第321回 横山未来子『とく来たりませ』

夕風のいでたる庭を丈たかき百合揺れてをり花の重みに

横山未来子『とく来たりませ』

 次の歌集の出版が待ち遠しく、出たらすぐに読む歌人が何人かいる。横山未来子は私にとってはそんな歌人の一人だ。横山ほど短歌を読む喜びを感じさせてくれる歌人はそうはいない。第一歌集『樹下のひとりの眠りのために』(1998年)、第二歌集『水をひらく手』(2003年)、第三歌集『花の線描』(2007年)、第四歌集『金の雨』(2012年)、短歌日記の『午後の蝶』(2015年)、すべて読んだ。『とく来たりませ』は2021年に上梓された第五歌集である。歌集タイトルは、メシアの出現を待ち望む賛美歌から採られている。「とく」は「疾く」、つまり「早く」のこと。

 『樹下のひとりの眠りのために』について書いたコラムで私は「時間の重み」をキーワードのひとつとして挙げた。本歌集にもそれは依然として感じられるものの、一読して脳裏に浮かんだ言葉は「恩寵」である。本歌集には一首だけその言葉が使われた歌がある。

かなしみはかなしみのまま透明なる恩寵の降る木の間をゆけり

 恩寵とは神が人間に与える無償の愛であり、キリスト者である横山にとっては特別な意味を持つ言葉だろう。恩寵は天からあまねく降り注ぐものであるが、たとえば掲出歌を見てもそれが感じられる。掲出歌は一見すると単なる叙景歌である。「夕風」で時間がわかり、「庭」で場所が知れる。自宅の庭に咲く百合の花が夕方の風に揺れているという光景を詠った歌である。しかしそれは歌の表面的な意味にすぎない。叙景の裏側に隠れている意味は、「かく在ることの重み」であり、「かく在ることの有り難さ」である。ここで「有り難さ」というのは、存在することが難しく稀だという元の意味で使っている。〈私〉が今ここに居て、庭の百合の花が風に揺れているのを眺めていることが奇跡であり恩寵なのだ。

 思えばそれは近代短歌・現代短歌が手を変え品を変えて表現しようとしてきたものかも知れない。それは「一期一会」と呼ばれることもあり、穂村弘はそれを「生の一回性の原理」と呼んだ(『短歌の友人』所収の「モードの多様化について」)。それは誰も人生は一度しか生きられないという当たり前のことではなく、たとえ尾羽うち枯らして落魄していようが病の床に伏せっていようが、〈私〉が今ここに在るという瞬間の輝きは失せることがないというほどの意味である。掲出歌に限らず横山のどの歌からも濃厚に感じられるのは、この意味での「生の一回性」であり、今かく在ることの有り難さである。

水に触るるごとくにかをりにふれて見る薄日のなかの梔子の白

柘榴六つすべて色づきたるを見ぬ今年の秋にわれは立ち会ひ

去年の実の黒きをあまた垂らしをりあたらしき香の花のあはひに

三輪草群れゐるあたりゆるやかにみひらくごとく届く陽のあり

八月の夕ぐれの風ひろがりて蜘蛛の巣とほそき蜘蛛をあふりぬ

 本歌集に収録された歌のほぼすべてが叙景歌なのだが、上に述べたようなことが的を射ているのならば、横山の歌は何を描いていようとも「今かく在ることの有り難さ」という根源的な主題の変奏曲だとも見なすことができよう。『現代短歌100人20首』(邑書林、2001年)に短歌が収録された折に、編集委員の求めに応じて答えた「作歌の信条」に、「言葉の持つ力を活かしながら、生を基盤とした歌を作っていきたい」と横山は書いているので、あながち的外れとも思えないのである。

 とはいうものの根源的な主題を歌に変えるにはそれなりの技法と手腕が必要である。たとえば一首目、梔子の強い香りが漂って来る。それを「水に触るるごとくにかをりにふれて」と表現していてうっとりする。二首目は庭にある柘榴の木になった実がすべて紅く熟したという歌で、ポイントは「今年の秋」にある。三首目は今年咲いた花の間に去年実った実が残っているという歌で、ここにも流れる時間意識が表れている。四首目も美しい歌で、三輪草の群れるあたりに照る日光はそのまま恩寵である。

 本歌集を通読して改めて感じたのは、微細なことに気づく横山の感覚の鋭敏さである。それはたとえば次のような歌に感じられる。

卓を垂るる檸檬の皮のゑがかれて螺旋の内にひかり保たる

かすかなる音を聞きたり紙にあたり折りかへさるる穂先の跡に

テーブルの日差しは本をのぼりきて紙にありたる肌理をうかべぬ

ひとの靴のありにしあたりまはりたる風のかたちに枯葉のこりぬ

 一首目はおそらく展覧会で見たフランドル派の写実的な静物画だろう。銀色のナイフで剥かれたレモンの皮が螺旋形に垂れているのだが、その皮の内側に光が宿っているところに注目している。二首目は書の展覧会を見た折の歌で、筆の穂先が紙に当たるかすかな音がまるで聞こえるようだと詠っている。三首目は午後の陽が傾いてテーブルに開いた本にまで届くと、紙の表面の微細な凹凸が影を得て顕わになるという歌。四首目は庭先に訪問客の靴が脱いでおかれていたのだろう。もう客は帰ったので靴はないが、靴のあったあたりだけ枯葉が落ちていないという歌である。何かがあることに気づく歌は多いが、この歌のように何かがないことに気づくのは存外難しいことだ。これらの歌の描写の微細さは、「昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつあり」と詠った幻視の女王葛原妙子を思わせるものがある。

 もうひとつ留意すきべきなのは、多くの叙景歌において歌中の視点主体の位置が明確だという点である。

肩で傘ささへてあゆむをさな子の後ろをゆけば傘の柄見ゆ

ゆふぐれは窓よりにじみゆふぐれを歩みてをらむ人をおもはす

座席よりあふぎてゐたり組みあはむとする両の手のごとき並木を

父親のせなに眠れるをさなごの靴の片方脱げゐるが見ゆ

褐色に朽ちたる花もかかげつつ幹ふとき木はわれを仰がしむ

 一首目、前を歩いている子供には傘が重すぎるので肩で支えている。すると傘が後ろに傾ぐので、傘の布面に描かれた図柄がよく見えるという歌。子供の後ろを歩く〈私〉の位置が明確である。二首目は室内にいて窓の外を眺めている歌。「ゆふぐれ」がルフランのように反復されて効果的だ。三首目では「座席よりあふぎて」によって、〈私〉が自動車の座席に坐っており、窓かルーフウィンドウを通して外を眺めていることがはっきりわかる。四首目では父親の背に負われて眠っている幼児を背後から見ているのである。五首目では結句の「われを仰がしむ」によって〈私〉が大樹の根方にいることがわかる。近年、視点主体の位置取りがわからない歌が増えたように感じるが、横山の歌ではたいてい視点主体の位置がはっきりとわかる。

 思えば明治期の短歌革新運動で、短歌が「自我の詩」と規定されたことにより、歌の中に〈私〉が入り込んだ。それと平行的に歌の主体の不動の視点が制度化されていく。このような経緯を考えると、横山の短歌は近代短歌が制度化した技法をいまだ忠実に守っている例と捉えられるかもしれない。そのためもあってか、横山が1996年に「啓かるる夏」で短歌研究新人賞を受賞したとき、選考委員の塚本邦雄に「隔靴掻痒の感がある」と評され、他の選考委員からも「新しさがない」と言われたという。新人賞では従来の短歌にはない新しさが求められることが多いので、近代短歌の王道を行くような横山の歌は新人にしてはおとなしすぎると感じられたのかもしれない。しかしながら、「新しさ」が本当に必要な美質なのかは一考の余地があろう。

 いつものように特に心に残った歌を挙げておく。

枯芝にまじるひらたき雑草に影ありてわが影につながる

アルミ箔破らむときに手にひびくあかるさとして星は死にたり

外光のふかく入る頃わがまへに置かれたる白きカフェオレボウル

滅びむとする夏としてことごとく雨に項垂るるしろき百合あり

丈ひくき草に入りたるしじみ蝶薄暮のいろの翅を閉ざしぬ

口あけたる無花果の蟻の這ふ日ぐれほろびへ向かふもののこゑせり

花のひかり落つる水面をすすみゆく水鳥に花の冷えは移らむ

木の下の落ち葉は雨にぬれずあり濡るるものよりしろき色にて

 最後の「木の下の」の歌などは、巧者吉川宏志を彷彿とさせるような発見の歌である。四首目「丈ひくき」の「薄暮のいろ」もなかなかに美しい。私が最も「恩寵」を感じ、本歌集を代表するような歌と思ったのは次の歌である。

充ちながらそこにあるべき木木のもとへ運ばむとせりけふのいのちを

 「そこにあるべき」と詠われているのだから、「そこにあるにちがいない」あるいは「そこになくてはならない」木は、今はまだそこにないのである。それは今ここに在ることに充ちている木であり、その木は自らのあるべき姿の喩として屹立している。〈私〉はそんな幻視の木に向かって今日も命を運ぶのである。


 

角川『短歌』12月号歌壇時評 短歌評論賞と書評賞

 今月の歌壇時評はまずこの話題から始めるのが順当だろう。小野田光が「短歌研究」の現代短歌評論賞と、「現代短歌」のBR賞をダブル受賞したことである。二〇〇九年に山田航が「夏の曲馬団」で角川短歌賞を、「樹木を詠むという思想」で現代短歌評論賞を受賞し、ダブル受賞となって話題になった。山田の場合は、短歌実作と評論という組み合わせだが、小野田は書評と評論のダブルというところがユニークだ。

 小野田は一九七四年生まれで「かばん」に所属しており、『蝶は地下鉄をぬけて』(書肆侃侃房、二〇一八)という歌集がある。歌集からいくつか歌を引いてみよう。

マリリンの巻き毛みたいなかつ節の光に満ちている乾物屋

シリウスに照らされながら裏門の守衛はそっとのど飴とかす 

 まず「短歌研究」の現代短歌評論賞の方から見てみよう。与えられた課題は「私性再論」である。近現代短歌の世界で私性は何度も繰り返し論じられた重要なテーマである。それは明治時代の近代短歌の成立において、短歌が「〈私〉の詩」、つまり一人称の詩型と定められたからに他ならない。このように幾度となく論じられたテーマについて評論を書く場合には、ユニークな視点が求められるだけに難しい課題である。小野田は昨年も「短歌のあたらしい責任」という課題に、「匿名化する二十一世紀の〈私〉たち」という評論で応募して候補作IIに選ばれており、二度目の挑戦で受賞したことになる。

 小野田が受賞した評論は「SNS時代の私性とリアリズム」と題されたものである。小野田はこの評論で、作中の主体を〈私〉、生身の作者と〈私〉がイコールで結ばれる場合を【私】と表記し分けている。私性をめぐる議論では、「私」と書いたとき、それが何を指しているかを明確にする必要があり、適切な配慮だろう。ちなみに大辻隆弘は『近代短歌の範型』(六花書林、二〇一五)所収の「三つの『私』」という文章の中で、「一首の背後に感じられる『私』」、「連作・歌集の背後に感じられる『私』」、「現実の生を生きる生身の『私』」と、「私」を三通りに分けることを提案している(初出は「短歌研究」二〇一四年十一月号)。また福沢将樹『ナラトロジーの言語学』(ひつじ書房、二〇一五)では、実に九層に及ぶ「私」の細かい分類が提唱されている。何通りに区別すべきかはひとまず措くとして、共通しているのは、もはや「私」は一枚岩のようなひとつの存在ではなく、多層化したものとして捉えなくてはならないという認識であることはまちがいない。

 小野田の評論の主旨は、SNSの普及によって「私」のキャラクター化が可視化している現代では、【私】の表現は成立しにくくなり、明治以来の【私】を前提とするリアリズムも変化を余儀なくされているというものである。しかしながら、昔からずっと変わらず作中主体の〈私〉イコール【私】であったわけではなく、『サラダ記念日』のサラダが実は鶏の唐揚げだったというような「演出」は常にあったとしながらも、近年は【私】のキャラクター化が進行しているとする。現代の歌人は演出やキャラクター化を前提として歌を作っているように見えるが、「個人を場に合わせる演出」を施すことによって、新しいリアリズムを志向している人もいる。また【私】を前面に出すことによって、作者個人の情報が露出することを嫌う人も出ている。事実がそこにある限りリアリズム表現は存在し、また【私】も存在し続けることになり、変化しつつも短歌で【私】が滅亡することはないと小野田は締めくくっている。

 次席に選ばれたのは早稲田短歌会の髙良真実の「私性・リアリズムの袋小路を越えて」であった。髙良は昨年の現代短歌評論賞では候補作IIになっており、一昨年は候補作Iに選ばれている。今年の評論では、リアリティへの希求が事実性への希求にすり替わるのはなぜかという問を中心に論じている。髙良は二〇〇〇年代以降の新たなリアリズムもいずれ袋小路に陥るという見通しを最後に示しており、短歌が続く限り【私】が滅亡することはないとする小野田の結論と対照的である。

 候補作に選ばれたのは柴田悠の「〈私〉をめぐる遠近法」であった。柴田はベンヤミンの芸術論を援用して、現代短歌の〈私〉を論じたようだが、抄録のため割愛された部分が多く、論旨を読み取ることができないのが残念だ。

 選考座談会は要約掲載されている。小野田だけが最高評価のAをふたつ取っているので、順当な結果だろう。最終候補に残った栁澤有一郎と桑原憂太郎は昨年も候補作Iに選ばれているので、残念な結果となった。現代短歌評論賞には複数回チャレンジする人が多いようだ。

    *     *     *

 さて、「現代短歌」の主催するBR賞である。BRはBook Reviewの頭文字を取ったもので「書評」を意味する。手許にある「現代短歌」二〇二〇年一月号の裏表紙にBR賞創設の趣意書が手紙の体裁を取って掲載されている。曰く、歌集を読むのは孤独なたましひとの交感のためであり、歌集の価値は作者から読者への、消費されることのない贈与にあるという。しかるに近頃の書評はまるで大売り出しの散らしのコピイのようである。書評欄にもっと紙数を割き、書評が読み捨てられないようにするために、書評に特化した賞を設けるという意味のことが記されている。署名は千歳橋渉となっているが、無論筆名であろう。千歳橋という名の橋は全国にいくつかあり、修学院離宮の庭に架かる橋もこの名である。

 書評を対象とする賞は珍しい。書評とは何か。広辞苑には、書物の内容を批評・紹介する文章とある。日本の新聞にはたいてい読書欄があり、週一度の頻度で掲載される。その内容はおおかた人文書と文学書の新刊案内である。また短歌総合誌にも新刊の歌集・歌書の紹介欄が設けてあり、書評欄と称しているものもある。それなのに、なぜわざわざ新たに書評を対象とする賞を設ける必要があるのだろうか。時評子の私見では、そこにはふたつの理由があるように思われる。

 その第一は、世に流通している書評には「仲間褒め」が多いことである。権威ある大学に在籍する研究者が、同じ大学に所属する友人の書いた本を持ち上げて紹介することがよくある。これでは書評に公平な判断と客観性が欠けることになり、信頼性が失われてしまう。イギリスのTimes Literary Supplement(タイムズ紙文芸付録)のように権威ある書評紙は、そのようなことがないために信頼されているのである。

 その第二は短歌の世界に特有の事情かもしれないが、作者と読者の外延がほぼ一致していることである。時評子のような例外を除くと、歌集を読む人は短歌を作る人に限られる。小説の場合はそうではない。小説を読む読者の大多数は、自分では小説など書かない人である。したがって小説の書評は、読むことによって読書の悦びを享受したいと願っている人を目当てに書かれる。読んだ人を書店に走らせるのがよい書評だと丸谷才一が言ったと伝えられているが、その言はこのような事情を背景としているのである。

 しかるに短歌の世界では作る人イコール読む人という図式が成立しているために、いきおい友人・知人の歌集を書評することになる。結社の先輩歌人が後輩の新人の歌集の書評を書くこともあるかもしれない。閉じられた歌壇の内部でのみ書評が流通することの意味を疑問視する人もいるだろう。

 さらに考えるならば、歌集はほぼ贈呈によって人の手に渡るので、小説のように書評を読んで書店に走るということは考えにくい。ならば書評を対象とする賞を設ける目的が奈辺にあるかは、一考を要する問題である。「現代短歌」のBR賞は、歌集の書評はいかにあるべきかを炙り出した興味深い試みとなっている。

 第一回BR賞の結果は「現代短歌」二〇二〇年十一月号に発表されているが、結果は該当作なしであった。そのため得点の多かった順に上位七本の書評が佳作として全文掲載されている。選考委員の内山晶太、江戸雪、加藤英彦、染野太朗による選考座談会が実に興味深い。四人の選考委員が高得点を与えた書評が、まっぷたつに分かれたのである。内山と江戸が最高得点の五点を入れた書評に、加藤と染野は点を入れなかった。一方、内山と江戸が無得点とした書評に、加藤は最高点を入れ、染野も三点を与えている。

 江戸は自身が推したひとつ目の候補作は、エッセイ風の書きぶりで、自分なりの読みを展開したのがよかったとする。同じ書評について内山は、確かにこの筆者は何も言っていないところがあるが、作品を自分が乗っ取らない距離を保とうとしている点が評価できるとしている。同じ書評について、染野は読者を思考停止に陥らせているとし、加藤は読者が歌集の全体像をまったくイメージすることができないとして低い評価である。

 なぜこのように対照的な評価が生まれるのか。それは銘々の「書評とは何か」という考え方が分散しているためだろう。「現代短歌」の同じ号に、「よい書評とは」という編集部の求めに応じて寄稿した詩人・批評家の添田馨は、書評は読書感想文でもなければ書籍解説文でもないと断じている。読書感想文とは、〝私〟が読書をとおして得たところを主観的に述べたもので、書籍解説文は〝私〟の主観を極力消して本の客観的特徴を述べたものだとする。私を出しすぎることも消しすぎることもなく、主観性と客観性をほどよく担保するのがよい書評だというのが添田の意見である。しかしもしそうだとすると、この「ほどよく」という部分に大いに匙加減の働く余地があり、どのような文章をよい書評と見なすかにぶれと幅が出ることになる。四人の選考委員の評価がまっぷたつに割れたのはそのためだろう。

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 第二回のBR賞の選考結果は、「現代短歌」二〇二一年十一月号に掲載されている。全部で四十七本の応募があり、そのうち十九本が予選を通過して選考に付された。選考の結果、小野田光が北山あさひの『崖にて』を書評した「単純ではない日々にて」が受賞作となった。『崖にて』は、日本歌人クラブ新人賞と現代歌人協会賞をダブル受賞した歌集で、今回の予選通過作にはこの歌集を書評したものが三本あった。

 第一回に引き続き今回も選考会議は難航した様子だ。江戸と加藤は小野田の書評に最高点の五点を入れたが、染野と内山は無得点としたからである。選考会議では丁々発止のやり取りが長時間続いたが、染野と内山が最高点を入れた書評が割れていたこともあって、最終的に小野田が受賞ということで落ち着いた。川野芽生の『Lilith』を書評した岸本瞳の「『非在の森』へ」と、『崖にて』を取り上げた乾遥香の「北・山」が次席に選ばれている。乾は第一回のBR賞でも𠮷田恭大の『光と私語』を論じた書評で最高点を獲得しているので、今回も残念な結果となった。

 BR賞が歌集の書評の質の向上に資するかどうかは今後の同賞の推移を見なくてはならないだろう。特に歌集の新刊紹介と書評がどうちがうかは、同賞に挑戦する人が身をもって示す必要がありそうだ。

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 今年の短歌研究新人賞はまひる野とヘペレの会に所属する塚田千束が「窓も天命」で受賞した。

われらみなさびしき島だ名を知らずたがいにひとみの灯をゆらしつつ

ホーローの容器に蒸し鶏ねむらせて死とはだれかをよこたえること

腕重くはらいのけずに窮屈とつぶやけばひび入る花瓶に

 塚田は旭川の病院に勤務する医師である。患者の死と向き合う仕事の厳しさも歌に詠まれているが、それだけではなく、一人の人間として生きる毎日に覚える違和感や焦燥感などが、よく選ばれた喩や修辞によって表現されている。塚田は第二回のBR賞にも応募して受賞を逃しており、江戸の敵を長崎でという結果となった。

 ちなみに短歌研究新人賞の応募締め切りが次回から一月末日に変更され、受賞作は七月号に発表されることになった。準備期間が短くなって慌てる人もいるかもしれない。「短歌研究」九月号の巻末にひっそりとお知らせが掲載されているだけなので、老婆心ながら見落とす人が出ないか少し心配だ。

 また今年の角川短歌賞は受賞作なしとの結果が発表された。受賞作なしは同賞の歴史では一九七五年以来なので、実に四十六年ぶりのことである。一九七五年といえば、南ベトナムが陥落しベトナム戦争が終結した年だから、もう歴史の彼方と言ってもよい。本稿を書いている時点ではまだ角川『短歌』十一月号は発売されていないので、どのような選考の経緯があったのかはわからない。

 第二回の塚本邦雄賞では、高木佳子の『玄牝』と並んで永井祐の『広い世界と2や8や7』が受賞した。選考会議にオブザーバーとして参加した塚本靑史が、最初の点数集計で一番だったものが落選し、最下位だったものが受賞したと明かしている。おそらく一番だったのは小島なおの第三歌集『展開図』で、最下位だったのが『広い世界と2や8や7』だろう。選考委員会での穂村弘の推薦の弁に、他の委員が耳を傾けた結果である。

 永井の受賞は大きな出来事である。永井が短歌シーンに登場したときには、「トホホな歌」、「ユルい歌」とずいぶん叩かれた。穂村らの援護射撃もあって、永井が短歌で何をめざしているのかが少しずつ理解されるようになったと言える。それより重要なのは、短歌を読む人の脳にある受信機が、永井の歌にチューニングを合わせ始めたことである。歌をめぐる時代の感性は今まさにシフトしつつあるのかもしれない。

 

【訂正とお詫び】

 雑誌版の『短歌』12月号に掲載された歌壇時評では、現代短歌評論賞で候補作に選ばれた柴田悠さんは京都大学人間・環境学研究科の准教授であると書きましたが、これは同姓同名の別の方と取り違えた間違いでした。ここに訂正しお詫びいたします。

第320回 堀田季何『人類の午後』

義眼にしか映らぬ兵士花めぐり

堀田季何『人類の午後』

 邑書林から昨年 (2021年) の8月に刊行された堀田の句集『人類の午後』が俳句の世界で評判になっているという。同時に『星貌』という句集も刊行されているが、『星貌』は第三詩歌集、『人類の午後』は第四詩歌集と銘打たれている。『星貌』には付録として「亞刺比亞」という句集が収録されている。著者の解題によると「亞刺比亞」は、日本語・英語・アラビア語の対訳句集としてアラブ首長国連邦の出版社から2016年に刊行した第二詩歌集であり、『星貌』に収録されているのはその日本語の原句だという。すると本コラムでも取り上げた歌集『惑亂』(2015年) は第一詩歌集ということになる。

 『惑亂』のプロフィールでは堀田は春日井建最後の弟子で、中部「短歌」同人となっていたが、『人類の午後』のプロフィールでは「吟遊」「澤」の同人を経て、現在は「樂園」を主宰しており、現代俳句協会幹事という肩書まで持っているという。いつの間にか句誌を主宰していて、どうやら現在は短歌ではなく俳句を中心に活動しているらしい。おまけに「樂園」は有季・無季・自由律何でもありで、日本語の他に英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語などでも投句可能だという。幼少より外国で暮らし、他言語話者である堀田ならではの自由さだ。

 句集題名の『人類の午後』からは、ブライアン・オールディスのSF小説『地球の長い午後』(1962) が連想される。舞台は太陽が終末期を迎え、自転が停止した未来の地球である。太陽を向いた半球は熱帯、その裏側は極寒となり、人類の子孫たちは巨大化した植物や昆虫に怯えながら暮らしているという黙示録的な設定である。堀田の句集もまた、決して明るいとは言えない人類の未来を幻視しようとしているかのように思われる。

 跋文で堀田は次のように書いている。「句集全體は、古の時より永久に變はらぬ人間の様々なさが及び現代を生きる人間の懊悩と安全保障といふ不易流行が軸になつてゐる。」古代より変わらない人間の性とは「愚かさ」であろう。また次のようにも書いている。「時間も空間も越えて、人類の關はる一切の事象は、實として、今此處にゐる個の人間に接續する。」つまりずっと昔の事件も、遠く離れた異国で起きた出来事も、廻り廻って今ここにいる〈私〉と地続きだという認識である。

 堀田が跋に書いたことは、句にどのように表現されているだろうか。句集を一読してまず目に止まるのは次のような句である。

水晶の夜映寫機は砕けたか

息白く唄ふガス室までの距離

片陰にゐて處刑䑓より見らる

ヒトラーの髭整へし水の秋

花降るや死の灰ほどのしづけさに

 一首目の水晶の夜は1938年の11月にドイツで起きた反ユダヤ暴動で、割られ散乱した窓ガラスの輝きからこの名が付けられたという。二首目もナチスによるユダヤ人処刑の場面で、季語は「息白く」。三首目も処刑の場面で季語は「片陰」。四首目はかのヒトラーも理容院で髭を整えただろうという句。ヒトラーの髭をあたった理容師もいたはずだ。五首目は原爆あるいは水爆の死の灰を花に喩えた句。ムルロワ環礁での水爆実験と取ってもよいが、かの地には桜はないだろうから、そうすると幻視の句になる。

 堀田の言う、人間に関わる一切の事象は時空を超えて今ここに接続するというのはこういうことである。これは単に歴史的事件に素材を得たり、世界史的な時事問題を句に詠み込むということとはちがう。水晶の夜やガス室や死の灰という過去の出来事と、今ここにいて呼吸している私たちとは直に繋がっているのであり、私たちは過去の出来事に不断に思いを致さねばならぬということである。

 次のような句には、大きな出来事がより間近に迫っているような緊迫感が感じられる。

 

戦争と戦争の閒の朧かな

ミサイル來る夕燒なれば美しき

ひややかに砲塔囘るわれに向く

基地抜けてやまとの蝶となりにけり

法案可決蝿追つてゐるあひだ

 

 一首目、人類の歴史は戦争の歴史であり、平和に見える現在は先の戦争と次の戦争の間に挟まれた一時に過ぎないという句。二首目、北のかの地より飛来するミサイルとも、未来の戦争と取ってもよい。三首目、自分の方向に向けられる戦車の砲塔は、迫り来る戦争の喩である。四首目、米軍基地の中を飛んでいるときはアメリカの蝶だが、基地を抜けると日本の蝶になるという句。五首目を読んで、安部内閣が国会を通過させた安保関連法案を思い浮かべる人は多かろう。

 人類を襲うのは戦争の脅威ばかりではない。自然災害もまた人類の午後の予兆でもある。

 

地震なゐ過ぎて滾滾と湧く櫻かな

花疲れするほどもなし瓦礫道

や死者のぬかからうしほの香

草摘むや線量計を見せ合つて

 

 一首目や二首目はどこの場所の光景でもよいのだが、どうしても東日本大震災が日本を襲った春に咲いた桜を思い浮かべてしまう。三首目も津波で流された人の額であろう。四首目は大震災に続いて起きた原子力発電所の苛酷事故によって大量に飛散した放射性物質を詠んだ句である。私たちはかの春にベクレルやシーベルトという聞き慣れない単位を覚えてしまった。

 このような時事問題を詠んだ句が読者にとって押しつけがましくないのは、堀田が主義主張を声高に詠むのではなく、出来事をいったん受け止めて、それを心の中で沈潜させて得た上澄みを、「花疲れ」や「草摘む」などの伝統的な有季俳句の季語の世界にまぶして提示しているからである。栞文を寄せた高野ムツオは、「言葉に蓄えられた伝統的情趣をことごく裏切り拒絶し」、「これまで誰も見たことがなかった季語世界が出現する」と評している。

 もちろん本句集に収められているのはこのような句ばかりではなく、伝統に根差した有季定型の自然詠もあるが、そこにもおのずから独自の世界がある。

 

花待つや眉間に力こめすぎず

花篝けぶれば海の鳴るごとし

一頭の象一頭の蝶を突く

戀貓の首皮下チップ常時稼働

檸檬置く監視カメラの正面に

 

 三首目は機知の歌だ。私は大学で言語学概論を講じる時、「フランス語やドイツ語にある男性名詞と女性名詞の区別を皆さんは不思議だと思っているかもしれませんが、日本語にも同じような名詞クラスはあるのですよ」と言って、物を数える時に用いる助数詞の話をすることにしている。鉛筆は一本、箸は一膳、靴や靴下は一足、箪笥は一棹、烏賊や蟹は一杯で、大きな動物と蝶は一頭と数える。大きな象と小さな象が同じ数え方をすることで並ぶ面白さである。四首目の猫の首に埋め込まれたICチップは近未来的で、五首目の町中到る所にある監視カメラは現代的光景である。

 特に印象に残った句を挙げておく。

 

小米これは生まれぬ子の匂ひ

月にあり吾にもあるや蒼き翳

匙の背に割り錠劑や月時雨

エレベーター昇る眞中に蝶浮ける

うち揚げられしいをへと夏蝶とめどなし

落ちてよりかヾやきそむる椿かな

うすらひのうら魚形うをなりこううごく

蟻よりもかるく一匹づつに影

薔薇は指すまがふかたなき天心を

人閒を乗り繼いでゆく神の旅

 

 ビルの中を上昇するエレベータに一頭の蝶が浮いているという四句目の浮遊感が美しい。また七句目は、冬の寒い日に池に氷が張り、その氷を通して泳ぐ緋鯉の紅が透けて見えるというこれまた美しい句である。私がその宇宙的なスケールの大きさに感心したのは最後の句だ。進化生物学の一部には、私たち人間を含めて生物は遺伝子の乗り物であるという考え方がある。これは個体の生と死よりも、種の存続と繁栄に重点を置く考え方だ。親から遺伝子を受け継ぎ、それを子へと伝えることによって種は存続する。川の浅瀬に飛び飛びに配置された石を飛んで渡る子供の遊びがある。これと同じように、私たちは遺伝子を後世に伝えるための置き石にすぎないというのである。置き石を飛んで渡るのは句では神と表現されているが、これはもちろんキリスト教のような人格神ではない。この世界を統べる自然科学的な原理である。

 『惑亂』の評の最後に私は「堀田の句集が読みたいものだ」と書いた。その願いは満たされたのだが、今度は堀田の次の歌集が読みたいものだ。瞑目して待つことにしよう。


 

第319回 木下侑介『君が走っていったんだろう』

目を閉じた人から順に夏になる光の中で君に出会った

木下侑介『君が走っていったんだろう』

 『短歌という爆弾』が小学館文庫になったとき、巻末の特別インタビューで穂村はこの歌を取り上げて、「1000年も残るような歌」と評したと本歌集の解説で千葉は明かしている。和歌・短歌の歴史はおよそ千年くらいなので、今から千年後にも短歌が残っているかはわからないが、誇張法による最大級の褒め言葉である。なぜ穂村がこの歌を引いたかというと、木下は雑誌『ダ・ヴィンチ』に穂村が連載していた「短歌ください」の常連投稿者だったからだ。当時木下は木下ルミナ侑介というペンネームで投稿していた。「短歌ください」は雑誌の読者からの投稿欄ということになっていたが、実際は、やすたけまり、辻井竜一、虫武一俊、冬野きりん、九螺ささらなど、その後続々と歌集を出す手練れが投稿していて、さながら穂村選歌欄の観を呈していた。投稿された短歌を集めて出版された『短歌くだいさい その二』(2014年、株式会社KADOKAWA)を読んでいちばんたくさん付箋が付いたのが木下だった。その木下が2021年に上梓した第一歌集が本歌集である。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一巻で、編集と解説は千葉聡が担当している。解説によると木下は千葉の歌会にも出ていたようだ。

 千葉は1985年生まれで、『短歌という爆弾』を読んで作歌を始め、「短歌ください」や東直子が東京新聞に持っている「短歌の時間」などに投稿するようになる。まさに穂村&東チルドレンと言えるだろう。したがって、木下が追究するのも「愛の希求の絶対性」であり、その歌には「キラキラした言葉」が織りこめられている。掲出歌も例外ではなく、穂村の言うように特別な言葉は使っていないものの、「夏」「光」「出会った」がその空気感を十分に伝えている。ポスト穂村世代に当たり、わざとキラキラ感を払拭しようとしている永井祐らとはいささか異なる歌となっている。しかし考えてみれば、明治の短歌・俳句の革新以後、短詩型文学は青春と相性がよい。石川啄木や寺山修司や岸上大作らの短歌・俳句は、青春性と切っても切れない関係がある。マラソン・ランナーであり、ブルーハーツ、ハイロウズの音楽をこよなく愛するという木下の作る短歌はバリバリの青春短歌なのである。

水筒を覗き込んでる 黒くってキラキラ光る真夏の命

いっせいに飛び立った鳥 あの夏の君が走っていったんだろう

あの夏と僕と貴方は並んでた一直線に永遠みたいに

カッキーンって野球部の音 カッキーンは真っ直ぐ伸びる真夏の背骨

青空は青しかないね 感情のどれもが答えじゃない夏の日も

 巻頭から引いた歌の季節はいつも真夏である。一首目の水筒は遠足や運動部のクラブ活動と縁が深い。水筒の内部は断熱のために、昔はガラス、今はステンレスの反射材が使われているので、内部が暗くともキラキラ光る。それは青春の光そのものである。二首目は歌集タイトルが採られた歌。いっせいに飛び立つ鳥は旅立ちとも終焉とも取れる。しかし「あの夏」という言葉はもう遠くなって手の届かない季節を指すので、もう彼女はいないのだろう。三首目も同じ「あの夏」の記憶で、映像はすでにややセピア色だ。四首目の「カッキーン」は硬式野球の金属バットの音である。「真夏の背骨」という表現がいい。五首目は青春の逡巡を詠んだ歌である。

目を閉じる度に光が死ぬことや目を開ける度闇が死ぬこと

順番に蝶が死んでく夜の部屋まるで誰かの子宮のようだ

押し花も死の一つだと瞬きが呟く、春の、夏の、季節の

海だけが描かれた切手 僕たちが佇んでいた性善説

生まれたら、もう僕だった。水切りに向かない石の重さを思う

 青春時代はキラキラと明るいばかりではない。光ある所に影が生まれる。思春期に誰もが取り憑かれる思いは、「なぜ僕は僕なんだろう」や、その変奏の「なぜ僕は、運動があんなに得意な / 勉強があんなにできる / 女の子にあんなにもてる 彼に生まれなかったのだろう」が代表的なものだろう。それに加えて思春期には死が思いの他身近にある。上に引いた歌はいずれもそのような青春の影を詠んだものである。一首目は光と闇の対比を生と死になぞらえた歌。「眠りは短い死である」と言った人がいた。二首目の蝶が死んでゆく部屋をまるで子宮と表現しているので、そこからまた新たに生が始まるという予感があるのかもしれない。三首目、押し花もまた一つの死であるとの認識を詠んだ歌。四首目の海だけが描かれて、そこに遊ぶ人がいない切手は喪失感の象徴だろう。無邪気に性善説を信じていた若者は、誰かに裏切られたのかもしれない。五首目は若者の誰もが抱く不全感を詠んだ歌である。これらの歌もまたまぎれもない青春歌と言えるだろう。

 集中にはこれとはやや肌合いの異なる歌も収録されている。

額縁にきれいに入れた点点を絵として飾っている美術館

ホルヘ・ルイス・ボルヘスが書いたという短歌はちょうど42文字

たくさんの遺影で出来ている青い青い青い空を見上げる

描きかけの絵本の中の目をしてる動物園で生まれたライオン

 奇想というほどではないものの、現実を少し違った目で見た歌である。一首目の絵はリキテンシュタインだろうか、それとも抽象画だろうか、ふつうの人の目にはただの点点としか見えないものも、立派な額装をして美術館に展示すれば芸術となる。二首目、調べてみると確かにポルヘスのEl oro de las tigresという詩集に6首の短歌らしきものがあるようだ。三首目、青い空が遺影でできているというのは何かからの連想か。四首目、動物園で生まれてサバンナの自然を知らないライオンは、まるで描きかけの絵本のようだというのはとてもおもしろい発想だ。まだ描かれていないのは野性だろう。

 また次のような歌はさらに発想がおもしろく注目される。

はっとして荘周であったという時にはっとしていた荘周の顔

僕達は腹話術師の人形が夢で見ている真冬の星座

トンネルを抜ければ僕がだんだんと遠ざかっていくトンネルがある

手にはもう記憶は重いからふれば花びら 僕らは僕らの花器で

 一首目の荘周とは「胡蝶の夢」の荘子のこと。夢から覚めて自分が蝶ではなく荘周だったと気づいた時に、荘周がはっとした顔をしていたということなので、当たり前と言えばそうなのだが、不思議な循環性が感じられる形而上学的な歌である。二首目はずばり、この世はどこかで誰かが見ている夢に過ぎないという歌。三首目も不思議な歌だ。ふつうはトンネルを抜けると、トンネルがだんだん遠ざかるものだ。それを僕が遠ざかると表現すると、まるでトンネルと僕とが主客逆転して入れ替わったかのようである。四首目も不思議な魅力のある歌だ。手が花びらで身体が花器そのものということだろうか。これも何やら自分と外側とが入れ替わったような感覚が感じられる。子供の頃は自我と周囲の現実とを隔てる垣根が低いので、自分と他者との交通は大人よりも盛んである。しかし上に引いた短歌はそれとも違い、形而上学性が感じられる。本歌集のベースラインは青春歌なのだが、その中に混じる上のような歌に注目した。こういう歌に木下の個性が表れているように思う。

夏の朝 体育館のキュッキュッが小さな鳥になるまで君と

まなざしはいつも静かでまばたきは水平線への拍手のようで

お互いの傘を傾け行くときにこぼれた 雨に降る雨の音

比喩というとてもしずかに飛ぶ鳥をうつして僕ら、みずうみでした

でも、夜は拡げるだろう 塗る前の塗り絵のように僕らの街を

傘をさすようにだれかを思っても雨にはいつも問いしかなくて

 とりわけ上質なポエジーが感じられる歌を引いた。一首目の体育館の床がズックの底でキュッと鳴る音を羽ばたく鳥になぞらえたり、二首目のまなざしを拍手と捉えたりするのは清新な詩情である。遙か昔のことだが、「つつましき花火打たれて照らさるる水のおもてにみづあふれをり」という小池光の歌を読んだときには思わず息を呑んだが、三首目の「雨に降る雨の音」の同語反復的表現もなかなか美しい。五首目の「塗る前の塗り絵」は、日が暮れて色を失った街の喩として的確だ。キラキラした青春性だけに目を奪われていると、このようなポエジーを立ち上げる措辞や喩を見落としてしまうが、木下の本領はこのような点に発揮されているように感じられる。

 

第318回 宇都宮敦『ピクニック』

水たまりに光はたまり信号の点滅の青それからの赤

宇都宮敦『ピクニック』

 宇都宮は2005年に『短歌ヴァーサス』10号誌上で発表された第4回歌葉新人賞で次席となって短歌シーンに登場した。新人賞を受賞したのは「数えてゆけば会えます」の笹井宏之である。笹井は選考委員の加藤治郎、荻原裕幸、穂村弘の3人全員に候補作として選ばれた。笹井の候補作は、「ポエジーということでは際立った」(加藤)、「読んで鳥肌のたつような感覚が何度も起きました」(荻原)と評された。一方、宇都宮を推したのは穂村一人で、穂村は「言葉を使うことで、それ自身によって蓋をされて殺されてしまう『現場の生命感覚』を、一首のなかでうまく蘇生させている」、「言葉を『言葉以上のもの』として立ち上げるための工夫がこらされている」と宇都宮を高く評価した。

車窓から乗りだし顔のながい犬がみてるガスタンクはうすみどり

目をふせてあらゆる比喩を拒絶して電車を待ってる君をみかけた

イヤフォンではやりの歌を聴きながらあかるく雪ふるここで待ってる

             「ハロー・グッバイ・ハロー・ハロー」

 『ねむらない樹』別冊の『現代短歌のニューウェーヴとは何か?』(2020年)に、永井祐が「第4回歌葉新人賞のこと」という文章を寄稿している。その中で笹井と宇都宮の激突は「一種のスタイルウォーズ」つまり文体の戦いであったと述べている。「遠いところを目指す笹井の歌に対して近いところの見方を変える宇都宮」、「表現の飛躍が魅力の笹井に対して、(…)葛藤や空気感を伝える宇都宮」と永井は書き、「当時、キラキラした言葉が飽和気味で行き詰まりかけていたネット / 口語短歌の中に新しい原理と方法を持ち込むものとして、宇都宮の歌はわたしに見えていた」と続けている。永井の言うキラキラした口語短歌とは、例えば次のような歌を指すのだろう。

ゼラチンの菓子をすくえばいま満ちる雨の匂いに包まれてひとり

                   穂村弘『シンジケート』

「自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて」

ほんたうのことはひかりにとけてゆく街角でふとみつめる左手

                 山崎郁子『麒麟の休日』

春雨は天使のためいきうすくうすくまぶたのうへにふりかかりくる

 宇都宮が2018年にようやく上梓した第一歌集が『ピクニック』(現代短歌社)である。まず歌集の見た目が衝撃的だ。版型は「少年ジャンプ」と同じ大きさで厚さは2cmあり、表紙はビビッドイエローである。どうみても電話帳にしか見えない。短歌は左ページにのみ印刷されていて、右ページは薄いペパーミントグリーンの四角形がほぼページ一杯にある。おまけに短歌は16ポイントで印刷されていて、まるで老眼の高齢者か弱視者用の大活字書籍のようだ。疑いなく最もインパクトの強い装幀の歌集である。現代短歌社もよくこんな本を出したものだ。机の上で開いて読もうとすると、開いた右側が反発で閉じようとする力が強いので、国語辞典を重石にして読む始末なのだ。

 穂村の評にあった「言葉を『言葉以上のもの』として立ち上げるための工夫」はどのような点に見られるのだろうか。宇都宮の短歌は完全な口語である。「かな」も「はも」も「けり」もない。しかし短歌は抒情詩なので、口語を用いてポエジーを立ち上げるには修辞が必要になる。宇都宮の文体の特徴のひとつは「喩を用いない」ということだろう。たとえば「東西にのびて憩へるいもうとの四肢マシュマロのごとく匂へり」(辰巳泰子『紅い花』)という歌では「マシュマロのごとく」という直喩が使われている。喩によって読者の脳内に白くてふわふわしたマシュマロを喚起することで、妹のむきだしの手足とマシュマロが二重映しとなり、手足の白さや若さや甘やかさが醸し出されるという仕掛けである。このように喩は短歌の修辞の大きな武器なのだが、宇都宮はその武器を意図的に放棄しているようだ。

長ぐつをはいた女の子が誰にするでもなくバレリーナのおじぎ

小綺麗な路地で迷った僕たちは走りぬけてく花嫁を見た

昼すぎの木立のなかで着ぶくれの君と僕とはなんども出会う

 例えばランダムに引いた歌のどこにも喩は見られない。一首目は雨上がりなのか、長靴を履いた小さな女の子が、道端かプラットホームで、バレリーナがするような足を折るおじきをしているという光景がそのまま描かれている。二首目では、路地で道に迷った〈私〉と彼女の目に、ウェディングドレス姿の花嫁が走り抜けるのが見えたという、往年の人気TVドラマ『ロング・バケーション』のワンシーンのような光景が詠まれている。走り抜ける花嫁が何かの喩ということはない。三首目では、冬枯れで葉を落とした木が立ち並ぶ公園か並木道で、〈私〉と彼女が木の陰に隠れてはまた姿を現すという遊びに興じている。

 では宇都宮は何を武器としてポエジーを立ち上げているのだろうか。一つ目はトリミングのような巧みな場面の切り取り方である。一首目のおじぎをする少女、二首目の走り抜ける花嫁、三首目の他愛ない遊びに興じる恋人たちという場面の切り取り方は、とても鮮明な像を読者の脳内に描き出す。日常の何気ない場面を鮮明に切り取ることによって、見慣れたはずの世界の見え方が少し変わる。二つ目は巧みに挟み込まれた語句である。一首目の「誰にするでもなく」や三首目の「なんども」が効果的に置かれている。「誰にするでもなく」によって、お辞儀をするという行為の無償性・無目的性が強調され、「なんども」によって恋人たちのずっと続く幸福感が高められている。永井も上に引いた文章で、宇都宮が歌に挟み込む「とりあえず」や「ふつうの」という語句が空気感を出していると指摘している。三つ目はたとえば次のような歌に見られる統辞の組み替えである。

やがて雨あしは強まり うつくしさ 遠くけぶったガードレールの

 散文ならば「やがて雨あしは強まり、遠くけぶったガードレールのうつくしさ(が心に届く)とでもなるところだが、統辞を攪乱することによって「うつくしさ」が行き場を失って宙ぶらりんになる。それによって、意味の伝達という実用に奉仕する日常言語の機能がスイッチオフされて、穂村の言う「言葉以上のもの」が立ち上がる。これは音数合わせや結句の単調さを回避するために使われる倒置法ではなく、もっと自覚的な統辞の組み替えである。

 永井がもうひとつ指摘する宇都宮の文体の特徴は一字空けだ。

対面の牌が横を向く スイングバイ軌道を外れる探査衛星

屋上でうどんをすする どんぶりを光のなかにわざと忘れる

水鳥を川にみた朝だったのに のに海鳥のでかさにびびる

 一首目は珍しく上二句と残りが喩的関係にあり、一字空けはその関係を強調しているのだろう。麻雀をしていて、対面の打ち手の牌が横を向くのが、まるで軌道を外れる衛星のようだという関係にある。麻雀の卓という小さな世界と探査衛星という大きな世界の対比が眼目となる。二首目の一字空けはこれとは少し異なる役割を果たしている。百貨店の屋上にあるフードコートで、テーブルに坐ってうどんを食べるという行動の客観的描写と、三句目以下の〈私〉の行為の説明という位相の異なる言葉を一字空けが分けている。三首目はまたこれとも違っていて、「のに」の反復で連接された川での出来事と海での出来事の場面転換が一字空けでなされている。

 本歌集を通読して感じるのは、宇都宮の描く彼女がとても魅力的に描かれていることである。

とうとつに君はバレリーナの友達がいないのをとても残念がった

左手でリズムをとってる君のなか僕にきけない歌がながれる

携帯電話に撮りためているパイロンの写真を厳選のうえ見せてくれた

コンビニへ いつものようにざっくりと君は髪ごとマフラーを巻く

君の寝まきジャージとおめかしジャージのとの違いがわからないまま夏に

 三首目のパイロンとは、工事現場などで使われてい円錐形のコーンのこと。彼女は街で見かけたパイロンの写真をスマホで撮り溜めているのである。これだけでも好きになりそうだ。宇都宮の作るこういう歌は、軽くて適度な湿度と透明感と幸福感があり、深刻になりがちな世界を少しだけライトなものに変えてくれるようだ。

 『ピクニック』の3分の2は「ウィークエンズ」と題された一つの章となっているが、残りは「ウィークエンズ拾遺」となっていて、その中に「東京がどんな街かいつかだれかに訊かれることがあったら、夏になると毎週末かならずどこかの水辺で花火大会のある街だと答えよう」という恐ろしく長いタイトルの連作がある。実はこの連作は枡野浩一の『ショートソング』という小説の中で引用短歌として使われているものである。どのような経緯でそうなったのかは詳らかにしないが、枡野のかんたん短歌と宇都宮の短歌は、地続きとは言えないまでも相性は悪くない。だから枡野も宇都宮の短歌を作中の引用歌として選んだのだろう。

 本歌集には好きな歌がたくさんあり、付箋がいっぱい付いたため選ぶのに苦労するほどだ。下に引くのは厳選した歌である。

腰のところで君は手をふる ちいさく さよならをするのとおんなじように

水面でくだける光がかなしくて世界はもはや若すぎるのだ

全自動卓が自動で牌を積む ダンスフロアに転がるピアス

冷房がきついと君がとりだして羽織ったカーディガンにとぶ鳥

ミントガムのボトルのわきに二眼レフのおもちゃが転がっている

圧倒的落葉のなかフルネームでお互いを呼び合う女の子たち

ケージの彼女は鳶色のワンピースに春を従えバットを逆手で構えた

キジトラが荷台に遊ぶガラス屋の軽トラに花びらの流れて

Tシャツの裾をつかまれどこまでも夏の夜ってあまくて白い

はなうたをきかせてくれるあおむけの心に降るのは真夏の光

炎天に拾い上げれば作業着のボタンホールに挿す鳥の羽根

 一首目は若い女性がよくする仕草で、手を上に上げるのではなく腰の横の所で振っている。「さよならをするのとおんなじように」なので、別れの挨拶ではないのだから、きっと出会った時の挨拶だろう。四首目の場面の移行が秀逸だ。夏に入った店で冷房が効き過ぎていることがある。女性はそんなときの用意にかばんに羽織るものを持っている。彼女が羽織ったカーディガンで場面が終わるのかと思えば、ズームインしてカーディガンの模様の飛ぶ鳥に着地している。また五首目のミントガムのボトルと二眼レフのカメラのおもちゃの取り合わせは、まるで安西水丸の透明感のあるイラストのようなお洒落さだ。八首目では「キジトラ」と「軽トラ」の韻が言葉遊びとなっていて、永井陽子の秀歌「あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ」を思わせる美しい歌となっている。

 集中で最も好きなのは次の歌だ。

あかんぼが抱き上げられてからっぽのベビーカーのなか充ちるアンセム

 「アンセム」(anthem) とは、一般的には教会の聖歌もしくは国家・応援歌・寮歌のようにある集団を代表する歌を意味するのだが、ここはヘビー・メタルバンドのアンセムのことだろう。一瞬、抱き上げられる前の赤ん坊が音楽プレイヤーでアンセムの曲を聴いていたのかと思うが、そんなことはないだろう。こういう不思議な展開もときどき宇都宮の歌にはある。ヘビメタではなく聖歌と解釈しても、それはそれで厳かな雰囲気が醸し出される。もっと話題になってよい歌集だと思う。


 

角川『短歌』11月号歌壇時評 名歌とアンソロジー

 往年の人気テレビ音楽番組「夜のヒットスタジオ」の構成作家で、現在は音楽プロデューサーの木崎徹が、あるラジオ番組で、「僕たちはヒットソングを作ることには成功したが、スタンダード・ナンバーを作ることができなかった」と述懐していた。ヒットソングは、はやり歌なので、しばらくの間ヒットチャートを賑わせて、やがて忘れられてゆく。これにたいしてスタンダード・ナンバーは、長く歌い継がれてゆく歌である。たとえばフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」、ビートルズの「イエスタデイ」、坂本九の「上を向いて歩こう」などが代表的なスタンダード・ナンバーだろう。

 スタンダード・ナンバーは、それをよい歌だと感じた歌手がカバーすることでスタンダードとなる。つまりその歌を最初に歌った本人以外の多くの人が歌うことで名曲として世に定着してゆくのである。スタンダード・ナンバーが生まれるためには、「他の人が何度も繰り返し歌う」ことが必須なのだ。

 短歌における名歌にも同じことが言える。どこかの会に一度出詠されたり、どこかの雑誌に掲載されただけでは名歌にはならない。それをよい歌だと感じた人が、その歌を引用し、その歌について語り、その輪が池に投げ込まれた小石の波紋のように拡がることによって名歌が生まれる。名歌とは、たくさんの人が「これは良い歌だ」と言った歌のことである。だから名歌の誕生には、作者以外の人が読み、それについて語るという行為が必須なのである。こうして名歌が生まれるには、アンソロジーが大きな役割を果たしている。昔の和歌ならばそれは勅撰和歌集が担った役割である。今年の初夏に出版された瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』(左右社、二〇二一)は、このような文脈で受け取られるべき優れたアンソロジーである。

 それまで短歌に縁のなかった人が短歌に興味を持ったとして、いきなり誰かの歌集を買うのはお奨めできない。時評子も最初は歌集をどのように読めばよいのかわからず、一冊を最後まで読むことができなかった。寡聞にして「歌集の読み方」を解説した本は見たことがない。しかし歌集を読むのは小説を読むのとはちがって、一定の技術が必要な特殊な読書行為である。

 短歌の初心者が最初に手に取るべきなのはアンソロジーである。アンソロジーでは、編者の鑑識眼に基づいて名歌・秀歌が選び出され、歌の鑑賞・解題と作者の紹介まで付いている。歌集を一人で読むのが自分で旅程を決めて、飛行機の切符の手配からホテルの予約までする個人旅行であるとするならば、アンソロジーは経験豊富なガイド付きのツアー旅行である。

 短歌のアンソロジーとしては、すでに定評のある高野公彦編『現代の短歌』(講談社学術文庫、一九九一)や小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(新書館、一九九九)などがあるが、最近相次いで新しいアンソロジーが出版された。山田航編著『桜前線開架宣言』(左右社、二〇一五)は、「Born after 1970 現代短歌日本代表」という副題が付されていて、大松達知から小原奈実までの四十人の歌人の短歌が収録されている。また東直子・佐藤弓生・千葉聡編著の『短歌タイムカプセル』(書肆侃侃房、二〇一八)は、「現代歌人115人の各20首&1首鑑賞」と銘打っていて、こちらは葛原妙子、大西民子、前田透なども取り上げられており、より年代幅の広い選集となっている。

 『はつなつみずうみ分光器』の帯には「読むべき歌集55」と書かれている。このコピーが示すように、歌人のアンソロジーではなく、歌集のアンソロジーであるところが本書の特徴だろう。二〇〇〇年以後に出版された歌集を出版年順に並べて紹介しているのだが、そこにはちょっとした秘密が隠されている。たとえば最初に取り上げられているのは吉川宏志の『夜光』だが、これは吉川の第二歌集であり、第一歌集の『青蝉』は一九九五年に出版されている。穂村弘の歌集で取り上げられているのは『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』で、これは『シンジケート』『ドライ ドライ アイス』に続く第三歌集である。瀬戸が紹介文で、吉川が現在の短歌に与えた影響は、穂村弘や枡野浩一を凌ぐのではないかと書いているように、現代短歌に与えた影響の大きさから、吉川の歌集を入れたくて、第二歌集を選んだのにちがいない。また『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』については、「二十一世紀において短歌をいかにつくるべきかを考えるときにこの歌集を抜きに考えることはできなくなった」と瀬戸が書いていることからわかるように、短歌シーンに与えたインパクトの大きさが収録の理由となっているのである。つまり編者の選択眼は、歌人のみならずどの歌集を選ぶかにまで及んでいるということだ。これがなかなか大変な作業であることは想像に難くない。

 それぞれの歌集に付された瀬戸の論評には独自の視点があり、教えられるところが多い。『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』のまみのモデルが雪舟えま(小林真実)であることは知らなかったので驚いた。また飯田有子の『林檎貫通式』が出版当時、ジェンダー的視点やフェミニズム的観点から読まれることがなかったという指摘や、東直子の口語短歌のテクニックはほとんど公共物となっているのに、そのことが過小評価されているという指摘には考えさせられるところがある。このアンソロジーを短歌の世界への入口とする人がたくさん現れるだろう。

 俳句の世界では、山田のアンソロジーと相似形の佐藤文香編著『天の川銀河発電所』、副題「Born after 1968 現代俳句ガイドブック」(左右社、二〇一七)が出ていて、川柳では小池正博編著『はじめまして現代川柳』(書肆侃侃房、二〇二〇)があり、いずれもそれぞれの短詩型文学へのよき導き手となっている。併せて読むと、現在における短詩型文学の展望が広く得られるだろう。

     *      *      *

 もう一冊楽しい本が出たので紹介しておきたい。東直子・穂村弘『短歌遠足帖』(ふらんす堂、二〇二一)である。仲良しの東と穂村が、岡井隆、『きことわ』で芥川賞を受賞した小説家の朝吹真理子、最近穂村とコラボをしている脚本家・演出家の藤田貴大、名作『ポーの一族』の漫画家萩尾望都、お笑いコンビ麒麟の川島明をゲストに迎えて吟行した記録で、中身は作った短歌を披露しあう座談会になっている。岡井の回が二〇一二年、最後の川島の回が二〇一五年なので、吟行からずいぶん時間が経ってからの出版である。

 留意しておきたいのは、第一回目の吟行が行われた二〇一二年は、東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原子力発電所の苛酷事故、および関東地方での計画停電という稀に見る大きな出来事からまだ一年しか経っていないということだ。吟行で岡井ら三人の作った歌にはこの事件の余波が遠く反映している。

 岡井隆と吟行したのは井の頭公園と園内にある動物園である。三人は次のような歌を作っている。

実験用山羊をあやめし若き日を語りつつす黒き牡山羊を                             岡井 隆

頭蓋骨のくぼみに日本の影ためて老象はな子のっしり遊ぶ                             東 直子

「どっちからきたんだ、これからどこへゆく、あっちですか」と動物園で                             穂村 弘

 吟行では赴いた先で目にしたものを題材として歌を詠むので、注意力と機転が求められる。岡井の歌は、医者になるべく研鑽を積んでいた若い頃の回想だろう。穂村の歌は、実際にその場で岡井が言った言葉を歌に落とし込んだ、一種の挨拶歌である。こうして見ると、まるでゴーギャンの有名な絵のタイトルのようでもあり、何やら箴言めいて聞こえるから不思議である。

 朝吹真理子とは鎌倉へ、藤田貴大とは東京タワーへ、萩尾望都とは上野公園へ、川島明とは大井競馬場へ足を運んでいる。岡井以外の人の歌も挙げておこう。

少女 四番ポジションで漫画読む山門の脇道骨の上

                  朝吹真理子

オレンジに発光したあれ背に歩くこの気持ちとはあれだ、あれあれ                             藤田貴大

オリーブの山の一夜に眠り入る使徒の足もとに白い花咲く                             萩尾望都

「目があった!」頬赤らめてたあのひとは指を赤く染めどて煮を啜る                             川島 明

 俳句の句集をよく出している版元のふらんす堂ならではなのは、各回にお題として季語が与えられ、その季語をもとにして歌を作るという課題である。その季語がまた一筋縄ではいかないものばかりで、「鶏始めて乳す」「蟷螂生ず」「閉塞して冬と成る」「魚氷に上がる」「鹿の角落つ」である。みんなの苦吟する様子がほほえましいが、抜群の対応力を見せるのが東直子である。

三軒先までは知らせていなくなる鶏始乳四人よたり

制服をガラスの床におしつけた空つめたくて冬となる日に

鹿の角ぬけおちる朝こんなにも忘れてしまう心でしたか

 第一回目の吟行のゲストの岡井は昨年他界している。ずっと年下の二人の歌人と楽しそうに話す岡井の写真を見ると、いまだ岡井が存命のような錯覚に襲われる。東の歌に詠まれていた井の頭公園動物園の象のはな子も二〇一六年に老衰で亡くなっている。一連の吟行が行われたのは、新型コロナウイルスによるパンデミック以前のことである。昨年春以来、緊急事態宣言が断続的に発令され、マスク着用を強いられ、不要不急の外出を控えるように言われている現在から見ると、本書はまるで失われてしまった遠い世界の楽しかった行事の記録のように見えて、懐かしさすら覚えてしまうのである。

     *      *      *

 短歌ムック「ねむらない樹」は、毎号興味深い特集を組んでいるが、最新号の七号も例外ではない。特集1は葛原妙子で、川野里子による高橋睦郎インタビュー、石川美南・水原紫苑・睦月都・吉川宏志の座談会、尾崎まゆみ・松平盟子らによる論考、川野里子と水原紫苑の往復書簡と盛りだくさんである。なかでも高橋睦郎インタビューには、あっと驚くことがたくさん書かれて、興味深く読んだ。

 高橋睦郎といえば、現代詩人のイメージが強いかもしれないが、俳句と短歌もよくしており、句歌集『稽古飲食』で第三九回読売文学賞を受賞している。もともとは私家版だったものが、受賞を期に不識書院から普及版が刊行されている(一九八八)。

 ふるさとは盥に沈着しづく夏のもの

            稽古飲食』

  慈圓僧上の草枕ならねど

 捨靴にいとどを飼ふも夢の夢

 くたりつつ馨る玉葱少年のおよぴ觸れなばおよびしろがね

 死に到る食卓はろか續きゐていくつかは椅子二脚をそなふ

 その高橋が昔から多くの歌人と交流があったことがインタビューで語られている。高橋は葛原の自宅や軽井沢の別荘を訪れることがよくあったという。葛原は六月に東京を後にして別荘に行き、九月に東京に戻るまで、ずっと別荘の二階で過ごし、一階に降りて来ることがなかったそうだ。軽井沢の別荘から帰るとき、「駅弁でも召し上がって」と手渡された封筒に三十万円入っていたとか、葛原からはよく午前一時頃に電話がかかってきたとか、驚くような話が語られている。深作光貞や須永朝彦や長沢美津らの名も飛び出して、交流の広さが感じられる。

 特集2は川野芽生である。自筆年譜、近作の短歌、幻想小説作品に加えて、藤原龍一郎・吉田瑞季・山階基が寄稿したエッセーが掲載されている。川野のように歌集をまだ一冊しか持たない若い歌人がこのように特集されるのは珍しいことで、特段の待遇と言えるだろう。それだけ川野が注目されているということである。

 特集の目玉は何といっても山尾悠子との往復書簡だ。山尾といえば、『ラピスラズリ』『飛ぶ孔雀』などで知られる幻想小説作家で、熱狂的なファンがいることでも名高い。本人は「若気の至り」「黒歴史」などと言っているが、山尾には『角砂糖の日』(深夜叢書社、一九八二)という歌集がある。長らく絶版になっていたが、二〇一六年に新装版が出て話題になった。川野は現在、東京大学大学院総合文化研究科(駒場にある教養学部の大学院)の博士課程に在籍しており、ファンタジー文学、特にトールキンの『指輪物語』やウィリアム・モリスの研究をしている学徒である。ひと昔前の分野名で言うと比較文学だろう。言うまでもなく川野は山尾の大ファンであり、憧れの山尾と往復書簡を交わす機会を得られたことが嬉しくてならないという興奮が文章から伝わってくる。

 川野は自身がフェミニストでクィアであることを公言しているので、話題は勢い「女性であること」と「風変わりであること」に及ぶ。山尾は、尾崎翠・倉橋由美子・矢川澄子らかつての風変わりな女性作家が孤独であったと言い、また自身も小説の世界で若い頃はとても孤独だったと述懐している。短歌の世界ではどうかと川野に問い掛けると、川野は、葛原妙子が孤独だったという印象はなく、自分自身も歌の仲間がいて孤独は感じないと答えている。男性優位の小説の世界と、女性作家が多くいる短歌の世界のちがいかもしれない。やがて話題は両性具有へと及び、ファンタジー文学に馴染みのない人間にはとうてい手の届かない領域へと入ってゆくのだが、二人がシスターフッドの可能性について熱く語っているのが注目される。

凍星よわれは怒りを冠に鏤めてこの曠野をあゆむ

                  川野芽生

第317回 山崎聡子『青い舌』

背泳ぎで水の終わりに触れるとき音のない死後といわれる時よ

山崎聡子『青い舌』

 背泳ぎで泳ぐと耳は水の下に隠れる。そのために外の音は聞こえなくなる。水が跳ねる音と、自分のハーハーという息の音がくぐもって聞こえるばかりである。その情景が死後の世界に喩えられている。注目されるのは、作者が思い描く死後の世界が、生命のない世界でも光のない世界でもなく、無音の世界だというところだろう。第一歌集『手のひらの花火』で、「絵の具くさい友のあたまを抱くときわたしにもっとも遠いよ死後は」と詠んだ作者にとって、それから10年の歳月が流れた今、死後の世界はもっと身近なものとなっているようだ。

 山崎聡子は早稲田短歌会出身で、2010年に「死と放埒な君の目と」で短歌研究新人賞を受賞した。2013年に刊行した第一歌集『手のひらの花火』は第14回現代短歌新人賞を受賞している。『青い舌』は今年 (2021年) 上梓された第二歌集である。版元は書肆侃侃房で、現代歌人シリーズの一冊である。装丁は第一歌集に続いて「塔」の花山周子が担当している。歌集題名の「青い舌」は集中の「青い舌みせあいわらう八月の夜コンビニの前 ダイアナ忌」から採られている。

 第一歌集を評した時には、「世界にたいしてロシアン・ルーレットを仕掛けているような危うさ」が魅力だと書いた。また匂いと触覚で世界を捉えるところに特色があるとも書いた。そのような印象は第二歌集にも通奏低音のごとくに響いてはいるものの、山崎の描く短歌の世界は少しく変化しているようだ。その大きな原因は子供が生まれたことにあるだろう。ただ、よくある「子供可愛い」短歌になっていないところが独自である。

 この歌集のベースラインをなすと思われる歌を引いてみよう。

うさぎ当番の夢をみていた血の匂いが水の匂いに流されるまで

非常階段の錆びみしみしと踏み鳴らすいずれは死んでゆく両足で

烏賊の白いからだを食べて立ち上がる食堂奥の小上がり席を

水禽の目をして君は立ち尽くす水いちめんを覆う西日に

魚卵のいのちが真っ赤に灯る食卓でお誕生日の歌をうたった

 一首目は集中の所々で点滅する子供時代の回想で、うさぎ当番は小学校で飼っている兎の世話をする当番だろう。「血の匂い」と「水の匂い」に不穏な雰囲気が漂う。この「生の不穏さ」が第一歌集から変わらぬ山崎の特色である。二首目は死の予感を詠んだ歌で、集中に散見される。1982年生まれの山崎は今年39歳だから、まだ死を想うには早いのだが、そう思うには理由がある。ある程度の年齢になって子供が生まれると、自分はこの子が何歳になるまで見届けられるだろうかと考える。子供が成長することは、自分が死へと進むことに他ならない。そこに痛切な死の自覚が生まれるのである。三首目は飲食の歌で、烏賊の刺身か煮付けを烏賊のからだと表現することによって、生きものの生々しさと生命が喚起される。四首目の君は男性だろう。君が水鳥の目をしているという。それは何を表す目だろうか。「水いちめんを覆う西日」にうっすらと終末感が漂っている。五首目も三首目と似ていて、食卓に並ぶイクラを「魚卵のいのち」と表現したところがポイント。小池光の「夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして」に通じる歌である。

 思うに山崎にとって、この世界と人の世は双手を挙げて肯定するようなものではない。そこには不穏な影があり、人として否応なく経験せねばならないこともある。そのような世界にたいするスタンスから山崎の歌は生まれている。言葉の組み合わせから歌ができるというよりも、自分の中の深い場所から言葉を汲み上げているような印象がある。

 このような山崎のスタンスは子供を詠むときにも変わらない。

生き直すという果てのない労働を思うあなたの髪を梳くとき

子どものあたまを胸の近くに抱いている今のわたしの心臓として

脱がせたら湿原あまく香り立つわたしが生きることない生よ

死後にわたしの小さな点が残ることライターの火を掲げて思う

水たまりを渡してきみと手をつなぐ死が怖いっていつかは泣くの

 一首目、子育てとは生き直しだとは多くの人が抱く感慨である。自分が子供の時もこうだったと回想することで、人は二度人生を生きる。二首目、今の自分の心臓は胸に抱く子供の頭だという愛しさがこみ上げる。三首目、着替えのために子供の服を脱がせている。すると子供の甘い香りが漂う。しかし子供は自分の生をこれから生きるのであり、それは私の生とはちがうという痛切な思いがある。四首目の小さな点とは自分がこの世に残す子供だろう。五首目、自分と子供の間にある水溜まりは、決して越えることができないものの喩だろう。子供の日々の成長は喜ばしいものだが、この子とはいつかは別れるのだという思いが、ライトモチーフのように背後に低く鳴っているのを聴くことができるだろう。

 本歌集を読んでいておやと思ったのは次のような歌である。

夢に見る母は若くてキッチンにバージニアスリムの煙がにおう

どうしてこの人に似てるんだろう夜の手前で暗さが止まって見えてた日暮れ

花柄のワンピース汗で濃くさせた母を追って追って歩いた水路

わたしはあなたにならない意思のなかにある淋しさに火という火をくべる

「この子はしゃべれないの」と言われ笑ってた自分が古い写真のようで

 これらの歌から漂って来るのは、母親との微妙な関係である。何かをはっきりと思わせることは詠われてはいないが、作者と母親との間に共役できないものが横たわっていることが感じられる。「わたしはあなたにならない」というのは作者が心に誓った決意だろう。

 その一方ですでに他界した祖母にたいしては強い思慕の念を抱いていたようだ。次のような歌には、若死にした祖母にたいする追憶の気持ちが、箱にしまわれたセピア色の写真のように懐かしく詠われている。

花の名前の若死にをした祖母よまた私があなたを産む春の雨

なんのまじないだったのだろう石鹸を箪笥のなかに入れていた祖母

アベベって祖母に呼ばれた冷蔵庫の前のへこんだ床に裸足で

あざみ野の果ての暗渠よ夏服の記憶の祖母をそこに立たせる

モノクロが色彩を得る一生を歪んだように笑ってた祖母

 主に歌集の後半から印象に残った歌を引いておこう。

死に向かう わたしたちって言いながらシロップ氷で口を汚して

伏せると影のようにも見える目をもってとおく昼花火聞いていた夏

テールランプのひかり目の奥でブレてゆく見てごらんあれは触れない海

くるう、って喉の奥から言ってみるゼラニウム咲きほこる冬の庭

ぶらさげるほかない腕をぶらさげて湯気立つような商店街ゆく

花柄の服の模様が燃えだしてわたしを焦がす夏盛りあり

菜の花を摘めばこの世にあるほうの腕があなたを抱きたいという

 私が軽い衝撃を受けたのは最後の歌の「この世にあるほうの腕」だ。作者がこのように感じているということは、もう一本の腕はもうこの世にないという感覚があるということだろう。ここに引いた歌から立ち上って来るのは、生と向き合うときに私たちが心のどこかの暗い隅に走る戦慄である。それは日常のふとした瞬間にやって来る。山崎の歌はそのような感覚を掬い上げて、独自の世界を作っていると言えるだろう。

 

第316回 野上卓『チェーホフの台詞』

交番の手配写真に過激派の若き微笑はながくそのまま

野上卓『チェーホフの台詞』

 詠まれているのは日常よく目にする景色である。町角の交番の前に手配写真が貼られている。たいていは逃亡中の殺人事件などの凶悪犯の写真だ。みなそれなりの顔をしている。他とちょっと違うのは、60年代末から70年代の初めにかけて、各地で爆弾事件などを起こしたかつての新左翼の過激派である。彼らは大学生だったのでみな若い。そして写真は事件を起こす前に撮影したものだから、ふつうの学生の表情で微笑んでいる。それから半世紀近くの時が流れた。結句の「ながくそのまま」に苦さを感じ取るのは、私もその時代を生きたせいかもしれない。

 野上卓は1950年生まれだから、いわゆる団塊の世代の尻に位置する。第一歌集『レプリカの鯨』(現代短歌社、2017年)に詳しい経歴が書かれている。野上はキリンビールに長く勤務し、子会社の物流会社の社長まで務めて58歳で定年退職したサラリーマンである。勤務のかたわら劇団櫂のために戯曲を書き、そのいくつかはかつて渋谷にあったジァンジァンで上演されたという。小椋佳のような例はあるものの、こういう二足の草鞋は珍しい。退職してから短歌を作り始め、新聞投稿を主な活動の場として、毎日歌壇賞、文部科学大臣賞賞などを受賞し、新年の歌会始にも入選している。一時「塔」に所属したが、現在は「短歌人会」所属。『レプリカの鯨』は第4回の現代短歌社賞で佳作となったもの。『チェーホフの台詞』は2021年に出版された第二歌集である。

 歌集を読み始めたとき、正直言えば私は最初「これはほんとうに短歌なのか」と感じたものだ。次のような歌がぶっきらぼうな顔をして並んでいるからである。

禿げよりも白髪がいいと思いきし白髪となりて薄くなりゆく

勉強さえできれば後はついてくる父の叱咤は半分真実

その昔とおい昔はバナナにも種があったが今はもうない

パルコ三棟過去に追いやりヒカリエのガラス細工のオベリスク建つ

王冠を二度叩いてから栓を抜く儀式もありぬ壜のラガーに

 一首目、若い頃は禿げより白髪の老人になりたいと願ったものだが、実際に歳を取ると、白髪にはなったものの禿げもまた進行しているという自嘲とユーモアの歌である。二首目と三首目は懐旧の歌で、いずれも断定が主で短歌的余韻というものがない。三首目は仙波龍英の「夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで」という秀歌を遠くに感じさせつつ、資本主義の欲望のままに変貌を遂げる東京を詠んだ歌である。五首目は若い人にはわからないかもしれない。そもそも缶ビールが主流となった現在では、茶色の壜ビールの栓を抜くことも少なくなった。なぜか昔のおじさんは、栓抜きで栓を二度コンコンと叩いてからシュポッと抜いたものだ。ちなみに作者の野上は酒をまったく飲まないという。私の父も酒造会社に勤めていたが、酒造会社には酒が飲めない人がけっこういるらしい。それを「もったいない」と思うのは酒飲みだけである。

 上に引いた四首目と五首目には少しくその影はあるものの、最初の三首には短歌的抒情というものがまったくない。しかし歌集を読み進めてゆくうちに、「こういうのもありかも」と感じ始め、最後まで楽しく読み終えることができた。

 ふつう短歌ではずばり真実を断定するのは避けることが多い。短歌は基本的に抒情詩なので、その目的は真実を断定することにはなく、心情を叙述し詠嘆することにある。たとえ世の不滅の真理を述べる場合でも、それを物に託し余韻を残して表現するのが常套である。

蒸しかえす議案もあればかたちなきほどに煮込まれ消ゆる論あり  

                    小高賢『本所両国』

 小高もまた出版社に勤務するサラリーマンであった。詠まれているのは会社の企画会議か何かだろう。一度は消えたはずなにの復活する議案があるかと思えば、あれこれ議論されているうちに原形を留めなくなったものもある。会議ではよくあることだ。しかし小高の歌の重点は、そのような会議の虚しさに徒労感を覚える〈私〉の方に傾いている。短歌が「自我の詩」であり、一人称の詩型であるゆえである。

 しかるに野上はあまり〈私〉には興味がないらしく、自分を見つめる眼は時に冷徹で皮肉も感じさせる。

ランボオの筆おる歳の三倍をいきてのうのうわれは歌よむ

アルバムにともに写りし部員らの半ばの名前もはや出でざる

祖父母父母それぞれもてる戒名を私は一つも覚えていない

他人には言えぬ濃厚接触の場所はこの先まがったところ

わが戯曲読まざる妻がしっかりと目を通しゆく給与明細

 ランボオの名が出るところに世代を感じる一首目は自嘲の歌で、このように自分を突き放して見るスタンスが野上のベースラインと思われる。歳を取ると記憶力の減退が著しいが、祖父母の戒名まで覚えている人は稀ではないか。四首目は新型コロナウィルス流行ならではの歌で、パンデミック以来、「三密」「濃厚接触」「社会的距離」「おうち時間」「オンライン授業」など新しい言葉が増えた。このような言葉を詠み込んだ歌は、数十年経った未来には、時代を感じさせる歌となるにちがいない。

遺伝子の組み換えなしと書かれたるポップコーンに塩がききすぎ

四十年過ぎて上海バンドにはあふれる光ビジネスの話

「感性の経営」という不可思議な言葉煌めき揺らぎ消えたり

メーカーの勤めを終えて十年余いまだに弊社の製品という

特攻機ゆきし出水の滑走路十八ホールのゴルフ場となる

 野上の視線はたやすく文明批評の色を帯びる。それは自らの裡の心の揺らぎよりも、現実と外部世界の有り様に興味を引かれる心性のなせる業である。そのような心性の持ち主には抒情よりも叙事が向いている。詠嘆よりも事実の提示が似合うのである。一首目、材料のじゃがいもは遺伝子組み換えではありませんと誇らしげに表示しているポップコーンに塩が利きすぎていて、そのほうが高血圧に悪かろうという歌。二首目、40年前に中国を訪れた時には、紅衛兵が毛沢東語録を振りかざして資本主義を攻撃していたが、今ではビジネスの話しかしないという歌。三首目、「感性の経営」というのはバブル経済の頃に言われたことだろう。四首目、会社を辞めて10年経っても弊社というサラリーマンの悲しい性を詠んだ歌。五首目の出水いずみは鹿児島県で旧日本軍の航空隊基地があった場所。そんな過去の記憶に満ちた場所も、資本主義はゴルフ場にしてしまうのである。

干満のはざまに草魚腹見せて動かざるまま雨の駒形

夏の日は海の底から大空を見上げる色に暮れゆきにけり

苦瓜の蔓を払えばリビングの外に大きな秋空のあり

ダージリンティーにそえたる砂時計ひそかに吾のときを奪いぬ

皿の上にパセリ一片残されて窓の向こうは秋雨の街

欲望は果てなきものか寄り来たる鯉の口腔うつろに深し

棺桶に閉じ込められて君は去りわれら散りゆくクッキーを手に

 集中では珍しく抒情的な歌を引いた。最後の歌は友人の葬儀の場面を詠んだ歌で、クッキーは会葬者に配られたものだろう。「散りゆく」と「クッキー」が縁語になっている。

 野上の歌は、骨太でぶっきらぼうで断定的で批評的であり、冷徹な視線にユーモアがまぶしてある。昨今あまり「男歌」「女歌」という言い方は流行らないが、野上の歌はまぎれもない男歌である。それはまた短歌人会の伝統のひとつでもあるのだろう。

 

角川『短歌』10月号歌壇時評 ジェンダー、オリンピック、若手歌人

「短歌研究」が今年の六月号からリニューアルした。それまでの白地にイラストという表紙から、カラー地に猫のイラストに変わった。イラストが猫なのは、小島ゆかりの「サイレントニャー 猫たちの歌物語」という楽しい連載が始まったからだろう。その他にも、吉川宏志の「1970年代短歌史」、工藤吉生の「Twitterで短歌さがします」などの新連載がスタートしている。六月号では「31年目の穂村弘『シンジケート』論」、「篠弘インタビュー『「戦争と歌人たち」を語る』」、YouTube書評家・渡辺祐真(スケザネ)の「俵万智の全歌集を『徹底的に読む』」という三つの特集が組まれており、リニューアルにかける編集部の意気込みがうかがわれる。

 穂村弘の『シンジケート』の特集が組まれたのは、一九九〇年の刊行から三一年経った今年、新装版が出版されたからである。その後の短歌シーンを大きく変えた穂村の歌集について大勢の歌人がエッセーを寄稿していて興味深い。穂村と東直子を世に出すのに林あまりが大きな役割を果たしていたことを、林のエッセーを読んで知った。また水原紫苑の「私だけが分からなかった『シンジケート』」と題された文章には、穂村からもらった歌集を癇癪を起こして破り捨てもう一冊もらったこと、当時はどうしても穂村の短歌がわからなかったことが率直に書かれている。〈自転車のサドルを高く上げるのが夏をむかえる準備のすべて〉という穂村の新作を見せられた時、山崎郁子は目をきらきらさせていたが、水原はどこがいいのかわからなかったという。どうやらこのあたりに時代の感性の分岐点があったことがうかがえる。穂村の初期作品にはキリスト教の影響が見られることや、穂村は古典和歌の発想を現代に変奏しているところがあるという水原の指摘は注目される。

 「短歌研究」八月号は、水原紫苑責任編集「女性が作る短歌研究」という特集を組んでいる。全二九二頁のうち三分の二以上を当てるという力の入れようである。過去の号と較べても、年末恒例の短歌研究年鑑を除けば例のない厚さとなっている。特集の目玉企画は、「歌と芸」と題された馬場あき子と水原紫苑の対談と、「女性たちが持つ言葉」という田中優子と川野里子の対談である(田中優子は前法政大学総長で江戸文学の研究者)。

 対談「歌と芸」には司会として演劇評論家の村上湛が加わり、塚本邦雄と前衛短歌の出発点、大岡信と塚本との「調べ」をめぐる論争から、古典と芸へと話が及んでいる。田中と川野の対談では、田中の専門分野である江戸文学に女性の表現者が多かったことや、樋口一葉、与謝野晶子、石牟礼道子らの仕事について縦横無尽に論じられていて話題は尽きない。

 とりわけ興味深く感じたのは田中の次のような指摘である。『たけくらべ』冒頭の「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火ともしびうつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の往来ゆききにはかり知られぬ全盛をうらなひて…」というくだりの現代日本語訳が「私は」から始まっているのを見て、これはまずいと感じたと田中は語っている。田中は次のように続け、川野もそれに応じている。

田中 あそこにあるのは、主語じゃないんです。空間なんです。物語自体が、あの吉原という空間の中に一歩も入らず廻っているんです。冒頭がまさにその象徴なんですよね。これは、歌詠みじゃないと理解できないのだろうなと私は思いました。日本の古典を読まず翻訳物や現代小説で文章を学んだ人は、理解できないんですよ。

川野 いったん「私」を置いて空間全体をふんわりと把握するような描写力というのは、和歌の基本的な表現力だと思います。

 この指摘は古典和歌に留まらず、現代短歌にも同様に当てはまるだけでなく、さらに広く日本語という言語の深い特性に触れている。かつてアメリカ人の日本語研究者ジョン・ハインズは、『日本語らしさと英語らしさ』(くろしお出版、一九八六)で次のように述べた。英語は人を表す主語に焦点を当てる「人物焦点」(person focus)を好む言語で、日本語は人ではなく状況・場を中心に文を組み立てる「状況中心」(situation focus)の言語である。そのことは英語の My mother called today.と、日本語の「今日母から電話があった」や、I see a ship far away.と「はるか遠くに船が見える」のちがいを見ればよくわかる。日本語には「私」が表面に出ない文がたくさんあり、主語がどれかすら判然としない文もある。『たけくらべ』の冒頭の吉原の描写は、一見すると作中の「私」が見た情景のように描かれつつも、実は無人称的な空間が支配する描写なのである。

 日本を愛し日本で半生を送ったポルトガルの外交官・詩人のモラエスは次のように書き残している。「ヨーロッパの言語は(…)能動的で倦むことなく、ひどく個人的、利己的、自我的で、心的で物的な〈我〉を反映しているのに対して、日本語は無人称性、すなわち、すべての自然の様相の中に積極的な能動者として自ら進んで参加しない」(『日本精神』)。

 特集「女性が作る短歌研究」にはこれ以外に、阿木津英と黒瀬珂瀾のジェンダーをめぐる論考と、多くの女性歌人の短歌作品が掲載されている。ジェンダーの問題は、これから短歌の世界においてたびたび取り上げられる重要な問題となるだろう。

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 本誌八月号では大特集「1964」が組まれている。言うまでもなく一九六四年は前回のオリンピック東京大会が開催された年で、今年また東京でオリンピックが開かれたことにちなんでの特集である。

 興味深いのはその年の一月号から十二月号までの本誌の目次が写真版で掲載されていることだ。縮小してあるのでルーペが必要だが、土屋文明、土岐善麿、窪田空穂、葛原妙子、齋藤史、近藤芳美らの居並ぶ名前を見ると、すでに戦後短歌と前衛短歌の時代を迎えてはいるものの、戦前派もいまだ健筆を振るっていたことが知れる。

 また大井学の「昭和ジャンクション」には、本誌編集部のメンバーが同年六月に交代したことをきっかけに、塚本邦雄や寺山修司の作品が掲載されなくなり、富士田元彦の言葉を借りれば「前衛パージ」が始まったことが書かれており、当時の歌壇の動きがうかがい知れて興味深い。大井の文章を読むと、当時の短歌シーンで深作光貞(一九二五〜一九九一)が大きな役割を果たしていたことがあらためてわかる。深作は文化人類学者で京都精華大学の学長を務めるかたわら現代短歌に深く関わり、中井英夫と共に「ジュルナール律」という短歌誌を発行して、村木道彦ら新人を世に出した。現代短歌のフィクサーとも呼ばれている。岡井隆を京都精華大学教授に招いたのも深作である。岡井はこの間、京都で開かれていた荒神橋歌会、神楽岡歌会、左岸の会などに参加して、後輩歌人たちに大きな影響を残したと言われている。

 大特集「1964」の「当時の思い出」というエッセーを読むと、佐佐木幸綱が早稲田大学の大学院生だったとあるので、前回のオリンピックからどれだけの時間が経過したかがわかる。また森山晴美のエッセーには、当時の自分の月給が一八、五〇〇円で、食パン一斤が三十五円、コーヒー一杯が六十円だったと書かれている。こういう日常の暮らしの細かな情報はすぐに失われてしまうので貴重な証言である。特集に寄せられた文章を読むと、いずれも当時の日本を包んだ熱狂からは遠く、再び巡ってきた東京オリンピックにも冷静な反応を示している人がいて特に印象的に残った。今回のオリンピック東京大会は将来どのように語られるだろうか。

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 「現代短歌」九月号は「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」(一九九〇年以降生まれの歌人の選集)という特集を組んでいて、なかなか読み応えがある。六十人の若手歌人の自選十首と、自分が最も影響を受けた一首を挙げて短く解説を付けるという企画である。一九九〇年生まれの人は今年三十一歳になるので、取り上げられているほとんどは二十代の歌人である。冒頭には「売り出しだ、ユダヤ人も売らなかったもの、貴族も罪人も味わわなかったもの、大衆の呪われた愛慾にも地獄めいた正直さにも知られていないもの」という一節で始まるランボーの「大売出し」という詩の粟津則雄訳がエピグラフとして掲げられている。

 一九九〇年生まれの井上法子に始まり、二〇〇〇年生まれの川谷ふじので終わる若手歌人の短歌を通観すると、現在の短歌シーンを形作っている風景の一部が見えてくる。なかには山川築、睦月都、鈴木加成太、立花開、道券はななどの角川短歌賞受賞者、川野芽生、佐伯紺、帷子つらねらの歌壇賞受賞者、平出奔、郡司和斗ら短歌研究新人賞受賞者、現代短歌社賞の西藤定の名前も見えるが、それ以外にも活躍している歌人が幅広く取り上げられている。日頃接している媒体のちがいからか、それとも当方の不勉強のせいか、初めて名前を見る歌人もいて、視野を広げるのに非常に有益である。どのような歌人を選んで取り上げるかに編集者の腕前が表れる。

 自選十首を見てみると、当然ながら受賞作やすでに出版された歌集から自信作を選んでいる人が多い。

フードコートはほぼ家族連れ、この中の誰かが罪人でもかまわない                                阿波野拓也

月を洗えば月のにおいにさいなまれ夏のすべての雨うつくしい                                 井上法子

わがウェルギリウスわれなり薔薇そうびとふ九重の地獄Infernoひらけば       

                     川野芽生

その一方で、短歌賞の受賞作ではなくあえて新作を選んでいる歌人もいる。

でも触れてあなたを噛んでわたくしを残す日の万華鏡のかたむき                                 立花開

春の二階のダンスホールに集ひきて風をもてあますレズビアンたち                                 睦月都

 立花の歌は角川『短歌』二〇一九年一月号の「新春79歌人大競詠」に出詠されたものであり、睦月の歌は「歌壇」の今年の六月号に掲載されたDance with the invisiblesという連作中の一首である。

 特集の誌面を眺めていると、小原奈実と川野芽生が見開きで並んでいて、二人が本郷短歌会で同学年だったことを改めて思い出す。菅原百合絵(旧姓安田)や寺井龍哉の名も見えて、本郷短歌会十一年の活動が現代短歌にとってどれほど重要なものだったかがわかる。老舗の早稲田短歌会や京大短歌会の出身者が多いのは当然として、岡山大学短歌会(川上まなみ)、大阪大学短歌会(佐原キオ)、九大短歌会(石井大成、神野優菜)、立命短歌会(安田茜)、東北大学短歌会(岩瀬花恵)など、十数年前から雨後のタケノコのように増えてきた大学短歌会出身の歌人が少なからずいる。若い人たちに短歌が浸透するのに大学短歌会が一定の役割を果たしていることがうかがい知れる。

 特集には「このアンソロジーの読みをめぐって」という大森静佳と藪内亮輔の対談がある。二人はそれぞれ、特集で取り上げられた歌人の自選十首の中から秀歌十首を選んで対談に臨んでいる。二人の選が一致したのは〈灯さずにゐる室内にらいさせば雷が彫りたる一瞬の壜〉(小原奈実)と、〈火は火でしょう、ひとつの名字を滅ぼして青年の手はうつくしいまま〉(帷子つらね)であった。小原の歌は同人誌「穀物」創刊号(二〇一四)に掲載されたもので、帷子の歌は「塔」の二〇二〇年十月号「十代・二十代歌人特集」のものである。

 対談の二人の発言から興味を引かれた部分を引いてみよう。大森は〈会っているとき会いたさは昼の月 即席のカメラで撮ってみる〉(橋爪志保)という歌を引いて、「橋爪さんに限らないですけれど、〈認識+景〉、〈内面の独白+景〉みたいな歌って全体的に、ほとんどなかったですね。初期の吉川宏志さんみたいな歌の作り」と述べている。これは永田和宏の「『問』と『答』の合わせ鏡」(『表現の吃水』而立書房、一九八一)のような作りの歌が少なくなったということである。確かに上句と下句が反照し合って修辞が増幅される歌は少なく、全体的に淡々とした歌が多い。ただし大森はそのことをネガティブに捉えているのではなく、若手歌人に広く見られる新しい作歌の傾向と見ているようだ。

 藪内は「井上法子さんの歌がこれからのひとつの軸になっていくのかなと思いまして」と発言している。〈陽に透かす血のすじ どんな孤独にもぼくのことばで迎え撃つだけ〉という井上の歌を引き、「この人も言葉の信者なんですよね。言葉教の信者で『ぼくのことば』で『迎え撃つ』んだっていうヒロイズムがあるんですよね。このヒロイズムっていうのは今、若手の歌のキーワードのひとつになるのかなと思っています」と述べている。

 おもしろいのは若手歌人が影響を受けた一首として挙げている歌人の顔ぶれだ。三人が選んだのは俵万智、雪舟えま、笹井宏之、平岡直子、小原奈実で、二人が挙げたのが与謝野晶子、葛原妙子、穂村弘、小島なお、五島諭、服部真里子、大森静佳、山中千瀬、浅野大輝であった。小原と山中と浅野はこの特集に取り上げられている若手歌人なので同世代である。選ばれたほとんどの人は現代短歌の歌人でしかもまだ若い。少し意外だったのは穂村弘がトップではなかったことだ。一九八一年生まれの永井祐の世代の歌人はほぼ全員が穂村チルドレンである。永井より十年後に生まれた世代は穂村以後の歌人の影響下から出発したことがわかる。

 もうひとつの特徴は選ばれている歌人の世代幅が狭いことだろう。斎藤茂吉や岡井隆や石川啄木の歌を挙げた人は一人ずつしかいない。昔の歌人よりも、自分の年齢に近い身近な歌人に共感を感じる傾向が見える。世代の輪切りがいっそう進行しているのだろう。若手歌人のそのような横顔を見せてくれるという点でも、興味深い特集となっている。

第315回 立花開『ひかりを渡る舟』

傘のまるみにクジラの歌は反響す海へとつづく受け骨の先

立花開『ひかりを渡る舟』

 この歌集を読んでいくつか新しい単語を覚えた。「受け骨」もそのひとつである。「受け骨」とは、傘の布やビニールを支えているホネのことだという。『広辞苑』には立項されていないので、おそらく業界用語なのだろう。

 掲出歌は初句七音である。TV番組「プレバト」の毒舌先生こと夏井いつきも言っているように、増音破調は初句に置くのがいちばん無理がない。傘の丸みからドームやパラボラアンテナへと連想が飛ぶ。そこに反響するのが鯨の歌というのだから、スケールが大きい。おもしろいのは下句である。湾曲した傘の受け骨の先端が海へと続いているという。先端が物理的に海まで伸びていることはないので、海まで続いているような気がするという見立てである。作りが大きく、作者の想いが遠くへと飛ぶ歌で、いかにも若い人が作る歌という印象を受ける。

 立花はるきは1993年生まれ。まだ高校生の2011年に第57回角川短歌賞を受賞して話題になった。受賞作の「一人、教室」は本歌集の最初に収められている。

君の腕はいつでも少し浅黒く染みこんでいる夏を切る風

うすみどりの気配を髪にまといつつ風に押されて歩く。君まで

やわらかく監禁されて降る雨に窓辺にもたれた一人、教室

 選考委員の中で二重丸を付けて推したのは島田修三と米川千嘉子で、島田は「ひりひりするような感覚を捕まえている」と評し、米川は「生々しくて痛々しい感じが非常に印象的だ」と述べている。立花が受賞となり、次席は藪内亮輔の「海蛇と珊瑚」となった。立花の受賞は小島なおに次ぐ最年少受賞であった。

 記憶が曖昧なのだが、たしか誰か「若年の栄光は災厄」と言った人がいる。若いうちに栄光を手にするのは、本人の将来にとって必ずしもよいことではないという意味である。その見本はフランスの小説家フランソワーズ・サガン (Françoise Sagan) だろう。若干19歳で書いた小説『悲しみよこんにちは』(Bonjour tristesse) が文学賞を受賞して富と栄光を手にしたサガンは、その後、度重なる恋愛遍歴、スピード狂による自動車事故、アルコール中毒、コカイン中毒など、多彩で波乱に満ちた人生を送った。そこまでは行かなくとも、若年で手にした栄光にその後苦しむ人は多い。立花の場合がどうだったかは詳らかにしないが、受賞を重荷と感じたこともあったのではないか。『ひかりを渡る舟』は今年 (2021年) 9月に角川書店から刊行されたばかりの第一歌集である。帯文は島田修三。「十年の歳月をかけて、生の根源に触れる深々とした立花短歌の魅力になった」という言葉を寄せている。

 本歌集の前半を読むと、やはり多くの人にとって短歌は「感情を盛る器」なのだなと改めて感じる。自分の思いの丈を三十一文字にこめるのだ。

 

三月の君の手を引き歩きたし右手にガーベラ握らせながら

鍵盤にとても優しく触れたなら届くでしょうか私の鼓動パルス

その唇にさびしきことを言わせたい例えば海の広遠などを

さみどりのグリーンピースのたましいよ憧れのまま蓋する心

去年より毛羽立つマフラー巻きつけた中でしかもう君の名を呼べぬ

 

 このような歌から伝わって来るのは、思春期を迎え、自分の手に負えないほど広い世界と異性に出会った俯きがちな少女が心に抱いた孤独な想いである。これらの歌では歌の中の〈私〉の輪郭と作者の輪郭はほぼ重なり、作者と歌の距離がとても近い。引き出しの奥にしまってある日記帳に、夜更けに紫色のインクで日々の想いを綴るのとそれほど変わらない。「作る」という意識よりも「表す」という意識の方が勝っていると言えるだろう。作者と歌の距離の近さから、「ひりひりする感じ」や「痛々しいさ」が伝わってくる。

 短歌にたいしてはこれとは異なるスタンスもある。『玲瓏』所属の歌人であり、俳句誌『芙蓉』主宰でもあった照屋眞理子は、「短歌を自己表現の手段と考えたことは一度もない」と生前常々言っていた。照屋にとって短歌を詠むということは、短歌定型という古くから伝わる楽器をできるだけ美しく響くように鳴らすことであった。

 

雪にまぎれ天降あもるまなこは見るものか地に眠りゆく哀しみのさま

                      『抽象の薔薇』

アルペジオ天の楽譜をこぼれ来て目のまぼろしを花降りやまず

 

 『ひかりを渡る舟』は五部構成になっており、おそらく編年体で編まれている。第1部は角川短歌賞受賞作の「一人、教室」と、確認はしていないがたぶん受賞後の第一作の「世界の終点」だけが置かれている。作者自身にとっても若い頃の作ということとで切り離しておきたいのだろう。

 歌集を順に読み進むうちに、歌の表情が変化してくることに気づく。歌集なかほどで場所を占めるのは相聞である。

二回目にみる花水木咲き始めだす道君を忘れゆく道

夕焼けで稲穂が金に燃えさかるどの恋もわたくしを選ばない

足踏み式オルガンに合わせ呼吸する 眠ればあなたに弾かれる楽器

呼び合うようにあなたの骨も光ってね龍角散飲み干す夜に

最後ゆえ華やぎ終われぬ会話なれば私からやめることを切り出す

 立花の歌がにわかに陰翳を帯びて来るのは、歌集ほぼ中程の第三部「夕陽に溶ける」あたりからである。

 

生きる世はまばゆしと人は言うけれど躰をまるめるだけである影

眼鏡なく浜を見やれば老犬は夕陽に溶ける美しき駒

果ての惑星ほしにキリンの檻は溢れおり こうしてばらまかれた生と死は

濡れたものはより朽ちやすく握られた右手で白い食器を洗う

初冬の浴そう磨く 水が揉む私といういつか消えてしまう影

 

 一首目と二首目は老衰で亡くなった愛犬を詠んだ歌である。人は生の輝きと言うけれど、老いの果ての愛犬はただ丸まる影にすぎないという現実がある。生老病死は近代短歌の変わらぬ主題である。立花はあとがきに、ここ数年で家族や知人を立て続けに失ったと書いている。家族では祖母、祖父、鳥と犬と猫で、自死した知人もいたようだ。喪失で失うのは命だけではなく、それが起きる前の自分の世界や言葉も失われるとも書いている。立花の言う通りだ。祖父母と交わした何気ない会話や、犬猫に話しかけた言葉は、その死とともにどこかに消えてしまう。

 三首目は読んでしばらく考えてから、「果ての惑星」とはこの地球のことだと気づく。ということは地球から遠く離れた視点から見ていることになる。動物園にはキリン舎が必ずと言っていいほどある。方舟は地球だったという歌もあり、確かに地上には生命が溢れている。しかしそれは同じ数だけの死でもある。そのことは自分もまた死ぬべき存在と自覚する五首目にも表れている。

 角川短歌賞受賞時に高校生だった立花はその後成長したのだが、成長するということはまた別れを経験することでもある。幾多の別れを通過することで、立花にとっての短歌は「感情を盛る器」から「思索をうながす器」へと変化したようだ。嬉しい、悲しいといった日々の感情を歌にするのではなく、歌を詠むという営為によって、自分と他者や世界との関係を探るという姿勢へと知らず知らずのうちに変わっているのである。

 

白魚の天麩羅噛めば小さけれど意思あるものの脂の味す

言葉とは重たいだろう淡き想い持つものだけが空へ近づく

この世の何処に眼はあるか くるりくるりと誰かのカレイドの中にいて

生き継いできたのに。今日の我が影もあなたの死後の冷感がある

赦しがない世界のかげをまだ知らぬ眩しき群れに目を細めたり

 

 一首目、白魚の天麩羅を食べて感じる脂の味は、生きていた時の白魚が自分の意思を持って行動していた証だという歌である。飲食の歌の体裁を取りながら、小さな命へのまなざしを語っている。二首目、言葉は重いもので、放ったとたん地上へ落下してしまうが、淡い想いを持つ人のみが空へと浮かぶことができるという。いろいろな解釈ができる歌である。三首目は、自分は誰かの万華鏡の中でくるくる回っている存在ではないかという想いを詠んだ歌である。万華鏡はきらきらと輝くが、その運動は外部の誰かの手によるものだ。私は果たして意思をもって生きているのだろうかという疑問を歌にしたものだろう。四首目、「生き継ぐ」というのはあまり使わない言葉だが、「継ぐ」とは絶やさないように続けることを言う。自分は人から生をもらい、それを続けてきた。しかし自分の影に恋人の死後を感じている。命の光と影を詠んだ歌である。五首目は幼い子供たちを前にした想いを詠んだもの。子供の世界には罪がない。しかし大人の世界には赦しのない罪もあると感じている。立花の歌の力点が、自分の想いを詠むというスタンスから大きく変化し、歌を作ることを通して自分と世界の距離を測り関係を探る方向に向かっていることは明らかだろう。

 

夏に咲く花々のこと眼裏に息づかせ今はただ広い海

でも触れてあなたを噛んでわたくしを残す日の万華鏡のかたむき

疚しさから裂けて溢れるやさしさの、くらぐらと瞼も思考の裂け目

ただひとつの惑星ほしに群がり生きたれどみな孤独ゆえ髪を洗えり

初夏の空がどの写真にも写り込みどこかが必ず靑、海のよう

だれの傍にも死はにおえども 発光する秋穂に触れる風が薫りぬ

黙という深き林檎を割る朝よ死者にも等しくこの光あれ

 

 歌集後半から印象に残った歌を引いた。技法的には、例えば一首目の下句の「息づかせ今は/ただ広い海」のように8音・7音の句跨がり的破調や、五首目の「どこかが必ず靑/海のよう」の10音・5音のように、下句を15音にして不均等に分割する手法がなかなか効果的に使われている。一巻を通読すると、ひとりの人間の成長が感じられる歌集となっている。