やがて扼される誰かへ逆修なしあけもどろ咲く フェンスの向こう
屋良健一郎『KOZA』
「扼する」はしっかりつかむこと、または押さえつけることを意味する言葉だが、ここでは「扼殺」と同義で使っているのだろう。「逆修」は仏教用語で、いろいろな意味があるが、ここでは生前に墓石に戒名を刻むこと。その場合は戒名を赤く塗る。「あけもどろ」は沖縄の古謡「おろしろざうし」にある言葉で、日の出の荘厳さを讃えたもの。フェンスは米軍基地に巡らされた金網である。歌意は、米軍のフェンスのかなたに昇る沖縄の朝日の赤色は、いつか扼殺される人の墓石に刻まれた戒名のようだというもの。ほんとうに殺される人というよりは、米軍基地に土地を奪われ、米兵の暴行事件などに苦しむ沖縄県民を象徴的に表現したものと思われる。
作者の屋良健一郎は1983年生まれ。あとがきによると、高校二年の時に文語旧仮名の短歌を作って楽しさを覚えたが、その後の中断を経て大学二年生の時に俵万智の『サラダ記念日』を読んで本格的に短歌に開眼し、大学で大野道夫の講義を受けていたこともあって「心の花」に入会したという。2005年に第5回心の花賞を受賞。大学院を修了して、故郷の沖縄にある大学で教鞭を執っている。専門は日本史と琉球史で、琉球文学に関する著書もある。『KOZA』は今年 (2025年) 上梓されたばかりの第一歌集。版元はながらみ書房、装幀は間村俊一、帯文は佐佐木幸綱。表紙写真は沖縄市のコザ地区のものだろう。歌集題名がアルファベットになっているのは、この地区を米兵がKOZAと呼んだことに由来する。作者にとって思い出の土地である。小島ゆかり、吉川宏志、穂村弘と、沖縄文学研究者の仲程昌徳が栞文を寄せている。
歌集題名をKOZAとしたことからもわかるように、屋良は自らのアイデンティティーを深く自覚している。アイデンティティー (identity) というのは米国の心理学者のエリクソンが提唱した概念で、「自己同一性」と訳されることもあるが、要するに「自分が何者であるか」の自覚を意味する。屋良にとってのアイデンティティーとは、沖縄に生を受けたことである。それは次のような歌に色濃く表れている。
夜戸出するわれの額へ母が唾つけてまじなう「あんまーくーとぅー」
大いなる濾過を思いぬ日本とは「わん」が「われ」として歌を詠む国
会うたびに「ロンタイノーシー」と笑みかける祖父母はKOZAの商人なりき
モノクロの写真の街の白き火よ KOZAの暴力美しかりにけん
頼まれてカメラを向ける嘉手納基地をバックにピースをするまれびとに
一首目の「あんまーくーとぅー」はウチナーグチつまり琉球の言葉で、魔物に会わないようにお母さんだけを見ていなさいというまじない。沖縄には神と精霊が生きている。二首目、自分は同郷人と話すときには「わん」という一人称を使うが、短歌を作るときには「われ」という。二重のアイデンティティーを背負っているのだ。三首目の「ロンタイノーシー」は英語の Long time no seeで、「お久しぶりです」という意味。コザの商人は米兵を相手に商売するのでカタコトの英語を話す。四首目は1970年に起きたいわゆるコザ暴動事件を詠んだ歌。五首目の「まれびと」は折口信夫が提唱したもので、異界からの来訪者を意味するが、ここでは本土からの旅行客という意味で使われている。旅行者の脳天気な態度に違和感を感じている。
沖縄が突きつける現実とは、日本全国にある米軍基地の7割が沖縄に置かれていることから生じる様々な問題である。嘉手納基地の辺野古移設にも反対意見が多いが、基地反対を叫ぶだけでは解決しないことがあるのも事実だ。1983年生まれの屋良は当然ながら沖縄返還以前のアメリカ軍政時代を知らない。そんな自分たちを屋良は次のように詠んでいる。
基地に反対することもせぬこともさびし “Come on”の声に飲み干す
戦後史をぼくは知らないカリカリのタコスの皮が歯茎に刺さる
妄想でロケット花火をゲートへと打ち込む去勢されたぼくらは
誰を許し誰を許さず 戦後民主主義の眼鏡をぼくらはかけて
沖縄の心を持てと諭されて半分開ける助手席の窓
戦後史をあまりよく知らず、積極的に基地に反対することもない態度を優柔不断と見る向きもあろう。祖父たちの世代から「沖縄の心を持て」と諭されても完全には同意できない。半分開けた車の窓はそのような心情の喩である。吉川は栞文の中で「宙吊り」という言葉を用いている。琉球時代からの沖縄の辿った道を知れば知るほど、単純な賛成反対の立場を取るのが難しくなるということだろう。
自らのルーツである琉球・沖縄を離れた歌にも魅力的なものが多い。そのひとつはキラキラした青春歌である。
ぬばたまの黒髪に降る花びらをとらんと君に初めてふれつ
さやさやと揺るる若枝になるぼくら午後の陽の差すゼミ教室に
天日たる人のいる夏きらきらの結晶塩の言を尽くさん
池の面にわれを想いてとこしえに君よ水月観音となれ
学究の階に立ち止まる日の踊り場に見る空はろかなり
四首目の水月観音は、水辺の岩の上に座り、手に瓶と織物を持つ姿で描かれることが多いという。下句は白秋の「雪よ林檎の香のごとく降れ」を思わせる。この池は東大構内にある三四郎池か。五首目の学究の階とは、教室と研究室の並ぶ大学の建物で、空がはるか彼方に見えるのは学問の道は長くて遠いからである。今の若い歌人たちはこういうキラキラの青春歌を作らない傾向が見られるが、青春歌を詠むことができるのは若者の特権だ。
一読して歌意が取れず、解説が必要な歌もある。
月下そのひとつの呼気に口あつればわれへと易く開く頻婆果
(ウチテシヤ)ハイビスカスと青い海(ヘニコソシナ)めんそーれ沖縄
わわわYわわうとわるさわわぬYわわたつわくるわわさりわY
一首目の頻婆果とは、頻婆(ヤサイカラスウリ)の果実で、鮮紅色であるところから仏や女性の唇の形容に用いられている。つまりこれは月に照らされて女性とキスするという歌なのだ。実に手が込んでいる。二首目の(ウチテシヤ)は先の大戦時の「打ちし止まん」、(ヘニコソシナ)は「天皇の辺にこそ死なめ」というスローガンの一部。青い海が拡がりハイビスカスの花が咲く沖縄が抱える戦争の記憶を詠んだ歌である。三首目はまったく意味がわからないが、仲程が栞文で読み解いてくれている。それによれば「わ」はレンタカーの、Yは駐留米兵・軍属の私用車両のナンバープレートの最初の文字だという。沖縄の道路には観光客のレンタカーと米軍人の車がたくさん走っている様を表す。そして「わ」と「Y」を取り去ると、「うとるさぬ」と「たつくるさり」が残る。これはウチナーグチで「こわい」と「ころされる」という意味だという。こうなるとまるで判じ物のようだ。
死者の影此岸に刻印さるるごと茶色く残る押し葉の跡が
思いきりふくらませたる風船を離せば地上に残るうつそみ
磔刑の魂の行方を思いおれば夜の鳥ふいに木を飛び立ちぬ
ひとはなお天花を待てり果てのある塔を昇降機に運ばれて
鳥居坂の頂にひとつ車消えわが立つ場所を此岸と思う
炭酸のペットボトルを開ける時ホームの列に兆す テロルは
大きピザ持ち上げられてしなだれて具の落ちゆけば 宮森三月
特に心に残った歌を挙げた。一首目は作者が古書店でアルバイトしていた折の歌。二首目の視点の切り替えがおもしろい。風船を膨らませて空に放つとき〈私〉は地上にいるのだが、下句では視点が風船側に切りかわり、まるで空中から地上を眺めているように描かれている。五首目では坂を上って行く車が坂の頂上で姿が消えることによって、自分がいる坂の下を此岸と感じている。何か自分以外の対象に働きかけることによって人は自己を自覚する。それは自分一人では自分になれないことを意味している。歌もまた然り。五首目の鳥居坂は六本木から麻布十番方面に下がる坂で、途中に東洋英和女学院や国際文化会館がある坂。『タモリのTOKYO坂道美学入門』(講談社)でも紹介されているよい坂である。四首目の「天花」は「てんか」または「てんげ」と読み、雪を意味したり、天界に咲く霊妙な花を意味することもある。前者なら早く雪が降らないかと待っていることになり、後者ならば幻の花を待つことになる。ここは後者と取りたい。読んだ記憶のある歌だと思い、巻末の初出一覧を見たら『本郷短歌』創刊号に出詠された歌だった。そういえばその号を読んだときにこの歌に丸を付けた記憶がある。七首目は、1959年に嘉手納基地所属の米軍戦闘機が宮森小学校付近に墜落し、17名の死者が出た事件を踏まえている。大きなピザは沖縄県民を圧迫する米軍基地の喩。六首目も印象に残る。私はこの歌を、通勤電車を待つ駅のホームで炭酸飲料のペットボトルをプシュッと開けたときに、心にふとテロへの思いが兆したと読んだ。誰の心にも潜在的にテロへと傾斜する可能性があるということか。
川野里子の対談集『短歌って何?と訊いてみた』(本阿弥書店)を読んでいたら、堀田季何との対談で川野が「短歌では近年若い世代になにか不思議にイノセントな作品が増えている気がします。社会や歴史からはぐれて無垢な『私』なんですよね。」と発言していた。屋良の本歌集はそのような傾向とは真っ向から対立する骨太の歌集である。何より屋良が自分をイノセントだと思っていないところに、本歌集の射程の深さが感じられる。