第398回 屋良健一郎『KOZA』

やがて扼される誰かへ逆修なしあけもどろ咲く フェンスの向こう

屋良健一郎『KOZA』

 「扼する」はしっかりつかむこと、または押さえつけることを意味する言葉だが、ここでは「扼殺」と同義で使っているのだろう。「逆修ぎゅくしゅ」は仏教用語で、いろいろな意味があるが、ここでは生前に墓石に戒名を刻むこと。その場合は戒名を赤く塗る。「あけもどろ」は沖縄の古謡「おろしろざうし」にある言葉で、日の出の荘厳さを讃えたもの。フェンスは米軍基地に巡らされた金網である。歌意は、米軍のフェンスのかなたに昇る沖縄の朝日の赤色は、いつか扼殺される人の墓石に刻まれた戒名のようだというもの。ほんとうに殺される人というよりは、米軍基地に土地を奪われ、米兵の暴行事件などに苦しむ沖縄県民を象徴的に表現したものと思われる。

 作者の屋良健一郎は1983年生まれ。あとがきによると、高校二年の時に文語旧仮名の短歌を作って楽しさを覚えたが、その後の中断を経て大学二年生の時に俵万智の『サラダ記念日』を読んで本格的に短歌に開眼し、大学で大野道夫の講義を受けていたこともあって「心の花」に入会したという。2005年に第5回心の花賞を受賞。大学院を修了して、故郷の沖縄にある大学で教鞭を執っている。専門は日本史と琉球史で、琉球文学に関する著書もある。『KOZA』は今年 (2025年) 上梓されたばかりの第一歌集。版元はながらみ書房、装幀は間村俊一、帯文は佐佐木幸綱。表紙写真は沖縄市のコザ地区のものだろう。歌集題名がアルファベットになっているのは、この地区を米兵がKOZAと呼んだことに由来する。作者にとって思い出の土地である。小島ゆかり、吉川宏志、穂村弘と、沖縄文学研究者の仲程昌徳が栞文を寄せている。

 歌集題名をKOZAとしたことからもわかるように、屋良は自らのアイデンティティーを深く自覚している。アイデンティティー (identity) というのは米国の心理学者のエリクソンが提唱した概念で、「自己同一性」と訳されることもあるが、要するに「自分が何者であるか」の自覚を意味する。屋良にとってのアイデンティティーとは、沖縄に生を受けたことである。それは次のような歌に色濃く表れている。

夜戸出よとでするわれの額へ母が唾つけてまじなう「あんまーくーとぅー」

大いなる濾過を思いぬ日本とは「わん」が「われ」として歌を詠む国

会うたびに「ロンタイノーシー」と笑みかける祖父母はKOZAの商人なりき

モノクロの写真の街の白き火よ KOZAの暴力しかりにけん

頼まれてカメラを向ける嘉手納基地をバックにピースをするまれびとに

 一首目の「あんまーくーとぅー」はウチナーグチつまり琉球の言葉で、魔物に会わないようにお母さんだけを見ていなさいというまじない。沖縄には神と精霊が生きている。二首目、自分は同郷人と話すときには「わん」という一人称を使うが、短歌を作るときには「われ」という。二重のアイデンティティーを背負っているのだ。三首目の「ロンタイノーシー」は英語の Long time no seeで、「お久しぶりです」という意味。コザの商人は米兵を相手に商売するのでカタコトの英語を話す。四首目は1970年に起きたいわゆるコザ暴動事件を詠んだ歌。五首目の「まれびと」は折口信夫が提唱したもので、異界からの来訪者を意味するが、ここでは本土からの旅行客という意味で使われている。旅行者の脳天気な態度に違和感を感じている。

 沖縄が突きつける現実とは、日本全国にある米軍基地の7割が沖縄に置かれていることから生じる様々な問題である。嘉手納基地の辺野古移設にも反対意見が多いが、基地反対を叫ぶだけでは解決しないことがあるのも事実だ。1983年生まれの屋良は当然ながら沖縄返還以前のアメリカ軍政時代を知らない。そんな自分たちを屋良は次のように詠んでいる。

基地に反対することもせぬこともさびし “Come on”の声に飲み干す

戦後史をぼくは知らないカリカリのタコスの皮が歯茎に刺さる

妄想でロケット花火をゲートへと打ち込む去勢されたぼくらは

誰を許し誰を許さず 戦後民主主義の眼鏡をぼくらはかけて

沖縄の心を持てと諭されて半分開ける助手席の窓

 戦後史をあまりよく知らず、積極的に基地に反対することもない態度を優柔不断と見る向きもあろう。祖父たちの世代から「沖縄の心を持て」と諭されても完全には同意できない。半分開けた車の窓はそのような心情の喩である。吉川は栞文の中で「宙吊り」という言葉を用いている。琉球時代からの沖縄の辿った道を知れば知るほど、単純な賛成反対の立場を取るのが難しくなるということだろう。

 自らのルーツである琉球・沖縄を離れた歌にも魅力的なものが多い。そのひとつはキラキラした青春歌である。

ぬばたまの黒髪に降る花びらをとらんと君に初めてふれつ

さやさやと揺るる若枝になるぼくら午後の陽の差すゼミ教室に

天日たる人のいる夏きらきらの結晶塩の言を尽くさん

池の面にわれを想いてとこしえに君よ水月観音となれ

学究の階に立ち止まる日の踊り場に見る空はろかなり

 四首目の水月観音は、水辺の岩の上に座り、手に瓶と織物を持つ姿で描かれることが多いという。下句は白秋の「雪よ林檎の香のごとく降れ」を思わせる。この池は東大構内にある三四郎池か。五首目の学究の階とは、教室と研究室の並ぶ大学の建物で、空がはるか彼方に見えるのは学問の道は長くて遠いからである。今の若い歌人たちはこういうキラキラの青春歌を作らない傾向が見られるが、青春歌を詠むことができるのは若者の特権だ。

 一読して歌意が取れず、解説が必要な歌もある。

月下そのひとつの呼気に口あつればわれへと易く開く頻婆果

(ウチテシヤ)ハイビスカスと青い海(ヘニコソシナ)めんそーれ沖縄

わわわYわわうとわるさわわぬYわわたつわくるわわさりわY

 一首目の頻婆果ビンバカとは、頻婆(ヤサイカラスウリ)の果実で、鮮紅色であるところから仏や女性の唇の形容に用いられている。つまりこれは月に照らされて女性とキスするという歌なのだ。実に手が込んでいる。二首目の(ウチテシヤ)は先の大戦時の「打ちし止まん」、(ヘニコソシナ)は「天皇の辺にこそ死なめ」というスローガンの一部。青い海が拡がりハイビスカスの花が咲く沖縄が抱える戦争の記憶を詠んだ歌である。三首目はまったく意味がわからないが、仲程が栞文で読み解いてくれている。それによれば「わ」はレンタカーの、Yは駐留米兵・軍属の私用車両のナンバープレートの最初の文字だという。沖縄の道路には観光客のレンタカーと米軍人の車がたくさん走っている様を表す。そして「わ」と「Y」を取り去ると、「うとるさぬ」と「たつくるさり」が残る。これはウチナーグチで「こわい」と「ころされる」という意味だという。こうなるとまるで判じ物のようだ。

死者の影此岸に刻印さるるごと茶色く残る押し葉の跡が

思いきりふくらませたる風船を離せば地上に残るうつそみ

磔刑の魂の行方を思いおれば夜の鳥ふいに木を飛び立ちぬ

ひとはなお天花を待てり果てのある塔を昇降機に運ばれて

鳥居坂の頂にひとつ車消えわが立つ場所を此岸と思う

炭酸のペットボトルを開ける時ホームの列に兆す テロルは

大きピザ持ち上げられてしなだれて具の落ちゆけば 宮森三月

 特に心に残った歌を挙げた。一首目は作者が古書店でアルバイトしていた折の歌。二首目の視点の切り替えがおもしろい。風船を膨らませて空に放つとき〈私〉は地上にいるのだが、下句では視点が風船側に切りかわり、まるで空中から地上を眺めているように描かれている。五首目では坂を上って行く車が坂の頂上で姿が消えることによって、自分がいる坂の下を此岸と感じている。何か自分以外の対象に働きかけることによって人は自己を自覚する。それは自分一人では自分になれないことを意味している。歌もまた然り。五首目の鳥居坂は六本木から麻布十番方面に下がる坂で、途中に東洋英和女学院や国際文化会館がある坂。『タモリのTOKYO坂道美学入門』(講談社)でも紹介されているよい坂である。四首目の「天花」は「てんか」または「てんげ」と読み、雪を意味したり、天界に咲く霊妙な花を意味することもある。前者なら早く雪が降らないかと待っていることになり、後者ならば幻の花を待つことになる。ここは後者と取りたい。読んだ記憶のある歌だと思い、巻末の初出一覧を見たら『本郷短歌』創刊号に出詠された歌だった。そういえばその号を読んだときにこの歌に丸を付けた記憶がある。七首目は、1959年に嘉手納基地所属の米軍戦闘機が宮森小学校付近に墜落し、17名の死者が出た事件を踏まえている。大きなピザは沖縄県民を圧迫する米軍基地の喩。六首目も印象に残る。私はこの歌を、通勤電車を待つ駅のホームで炭酸飲料のペットボトルをプシュッと開けたときに、心にふとテロへの思いが兆したと読んだ。誰の心にも潜在的にテロへと傾斜する可能性があるということか。

 川野里子の対談集『短歌って何?と訊いてみた』(本阿弥書店)を読んでいたら、堀田季何との対談で川野が「短歌では近年若い世代になにか不思議にイノセントな作品が増えている気がします。社会や歴史からはぐれて無垢な『私』なんですよね。」と発言していた。屋良の本歌集はそのような傾向とは真っ向から対立する骨太の歌集である。何より屋良が自分をイノセントだと思っていないところに、本歌集の射程の深さが感じられる。

 

第397回  門脇篤史『自傾』

レジ横に温かきまましづもりてからあげクンは鶏の諡

 門脇篤史『自傾』

 最後の文字「諡」は「おくりな」と読む。天皇・貴人・高僧が亡くなった後に贈られる名前のことで「諡号しごう」とも言う。からあげクンはコンビニLAWSONの人気商品で、レジ横の保温容器に入って売られている。生きているときはおおざっぱに鶏と呼ばれているが、死んで揚げられてからあげクンになる。だからからあげクンは鶏の諡号だというのである。

 まずユーモアがある。ユーモアは短歌の重要な成分だ。次に気づきがある。私たちは何の疑問もなく「からあげクンください」と注文しているが、からあげクンは鶏が屠殺され調理された後に初めて帯びる名である。少し現代文明批判も感じられる。鶏の唐揚げにからあげクンなどという可愛い名を付けて売る大衆消費社会に対してだ。またこの歌を短歌たらしめているのは「しづもりて」だろう。「しづもる」は明治時代に作られた歌語だという。落ち着いて深閑としているさまを言うので、ふつうは神社の境内の森や咲き誇る山桜などに使う。たとえば河野裕子の名高い歌では次のように使われている。

たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり

                       『桜花』

 こんな荘重な表現をからあげクンに使うのはいかにも大袈裟だ。しかしこの修辞的選択によって一首は「しづもる」という動詞の共示的意味を帯びることになり、一気に短歌として成立する。作者はこのような言葉の生理を知悉しているのだ。

 作者の門脇は1986年(昭和61年)生まれの歌人で、未来短歌会で大辻隆弘に師事している。2018年に現代短歌社賞を受賞し、翌年第一歌集『微風域』を上梓。同歌集により第26回日本歌人クラブ新人賞と第13回日本一行詩大賞新人賞を受賞。『自傾』は2024年に刊行された第二歌集である。版元は第一歌集と同じく現代短歌社。これまた第一歌集と同じくあとがきがない。したがってどこに発表された歌なのか、またどのように編まれた歌集なのかわからない。作者はあまり自分について語りたくない控え目な性格のようだ。そのことは収録された歌にも見て取れる。歌集の冒頭付近からランダムに引いてみよう。

手のひらを冷やせるのちに銀色のシンクにとよむ水道のみづ

牛乳の白き水面に生るるあわ野田琺瑯のはだへの熱に

人生はとほくに濡れて掌に結ぶ冷めたきみづにのみどを漱ぐ

〈五年後の私〉を語る隣席のをとこに紅きネクタイは垂る

断面にみづはにじみてしろがねの匙もて抉るキウイの果肉

 門脇の歌は新字・旧仮名遣の文語(古語)定型で、字余り・字足らずなどの破調はほとんど見られない。また前衛短歌が駆使した句割れ・句跨がりもない。実に端正な定型歌で、言葉を五・七・五・七・七の韻律に納める技術は同世代の歌人と較べても抜群に高い。

 では歌の題材はどこに求めているかと言えば、そのほとんどが日常の瑣事である。一首目は水道の水の音がシンクに響く、二首目は牛乳を温めたら泡が出た、三首目は手に受けた水を飲んだ、四首目は職場で隣の男が赤いネクタイを締めている、五首目はスプーンでキウイをすくって食べるというただそれだけのことである。僅かに「人生はとほくに濡れて」という句に作者の感慨が滲んでいる。

 短歌の題材を求める場所に近景・中景・遠景という区別がある。近景とは身辺の日常・家族・友人で、中景とはもう少し範囲を広げて職場・地域・サークルなど。そして遠景は作者の手の届かない国家・政治・世界・戦争などである。この区別を援用するならば、門脇の短歌は徹底して近景から素材を得ており、なおかつ〈私〉を語ることが極めて少ない。これがほんとうに「自我の詩」として成立した近代短歌なのだろうかといぶかしく思えるほどである。

 とはいえ次のような歌には門脇の〈私〉が少しだけ顔を出している。

空欄を埋めつつ生きてあと何度聞くのだらうかマズローの説

人生の目標を問ふ質問に良い歌を作りたいとは言へず

昼食にぬるきスープを飲み干せり誰かの生の端役を生きて

文中に滲む怒りを矯めながら光のすじをじつとみてゐる

革靴を明日のために磨くときはつかにくゆる火薬のにほひ

 一首目のマズローはアメリカの心理学者で、五段階の欲求説を唱えたことで知られている。この説は職場研修などでよく使われており、一首目で作者は研修を受けているのである。五首目では明日の出勤のために靴を磨いている作者の心の中には火薬が燻っている。しかしながらどれも抑制の効いた表現となっていて、作者の心情は燠火のように表現されるに留まり、決して爆発することはない。

 ここまで日常の瑣事を素材としながら、どうして門脇の歌が詩として浮揚しているのか。まず気づくのは、門脇の歌のほとんどが俳句で言う「二物仕立」ではなく「一物仕立」だということである。二物仕立は「遺失物係の窓のヒヤシンス」(夏井いつき)のように二つの物の取り合わせからなる句で、一物仕立は「平然と夏蝶前を横切れり」(星野高士)のようにただ一つの物を描く句を言う。門脇の短歌は徹底して一物仕立である。たとえば次の歌では花瓶に活けられた一本のスイートピーのみを描写している。

切り口は花瓶の底に触れてゐてスイートピーのたもつ直線

 だから当然ながら〈景の描写+作者の心情〉が組み合わされた「問と答の合わせ鏡」(永田和宏)にもなっていない。しかし一物仕立だからといって単調かと言えばそんなことはない。それは門脇の歌の多くが〈景の描写+私の発見〉という構造をなしているからである。上に引いた歌の上句は「花の切り口が花瓶の底に触れている」という写生だが、下句は「花瓶に活けられてなおスイートピーの茎は直線を保っている」という作者の発見である。「ゆふぐれを蕨餅屋の灯はともるあをきコンビニ潰えしところ」という歌でも上句は写生で、下句は「そういえばここは以前LAWSONがあった場所だ」という作者の気づきになっている。「問と答の合わせ鏡」で〈私〉の心情が入る場所を、門脇の短歌では〈私〉の発見が占めているのである。

 二物仕立では取り合わされた二つの物の遠すぎず近すぎない関係の妙が俳句の読み所となる。一方、一物仕立ではただ一つの物を凝視して新たな発見を導くことが肝要となる。一つの物を凝視すると焦点が狭い範囲に絞られる。それがまさに門脇の歌に起きていることだ。今まで引いた歌にもそれは十分に読み取れるが、たとえば次の歌を見てみよう。

ひときれの鰤のくぐれるせうゆゆゑ暗き水面は輝きを帯ぶ

 鰤の刺身を小皿に入った醤油につけると、鰤の脂によって醤油の表面が虹色に光る様を詠んだ歌である。鰤の脂で醤油の表面が光ることに気づいたのも発見だが、それ以上に印象的なのは焦点の絞り込みである。この歌では醤油の小皿だけが詠まれている。門脇の歌は焦点の絞り込みがすごくて、描かれた画面がとても狭い。日常の瑣事を詠みながら門脇の短歌がポエジーを帯びるのは、このように一つの物に焦点を絞り込んでそこに〈私〉の気づきが表現されているからである。人も知るように優れた詩は私たちの世界の見方を更新する。

 門脇の短歌のもう一つ注目される特色は、カタカナ名前を詠み込んだ歌にある。

とほき日のわれらの時間を奪ひにしナーシャ・ジベリの奇術羨しゑ

音に触れひかりに触れてルディ・ヴァン・ゲルダーといふ遙かなる射手

終はらざることなどありや永遠に馬群を牽きてサイレンススズカ

父といふはかなき呼称バイアリータークしづかに血を流しけむ

終焉のしづけさのなか外つ国のクリスザブレイヴ生きてゐるべし

 一首目のナーシャ・ジベリは「ファイナル・ファンタジー」の開発に関わった天才プログラマー。二首目のルディ・ヴァン・ゲルダーは多くのジャズの名盤を生み出した録音技師。門脇は競馬が好きなのか、三首目以下は競馬馬の名前である。三首目のサイレンススズカは重賞レースに多く勝利するも、天皇賞で骨折し安楽死の処置を受けた悲劇の馬ということだ。

 カタカナの固有名を歌に詠み込むのはよい点と悪い点がある。よい点の一つは音で、たとえばナーシャ・ジベリとかサイレンススズカは音の連続が美しく、歌の韻律的側面を前面に出す効果がある。またカタカナの固有名には「アブラカダブラ」のように呪文を唱えるような効果もある。悪い点は、あまり知られていない固有名を詠むと、読者の頭は「?」となってしまい理解が停止することだ。しかしネット時代の現代にあってはどんな固有名もたちどころに検索できるので、もはやさしたる問題ではなかろう。

たつたいま使ひきりたるくれなゐの小壜に残る小壜の重さ

ゆふぐれをあんぱん並みて塩漬けのさくらはなびらめり込みてをり

モンブランひかりの中に並み立ちてわづかにちがふ栗のかたちは

いくつもの狭き水面を閉ぢ込めて自動販売機のひかりかそけし

画家の絵は色をかへつつしづやかに死期に向かひて並べられをり

しづやかに氷は水へはつなつのレモンサワーの抜け殻として

くれなゐに色をふされし父の名の夏の素水のしたたるくぼみ

金麦の缶のあをきを圧す指にアルミは影をつくりてゆがむ

 特に心に残った歌を引いた。三首目では、ケーキ屋のショーケースに並ぶモンブランに乗せられた栗の形がわずかずつ異なることに気づくあたりが門脇の独壇場だろう。微差を詠む短歌である。四首目では自販機に入れられた缶飲料の水面という目には見えないものを詠んでいる。「水面」は門脇が特に好む単語らしい。また五首目も読んでハッとする。画家の回顧展では絵が制作年代順に並べられ展示されていることが多い。その順番は見方を変えれば死期へと近づく並びなのである。充実の歌集であり、おそらく世の高い評価を受けることだろう。

 

第396回 小原奈実『声影記』

あぢさゐの天球暮れて風わたる世のうちそとよ髪ほどきたり

小原奈実『声影記』

 紫陽花は短歌で好まれる素材だ。梅雨の時期に咲く代表的な花であり、土壌のPHによって花の色が変化するところや、球形の花の形といった特徴が好まれる理由だろう。掲出歌では紫陽花の花を天球に喩えている。「天球」「風わたる」「世のうちそと」という言葉の連なりが宇宙規模の空間の広がりを感じさせる。切れ字の助詞「よ」で詠嘆した後に、「髪ほどきたり」という身体的な描写を置くことで、前半の空間の広がりと結句の個人的空間の対比が表現されている。結句だけが日常的な描写で、残りは天空を翔るがごとき高踏的な歌である。この高踏性が小原の短歌の持ち味だ。

 『声影記』は多くの人が待ち望んでいた小原の第一歌集である。平成21年(2009年)の第55回角川短歌賞において「結晶格子」50首で佳作に選ばれたときは弱冠18歳であった。それから16年経過しての第一歌集は遅いデビューと言えるだろう。版元は港の人。社の方針で帯を付けないないので帯文はなく、栞文もなくて、あとがきはわずか8行、プロフィールも2行という素っ気なさである。これほど素っ気ない第一歌集は珍しい。第一歌集はいわば歌人としてのデビュー戦なので、親しい歌人に栞文を依頼し、結社の主宰が解説を寄せることも珍しくない。そういうことを一切しないところに小原の歌人としての矜恃を感じる。「作品がすべて」ということだろう。ちなみに歌集題名の「声影」は声と姿形という意味だという。

 私は第56回角川短歌賞において小原の「あのあたり」50首が次席に選ばれたときに、その短歌の質に喫驚して本コラムで取り上げた。前年の第55回角川短歌賞では「結晶格子」で佳作に選ばれているが、小原自身もこの連作には満足していなかったようで、本歌集では「注がれて細くなる水天空のひかり静かに身をよじりつつ」という歌だけが、「天空」とタイトルを変えて収録されている。ちなみに「あのあたり」は「鳥の影」と改題されて本歌集に収録されているが、数えてみると21首しかないので残りの29首は捨てたのだろう。

 目次を見ると、「蘂と顔」は2012年の「詩客」、「声と水」は『本郷短歌』第2号 (2013)、「時を汲む」は第3号 (2014)、「光の人」は第4号(2015)、「静水」は第5号 (2016)に出詠した連作で、「鳥の宴」は同人誌『穀物』の創刊号(2014)、「野の鳥」は第2号 (2015)、「錫の光」は第3号 (2016) に掲載された連作であることが確認できる。あとがきには2008年から2021年までに製作した304首を収めたとあり、多少の前後はあってもほぼ編年体で編まれた歌集だと思われる。

 とはいうものの捨てられた歌も少なくない。批評する側から言わせていただくと、歌集巻末に初出一覧を付してもらうとありがたい。初出掲載誌に当たって、どの歌を採りどの歌を捨てたかを確認できるからである。また改作の有無も確認できる。初出の形と歌集掲載時の形との異同は作家研究の常道である。どの歌を捨てたか、また歌をどのように書き換えたというところに、作者の隠れた資質を覗うことができるからだ。

 さて、小原の歌の特質はどのあたりにあるのだろうか。歌集の中ほどからランダムに引いてみよう。

ざくろ割れば粒ごとに眼のひらきゆき醒めてかをれる果実のねむり

朴の葉のすみやかに落つみつむれば白くれゆく氷雨の昼を

遠ければひよどりのこゑ借りて呼ぶそらに降らざる雪ふかみゆく

朝の陽は硬く充ちゆき蜘蛛の糸に触れて切らざる指のしじまを

冬鴉空のなかばを曲がりゆきひとときありてとほく来るこゑ

 まず最初に注目されるのは文語(古語)を自在に操る巧みさである。小原の文体の基本は文語・旧仮名遣で、口語(現代文章語)や話し言葉が混じることはまずない。それは文語・旧仮名を詩の言葉と認識し、日常の言葉と厳格に区別しているからだろう。現代の若い歌人が口語や話し言葉で短歌を作るのは、そのほうが自分の気持ちを歌に乗せやすいからだ。今の自分の気持ちを表すには、今の言葉の方が適している。これを逆に考えると、小原が口語を選ばないのは、歌を詠む目的が自分の気持ちを表すことにはないからということになる。短歌を自己表現の手段と見なすか否かによって、決定的なちがいが生ずる。短歌で自分の今の気持ちを表現したい歌人が求めるのは〈共感〉である。「わかる、その気持ち」、「そういうことってあるよね」というボタンを読者に押してほしいのだ。小原はそういう歌人ではない。では〈共感〉を求めない歌人が歌を作るのは何のためか。それは言葉の湧き出す深く暗い泉から言葉を汲み上げ、それを玄妙な順序に配置することによって、見たことのない世界の断片をこの世に生み出すことにある。小原の短歌が高踏的というのは、このように意味合いにおいてである。

 一首ごとに鑑賞すると長くなるので、上に引いた一首目のみ触れる。秋に実り皮がばっくり割れた柘榴の赤い実が割れ目から覗いている。その様を「粒ごとに眼のひらきゆき」と表現するのは、柘榴の実の一粒一粒を眼球に見立てているのである。そうして眠りから覚めることによって、果実は芳醇な香りを放つようになるという。これは写実ではない。柘榴の実の粒は眼球ではなく、果実が目覚めることもなく、香りはすでに漂っているからである。柘榴を写実的に描写することが小原の短歌の眼目ではない。柘榴という素材を弾機として、そこに開かれる思惟によって知的に構築された抽象世界を描き出すことこそが、小原の目的なのではないだろうか。

 歌に詠まれているのが知的構築であることがとりわけよく感じられるのは、三首目・四首目に見られる否定形である。三首目では「そらに降らざる雪ふかみゆく」とあり、雪は降っていないのだから深くなることもないはずだ。しかし「降らざる雪」と否定されたとしても、雪の存在は否定の彼方に揺曳する。四首目の「糸に触れて切らざる指」では、蜘蛛の糸に指が触れても切れることはないのに、否定の向こう側に切れた指の残像がちらつく。そのメカニズムは定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」という歌で、何もない秋の夕暮れの彼方に非在の花と紅葉が現出する様と同じである。小原が駆使しているのはこういう業なのだ。

 小原が得意とするもう一つの業を見てみよう。

切り終へて包丁の刃の水平を見る眼の薄き水なみだちぬ

枝ながら傷みゆくはくもくれんの花に花弁のかげ映りゆく

身にかろくかかりそめたる夕闇のほつるがごとく黒揚羽ゆく

脚ほそく触れたるおもてせきれいの重量ほどに砂緊りたり

空のくち享けたるごとき水紋のひらきつつゆくひとつあめんぼ

 一首目は第56回角川短歌賞の評でも触れた歌で、私はこの歌に接した時に文字通り驚愕した。包丁の刃を水平にして見たとき、眼の角膜の表面をわずかに覆う涙が波立つというのである。そんなことありえないし、もしあったとしても見えるはずがない。二首目では花に花弁の影がさし、三首目では揚羽蝶の飛ぶ様が夕闇がほつれるようだと言い、四首目ではセキレイが舞い降りた地面の砂がわずかにへこみ、五首目ではアメンボの脚が作る小さな水紋が、天空と対峙するかのごとき大きさに描かれている。セキレイが砂の上に降り立つと、確かに理論上はセキレイの体重分だけ砂はへこむだろう。しかし小鳥は軽いのでそのへこみは感じられないほどわずかのはずだ。だからこれらの歌が描いているのは、まるで写実のような衣裳をまとった虚構である。それを「幻視」と呼びたい誘惑にかられるが、小原の資質はそれとはやや異なる。これはいったん要素にまで分解してから、知的に再構築され直した世界なのだ。小原のたぐい稀な資質は「世界を微分するまなざし」だと言えるだろう。

 したがって、小原が作り出す歌は自分の気持ちを伝える歌ではない。そのような意味での「自分の気持ち」などというものは、どこを探しても見当たらない。小原の歌の中には近現代短歌が前提とする一回性の〈私〉の表現はない。それに代わってこれらの歌の背後に感じられるのは、世界を分解したのちに再構築するメタ的な〈私〉の存在である。そのような文脈で考えると、小原の短歌は近現代短歌よりも王朝時代の古典和歌の世界により近いと見ることもできるだろう。かつて佐佐木幸綱は、古典和歌の特徴は「抽象性」「観念性」「普遍性」にあるとしたが、小原の歌はここからそう遠くない場所で紡がれているように思う。

 医学生の日常に想を得た歌や、「きみ」が登場する数少ない歌や、小原の歌の「くびれ」のなさや、鳥への偏愛振りなどまだ論じたいことはたくさんあるが、そんなことをしていたら止めどなく長くなるので、山のような付箋の付いた中からいくつか引いて稿を閉じることにしよう。

梅雨の日を濡れざるままの木陰にてこの世の時の過ぎなづみをり

雲の上の空深くあるゆふぐれにひとはみづからの時を汲む井戸

梨裂きて梨のかたちの刃の痕を空ひろき日の昼餉となせり

みひらけどみえぬさくらよちりゆけば息つまるまでけはひみつるを

きぬのごとく骨のごとくにひらきたるからすうりこの紺のゆふべを

 『現代短歌』86号(2021)の特集「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」において、川野芽生はもっとも影響を受けた一首に小原の歌を選び、かつて本郷短歌会の歌会で自分の歌には一票も入らず、小原の歌がトップ票だったことを回想し、もしそんなことがなければ自分はこれほどまでに短歌にのめり込むことはなかっただろうと述懐している。そんな小原の待望の第一歌集である。必ずや世の高い評価を受けることだろう。


 

第395回 本多稜『時剋』

くれなゐの薔薇の一輪胃の底に咲かせたるわが戒めの神

本多稜『時剋』

 掲出歌は歌集の巻頭歌で、「二〇二二年八月二日 健康保険組合診療所」という詞書がある。あとがきによれば、医師からの呼び出しを受けて胃カメラ検査をしたところ、胃の底に咲きかけの薔薇のような腫瘍が発見されたという。著者の長く辛い闘病生活の始まりである。臓器の病変を花に喩えるのは、「肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は」という岡井隆の先例がある。本多の脳裡にもこの歌が揺曳したことだろう。若い人のために付け加えておくと、岡井の歌に詠まれているのは肺尖カタルといい、結核の初期症状の古い呼び名である。岡井は結核の専門医だった。結核は当時は難病だったので、告げる言葉がたわむのである。

 本多稜は短歌人会所属の歌人。『こどもたんか』(2012)を勘定に入れなければ、『時剋』は第五歌集にあたる。歌集題名の「時剋」は「時刻」の表記がふつうで、流れてゆく時の一瞬を意味する。病を得た著者には一瞬一瞬の時間がかけがえのないものだという思いから付けられた題名だろう。本多の歌集では、第一歌集『蒼の重力』と第三歌集『惑』を本コラムで取り上げている。東直子が寄せた帯文に、「一冊の歌集を、こんなに息を飲むように一気に読んだのは初めてだった」とあり、確かに息詰まるような闘病歌集である。

 世界を股に掛けるビジネスシーンの最前線で働き、スキューバダイビングをするかと思えばボルネオで登山するという行動派の歌人が、まさか壮年で発病するとは夢にも思っていなかっただろう。あとがきによれば、他の臓器への浸潤が見られたため、外科手術により胃を全摘し、膵臓と脾臓の一部も切除したという。癌治療の用語で浸潤とは、原発巣の周囲の臓器に癌が拡がることをいい、血流などによって離れた臓器に発生する転移とは区別される。本歌集は編年体で編まれた闘病記である。引用では省くが、多くの歌に日付が付されており、時間が重要な要素になっている。 

ほんたうに胃の腑切られてしまふのか夏季限定のメニューを頼む

ひたに死に向かふ細胞身の内にあれどなずきはなんにも出来ず

聞きたくても聞けず言ひたくても言へず未だリンパ腫か癌かわからず

好きなことを好きなだけやつてきたんだろ アスファルトに転がるアブラゼミ

玉子焼き鮭の塩焼き白ごはん何といふ明るさよ入院の朝

 術前に詠まれた歌である。病気に罹患した人はなべて、「よりによってなぜ私が?」という疑問に捕らわれて混乱する。心はあっちへこっちへと揺れ動く。三首目にあるように、検査では癌の種類が特定できず、術後の病理検査によって末梢性T細胞リンパ腫という血液の癌であることが判明したという。癌と診断された人は、四首目のように半ば自暴自棄に陥ることもあるだろう。知り合いの医者から聞いた話では、癌と告げた途端、病院から逃げ出す患者もいるそうだ。現実を受け止めきれないのだ。やがて五首目のように入院し手術を受けることとなる。

海溝の闇の深みに降りにしかおぼろげながら麻酔より醒む

辛うじて点滴棒にしがみつき砂浜這ひて行く海亀よ

生きることそのものを生きる目標にせざるを得ぬのかと思ふまで

洗面台が今はゴールぞ肉落ちて点滴棒に縋りて進む

つぶし粥にかき玉汁をいただきぬ胃を取りしより四日目にて

 臓器を摘出された身体は筋肉が衰えて体を支えることができなくなり、点滴のスタンドを頼ってかろうじて移動する有様である。五首目は術後ずっと点滴で命を長らえていた著者が初めて口にする食事の歌。さぞかし身体に染み渡ったことだろう。

熟したる桃の繊維を押しつぶす舌のよろこび病みて知りたり

葉月とはかういうことか伸び上がり夏のみどりが夏空を吸ふ

健常を捨てし身体は死ぬるまで一日ひと日を花と思へよ

噛みつぶす固形物蕪のそぼろあん進化遂げたるごとき心地ぞ

白粥とともにしみじみ箸に分け歯にほぐしゆく鰈の煮付

 一首目と二首目は術前の歌。人は病を得て初めて健常の尊さを知り、命の横溢する夏の自然に深く感じ入る。術後の歌に四首目や五首目のような食べ物の歌が多いのは、長らく口からの食事を断たれていたからで、味わって口から食事ができることの有り難さが溢れている。

 癌の外科手術を受けた後には、必ず抗癌剤の投与が行われる。乳癌などではこれに放射線照射が加わる。このセットが現在の標準治療である。抗癌剤は活発に細胞分裂している部位に作用するので、毛根・爪の付け根・腸粘膜・骨髄の造血細胞などが攻撃され、脱毛・爪の黒ずみ・吐き気・白血球の減少・貧血などの副作用が現れる。しかし近年優れた吐き気止めが開発されたり、副作用を抑える薬ができて、ずいぶん症状は軽減されているようだ。次の歌のように薬品名が詠み込まれると、まるで古代宗教の呪文のような効果すら感じられる。実際に患者には効果がわからないので、呪文と変わらない。術後に長い治療期間が続くのが癌の苦しいところだ。 

吐き気止めグラニセトロン静脈に入りぬCHOPの前哨として

オンコビンその冷たさに驚きぬCHOP先鋒血に混ざりゆく

狂ひたりわが細胞へ点滴のエンドキサンの祖は糜爛剤

 驚くのは作者の術後の体力の回復ぶりである。次に引いた一首目には「十一月二十七日 三鷹市民駅伝」、二首目には「三月十九日 板橋Cityマラソン」、三首目には「七月二十八日 奥秩父縦走」という日付と詞書が添えられている。

腹ひらきし日より七十四日経ちなんだかんだと駅伝も終ふ

三〇kmを過ぎたる辺りへとへとを抜いてにこやかなるに抜かれつ

水音の束を掴んで渡渉せり雨を含める道につづきぬ

 もちろん本人のたゆまぬ努力もあるのだろうが、さすがに世界中を飛び回るビジネスパーソンにして体力自慢のスポーツパーソンだけあって、駅伝やマラソンに出場して完走し、山岳を縦走するという猛者ぶりである。

 本歌集はすでに述べたように闘病の記録である。古典和歌とは異なり、近代短歌の時代を迎えてから生老病死、つまり生きてやがて老い、病に罹って死を迎えるという人生のひとつひとつの局面が短歌の重要な主題となった。主題性は近現代短歌の大きな特徴である。なかでも病は短歌において大きな位置を占める主題である。病と聞いてすぐに頭に浮かぶのは小中英之だろう。

昼顔のかなたえつつ神神の領たりし日といづれかぐはし

                   『わがからんどりえ』

黄昏にふるるがごとく鱗翅目りんしもくただよひゆけり死は近からむ

今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅

                       『翼鏡』

 一首目の歌集題名の「からんどりえ」(calendrier)はフランス語でカレンダーのこと。宿痾を抱えた小中が自らの死を見つめる視線は透明にして清澄で、唯一無二の境地に達している。絶唱の名にふさわしかろう。

 『時剋』は闘病記であり、作者はこのような形で歌を残しておくことに一定の意義を見出したからこその出版だろう。病と闘う歌の真実性が読む人の心に迫って来るのはもちろんなのだが、私は歌集のをちこちに挟み込まれている次のような写実の歌に特に心惹かれるのである。 

われが問ひ父が答ふるまでの間をゆたかに草の虫たち鳴けり

ひつじつかみ田から剥がせば針金のごとき稲の根陽に輝けり

大麦は列を崩さず芽を出しぬ畝踏みし子の足跡からも

咲きながら乾びし冬のくれなゐの薔薇を撫でつつ日の落ちゆけり

沖に向かひヒルギの大群駆け出せり引き潮なればその脚あら

 二首目の「穭」とは、刈り取った残り株からまた生えて来た稲のこと。闘病歌は自分の病状を詠むためにどうしても説明的になりがちで、それはやむを得ないことである。しかし病を離れて身辺や自然を詠んだ歌には的確な写実があり、また著者ならではの力強さもある。このような歌がまるで長い旅路の里程標のごとく歌集の随所に打ち込まれていることに心打たれるものがある。

 本多が作歌に託す思いは次のような歌によく表れている。 

一首作りわが細胞を一つ増やすがんに取られたら取り返すべく

歌かつて翼なす羽根なりにしを今は張るべき根としてわれに

 「文学は人を救うか」というのは答えるのが難しい問題である。その答はひとまず措いて、短歌が作者にとって杖となり道標となっていることはまちがいない。

 作者が歌集題名の「時剋」に寄せる思いは次の歌が雄弁に語っている。 

止まらせるなよ終点を思ふなら手繰り寄せよ溢れさせよ時間を 

 薬石の効あらたかなるを願い本復を祈るばかりである。


 

第394回 井上法子『すべてのひかりのために』

ひまわ  言い止したままゆっくりとあなたは蝶の影を追い越す

井上法子『すべてのひかりのために』

 2013年の第56回短歌研究新人賞で次席となり、第一歌集『永遠でないほうの火』(2016年)で鮮烈なデビューを果たした井上の第二歌集である。版元は第一歌集と同じ書肆侃侃房。反転文字と花弁を配した白い表紙が瀟洒で美しい。小野正嗣が帯文を寄せており、あとがきによれば井上の恩師だそうだ。小野は仏文学者で、NHKのEテレの日曜美術館のキャスターを務めていたので顔を知る人も多いだろう。井上は東京大学大学院総合文化研究科の博士課程で学んでいるが、小野が恩師ということは専攻はフランス文学なのだろうか。もしそうだとしたら同業者ということになり、仏文歌人には菅原(安田)百合絵という先達がいる。詩人の石松佳と歌人の服部真里子が栞文を寄せている。いずれもなかなかの力作で、特に服部の文章は井上の短歌世界を理解する指針となりそうだ。

 『永遠でないほうの火』の評で私は、井上は詩の技法で短歌を作っているという趣旨のことを書いた。その印象は第二歌集でも変わらない。現代の若手歌人の中で井上は最も詩の領土に近い人だと思う。本歌集を一読した印象では、その度合いは第一歌集と較べてさらに増している印象を受ける。

もう一度きり瞬いて花びらを、せめて香りを抱きとめて ゆけ

ふりかえれば薔薇の園ごと消えていて、ひかりのなかに立ち尽くす風

そこが海だと匂いでわかるくるしさを ふるさともふるきずもかみひとえ

ほら、ぼくら無傷でやる瀬ないけれど…ほら。めいっぱい咲けば此岸を

だからこそ教えてくれるこの生を綴じられるのは物語イストワール 、と

 五首目のイストワールはフランス語のhistoireで、「歴史」と「物語」のふたつの意味がある。英語では historyとstoryに分かれたがもともとは同じ単語である。

 こういう短歌を目の前にして、どのように読めばよいのかとまどう人もいるだろう。近代短歌の作法とはずいぶんちがう作り方をしているからだ。近代短歌の王道は生活実感に根ざした写実である。

缶ピース長髪下駄履き思草寮まだ何者でもなかった私

       篠原俊則 朝日歌壇 2022年8月14日

 思草寮とは愛知大学の昔の学生寮らしい。かまやつひろしの「我が良き友よ」を彷彿とさせる弊衣破帽の青春で、歌の主な感情は懐旧の念だ。この歌は人生の一時期を描いていて、「人生派」もしくは「生活派」短歌のひとつの典型である。私たちは人生を生きる間にさまざまな喜びや悲しみや悔しさを味わう。それを短歌という形式を通して表現し昇華する。それは文学の果たす大きな役割である。

 しかし別の道を辿って短歌に出会うこともある。それは言葉自体が発する磁力に感応するという道である。それはたとえば次のような歌を読むときに誰しもが襲われる印象ではないか。

硝子街に睫毛睫毛のまばたけりこのままにして霜は降りこよ 浜田到

 具体的な場面や歌の意味は十分にわからないままに、一首が硬質の光を帯びて輝いているように感じられる。そのような印象はどこから来るのだろうか。

 言語の大きな役割は意味の切り分けと伝達である。切り分けはちょっと横に置いておいて、意味の伝達に着目する。言語の役割が相手に何かを伝えることにあるというのはまず確かなことだろう。伝達機能の典型は新聞の言葉である。新聞の言葉は情報を正確に読者に伝えるべく磨かれている。無駄な言葉はそこに入る余地はない。しかし言葉の機能はそれに留まるものではない。

 フランスの詩人・評論家のポール・ヴァレリーの「詩と抽象的思考」という作品は、詩の発生を論じた文章としてよく知られている。ヴァレリーはその中で次のように述べている。煙草を吸おうとしたがマッチがない。近くにいる人に Avez-vous du feu ?「火をお持ちですか」とたずねる。相手は私に火をくれる。私が発したAvez-vous du feu ?という言葉の役割はそこで終わる。意味の伝達が達成されたからだ。しかし私の言葉はそこで終わらず、まだ生き延びたいと願う。私もその言葉を何度も繰り返して聴きたいと望む。意味が終わったところに生じる言葉のもう一つの生、それが詩だとヴァレリーは言う。

 意味が終わった言葉に何が残るのか。ひとつは音、つまりリズムや韻律である。Intel inside.というCMは頭韻を踏み、その日本語版の「インテル、入ってる」は脚韻を踏んでいる。しかしそれだけではない。単語が発散するイメージや、他の言葉と親和性のある結びつきや,硬い単語やくだけた単語といった語感や、共感覚など、狭義の意味に回収されないものは他にもある。このような要素が複雑に絡み合って言葉の持つ磁場が生まれる。それを重んじるのが「コトバ派」の歌人である。井上は穂村弘を通して塚本邦雄の短歌を知ったという。塚本はコトバ派歌人の典型だ。井上の短歌はこのような背景のもとに読むのがよいと思われる。

 では上に引いた一首目の「もう一度きり瞬いて花びらを、せめて香りを抱きとめて ゆけ」をどう読むのか。「もう一度きり」という表現から何かの終わりが連想される。終焉を迎える何かがあるのだ。「瞬く」は人が目をぱちぱちすることか、星などがチカチカ光ることをいうが、ここには意味の未決定性があり、どちらか決めることができない。この浮遊感が嫌いだという人にはこういう歌は楽しめないだろう。「花びらを」は言いさしで止められており、花びらをどうするのかが明かされていない。ここにも未決定がある。「せめて」には何かの断念があり、「香りを抱きとめて」には相手に対する強い思いがある。そして一字空けの後で「ゆけ」の強い命令が何かを断ち切る意志を表す。終焉と断念と決意の渦巻く何かの物語が歌の背後に感じられ、すべてが過ぎ去った後に薔薇のほのかな香りだけが漂っている。そんな読み方はどうだろうか。

 本歌集でもうひとつ注目されるのは、言葉遊び的要素である。

さみどりにさやぐさざなみ 風は火を 火は運命をおそれず生きて

うつくしい海辺をもって生まれればうたげのごとく天涯孤独 

 一首目では「さみどり」「さやぐ」「さざなみ」とサ音の頭韻があり、二首目では「うつくしい」「海辺」「生まれれば」のウ音の頭韻と、「ごとく」「こどく」の類似音がある。このような歌は言葉が言葉を引き寄せることによって生まれる。このような技法は掛詞や序詞と同じく近代短歌が排除しようとしたもので、このあたりにも井上のコトバ派歌人の志向性が感じられる。

 2022年9月7日付けの東大新聞オンラインにかなり長い井上のインタビューが掲載されていて興味深い。その中で井上は何度も、私が言葉で世界を表現するのではなく、私は世界から言葉をもらう、私は仲介者にすぎないと述べている。また井上はかねてより、言葉だけの透明な存在になりたいとも言っている。井上の短歌において〈私〉の占める場所が極小なのはそのような理由によるのである。余談だが、「煮えたぎる鍋を見すえてだいじょうぶこれは永遠でないほうの火」という第一歌集のタイトルともなった歌が、IHコンロでおでんを煮ているときに吹きこぼれて、自動的にスイッチが切れたのを見て生まれた歌だというのはおもしろかった。

夜ごとひとつの詩を泡立たせしののめに届くひかりを。向こう岸まで。

眼裏まなうらにつきのひかりをたたえつつ夢のころもを着るわたしたち

いつかこの世を振り切るために書きのこすぼくらは星の面影を 死を。

立ち葵 希死はときおりきらめいてことばこぼれるまえのからだは

ゆめに ときに 銀の雨ふるなかをおもかげは影になる幾たびも

撫でられたあとかもしれずさざなみのきらめく模様すべからく、みな

はつなつの破れてひらく花の火の まだ末葉を知らないままの

 とりわけ美しく感じた歌を引いた。比較的意味が取れる歌も、そうでない歌もある。最後の歌の「末葉」は「すえば」とも「うらば」とも読むようだが、音数からして「まつよう」と読むのだろう。「すえば」は草木の茎の先のほうにある葉をさすが、「まつよう」は子孫の意のようだ。「はつなつの破れてひらく花の火の」は序詞のように置かれている。

 あとがきで井上は、「非人称の世界で育まれる読みの豊かさを、ことばの可能性を、わたしは信じています」と述べている。「非人称の世界」とは、この世に生きる生身の〈私〉を離れた世界ということだろう。「非人称」に遠くモーリス・ブランショ (Maurice Blanchot) の影を感じるのは私だけだろうか。

 

第393回 藪内亮輔『心臓の風化』

くちづけのたびに朽ちゆく遠い木をもついつからか死よりも遠く

藪内亮輔『心臓の風化』 

 昨年(2024年)八月に書肆侃侃房から上梓された著者第二歌集である。藪内の紹介はもはや必要ないと思うが、京大短歌会・塔短歌会に所属し、2012年に「花と雨」で満票を獲得して角川短歌賞を受賞。第一歌集『海蛇と珊瑚』(2018年)で現代歌人集会賞を受賞。2020年から角川短歌賞の選考委員を務めている。

 藪内の短歌を批評したもののなかでは、瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』(左右社、2021年)が抜群におもしろい。瀬戸によれば、藪内は並み居る年長歌人を唸らせる優等生としてデビューしたが、そのうち岡井隆の作風を丸バクリと見紛うほどに模倣した短歌を作り始めたという。

詩は遊び? いやいや違ふ、かといつて夕焼けは美しいだけぢやあ駄目だ

アルティメットチャラ男つて感じのきみだからヘイきみのなかのきみだらけヘイ

 「花と雨」路線を期待していた大人たちは失望したかもしれないが、極度に素直なのが藪内の美質だと瀬戸は言う。藪内は岡井の影響をたっぷり浴びた後に、元の基本路線に戻ったようだ。

 そこで本書である。版元の書肆侃侃房も本歌集を出版するに当たって、いささかの勇気が必要だったろう。本書には死が充満しているからだ。死が充満した書物は危険物である。詞書風の短い散文が添えられた第1部のWeatheringは、おそらくロシアによるウクライナ侵攻を機に作られたものだろう。ちなみにweatheringは英語で「風化」を意味する。

冬雨は靴を濡らしき みづからの骨ほどの本抱えてゆけば

凄惨な晩餐われら屍体のみ皿にならべてその皿の白

懐王は雲雨うんうと夢に契りたり淋しきぬかをゆめにあはせて

人類は原爆の花植ゑむとす撃つがはからはすべてが供花くげ

あなたは燃えて夕暮れしいす一本の桜、劫初ごうしょゆここでひとりで

 一読して意味の取りにくい歌もある。こういう歌を読むときは、選ばれた難しい単語が誘発するイメージと、そのイメージ同士が衝突して飛び散る火花を心に感じるのがよい。一首目はわかる。冬の雨に濡れながら、本を小脇に抱えて歩いている。それが字面の意味だ。しかし「みづからの骨ほどの」という喩の不穏さによって、場面は暗い方へと暗転する。二首目は家庭の夕食の場面だ。皿に盛られた肉も魚も見方を変えれば死体である。この歌の遠くには「夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして」という小池光の歌が響いている。私たちの生の不穏さを差し出す歌である。三首目の懐王は中国の楚の時代の王で、暗愚の王として知られている。朝は雲に夕には雨になる女性と夢の中で契ったという故事から、雲雨は男女の情交を意味するという。王の夢の儚さに心を寄せている。四首目の「原爆の花を植ゑむとす」は多少わかりにくいが、「原爆の花」はキノコ雲の喩で、「原爆の花を植えようとする」は原爆を落とそうとするという意味だろう。供花は仏前・霊前に供える花だから、全体として恐ろしい皮肉になっている。ここには核兵器の使用も辞さないことを匂わせたロシアのプーチン大統領の影が揺曳している。五首目の「弑す」は、臣下が君主を殺したり、子が親を殺したりすることを意味する。「劫初」はこの世の始まりのこと。読み下すと「あなたは一本の桜で、この世の初めからここに一人で立っており、夕暮になると燃え上がって誰か目上の人を殺す」というくらいの意味か。しかし意味だけ取っても興ざめだ。小高い岡に立つ樹齢百年を超す一本桜が満開を迎え、夕映えに燃え上がるように光っている光景を脳裡に思い浮かべるのがよろしかろう。

位置について よーい終はりのわたしたち とてもきれいなだけの夕暮れ

ぬひぐるみ身体全体縫はれをり縫はれねばならずまづ虚無を抱き

安置所モルグから引き出してくる自転車は骨ばかりにて矢鱈と光る

窓のの雨もやつれてくるころに死は訪れて身をかたうせむ

飛ぶ鳥は自らを打つ雨音をのみ聴くだらう死へ墜ちるまで

 かなり危険物の歌を引いた。一首目は私たちの生の短さを詠んだ歌で、生を徒競走に喩えている。それはいわば「位置について、用意」の次に「ドン」と言う前に終わるほどの短さということだろう。二首目、縫いぐるみは全身を針で縫われているが、その中心には虚無があるという。三首目の死体安置所は自転車置き場の喩だろう。自転車の骨は車輪のスポークのこと。四首目を読むとどうしても岡井隆の「生きがたき此ののはてに桃ゑて死もかうせむそのはなざかり」という歌を思い浮かべてしまう。このあたりには岡井の影響が色濃く感じられる。五首目は鳥の歌で、鳥は歌人に好まれる素材だ。この歌にも死が暗い影を落としている。

 かと思えば次のような美しい歌もある。

ひとびとは傘をわづかに傾けて咲かせてゆきぬ淡い雨へと

なみだまで届かなかつた表情で服にほの光る冬の釦を

刮目せよ一縷のたましひ草花はそれぞれの燃える生を俯き

秋昏れて訣れむとする胸と胸その断崖へ紅葉ちりやまぬ

この世には花を拾へばつめたさに雨を思へるゆびさきがある

未だなき季節のもとへ雨よゆけ足には薄きさくらばなしき

 これらの歌は「花と雨」路線そのもので、一読してうっとりするほどの美しさだ。しかしこのような歌ばかりで歌集を編むことができなかった理由はあとがきが明かしている。それによると藪内は高校生の頃からタナトフォビア(死恐怖症)に苛まれているという。やがて訪れる死とともに世界が消滅する恐怖に居ても立っても居られなくなる強迫神経症の一種である。

 確かに死は恐ろしい。深夜に目覚めて死の思いに取り憑かれる人は少なくなかろう。死の恐怖にどう対処するか。死の向こうにもう一つの生を信じる宗教を持っていればよいのだが、そうではない人のために腹案がふたつある。

 ひとつは物理学の質量保存則に訴える方法である。質量保存則とは、燃焼などの化学反応の前後で物質の総重量が変わらないという法則である。その理由は原子は不変だからだ(ただし、ウラニウムのように原子量が大きく自然崩壊する元素は除く)。私が死んで火葬に付されたとして、身体の70%を占める水は水蒸気となり、他の炭素や水素や窒素なども空気中に蒸散する。残った骨の主成分は炭酸カルシウム (CaCO3)である。それらの総量を加算すると生前の私の体重と一致する。空中に飛散した分子はやがて雨となり地上や海中に落下する。そして植物や動物に吸収されて他の生物の一部となる。私を構成する原子はひとつも失われることなくただ形を変えるだけだ。道端に咲いているタンポポの中に元は私の身体の一部だった原子があると想像すると楽しいではないか。

 もうひとつは生物学を援用するやり方だ。ペットとして人気があるハムスターの寿命は約2年と短い。それは個体を早く成熟させるためで、ハムスターは生後6ヶ月で出産可能になる。寿命を短くして子孫を多く残すという戦略を採用したのだ。種の繁栄のためには個体の早い死が必要とされる。死は生の一部としてあらかじめ組み込まれているのだ。それが生きるということの有り様である。

 私たちの身体を構成する細胞は常時分裂している。細胞分裂が早いのは、毛髪・爪・口内などの粘膜・腸壁などで、口の中にできた傷の治癒が早いのはこのためだ。骨も7年くらいで細胞が入れ替わっているそうだ。しかし細胞は無限に分裂することができない。細胞にはテロメアという回数券のようなものがあり、その回数券を使い切ってしまうとそれ以上分裂できなくなり、やがてアポトーシスを迎える。テロメアがあるのはおそらくDNAのコピーミスの蓄積を防ぐためだろう。このように生命の中には死がプログラミングされている。

 そのことをよく示す言葉を残したのが浄土真宗の宗教者である清沢満之きよさわまんし (1863〜1903)である。清沢は真宗大学(現在の大谷大学)の初代総長を務めた人だが、若い頃に当時は不治の病だった結核にかかり、死の恐怖と戦ううちに次のような思いに至ったという。曰く「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。」

 死が意味を持つためには、〈私〉を超えるものの存在を認めなくてはならないようだ。宗教ではそれは神であり来世で、物理学や生物学では自然を統べる大いなる原理である。そのことは短歌についても形を変えて当てはまるかもしれない。〈私〉を超えるものに向かって呼びかけるとき、短歌は大きな力を持つように思えるからである。

 

 

第392回 尾崎まゆみ『ゴダールの悪夢』

泰山木の白がなげきをおほふ歌おもひつつゆく海岸通

 尾崎まゆみ『ゴダールの悪夢』
 泰山木は両手を祈りの形に合わせたような白い花をつける。昭和初期の庭木としてよく植えられた。泰山木と棕櫚が植えられているのはその頃に建った住宅と見てまちがいない。海岸通は神戸の町の海沿いの道路で、かつての外国人居留地に接していたことから、貿易商社などが立ち並んでいた。確か昔、この通りにフランス領事館があり、留学する時にヴィザを申請に行った。健康診断が必要なので、紹介された医院に行くと、そこはとても病院らしくない怪しいビルの一室で、来ている人はほとんど外国人だった。たぶん船員だろう。海岸通りにはそんな思い出がある。

 なぜ白がなげきを覆う歌を思うのか。それは阪神淡路大震災で亡くなった人々と、生き残った人たちが受けた大きな被害を記憶しているからである。折しもこのコラムを書いている1月19日の二日前の17日は、大震災から30年経った記念日であった。TVでは一日中追悼番組を流していた。セレクション歌人『尾崎まゆみ集』に寄せた藤原龍一郎の解説「深き淵より」によれば、大震災が起きた1月17日は尾崎の誕生日だという。自分が生を受けたのと同じ日に町が壊滅的被害に遭うとは何という暗合だろう。第二歌集『酸っぱい月』は震災から3年後に刊行された鎮魂の歌集である。

破壊もまた天使であるとグレゴリオ聖歌が冬の神戸を駆ける

                    『酸っぱい月』

ペットボトルをみたす浄水わたくしの胸の屈折率のかなしみ

生きる重たさ今日の続きの黄昏にかならず墜ちて壊れる思ひ

 『ゴダールの悪夢』は2022年に出版された尾崎の第七歌集である。セレクション歌人『尾崎まゆみ集』を読んで本コラムの前身「今週の短歌」で批評したのが2004年のことだから、あれから20年近くの時が流れたことになる。大震災から30年近く経って刊行された本書にも鎮魂の思いは燠火のように消えていない。

白にまじれる赤のひかりはいのちなりルミナリエとは祈りであれば

眩しさのなかにわたしの踏みしめた瓦礫まみれのなつかしい街

誕生日ぬばたまの夢にうかびくる平成七年一月の街

火の匂する誕生日亜米利加の高速道路の毀れた写真

携帯とパソコンを買うメルアドは地震のときに欲しかったもの

 一首目のルミナリエは、震災の年の暮れから犠牲者を追悼するために開催されているイルミネーションである。四首目の「火の匂する誕生日」は、第一歌集『微熱海域』所収の「大杉栄、山口百恵、私の誕生日火の匂ひして」と響き合う。日本で携帯電話が爆発的に普及したのは1996年からなので、震災の年にはまだ携帯電話を持っていない人が多く、インターネットを介したパソコン通信もまだ普及していなかった。そういった当時の事情が思い起こされる。

 本歌集で一番多く詠まれている題材はまちがいなく「月」だろう。本歌集は「月の歌集」と呼んでもよいくらいだ。

生きものは匂もつもの真夜中の少女に月のにほひが染みて

おほぞらに月と呼ばれるもののかげあの三輪山の背後をてらす

ほのじろく透ける繊月爪の痕空をすうつとひらく傷口

蘭鋳らんちうのあぎとふ水にくずれつつ月の舟ゆふぐれにゆらめく

のりしろを剥がしてひらく記憶ありそこにも架かる上弦の月

煌めくは豆名月また栗名月クロスワードパズルを照らす

 上に引いた歌以外にもまだまだある。また第II章「水の愛撫」の冒頭には、「おほぞらの月のひかりしきよければ影見し水ぞまづこほりける」という『古今集』の歌が引用されていて、作者の月に寄せる思いが感じられる。六首目の豆名月と栗名月はどちらも陰暦9月13日の月をさすらしい。

 尾崎の歌に詠まれた月は、王朝和歌の花鳥風月の月を思わせつつも、そこには個人的な思い入れがあるように感じられる。それは三首目に見られるように、繊月せんげつや細い三日月が夜空が負った傷口のように見えるという見立てである。それは満月がほとんど詠まれていないことからも察することができる。夜空に開いた傷は神戸の街が震災で負った傷とも取れるが、私たちがいやおうなく生きて負う傷と取ることもできよう。四首目に詠まれたあぎとう金魚もstruggle of lifeの隠喩と見ることもできるかもしれない。

 本歌集を一読して気づくのは、絵画・彫刻・文学・音楽などの芸術作品に触発されて詠まれた歌が多いということである。

曲線をたもちつつ右のはうへとヴィーナスのしろい胸の骨格

アーモンド形の眸のテッツアーノあの肌色の白いほてりを

愚かとふ貴い徳のものがたり潤一郎の「細雪」には

L’Arc~en~Cielのゆらぎの声の網貂明朝てんみんてうの文字の妖しさ

ころがってゆくビー玉を追ひかけてシューベルトの「鱒」のメロディーの揺れ

愛はうしろに沈む誰かのかなしみを浴び花ひらくクリムトの絵も

なだめては歪みのなかにぜつぼうをエゴン・シーレの枯れた向日葵

手弱女としろき光の波のゆれ緑の日傘モネのよろこび

青空に沁みる紫陽花ヴィスコンティ「ヴェニスに死す」の蒼い感傷

 一首目はルーブル美術館を訪れた折の歌だろう。右へ回って鑑賞する〈私〉の動きが折り込まれている。見ているのはもちろんミロのヴィーナスだ。二首目のテッツィアーノはヴェネチア派の画家で、官能的な色使いが特徴。ヴェネチア派の絵画は日本ではほとんど見ることができないのが残念だ。四首目の貂明朝は、パソコンソフトで有名なAdobe社のタイポデザイナーの西塚涼子がデザインした字体である。字体のくねりとロックバンドL’Arc~en~Cielのボーカルの怪しい声のうねりを重ねている。五首目はシューベルト作曲のピアノ五重奏『鱒』の弾けるようなピアノの音を転がるビー玉に喩えた歌。六首目はウィーンで活躍した死と性愛の画家クリムト、七首目は少し年下で痙攣するような自意識の美を描いた画家のエゴン・シーレを詠んだもの。一昨年、東京都美術館でエゴン・シーレ展が開催されて日本でも人気が高まっている。八首目はモネの「日傘をさす女」の絵が題材で、九首目はヴィスコンティの名作映画『ヴェニスに死す』だ。ダーク・ボガードの演技とマーラーの交響曲が印象的だった。

 絵画などの芸術作品を題材として歌を詠むのはなかなか難しい。しかしクリムトやシーレの歌は作品世界に入り込んで成功している例だろう。尾崎の師の塚本邦雄も芸術作品に題を得た短歌をよく作っており、シャンソンを論じた『薔薇色のゴリラ』(1975年、人文書院)という本まであるくらいだ。尾崎の短歌にも掌編小説のような味わいがある。固有名を短歌に詠み込むと、固有名から立ち上る濃密な意味世界を召喚することになる。詳しくは本コラムの「固有名の歌」を見られたい。

指先は雛のこころのうらがはをなぞりつつはなびらのかたちに

白い足首のつめたさ擦れ違ふくれなゐの濃きペディキュアの爪

水なき空のみづを含んでゆれてゐる靄ふかく青空は遠くて

甦るいのちであれば玉蜻(たまかぎる)ほのかはぢらふくれなゐの芽は

なきがらは流れるままにアスファルトゆらめきに蟬の声のとろけて

右の眼にこれから先の愁ひなど左眼は過ぎた日日のゆらぎを

 本歌集の中で一番長く立ち止まった歌を引いた。これらの歌には第一歌集『微熱海域』以来よく見られる、定型を危うく外れそうになりながら、ぎりぎりの所で留まる韻律の揺れがあり、それが尾崎の短歌の魅力となっている。

 最後に一点だけ。第I章の最後の連作の題名が「白傷きらめく」となっているが、二首目は「まどろみをさそふ電車の窓の海の自傷きらめく傷跡の波」で、「白傷」と「自傷」とで漢字か違っている。「白傷」という言葉は聞き慣れないので、おそらく「自傷」のまちがいではないかと思うが、目次も「白傷」となっているのでわからない。

 

第391回 遠藤由季『北緯43度』

驟雨去り歩道にひらく反転の世界に深く蒼き空あり

遠藤由季『北緯43度』

 驟雨はにわか雨なので、季節は夏だろうか。雨があがると歩道に水溜まりができている。水溜まりは短歌ではにわたずみとも呼ばれていて、歌人に好まれる素材だ。水溜まりに青空が映っている。鏡像はふつうは左右が反転するが、水溜まりは水平で、それを斜めの角度から見ているので、上下が反転したかのように見える。水溜まりの中にもうひとつの世界がある。しかしこの歌に続けて「みずからの深きところにひろげたる蒼知らぬまま消える水溜まり」という歌が置かれていて、その世界はたまゆらのものだという認識がある。しかし翻って考えてみれば、私たちの生きているこの世界もそれほど永続的なものかという疑問が心をよぎる。コロナ禍のパンデミックを経験した今となっては、その問はそれほど馬鹿げたものとも思えない。

 『北緯43度』は遠藤の第三歌集で、2021年(令和3年)に上梓されている。遠藤は1973年生まれで歌林の会に所属しており、第一歌集『アシンメトリー』(2010年)、第二歌集「鳥語の文法」(2017年)がある。私は両方とも本コラムで取り上げているので、本歌集で三度目ということになる。意図して全部取り上げて論評しようとしたわけではなく、「次はどの歌集を読もうかな」と書庫を漁って自然にそうなっただけである。歌集題名の『北緯43度』は札幌の緯度で、彼の地を訪れた折の連作から採られている。版元は短歌研究社で、装幀は花山周子。あとがきによれば、『短歌研究』誌などに発表した短歌を中心にまとめたもので、二転三転して最終的に形となったのは新型コロナウィルスが蔓延する前の世界をパッケージしたものだという。確かに新型コロナのパンデミック以前と以後とでは、世界のあり方がずいぶん変わったと感じられるので、それ以前の世界をとどめておきたかったという作者の願いも無理からぬものがある。

 私小説というわが国特有の文芸形式を除けば、短歌ほど作者の人生が反映される文芸はない。それはひとえに明治時代の短詩型文学革新運動の結果、短歌は〈自我の詩〉となったからである。それによって近現代短歌は、花鳥風月の美意識と様式美が重んじられた和歌の伝統と別れることとなった。

〈御社〉へは膝上スカート穿いてゆけ不思議な呪い今もあるらむ

ストッキングと笑顔で氷河を渡らんと挑戦したり若きわたしは

おんなゆえ減点されたり墨染めのたそがれに咲いているゆうがお

久しぶりに給与を得たり皆人の得るべきという給与を得たり

この夏の母に受給の始まった年金われらにはしんきろう

苗字戻さず誰かと墓石を分かち合うこともなからむわたしの骨は

 作者の遠藤は第二次ベビーブーム(1971年〜1974年)の時代に生まれ、大学を卒業した頃は就職氷河期だった世代である。そんな時代を生き抜いて来た女性の姿が上に引いた歌によく現れている。一首目は入社試験の面接で、「御社」は試験を受ける会社を指す常套句。私は入社試験というものを経験したことがないのでわからないのだが、女子は膝上スカートを穿いて行けという暗黙のルールがあったのだろうか。二首目は就職氷河期世代の心意気を表す歌。四首目には「再就職」という詞書があるので、それまで勤めていた会社を辞めて再就職した折の歌だろう。五首目、母親は65歳となり年金受給が始まったが、自分たちの世代がその年齢を迎えたころに年金制度がどうなっているのかわからない。六首目を読むと、作者は離婚して苗字を旧姓に戻していないようだ。だから苗字の同じ元夫の墓にも、苗字が異なる親の墓にも入らないのだ。しかしそのような身の上を歌に詠みつつも、いたずらに嘆くことなく強く生きようとする姿勢が感じられる。

 文体は新仮名遣いの文語(古語)定型に口語(現代文章語)を取り混ぜたもので、川本千栄の言うキマイラ文語である。言葉の選び方と連接の手つきは揺るぎなく、読んで歌意がはっきりしない歌は一首もない。増音のほとんどはセオリー通り初句で行われていて、前衛短歌の遺産である下句での句割れ・句跨がりも非常に少ない。近代短歌の語法をしっかり守った歌風である。コトバ派の歌人は短歌文体の更新を目指すことがあるが、遠藤は人生派の歌人なのでそのようなことは目指さないのだろう。そのような歌風なので、毎日の暮らしのあらゆる場面が歌の素材となる。

血を分けた存在なれど他人の子 姪と子のなきわれの焼き肉

飢餓あるいは発熱により突然の別れとなりぬiPhone 6

夏風邪にからだは正直者となりうどんとプリンを食べたいという

この町には良いパン屋なしと思いつつそれから十年その町に住む

 作者には姉がいるらしく、一首目の姪はその姉の子で、いっしょに焼き肉を食べている。若い人には焼き肉が一番だ。二首目は愛用のスマホが突然故障した様を詠んだもの。三首目は夏風邪に罹ったときの歌。こういうときは誰でも喉通りのよい食べ物が欲しくなる。作者は無類のパン好きらしく、四首目のようにパンを読んだ歌が散見される。余談ながら京都人はパンが大好きで、私が住んでいる左京区はパン屋の激戦区である。このように日々の生活とともにある歌というのが、近現代短歌のひとつの典型的なあり方で、新聞の短歌欄に投稿される歌も同じ大陸の住人である。

 しかし遠藤の美質がこのような歌にあるかといえば、私にはあまりそうは感じられないのである。次のように叙景に徹した歌のほうが良いように思われる。

並べたる翡翠の色を夏の陽に磨かれアオスジアゲハは照りぬ

噴水のしぶきが風に散るたびに子らはひかりをくぐる幾度も

冬枯れのあめりかやまぼうし累々と分離帯からはみ出さず立つ

銅色に照りつつ蟬は啼いているしずかに閉じるまぶたの中に

一斉に藤の花房煽られて抜け道のような風を見せたり

 とはいえこれらの歌は単なる写生ではない。一首目では「並べたる」に蝶の羽根の模様がまるで翡翠を並べたようだという喩が折り畳まれていて、二首目では噴水の噴き上げる水がまるで光の煌めきのようだという把握がある。三首目の「累々と」は、同じものが連なる様を表すが、その他に志を得ない、あるいは元気をなくしている様も表す意味がある。街路樹の冬枯れのヤマボウシには分離帯をはみ出す気概がないのだ。四首目、啼いている夏蟬の叙景かと思えば、下句に至って実は歌の中の〈私〉は目を閉じていることが明かされる。五首目、藤棚に一陣の風が吹き抜けて開いた空間を抜け道と捉えている。このように写生に基づく叙景歌に気づきにくいほどの量の心情を織り交ぜるところに遠藤の真骨頂があるように思う

 歌集を読むと教えられることが多い。たとえば次の歌がそうだ。

よくきょうを光らせて発つ鳥だったドアミラー照り返したあの人

 小中英之に『翼鏡』という歌集があり、珍しい言葉なので小中の造語かと思っていた。遠藤の歌にもあったので調べてみたら、鳥の風切羽の一部で金属的な光沢があるのでそう呼ばれているという。何とも風雅な名称かと感心した。

キラルなるわれの両手で明日よりは煮炊きすさよなら化学薬品

キラル (chiral) はふつうの辞書には載っていない化学の専門用語である。ギリシア語の「手のひら」を意味する語に由来し、右手と左手のように重なり合うことのない鏡像異性体の分子構造をさす。遠藤は理科系の学問を学んだいわゆるリケジョなのだ。こういう歌をもっと作るとおもしろいだろうと思う。理系と短歌は実は相性がよいというのがかねてより私の持論である。

青みなきイルミネーション懐かしく銀座通りの電飾見つむ

 町を彩るクリスマスのイルミネーションに靑色がなかったのは、1993年に開発されるまで靑色のLEDがなかったからである。靑色LEDを開発した中村修二氏らはその後ノーベル賞を受賞することになる。こんな所にも理科系の視点が感じられる。

 最後に集中白眉の美しい歌を挙げておこう。

かもめ飛ぶ空から水面へ夜は垂れ沼の底まで暮れ尽くしたり

 ゆりかもめが飛ぶ千葉県北部にある手賀沼の風景である。「夜は暮れ」ではなく「夜は垂れ」とし、夕暮れが沼の底にまで及ぶ場面に想像を加えている。本来は詠嘆の意のない完了の助動詞「たり」にまで詠嘆が感じられるほどである。


 

第390回 太田二郎『季節の余熱』

生き延びることゆるされて耳寒し夜風に曲がる冬の噴水

太田二郎『季節の余熱』

 「ゆるす」にはふつう「許す」という字を使う。「許す」ならば「許可する」という意味で、やってよろしいとゴーサインを出すことである。「宥す」という字は、「まあよかろう」と大目に見ることを意味する。掲出歌の作者はどこかに生き難さを抱えている。しかしどういう成り行きか、まあ生き延びてもよかろうと寛恕を得て、いまだこの世に在るという思いを持っている。冬の夜の公園は無人である。ただ噴水だけが虚しく水を噴き上げていて、その水は吹きつける風に曲がっている。曲がる噴水が〈私〉の喩であることは言うまでもない。

 この歌集が私の目を引いたのは、塚本靑史が寄せた解題のせいである。それによると、太田が2016年に玲瓏に入会したとき、古株たちが「あの太田二郎」とどよめいたという。太田は1980年代に塚本邦雄が週刊誌で担当していた投稿欄の常連だったらしく、その筋では名高い存在だったようだ。巻末のプロフィールによれば、太田は1951年生まれ。塚本と寺山に影響されて29歳から作歌を始めたとある。投稿時代が長かったようだ。あとがきによると、短歌を始めたきっかけは塚本の言葉の魔術に衝撃を受けたからだという。歌歴は長いが『季節の余熱』は今年 (2024年)の夏に刊行された第一歌集である。歌集題名『季節の余熱』の季節は後に余熱を残すくらいだから、それは朱夏つまり青春にちがいない。

 塚本の影響下で作歌を始めた歌人ならば、その人はコトバ派にちがいないと思われるのだが、案に相違して本歌集に収録された歌には人生がぎっしり詰まっている。それは重くて生き難い人生である。

十五歳鬱が何かを知らねどもアッシャア家巻末の月光

鬱という重き字積みて吃水は深し乗り換えられぬわが船

秋の川あるいは鬱の置き場所はここかも知れず雲一つ浮く

生きるのがだんだん重くなる夕べ時は無傷で過ぎてはくれぬ

 一首目、十五の少年に鬱は無縁なるも、既にしてポーの世界に惹かれていたか。二首目、鬱という漢字は画数が多く、それを抱えた〈私〉という船は今にも沈みそうだ。三首目は希死念慮の歌で、この川の流れに〈私〉ごと鬱を捨てようかと思案している。四首目、黄昏が迫ると暗い思念か頭をもたげる。時は無傷ではないと感じるのは、過去に悔恨があるからだろう。

 その理由が奈辺にあるかは不明ながら、作者は人生に大いに生き難さを感じている。それは本歌集の章につけられた小題にも現れていて、「撤退」「難破船」「敗軍の兵」「傍観者」といった具合だ。

明日もかく生きよというか壁際に予定調和のごときワイシャツ

部屋の灯へ蕩児のごとく帰宅して脱いだ背広にぎっしりと闇

途中駅桜いっぽん咲きおればふと人生を降りる瞬間

地下街に紛れ込みたる蛾のごときわれか前後を死の挟み打ち

紺背広皮膚剥ぐように投ぐるとき溢れ出すわがうちのくらやみ

 作者は勤め人らしく背広とワイシャツを着用している。それは仕事に必要なものではあるが、〈私〉にとっては身の内にある言い知れぬ闇を包んで隠す第二の皮膚のようなものらしい。だから帰宅して背広を脱ぎ捨てると、包みこまれていた闇が溢れ出すのだろう。

 そのように日々を送る人にとって、ほんとうに恐ろしいのは過去ではなく未来である。「手帳」や「カレンダー」というアイテムが登場するのはそのためだ。

さしあたり死の予定なくまっさらの手帳一年分の未来が

死ぬ理由生くるよすがもともになく徹夜終えざらざらの舌先

日時計のごとく暮らしてその影のように消えむかこの地上より

ともかくも今日やり過ごしアリバイの外れ馬券は風に委ねる

生きているそれも何かの手違いで目覚め冷凍庫のごとき部屋

 二首目にあるように、作中の〈私〉には生きるよすががなく、生に意味を見出すことができない。かといって積極的に死ぬ理由もない。そんな〈私〉にとって、何の予定も書かれていないまっさらの手帳は恐怖である。作歌の技法としては、上に引いた「溢れ出すわが / うちのくらやみ」や、すぐ上の「徹夜終えざら / ざらの舌先」、 「目覚め冷凍 / 庫のごとき部屋」のような句割れ・句跨がりに前衛短歌の強い影響が見られる。しかし塚本が得意とした初句六音はあまり使わないようだ。

ママレード壜の底なる美しさ腐敗わが晩秋がはじまる

驟雨去る街路の凹み数ミリの水に沈みし空の深さよ

踏切の向こうもこの世 回送の列車は運ぶ空席のみを

つむじから踵へ至る弾劾のそれぞれ深く駅行くわれら

花瓶より百合引き抜けば生じたる花火が消えし後ほどの闇

ああどこにいても場違い珈琲のカップに充ちるたけなわの春

落ちてゆく夕日に向けばおのずから残照となるわれの西側

立つものはすべて祈りのかたちして鋭し雨の中の電柱

 特に注目した歌を引いた。巻末に初期作が掲載されていて、「野望破れたり初夏へ窓開き部屋に籠もれるバッハを放つ」のような清新な歌も捨てがたい。

 

 

第389回 小田桐夕『ドッグイヤー』

窓辺にはブリキの犬が置かれゐて胴の継目はくきやかにあり

小田桐夕『ドッグイヤー』

 喫茶店の風景だろうか。窓辺にブリキの犬のおもちゃが置いてある。ブリキ製のおもちゃは今ではもう作られることが少ないので、たぶん昔のものだろう。ところどころ錆びているかもしれない。製作時に半身ずつ作って繋いだので、胴体に継ぎ目がはっきりと見えている。そのような情景を感情を交えずに詠んだ歌である。

 しかし歌から何の感情も伝わって来ないかというと、そんなことはない。胴に継ぎ目を残したままずっと窓辺に置かれている犬のおもちゃに向ける暖かい眼差しが感じられる。またそのような姿で置かれているブリキ製の犬に対するかすかな憐憫の情も滲んでいるように思う。

 私たちは言葉で作られた短歌を読んで、なぜ作った人の心がわかるのだろうか。短歌に限らず、私たちは日頃から他人の感情や心を察して行動することがある。なぜ私たちには他人の心がわかるのだろうか。

 私が研究している言語学は、心理学を含む認知科学から多くのことを学んでいる。言語は認知の結晶だからである。私たちになぜ他者の心理や知識状態がわかるのかという問題は、「心の理論」(英 theory of mind / 仏 la théorie de l’esprit)と呼ばれ、昔から議論されている問題である。私たちには読心術という超能力はない。したがって何らかの方法で他者の心理を推論するプロセスがあるはずだ。

 現在では次のように考えている研究者が多い。私たちは自分の心の一部に、他者の心のメンタルモデルを作っている。そのモデルは、私たちが他者について知っていることや、他者の言動などを材料にして、無矛盾的に構成されると考えられる。

 言語学からひとつ例を挙げよう。日本語には自分が知らない単語には「というのは」とか「って」などメタ形式と呼ばれる記号を使うという規則がある。

 

 (1) Aさん : 昨日、Kさんの出版記念パーティーで、三枝さんに会ったよ。

   Bさん : 三枝さんって誰ですか。

 

AさんはBさんも三枝さんを知っていると思って話したのだが、Bさんは知らない人なので「って」を使ってたずねている。これなしで「×三枝さんは誰ですか」とは言えない。英語では Who is Saigusa?と言い、メタ形式は必要ない。

 おもしろいのは、日本語では相手が知らないだろうと思われる単語にも「という」を付けなくてはならないことである。

 

 (2) 私は京都で生まれました。

 (3) 私は山口県の三隅町という所で生まれました。

 

 山口県の三隅町という町はそれほど知られていない所なので、「という」を付けている。ちなみに三隅町は母方の祖父が住んでいた所で、画家の香月泰男の故郷でもある。一方、京都はよく知られているので付けていない。もし「私は京都という町で生まれました」と言ったら、「京都くらい知ってるわい」と言われてしまう。このようにメタ形式の使用が義務的な言語は日本語以外にはないようだ。日本語は相手の心の状態を察する言語なのである。

 私たちはこのように、自分の心の一部に他者の心のメンタルモデルを作っている。だから何かを見たときに、「あの人ならばこう感じるだろうな」と推測することができる。このモデルが共感の基盤になっていると考えられる。自分の心と他者のメンタルモデルの一致点が多いときに共感が生まれる。

 前置きが長くなった。小田桐夕は1976年生まれで、2014年から「塔」に所属している。第14回塔短歌会賞で次席に選ばれており、「記憶を残す╱継ぐ ─ シベリア抑留と短歌をめぐって」という評論で、塔の七十周年記念評論賞を受賞している。プロフィールなどで本人についてわかるのはこれくらいだ。『ドッグイヤー』は今年 (2024年)に上梓された第一歌集である。小島なお、梶原さい子、そして師の真中朋久が栞文を寄せている。

 歌集タイトルのドッグイヤーとは、直訳すれば「犬の耳」で、雑誌や本などで印を付けておきたいページの隅を三角形に折ることをいう。集中の「いくそたび巡るページか一冊はドッグイヤーに厚みを増して」から採られている。

 作者の歌風だが、旧仮名遣いを用いていることもあってか、所属する結社「塔」の歌人では珍しく、古典的でときには王朝的な雰囲気を纏う歌が多いのが特徴と言える。歌集の冒頭付近から引く。

文字を書く手とわたくしを撫づる手のおなじとおもへず まなぶたを閉ず

とほき灯のつらなりのごとき林檎飴あぢははぬまま思春期過ぎき

沸点がたぶんことなるひととゐる紅さるすべり白さるすべり

うしろから抱かれゆくことゆるすときあなたから取る鍵のひとつを

死をもつて話がをはる必然を両手のなかに撓めて夜更け

 一首目では、パートナーが書き物をしているときの手と、自分を愛撫するときの手とは表情がちがうとしている。二首目はお祭の夜店で売られているリンゴ飴を詠んだもの。紅色のリンゴ飴を遠い灯火に喩えている。短歌定型の最強の修辞は喩である。「つらなりのごとき」の増音が、リンゴ飴がたくさん並んでいる情景のアイコン的な喩となっているとも取れる。この歌では過去の助動詞は「けり」ではなく「き」がふさわしい。本歌集の隠れた主題はおそらく自己と他者の差異の確認なのだが、三首目はそれを端的に表した歌。沸点とは、何かに夢中になるポイントとも、怒り出す限界値とも解釈できる。下句の「紅さるすべり白さるすべり」がまるで童謡のようなリフレインの効果を出している。四首目、パートナーが自分をバックハグするとき、相手から鍵をひとつ奪い取るという少々恐い歌である。その鍵は相手に秘めていた小箱の鍵か。五首目では誰かの死で終わる物語を読んでいる。その結末は避けることができない必然である。しかし両手の中で撓めているのはペーパーバックの本だ。「必然」は抽象概念であり、撓めることができない。このように抽象と具象とを強引に連結するのもまた短歌の修辞のひとつである。

 作者はどうやら絵を描く人で、パートナーもそうらしいということが歌を読んでいるとわかる。

白紙つてこんなに広い コピックのさきを素足のやうに置きたり

窓のを見てゐる人を描くとき私のまなこは絵のなかの窓

病室でスケッチはじめミリペンで白い蛇腹の凹凸を追ふ

花嫁のまはりに薔薇を描きゆくきみは植物図鑑ひらいて

たのまれて絵筆を握るきみがもつとも描きたい世界とは、なに

趣味なのか仕事にするか迷ひゐしわがすぎゆきをふかく沈める

筆先になにかを探すやうな顔いくたびも見きこれからも見る

 一首目のコピックとは、デザイナーなどが使う水性の不透明マーカーで、色の種類が多い。三首目のミリペンとは、漫画家などが使う細い線を引くドローイングペンのこと。いずれも絵を描く人の専門用語だ。四首目、五首目を見ると、パートナーも絵を描くことがわかる。六首目からは絵を趣味とするか職業とするか迷っている様子が窺われる。

 画家であることは短歌製作にどのような影響があるか。画家とは、何よりも対象を視る人である。そのことは短歌における事物の描き方に影響するにちがいない。それはたとえば次のような歌に感ずることができる。

なびきゐるゑのころの穂のあひのみづ、うつりこむ街、町つつむ空

 えのころ草の穂が風に揺れている。穂と穂の間に小さな水面があり、その水に町の風景が反転して映っていて、その上に空が拡がっているという描き方は、視点の反転とズーム効果がありとても映像的だ。

 しかしながら物事を映像的に描くのが小田桐の短歌の眼目かというと、そうではないように思われる。

けふをまだ記しをはつてゐないのに罫線にかすれるボールペン

くやしさをおぼえてゐたい点描のなかにしずもる花のひとつの

いひわけを遠くの海に流したいすこしいたんだサンダル履いて

散りをへてかすかににほふだれかれのそしてわたしの血と葉とほたる

真冬にはしろく固まるはちみつの、やさしさはなぜあとからわかる

 一首目の日記を書き終える前にかすれるボールペンは、そのままの事実とも何かの喩とも取れるが、そこに未完の残余を思う気持ちがある。二首目でも点描の中の花は、実際に見た絵と喩との間をたゆたって、意味の未決感を漂わせる。読者にはなぜかがわからないが、その花は〈私〉の悔しさと結びついているらしい。三首目でも〈私〉は何かの言い訳をしたことを悔やんでいる。四首目は秋の紅葉を詠んだ歌だが、結句に不思議な激しさが感じられる。五首目では三句目までが序詞のように置かれている。それは後になって気づく人の優しさの喩としてもある。

 思うに小田桐は、毎夜に机に向かってその日の出来事を日記につけるように歌を作っているのではないか。その日の出来事はその時に感じた感情と結びついている。もしそうだとすると、歌は日々の感情の記録でもあることになる。これは小説や詩などの他の文芸にはない機能である。短歌が長く命脈を保ってきた理由はそのあたりにあるのかもしれない。

ためらひをふふめる筆の穂の先にかするるままにはらはらと、空

そそぎくるひかりの束をうけとめてちひさき傘は夏をただよふ

湿りゐる髪をたがひに持つことを夏のはじめの切符とおもふ

世のなかは空の瓶だとおもふ日にひときは響く雨音がある

ひらかるる日までひかりを知らざれば本のふかみに栞紐落つ

まなぶたにアイマスクの熱そつと乗す一日ひとひの底にいをは沈むよ

 特に印象に残った歌を引いた。書き写していて改めて感じるのは言葉の連接の滑らかさで、そのあたりに小田桐の歌が古典調と感じられる理由がありそうだ。ごつごつした手触りの観念的な言葉がなく、言葉から言葉への移行に無理がない。それは声に出して朗読してみるとよくわかる。

 集中で最も技巧的な歌はおそらく次の歌だろう。これもまた古典的な美を現代に蘇らせている。

葉のあひにひかりは漉され流れこむはだらはだらに午後のあやぎぬ