第306回 中沢直人『極圏の光』

言葉淡き地上にあれば手は常に強く握れと教えられたり

中沢直人『極圏の光』

 上句の「言葉淡き地上にあれば」はまるで何かの書物の一節のようだ。「我ら衆生の暮らすこの世は言葉の淡き世界である」、つまり言葉が頼りにならず約束も消えてしまいがちな世界ということである。そんな世界にあって人と人との繋がりを保とうとするならば、手を強く握れと教えられたという。教えたのは父親かもしれないが、作者はキリスト者なので、通っている教会の牧師の言葉かもしれない。師の岡井隆は中沢を「アフォリズム好き」と評しているが、その面目はこの歌にもよく現れていると言えよう。

 私の心を魅了してくれる歌人を探知すべく日頃からアンテナを張っているつもりなのだが、そこは個人の限界があり、いまだ出会えていない歌人も数多くいる。先日、拙宅に届いた『かばん』5月号をばらばらと見ていたら、中沢の「ネロリウォーター」という連作が目に留まった。寡聞にして私には未知の歌人だったが、二首ほど読んですぐにネット検索し、古書店から『極圏の光』を取り寄せた。2009年に本阿弥書店から上梓された中沢の第一歌集である。

 プロフィールによれば中沢は1969年生まれ。東京大学法学部を卒業後、ハーバード大学法科大学院 (Law School) を修了し、現在は東京の私立大学の法学部の教壇に立っている。キャリアから見るとバリバリのエリートである。1999年に「かばん」と「未来」に入会。「未来」では岡井隆に師事する。2003年に第14回歌壇賞と未来年間賞を受賞。本歌集『極圏の光』で2010年に第16回日本歌人クラブ新人賞を受賞している。ちなみに中沢直人は筆名なので、大学で中沢の講義を受講している学生は、教壇の人物を憲法と英米法の先生としか認識していないだろう。そう思うとちょっと愉快である。

 さて中沢はどういう短歌を詠むのだろうか。初期作品から引いてみよう。

年を経てゆがむ鉛の穂先から斜めに水を放つ噴水

何もせぬ者には功も罪もなく国会中継見るケネディ忌

前方に横須賀ランプ 高速を降りねばならぬ日がいつか来る

スーツ着た人々の群れほの見える北窓に置く恩師の遺影

九条は好きださりながら降りだせばそれぞれの傘ひらく寂しさ

 「文京区本郷通り」と題されたこの連作は『歌壇』に掲載されたという。本郷通りは東京大学本郷キャンパスのある場所だ。あとがきによれば、この頃中沢は先の見えない研究生活の中で鬱屈していたという。一首目は噴水を詠んだ歌。老朽化して先端が曲がった噴水の穂先からは、水がまっすぐ出ずに斜めに放たれる。それが〈私〉の喩であることは明らかだ。二首目のケネディ忌は11月22日で、詠まれているのは自分はまだ何者でもないという青春の鬱屈だ。三首目もまた喩が明らかな歌である。降りねばならぬ高速とは、ポストと栄誉を求めて邁進する研究生活とも、より広く人の生とも読める。五首目の九条はもちろん戦争放棄を謳った日本国憲法の第9条である。降り出せば開く傘とは、それぞれの国を防衛する核の傘のこと。このように中沢の短歌の特徴は、歌への強い自己投影と喩の多用にあると思われる。その姿勢と技法は師の岡井隆のよく知られた「海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ」などに学んだものと考えられる。

 「歌への強い自己投影」の帰結のひとつとして、歌と作者の距離が(一見すると)近いということが挙げられる。角川『短歌』の本年(2021年)4月号の「時代はいま」という連載エッセイ欄に、堂園昌彦が「作者と定型の融和について」という興味深い文章を書いている。堂園は、吉本隆明が「夜の雨あした凍りてこの岡に立てる冬木をしろがねとしぬ」という窪田空穂の歌を引用して、空穂が取り上げるモチーフの必然性がわからないと書いたことに触れる。つまりなぜこのように何でもない光景を歌に詠むのかわからないということである。そして堂園は「短歌はテーマの選択や詠われる内容よりも、作者の定型への距離の取り方の方が問題の中心になる」のではないかと述べている。なかなかに鋭い指摘である。

 もう少し説明すると、作者の定型への距離の取り方とは次のようなことだ。吉本は空穂の歌では、「光景の写生のようにみえて、ほんとは光景の描写のなかに光景をみているものの眼や主観が入り込んでいて」、「作歌している作者とどれだけ和解しているるか計りしれない。その和解の風姿があたえる温和さ、心持(ママ)よさ」こそが短歌にとって本質的だと書いているのである。この論に基づくと、空穂の歌には表面上は〈私〉がまったく表現されていないにもかかわらず、作者と短歌定型との距離は極めて近いことになる。いや、「定型との距離」よりも「定型との親和」と言う方が的確かもしれない。堂園はこのような短歌定型が内包する特性を肯定するのではなく、むしろ否定的に捉えて警鐘を鳴らしている。

 堂園の提起した問題をどう考えるかがこのコラムの目的ではないので、中沢の歌に戻ることにする。もし「歌との距離」を上に述べたような意味で捉えると、逆接的ながら中沢の歌に見られる「強い自己投影」は、短歌定型と作者の距離を遠くしていると見ることもできる。それは短歌を「自己表現の道具」と見なすかどうかにも関わっている。中沢が若い頃に抱えていた先の見えない研究生活の鬱屈が作歌の動機となったことはあとがきから窺える。人はいろいろな機会にさまざまなやり方で短歌と出会う。その出会い方が規定することも多かろうと推測される。

 一方の「喩」は次のような歌に顕著である。

銀色の尾をふりたてて餌を探すアメリカリスの爪の鋭さ

更けゆけばすずしきジャパンタウンなり毛を刈られたる羊と歩く

決議あまた採択される金曜日すべては右に幅寄せされて

角の丸い窓と尖った窓がありどちらかに押しつけられる朝

本線を示す矢印かがやけりためらう者は省かれてゆく

 一首目は訪れたアメリカの公園の光景だが、リスの爪の鋭さには合衆国の突出した軍事力や強引な外交交渉が投影されている。二首目はたぶんシアトルの日本人街で、毛を刈られた羊とは第二次大戦後の日本の喩に他ならない。三首目はどこかの会議の光景で、右への幅寄せとは右傾化・保守化の喩である。四首目はラッシュアワーの通勤電車の光景だが、ここにも二者択一を迫られる立場が投影されている。五首目に詠まれているのは法学者としてのキャリアである。学者の王道を歩く人もいれば、そこから逸れたりはじかれる人もいる。

来なくなった仲間のことは語られずハーバード会すずしげに果つ

微分して負となるキャリアわが前にあり再校の字間なおしぬ

すがれゆくパルテノン多摩若すぎて憎まれるうちに教授になりたい

胡麻味の豆乳プリンを食べ終えて京都へは行けませんと答えつ

後輩のためにポストを取りに行く血のにおいする扇状地まで

ほつほつと水苔立ち上がる二月同期の母校帰還決まりぬ

 法学者としてのキャリアに関係する歌を引いた。一首目のハーバード会は、ハーバード大学の法科大学院の卒業生の集まりだろう。二首目の「微分して負となる」とは関数の曲線が下を向いている、つまり自分のキャリアは下降気味という意味だ。三首目はあまりのストレートさに驚く。ちなみにどこでも法学部は若くして准教授・教授に就任する人が多い学部である。四首目はたぶん京都の大学からの移籍話を断ったという歌だろう。五首目も表現の激しさにびっくりする。六首目は少し説明が要る。東大を出ても学者としてのキャリアの振り出しは、たいてい地方大学や私立大学である。研究業績を積んだ人の中から母校の准教授や教授に迎えられる人が出る。するとそれ以外の同期の人が母校に戻れる可能性はなくなるのである。

ほの暗い谷間のポスト軽くなで静かに落とす別れの手紙

あたたかな沼地へ続く緩傾斜すべり出すとき光るスポーク

最後までこれほど甘いはずがない ほどほどでやめにするカプチーノ

胸の奥に壊れたカメラひとつずつ持つ者たちを招く裏門

ひと息に引くクレヨンの赤い線ほつりと森に消える自転車

 中沢の好む技法を示す歌を選んで引いた。上句で叙景や感興をまず述べて、下句は〈連体修飾句+体言〉という体言止で終えるという技法である。上句と下句の間には意味的な関連性があることもないこともある。一首目は関連性のある例で、「ポストをなでる」と「手紙を落とす」は一連の動作である。しかし五首目のクレヨンの線と自転車の間には意味的な紐帯はない。この場合、下句は「遠くへ飛ばした」状態となり、上句との付け合わせの妙が鍵となる。

エリートは晩秋の季語 合理人の孤独を映す水面静けし

穏やかな同僚といて間違いにはっきり気づく夜の地下鉄

ぬけぬけとココアはぬるく言い訳として語られる鬱に倦む春

木の床のところどころが擦り切れていてこんなにも父に似たバス

軋みつつしぶしぶ開く木の扉たゆたし日暮れのクィーンズカレッジ

自転車で駆け抜けたあと思い出す背の高い司書が住んでいた村

少年の潜熱あわく椅子の背にカーディガンしたたる二階席

重なった師とわれの影うすくなる曇り日の午後信号を待つ

 特に心に残った歌を引いた。一首目の「合理人」は造語だろう。経済学では理性的判断によって自己の利益を最大化するよう行動する人を「経済人」(ホモ・エコノミクス)と呼ぶが、それにならったものか。三首目の「ぬけぬけと」は次の「ココアはぬるく」に係るのではなく、それを飛ばして「言い訳として」に係るのだろう。七首目の「潜熱」は物理学の用語で、固体が液体に、また液体が気体に相転移するときに発生する熱をさす。この歌では少年が大人へと成長する過程を相転移になぞらえたものか。結果として選んだのは、歌への強い自己投影も喩もない歌ばかりで、これは個人的な好みの問題なのでいたしかたない。

 第一歌集刊行からすでに12年を閲している。次の歌集を期待したいところだ。