第380回 『編棒を火の色に替えてから 冬野虹詩文集』

乳母車の車輪を秋の陽はこぼれ歩道の上に唄を移しぬ

冬野虹「かしすまりあ抄」

 先日、自宅に送られて来た封筒を開封すると、かなりぶ厚い本が出てきた。瀟洒なグレイの表紙に『編棒を火の色に替えてから 冬野虹詩文集』とある。版元は素粒社。あの野崎歓が帯文を寄せている。曰く、「冬野虹! その名はふしぎな想像界への扉をひらく合言葉だ。見よ、彼女の手が触れると、あらゆる事物は本来のポエジーを取り戻し、未知の出会いに向けて軽やかに浮遊し始める。」 なかなかの名文だ。文中に「取り戻し」とあるということは、事物には本来ポエジーが備わっていて、それを取り戻すためには触れるだけでよいということだろう。まるで触れた物すべてを黄金に変えたというミダス王の Midas touchのようではないか。私は読み始めた。そして、梅雨時のうっとうしい気候を忘れて、数日の間とても幸福な時間を過ごしたのである。

 本書は冬野のパートナーであった俳人の四ッ谷龍が編纂したもので、四ッ谷は巻末に回想を含む冬野虹論を執筆している。本体は第I部が俳句、第II部が詩、第III 部が短歌、そして第IV部が散文その他という構成になっている。浅学にして冬野の名を知らなかったが、これ以外に絵画作品もあるらしく、ずいぶん幅広く活動した芸術家だったようだ。

 年譜によれば、冬野は本名穴川順子として、1943年大阪に生まれた。実家は繊維業を営む裕福な家だったようだ。大阪は昔、「東洋のマンチェスター」と呼ばれていたこともあるほど繊維業が盛んだった。冬野は帝塚山学院短期大学を卒業後、絵とクラシック・バレエのレッスンを受け始める。したがって画家としての活動が最初ということになる。その後、1976年頃、33歳くらいで俳句を始め、藤田湘子の結社「鷹」に所属する。1992年頃、50歳の手前で短歌に手を染める。特定の師はいなかったようだ。四ッ谷と二人誌「むしめがね」を発行して活動の舞台とする。1995年頃から詩作を始めている。その間、舞踏家ピナ・パウシェ、俳人田中裕明、詩人高橋睦郎らと交流。2002年に虚血性心不全にて急逝とある。還暦を目前にして亡くなったことになる。すでに四ッ谷龍が編纂した三巻本の『冬野虹作品集成』があり、本書はその普及版という位置付けかと思われる。

 まず短歌から見て行こう。解題によれば、冬野は1992年から2001年にかけて677首の短歌を作った。四ッ谷はその中から387首を選び未完歌集『かしすまりあ』として『冬野虹作品集成』に収録したとある。本書には『かしすまりあ』からの抜粋と、未収録の歌が拾遺として掲載されている。まず『かしすまりあ抄』から引く。

部屋の奥で扇のやうに泣いてゐる婦人のためのパヴァーヌは雪

音別おんべつの駅に西瓜を下げた人ふらりと揺れて地に影おとす

籠にあるミネラル水の瓶の絵の氷の山の部分に夏の陽

泉川いづみかは清酢の店の前に来て誰か線香折っている音

深紅のカシスソーダ水つくる長いスプーンの尖のさびの香

はつなつのアテナインクの青のこと友に話しぬ動詞使はずに

 文体は旧仮名遣の定型で、文語(古語)混じりの口語(現代文章語)である。一首目には「式子内親王に」という詞書が添えられているので、平安王朝風の絵巻の場面を想像する。「雪」「扇」は恰好のアイテムだが、パヴァーヌに詩想の飛躍がある。パヴァーヌ (pavane) はフランス語で、16・17世紀に流行したゆっくりとしたテンポの舞曲。孔雀の動きを模倣したと言われている。ラヴェルが作曲した「亡き王女のためのパヴァーヌ」(Pavane pour une infante défunte)が名高いので、誰の脳内にもこの音楽が鳴るだろう。二首目の音別は北海道の釧路に近い場所の地名である。音別と西瓜の取り合わせにおもしろ味がある。夏の光と地面に落ちる影の対比が鮮やかだ。三首目の籠は、ビクニックに持って行ったか、あるいは庭の木陰のガーデンテーブルに置かれているラタン (籐) の籠だろう。ミネラルウォーターのラベルに描かれた雪山に夏の陽が当たっているという場面。「ミネラル水の瓶の絵の氷の山の」とずっと「の」で結んでクローズアップ効果を出している。四首目の泉川清酢いずみかわ せいすは、表千家と裏千家の家元が軒を並べている京都の小川通にある江戸時代から続く酢の製造販売店である。その前を通りかかると線香を折る音が聞こえたという。線香をあげるときに折るのは浄土真宗で推奨されているという。しかしポキッと線香を折るかすかな音が外にまで聞こえるものだろうか。どこかファンタジーの匂いがする。また季節は書かれていないが、夏の盂蘭盆会を連想する。五首目の「カシスソーダ」もまた夏の匂いがする。音数から言って「深紅」は「しんこう」と読み、「尖」は「さき」と読むのだろう。避暑地を思わせる一首である。カシスソーダを飲む女性は、できれば青い水玉模様のサマードレスを着ていてほしい。六首目の「アテナインク」はかつて丸善が製造販売していた万年筆用のインクである。色はたぶんブルーブラックだろう。そのインクのことを動詞を使わずに友達に話したという。「アテナインクを買ったのよ」ではなく、「アテナインクの青がきれいなのよ」ということか。

 歌の全体に「どこか別の国」感というか、「どこにもない国」感が漂っている。詠まれているアイテムは「西瓜」「ミネラルウォーター」「線香」「カシスソーダ」「インク」など、どこにでもある物なのに、冬野の短歌に詠まれてある特定の場面や状況に置かれると、とたんにポエジーを帯びて輝き出すように感じられる。これが野崎の言う「ポエジーを取り戻す」冬野マジックだろうか。

 この「どこにもない国」感は、紀野恵の短歌の世界とどこか似ているように思われる。

九月、日本製バスに乗り墓はらの石の白きを訪ふゆふまぐれ

ヴィクトリア朝風掛椅子朝焼けをじっと坐つて視るための物

               『フムフムランドの四季』

〈きのふまで〉をしづかに包み送り出すゆうびん局のまどろみの椅子

昼を寝(ぬ)るボボリ庭園三毛猫が擦り抜けてゆく時の天使も

                    『La Vacanza

 『フムフムランドの四季』では巻頭言に「フムフムランドは日本国の南方海上三百余里に有り」と高らかに宣言してあり、収録された歌が「どこにもない国」のものであることを明らかにしている。したがって、歌に詠まれたヴィクトリア朝風の椅子も、フィレンツェのボーボリ庭園も現実のそれではなく、フムフムランドという架空の国に転送され、その磁気を帯びたものである。

 冬野の短歌と紀野の歌のもうひとつの共通点は、近代短歌の写実性を支えた情意の主体であり視点主体でもある〈私〉の不在にある。写実性に代わって冬野の歌で追究されているのは、物と物とが触れ合い場を共有することによって立ち上るボエジーである。冬野の短歌にどこかそっと置かれて人を待つような気配が濃厚なのもそのためだろう。この点については紀野の短歌はやや異なる。紀野の短歌には、自らが作りあげたフムフムランドを統べる強い意志が感じられる。

 『かしすまりあ抄』に続いて拾遺に納められた歌にも心に残るものがある。

狭庭はエメラルドいまひとすじのサイダーの気泡夏へのぼりぬ

のそばの紫陽花の色ゆつくりと濃くなるときにまぶた閉ぢらる

風はもうすみれの庭を小走りに春の制服ちくたくと縫ふ

臾嶺ゆれい坂を蝉に押されるやうに下る風呂敷包の中の葛餅と

ベーコン焦げる匂ひのやうな喜遊曲ギャロップギャロップの日暮

 二首目には「龍・父上みまかりき 六月二十七日」という詞書がある。四ッ谷龍の父親が亡くなったのを悼む歌である。四首目の臾嶺坂は、外堀通りを神楽坂下から四谷方面に少し行った所から北に延びる狭い坂道。冬野の短歌のもうひとつの特徴は、ややもすると強すぎることもある「情意」と、短歌に伝統的にまとわりつく「湿り気」から自由であることだ。冬野の短歌を読んでいると、透明な硝子器の中に固く凍った氷片がカラカラと乾いた音を立てながら落ちてゆくような印象を受ける。

 次に俳句を見てみよう。解題によれば、冬野は『雪予報』という句集を1988年に沖積舎から出している。本書には『雪予報』の抜粋と、『網目』と題された未完句集の抜粋が収録されている。

荒海やなわとびの中がらんどう 『雪予報抄』

蚊帳吊草辿れば少女の骨の闇

メリケン粉海から母のきつねあめ

陽炎の広場に白い召使

生まれなさいパンジーの森くらくして

つゆくさのうしろの深さ見てしまふ

子規の忌のたたみの縁のふかみどり

姉死んで妹あける豆の缶

 俳句結社「鷹」と言えば、創立者の藤田湘子に続き、小川軽舟、高柳克弘と続く俳句の名門である。冬野は1981年に鷹新人賞を受賞している。一読して冬野の関心は言葉の組み合わせにあることがわかる。たとえば一句目の「荒海」という荒々しい冬の季語と「なわとび」という可愛らしい物の取り合わせがそうである。三句目の「メリケン粉」と「海」は意外な組み合わせに見えるかもしれないが、「メリケン」は「アメリカン」が訛った語なので、海の向こうからやって来たもので繋がりがある。「きつねあめ」は別名狐の嫁入りで夏の季語。しかしきらきらとした言葉の組み合わせの所々に暗い闇のようなものが潜んでいるのも魅力だ。一句目の「がらんどう」、二句目の「骨の闇」、五句目の森の暗さ、六句目の露草の向こうにある暗さなどである。

こけもものゼリーに淡き冬の妻  『網目抄』

一つ葉にホースの先の水しづか

ゆふぐれのコルクの床に葉書舞ふ

両の眼のひらかれてゆくまんじゅさげ

肉屋ブッチャーの長い休暇や罌粟ひらく

淳之介は海へ薔薇販売人眠れ

ひかりの野蝶々の脚たたまれて

 どの句も絵が鮮明でくっきりとしていて、何より詩情が豊かである。特に二句目や三句目や最後の句は美しい。二句目の一つ葉は庭にもよく植えられているシダ植物で、厚い緑の葉を持つ。ホースから出る水が静かに庭の一つ葉を揺らしているのである。三句目には何か物語があるようだ。ちなみに喘息を病んでいたプルーストはコルク張りの部屋で暮らしていたらしい。六句目の淳之介は吉行淳之介だろうか。

 冬野は書いていた詩を生前詩集に纏めることはなかったようだ。解題によれば、冬野の書いた詩から選んで『頬白の影たち』という未完詩集を『冬野虹作品集成』に主録したとある。本書にはその中から抜粋された詩が掲載されている。詩の引用は長くなるので一篇に留める。「まつゆき草 le perce neige」と題された詩である。

あの山は何だろう?

蒼ざめて

笑っているのは

 

鹿の睫毛に

囲まれたうみの中へ

しずみゆく

地震の寺院

 

私はその山にはいる

そして

私はその山の

裾に咲く

まつゆき草の

もえる

しずかな

ひとしずくの

遺体の

位置を

はっきりと知った

 私には詩の鑑賞を書く能力はないが、冬野の詩の言葉たちは日常の重力から解き放たれて、乾いた砂の上に存在の淡い影を落として浮遊しているように感じられる。その位相は冬野の短歌のそれとさして違わない。冬野の中では短歌と詩はひと続きのものだったのだろう。

 今年は前半を折り返したばかりで気が早いことは重々承知の上だが、本書は今年の収穫の一冊となりそうな予感が濃厚だ。梅雨のじめじめしたうっとうしい季節をひととき逃れて、ひやっと涼しく乾燥した天上的な空気の中で過ごしたいと願う人にはお奨めの一冊である。

 

第379回 第67回短歌研究新人賞雑感

道なりに進めば浄水場があり、あるはずの大きな貯水槽

工藤吹「コミカル」

 『短歌研究』7月号に第67回短歌研究新人賞受賞作が掲載された。今年の新人賞は工藤ふきの「コミカル」である。選考委員の交代もあった。長らく委員を務めた米川千嘉子が退任し、代わりに千葉聡が加わった。これで選考委員の陣容は、石川美南 (1980生)、黒瀬珂瀾(1977年生)、斉藤斎藤(1972年生)、千葉聡(1968年生)、横山未来子(1972年生)となった。誕生日を迎えているとして計算すると、平均年齢は50.2歳となり、ずいぶん若返った印象がある。私の手許にある新人賞受賞作が掲載された最も古い号は今から20年前の2004年9月号である。その年の受賞は嵯峨直樹の「ペイルグレーの海と空」だった。選考委員は岡井隆、石川不二子、馬場あき子、永田和宏、島田修二、道浦母都子の6人である。それからずいぶんと時間が経ったものだとあらためて感じる。

 新人賞の工藤吹は2001年生まれで盛岡出身。誕生日を迎えていれば23歳である。二松学舎大学に在学中の大学生で、結社の所属はないが、一時早稲田短歌会に参加していたこともあるようだ。『早稲田短歌』51号(2022年)を見ると「ミートパイ」という連作が掲載されている。受賞作「コミカル」から引く。

その昼の中に眩しい一室の、生活の、起き抜けの風邪だった

目が合うと段々部屋が散らかっていたことに焦点が合ってくる

遠泳のような余裕をたずさえてポカリのようなもの買いに行く

看板が増えれば町は賑わいのさなか微かに歩調を上げる

どこにでも光は届くものだけど秋には乾ききる用水路

 朝起きると風邪をひいていて、散歩がてら買い物をしに外出する。その道々の様子が実況中継のように詠まれている。選評で石川と斎藤が二人とも「風通しがよい」と評し、石川は続けて「抜群に好感度が高い一連」で、「何でもない時間を肯定的に書いている」と述べる。斉藤も「気分に町の空間の広がりが重なっていく感じがよくて」と評するが、一連の最後の方の歌が弱いとも述べている。

 確かにライブ感の感じられる詠み方で、何気ない日常の風景を肯定的に捉える感性も心地よい。文体に目を転じると、いかにも今風だなあと感じる。かつて近代短歌は、「夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿を残して」(小池光)のように、結像性の高い情景を一幅の絵のように詠む傾向が強く、その際に大きな効力を発揮したのは助動詞である。小池の歌では倒置法が用いられているが、二句の完了の助動詞「ぬ」の力によって歌の情景は過去の時間軸にしっかりと定着する。この助動詞の効力は短歌が口語(現代文章語)化することによって失われた。現代文章語には過去の助動詞「た」一つしかない。その「た」ですら工藤の連作では二首にしか用いられておらず、それ以外の歌の文末は動詞の終止形(現在形ではない)か、さもなくば体言である。工藤の連作のライブ感は、「差し掛かる」「買いに行く」「見えてくる」「歩調を上げる」のように、結句の動詞の終止形を連ねることによって生じている。私の生きる「今」が焦点化されるのが現代の若い歌人たちの一つの特徴である。しかしそれがどこかふわふわした印象を与えることも否めない。

 選考座談会でおもしろかったのは工藤の作に点を入れなかった黒瀬の意見である。黒瀬が点を入れなかった理由はただ一つ、韻律が受け入れられなかったからだという。たとえば「歩道橋使うくらいに気が向いて休日の散歩なら悪くはない」の下句はだめだと述べている。確かに「決めたのは公園を通って帰ること、とても良い思いつきだと思う」の下句も散文的で短歌の韻律ではない。こういう文体を作者の個性として受け入れるか、それとも拒否するかは人によるかもしれない。

 ちょっと調べてみると、工藤は俳句にも手を染めているようだ。「週間俳句 Haiku Weekly」の2022年2月6日付のサイトに「大炬燵」と題された俳句が掲載されている。短歌作品とは趣がちがっていて、有季定型のなかなか良い句なのである。いろいろと異なるジャンルも試しているのだろう。

菓子箱に菓子の模様や冬椿

贈答のハムの転がる冬構

藁細工ほのと湿るや暮の市

箸乾く餅の貧しく付きしまま

白鳥の白や水面のうすにごり 

 今回の選考ではちょっとおもしろいことが起きた。選考委員が一位に推した作が全部異なっていたのである。「コミカル」を一位にした委員はおらず、二位と三位にした委員が一人ずついた。討議の過程で評価が変わることはよくあることで、結果的に「コミカル」が新人賞となったのである。

 工藤の歌で一つ気になったことがあるので書いておく。「窓に背が向くように置いてある本棚の本の色味を気に入っている」という歌があるのだが、本の「背」とは、ページが綴じられている側で、タイトルや作者名などが縦に印刷されている狭い部分を指す。本棚に並べるとこちらを向く部分である。背を窓に向けて置くと、タイトルや作者名が見えない。おまけに窓から入る日光によって日焼けするので、ふつうはそういう置き方はしないものだ。

 次席は津島ひたちの「You know」が選ばれた。津島は2002年生まれで京大短歌会所属である。『京大短歌』29号(2024年1月)を見ると、教育学部の2回生とある。今は進級して3回生だろう。

彼の死は八年前の冬でありそのあと冬は彼の死である

目を瞑れば彼があのころ統べていた教室 そこに声ふり積もる

先生に似合わぬ言葉が言えそうな鼻声だった渡り廊下に

カーテンは重たく濡れてこの部屋に朝になっても生きている蝿

子どもにはわたしに見せぬ顔がありわたしに見せてしまう顔もある

 8年前のおそらくクラス担任だった教師の突然の死を軸に展開する一連である。横山が一位に推している。横山は「孤独感と虚無感が伝わって余韻が長く残る」と述べ、また声や音を意識して詠っている点も印象に残ったと続けている。千葉と石川は七位に、黒瀬は八位に入れている。ただし、長いスパンにまたがる記憶を描く割には時間意識が薄いと黒瀬が指摘する点は確かに瑕疵かもしれない。

 黒瀬が一位に推したのは湯島はじめ「あなたの町に」である。

お互いの城下の古いアパートへ入居を青い契約印で

避難ということばの遠さわたしには汀はプール 海ではなくて

暴力のような芽吹きの町にいてあなたひとりが聴く犬の声

 湯島は1992年生まれで「かばん」所属。調べてみると『ジャッカロープの毛のふるえ』という短歌集を出しているようだ。選評で黒瀬は、「誰かと生きる、ということへの様々な試行が綴られる。そこには、他者と我とはそれぞれ独立した存在であり、けっして融合しないという確固たる認識がある」と述べている。石川は五位で取っている。また背景に福島の帰還困難区域の置かれた現状があるのではないかとも述べている。たしかに東日本大震災を背景に読むと、またちがった読みができるかもしれない。「かばん」の最新号を見ると、「光と希死いつも同時に瞬いてソルトアイスに顔顰めたり」のように良い歌を投稿している。

 石川が一位に推したのは穴根蛇にひきの「雪と雪の鵺」である。

初冬の結露を載せてもらわれる子どものようにしずかな鏡

新生児並べるようにタッパーへ夜のしじまへご飯を分ける

いつか痛みを花に喩えて言うときに声まで百合のように裂けつつ

 穴根蛇は「とにたん」「ウィーンガシャン派」「時庭歌会」所属とある。確か昔「かばん」でこの筆名を目にした記憶があるのだが。石川は、「ストレートな抒情を感じる歌が多く、一首一首の完成度が高い」と評している。黒瀬は七位に取り、「触覚や粘性、身体感覚を鋭く描写している」と評価する一方で、「世界の上澄みをすくっているように思ってしまった」とも述べている。現代の若手歌人とは異なる作風がおもしろいのだが、一首の中にたくさんのものを詰め込み過ぎているきらいもある。

 千葉が一位に推したのは石田犀の「あるブルー」である。石田は「塔」所属で1991年生まれ。

階段をあなたが先に降りていく想像上の指でつむじ押す

質量であなたは音を語りつつ意図がわたしに届くスピード

舌ひとつ青き火種として渡す冷えたふたつの耳殻のために

 千葉は「ジャズのライブに行き、ひととき音楽に身を委ねて、また日常に戻る。ライブの様子を、音楽そのものよりも、音楽に纏わりつく諸々で多くを語っている」と評している。黒瀬は、「テーマ一つで押し出してきて、力のある人だと思いました」と語る一方、ジャズ自体の歌にあまり魅力を感じなかったと述べている。千葉は短歌と音楽は相性がいいとしているが、そうでもなくて、言葉で音楽を語ることは存外難しい。掲載された抜粋からジャズ演奏の歌がすっかり抜け落ちているのもそのためだろう。

 斉藤斎藤が一位に推したのは梨とうろう「8週目の天気」である。

友だちはたぶん農家を継いでいて毎年野菜を送ってくれる

いつか見たホームページにあったドット絵の桜吹雪が流れるしかけ

夢を見る後部座席で遠ざかる動物園のネオンの光

 梨とうろうは東京大学Q短歌会所属。斉藤の選評が抜群におもしろい。斉藤は梨の文体が、「直球と変化球でフォームが変わらないダルビッシュのように、現実と幻想がおなじ文体で詠われている」と述べ、短歌を読んでいるとロイター板が見えるときがあるが、梨の連作にはそれがなく、「ずっとぬるっといく」というやり方もあるとする。ロイター板とは跳馬などの競技で使う踏切板のこと。斉藤が言いたいのは、「来るぞ、来るぞ」という構えが見えてしまう短歌があるということだ。梨の短歌にはそれがないという。また「物を見るのも夢を見るのも、それを認識して言葉に起こすときには同じOSを使っている」、「みんながコンテンツとかアプリを作っているとすれば、この人はOSに食い込んだところをやっていて、そこにアドバンテージがあると思いました」と激賞している。

 斉藤が言いたいのはこういうことだろう。OS (Operating System) とはコンピュータを動かす基本システムのことで、「短歌のOSがちがう」というのは穂村弘もよく用いる比喩である。他の候補者たちが同じOS、つまり同じ短歌の作り方で、そこに何を盛るかというコンテンツで勝負しているのにたいして、梨はOSそのものを改変する、あるいはOS自体に独自性を与えるような勝負をしているということだ。

 千葉は「斉藤斎藤コード」で読む納得できておもしろい歌もあるが、いきなり一首出されても意味がわからない歌があるとし、横山は「かみなりの流れに沿って一辺が16センチの悪魔と踊る」という歌の意味が取れないとしている。また石川は永井祐の文体に似ているところがあるが、ちょっとついていけない歌があると否定的である。斉藤のOS論は歌論としてはおもしろいが、他の選考委員にはあまり響かなかったようだ。

 最後の候補作は吉田懐の「白い虚」である。

サイレンを遠く遠くに聴きながら絵の具のひろがる水を見ていた

駅名を右から左へなぞり読むその頬骨の裏にある虚

泣き喚く子どもは画面に収まってきつく回している魔法瓶

 吉田は所属なしの大学生である。横山と千葉が二位に押している。横山は「大きな出来事はないが、流れゆく時間や他者との距離感を繊細な感覚で捉えている」と評し、千葉は「なかなか意識できないような微妙な部分を詠んでいる。一首の完成度の高さにも惹かれる」と述べている。確かに抜粋ながら私がいちばん多く○を付けたのは吉田の連作だった。

 2023年に角川短歌賞で佳作に選ばれ、2021年の短歌研究新人賞では長井めもの筆名で最終選考を通過している永井駿は残念ながら最終選考通過で終わっている。佐原キオも同様である。驚いたのは2005年の第41回短歌研究新人賞で最終選考を通過している今村章生(まひる野)が今回も「特別な日々」で最終選考通過作品に選ばれていたことだ。

 2023年のU-25短歌選手権で優勝したからすまぁ、栗木京子賞を獲得した雨澤佑太郎、小島なお賞に選ばれた市島色葉、2022年のU-25短歌選手権で栗木京子賞を受賞した酒田現、穂村弘賞をもらった今紺しだは佳作となっている。果敢に挑戦するものの、短歌研究新人賞のハードルはなかなか高いようだ。

 なお今回の応募総数は579篇で、昨年の718篇に較べると大きく減っている。理由は定かではない。ちなみに2004年の第47回の応募総数は603篇である。今回も無所属の歌人が多かった。無所属の人はインターネット歌会やネットプリントを媒体として活動していることが多い。今後もこの傾向は続くだろう。


 

第378回 金田光世『遠浅の空』

加湿器の水はしづかに帰り着く空を濡らして降る絵の雨へ

金田光世『遠浅の空』

 最後まで読んで「アッ」と声が出た歌である。加湿器のタンクの水は水蒸気に相転移して部屋の空気を湿らせる。空中の湿気はやがて上昇気流に乗り、空の高みに達して雲となる。そして雨となって降り地上に戻る。というのならば「水の循環」を詠った歌になる。しかし結句に至って雨が降るのは壁に掛かった絵の中だと知れる。まるでエッシャーの騙し絵のように、現実の世界と絵の中の世界が接続されていて、読む人は知らないうちに異なる世界に足を踏み入れることになる。これが作者のたくらみである。この「異なる世界を接続する」というあり様は、単に作歌の技巧や手法に留まらず、作者の深い所に根差す心持ちであるように思われる。

 歌集に作者のプロフィールがないので詳細は不明だが、金田光世は塔短歌会所属の歌人。栞文を寄せている浜松市立高校の国語教員の後藤悦良によれば、金田は高校在学中から文芸誌に短歌を寄稿しており、高校3年の時に塔短歌会に入会したようだ。その後、京大短歌会に籍を置いた時期もある。本歌集は20年以上にわたって詠んだ歌をまとめた第一歌集だという。ずいぶん遅い第一歌集だ。そのせいもあってか、収録された歌数がとても多い。またほぼ編年体で構成されているので、歌風の変遷も読み取ることができる。栞文は結社の大先輩の花山多佳子、先輩の澤村斉美と、前述の後藤悦良に小林久美子が稿を寄せている。版元は青磁社で、最近珍しいクロス装のハードカバーの造本である。

 花山はかつて結社の中にあった同人誌『豊作』に掲載された次のような歌を引いて、金田はこういう浮遊する感覚を持つひとであるとする。 

このからだどんなに深く眠つても根を張ることをしらないからだ

心より水にしたしい手をもつて水に紛れる心を掬ふ

 また歌の随所に見られる「イメージの飛躍」「イメージの拡散」や「抽象性」が金田の歌の特質だとしている。

 小林は、「金田さんの短歌の書き方には、明確に言語に託すことのできない純粋であえかな感覚や現象に向かって身を投じ、深い注意で見つめ、記憶し、時に幻想し、そして時に消し、やがて呼び戻して新たに知る、その連なりのなかで諒解され得たものごとを言葉に成してみる、そういう手法を思う」と綴っている。金田の短歌に見られる浮遊感と逡巡のよって来たる深源を捉えたすばらしい批評で、金田の短歌世界の特質を言い当てている。小林の短歌世界と金田のそれとはどこか深いところで繋がっているようにも思える。その理由は後で触れる。

 最初に注目したのは第I章の次のような歌群である。 

空の穴押さへて吹けばりゆうりゆうと夕闇は来る海の底より

目に見えるものは空へはのぼれない無口になつたサイダーの瓶

ガラスコップ桃色であるあやふさに水の光をくづして止まず

貝殻の合ひ間に匙を埋めればアサリスープにたましひ揺れる

フリージアの形をなくし夕刻の時計店へとしみてゆく影 

 一首目、穴を押さえて吹くのだから管楽器だろうと思うのだが、押さえるのは空の穴だという。人が押さえられるものではない。押さえるのは大いなるものだろう。「りゆうりゆうと」という壮麗なオノマトペと共にやって来るのは夕闇である。つまりは夕暮れの印象を描いた歌なのだが、異質な意味野から語彙を集めているためにイメージが散乱する。二首目、「目に見えるものは空へはのぼれない」という箴言風の上句である。この命題の対偶を取ると、「空へのぼれるのは目に見えないものだけである」となる。目に見えないものとは魂と天使と風か。下句は一転してサイダーの空き瓶の視覚像で終えている。三首目、ガラスのコップが桃色であるのはよいとして、それがなぜ「あやふい」のかが明かされていない。「水の光をくづす」というのはコップの水が光を反射したり屈折したりする様だろうか。四首目、スプーンで浅蜊のスープを飲んでいる。チャウダーかもしれない。するとスープの中に魂が揺れるという。ここにも異質なものの唐突な組み合わせがある。五首目はとりわけ美しい歌だ。フリージアは特徴のある形をした花だが、それが形をなくすというのは夕闇に紛れるからである。花は時計店の中に飾られているのだろう。店内に夕闇が拡がってゆく様を「しみてゆく」と感覚的に表現している。

 これらの歌に共通して見られる特徴は、可視と不可視、現実と幻想、思惟と感覚、具体と抽象といった相反する領域が一首の中にないまぜにされているために、統一的な視覚像に収斂することなくイメージが散乱するという点である。それがうまく行けば両立しえない領野を強引に接続することで、火花が散って詩が生まれる。しかしうまく行かなければ統一的なイメージを得られないフワフワした歌になる。花山の指摘する浮遊感の原因はこのあたりにあるかと思われる。

 金田の短歌のもうひとつの大きな特質は一首の独立性である。いちおう連作の体裁を採ってはいるものの、並べられている歌と歌の間に意味的あるいは主題的な連関はない。単純過去形で書かれる伝統的な小説とは異なり複合過去形で書かれているカミュの『異邦人』の文体について、かつてサルトルは「一つ一つの文が島」であると書いたことがあるが、金田の歌も一首一首が孤立した島であり、その間に橋は架かっていないのである。試しに「白く浮かぶ」と題された連作から三首引いてみよう。

薄雲はそのままに暮れ白桃を投げ込めば落ちてゆきさうな空

水があればその水を吸ふ綿棒は目の退化した生き物のやう

みつしりと詰められてゐる綿棒を取り出す前の気配、初雪

 一首目は薄雲のかかる空、二首目は綿棒、三首目も綿棒かと思えばそれは喩で初雪が詠まれており主題はばらばらである。

 連作というのは、ひとつの主題を中心に置き、近づいたり離れたり主題からさまざまな距離を取りながら変奏することで、一首では表しきれない意味世界の深まりを実現する手法である。どうやら金田が目指しているのはそのような境地ではなく、一首を独立性の高い絵のように仕立てるということのようだ。この一点において金田の短歌と小林久美子の短歌には共通するところがあるように思われる。

 

隔たりを均等にして

部屋に干す

時雨にぬれたGounod グノーの楽譜

           小林久美子『小さな径の画』

光線の端はゆびさき

壁の絵の少女に

触れる刻をゆるされ

 

 2022年に出版された最新歌集から引いた。小林は画家なので、一首を壁に掛けられたミニアチュールのように彫琢しているかのようだ。読むこちらもそのように読むのが正しい読み方かと思われる。

 栞文で澤村は「透明感に満ちたその作品世界を、私は一読者としてはつかみかねる時期もあった」と書いている。さらに「一首、一首は淡く、はかなく、清く、確かに美しい。しかし、そうした歌が並ぶとき、イメージが清浄に統御され、言葉がその枠からはみ出してこないというのか」と続けている。これは上に書いたような金田の短歌世界の特質をよく言い当てた言葉である。しかし第II章に入ると言葉が動き出し、「イメージがイメージの世界で完結し、『わたし』をなかなか出してこなかって金田さんの歌の大きな変化を示すものだと思う」と澤村は書いている。確かにその通りで、一幅の清涼な絵のような第I章の歌から時間を経て、金田の歌は変化したようだ。そのことは2022年に塔短歌賞を受賞した「川岸に」と題された巻末の連作を見ればよくわかる。

あなたがかつて暮らした国へひとつひとつの時間をかけて夕暮れは来る

洋梨が剥かれゆくやうな明るさに別れ来し人を一人一人思ふ

受胎するかどうかひかりに問ふ秋のイチヤウ黄葉は透きとほりゆく

女たちが残していつた椅子たちが見上げる先に半分の月

グァバ色の夕空へ鳥は帰りゆくかつて生きてゐたものたちも皆

 かつてのように可視と不可視や具体と抽象を強引に接続する歌風はもう見られない。これらの歌には風景を目にする〈私〉、何かの思いを抱く〈私〉がいる。考えようによっては、金田は長い道程を経て近代短歌へと着地したとも言えるかもしれない。

 最後になるが、増音を嫌わずきちんと助詞を置くのは好感が持てる。しかし口語(現代文章語)を基本としながら旧仮名遣いというのはどうだろうか。いささか疑問に思う所もある。20年以上にわたる歌歴が結実した充実の一巻である。

 

われアルカディアにもあり 窪田政男『Sad Song』書評

 『Sad Song』は2017年に上梓された第一歌集『汀の時』に続く窪田の第二歌集である。FPM(Fantastic Plastic Machine)として活躍しているミュージシャンの田中知之、同じ結社の松野志保、そして著者と世代の近い藤原龍一郎の三名が栞文を寄せている。田中と窪田は、大阪の出版社で一時机を並べて勤務した縁があるという。

 複数の宿痾を身に養う窪田が今回上梓した歌集には、遠からず訪れるであろう自らの死を意識した歌が多くみられる。まず立ち止まるべきは歌集標題ともなった「Sad Song」の一連であろう。この一連は一月から十二月に楽曲を一つずつ配した構成となっている。一月のサイモンとガーファンクルの「The Sounds of Silence」に始まり、十二月のジョン・レノンの「imagine」に終わる十二曲は、作者窪田がこよなく愛する楽曲なのだろう。歌集巻末にレコードのライナーノーツよろしく十二曲の解説を付してあるほどだ。邦題「悲しき天使」のようなポップスから、シャンソンやミュージカルやプログレッシヴ・ロックやモダンジャズまで選曲は幅広い。栞文で藤原が、自分たちの世代にとって洋楽は感受性を開花させるのにまたとない刺激だったと書いているとおりで、音楽、特に洋楽が窪田の人生において重要な位置を占めていることを物語っている。

手の椀で受けてもついにあふれゆく水のささやき内耳に残る

三月のLa Mer教えてよ波にさらわれ眠る人の名を

ベタ記事の命ちいさく報じられ灯油をかぶって火を放ちし人

蝉声の突然に止み八月のラジオのノイズいまも続けり

やわらかに命令形を持たぬゆえ独りぼっちを超えてゆく声

 そんな中にもいくつもの出来事が遠く反響している。三首目は、一九六九年三月三十日にビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺したフランシーヌ・ルコントを詠んだ歌で、日本では新谷のり子の「フランシーヌの場合」という歌で知られた事件である。四首目の蝉声の突然の停止は、広島への原爆投下とも天皇の終戦の玉音放送ともとれる。十二月に「imagine」を置いたのは窪田のささやかな願いであろう。訳詞が「想像しなさい」という強い命令形でなく、「想像してごらん」という柔らかな言い方になっていることに、遠くへと届く声を感じているのである。栞文で田中が書いているように、挙げられた十二曲は自らへのレクイエムであり、自分の葬儀で流して欲しい曲を並べたプレイリストにちがいない。

 歌集巻頭付近には戦争に関わる歌が多く配されている。

花の名はアンビヴァレンツ朝に発つ兵士はすでにヘルメットを脱ぎ

戦火のなか雪のにおいがやってくるそしていつもの春にはならず

声に出しベルゲン・ベルゼン眼を瞑りベルゲン・ベルゼン安らかであれ

 ベルゲン・ベルゼンはナチスの強制収容所のあったドイツの町である。制作年代は不明ながらも、これらの歌は二○二二年二月に始まったロシアによるウクライナ侵攻に触発された歌と思われる。あとがきに、自分の内向きだったベクトルが少しだけ外に向き始めた時に、新型コロナ流行とウクライナ侵攻が起きたと書かれている。とはいえ窪田は一方的に侵攻を非難することなく、「命じられ撃つかも知れぬ、撃つだろう弱き者ほど弱き者撃つ」という歌が示すように、その眼差しは我が身に返って来るのである。窪田が執拗にナチスドイツに関わる歌を作るのは、繰り返される人類の愚行への憤怒と嘆きからであろう。

 「十四で聴いたS&G、今Old Friendsの歌詞を生きている」という歌は、サイモンとガーファンクルのHow terribly strange to be seventyという歌詞を踏まえており、「選択のひとつに足さん安楽死勝手にしやがったジャン=リュック・ゴダール」は、昨年スイスで安楽死したゴダールの代表作『勝手にしやがれ』を踏まえた歌である。あちこちにこのような仕掛けが施されており、同じ時代を生きた者には響く。最後にとりわけ心に迫る一首を挙げておこう。

見るだろう驟雨のあとのさよならをしずかにひかる夏のいのちを

『月光』2013年12月号に掲載

 

 

第377回 山田恵理『秋の助動詞』

ひそやかに語る女生徒ふたりいて渡り廊下は校舎の咽喉のみど

山田恵理『秋の助動詞』

 本コラムを書くときにはまず冒頭の掲出歌を選ぶ。付箋の付いた歌を中心に歌集を読み返す。そうすると歌人の体質や体温といったものが改めて強く感じられる。本歌集を読み返したとき、やはり選びたくなるのは生徒を詠んだ歌である。そこに作者の心の襞や傾きが最もよく感じられるからだ。

 歌の舞台は高校の校舎の渡り廊下。学校を舞台にするとき、絵になるのは教室よりも屋上や体育館の裏や渡り廊下だろう。生徒の表の顔ではなく、ほんとうの顔が見られるからだ。渡り廊下で女子生徒がふたり顔を近づけ声を低くして何かを話している。憧れの男子生徒の話だろうか。渡り廊下を校舎の咽喉に喩えているのには二重の意味があるだろう。咽喉は発声器官で、渡り廊下は本音が語られる場所だという類似性と、喉が口と胃や肺を結ぶ通路で、渡り廊下は校舎と校舎を結ぶ通路だという類似性である。

 山田恵理は1965年生まれの歌人。「コスモス短歌会」に所属し、同人誌「COCOON」にも参加している。本書は2023年に六花書林から刊行された第一歌集である。梶原さい子と大松達知が栞文を寄せている。

 作者は公立高校の国語教員であり、三人の娘の母でもある。つまり教師と妻と母とう三つの役割と顔を持っているのだが、集中で最も惹かれるのは何といっても教員として詠んだ歌だ。

モヒカン刈り叱られ教室飛び出した生徒を探し月曜はじまる

我ながらほれぼれするほど響くこえ隣の校舎の生徒を叱る

二人欠け修学旅行ははじまりぬお金のない子と行きたくない子

一番のやんちゃ坊主の担任を外れて少しつまらない 春

明日からは来ぬ生徒らの名を呼びぬ春まだ浅き体育館に

 一首目、さすがにモヒカン刈りは校則違反なのだろう。叱られた生徒はどこかにトンズラしてしまい捜索隊が出る。二首目、教員は教室の奥まで届く声で授業しなくてはならないので、自然と声帯が鍛えられる。中庭を挟んで向かいの校舎で良からぬことをしている生徒を大音声で叱っている。三首目、修学旅行に参加しない生徒が二人いて、それぞれ理由がちがっている。生徒を引き連れての修学旅行は日本独特の習慣で、引率する先生は大変だ。四首目、学年が変わりクラス一のやんちゃな生徒が別の組になった。ほっとすると同時に少し淋しい気持ちにもなるという歌だ。五首目は卒業式の場面である。高校生活のクライマックスといえば文化祭や体育祭もあるが、何と言っても真打ちは卒業式だろう。作者は卒業して明日からはもう学校に来ない生徒の名を、淋しさを感じながら読み上げている。

 これらの歌を一読して感じるのは、生徒たちへの深い愛情と、だからこそ保たれている生徒との適切な距離感である。教員たるもの生徒に愛情を持つのは当然だ。愛なくして教育はない。かといって生徒の生活や心の中に限度を越えて踏み込むのもよろしくない。作者は細やかな眼で生徒たちを見つめながら、適切な距離感を保っているように感じられる。

赤ペンで汚れし右手にお釣り受く閉店間際のスーパーレジ

プリントを出せない理由は殴られて血がついたから 鬱の養父に

時に手で黒板ぬぐった二十代チョークにきっちりカバーする今

四度目の異動希望を清書せり 窓の外には空しかなくて

「えいやっ」と定時に帰る西の空 雲の入り江にまだ青き波

 一首目、教員の大事な仕事に試験問題作りと採点がある。授業が終わってから放課後に採点をするので、勢い帰宅するのはスーパーの閉店間際になるのだ。教員は最初から給与を少しだけ上乗せしているのと引き替えに、残業手当が支払われない。残業し放題というブラック企業と変わらない。ちなみに採点するときには太字のペンがよいので、私が愛用していたのはOHTOのSaiten Ball 1.0とLamyの太字万年筆である。二首目、言葉を失う家庭内暴力の話で、これはもうソーシャルワーカーと警察の領分だろう。三首目、素手でチョークを握ると手が荒れる。若い頃は気にしなかったが、年齢を重ねて手を労るようになるという歌。四首目、公立高校の先生には異動が付きものなのだろう。異動はまた別れでもある。五首目、忙しい先生が定時に帰宅するにはこれくらい決断が必要なのかもしれない。

これだけは覚えておけよサッカー部 カ行一段動詞「蹴る」

「セカンドのサードの間」とヒント出し野球部員に読ませる「せうと」

いくつもの口を開きて人生を呑みゆくごとし「癌」という文字

はね、止めを呑みこんでいるゴシック体文化を滅ぼす字体にあらん

竜、竜人、竜之介もいる一年生 来年入ってくるか巳之介

 国語の先生らしい歌を引いてみた。一首目、「蹴る」は古語ではケ・ケ・ケル・ケル・ケレ・ケヨと活用するカ行下一段動詞である。二首目は旧仮名遣いで「せうと」はショートと読むことを野球に掛けて教えている。三首目は父親が癌と診断されたときの歌だが、「癌」という文字のなかに口がいくつも開いていることを不気味と感じている。四首目、漢字の習字で大事なのは書き順とはね・とめである。文字に書く順序があると説明すると外国人は驚く。この歌ははねも止めもないゴシック体の活字は国語の文化を滅ぼすとしている。新しいクラスを持つときのいちばんの悩みは生徒の氏名の読み方だ。私が在職中いちばん驚いたのは「東海左右衛門」という苗字の学生がいたことである。近頃はいわゆるキラキラネームが多くて、「空」と書いて「スカイ」と読ませたりするらしく油断がならない。五首目はクラスの生徒の名前に「竜」の字が多いことをおもしろがる歌。巳之介はおそらく谷崎潤一郎の小説の登場人物だろう。

 上に引いた歌にもユーモアが感じられるが、集中には「湯を沸かすのみが仕事の薬罐にてなぜか鍋よりよく磨かれる」という歌もあり、このようなユーモアも作者の魅力となっている。

雨の日は水槽のごとき校舎なり昇降口に藻のにおいして

 前にも一度書いたことがあるが、生徒らが登校して上履きに履き替えたりする場所でロッカーが並んでいる出入り口を「昇降口」と呼ぶ地方があるようだ。作者は愛知県に在住なので愛知ではそう呼ぶのだろう。関西では言わない。「昇降口」と聞くと、フォークリフトで持ち上げて荷物を積む飛行機の貨物室の開口部かと思ってしまう。

 学校の歌ばかり引いたが、両親や娘たち家族を詠んだ歌や身めぐりを詠んだ歌にもよい歌がある。家族や友人は近景、職場や町内は中景、国家や政治は遠景と区別すると、本歌集に収録された歌のほとんどは近景と中景である。「私」を滅却して短歌の芸術性を追求する歌人もいるが、作者はそうではない。あとがきに「怒濤のように流れていく」日常生活の中で、「何かを表現したい」、「形を残したい」という動機から作歌を始めたと書かれている。短歌は人生の伴走者であり、自分が生きた記録なのだ。

 短詩型文学には俳句と短歌と川柳があるが、このような特性がいちばん強いのは短歌だろう。俳句は人生の記録にするには短すぎる。ルナールの蛇の逆だ。世界を見まわしても、こういう文学は短歌を措いて他にはないのではないかと思う。そもそも有力新聞がこぞってポエムの欄を設け、毎週何千というポエムが投稿されるという国は日本以外にない。短歌を考える上で忘れてはならないことである。

いちまいの布になりたし子の展く空間図形に秋の風吹く

死は必然 生は偶然 なかぞらに圧倒的な死者のひしめく

形なきものが形を持つときにるる優しさ初雪が降る

木蓮のつぼみふくらみ青空に禅智内供の鼻のつめたさ

球児らの「あの夏」になるこの今を皆が見つめる高き高きフライ

教室の窓よりうろこ雲ながめふりむけばしばし暗む生徒ら

女生徒がふたり笑えば雲よりもはるかに白い夏のセーター

「ほぼほぼ」という語なずきは拒めどもほぼほぼ馴染みほぼ定着す

 二首目を読んで確かにそうだなあと思う。私がこの世に「私」として生を受けたのは偶然であり、そのうち死ぬことは必然だ。人の一生とはこの偶然と必然の間に挟まれた須臾の間である。四首目の禅智内供は芥川龍之介の短編で、木蓮のつぼみを禅智内供の大きな鼻に喩えたところが面白い。五首目の「高き高き」とくり返されたフライは、もちろん捕球されゲームセットとなる凡打である。六首目は生徒が何かに悩んで暗い顔をしていたということではない。明るい外を見ていて暗い教室に視線を移すと、目が慣れていないため暗く見えるという順応の歌だ。最後の歌は定着しつつある「ほぼほぼ」という言い方を取り上げたもの。「ほぼほぼ」を二度くり返し、自分は「ほぼ」を使っているところにささやかな抵抗がある。

 読後の爽やか歌集である。


 

角川『短歌年鑑』平静5年版 回顧と展望

短歌の流行と口語化の行方

 

ロシアのウクライナ侵攻

 二〇二二年の回顧と言えば、まず筆頭に挙げなくてはならないのは二月に世界を揺るがせたロシアによるウクライナ侵攻だろう。ドンバス地方のロシア系住民の保護を口実とする侵攻が、ヒトラーがチェコのズデーテン地方の割譲を求めた時のやり口と酷似していることに寒気を覚えた人も少なからずいただろう。核兵器の使用も辞さないことを匂わせたプーチン大統領の発言は世界を震撼させた。その衝撃は読売新聞歌壇に投稿された次の歌が雄弁に物語っている。「短歌研究」六月号の小池光「ウクライナの歌」で紹介された歌である。

突然にこの世の終りがあり得ると妻がつぶやき頷くあした 沖田 守 

 日本ペンクラブ、日本文藝家協会、日本推理作家協会は三月十日に侵攻に反対する共同声明を発表した。現代歌人協会は三月十七日に理事有志が侵攻を非難し平和を願うメッセージを発表している。

 近現代短歌には時事詠という性格があり、大きな事件や自然災害が起きると、新聞歌壇にはそれに反応した歌がたくさん投稿される。大きな出来事によって心を動かされ、それが短歌となって流れ出す。これは明治以来繰り返されてきたことであり、短歌の役割のひとつとも考えられる。東京電力福島第一原発の苛酷事故が起きた時には、「セシウム」「ベクレル」「シーベルト」など、ふだん馴染みのない言葉が新聞歌壇に溢れた。二〇二二年は「キーウ」「マリウポリ」「ハルキウ」といった地名が歌に多く詠まれた。

 短歌総合誌も続々と特集を組んだ。本誌は七月号で「戦火を目の前に」という緊急企画を掲載した。 

逃がれゆく童女のかざす朱の薔薇は悲し夕焼け雲より悲し    菊澤研一

マリウポリを木端微塵に壊す鬼クレムリンの研ぎし白き目光る  島田 暉 

 「短歌研究」は六月号で「正面からの『機会詠』論―戦争・コロナ禍・災害を詠むということ」という特集を組んだ。ウクライナ侵攻に限定せず、広く時事詠・機会詠を改めて考えるという趣旨のもので、高野公彦、三枝昻之、小池光らが寄稿している。広く機会詠とは言うものの、時節柄ウクライナ侵攻に触れた文章が多いのは当然だろう。中では荻原裕幸が紹介している次の歌が印象に残る。 

戦争を始めた人が飼っているおれの故郷のうつくしい犬     神丘 風 

 戦争を始めた人というのはプーチン大統領で、犬というのは東日本大震災への支援のお礼としてプーチン大統領に贈呈された秋田犬のゆめである。この歌は二月二十四日、つまり開戦の当日にツイッターに投稿され、瞬く間に拡散されて大量の「いいね」が付いたという。作者は一九九〇年秋田生まれの歌人で、主にツイッターに短歌を発表している。

 時事詠・機会詠は大きな出来事に接したその時に詠まれることが多い。即時性と速報性ではツイッターに代表されるSNSの優位は圧倒的である。そのことは今後、時事詠・機会詠の問題を考える上で重要な要素となるかもしれない。

 「現代短歌」は九月号で「ウクライナに寄せる」という特集を組んでいる。執筆者に送られた原稿依頼はいささか異例なものである。依頼文の概要は、本誌九月号で「戦争と言葉」あるいは「声明と作品」をテーマにタイトル未定の特集を組むことにした。文学者が声明という一種の政治的行動をとるのは、文学(作品)が戦争の前に無力だと考えるからだろうか、というものである。「声明」とは日本ペンクラブなどが発表したウクライナ侵攻に関する共同声明を指す。執筆者にはテーマに沿った十二首の短歌とコメントが求められた。これに応えて四十六名の歌人が作品とコメントを寄せている。なかには作品のみの人もいる。

 歌人たちのコメントは、おおむねウクライナ侵攻を非難する姿勢を表しつつも、文学者が声明という政治的行動を取ることに対するためらいや懐疑を表明するものが多かった。これは健全な反応と言えるだろう。 

ぼくたちのいますむ破船に慣れてしまふ しづかでゆるい雨の毒性 佐原キオ

ゼレンスキーなぜに緑のTシャツか吾が手のスマホすなはち兵器 黒瀬珂瀾 

短歌が流行っている?

 短歌シーンの二〇二二年いちばんの話題は「短歌の流行」だろう。「文學界」五月号の特集「幻想の短歌」は、「最近、『短歌が流行っている』と耳にするようになった」という一文から始まっている。「短歌研究」八月号はずばり「短歌ブーム」と題する特集を組んだ。にわかに信じがたいことなのだが、どうやら短歌が流行っているようなのだ。

 半信半疑のまま「短歌研究」特集の書店員へのアンケートを読むと、「短歌(短詩形文学)が、読者の手に届いている実感、あるいは予感はありますか」という質問にたいして、ほぼすべての書店員が「ある」と答えている。なかには歌集関係の売上が昨年の四倍に達すると答えた書店まである。売れ筋は、左右社、書肆侃侃房、ナナロク社の歌集が多いという。特に木下龍也『あなたのための短歌集』、岡本真帆『水上バス浅草行き』、岡野大嗣『音楽』などを挙げた人が多かった。 

だいどこ、と呼ぶ祖母が立つときにだけシンクにとどく夕焼けがある 『音楽』 

 短歌フェアをよく開催する紀伊國屋書店新宿本店の詩歌コーナー担当の梅﨑実奈さんが寄せた短歌ブームの背景分析がとても的確なので、一部要約して紹介させていただく。

・書肆侃侃房、港の人、現代短歌社、左右社、ナナロク社のように歌集を刊行する出版社が増えた。

・歌集の刊行数が格段に増えた。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズが大きい。

・雑誌「ダ・ヴィンチ」の投稿欄、学生短歌会、同人誌、ウェブ媒体の同人、ネットプリントなどによって、結社誌や総合誌以外の発表の場が増えた。

・SNSの広がりと定着によって、「通りすがり」の人の目にも短歌が入るようになった。

・短歌の文体が変化し、わかりやすくエモーショナルな短歌が増えた。

・口語短歌が七割を占めるようになった。

・歌集を積極的に推す書店が増えた。

 また、書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズとして二月に刊行された、上坂あゆ美『老人ホームで死ぬほどモテたい』、toron*『イマジナシオン』、水野葵以『ショート・ショート・ヘアー』が発売日を待たずに重版が決まったという。この出来事に触れた本誌四月号の田中翠香の歌壇時評の言葉を借りれば、これは「衝撃的な出来事」と言ってよい。この数字は従来から短歌に親しんできたコアな読者以外の、より広汎な人たちに短歌が届いたということを意味する。

 また学生短歌会の興隆も見逃せない。本誌四月号の特別企画「よし、春から歌人になろう」では、全国の三十の大学短歌会がマップに示されていて、そのうち十九の短歌会が近詠五首を添えて紹介されている。二〇一七年の「学生短歌年鑑」には二十一の大学短歌会がリストアップされていたというから、大幅に数が増えている。活発に活動しているのが早稲田短歌会と京大短歌会ぐらいしかなかった二十年前と較べると隔世の感がある。本誌四月号で臨時開催が発表されたU25短歌選手権には、締切までひと月しかなかったにもかかわらず九十八編の応募があったという。予選を通過した二十四名のうち九名が大学短歌会に所属している。所属なしとなっている人でも、たとえば神野優菜のように九大短歌会出身の人もいて、学生短歌会関係者はもっと多いと想像される。

 このようにさまざまな証言を総合すると、どうやら「短歌が流行っている」というのは事実のようなのだ。問題はこれが表層的な一過性のブームに終わるのか、それとも従来の短歌地図を塗り替えるような地殻変動につながるものなのかということである。それは次に取り上げるテーマと深く関わっているだろう。

 

世代間の断絶(?)と短歌の口語化

 総合誌の年末年始の特集でよく取り上げられるのが「世代間の断絶」である。令和四年版の本誌「短歌年鑑」では、「価値観の変化をどう捉えるか」というテーマで座談会が開かれている。そこで主に話題になっているのは、旧世代とは異なる価値観を持つ若い世代の考え方である。さらに本誌一月号では「短歌の継承と変化 ― 時間とともに見えてくるもの」と題された新春特別座談会が組まれている。編集部から提示された最初のテーマは「世代は本当に分断しているのか」である。また「短歌研究」の昨年の短歌研究年鑑では、「短歌、再始動に向けて。」と題した座談会が開かれている。そのなかで現代歌人協会賞を受賞した川野芽生『Lilith』と北山あさひ『崖にて』を評して三枝昂之が、「川野さんらの世代の歌を読みながら迷うのは、彼女たちあるいは彼たちが踏まえている文化的なものがうまく見えてこない、共有できない、ということがある。(…)今の文化はひじょうに多様化していて、彼や彼女たちが栄養にしているものはなにか、それなしのオリジナルか、どういう読み方をすればいいのか、とまどったりしますね」と発言している。これもまた世代間の断絶を言い表したものと取ってよい。

 これにたいして川野芽生は、「現代短歌」連載の「幻象録」第十五回(七月号)と第十六回(十一月号)で、このような言説に激しい言葉を用いて反論している。「世代の分断」は総合誌の編集部が作り出したもので、年長世代は若い世代が書くものをきちんと読んでいないのではないかと川野は主張している。

 さて「世代間の断絶」はあるのだろうか。それはあるだろう。紀元前三千年のヒッタイト語が刻まれた粘土板の楔形文字を解読したら、「近頃の若い者は…」と書かれていたそうだから、最近の若い者のすること・言うことが年長者に理解できないのは今に始まったことではない。問題は世代間の変化がどのような位相において起きているかである。

 本誌四月号の歌壇時評で前田宏は、「今日の分断線は結社と非結社の間にある」と述べている。確かにそういう面はあるだろう。試しに若い人の応募が多い短歌研究新人賞の受賞者・次席・候補作・最終選考通過作を見てみると、二〇〇四年の第四十七回は二十四人中所属なしが五人だが、二〇二二年の第六十五回は十四人いる(不明が一人)。受賞者のショージサキを始め、候補作の五名中三名が所属なしである。結社に入らない独立系歌人が増えているのはまちがいない。

 とはいうものの、若い世代の短歌に見られる最も大きな変化は口語化ではなかろうか。文語に豊富にあった助動詞のほとんどが現代口語で失われた結果として、時間表現が平板になり「今」に焦点が当たりやすくなった。また本誌一月号の座談会での穂村弘の発言も注目される。穂村は、口語短歌はリアリズムを超えたところに羽ばたいてゆくのだろうと思っていたという。穂村の念頭にあるのは雪舟えまや笹井宏之の作風である。しかしその期待は見事に裏切られ、宇都宮敦や永井祐らの口語によるリアリズム文体が現代短歌の主流になりつつあるという。

公園のトイレに夜の皺が寄る わたしが着てる薄過ぎるシャツ

                  永井祐『広い世界と2や8や7』

ぬぎたてのニットキャップに文庫本いれ改札を彼はぬけてく

                      宇都宮敦『ピクニック』

 「短歌研究」十月号で発表された現代短歌評論賞の受賞作二点と次席一点がすべて、「口語短歌の歴史的考察」というテーマを選んで論じていることも、短歌の口語化が注目されている証と言えるだろう。

 短歌のような短詩型文学に限らず、文芸一般において最も重要なのは文体である。それは文体が端的に世界観を表すからである。「世代間の断絶」というよりは、現代短歌が経験しつつある大きな変化として短歌の口語化は今後もさまざまに論じられてゆくにちがいない。

 喜ばしいニュースは歌集の再刊が続いていることである。書肆侃侃房から「現代短歌クラシックス」として飯田有子『林檎貫通式』、正岡豊『四月の魚』などが再刊された。いずれも入手が困難になっていた歌集である。また現代短歌社から泥文庫の刊行が始まり、黒瀬珂瀾の第一歌集『黒耀宮』が再刊された。一時は五万円の古書価がついたとも聞くので再刊は嬉しいことだ。筆者が短歌を読み始めたとき、いちばん苦労したのは歌集の入手だった。読みたい歌集が手に入らない、あるいは高価すぎるのはこれから短歌を志す人にとっておおいに困ることだ。廉価な歌集の再刊が続くと、若い歌人が年長者の短歌に触れる機会も増えることと思われる。

 

角川『短歌年鑑』令和五年度版に「回顧と展望」として掲載

松岡秀明『天啓 ハンセン病歌人明石海人の誕生』書評

 本書は一九三九年に上梓され、ベストセラーとなった明石海人の歌集『白描』を論じた評論である。明石は当時癩病と呼ばれていたハンセン病に罹患し、その病気のありさまと患者の置かれていた苛酷な境遇をつぶさに歌に詠んだ。『白描』は発表当初から評判を呼び、岩波文庫や各種の文学全集にも収録され、明石の評伝も多く書かれている。本書の著者松岡秀明がめざしたのは、『白描』に収録された短歌をていねいに読み解く作業を通じて、なぜ『白描』がベストセラーになったのかを解明することだという。

 『白描』は第一部「白描」と第二部「翳」の二部構成になっており、第一部が発病から死の直前までの明石の生涯を編年体で描いている。本書もその順序に従って歌を読みつつ、加療ため転々と居所を変え、国立療養所長島愛生園で最後を迎えた明石の歩みを辿っている。

 本書のユニークな点は、明石の残した短歌を読み解く手法と視点にある。著者の松岡は医師であると同時に文化人類学者でもあるという他に類を見ない経歴の持ち主である。松岡が参照する社会学者アーサー・フランクは、著書『傷ついた物語の語り手』で、「病む人は病いを物語にすることによって、運命を経験に変える」と説く。フランクの考える病者の物語には三つの類型がある。「回復の語り」は病気に罹った人が健康を回復することを願う。第二の「混沌の語り」は、慢性病や治癒の見込みのない病に罹患した人が混乱して苦しみを語る。最後の「探究の語り」では。病者は病を受け入れて、それを探究につながる旅の契機とする。松岡は、明石もまたこの「探究の語り」に辿り着いたのであり、自分の言葉で語ることによって生を立て直したのだとする。この見方は、病者に限らずなぜ人は物語を必要とするのかという問への答のひとつとなりうる。「探究の語り」を補助線として明石の短歌を読み解く本書は、今までに多く語られてきた『白描』へのユニークなアプローチだと言えよう。

 ただし、『白描』の第二部「翳」は、本書の第七章でわずかに触れられているのみなのが残念である。前川佐美雄の「日本歌人」に所属していた明石は、新しいポエジイ短歌をめざしていた。塚本邦雄が『殘花遺珠』で『白描』のピークと断じたのは次のような歌であった。

わが指の頂にきて金花蟲(たまむし)のけはひはやがて羽ひらきたり

心音のしましおこたる日のまひるうつつに花の散りまがひつつ

 塚本は「だがかつて、ほとんど、これが正當に評價された例を知らぬ」と記している。第二部「翳」を短歌史の中に位置づけて読み直す作業が待たれる。

 

『短歌研究』2023年7月号に掲載

第376回 楠誓英『薄明穹』

父を憎む少年ひとりをみつめゐる理科室の隅の貂の義眼は

 楠誓英『薄明穹』

 理由は定かではないが、父親を憎悪している少年がいる。少年は放課後に居残っているのか、人気のない理科室に一人でいる。時刻は薄暗い夕方だろう。理科室には人体模型や動物の剥製などが埃っぽい棚に並んでいる。隅には貂の剥製が置かれており、キラリと光るガラスの眼が少年を見つめている。この歌は俳句で言えば一物仕立てということになるが、倒置法が効果的に用いられている。それは下句で「理科室」→「隅」→「貂」→「義眼」という視野の絞り込みを可能にしているからである。この下句の絞り込みが一首の緊張感を生み出している。

 楠誓英くすのきせいえいは1983年生まれの歌人で所属結社なし。2013年に第1回現代短歌社賞を受賞。それを歌集として出版した『青昏抄』で第 40回現代歌人集会賞を受賞している。本歌集は第二歌集『禽眼圖』(2020年)に続く第三歌集で、川野里子と小説家の榎田尤利えだゆうりが栞文を寄せている。

 前回『禽眼圖』の評で、楠は目に見えるものよりも目に見えないものに心を惹かれていると書いた。そのような世界観を持つに至った理由のひとつは、12歳の時に阪神淡路大震災に遭遇し兄を亡くしていることだろう。本歌集にも震災に材を得た歌がある。

おそらくは玄関があった地震なゐののち潮風を長くそこにとどめて

階段は途切れて鳥ととびたてば須磨の海ゆく帆船の見ゆ

名も顔もみな忘れはて草のなか茶碗のかけらも墓標となれり

うすく濃くかげの重なる林にて樹になる前の亡兄あににあひたり

まなうらの兄の姿もくづれゆく魚鱗うろくづの雲ひとり見てゐる

 大震災は住んでいた町もそこに住んでいた人も彼方へと連れ去り、もう元の姿を目にすることは叶わない。大震災から29年の時が流れた。西宮北口から阪急今津線に乗って車窓から見える風景には古い木造家屋は一軒もない。すべて震災で破壊されたからである。復興した現在の町の姿の背後には、二重写しのように震災前の町が透けてみえる。作者の世界観の背後にはそのような事情があるかと思う。

 楠の歌の世界では可視と不可視がせめぎ合うだけではない。それと平行して、いやそれよりもさらに色濃く生と死とが踵を接している。

雨ふくみを傾ける紫陽花の地中にひかる納骨堂は

いま路地をかよへる死者は吾が頬のとがりに露をのこしてゆけり

水兵のねむりを眠れ早朝のプールの底をふれし身体よ

死んだこと気づかぬ人も立つてゐる緑濃き山のカーブミラーに

時々はあの世へ行くのに使はれて非常階段に花蕊たまる

 一首目、地上は梅雨時に咲く紫陽花のある寺の境内、地下は死者たちの眠る納骨堂で、生と死は垂直に重なって同時に存在する。雨に濡れて頭を垂れる紫陽花の花は死者に黙祷を捧げているようでもある。二首目はもっと生と死が近い。路地を歩いていて死者と擦れ違うのだ。三首目、夏の早朝に学校のプールで泳いでいる。息を吐いて沈み水底に触れる。その様は先の大戦で南洋に沈没した戦艦の乗組員の水漬く屍のようだというのである。「海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も水夫も」という塚本邦雄の歌を髣髴とさせる。四首目、曲がりくねった山道のカーブミラーには、この場所で自動車事故で亡くなった人が死んだことに気づかずに映っている。五首目、ふだんは使われることの少ない非常階段は、投身自殺に使われることもあるという。風に吹かれて溜まっているのは桜の蕊にちがいない。

 クナーベンリーベ(少年愛)を感じさせる歌は第二歌集『禽眼圖』にも散見されたが、本歌集にも引き続き見られる。

ひかがみに淡き闇ため立つたまま眠れる少年こずゑとなりて

うたれしは手首と聞ける少年の青白き筋にナザレはありて

水の藻にからまり果てし少年の踵みえたり暗渠のおくに

少年をながめしジッドの眼鏡がんきやうは毀れた雲をうつしつづけて

消しゴムを拾へばはつかふるへゐる少年のしろき踝がある

 一首目の「ひかがみ」は膝の裏側のくぼみのことで膝窩ともいう。『狭き門』の作者アンドレ・ジッドはアルジェリア旅行で少年愛に目覚めた。本歌集第III部の「Eternal yesterday」と題された連作は、榎田尤利の小説『永遠の昨日』に基づく。惹かれ合う男子高校生の一人が交通事故に遭うという筋書の小説で、TVドラマ化もされているようだ。

きみだけにあだ名で呼ぶこと許させてコンパスの針にとどめ刺す蝶

背伸びしてキスを交わせば肩の向かう夜にみちゆく白さるすべり

耳朶を噛む ふるへるきみの咽喉のみどには翡翠の皺のガラリヤ湖あり

逝くことのわかりてをれば初恋のあぎとのくらく尖りてゆくを

忘れてくれ あの世に半身残したまま街をゆく半透明のひと

 男子高校生同士の愛情がこの上なく純粋なのは、男女の愛恋と違って終着点がないからだ。それを詠う楠の歌も匂い立つように美しい。

面ざしを闇に与へようつむける人のかたちは正座をつづけ

供へ花いつもあたらし喪失をかかへしものの永遠のとき

刻まれし子らの名前にとまりたる紋白たかく高くそひゆけ

 「坂多き町」と題された連作から引いた。2001年に起きた明石花火大会歩道橋事故の現場を詠んだ一連である。楠はあとがきに次のように書いている。「歌には、体験の有無に拘わらず、その場所に生きていたひとの姿や風の匂い、木々の揺らぎを蘇らせ、とどめる力があるのではないか」と。それはまさにゲニウス・ロキ(羅典語でgenius loci)、つまり「地霊」である。ゲニウス・ロキとは、その土地に長年住み続けた何世代もの人々の集合的記憶であり、土地が発する磁場のごときものだ。バルテノン神殿があるアテネのアクロポリスの丘や、オーストラリアにあるアボリジニの聖地エアーズ・ロックや比叡山を思い浮かべればよい。そのような広く知られた場所だけでなく、ごく身近な所にも場所の記憶というものがある。楠はまるで呼び出されるように場所を訪れて、そこに積み重なった記憶に感応するように歌を詠んでいる。それが楠の歌に独自の陰影と奥行きを与えているように感じられる。

 1983年生まれの楠と同世代の歌人といえば、同じ年生まれに堂園昌彦、1982年生まれに笹井宏之と山崎聡子、1981年生まれに永井祐がいる。口語(現代文章語)を基本とするこれらの歌人と並べてみると、文語(古語)で旧仮名遣いの楠の短歌はひと時代前のもののようにも見える。まさに遅れて来た文学青年の面目躍如というところか。

 歌集巻頭にはパウル・ツェランの「迫奏」(ストレッタ)の一節がエピグラムまたはエピタフのように引用されている。その意味するところは紛れもなく「メメント・モリ」であろう。

 最後に心に残った歌をいくつか引いておく。

足もとに影を集めて立ちつくす昏き歩哨と夏の木立は

掌をふかくひたしてすくふとき沈没船のごとく豆腐は

うつ伏したきみの頭蓋か卓上にひそとおかれて在る晩白柚

埋められし鯨の心臓冬を越え真紅の蝶とならむ時まで

生と死に惹かれ在ることの苦しさを春の嵐に鉄塔はたつ

死者もやがて老ゆる日の来む崖下の廃園の夜のドクダミは咲き

永遠はこの世になくてまつしろなリラの花みたす小舟を遠くへ

 

【追記】

 ゲニウス・ロキに興味をお持ちの方には次の書物をお奨めする。

・鈴木博之『場所に聞く、世界の中の記憶』王国社、2005.

・鈴木博之『東京の地霊』ちくま学芸文庫、2009.

・Michel Butor, Le génie du lieu, Editions Grasset, 1958.

 一部は『現代フランス文学13人集 / 4』新潮社、1966に翻訳収録されている。


 

第375回 丸山るい

 朝日新聞夕刊の2面の隅に「あるきだす言葉たち」という小欄がある。現代詩や俳句や短歌の若手作家の作品を紹介している。4月10日の夕刊(大阪版)に丸山るいという人の短歌が掲載されていた。次の8首である。

埋めた骨のながくみつからない犬のこころのままに街を歩いた

吊り革を祈るかたちに握る手のほどけて雨のなか消えてゆく

あけがたの雪の気配よ なつかしい顔は夢へとかきあつめられ

円環のそとへゆきたしくりかえし輪ゴムを切ってあそんで猫は

描かれた松をふたつの影で見る 千年なんてあっというまの

ベビーカーにベビーのいない空白をみたして夜の空気のふるえ

青海波 かがやく部位をひとつずつ指さしてゆく春の午餐よ

顔認証するたびうすくなるような気のする顔にふるひかりたち

 一読して「ああ、いいな」と思った。それは歌の随所に翳りが感じられたからである。その翳りは一首目では初句から続く喩にある。後で食べようと犬が土を掘って骨を埋めるが、やがてその場所を忘れてしまう。そんな気持ちとは、何か大事なことを置いてきたような気持ちだろう。二首目で吊革を握る手の形を祈りに喩えているのは、心の中に何か祈りたいことを抱えているからだ。三首目で描かれているのは輪ゴムで遊ぶ猫だが、そこに〈私〉の願いが投影されている。円の外に出られぬというのは塚本の次の歌にも見られる喩である。

少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの圓驅けぬけられぬ

                 塚本邦雄『日本人霊歌』

 六首目の赤ん坊のいないベビーカーは不毛と空虚の喩であり、八首目の顔認証するたびに薄くなる気がする自分の顔は、漠然とした存在の不安を表しているのだろう。

 丸山は1984年生まれで「短歌人」所属の歌人である。昨年の第66回短歌研究新人賞で候補にもなっている。まだ歌集は出していないようなので、寄贈していただき書庫に収蔵してある「短歌人」のバックナンバーを見ることにした。

雨の降るまえの匂いがやってきて実を剥くようにグラスを拭いた

夕暮れの遊具ウィンクしたままでこの世を褪せていく長い犬

                『短歌人』2022年9月号

足裏をはるかな死者とあわせては花の季節のながい信号

夢よりも夢の匂いがながれだす路面に濡れている宝くじ

               『短歌人』2022年10月号

そのさきに花野なけれどカーテンを九月の胸の前にひらいて

燃えた家の煤の匂いのマスカラを塗って出かけるバスがくるから

               『短歌人』2022年11月号

 二首目の「この世を褪せていく長い犬」というフレーズがユニークでおもしろい。おそらく塗装の剥げた公園の遊具を指しているのだろうが、喩の力によってまるで少しずつ姿が薄れてゆく犬がほんとうにいるように感じられる。三首目の足裏を死者と合わせるというのは、交差点で信号が変わるのを待っているのだが、私の足の下の土の中には遠い昔の死者が眠っているかもしれないと感じているのである。東京大空襲で多くの死者を出した台東区あたりを歩けば、決して非現実的な想像ではない。六首目の燃えた家の煤の匂いのするマスカラというのもユニークだ。楽しかるべき外出の背後に燃えさかる家が揺曳する。多くの歌に「匂い」が登場するのは、作者の世界構築に嗅覚が重要な役割を果たしているからと思われる。

歯の数のふいにただしくないような気がする夜の居酒屋にいて

入り口に白い鳥居のある森がみえる速度のなかの九月に

口ごもるからだが夜の植え込みへ落とす影にも咲く萩の花

動物のかたちはどれもおもしろくこの世の影をかさねるあそび

                『短歌人』2022年12月号

 ここまでは習作風の歌が多く見られたが、この時期に丸山は自らの作風を確立したようだ。一首目、何かものを食べていて、歯の数が正しくないような気がふとするというのは、自分の実在性に投げかけられた懐疑である。二首目でおもしろいのは詠まれている素材ではなく、歌の統語法だ。「入り口に白い鳥居のある森がみえる」の最後の「みえる」が終止形と連体形の間をふわふわと浮遊する。終止形と取ればそこに句切れがあるが、そうすると次の「速度」の収まりが悪くなる。連体形と取れば「速度」にかかる連体修飾句となるが、「森が見える速度」とはいったいどんな速度なのか不思議だ。しかも「速度のなかの九月に」と続き、ぐるっと回って初句に帰るようにも取れる。ここで作者が試みているのは、統語法の惑乱によって意味の十層性を生み出すことだと思われる。四首目は動物の形をしたピースを嵌め込むゲームだろう。そのピースを「この世の影」と表現しているところに心引かれる。

天と地がそうあるように藤棚の下に四月のつめたい砂場

はつなつの眠りの階をおりてゆく夢に陶器の手触りがある

グラシン紙ふいにやぶれるさみしさの低声とおくなる靑葉闇

               『短歌人』2023年7月号

対岸にあかるさだけの見えているだれかとだれかのしている花火

裏庭のさびた盥へ雨水のふえてなくなるだけの八月

               『短歌人』2023年10月号

雲はすぐ秋のかたちになりかわる グラムへ切り分けられて牛たち

うつくしい泥のながれてくるような会話に耳の濡れている午後

               『短歌人』2023年12月号

 三首目のグラシン紙とは、本のカバーなどに使われる半透明のつるつるした紙のこと。「グラシン紙ふいにやぶれるさみしさ」や「うつくしい泥のながれてくるような会話」などの喩がユニークだ。どの歌にも若干の空虚があり、ふと肩が冷たく冷えるような感覚が感じられるところに独自のものがある。

       *       *       *

 彫刻家の舟越桂が亡くなった。今年の3月29日のことである。新聞記事で訃報を知って驚き悲しんだ。舟越は、香月泰男、有元利夫、磯江毅(グスタボ磯江)らと並んで、私が最も愛する美術家の一人だったからである。

 舟越の父親の舟越保武も、東京藝術大学教授を勤めた高名な彫刻家で、キリスト者であった。舟越桂は父親と素材の違う木彫の道に進み、木彫に彩色するという独自の技法に辿り着いた。その彫刻世界は唯一無二のものである。

 2003年に東京都現代美術館で開かれた舟越桂展に行った。広い展示室にぽつぽつと置かれている木彫を見て回っていると、まるで深い森に誘い込まれるような気がした。モネのような人気作家の展覧会には、友達同士や団体で見に来ている人が多く賑やかだが、舟越の展覧会には一人で来ている人がほとんどで、静かに鑑賞し次の作品へと移動する様子には古代の敬虔な儀式を思わせるものがあった。彫刻作品と並んで創作ノートが展示されていた。見ると夥しい言葉が書き連ねられている。舟越は言葉の人でもあったのだ。2008年に東京都庭園美術館で開かれた「舟越桂 夏の庭」には行くことができなかったが、親しくしている学生さんが図録を送ってくれた。

 現代アートの主流はコンセプト重視である。舟越のように具象と想像力とを結合させて、存在の謎を詩にまで昇華した人はめったにいない。作者は泉下の人となったが作品は残る。芸術家はそうして不滅となる。フランスのアカデミー会員が「イモルテル」(immortel 不死の人) と呼ばれるのはそのためである。瞑目。

 

 

 

 

第374回 第35回歌壇賞

カーブする数秒間を照らされて蕾のようにひらく左眼

早月くら「ハーフ・プリズム」 

 第35回歌壇賞の受賞作が『歌壇』2月号で発表された。受賞作は早月はやつきくらの「ハーフ・プリズム」である。早月は1992年生まれで、2021年に作歌を始めたというから、始めてまだ3年しか経たずでの受賞である。短歌同人「絶島」所属。第9回詩歌トライアスロン三詩型融合部門でも受賞しており、詩も書くようだ。主に「うたの日」などで短歌を発表している。

しなやかなめまいがあって手をついた場所から果樹が広がってゆく

ほんとうを言わない喉のつめたさに無花果ふかい紅色をして

水道のゆるさつめたさ行き来して洗面台をひたす季節は

 選考委員の三枝昻之と水原紫苑が◎、東直子が○を入れている。吉川宏志は取っていない。選評で三枝は、どんな仕事をしてどんな暮らしをしているかが見えないが、ひとつひとつの場面への反応に詩的なセンスがあると評している。水原は、表現力勝負の作風で、言葉によって世界を組み替えることを目的としていると、いかにも水原らしい意見を述べている。三枝が、どこか着地していない宙吊り感が詩になっているという評に注目した。確かにひとつひとつの場面を克明に描かず、わざと言いさし感を残す詠み方で、そこに余情が生まれている。

 実は私は本コラムの第359回(2023年9月4日)の「『西瓜』に集う歌人たち」で早月の歌を三首引いているのだ。

窓際にひかりを溜めて不在とはまばたくたびに影を見ること

冬の陽がやわらかいのはシーグラスとよく似た仕組み 遠い眼球 

みなぞこは此処 薄明るい真昼間の壁に映画を浅くうつして

 どれも独自の清新なポエジーがある。二首目のシーグラスとは、浜辺に打ち上げられたガラス瓶などの破片のこと。「人魚の涙」とも呼ばれていて、独特な味わいがあり愛好家もいるようだ。この歌にも「眼球」という言葉が使われていて、作者は眼や光やガラスに親和性を感じているようだ。受賞の言葉によると、最初は自己表現として写真を撮っていたようなので、それも関係していると思われる。

 選考座談会で選考委員の誰も「ハーフ・プリズム」という連作タイトルに触れていないのでちょっと驚いた。ハーフ・プリズムとは、入射した光線の方向を45度あるいは90度変えるプリズムである。望遠鏡や光学式カメラのファインダーで使われている。これも光の縁語で、連作タイトルとしては出色だと思う。

 次席には福山ろかの「白昼」が選ばれた。福山は2004年生まれの若い歌人で、東京大学Q短歌会所属。2023年と2022年の角川短歌賞で連続して次席となっている。今回の歌壇賞も次席だったので、本人はさぞかし口惜しいことだろう。これにめげず頑張ってほしいものだ。

その胸に確かなくうを保ちつつ恐竜類の骨は立ちおり

まばたきのたびに途切れているはずの、まなうらを降り続ける雪の

姪っ子のためにわたしがめくるのはみな過去形でかかれた絵本

 吉川が◎、水原が○を付けている。吉川は、細かい所に着目してとても歌がうまいが、これまでの現代短歌の方法をよく吸収していて、そこが淡さにもなっていると評している。水原も歌のうまさは認めつつ、自意識の出し方に少し既視感があると言い、三枝は歌の上手さに新しさが少し欠けていると、東は比喩に驚きがなくどこかで見た気がするものが多いと評している。確かに、「森にいてよく見える雨 たましいが硝子細工のように冴えくる」の直喩などはもう少し工夫が必要かもしれない。

 以下は候補作である。坂中真魚まなは1986年生まれで、相田奈緒・睦月都と神保町歌会を運営している。

雨みんな海に降り終え貝がらを集めた手のひらひらく弟  「時計草」

切り株を踏めば足裏にやわらかく死を言祝いでしまうひととき

シーツ洗えば薄く時間の傷口がひらくあしたを丁寧に縫う

 東一人が◎を付けている。「引かれる手 波のちからを浴びながら春に父は海に連れられ」や「じゃないほうの子供に生まれて彼のみが父となり祖父と呼ばれる今は」などの歌を引いて、作中の〈私〉の父親は事情のある生まれで、祖母は父親と心中未遂をしていて、いろいろな人の孤独を描いた複雑な構成の連作ではないかと読み解いている。これにたいして残りの三人の選考委員は声を揃えて、これは東日本大震災を背景とする歌だと述べたので、東は驚いて絶句している。私は東とまったく同じ読み方をしたので私も驚いた。東日本大震災という読みはないのではなかろうか。そうだとすると、「眠たくなるような孤独をまなざしに 家族の誰もあなたに似てない」のような歌の収まり所がなくなる。連作タイトルの「時計草」は、パッションフルーツの生る植物の仲間で、十字形の花序が磔刑の十字架に似ていることから、「受難」を意味するパッション (passion) という名が付いた。だとすればこの連作の背景にも「受難」と「受苦」が隠されているはずだ。

 松本志李しりは1985年生まれで「塔」所属の歌人である。

馬よりは扱いやすき750ccナナハンで夕空の下ひとりとなれり

                  「海のもの、山のもの」

流れ弾でありしかわれは 一灯のヘッドライトに死ぬる虫見ゆ

かなしみは地を這いいるかひっそりと窓に張り付くニホンアマガエル

 三枝と水原が○を付けている。短歌に賭けている人特有の病んだ感じや暗さがないところがおもしろかったという水原の評に思わず笑ってしまった。確かに健康的で暗さのない歌だ。水原がこういう作風の歌に点を入れたのは少し意外だ。女性ながらナナハンを駆って東北地方を一人で旅する羇旅詠で、明るい青春歌である。吉川も○は付けなかったものの、印を付けていた作と言い、ていねいに読み解いている。しかしバイカーあるあるが時々見られるという東の評言も当たっている。

 乃上のがみあつこは1976年生まれで「玲瓏」所属。

朝礼前 集うわれらのときめきは新色リップの発色具合 「confidential」

エレベーター閉まり切るまでお辞儀する「さすが銀座」と小さく聞こゆ

一時間の通訳終えし空腹を銀巴里跡の蕎麦屋へ運ぶ

 三枝と吉川が○を入れている。この一連は職業詠で、作者は銀座の美容院で中国語の通訳をしている人らしい。正規職員ではなく通訳として働く外部スタッフという微妙な立場や、増えている中国人の客への対応など、短歌としては珍しい素材が詠まれている。タイトルのconfidentialは「部外秘」の意味。吉川は、具体的にうたわれていて、業界の細かいところが伝わるのがおもしろいと評し、三枝は現場の確かな手触りが歌のおもしろさになっていると吉川に同意している。

 これは一種の現代短歌の最前線へのアンチテーゼとなっているという水原の評になるほどと思った。現代短歌の最前線を行く若手歌人たちは、歌が描く場面の具体性をできるだけ削ぎ落とす方向に進んでいるからである。

よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから

                    永井祐『広い世界と2や8や7』

ライターをくるりと回す青いからそこでなにかが起こったような

 こんな現代短歌の動向に照らしてみると、乃上のように場面に具体性を持たせた職業詠は逆に珍しいものに見えるのである。

 からすまぁは2003年生まれで、東京大学Q短歌会とひねもす所属。昨年のU-25短歌選手権で優勝した記憶も鮮しい。

玄関の隅に埃は堆く〈登山家〉ではなく〈山屋〉の父よ  「追憶」

なぜという切り傷のような問いがある 答えは父の心音だった

そそり立つ岩壁のよう 面談の平たき椅子に父の不在は

 東と水原が○を付けている。水原は山という舞台があってうたわれている感じがいいと評し、東は学生生活を登山で捉えているのが特殊だと述べている。一連を読むとわかるが、山登りが趣味だった父親は、〈私〉が中学生か高校生で、妹がまだ幼かった頃に山で亡くなったのである。二首目の「なぜという問い」とは、「お父さん、あなたはなぜ私たちを残して山で死んだのですか」という問である。ユニークなのは、東も述べているように、トラバース、ポータレッジ、岩壁、アイゼン、ビレイといった登山の縁語を駆使して自分の学生生活を描写している点である。これはなかなかの力業だ。しかし吉川は、「追憶」というタイトルがよくなくて、これではもしかしたら若い人ではなく学生生活を振り返っているのかなと思ってしまうと述べている。よく理解してもらえなかったようで、〈私〉は父の死という傷がまだ癒えない若い人なのだが、その死はすでに手の届かない追憶の彼方にあるということなのだろう。

 はづき(早瀬はづき)は2003年生まれで、「京大短歌」所属。2023年の第2回U-25短歌選手権において「可逆」で予選通過している。連作タイトルのカストラートはイタリア語で、声変わりしないように去勢した男性歌手をさす。

調弦をすればそのあと手にのこる木のにおいごとひく二胡の弓 「カストラート」

わたしは利き手をきみは利き手じゃないほうの手をつないだら一対の羽

影の脚は足からのびて きみがいないふたつの冬がわたしにはある

 東と吉川が○を付けている。東は恋愛感情と身体性が印象に残り、喜びと絶望が表裏一体になっているのが特徴と述べ、吉川は男性同士の恋愛と読み、繊細でユニークな表現があると指摘している。吉川の言うとおりだとすると、これはBL短歌ということになるのだが、「おたがいに隆起のゆるい喉元を前世にふれるようにふれあう」という歌を見ると、女性同士の恋愛とも取れる。しかし性を超えることを指向しているのだから、どちらかに限定する必要もなかろう。この連作で「負晶」という言葉を初めて知った。なんでも結晶のなかにもうひとつ結晶が封じ込められている水晶だという。とても繊細な言葉選びが印象に残る連作である。

 荒川梢は1988年生まれで、「まひる野」所属。

もうこれは葬儀依頼の声だけど依頼されるまでファの声通す

                    「火をよせる」

十五分早いのですが始めましょう人より花のあふれる式場

地獄すらいけないだろうな御目閉ざすお守りとしてアロンアルファを

 三枝と東が○を付けている。葬儀社に勤めている人の歌である。三枝は現場の手触りがきちっとある一連もやはり選びたいと思ってこの歌にしたと述べ、東は葬儀という人間の一番最後の時を過ごす手伝いをするなかで見えてくる人間性が読みどころだと評している。明治時代の短歌改革以来、生老病死は近代短歌の重要な主題である。いずれも誰も避けて通ることのできない宿命で、葬儀は人の一生の最後に待ち受ける儀式だ。そんな特大の主題ながら、自分の職業からやや距離を取って、時には批判的に眺める眼差しが印象に残る。

 この他に、今紺しだ「コペルニクス的な」、乙木なお「降り積もる文字」、斎藤君「ナイトフィッシュ」、木村友「記念日」も候補作品に選ばれている。応募総数は397だったという。これだけの人が短歌を作り応募して来ることに改めて驚く。選考座談会でもそういう意見があったが、力作の多い回だったと思う。