魚を呑みのみていのちの深まれる
黒鵜の胸が闇を動かしむ
松平盟子『青夜』
黒鵜の胸が闇を動かしむ
松平盟子『青夜』
長良川での鵜飼いの情景を詠んだ歌である。短歌の定石どおり、「呑み」「のみて」と漢字と仮名で書き分けられているこの動詞は、単なる同一語句の反復だろうか。いやそうではあるまい。初句「魚を呑み」は眼前の事実の冷静な観察である。しかしそれを受けて続く「のみていのちの深まれる」はもはや観察ではなく、眼前の事実に触発された〈私〉の想いである。四句・五句の「黒鵜の胸が闇を動かしむ」も写実ではなく、「魚を呑み込んで、魚の死の分だけ命の深まった鵜が、まるで闇を動かしているように見える」と読むべきで、これも〈私〉の想いのフィルターがかかっている。だから「呑み」「のみて」の同じ動詞の反復は、31文字という限られた空間で文学しなくてはならない短歌形式から見て、反復による無駄であるどころか、「事実」と「想念」、「世界」と〈私〉のあいだを巧みに架橋しつつ、一首のなかに世界と〈私〉を一期の相関関係において、すなわち〈意味の一回性〉において定着することに貢献している。技巧の冴える歌と言えよう。
松平盟子は1954年(昭和29年)生まれで、1977年に角川短歌賞を若干23歳で受賞して彗星のごとく短歌界にデビューした。当時1年目の新米国語教師で、作歌歴わずか1年ということも話題となった。なにしろサラダ現象の10年も前のことである。そのころは若い女性が短歌を作るのは珍しく、また次のように性愛を詠った官能性の濃い歌も交じっていたため、そのことも話題になったようだ。
君の髪に十指差しこみ引きよせる時雨の音の束のごときを
汝が肩を咬みて真朱(まあか)き三日月を残せし日より夏はじまりき
むねとむね二条のくらき海溝をのぞかぬやうに重ねあふなり
オジサンたちはびっくりしたというわけだ。
「コスモス」を経て、歌誌「プチ★モンド」を主宰。80年代のなかばから記号短歌は大流行したが、結社名や歌誌名に記号が入っているのは他にはあるまい。黛まどかの句誌「東京ヘップパーン」と双璧をなすオシャレさである。確かに松平の短歌には銀座、ロゼワイン、シャンパン、フォワグラ、薔薇ジャムなどの語彙が登場し、都会的で現代的な風俗が巧みに詠われている。
カクテルは 「Between the Sheets」うつぶせの背をゆっくりと夏闇に反る
マドレーヌあまく舌を焼く二十代いつか終りにさしかかりゐて
三十代日々熟れてあれこの夜のロゼワインわれを小花詰めにす
子の眠る黄金時間わがためにカフェ・オ・レ淹れむジノリのカップに
田舎臭さはどこにも見られない。明治以来の近代短歌を振り返って見ても、ここまで土着性の田舎臭さを払拭した例は珍しいのではないか。松平の短歌は消費社会を背景とする都会の現代風俗を短歌素材の基盤とした点で、それまでになかった新しい短歌だと言えるかもしれない。現在長野県知事である田中康夫が『なんとなくクリスタル』で文芸賞を受賞したのは1985年のことだが、小説の舞台設定は1980年になっていた。カタログ小説の走りといわれたこの小説には、モノの名前が無数に散りばめらている。松平が短歌界に登場した頃には、日本社会にすでに消費社会の気分が漂っていたのであり、松平はその申し子と言える。
第二歌集『青夜』(1983年) は作者の人生の一大事、結婚と出産が大きなウェイトを占めている。女性歌人の場合、歌集の構成が自分の人生の歩み「女の一生」とシンクロしていることが多い。『青夜』も部立てで逆編年体を採ってはいるものの、この例に漏れない。
十月十日(とつきとをか)わが生(よ)にただ一度つながるる緒よそを奔(はし)る光速の血よ
玉の緒といふ語うつくしわれとわが胎児をつなぐその命の緒
レモン甘く煮て黄金の蜜を生むむらぎもの飢ゑあした満たすため
いのち得てぬくきからだよコスモスの韻(ひび)かふ坂を陽炎(かげろ)ひあゆむ
宇宙よりつづくこの闇を肺臓へ送りぬ闇はわがいのち燃やす
これの世を初めて映す子のまなこ青鈍の淵に万象そよぐ
『青夜』を貫くトーンは身体と生の肯定である。子供を身籠もると同時に、自分の身体性を強く意識するようになり、自分を生んだ母もこうだったのかと血縁の時系列的連帯感を感じ、また卵から胎児へと成長する我が子を通して生物としての進化の過程に思いをはせる。身体の絶対的肯定に至らないはずがない。一首目と二首目では、自分と胎児をつなぐ紐帯を通して命を感じている。三首目の「むらぎもの飢ゑ」は黄金で満たすべきものと捉えられている。なぜなら自分の身体が祝祭だからである。五首目では宇宙の闇すらも自分の命を燃やすものと見なされている。パスカルもびっくりというところだ。
このような身体と生の全面的肯定は、男性の苦手とするところでもある。同じ我が子の生誕を詠んでも、男だと次のようになる。子供が浮かぶ羊水はどこか不吉に暗いのである。
さくらばな空に極まる一瞬を児に羊水の海くらかりき 小池 光
『青夜』で示された身体と生の全面的肯定から見て、松平がその後与謝野晶子の研究に打ち込むようになり、何冊か著書を著すのは自然な流れだと言えるだろう
第三歌集『シュガー』(1989年) には第二子の誕生も詠まれているが、いささか趣がちがってくる。『青夜』には夫を詠んだ歌が少ない。そのうち一首は夫その人ではなく、爪として登場するのみである。最後の歌など夫はまるで放牧される羊のように詠まれている。
あらうらに切り捨てられし爪をふむ剛し鋭し夫の一端
君とわがあはひの空(くう)を密度こく撓めて出づる形を子とよぶ
梅雨寒の屋ぬちに鶏(とり)のガラを煮るとろとろと夫とふ男待ちつつ
朝ごとに男放ちやり夜な夜なを戻り来かはゆし男とふもの
『シュガー』では夫の歌が増えるのだが、それは次のような調子においてである。
夫より呼び捨てらるるは嫌ひなりまして〈おい〉とか〈おまへ〉とはなぞ
茄子一本たひらげて胃をさすりたりこむづかしきこと男よ語るな
甘皮をうつすらと剥がすやうにして男の矜持そこねゐる快
梨をむくペティ・ナイフしろし沈黙のちがひたのしく夫(つま)とわれゐる
アリナミンよりほほゑみが効くなんて言の葉で妻が喜ぶと思ふか
男に向けられた眼差しはかくのごとく醒めている。男の私としては心穏やかには読めない歌である。特に四首目「梨をむく」の「沈黙のちがひたのしく」のくだりなんぞかなりコワい。このようにして残念ながら結婚生活は破綻し、松平は夫・子供と離別して独りになる。『シュガー』はその予兆に満ちた歌集で、読んでいて作者の家庭の行く末ばかりが気になってしまうが、それとは関係なく次のようなよい歌もある。
春雨はさくらはなびら抱きて落つさくらのいのち濡れておちゆく
霜月の朝風に銀の骨組みのかすかふるへて自転車醒めぬ
クリムトの画集より鬱金てりはえてわが首まことにあらはになせり
火食(くわしよく)する罪あれば塩ふるわが手一片の肉こよひ浄まれ
水にさす茎の長短 花の死はかすかなれども茎ながきより
第四歌集『プラチナ・ブルース』(1990年)は第一回河野愛子賞を受賞している。だが松平の歌にそれまでのような輝きが見られないのは残念なことである。
霧雨にメリーゴーラウンドぬれそぼちわれのうちなる母子草萎ゆ
木綿(コットン)のパスローブにて余熱の身ざっくりさらりくるまれている
大都市の綺羅のすきまの薄闇に女と猫の日常はあり
白絹のような仏蘭西わいん飲む土曜の夕べひとの夫と
中国の硯と墨をすりあわせ幽暗の香はふかきしずもり
ラウェンダーうすむらさきの星くずのような花なり星の香甘し
それまでの文語旧仮名から新仮名に改めたせいだけではなかろう。歌の世界を技巧を用いて構成してゆくという、『青夜』にははっきりと見ることができた作歌態度が消え失せて、日常生活に題材を採った身辺詠になってしまっている。家庭と子供を失い、猫を友として大都会に生きる現代女性という作者の境遇から醸し出されるものはあるが、それだけでは物足りない。なかんずく気になるのは喩の平板さである。一首目の雨に濡れたメリーゴーラウンドという像的喩、四首目の「白絹のような」や六首目の「星くずのような」という直喩に新味はない。というのも『青夜』には次のような斬新な喩がたくさんあったからである。
そらのはて濁りゐて朱き肉片のごとき陽が潤むわが受胎の日
夜の海のをりをり裂けてほのじろき臓腑のごとき波は見ゆ首夏
枯すすき黒く凍れる原をふく死魚のなまこのごときみぞれなり
くやしみの断面のごと岸壁は赫くひらたく日に焦がさるる
現代短歌文庫版『松平盟子歌集』(砂子屋書房)に俳人坪内稔典の批評が収録されている。もともと歌誌「プチ★モンド」に掲載された文章だが、そのなかで坪内は松平にはっきりと苦言を呈している。坪内によれば松平の短歌の新しさはその「通俗性」にあった。松平はその通俗性を、斬新な比喩と語法を駆使し乗り越えることで魅力を発揮していた。歌はもともと雅の世界のものであるが、現代においては通俗性を武器としないと力を持ち得ないと坪内はいう。だから短歌にとって通俗性は排するべきものではなく、利用するべきものなのである。その典型は言うまでもなく与謝野晶子である。しかるに『シュガー』以後の松平は、絵に描いた通俗性そのものになってしまっているというのが坪内の批評である。本人の主宰する歌誌にこのような辛口の批評を書くのは珍しいことかもしれないが、上に引用した喩の平板さを見れば、坪内の批評は確かにその通りで賛成せざるをえない。私は最後に第七歌集『オピウム』を通読したが、付箋のついた歌は次の四首のみであった。
水をそそぐ刻々を水ささやくにグラスの虚ろ溺れてゆけり
雨やみて夕けむる刻魂は人より半歩遅れてあゆむ
白鳥は万の星々吐き終えて夕べの翼しずかにたたむ
散り沈む桜に添いて魂魄の銀の陰りが地を照らしたり
松平盟子は1954年(昭和29年)生まれで、1977年に角川短歌賞を若干23歳で受賞して彗星のごとく短歌界にデビューした。当時1年目の新米国語教師で、作歌歴わずか1年ということも話題となった。なにしろサラダ現象の10年も前のことである。そのころは若い女性が短歌を作るのは珍しく、また次のように性愛を詠った官能性の濃い歌も交じっていたため、そのことも話題になったようだ。
君の髪に十指差しこみ引きよせる時雨の音の束のごときを
汝が肩を咬みて真朱(まあか)き三日月を残せし日より夏はじまりき
むねとむね二条のくらき海溝をのぞかぬやうに重ねあふなり
オジサンたちはびっくりしたというわけだ。
「コスモス」を経て、歌誌「プチ★モンド」を主宰。80年代のなかばから記号短歌は大流行したが、結社名や歌誌名に記号が入っているのは他にはあるまい。黛まどかの句誌「東京ヘップパーン」と双璧をなすオシャレさである。確かに松平の短歌には銀座、ロゼワイン、シャンパン、フォワグラ、薔薇ジャムなどの語彙が登場し、都会的で現代的な風俗が巧みに詠われている。
カクテルは 「Between the Sheets」うつぶせの背をゆっくりと夏闇に反る
マドレーヌあまく舌を焼く二十代いつか終りにさしかかりゐて
三十代日々熟れてあれこの夜のロゼワインわれを小花詰めにす
子の眠る黄金時間わがためにカフェ・オ・レ淹れむジノリのカップに
田舎臭さはどこにも見られない。明治以来の近代短歌を振り返って見ても、ここまで土着性の田舎臭さを払拭した例は珍しいのではないか。松平の短歌は消費社会を背景とする都会の現代風俗を短歌素材の基盤とした点で、それまでになかった新しい短歌だと言えるかもしれない。現在長野県知事である田中康夫が『なんとなくクリスタル』で文芸賞を受賞したのは1985年のことだが、小説の舞台設定は1980年になっていた。カタログ小説の走りといわれたこの小説には、モノの名前が無数に散りばめらている。松平が短歌界に登場した頃には、日本社会にすでに消費社会の気分が漂っていたのであり、松平はその申し子と言える。
第二歌集『青夜』(1983年) は作者の人生の一大事、結婚と出産が大きなウェイトを占めている。女性歌人の場合、歌集の構成が自分の人生の歩み「女の一生」とシンクロしていることが多い。『青夜』も部立てで逆編年体を採ってはいるものの、この例に漏れない。
十月十日(とつきとをか)わが生(よ)にただ一度つながるる緒よそを奔(はし)る光速の血よ
玉の緒といふ語うつくしわれとわが胎児をつなぐその命の緒
レモン甘く煮て黄金の蜜を生むむらぎもの飢ゑあした満たすため
いのち得てぬくきからだよコスモスの韻(ひび)かふ坂を陽炎(かげろ)ひあゆむ
宇宙よりつづくこの闇を肺臓へ送りぬ闇はわがいのち燃やす
これの世を初めて映す子のまなこ青鈍の淵に万象そよぐ
『青夜』を貫くトーンは身体と生の肯定である。子供を身籠もると同時に、自分の身体性を強く意識するようになり、自分を生んだ母もこうだったのかと血縁の時系列的連帯感を感じ、また卵から胎児へと成長する我が子を通して生物としての進化の過程に思いをはせる。身体の絶対的肯定に至らないはずがない。一首目と二首目では、自分と胎児をつなぐ紐帯を通して命を感じている。三首目の「むらぎもの飢ゑ」は黄金で満たすべきものと捉えられている。なぜなら自分の身体が祝祭だからである。五首目では宇宙の闇すらも自分の命を燃やすものと見なされている。パスカルもびっくりというところだ。
このような身体と生の全面的肯定は、男性の苦手とするところでもある。同じ我が子の生誕を詠んでも、男だと次のようになる。子供が浮かぶ羊水はどこか不吉に暗いのである。
さくらばな空に極まる一瞬を児に羊水の海くらかりき 小池 光
『青夜』で示された身体と生の全面的肯定から見て、松平がその後与謝野晶子の研究に打ち込むようになり、何冊か著書を著すのは自然な流れだと言えるだろう
第三歌集『シュガー』(1989年) には第二子の誕生も詠まれているが、いささか趣がちがってくる。『青夜』には夫を詠んだ歌が少ない。そのうち一首は夫その人ではなく、爪として登場するのみである。最後の歌など夫はまるで放牧される羊のように詠まれている。
あらうらに切り捨てられし爪をふむ剛し鋭し夫の一端
君とわがあはひの空(くう)を密度こく撓めて出づる形を子とよぶ
梅雨寒の屋ぬちに鶏(とり)のガラを煮るとろとろと夫とふ男待ちつつ
朝ごとに男放ちやり夜な夜なを戻り来かはゆし男とふもの
『シュガー』では夫の歌が増えるのだが、それは次のような調子においてである。
夫より呼び捨てらるるは嫌ひなりまして〈おい〉とか〈おまへ〉とはなぞ
茄子一本たひらげて胃をさすりたりこむづかしきこと男よ語るな
甘皮をうつすらと剥がすやうにして男の矜持そこねゐる快
梨をむくペティ・ナイフしろし沈黙のちがひたのしく夫(つま)とわれゐる
アリナミンよりほほゑみが効くなんて言の葉で妻が喜ぶと思ふか
男に向けられた眼差しはかくのごとく醒めている。男の私としては心穏やかには読めない歌である。特に四首目「梨をむく」の「沈黙のちがひたのしく」のくだりなんぞかなりコワい。このようにして残念ながら結婚生活は破綻し、松平は夫・子供と離別して独りになる。『シュガー』はその予兆に満ちた歌集で、読んでいて作者の家庭の行く末ばかりが気になってしまうが、それとは関係なく次のようなよい歌もある。
春雨はさくらはなびら抱きて落つさくらのいのち濡れておちゆく
霜月の朝風に銀の骨組みのかすかふるへて自転車醒めぬ
クリムトの画集より鬱金てりはえてわが首まことにあらはになせり
火食(くわしよく)する罪あれば塩ふるわが手一片の肉こよひ浄まれ
水にさす茎の長短 花の死はかすかなれども茎ながきより
第四歌集『プラチナ・ブルース』(1990年)は第一回河野愛子賞を受賞している。だが松平の歌にそれまでのような輝きが見られないのは残念なことである。
霧雨にメリーゴーラウンドぬれそぼちわれのうちなる母子草萎ゆ
木綿(コットン)のパスローブにて余熱の身ざっくりさらりくるまれている
大都市の綺羅のすきまの薄闇に女と猫の日常はあり
白絹のような仏蘭西わいん飲む土曜の夕べひとの夫と
中国の硯と墨をすりあわせ幽暗の香はふかきしずもり
ラウェンダーうすむらさきの星くずのような花なり星の香甘し
それまでの文語旧仮名から新仮名に改めたせいだけではなかろう。歌の世界を技巧を用いて構成してゆくという、『青夜』にははっきりと見ることができた作歌態度が消え失せて、日常生活に題材を採った身辺詠になってしまっている。家庭と子供を失い、猫を友として大都会に生きる現代女性という作者の境遇から醸し出されるものはあるが、それだけでは物足りない。なかんずく気になるのは喩の平板さである。一首目の雨に濡れたメリーゴーラウンドという像的喩、四首目の「白絹のような」や六首目の「星くずのような」という直喩に新味はない。というのも『青夜』には次のような斬新な喩がたくさんあったからである。
そらのはて濁りゐて朱き肉片のごとき陽が潤むわが受胎の日
夜の海のをりをり裂けてほのじろき臓腑のごとき波は見ゆ首夏
枯すすき黒く凍れる原をふく死魚のなまこのごときみぞれなり
くやしみの断面のごと岸壁は赫くひらたく日に焦がさるる
現代短歌文庫版『松平盟子歌集』(砂子屋書房)に俳人坪内稔典の批評が収録されている。もともと歌誌「プチ★モンド」に掲載された文章だが、そのなかで坪内は松平にはっきりと苦言を呈している。坪内によれば松平の短歌の新しさはその「通俗性」にあった。松平はその通俗性を、斬新な比喩と語法を駆使し乗り越えることで魅力を発揮していた。歌はもともと雅の世界のものであるが、現代においては通俗性を武器としないと力を持ち得ないと坪内はいう。だから短歌にとって通俗性は排するべきものではなく、利用するべきものなのである。その典型は言うまでもなく与謝野晶子である。しかるに『シュガー』以後の松平は、絵に描いた通俗性そのものになってしまっているというのが坪内の批評である。本人の主宰する歌誌にこのような辛口の批評を書くのは珍しいことかもしれないが、上に引用した喩の平板さを見れば、坪内の批評は確かにその通りで賛成せざるをえない。私は最後に第七歌集『オピウム』を通読したが、付箋のついた歌は次の四首のみであった。
水をそそぐ刻々を水ささやくにグラスの虚ろ溺れてゆけり
雨やみて夕けむる刻魂は人より半歩遅れてあゆむ
白鳥は万の星々吐き終えて夕べの翼しずかにたたむ
散り沈む桜に添いて魂魄の銀の陰りが地を照らしたり