淀みが生み出す別の時間 高橋みずほ『白い田』

 加藤克巳の「個性」終刊後、結社に属さず独自の活動を続ける高橋みずほの第八歌集である。題名の『白い田』は集中の「白い田に父の寝息が届くよに息をひそめているなり」から。老齢の父が住む北国の冬の田である。

 高橋の父君は東北大学名誉教授の植物学者高橋成人。本歌集のテーマの一つは父親の晩年とその死である。父恋の歌が胸を打つ。

すずなすずしろしろきにねむれ父ゆきてしろきにねむれ

父の椅子いなくなりてしばらく欅大樹の木漏れ日をのせ

  高橋の歌には字足らずなど破調の歌が多く、本歌集も例外ではない。

ときおり少年の振り返りつつ丸まる影の頭なく

白い田に二本の轍ゆるき曲がりの畦の道

 高橋が字足らずの歌に拘り定型をあえて崩すのは、ややもすれば定型の流れに乗って出来事と出来事を結ぶ時間に注がれがちな眼差しを、出来事の間に潜み奥へと沈む別の時間に導くためである。高橋はそれを「縦軸の時間」と呼ぶ。

うつくしき玉と思うまどいつつおちる面にてゆくさきざきへ雨の玉

染みわたる今日のおわりのひかりに鱗ひと片輝く形

満月にすこしかけたる白月が朝顔蔓の輪に入りつ

 あるときは歌の韻律の流れが抵抗に遭って澱み、またあるときは早い流れに思いがけず遠くまで運ばれる。そこに韻文ならではの濃密な時間と意味の広がりが立ち現れる。消費される言葉の対極にある本歌集は、とりわけじっくりと味わわれるべき歌の花園である。

 

『うた新聞』2018年8月号(第77号)に掲載

透明なクリアファイルのように 笹井宏之

 笹井宏之は一九八二年生まれ。二〇〇四年から主にネット上などで作歌を始める。歌歴一年足らずで二〇〇五年に第四回歌葉新人賞を受賞。この新人賞はニューウェーヴ短歌の荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘らが創刊した『短歌ヴァーサス』の企画で、受賞のご褒美は歌集の出版である。第一歌集『ひとさらい』はオンデマンド出版で二〇〇八年に刊行された。その一年前の二〇〇七年に笹井は「未来」に入会し、加藤に師事している。同年未来賞を受賞。

 『ひとさらい』のあとがきは、「療養を初めて十年になります」という文章から始まる。笹井は重い身体表現性障害に罹患していて、自宅で療養生活を送っていたのである。第一歌集出版からちょうど一年後の二〇〇九年に風邪をこじらせて逝去する。享年二十六歳の若さであった。

 死後、師の加藤と歌友の編集で第二歌集『てんとろり』が書肆侃侃房から上梓され、同時に第一歌集『ひとさらい』も改めて出版された。この他に、両歌集からの抜粋を集めた『えーえんとくちから 笹井宏之作品集』がPARCO出版から出ている。これが笹井作品のすべてである。

 笹井は二〇〇〇年の『短歌研究』創刊八〇〇号記念臨時増刊の企画である「うたう」作品賞をきっかけとして陸続と現れたポスト・ニューウェーヴ世代の一人である。この世代の短歌の主な特徴として、日常的話し言葉と平仮名の多用、緩い定型意識、特定の視点の不在、短歌的〈私〉の希薄化、薄く淡い抒情が挙げられる。

「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい

水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って

それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどの明るさでした

 これらの歌を近代短歌のコードで読み解くことはできない。近代短歌では歌に詠まれた風景や事物は作中の〈私〉の心情の投影であり、歌の中で喩としてたった一人の〈私〉を照射する。しかるに笹井の歌では水田に散乱した譜面や畳まれたデッキチェアは何の喩でもなく、歌の中でボエジーを押し上げるものとしてそこにある。笹井は定型による詩の創出ではなく、ひたすら言葉の詩的純度を高めることを目指したように思える。

折鶴の羽をはさみで切り落とす 私にひそむ雨の領域

あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ

 羽を切り落とされた折鶴や空から剥がれてゆく雲には詩情が漂うと同時に、どこか哀切で悲劇的なものが感じられる。それは必ずしも私たちが夭折歌人と知って笹井の歌を読むからではなく、笹井の短歌世界に内在する資質であろう。

夕立におかされてゆくかなしみのなんてきれいな郵便ポスト

 とまれ私たちには笹井の二冊の歌集が残されている。その透明で純度の高い抒情はこれからも愛され読まれ続けるだろう。

 

 短歌総合新聞『梧葉』2017年10月 Vol. 55 「夭折歌人を読む」15として掲載

時の重量 佐久間章孔『州崎パラダイス・他』書評

 『州崎パラダイス・他』は『声だけがのこる』から三十年振りに刊行された佐久間の第二歌集である。『声だけがのこる』が出版された一九八八年は、リクルート事件が世を騒がせ、竹下内閣によって消費税が導入され、昭和天皇の重い病状が報じられた年だ。わずか一週間で終わった昭和六四年を除けば実質的に昭和最後の年と言ってよい。『州崎パラダイス・他』はそれから三十年目の今年(2018年)上梓された。奇しくも今上天皇の退位によって平成は三十年をもって幕を閉じることになる。つまり第一歌集と第二歌集を隔てる空白がぴったり平成と重なっているのだ。『州崎パラダイス・他』が平成最後の年に刊行されたことに、不思議な暗合を感じないわけにはいかない。

 本歌集は三部構成からなる。第一部「州崎パラダイス」、第二部「ニッポン」、第三部「残照」である。州崎は現在の東京都江東区東陽町一丁目の旧町名で、明治時代から遊郭が置かれていた。終戦後は州崎パラダイスという名の赤線地帯となり、一九五八年の売春防止法で姿を消した。第一部の主要なテーマはこの赤線地帯の思い出と、佐久間の故郷と思われる鬼怒川流域の村の遠い記憶である。

胸を病む出戻り女の洗い髪見知らぬ世界があやしく匂う

早熟の男子二人が月に舞う謎のあなたに手招きされて

こわごわと綱に手をかけ暗い声で「足が冷たい、おろしてやろう」

あの町は陽炎のなか バラックの低い家並みと白い埃の

鬼怒の里に月出るころ川番の小屋の戸が開く 暗く軋みつつ

自転車の錆びたチェーンを替えたくて兎を全部売ったさ ごめん

 一見すると昭和ノスタルジーと思われるかもしれないが、まもなく終わろうとする平成の世を間に挟んで眺めると、望遠鏡を逆さにして眺めたような神話的世界のように見える。本歌集の底を流れているのは『声だけがのこる』を染め上げていた「残党の抒情」(田島邦彦他編『現代の第一歌集』の「刊行のころ」)から神話世界への飛翔である。

 本歌集にも、「ぼくたちは永久反対運動装置 時代遅れのハモニカ吹いて」「綿火薬の製造法のなつかしさ額にぬるりとヤバイ汗流れ」のように、戦後という時代の殿艦たらんとする思想兵の述懐がないわけではない。しかしもはやそれは遠い残響として届くにすぎない。

 本歌集で異彩を放つのは第二部「ニッポン」である。萩原朔太郎の「日本への回帰」の引用をエピグラフとし、「舞神」「埋神」「戦神」「境神」「無言神」「鬼神」「喪神」など佐久間の想像による神を題とする歌が並ぶ。

燃ゆる火を踏みつつ踊れ荒舞を舞初めてよりはや幾年

切っ先の紅を拭きとり目を閉じる 海原千里越え来しものを

戦舟が海の向こうで燃えている押して渡れと告げたばかりに

生き恥をさらして待てどこの胸に深き御声は二度と届かぬ

神々は隠れませども歌うがごとく祈りは残る 花は菜の花

 時代を撃つ思想兵として歌集全体をひとつの喩とした『声だけがのこる』から三十年を経過すれば、さすがにもはや今は戦後ではない。佐久間がさまざまな神を招喚するのは、ある時は時代を劫火で焼き尽くし、またある時は慚愧の念を刃に変えて振り下ろし、戦後の昭和という時代に引導を渡して荘厳するためである。こうして初めて佐久間は戦後という呪縛から自由になる。

 こう考えればなぜ第三部が「残照」と題されているのか納得がいく。時代の熱はもはや灰の中の埋み火でしかない。

終焉いやはての身に降り注ぐ薄ら日よ幼年の庭にわれをかえせよ

行く先は何処か知らず 減じゆく薄ら日に白く晒されながら

光る海に散らばるさき島々の破船(ふね)は入江に打ち上げられて

 第一歌集が時に俗謡めいて剽軽な調べを帯びていたのに較べると、本歌集の調べはなべて重い。それはとりも直さず佐久間が生きて来た時間の重さである。友達どうしのおしゃべりのようなポップでライトな口語短歌が溢れる現代にあって、佐久間の歌い口の重さは異質に感じられるかもしれない。しかし本歌集を読む人は必ずや歌の底に流れる時間の重量を感じ取ることだろう。

 

『月光』2018年12月 57号掲載

紀水章生歌集『風のむすびめ』書評:光と風と時の移ろい

 歌集を手にするとき、とりわけ作品を初めてまとめて世に問う第一歌集を読むときは、作者がどのような立ち位置に身を置いて世界を眺めているのか、世界を構成する素材のうち何に着目しているのかという切り口で歌を読むと、その作者の拠って立つ世界観が見えてくることが多い。そのような目で本歌集を眺めると、作者の眼差しはとりわけ光と風と時間の移ろいに注がれていることがわかる。
水滴は濡れる春野の乳色を映し子どものやうに揺れをり
花群は蜂の羽音に開きゆくスローモーションビデオのやうに
水底の珊瑚の砂にゆらゆらと光の網が絡み揺れをり
ふるふると震ふシャボンの薄膜に空渡りゆく秋の映ろふ
 歌集冒頭近くに並んでいる歌を引いたが、これらの歌に通底する感性を感じることができる。一首目、春の雨粒か露の水滴にクローズアップする視野があり、水滴に乳色の春の野が映っている。水滴が揺れているのは微風があるからだろう。静止画でありながら、水滴の揺れによって微細な時間の経過が感じられる。二首目はもっとはっきり時間の流れがあり、蜂の羽音に促されるように花が開く様が詠まれている。ここにあるのは都市に暮らす現代人の性急な時間ではなく、ゆったりと流れる時間である。三首目にもまた揺れがあるが、今度は光である。太陽光の届く浅い海底かと思われるが、このように歌われることによって、媒体なくして存在しえない光が自立的に存在するかのようだ。四首目、子どもの遊びか、シャボン玉の球面に秋が映っている。シャボン玉の震えが表す小さな時間と、「空渡りゆく」というおおらかな措辞が示す大きな時間の両方が封じ込められており、詩的完成度が高い歌である。
みぬちなる音盤ディスクは風にほどけゆき雪ふる空のあなたへ還る
しぼんでた紙ふうせんをふくらます五月の明るい風をとらへて
あのころの風が写ってゐるやうだすぢ雲のある青い空には
 風が詠まれている歌を引いた。見てすぐわかるように、風は作者にとって肯定的価値を持つアイテムである。体を凍えさせたり、思い出を吹き飛ばしたりするような、否定的価値を持つものではない。このことは歌集に『風のむすびめ』というタイトルを付けていることからもわかる。作者にとって風は、内なる音楽をかき立てたり、紙風船を膨らませたり、懐かしい子供時代や青春期に頭上を吹いていたりするものである。
 さてここで『風のむすびめ』というタイトルについて考えてみると、詩的でありながら不思議なタイトルである。風は大気の運動であり、物理的実体を持つものではない。そんな風にむすびめがもしあるとするならば、それは風という客体側にあるものではなく、風を感じている主体側、すなわち〈私〉の側にあると推測される。感じる主体としての〈私〉の側から見れば、風は常に〈私〉に吹いている。確かに遠くの葉群が揺れていれば、「あそこに風が吹いている」と知ることはできるが、それは認識であり体験ではない。〈私〉が感じる風は常に〈私〉に向かって吹く風である。だから「風のむすびめ」とはとりもなおさず、四方八方に吹く風の結節点としての〈私〉にほかならない。そしてそれは単に風のみに留まるものではなく、作者が歌に詠む光や雨や水の流れにも言えることであり、つまるところ森羅万象が一点に収斂する焦点としての〈私〉ということになろう。作者の歌における立ち位置とはこのようなものである。
 短歌史という大きな流れの中に置いてみると、紀水の短歌は自我の詩としての近代短歌の中に位置づけられるとまずは言えよう。しかしながら明治・大正・昭和初期の近代短歌に見られる抒情の主体もしくは生活の主体としての輪郭のくっきりした〈私〉は紀水の歌には希薄なようである。
あふぎみる花梨の空の深みまでしんと冷やせりのど飴ひとつ
ゆふやみへ消ゆる鴉のフェルマータ呼ぶ声たかくとほくをはりぬ
ハクチョウは飛ぶ舟のやう散らされたひかりのなかを昇りゆきたり
 これらの歌を読んで後に残るのは、ただ残像としての喉の冷えや鴉の声や白鳥の光であり、それらを感じているはずの〈私〉は光や声の中に溶解してしまうかのようである。それは紀水が〈私〉を世界を高みから睥睨する不動の地点として捉えているのではなく、風が吹けばそこにしばらく生じてまた消えてしまう「むすびめ」と感じているからであろう。そのような把握においては、〈私〉は近代思想の根底をなすデカルト的主体ではなく、〈私〉もまたひとつの現象とみなされることになる。これが紀水の短歌に通底する認識ではないかと思われる。
 紀水が光や風や時の移ろいにとりわけ惹かれる理由もこれでわかる。これらは特に現象的特質が顕著だからである。しかしさらにもう一段階考察を進めてみれば、近代以前の古典和歌の作者たちもまた、〈私〉とは現象にすぎないと考えていたのではなかろうか。もしそうだとすれば、紀水の短歌は近代短歌を飛び越して、古典和歌の世界へと架橋するものと見ることもできる。短歌が千数百年にわたって連綿と続いてきた短詩型であることを考えれば、それも不思議なことではない。



中部短歌会『短歌』2014年8月号に掲載

加藤治郎歌集『しんきろう』書評:ニューウェーブは電気羊の夢を見続けるか

 本書は『雨の日の回顧展』に続く加藤治郎の第八歌集で、平成二〇年から二四年までの歌を収録する。一読してまず前歌集との大きな落差に驚く。
 『雨の日の回顧展』には「海底の昏さに灯るアトリエに臓器を持たぬ彫像ならぶ」「石鹸の箱の穴から流れ出た絵の具で描くJ・F・ケネディ」のように、展覧会や美術制作に想を得た歌が多くあり、歌集全体を造形的構想でまとめようとする強い意思が感じられた。ところが本書にそれに匹敵するような構成的意思は不在で、それに代わって作者の仕事の現場と直接関係する日常詠が多くあり、行間には深い疲労感と鬱傾向が滲む。
残業のざんのひびきが怖ろしい漏洩前のくぼんだまなこ
職務みな忘れろという社命あれシュークリームから噴き出すクリーム
あきらめは安らぎと死の架け橋であること夜の錠剤を呑む
見知らぬ人にフォローされてる銀色の回廊にいてつぶやく俺は
 この変化の背景には、名古屋から東京への思いがけない転勤、愛弟子笹井宏之の早世、東京で遭遇した東日本大震災などの、実人生における出来事があるにちがいない。リアリズムとは一線を画する加藤の歌には、実人生の直接の反映はほとんど見られなかった。しかしこの四年間に起きた出来事は、そんな加藤の短歌にも影を落とすほど重いものであったようだ。
 主題面に目を移すと、従来の加藤の短歌の重要なテーマに、日常に降りかかる理不尽な暴力と狂気、性愛、幼児にまで遡る意識の重層性があったが、本書ではそのいずれも影を潜めており、歌の背後に見え隠れするのは等身大の〈私〉に近い。文体面では大胆な喩と修辞やオノマトペがニューウェーブ短歌と呼ばれた加藤の歌を特徴づけていたが、それも本歌集では目立たなくなっている。いずれも大きな変化と言えよう。
 何かが起きているようだ。永田和宏は『現代短歌雁』四八号に寄せた文章で、「いやそうさ時間は無垢さ」という加藤の歌の一節を取り上げ、「時間は無垢か」と逆に問いかけた。本書では無垢への希求は、押し寄せる日常と鬱によって覆い隠されているようだ。加藤はこれからも〈無垢〉という電気羊の夢を見続けることができるのだろうか。
 とはいえ本歌集にももちろん美しい歌がある。次のような歌はおそらく現代短歌のひとつの到達点ではなかろうか。
まひるまの有平棒は回りけり静かにみちてゆける血液
あるときは青空に彫るかなしみのふかかりければ手をやすめたり
ゆめのようにからっぽだけど遊園のティーカップにふる春のあわゆき
コーンで受けるソフトクリームくねくねと世界が捩れてゆくのだ、姉よ
キャラメルの内側を押すゆびさきにほのかなひかり灯るゆうぐれ



『短歌研究』2012年9月号に掲載

鳩の影のもとに──高安国世中期短歌

 永田和宏編『高安国世アンソロジー』巻末の年譜によると、高安は昭和十七年(一九四二年)に旧制第三高等学校の教授となり、昭和二十四年(一九四九年)の学制改革による新制大学誕生とともに、京都大学教養部のドイツ語担当助教授に就任、昭和五十一年(一九七六年)に定年退官している。私事で恐縮だが、私が京都大学に入学し教養部で学んでいたときに、高安は同じ校舎でドイツ語を教えていたことになる。残念ながら私は第二外国語にフランス語を選択したので、先生に学ぶ機会は得られなかった。時は流れ、私が一九八〇年に教養部にフランス語教員として着任したときには、先生はすでに退官しておられた。先生と同じ校舎の廊下を歩き、同じ教室で授業をしたこともあったろうと思うと、人の縁とは不思議なものである。このような経緯から本来なら高安先生と書くべきなのだが、ここでは習慣に従い敬称を省かせていただくことにする。
 巻末のあとがきで、編者の永田和宏は高安の作歌活動を三期に分けている。土屋文明を師と仰いで生活の具体を写生的手法でリアルに詠った第一期、ドイツ文学や前衛短歌の影響を受けて、「日常の連続の上にではなく、非連続の刹那に詩」を求めるようになった第二期、自然の懐に溶解するようにして、自己や自然を相対化する視線を研ぎ澄ました第三期という区分である。第一期が第六歌文集『北極紀行』まで、第二期が第七歌集『街上』から第九歌集『朝から朝』、第三期がそれ以後となる。私に与えられた課題は、『北極紀行』から『朝から朝』までの歌集を読むことなので、ほぼ第二期に相当する。
 第一期の作品には、自身の病、生活上の不如意、妻との感情のすれ違い、子の障碍、人生への懐疑などが、写実的手法でリアルに詠われている。近代短歌の王道の人生のための歌であり、人生を映す歌である。
 何を求め生くる命ぞこの夕べまぼろしきこゆミサ・ソレムニス 『眞實』
 咳き込みてしたたる汗は配給のブイヨンスープの皿に落ちたり
 昭和三十五年に上梓された歌文集『北極紀行』には、三年前のドイツ旅行に題材を得た歌が収められている。当時はふつうの人が海外旅行をするのは難しかった時代で、この渡欧は高安には貴重な体験だったにちがいない。
 北極を指し限りなく飛ぶ夜空眼よりも低き星一つあり
 岩山のかこむ砂漠に塩のごとこごりて消ゆる行方なき河
 扉ひたと閉じたる石の家々に鍵一つ頼りに夜ふけを帰る
 新しい風物に接し、それまでの身めぐりの歌よりも視線が遠くに伸びたことが歌から感じられる。それと同時にドイツの石造りの家と街路の硬質性と立体性に、高安は強い印象を受けたにちがいない。リルケは『マルテの手記』でパリの建物の持つ立体性と人を拒絶する冷たい質感を詩的に描いたが、高安もドイツに滞在してこれと似た認識を得たことは想像に難くない。この体験が『街上』の骨格をなす都市詠へと発展したのではないだろうか。
 『街上』はそれまでの歌集との断絶を感じるほど歌の質が異なる。最も顕著な相違は、都市というテーマと短歌表現への新しい明確な意思である。
 鉄骨の奥深く誘うごときものすでになく明るき石の壁見ゆ
 シャボン玉街に流るるかくまでに跡をとどめぬ風の産卵
 街上の変身ひとつ窓無数に瞠きて被覆去りし建物
 わが前の空間に黒きものきたり鳩となりつつ風に浮べり
 一首目に顕著に見られるように、都市の持つ立体性に着目した歌は、ドイツ体験が高安にもたらした変化が生み出したものであろう。三首目の「窓無数に瞠きて」に見られる窓を眼に喩える表現はリルケを思わせる。またシャボン玉を風の産卵に喩えた表現は、アララギ的なリアリズムから遠く、新たな短歌表現を求める姿勢を感じさせる。
 このような作歌傾向が第八歌集『虚像の鳩』においてひとつの頂点を極めることに大方の異論はあるまい。
 翅うすく飛ぶものとむしろ濃き影と錯綜すためらいまたすばやく
 広場すべて速度と変る一瞬をゆらゆらと錯覚の如く自転車
 羽ばたきの去しりおどろきの空間よただに虚像の鳩らちりばめ
 今日よく引用されるこれらの歌は、昭和三十九年から四十年の日付を持つ「夏・楽章」「速度」「初冬のフーガ」と題された連作にあり、高安の新しい短歌言語への試みはこの短い期間にピークを迎えたと推察される。「見えるもの」を詠うのではなく、眼前の形象を通してそのかなたに暗示される非在の本質へと迫ろうとする作歌姿勢は、研究するリルケへの傾倒と深い理解に由来するものだろう。外国文学が短歌に与えた影響について論じられることは少ないが、この時期の高安の達成はその幸福な果実と見なしてよいのではなかろうか。しかし高安のこの新しい短歌言語への試みの時期は存外短かったようだ。『虚像の鳩』の前半には、地下街・都市のビル街・工事現場の鉄骨などを題材とした歌が多くあり、都市の孤独に沈潜する姿が見られ、それが右に引用した歌でピークを迎えるのだが、歌集後半になると都市を離れて自然に沈潜する歌が多くなる。この傾向は第九歌集『朝から朝』においてさらに強まるのである。
 水芭蕉葉のやわらかき明闇に谷地ひろびろと光りふる雨
 目に見えぬ船たおやかに近づくと微かにきしむ白き桟橋
 非在の影への眼差しは残るものの、都市の壁から滲み出るような孤独への思いは少なくなり、自然の中に自己を溶解させてゆく姿勢と、水面に無限に広がる波紋のごとき安らかさが感じられる。読者としては、『虚像の鳩』の中期に示された新しい表現への意思がさらに長く持続していたならば、どのような歌が生まれただろうかという想像につい駆られてしまうが、歴史に「たら・れば」が禁物であることは言うまでもない。それと同時に、人生の軌跡に沿うようにして歌の変貌と深化を達成することのできた時代の幸福を、多少の羨望を込めて眺めざるをえないのである。



「塔」2010年7月号(2010年7月15日発行)に掲載

松野志保歌集『Too Young to Die』書評:砕け散った世界に生きる二人の少年の物語

  歌人が第一歌集の出版まで漕ぎつけるのはたいへんなことだと聞く。しかしもっと重要なのは第二歌集だとも言われる。第一歌集ではまだ萌芽的であった歌人の個性が、第二歌集で確立されるからである。二〇〇二年に『モイラの裔』でデビューした松野志保がこのたび世に問うた第二歌集『Too Young to Die』は、その意味で期待を裏切らない一冊となっている。
 ワカマツカオリの描く少年のイラストが飾る表紙と、ヴィヴィアン・ウエストウッドの店の名前から採ったという歌集題名が前景化する主題は「少年」である。少年性は一人称を「ぼく」で通した『モイラの裔』にすでに胚胎していたが、『Too Young to Die』でこの主題はさらに深化され、「二人の少年」というより明確な像を結ぶに至った。
いつか色褪せることなど信じないガーゼに染みてゆくふたりの血
この夜の少しだけ先をゆく君へ列車よぼくの血を運びゆけ
ぼくたちが神の似姿であるための化粧、刺青、ピアス、傷痕
脱ぎ捨てる乳白のシャツこの胸に消えない傷をつけてほしいと
 ほのかに血とエロスの匂いのする耽美的な少年の世界が、想像力を飛翔させ、歌想を汲み出す源泉となっているのは疑いない。この世界につらなる作品には確かにツインで登場する少年が多い。ヘッセ『デミアン』のジンクレールとデミアン、宮澤賢治『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラ、萩尾望都『ポーの一族』のエドガーとアラン、荒川弘『鋼の錬金術師』のエドとアルなど、枚挙に暇がない。なぜ少年は二人でやって来るのか。その理由にはアンビバレントな要素が内在していることに注意しよう。二人という最小対の関係は、ジンクレールとデミアンのように、時に導師と弟子の二項関係を形成し、十九世紀西欧に成立した成長物語ビルトゥングス・ロマンの基盤となる。二人の少年は対関係を梃子に成長しやがて大人になる。しかし、別の斜面においては、二人という対関係は外部世界を故意に遮断し、内部に閉じこもる繭化コクーニングの危険も孕んでいる。この場合、少年は成長するのではなく、逆に成長して大人になることを頑なに拒否する。松野の短歌に登場する二人の少年は、どうやら後者のようなのだ。
創を持つ果実の甘さ鳥籠の外の世界がこわれるときも
どこへ往くことも願わぬふたりには破船のようにやさしい中庭パティオ
繭に閉じこもる甘美さと行き場のなさがむせ返るように共存している。そして『Too Young to Die』が描いてみせる繭化した二人の少年を取り巻く世界は、黙示録的終末観が色濃く漂う世界なのである。
またひとつピアスの穴をやがて聞くミック・ジャガーの訃報のために
癒されたいわけじゃなかったこの傷のほかには何も持たないぼくら
ひび割れた鏡に映る世界その欠片ひとつひとつを雨が打つ
灰の降りやまぬ世界に生まれたから灰にまみれて抱き合うぼくら
炉心隔壁シュラウドがひび割れてゆく幾千の夜をひたすらその身に溺れ
 ではなぜ松野はこの主題に拘泥するのだろう。もちろんそこには個人的嗜好が働いている。同人誌『Es空の鏡』に寄稿した「元やおい少女の憂鬱」と題された文章のなかで、松野は自分の「やおい」的傾向を率直に告白している。「やおい」とは、「ヤマなし」「オチなし」「意味なし」の頭文字を繋げたもので、元来は少年同士の恋愛を主題とする少女マンガの一ジャンルであるBL (boy’s love) をさす。「やおい」の世界は、少女たちの想像力と物語を希求する秘やかな願望の回収装置として働いてきた。
 このような個人的嗜好レベルの事情を、短歌という創作の地平に引き上げて考えると、「やおい」的世界に深源を持つ「少年性」という主題は、歌の中にひとつの仮構的世界を構築し、日常世界から失われたロマンを育む土壌となっている。それゆえに、この土壌から滋養を吸収する松野の短歌は、近代短歌のセオリーであった写実からは遠く、身辺詠も職場詠も家族詠も見られない。家族も友人も登場せず、舞台はどこであってもよく、どこでもない場所である。
 松野の短歌が描くこのような世界設定が、電脳仮想空間で展開されるRPG(ロール・プレイング・ゲーム)に酷似しているという点に注意しよう。その点に私は一抹の危惧の念を覚えざるをえないのである。
 なぜ危惧の念を覚えるかというと、RPGの世界はつまるところ「セカイ系」だからである。「セカイ系」とは、平凡な日常(近景)と世界の命運に関わる大事件(遠景)とを直結する思考様式をさし、その特徴は、家族・地域・社会といった〈中景〉がすっ飛ばされるという点にある。家族・地域・社会などの中間項は、〈私〉にストレスフルな拘束を課す鬱陶しい装置だが、本来は〈私〉と〈世界〉とを媒介する役割を果たしている。「セカイ系」はこの中間項を大胆に省略する。「セカイ系」の思考様式が出現したのは、哲学者リオタールのいう世界を解釈する「大きな物語」が二十世紀終盤に消滅したためであることは確かだろう。短歌の世代論的には、一九七〇年代始めに生まれた団塊ジュニア世代からその傾向が強く見られる。十代後半の思春期にバブル経済の崩壊を目撃した世代で、七三年生まれの松野はこの世代に属している。
 短歌がこの世を生きる〈私〉の表現であるならば ― そうではないという考え方ももちろんありうるが ―、〈私〉はどこかでこの世と切り結ばねばならない。そして、ここでいう「この世」のなかには、家族・地域・社会などのストレスフルな中間項も含まれることは言うまでもないのである。
 この歌集には次のような歌がある。
探知機をするりと通過するぼくの頭の中に爆弾がある
朝ごとのメトロ 併走する黒い馬の群その呼吸聞きつつ
わが言葉、貧しき地上に片翼の天使を繋ぐ鎖であれと
 私は次のように解釈した。平凡な日常を送る近景の〈私〉の頭の中には、遠景の世界を変革する爆弾がある。それは通勤電車に併走する黒馬の群としても形象化される。松野は想像力のなかで、このように近景と遠景をしばしば平行世界として描いている。ここに端的に松野の世界観が現れていると見たい。
 しかし私はここで次のように考えてしまうのである。遠景を変革・爆破するべき黒馬の群は、永遠に通勤電車と平行に走っているだけでは十分ではない。荒い息を吐く黒馬の群はいつかは通勤電車の線路と交差しなくてはならない。交差したところに松野の新たな歌が生まれるのではないか。そのように思えるのである。
 右に引用した最後の歌は、松野が短歌に賭ける思いを宣言した歌だろう。その志やよしである。松野がこの歌集で明確に形象化した「二人の少年」が、今後どのような方向に向かうのか、注意深く見守りたいと思う。



2009年8月『文藝月光』創刊号

都市と〈私〉が立ち現れるとき

 一九九一年に吉野の第一歌集『空間和音』が上梓されたとき、歌壇では賛否両論の声が上がったという。批判の急先鋒は藤原龍一郎で、「短歌の言葉に対する葛藤のなさへの不満」を出版記念会で吉野にぶつけている。藤原が槍玉にあげたのは、「ほくほくはやきいも ぽくぽくは木魚 ああ、ぼくたちは啄木が好き」「せっくすをしたいと思う すこしずつ水の季節がやって来るから」といった歌で、慚愧の念に裏打ちされた都会的抒情を身上とする藤原の目からすれば、吉野の歌は言葉と戯れる児戯に見えたのだろう。短歌的抒情を、恋愛・離別・生死などの人生における特別な時間に噴き上がるものと見なすならば、確かに吉野の短歌にはそのような意味での抒情は希薄である。八七年の『サラダ記念日』に始まるライトヴァース論争や、九〇年の荻原裕幸のニューウェーブ宣言を皮切りに、陸続と出版されたライトでポップな短歌の潮流という文脈に、吉野の歌集も位置づけられたのかもしれない。
 しかし、吉野は次のように述べていることに注目しよう。

「われわれはもっと大切にしなければならないと思う。日常。辞書的にいえば、つねひごろ、ふだんといった意味を持つことば。なんだかとても平凡な感じがする。とはいえ、現実の日常はけっして単純ではなく、その水準や相は多様である。この多様な水準や相をていねいに捉えようとする意志が、いま弱まっているのだと思う」
              (「日常と真向かうための」初出『合歓』二二号)

 これは吉野の生活信条であると同時に、短歌論ともなっている。平凡な日常の多様な相をていねいにすくい取ること、そこに見えて来るものがあると吉野は言いたいのである。次の歌はこのようなスタンスから生まれたものと思われる。

腐りたるトマトを捨てし昨日のことふと思い出す地下鉄に乗り  『空間和音』
冷蔵庫の上に一昨日求めたるバナナがバナナの匂いを放つ
自らの重さを思う目覚ましの鳴る十分前にめざめたる時
ぼくの目の高さ、コップに注ぎたる水の高さ そろり揃える

 いずれも詠われているのは日常の瑣事である。腐ったトマトを捨てたことなど、取り立てて歌にするほどのことではない。またバナナがバナナの匂いを放つのは当たり前のことだ。しかしこのような瑣事をすくい上げて、そこに注意のダイヤルを合わせるとき、浮かび上がって来るある確かな手触りが、これらの歌には感じられる。またこの手触りと相関して、手触りを感じ取る〈私〉もまた浮上する。生態心理学の教えるごとく、自己の知覚と環境の知覚は相補的だからである。このことは三首目にとりわけよく感じられる。目覚まし時計が鳴る前に目覚めるというありふれた日常的経験に劇的なものは何もない。しかしこの経験は自分の身体の重さという自己知覚へと意識を送り返すのである。四首目は吉野の方法論をそのまま歌にしたかのようだ。目の高さとコップの水の高さを揃えることによって見えて来るものがある。吉野はそう言いたいようだ。
 『空間和音』にすでに現れているこのような作歌姿勢は、第二歌集『ざわめく卵』に至っていっそう深化の度を増したようだ。モノの形象と都市の風景という新たな要素が加わっているからである。

秋の日のかがやきの中ふかくふかく見えてくるもの東京の辺に 『ざわめく卵』
目の前の裸木の群れゆっくりとわれをあふれて風景となる
人間のかたちとなって泣いている五月もしくは下闇のなか
椅子というかたちを見せているものの影伸びている君の足元
信州ゆ来たる特急わが前にかたちとなれば静止してゆく

 最後の歌に注目しよう。特急が私の前に止まったのではない。私の前に止まったものが特急となるのである。知覚の転倒とも見えるこのような把握の理由は何か。ふだん私たちは、知識と経験により構成された参照枠によって外界を見ている。たとえば公園にはベンチや砂場や水飲み場がある。ちらっと見たものをベンチと認識するとき、私たちはモノの性質や形状を仔細に吟味しているのではなく、公園にあるものはベンチだという参照枠に依存して判断している。多忙な毎日を送る現代の都市生活者であればあるほど、モノの形の前に留まることなく、便利な参照枠による認識でことを済ませている。吉野はこのような参照枠をできるだけ取り払い、形象が立ち現れる瞬間を捉えようとしているのである。同じ態度は右に引いた三首目と四首目にも現れている。このような態度を取ってこそ、東京という都市の周辺にもふかくふかく見えてくるものがあると吉野は言いたいのだ。
 まちづくりに関わる仕事に従事している吉野は、「短詩型と都市は双子の兄弟ではないか」とセレクション歌人『吉野裕之集』のあとがきに書いている。短歌と同様に都市もまた、日常のゆらぎと重層的な時間の堆積の中に立ち現れるものと理解されているのだろう。
 『吉野裕之集』の巻末に『ざわめく卵』以後の歌を集めた「胡桃のこと II」が置かれている。その最後、すなわち『吉野裕之集』全体の掉尾を飾るのが次の歌であることは、意味深いことである。

ゆっくりとやって来るものおそらくはその名を発語せぬままに待つ

 やって来る何かを性急に名付けて参照枠に収めるのではなく、その何かがゆらぎの中を潜り抜けて自ら名を告げるまでじっくりと待つ。これが『ざわめく卵』以降にさらに深化の度を増した吉野の現在のスタンスなのだと思われるのである。


「桜狩」132号、2009年7・8月号掲載

意味は形式の階段を駆け上がり普遍の空へ(特集:短詩形文学の試み──定型とは何か)

 詩や俳句や短歌などの短詩型文学における定型とは何か。これはなかなか難しい問題である。そもそも短詩型文学はなぜ定型を必要とするのか。この問題に答えるためには、詩歌における言語の役割から考えてみなくてはならない。

 透徹した詩論を残したポール・ヴァレリーの文章のなかに、詩の発生する瞬間を捉えた美しい一節がある。あなたは煙草の火を借りるために、かたわらの人に「火をお持ちですか」Avez-vous du feu ? と言う。その人はあなたに火を貸してくれる。あなたの発した「火をお持ちですか」という短いフレーズはその命を終えて消えてしまう。言葉が行為に置換され、あなたは望んだ火を手に入れたからである。これが私たちが日頃経験している普通の言語状況である。ところがなぜか、役割を終えたにもかかわらず、私のなかにその短いフレーズをもっと聴きたいという欲求が生まれることがある。私はそのフレーズを、抑揚を変え速さを変え何度も反復する。そのフレーズは言葉の行為への置換という実用性を超えて生き延びたのだ。これがヴァレリーの描く詩の発生する機序である。

 ヴァレリーの言おうとしたことを現代言語学的に言い換えると、「詩歌の特徴はシニフィアンへの固着である」と要約できる。シニフィアンとシニフィエは現代言語学の父ソシュールの提案した用語で、言語記号を構成するふたつの面をさす。かんたんに言えば、シニフィアンは音、シニフィエは意味と考えればよい。意味の伝達を旨とする散文の世界ではシニフィエが全面的に君臨するが、詩歌の王国においてはその支配力は後退し、シニフィアンが頭をもたげ、時にシニフィエを凌駕する。

 あめんぼの足つんつんと蹴る光ふるさと捨てたかちちはは捨てたか  川野里子

 この歌の魅力が下句に凝縮されていることに異論はないだろう。音数的には七・七となるべき下句が八・八と破調になっているが、「ふるさと」「ちちはは」の対句的表現と「捨てたか」のリフレインによってむしろ安定感が増し、わらべ唄のような効果を生みだしている。この下句の魅力は意味によるものではない。四音の規則的連続と「捨てたか」の反復というシニフィアンへの固着によって、呪文のような効果を生みだしている。この魔術的な下句と比較すれば、上句は下句を導き出すための導入部にすぎない。

 作者の個人的な体験や思い入れにすぎないものを定型という鋳型に流し込むと、あら不思議、それは個人的地平を離れて公共性のレベルへと浮上する。川野の短歌は老いた両親を地方に残して上京し、都会生活者となりおおせた多くの日本人の心情を代表する。意味は形式の階段を駆け上がることで、普遍の高みへと達するのである。意味の一回性を保持しつつそれを公共化するという、個的意味から普遍的意味へのこの魔術的変換に、定型が決定的役割を果たしていることは疑いない。

 同じことは消費者への訴求力を必要とするCMコピーにも当てはまる。CMコピーの要諦は耳に残り多くの人々の好意的共感を得ることにある。

 すかっとさわやかコカコーラ
 セブンイレブンいい気分
 インテルはいってる

 「すかっ」「さわやか」「コカコーラ」の無声破裂音「カ」の反復は、歯切れのよいリズムを生み出し、炭酸飲料の刺激的な爽快感とよくマッチしている。「セブンイレブンいい気分」は三音・四音・五音と漸増する各句の末尾に「ブン」が反復されることで、弾むようなリズムが生まれている。「インテルはいってる」は、英語版のコピー Intel Inside の頭韻を日本語に置き換えるときに「てる」の脚韻に変えるという工夫されたコピーだが、日本語の定型の基盤である音数リズムに乗っていないのが惜しい。「インテル○○てるはいってる」となっていれば完璧だっただろう。「○○」の部分には、たとえば「インテルイケてるはいってる」のように二音を入れる。もっともこの改作が広告コピーとして「イケてる」かどうかは別の話だが…。かくのごとく定型は私たちの日常生活の至るところに溢れている。また日本語の定型は頭韻や脚韻などの韻(rime) によるのではなく、五・七・五などの音数 (正確にはモーラ数)によって成立することを、このインテル社のコピーは教えている。

 G.M.ホプキンズは韻文を「同じ音文彩を全面的にまたは部分的に反復する発言」と定義した。これは韻を基本とする欧米の詩に当てはまることである。学者のモットー Publish or perish. 「論文を出版するか、さもなくば消えてゆけ」も -ish の反復があるから極小の韻文である。欧米の詩が強弱リズムと韻を定型の基本要素としているのにたいして、日本語の詩が音数形式を定型の基礎としたのは、日本語が「ウイーンっ子」を、「ン」も伸ばす音もつまる音も含めて六拍として発音する等拍性の言語であることと、同音語が多くて韻の効果が出ないからである。ではなぜ五・七・五(七・七)が定型として現代まで生き延びたのかという疑問については、坂野信彦『七五調の謎をとく』(大修館書店)に説得的な論証が展開されているのでそちらに譲る。その骨子は、日本語の基本リズムは二音一拍であり、五音と七音を基本とする組み合わせに語彙がもっとも乗りやすいというものである。

 ここでもうひとつ難しい問題が生じる。五・七・五(七・七) の音数律を守れば定型詩ということになるのだろうか。

 枡野浩一の提唱する「かんたん短歌」の生み出したスター加藤千恵に、「あの人が弾いたピアノを一度だけ聴かせてもらったことがあります」という口語短歌がある。五・七・五・七・七の音数律が厳密に守られている。しかしこの歌が一行書きされていたら、誰も短歌だとは思わないだろう。それは上句と下句の切れをはじめとして、一首の内部に内的リズムを生み出す仕掛けが一切ないからである。これを次の創作都々逸と較べてみる。

 椿つや葉樹(ばき)つんつら椿めのう細工と見てござる 渡辺光一郎

都々逸は七・七・七・五形式だが、それさえ守ればよいというわけではない。初句の七音は調子よく始めるために「●○○○|○○○○」でなくてはならない(●は半拍の休止を表わす)。だから最初は三音の単語になる。渡辺の作品を見ると「●つばき|つやばき∥つんつら|つばき●∥●めのう|ざいくと∥みてござる●●●」と、三音と四音がリズミカルに交代して、内的リズムを作り出していることがわかる。内的リズムは語句どうしを凝集させ離反させることで、定められた音数律の内部に緩急を生み出す。この内的リズムがなければ、たとえ全体として音数を守っていても定型とは言い難い。またこうして生み出された緩急のリズムに意味をどのように乗せてゆくかが歌人の腐心するところである。

 しかし歌人とは因果なものだ。定型があればそれを逸脱しようとする力学がどこかに働く。穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ) 』には次のような歌が並んでいる。

 「凍る、燃える、凍る、燃える」と占いの花びら毟る宇宙飛行士

 『ウは宇宙船のウ』から静かに顔あげて、まみ、はらぺこあおむしよ

 この歌集に収録された歌は、若干の例外を除いて三十一音で書かれている。しかし定型感覚は無惨なまでに打ち砕かれている。戦後の第二芸術論、特に小野十三郎の「奴隷の韻律」論を受けて、塚本邦雄が句割れ・句跨りを駆使して「オリーブ油の河にマカロニを流したような」短歌の韻律を意図的に革新しようとしたように、穂村もまた新たに定型を撓める実験を試みているのだ。その試みが成功しているかどうかはまた別の話である。また逆に解釈すれば、これほどまでに撓めてもその残滓が残るほどに、伝統詩の定型は日本語の生理そのものに根ざしたものだとも言えるのではないだろうか。



「すばる」(集英社)2005年10月号掲載

吉岡生夫歌集『草食獣 隠棲篇』書評 :隠棲するにはまだ早い草食獣への手紙

 吉岡生夫の『草食獣 隠棲篇』は著者の第六歌集である。第一歌集『草食獣』、第二歌集『続・草食獣』、第三歌集『勇怯篇 草食獣そのIII』、第四歌集『草食獣 第四篇』、第五歌集『草食獣・第五篇』と、すべての歌集に「草食獣」という題名がつけられているのは異例なことである。著者のこだわりが透けて見えるようだが、意外なことに著者自身による命名ではない。「短歌人」の先輩にあたる小池光がとある酒の席ではからずも名づけ親となったらしい。『草食獣 隠棲篇』の異例に長いあとがきで、吉岡は「炯眼恐るべし。私は肉食獣への変身を夢見ていただけにショックだった」と述懐している。「炯眼恐るべし」とは、初めての歌集を出そうとしていた当時二十八歳の吉岡の短歌を見て、小池が「君の本質は草食獣だ」と喝破したということを意味する。そしてこれを聞いた吉岡は「逃れようのないことを知った」という。吉岡は歌人としての出発点において、しかも二十八歳という若さで、青春期の一時の情熱に曇らされない冷徹な眼をもって、自己の本質を受け入れたのである。これは珍しいことと言わねばならない。誰しも青春期には肥大した自己と過剰な自意識を抱えていて、正確な自己認識を持つことはむずかしい。膨れあがった自意識は、天空へ飛翔するがごときハイトーンの抒情を生み出すことがある。その一時の煌めきは青春の特権と言えるだろう。二十歳の頃の吉岡もこのような青春の煌めきと無縁だったわけではない。

 ちちははのいのりのごときうみなりのなかをゆくとき血こそかがやけ

 海ゆかばみづくかばねとなるものを生かされてわがのる遊覧船

 しかし吉岡は自らを草食獣と規定して歌人としての歩みを始めた。そこには自己認識と引き替えに引き受けた断念がある。第一歌集『草食獣』には年齢相応の清新な抒情を感じさせる歌が見られるかと思えば、年齢にそぐわない老成の香りの漂う歌もあり、読後の印象が散乱する感は拭えない。

 妹は尿してをりかたはらにさく竜胆の花はむらさき

 盲腸の跡がのこれる下腹部をさらす女もわれも敗者か

 吉岡が自分の短歌世界に自信を持ったのは、第三歌集から第四歌集にかけての頃だという。次のような歌が吉岡の歌境の深化を証している。 

 さてもをどりの名手といはむ鉄板のお好み焼きにふる花がつを

 かみさまも裏側ゆゑにせはしくて縫目のあとのしるき陰嚢

 その特徴を一言で言えば、生活の些事を掬い上げる目線の低さと、アンチ自己劇化であろう。この特徴はこのたび刊行された第六歌集『草食獣 隠棲篇』でも健在である。

 朝夕のわれのかひなをはなさざるテルモ電子血圧計嬢

 をのこまたをみなおなじく水泳のガッツポーズの脇に毛のなし

 ぷらすちっくの豚のそこひゆたちのぼるベープマットの夏はきにけり

 「テルモ電子血圧計」「ベープマット」という商品名から滲み出る市井の生活感、「をのこ」「をみな」の古語と「ガッツポーズ」というカタカナ語の取り合わせの生み出すズレがこれらの歌のポイントであり、この手の手法に関して吉岡は名人の域に達している。短歌の韻律が本来内蔵している「雅」と、目線低く掬い上げられた生活の些事という「俗」の巧みな結合と配分により生み出されるこれらの歌には、現代短歌において他に類を見ない手触りと味わいがある。それはひと言で言うと大人の味わいである。

 大病を経験した吉岡にとって死はすでに身近なものかもしれないが、この歌集では死は今までよりも静謐感のなかに描かれていることも注目される。

 死んでゆく最明寺川みづあまく螢とびかふ六月の夜

 たいざうかいたいざうまんだら湯に入りて荒井注氏のおもむくところ

 手にかこふほたるのひかりなかぞらに尾をひくひかり草生のひかり

 秋風にすわれば風がわたりをりこれだけの生これだけのこと

 しかし、と私はすんでの所で立ち止まって考える。これは「野仏の微笑」の境地と紙一重ではないか。吉岡の年齢でこの境地に踏み込むのはまだ早すぎる。ここはぜひとも今しばらくこちら側に踏みとどまって、「雅」と「俗」のあわいから繰り出される絶妙のユーモアのまぶされた人生の哀感を歌にしてもらいたい。そう願うのは私ひとりではないはずだ。吉岡短歌の愛読者として、草食獣の歌境のさらなる展開を待望する所以である。



「鱧と水仙」25号 (2005年)掲載