第313回 永井祐『広い世界と2や8や7』

横浜はエレベーターでのぼっていくあいだも秋でたばこ吸いたい

永井祐『広い世界と2や8や7』

 2020年に左右社から上梓された永井の第二歌集である。永井が2002年に第一回北溟短歌賞で次席に選ばれて短歌シーンに登場した時は、「トホホ短歌」「緩い短歌」の代表格と見なされて、年長歌人たちからずいぶん叩かれたものだ。しかし、その後の時間の流れの中で、永井が作る短歌の本質の理解はずいぶん進んだ。そのような変化の契機は大きく3つあったように思う。

 一つ目は2005年に行われた第4回歌葉新人賞である。この回の新人賞は笹井宏之が「教えてゆけば会えます」で受賞した。次席は宇都宮敦の「ハロー・グッバイ・ハロー」である。書肆侃侃房から「ねむらない樹」別冊として刊行された『現代短歌のニューウェーヴとは何か?』(2020年)に、永井が「第4回歌葉新人賞のこと」という文章を寄稿している。永井は全部で5回行われた新人賞の選考会では、第4回がベストだったと書いている。その理由は、笹井と宇都宮の対決は「一種のスタイルウォーズだった」からである。 

 少し抜き出して引用してみる。

「遠いところを目指す笹井の歌に対して近いところの見方を変える宇都宮の歌。表現の飛躍が魅力の笹井に対して、一字空けの間や『とりあえず』『ふつうに』などの言い回しから葛藤や空気感を伝える宇都宮」。「笹井の歌は一首での引用に向いている」が、「宇都宮の歌は三十首の流れやうねりにキモがある」。「その対立は口語短歌の行方にとって本質的である」、「当時、キラキラした言葉が飽和気味で行き詰まりかけていたネット / 口語短歌の中に新しい原理と方法を持ち込むものとして、宇都宮の歌はわたしに見えていた。」

 宇都宮の「ハロー・グッバイ・ハロー」には次のような歌が含まれていた。これも年長の歌人の目から見れば相当な「緩い歌」と見えるだろう。選考委員で宇都宮を推したのは穂村弘一人だったという。

真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは

それでいてシルクのような縦パスが前線にでる 夜明けはちかい

牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ

 明らかに宇都宮は永井と同じ方向性をめざしていた。キラキラした言葉ではなく、近いところの見方を変える歌という永井の言は、そのまま自身の短歌の特徴を語っていると見てよい。

 『短歌研究』2020年6月号は「永井祐と短歌2010」という特集を組んでいる。そのインタビューの中で永井は次のように語っている。歌を作り始めた頃は、穂村弘の影響が大きかった。しかしそれではだめだと感じて、自分の持っているものを自覚して文体に落としていく作業に時間がかかった、と。聞き手の梅崎実奈は、第一歌集の『日本の中でたのしく暮らす』に北溟短歌賞の「総力戦」が収録されているが、穂村っぽい部分が全部カットされていると指摘すると、永井は、テンションの高さやキラキラした部分はカットしたのだと明かしている。永井の短歌の文体は自覚的に作り上げたものであることがわかる。

 永井の評価の潮流が変化した第二の契機は、永井が何をやろうとしているかについての年長歌人の理解が深まったことである。たとえば『レ・パビエ・シアン II』2012年9月号の「若手歌人を読む」という特集に、大辻隆弘が「新しき『てにをは派』」という永井論を書いている。大辻は2011年7月に長浜ロイヤルホテルで開かれた現代歌人集会の「口語のちから・文語のチカラ」というシンポジウムに登壇した永井が語った言葉に瞠目したと明かしている。永井は、口語・文語・外来語といった様々な言語を「ツール」として選ぶという言語観を否定する。言葉とは、自分の存在を規定している「身体の延長」であり、口語は「自分が生まれた国」であるとする。またニューウェーヴ世代の短歌の不自然な口語と文語の混交に違和感を感じていたとも述べている。詳しく引くのは避けるが、大辻は永井の文体のキモは「てにをは」つまり助詞であり、助詞の選び方に永井独自の工夫があると熱く語っている。これはユニークな視点である。

 第三の契機は、ゼロ年代のリアル系歌人と呼ばれる若手に永井フォロワーが増えたことである。試しに『現代短歌』2021年9月号の特集「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」から引いてみよう。

特別な何かを手に入れたとしても幸せになれるかは、わからない

                          中野霞

気をつけてねと送り出されたこの道で死ねば気をつけなかったわたし

                          乾遙香

てきとうな感じで生きている人がいたっていいしいたってふつう

                         中澤詩風

 このような若者のしゃべり言葉に限りなく近い口語短歌は、永井や宇都宮が始めたものである。前衛短歌が積み残した使命として現代短歌の口語化を挙げる加藤治郎の短歌と較べてみると、そのちがいは一目瞭然だろう。

やりなおすことはできないどこからもどこからも鈍器のひかりあれ

                        『噴水塔』

韻律の香りのなかに言葉ありさよふけぬれば風は囁く

ひらがなの流れるような雲がゆくふるえるばかりひとひらの舌

 加藤の歌は美しいとは思うが、永井が違和感を感じたという文語と口語の混交とはまさにこのような文体を指すのだろう。日常の生活で、「さよふけぬれば」とか、「ふるえるばかり」なんて言う人はいない。

 「口語によるリアリズムの更新」という問題意識は、加藤治郎らのニューウェーヴ世代にもあったが、永井の特徴は、一見ハードルが低そうで、つい真似をしてみたくなるところにあると穂村弘は指摘している(『短歌研究』2020年6月号所収「作り手を変える歌」)。永井が北溟短歌賞でデビューしたときにはそれと意識されていなかった「リアリズムの更新」というテーゼが、その後時間が経つにつれて短歌シーンに徐々に浸透していったということになろう。

 前置きが長くなったが『広い世界と2や8や7』である。まず数字に意味があるのかと考えてしまう。合計すると17になるが、俳句ではないのでこれには意味はあるまい。収録されている連作のタイトルにも、「それぞれの20首」「7首ある」「12首もある」のようにとぼけたものがある。永井は意識的に不必要な意味を消去しているのだ。

よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから

ライターをくるりと回す青いからそこでなにかが起こったような

オレンジ色に染まってる中央通り 市ヶ谷方面 酒屋を右に

雪の日に猫にさわった 雪の日の猫にさわった そっと近づいて

待てばくる電車を並んで待っている かつおだしの匂いをかぎながら

 永井は単に歌を不自然な文語から解放して、若者の日常のしゃべり言葉で書こうとしているわけではない。日常の言葉を写しただけでは詩にならないからである。できるだけ口語で書いてポエジーを発生させるには文体の工夫が必要である。永井は意識的な文体派なのだ。穂村の言うように、ハードルが低そうでつい真似をしてしまう人とのちがいはそこにある。

 一首目は巻頭歌である。ここには手の込んだ倒置法が使われている。正置に戻すと、まず三句目までと残りを「ジャケットでジャケットでしないことをするからよれよれにジャケットがなる」とひっくり返し、次に「よれよれにジャケットがなる」を「ジャケットがよれよれになる」とまたひっくり返す。残りは「[ジャケットでしないこと]をジャケットでするから」と入れ子構造になっているという複雑な文になっている。穂村と山田航はこの歌を「これはやりすぎだね」と評しているが無理もない。

 二首目の工夫は「青いから」にある。ライターを手の中で回すのは、人が無意識によくする行為だ。しかし「青いから」と「そこでなにかが起こったような」の間に論理的連関はない。論理的連関を断ち切ることによって意味の脱臼が起こり、言葉は日常の地平を離れて浮遊し始めるのである。三首目は意図的に助詞と述語を省略することによって、言葉の連接を疎外して、「言いさし感」と「言い足らず感」を浮上させている。四首目は永井を「てにをは派」とする大辻ならば喜びそうな歌である。「雪の日に猫にさわった」の「雪の日に」は時間指定を行う連用修飾句であり、文全体に掛かる。一方、「雪の日の猫にさわった」の「雪の日の」は「猫」に掛かる連体修飾句であり、「雪の日の猫」という大きな体言内部で完結している。「雪の日に猫にさわる」という体験を通して、猫は単なる猫ではなく「雪の日の猫」という一回限りの特性を帯びることになる。言わば外部が内部へと浸透するのである。五首目は通勤のために駅のホームで電車を待っている光景だろう。かつおだしの匂いというのは、駅のホームにある立ち食い蕎麦の店から漂う匂いだろうか。この歌でおもしろいのは「待てばくる」だろう。駅なのだから待てば来るのは当たり前である。当たり前のことをわざわざ言うのはどこかおかしい。そのどこかおかしい感が日常の言葉と少しずれを生んでいる。

 永井の短歌のもうひとつの特徴を挙げておきたい。ものすごく乱暴に短歌を二分すると、「名詞中心の歌」と「動詞中心の歌」に分けられる。名詞中心の歌の代表格は何と言っても塚本雄だろう。

煮られゐる鶏の心臓いきいきとむらさきに無名詩人の忌日

                   『日本人霊歌』

ペンシル・スラックスの若者立ちすくむその伐採期寸前の脚

                    『緑色研究』

 名詞は基本的に動きを表さず、時間性を内包しない。このため名詞中心で描かれた光景は、あたかも一幅の絵画のごとく凍り付いたように空間に固定される。それゆえ結像性が高く、読む人の心に視覚的印象が深く刻まれる。永井の歌集にこのような歌は一首もない。永井は動詞中心派なのである。

デニーロをかっこいいと思ったことは、本屋のすみでメールを書いた

目をつむり自分が寝るのを待っている 猫はどこかへ歩いて行った

とおくから獅子舞を見る 駅ビルの階段の上でゆっくりうごく

 永井が動詞中心派なのは、ふつうの世界に生きている〈私〉の「今」を表現したいからだろう。一首目や二首目のように過去形の「タ」で終わる歌もあるが、三首目のように非過去形の「ル」で終わる歌も多くあり、この歌のように一首の中に動詞が複数使われているものもある。それが〈私〉の「今」とどうつながるかは、別の所に書いたのでここでは繰り返さない。

 文体派の永井の面目躍如の歌集である。本歌集は今年の大きな話題となるだろう。

 

第312回 山下翔『温泉』

檀弓まゆみ咲くさつきのそらゆふりいづる母のこゑわれにふるへてゐたり

山下翔『温泉』

 山下翔は1990年(平成2年)生まれで、2007年頃から作歌を始めたという。17歳だからまだ高校生か。九州大学理学部に入学後、しばらくしてから短歌に力を入れるようになり、九州大学短歌会を創設して代表になる。第一歌集『温泉』に収録された50首の連作「温泉」は、『九大短歌』第4号 (2006年) に掲載されている。他の会員が10首や20首の出詠の中で、50首の連作は異例である。早くから連作を構成する技量を持っていたことがうかがえる。山下が注目されたのは、現代短歌社賞で二度にわたって次席になったことによる。第1回目のタイトルは「湯」、第2回目が「温泉」であった。選考委員だった外塚喬は、「二十代の若者ならもう少しかっこいいタイトルを付けてもよいだろうと思った」と栞文に書いている。

 『温泉』は2018年に現代短歌社から上梓された第一歌集である。栞文は島田幸典、花山周子と外塚喬。本歌集は第44回現代歌人集会賞、第63回現代歌人協会賞、福岡市文学賞を受賞している。現在「やまなみ」所属。

 瀬戸夏子は『はつなつみずうみ分光器』で山下を紹介する文章を「いぶし銀の新人の登場であった」と始めている。「現代短歌ではなく、近代短歌の継承者が突然姿を現した」、「とにかくいい意味でいまどきの若者らしくない」と続けて、「大物だ」と締めくくっている。どうやら、いまどきの若者らしくない近代短歌というのがキーワードのようだ。さてその作風はというと、なかなかに個性的で確かにおおかたの現代の若手歌人の短歌とはひと味ちがうのである。

店灯りのやうに色づく枇杷の実の、ここも誰かのふるさとである

厚切りのベーコンよりもこのキャベツ、甘藍キャベツ愛しゑサンドイッチに

そんなに握りつぶしてどうするまた展く惣菜パンの袋であるに

みりん甘くて泣きたくなつた銀鱈の皮をゆつくり噛む夏の夜

食べをへた西瓜の皮のうつすらと赤みがかつて夕空かるし

 一首目、熟れた枇杷の実の橙色が飲み屋街の店の灯りのようだと述べる韻律のよい上句は突然分断され、下句はつぶやくような口語の感慨へと転じている。この転調は山下の得意技である。二首目はキャベツとベーコンを挟んだサンドイッチの歌で、後でも述べるが山下には飲食の歌が多い。山下はよほどキャベツが好きなのか、キャベツの歌が他にもある。この歌では特に統辞の工夫に注目したい。三句目で体言止めして、「甘藍愛しゑ」といったん感慨し、最後にサンドイッチという正体を明かす。この出し方に工夫がある。三首目は口語脈で独り言のような歌で、惣菜パンを入れた袋を強く握りすぎているという瑣事を詠む脱力系である。こういうとぼけた味わいの歌も多い。四首目は男一人の飲食の歌に侘しさが漂う。侘しさは短歌によく似合う。高額の宝くじに当選したという短歌は見たことがない。五首目は三句目までが「赤み」を導く序詞のように作られていて、山下はこのような技法を好んでいるようだ。次のような歌もある。

朝食のふぐのひらきのしろたへのウエディングスーツきみも着るのか

 栞文で島田幸典は「この歌集で最も輪郭濃く描かれた登場人物は、お母さんである」と述べている。確かに島田の言うように、本歌集には両親を詠んだ歌、とりわけ母親を詠んだ歌が多くあり味わいが深い。

母がまだ煙草を吸つてゐるとしてやめようよなんて言つてはいけない

母の日を過ぎてそろそろ誕生日の母をおもへど誕生日知らず

母の通ひ詰めたるパチンコ店三つひとつもあらずふるさと日暮れ

四十代さいごの年を生きてゐむ母にさいはひあるならばあれ

会はないでゐるうちに次は太りたる母かもしれず 声を思へり

 歌に描かれた母は、パチンコ屋に通い煙草を吸うというなかなか豪快な女性である。これらの歌にとりわけ味わいがあるのは、何か事情があって母親は作者と離れて暮らしているからである。「母にかはつてとほくから来るバスを見きつぎつぎに行き先を母へ伝ふる」という幸福な子供時代を回想する歌もあり、母親は作者にとって記憶の中に生きている思慕の対象であるようだ。

 記憶があやふやだが、永井祐の作る短歌は舞台が東京でないと成立しないと山田航がどこかで書いていた。それはひょっとしたら西田政史の『ストロベリー・カレンダー』(1993年)あたりからはっきりした傾向となって、現在まで続いているのかもしれない。無機質で風土性の欠如した都市空間は様々なものを漂白して提示する。どこまでも続くユークリッド空間のように凹凸と陰翳がない。しかし山下の歌には強い風土性が感じられ、これも現代の若手歌人にはあまり見られない特色となっている。

この墓がどこに通じる友人の精霊しやうろう流しの手伝ひに来て

新盆の家をまはると細き路地に船押す人と曳く人とあり

母がしてゐたやうに花買ひ水を買ひ生家の墓へと坂をのぼりつ

鬼灯を今年は買つてまぜてみる墓に冷たく祖父が来てゐる

ふるさとに見過ごすもののおほきゆゑ今年は咲いて百日紅あり

 お盆に故郷で墓参りをする光景が描かれていて、九州なので精霊流しの船もある。生家の近くには先祖の墓があり祖父も眠っている。私の世代ならごく普通の景色だが、現代の都市に暮らす若い人たちには「日本昔ばなし」の世界だろう。こういうところにも山下が近代短歌の血脈を継ぐと言われる理由があるのかもしれない。

 先にも書いたように本歌集には飲食の歌が多く、どれもおもしろい。

それでキャベツを齧つて待つた。焼き鳥は一本一本くるから好きだ

戻り鰹のたたきの下のつましなれば玉ねぎのうすらうすら甘かり

円卓をまはせばここに戻りくる あと一人分の酢豚をさらふ

ざく切りのキャベツちり敷く受け皿にまづバラが来てズリ、皮、つくね 

ほの甘いつゆにおどろくわが舌がうどんのやはきにもおどろきぬ

 どの歌もいかにもおいしそうに詠まれていて、作者にとって飲食が楽しみであることが伝わってくる。四首目は焼き鳥の歌だが、「回転の方向はそれ左回り穴子来て鮪来てイカ来て穴子」という小池光の回転寿司の歌を想起させる。「つましなれば」をさらりと潜ませるなどなかなかの腕だ。このような飲食の歌もまた、近代短歌に通じるところがある。よく知られているように、斎藤茂吉もまた食べることに人一倍執着があり、大好物は鰻だったというのは有名な話である。

ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも

ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食ふは樂しかりけり

 山下は本歌集の巻頭に、「山道をゆけばなつかし眞夏まなつさへつめたき谷の道はなつかし」という斎藤茂吉の『つゆしも』の歌を引いているくらいだから、茂吉の短歌世界に引かれているのだろう。『現代短歌』2021年9月号の「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」で山下は、最も影響を受けた一首として「たくさんの鉢をならべて花植ゑし人は世になし鉢ぞ残れる」という小池光の歌を挙げて、助詞の「ぞ」による係り結びにことに打たれると書いている。いまどきこんなことを書く若手歌人は他にはいない。

 本歌集で特に印象に残った歌を挙げておこう。

 

はつなつのものみな影を落としゐる真昼もつともわが影が濃し

橋ひとつ渡りをへたるかなしみは朝、後ろから抜けていく風

前に出す脚が地面につくまへの、ふるはせながら人ら歩めり

追ふともう二度と会へなくなるんだよとほく原付のミラーひかつて

ほとんど平らな橋の広さを見下ろせば雪のゆふぐれに人は行き交ふ

思ひ出すだけならあなたは死者になる冬の終はりの長い長い雨

真中なるもつとも長きひと切れのロースカツ食べつ春はさみしよ

スケートボード足に吸はせて跳ね上がる六月はじめの空あかるくて

たれの死にもたちあふことのないやうなうすい予感に体浮くことあり

 

 『温泉』のモノトーンの表紙は良く言えば渋く、悪く言えば地味だ。中の紙も上質紙ではなく、わざとざらつきの多い粗悪な感じの紙を使っていて、装幀にもポリシーが感じられる。瀬戸夏子は目を懲らして見ると、表紙には斎藤茂吉の写真がシルエットになっていると書いているが、私はいくら目を懲らしても見えなかった。目が悪いのだろうか、確かに老眼ではあるけれど。山下は第二歌集『meal』を準備中だという。タイトルから想像するに、全篇飲食の歌だろうかとも思うが、まさかそんなことはあるまい。

 蛇足ながら山下は九大短歌会の代表を辞していて、後任は石井大成だという。石井はいくつかの短歌賞で佳作・次席になり、「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」にも取り上げられているので少し引いておこう。

はたはたとティッシュ舞う夏の洗濯よ不在は在の、あなたの影だ

雪見だいふくだとあまりにふたりで感なのでピノにして君の家に行く 月

気持ちはもう思い出せずにただ白い箱が窓辺で日を浴びている


 

角川『短歌』8月号歌壇時評「口語によるリアリズムの更新」

 永井祐の第二歌集『広い世界と2や8や7』(左右社)が昨年(二〇二〇)十二月に出版された。第一歌集『日本の中でたのしく暮らす』(二〇一二)以来八年振りである。第一歌集はBookParkからオンデマンド出版され、すでに入手不可能になっていたが、昨年春に短歌研究社から同じ装丁で再刊されている。『広い世界と2や8や7』はさっそく『短歌研究』の今年六月号の作品季評で取り上げられていて、評者の穂村弘、佐藤モニカ、山田航が縦横に論じている。

 季評の冒頭で山田は、「口語のリアリズムということで言えば、いま最先端のことをやっているのはやはり永井祐ではないかと思っています」と発言し、それを受けて穂村は、「永井さんがデビューしたときはまだはっきりとは見えていなかった作家性が徐々に短歌の世界に浸透して」きたと指摘し、永井の作る短歌が「リアリティの捉え直しというか、そういうメタ的な精度を短歌に導入した」と述べている。

 山田は最近しきりに穂村の唱える「口語によるリアリズムの更新」に言及している。たとえば『ねむらない樹』第六号(二〇二一、書肆侃侃房)の「二〇二〇年の収穫」というアンケートで山田は、「二〇二〇年の短歌のキーワードは、穂村弘が提唱した『口語によるリアリズムの更新』だろう。永井祐、宇都宮敦、仲田有里、山川藍など二〇〇〇年代以降に登場した口語歌人たちの中に、単に現代語を用いているというだけではなく、日本語の自然なしゃべり言葉の語順に近づけようとする志向が表れていることを指摘した」と書いている。

 思えば、「わがまま派宣言」「短歌のくびれ」、「棒立ちのポエジー」、「一周回った修辞のリアリティ」、「圧縮と解凍」など、現代短歌を語る上でよく用いられるキーワードを数々提案してきた穂村が提唱する新しいキーワードがこの「口語によるリアリズムの更新」である。

 穂村は『短歌研究』二〇二〇年六月号の「『永井祐』と『短歌2010』」という特集に、「作り手を変える歌」という文章を寄稿している。穂村は、俵万智、林あまり、加藤治郎、そして自分が初期に作った口語作品は口語短歌の模索時期に当たり、一九九〇年を越えて口語で短歌を作ることがふつうになって次のステージが開けたと回顧している。その幕を開けたのが永井らの若手歌人であり、短歌固有の口語表現の追究は、リアリズムの更新というアプローチを採ることになったとする。

 『短歌研究』六月号の作品季評に戻ると、穂村は永井の「携帯のライトをつけるダンボールの角があらわれ廊下をすすむ」という歌を取り上げて、臨場感があり自分もやってみたいという誘惑にかられると述べている。続けて山田は、「永井さんは自分を斜め上から見ている感じではなく、カメラそのものはずっと主体の目についていて、実況中継をしているような感じがありますね。スマホで動画撮影しながら歩いているときの視点だなと思います」と応じている。つまり「口語によるリアリズムの更新」が意味するところは、作歌にあたって自分を上から俯瞰する視点を取らず、臨場感を大切にして、「携帯のライトをつける」→「ダンボールの角が現れる」→「廊下をすすむ」のように、作中の〈私〉が知覚した順番どおりに場面を並べる表現方法ということになる。

 このような文体については、永井自身が参考になる文章を同人誌『率』第五号(二〇一三)に書いている。「土屋文明『山下水』のこと」と題された文章で永井は、文明の短歌に「雨のの花に遊べる蝶襲ふとかげを見居り鉛筆けづりかけて」のように字余りの歌が多いことを指摘する。そして一見削れそうに見えるこの字余りに命が宿っており、命の雑音が歌の言葉を余らせると書いている。続けて「我がかへる道を或いはあやまつと立つ秋のよる蛍におどろく」という歌を引いて、「一首の全体を上から俯瞰して構成する手が見えない。初句が出て、二句が出て、三句が出て、四句が出て、結句が出る。一首が時間的だ。そして、なぜそういう形になるのかと言えば、私たちの生がそういう形をしているからだろう。私たちはいつも結句を知らないまま、字余りしながら生きている。文明の歌を読むと、その『歌を生きる』態度の徹底ぶりにおどろいてしまう」と述べている。

 ここからわかるように、穂村の言う「口語によるリアリズムの更新」とは、単に文語に代わって口語やしゃべり言葉で短歌を作るということではない。そのような言語の位相の問題ではなく、素材となる場面を歌へと構成する作者の方法論の問題なのだ。わかりやすく箇条書きにすると次のようになる。

① 歌の素材となる体験を俯瞰的に再構成しない。

② 私たちは次の角を曲がった所に何があるか知らない。だから短歌を作る時にも同じ態度を取るべきである。

③ したがって作中主体である〈私〉の目に映った順番どおりに場面を描くことが新しいリアリズムである。

 永井はこのような表現方法を実作においてどのように示しているだろうか。『広い世界と2や8や7』の中からこのような方法論に符合する歌を引いてみよう。

電車に乗って映画見に行く 電話する おもちを食べたお皿をあらう

蚊帳のなかで寝苦しそうなお坊さん 窓よごれてる ベランダきれい

仕事するごはんを食べるLINEする 百均のレジに列ができてる

フィクションドキュメンタリー「荒川氾濫」をみる トーストを食べる また電車にのる

 一首目ならば「見に行く」→「電話する」→「あらう」のように並んでいる動詞は、作中主体の〈私〉が取った行動の順序を正確に反映していることがわかるだろう。

 もちろん本歌集に収録されたすべての歌がこのような手法で作られているわけではないが、「作中主体の知覚・行動の順序を遵守する」という「リアリズム」がふたつの問題を孕んでいることを見ておきたい。

 まず作中の〈私〉が移動する場合、歌の場面も切り替わるという点である。上に引いた四首目ならば、「荒川氾濫」を見たのはたぶん防災センターで、トーストを食べたのは近くの喫茶店で、電車に乗ったのは駅である。一首の中に場所が三ヶ所もある。それは歌の空間的な拡散を招く。空間的な拡散は印象の拡散につながり、一首の凝集力を低下させる。昔から一首の中に動詞をあまりたくさん入れない方がよいと言われているのはこのような理由による。

 空間的な拡散以上に短歌にとって重大になるのは時間的な拡散である。一首目を例に取ると、この歌の中には「電車に乗って」(時点1)「映画見に行く」(時点2)「電話する」(時点3)「おもちを食べたお皿をあらう」(時点4)のように、異なる時点が四つある(「おもちを食べた」は連体修飾句の中にあり、断定されていないので数えない)。空間的な拡散以上に時間的拡散は、歌の結像性を弱める。私たちはこのような歌を読むとき、明確な視覚的像を描くのが難しい。

曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径                                 木下利玄

たちこむる雨霧のなかしろじろと藤は円座の花のしずまり                                 坪野哲久

冬山の青岸渡寺(せいがんとじ)の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ 

                           佐藤佐太郎

 

 近代短歌のリアリズムの原則は、右に引いた歌に見られるように、作中主体の不動の一点からの写生である。一首目ならば〈私〉は曼珠沙華が咲いている道端に立って光景を見ていることが明らかである。二首目では〈私〉はおそらく雨に濡れながら藤棚の近くに立っている。三首目では〈私〉は那智の滝を正面に遠望する寺の庭にいる。このように〈私〉が不動の一点から見ることによって歌は高い結像性を獲得する。読者は作中の〈私〉の視点に仮想的に身を置くことによって、歌に詠まれた光景を脳内で追体験する。そして描かれた光景の背後に揺曳しているはずの作者の心情に触れるのである。このように近代短歌の描く光景は「視点込み」の光景なのである。そして視点の指定を制度的に担保しているのは歌の「空間的統一性」である。ところが永井の歌に見られる空間的拡散は、これと真っ向から対立する。読者は光景を見るべき視点に辿り着くことができないからである。

 このような現代の若手歌人たちの短歌に見られる時間的拡散という傾向は、永井が『率』に文章を書くもう少し前に既に指摘されていた。『短歌ヴァーサス』十一号(二〇〇七、風媒社)に掲載された斉藤斎藤の「生きるは人生と違う」という文章である。この中で斉藤は、第五回歌葉新人賞で次席になった中田有里の連作「今日」から次のような歌を引用して以下のように書いている。

本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある

カーテンの隙間に見える雨が降る夜の手すりが水に濡れてる 

「中田のわたしは、今橋のわたしよりもさらに、今ここの〈私〉の視点を徹底している。一首目。現在から出来事を整理すればたとえば、先週図書館で借りた本を返しに行く、となるのかもしれない。それを、本を持って╱帰って╱返しに╱行く、と書くことにより、本を持つ〈今〉、帰る〈今〉、返そうと思う〈今〉、行く〈今〉、と断続的に〈今〉がつらなってゆく。(…)一首のなかに、中田のわたしは生きている。中田の歌に人生はない。すっぱだかの生きるしかない。」 

 斉藤の言う断続的につらなる〈今〉とは、永井の言う「私たちの生がそういう形をしている」時間軸をそのまま反映したものであることは明らかだろう。

 永井祐の特集が組まれた『短歌研究』二〇二〇年六月号に「『日本の中でたのしく暮らす』の『時間』と『無意識』」という文章を寄稿した大森静佳も同じ点に触れている。大森は永井の歌では「複数の瞬間の把握や体感が同等に列挙される」ことがあり、永井は「『時間』を哲学する歌人だ」と述べている。続けて、現在形をいくつも連ねるタイプの文体については、大辻隆弘の『近代短歌の範型』(二〇一五、六花書林)所収の「多元化する『今』 ― 近代短歌と現代口語短歌の時間表現」に詳しいとして、大辻の議論を紹介している。

 この文章で大辻は、「近代短歌の叙述は、作者を『今』という固定された一つの時間の定点に立たしめることによって成立する」と説き起こす。そのことを茂吉の歌で確かめた後、「永井祐や斉藤斎藤ら現代の若手歌人たちの口語短歌は、この『今』という時間の定点を一箇所に固定させない」と述べて、永井祐の「白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう」という歌を引き、たばこの灰で字を書こうとした時点、いい言葉が思いつかない時点、壁にこすりつけようと思った時点というように、「今」が次々にスライドしていると分析する。そして「『今』という時間の定点を多元化し、『今』を作者自身が移動することによって一首の叙述を形作ってゆく」ところが、近代短歌と決定的に違う所だと結論づけている。

 さて、これで穂村の言う「口語によるリアリズムの更新」についての議論をほぼ通観したことになる。残り少ない紙面で、果たしてこれが「リアリズム」なのかという疑問と、多元化する「今」が本当に「今」なのかという疑問について考えてみたい。

 若手歌人の歌に見られる空間的・時間的拡散は、西洋絵画史と比較すると示唆的である。西洋の古典絵画は一点透視による遠近法を用いたが、これは近代短歌の不動の視点と同じである。ところがセザンヌが机の上に林檎が盛られた静物画で複数の視点からの描写を一枚の絵に収め、これがピカソらのキュビスムの出発点となった。ピカソは正面から見た女性の顔と横顔を同じひとつの画面に描いた。これは短歌における視点の複数性に通じるところがある。しかし対象を幾何学的に分解し再構成するキュビスムの方法論は、やがて具象自体を否定する抽象絵画へと発展した。こうして視点の複数性は、やがてリアリズムの埒外へと画家を導いたのである。

 また永井らの歌で動詞の終止形が表す複数の時点は、作者にとっては実感に基づく「今」かもしれないが、読者にとってもそうであるとは限らない。読者の側の「読み」を考えるならば、読者は歌の様々な部分を手がかりにして、歌の「今」を脳内で再構成する。たとえば「精霊ばつた草にのぼりて乾きたる乾坤けんこんを白き日がわたりをり」という高野公彦の歌を読むと、鮮やかな遠近の対比の中に日輪が空を渡りゆく「今」が濃厚に感じられる。この「今」は作者の実感に基づくものではない。言葉の組み合わせと配列によって、読者の意識に中に再構成された擬似的な瞬間である。なぜ擬似的なのかと言うと、私たちにとって「今」とは原理的に捉えることのできないものだからである。比喩的に言うと「今」とは、羊羹をスパッと切った切り口のようなものだ。横から見ると切り口には幅がないため私たちの目には見えない。「今」という瞬間が私たちを絶えず逃れ去るものであることは、古東哲明『瞬間を生きる哲学』(二〇一一、筑摩選書)に詳しい。古東はこの本の中で、文学とは私たちの手をすり抜ける「今」を再構成する営みに他ならないことを、豊富な文学テクストを引いて論じている。

 角川『短歌』平成二六年版の短歌年鑑の座談会「秀歌とは何か」の中で、岡井隆は永井に向かって、永井・堂園・山田らが見事にそろって助動詞を使わないのはなぜかとたずねている。この問に永井は直接答えず、自分にとって文体は身体の延長なので、選ぶということができないと述べている。永井らが助動詞を使わないのは、助動詞が日本語の時間表現を担っているからであり、短歌において仮構の「今」を再構成する主要な手段だからだ。永井たちは擬似的な「今」ではなく、真の「今」を求めているのである。

 

 角川『短歌』2021年8月号に掲載

第311回 上村典子『草上のカヌー』

トライアングルぎんいろの海をみたしつつ少年が打つ二拍子ほそし

上村典子『草上のカヌー』

 学校の音楽の授業の場面である。男子生徒がトライアングルを鳴らしている。トライアングルは音楽室の窓から射し込む陽光に鋭く光り、そこに三角形の海があるように見える。少年は二拍子を叩いているのだが、その音はか細い。この歌のポイントは結句の「ほそし」にある。その理由は、少年が特別支援学級の生徒で、障碍を持っているからである。そのことはこの歌のある連作全体を見れば明らかだが、この一首には書かれていない。短歌は一行詩だが、その性格上、そこに書かれていない情報を補填しつつ読まれる。昨今、そのような短歌の性格に疑義を呈する向きもあるが、それは短歌の本質に関わる問題である。

 瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』(左右社、2021)をおもしろく読んだ。タイトルに「はつなつ」とあるせいか、どことなく夏向きの本である。穂村弘の『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』の「まみ」のモデルが小林真実(雪舟えま)で、この歌集は二人の共同幻想から生まれたと書かれていて、そのことをまったく知らなかった私は驚いた。『はつなつみずうみ分光器』は改めて論じることにして、今回は収録されたある歌人について書くことにしたい。

 この本で取り上げられている歌集はほとんど読んでいるが、二人だけ知らない歌人がいた。『開放弦』の上村典子と、『アネモネ・雨滴』の森島章人である。森島の歌集は古書価が高すぎてあきらめた。一方、上村典子は現代短歌文庫の『上村典子歌集』(砂子屋書房、2011)があるので、それを取り寄せて読んだ。一読して、こんなに美しく切ない歌を詠む歌人がいることに驚いた。

 プロフィールによると、上村典子は1958年生まれ。高校生の時から作歌を始め、26歳の時に「音」に入会して武川忠一・玉井清弘らの薫陶を受けている。第一歌集『草上のカヌー』(1993)、第二歌集『開放弦』(2001)、第三歌集『貝母』(2005)、第四歌集『手火』(2008)、第五歌集『天花』(2015)がある。高校・中学校の教員を務めた後、郷里に戻り特別支援学校の教員として勤務している。

 瀬戸が『はつなつみずうみ分光器』に上村の第一歌集ではなく第二歌集『開放弦』を取り上げたのは、2000年以後に出版された歌集を論じるというこの本の制約のせいだろう。『上村典子歌集』には『開放弦』が抄録されているが、全篇収録されている第一歌集『草上のカヌー』の瑞々しさは圧倒的なのである。

並び立つ書架にどよめく死者のこゑ樟のひかりにしずむ図書館

けふひと日海の呼吸をおもふかなほのあかりする布を纏ひつつ

ソーダ水みたし透かせるおとうとのガラスコップか春はあけぼの

はつ夏のひかりめぐりて駆けゆける自転車の輪のこぼすアレグロ

兄妹とおもはれし写真ピンで留め五たびの夏のしほの香はする

 上村の短歌の特徴のひとつは、五感に訴える描写の巧さにあり、それが清新な抒情を生み出している。一首目はおそらく大学生時代の歌だろう。図書館の書架に並ぶ無数の本に死者の声を聞き、窓外の樟の木を通して届く光を感じている。ここには聴覚と視覚の交感がある。二首目の「呼吸」は聴覚、「ほのあかり」は視覚で「布」は触覚だろう。身に付ける服が微光を放ち、潮の香を漂わせるかのようだ。三首目の「ソーダ水」からは、透明さと冷たさとパチパチと弾ける炭酸の音が聞こえてくる。かと思えば四句までは結句の「春はあけぼの」の喩であることが最後に明かされるという仕掛けになっている。四首目の「ひかり」は視覚に、「アレグロ」は聴覚に訴えることで紛れもない青春性を感じさせる。五首目では「写真」が視覚で、「潮の香」は嗅覚である。写真に写る自分と恋人は兄妹と見られてしまうほどまだ若い。

姉ならぬ母ならぬわれ透明な鋭角体の生徒にむかふ

頭ひとつわれより高き十五歳まづ坐らせて諭しはじめつ

常夜燈に坂はかがやくバス降りてわれを憎める少女を訪ねゆく

 大学を卒業して中学校の国語教師になった頃の歌である。「透明な鋭角体」とは生意気盛りで尖った中学生を表現したものだろう。生徒をまず座らせるのは、生徒が自分より背が高いため、教師としての優越的ポジションを確保するためである。三首目はおそらく家庭訪問の情景だろう。担任をしている生徒たちとの細やかな関係性がよく描かれている。

 佳品が多いのは特別支援学校に転勤してからの歌である。

スタッカートの勢ひもちて駆けてこし少年今朝のわがかほを抱く

発語なき生徒のおもてを奔りゆく音楽のごときに手触れてをりぬ

ビー玉に川がながれてゐるといふ弱視の生徒は瞳を寄せて

失禁をはぢらふ少女わが髪を掴みて指に力こめくる

プールにて抱きとるをさなき体温のどこかいたまし水の秋来ぬ

少女にはことばともりぬくちびるのア音はきよきランプのかたち

 特別支援学校に通う生徒はどこかに障碍を抱えている。その種類は様々だが、体が不自由な生徒との日常には身体の接触が多くなるのだろう。「かほを抱く」、「手触れて」、「髪を掴みて」、「抱きとる」のように、普通の学校の教員と生徒の間にはあまりない濃密な身体的触れ合いが描かれており、そのことが歌に力強さとリアリティーを与えている。六首目のみ『開放弦』から引いた。発語のなかった児童が初めて言葉を発した瞬間を詠んだ歌で、それを「灯りぬ」と表現して縁語の「ランプ」と続けている。ここにも音(聴覚)と灯火(視覚、触覚)の交感が、初めての発語という特別な時間を描いている。

 家族を詠んだ歌も多い。

雪はるか森に降れると窓に寄りわれの森なる父の告げしか

わがために母のつくりし和紙の雛いつかなくして雪降る節句

亡兄ひとり冷えゆくまでを泳ぐかな星降る夜の屋上プール

いまだ独身ひとりの弟眠る籐椅子に泳ぎしあとの髪みだす風

 作者には弟の他に、死産で生まれた兄がいる。父母と弟と亡兄が家族のすべてで、家族にたいする細やかな愛情は読んでいて羨ましいほどだ。特に弟にたいする愛情

は深いようだ。

おとうとと左右さうに坐りて連弾のあのころひと日ゆつくり過ぎき

                           『開放弦』

鎖骨より真珠をはづすさやうならおとうと婚のはつなつゆふべ

おとうとの体をめぐる透析のきらきらとして銀河の浮力

                    『貝母』

おとうとに分かたむ腎臓夜半にはつぼむ百合ほど灯りてふたつ

わが左腎右腹腔にをさめられおとうとの手指しづかに置かる

 一首目は子供の頃にピアノの連弾をした思い出である。二首目は弟が結婚した折の歌。ところが弟は腎臓病を患い人工透析を受けることになる。作者は自分の腎臓をひとつ提供して腎移植を行なうのである。肉親とはいえ大きな決断であることにはちがいない。

 こうして上村の短歌を時系列に読んでいると、つくづく短歌とは特別な文学形式だと改めて感じる。桑原武夫の第二芸術論が発表されたとき、アララギの総帥高浜虚子は「とうとう俳句も芸術になりましたか」とうそぶいたと伝えられている。俳句と同じように、短歌も文学ではないとする見解も可能ではあろう。しかし百歩譲っても短歌が言葉を綴る芸であることには変わりはない。作者の人生の軌跡と日々の思いに留まらず、家族の様子や同僚・生徒の有り様に至るまでこれほどつぶさに描かれ、そしてそれが抒情詩として成立しているという文学形式は、世界広しといえども短歌以外にはない。稀有なことと思うべきであろう。

遺影とふ触るるをこばむ笑みありてみづつるなく封じゆく生

木の階を夕光ゆふかげと折れてのぼりゆくわれが運べるものの寡し

たれまつにあらずわれへと還りゆくたそがれにがきみづくぐる刻

卓上にわたしそこねる月いろの水差カラフ砕けて夏はじまりぬ

古詩一篇脚韻ぬらすほどを降る梅雨の季果てむ夜のとほり雨

少年の体にあかずめぐりゐむこくんと陽射しうけつつ水車

うち捨てにされたる智惠の輪のやうにゆふべ路上になはとび光る

ゆふされば母撒くみづにちまよふあかねあきつのはねふるひつつ

 特に印象に残った歌を引いた。二首目のような内省の歌にも佳品が多い。歌い上げるような造りではなく、逆に内へと沈むような作風である。

 上村は何度か短歌賞の候補に残っているが、受賞は逃している。田島邦彦編『現代短歌の新しい風』(ながらみ書房、1995)の『草上のカヌー』の解説(栗木京子執筆)には、「1993年は第一歌集の当たり年で、個性豊かな歌集が出揃った感がある。それらの多彩な歌集の中にあって、『草上のカヌー』の端正な抒情はやや地味な印象を与えがちだったかもしれない」とある。確かに同じ年には、尾崎まゆみ『微熱海域』、早坂類『風の吹く日にベランダにいる』、西田政史『ストロベリー・カレンダー』、谷岡亜紀『臨界』、早川志織『種の起源』、中津昌子『風を残せり』などが出版されていて、前年の1992年には、穂村弘『ドライドライアイス』や荻原裕幸『あるまじろん』が出ている。世はライトヴァースからニューウェーヴへと雪崩を打って多彩な修辞の季節を迎えていた頃である。そんな時代の流れの中では『草上のカヌー』のような作風はあまり目立たなかったのだろう。しかしそんな時代の流行も「様々なる意匠」にすぎない。『草上のカヌー』は現在読んでも清新さをいささかも失っておらず、まるで青春をタイムカプセルに閉じ込めたような歌集である。おそらくそれは短歌には作者が生きる〈今〉が刻印されているからだろう。


 

第310回 北辻一展『無限遠点』

われの血の通いてちいさな臓器となるその一瞬の蚊を打ちりぬ

北辻一展『無限遠点』 

 夏の蚊が体に止まって血を吸っている。それが見えるのだから止まっているのは腕か足だろう。血液は蚊の口吻を通って体内へと運ばれてゆく。その有り様を、蚊が私の臓器の一部となると捉えているところがユニークだ。確かに血を吸われているときは、〈私〉の血液が蚊の内部に通うことになり、〈私〉と蚊とは一体となると見ることもできる。とはいえ次の瞬間には蚊を手で叩き殺すのではあるが。

 北辻一展は1980年生まれ。同人誌「豊作」の2006年第3号のプロフィールには「歌歴3年」とあるので、2003年頃から歌作を始めたようだ。「京大短歌会」「塔」に所属し、「アークの会」や「豊作」などでも精力的に活動している。今までは北辻千展(きたつじ ちひろ)の名前で短歌を発表していたが、本歌集から北辻一展(きたつじ かずのぶ)の筆名で活動することにしたようだ。『無限遠点』はかなり遅めに上梓された北辻の第一歌集である。解説は「塔」の主宰で師でもある吉川宏志。歌集題名の無限遠点とは、ユークリッド平面では交差することのない平行線が交差すると考えると理論的にうまくゆくことがあり、そのために考案された仮想的な点のことらしい。つまり現実には存在しない点である。大学院に在学中に量子力学に熱中していたという理系の作者らしいタイトルである。作者は理系の研究者であり、また医師でもある。研究者としてはタンパク質の制御機構の研究をしていたようだ。「塔」には元主宰の永田和宏や永田紅のような先蹤がいるが、私はかねてより理系と短歌の抒情は相性がよいと考えている者である。本歌集もそのことを実証しているように思える。

 北辻の歌風はいかにも「塔」らしく、言葉が派手に煌めくことなく、生活実感に根差した静謐な詠いぶりである。文体は文語に適度に口語が混じるという、現代の多くの歌人が採っているものだ。

吹雪の日は望遠鏡にいるようで白さの中に人吸われゆく

起きぬけのしずかなマウス裏返し腹の黒きに薬剤を打つ

早朝に起きて出てゆくのみの部屋 線描ほどの淡さを持ちぬ

会える日を告げえざるときはつ夏の立葵のごとのみどは伸びる

一日のデータをノートに記載する染色液ダイにて青く汚れた指で

 一首目は作者が北海道にいた頃の歌である。激しい吹雪は視界を閉ざしてしまう。その視野狭窄を望遠鏡の中に閉じ込められたようだと表現している。二首目は理系の研究者の歌で、実験に用いるマウスを処理している場面。ポイントは「腹の黒き」だろう。三首目、理系の研究者は長い時間を研究室で過ごす。時には研究室で毛布にくるまって寝泊まりすることもある。夜中に大学の研究棟の横を通ると、窓に煌煌と明かりが灯ってまるで不夜城のようだ。だから借りているアパートの部屋はただ寝に帰るだけの部屋となり、生活感が薄くなる。それを線描と表現しているのである。四首目は相聞歌である。恋人と別れるとき、次に会える日を告げることができない。多忙で予定が立たないのか、それとも遠方に転居を控えているのか。言いたくても言えない状態を喉が伸びると表現している。五首目も研究の場面の歌。実験データは何より重要なものである。研究者は必ず日付のあるノートに実験の結果を書き留める。第一発見者が誰か係争が生じた時のためである。

月光の香り満ちたり核磁気共鳴分光測定棟に

かたちほぐして細胞をとるぽつねんと胎児のくろき眼はのこる

放射光科学研究施設フォトン・ファクトリーよりひとは戻りくる夕立が降る気配をつれて

戦争イソスポーラは目のかたちしてわれらを見つむ顕微鏡下に

皮膚も歯もあらわな鼠ハダカデバネズミその長寿遺伝子DeBAT1(デバワン)

 理系の用語が詠み込まれている歌を引いた。一首目の核磁気共鳴装置はMRAと呼ばれていて、大きな病院では診断に用いられている。そんな装置が置かれている研究棟なのだろう。漢字が連なる厳めしい名前と月光の香りという詩情の組み合わせがよい。二首目には「マウス胎児繊維芽細胞」という詞書が付されている。繊維芽とは細胞の結合組織を形作っているもの。組織を採取した後に、黒い目だけが残ることに作者は哀れを感じているのだろう。三首目、放射光とは、陽子や電子を猛スピードで加速するシンクロトロンで生まれる光のこと。物質の成分分析などに用いられる。この歌でも放射光科学研究施設という硬質の名と夕立が降る気配という日常的感覚とが並置されている。四首目の戦争イソスポーラは寄生虫の一種で、第一次世界大戦時に流行したためにこの名があるらしい。五首目のハダカデバネズミはアフリカの地中に暮らしているネズミの一種で、文字どおり体毛がなく大きな前歯がある。ネズミの寿命がふつう2年程度なのにたいして、ハダカデバネズミは何と30年も生きる。その長寿遺伝子がDeBAT1(デバワン)なのだが、何というネーミングだろう。

祖父の死を考慮に入れて組み立てる大腸菌培養のスケジュール

焦点の合わぬまなこに呼びかければまなこはわれに焦点の合う

祖父と写るはすべて幼きわれなりき日付の赤き数字ぼやけぬ

わが顔を祖父は凝視し祖父はその記憶を持ちていずこへゆきしか

祖母がまだ生きている間に編集を急ぎぬ祖父の文学全集

 祖父の死を詠んだ一連から引いた。三首目の「赤き数字」とは、撮影した日付を写真に写し込む、昔のフィルムカメラの機能である。大人になってから祖父と写真を撮ることはなかったのだ。五首目にあるように、作者の祖父は作家だったようだ。二首目の「まなこ」と「焦点」の繰り返しと、四首目の「祖父」の反復が、どこかのっぴきならないような印象を歌に与えている。

少年天使像つくらんとする父のためわれの背中を見せしあの頃

木塊をのみで大きくえぐるたび青年の厚き胸になりゆく

おまえのは趣味だろうがと前置きし父は語りぬ芸術論を

 北辻の父親は彫刻家の北辻良央で、その装画が歌集の表紙に使われている。一首目は父親のモデルとなった幼少時の記憶である。父親は北辻が研究者・医師をしながら短歌を作っていることを単なる趣味・余技としか見ていない。その悲しみは感じつつも、芸術論を語ることができる親子関係は羨ましいものでもある。

サイレンでプールサイドに浮上して黙祷をする長崎の夏

戦争は総力戦にて供されし馬ありそして青銅馬あり

銃声とともに畔へと倒れこみ死んだふりした幼き祖母は

列なせる島民たちの胸元に聴診器おき眼閉じたり

漁船にて往診をする医師たちと雲間より降るひかり見ており

 故郷の長崎に医師として赴任した時の歌である。長崎に原爆の記憶は消えることがなく、それを歌に詠むこともまた歌人としてのひとつの選択である。長崎には離島が多くある。四首目と五首目は離島に船で島民の健康診断に赴いた折の歌だろう。近年このような職業詠が少なくなったように感じられる。職業詠は近代短歌が生み出したジャンルであり、もっと試みられていいように思う。

袋詰めのキャベツを食めばさきの世の馬のたましいさめてゆく夜

コインランドリーの乾燥機より蝶いづる冥界からの手紙のごとく

風景の折り目のごとく目のまえに蜘蛛の糸垂れ夏は閉じゆく

わが喉ときみの耳管はうつくしい言葉を待ちぬ鮮やかな夕に

生きるとはなにか死ぬとは ハンドソープがわが手に吐きし白きたましい

寄り添いの言葉を選りて話すときマスクの内で擦れる唇

 特に印象に残った歌を引いた。北辻の歌の造りの骨格のひとつは、「ケージの隅でかたまりて寝るマウスたち桜の花片のごとき耳もつ」のように、直喩を用いた「見立て」にある。日常的に出会う事物に「見立て」の操作を施すことによって、日常の空間から詩的な空間へとワープするところにポエジーが発生する。「マウスの耳」と「桜の花片」という異なる領域に属するふたつの事物が喩によって近接することによって詩が立ち上がる。これは短歌に限らず、詩や俳句にも通じる技法だろう。

 しかし上に引いた六首目の歌は造りが少しちがう。医師として患者に寄り添う言葉を選んで語りかけている場面を詠んでいるのだが、下句がそのような言葉を発している自分にたいする違和感を滲ませている。これは他者へと向かう眼差しが自己へと戻って来る自意識の歌である。いらぬおせっかいかもしれないが、本歌集にはまだ少ないこのような歌が増えることで歌境がいっそう深まることだろうと思えるのである。

 

角川『短歌』7月号歌壇時評「日本語の底荷」

 今月号から半年の間、歌壇時評を担当することになった。私の名前を見て「いったい誰だ?」といぶかしむ人もいるかと思うのでひと言自己紹介しておくと、私はインターネット上で「橄欖追放」という短歌ブログを書いている。月に二回歌集・歌書を取り上げて批評しているが、自分では短歌を作らない純粋読者である。

 短歌や俳句のような短詩型文学の世界では「作者イコール読者」であり、作者の外延と読者の外延はほぼ一致する。自分で短歌を作るが人の短歌は読まないという人はいても、自分では短歌を作らず読む専門という人は少ない。とはいえかつては深く短歌を読んだ吉本隆明や、『終焉からの問い ― 現代短歌考現学』(ながらみ書房、一九九四)など短歌評論で活躍した小笠原賢二がいたし、同時代では好著『うた合わせ ― 北村薫の百人一首』(新潮社、二〇一六)などで自在に詩歌の世界を逍遥する北村薫がいる。とはいうものの、歌壇の外にいる人間が短歌総合誌の歌壇時評を担当するのは珍しいことかもしれない。

 ふつう歌壇時評に期待される役割は、短歌総合誌を広く見渡し、結社誌や同人誌や大学短歌会の雑誌まで目を通し、短歌賞や短歌関連のイベントにも目を配って、歌壇で今起きていることを紹介したり論じたりすることだろう。言わばそれは不易流行の流行の部分である。しかし時評は時とともに移ろいゆく流行ばかりに目を向けず、深部に横たわる不易の層にもまた目を配るべきだろう。

 そのような眼差しで見つけたのは、本誌二月号から始まった新連載「短歌の底荷」である。これは毎号二つの結社を取り上げて、ゆかりの深い歌人に紹介してもらうという企画である。たとえば第一回目の二月号では「沃野」と「白珠」が取り上げられている。私が注目したのは記事の内容ではなく「短歌の底荷」という連載の題名の方だ。この題名が歌人の上田三四二(一九二三〜一九八九)が提唱した「短歌底荷論」にちなんだものであることはまちがいない。上田は一九八三年(昭和五十八年)に「オアシス」という雑誌に「底荷」という短い文章を寄稿した。現在は上田三四二『短歌一生』(講談社学術文庫)で読むことができる(版元品切だが古書で入手可能)。その文章の中で上田はおおむね次のようなことを述べている。

 短歌や俳句は日本語の底荷である。底荷とは船の安定航行のために船底に積み込まれる荷や砂で、それ自体に商品価値はない。利益を追求するためには役立たないどころか、お荷物でさえある。しかし船が安全に航行するためにはなくてはならぬものである。短歌や俳句は日本語という船を推し進めるマストのような力は持たない。しかし日本語を転覆から救う目に見えない力になっているのである。(時評子による要約) 

 上田の文章が発表されてからまもなく四十年になろうとするが、本誌が新しく始める連載に「短歌の底荷」という題名を付けたのは、この上田の主張が短歌の不易の一部と考えてのことだろう。

 短歌の流行の面においては、前衛短歌やライトヴァースやニューウェーヴ短歌や記号短歌などなど、その意匠は時代とともに変化するが、上田の主張にはそのような流行の奥深くに沈潜することによって得られた確信という響きがある。日々の流行に目を奪われることなく、上田のように短歌の本質について考察を深めることもまた大切なことではないだろうか。

         *         *         *

 そんなことを改めて思ったのは、高等学校の国語教育が大きく変わりそうだと報道された頃なので、少し前のことになる。高等学校の教育方針を定めた「学習指導要領」は十年に一度改訂されるが、二〇一八年に告示されたものは「戦後最大の教育改革」という触れ込みだった。二〇二二年度、つまり来年度からはこの指導要領に従って教育が行われることになる。現在は必修科目「国語総合」と選択科目「国語表現」「現代文A」「現代文B」「古典A」「古典B」という分類になっている国語の教科が、新指導要領では必修科目「現代の国語」「言語文化」と選択科目「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典研究」に変わると定められている。必修科目は高校の一年目で履修し、二年目には選択科目の中から二科目選ぶことになる。必修科目の「現代の国語」には文学的な文章は一切入れないのが文部科学省の方針だという。

 大いに物議を醸したのは「論理国語」と「文学国語」という日本語としてこなれていない名称ばかりではない。そもそも国語を「論理」と「文学」とに二分するのはあまりに乱暴ではないかという意見が噴出した。そればかりではない。今回の指導要領の改訂は、大学入試の改革とセットになっている点に特徴がある。しかしその目玉であったはずの記述式問題の導入と、英語試験の民間委託が早々と頓挫したのはご承知のとおりである。

 新指導要領に準拠した大学入学共通テストの第一回プレテスト(試行)が二〇一七年度(平成二十九年)に実施され、多くの高校生がこのテストを受けた。そのテストで「国語」の試験問題として出題されたのは「青原高校の生徒会の部活動をめぐる規約」という文章であった。事前にサンプル問題として公表されていた試験問題には、「街並み保存地区景観保護ガイドライン」と「管理会社と交わした駐車場の契約書」が問題文として選ばれていたという。これを見て多くの人が驚いた。

 文部科学省が新指導要領を定めた目的は、主体的・対話的で深い学びを実現し、思考力・判断力・表現力を育てることにあるという。そのような目標に賛同しない人はいないだろう。しかしプレテストの問題文として選ばれたのは「論理国語」の文章であり、「文学国語」ではない。「論理国語」とは、契約書や法律・条例を始めとして、マンションの管理規約や電気製品の使用説明書など日常生活で出会う実用的な文章を読み解く力を養成することを目標としている科目であることは明らかである。

 二〇一八年度(平成三〇年)に実施された第二回のプレテストの国語の問題文の第一問は、鈴木光太郎『ヒトの心はどう進化したのか』、正高信男『子どもはことばをからだで覚える』、川添愛『自動人形(オートマトン)の城 人工知能の意図理解をめぐる物語』からの抜粋、第二問は「著作権法のイロハ」(ポスター)、法律の著作権法の抜粋、名和小太郎『著作権2.0 ウェブ時代の文化発展をめざして』、第三問は吉原幸子「紙」(詩)、吉原幸子「永遠の百合」(エッセー)となっている。第四問と第五問は古文と漢文なので略す。第三問でわずかに文学的な文章が出題されており、第一問は学術的なエッセーからの出題となっているが、全体的な傾向は第一回のプレテストと大きく変わらない。

 新指導要領による国語の授業では、一年次に履修する必修科目の「言語文化」で文学的テクストを少し読むことはあるかもしれない。しかし二年次になれば大方の高校生が「論理国語」を選ぶことは、プレテストの出題傾向を見ても明らかである。現役の高校の先生も、「文学国語」は開店休業状態になるだろうと言っている。漱石も鴎外も芥川もまったく読んだことのない大学生が入学して来るのである。

 少し昔のことになるが、東京大学教授の石田英敬が雑誌『世界』二〇〇二年十二月号に「『教養崩壊の時代』と大学の未来」という文章を寄稿して話題になったことがある。ある日のこと、石田が研究室で東大の院生相手にバフチンのポリフォニー理論について話していたところ、その院生がこう質問したそうだ。「先生の話に出て来たドストエフスキーって誰ですか?」と。石田は喫驚して「ついにその日が!」と叫んだという。今から数年後に、新指導要領に基づく教育を受けた高校生が大学に入学して来たときに、「漱石って誰ですか?」と質問する学生が出て来て、「ついにその日が!」と心の中でつぶやく先生がいないとも限らない。ここに書いた新指導要領の国語教育改革については、伊藤氏貴責任編集『別冊季刊文科 ― 国語教育から文学が消える』(鳥影社、二〇二〇)と、紅野謙介『国語教育の危機』(ちくま新書、二〇一八)および同著者の『国語教育 ― 混迷する改革』(ちくま新書、二〇二〇)に詳しく書かれている。

         *

 時評子は「高等学校の国語の教科書から文学が減るのはけしからん」と言いたいわけではない。若手歌人の中には、初めて短歌に触れたのが国語の教科書だったという人が少なからずいるようだ。だとすると国語の教科書から文学が減ればそのような機会も減ることになるので、残念なことにはちがいない。しかしそれ以上に重要なのは、新指導要領のめざす国語教育改革が日本語の底荷を減らすということである。これはゆゆしきことと言わねばならない。新指導要領には言語の存立と働きについての深い洞察が決定的に欠けていると思われてならない。

 このことを理解するためにはアラビア語を例に取るとわかりやすいだろう。もともとアラビア半島で話されていたアラビア語は、今では中東のイラクからアフリカのエジプト、アルジェリア、モロッコに到る広大な地域で使われている。日常用いる話し言葉のアラビア語(アーンミーヤ)は方言差が極めて大きい。イラクの人が話しているアラビア語とモロッコの人が話しているアラビア語はかなり異なるのである。それでも話者に自分たちが使うアラビア語は同じひとつの言語であるという強固な意識があるのは、ひとえに啓典クルアーン(コーラン)の存在による。クルアーンの言語は現代の標準的な書き言葉のアラビア語(フスハー)の基礎にもなっている。イラクからモロッコに到る広大な地域に住んでいる人たちが、「自分たちは同じひとつの言語を使っている」と感じるのは、クルアーンの言語がアラビア語の底荷として厳然と存在しているからである。

 アラビア語を使う地域の子供は、学校に上がるとクルアーンを学ぶ。彼らにとってクルアーンの言語は古典語であり、日本の子供たちが平家物語や枕草子を古典として学ぶのと同じである。ちがうのはクルアーンの言語こそが正当なアラビア語であり、疑問が生じた時には常に立ち戻るべき源泉だとされている点にある。英語ならば底荷としてあるのは聖書とシェークスピアだろう。イタリア語ならばダンテのトスカーナ方言で、ドイツならばゲーテというところになろうか。

 短歌や俳句が日本語の底荷であるという主張にはもうひとつの側面がある。現代に生きる私たちの感性は、多少とも短歌や俳句によって水路づけされている。桜の花が散るのを見ると、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌が思い浮かぶし、夏の朝に朝顔が咲いているのを見ると「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という句を思い浮かべない人はいないだろう(ただし朝顔は秋の季語)。先人の作った短歌や俳句の中にはいわば「感性の型」がレコード盤に刻まれた溝 (groove) のように彫琢されている。私たちは無意識のうちにその溝にガイドされるように物事を感じているのである。だからこそ歌人・俳人は先人が彫り込んだ溝を脱却して、新しい溝を刻むべく刻苦するのである。

 さらにもう一歩踏み込んで考えることもできる。ことは感性に留まらず、私たちが現実を捉えるやり方(認知 cognition)は言語によって規定されているという考えがある。この考えを主張したのはイェール大学教授の言語学者のエドワード・サピア(一八八四〜一九三九)と弟子のベンジャミン・リー・ウォーフ(一八九七〜一九四一)で、二人の名前を取ってサピア・ウォーフの仮説と呼ばれている。彼らは次のように主張した。

 言語は私たちの思考を条件づけている。私たちは言語が定める線に沿って現実を分割して、意味の世界を作り上げている。私たちが現実の世界と見なしているものが私たちを離れて客観的に存在すると思うのは幻想である。私たちが現実の世界と見なしているものは、言語の習慣の上に作り上げられたものである。(時評子による要約)

 新指導要領がめざしているのは、法律の条文や契約書や電気器具の使用説明書のような実用的文章を読み解く力、つまり現実に適切に対処する能力の涵養である。文学を含むさまざまな言語の形に触れることによって私たちの感性が形作られ、現実を認知する力、つまり「心」が育まれるという視点が見落とされているのである。

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 今年の三月二十日に町屋の並ぶ京都市の中心部に泥書房という新しい書店がオープンした。短歌・俳句・詩を専門に扱う書店である。京都にはかつて伝説的な三月書房という歌集・歌書を多く置く書店があった。京都を訪れる歌人が一度は足を運んだ場所である。古書店と見紛うばかりの外観が異彩を放っていた。ところが残念なことに三月書房は二〇二〇年の六月に閉店してしまい、短歌関係者の嘆きは大きかったのである。京都で学生時代を過ごした青山学院大学教授の生物学者福岡伸一が閉店を惜しみ、店主と相談のうえで店のシャッターに店内の風景の騙し絵が残されている。

 三月書房の閉店からそれほど間を置かずに泥書房が開店したことはまことに喜ばしい近年の快事である。泥書房の一角は販売コーナーとなっており、まだ点数は少ないものの歌集・歌書が販売されている。新刊書だけでなく古書もある。それより面積が広いのが隣の図書室で、ここには歌集・歌書だけでなく、短歌総合誌、結社誌、同人誌、個人誌などが壁一面に収蔵されている。短歌について何か文章を書くときに、調べ物をするのに絶好の場所だ。図書室は三百円の入室料を支払って会員になると利用できる仕組みになっている。

 泥書房は短歌総合誌『現代短歌』を発行する現代短歌社(一般社団法人三本木書院)が運営しており、本社の所在地でもある。現代短歌社は二〇一七年に解散し、事業譲渡を受けた三本木書院が目白を拠点として運営を続けていたが、二〇二〇年十月に思うところあって本社を京都に移転したそうだ。今後は短歌関係のイベントも続々と開催する予定のようだから、これから歌人が集まる拠点となることだろう。

 

  角川『短歌』2021年7月号に掲載

第309回 平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

きみにしずむきれいな臓器を思うとき街をつややかな鞄ゆきかう

平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

 上句の発想がユニークな歌だ。ふつうは体の中に臓器があると捉える。この歌では「きみ」と呼びかけられるおそらく異性の人体に臓器が沈んでいると捉えている。「沈む」と言うと、まるで人体が容器か湖のようだ。下句では一転して町の風景が描かれているが、町を行き交うのは人ではなく鞄である。それは上句で人体ではなく臓器に焦点が当たっていることと呼応している。臓器のぬらぬらする照りと鞄の艶やかな表面とが、人体の内と外との照応として描かれていておもしろい。

 平岡直子は1984年生まれ。早稲田短歌会を経て、同人誌「率」「町」に参加し、現在は「外出」同人。2012年に「光と、ひかりの届く先」で第23回歌壇賞を受賞して注目される。この年の応募者の中には、服部真里子、佐佐木頼綱、𠮷田恭大、笠木拓、春野りりんなど、後に名を上げる歌人がいるのだが、このような面々を押さえての受賞である。選考委員の東直子と今野寿美が二重丸を付け、内藤明と道浦母都子は一重丸で、伊藤一彦は無印となっている。選考座談会でいちばん強く平岡を押したのは東である。曰く、「自分が見ている世界から、丁寧に探っていって、見えないものも言葉で探ろうとしている」、「一首一首の中で『生きる』ということをうたおうとしていて、その生きることの中に死が含まれている」、「この人は言葉から作っていく作者代表みたいな作り方ですが、その中でも現実感とかリアルさを手放していない」。さすがは東で、平岡の短歌の本質をずばり突いていて、あまり付け加えることがないほどだ。

 『みじか髪も長い髪も炎』は歌壇賞受賞作を含む第一歌集で、今年(2021年)4月に本阿弥書店から刊行された。栞文は水原紫苑、正岡豊、馬場めぐみ。装丁は名久井直子。ポップな色の多角形と紐模様が組み合わされた瀟洒なデザインである。水原の栞文は熱い。本歌集の出版は「ひとつの事件」であるとして、平岡の歌には「儚く純粋な他者への希求」と「灼けつくような孤独な魂の呼びかけ」があり、平岡は「歌に呼ばれた狂おしい魂」だと断じている。このような最大級の賛辞とともに世に出る歌人はそうはいない。山田航は『桜前線開架宣言』の中で、平岡は論じることが難しい歌人だとして、弱者が最後の砦として言語表現を選んだというタイプの歌人とはちがうと述べている。言葉によって「生きる」ことに活路を見出そうとしたのではなく、「生きる」ことにすら不器用なのだとしている。確かに平岡は輪郭を捉えにくい歌人のようだ。それはなぜだろうか。

動物を食べたい きみのドーナツの油が眼鏡にこすれて曇る

遊びおわったおもちゃで遊ぶ冬と夜 きみに触れずに雨がとおった

ああきみは誰も死なない海にきて寿命を決めてから逢いにきて

王国は滅びたあとがきれいだねきみの衣服を脱がせてこする

裸眼のきみが意地悪そうな顔をしてちぎるレタスにひかる滴よ

 歌集の最初のほうから引いた。一首ごとの鑑賞と解釈は、平岡の歌の場合、あまり役に立たない。むしろ有害であるとさえ感じる。その理由のひとつは、短歌に描かれた情景が何かの現実の場面を指しているとか、実生活の体験に基づいているということがないからである。上に引いた歌にはすべて「きみ」が含まれているが、この「きみ」は特定の人物ではなく、平岡が歌を差し出す相手を指す無人称的な「きみ」だろう。同じように歌に散りばめられた「ドーナツ」「おもちゃ」「レタス」などのアイテムも、何かの喩として用いられているのではない。平岡の短歌で使われている言葉は、短歌的な喩としての機能をあらかじめ封じられているように見える。

 では平岡の歌の言葉は何に奉仕しているか。それは平たく言えばある「感じ」を表現するためではないだろうか。「感じ」とは、作者が実生活の生きづらさを覚えたり、死の予感に怯えたり、他者との関係性において遠さや軋みに苦しむとき、心に去来する光や影のゆらめきである。それはもう少し抽象度の高い思惟の領域で明滅する何かのこともあるだろう。上に引いた歌でそれは、日常のささいな場面で感じる不全感や喪失感や死の予感や他者への希求だと思われる。本歌集のあとがきに平岡は、「歌を生きる頼りにしたことはないけれど、歌に救われた経験がないといえば嘘になる」、「歌集として差し出せるのも自分のみている幻覚ばかりである」と書いている。「幻覚」とは平岡独特の表現で、日常の場面に必ずしも対応しない、心に明滅する表象ということだろう。もしそうであるならば、平岡の短歌を読むときは、無理に意味の脈絡を探したり、「このレタスは何を表しているのだろう」などと詮索せずに、言葉の流れに身をゆだねて、言葉が心をこする度ごとにスパークする光を感受すればよいということになる。こういう短歌の読み方はかんたんそうに見えるが、慣れていない人には案外難しい。

 詩や絵画では、形に表すことのできない感情や観念を具象を用いて表現する技法を象徴主義(サンボリスム)と呼ぶ。詩のボードレール、絵画のギュスターヴ・モローやオディロン・ルドンなどがそれにあたる。平岡の短歌も言葉を組み合わせ連接することで、直接的に表現できないある「感じ」を表現しようとしているとするならば、それは一種の象徴主義と見なすこともできる。そう考えると、水原紫苑があれほど平岡の短歌を高く評価し、「ひとつの事件」とまで呼んでいることも理解できる。水原もまた対応する現実を持つ写実によらず、言葉によってひとつの美の世界を現出させようとしている歌人だからである。

花の奥にさらに花在りわたくしの奥にわれ無く白犬棲むを

                水原紫苑『あかるたへ』

巻貝のしづけく歩む森に入りただひとりなる合唱をせり

                   『さくらさねさし』

回廊のごとくにをのこ並びゐる水底みなそこゆかむ死の領布ひれもちて

 平岡の歌をもう少し見てみよう。

震えてきれいなきれいなきれいな虫の羽きれぎれにこの世界

きみの骨が埋まったからだを抱きよせているとき頭上に秒針のおと

きみが思うわたしの顔を思うときそこにぽっかりあく空洞の

手をつなげば一羽の鳥になることも知らずに冬の散歩だなんて

飛車と飛車だけで戦いたいきみと風に吹かれるみじかい滑走路

 一首目では三回繰り返される「きれいな」が感情の強度を示している。歌の言葉が指し示しているものを敢えて言葉で表せば、それは「崩れゆくもの」への哀惜だろう。二首目はもう少しわかりやすくて「命の有限性」の悲しみだ。三首目は君が思っている私の顔を私が思うという捻れがすでに関係性の複雑さを感じさせる。一首が立ち上げる「感じ」は〈私〉という存在の希薄さだろう。四首目、歩く二人が手をつなぐと二つの体が大きな二枚の羽のようになる。比翼連理の喩えである。表されているのは関係性への希求とその不全である。五首目の「飛車と飛車だけで戦いたい」も感情の激しさを表している。歩や香車には見向きもせずに、最強の駒である飛車だけで勝負したいというのである。ここにも激しい関係性への希求があるが、「みじかい滑走路」が表しているように、その気持ちは空へと離陸することができないのである。

夢の廃墟が見ている夢に響かせるように額へきみのてのひら

夜と窓は強くつながるその先にひとりぼっちの戦艦がある

この朝にきみとしずかに振り払うやりきれないね雪のおとだね

魂に沿わないからだの輪郭をよろこびとしてコーンフレーク

ひかりふるあめふるおちばふる秋のあわいできみはのどをふるわせて

そしていつかきみを剥がれおちるものたち内臓を抱きしめる骨

冬には冬の会い方がありみずうみを心臓とする県のいくつか

燃えあがる 床を拭くとき照らされる心に地獄絵図はひらいて

 特に印象に残った歌を引いた。平岡の短歌には「夢」と「魂」という語がよく登場する。それは平岡が目に見える現実(と私たちが見なしているもの)に飽き足らず、現実を超えるもの、不可視の領域に心を引かれているからだろう。東が選考座談会で「目に見えないものを探っている」と評したのは当を得た見方だ。短歌史で目には見えないものを追究した前例を探すと、まず頭に思い浮かぶのは幻視の女王と呼ばれた葛原妙子だろう。不可視の領域への親和性という点において、平岡は2000年代のリア系若手歌人と一線を画していると言えるだろう。

 集中で私が最も美しい実現と感じたのは次の歌である。

きみの指を離れた鳥がみずうみを開いていけば一枚の紙

 「きみの指を離れた鳥」とは、指に留まっていた小鳥が飛び立ったともとれるが、ここでは君が折った折り紙と取りたい。折り紙の小鳥が飛び立って湖を開くというのは幻想の世界である。鳥が飛び立つことよって、眼前に森の中の湖が現出するのである。しかしやがて飛翔を終えた鳥は元の一枚の紙に戻る。現実と幻影とが一首のなかに混在し、ふたつの世界が「いけば」という接続表現によって折り合わされている美しい歌である。

 

第308回 北山あさひ『崖にて』

変わりたいような気がする廃屋をあふれて咲いているハルジオン

北山あさひ『崖にて』

 北山あさひは1983年生まれ。高校の国語の時間に短歌と出会い、歌を作り始める。しばらく作歌を中断した後、2013年にまひる野に入会。翌年にはまひる野賞を受けている。2019年に第7回現代短歌社賞を受賞。受賞作がそのまま第一歌集『崖にて』として現代短歌社から2020年に出版されると、翌年第27回日本歌人クラブ新人賞と、第65回現代歌人協会賞を立て続けに受賞して注目されることとなった。『崖にて』の帯文は島田修三、装丁は花山周子。

 「現代短歌」2020年1月号に第7回現代短歌社賞の選考座談会が収録されている。選考委員は、阿木津英、黒瀬珂瀾、瀬戸夏子、松村正直の四名。「崖にて」は予備選考で最高点を取り、第二位だった森田アヤ子の「かたへら」とダブル受賞となっている。現代短歌社賞の選考では、たいてい2名ずつ2組で意見が分かれるのだが、今回は瀬戸が10点、残りの3名が9点を付け、珍しく得点に大きな開きがない。しかし松村と黒瀬は森田アヤ子「かたへら」に10点を付けたので、両者の競り合いとなった。瀬戸はのっけから「読んだときに今回はこれで決まりかな」と思ったと言い放ち、終始北山を推す論陣を張っている。曰く、「人生の経過をバランスよく詠みこむつくりになって」いて、「表現に新規性があり、構成は王道で」あると持ち上げている。これに対して黒瀬は、最初は10位以内に入れていなかったが、読み返す度に順位が上がったとする。不思議な迫力がある反面、自虐が強く表現に拙いところがあるとも述べている。松村は「芯の強さを感じさせる文体」と評し、北海道に住む地域性があり、家族を詠んだ歌もよいと評価している。阿木津は9点を付けた割にはネガティヴで、特に「ピクニック、ぶらんこ、痴漢、蝶の刺繍入りのブラジャー 春の季語クイズ」のようにシンタックス(統辞)をぶつぶつ切る文体に苦言を呈している。

 さて北山はどのような歌を詠むのだろうか。評価の高かった「グッドラック廃屋」から引く。掲出歌もここから採っている。

いちめんのたんぽぽ畑に呆けていたい結婚を一人でしたい

三十代過ぎればぽっ、ぽっ、と廃屋ばかり光って見える

湿地から漁村へ抜けてゆくバスの窓辺でわたしは演歌の女

美しい田舎 どんどんブスになる私 墓石屋の望遠鏡

約束の数だけ長く生きられる駅から光こぼれやまず

母でなく妻でもなくて今泣けば大漁旗のハンカチだろう

ハズレくじ三枚ぎゅっと丸めたら明るくなって春の曇天

 一首目は、現在置かれているつらい境涯からの脱出願望とジェンダー意識を並列した歌である。「いたい」「したい」と語尾が揃っていて、独り言感が強い。二首目、「廃屋」というのがこの連作のキーワードなのだが、それは残念なものとして捉えられている人生の側面のようだ。廃屋ばかりが目につくとは、振り返るとそのような場面ばかりが頭に浮かぶということか。三首目はどこか本音を隠して他の人を演じているようで、「私にはこんな一面もあるのよ」ということだろうか。四首目は三段切れながら話題になった歌である。最後の「墓石屋の望遠鏡」でうんと遠くへ飛ばしている。北山はこのように結句で遠くに飛ばす歌が得意なようだ。五首目はわかりやすい歌。人との約束は生きる希望であり、未来への切符でもある。最後を「こぼれてやまず」とすれば定型に収まるのだが、収めたくなかったのだろうか。六首目は30歳を過ぎてまだ家庭を持たない境涯を詠んだ歌。大漁旗ほど大きなハンカチがいるということである。七首目、何の籤かわからないが、籤に当たったことがない身の不運を嘆きつつも、最後はそれでも元気で生きて行こうという前向きの歌になっている。

 一読して気づくのは「生きづら感」だろう。黒瀬は選評で「サバイブ感」と表現している。穂村弘の言を借りれば、「生きる」と「生き延びる」の「生き延びる」の方だ。「生きづら感」は現代の若手歌人の歌に濃淡の差はあれ広く見られるものである。だから北山に特徴的というわけではない。やはり北山の短歌の特色は、黒瀬が「不思議な迫力」と表現したところにあるのだろう。黒瀬は、「現代のちょっとした諦念みたいなものが微妙に出ていて」、「読者に鋭いものを突きつけてくる」、「怖い歌集になるんじゃないかと思います」とも述べている。そのような読後感がどこから来るのか考えてみると、その原因のひとつは言葉のオブラートに包むのではなく、身も蓋もなくズバッと言ってしまう作風にあるように思われる。それは上に引いた歌では、「結婚を一人でしたい」とか、「どんどんブスになる私」とか、「大漁旗のハンカチ」とかに表れている。それが高じると、「顔面で受け止めている波飛沫ろくでなしの子はろくでなし」とか、「こうなればジャン=ポール・エヴァン五千円銀のトレイに叩きつけたろ」のように、何か心に溢れて来るものを吐き出すような歌となって表れる。歌の〈私〉が今どんな人生を送っていようとも、斜に構えたりすることなく、正面からどーんとぶつかっている感じがあり、それが黒瀬の言う迫力になっているのではないだろうか。

 現代短歌社賞の選考座談会でも評価が高かったのは家族を詠んだ歌である。

夏雲のあわいをユー・エフ・オーは行くきらめいて行く母離婚せり

父は父だけの父性を生きており団地の跡のように寂しい

紙という燃えやすきものにわが家あり戸籍謄本抱いて走る

ちちははの壊れし婚にしんしんと白樺立てりさむらい立てり

 北山の両親は離婚し北山は母親の籍に入っている。一首目は四句までは夏空を悠然と進む未確認飛行物体をゆったりと描き、結句でシーンを切り替えてストンと落としている。この手法はどちらかと言うと「未来」流なのだが、北山お得意の手法である。二首目では「団地の跡」という喩がおもしろい。高度経済成長の時代に立てられた大規模団地だろう。三首目では自分の家の根拠が戸籍謄本という紙の中にしかないという心細さが詠まれている。四首目では唐突に「さむらい」が登場するが、これは北山にとっては心を奮い立たせるときにイメージするアイテムのようだ。とてもコミック的である。

 作者は札幌のテレビ局で非正規職員として働いている。次の最初の三首は東日本大震災が起きた時のテレビ局の様子を詠んでおり、後の三首は2018年に起きた北海道胆振地方の地震の歌である。

わたくしを心臓が呼ぶ東北に緊急地震速報起てり

ブザーより一秒早く回り出すパトランプ、赤、誰か走ってる

一枚のFAX抱いて駆けて行く 字幕を作る 津波が来ると

Tさんが「カメラ回して!」と叫びつつ消えてゆく暗い廊下の先へ

バッテリーライトに照らし出されたる報道記者の顔のはんぶん

揺れていますスタジオも揺れています揺れてもきみは喋り続けよ

 震災を詠んだ歌は多くあるものの、このように災害発生時点での報道現場を詠んだ歌は少ない。体験した人にしか表せない迫力があり、証言としても貴重だ。

 笑ったのは次の連作で、どうやら作者は身代限りを企て、大金をはたいて東京は目白にある椿山荘に宿泊したらしい。明治の元勲山縣有朋の旧宅で、キッチュで豪華な内装で知られたホテルである。

北山様、北山様と呼ぶ声に痴れてゆくなりCHINZANSO TOKYO

やたらと壺、それにいちいち手を触れてキタヤマサマは非正規職員

苛立ちはざくりと兆しあの庭もこの絵も燃やしたろか 燃やせぬ

 その他に心に残った歌を挙げてみよう。

花びらのごみとなりたる一瞬にこころの水平つめたく測る

秋のあさ秋のゆうぐれこくこくと人の静脈あおざめゆくも

群青の胸をひらいて空はあるかけがえないよさみしいことも

大きさを確かめるため芍薬に拳をかざす路地仄暗し

夏薔薇はコンクリートに咲きあふるいのちに仕事も貯金もなくて

ひとりじゃないようでひとりだ梨を剥き梨に両手を濡らしていれば

さわらせてほしい背中の骨格のどこかに春のスイッチがある

遠のいてしまうとしてもがたんごとん路面電車は夕風のなか

くちづける猫のあたまの小ささよ悲しいことはヒトの領分

傘差してなお少しずつ体濡らす人々に守りきれぬものあり

帰るべき星のなければあの夏のサン=テグジュペリ空港を恋う

 断っておくが、これはあくまで私の好みに従って選んだもので、必ずしも北山の作風のベースラインを表しているわけではない。北山らしいのはむしろ、「だれもいないタオル売り場に左手を埋める尼にはどうやってなる」とか、「あかね雲グラクソ・スミスクラインのクソの部分を力込めて読む」のような歌だろう。

 こうして書き写してみると、帯文で島田修三が書いているように、作者には韻律を感受する優れた耳があるようで、定型に落とし込む手つきが確かである。最後の歌のサン=テグジュペリ空港はフランスのリヨンの空港である。昔はサトラス空港という名前だった。北山は数週間フランスでホームステイした経験があるらしい。

 謎なのは「崖にて」という歌集の題名である。崖という語は何首かの中に登場している。

お豆腐はきらきら冷えて夜が明ける天皇陛下の夢の崖にも

の中に小さく祈るちいさくちいさく心の果てに崖はひらけり

 もし崖の上にいるのなら、崖とはもう一歩退けば真っ逆さまに転落する境界となる。もし崖の下にいるのならば、それは行く手を阻む越えがたい障害となるだろう。しかし歌集を読んでもどちらかの像に収束することがない。おそらくは北山の心の中にときどき明滅する何かのイメージなのだろう。

卓袱台をひっくりかえす荒くれの心に卓袱台なければうたを

 北山にとって短歌がどういうものかを雄弁に語る歌である。卓袱台返しは『巨人の星』の星一徹で広く知られるようになった。両親は離婚し、自分は非正規雇用という不安定な身分で働かざるをえないという状況に、怒りが爆発すると卓袱台をひっくり返したくなるのだが、いかんせん現代の生活にもう卓袱台はない。北山にとって短歌とはひっくり返す卓袱台の役割を果たしているのであろう。これもまた短歌の効用のひとつと言うべきだろうか。

 

第307回 小笠原和幸『黄昏ビール』

生は揺らぎ死はゆるぎなし夕暮れて紫深きりんだうの花

 小笠原和幸『黄昏ビール』 

 短歌総合誌の新刊歌集評をぱらぱらと見ていたら、小笠原が新しい歌集を出版したことを知り、さっそく取り寄せた。小笠原はセレクション歌人『小笠原和幸集』に収録された『馬の骨』『テネシーワルツ』『春秋雑記』の後に、『風は空念仏』『穀潰シ』という二冊の歌集を出しているようだが、そちらは見ていない。あとがきによれば、第五歌集『穀潰シ』を刊行してから12年ほどほとんど短歌を作らなかったようだ。ある日一首を得てからまた作るようになり本歌集の上梓に到ったという。岩手県に住み、短歌結社などにまったく所属しない孤高の歌人であり、短歌総合誌などで作品を見る機会がほとんどないのが残念なので、新しい歌集の出版は喜ばしい。

 あとがきで本人が、「前五歌集の作とは随分違うものになった」と書いているように、作風は少しく変化している。前の歌集には次のような歌があった。

穢土浄土秋の畑に火を焚けばほむらへだてて真向かふ父子おやこ

                   『馬の骨』

ただ二人この家に住む日が来たら継母よ蜆が煮え立つてゐる

               『テネシーワルツ』

一切は烏有に帰する悦びへ火は立ち上がる逝く秋の野に

花はただ花の世に咲き人の世の道に散るとき花また芥

                  『春秋雑記』

 小笠原の短歌の特徴は、東北の風土性、複雑な家庭環境から立ち上がる物語性、「生とは死へと到る道である」という仏教的無常感であり、そのような要素の複合から立ち上がる濃密な抒情であった。その歌は時に箴言のようであり、時に真言かご詠歌のようにも響くことがある。

 第六歌集『黄昏ビール』に到って小笠原は、肩の力の抜けた飄逸と風狂、老醜の自虐の傾向を強めたように見える。

老ゆるとは若きらに蔑さるる事かつて誰かがうしたやう

エレベーターに駈込まんと来しOLは我一名に後退りせり

履歴書に書く来し方の覚束なしその日その日を思ひ起こして

本を出すため仕度せる黄白を嘲りし人わが父にして

すれ違ふさをとめが香を心肺のキャパの限りにわが吸い込みつ

 小笠原は1956年生まれなので、今年65歳を迎えるのだが、殊更に老いを歌にしている。一首目、自分も若い頃に老人を馬鹿にしたように、今は自分が若者から馬鹿にされているという歌。二首目は、OLが駈け込んで来たエレベーターに、歌中の〈私〉一人しか乗っていないのを見て、OLが一瞬ひるむという歌である。作者は高校卒業後、上京していくつもの職を転々としたようなので、三首目のように履歴書に経歴を書こうとしても記憶が定かではないのだ。この三首には「我」「吾」の文字はひとつもないが、それでも自分を詠んだ歌であることがわかる。短歌が一人称の文学である所以だ。四首目の「黄白」は、黄金(くがね)と白銀(しろがね)から転じたお金の異称。小笠原は若き日に寺山修司の短歌を読んで寺山病に罹患した一人なのだが、四首目はまるで両親と故郷に容れられなかった萩原朔太郎のようだ。文学はある意味で業であるというのは事実だ。五首目も老残の自虐の歌で、吸い込んでいるのは香りだけではなく若人の発散する活力でもある。

老人の消し忘れたる瓦斯の青あの世とやらへ導きのあを

三回忌雨中を遠く近く来てその幾人か今日に見納め

田村家の刀自が孤独に死にゐたり遠からずわが恃む死に方

帰り来て身に塩まけば日の暮を己れが影を見定めがたし

 前歌集に引き続き「生とは死へと到る道」というメメント・モリの歌は依然としてあるものの、前歌集で見られた苛烈さは影を潜めて、歌は軽みを帯びて飄逸さが顔を出している。少し肩の力が抜けた歌い方へと変化しているのは時の作用によるものだろうか。

裏通りに口を糊する身の程のぬばたまの過去あかねさす恥

「何といふ無駄な一生だつたらう!」理解し易き中野好夫訳

生きていて何するでない一つ身はおでんの為にローソンへ向く

地下通路に来て方向を失ひぬ然して用なき空蝉ながら

ゆるやかに下る坂道思ひのほか老といふこと楽チンにして

 上に引いた歌のように、自分の人生の無為と老と貧を歌う歌にも軽妙さが漂っていて、どこか境涯を楽しんでいる節すらある。すぐに頭に浮かぶのは山崎方代の歌である。

湯呑よりしずかに湯気の立ちのぼるそれをみつめて夕餉を終る

そこだけが黄昏れていて一本の指が歩いてゆくではないか

人生をお尻に敷いてまたたびの塩辛なんどを漬けておりたり

 山崎は先の大戦で視力を大いに失い、「身を用なき者と思ひなして」一生を送った歌人である。山崎や小笠原の歌を読んでいると、『聖ジュネ』でサルトルが書いたように、文学には価値の極を転換する回転扉のような働きがあると思えてならない。

 固有名を詠み込んだ歌もおもしろい。トニー谷が広辞苑に載っているとは知らなかった。

トニー谷広辞苑には見えれども算盤のこと記憶におぼろ

その顔に生まれ変わりたしと二枚目の文士は言ひき下條アトム

谷啓にガチョーンはありき昭和まつ芸でも何でもない芸にして

てんぷくを免れて一人伊東四朗╱老境にして〈タフマン〉を

 私が特に心を引かれるのは次のように何でもないことを詠んだ歌である。内容が空疎であればあるほど定型の持つ力が前に出て来る。

一つ世の行きずりにして新聞に氏名同じき人の死を見つ

風の日に余慶はありてお向ひの美魔女のものかその娘のか

歳晩の理髪店にて思ふらくアルジェリアの位置・ナイジェリアの位置

春宵に鍵屋と電話に話す時ヲス・メスで言ふ鍵と鍵穴

 その他に心に残った歌を引く。

明け方のヘッドライトに照らされて逃げまどひつつどぶを這う靄

流れ行く紙の舟しづむ紙の舟夏の終りの灯ともし頃を

夕方の渋滞にしてわが見上ぐ進まぬ自転車バイクフロアに漕ぐを

これの世の秋のあはれを犬のふん拾ふと屈むペディキュアは見ゆ

何切ると云ふにあらねど折折は光に見入るカッターナイフ

宵闇の墓に線香せんこの火をつけるまだ生きてゐる者のともし火

死ぬ前に目を瞠りたりその時に初めて見たる何かがありて

 集中で出色の抒情的な歌は二首目だろう。飄逸と皮肉と露悪が主低音の歌集の中にこのような歌を見つけると、まるで泥田に咲く蓮の花のように見える。

 

第306回 中沢直人『極圏の光』

言葉淡き地上にあれば手は常に強く握れと教えられたり

中沢直人『極圏の光』

 上句の「言葉淡き地上にあれば」はまるで何かの書物の一節のようだ。「我ら衆生の暮らすこの世は言葉の淡き世界である」、つまり言葉が頼りにならず約束も消えてしまいがちな世界ということである。そんな世界にあって人と人との繋がりを保とうとするならば、手を強く握れと教えられたという。教えたのは父親かもしれないが、作者はキリスト者なので、通っている教会の牧師の言葉かもしれない。師の岡井隆は中沢を「アフォリズム好き」と評しているが、その面目はこの歌にもよく現れていると言えよう。

 私の心を魅了してくれる歌人を探知すべく日頃からアンテナを張っているつもりなのだが、そこは個人の限界があり、いまだ出会えていない歌人も数多くいる。先日、拙宅に届いた『かばん』5月号をばらばらと見ていたら、中沢の「ネロリウォーター」という連作が目に留まった。寡聞にして私には未知の歌人だったが、二首ほど読んですぐにネット検索し、古書店から『極圏の光』を取り寄せた。2009年に本阿弥書店から上梓された中沢の第一歌集である。

 プロフィールによれば中沢は1969年生まれ。東京大学法学部を卒業後、ハーバード大学法科大学院 (Law School) を修了し、現在は東京の私立大学の法学部の教壇に立っている。キャリアから見るとバリバリのエリートである。1999年に「かばん」と「未来」に入会。「未来」では岡井隆に師事する。2003年に第14回歌壇賞と未来年間賞を受賞。本歌集『極圏の光』で2010年に第16回日本歌人クラブ新人賞を受賞している。ちなみに中沢直人は筆名なので、大学で中沢の講義を受講している学生は、教壇の人物を憲法と英米法の先生としか認識していないだろう。そう思うとちょっと愉快である。

 さて中沢はどういう短歌を詠むのだろうか。初期作品から引いてみよう。

年を経てゆがむ鉛の穂先から斜めに水を放つ噴水

何もせぬ者には功も罪もなく国会中継見るケネディ忌

前方に横須賀ランプ 高速を降りねばならぬ日がいつか来る

スーツ着た人々の群れほの見える北窓に置く恩師の遺影

九条は好きださりながら降りだせばそれぞれの傘ひらく寂しさ

 「文京区本郷通り」と題されたこの連作は『歌壇』に掲載されたという。本郷通りは東京大学本郷キャンパスのある場所だ。あとがきによれば、この頃中沢は先の見えない研究生活の中で鬱屈していたという。一首目は噴水を詠んだ歌。老朽化して先端が曲がった噴水の穂先からは、水がまっすぐ出ずに斜めに放たれる。それが〈私〉の喩であることは明らかだ。二首目のケネディ忌は11月22日で、詠まれているのは自分はまだ何者でもないという青春の鬱屈だ。三首目もまた喩が明らかな歌である。降りねばならぬ高速とは、ポストと栄誉を求めて邁進する研究生活とも、より広く人の生とも読める。五首目の九条はもちろん戦争放棄を謳った日本国憲法の第9条である。降り出せば開く傘とは、それぞれの国を防衛する核の傘のこと。このように中沢の短歌の特徴は、歌への強い自己投影と喩の多用にあると思われる。その姿勢と技法は師の岡井隆のよく知られた「海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ」などに学んだものと考えられる。

 「歌への強い自己投影」の帰結のひとつとして、歌と作者の距離が(一見すると)近いということが挙げられる。角川『短歌』の本年(2021年)4月号の「時代はいま」という連載エッセイ欄に、堂園昌彦が「作者と定型の融和について」という興味深い文章を書いている。堂園は、吉本隆明が「夜の雨あした凍りてこの岡に立てる冬木をしろがねとしぬ」という窪田空穂の歌を引用して、空穂が取り上げるモチーフの必然性がわからないと書いたことに触れる。つまりなぜこのように何でもない光景を歌に詠むのかわからないということである。そして堂園は「短歌はテーマの選択や詠われる内容よりも、作者の定型への距離の取り方の方が問題の中心になる」のではないかと述べている。なかなかに鋭い指摘である。

 もう少し説明すると、作者の定型への距離の取り方とは次のようなことだ。吉本は空穂の歌では、「光景の写生のようにみえて、ほんとは光景の描写のなかに光景をみているものの眼や主観が入り込んでいて」、「作歌している作者とどれだけ和解しているるか計りしれない。その和解の風姿があたえる温和さ、心持(ママ)よさ」こそが短歌にとって本質的だと書いているのである。この論に基づくと、空穂の歌には表面上は〈私〉がまったく表現されていないにもかかわらず、作者と短歌定型との距離は極めて近いことになる。いや、「定型との距離」よりも「定型との親和」と言う方が的確かもしれない。堂園はこのような短歌定型が内包する特性を肯定するのではなく、むしろ否定的に捉えて警鐘を鳴らしている。

 堂園の提起した問題をどう考えるかがこのコラムの目的ではないので、中沢の歌に戻ることにする。もし「歌との距離」を上に述べたような意味で捉えると、逆接的ながら中沢の歌に見られる「強い自己投影」は、短歌定型と作者の距離を遠くしていると見ることもできる。それは短歌を「自己表現の道具」と見なすかどうかにも関わっている。中沢が若い頃に抱えていた先の見えない研究生活の鬱屈が作歌の動機となったことはあとがきから窺える。人はいろいろな機会にさまざまなやり方で短歌と出会う。その出会い方が規定することも多かろうと推測される。

 一方の「喩」は次のような歌に顕著である。

銀色の尾をふりたてて餌を探すアメリカリスの爪の鋭さ

更けゆけばすずしきジャパンタウンなり毛を刈られたる羊と歩く

決議あまた採択される金曜日すべては右に幅寄せされて

角の丸い窓と尖った窓がありどちらかに押しつけられる朝

本線を示す矢印かがやけりためらう者は省かれてゆく

 一首目は訪れたアメリカの公園の光景だが、リスの爪の鋭さには合衆国の突出した軍事力や強引な外交交渉が投影されている。二首目はたぶんシアトルの日本人街で、毛を刈られた羊とは第二次大戦後の日本の喩に他ならない。三首目はどこかの会議の光景で、右への幅寄せとは右傾化・保守化の喩である。四首目はラッシュアワーの通勤電車の光景だが、ここにも二者択一を迫られる立場が投影されている。五首目に詠まれているのは法学者としてのキャリアである。学者の王道を歩く人もいれば、そこから逸れたりはじかれる人もいる。

来なくなった仲間のことは語られずハーバード会すずしげに果つ

微分して負となるキャリアわが前にあり再校の字間なおしぬ

すがれゆくパルテノン多摩若すぎて憎まれるうちに教授になりたい

胡麻味の豆乳プリンを食べ終えて京都へは行けませんと答えつ

後輩のためにポストを取りに行く血のにおいする扇状地まで

ほつほつと水苔立ち上がる二月同期の母校帰還決まりぬ

 法学者としてのキャリアに関係する歌を引いた。一首目のハーバード会は、ハーバード大学の法科大学院の卒業生の集まりだろう。二首目の「微分して負となる」とは関数の曲線が下を向いている、つまり自分のキャリアは下降気味という意味だ。三首目はあまりのストレートさに驚く。ちなみにどこでも法学部は若くして准教授・教授に就任する人が多い学部である。四首目はたぶん京都の大学からの移籍話を断ったという歌だろう。五首目も表現の激しさにびっくりする。六首目は少し説明が要る。東大を出ても学者としてのキャリアの振り出しは、たいてい地方大学や私立大学である。研究業績を積んだ人の中から母校の准教授や教授に迎えられる人が出る。するとそれ以外の同期の人が母校に戻れる可能性はなくなるのである。

ほの暗い谷間のポスト軽くなで静かに落とす別れの手紙

あたたかな沼地へ続く緩傾斜すべり出すとき光るスポーク

最後までこれほど甘いはずがない ほどほどでやめにするカプチーノ

胸の奥に壊れたカメラひとつずつ持つ者たちを招く裏門

ひと息に引くクレヨンの赤い線ほつりと森に消える自転車

 中沢の好む技法を示す歌を選んで引いた。上句で叙景や感興をまず述べて、下句は〈連体修飾句+体言〉という体言止で終えるという技法である。上句と下句の間には意味的な関連性があることもないこともある。一首目は関連性のある例で、「ポストをなでる」と「手紙を落とす」は一連の動作である。しかし五首目のクレヨンの線と自転車の間には意味的な紐帯はない。この場合、下句は「遠くへ飛ばした」状態となり、上句との付け合わせの妙が鍵となる。

エリートは晩秋の季語 合理人の孤独を映す水面静けし

穏やかな同僚といて間違いにはっきり気づく夜の地下鉄

ぬけぬけとココアはぬるく言い訳として語られる鬱に倦む春

木の床のところどころが擦り切れていてこんなにも父に似たバス

軋みつつしぶしぶ開く木の扉たゆたし日暮れのクィーンズカレッジ

自転車で駆け抜けたあと思い出す背の高い司書が住んでいた村

少年の潜熱あわく椅子の背にカーディガンしたたる二階席

重なった師とわれの影うすくなる曇り日の午後信号を待つ

 特に心に残った歌を引いた。一首目の「合理人」は造語だろう。経済学では理性的判断によって自己の利益を最大化するよう行動する人を「経済人」(ホモ・エコノミクス)と呼ぶが、それにならったものか。三首目の「ぬけぬけと」は次の「ココアはぬるく」に係るのではなく、それを飛ばして「言い訳として」に係るのだろう。七首目の「潜熱」は物理学の用語で、固体が液体に、また液体が気体に相転移するときに発生する熱をさす。この歌では少年が大人へと成長する過程を相転移になぞらえたものか。結果として選んだのは、歌への強い自己投影も喩もない歌ばかりで、これは個人的な好みの問題なのでいたしかたない。

 第一歌集刊行からすでに12年を閲している。次の歌集を期待したいところだ。