188:2007年2月 第2週 小嵐九八郎
または、死屍累々の歴史の中で俗調を求める歌

駆けて逃げよわが血統は短距離馬
    かわされざまに詠むな過去形
       小嵐九八郎『叙事がりらや小唄』

 小嵐は米山信介というペンネームも持つ小説家である。1944年(昭和19年)に生まれ、早稲田大学在学中から新左翼運動に参加。銃刀法違反などの容疑で逮捕され刑務所に服役している。その折りの塀の中での見聞を描いた『刑務所物語』など40冊を越える著書があり、吉川英治文学新人賞の受賞歴がある。かたわら「未来」で岡井隆に師事する歌人でもあり、『叙事がりらや小唄』は平成2年刊行の第一歌集。題名の「がりらや」は聖書に登場するガリラヤ湖のことで、青年イエスの物語がこの歌集のひとつの軸になっていることから題名に取られたものだろう。私が小嵐の名前を始めて知ったのは、講談社のPR誌『本』に連載されていた「蜂起には至らず 新左翼死人列伝」がきっかけだった。後に本になったこの連載を愛読していたのだが、題名が示すように死屍累々の物語で、小嵐は新左翼の内部からの歴史を語る語り部の役回りを演じていた。生き残った語り部というこのスタンスは『叙事がりらや小唄』にもまた見てとれる。

 安保闘争と全共闘運動は多くの短歌と歌人を生んだ。『現代短歌事典』(三省堂)では「安保闘争詠」(岩田正執筆)が立項されており、『岩波現代短歌辞典』では「安保闘争と短歌」(佐々木幹郎執筆)と「全共闘運動と短歌」(小嵐九八郎執筆)のふたつの項目が立てられている。岸上大作、清原日出夫、福島泰樹、三枝昂之、道浦母都子、坂口弘らの名前がすぐに挙がるが、小嵐もまたこの系譜に連なる歌人であることはまちがいない。例えば集中に次のような歌がある。

 十九はかく寒かりしゲバの夜の早稲田の地下の旗のシーツの

 果てしなく我が炎瓶(えんびん)は心臓を掴みしままに行方も知らず

 終着駅に着けざることの九割を信じなお革命の切符切る 母よ

 分裂はいまし顕つらし夜の細胞会議(フラク)〈同志!〉と呼ぶはまことせつなし

 ああさらば別れむ朝の鶏早しゲバなき明日を信じてさらば

 あした起つアジトの火燵(こたつ)に十四の踝埋めて 予報は雨と

 左翼運動に身を投じていた頃のリアルタイムの歌ではなく、後日回想して作られた歌なので、国家権力との衝突とそこから生じる身の危険の切迫感は少なく、この点において岸上や道浦の歌とは趣を異にする。例えば「ヘルメットついにとらざりし列のまえ屈辱ならぬ黙祷の位置」(岸上大作)では、機動隊の列の前で女子学生の死に黙祷する自らの立ち位置を、「屈辱ならぬ」と表現している所に身を灼くような自意識のうねりがある。これに比べて小嵐の短歌は全共闘運動の苦い結末を経験しているせいか、回想と愛惜を基調とする挽歌の風情が歌全体に漂う。また青年が理想郷とした社会主義国家の実態が明らかになるにつれ、次のような苦みを帯びた歌が生まれるのもまた無理からぬことだ。

 沈黙は死者のしごと。ひたむきに歌をうたわむGPU(ゲーペーウー)の歌

 まじまじと《ぽと政権は?》と問うつまよ雑草(あらくさ)に酔う雨季もありせば

 アンドロポフ括弧ひみつ警察出身かっこを閉じて斃れたり

 ああ灰とダイオモンドの灰に死すらすとしーんを知りてなお娘(こ)よ

「沈黙は死者のしごと」という言葉は重い。GPUは旧ソ連の国家政治保安部。「ぽと政権」はカンボジアを殺戮の舞台と化したポル・ポトのこと。「灰とダイヤモンド」はアンジェイ・ワイダ監督のポーランド映画で、反ソ・テロリストの若者が主人公。最後に若者が身をよじって空しく死ぬ場面が印象的。アンドロポフは在任期間が短命に終わった旧ソ連書記長だが、この歌は記号短歌の逆張りという意味でおもしろい。「アンドロポフ(ひみつ警察出身)」とパーレンを用いるかわりに「括弧…かっこを閉じて」と読み上げており、記号短歌のベクトルを逆方向に転じている。しかも「かっこ閉じる」ではなく「かっこを閉じて」と歌の地の文に連接しているだけでなく、「閉じて斃れたり」は意味の上でもつながっている。「括弧…かっこを閉じて」は音数を合わせるためや言葉遊びのおもしろさのためにあるのではなく、間に挟まれた「ひみつ警察出身」が小声でささやかれるべき事柄でありながら、もう周知の事実であることを大声で公言するかのような効果がある。

 小嵐は秋田県能代市の出身で、自らの出自に根ざした短歌も試みている。

 鰰(はたはた)はどこさ逃げたか聴けばあだシベリアおろしの風っこ騒ぐ

 お父(ど)よお父、行がねでくれね淋しども漬物(がっこ)の湯漬け耳に鳴るでや

 夜汽車っこさァ帰るべし微かなるうす血の翳り土を嗅ぎわけ

 大麦を焙(い)って潰した珈琲はまだ見ぬ上野のこなふく味が

 とうきょう、という語はかくも切なくてもどりし淳子の耳を傷つけ

 方言を多用したり、漬物に「がっこ」というルビを振ったりするのは土俗性の志向であり、また4首目や5首目は東京と地方という対立の構図に基づく憧れと悲哀で、啄木や寺山修司の先例がある。しかし「上野」と「コーヒー」はあまりに既視感があり、歌に詠まれた情意もステロタイプ的であることにすぐ気づく。これについて岡井は「喩が俗な所が気になる」と跋文で違和感を述べている。しかし小嵐の作る短歌には、俗に流れることを気にしないというか、むしろあえて小唄や歌謡曲調の俗を求めている所があるように感じる。たとえば次のような歌である。

 使用価値は捨てられてからがカチなのよ早稲田のローザの白き喉もと

 児を捨てむプロレタリアか浮萍(うきくさ)のルンペンプロか サワーおかわり

 ねえ浩二、あの時シャツの釦とび赤い伝言突き刺さったわ

 だれひとり振り向かないの純子だけ、祭りのあとの街で踊るの

 韻律は夜ごと目醒めて妬みけりカスバのおんな外人部隊

 1首目のローザはスパクタクス団を結成した革命家ローザ・ルクセンブルグで、ローザと「白き喉もと」は付き過ぎなのだが作者は気にしない。2首目の「サワーおかわり」の落し方も歌謡曲のような調子だがこれも望んでそうしているように見える。3首目と4首目は全共闘学生に熱烈に支持された任侠映画を演じる鶴田浩二と藤純子の歌で、任侠映画自体が美と雅を信条とする短歌には登場しない素材である。また5首目のカスバの女と外人部隊は映画や俗謡で使い古された常套的イメージである。俗に堕することを嫌わない作りはこのように、言い古された喩やどこかで聞いたような言い回しに支えられている。なぜ小嵐はこのような道を行くのだろう。ここからは私の想像に過ぎないが、それは「対象に入れ込み過ぎず距離を置く」という姿勢の表われではないだろうか。詠うべき対象が重過ぎるとき、対象に肉薄することは身の危険を伴う。対象を世間に流布する俗なイメージに回収することで対象と距離を置くことができる。そのような機微が働いているのではないか。岡井はそれを短歌の立場から批判しているのだが、作者は十分承知でやっているような気がする。

 方言を用いた土俗的な歌や歌謡曲風の俗調の歌に混じって、極めて近代短歌的な抒情の歌が多くあることも見逃してはなるまい。

 新しき時刻表を買うくせはきのうの俺を捨てるにあらず

 少女らがいし蹴るいしを見失い昏(くら)かりけるな夏のゆうぞら 

 ああ我ら間のびせし青年物語ねじ式パイプのかろさ知るゆえ

 椎の木のしいの実ゆっくり落ちるときわたしはおもう銃撃のおと

 いそぐものみな美(は)しきこと死を知りし人も鋼(はがね)も巡るハレーも

 (ああ、いまよ)明日は朽ちなむ唇は盗るとき老いし夏至の少女は

 歌の作りの点では、2首目の「いし」の繰り返しや、4首目の「椎の木のしいの実」に注目したい。椎の木から椎の実が落ちるのは当たり前であり、別の木から椎の実が落ちることはない。言葉を極端に節約する俳句ならば、それはすでに用いられた語に含まれているとして切り捨てられるところだが、短歌では事情がちがう。「椎の木のしいの実」と冗長に繰り返すとき、歌謡のリズムが生まれる。そのリズムがしばしば俗に流れることはすでに指摘したことだが、死屍累々の歴史を身をもって生きた小嵐の場合、それは強すぎる毒を薄めて歌謡へと転換する働きがあるのだろう。

 最後に気になった歌を引いておく。

 この詩型もしやアナアキイこの抒情必ず「陛下」へ ― 短歌史序説

「この詩型」はもちろん短歌形式のことで、「この抒情必ず『陛下』へ」は和歌・短歌が奉仕して来た歴史性を指していると思われる。反体制・反権力の運動に参加する人間が最も伝統的な詩型である短歌を作るという矛盾は大きなテーマになるはずだが、小嵐はここでも諧謔と飄逸の方向へ矛先を逸らしている。これは残念なことだということだけは付け加えておくべきだろう。