作主〉

   ジャンの態度は父親の怒りに油をそそいだ。

 

 (7)ではl’attitude de Jean「ジャンの態度」という抽象名詞があたかも「何かをする側」であるかのように動作主として振る舞っています。l’attitude de Jeanがほんとうに何かをしているわけではなく、父親の怒りが激しくなったことの原因です。〈動作主〉 ─〈動作〉─〈被動作主〉という行為連鎖を、〈原因〉─〈影響〉─〈影響が及ぶ対象〉という因果関係にまで拡張するのが無生物主語構文の本質と言えるでしょう。

 しかし、日本語では不自然になる無生物主語構文がフランス語では自然なのはなぜなのでしょうか。アメリカ構造主義言語学の泰斗ブルームフィールド (Leonard Bloomfield 18871949) は主著『言語』Language (1933)の中で、すべての言語には常用文形式 (favorite sentence-type) というものがあり、英語のそれは actor— actionであると述べました。(注1)続けて、現在の印欧諸語の相当数のものは、同じ常用文形式を用いる点で英語と軌を一にすると書いています。actor — actionとは「誰かが何かをする」という表現のパターンで、actorは主語、actionは動詞がそれを表します。つまりブルームフィールドは、英語を初めとするヨーロッパの言語では「誰かが何かをする」という表現パターンが基本だと考えているのです。

 しかし日本語はそうではありません。この点に関する研究では、元東京大学教授の池上嘉彦氏の『「する」と「なる」の言語学』(注2)がおそらく最初でしょう。これに続いて、荒木博之『やまとことばの人類学』(注3)、安藤貞雄『英語の論理・日本語の論理』(注4)などでも同じ考えが展開されています。その骨子は、英語はものごとを「誰かが何かをする」と捉えて表現することを好む「する言語」なのにたいして、日本語は誰かがするのではなく、ひとりでにそうなるという捉え方を好む「なる言語」だというものです。次の例を見てみましょう。

 

 (8) a. Voici venir le printemps.

    b. 春になった。

 (9) a. J’ai perdu un bouton.

    b. ボタンが取れた。

 (10) a. J’ai entendu un cris.

   b. 叫び声が聞こえた。 

 (11) a. Je vois un voilier au loin.

      b. 遠くヨットが見える。

 (12) a. Il fait beau.

   b. 天気がよい。

 

 (8 a)では春がこちらに移動して来ると捉えていますが、日本語では「なる」を使っています。(9 a)ではjeが主語になり、ボタンがとれることが「私」の行為として表現されていますが、(9 b)には「私」はどこにも表されていません。このちがいは (10) (11) のような知覚動詞にはっきり現れます。(10 a)では「私が聞いた」と表現されていますが、(10 b)では「聞こえる」という可能動詞を使っていて、主体は「叫び声」であり、聞いた「私」は表に出ません。(11)についても同じことが言えます。(12)のような天候表現でもずいぶん大きな違いが出ます。フランス語では非人称主語ilを立てて、動作動詞であるfaireを用いていることからもわかるように、フランス語も英語と同様に「する言語」なのです。このために天気のような自然現象についても、「誰かが何かをする」という表現パターンを当てはめて使います。この表現パターンを支えているのが、〈主語+他動詞+直接目的補語〉という統語構造の裏側に〈動作主+動作+被動作主〉という意味構造が張り付いている直接語順であることはおわかりでしょう。

 しかし、どうやらフランス語は昔からこのような言語ではなかったようです。そのことは英語の歴史で研究が進んでいます。たとえばthink「考える」やdream「夢を見る」やlike「好きである」といった動詞は、古英語の時代は非人称動詞でした。「私」は与格に置かれて Me thinkθ that…「〜のように私には思われる」のように使いました。今なら主語にItを起きますが、この時代にはまだ使われていません。likeも現代のように I like…「私は〜が好きだ」ではなく、Me lykeθ…「私に〜が好まれる」と表現していました。古英語の時代には現代でも非人称である天候表現の他に、思考・認識や好き嫌いを表す動詞は非人称だったのです。今よりも少し「なる言語」に近かったということです。スペイン語やイタリア語では非人称ではなく倒置構文になりますが「私」が与格に置かれるところがよく似ています。

 (13) スペイン語

  Me gustan las naranjas. 私はオレンジが好きだ。

  私に好まれる定冠詞(pl.)-オレンジ

 (14) イタリア語

  Mi piace la musica. 私は音楽が好きだ。

   私に好まれる定冠詞音楽

 

 古英語の時代には40ほどの非人称動詞があったと言われていますが、これらの動詞は人称化していきました。人称化というのは、Me thinkθ 「私に思われる」の与格のMeが主語と再解釈されてI think「私は考える」へと変化したのです。これには名詞の格変化の消滅にともなうSVO語順の増加が関わっていました。この変化は英語史の中でも最も大きな統語的変化として知られています。

 フランス語でも古フランス語の時代には非人称動詞がもっと使われていたようです。(注5remembrer「思い出す」のように今では消えてしまった動詞もあり、またse souvenirは昔は非人称動詞でした。その名残りはアポリネールの「ミラボー橋」(Le pont Mirabeau)という詩に見られます。

 

 Faut-il qu’il m’en souvienne ?  思い出す必要があるだろうか

   La joie venait toujours après la peine 辛いことの後にはいつも喜びが待っていた

 

 フランス語もSVO語順の確立によって、直接語順が強まるにつれて非人称動詞が使われることは少なくなりました。つまり直接語順の定着によって、フランス語は「する」言語の性格を強めたということになるでしょう。このことはフランス語と日本語を較べたときに表現パターンのちがいとなって現れます。一つ例を挙げると、フランス語は所有表現を好みますが、日本語は存在表現を好むということです。

 

 (15) a. J’ai deux enfants.

      b. 私には二人子供がいます。

 (16) a. Cette pièce a deux portes.

   b. この部屋にはドアが二つある。

 

 市場で買い物をするときに日本語では「アスパラガスありますか」と聞きますが、フランス語では Vous avez des asperges ?と言うのが普通ですね。所有表現は「する」言語の表現パターンで、存在表現は「なる」言語が好む言い方です。

 

(注1)もう一つの常用文形式は Come !「来い」のような不定詞を用いた命令文だとされている。

(注1)大修館書店、1981

(注3)朝日選書、1985

(注4)大修館書店、1986

(注5Ménard, Ph., Syntaxe de l’ancien français, SOBODI, 1973