角川『短歌』11月号歌壇時評 名歌とアンソロジー

 往年の人気テレビ音楽番組「夜のヒットスタジオ」の構成作家で、現在は音楽プロデューサーの木崎徹が、あるラジオ番組で、「僕たちはヒットソングを作ることには成功したが、スタンダード・ナンバーを作ることができなかった」と述懐していた。ヒットソングは、はやり歌なので、しばらくの間ヒットチャートを賑わせて、やがて忘れられてゆく。これにたいしてスタンダード・ナンバーは、長く歌い継がれてゆく歌である。たとえばフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」、ビートルズの「イエスタデイ」、坂本九の「上を向いて歩こう」などが代表的なスタンダード・ナンバーだろう。

 スタンダード・ナンバーは、それをよい歌だと感じた歌手がカバーすることでスタンダードとなる。つまりその歌を最初に歌った本人以外の多くの人が歌うことで名曲として世に定着してゆくのである。スタンダード・ナンバーが生まれるためには、「他の人が何度も繰り返し歌う」ことが必須なのだ。

 短歌における名歌にも同じことが言える。どこかの会に一度出詠されたり、どこかの雑誌に掲載されただけでは名歌にはならない。それをよい歌だと感じた人が、その歌を引用し、その歌について語り、その輪が池に投げ込まれた小石の波紋のように拡がることによって名歌が生まれる。名歌とは、たくさんの人が「これは良い歌だ」と言った歌のことである。だから名歌の誕生には、作者以外の人が読み、それについて語るという行為が必須なのである。こうして名歌が生まれるには、アンソロジーが大きな役割を果たしている。昔の和歌ならばそれは勅撰和歌集が担った役割である。今年の初夏に出版された瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』(左右社、二〇二一)は、このような文脈で受け取られるべき優れたアンソロジーである。

 それまで短歌に縁のなかった人が短歌に興味を持ったとして、いきなり誰かの歌集を買うのはお奨めできない。時評子も最初は歌集をどのように読めばよいのかわからず、一冊を最後まで読むことができなかった。寡聞にして「歌集の読み方」を解説した本は見たことがない。しかし歌集を読むのは小説を読むのとはちがって、一定の技術が必要な特殊な読書行為である。

 短歌の初心者が最初に手に取るべきなのはアンソロジーである。アンソロジーでは、編者の鑑識眼に基づいて名歌・秀歌が選び出され、歌の鑑賞・解題と作者の紹介まで付いている。歌集を一人で読むのが自分で旅程を決めて、飛行機の切符の手配からホテルの予約までする個人旅行であるとするならば、アンソロジーは経験豊富なガイド付きのツアー旅行である。

 短歌のアンソロジーとしては、すでに定評のある高野公彦編『現代の短歌』(講談社学術文庫、一九九一)や小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(新書館、一九九九)などがあるが、最近相次いで新しいアンソロジーが出版された。山田航編著『桜前線開架宣言』(左右社、二〇一五)は、「Born after 1970 現代短歌日本代表」という副題が付されていて、大松達知から小原奈実までの四十人の歌人の短歌が収録されている。また東直子・佐藤弓生・千葉聡編著の『短歌タイムカプセル』(書肆侃侃房、二〇一八)は、「現代歌人115人の各20首&1首鑑賞」と銘打っていて、こちらは葛原妙子、大西民子、前田透なども取り上げられており、より年代幅の広い選集となっている。

 『はつなつみずうみ分光器』の帯には「読むべき歌集55」と書かれている。このコピーが示すように、歌人のアンソロジーではなく、歌集のアンソロジーであるところが本書の特徴だろう。二〇〇〇年以後に出版された歌集を出版年順に並べて紹介しているのだが、そこにはちょっとした秘密が隠されている。たとえば最初に取り上げられているのは吉川宏志の『夜光』だが、これは吉川の第二歌集であり、第一歌集の『青蝉』は一九九五年に出版されている。穂村弘の歌集で取り上げられているのは『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』で、これは『シンジケート』『ドライ ドライ アイス』に続く第三歌集である。瀬戸が紹介文で、吉川が現在の短歌に与えた影響は、穂村弘や枡野浩一を凌ぐのではないかと書いているように、現代短歌に与えた影響の大きさから、吉川の歌集を入れたくて、第二歌集を選んだのにちがいない。また『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』については、「二十一世紀において短歌をいかにつくるべきかを考えるときにこの歌集を抜きに考えることはできなくなった」と瀬戸が書いていることからわかるように、短歌シーンに与えたインパクトの大きさが収録の理由となっているのである。つまり編者の選択眼は、歌人のみならずどの歌集を選ぶかにまで及んでいるということだ。これがなかなか大変な作業であることは想像に難くない。

 それぞれの歌集に付された瀬戸の論評には独自の視点があり、教えられるところが多い。『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』のまみのモデルが雪舟えま(小林真実)であることは知らなかったので驚いた。また飯田有子の『林檎貫通式』が出版当時、ジェンダー的視点やフェミニズム的観点から読まれることがなかったという指摘や、東直子の口語短歌のテクニックはほとんど公共物となっているのに、そのことが過小評価されているという指摘には考えさせられるところがある。このアンソロジーを短歌の世界への入口とする人がたくさん現れるだろう。

 俳句の世界では、山田のアンソロジーと相似形の佐藤文香編著『天の川銀河発電所』、副題「Born after 1968 現代俳句ガイドブック」(左右社、二〇一七)が出ていて、川柳では小池正博編著『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房、二〇二〇)があり、いずれもそれぞれの短詩型文学へのよき導き手となっている。併せて読むと、現在における短詩型文学の展望が広く得られるだろう。

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 もう一冊楽しい本が出たので紹介しておきたい。東直子・穂村弘『短歌遠足帖』(ふらんす堂、二〇二一)である。仲良しの東と穂村が、岡井隆、『きことわ』で芥川賞を受賞した小説家の朝吹真理子、最近穂村とコラボをしている脚本家・演出家の藤田貴大、名作『ポーの一族』の漫画家萩尾望都、お笑いコンビ麒麟の川島明をゲストに迎えて吟行した記録で、中身は作った短歌を披露しあう座談会になっている。岡井の回が二〇一二年、最後の川島の回が二〇一五年なので、吟行からずいぶん時間が経ってからの出版である。

 留意しておきたいのは、第一回目の吟行が行われた二〇一二年は、東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所の苛酷事故、および関東地方での計画停電という稀に見る大きな出来事からまだ一年しか経っていないということだ。吟行で岡井ら三人の作った歌にはこの事件の余波が遠く反映している。

 岡井隆と吟行したのは井の頭公園と園内にある動物園である。三人は次のような歌を作っている。

実験用山羊をあやめし若き日を語りつつす黒き牡山羊を                             岡井 隆

頭蓋骨のくぼみに日本の影ためて老象はな子のっしり遊ぶ                             東 直子

「どっちからきたんだ、これからどこへゆく、あっちですか」と動物園で                             穂村 弘

 吟行では赴いた先で目にしたものを題材として歌を詠むので、注意力と機転が求められる。岡井の歌は、医者になるべく研鑽を積んでいた若い頃の回想だろう。穂村の歌は、実際にその場で岡井が言った言葉を歌に落とし込んだ、一種の挨拶歌である。こうして見ると、まるでゴーギャンの有名な絵のタイトルのようでもあり、何やら箴言めいて聞こえるから不思議である。

 朝吹真理子とは鎌倉へ、藤田貴大とは東京タワーへ、萩尾望都とは上野公園へ、川島明とは大井競馬場へ足を運んでいる。岡井以外の人の歌も挙げておこう。

少女 四番ポジションで漫画読む山門の脇道骨の上

                  朝吹真理子

オレンジに発光したあれ背に歩くこの気持ちとはあれだ、あれあれ                             藤田貴大

オリーブの山の一夜に眠り入る使徒の足もとに白い花咲く                             萩尾望都

「目があった!」頬赤らめてたあのひとは指を赤く染めどて煮を啜る                             川島 明

 俳句の句集をよく出している版元のふらんす堂ならではなのは、各回にお題として季語が与えられ、その季語をもとにして歌を作るという課題である。その季語がまた一筋縄ではいかないものばかりで、「鶏始めて乳す」「蟷螂生ず」「閉塞して冬と成る」「魚氷に上がる」「鹿の角落つ」である。みんなの苦吟する様子がほほえましいが、抜群の対応力を見せるのが東直子である。

三軒先までは知らせていなくなる鶏始乳四人よたり

制服をガラスの床におしつけた空つめたくて冬となる日に

鹿の角ぬけおちる朝こんなにも忘れてしまう心でしたか

 第一回目の吟行のゲストの岡井は昨年他界している。ずっと年下の二人の歌人と楽しそうに話す岡井の写真を見ると、いまだ岡井が存命のような錯覚に襲われる。東の歌に詠まれていた井の頭公園動物園の象のはな子も二〇一六年に老衰で亡くなっている。一連の吟行が行われたのは、新型コロナウイルスによるパンデミック以前のことである。昨年春以来、緊急事態宣言が断続的に発令され、マスク着用を強いられ、不要不急の外出を控えるように言われている現在から見ると、本書はまるで失われてしまった遠い世界の楽しかった行事の記録のように見えて、懐かしさすら覚えてしまうのである。

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 短歌ムック「ねむらない樹」は、毎号興味深い特集を組んでいるが、最新号の七号も例外ではない。特集1は葛原妙子で、川野里子による高橋睦郎インタビュー、石川美南・水原紫苑・睦月都・吉川宏志の座談会、尾崎まゆみ・松平盟子らによる論考、川野里子と水原紫苑の往復書簡と盛りだくさんである。なかでも高橋睦郎インタビューには、あっと驚くことがたくさん書かれて、興味深く読んだ。

 高橋睦郎といえば、現代詩人のイメージが強いかもしれないが、俳句と短歌もよくしており、句歌集『稽古飲食』で第三九回読売文学賞を受賞している。もともとは私家版だったものが、受賞を期に不識書院から普及版が刊行されている(一九八八)。

 ふるさとは盥に沈着しづく夏のもの

            稽古飲食』

  慈圓僧上の草枕ならねど

 捨靴にいとどを飼ふも夢の夢

 くたりつつ馨る玉葱少年のおよぴ觸れなばおよびしろがね

 死に到る食卓はろか續きゐていくつかは椅子二脚をそなふ

 その高橋が昔から多くの歌人と交流があったことがインタビューで語られている。高橋は葛原の自宅や軽井沢の別荘を訪れることがよくあったという。葛原は六月に東京を後にして別荘に行き、九月に東京に戻るまで、ずっと別荘の二階で過ごし、一階に降りて来ることがなかったそうだ。軽井沢の別荘から帰るとき、「駅弁でも召し上がって」と手渡された封筒に三十万円入っていたとか、葛原からはよく午前一時頃に電話がかかってきたとか、驚くような話が語られている。深作光貞や須永朝彦や長沢美津らの名も飛び出して、交流の広さが感じられる。

 特集2は川野芽生である。自筆年譜、近作の短歌、幻想小説作品に加えて、藤原龍一郎・吉田瑞季・山階基が寄稿したエッセーが掲載されている。川野のように歌集をまだ一冊しか持たない若い歌人がこのように特集されるのは珍しいことで、特段の待遇と言えるだろう。それだけ川野が注目されているということである。

 特集の目玉は何といっても山尾悠子との往復書簡だ。山尾といえば、『ラピスラズリ』『飛ぶ孔雀』などで知られる幻想小説作家で、熱狂的なファンがいることでも名高い。本人は「若気の至り」「黒歴史」などと言っているが、山尾には『角砂糖の日』(深夜叢書社、一九八二)という歌集がある。長らく絶版になっていたが、二〇一六年に新装版が出て話題になった。川野は現在、東京大学大学院総合文化研究科(駒場にある教養学部の大学院)の博士課程に在籍しており、ファンタジー文学、特にトールキンの『指輪物語』やウィリアム・モリスの研究をしている学徒である。ひと昔前の分野名で言うと比較文学だろう。言うまでもなく川野は山尾の大ファンであり、憧れの山尾と往復書簡を交わす機会を得られたことが嬉しくてならないという興奮が文章から伝わってくる。

 川野は自身がフェミニストでクィアであることを公言しているので、話題は勢い「女性であること」と「風変わりであること」に及ぶ。山尾は、尾崎翠・倉橋由美子・矢川澄子らかつての風変わりな女性作家が孤独であったと言い、また自身も小説の世界で若い頃はとても孤独だったと述懐している。短歌の世界ではどうかと川野に問い掛けると、川野は、葛原妙子が孤独だったという印象はなく、自分自身も歌の仲間がいて孤独は感じないと答えている。男性優位の小説の世界と、女性作家が多くいる短歌の世界のちがいかもしれない。やがて話題は両性具有へと及び、ファンタジー文学に馴染みのない人間にはとうてい手の届かない領域へと入ってゆくのだが、二人がシスターフッドの可能性について熱く語っているのが注目される。

凍星よわれは怒りを冠に鏤めてこの曠野をあゆむ

                  川野芽生

角川『短歌』10月号歌壇時評 ジェンダー、オリンピック、若手歌人

「短歌研究」が今年の六月号からリニューアルした。それまでの白地にイラストという表紙から、カラー地に猫のイラストに変わった。イラストが猫なのは、小島ゆかりの「サイレントニャー 猫たちの歌物語」という楽しい連載が始まったからだろう。その他にも、吉川宏志の「1970年代短歌史」、工藤吉生の「Twitterで短歌さがします」などの新連載がスタートしている。六月号では「31年目の穂村弘『シンジケート』論」、「篠弘インタビュー『「戦争と歌人たち」を語る』」、YouTube書評家・渡辺祐真(スケザネ)の「俵万智の全歌集を『徹底的に読む』」という三つの特集が組まれており、リニューアルにかける編集部の意気込みがうかがわれる。

 穂村弘の『シンジケート』の特集が組まれたのは、一九九〇年の刊行から三一年経った今年、新装版が出版されたからである。その後の短歌シーンを大きく変えた穂村の歌集について大勢の歌人がエッセーを寄稿していて興味深い。穂村と東直子を世に出すのに林あまりが大きな役割を果たしていたことを、林のエッセーを読んで知った。また水原紫苑の「私だけが分からなかった『シンジケート』」と題された文章には、穂村からもらった歌集を癇癪を起こして破り捨てもう一冊もらったこと、当時はどうしても穂村の短歌がわからなかったことが率直に書かれている。〈自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて〉という穂村の新作を見せられた時、山崎郁子は目をきらきらさせていたが、水原はどこがいいのかわからなかったという。どうやらこのあたりに時代の感性の分岐点があったことがうかがえる。穂村の初期作品にはキリスト教の影響が見られることや、穂村は古典和歌の発想を現代に変奏しているところがあるという水原の指摘は注目される。

 「短歌研究」八月号は、水原紫苑責任編集「女性が作る短歌研究」という特集を組んでいる。全二九二頁のうち三分の二以上を当てるという力の入れようである。過去の号と較べても、年末恒例の短歌研究年鑑を除けば例のない厚さとなっている。特集の目玉企画は、「歌と芸」と題された馬場あき子と水原紫苑の対談と、「女性たちが持つ言葉」という田中優子と川野里子の対談である(田中優子は前法政大学総長で江戸文学の研究者)。

 対談「歌と芸」には司会として演劇評論家の村上湛が加わり、塚本邦雄と前衛短歌の出発点、大岡信と塚本との「調べ」をめぐる論争から、古典と芸へと話が及んでいる。田中と川野の対談では、田中の専門分野である江戸文学に女性の表現者が多かったことや、樋口一葉、与謝野晶子、石牟礼道子らの仕事について縦横無尽に論じられていて話題は尽きない。

 とりわけ興味深く感じたのは田中の次のような指摘である。『たけくらべ』冒頭の「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火ともしびうつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の往来ゆききにはかり知られぬ全盛をうらなひて…」というくだりの現代日本語訳が「私は」から始まっているのを見て、これはまずいと感じたと田中は語っている。田中は次のように続け、川野もそれに応じている。

田中 あそこにあるのは、主語じゃないんです。空間なんです。物語自体が、あの吉原という空間の中に一歩も入らず廻っているんです。冒頭がまさにその象徴なんですよね。これは、歌詠みじゃないと理解できないのだろうなと私は思いました。日本の古典を読まず翻訳物や現代小説で文章を学んだ人は、理解できないんですよ。

川野 いったん「私」を置いて空間全体をふんわりと把握するような描写力というのは、和歌の基本的な表現力だと思います。

 この指摘は古典和歌に留まらず、現代短歌にも同様に当てはまるだけでなく、さらに広く日本語という言語の深い特性に触れている。かつてアメリカ人の日本語研究者ジョン・ハインズは、『日本語らしさと英語らしさ』(くろしお出版、一九八六)で次のように述べた。英語は人を表す主語に焦点を当てる「人物焦点」(person focus)を好む言語で、日本語は人ではなく状況・場を中心に文を組み立てる「状況中心」(situation focus)の言語である。そのことは英語の My mother called today.と、日本語の「今日母から電話があった」や、I see a ship far away.と「はるか遠くに船が見える」のちがいを見ればよくわかる。日本語には「私」が表面に出ない文がたくさんあり、主語がどれかすら判然としない文もある。『たけくらべ』の冒頭の吉原の描写は、一見すると作中の「私」が見た情景のように描かれつつも、実は無人称的な空間が支配する描写なのである。

 日本を愛し日本で半生を送ったポルトガルの外交官・詩人のモラエスは次のように書き残している。「ヨーロッパの言語は(…)能動的で倦むことなく、ひどく個人的、利己的、自我的で、心的で物的な〈我〉を反映しているのに対して、日本語は無人称性、すなわち、すべての自然の様相の中に積極的な能動者として自ら進んで参加しない」(『日本精神』)。

 特集「女性が作る短歌研究」にはこれ以外に、阿木津英と黒瀬珂瀾のジェンダーをめぐる論考と、多くの女性歌人の短歌作品が掲載されている。ジェンダーの問題は、これから短歌の世界においてたびたび取り上げられる重要な問題となるだろう。

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 本誌八月号では大特集「1964」が組まれている。言うまでもなく一九六四年は前回のオリンピック東京大会が開催された年で、今年また東京でオリンピックが開かれたことにちなんでの特集である。

 興味深いのはその年の一月号から十二月号までの本誌の目次が写真版で掲載されていることだ。縮小してあるのでルーペが必要だが、土屋文明、土岐善麿、窪田空穂、葛原妙子、齋藤史、近藤芳美らの居並ぶ名前を見ると、すでに戦後短歌と前衛短歌の時代を迎えてはいるものの、戦前派もいまだ健筆を振るっていたことが知れる。

 また大井学の「昭和ジャンクション」には、本誌編集部のメンバーが同年六月に交代したことをきっかけに、塚本邦雄や寺山修司の作品が掲載されなくなり、富士田元彦の言葉を借りれば「前衛パージ」が始まったことが書かれており、当時の歌壇の動きがうかがい知れて興味深い。大井の文章を読むと、当時の短歌シーンで深作光貞(一九二五〜一九九一)が大きな役割を果たしていたことがあらためてわかる。深作は文化人類学者で京都精華大学の学長を務めるかたわら現代短歌に深く関わり、中井英夫と共に「ジュルナール律」という短歌誌を発行して、村木道彦ら新人を世に出した。現代短歌のフィクサーとも呼ばれている。岡井隆を京都精華大学教授に招いたのも深作である。岡井はこの間、京都で開かれていた荒神橋歌会、神楽岡歌会、左岸の会などに参加して、後輩歌人たちに大きな影響を残したと言われている。

 大特集「1964」の「当時の思い出」というエッセーを読むと、佐佐木幸綱が早稲田大学の大学院生だったとあるので、前回のオリンピックからどれだけの時間が経過したかがわかる。また森山晴美のエッセーには、当時の自分の月給が一八、五〇〇円で、食パン一斤が三十五円、コーヒー一杯が六十円だったと書かれている。こういう日常の暮らしの細かな情報はすぐに失われてしまうので貴重な証言である。特集に寄せられた文章を読むと、いずれも当時の日本を包んだ熱狂からは遠く、再び巡ってきた東京オリンピックにも冷静な反応を示している人がいて特に印象的に残った。今回のオリンピック東京大会は将来どのように語られるだろうか。

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 「現代短歌」九月号は「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」(一九九〇年以降生まれの歌人の選集)という特集を組んでいて、なかなか読み応えがある。六十人の若手歌人の自選十首と、自分が最も影響を受けた一首を挙げて短く解説を付けるという企画である。一九九〇年生まれの人は今年三十一歳になるので、取り上げられているほとんどは二十代の歌人である。冒頭には「売り出しだ、ユダヤ人も売らなかったもの、貴族も罪人も味わわなかったもの、大衆の呪われた愛慾にも地獄めいた正直さにも知られていないもの」という一節で始まるランボーの「大売出し」という詩の粟津則雄訳がエピグラフとして掲げられている。

 一九九〇年生まれの井上法子に始まり、二〇〇〇年生まれの川谷ふじので終わる若手歌人の短歌を通観すると、現在の短歌シーンを形作っている風景の一部が見えてくる。なかには山川築、睦月都、鈴木加成太、立花開、道券はななどの角川短歌賞受賞者、川野芽生、佐伯紺、帷子つらねらの歌壇賞受賞者、平出奔、郡司和斗ら短歌研究新人賞受賞者、現代短歌社賞の西藤定の名前も見えるが、それ以外にも活躍している歌人が幅広く取り上げられている。日頃接している媒体のちがいからか、それとも当方の不勉強のせいか、初めて名前を見る歌人もいて、視野を広げるのに非常に有益である。どのような歌人を選んで取り上げるかに編集者の腕前が表れる。

 自選十首を見てみると、当然ながら受賞作やすでに出版された歌集から自信作を選んでいる人が多い。

フードコートはほぼ家族連れ、この中の誰かが罪人でもかまわない                                阿波野拓也

月を洗えば月のにおいにさいなまれ夏のすべての雨うつくしい                                 井上法子

わがウェルギリウスわれなり薔薇そうびとふ九重の地獄Infernoひらけば       

                     川野芽生

その一方で、短歌賞の受賞作ではなくあえて新作を選んでいる歌人もいる。

でも触れてあなたを噛んでわたくしを残す日の万華鏡のかたむき                                 立花開

春の二階のダンスホールに集ひきて風をもてあますレズビアンたち                                 睦月都

 立花の歌は角川『短歌』二〇一九年一月号の「新春79歌人大競詠」に出詠されたものであり、睦月の歌は「歌壇」の今年の六月号に掲載されたDance with the invisiblesという連作中の一首である。

 特集の誌面を眺めていると、小原奈実と川野芽生が見開きで並んでいて、二人が本郷短歌会で同学年だったことを改めて思い出す。菅原百合絵(旧姓安田)や寺井龍哉の名も見えて、本郷短歌会十一年の活動が現代短歌にとってどれほど重要なものだったかがわかる。老舗の早稲田短歌会や京大短歌会の出身者が多いのは当然として、岡山大学短歌会(川上まなみ)、大阪大学短歌会(佐原キオ)、九大短歌会(石井大成、神野優菜)、立命短歌会(安田茜)、東北大学短歌会(岩瀬花恵)など、十数年前から雨後のタケノコのように増えてきた大学短歌会出身の歌人が少なからずいる。若い人たちに短歌が浸透するのに大学短歌会が一定の役割を果たしていることがうかがい知れる。

 特集には「このアンソロジーの読みをめぐって」という大森静佳と藪内亮輔の対談がある。二人はそれぞれ、特集で取り上げられた歌人の自選十首の中から秀歌十首を選んで対談に臨んでいる。二人の選が一致したのは〈灯さずにゐる室内にらいさせば雷が彫りたる一瞬の壜〉(小原奈実)と、〈火は火でしょう、ひとつの名字を滅ぼして青年の手はうつくしいまま〉(帷子つらね)であった。小原の歌は同人誌「穀物」創刊号(二〇一四)に掲載されたもので、帷子の歌は「塔」の二〇二〇年十月号「十代・二十代歌人特集」のものである。

 対談の二人の発言から興味を引かれた部分を引いてみよう。大森は〈会っているとき会いたさは昼の月 即席のカメラで撮ってみる〉(橋爪志保)という歌を引いて、「橋爪さんに限らないですけれど、〈認識+景〉、〈内面の独白+景〉みたいな歌って全体的に、ほとんどなかったですね。初期の吉川宏志さんみたいな歌の作り」と述べている。これは永田和宏の「『問』と『答』の合わせ鏡」(『表現の吃水』而立書房、一九八一)のような作りの歌が少なくなったということである。確かに上句と下句が反照し合って修辞が増幅される歌は少なく、全体的に淡々とした歌が多い。ただし大森はそのことをネガティブに捉えているのではなく、若手歌人に広く見られる新しい作歌の傾向と見ているようだ。

 藪内は「井上法子さんの歌がこれからのひとつの軸になっていくのかなと思いまして」と発言している。〈陽に透かす血のすじ どんな孤独にもぼくのことばで迎え撃つだけ〉という井上の歌を引き、「この人も言葉の信者なんですよね。言葉教の信者で『ぼくのことば』で『迎え撃つ』んだっていうヒロイズムがあるんですよね。このヒロイズムっていうのは今、若手の歌のキーワードのひとつになるのかなと思っています」と述べている。

 おもしろいのは若手歌人が影響を受けた一首として挙げている歌人の顔ぶれだ。三人が選んだのは俵万智、雪舟えま、笹井宏之、平岡直子、小原奈実で、二人が挙げたのが与謝野晶子、葛原妙子、穂村弘、小島なお、五島諭、服部真里子、大森静佳、山中千瀬、浅野大輝であった。小原と山中と浅野はこの特集に取り上げられている若手歌人なので同世代である。選ばれたほとんどの人は現代短歌の歌人でしかもまだ若い。少し意外だったのは穂村弘がトップではなかったことだ。一九八一年生まれの永井祐の世代の歌人はほぼ全員が穂村チルドレンである。永井より十年後に生まれた世代は穂村以後の歌人の影響下から出発したことがわかる。

 もうひとつの特徴は選ばれている歌人の世代幅が狭いことだろう。斎藤茂吉や岡井隆や石川啄木の歌を挙げた人は一人ずつしかいない。昔の歌人よりも、自分の年齢に近い身近な歌人に共感を感じる傾向が見える。世代の輪切りがいっそう進行しているのだろう。若手歌人のそのような横顔を見せてくれるという点でも、興味深い特集となっている。

角川『短歌』9月号歌壇時評 「くびれ」と「ずん胴」

 先月号の歌壇時評で「口語によるリアリズムの更新」について書いたところ、「短歌研究」七月号で「二〇二一『短歌リアリズム』の更新」という特集が組まれた。企画と問題提起は山田航である。時評子が先月号の時評を書いていた時点では、「短歌研究」のこの号はまだ出ていなかったので、同じ話題が相前後して取り上げられたのはまったくの偶然である。この特集では、自分の経験を交えた山田の問題提起に続き、永井祐、手塚美楽、𠮷田恭大、穂村弘との対論が収録されている。

 その中で永井は、「写生」と「リアリズム」は違うと前置きして、写生的な短歌というのは「読む主体が作る主体を内面化するようにして作品を享受する」、「読む主体が作る主体の中に入る(…)特徴的なコミュニケーション」だと述べている。これは読者が作者の作中視点へと視点移動して、作者の体験を追体験するということだろう。興味深いのは、写生の描写方法をシューティングゲームに喩えたくだりである。主人公の目にカメラを置いたFPS(ファースト・パーソン・シューター)と、主人公の「頭上後方からの見下ろし視点」にカメラを置いたTPS(サード・パーソン・シューター)があり、近代短歌は基本的にTPS方式で作られているという。これにたいしてゼロ年代のリアル系短歌は、徹底してFPSを採用していると永井は述べている。この喩えはとてもわかりやすい。例えば岡井隆の次の歌はTPS方式で作られている。憎しみに酔うようにパンをひたすら咀嚼する〈私〉の孤影を見下ろす目が感じられるからである。

夕まぐれレーズンパンをむしりむ憎悪に酔ふがごとしひとりは                            『神の仕事場』

一方、今橋愛の次の歌は完全にFPSである。

もちあげたりもどされたりするふとももがみえる

せんぷうき

強でまわってる          『O脚の膝』

 山田との対論の中でとりわけ興味深く感じたのは、永井の次の発言であった。

「FPSが果たしてリアルかというと難しいというか、ふつうに五感をもって存在している段階で、斜め上からの認識というものがすでにあるという感じもするんです。TPSのほうが、人間のもっている感覚に対して自然なものな気がする。逆にカメラアイのみが突出した状態ってけっこうおかしな状態って思うというのかな」

 文体派の永井としては、山田がそう言うことを期待したように、単純にFPSがリアルだと認めるつもりはないようで、なかなか複雑な問題であることを示唆している。「写生」と「リアリズム」を別物だとする永井の見解は注目に値するように思われる。

 先月の時評で時評子は、現代の若手歌人の歌に見られる〈今〉の多元化に触れたが、この問題を扱った文章がもう一つあったので紹介しておきたい。斉藤斎藤の「文語の〈われわれ〉、口語の〈わ〉〈た〉〈し〉」(「短歌研究」二〇一四年十一月号)である。この文章で斉藤は、中世・中古の和歌においては、一首の中で複数の時間が並存するのがふつうだったとする。たとえば紀貫之の〈袖ひちて掬びし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ〉では、水を掬った夏、それが凍った冬、溶け出す春の三つの時点が並存している。短歌改革者の子規はこれを嫌い、助動詞を排することで名詞中心の視覚的で映像的な写生を確立したという。こうして〈今〉は一元化されたのである。ところが斎藤茂吉はこれに飽き足らず、眼前の〈今〉以外の遠い時点を歌に取り込もうとしたというのが斉藤の見立てである。斉藤は大辻隆弘の論を引いて、〈わたつみの方を思ひて居たりしが暮れたる道に佇みにけり〉という歌では、海の方角を想像していた大過去、呆然と我を忘れる過去、そのことに気づいた今という三つの時点が、「ゐたりしが」「たる」「にけり」という助動詞によって表現されているとする(大辻の論考は「多元化する『今』 ―近代短歌と現代口語短歌の時間表現」『近代短歌の範型』所収。ただし、斉藤が右の文章を書いた時点ではツイッターの投稿)。これは単一の〈今〉を保持しつつ、遠い過去や近い過去を歌に取り込む手法であり、斉藤は近代の文語短歌の時間組織は英語のシステムに近いと述べている。この指摘は興味深いが、さらなる論究は別の機会に譲りたい。

 おもしろいのは、斉藤によると、〈白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう〉(永井祐)のように、一首の中に複数の〈今〉が並立する歌は、中世・中古時代の和歌への先祖返りとみなすことができるということである。ただし、貫之の和歌では「き」「り」などの助動詞によって時間軸が一本化されている点が、動詞の終止形が連なる現代の短歌と異なる点であろう。

    *      *      *

 「現代短歌」二〇二〇年一月号から川野芽生が「幻象録」という連載を続けている。時評という枠を超えた独自の視点があるコラムである。二〇二一年五月号で川野は、睦月都の歌壇時評「抑止する修辞、増幅しない歌」(角川『短歌』二〇一九年十月号)に触れており、興味深い論考となっているので少し見てみたい。

 この時評で睦月は、近代短歌は永田和宏の説くように、一首の中の求心力と遠心力の相克によって意味の増幅に向かうものだが、近年になって増幅ではなく抑止・制限に向かう修辞を見るようになったと述べている。睦月はそのような歌をどう読めばよいか、当初はわからなかったと述懐している。これはどこにも盛り上がりのないフラットな歌を目にしたときに、多くの人が抱く感想ではないだろうか。

 睦月はそのような修辞傾向が見られる現代の若手歌人の歌をいくつか引いて、次のように述べている。

夏の本棚にこけしが並んでる 地震がきたら倒れるかもね                                 五島諭

そのへんのチェーンではないお店より安心できる日高屋だった                               鈴木ちはね

とても軽そうな子犬が前足に落ち葉を絡めて歩いていった                               谷川由里子

 このような歌で作者は、自分が意図しない方向に勝手にイメージが溢れないように慎重に言葉を置いている。読者は言葉の向こうに抒情性や心理的屈折という「何か」を探すのだが、それは見つからないと睦月は書き、最後に次のように締めくくっている。

「長い歴史の中で培われてきた短歌のインデックスを利用することもなく、言葉に必要以上の感情を乗せることもない。そこにあるのはシンプルな定型だ。かれらは潔癖ともいえるほどにていねいに言葉を削ぎ落とし、安易なポエジーを躱す。これらの行為は短歌の所与性、ハイコンテクスト性、あらゆる『短歌的なもの』を照らし、問い直しているように思う」

 この睦月の発言を受けて、川野は第三回笹井宏之賞を受賞した乾遥香の「夢のあとさき」から歌を引いてさらに考察を進める。

飛ばされた帽子を帽子を飛ばされた人とわたしで追いかけました

レジ台の何かあったら押すボタン押せば誰かがすぐ来てくれる

 なぜこのように修辞の増幅を抑えて、リフレインを多用するかというと、省略を利かせて省かれた部分を読者に補完してもらうのではなく、読みのぶれを最低限に抑えようとしていて、歌の背後には書かれていないことなど何もないと意思表示しているのではないかと川野は考えている。なぜそこまで解釈をコントロールしたいかというと、それは「読者を信用していない」からであり、「解釈共同体を信用していない」からだとする。短歌で多くのことを表現しようとすると、共有された読みのコードに頼って意味を補完することになる。それは便利な手段ではあるけれど、マイノリティの排除にもつながると川野は続けている。現代の若手歌人の歌が、あたりまえと見えることをわざわざ反復してまで表現するのは、説明抜きで共有されることを拒むからだというのが川野の考えである。

 川野の論考は多岐にわたる問題を含んでおり、その中には短歌の本質に関わるものもある。そのすべてを論じることはこの時評では到底無理だが、その一角だけでも考えてみたい。

 問題を考えるキーワードとして「くびれ」と「ずん胴」を選びたいと思う。「くびれ」は穂村弘が『短歌という爆弾』(二〇〇〇、小学館)で提唱した用語である。穂村はまず短歌が人を感動させる要素に共感(シンパシー)と驚異(ワンダー)があるとする。共感とは「そういうことってあるよね」と感じてみんなに共有される想いであり、驚異とは「今まで見たこともない」と目を瞠るような表現をさす。人々に愛唱される歌の多くは、共感の中に驚異が含まれており、それを穂村は「短歌のくびれ」と呼んでいる。それはちょうど砂時計の狭くなった場所に相当する。たとえば〈砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね〉(俵万智)という歌のくびれは「飛行機の折れた翼」で、読者はここで「えっ? 飛行機の折れた翼?」という自分自身の体験とはかけ離れた衝撃に出会う。もしこれを「桜色のちいさな貝」に置き換えると、上から下まで円筒形のズンドウになってしまう。読者は短歌のくびれで思いがけない衝撃に出会い、それを通過することで深い感動を得て、より普遍的な共感の次元へと運ばれることになるというのが穂村の解説である。穂村はもともと塚本邦雄の短歌に衝撃を受けて短歌に手を染めた人なので、基本的に共感より驚異を重視する立場であることも押さえておきたい。なお穂村は、穂村弘×東直子÷沢田康彦『短歌はプロに訊け!』(二〇〇〇、本の雑誌社)でもほぼ同じことを述べている。

 二〇〇〇年代のリアル系の若手歌人の歌には共通してくびれがなく、フラットで高まりがない。どうしてこんな普通のことを歌に詠むのか首を傾げる向きもあろう。

なんか知らんが言われるままにキヨスクの冷凍みかんをおごってもらう                               宇都宮敦

なんとなく知らない車見ていたら持ち主にすごく睨まれていた                               鈴木ちはね

おろしてはいけない金をゆうちょからおろす給料日が火曜日で                                 山川藍

 このような歌を見て感じるのは、時代がワンダーからシンパシーへと大きく舵を切ったということである。穂村はシンパシーの中に含まれる微量のワンダーが秀歌を生むとした。しかし二〇〇〇年代のリアル系若手歌人には、その微量のワンダーが作り物に見えて嘘臭く感じられるのではないだろうか。このような歌はもはや秀歌をめざしていない。彼らはワンダーを生み出す天才に憧れて身悶えするよりも、等身大の日常にシンパシーが静かに漂うほうを好む。「長い歴史の中で培われてきた短歌のインデックス」を参照し、「解釈共同体」を梃子としてワンダーを生み出す必要がないので、それらは歌に要請されることがないのではないだろうか。

 「ねむらない樹」別冊の「現代短歌のニューウェーブとは何か?」(書肆侃侃房、二〇二〇)に永井祐が「第4回歌葉新人賞のこと」という文章を寄稿している。永井は歌葉新人賞でこの回がベストだったとする。〈それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした〉という歌を作った笹井宏之は「遠いところを目指す」歌で、〈牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ〉の宇都宮敦は「近いところの見方を変える」歌だとする。この対決は一種の「スタイルウォーズ」、つまり文体の対決だったと永井は総括している。笹井は言葉を極限まで純化することで誰も真似することのできないワンダーをめざしたのにたいして、宇都宮はシンパシーに立脚して日常に微妙なずれを生み出す戦略ということになるだろうか。宇都宮の文体は意識的に選ばれたものである。そのことは斉藤斎藤が「書きたくないことは書かないで」(「短歌研究」二〇一二年七月号)の中で、「ずんどう鍋を磨きあげる」という宇都宮の言葉を引用していることからも明らかだ。宇都宮は穂村の「くびれ」に対抗する文体を模索したのである。その結実は『ピクニック』(現代短歌社、二〇一八)に見ることができる。

 川野の言うように、二〇〇〇年代のリアル系歌人が「解釈共同体を信用していない」かどうかは疑問の余地があるが、信用しないまでも必要としていないことは明らかである。そのちがいはカトリック(旧教)とプロテスタント(新教)のちがいに喩えることができるかもしれない。旧教では教皇が神の代理人で、教会という共同体を通して信者は神とつながるが、新教はそれを否定し、一人一人の信者が直接に神とつながるとする。結社や歌会として表れる解釈共同体は、旧教の教皇や教会と同じように信者と神の媒介として働く。リアル系若手歌人の多くは結社に所属せず、一人で歌と向き合う。〈私〉と神とが直接につながるように、〈私〉と歌の間に媒介を必要としない直接的な回路があるかのようだ。その回路はある意味で歌の純度を担保する役割を果たすかもしれない。しかしその一方で、媒介を拒否する態度は、短歌から座の文芸としての性格を奪うことはまちがいない。その結果として、彼ら・彼女らの歌が、成層圏の群青の空に向かって放たれる孤独な叫びとならないだろうかという一抹の危惧を拭い去ることができないのである。

角川『短歌』8月号歌壇時評「口語によるリアリズムの更新」

 永井祐の第二歌集『広い世界と2や8や7』(左右社)が昨年(二〇二〇)十二月に出版された。第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(二〇一二)以来八年振りである。第一歌集はBookParkからオンデマンド出版され、すでに入手不可能になっていたが、昨年春に短歌研究社から同じ装丁で再刊されている。『広い世界と2や8や7』はさっそく『短歌研究』の今年六月号の作品季評で取り上げられていて、評者の穂村弘、佐藤モニカ、山田航が縦横に論じている。

 季評の冒頭で山田は、「口語のリアリズムということで言えば、いま最先端のことをやっているのはやはり永井祐ではないかと思っています」と発言し、それを受けて穂村は、「永井さんがデビューしたときはまだはっきりとは見えていなかった作家性が徐々に短歌の世界に浸透して」きたと指摘し、永井の作る短歌が「リアリティの捉え直しというか、そういうメタ的な精度を短歌に導入した」と述べている。

 山田は最近しきりに穂村の唱える「口語によるリアリズムの更新」に言及している。たとえば『ねむらない樹』第六号(二〇二一、書肆侃侃房)の「二〇二〇年の収穫」というアンケートで山田は、「二〇二〇年の短歌のキーワードは、穂村弘が提唱した『口語によるリアリズムの更新』だろう。永井祐、宇都宮敦、仲田有里、山川藍など二〇〇〇年代以降に登場した口語歌人たちの中に、単に現代語を用いているというだけではなく、日本語の自然なしゃべり言葉の語順に近づけようとする志向が表れていることを指摘した」と書いている。

 思えば、「わがまま派宣言」「短歌のくびれ」、「棒立ちのポエジー」、「一周回った修辞のリアリティ」、「圧縮と解凍」など、現代短歌を語る上でよく用いられるキーワードを数々提案してきた穂村が提唱する新しいキーワードがこの「口語によるリアリズムの更新」である。

 穂村は『短歌研究』二〇二〇年六月号の「『永井祐』と『短歌2010』」という特集に、「作り手を変える歌」という文章を寄稿している。穂村は、俵万智、林あまり、加藤治郎、そして自分が初期に作った口語作品は口語短歌の模索時期に当たり、一九九〇年を越えて口語で短歌を作ることがふつうになって次のステージが開けたと回顧している。その幕を開けたのが永井らの若手歌人であり、短歌固有の口語表現の追究は、リアリズムの更新というアプローチを採ることになったとする。

 『短歌研究』六月号の作品季評に戻ると、穂村は永井の「携帯のライトをつけるダンボールの角があらわれ廊下をすすむ」という歌を取り上げて、臨場感があり自分もやってみたいという誘惑にかられると述べている。続けて山田は、「永井さんは自分を斜め上から見ている感じではなく、カメラそのものはずっと主体の目についていて、実況中継をしているような感じがありますね。スマホで動画撮影しながら歩いているときの視点だなと思います」と応じている。つまり「口語によるリアリズムの更新」が意味するところは、作歌にあたって自分を上から俯瞰する視点を取らず、臨場感を大切にして、「携帯のライトをつける」→「ダンボールの角が現れる」→「廊下をすすむ」のように、作中の〈私〉が知覚した順番どおりに場面を並べる表現方法ということになる。

 このような文体については、永井自身が参考になる文章を同人誌『率』第五号(二〇一三)に書いている。「土屋文明『山下水』のこと」と題された文章で永井は、文明の短歌に「雨のの花に遊べる蝶襲ふとかげを見居り鉛筆けづりかけて」のように字余りの歌が多いことを指摘する。そして一見削れそうに見えるこの字余りに命が宿っており、命の雑音が歌の言葉を余らせると書いている。続けて「我がかへる道を或いはあやまつと立つ秋のよる蛍におどろく」という歌を引いて、「一首の全体を上から俯瞰して構成する手が見えない。初句が出て、二句が出て、三句が出て、四句が出て、結句が出る。一首が時間的だ。そして、なぜそういう形になるのかと言えば、私たちの生がそういう形をしているからだろう。私たちはいつも結句を知らないまま、字余りしながら生きている。文明の歌を読むと、その『歌を生きる』態度の徹底ぶりにおどろいてしまう」と述べている。

 ここからわかるように、穂村の言う「口語によるリアリズムの更新」とは、単に文語に代わって口語やしゃべり言葉で短歌を作るということではない。そのような言語の位相の問題ではなく、素材となる場面を歌へと構成する作者の方法論の問題なのだ。わかりやすく箇条書きにすると次のようになる。

① 歌の素材となる体験を俯瞰的に再構成しない。

② 私たちは次の角を曲がった所に何があるか知らない。だから短歌を作る時にも同じ態度を取るべきである。

③ したがって作中主体である〈私〉の目に映った順番どおりに場面を描くことが新しいリアリズムである。

 永井はこのような表現方法を実作においてどのように示しているだろうか。『広い世界と2や8や7』の中からこのような方法論に符合する歌を引いてみよう。

電車に乗って映画見に行く 電話する おもちを食べたお皿をあらう

蚊帳のなかで寝苦しそうなお坊さん 窓よごれてる ベランダきれい

仕事するごはんを食べるLINEする 百均のレジに列ができてる

フィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」をみる トーストを食べる また電車にのる

 一首目ならば「見に行く」→「電話する」→「あらう」のように並んでいる動詞は、作中主体の〈私〉が取った行動の順序を正確に反映していることがわかるだろう。

 もちろん本歌集に収録されたすべての歌がこのような手法で作られているわけではないが、「作中主体の知覚・行動の順序を遵守する」という「リアリズム」がふたつの問題を孕んでいることを見ておきたい。

 まず作中の〈私〉が移動する場合、歌の場面も切り替わるという点である。上に引いた四首目ならば、「荒川氾濫」を見たのはたぶん防災センターで、トーストを食べたのは近くの喫茶店で、電車に乗ったのは駅である。一首の中に場所が三ヶ所もある。それは歌の空間的な拡散を招く。空間的な拡散は印象の拡散につながり、一首の凝集力を低下させる。昔から一首の中に動詞をあまりたくさん入れない方がよいと言われているのはこのような理由による。

 空間的な拡散以上に短歌にとって重大になるのは時間的な拡散である。一首目を例に取ると、この歌の中には「電車に乗って」(時点1)「映画見に行く」(時点2)「電話する」(時点3)「おもちを食べたお皿をあらう」(時点4)のように、異なる時点が四つある(「おもちを食べた」は連体修飾句の中にあり、断定されていないので数えない)。空間的な拡散以上に時間的拡散は、歌の結像性を弱める。私たちはこのような歌を読むとき、明確な視覚的像を描くのが難しい。

曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径                                 木下利玄

たちこむる雨霧のなかしろじろと藤は円座の花のしずまり                                 坪野哲久

冬山の青岸渡寺(せいがんとじ)の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ 

                           佐藤佐太郎

 

 近代短歌のリアリズムの原則は、右に引いた歌に見られるように、作中主体の不動の一点からの写生である。一首目ならば〈私〉は曼珠沙華が咲いている道端に立って光景を見ていることが明らかである。二首目では〈私〉はおそらく雨に濡れながら藤棚の近くに立っている。三首目では〈私〉は那智の滝を正面に遠望する寺の庭にいる。このように〈私〉が不動の一点から見ることによって歌は高い結像性を獲得する。読者は作中の〈私〉の視点に仮想的に身を置くことによって、歌に詠まれた光景を脳内で追体験する。そして描かれた光景の背後に揺曳しているはずの作者の心情に触れるのである。このように近代短歌の描く光景は「視点込み」の光景なのである。そして視点の指定を制度的に担保しているのは歌の「空間的統一性」である。ところが永井の歌に見られる空間的拡散は、これと真っ向から対立する。読者は光景を見るべき視点に辿り着くことができないからである。

 このような現代の若手歌人たちの短歌に見られる時間的拡散という傾向は、永井が『率』に文章を書くもう少し前に既に指摘されていた。『短歌ヴァーサス』十一号(二〇〇七、風媒社)に掲載された斉藤斎藤の「生きるは人生と違う」という文章である。この中で斉藤は、第五回歌葉新人賞で次席になった中田有里の連作「今日」から次のような歌を引用して以下のように書いている。

本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある

カーテンの隙間に見える雨が降る夜の手すりが水に濡れてる 

「中田のわたしは、今橋のわたしよりもさらに、今ここの〈私〉の視点を徹底している。一首目。現在から出来事を整理すればたとえば、先週図書館で借りた本を返しに行く、となるのかもしれない。それを、本を持って╱帰って╱返しに╱行く、と書くことにより、本を持つ〈今〉、帰る〈今〉、返そうと思う〈今〉、行く〈今〉、と断続的に〈今〉がつらなってゆく。(…)一首のなかに、中田のわたしは生きている。中田の歌に人生はない。すっぱだかの生きるしかない。」 

 斉藤の言う断続的につらなる〈今〉とは、永井の言う「私たちの生がそういう形をしている」時間軸をそのまま反映したものであることは明らかだろう。

 永井祐の特集が組まれた『短歌研究』二〇二〇年六月号に「『日本の中でたのしく暮らす』の『時間』と『無意識』」という文章を寄稿した大森静佳も同じ点に触れている。大森は永井の歌では「複数の瞬間の把握や体感が同等に列挙される」ことがあり、永井は「『時間』を哲学する歌人だ」と述べている。続けて、現在形をいくつも連ねるタイプの文体については、大辻隆弘の『近代短歌の範型』(二〇一五、六花書林)所収の「多元化する『今』 ― 近代短歌と現代口語短歌の時間表現」に詳しいとして、大辻の議論を紹介している。

 この文章で大辻は、「近代短歌の叙述は、作者を『今』という固定された一つの時間の定点に立たしめることによって成立する」と説き起こす。そのことを茂吉の歌で確かめた後、「永井祐や斉藤斎藤ら現代の若手歌人たちの口語短歌は、この『今』という時間の定点を一箇所に固定させない」と述べて、永井祐の「白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう」という歌を引き、たばこの灰で字を書こうとした時点、いい言葉が思いつかない時点、壁にこすりつけようと思った時点というように、「今」が次々にスライドしていると分析する。そして「『今』という時間の定点を多元化し、『今』を作者自身が移動することによって一首の叙述を形作ってゆく」ところが、近代短歌と決定的に違う所だと結論づけている。

 さて、これで穂村の言う「口語によるリアリズムの更新」についての議論をほぼ通観したことになる。残り少ない紙面で、果たしてこれが「リアリズム」なのかという疑問と、多元化する「今」が本当に「今」なのかという疑問について考えてみたい。

 若手歌人の歌に見られる空間的・時間的拡散は、西洋絵画史と比較すると示唆的である。西洋の古典絵画は一点透視による遠近法を用いたが、これは近代短歌の不動の視点と同じである。ところがセザンヌが机の上に林檎が盛られた静物画で複数の視点からの描写を一枚の絵に収め、これがピカソらのキュビスムの出発点となった。ピカソは正面から見た女性の顔と横顔を同じひとつの画面に描いた。これは短歌における視点の複数性に通じるところがある。しかし対象を幾何学的に分解し再構成するキュビスムの方法論は、やがて具象自体を否定する抽象絵画へと発展した。こうして視点の複数性は、やがてリアリズムの埒外へと画家を導いたのである。

 また永井らの歌で動詞の終止形が表す複数の時点は、作者にとっては実感に基づく「今」かもしれないが、読者にとってもそうであるとは限らない。読者の側の「読み」を考えるならば、読者は歌の様々な部分を手がかりにして、歌の「今」を脳内で再構成する。たとえば「精霊ばつた草にのぼりて乾きたる乾坤けんこんを白き日がわたりをり」という高野公彦の歌を読むと、鮮やかな遠近の対比の中に日輪が空を渡りゆく「今」が濃厚に感じられる。この「今」は作者の実感に基づくものではない。言葉の組み合わせと配列によって、読者の意識に中に再構成された擬似的な瞬間である。なぜ擬似的なのかと言うと、私たちにとって「今」とは原理的に捉えることのできないものだからである。比喩的に言うと「今」とは、羊羹をスパッと切った切り口のようなものだ。横から見ると切り口には幅がないため私たちの目には見えない。「今」という瞬間が私たちを絶えず逃れ去るものであることは、古東哲明『瞬間を生きる哲学』(二〇一一、筑摩選書)に詳しい。古東はこの本の中で、文学とは私たちの手をすり抜ける「今」を再構成する営みに他ならないことを、豊富な文学テクストを引いて論じている。

 角川『短歌』平成二六年版の短歌年鑑の座談会「秀歌とは何か」の中で、岡井隆は永井に向かって、永井・堂園・山田らが見事にそろって助動詞を使わないのはなぜかとたずねている。この問に永井は直接答えず、自分にとって文体は身体の延長なので、選ぶということができないと述べている。永井らが助動詞を使わないのは、助動詞が日本語の時間表現を担っているからであり、短歌において仮構の「今」を再構成する主要な手段だからだ。永井たちは擬似的な「今」ではなく、真の「今」を求めているのである。

 

 角川『短歌』2021年8月号に掲載

角川『短歌』7月号歌壇時評「日本語の底荷」

 今月号から半年の間、歌壇時評を担当することになった。私の名前を見て「いったい誰だ?」といぶかしむ人もいるかと思うのでひと言自己紹介しておくと、私はインターネット上で「橄欖追放」という短歌ブログを書いている。月に二回歌集・歌書を取り上げて批評しているが、自分では短歌を作らない純粋読者である。

 短歌や俳句のような短詩型文学の世界では「作者イコール読者」であり、作者の外延と読者の外延はほぼ一致する。自分で短歌を作るが人の短歌は読まないという人はいても、自分では短歌を作らず読む専門という人は少ない。とはいえかつては深く短歌を読んだ吉本隆明や、『終焉からの問い ― 現代短歌考現学』(ながらみ書房、一九九四)など短歌評論で活躍した小笠原賢二がいたし、同時代では好著『うた合わせ ― 北村薫の百人一首』(新潮社、二〇一六)などで自在に詩歌の世界を逍遥する北村薫がいる。とはいうものの、歌壇の外にいる人間が短歌総合誌の歌壇時評を担当するのは珍しいことかもしれない。

 ふつう歌壇時評に期待される役割は、短歌総合誌を広く見渡し、結社誌や同人誌や大学短歌会の雑誌まで目を通し、短歌賞や短歌関連のイベントにも目を配って、歌壇で今起きていることを紹介したり論じたりすることだろう。言わばそれは不易流行の流行の部分である。しかし時評は時とともに移ろいゆく流行ばかりに目を向けず、深部に横たわる不易の層にもまた目を配るべきだろう。

 そのような眼差しで見つけたのは、本誌二月号から始まった新連載「短歌の底荷」である。これは毎号二つの結社を取り上げて、ゆかりの深い歌人に紹介してもらうという企画である。たとえば第一回目の二月号では「沃野」と「白珠」が取り上げられている。私が注目したのは記事の内容ではなく「短歌の底荷」という連載の題名の方だ。この題名が歌人の上田三四二(一九二三〜一九八九)が提唱した「短歌底荷論」にちなんだものであることはまちがいない。上田は一九八三年(昭和五十八年)に「オアシス」という雑誌に「底荷」という短い文章を寄稿した。現在は上田三四二『短歌一生』(講談社学術文庫)で読むことができる(版元品切だが古書で入手可能)。その文章の中で上田はおおむね次のようなことを述べている。

 短歌や俳句は日本語の底荷である。底荷とは船の安定航行のために船底に積み込まれる荷や砂で、それ自体に商品価値はない。利益を追求するためには役立たないどころか、お荷物でさえある。しかし船が安全に航行するためにはなくてはならぬものである。短歌や俳句は日本語という船を推し進めるマストのような力は持たない。しかし日本語を転覆から救う目に見えない力になっているのである。(時評子による要約) 

 上田の文章が発表されてからまもなく四十年になろうとするが、本誌が新しく始める連載に「短歌の底荷」という題名を付けたのは、この上田の主張が短歌の不易の一部と考えてのことだろう。

 短歌の流行の面においては、前衛短歌やライトヴァースやニューウェーヴ短歌や記号短歌などなど、その意匠は時代とともに変化するが、上田の主張にはそのような流行の奥深くに沈潜することによって得られた確信という響きがある。日々の流行に目を奪われることなく、上田のように短歌の本質について考察を深めることもまた大切なことではないだろうか。

         *         *         *

 そんなことを改めて思ったのは、高等学校の国語教育が大きく変わりそうだと報道された頃なので、少し前のことになる。高等学校の教育方針を定めた「学習指導要領」は十年に一度改訂されるが、二〇一八年に告示されたものは「戦後最大の教育改革」という触れ込みだった。二〇二二年度、つまり来年度からはこの指導要領に従って教育が行われることになる。現在は必修科目「国語総合」と選択科目「国語表現」「現代文A」「現代文B」「古典A」「古典B」という分類になっている国語の教科が、新指導要領では必修科目「現代の国語」「言語文化」と選択科目「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典研究」に変わると定められている。必修科目は高校の一年目で履修し、二年目には選択科目の中から二科目選ぶことになる。必修科目の「現代の国語」には文学的な文章は一切入れないのが文部科学省の方針だという。

 大いに物議を醸したのは「論理国語」と「文学国語」という日本語としてこなれていない名称ばかりではない。そもそも国語を「論理」と「文学」とに二分するのはあまりに乱暴ではないかという意見が噴出した。そればかりではない。今回の指導要領の改訂は、大学入試の改革とセットになっている点に特徴がある。しかしその目玉であったはずの記述式問題の導入と、英語試験の民間委託が早々と頓挫したのはご承知のとおりである。

 新指導要領に準拠した大学入学共通テストの第一回プレテスト(試行)が二〇一七年度(平成二十九年)に実施され、多くの高校生がこのテストを受けた。そのテストで「国語」の試験問題として出題されたのは「青原高校の生徒会の部活動をめぐる規約」という文章であった。事前にサンプル問題として公表されていた試験問題には、「街並み保存地区景観保護ガイドライン」と「管理会社と交わした駐車場の契約書」が問題文として選ばれていたという。これを見て多くの人が驚いた。

 文部科学省が新指導要領を定めた目的は、主体的・対話的で深い学びを実現し、思考力・判断力・表現力を育てることにあるという。そのような目標に賛同しない人はいないだろう。しかしプレテストの問題文として選ばれたのは「論理国語」の文章であり、「文学国語」ではない。「論理国語」とは、契約書や法律・条例を始めとして、マンションの管理規約や電気製品の使用説明書など日常生活で出会う実用的な文章を読み解く力を養成することを目標としている科目であることは明らかである。

 二〇一八年度(平成三〇年)に実施された第二回のプレテストの国語の問題文の第一問は、鈴木光太郎『ヒトの心はどう進化したのか』、正高信男『子どもはことばをからだで覚える』、川添愛『自動人形(オートマトン)の城 人工知能の意図理解をめぐる物語』からの抜粋、第二問は「著作権法のイロハ」(ポスター)、法律の著作権法の抜粋、名和小太郎『著作権2.0 ウェブ時代の文化発展をめざして』、第三問は吉原幸子「紙」(詩)、吉原幸子「永遠の百合」(エッセー)となっている。第四問と第五問は古文と漢文なので略す。第三問でわずかに文学的な文章が出題されており、第一問は学術的なエッセーからの出題となっているが、全体的な傾向は第一回のプレテストと大きく変わらない。

 新指導要領による国語の授業では、一年次に履修する必修科目の「言語文化」で文学的テクストを少し読むことはあるかもしれない。しかし二年次になれば大方の高校生が「論理国語」を選ぶことは、プレテストの出題傾向を見ても明らかである。現役の高校の先生も、「文学国語」は開店休業状態になるだろうと言っている。漱石も鴎外も芥川もまったく読んだことのない大学生が入学して来るのである。

 少し昔のことになるが、東京大学教授の石田英敬が雑誌『世界』二〇〇二年十二月号に「『教養崩壊の時代』と大学の未来」という文章を寄稿して話題になったことがある。ある日のこと、石田が研究室で東大の院生相手にバフチンのポリフォニー理論について話していたところ、その院生がこう質問したそうだ。「先生の話に出て来たドストエフスキーって誰ですか?」と。石田は喫驚して「ついにその日が!」と叫んだという。今から数年後に、新指導要領に基づく教育を受けた高校生が大学に入学して来たときに、「漱石って誰ですか?」と質問する学生が出て来て、「ついにその日が!」と心の中でつぶやく先生がいないとも限らない。ここに書いた新指導要領の国語教育改革については、伊藤氏貴責任編集『別冊季刊文科 ― 国語教育から文学が消える』(鳥影社、二〇二〇)と、紅野謙介『国語教育の危機』(ちくま新書、二〇一八)および同著者の『国語教育 ― 混迷する改革』(ちくま新書、二〇二〇)に詳しく書かれている。

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 時評子は「高等学校の国語の教科書から文学が減るのはけしからん」と言いたいわけではない。若手歌人の中には、初めて短歌に触れたのが国語の教科書だったという人が少なからずいるようだ。だとすると国語の教科書から文学が減ればそのような機会も減ることになるので、残念なことにはちがいない。しかしそれ以上に重要なのは、新指導要領のめざす国語教育改革が日本語の底荷を減らすということである。これはゆゆしきことと言わねばならない。新指導要領には言語の存立と働きについての深い洞察が決定的に欠けていると思われてならない。

 このことを理解するためにはアラビア語を例に取るとわかりやすいだろう。もともとアラビア半島で話されていたアラビア語は、今では中東のイラクからアフリカのエジプト、アルジェリア、モロッコに到る広大な地域で使われている。日常用いる話し言葉のアラビア語(アーンミーヤ)は方言差が極めて大きい。イラクの人が話しているアラビア語とモロッコの人が話しているアラビア語はかなり異なるのである。それでも話者に自分たちが使うアラビア語は同じひとつの言語であるという強固な意識があるのは、ひとえに啓典クルアーン(コーラン)の存在による。クルアーンの言語は現代の標準的な書き言葉のアラビア語(フスハー)の基礎にもなっている。イラクからモロッコに到る広大な地域に住んでいる人たちが、「自分たちは同じひとつの言語を使っている」と感じるのは、クルアーンの言語がアラビア語の底荷として厳然と存在しているからである。

 アラビア語を使う地域の子供は、学校に上がるとクルアーンを学ぶ。彼らにとってクルアーンの言語は古典語であり、日本の子供たちが平家物語や枕草子を古典として学ぶのと同じである。ちがうのはクルアーンの言語こそが正当なアラビア語であり、疑問が生じた時には常に立ち戻るべき源泉だとされている点にある。英語ならば底荷としてあるのは聖書とシェークスピアだろう。イタリア語ならばダンテのトスカーナ方言で、ドイツならばゲーテというところになろうか。

 短歌や俳句が日本語の底荷であるという主張にはもうひとつの側面がある。現代に生きる私たちの感性は、多少とも短歌や俳句によって水路づけされている。桜の花が散るのを見ると、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌が思い浮かぶし、夏の朝に朝顔が咲いているのを見ると「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という句を思い浮かべない人はいないだろう(ただし朝顔は秋の季語)。先人の作った短歌や俳句の中にはいわば「感性の型」がレコード盤に刻まれた溝 (groove) のように彫琢されている。私たちは無意識のうちにその溝にガイドされるように物事を感じているのである。だからこそ歌人・俳人は先人が彫り込んだ溝を脱却して、新しい溝を刻むべく刻苦するのである。

 さらにもう一歩踏み込んで考えることもできる。ことは感性に留まらず、私たちが現実を捉えるやり方(認知 cognition)は言語によって規定されているという考えがある。この考えを主張したのはイェール大学教授の言語学者のエドワード・サピア(一八八四〜一九三九)と弟子のベンジャミン・リー・ウォーフ(一八九七〜一九四一)で、二人の名前を取ってサピア・ウォーフの仮説と呼ばれている。彼らは次のように主張した。

 言語は私たちの思考を条件づけている。私たちは言語が定める線に沿って現実を分割して、意味の世界を作り上げている。私たちが現実の世界と見なしているものが私たちを離れて客観的に存在すると思うのは幻想である。私たちが現実の世界と見なしているものは、言語の習慣の上に作り上げられたものである。(時評子による要約)

 新指導要領がめざしているのは、法律の条文や契約書や電気器具の使用説明書のような実用的文章を読み解く力、つまり現実に適切に対処する能力の涵養である。文学を含むさまざまな言語の形に触れることによって私たちの感性が形作られ、現実を認知する力、つまり「心」が育まれるという視点が見落とされているのである。

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 今年の三月二十日に町屋の並ぶ京都市の中心部に泥書房という新しい書店がオープンした。短歌・俳句・詩を専門に扱う書店である。京都にはかつて伝説的な三月書房という歌集・歌書を多く置く書店があった。京都を訪れる歌人が一度は足を運んだ場所である。古書店と見紛うばかりの外観が異彩を放っていた。ところが残念なことに三月書房は二〇二〇年の六月に閉店してしまい、短歌関係者の嘆きは大きかったのである。京都で学生時代を過ごした青山学院大学教授の生物学者福岡伸一が閉店を惜しみ、店主と相談のうえで店のシャッターに店内の風景の騙し絵が残されている。

 三月書房の閉店からそれほど間を置かずに泥書房が開店したことはまことに喜ばしい近年の快事である。泥書房の一角は販売コーナーとなっており、まだ点数は少ないものの歌集・歌書が販売されている。新刊書だけでなく古書もある。それより面積が広いのが隣の図書室で、ここには歌集・歌書だけでなく、短歌総合誌、結社誌、同人誌、個人誌などが壁一面に収蔵されている。短歌について何か文章を書くときに、調べ物をするのに絶好の場所だ。図書室は三百円の入室料を支払って会員になると利用できる仕組みになっている。

 泥書房は短歌総合誌『現代短歌』を発行する現代短歌社(一般社団法人三本木書院)が運営しており、本社の所在地でもある。現代短歌社は二〇一七年に解散し、事業譲渡を受けた三本木書院が目白を拠点として運営を続けていたが、二〇二〇年十月に思うところあって本社を京都に移転したそうだ。今後は短歌関係のイベントも続々と開催する予定のようだから、これから歌人が集まる拠点となることだろう。

 

  角川『短歌』2021年7月号に掲載

王紅花『窓を打つ蝶』書評

 『星か雲か』に続く著者第五歌集だが、著者にとっては特別な歌集にちがいない。最愛の伴侶松平修文の逝去とその後に作られた歌を含むからである。松平は二〇一七年の十一月にほの暗い始原の地トゥォネラへと旅立った。本歌集の第一部と第二部は截然と分断されている。第一部は松平がいた世界、第二部は松平がいない世界である。

重篤の病に臥せる人の耳死に神のごと敏くあるなり

輸血停止申し出し翌る朝きみの山を眺むる水色の目よ

病院に人溢れ暗く動きをりわれら昨日までこの中にありき

凄まじき形相に向かひ合ふ時のありき死へ向かふあなたとわたし

花守となりて夜ごとに水をやる部屋に溢れてむせかへる供花

 松平と王は手と手を取り合い病と闘うが、薬石効なく松平は旅立つ。四首目を読めば二人がどのように死と向き合ったかが知れて心を打つ。

つまとよく歩きし名栗川に来てしばらく泣けり揺るる枯れ芒

死んでゐるあなたは仏間にわたくしは生きて汚した洗ひ物干す

コロッケが二つ そのなんでもないことの なんでもないそのコロッケ二つ

寝室の薔薇柄カーテン見覚えてゐるでせう夜はそこへり来よ

 最愛の人を失い作者は文字通り空洞と化したことは想像に難くない。普段ならば二人分四つ買っていたコロッケが、一人分の二つになったという些細な変化にも心が締め付けられる。想いが溢れて破調になっている。到る所に松平の影が揺曳する本歌集は文字通り慟哭の書である。

 とはいえ王の歌風の特質にも触れておかねばらならない。集中の次のような歌に立ち止まった。

毒ガスをあぐる硫黄山廻りつつ老若男女何故かにやつく

イヌシデは地方によりてアヲシデ、アカシデ、シロシデと呼ばれて

公衆浴場にひとりとなりしとき老女は犬掻きをしてみる

 硫化水素の漂う山で人々がにやついたり、イヌシデの名に地方差があったり、銭湯で老女が犬掻きしているなどというごく些細なことを王はよく取り上げて歌にする。それは王の歌の源が、何かの出来事と心が触れ合った時のかすかな摩擦感にあるからだろう。それをそのまま歌にするところに王の歌風の特質がある。結果として乾いたユーモアの漂うこのような歌に作者の目から見た世界の捉え方が透けて見えるようだ。最後に特に印象に残った歌を挙げておく。

バス停に本読む老人ひとよ桜散るこの世の何を知らむとや急く

『短歌往来』2021年3月号に掲載

盛田志保子『木曜日』書評

 二〇〇〇年(平成十二年)に『短歌研究』の八〇〇号記念として企画された「うたう」作品賞は、その後の短歌シーンの流れを作る重要な企画だった。この賞の応募者から多くの歌人が育ったが、作品賞を受賞したのは当時二十歳の大学生だった盛田志保子である。受賞作「風の庭」五〇首を含めた第一歌集『木曜日』は二〇〇三年に出版された。長らく入手困難だったこの歌集が、書肆侃侃房から現代短歌クラシックスの一巻として再刊されたのは喜ばしい。本歌集を開くと、二十歳の若さでしか詠めない歌が当時の瑞々しさのまま保存されている。

藍色のポットもいつか目覚めたいこの世は長い遠足前夜

秋の朝消えゆく夢に手を伸ばす林檎の皮の川に降る雨

春の日のななめ懸垂ここからはひとりでいけと顔に降る花

 若者が抱く未来への漠然とした不安や、自分がまだ何者でもないという不全感が、藍色のポットや夢の中に降る雨や降り散る花という歌のアイテムに投影されている。

 「うたう」作品賞は、穂村弘の言葉を借りれば、「修辞の武装解除」「棒立ちのポエジー」というその後の短歌の流れの発端となったのだが、盛田の歌にはしっかりと修辞があることに注意したい。とりわけ結句の着地の仕方がうまい。右に引いた「ひとりでいけと顔に降る花」や次のような歌がそうである。

廃線を知らぬ線路のうすあおい傷をのこして去りゆく季節

はい吸って、とめて。白衣の春雷に胸中の影とられる四月

 のびやかな言葉の選択の中に清新なポエジーが滲んでいる。特に注目されるのは木漏れ日のような陰翳だろう。

 その後所属する結社「未来」の歌誌に発表した近作が「卓上カレンダー」と題して巻末に収録されているのも嬉しい。

かなしみは一人に一つかきごおり食べ切るころに鳴る稲光

笑いあう夏の記憶に音声はなくて小さな魚が跳ねる

※「しんぶん赤旗」2021年3月7日号に掲載

うたをよむ 噴水のきらめき

 連日の炎暑に喘ぎつつふと立ち寄った街角の公園に噴水がある。木陰に休んで噴き上がる水を眺めていると一時の涼を得る。噴水は短歌ではどのように詠まれているのだろうか。

噴水の伸びあがりのびあがりどうしても空にとどかぬ手のかたちする 

                    杉﨑恒夫『食卓の音楽』

 歌人は水が噴き上がる様ではなく、ある高さまで達すると再び落ちる様に着目する。一定の高さを超えることができない水は、達せられることのない願望の喩であり、それでもなお空へと手を伸ばす人間の姿を描いている。

噴水が止まれば水は空中に水のかたち脱ぎ捨てて散る 

              鳥居『キリンの子』

 水は方円に従うので固有の形はない。しかし私たちは蛇口から流れる水や噴水から噴き上がる水を見て、それを何となく水の形と捉えている。噴水は噴き上げるからこそ一定の形を保っている。この歌では、その勢いがなくなると水が形を失うと捉えているところがおもしろい。

噴水を噴き出て白を得たる水白を失うまでのたまゆら

              藤島秀憲『ミステリー』

 鳥居の歌では形だったが、藤島の歌では色である。水は無色透明で色はない。しかし噴水から勢いよく噴き出ることで気泡が混じって白く見える。そして水盤に落ちると無色に戻る。白という色を得てきらきら輝くのはほんの一瞬である。

 鳥居の歌も藤島の歌も、見かけの上では噴水しか描いていないにもかかわらず、私たち人間の生きる様にどこか通じるところが感じられる。 

 

【註】

朝日新聞2020年8月9日朝刊「うたをよむ」欄に掲載されたものです。

朝日新聞社に無断で転載することを禁じます。(承諾番号 20.3028)

短歌における「わたし」

震えながらも春のダンスを繰り返し繰り返し君と煮豆を食べる

堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』

 感性の共同性を基軸とする古典和歌から「自我の詩」である近代短歌へと移行して以来、短歌と〈私〉は切り離せないものとなった。たとえ「曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径」(木下利玄)のように、表面上は〈私〉が顔を出さない歌においても、歌の背後には風景を見ている〈私〉が蟠踞している。とはいえ実際に歌に現れる〈私〉の奥行きと射程は様々である。

 〈私〉の最も直接的把握は、坂道を登って来てはあはあと息が切れている〈私〉、冷えたビールをごくごく飲んで喉を鳴らしている〈私〉のように、「たった今・現在」を生きる私である。こうして感得される〈私〉は瞬間的であり強い実感を伴う。この対極にあるのが、「薔薇抱いて湯に沈むときあふれたるかなしき音を人知るなゆめ」(岡井隆)や「首都高の行く手驟雨に濡れそぼつ今さらハコを童子を聴けば」(藤原龍一郎)などの歌に見られる〈私〉である。

 どこがちがうのだろう。この二つの〈私〉は多数の軸において対立する。まず前者の〈私〉は瞬間的で奥行きがない(瞬間性)。こうして切り出された〈私〉は過去と切断された〈私〉である(非歴史性)。まるで劇作家アヌイの主人公のように記憶すら失っているかに見える。かたや後者の〈私〉は持続的で奥行きがある(持続性)。そのため過去と繋がっており、積み重ねられた記憶を抱えている(歴史性)。岡井の歌も藤原の歌も、自分の今の状況と過去の苦い記憶が重ね合わされていることからもそれは明らかだろう。

 さて振り返って掲出歌を見ると、この歌の〈私〉は前者の奥行きと射程の短い〈私〉である。この〈私〉はダンスを踊り君と煮豆を食べる今という瞬間を生きている。現代の若手歌人の短歌に見られるのはこのような〈私〉である。この私の位相は、「イルカがとぶイルカがおちる何も言っていないのにきみが『ん?』と振り向く」(初谷むい)の、まるで瞬間の連続のように動詞が終止形に置かれている文体に現れている。現代の若手歌人は歴史性を担う持続的な〈私〉よりも、かけがえのない今という瞬間を生きる〈私〉に惹かれている。

 

『ねむらない樹』vol5, 2020に掲載

藤原龍一郎『202X』書評 パルチザンの狼煙

 本書を手に取るとまず目を惹かれるのは赤地に黒い文字とイラストという装幀である。収録された歌を読むと、それが抵抗と反逆を表す配色だと知れる。しかし黒一色の不気味なイラストの人物は、目深に帽子を被ってこちらを監視しているように見える。

 藤原の何冊目の歌集になるのだろうか。前作の『ジャダ』と較べると内容の違いは一目瞭然である。本書は抵抗と憤怒の歌集だ。藤原の抵抗はまず現代日本の監視社会化に向けられる。

夜は千の目をもち千の目に監視されて生き継ぐ昨日から今日

詩歌書く行為といえど監視され肩越しにほら、大鴉が覗く

『夜は千の目を持つ』はウィリアム・アイリッシュ(コーネル・ウールリッチ)の小説であり、大鴉はもちろんエドガー・アラン・ポーで、藤原の短歌ではお馴染みだ。

 次に藤原の憤怒が向かうのは、集団的自衛権の解釈が変更され右傾化が現在進行形なのに、五輪開催に昂揚する日本というおめでたい国である。

無花果も桃も腐りて改憲の発議の秋を荒れよ!荒れるや!

世界終末時計はすすむ酷熱の五輪寒雨の学徒出陣

「あれるや」は「ハレルヤ」のフランス語読み。こうした仕掛けがあちこちにあり、藤原の文体は晦渋で重層的である。その一方、子供時代を過ごした深川を回想する歌は柔らかく懐かしい。

夕汐の香こそ鼻孔にせつなけれ深川平久町春の宵

 藤原は本歌集によって、抵抗のパルチザンとして生きる決意を表明しているかのようだ。(六花書林・二七五○円)

 

『うた新聞』2020年8月号に掲載