角川『短歌』8月号歌壇時評「口語によるリアリズムの更新」

 永井祐の第二歌集『広い世界と2や8や7』(左右社)が昨年(二〇二〇)十二月に出版された。第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(二〇一二)以来八年振りである。第一歌集はBookParkからオンデマンド出版され、すでに入手不可能になっていたが、昨年春に短歌研究社から同じ装丁で再刊されている。『広い世界と2や8や7』はさっそく『短歌研究』の今年六月号の作品季評で取り上げられていて、評者の穂村弘、佐藤モニカ、山田航が縦横に論じている。

 季評の冒頭で山田は、「口語のリアリズムということで言えば、いま最先端のことをやっているのはやはり永井祐ではないかと思っています」と発言し、それを受けて穂村は、「永井さんがデビューしたときはまだはっきりとは見えていなかった作家性が徐々に短歌の世界に浸透して」きたと指摘し、永井の作る短歌が「リアリティの捉え直しというか、そういうメタ的な精度を短歌に導入した」と述べている。

 山田は最近しきりに穂村の唱える「口語によるリアリズムの更新」に言及している。たとえば『ねむらない樹』第六号(二〇二一、書肆侃侃房)の「二〇二〇年の収穫」というアンケートで山田は、「二〇二〇年の短歌のキーワードは、穂村弘が提唱した『口語によるリアリズムの更新』だろう。永井祐、宇都宮敦、仲田有里、山川藍など二〇〇〇年代以降に登場した口語歌人たちの中に、単に現代語を用いているというだけではなく、日本語の自然なしゃべり言葉の語順に近づけようとする志向が表れていることを指摘した」と書いている。

 思えば、「わがまま派宣言」「短歌のくびれ」、「棒立ちのポエジー」、「一周回った修辞のリアリティ」、「圧縮と解凍」など、現代短歌を語る上でよく用いられるキーワードを数々提案してきた穂村が提唱する新しいキーワードがこの「口語によるリアリズムの更新」である。

 穂村は『短歌研究』二〇二〇年六月号の「『永井祐』と『短歌2010』」という特集に、「作り手を変える歌」という文章を寄稿している。穂村は、俵万智、林あまり、加藤治郎、そして自分が初期に作った口語作品は口語短歌の模索時期に当たり、一九九〇年を越えて口語で短歌を作ることがふつうになって次のステージが開けたと回顧している。その幕を開けたのが永井らの若手歌人であり、短歌固有の口語表現の追究は、リアリズムの更新というアプローチを採ることになったとする。

 『短歌研究』六月号の作品季評に戻ると、穂村は永井の「携帯のライトをつけるダンボールの角があらわれ廊下をすすむ」という歌を取り上げて、臨場感があり自分もやってみたいという誘惑にかられると述べている。続けて山田は、「永井さんは自分を斜め上から見ている感じではなく、カメラそのものはずっと主体の目についていて、実況中継をしているような感じがありますね。スマホで動画撮影しながら歩いているときの視点だなと思います」と応じている。つまり「口語によるリアリズムの更新」が意味するところは、作歌にあたって自分を上から俯瞰する視点を取らず、臨場感を大切にして、「携帯のライトをつける」→「ダンボールの角が現れる」→「廊下をすすむ」のように、作中の〈私〉が知覚した順番どおりに場面を並べる表現方法ということになる。

 このような文体については、永井自身が参考になる文章を同人誌『率』第五号(二〇一三)に書いている。「土屋文明『山下水』のこと」と題された文章で永井は、文明の短歌に「雨のの花に遊べる蝶襲ふとかげを見居り鉛筆けづりかけて」のように字余りの歌が多いことを指摘する。そして一見削れそうに見えるこの字余りに命が宿っており、命の雑音が歌の言葉を余らせると書いている。続けて「我がかへる道を或いはあやまつと立つ秋のよる蛍におどろく」という歌を引いて、「一首の全体を上から俯瞰して構成する手が見えない。初句が出て、二句が出て、三句が出て、四句が出て、結句が出る。一首が時間的だ。そして、なぜそういう形になるのかと言えば、私たちの生がそういう形をしているからだろう。私たちはいつも結句を知らないまま、字余りしながら生きている。文明の歌を読むと、その『歌を生きる』態度の徹底ぶりにおどろいてしまう」と述べている。

 ここからわかるように、穂村の言う「口語によるリアリズムの更新」とは、単に文語に代わって口語やしゃべり言葉で短歌を作るということではない。そのような言語の位相の問題ではなく、素材となる場面を歌へと構成する作者の方法論の問題なのだ。わかりやすく箇条書きにすると次のようになる。

① 歌の素材となる体験を俯瞰的に再構成しない。

② 私たちは次の角を曲がった所に何があるか知らない。だから短歌を作る時にも同じ態度を取るべきである。

③ したがって作中主体である〈私〉の目に映った順番どおりに場面を描くことが新しいリアリズムである。

 永井はこのような表現方法を実作においてどのように示しているだろうか。『広い世界と2や8や7』の中からこのような方法論に符合する歌を引いてみよう。

電車に乗って映画見に行く 電話する おもちを食べたお皿をあらう

蚊帳のなかで寝苦しそうなお坊さん 窓よごれてる ベランダきれい

仕事するごはんを食べるLINEする 百均のレジに列ができてる

フィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」をみる トーストを食べる また電車にのる

 一首目ならば「見に行く」→「電話する」→「あらう」のように並んでいる動詞は、作中主体の〈私〉が取った行動の順序を正確に反映していることがわかるだろう。

 もちろん本歌集に収録されたすべての歌がこのような手法で作られているわけではないが、「作中主体の知覚・行動の順序を遵守する」という「リアリズム」がふたつの問題を孕んでいることを見ておきたい。

 まず作中の〈私〉が移動する場合、歌の場面も切り替わるという点である。上に引いた四首目ならば、「荒川氾濫」を見たのはたぶん防災センターで、トーストを食べたのは近くの喫茶店で、電車に乗ったのは駅である。一首の中に場所が三ヶ所もある。それは歌の空間的な拡散を招く。空間的な拡散は印象の拡散につながり、一首の凝集力を低下させる。昔から一首の中に動詞をあまりたくさん入れない方がよいと言われているのはこのような理由による。

 空間的な拡散以上に短歌にとって重大になるのは時間的な拡散である。一首目を例に取ると、この歌の中には「電車に乗って」(時点1)「映画見に行く」(時点2)「電話する」(時点3)「おもちを食べたお皿をあらう」(時点4)のように、異なる時点が四つある(「おもちを食べた」は連体修飾句の中にあり、断定されていないので数えない)。空間的な拡散以上に時間的拡散は、歌の結像性を弱める。私たちはこのような歌を読むとき、明確な視覚的像を描くのが難しい。

曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径                                 木下利玄

たちこむる雨霧のなかしろじろと藤は円座の花のしずまり                                 坪野哲久

冬山の青岸渡寺(せいがんとじ)の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ 

                           佐藤佐太郎

 

 近代短歌のリアリズムの原則は、右に引いた歌に見られるように、作中主体の不動の一点からの写生である。一首目ならば〈私〉は曼珠沙華が咲いている道端に立って光景を見ていることが明らかである。二首目では〈私〉はおそらく雨に濡れながら藤棚の近くに立っている。三首目では〈私〉は那智の滝を正面に遠望する寺の庭にいる。このように〈私〉が不動の一点から見ることによって歌は高い結像性を獲得する。読者は作中の〈私〉の視点に仮想的に身を置くことによって、歌に詠まれた光景を脳内で追体験する。そして描かれた光景の背後に揺曳しているはずの作者の心情に触れるのである。このように近代短歌の描く光景は「視点込み」の光景なのである。そして視点の指定を制度的に担保しているのは歌の「空間的統一性」である。ところが永井の歌に見られる空間的拡散は、これと真っ向から対立する。読者は光景を見るべき視点に辿り着くことができないからである。

 このような現代の若手歌人たちの短歌に見られる時間的拡散という傾向は、永井が『率』に文章を書くもう少し前に既に指摘されていた。『短歌ヴァーサス』十一号(二〇〇七、風媒社)に掲載された斉藤斎藤の「生きるは人生と違う」という文章である。この中で斉藤は、第五回歌葉新人賞で次席になった中田有里の連作「今日」から次のような歌を引用して以下のように書いている。

本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある

カーテンの隙間に見える雨が降る夜の手すりが水に濡れてる 

「中田のわたしは、今橋のわたしよりもさらに、今ここの〈私〉の視点を徹底している。一首目。現在から出来事を整理すればたとえば、先週図書館で借りた本を返しに行く、となるのかもしれない。それを、本を持って╱帰って╱返しに╱行く、と書くことにより、本を持つ〈今〉、帰る〈今〉、返そうと思う〈今〉、行く〈今〉、と断続的に〈今〉がつらなってゆく。(…)一首のなかに、中田のわたしは生きている。中田の歌に人生はない。すっぱだかの生きるしかない。」 

 斉藤の言う断続的につらなる〈今〉とは、永井の言う「私たちの生がそういう形をしている」時間軸をそのまま反映したものであることは明らかだろう。

 永井祐の特集が組まれた『短歌研究』二〇二〇年六月号に「『日本の中でたのしく暮らす』の『時間』と『無意識』」という文章を寄稿した大森静佳も同じ点に触れている。大森は永井の歌では「複数の瞬間の把握や体感が同等に列挙される」ことがあり、永井は「『時間』を哲学する歌人だ」と述べている。続けて、現在形をいくつも連ねるタイプの文体については、大辻隆弘の『近代短歌の範型』(二〇一五、六花書林)所収の「多元化する『今』 ― 近代短歌と現代口語短歌の時間表現」に詳しいとして、大辻の議論を紹介している。

 この文章で大辻は、「近代短歌の叙述は、作者を『今』という固定された一つの時間の定点に立たしめることによって成立する」と説き起こす。そのことを茂吉の歌で確かめた後、「永井祐や斉藤斎藤ら現代の若手歌人たちの口語短歌は、この『今』という時間の定点を一箇所に固定させない」と述べて、永井祐の「白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう」という歌を引き、たばこの灰で字を書こうとした時点、いい言葉が思いつかない時点、壁にこすりつけようと思った時点というように、「今」が次々にスライドしていると分析する。そして「『今』という時間の定点を多元化し、『今』を作者自身が移動することによって一首の叙述を形作ってゆく」ところが、近代短歌と決定的に違う所だと結論づけている。

 さて、これで穂村の言う「口語によるリアリズムの更新」についての議論をほぼ通観したことになる。残り少ない紙面で、果たしてこれが「リアリズム」なのかという疑問と、多元化する「今」が本当に「今」なのかという疑問について考えてみたい。

 若手歌人の歌に見られる空間的・時間的拡散は、西洋絵画史と比較すると示唆的である。西洋の古典絵画は一点透視による遠近法を用いたが、これは近代短歌の不動の視点と同じである。ところがセザンヌが机の上に林檎が盛られた静物画で複数の視点からの描写を一枚の絵に収め、これがピカソらのキュビスムの出発点となった。ピカソは正面から見た女性の顔と横顔を同じひとつの画面に描いた。これは短歌における視点の複数性に通じるところがある。しかし対象を幾何学的に分解し再構成するキュビスムの方法論は、やがて具象自体を否定する抽象絵画へと発展した。こうして視点の複数性は、やがてリアリズムの埒外へと画家を導いたのである。

 また永井らの歌で動詞の終止形が表す複数の時点は、作者にとっては実感に基づく「今」かもしれないが、読者にとってもそうであるとは限らない。読者の側の「読み」を考えるならば、読者は歌の様々な部分を手がかりにして、歌の「今」を脳内で再構成する。たとえば「精霊ばつた草にのぼりて乾きたる乾坤けんこんを白き日がわたりをり」という高野公彦の歌を読むと、鮮やかな遠近の対比の中に日輪が空を渡りゆく「今」が濃厚に感じられる。この「今」は作者の実感に基づくものではない。言葉の組み合わせと配列によって、読者の意識に中に再構成された擬似的な瞬間である。なぜ擬似的なのかと言うと、私たちにとって「今」とは原理的に捉えることのできないものだからである。比喩的に言うと「今」とは、羊羹をスパッと切った切り口のようなものだ。横から見ると切り口には幅がないため私たちの目には見えない。「今」という瞬間が私たちを絶えず逃れ去るものであることは、古東哲明『瞬間を生きる哲学』(二〇一一、筑摩選書)に詳しい。古東はこの本の中で、文学とは私たちの手をすり抜ける「今」を再構成する営みに他ならないことを、豊富な文学テクストを引いて論じている。

 角川『短歌』平成二六年版の短歌年鑑の座談会「秀歌とは何か」の中で、岡井隆は永井に向かって、永井・堂園・山田らが見事にそろって助動詞を使わないのはなぜかとたずねている。この問に永井は直接答えず、自分にとって文体は身体の延長なので、選ぶということができないと述べている。永井らが助動詞を使わないのは、助動詞が日本語の時間表現を担っているからであり、短歌において仮構の「今」を再構成する主要な手段だからだ。永井たちは擬似的な「今」ではなく、真の「今」を求めているのである。

 

 角川『短歌』2021年8月号に掲載

角川『短歌』7月号歌壇時評「日本語の底荷」

 今月号から半年の間、歌壇時評を担当することになった。私の名前を見て「いったい誰だ?」といぶかしむ人もいるかと思うのでひと言自己紹介しておくと、私はインターネット上で「橄欖追放」という短歌ブログを書いている。月に二回歌集・歌書を取り上げて批評しているが、自分では短歌を作らない純粋読者である。

 短歌や俳句のような短詩型文学の世界では「作者イコール読者」であり、作者の外延と読者の外延はほぼ一致する。自分で短歌を作るが人の短歌は読まないという人はいても、自分では短歌を作らず読む専門という人は少ない。とはいえかつては深く短歌を読んだ吉本隆明や、『終焉からの問い ― 現代短歌考現学』(ながらみ書房、一九九四)など短歌評論で活躍した小笠原賢二がいたし、同時代では好著『うた合わせ ― 北村薫の百人一首』(新潮社、二〇一六)などで自在に詩歌の世界を逍遥する北村薫がいる。とはいうものの、歌壇の外にいる人間が短歌総合誌の歌壇時評を担当するのは珍しいことかもしれない。

 ふつう歌壇時評に期待される役割は、短歌総合誌を広く見渡し、結社誌や同人誌や大学短歌会の雑誌まで目を通し、短歌賞や短歌関連のイベントにも目を配って、歌壇で今起きていることを紹介したり論じたりすることだろう。言わばそれは不易流行の流行の部分である。しかし時評は時とともに移ろいゆく流行ばかりに目を向けず、深部に横たわる不易の層にもまた目を配るべきだろう。

 そのような眼差しで見つけたのは、本誌二月号から始まった新連載「短歌の底荷」である。これは毎号二つの結社を取り上げて、ゆかりの深い歌人に紹介してもらうという企画である。たとえば第一回目の二月号では「沃野」と「白珠」が取り上げられている。私が注目したのは記事の内容ではなく「短歌の底荷」という連載の題名の方だ。この題名が歌人の上田三四二(一九二三〜一九八九)が提唱した「短歌底荷論」にちなんだものであることはまちがいない。上田は一九八三年(昭和五十八年)に「オアシス」という雑誌に「底荷」という短い文章を寄稿した。現在は上田三四二『短歌一生』(講談社学術文庫)で読むことができる(版元品切だが古書で入手可能)。その文章の中で上田はおおむね次のようなことを述べている。

 短歌や俳句は日本語の底荷である。底荷とは船の安定航行のために船底に積み込まれる荷や砂で、それ自体に商品価値はない。利益を追求するためには役立たないどころか、お荷物でさえある。しかし船が安全に航行するためにはなくてはならぬものである。短歌や俳句は日本語という船を推し進めるマストのような力は持たない。しかし日本語を転覆から救う目に見えない力になっているのである。(時評子による要約) 

 上田の文章が発表されてからまもなく四十年になろうとするが、本誌が新しく始める連載に「短歌の底荷」という題名を付けたのは、この上田の主張が短歌の不易の一部と考えてのことだろう。

 短歌の流行の面においては、前衛短歌やライトヴァースやニューウェーヴ短歌や記号短歌などなど、その意匠は時代とともに変化するが、上田の主張にはそのような流行の奥深くに沈潜することによって得られた確信という響きがある。日々の流行に目を奪われることなく、上田のように短歌の本質について考察を深めることもまた大切なことではないだろうか。

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 そんなことを改めて思ったのは、高等学校の国語教育が大きく変わりそうだと報道された頃なので、少し前のことになる。高等学校の教育方針を定めた「学習指導要領」は十年に一度改訂されるが、二〇一八年に告示されたものは「戦後最大の教育改革」という触れ込みだった。二〇二二年度、つまり来年度からはこの指導要領に従って教育が行われることになる。現在は必修科目「国語総合」と選択科目「国語表現」「現代文A」「現代文B」「古典A」「古典B」という分類になっている国語の教科が、新指導要領では必修科目「現代の国語」「言語文化」と選択科目「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典研究」に変わると定められている。必修科目は高校の一年目で履修し、二年目には選択科目の中から二科目選ぶことになる。必修科目の「現代の国語」には文学的な文章は一切入れないのが文部科学省の方針だという。

 大いに物議を醸したのは「論理国語」と「文学国語」という日本語としてこなれていない名称ばかりではない。そもそも国語を「論理」と「文学」とに二分するのはあまりに乱暴ではないかという意見が噴出した。そればかりではない。今回の指導要領の改訂は、大学入試の改革とセットになっている点に特徴がある。しかしその目玉であったはずの記述式問題の導入と、英語試験の民間委託が早々と頓挫したのはご承知のとおりである。

 新指導要領に準拠した大学入学共通テストの第一回プレテスト(試行)が二〇一七年度(平成二十九年)に実施され、多くの高校生がこのテストを受けた。そのテストで「国語」の試験問題として出題されたのは「青原高校の生徒会の部活動をめぐる規約」という文章であった。事前にサンプル問題として公表されていた試験問題には、「街並み保存地区景観保護ガイドライン」と「管理会社と交わした駐車場の契約書」が問題文として選ばれていたという。これを見て多くの人が驚いた。

 文部科学省が新指導要領を定めた目的は、主体的・対話的で深い学びを実現し、思考力・判断力・表現力を育てることにあるという。そのような目標に賛同しない人はいないだろう。しかしプレテストの問題文として選ばれたのは「論理国語」の文章であり、「文学国語」ではない。「論理国語」とは、契約書や法律・条例を始めとして、マンションの管理規約や電気製品の使用説明書など日常生活で出会う実用的な文章を読み解く力を養成することを目標としている科目であることは明らかである。

 二〇一八年度(平成三〇年)に実施された第二回のプレテストの国語の問題文の第一問は、鈴木光太郎『ヒトの心はどう進化したのか』、正高信男『子どもはことばをからだで覚える』、川添愛『自動人形(オートマトン)の城 人工知能の意図理解をめぐる物語』からの抜粋、第二問は「著作権法のイロハ」(ポスター)、法律の著作権法の抜粋、名和小太郎『著作権2.0 ウェブ時代の文化発展をめざして』、第三問は吉原幸子「紙」(詩)、吉原幸子「永遠の百合」(エッセー)となっている。第四問と第五問は古文と漢文なので略す。第三問でわずかに文学的な文章が出題されており、第一問は学術的なエッセーからの出題となっているが、全体的な傾向は第一回のプレテストと大きく変わらない。

 新指導要領による国語の授業では、一年次に履修する必修科目の「言語文化」で文学的テクストを少し読むことはあるかもしれない。しかし二年次になれば大方の高校生が「論理国語」を選ぶことは、プレテストの出題傾向を見ても明らかである。現役の高校の先生も、「文学国語」は開店休業状態になるだろうと言っている。漱石も鴎外も芥川もまったく読んだことのない大学生が入学して来るのである。

 少し昔のことになるが、東京大学教授の石田英敬が雑誌『世界』二〇〇二年十二月号に「『教養崩壊の時代』と大学の未来」という文章を寄稿して話題になったことがある。ある日のこと、石田が研究室で東大の院生相手にバフチンのポリフォニー理論について話していたところ、その院生がこう質問したそうだ。「先生の話に出て来たドストエフスキーって誰ですか?」と。石田は喫驚して「ついにその日が!」と叫んだという。今から数年後に、新指導要領に基づく教育を受けた高校生が大学に入学して来たときに、「漱石って誰ですか?」と質問する学生が出て来て、「ついにその日が!」と心の中でつぶやく先生がいないとも限らない。ここに書いた新指導要領の国語教育改革については、伊藤氏貴責任編集『別冊季刊文科 ― 国語教育から文学が消える』(鳥影社、二〇二〇)と、紅野謙介『国語教育の危機』(ちくま新書、二〇一八)および同著者の『国語教育 ― 混迷する改革』(ちくま新書、二〇二〇)に詳しく書かれている。

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 時評子は「高等学校の国語の教科書から文学が減るのはけしからん」と言いたいわけではない。若手歌人の中には、初めて短歌に触れたのが国語の教科書だったという人が少なからずいるようだ。だとすると国語の教科書から文学が減ればそのような機会も減ることになるので、残念なことにはちがいない。しかしそれ以上に重要なのは、新指導要領のめざす国語教育改革が日本語の底荷を減らすということである。これはゆゆしきことと言わねばならない。新指導要領には言語の存立と働きについての深い洞察が決定的に欠けていると思われてならない。

 このことを理解するためにはアラビア語を例に取るとわかりやすいだろう。もともとアラビア半島で話されていたアラビア語は、今では中東のイラクからアフリカのエジプト、アルジェリア、モロッコに到る広大な地域で使われている。日常用いる話し言葉のアラビア語(アーンミーヤ)は方言差が極めて大きい。イラクの人が話しているアラビア語とモロッコの人が話しているアラビア語はかなり異なるのである。それでも話者に自分たちが使うアラビア語は同じひとつの言語であるという強固な意識があるのは、ひとえに啓典クルアーン(コーラン)の存在による。クルアーンの言語は現代の標準的な書き言葉のアラビア語(フスハー)の基礎にもなっている。イラクからモロッコに到る広大な地域に住んでいる人たちが、「自分たちは同じひとつの言語を使っている」と感じるのは、クルアーンの言語がアラビア語の底荷として厳然と存在しているからである。

 アラビア語を使う地域の子供は、学校に上がるとクルアーンを学ぶ。彼らにとってクルアーンの言語は古典語であり、日本の子供たちが平家物語や枕草子を古典として学ぶのと同じである。ちがうのはクルアーンの言語こそが正当なアラビア語であり、疑問が生じた時には常に立ち戻るべき源泉だとされている点にある。英語ならば底荷としてあるのは聖書とシェークスピアだろう。イタリア語ならばダンテのトスカーナ方言で、ドイツならばゲーテというところになろうか。

 短歌や俳句が日本語の底荷であるという主張にはもうひとつの側面がある。現代に生きる私たちの感性は、多少とも短歌や俳句によって水路づけされている。桜の花が散るのを見ると、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌が思い浮かぶし、夏の朝に朝顔が咲いているのを見ると「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という句を思い浮かべない人はいないだろう(ただし朝顔は秋の季語)。先人の作った短歌や俳句の中にはいわば「感性の型」がレコード盤に刻まれた溝 (groove) のように彫琢されている。私たちは無意識のうちにその溝にガイドされるように物事を感じているのである。だからこそ歌人・俳人は先人が彫り込んだ溝を脱却して、新しい溝を刻むべく刻苦するのである。

 さらにもう一歩踏み込んで考えることもできる。ことは感性に留まらず、私たちが現実を捉えるやり方(認知 cognition)は言語によって規定されているという考えがある。この考えを主張したのはイェール大学教授の言語学者のエドワード・サピア(一八八四〜一九三九)と弟子のベンジャミン・リー・ウォーフ(一八九七〜一九四一)で、二人の名前を取ってサピア・ウォーフの仮説と呼ばれている。彼らは次のように主張した。

 言語は私たちの思考を条件づけている。私たちは言語が定める線に沿って現実を分割して、意味の世界を作り上げている。私たちが現実の世界と見なしているものが私たちを離れて客観的に存在すると思うのは幻想である。私たちが現実の世界と見なしているものは、言語の習慣の上に作り上げられたものである。(時評子による要約)

 新指導要領がめざしているのは、法律の条文や契約書や電気器具の使用説明書のような実用的文章を読み解く力、つまり現実に適切に対処する能力の涵養である。文学を含むさまざまな言語の形に触れることによって私たちの感性が形作られ、現実を認知する力、つまり「心」が育まれるという視点が見落とされているのである。

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 今年の三月二十日に町屋の並ぶ京都市の中心部に泥書房という新しい書店がオープンした。短歌・俳句・詩を専門に扱う書店である。京都にはかつて伝説的な三月書房という歌集・歌書を多く置く書店があった。京都を訪れる歌人が一度は足を運んだ場所である。古書店と見紛うばかりの外観が異彩を放っていた。ところが残念なことに三月書房は二〇二〇年の六月に閉店してしまい、短歌関係者の嘆きは大きかったのである。京都で学生時代を過ごした青山学院大学教授の生物学者福岡伸一が閉店を惜しみ、店主と相談のうえで店のシャッターに店内の風景の騙し絵が残されている。

 三月書房の閉店からそれほど間を置かずに泥書房が開店したことはまことに喜ばしい近年の快事である。泥書房の一角は販売コーナーとなっており、まだ点数は少ないものの歌集・歌書が販売されている。新刊書だけでなく古書もある。それより面積が広いのが隣の図書室で、ここには歌集・歌書だけでなく、短歌総合誌、結社誌、同人誌、個人誌などが壁一面に収蔵されている。短歌について何か文章を書くときに、調べ物をするのに絶好の場所だ。図書室は三百円の入室料を支払って会員になると利用できる仕組みになっている。

 泥書房は短歌総合誌『現代短歌』を発行する現代短歌社(一般社団法人三本木書院)が運営しており、本社の所在地でもある。現代短歌社は二〇一七年に解散し、事業譲渡を受けた三本木書院が目白を拠点として運営を続けていたが、二〇二〇年十月に思うところあって本社を京都に移転したそうだ。今後は短歌関係のイベントも続々と開催する予定のようだから、これから歌人が集まる拠点となることだろう。

 

  角川『短歌』2021年7月号に掲載

王紅花『窓を打つ蝶』書評

 『星か雲か』に続く著者第五歌集だが、著者にとっては特別な歌集にちがいない。最愛の伴侶松平修文の逝去とその後に作られた歌を含むからである。松平は二〇一七年の十一月にほの暗い始原の地トゥォネラへと旅立った。本歌集の第一部と第二部は截然と分断されている。第一部は松平がいた世界、第二部は松平がいない世界である。

重篤の病に臥せる人の耳死に神のごと敏くあるなり

輸血停止申し出し翌る朝きみの山を眺むる水色の目よ

病院に人溢れ暗く動きをりわれら昨日までこの中にありき

凄まじき形相に向かひ合ふ時のありき死へ向かふあなたとわたし

花守となりて夜ごとに水をやる部屋に溢れてむせかへる供花

 松平と王は手と手を取り合い病と闘うが、薬石効なく松平は旅立つ。四首目を読めば二人がどのように死と向き合ったかが知れて心を打つ。

つまとよく歩きし名栗川に来てしばらく泣けり揺るる枯れ芒

死んでゐるあなたは仏間にわたくしは生きて汚した洗ひ物干す

コロッケが二つ そのなんでもないことの なんでもないそのコロッケ二つ

寝室の薔薇柄カーテン見覚えてゐるでせう夜はそこへり来よ

 最愛の人を失い作者は文字通り空洞と化したことは想像に難くない。普段ならば二人分四つ買っていたコロッケが、一人分の二つになったという些細な変化にも心が締め付けられる。想いが溢れて破調になっている。到る所に松平の影が揺曳する本歌集は文字通り慟哭の書である。

 とはいえ王の歌風の特質にも触れておかねばらならない。集中の次のような歌に立ち止まった。

毒ガスをあぐる硫黄山廻りつつ老若男女何故かにやつく

イヌシデは地方によりてアヲシデ、アカシデ、シロシデと呼ばれて

公衆浴場にひとりとなりしとき老女は犬掻きをしてみる

 硫化水素の漂う山で人々がにやついたり、イヌシデの名に地方差があったり、銭湯で老女が犬掻きしているなどというごく些細なことを王はよく取り上げて歌にする。それは王の歌の源が、何かの出来事と心が触れ合った時のかすかな摩擦感にあるからだろう。それをそのまま歌にするところに王の歌風の特質がある。結果として乾いたユーモアの漂うこのような歌に作者の目から見た世界の捉え方が透けて見えるようだ。最後に特に印象に残った歌を挙げておく。

バス停に本読む老人ひとよ桜散るこの世の何を知らむとや急く

『短歌往来』2021年3月号に掲載

盛田志保子『木曜日』書評

 二〇〇〇年(平成十二年)に『短歌研究』の八〇〇号記念として企画された「うたう」作品賞は、その後の短歌シーンの流れを作る重要な企画だった。この賞の応募者から多くの歌人が育ったが、作品賞を受賞したのは当時二十歳の大学生だった盛田志保子である。受賞作「風の庭」五〇首を含めた第一歌集『木曜日』は二〇〇三年に出版された。長らく入手困難だったこの歌集が、書肆侃侃房から現代短歌クラシックスの一巻として再刊されたのは喜ばしい。本歌集を開くと、二十歳の若さでしか詠めない歌が当時の瑞々しさのまま保存されている。

藍色のポットもいつか目覚めたいこの世は長い遠足前夜

秋の朝消えゆく夢に手を伸ばす林檎の皮の川に降る雨

春の日のななめ懸垂ここからはひとりでいけと顔に降る花

 若者が抱く未来への漠然とした不安や、自分がまだ何者でもないという不全感が、藍色のポットや夢の中に降る雨や降り散る花という歌のアイテムに投影されている。

 「うたう」作品賞は、穂村弘の言葉を借りれば、「修辞の武装解除」「棒立ちのポエジー」というその後の短歌の流れの発端となったのだが、盛田の歌にはしっかりと修辞があることに注意したい。とりわけ結句の着地の仕方がうまい。右に引いた「ひとりでいけと顔に降る花」や次のような歌がそうである。

廃線を知らぬ線路のうすあおい傷をのこして去りゆく季節

はい吸って、とめて。白衣の春雷に胸中の影とられる四月

 のびやかな言葉の選択の中に清新なポエジーが滲んでいる。特に注目されるのは木漏れ日のような陰翳だろう。

 その後所属する結社「未来」の歌誌に発表した近作が「卓上カレンダー」と題して巻末に収録されているのも嬉しい。

かなしみは一人に一つかきごおり食べ切るころに鳴る稲光

笑いあう夏の記憶に音声はなくて小さな魚が跳ねる

※「しんぶん赤旗」2021年3月7日号に掲載

うたをよむ 噴水のきらめき

 連日の炎暑に喘ぎつつふと立ち寄った街角の公園に噴水がある。木陰に休んで噴き上がる水を眺めていると一時の涼を得る。噴水は短歌ではどのように詠まれているのだろうか。

噴水の伸びあがりのびあがりどうしても空にとどかぬ手のかたちする 

                    杉﨑恒夫『食卓の音楽』

 歌人は水が噴き上がる様ではなく、ある高さまで達すると再び落ちる様に着目する。一定の高さを超えることができない水は、達せられることのない願望の喩であり、それでもなお空へと手を伸ばす人間の姿を描いている。

噴水が止まれば水は空中に水のかたち脱ぎ捨てて散る 

              鳥居『キリンの子』

 水は方円に従うので固有の形はない。しかし私たちは蛇口から流れる水や噴水から噴き上がる水を見て、それを何となく水の形と捉えている。噴水は噴き上げるからこそ一定の形を保っている。この歌では、その勢いがなくなると水が形を失うと捉えているところがおもしろい。

噴水を噴き出て白を得たる水白を失うまでのたまゆら

              藤島秀憲『ミステリー』

 鳥居の歌では形だったが、藤島の歌では色である。水は無色透明で色はない。しかし噴水から勢いよく噴き出ることで気泡が混じって白く見える。そして水盤に落ちると無色に戻る。白という色を得てきらきら輝くのはほんの一瞬である。

 鳥居の歌も藤島の歌も、見かけの上では噴水しか描いていないにもかかわらず、私たち人間の生きる様にどこか通じるところが感じられる。 

 

【註】

朝日新聞2020年8月9日朝刊「うたをよむ」欄に掲載されたものです。

朝日新聞社に無断で転載することを禁じます。(承諾番号 20.3028)

短歌における「わたし」

震えながらも春のダンスを繰り返し繰り返し君と煮豆を食べる

堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』

 感性の共同性を基軸とする古典和歌から「自我の詩」である近代短歌へと移行して以来、短歌と〈私〉は切り離せないものとなった。たとえ「曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径」(木下利玄)のように、表面上は〈私〉が顔を出さない歌においても、歌の背後には風景を見ている〈私〉が蟠踞している。とはいえ実際に歌に現れる〈私〉の奥行きと射程は様々である。

 〈私〉の最も直接的把握は、坂道を登って来てはあはあと息が切れている〈私〉、冷えたビールをごくごく飲んで喉を鳴らしている〈私〉のように、「たった今・現在」を生きる私である。こうして感得される〈私〉は瞬間的であり強い実感を伴う。この対極にあるのが、「薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ」(岡井隆)や「首都高の行く手驟雨に濡れそぼつ今さらハコを童子を聴けば」(藤原龍一郎)などの歌に見られる〈私〉である。

 どこがちがうのだろう。この二つの〈私〉は多数の軸において対立する。まず前者の〈私〉は瞬間的で奥行きがない(瞬間性)。こうして切り出された〈私〉は過去と切断された〈私〉である(非歴史性)。まるで劇作家アヌイの主人公のように記憶すら失っているかに見える。かたや後者の〈私〉は持続的で奥行きがある(持続性)。そのため過去と繋がっており、積み重ねられた記憶を抱えている(歴史性)。岡井の歌も藤原の歌も、自分の今の状況と過去の苦い記憶が重ね合わされていることからもそれは明らかだろう。

 さて振り返って掲出歌を見ると、この歌の〈私〉は前者の奥行きと射程の短い〈私〉である。この〈私〉はダンスを踊り君と煮豆を食べる今という瞬間を生きている。現代の若手歌人の短歌に見られるのはこのような〈私〉である。この私の位相は、「イルカがとぶイルカがおちる何も言っていないのにきみが『ん?』と振り向く」(初谷むい)の、まるで瞬間の連続のように動詞が終止形に置かれている文体に現れている。現代の若手歌人は歴史性を担う持続的な〈私〉よりも、かけがえのない今という瞬間を生きる〈私〉に惹かれている。

 

『ねむらない樹』vol5, 2020に掲載

藤原龍一郎『202X』書評 パルチザンの狼煙

 本書を手に取るとまず目を惹かれるのは赤地に黒い文字とイラストという装幀である。収録された歌を読むと、それが抵抗と反逆を表す配色だと知れる。しかし黒一色の不気味なイラストの人物は、目深に帽子を被ってこちらを監視しているように見える。

 藤原の何冊目の歌集になるのだろうか。前作の『ジャダ』と較べると内容の違いは一目瞭然である。本書は抵抗と憤怒の歌集だ。藤原の抵抗はまず現代日本の監視社会化に向けられる。

夜は千の目をもち千の目に監視されて生き継ぐ昨日から今日

詩歌書く行為といえど監視され肩越しにほら、大鴉が覗く

『夜は千の目を持つ』はウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の小説であり、大鴉はもちろんエドガー・アラン・ポーで、藤原の短歌ではお馴染みだ。

 次に藤原の憤怒が向かうのは、集団的自衛権の解釈が変更され右傾化が現在進行形なのに、五輪開催に昂揚する日本というおめでたい国である。

無花果も桃も腐りて改憲の発議の秋を荒れよ!荒れるや!

世界終末時計はすすむ酷熱の五輪寒雨の学徒出陣

「あれるや」は「ハレルヤ」のフランス語読み。こうした仕掛けがあちこちにあり、藤原の文体は晦渋で重層的である。その一方、子供時代を過ごした深川を回想する歌は柔らかく懐かしい。

夕汐の香こそ鼻孔にせつなけれ深川平久町春の宵

 藤原は本歌集によって、抵抗のパルチザンとして生きる決意を表明しているかのようだ。(六花書林・二七五○円)

 

『うた新聞』2020年8月号に掲載

照屋眞理子句集『猫も天使も』序文

 

 この度、縁あって照屋さんの遺句集の序文を書かせていただくことになり、書庫から照屋さんの歌集と句集を取り出して再読した。すると二冊の歌集の表紙裏に照屋さんから拝領した手紙が挟んであることに気づいた。私はこの手紙のことをすっかり忘れていた。一通は歌集『抽象の薔薇』に挟んであり、日付は平成一六年一二月一六日。私宛に歌集を送る送り状である。もう一通は歌集『夢の岸』にあり、日付は平成一七年一月二十日。私の方から残りの歌集と句集を購入したいと希望したのに応えての返辞である。どちらも青色インクの万年筆で綴られた達筆の手紙で、筆の運びと行き届いた文章に照屋さんのお人柄がよく表れている。肉筆の手紙を再読して、照屋さんの肉体がもうこの世にないことを改めて実感したのである。

 照屋さんが残されたのは『夢の岸』、『抽象の薔薇』、『恋』の三冊の歌集と、『月の書架』、『やよ子猫』の二冊の句集だから、本句集は第三句集となる。歌集が三冊と句集が三冊ということは、照屋さんが短歌と俳句の両方の領域で活躍された人であることを示している。短歌の生理と俳句の生理はかなりちがうので、両方で等しく活躍することはそうあることではない。照屋さんの師である塚本邦雄もまた句集を持ち俳句批評をしていたので、師に倣ったものと思われる。しかし照屋さんは自分には俳句の方が向いているとしきりにおっしゃっていた。句誌『季刊芙蓉』の代表に就かれてからは、さらに俳句の方に軸足が移っていたと思われる。

 照屋さんの作る短歌と俳句に共通して見られる特徴の第一は、「非在を視ようとする眼」であろう。これは一見すると矛盾している。「非在」とはこの世にあらぬものであり、ないものは目には見えないからである。

まだ見ぬ恋まだ咲かぬ花中空に  『やよ子猫』

切株の夢の梢に小鳥来る

目に見つつ見えぬものる滝の上

虫止んで声のまぼろし残りけり  『猫も天使も』 

もうゐない先刻さつきのわたし流れ星

月出でてきのふ牡丹の在り処わが目の置ける白のまぼろし  『夢の岸』 

 まだ咲いていない桜の花を空に見て、存在しない梢に来る小鳥を見る。滝の上にも目に見えない何かが光っている。近代俳句、近代短歌の王道は写生であり、写生とは目に見えたものを写すことなので、存在しないものを詠むというのはその精神に反している。ではどうして照屋さんは非在を視ようとするのか。その根底には「この世の姿は仮象にすぎぬ」という、照屋さんの心に深く根付いた思想があるからである。もしこの世の姿が仮象であるとしたならば、まだ咲かぬ桜も、長い年月の後に切株から成長するであろう梢も、目の前にある花や木と同じ資格において「存在するもの」となるのである。このように存在の背後に非在を視ようとするのは、短歌と俳句に一貫した照屋さんの変わらぬ姿勢である。

 「この世の姿は仮象」ということは、今ある姿を取っているものも別な姿で立ち顕われるかもしれないということであり、その筆頭は〈私〉である。

胸鰭のありし辺りに春愁  『猫も天使も』 

猫じやらしわれに微かな尾の記憶

春風や偶偶たまたま人にれしのみ  『月の書架』

人間ひとのふりして加はりぬ踊りの輪  『やよ子猫』

人間の皮猫の皮かりそめに着て夜の秋のたましひ二つ  『恋』 

 目には見えない胸鰭や尻尾を体に感じるのは、ヒトという種が魚類から進化したということではなく、神様の振る骰子の目が一つちがっていたら私は魚や猫としてこの世に生を受けていたかもしれぬということだ。だから私の膝で眠る猫も私もたまたまこの姿でこの世にいるにすぎない。こういう想いが照屋さんの心の深い処にあった。

 だとすれば今ある形を取って在るこの世と、また自分が別の形を取って生まれる別の世とは等価であり、その差分は僅かと感じられてもおかしくはない。

野遊びやさきの世の尾を戦がせて  『猫も天使も』

またの世の今はさきの世天の川

またるる日までこの世に鶴でゐる   『やよ子猫』

月明に逢はなむ人を辞めて後

夏椿ひらくかたへにそと置きてうつし身はすずしきこの世の嘘

                          『抽象の薔薇』

 現世のみが世界ではなく、この世に存在するものだけが存在ではない。この世と別の世を自在に行き来できるわけではないが、この世に在るものの傍らに別の世が色濃く感じられる。そのような感覚が照屋さんの俳句や短歌に独自の味わいと奥行きを与えている。

 現世は連綿と続く前の世と後の世に挟まれた須臾の間に過ぎないと感じるならば、「一期は夢」との想いを深くするのは当然の成り行きである。事実、照屋さんのデビュー作となった歌集の題名は『夢の岸』だったことを鑑みれば、その想いは若い頃からすでに照屋さんの胸に生まれていたと思われる。

またの名は螢この世を夢と言ふ  『猫も天使も』

前世後世この世も夢の桜かな   『月の書架』

神が見る夢がこの世よ春うらら

ああわたしたぶん誰かの春の夢   『やよ子猫』

一期の夢の途中道草して花野

美しい夢であつたよ中空ゆ振り返るときこの世といふは  『恋』 

 改めて読み返してみると初期の作品に詠まれた「夢」はどこか抽象的で観念的把握に留まっている。しかし歳を経るに従って夢の想いは体内深く沈潜し、照屋さんの日々を浸すようになって、句にも凄みが増しているように感じられる。二○一三年の『季刊芙蓉』九七号に照屋さんの句集の評を書いたときにも取り上げたのは「夢」だった。すると照屋さんから「また夢ですか!」といささか不満げなメールが届いたことがあったが、「一期は夢」は照屋さんから離れぬ想いだったのだからいたしかたない。

 照屋さんは重いこの世の肉体を脱ぎ捨て、夢の中で幾度も訪れた別の世で軽やかに遊んでいるにちがいない。そんな自分の姿を照屋さんは句や歌に繰り返し詠んでいる。残された句集・歌集の中に心を遊ばせれば、そこには形を持たなくなった照屋さんがいつもいるのである。私たちは書を開くだけでよい。

こんなに軽くなつて彼岸の野に遊ぶ  『月の書架』

もうかたち持たずともよきさきはひを告げきて秋の光の中  『恋』

 

照屋眞理子『猫も天使も』角川書店、2020年7月15日刊行

淀みが生み出す別の時間 高橋みずほ『白い田』

 加藤克巳の「個性」終刊後、結社に属さず独自の活動を続ける高橋みずほの第八歌集である。題名の『白い田』は集中の「白い田に父の寝息が届くよに息をひそめているなり」から。老齢の父が住む北国の冬の田である。

 高橋の父君は東北大学名誉教授の植物学者高橋成人。本歌集のテーマの一つは父親の晩年とその死である。父恋の歌が胸を打つ。

すずなすずしろしろきにねむれ父ゆきてしろきにねむれ

父の椅子いなくなりてしばらく欅大樹の木漏れ日をのせ

  高橋の歌には字足らずなど破調の歌が多く、本歌集も例外ではない。

ときおり少年の振り返りつつ丸まる影の頭なく

白い田に二本の轍ゆるき曲がりの畦の道

 高橋が字足らずの歌に拘り定型をあえて崩すのは、ややもすれば定型の流れに乗って出来事と出来事を結ぶ時間に注がれがちな眼差しを、出来事の間に潜み奥へと沈む別の時間に導くためである。高橋はそれを「縦軸の時間」と呼ぶ。

うつくしき玉と思うまどいつつおちる面にてゆくさきざきへ雨の玉

染みわたる今日のおわりのひかりに鱗ひと片輝く形

満月にすこしかけたる白月が朝顔蔓の輪に入りつ

 あるときは歌の韻律の流れが抵抗に遭って澱み、またあるときは早い流れに思いがけず遠くまで運ばれる。そこに韻文ならではの濃密な時間と意味の広がりが立ち現れる。消費される言葉の対極にある本歌集は、とりわけじっくりと味わわれるべき歌の花園である。

 

『うた新聞』2018年8月号(第77号)に掲載

透明なクリアファイルのように 笹井宏之

 笹井宏之は一九八二年生まれ。二〇〇四年から主にネット上などで作歌を始める。歌歴一年足らずで二〇〇五年に第四回歌葉新人賞を受賞。この新人賞はニューウェーヴ短歌の荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘らが創刊した『短歌ヴァーサス』の企画で、受賞のご褒美は歌集の出版である。第一歌集『ひとさらい』はオンデマンド出版で二〇〇八年に刊行された。その一年前の二〇〇七年に笹井は「未来」に入会し、加藤に師事している。同年未来賞を受賞。

 『ひとさらい』のあとがきは、「療養を初めて十年になります」という文章から始まる。笹井は重い身体表現性障害に罹患していて、自宅で療養生活を送っていたのである。第一歌集出版からちょうど一年後の二〇〇九年に風邪をこじらせて逝去する。享年二十六歳の若さであった。

 死後、師の加藤と歌友の編集で第二歌集『てんとろり』が書肆侃侃房から上梓され、同時に第一歌集『ひとさらい』も改めて出版された。この他に、両歌集からの抜粋を集めた『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』がPARCO出版から出ている。これが笹井作品のすべてである。

 笹井は二〇〇〇年の『短歌研究』創刊八〇〇号記念臨時増刊の企画である「うたう」作品賞をきっかけとして陸続と現れたポスト・ニューウェーヴ世代の一人である。この世代の短歌の主な特徴として、日常的話し言葉と平仮名の多用、緩い定型意識、特定の視点の不在、短歌的〈私〉の希薄化、薄く淡い抒情が挙げられる。

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って

それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどの明るさでした

 これらの歌を近代短歌のコードで読み解くことはできない。近代短歌では歌に詠まれた風景や事物は作中の〈私〉の心情の投影であり、歌の中で喩としてたった一人の〈私〉を照射する。しかるに笹井の歌では水田に散乱した譜面や畳まれたデッキチェアは何の喩でもなく、歌の中でボエジーを押し上げるものとしてそこにある。笹井は定型による詩の創出ではなく、ひたすら言葉の詩的純度を高めることを目指したように思える。

折鶴の羽をはさみで切り落とす 私にひそむ雨の領域

あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ

 羽を切り落とされた折鶴や空から剥がれてゆく雲には詩情が漂うと同時に、どこか哀切で悲劇的なものが感じられる。それは必ずしも私たちが夭折歌人と知って笹井の歌を読むからではなく、笹井の短歌世界に内在する資質であろう。

夕立におかされてゆくかなしみのなんてきれいな郵便ポスト

 とまれ私たちには笹井の二冊の歌集が残されている。その透明で純度の高い抒情はこれからも愛され読まれ続けるだろう。

 

 短歌総合新聞『梧葉』2017年10月 Vol. 55 「夭折歌人を読む」15として掲載