第399回 貝澤駿一『ダニー・ボーイ』

永遠と聞きまちがえてあの夏を泳ぎつづける遠泳の子よ

貝澤駿一『ダニー・ボーイ』

 「えんえい」を「えいえん」と聞きまちがえる、ありそうなことだ。単語の中で音が入れ替わる言いまちがいを言語学では「音位転倒」(metathesis) という。子育てをした人ならば覚えがあるだろう。子供はある時期「きつねさん」を「つきねさん」と言ったり、「たかしまや(高島屋)」を「たかしやま」と言うことがある。日本語は音節言語なので、常に〈子音+母音〉の音節単位で入れ替わる。英語ではそうではなく、well oiled bicycle「よく油をさした自転車」が well boiled icicle「よく茹でたつらら」のように、音素単位で入れ替わる。オックスフォード大学の教授だった Spoonerがよくこの言いまちがいをしたことから、spoonerismと呼ばれることもある。

 作者が一時勤務していた高校は海の近くにあり、夏の遠泳は恒例行事だったという。その実体験からの発想だが、永遠の夏を泳ぎ続ける少年という想像に詩がある。「あの夏」とはいつの夏なのだろうという謎もあり、想像がさらに膨らむ。いろいろなことを想像させるのはよい歌である。

 作者の貝澤は1992年生まれの歌人で、「かりん」に所属し、現在編集委員を務めている。『ダニー・ボーイ』は昨年(2024年)刊行された第一歌集。松村正直、井上法子、坂井修一が栞文を寄せている。

 本歌集には、大学入学時から現在までの9年間に詠んだ歌が収録されているので、高校生活、受験、大学入学、卒業、就職という人生航路の激変期が含まれている。その中で一貫しているのは、作者の言語への興味である。それは大学に入学して学ぶ外国語にロシア語を選択したというところから始まっている。

文学部一年ロシア語クラスには十九人集まり「猛者」と呼ばれる

ウクライナ生まれロシア語教授からウクライナ風のロシア語学ぶ

教科書をひらけばモスクワの匂い 君をサーシャと呼ぶ日々がある

キャンパスの片隅にただ格変化唱えて眠るだけだった夏

窓に春の雪散りたればチェロキー語〈重大な危機〉ウビフ語〈消滅〉

 私も大学でフランス語を教えていたが、新入生がどの言語を選ぶかは国際情勢に影響を受ける。1990年に東西ドイツが再統一された時には、ドイツ語を選ぶ学生がどっと増えた。ロシアのウクライナ侵攻でロシア語を選択する学生はきっと減っただろう。作者が入学したのはそれよりずっと前だが、ロシア語を選択する学生は当時から少なかった。それはロシア語の学習がとても難しいからである。そもそもキリル文字から覚えなくてはならない。だから「猛者」と呼ばれているのだ。

 ロシア語とウクライナ語やポーランド語はスラブ語族に属し、互いによく似ている。またウクライナ東部にはロシア系住民が住んでいて、地政学的に複雑な様相を呈している。だからウクライナ生まれのロシア語教師がいても不思議はない。ロシア語を学ぶ人を悩ませるのは、四首目にあるように複雑な語形変化だ。五首目のチェロキー語はネイティヴ・アメリカンのチェロキー族の言語で、ウビフ語はコーカサス地方の言語。1992年に最後の話者が死亡して絶滅したとされている。ユネスコは絶滅危機言語レッド・ブックをまとめて警告を発しているが、近い将来多くの言語が絶滅すると考えられている。言語の死は一つの世界観の死である。作者はそのことに思いを馳せているのだ。

 作者はロシア文学研究には進まず、最終的にはアイルランド文学を学ぶ。研究テーマを選ぶのが卒論ではいちばん難しい。きちんとテーマ設定が出来れば、もう半分書けたも同然だ。だが学生たちはその一歩手前で悩むのが常である。

「ヒーニーで卒論を書く」師に告げし夏の日、僕は詩人になった

石段に腰掛けて読むヴァージニア・ウルフの黒き髪揺らす風

大学院を出て何になる キャンパスの夏の密度に責め立てられて

樹木医という職業もあることを木の根に深く腰かけながら

秋になればと君は笑ってやりすごす謝辞から書き始める卒論を

 シェイマス・ヒーニー (1939〜2013) は北アイルランド出身の詩人。1995年にノーベル賞を受賞している。アイルランドは多くの文学者を生み出した土地だ。三首目にあるように、学生はある時期になると卒業して就職するか、それとも大学院に進学して研究者になるか大いに悩む。悩んだ末に四首目にあるように樹木医になるとか、田舎で農業をするなどという思いがふと頭をよぎることもある。卒論は謝辞から書き始めてはいけない。卒論を書くときまず作るのは参考文献表で、そこに並べた文献を読みながら全体の設計図(アウトライン)を作る。設計図にしたがって本体を書いたら結論を書き、最後に序論を書く。謝辞はそのまた後である。

 作者は大学を卒業後、高校の英語教師になる。若い生徒たちとの触れ合いから生まれた歌は、新人の感性が生み出したものであり、その時にしかない輝きがある。

ほら貝を持たぬ新人教師われチョークに袖を汚していたり

ナイフなど持ち込み禁止の校舎にもどこかに潜むべし蝿の王

男子四十人このB組に不時着す誰が最初のラルフになるか

プラナリアのいのちの重み問われればゆらぎはじめるひとつのいのち

留学生駆け抜ける二区ああそれを孤独と呼ぶかアラン・シリトー

 二首目の「蝿の王」はゴールディングの小説『蝿の王』(Lord of the flies)から。「蝿の王」とは誰の心にも潜む悪を表している。少年たちが無人島に漂着する物語で、三首目のラルフは聡明なリーダーの名。しかしやがて少年たちに芽生える悪の心のために殺されそうになる。五首目のアラン・シリトーはイギリスの小説家。『長距離ランナーの孤独』で知られる。ジョン・オズボーンらと同じく「怒れる若者」世代の小説家である。五首目は高校生が出場する駅伝の光景だろう。

 このような歌に貝澤の想像力の質が見てとれる。それは「文学を参照しつつ現実を理解する」という態度である。それは貝澤が読んできたヒーニーを初めとする文学作品によって培われた想像力である。ただしそれは現実から遊離したブキッシュな机上の空論ということではない。自らが触れる現実を理解するために文学を参照枠とするということだ。人の進むべき道は古来より物語の形をとって示されることが多い。それは人の心が物語に感応しやすいからである。現実に向き合うのに文学を参照するという態度は本歌集に一貫して認められ、貝澤の歌のバックボーンとなっている。

 また本歌集を通読して気づくのは、世界各地での紛争や戦争に触れた歌の多さである。

緑風にテロのニュースは消えてゆきシャツに夏日の汗染みはじむ

ゲリラとはもっとも容易く〈せんそう〉を指すなりビニール傘突き破る

世界の果てに手負いの空があることの〈さくら通り〉の花冷えの雨

キーウの空を翔けたる航空機の数多イーゴリ・シコルスキーの夢に

傘をひらけば雨に打たれずに済むことを雨なきガザのはるかに濡れる

銃声とまちがうほどの雨を聴くミネストローネに口よごしつつ

 一首目はスリランカを訪れていたときに起きたテロに触れた歌。四首目はロシアによるウクライナ侵攻を踏まえた歌である。シコルスキーはキーウ出身の航空機開発者で、アメリカに移って起こしたヘリコプターの会社が世界的に名高い。五首目は今でも続くイスラエルとガザを拠点とするハマスの戦争である。貝澤がこれほどまでに世界各地の戦争に触れた歌を詠むのは、学生時代にウクライナ出身の先生にロシア語を学んだことや、アイルランド文学を学んだことと深く関係しているだろう。北アイルランドも紛争の地だった時代がある。TVの報道だけを見て海外の戦争を詠うのはよくないという意見もあるが、必ずしもそうとも言えない。三首目のように世界にはいつも手負いの空があることを意識し、六首目のように戦争の影にたいして自分ははたしてイノセントかと問う良心を詠む意味はあるだろう。

地球儀の海の部分が色あせて地理教室に海のしずけさ

パーカーの肩にしずかに降る雪をしずかに殺してしまう手のひら

落ちてくるさくらの花を打ちかえす野球部のあほの袖のかがやき

暗闇にも言葉は生れてなめらかにルイ・ブライユの指先の詩よ

やがて死ぬホッカイロ手につつむとき星の寿命がそのなかにある

ニュータウンの同じかたちの屋根を打つ直線するどく冬の驟雨は

駿馬そう驟雨に似たる響きあり世界は残像なのだ いつでも

 心に残った歌を引いた。こう書き写していると、歌人には好みの言葉があることに気づく。貝澤は「しずけさ」「しずかに」や、「驟雨」が好きなようで、複数の歌に使われている。四首目のルイ・ブライユは点字を考案したフランス人。小学校の教科書に載っているそうで、ある程度の年齢の人はみんな知っているだろう。光のない闇の中で点字で詩を書く詩人という姿はいたく想像力を刺激する。五首目の「ホッカイロ」は使い捨てカイロの商品名。使い捨てカイロは24時間程度で冷たくなり、星の寿命はそれよりずっと長く何十億年単位だが、どちらにもやがて訪れる終わりがあるというのは同じだ。最後の歌の意味はとりにくいが、おそらく事件が報道される時にはすでに事件は起きており、私たちは常に事後にしか世界を認識できないということだろう。

 最後に歌集題名の「ダニー・ボーイ」について。これはアイルランド民謡で、恋人に別れを告げる歌だが、子供を戦地に送り出す親の歌とも解釈できるという。貝澤の歌に通底するこの世界はいつもきな臭いという思いからつけたものと思われる。

 青春の逡巡、新米教師の日々、そして教室にも潜む悪意や権力構造などを詠んだ歌には貝澤が真摯に現実に向き合う姿があり好感が持てる。ややもすれば〈私〉が希薄になりがちな今の短歌シーンにあって、この歌集には〈私〉がたっぷり含まれている。

 短歌もまた抒情詩のひとつである。作者は青春時代に望んだように詩人になったと言えるだろう。それは幸福なことである。

 

「フランス語100講」第2講 人称 (2)

〈1人称単数 je

 1人称は話し手をさし、話し手が男性でも女性でも、子供でも老人でも使うのはjeです。これは考えてみると驚くべきことではないでしょうか。

 日本語ではニュートラルな「私」の他に、男性は「僕」「俺」「わし」、女性は「あたし」「うち」などと自分を呼び、性別によって異なる語を使うことがあります。多少文語的ですが、その他にも「吾輩」「小生」などもあります。警察官は自分のことを「本官」、役人は「小職」などと言いますし、天皇や国王専用の「朕」という代名詞まであります。なぜ日本語にはこんなにたくさん1人称代名詞があるのでしょうか。

 日本語でさらに驚くべきなのは、相手が誰かによってちがう代名詞を使うことです。同じ人が会社で上司に話すときは「私」と言い、同僚と話すときには「僕」と言い、家で家族と話すときには「俺」と言ったりします。相手によって自分をさす人称代名詞を使い分ける言語はとても珍しいのです。

 さらにおもしろいのは、本来は代名詞ではない役割名詞を用いて自分をさすことです。学校で生徒に話すときには「先生はこう思うよ」と言い、家で子供に話すときには「お父さんはうれしいな」と言います。靴紐が結べないよその子供に「おばさんが手伝ってあげる」と言うこともあります。こういうものまで人称代名詞と呼ぶことはできないでしょう。「人称詞」や「自称詞」あたりが適切ではないでしょうか。

 フランス語ではいついかなる場合でも話し手は je なのに、日本語では場面や話し相手によって人称詞がころころ変わるのはなぜでしょうか。それはフランス語の人称代名詞と日本語の人称詞では担っている機能がちがうからです。

 フランス語の人称代名詞 je には、大きく分けて二つの機能があります。意味的機能は「話し手をさす」ことで、文法的機能は「動詞の活用を支配する」ことです。je にそれ以外の機能はありません。一方、日本語の1人称詞「僕」「私」には、「話し手をさす」という意味的機能はありますが、「動詞の活用を支配する」という文法的機能はありません。主語が「僕」でも「君」でも動詞の形は変わらないからです。

 そのかわり日本語の人称詞にはフランス語の人称代名詞にはない働きがあります。それは語用論的機能、とりわけ対人的機能です。語用論的機能(fonction pragmatique)というのは、言葉が使われる「場面」を言語に反映することをいいます。改まった場面なのか、くだけた場面なのかというちがいが人称詞の選び方を決めます。対人的機能とは、話し手と聞き手の人間関係にかかわるものです。相手に対する敬意やていねいさや親愛の情や侮蔑を表す働きで、これも人称詞の選び方に影響します。親しくない人には「私」と言う人が、家に帰れば家族に「俺」と言うのがそれです。教室では教師という社会的役割が前面に出て自分を「先生」と呼び、家庭では親子関係に基づいて自分のことを「お父さん」と言ったりします。日本語ではこのように「場面」が大きな語用論的機能を担っています。日本語は文法がすべてを決める言語ではなく、文法の外にある場面や対人関係が言葉の選び方に強く働く言語なのです。

 

〈2人称単数 tu と複数 vous

 フランス語では珍しく2人称には日本語とよく似た語用論的機能があります。親疎の区別です。家族や友人などの親しい間柄では tu を、初対面の人や目上の人にはたとえ相手が一人でも複数形の vous を用います。

 なぜ1人称にはなかった語用論的機能が2人称にはあるのでしょうか。それは2人称が聞き手をさす代名詞だからです。自分をどう呼ぶか以上に、相手をどう呼ぶかは対人関係において重要です。ヨーロッパの言語には2人称で親疎の区別のあるものが多く、英語にも昔は thou〜youの区別がありましたが、消えてしまいました。

 では tu の複数形の vous を使うとどうしてていねいになるのでしょうか。ていねいさを表す鍵は「相手を直接さすことを避ける」ことです。では相手を直接ささないためにはどうすればよいでしょうか。やり方は二つあります。「ぼかす」か「ずらす」かです。相手が一人でも複数形を用いるのはぼかすためです。イタリア語では「ずらす」ことを選び、2人称の代わりに3人称代名詞を使います。フランス語でも特殊な場合には3人称を使って敬意を表すことがあります。国王に話しかけるとき Votre Majesté partira quand elle voudra.「陛下におかれましてはいつでもご出発くださいますように」(注1)のように3人称を使って国王を直接さすのを避けます。また昔は召使いが雇い主に話すとき Madame est servie.「奥様、お食事の支度が調いました」と言って、主人に3人称を使っていました。

 教室ではよく tu は日本語の「君」や「お前」に当たると教えます。これはまずまず正しいでしょう。しかし神様に呼びかけるときには tu を使うので、少し感覚がずれるところもあるようです。困るのは vous ですね。便宜上、教室では vous には3つの意味があって、tu の複数の「君たち」「お前たち」、ていねいな単数の「あなた」、ていねいな複数の「あなた方」であると教えます。しかしほんとうはこれはとてもまずいのです。というのは日本語ではていねいに目上の人を呼ぶときに、決して「あなた」とは言わないからです。会社で社長に向かって「あなた」と言ったらクビになりかねません。日本語ではていねいな vous に相当する人称詞はないのです。それに代わって「部長はどうお考えですか」とか、「先生は明日大学にいらっしゃいますか」のように、「部長」や「先生」などの役職名を使います。日本語は相手を直接さすことをとても嫌うのです。これもまた日本語が文法のみによって駆動される言語ではなく、場面や人間関係などの語用論的配慮が強く働くことを表していると言えるでしょう。

 留学中にパリ第8大学(Université de Paris VIII–Vincennes、現在はUniversité Paris VIII-Vincennnes-Saint-Denis)の授業に出たときは驚きました。学生が先生に話しかけるときに tu を使っていたのです。第8大学は5月革命の後に実験校として設立された大学で、とても自由な校風だったのですね。

 

〈3人称単数 il / elle

 3人称代名詞がさす対象は人と物と非人称に分かれます。フランス語には英語の it のような物専用の代名詞がないので、非人称には男性単数形の il  を使うのは周知のとおりです。非人称についてはまた別の所でお話します。

 il / elle が物をさすときは特に問題ないのですが、問題は人をさすときです。次の例を見てみましょう。

 

     (1) En ouvrant la porte, elle crut que ce vendredi serait semblable aux autres, ni plus gai, ni plus triste ; pourtant, elle ne devait jamais, par la suite, oublier ce jour où se déclencha la machination. Elle se pencha pour ramasser l’hebdomadaire posé en équilibre sur la bouteille de lait, referma la porte et se dirigea vers la cuisine en traînant ses savates.

                          (Catherine Arley, La Femme de paille)

ドアをあけながら、その日が金曜であったことに気づいた。彼女はすべての策謀が始められたこの日を、あとになると決して忘れることができなくなる。しかし、今はそれを知る由もなかった。その日も、ただ、一週間のうちの単なる一日であり、ほかの日よりも悲しくも嬉しくもなかった。彼女は、身をこごめて、牛乳瓶の上に、落ちないようにうまく置いてあった週間新聞をとりあげると、ドアをしめ、スリッパをひっかけ、台所へ入った。           

       (カトリーヌ・アルレー『わらの女』安藤信也訳、創元推理文庫)

 

 最初の elle は訳されていませんが、2つ目以降の elle は全部「彼女」と訳されています。このような翻訳も多いのですが、少し年配のベテラン翻訳家だと次のようになっています。(注2)英語の例ですが事情は同じです。

 

     (2) ‘Unsolved mysteries.’

     Raymond West blew out a cloud of smoke and repeated the words with a kind of deliberate self-conscious pleasure.

   ‘Unsolved mysteries.’

   He looked round him with satisfaction. The room was an old one with broad black beams across the ceiling and it was furnished with good old furniture that belonged to it. Hence Raymond West’s approving glance. By profession he was a writer and he liked the atmosphere to be flawless.

    (Agatha Christie, The Thirteen Problems, “The Tuesday Night Club”)

「迷宮入り事件」  

 レイモンド・ウェストは、タバコの煙をパッと吐きだしてくりかえした。ゆっくり味わいかえしているようなうれしそうな口調だった。 

 「迷宮入り事件」

 レイモンド・ウェストは満足そうに一座を見まわした。古風な部屋だった。天井には太い黒っぽい梁がわたされ、部屋相応にどっしりした古めかしい家具が置かれている。レイモンド・ウェストが好ましげに眺めたのもむりはなかった。レイモンド・ウェストは作家だった。

      (アガサ・クリスティー『火曜クラブ』中村妙子訳、ハヤカワ文庫)

 

 この訳では原文で he となっているところを全部「レイモンド・ウェスト」としています。私もそうなのですが、人によっては人称代名詞の il / elle や  he / she を「彼」「彼女」と訳すことに抵抗を感じます。それはなぜでしょうか。それは日本語の「彼」「彼女」の歴史に由来します。

 古語で「彼」は遠い所にあるものをさす遠称の指示詞でした。「たそがれ」という表現は、元は「誰そ彼」で、「あの人は誰だろう」を意味し、人の顔の見分けがつかない夕暮れをさします。この意味は現代語でも「山の彼方」という言い方に残っています。「彼方」というのは遠い場所という意味ですね。また多くの言語で遠称の指示詞は、話し手も聞き手も知っているものをさします。現代日本語の遠称の指示詞は「あの〜」や「あれ」ですが、部長が部下に「山田君、あの件はどうなった?」と言うときは、「あの件」がさすものは部長さんにも山田君にもわかっているのです。同じように古語の「彼」は共有知識に属するものを指していました。この意味は現代日本語にもかすかに残っていて、次のような場合には「彼」は使えません。(注3)例文の (*)記号は非文法的な文であることを表しています。

 

     (4) Aさん : イタリア語の翻訳ができる人を探しているんだけど、誰か知らない?

           Bさん : 僕の知り合いに澤口さんという人がいて、イタリア語が得意ですよ。

     Aさん : じゃあ、{その人 / *彼}に頼もうかな。

 

 Aさんは澤口さんを知らないので「その人」と言わなくてはならず、「彼」を使うことはできません。このような感覚を今でも持っている人は、小説の翻訳で il / elle を「彼」「彼女」と訳すのに抵抗を覚えるのです。日本語ではフランス語のように同じ単語の繰り返しを嫌わないので、Paulを受ける代名詞 il を「彼」と訳さずに、「ポール」と繰り返すか、もっとよいのは省略することです。

 

     (5) Paul avait sommeil ; il n’avait pas bien dormi la veille.

    ポールは眠かった。昨夜はよく眠れなかったのだ。

 

 そもそも il を「彼」と訳すことができないケースも少なくありません。たとえば先行詞が「神」のときがそうです。

 

     (6) Dieu sait tout. Il connaît non seulement les moindres détails de nos

             vies, mais aussi de celles de tout notre entourage.

   神はすべてをご存知である。神は私たちの暮らしの細かいことのみならず、

   私たちのまわりの人たちの生活の細部までもご存知である。

 

 もし教室で学生が「彼」と訳したら、「君は神様とそんなに親しいのですか」とからかいたくなるところです。「彼」は本来よく知っている人をさすからです。

 次のように先行詞が総称の場合も問題になります。

 

     (7) Tandis que le Français, lui, trouve indigne de porter atteinte à un certain

          équilibre entre le travail et l’oisiveté. Il veut jouir de la vie, fût-ce de la

         façon la plus modeste.

                     (Ernst-Robert Curtius, Essai sur la civilisation en France)

  一方、フランス人は仕事と余暇のあいだのほどよいバランスを壊すのは適切で

  はないと思っている。フランス人はたとえささやかであっても人生を楽しみた

  いのだ。

 

 「彼」は特定の人しかさすことができないので、「フランス人一般」をさす総称の il を「彼」と訳すことはできません。

 次のように先行詞が不定代名詞のときも同様です。もしこの例で il を「彼」と訳したら、それは特定の人をさすことになってしまいます。

 

     (8) Personne ne croit qu’il est malade.

         自分が病気だと思う人は誰もいない。

 

 この例で従属節の il は特定の人をさすのではなく、主語のpersonneのとる値に連動してさすものが変化します。このような代名詞を統語的代名詞 (英 syntactic pronoun)と呼び、先行詞がPaulのように特定の人のとき、それを受ける代名詞 il を語用論的代名詞 (英 pragmatic pronoun) と呼ぶことがあります。(注4)日本語の「彼」は特定の人をさす語用論的代名詞で、統語的代名詞に当たるものはありません。(注5)このようにフランス語の il / elleと日本語の「彼」「彼女」は異なる点が多いのです。                                                                     (この稿次回につづく)

 

(注1)『小学館ロベール仏和大辞典』

(注2)中村妙子さんはC.S.ルイスやアガサ・クリスティーの翻訳で知られる翻訳家である。私はパリで一度お会いしたことがある。

(注3)田窪行則「名詞句のモダリティ」、仁田義雄、益岡隆志編『日本語のモダリティ』(くろしお出版、1989)などに詳しい。

(注4)Bosch, Peter, Agreement and Anaphora. A Study of the Role of Pronouns in Syntax and Discourse, Academic Press, 1983に詳しく論じられている。

(注5)例(8)の訳の「自分」を統語的代名詞とする見方もある。           

第398回 屋良健一郎『KOZA』

やがて扼される誰かへ逆修なしあけもどろ咲く フェンスの向こう

屋良健一郎『KOZA』

 「扼する」はしっかりつかむこと、または押さえつけることを意味する言葉だが、ここでは「扼殺」と同義で使っているのだろう。「逆修ぎゅくしゅ」は仏教用語で、いろいろな意味があるが、ここでは生前に墓石に戒名を刻むこと。その場合は戒名を赤く塗る。「あけもどろ」は沖縄の古謡「おろしろざうし」にある言葉で、日の出の荘厳さを讃えたもの。フェンスは米軍基地に巡らされた金網である。歌意は、米軍のフェンスのかなたに昇る沖縄の朝日の赤色は、いつか扼殺される人の墓石に刻まれた戒名のようだというもの。ほんとうに殺される人というよりは、米軍基地に土地を奪われ、米兵の暴行事件などに苦しむ沖縄県民を象徴的に表現したものと思われる。

 作者の屋良健一郎は1983年生まれ。あとがきによると、高校二年の時に文語旧仮名の短歌を作って楽しさを覚えたが、その後の中断を経て大学二年生の時に俵万智の『サラダ記念日』を読んで本格的に短歌に開眼し、大学で大野道夫の講義を受けていたこともあって「心の花」に入会したという。2005年に第5回心の花賞を受賞。大学院を修了して、故郷の沖縄にある大学で教鞭を執っている。専門は日本史と琉球史で、琉球文学に関する著書もある。『KOZA』は今年 (2025年) 上梓されたばかりの第一歌集。版元はながらみ書房、装幀は間村俊一、帯文は佐佐木幸綱。表紙写真は沖縄市のコザ地区のものだろう。歌集題名がアルファベットになっているのは、この地区を米兵がKOZAと呼んだことに由来する。作者にとって思い出の土地である。小島ゆかり、吉川宏志、穂村弘と、沖縄文学研究者の仲程昌徳が栞文を寄せている。

 歌集題名をKOZAとしたことからもわかるように、屋良は自らのアイデンティティーを深く自覚している。アイデンティティー (identity) というのは米国の心理学者のエリクソンが提唱した概念で、「自己同一性」と訳されることもあるが、要するに「自分が何者であるか」の自覚を意味する。屋良にとってのアイデンティティーとは、沖縄に生を受けたことである。それは次のような歌に色濃く表れている。

夜戸出よとでするわれの額へ母が唾つけてまじなう「あんまーくーとぅー」

大いなる濾過を思いぬ日本とは「わん」が「われ」として歌を詠む国

会うたびに「ロンタイノーシー」と笑みかける祖父母はKOZAの商人なりき

モノクロの写真の街の白き火よ KOZAの暴力しかりにけん

頼まれてカメラを向ける嘉手納基地をバックにピースをするまれびとに

 一首目の「あんまーくーとぅー」はウチナーグチつまり琉球の言葉で、魔物に会わないようにお母さんだけを見ていなさいというまじない。沖縄には神と精霊が生きている。二首目、自分は同郷人と話すときには「わん」という一人称を使うが、短歌を作るときには「われ」という。二重のアイデンティティーを背負っているのだ。三首目の「ロンタイノーシー」は英語の Long time no seeで、「お久しぶりです」という意味。コザの商人は米兵を相手に商売するのでカタコトの英語を話す。四首目は1970年に起きたいわゆるコザ暴動事件を詠んだ歌。五首目の「まれびと」は折口信夫が提唱したもので、異界からの来訪者を意味するが、ここでは本土からの旅行客という意味で使われている。旅行者の脳天気な態度に違和感を感じている。

 沖縄が突きつける現実とは、日本全国にある米軍基地の7割が沖縄に置かれていることから生じる様々な問題である。嘉手納基地の辺野古移設にも反対意見が多いが、基地反対を叫ぶだけでは解決しないことがあるのも事実だ。1983年生まれの屋良は当然ながら沖縄返還以前のアメリカ軍政時代を知らない。そんな自分たちを屋良は次のように詠んでいる。

基地に反対することもせぬこともさびし “Come on”の声に飲み干す

戦後史をぼくは知らないカリカリのタコスの皮が歯茎に刺さる

妄想でロケット花火をゲートへと打ち込む去勢されたぼくらは

誰を許し誰を許さず 戦後民主主義の眼鏡をぼくらはかけて

沖縄の心を持てと諭されて半分開ける助手席の窓

 戦後史をあまりよく知らず、積極的に基地に反対することもない態度を優柔不断と見る向きもあろう。祖父たちの世代から「沖縄の心を持て」と諭されても完全には同意できない。半分開けた車の窓はそのような心情の喩である。吉川は栞文の中で「宙吊り」という言葉を用いている。琉球時代からの沖縄の辿った道を知れば知るほど、単純な賛成反対の立場を取るのが難しくなるということだろう。

 自らのルーツである琉球・沖縄を離れた歌にも魅力的なものが多い。そのひとつはキラキラした青春歌である。

ぬばたまの黒髪に降る花びらをとらんと君に初めてふれつ

さやさやと揺るる若枝になるぼくら午後の陽の差すゼミ教室に

天日たる人のいる夏きらきらの結晶塩の言を尽くさん

池の面にわれを想いてとこしえに君よ水月観音となれ

学究の階に立ち止まる日の踊り場に見る空はろかなり

 四首目の水月観音は、水辺の岩の上に座り、手に瓶と織物を持つ姿で描かれることが多いという。下句は白秋の「雪よ林檎の香のごとく降れ」を思わせる。この池は東大構内にある三四郎池か。五首目の学究の階とは、教室と研究室の並ぶ大学の建物で、空がはるか彼方に見えるのは学問の道は長くて遠いからである。今の若い歌人たちはこういうキラキラの青春歌を作らない傾向が見られるが、青春歌を詠むことができるのは若者の特権だ。

 一読して歌意が取れず、解説が必要な歌もある。

月下そのひとつの呼気に口あつればわれへと易く開く頻婆果

(ウチテシヤ)ハイビスカスと青い海(ヘニコソシナ)めんそーれ沖縄

わわわYわわうとわるさわわぬYわわたつわくるわわさりわY

 一首目の頻婆果ビンバカとは、頻婆(ヤサイカラスウリ)の果実で、鮮紅色であるところから仏や女性の唇の形容に用いられている。つまりこれは月に照らされて女性とキスするという歌なのだ。実に手が込んでいる。二首目の(ウチテシヤ)は先の大戦時の「打ちし止まん」、(ヘニコソシナ)は「天皇の辺にこそ死なめ」というスローガンの一部。青い海が拡がりハイビスカスの花が咲く沖縄が抱える戦争の記憶を詠んだ歌である。三首目はまったく意味がわからないが、仲程が栞文で読み解いてくれている。それによれば「わ」はレンタカーの、Yは駐留米兵・軍属の私用車両のナンバープレートの最初の文字だという。沖縄の道路には観光客のレンタカーと米軍人の車がたくさん走っている様を表す。そして「わ」と「Y」を取り去ると、「うとるさぬ」と「たつくるさり」が残る。これはウチナーグチで「こわい」と「ころされる」という意味だという。こうなるとまるで判じ物のようだ。

死者の影此岸に刻印さるるごと茶色く残る押し葉の跡が

思いきりふくらませたる風船を離せば地上に残るうつそみ

磔刑の魂の行方を思いおれば夜の鳥ふいに木を飛び立ちぬ

ひとはなお天花を待てり果てのある塔を昇降機に運ばれて

鳥居坂の頂にひとつ車消えわが立つ場所を此岸と思う

炭酸のペットボトルを開ける時ホームの列に兆す テロルは

大きピザ持ち上げられてしなだれて具の落ちゆけば 宮森三月

 特に心に残った歌を挙げた。一首目は作者が古書店でアルバイトしていた折の歌。二首目の視点の切り替えがおもしろい。風船を膨らませて空に放つとき〈私〉は地上にいるのだが、下句では視点が風船側に切りかわり、まるで空中から地上を眺めているように描かれている。五首目では坂を上って行く車が坂の頂上で姿が消えることによって、自分がいる坂の下を此岸と感じている。何か自分以外の対象に働きかけることによって人は自己を自覚する。それは自分一人では自分になれないことを意味している。歌もまた然り。五首目の鳥居坂は六本木から麻布十番方面に下がる坂で、途中に東洋英和女学院や国際文化会館がある坂。『タモリのTOKYO坂道美学入門』(講談社)でも紹介されているよい坂である。四首目の「天花」は「てんか」または「てんげ」と読み、雪を意味したり、天界に咲く霊妙な花を意味することもある。前者なら早く雪が降らないかと待っていることになり、後者ならば幻の花を待つことになる。ここは後者と取りたい。読んだ記憶のある歌だと思い、巻末の初出一覧を見たら『本郷短歌』創刊号に出詠された歌だった。そういえばその号を読んだときにこの歌に丸を付けた記憶がある。七首目は、1959年に嘉手納基地所属の米軍戦闘機が宮森小学校付近に墜落し、17名の死者が出た事件を踏まえている。大きなピザは沖縄県民を圧迫する米軍基地の喩。六首目も印象に残る。私はこの歌を、通勤電車を待つ駅のホームで炭酸飲料のペットボトルをプシュッと開けたときに、心にふとテロへの思いが兆したと読んだ。誰の心にも潜在的にテロへと傾斜する可能性があるということか。

 川野里子の対談集『短歌って何?と訊いてみた』(本阿弥書店)を読んでいたら、堀田季何との対談で川野が「短歌では近年若い世代になにか不思議にイノセントな作品が増えている気がします。社会や歴史からはぐれて無垢な『私』なんですよね。」と発言していた。屋良の本歌集はそのような傾向とは真っ向から対立する骨太の歌集である。何より屋良が自分をイノセントだと思っていないところに、本歌集の射程の深さが感じられる。

 

「フランス語100講」第1講 人称 (1)

 フランス語を学び始めると、すぐに動詞の活用が出てきます。動詞の活用語尾は人称と数によってちがうと習います。次は最初に習う第1群規則動詞aimerの直説法現在形の活用です。

                      単数             複数

       1人称    j’aime              nous aimons

       2人称   tu aimes          vous aimez

       3人称   il / elle aime   ils / elles aiment

 でもどうしてフランス語の動詞の語尾は人称と数によって形がちがうのでしょうか。日本語では次のように主語の人称や数によって動詞の形が変わることはありません。

       1人称 私は歩く。

       2人称 君は歩く。

       3人称 田中さんは歩く。

 疑問を抱くのは当然ですが、教室で先生に質問するときっと煙たがられるでしょう。この疑問に答えるのはなかなか難しいからです。

 英語やフランス語やドイツ語などのヨーロッパの言語(まとめてインド・ヨーロッパ語、または印欧語と呼びます)は文法を作る過程で人称という概念を深く組み込みました。それは「誰がするのか」、つまり行為の主体を重んじる考え方があったからだと考えられます。フランスでは、サン・テグジュペリ空港(Aéroport Saint-Exupéry リヨンの旧サトラス空港)とかヴィクトル・ユゴー広場(Place Victor Hugo 全国にあります)のように、公共施設や通りに個人の名前を付けることが多いのですが、これも業績を個人に帰する考え方が根付いているからです。一方、日本ではオリンピックで金メダルを獲ったとき、「支えてくれたスタッフや応援してくれたみなさんのおかげです」などと言って、栄誉を分散し個人が突出することを嫌います。ですから日本では佐藤栄作空港とか、志賀直哉通りのような命名はなじみません。日本語はこのような日本人の心性を反映して、「誰がするのか」をあまり表に出さない文法を作り上げました。日本語に見られるこの「行為主体の背景化」は、これからも「フランス語100講」のあちこちで話題になることと思います。

 人称が1人称・2人称・3人称の3つしかないのはなぜかというのも疑問と言えば疑問です。(注1)この問題を考えると、「人称とは何か」という奥深い問題に突き当たります。ちょっと考えてみましょう。

 まず1人称とは何でしょうか。それは「話している人」です。もしPaul君が « Je mange au resto-U. »「僕は学食で食べるよ」と言ったとしたら、jeはPaul君をさします。2人称は「話しかけられた人」です。Paul君がJeanneさんに « Je t’aime à la folie. » 「僕は君のことが死ぬほど好きなんだ」と言ったとしたら、t’ (te)はJeanneさんをさします。つまりjeとtuが誰をさすかを決めているのは「話す」という行為です。話す行為を言語学では「発話」(énonciation) と呼びます。1人称と2人称はこの発話の場に参加している人をさすのです。

 これにたいして3人称は発話の場の外にいる人・物をさします。

 

       (1) Tu sais que Paul va au Japon ?

   ポールが日本に行くって知ってる?

       — Ah, oui. Il est amoureux d’une Japonaise.

   ああ、あいつ日本女性にお熱なんだよ。

 

 上の会話ではIl (=Paul) はその場にいない人です。その場にいる人をさして il / elleを使うと失礼だとされるのはこのためです。その場にいる人をあたかもいないかのように扱うことになるからです。

 ここから重要な事実を導くことができます。私たちは1人称・2人称・3人称と並べて考えがちですが、{1・2 人称}と{3人称}のあいだには大きな断絶があるのです。両者はまったく異なる原理によって定義されているからです。{1・2 人称}は「発話行為」によって定義されますが、{3人称}はそうではありません。

 このことに改めて私たちに注意を促したのは、フランスの言語学者エミール・バンヴェニスト (Émile Benveniste 1902〜1976) でした。バンヴェニストは次のように書いています。(注2)

「われわれの用語法から人が考えがちなこととは反対に、これらの人称[=1人称、2人称、3人称]は均一なものではない。これがまず初めに明らかにされねばならない点である。(…)人称は《わたし》と《あなた》の立場にのみ本来的なものであるということが結論される。三人称とは、その構造自体によって、動詞屈折の非=人称形なのである」  (「動詞における人称関係の構造」)

「それでは、わたしまたはあなたが指向する《現実》とは何か? それはもっぱら《の現実》なのであるが、これはきわめて特異なものである。わたしは、名詞的記号の場合のように対象の用語ではなく、《話し方 locution》の用語によってしか定義することができない。(…)こうして、代名詞という形の上の類のなかで、《三人称》といわれるものは、その機能と性質から、わたしあなたとは完全に異なったものなのである。」  (「代名詞の性質」)

 上の引用の《の現実》の「話」とは paroleのことですが、発話 (énonciation) と置き換えてもかまいません。locutionも同じものを指しています。要するに、「jeとtuは発話行為によって定義されるが、il / elleはそうではなく、人称と呼ぶのは適切ではない。非=人称 (non- personne)と呼ぶべきだ」ということです。

 ここでひとつの疑問が頭に浮かびます。1・2人称を定義しているのは「発話行為」ですが、もし3人称が発話行為に基づかないならば、3人称を定義しているのは何でしょうか。

 ここでまた新しい用語を導入しましょう。「直示」(deixis)と「照応」(anaphore) です。直示とは、何かを指差して Donnez-moi ça.「これ下さい」と言うときの指示代名詞çaのように、外界にある物を直接にさすことをいいます。これにたいして、Il y a une pomme dans le frigo. Tu peux la manger.「冷蔵庫にリンゴがあるよ。それを食べてもいいよ」と言うとき、人称代名詞の la は前に出てきた une pommeをさしています。これが照応です。直示は目の前にあるものを直接にさし、照応は先行文脈にあるものをさします。イギリスの言語学者ハリディとハサンの書いた本(注3)では、直示は「外界指示」(exophore)、照応は「内部指示」(endophore) とも呼ばれています。直示がさすものは外の世界にあり、照応がさすものは言葉の中にあるからです。

 1・2人称の代名詞は、指差しこそしませんが、発話行為を媒介として話し手・聞き手を直接にさすので直示的です。jeとtuには直示的用法しかありません。ですから「代名詞」(pronom)という呼び方は、ほんとうはふさわしくないのです。「名詞の代わり」に使われるのではないからです。

 一方、3人称は前に一度話題になった単語を受ける照応用法が基本です。これがほんとうの「代名詞」です。

 

       (2) Ce matin, j’ai vu Paul. Il était avec une étudiante italienne.

        今朝、僕はポールに会った。彼はイタリア人の女子学生といっしょだった。

 

 上の例文の Ilは前の文のPaulをさしています。このときPaulを人称代名詞ilの先行詞 (antécédent) といい、Paul → il の指示のバトンタッチを照応過程と呼びます。ここからわかるように、3人称の代名詞 il / elleの指示を定義しているのは、1・2人称のように発話行為ではなく、先行詞を含む先行文脈という言葉の世界なのです。

 これでなぜ3人称の代名詞だけが物もさすことができるのかがわかります。

 

       (3) Voici mon sac ; il est noir. — Voilà ta serviette ; elle est grise.

   ここに私のかばんがあります。それは黒いです。あそこに君の書類

   かばんがあります。それは灰色です。

 

 この例文は、3人称代名詞は物もさすことがあり、先行詞の名詞の性と一致することを示すためのものです。(注4)3人称の代名詞は照応により、先行文脈の名詞を受けるので、もし先行詞が物を表す名詞なら、il / elleも物をさすことができるわけです。

 残る問題は、はたして3人称代名詞は直示的に用いることができるかという疑問です。3人称の il / elleに外界指示用法はあるのでしょうか。この点については文法書にはあまりはっきりと書かれていません。ただし目黒士門『現代フランス語広文典』(白水社)には、3人称代名詞は照応が基本であり先行詞を持つとしたあとで、「ある場面ですでに了解されている人やものを指す」として指呼的用法があると書かれています。次がその例文ですが、どういう場面なのか書かれていないのでよくわかりません。

 

       (4) Elle est très fatiguée.  彼女はたいへん疲れている。

       (5) Il n’a pas tort de se plaindre.  彼が文句を言うのはもっともだ。

 

 留学中にソルボンヌ大学 (Université Paris-Sorbonne)の図書館でコピー機に並んでいた時、私の前でコピーをしていた学生が振り向いて次のように言ったことがあります。

 

       (6) Elle ne marche plus. こいつ故障しちゃったよ。

 

 代名詞のElleが la photocopieuse「コピー機」をさしているのは明らかです。これが目黒先生のご本に書かれていた「ある場面ですでに了解されている人やものを指す」用法ですね。

 しかしここで考えてみましょう。3人称代名詞のelleはその場にあるコピー機を直接さしているのでしょうか。それはありえません。なぜならコピー機に性別はないからです。性別があるのはコピー機ではなく、photocopieuseというフランス語の単語です。ですからelleは口には出されなかったla photocopieuseという先行詞を受けていると考えざるをえません。それらならばこれは直示の用法ではなく、照応の用法ということになるでしょう。

 「真の代名詞には必ず先行詞がある」と強く主張するのはベルギーのアントワープ大学のタスモフスキー教授です。(注5)私はこの考え方に賛成なのですが、ひとつ問題があります。コピー機の話のときに、物には性別はないと書きました。しかしさしているのが人ならどうでしょう。人には性別があります。次のような例がすぐ思いつきます。

 

       (7)[高校の校長室のドアをノックしようとしている人に]

          Vous ne pouvez pas le voir. Il est en vacances.

      彼には会えませんよ。休暇中です。

 

 この場合、隠れた先行詞 le proviseur「校長」があるのだとすることも可能でしょう。しかしタスモフスキーはよく似た例で、もし校長が女性だったら Vous ne pouvez pas la voir. Elle est en vacances.のように、女性形の代名詞 laelleの方が好まれるとしています。この性の一致は先行詞との一致ではなく、代名詞がさしている人の性別との一致です。困ったタスモフスキーは、代名詞がさしているのが人の場合、 [homme] / [femme]という隠れた先行詞があるのだと主張していますが、いかにも苦しい説明ですね。3人称代名詞に直示用法があると認めているのとほとんど同じです。

 「代名詞が先行詞なしで使われたときは必ず人をさす」というのは、これからも何度かお話することになる話題です。目黒先生の文法書の例 (4) (5) がどちらも人をさす例なのは偶然ではないのです。             (この稿次回に続く)

 

(注1)言語学では第4人称という用語が使われることがある。しかしこれは1・2・3人称以外に人称があるということではなく、間接話法の主語の指示にかかわる問題である。次の文で従属節の主語elleは主節の主語のClaireを指す。

   i) Claire a dit qu’elle avait fait ses devoirs. クレールは宿題を済ませたと言った。

 もしクレールがマリーを指して「彼女は宿題を済ませた」と言ったとしても、それを間接話法にしてi)のように言うことはできない。言語によってはクレールとは別の人を指す代名詞があり、それを第4人称ということがある。これは間接話法における話者指示 (logophore) の問題であり、もうひとつ人称があるということではない。

(注2)Problèmes de linguistique générale , Gallimard, 1966、岸本通夫監訳『一般言語学の諸問題』みすず書房、1983.

(注3)M.A.K.Halliday & R. Hasan, Cohesion in English, Longman, 1976, 安藤貞雄訳『テクストはどのように構成されるか – 英語の結束性』ひつじ書房、1997.

(注4)京都大学フランス語教室編『新初等フランス語教本 文法編』白水社.

(注5)Tasmowski-De-Ryck, Liliane et S. Paul Verluyten, “Linguistic control of pronouns”, Journal of Pragmatics 1 (4), 1982 ; Tasmowski, Liliane et S. Paul Verluyten “Control machanisms of anaphora”, Journal of Semantics 4, 1985.

第397回  門脇篤史『自傾』

レジ横に温かきまましづもりてからあげクンは鶏の諡

 門脇篤史『自傾』

 最後の文字「諡」は「おくりな」と読む。天皇・貴人・高僧が亡くなった後に贈られる名前のことで「諡号しごう」とも言う。からあげクンはコンビニLAWSONの人気商品で、レジ横の保温容器に入って売られている。生きているときはおおざっぱに鶏と呼ばれているが、死んで揚げられてからあげクンになる。だからからあげクンは鶏の諡号だというのである。

 まずユーモアがある。ユーモアは短歌の重要な成分だ。次に気づきがある。私たちは何の疑問もなく「からあげクンください」と注文しているが、からあげクンは鶏が屠殺され調理された後に初めて帯びる名である。少し現代文明批判も感じられる。鶏の唐揚げにからあげクンなどという可愛い名を付けて売る大衆消費社会に対してだ。またこの歌を短歌たらしめているのは「しづもりて」だろう。「しづもる」は明治時代に作られた歌語だという。落ち着いて深閑としているさまを言うので、ふつうは神社の境内の森や咲き誇る山桜などに使う。たとえば河野裕子の名高い歌では次のように使われている。

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり

                       『桜花』

 こんな荘重な表現をからあげクンに使うのはいかにも大袈裟だ。しかしこの修辞的選択によって一首は「しづもる」という動詞の共示的意味を帯びることになり、一気に短歌として成立する。作者はこのような言葉の生理を知悉しているのだ。

 作者の門脇は1986年(昭和61年)生まれの歌人で、未来短歌会で大辻隆弘に師事している。2018年に現代短歌社賞を受賞し、翌年第一歌集『微風域』を上梓。同歌集により第26回日本歌人クラブ新人賞と第13回日本一行詩大賞新人賞を受賞。『自傾』は2024年に刊行された第二歌集である。版元は第一歌集と同じく現代短歌社。これまた第一歌集と同じくあとがきがない。したがってどこに発表された歌なのか、またどのように編まれた歌集なのかわからない。作者はあまり自分について語りたくない控え目な性格のようだ。そのことは収録された歌にも見て取れる。歌集の冒頭付近からランダムに引いてみよう。

手のひらを冷やせるのちに銀色のシンクにとよむ水道のみづ

牛乳の白き水面に生るるあわ野田琺瑯のはだへの熱に

人生はとほくに濡れて掌に結ぶ冷めたきみづにのみどを漱ぐ

〈五年後の私〉を語る隣席のをとこに紅きネクタイは垂る

断面にみづはにじみてしろがねの匙もて抉るキウイの果肉

 門脇の歌は新字・旧仮名遣の文語(古語)定型で、字余り・字足らずなどの破調はほとんど見られない。また前衛短歌が駆使した句割れ・句跨がりもない。実に端正な定型歌で、言葉を五・七・五・七・七の韻律に納める技術は同世代の歌人と較べても抜群に高い。

 では歌の題材はどこに求めているかと言えば、そのほとんどが日常の瑣事である。一首目は水道の水の音がシンクに響く、二首目は牛乳を温めたら泡が出た、三首目は手に受けた水を飲んだ、四首目は職場で隣の男が赤いネクタイを締めている、五首目はスプーンでキウイをすくって食べるというただそれだけのことである。僅かに「人生はとほくに濡れて」という句に作者の感慨が滲んでいる。

 短歌の題材を求める場所に近景・中景・遠景という区別がある。近景とは身辺の日常・家族・友人で、中景とはもう少し範囲を広げて職場・地域・サークルなど。そして遠景は作者の手の届かない国家・政治・世界・戦争などである。この区別を援用するならば、門脇の短歌は徹底して近景から素材を得ており、なおかつ〈私〉を語ることが極めて少ない。これがほんとうに「自我の詩」として成立した近代短歌なのだろうかといぶかしく思えるほどである。

 とはいえ次のような歌には門脇の〈私〉が少しだけ顔を出している。

空欄を埋めつつ生きてあと何度聞くのだらうかマズローの説

人生の目標を問ふ質問に良い歌を作りたいとは言へず

昼食にぬるきスープを飲み干せり誰かの生の端役を生きて

文中に滲む怒りを矯めながら光のすじをじつとみてゐる

革靴を明日のために磨くときはつかにくゆる火薬のにほひ

 一首目のマズローはアメリカの心理学者で、五段階の欲求説を唱えたことで知られている。この説は職場研修などでよく使われており、一首目で作者は研修を受けているのである。五首目では明日の出勤のために靴を磨いている作者の心の中には火薬が燻っている。しかしながらどれも抑制の効いた表現となっていて、作者の心情は燠火のように表現されるに留まり、決して爆発することはない。

 ここまで日常の瑣事を素材としながら、どうして門脇の歌が詩として浮揚しているのか。まず気づくのは、門脇の歌のほとんどが俳句で言う「二物仕立」ではなく「一物仕立」だということである。二物仕立は「遺失物係の窓のヒヤシンス」(夏井いつき)のように二つの物の取り合わせからなる句で、一物仕立は「平然と夏蝶前を横切れり」(星野高士)のようにただ一つの物を描く句を言う。門脇の短歌は徹底して一物仕立である。たとえば次の歌では花瓶に活けられた一本のスイートピーのみを描写している。

切り口は花瓶の底に触れてゐてスイートピーのたもつ直線

 だから当然ながら〈景の描写+作者の心情〉が組み合わされた「問と答の合わせ鏡」(永田和宏)にもなっていない。しかし一物仕立だからといって単調かと言えばそんなことはない。それは門脇の歌の多くが〈景の描写+私の発見〉という構造をなしているからである。上に引いた歌の上句は「花の切り口が花瓶の底に触れている」という写生だが、下句は「花瓶に活けられてなおスイートピーの茎は直線を保っている」という作者の発見である。「ゆふぐれを蕨餅屋の灯はともるあをきコンビニ潰えしところ」という歌でも上句は写生で、下句は「そういえばここは以前LAWSONがあった場所だ」という作者の気づきになっている。「問と答の合わせ鏡」で〈私〉の心情が入る場所を、門脇の短歌では〈私〉の発見が占めているのである。

 二物仕立では取り合わされた二つの物の遠すぎず近すぎない関係の妙が俳句の読み所となる。一方、一物仕立ではただ一つの物を凝視して新たな発見を導くことが肝要となる。一つの物を凝視すると焦点が狭い範囲に絞られる。それがまさに門脇の歌に起きていることだ。今まで引いた歌にもそれは十分に読み取れるが、たとえば次の歌を見てみよう。

ひときれの鰤のくぐれるせうゆゆゑ暗き水面は輝きを帯ぶ

 鰤の刺身を小皿に入った醤油につけると、鰤の脂によって醤油の表面が虹色に光る様を詠んだ歌である。鰤の脂で醤油の表面が光ることに気づいたのも発見だが、それ以上に印象的なのは焦点の絞り込みである。この歌では醤油の小皿だけが詠まれている。門脇の歌は焦点の絞り込みがすごくて、描かれた画面がとても狭い。日常の瑣事を詠みながら門脇の短歌がポエジーを帯びるのは、このように一つの物に焦点を絞り込んでそこに〈私〉の気づきが表現されているからである。人も知るように優れた詩は私たちの世界の見方を更新する。

 門脇の短歌のもう一つ注目される特色は、カタカナ名前を詠み込んだ歌にある。

とほき日のわれらの時間を奪ひにしナーシャ・ジベリの奇術羨しゑ

音に触れひかりに触れてルディ・ヴァン・ゲルダーといふ遙かなる射手

終はらざることなどありや永遠に馬群を牽きてサイレンススズカ

父といふはかなき呼称バイアリータークしづかに血を流しけむ

終焉のしづけさのなか外つ国のクリスザブレイヴ生きてゐるべし

 一首目のナーシャ・ジベリは「ファイナル・ファンタジー」の開発に関わった天才プログラマー。二首目のルディ・ヴァン・ゲルダーは多くのジャズの名盤を生み出した録音技師。門脇は競馬が好きなのか、三首目以下は競馬馬の名前である。三首目のサイレンススズカは重賞レースに多く勝利するも、天皇賞で骨折し安楽死の処置を受けた悲劇の馬ということだ。

 カタカナの固有名を歌に詠み込むのはよい点と悪い点がある。よい点の一つは音で、たとえばナーシャ・ジベリとかサイレンススズカは音の連続が美しく、歌の韻律的側面を前面に出す効果がある。またカタカナの固有名には「アブラカダブラ」のように呪文を唱えるような効果もある。悪い点は、あまり知られていない固有名を詠むと、読者の頭は「?」となってしまい理解が停止することだ。しかしネット時代の現代にあってはどんな固有名もたちどころに検索できるので、もはやさしたる問題ではなかろう。

たつたいま使ひきりたるくれなゐの小壜に残る小壜の重さ

ゆふぐれをあんぱん並みて塩漬けのさくらはなびらめり込みてをり

モンブランひかりの中に並み立ちてわづかにちがふ栗のかたちは

いくつもの狭き水面を閉ぢ込めて自動販売機のひかりかそけし

画家の絵は色をかへつつしづやかに死期に向かひて並べられをり

しづやかに氷は水へはつなつのレモンサワーの抜け殻として

くれなゐに色をふされし父の名の夏の素水のしたたるくぼみ

金麦の缶のあをきを圧す指にアルミは影をつくりてゆがむ

 特に心に残った歌を引いた。三首目では、ケーキ屋のショーケースに並ぶモンブランに乗せられた栗の形がわずかずつ異なることに気づくあたりが門脇の独壇場だろう。微差を詠む短歌である。四首目では自販機に入れられた缶飲料の水面という目には見えないものを詠んでいる。「水面」は門脇が特に好む単語らしい。また五首目も読んでハッとする。画家の回顧展では絵が制作年代順に並べられ展示されていることが多い。その順番は見方を変えれば死期へと近づく並びなのである。充実の歌集であり、おそらく世の高い評価を受けることだろう。

 

『フランス語100講』開講のお知らせ

 2025年4月から「橄欖追放」で『フランス語100講』を開講することにしました。

 『フランス文法総まとめ』(白水社、2019年)を書くときに、どのような構成の文法書にするか大いに迷いました。しかし最終的には、読者の使いやすさを考えて、伝統的な品詞別の文法書になりました。第1章「名詞」、第2章「冠詞」、第3章「形容詞」のように、品詞ごとに章を分けて書いてあります。

 しかしこのような品詞別の文法にすると、こぼれ落ちてしまうものがあります。それは品詞が文の中で担う文法機能 (fonction grammaticale) です。文法機能とは、「主語」「直接目的補語」「属詞」「状況補語」など、単語が文の中て担う文法的な役割のことです。一つの文法機能を担うのは一つの品詞とは限りません。ふつうはいくつもの品詞が同じ文法機能を担当しています。たとえば属詞を例に取ると、(1)では名詞が属詞ですが、(2) では形容詞が属詞で、(3)では属詞は前置詞句です。

 (1) Mon oncle est le vice-consul de France à Bagdad.

  私の叔父はバグダッド駐在のフランス副領事だ。

 (2) Cette pièce de théâtre est magnifique.

  この戯曲はすばらしい。 

 (3) Juliette est en colère.

  ジュリエットは怒っている。

 このように「属詞」という文法機能は、いくつもの品詞にまたがっています。このため品詞別の文法書だと、あちこちにばらばらに出て来ることになり、「属詞」というまとまりで書くことができません。

 また名詞や形容詞といった品詞は単語ですから目に見えます。maisonは名詞で、beauは形容詞です。ところが「主語」や「属詞」といった文法機能は、単語が文の中で担う役割なので、目に見えない抽象的な概念です。目に見えないものを基準にして文法を書くのはとても難しいのです。フランス語の世界では、川本茂雄編著『フランス語統辞法』(白水社、1982年)がおそらく唯一の先例ではないでしょうか。

 また『フランス語100講』では、今までのフランス語文法ではあまり重視されなかった観点からフランス語のしくみを考えたいと思います。

 その一つは話し手と聞き手が作る「発話の場」(situation d’énonciation) です。言葉というものは本来、誰かが誰かに向けていつかどこかで話すというものです。ところが今までの文法は、誰が誰に向けて話しても、いつどこで話しても、変わらないような共通部分を抽出しようとしてきました。難しく言うと「指標性」(英 indexicality)の排除です。この結果、文法は無味乾燥な規則の集まりのような観を呈することになります。しかし話し手と聞き手はことばのはたらきに欠かせないものです。話し手と聞き手は、文法のしくみに大きな影響を及ぼしています。

 今まで文法でおろそかになっていたもう一つの観点は談話 (discours) です。談話とは、まとまりのある文の集まりのことです。テクスト (texte)という呼び方もあります。今での文法は、文を中心に据える文・文法(英 sentence grammar / 仏 grammaire de phrase)で、文より大きな談話は原則として扱えません。このため (4) の文でNapoléonを受ける代名詞はilceは使えないことや、(5) のarrivaitという半過去形がなぜここで使われているのかといったことを説明するのがとても苦手でした。

 (4) Napoléon entrait dans la ville. {Il était / *C’était} un vainqueur impitoyable et il voulait que tout le monde le sache. (Coppierters 1975)

 ナポレオンは市内に入城した。{彼は / *それは}情容赦のない勝者であり、みんながそのことを知ることを望んでいた。

 (5) Le train siffla longuement : on arrivait à la gare.

   列車は長々と警笛を鳴らした。駅に到着したのだ。

 このように文と文とにまたがる現象を扱うためには、文より大きな単位を対象とする談話文法(英 discourse grammar / 仏 grammaire de discours)の観点を取り入れることが必要になります。『フランス語100講』ではこの点を重視して、フランス語のしくみをもう一度考えてみたいと思います。

 また国語学・日本語学の成果も取り入れたいと思っています。ふつうフランス語文法を教えるときは、日本語との比較をしません。しかし日本語を話す私たちがフランス語を学ぶと、そのちがいに気づくことがあり、またちがいが学習の障壁となることもあります。『フランス語100講』では積極的に日本語との比較をしたいと思います。

 最後になりますが、私は生成文法や形式意味論のような計算主義的で決定論的な言語観にどうも馴染めないものがあります。それは言語というものは、本来的にひずみや揺らぎや未決定な部分を内包しているもので、確率論的に捉えるほうが適していると思うからです。私たちが発話を解釈するときも、「たぶんこうだろう」と思って相手の言葉を受け取りますが、間違っていることもあり、その修復過程まで含めての言語のしくみだと思います。国立国語研究所の所長をしていた田窪行則さんと、「言語研究には神の視点が必要か」という論争をしたことがあります。私は神の視点ではなく、限られた情報しかもたず、特定の視点からしか出来事を見ることができない人間という立場から言語を眺めてみたいと考えています。そういう考え方もどこかに滲み出るかもしれません。

 ちなみに「100講」の100は厳密な数字ではなく、『豆腐百珍』とか「白髪三千丈」などの数字と同じで、「たくさん」という意味です。本当に連載が100回続くかはわかりません。それより少ないかも知れませんが、それより多くなるかも知れません。また堅苦しい文法の話ばかりでは肩が凝るので、「こぼれ話」も織り交ぜるつもりです。こちらもご期待ください。

 

 

 

第396回 小原奈実『声影記』

あぢさゐの天球暮れて風わたる世のうちそとよ髪ほどきたり

小原奈実『声影記』

 紫陽花は短歌で好まれる素材だ。梅雨の時期に咲く代表的な花であり、土壌のPHによって花の色が変化するところや、球形の花の形といった特徴が好まれる理由だろう。掲出歌では紫陽花の花を天球に喩えている。「天球」「風わたる」「世のうちそと」という言葉の連なりが宇宙規模の空間の広がりを感じさせる。切れ字の助詞「よ」で詠嘆した後に、「髪ほどきたり」という身体的な描写を置くことで、前半の空間の広がりと結句の個人的空間の対比が表現されている。結句だけが日常的な描写で、残りは天空を翔るがごとき高踏的な歌である。この高踏性が小原の短歌の持ち味だ。

 『声影記』は多くの人が待ち望んでいた小原の第一歌集である。平成21年(2009年)の第55回角川短歌賞において「結晶格子」50首で佳作に選ばれたときは弱冠18歳であった。それから16年経過しての第一歌集は遅いデビューと言えるだろう。版元は港の人。社の方針で帯を付けないないので帯文はなく、栞文もなくて、あとがきはわずか8行、プロフィールも2行という素っ気なさである。これほど素っ気ない第一歌集は珍しい。第一歌集はいわば歌人としてのデビュー戦なので、親しい歌人に栞文を依頼し、結社の主宰が解説を寄せることも珍しくない。そういうことを一切しないところに小原の歌人としての矜恃を感じる。「作品がすべて」ということだろう。ちなみに歌集題名の「声影」は声と姿形という意味だという。

 私は第56回角川短歌賞において小原の「あのあたり」50首が次席に選ばれたときに、その短歌の質に喫驚して本コラムで取り上げた。前年の第55回角川短歌賞では「結晶格子」で佳作に選ばれているが、小原自身もこの連作には満足していなかったようで、本歌集では「注がれて細くなる水天空のひかり静かに身をよじりつつ」という歌だけが、「天空」とタイトルを変えて収録されている。ちなみに「あのあたり」は「鳥の影」と改題されて本歌集に収録されているが、数えてみると21首しかないので残りの29首は捨てたのだろう。

 目次を見ると、「蘂と顔」は2012年の「詩客」、「声と水」は『本郷短歌』第2号 (2013)、「時を汲む」は第3号 (2014)、「光の人」は第4号(2015)、「静水」は第5号 (2016)に出詠した連作で、「鳥の宴」は同人誌『穀物』の創刊号(2014)、「野の鳥」は第2号 (2015)、「錫の光」は第3号 (2016) に掲載された連作であることが確認できる。あとがきには2008年から2021年までに製作した304首を収めたとあり、多少の前後はあってもほぼ編年体で編まれた歌集だと思われる。

 とはいうものの捨てられた歌も少なくない。批評する側から言わせていただくと、歌集巻末に初出一覧を付してもらうとありがたい。初出掲載誌に当たって、どの歌を採りどの歌を捨てたかを確認できるからである。また改作の有無も確認できる。初出の形と歌集掲載時の形との異同は作家研究の常道である。どの歌を捨てたか、また歌をどのように書き換えたというところに、作者の隠れた資質を覗うことができるからだ。

 さて、小原の歌の特質はどのあたりにあるのだろうか。歌集の中ほどからランダムに引いてみよう。

ざくろ割れば粒ごとに眼のひらきゆき醒めてかをれる果実のねむり

朴の葉のすみやかに落つみつむれば白くれゆく氷雨の昼を

遠ければひよどりのこゑ借りて呼ぶそらに降らざる雪ふかみゆく

朝の陽は硬く充ちゆき蜘蛛の糸に触れて切らざる指のしじまを

冬鴉空のなかばを曲がりゆきひとときありてとほく来るこゑ

 まず最初に注目されるのは文語(古語)を自在に操る巧みさである。小原の文体の基本は文語・旧仮名遣で、口語(現代文章語)や話し言葉が混じることはまずない。それは文語・旧仮名を詩の言葉と認識し、日常の言葉と厳格に区別しているからだろう。現代の若い歌人が口語や話し言葉で短歌を作るのは、そのほうが自分の気持ちを歌に乗せやすいからだ。今の自分の気持ちを表すには、今の言葉の方が適している。これを逆に考えると、小原が口語を選ばないのは、歌を詠む目的が自分の気持ちを表すことにはないからということになる。短歌を自己表現の手段と見なすか否かによって、決定的なちがいが生ずる。短歌で自分の今の気持ちを表現したい歌人が求めるのは〈共感〉である。「わかる、その気持ち」、「そういうことってあるよね」というボタンを読者に押してほしいのだ。小原はそういう歌人ではない。では〈共感〉を求めない歌人が歌を作るのは何のためか。それは言葉の湧き出す深く暗い泉から言葉を汲み上げ、それを玄妙な順序に配置することによって、見たことのない世界の断片をこの世に生み出すことにある。小原の短歌が高踏的というのは、このように意味合いにおいてである。

 一首ごとに鑑賞すると長くなるので、上に引いた一首目のみ触れる。秋に実り皮がばっくり割れた柘榴の赤い実が割れ目から覗いている。その様を「粒ごとに眼のひらきゆき」と表現するのは、柘榴の実の一粒一粒を眼球に見立てているのである。そうして眠りから覚めることによって、果実は芳醇な香りを放つようになるという。これは写実ではない。柘榴の実の粒は眼球ではなく、果実が目覚めることもなく、香りはすでに漂っているからである。柘榴を写実的に描写することが小原の短歌の眼目ではない。柘榴という素材を弾機として、そこに開かれる思惟によって知的に構築された抽象世界を描き出すことこそが、小原の目的なのではないだろうか。

 歌に詠まれているのが知的構築であることがとりわけよく感じられるのは、三首目・四首目に見られる否定形である。三首目では「そらに降らざる雪ふかみゆく」とあり、雪は降っていないのだから深くなることもないはずだ。しかし「降らざる雪」と否定されたとしても、雪の存在は否定の彼方に揺曳する。四首目の「糸に触れて切らざる指」では、蜘蛛の糸に指が触れても切れることはないのに、否定の向こう側に切れた指の残像がちらつく。そのメカニズムは定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」という歌で、何もない秋の夕暮れの彼方に非在の花と紅葉が現出する様と同じである。小原が駆使しているのはこういう業なのだ。

 小原が得意とするもう一つの業を見てみよう。

切り終へて包丁の刃の水平を見る眼の薄き水なみだちぬ

枝ながら傷みゆくはくもくれんの花に花弁のかげ映りゆく

身にかろくかかりそめたる夕闇のほつるがごとく黒揚羽ゆく

脚ほそく触れたるおもてせきれいの重量ほどに砂緊りたり

空のくち享けたるごとき水紋のひらきつつゆくひとつあめんぼ

 一首目は第56回角川短歌賞の評でも触れた歌で、私はこの歌に接した時に文字通り驚愕した。包丁の刃を水平にして見たとき、眼の角膜の表面をわずかに覆う涙が波立つというのである。そんなことありえないし、もしあったとしても見えるはずがない。二首目では花に花弁の影がさし、三首目では揚羽蝶の飛ぶ様が夕闇がほつれるようだと言い、四首目ではセキレイが舞い降りた地面の砂がわずかにへこみ、五首目ではアメンボの脚が作る小さな水紋が、天空と対峙するかのごとき大きさに描かれている。セキレイが砂の上に降り立つと、確かに理論上はセキレイの体重分だけ砂はへこむだろう。しかし小鳥は軽いのでそのへこみは感じられないほどわずかのはずだ。だからこれらの歌が描いているのは、まるで写実のような衣裳をまとった虚構である。それを「幻視」と呼びたい誘惑にかられるが、小原の資質はそれとはやや異なる。これはいったん要素にまで分解してから、知的に再構築され直した世界なのだ。小原のたぐい稀な資質は「世界を微分するまなざし」だと言えるだろう。

 したがって、小原が作り出す歌は自分の気持ちを伝える歌ではない。そのような意味での「自分の気持ち」などというものは、どこを探しても見当たらない。小原の歌の中には近現代短歌が前提とする一回性の〈私〉の表現はない。それに代わってこれらの歌の背後に感じられるのは、世界を分解したのちに再構築するメタ的な〈私〉の存在である。そのような文脈で考えると、小原の短歌は近現代短歌よりも王朝時代の古典和歌の世界により近いと見ることもできるだろう。かつて佐佐木幸綱は、古典和歌の特徴は「抽象性」「観念性」「普遍性」にあるとしたが、小原の歌はここからそう遠くない場所で紡がれているように思う。

 医学生の日常に想を得た歌や、「きみ」が登場する数少ない歌や、小原の歌の「くびれ」のなさや、鳥への偏愛振りなどまだ論じたいことはたくさんあるが、そんなことをしていたら止めどなく長くなるので、山のような付箋の付いた中からいくつか引いて稿を閉じることにしよう。

梅雨の日を濡れざるままの木陰にてこの世の時の過ぎなづみをり

雲の上の空深くあるゆふぐれにひとはみづからの時を汲む井戸

梨裂きて梨のかたちの刃の痕を空ひろき日の昼餉となせり

みひらけどみえぬさくらよちりゆけば息つまるまでけはひみつるを

きぬのごとく骨のごとくにひらきたるからすうりこの紺のゆふべを

 『現代短歌』86号(2021)の特集「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」において、川野芽生はもっとも影響を受けた一首に小原の歌を選び、かつて本郷短歌会の歌会で自分の歌には一票も入らず、小原の歌がトップ票だったことを回想し、もしそんなことがなければ自分はこれほどまでに短歌にのめり込むことはなかっただろうと述懐している。そんな小原の待望の第一歌集である。必ずや世の高い評価を受けることだろう。


 

第395回 本多稜『時剋』

くれなゐの薔薇の一輪胃の底に咲かせたるわが戒めの神

本多稜『時剋』

 掲出歌は歌集の巻頭歌で、「二〇二二年八月二日 健康保険組合診療所」という詞書がある。あとがきによれば、医師からの呼び出しを受けて胃カメラ検査をしたところ、胃の底に咲きかけの薔薇のような腫瘍が発見されたという。著者の長く辛い闘病生活の始まりである。臓器の病変を花に喩えるのは、「肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は」という岡井隆の先例がある。本多の脳裡にもこの歌が揺曳したことだろう。若い人のために付け加えておくと、岡井の歌に詠まれているのは肺尖カタルといい、結核の初期症状の古い呼び名である。岡井は結核の専門医だった。結核は当時は難病だったので、告げる言葉がたわむのである。

 本多稜は短歌人会所属の歌人。『こどもたんか』(2012)を勘定に入れなければ、『時剋』は第五歌集にあたる。歌集題名の「時剋」は「時刻」の表記がふつうで、流れてゆく時の一瞬を意味する。病を得た著者には一瞬一瞬の時間がかけがえのないものだという思いから付けられた題名だろう。本多の歌集では、第一歌集『蒼の重力』と第三歌集『惑』を本コラムで取り上げている。東直子が寄せた帯文に、「一冊の歌集を、こんなに息を飲むように一気に読んだのは初めてだった」とあり、確かに息詰まるような闘病歌集である。

 世界を股に掛けるビジネスシーンの最前線で働き、スキューバダイビングをするかと思えばボルネオで登山するという行動派の歌人が、まさか壮年で発病するとは夢にも思っていなかっただろう。あとがきによれば、他の臓器への浸潤が見られたため、外科手術により胃を全摘し、膵臓と脾臓の一部も切除したという。癌治療の用語で浸潤とは、原発巣の周囲の臓器に癌が拡がることをいい、血流などによって離れた臓器に発生する転移とは区別される。本歌集は編年体で編まれた闘病記である。引用では省くが、多くの歌に日付が付されており、時間が重要な要素になっている。 

ほんたうに胃の腑切られてしまふのか夏季限定のメニューを頼む

ひたに死に向かふ細胞身の内にあれどなずきはなんにも出来ず

聞きたくても聞けず言ひたくても言へず未だリンパ腫か癌かわからず

好きなことを好きなだけやつてきたんだろ アスファルトに転がるアブラゼミ

玉子焼き鮭の塩焼き白ごはん何といふ明るさよ入院の朝

 術前に詠まれた歌である。病気に罹患した人はなべて、「よりによってなぜ私が?」という疑問に捕らわれて混乱する。心はあっちへこっちへと揺れ動く。三首目にあるように、検査では癌の種類が特定できず、術後の病理検査によって末梢性T細胞リンパ腫という血液の癌であることが判明したという。癌と診断された人は、四首目のように半ば自暴自棄に陥ることもあるだろう。知り合いの医者から聞いた話では、癌と告げた途端、病院から逃げ出す患者もいるそうだ。現実を受け止めきれないのだ。やがて五首目のように入院し手術を受けることとなる。

海溝の闇の深みに降りにしかおぼろげながら麻酔より醒む

辛うじて点滴棒にしがみつき砂浜這ひて行く海亀よ

生きることそのものを生きる目標にせざるを得ぬのかと思ふまで

洗面台が今はゴールぞ肉落ちて点滴棒に縋りて進む

つぶし粥にかき玉汁をいただきぬ胃を取りしより四日目にて

 臓器を摘出された身体は筋肉が衰えて体を支えることができなくなり、点滴のスタンドを頼ってかろうじて移動する有様である。五首目は術後ずっと点滴で命を長らえていた著者が初めて口にする食事の歌。さぞかし身体に染み渡ったことだろう。

熟したる桃の繊維を押しつぶす舌のよろこび病みて知りたり

葉月とはかういうことか伸び上がり夏のみどりが夏空を吸ふ

健常を捨てし身体は死ぬるまで一日ひと日を花と思へよ

噛みつぶす固形物蕪のそぼろあん進化遂げたるごとき心地ぞ

白粥とともにしみじみ箸に分け歯にほぐしゆく鰈の煮付

 一首目と二首目は術前の歌。人は病を得て初めて健常の尊さを知り、命の横溢する夏の自然に深く感じ入る。術後の歌に四首目や五首目のような食べ物の歌が多いのは、長らく口からの食事を断たれていたからで、味わって口から食事ができることの有り難さが溢れている。

 癌の外科手術を受けた後には、必ず抗癌剤の投与が行われる。乳癌などではこれに放射線照射が加わる。このセットが現在の標準治療である。抗癌剤は活発に細胞分裂している部位に作用するので、毛根・爪の付け根・腸粘膜・骨髄の造血細胞などが攻撃され、脱毛・爪の黒ずみ・吐き気・白血球の減少・貧血などの副作用が現れる。しかし近年優れた吐き気止めが開発されたり、副作用を抑える薬ができて、ずいぶん症状は軽減されているようだ。次の歌のように薬品名が詠み込まれると、まるで古代宗教の呪文のような効果すら感じられる。実際に患者には効果がわからないので、呪文と変わらない。術後に長い治療期間が続くのが癌の苦しいところだ。 

吐き気止めグラニセトロン静脈に入りぬCHOPの前哨として

オンコビンその冷たさに驚きぬCHOP先鋒血に混ざりゆく

狂ひたりわが細胞へ点滴のエンドキサンの祖は糜爛剤

 驚くのは作者の術後の体力の回復ぶりである。次に引いた一首目には「十一月二十七日 三鷹市民駅伝」、二首目には「三月十九日 板橋Cityマラソン」、三首目には「七月二十八日 奥秩父縦走」という日付と詞書が添えられている。

腹ひらきし日より七十四日経ちなんだかんだと駅伝も終ふ

三〇kmを過ぎたる辺りへとへとを抜いてにこやかなるに抜かれつ

水音の束を掴んで渡渉せり雨を含める道につづきぬ

 もちろん本人のたゆまぬ努力もあるのだろうが、さすがに世界中を飛び回るビジネスパーソンにして体力自慢のスポーツパーソンだけあって、駅伝やマラソンに出場して完走し、山岳を縦走するという猛者ぶりである。

 本歌集はすでに述べたように闘病の記録である。古典和歌とは異なり、近代短歌の時代を迎えてから生老病死、つまり生きてやがて老い、病に罹って死を迎えるという人生のひとつひとつの局面が短歌の重要な主題となった。主題性は近現代短歌の大きな特徴である。なかでも病は短歌において大きな位置を占める主題である。病と聞いてすぐに頭に浮かぶのは小中英之だろう。

昼顔のかなたえつつ神神の領たりし日といづれかぐはし

                   『わがからんどりえ』

黄昏にふるるがごとく鱗翅目りんしもくただよひゆけり死は近からむ

今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅

                       『翼鏡』

 一首目の歌集題名の「からんどりえ」(calendrier)はフランス語でカレンダーのこと。宿痾を抱えた小中が自らの死を見つめる視線は透明にして清澄で、唯一無二の境地に達している。絶唱の名にふさわしかろう。

 『時剋』は闘病記であり、作者はこのような形で歌を残しておくことに一定の意義を見出したからこその出版だろう。病と闘う歌の真実性が読む人の心に迫って来るのはもちろんなのだが、私は歌集のをちこちに挟み込まれている次のような写実の歌に特に心惹かれるのである。 

われが問ひ父が答ふるまでの間をゆたかに草の虫たち鳴けり

ひつじつかみ田から剥がせば針金のごとき稲の根陽に輝けり

大麦は列を崩さず芽を出しぬ畝踏みし子の足跡からも

咲きながら乾びし冬のくれなゐの薔薇を撫でつつ日の落ちゆけり

沖に向かひヒルギの大群駆け出せり引き潮なればその脚あら

 二首目の「穭」とは、刈り取った残り株からまた生えて来た稲のこと。闘病歌は自分の病状を詠むためにどうしても説明的になりがちで、それはやむを得ないことである。しかし病を離れて身辺や自然を詠んだ歌には的確な写実があり、また著者ならではの力強さもある。このような歌がまるで長い旅路の里程標のごとく歌集の随所に打ち込まれていることに心打たれるものがある。

 本多が作歌に託す思いは次のような歌によく表れている。 

一首作りわが細胞を一つ増やすがんに取られたら取り返すべく

歌かつて翼なす羽根なりにしを今は張るべき根としてわれに

 「文学は人を救うか」というのは答えるのが難しい問題である。その答はひとまず措いて、短歌が作者にとって杖となり道標となっていることはまちがいない。

 作者が歌集題名の「時剋」に寄せる思いは次の歌が雄弁に語っている。 

止まらせるなよ終点を思ふなら手繰り寄せよ溢れさせよ時間を 

 薬石の効あらたかなるを願い本復を祈るばかりである。


 

第394回 井上法子『すべてのひかりのために』

ひまわ  言い止したままゆっくりとあなたは蝶の影を追い越す

井上法子『すべてのひかりのために』

 2013年の第56回短歌研究新人賞で次席となり、第一歌集『永遠でないほうの火』(2016年)で鮮烈なデビューを果たした井上の第二歌集である。版元は第一歌集と同じ書肆侃侃房。反転文字と花弁を配した白い表紙が瀟洒で美しい。小野正嗣が帯文を寄せており、あとがきによれば井上の恩師だそうだ。小野は仏文学者で、NHKのEテレの日曜美術館のキャスターを務めていたので顔を知る人も多いだろう。井上は東京大学大学院総合文化研究科の博士課程で学んでいるが、小野が恩師ということは専攻はフランス文学なのだろうか。もしそうだとしたら同業者ということになり、仏文歌人には菅原(安田)百合絵という先達がいる。詩人の石松佳と歌人の服部真里子が栞文を寄せている。いずれもなかなかの力作で、特に服部の文章は井上の短歌世界を理解する指針となりそうだ。

 『永遠でないほうの火』の評で私は、井上は詩の技法で短歌を作っているという趣旨のことを書いた。その印象は第二歌集でも変わらない。現代の若手歌人の中で井上は最も詩の領土に近い人だと思う。本歌集を一読した印象では、その度合いは第一歌集と較べてさらに増している印象を受ける。

もう一度きり瞬いて花びらを、せめて香りを抱きとめて ゆけ

ふりかえれば薔薇の園ごと消えていて、ひかりのなかに立ち尽くす風

そこが海だと匂いでわかるくるしさを ふるさともふるきずもかみひとえ

ほら、ぼくら無傷でやる瀬ないけれど…ほら。めいっぱい咲けば此岸を

だからこそ教えてくれるこの生を綴じられるのは物語イストワール 、と

 五首目のイストワールはフランス語のhistoireで、「歴史」と「物語」のふたつの意味がある。英語では historyとstoryに分かれたがもともとは同じ単語である。

 こういう短歌を目の前にして、どのように読めばよいのかとまどう人もいるだろう。近代短歌の作法とはずいぶんちがう作り方をしているからだ。近代短歌の王道は生活実感に根ざした写実である。

缶ピース長髪下駄履き思草寮まだ何者でもなかった私

       篠原俊則 朝日歌壇 2022年8月14日

 思草寮とは愛知大学の昔の学生寮らしい。かまやつひろしの「我が良き友よ」を彷彿とさせる弊衣破帽の青春で、歌の主な感情は懐旧の念だ。この歌は人生の一時期を描いていて、「人生派」もしくは「生活派」短歌のひとつの典型である。私たちは人生を生きる間にさまざまな喜びや悲しみや悔しさを味わう。それを短歌という形式を通して表現し昇華する。それは文学の果たす大きな役割である。

 しかし別の道を辿って短歌に出会うこともある。それは言葉自体が発する磁力に感応するという道である。それはたとえば次のような歌を読むときに誰しもが襲われる印象ではないか。

硝子街に睫毛睫毛のまばたけりこのままにして霜は降りこよ 浜田到

 具体的な場面や歌の意味は十分にわからないままに、一首が硬質の光を帯びて輝いているように感じられる。そのような印象はどこから来るのだろうか。

 言語の大きな役割は意味の切り分けと伝達である。切り分けはちょっと横に置いておいて、意味の伝達に着目する。言語の役割が相手に何かを伝えることにあるというのはまず確かなことだろう。伝達機能の典型は新聞の言葉である。新聞の言葉は情報を正確に読者に伝えるべく磨かれている。無駄な言葉はそこに入る余地はない。しかし言葉の機能はそれに留まるものではない。

 フランスの詩人・評論家のポール・ヴァレリーの「詩と抽象的思考」という作品は、詩の発生を論じた文章としてよく知られている。ヴァレリーはその中で次のように述べている。煙草を吸おうとしたがマッチがない。近くにいる人に Avez-vous du feu ?「火をお持ちですか」とたずねる。相手は私に火をくれる。私が発したAvez-vous du feu ?という言葉の役割はそこで終わる。意味の伝達が達成されたからだ。しかし私の言葉はそこで終わらず、まだ生き延びたいと願う。私もその言葉を何度も繰り返して聴きたいと望む。意味が終わったところに生じる言葉のもう一つの生、それが詩だとヴァレリーは言う。

 意味が終わった言葉に何が残るのか。ひとつは音、つまりリズムや韻律である。Intel inside.というCMは頭韻を踏み、その日本語版の「インテル、入ってる」は脚韻を踏んでいる。しかしそれだけではない。単語が発散するイメージや、他の言葉と親和性のある結びつきや,硬い単語やくだけた単語といった語感や、共感覚など、狭義の意味に回収されないものは他にもある。このような要素が複雑に絡み合って言葉の持つ磁場が生まれる。それを重んじるのが「コトバ派」の歌人である。井上は穂村弘を通して塚本邦雄の短歌を知ったという。塚本はコトバ派歌人の典型だ。井上の短歌はこのような背景のもとに読むのがよいと思われる。

 では上に引いた一首目の「もう一度きり瞬いて花びらを、せめて香りを抱きとめて ゆけ」をどう読むのか。「もう一度きり」という表現から何かの終わりが連想される。終焉を迎える何かがあるのだ。「瞬く」は人が目をぱちぱちすることか、星などがチカチカ光ることをいうが、ここには意味の未決定性があり、どちらか決めることができない。この浮遊感が嫌いだという人にはこういう歌は楽しめないだろう。「花びらを」は言いさしで止められており、花びらをどうするのかが明かされていない。ここにも未決定がある。「せめて」には何かの断念があり、「香りを抱きとめて」には相手に対する強い思いがある。そして一字空けの後で「ゆけ」の強い命令が何かを断ち切る意志を表す。終焉と断念と決意の渦巻く何かの物語が歌の背後に感じられ、すべてが過ぎ去った後に薔薇のほのかな香りだけが漂っている。そんな読み方はどうだろうか。

 本歌集でもうひとつ注目されるのは、言葉遊び的要素である。

さみどりにさやぐさざなみ 風は火を 火は運命をおそれず生きて

うつくしい海辺をもって生まれればうたげのごとく天涯孤独 

 一首目では「さみどり」「さやぐ」「さざなみ」とサ音の頭韻があり、二首目では「うつくしい」「海辺」「生まれれば」のウ音の頭韻と、「ごとく」「こどく」の類似音がある。このような歌は言葉が言葉を引き寄せることによって生まれる。このような技法は掛詞や序詞と同じく近代短歌が排除しようとしたもので、このあたりにも井上のコトバ派歌人の志向性が感じられる。

 2022年9月7日付けの東大新聞オンラインにかなり長い井上のインタビューが掲載されていて興味深い。その中で井上は何度も、私が言葉で世界を表現するのではなく、私は世界から言葉をもらう、私は仲介者にすぎないと述べている。また井上はかねてより、言葉だけの透明な存在になりたいとも言っている。井上の短歌において〈私〉の占める場所が極小なのはそのような理由によるのである。余談だが、「煮えたぎる鍋を見すえてだいじょうぶこれは永遠でないほうの火」という第一歌集のタイトルともなった歌が、IHコンロでおでんを煮ているときに吹きこぼれて、自動的にスイッチが切れたのを見て生まれた歌だというのはおもしろかった。

夜ごとひとつの詩を泡立たせしののめに届くひかりを。向こう岸まで。

眼裏まなうらにつきのひかりをたたえつつ夢のころもを着るわたしたち

いつかこの世を振り切るために書きのこすぼくらは星の面影を 死を。

立ち葵 希死はときおりきらめいてことばこぼれるまえのからだは

ゆめに ときに 銀の雨ふるなかをおもかげは影になる幾たびも

撫でられたあとかもしれずさざなみのきらめく模様すべからく、みな

はつなつの破れてひらく花の火の まだ末葉を知らないままの

 とりわけ美しく感じた歌を引いた。比較的意味が取れる歌も、そうでない歌もある。最後の歌の「末葉」は「すえば」とも「うらば」とも読むようだが、音数からして「まつよう」と読むのだろう。「すえば」は草木の茎の先のほうにある葉をさすが、「まつよう」は子孫の意のようだ。「はつなつの破れてひらく花の火の」は序詞のように置かれている。

 あとがきで井上は、「非人称の世界で育まれる読みの豊かさを、ことばの可能性を、わたしは信じています」と述べている。「非人称の世界」とは、この世に生きる生身の〈私〉を離れた世界ということだろう。「非人称」に遠くモーリス・ブランショ (Maurice Blanchot) の影を感じるのは私だけだろうか。

 

第393回 藪内亮輔『心臓の風化』

くちづけのたびに朽ちゆく遠い木をもついつからか死よりも遠く

藪内亮輔『心臓の風化』 

 昨年(2024年)八月に書肆侃侃房から上梓された著者第二歌集である。藪内の紹介はもはや必要ないと思うが、京大短歌会・塔短歌会に所属し、2012年に「花と雨」で満票を獲得して角川短歌賞を受賞。第一歌集『海蛇と珊瑚』(2018年)で現代歌人集会賞を受賞。2020年から角川短歌賞の選考委員を務めている。

 藪内の短歌を批評したもののなかでは、瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』(左右社、2021年)が抜群におもしろい。瀬戸によれば、藪内は並み居る年長歌人を唸らせる優等生としてデビューしたが、そのうち岡井隆の作風を丸バクリと見紛うほどに模倣した短歌を作り始めたという。

詩は遊び? いやいや違ふ、かといつて夕焼けは美しいだけぢやあ駄目だ

アルティメットチャラ男つて感じのきみだからヘイきみのなかのきみだらけヘイ

 「花と雨」路線を期待していた大人たちは失望したかもしれないが、極度に素直なのが藪内の美質だと瀬戸は言う。藪内は岡井の影響をたっぷり浴びた後に、元の基本路線に戻ったようだ。

 そこで本書である。版元の書肆侃侃房も本歌集を出版するに当たって、いささかの勇気が必要だったろう。本書には死が充満しているからだ。死が充満した書物は危険物である。詞書風の短い散文が添えられた第1部のWeatheringは、おそらくロシアによるウクライナ侵攻を機に作られたものだろう。ちなみにweatheringは英語で「風化」を意味する。

冬雨は靴を濡らしき みづからの骨ほどの本抱えてゆけば

凄惨な晩餐われら屍体のみ皿にならべてその皿の白

懐王は雲雨うんうと夢に契りたり淋しきぬかをゆめにあはせて

人類は原爆の花植ゑむとす撃つがはからはすべてが供花くげ

あなたは燃えて夕暮れしいす一本の桜、劫初ごうしょゆここでひとりで

 一読して意味の取りにくい歌もある。こういう歌を読むときは、選ばれた難しい単語が誘発するイメージと、そのイメージ同士が衝突して飛び散る火花を心に感じるのがよい。一首目はわかる。冬の雨に濡れながら、本を小脇に抱えて歩いている。それが字面の意味だ。しかし「みづからの骨ほどの」という喩の不穏さによって、場面は暗い方へと暗転する。二首目は家庭の夕食の場面だ。皿に盛られた肉も魚も見方を変えれば死体である。この歌の遠くには「夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして」という小池光の歌が響いている。私たちの生の不穏さを差し出す歌である。三首目の懐王は中国の楚の時代の王で、暗愚の王として知られている。朝は雲に夕には雨になる女性と夢の中で契ったという故事から、雲雨は男女の情交を意味するという。王の夢の儚さに心を寄せている。四首目の「原爆の花を植ゑむとす」は多少わかりにくいが、「原爆の花」はキノコ雲の喩で、「原爆の花を植えようとする」は原爆を落とそうとするという意味だろう。供花は仏前・霊前に供える花だから、全体として恐ろしい皮肉になっている。ここには核兵器の使用も辞さないことを匂わせたロシアのプーチン大統領の影が揺曳している。五首目の「弑す」は、臣下が君主を殺したり、子が親を殺したりすることを意味する。「劫初」はこの世の始まりのこと。読み下すと「あなたは一本の桜で、この世の初めからここに一人で立っており、夕暮になると燃え上がって誰か目上の人を殺す」というくらいの意味か。しかし意味だけ取っても興ざめだ。小高い岡に立つ樹齢百年を超す一本桜が満開を迎え、夕映えに燃え上がるように光っている光景を脳裡に思い浮かべるのがよろしかろう。

位置について よーい終はりのわたしたち とてもきれいなだけの夕暮れ

ぬひぐるみ身体全体縫はれをり縫はれねばならずまづ虚無を抱き

安置所モルグから引き出してくる自転車は骨ばかりにて矢鱈と光る

窓のの雨もやつれてくるころに死は訪れて身をかたうせむ

飛ぶ鳥は自らを打つ雨音をのみ聴くだらう死へ墜ちるまで

 かなり危険物の歌を引いた。一首目は私たちの生の短さを詠んだ歌で、生を徒競走に喩えている。それはいわば「位置について、用意」の次に「ドン」と言う前に終わるほどの短さということだろう。二首目、縫いぐるみは全身を針で縫われているが、その中心には虚無があるという。三首目の死体安置所は自転車置き場の喩だろう。自転車の骨は車輪のスポークのこと。四首目を読むとどうしても岡井隆の「生きがたき此ののはてに桃ゑて死もかうせむそのはなざかり」という歌を思い浮かべてしまう。このあたりには岡井の影響が色濃く感じられる。五首目は鳥の歌で、鳥は歌人に好まれる素材だ。この歌にも死が暗い影を落としている。

 かと思えば次のような美しい歌もある。

ひとびとは傘をわづかに傾けて咲かせてゆきぬ淡い雨へと

なみだまで届かなかつた表情で服にほの光る冬の釦を

刮目せよ一縷のたましひ草花はそれぞれの燃える生を俯き

秋昏れて訣れむとする胸と胸その断崖へ紅葉ちりやまぬ

この世には花を拾へばつめたさに雨を思へるゆびさきがある

未だなき季節のもとへ雨よゆけ足には薄きさくらばなしき

 これらの歌は「花と雨」路線そのもので、一読してうっとりするほどの美しさだ。しかしこのような歌ばかりで歌集を編むことができなかった理由はあとがきが明かしている。それによると藪内は高校生の頃からタナトフォビア(死恐怖症)に苛まれているという。やがて訪れる死とともに世界が消滅する恐怖に居ても立っても居られなくなる強迫神経症の一種である。

 確かに死は恐ろしい。深夜に目覚めて死の思いに取り憑かれる人は少なくなかろう。死の恐怖にどう対処するか。死の向こうにもう一つの生を信じる宗教を持っていればよいのだが、そうではない人のために腹案がふたつある。

 ひとつは物理学の質量保存則に訴える方法である。質量保存則とは、燃焼などの化学反応の前後で物質の総重量が変わらないという法則である。その理由は原子は不変だからだ(ただし、ウラニウムのように原子量が大きく自然崩壊する元素は除く)。私が死んで火葬に付されたとして、身体の70%を占める水は水蒸気となり、他の炭素や水素や窒素なども空気中に蒸散する。残った骨の主成分は炭酸カルシウム (CaCO3)である。それらの総量を加算すると生前の私の体重と一致する。空中に飛散した分子はやがて雨となり地上や海中に落下する。そして植物や動物に吸収されて他の生物の一部となる。私を構成する原子はひとつも失われることなくただ形を変えるだけだ。道端に咲いているタンポポの中に元は私の身体の一部だった原子があると想像すると楽しいではないか。

 もうひとつは生物学を援用するやり方だ。ペットとして人気があるハムスターの寿命は約2年と短い。それは個体を早く成熟させるためで、ハムスターは生後6ヶ月で出産可能になる。寿命を短くして子孫を多く残すという戦略を採用したのだ。種の繁栄のためには個体の早い死が必要とされる。死は生の一部としてあらかじめ組み込まれているのだ。それが生きるということの有り様である。

 私たちの身体を構成する細胞は常時分裂している。細胞分裂が早いのは、毛髪・爪・口内などの粘膜・腸壁などで、口の中にできた傷の治癒が早いのはこのためだ。骨も7年くらいで細胞が入れ替わっているそうだ。しかし細胞は無限に分裂することができない。細胞にはテロメアという回数券のようなものがあり、その回数券を使い切ってしまうとそれ以上分裂できなくなり、やがてアポトーシスを迎える。テロメアがあるのはおそらくDNAのコピーミスの蓄積を防ぐためだろう。このように生命の中には死がプログラミングされている。

 そのことをよく示す言葉を残したのが浄土真宗の宗教者である清沢満之きよさわまんし (1863〜1903)である。清沢は真宗大学(現在の大谷大学)の初代総長を務めた人だが、若い頃に当時は不治の病だった結核にかかり、死の恐怖と戦ううちに次のような思いに至ったという。曰く「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。」

 死が意味を持つためには、〈私〉を超えるものの存在を認めなくてはならないようだ。宗教ではそれは神であり来世で、物理学や生物学では自然を統べる大いなる原理である。そのことは短歌についても形を変えて当てはまるかもしれない。〈私〉を超えるものに向かって呼びかけるとき、短歌は大きな力を持つように思えるからである。