第363回 2023年度角川短歌賞雑感

山鳥の骸をうづめ降る雪のきらら散らして白き扇は

渡邊新月「楚樹」

  今年度の第69回角川短歌賞には過去最多の870篇の応募があったという。その中で見事短歌賞を射止めたのが渡邊新月の「楚樹」50首である。振り仮名がないと読めない題名だが「しもと」と読む。渡邊は2002年生まれなので、誕生日を迎えていれば21歳の若い歌人である。東京大学文学部に在学中で、東京大学Q短歌会に所属している。国文学専攻で、将来は新古今和歌集などを研究する研究者を目差しているという。

 渡邊は中学生の頃から独学で短歌を作っていたようで、2018年第64回角川短歌賞では「冬を越えて」で佳作に選ばれている。この時はまだ高校生である。

君と僕を少し遠ざけ去っていく重力波あり極月ごくげつの朝

                 「冬を越えて」

生卵片手で割れば殻だけはこの手に残るきっともう春

 2019年の第65回角川短歌賞では「水光る」で、翌年「風の街」で、昨年2022年の第68回に「残響」で予選通過するも受賞には至らず、今年は満を持しての受賞である。また『ねむらない樹』4号(2020年)の第2回笹井宏之賞では、「秋を過ぎる」で野口あや子賞を受賞している。この頃は口語脈に所々文語を交えた繊細な感受性が感じられる若者らしい歌を作っている。

誰も誰もひとりなることのかなしみは受胎告知をしにゆく時も

                      「秋を過ぎる」

リノリウム二段飛ばしで上がり行く合唱部員の胸のみずうみ

 今年の受賞作は能の「葛城」に想を得たもので、作者は能に親しんでいるらしく謡曲のような語彙と語法が目立つ。連作題名の楚樹とは、姿を変えた葛城の女神が旅の修験者をもてなすために火にくべる木の枝のことである。

夕の笛まどろみを吹き此岸から遠く離れて月はのぼり来

朝の水掬へば白くさえかへりみづから砕くみづからの顔

影立たば影ぞその樹を立たしむるさむざむと空裂く梢かな

 これまでの角川短歌賞の受賞作とはかなり異なる作風であり、高踏的で取っつきにくいと感じる人も多いだろう。選考委員の票も真二つに割れていて、坂井修一と藪内亮輔が最高点の5点を入れた一方で、松平盟子と俵万智はまったく点を入れていない。受賞作を決める討論も長時間に亘り、激論の末にかろうじて受賞が決まった感がある。松平と俵の二人は、能の理解が本作の前提になっていることや、この世界観について行けない読者がいることなどを本作の難点として挙げているが、根底にあるのは日々の生活感情から発した歌ではなく、言葉によって作られた歌だという点だろう。このことは最近話題のChatGTPのようなAIがほんとうに言葉の意味を理解しているのかを考える時に問題にされる記号接地問題 (symbol grounding problem)【注】とよく似た所があるのがおもしろい。渡邊は「人生派」ではなく「コトバ派」の歌人である。ポスト・ニューウェーヴの時代が長く続いたので、「コトバ派」の歌人は久々に登場した感がある。

 次席には福山ろかの「眼鏡のふち」が選ばれた。福山は2004年生まれなので、誕生日が来ていれば19歳である。福山も渡邊と同じく東京大学Q短歌会に所属しているので、ワンツーフィニッシュの快挙である。過去に2021年の第15回全日本学生・ジュニア短歌大会で毎日新聞社賞を、第10回記念河野裕子短歌賞で俵万智賞を受賞している。また昨年の第68回角川短歌賞では次席に選ばれており、惜しくも2年連続で次席となった。おもしろい連作タイトルで、「どの感情もやがて忘れてしまうこと 眼鏡のふちを強く意識する」という歌から採られている。眼鏡の縁はいつも視界を区切っているけれども、私たちはふだんそのことを忘れている。つまり私たちが見ているものには意識しない制限がかかっているということだろう。福山にとって短歌とは、その制限を乗り越えて、ふだんは見えなくなっているものを見るためのツールということか。

外箱に国語辞典をしまうとき手のひらにすっと洩れてくる空気

手のひらに何度もふれているはずの表紙の口づけの絵に気づく

花弁にはふれず挿す薔薇 空き瓶の底の厚みに接するまでを

 3点を入れた藪内は、「写実的表現からドライな情感を作っていくのが面白い」と評し、5点を入れた俵は、「日常の些細なところに詩を見つけてつくる力が素晴らしい」と褒めている。点数を入れなかった松平は、自分は韻律を重視するので、下句の強引な句跨がりが認められないと述べている。たとえば上に引いた「表紙の口づ / けの絵に気づく」のようなパターンである。坂井は玉石混淆なところと安易な直喩が多くて採れなかったとする。福山のような作風だと意味を重視するので、どうしても句跨がりが生じてしまう。福山の短歌は、最近よく見かける「口語によるリアリズムの更新」(by山田航)タイプの歌ともちがっていて、知的処理とポエジーを両立させているところが優れているように思う。

 佳作が4人いるのも異例なことで、選考委員の評価・好みが分かれていることを示している。一人目は永井駿の「水際に立つ」である。永井は1989年生まれで、「塔」「苗」「△」所属。永井はかつては「長井めも」という筆名で短歌を作っていて。2021年に短歌研究新人賞予選通過、2022年に歌壇賞予選通過、同年角川短歌賞予選通過、2023年歌壇賞予選通過という実績がある。

トーストに海岸線を生み出したわたしの歯牙に波と歳月

譲り合う無人の席に忘れ物また遠ざかる夏の集会

テーブルに残されていたパンくずを手で掃くやがて送られる手で

 5点を入れた松平は、リテラシーが高い作者で、繊細な感覚が皮膚の内に隠れていると高く評価している。点数を入れなかった藪内も坂井も最後まで残した連作だったと褒めている。解せないのは何かのツアーに出掛けた折のことを詠んだ連作だろうが、どこだか場面がわからないと選考委員がみんな言っていることだ。

LapinラパンともLièvrリエーヴルeとも呼ばれない人の住まない島のうさぎは

火に焼かれ無害化される貯蔵庫の煤降りしきる古い処理日に

ガスマスクひび割れたまま展示室 穴ばかりある身体と思う

 これを読めば、舞台は旧日本軍が毒ガスを製造していた広島県の大久野島のことだとすぐわかる。無住となった島にウサギが繁殖して、ウサギの島として人気がある。フランス語でlapinは飼いウサギでlièvreは野ウサギを指す。そうわかって読むと、テーマ性のはっきりした連作として立ち上がる。場面がわかっていたら選考委員の評価も少し変わったかもしれないので残念だ。

 二人目の佳作は揺川ゆりかわたまきの「透明じゃない傘をひらいて」である。揺川は2000年生まれ。現在は無所属だが、今年3月の卒業まで東京大学Q短歌会に所属していた。3人も受賞者を出して東京大学Q短歌会はぶっちぎりの圧勝である。

湿り気がやわらかく指を拒みおり入社前夜の髪乾かせば

冬が死んで時給がうまれるこの部屋にふさわしく効いているエアコン

生きることの傷口みたいに花水木ほの赤く咲く街路うつくし

 1点を入れた俵は、「常に自分の目の前の世界の奥を見ている感じ」に好感が持てると述べ、3点を入れた松平は、「借り物の表現や、たくさん勉強して形から入った物言いで詠むのではなく、まず日常を生きる自分があって感受するものを余計な慮りなく短歌に託そうとする姿勢が小気味よい」と評している。坂井と藪内は点を入れていない。このあたり選考委員の短歌観がはっきり分かれていることをよく示している。揺川の短歌は、大学を卒業して社会人になったものの、新しい身分と職場に馴染めない違和感を軸としていて、若者らしい歌となっている。

 三人目の佳作は齋藤英明の「狼はアルトに」である。齋藤は1999年生まれで、「かりん」所属。一橋大学大学院言語社会研究科に学ぶ学徒である。

過ぎゆきてなほただならぬ雨季の香匂へる舌に桃崩るるは

つむる眼に手を置きやればまなうらはさらに暗みて春ゆふまぐれ

てをつなぐ 水脈にさからふ朽ちかけの櫂のはやさでゆび差しあへり

 藪内だけが4点を入れている。「全体的にむせ返るような、気怠いような雰囲気が充満して」いて、「ストーリーもあまりないのですが、あるひとつの抒情みたいなものを伝えて」いると評価している。坂井もすごく巧いので採ろうか迷ったと言い、俵も「耳のいい人」と述べている。松平は読者を選ぶ歌で、皮膚感覚として受け入れられない人もいるだろうと否定的な感想を述べている。個人的には私は上に引いた三首が特に好きで、たいへん実力のある人だと思った。いずれ賞を取る人だろう。

 四人目の佳作は鈴木すみれの「先生が好き」である。鈴木は2004年生まれで無所属。2021年に第13回角川全国短歌大賞で「短歌」編集部賞を受賞している。

席順で指してくときは指す前に目を見てくれる そこに賭けてる

世界一すごい花束のつもりで手渡している期末レポート

またやって 銀の地球儀抱きしめてせかいせいふく、って笑うやつ

 藪内が2点、松平が4点を入れている。松平は、タイトルはちょっと拙いと思ったが、先生に憧れる十代の女の子の素直な感情を綺麗にきっちり描けていると評し、藪内は、読んでみると修辞が巧く、意外に繊細なところもあって、単純な作者ではないと述べている。坂井は、妄想が半分以上入っていて、ライトノベルの域を脱しないとし、俵も、タイトルは身もふたもないが、等身大の表現がこうなんだという説得力があり、点数を入れてあげればよかったと振り返っている。

 全体を見廻してみると、生活実感に根差していて率直に感情を詠む歌を評価する松平と俵に対して、抽象度が高かったり構成に知的な工夫があったりする歌に点数を与える坂井と藪内という構図がはっきり見えてくる。これから角川短歌賞に応募しようとする人は、そのことを意識した「傾向と対策」が必要だろう。選考座談会最後の総評で藪内は、前年に次席だったので、翌年応募する際には、作者が男とわかる歌を入れ、それぞれの選考委員が採りそうな抒情の歌を混ぜ、前年の委員たちの要望をよく読むといった対策を入念に重ねて見事受賞に至ったと述べているとおりである。

 

【注】記号接地問題については、今井むつみ・秋田喜美『言語の本質』(中公新書)を読むとよくわかる。もともとはコンピュータや人工知能の分野で問題にされたものだが、作歌における作者の姿勢に当てはめてもおもしろいかもしれない。あなたの短歌の言葉はほんとうに接地しているか、というように。

 

第221回 今年の短歌賞雑感

壺とわれ並びて佇てる回廊に西陽入りきてふたつ影伸ぶ
睦月都「十七月の娘たち」

 今年も恒例の短歌研究新人賞と角川短歌賞の受賞作が出そろった。まず短歌研究新人賞から見てみよう。受賞したのは小佐野彈の「無垢な日本で」30首である。小佐野は昭和58年生まれの34歳で「かばん」所属。慶応義塾大学経済学部の博士課程に在学中で、台湾で企業している実業家でもある。短歌と出会ったのは中学の頃だという。

革命を夢見たひとの食卓に同性婚のニュースはながれ
ママレモン香る朝焼け性別は柑橘類としておく いまは
ほんたうの差別について語らへば徐々に湿つてゆく白いシャツ
はつ夏に袖を断たれて青年の腕は真つ赤に照らされてゐる
なんとまあやさしき社名きらきらと死にゆく友のむアステラス

 やはり注目されるのは作者がゲイであり、それを正面から歌のテーマとしている点だろう。性別をめぐる葛藤が自分の中にあり、それは内面的問題であるのだが、一方でゲイやトランスジェンダーに対する偏見が社会の中にあって、社会的問題という側面も持っている。勢いゲイの人は内と外の両面において軋轢と衝突にさらされることになる。その煩悶と痛みが歌のテーマとなっている。連作題名の「無垢な日本で」の「無垢な」には相当な重みと皮肉がこめられていると見るべきだろう。
 選考座談会での米川の発言によれば、キューバのカストロ元首相の娘はアメリカに亡命して、同性婚の合法化を求める活動をしているという。そうすると一首目の「革命を夢見たひと」はカストロで、「同性婚のニュース」はアメリカかヨーロッパでの同性婚を報じるニュースということになる。
 近現代短歌の大きなテーマは生老病死であるが、近年はそれに「生きづらさ」が加わった感がある。たとえば鳥居の短歌が代表的だが、小佐野の短歌もその系列に連なるものだろう。選考座談会でも歌のテーマをはっきり出しているところが評価の大きなポイントになっている。これに対して穂村弘が「作品にテーマや現実のアリバイがないと、短歌のメインストリームで評価されないということへの根本的な違和感がある」と発言しているのが印象に残った。
 候補作・最終選考通過作に残ったものからいくつか引いてみよう。

ずいぶんと長い昼寝をする君をみんなでフラワーマンにしていく
                 うにがわえりも「フラワーマン」
触れたことなかった部位もひとつひとつお箸でつまんでいる君の骨
複雑なかたちの急須すすぎつつあの世のことなど考えている

首都の空を飛び交うヘリが追いまわす車列にひとりだけ死者が乗る
                      ユキノ進「弔砲と敬礼」
早朝の緊急事態宣言は持ち主不明のテディ・ベアのため
渋谷空爆。瓦礫の陰に民兵を追い詰めてゆく装甲車両

近づけばよりひかれあう寂しさはファンデルワールス力の正体
                       奥村知世「臨時記号」
はるかなる水平線を切り取って実験台に置くメニスカス
子の影をはじめて作る無影灯長男次男は手術で生まれ

人間にふたつきりなる踵あり揃へて春の鞦韆に立つ
                    晴山未奈子「風に瞠く」
しやぼん玉まろきおもてに色うごき動きゆらめくこのたまゆらに
遠くへと退すされば見ゆるものありてわれらの上に遊ぶいとゆふ

 うにがわえりもは「かばん」「塔」所属。妻を失い寡夫となって子育てをするという一連だが、自身の体験ではなくフィクションである。しかし奇妙にリアリティがある。ユキノ進は無所属。海外での反政府軍との戦闘で自衛隊員が死亡し、それを隠蔽しようとする政府に反逆して帰還部隊が首都蜂起するという内容は、高島裕の「首都赤変」を彷彿とさせる。奥村知世は心の花所属。職業が開発研究員となっているので理系の女性である。理系らしく「ファンデルワールス力」や「メニスカス」という理系用語が散りばめられている。ファンデルワールス力は原子間に働く微少な引力で、メニスカスはピペットのような口径の細い容器内で容器壁と液体の相互作用によって生じる液体の曲面のこと。水のような液体では凹型になる。だから「はるかなる水平線を切り取って」なのである。晴山未奈子は所属なしで生年・居住地ともに不詳。私がいちばん驚いたのはこの人の歌である。今回最終選考まで残った人のなかで最も完成度が高く「短歌らしい」歌を作っている。きっちりした定型感と使っている語彙から見て、年配でそうとう短歌を作り馴れている人だろう。しかしそのあまりの「短歌らしさ」が災いしてか、選考ではあまり票を集めなかった。惜しいことである。この人の歌をもっと読んでみたいものだ。

 さて、次は角川短歌賞である。今年の賞を射止めたのは睦月都。1991年生まれの26歳で「かばん」所属。今年は短歌研究新人賞と角川短歌賞の両方を「かばん」同人が受賞した。非結社系の若手歌人が力をつけて勢力を伸ばしてきたということだろう。

腕の傷さらして小径歩むとき傷より深く射せる木漏れ日
悲し、とふ言葉がけさはうすあをき魚の骨格となりて漂ふ
ラナンキュラス床にしをれて昼われがすこし飲みすぎてゐる風邪薬
円周率がピザをきれいに切り分けて初夏ふかぶかと暮るる樫の木
わが生まぬ少女薔薇園を駆けゆけりこの世の薔薇の棘鋭からむに

 タイトルの「十七月の娘たち」というのが謎めいている。選考座談会でもひとしきり話題になった。睦月を推した選考委員の東直子が解説しているように、十七月立てば本当なら翌年の五月なのだが、年が改まることなく同じ年の中で月日を重ねているというある種の不全感の喩だろう。選考委員の小池光が評するように、歌の骨格と形の美しさが際立つ。私も付箋を付けた歌が多かった。睦月の短歌はあまりニューウェーヴ系ではなく、近代短歌の遺産をうまく吸収して清新な抒情としているように思える。
 今年の角川短歌賞は話題性の高い歌人が最終選考に残った。その一人は次席となったカン・ハンナである。韓国から来日して日本語を学んだ人で、テレビのNHK短歌でアシスタントを務めている。

東京はエレベーターでも電車でも横目でモノを見る人の街
思うより30代は怖くないと言い張る前に飲みきるコーラ
「外人は借りられぬ部屋があります」と物件探しに熱くなる耳
宛名ないチラシ噴き出す郵便受け 今日もダイヤル回して覗く
膨らんだ風船抱いて電車にもバスにも乗れぬ私の住む街

 習得した外国語で詩歌を作るのはたいへん難しく努力の要ることなのでまず感心する。日本に憧れて来日し日本語を学び、なおかつ日本では外人扱いされる現実を、比較的素直な言葉で歌にしている。それは好感が持てるのだが、引いた四首目の「宛名ない」「チラシ噴き出す」のように助詞が省かれているのがどうしても気になる。短歌はある意味で助詞の文芸なので、助詞の選択ひとつで歌のニュアンスや姿が変わってしまう。不用意に助詞を省くのはよくないだろう。
 佳作に選ばれた「ナイルパーチの鱗」の作者知花くららはしばらく前から「塔」に所属して短歌を作っているが、ミスユニバース代表にも選ばれたモデル・タレントとして有名な人である。

あのねとふ君の前歯の隙間からシリア砂漠の匂ひがした
爪を噛みオーストラリアと囁いたヒジャブの君の唇赤らむ
数錠の薬に生かさるるけふもバオバブの影が夕陽に浮かぶ
牛糞のにほふ暗き片隅に目だけこちらを見つめる子あり

 おそらくはボランティアか親善大使として難民キャンプを訪れた体験に基づいた歌である。細かい観察とディテールがなかなかよく生きており、体験を素材として歌にする力のある人なのだろう。ただきちんと五・七・五・七・七に収まっていない歌が多いのが気になる。
 佳作「やがて孵る」の辻聡之は昭和58年生まれで「かりん」所属。

弟とその妻サザエさん観ており あなたは死語として存在するギャル
盗み見る義妹の腹にみっちりとしまわれている姪らしきもの
パラサイト・シングルもまた死語であり地縛霊のごと実家に暮らす
おにいさん、とバニラの匂う声で呼ぶ義妹のながいながい睫毛よ
菜の花のとおく聴きいる春雷のどこかに姪を呼ぶ声がする

 独身のまま実家で暮らす作者の弟が金髪のギャルと結婚し、姪が生まれるが、わずか2年で離婚して姪が幻の存在と化すまでを一連の歌にしている。歌に詠まれている出来事に驚くし、弟の嫁のお腹にいる姪に思いを馳せるという、おそらく短歌で詠まれたことのない状況の新しさも目を引く。それもあるのだが、「この日々も砂絵に描かれいしものとコメダ珈琲店までを歩みぬ」のように普通によい歌がいくつもある。これからに期待したい。

 

【附記】
 読者の方から「小佐野氏はトランスジェンダーではなくゲイであり、自分でそのことを公表している」とのご指摘があった。小佐野氏のブログを見ると、確かに自分がゲイであると書かれている。ご自身の自己規定を尊重して語句を修正した。(2017年11月10日)