第418回 荒川梢『火をよせる』

ちらばった折り紙を寄せととのえた一番上は夏からの私信

荒川梢『火をよせる』

 作者の荒川は1988年生まれで、「まひる野」に所属する歌人。今までに現代短歌社賞の候補作や佳作に選ばれたり、第35回歌壇賞(2024年)の予選通過作品になったりしている。本歌集は昨年(2025年)の暮れに上梓された第一歌集。歌集題名は歌壇賞に応募した連作中の「灯心に火をよせるとき一瞬の祈りがよぎり小さき火ともる」から採られている。

 職場詠が多いのが本歌集の特徴だが、作者が葬儀社に勤務しているということから葬儀にまつわる歌にまず目が行く。

受話器からしっとり雨の匂いする冷房強き葬儀社オフィスに

さよならを言うために幾度もたましいは家族をなして木蓮の白

もうこれは葬儀依頼の声だけど依頼されるまでファの声通す

ニン」でなく「ケン」と数える かなしみに呑み込まれないまじないとして

地獄すらいけないだろう御目閉ざすお守りとしてアロンアルファを

 いずれも現場感溢れる歌である。三首目、電話を受けてすぐ葬儀の依頼だとわかっているが、実際に依頼が口にされるまでは事務的なニュートラルな声で話している。依頼の内容を先取りしてはいけないのだ。四首目、その日に葬儀依頼を受けた亡くなった人を「〜人」ではなく「〜件」と数えるのは、「〜人」だとあまりに生々しいからだろう。五首目にはちょっと驚いたが、ご遺体の目がどうしても閉じないときの万一に備えて、瞬間接着剤をポケットに忍ばせているということか。罰当たりなことだと本人も自覚しているので、地獄すら行けないのだ。

はい(と声をあわせて)もちあ、がらないですね 担架の持ち手を手首に巻いて

持ち手の痕みっしり残る右手首使ってすする春雨スープ

六人で霊柩車へ乗せたのにケーキ箱ほどにおかえりなさい

燃やさるるお役目果たせず横たわる桐平棺は研修室に

きみを抱く指先から指先までの五尺にて測る長き白布を 

 一首目はご遺体を担架で運んでいる場面。数人で持ち上げようとするが、重すぎて持ち上がらない。「もちあ、がらないですね」と読点で区切ってあるのは、「もちあ」までは力を込めて持ち上げようとしているのだが、読点の箇所で持ち上がらないことに気づいたからである。時間的な意識の流れを読点で表現しているのがおもしろい。担架の取手に付いている紐を手首に巻いたため、二首目にあるように手首に痕がくっきりと残る。「みっしり」は物が詰まっている様を表すので、ここではあまり適切ではないだろう。三首目、六人がかりで運んだご遺体も、焼き場で骨となって戻って来ると、ケーキ箱程度の大きさになる。人生の終わりに人が占める容積はこの程度だという認識。四首目と五首目は研修の様子を描いている。研修室に置かれた棺は、本来ならば焼き場で燃やされるはずなのだが、燃えることなくある。認識の逆転を詠んでおもしろい。五尺は約1.5mで両手を広げた長さに当たる。ご遺体に掛ける白い布の長さを測るのである。「指先から指先まで」という具体性が歌をリアルなものにしている。

 作者が勤務している職場はなかなかハードなようで、疲れた心と体を詠んだ歌が多い。 

一週間で消えた派遣の空っぽのデスクに今日の昼ごはん置く

ないだろうな特別ボーナス 如月のやわらかな雨をじっと仰いで

歌集なら四冊買えるミュージカル一回見られる「葬儀概論」

パンフレット顧客情報チラシを広げいざ勘違い野郎クレーマーに電話をかけん

出勤を阻んでおくれ道の影よ起き上がりわれを包みこむように 

 厚労省認定の葬祭ディレクターの資格を取得するには、『葬儀概論』というぶ厚い本を読んで、模擬問題集などで勉強しなくてはならない。折しも浜辺美波と目黒蓮主演の『ほどなく、お別れです』という映画が公開されている。シフトによって夜の電話番も回って来る。人は死ぬ時を選べないので24時間稼働しているのだろう。葬儀会社にもクレーマーがいることにも驚く。五首目は特に疲労感が強い。道に落ちた自分の影が起き上がって、出勤を妨害してほしいと願っている。

 読んでいて気づいたのは、とてもユニークな喩が多いことだ。 

海底へひしゃげていった空き缶のようにわたしの背中丸まる

劣勢のオセロのようにつぎつぎと夜の電話番シフトが増える

びしょびしょのポイのようなる角膜で画鋲の金を案にねじ込む

土星の環ひっかかりたるのみどかな咳の軌道に身体がよじれる

クッキーのほろほろ崩れる歯触りのように過ぎゆく春のひと日は

弦張らば天の向こうまで裂いていく弓になれそうな立葵生る

揚げ忘れた碇が底の岩盤にひっかかるごとの奥うずく 

 一首目では背中の丸まりを水圧でひしゃげた空き缶に喩えている。オセロでは形勢が逆転すると盤面の色が突然変わる。職場の壁に貼られた電話番シフト表はたぶん枡目になっているのだろう。三首目のポイは金魚すくいで使う道具。びしょびしょのポイはもはや破れる寸前だ。喉のいがいがを土星の環に喩えるのは珍しい。また軌道は土星の縁語である。五首目では「クッキーのほろほろ崩れる歯触りのように」までが直喩で、歌のほとんどを占めている。最後の「過ぎゆく春のひと日は」は、まるで俳句の季語のように置かれている。ここまで喩が長いと、虚と実の逆転現象が起きて、虚の方が実感として感じられるほどだ。それは六首目にも言えて、「弦張らば天の向こうまで裂いていく弓になれそうな」までが直喩になっていて、どうやら作者はこのような手法を好んでいるとも思える。このことは最後の歌にも当てはまる。 

あおはるの貯金箱のごといつまでも光のにおいを溜めるワイシャツ

青空から切り取り青いバケツへと葡萄の眼にはいつまでも青

指先を離すときこそ水紋は拡がっていく夜のすみずみ

雨やどり終えて飛びたつ天使ミカエルの羽からしたたる日照雨そばえのひかり

十月のちからによってひらかれる金木犀の重い香りは

レースより生き還りくる鳩の軽さ 安置布団あんちぶとんはわずかに沈む 

 特に心に残った歌を引いた。四首目のミカエルは単なる天使ではなく、天使階級最上位の大天使だ。残りはマリアに処女懐胎を告げたガブリエルと戦士ミカエルである。「日照雨」は「にわたずみ」と並んで歌人なら一度は使ってみたい単語だ。六首目にもとても魅力的な喩が使われている。作者にはこんなに抒情に溢れた優れた歌を作る能力が備わっているのだから、ぜひこの方向に進んでほしいものだ。最後に最も惹かれた歌を挙げておこう。 

あれは雲ではなく海だったものたちよ振り上げた手に啼くクラクション