第220回 加藤孝男『曼茶羅華の雨』

一本のワインはテーブルに立ちながら垂直にして燃える歳月
加藤孝男『曼茶羅華の雨』 

 テープルに立っている瓶の中のワインはボルドーの濃厚な赤ワインだろう。「燃える」との連想から白ワインでは具合が悪い。解釈に迷うのは「立ちながら」の逆接と、「垂直にして」の「にして」の意味である。「立ちながら」はおそらく意味的に「燃える」に連接するので、「立っているのに燃えている」と解釈できる。厄介なのは「にして」で、「して」の接続助詞用法は並列・修飾・順接・逆接など種々の意味を表すとされている。逆接と取ると「立ちながら」の逆接とかぶるので、ここでは並列と取りたい。「簡にして要を得る」と同じ使い方である。すると「垂直を保ったままで燃えている」となる。
 火や炎は短歌によく詠われる素材である。『岩波現代短歌事典』の「焔」の項には、「写実的に眼前にある火そのものとして歌うだけでなく、比喩として使われることがたいへん多い」と書かれている。本歌集にも掲出歌以外に、「一群の曼珠沙華田へ傾きて火をはなつべき我執ひとむら」という火を詠んだ歌がある。火はしばしば情念の激しさを表し、またこの歌のように何かを焼き尽くすものとしても詠われる。ワインは長い時間貯蔵されて熟成するので、掲出歌では歳月の喩として働いている。作者は時間の流れの中に何か激しいものを感じているのだ。
 歌の意味の読み解きはさておき、この歌を一読して感じるのは極めてスタイリッシュだということである。邑書林のセレクション歌人シリーズ『加藤孝男集』の解説を書いた谷岡亜紀は、加藤の歌に見られる「意匠への関心」と「様式への志向」を指摘した。確かにこれは加藤の歌に見られる一面で、掲出歌ではそれがスタイリッシュさとして現れているのだろう。
 それより何より注目すべきなのは、書肆侃侃房の叢書ユニヴェールの一冊として刊行された本書が、加藤の18年ぶりの第二歌集だということである。加藤の第一歌集『十九世紀亭』は1999年の刊行である。あとがきにその経緯が書かれているが、第一歌集を出版して加藤の短歌への思いは一度冷めたそうだ。そんな時に篠弘に再び短歌に向き合うように強く勧められたという。ちなみに歌集題名の「曼茶羅華まんだらげ」は仏教の用語で、仏が出現するときに天上に咲く白い花のことである。
 『十九世紀亭』を取り上げたときは、加藤の歌に見られる時代に対する「脛の冷え」の感覚と、「倦怠と憂愁と胆汁のごとき苦み」を指摘した。一方、『曼茶羅華の雨』の底に色濃く流れているのは、宇宙的感覚と死への思いである。冒頭の「銀河詩篇」と「地球照アース・シャイン」から引く。

地球より離りて孤独の火となれる宇宙望遠鏡のなかの神々
神を生むひとの頭脳に左右さうありてふたつの神がはじめにありき
超新星ふたたびカオスに戻りゆく一つの星が滅ぶるときに
ハナミズキ巻けるしら花ひとひらのその渦のなか銀河はひかる
群青の水の球体浮かびゐてその網膜にひとら諍ふ

 人はいかなる時に宇宙的視点に立つか。もちろん子供が夜空の星に憧れるように、純粋に星を愛でることもあろう。しかし歳を経た大人の場合、地上の出来事はつまるところ瑣事に過ぎないと達観するか、地球上で飽きもせず繰り広げられる人間の愚かさに愛想を尽かした時だろう。加藤の歌にはその両方がある。それは『十九世紀亭』に見られた「倦怠と憂愁と胆汁のごとき苦み」の行き着く先でもある。それは上に引いた五首目などを見ても明らかである。また四首目のハナミズキの花の中に銀河を見るというのは、どこか宗教的世界観を感じさせる。上に引いた他の歌に神が登場することもそれを裏付けているだろう。集中には「かつてわれ西行のごと子を捨てて沙門の粥をすすらむとせし」という歌もある。

ゆふぐれと夜とのあはひに帰りゆくうしほのごとく生は束の間
わが死なば地に汚れたるたましひもゆかむ六等ほどなる星へ
うすやみに脚立きやたつはみえて死の順位筆頭にたつ父の背うごく
生きるとは儚きひびきさざんくわの花びらは落つ淡き地上に
ボタン一つに地上の獄を離れ行くエレベーターは最上階へ

 死への思いを詠んだ歌を引いた。特に三首目の「死の順位」には虚を突かれたような驚きがある。父親と自分と子供を並べれば、確かに最年長の父親は死の順位では筆頭に立つ。脚立には段がありそれを使って人は上に登るので、それは死の順位の喩となっている。「地上は汚穢」「地上は獄」という思いが募れば、人は天上へと行くエレベーターに憧れることになる。
 とはいえ集中にはもっと何気ない物事を詠んだ歌に引かれるものがある。

犬の蚤 猫の蚤より高く跳ぶかかる真理をつきとめし人
通勤の折に眺むる藤ばなのある日剪られて時はくらしも
置く霜のごとき錠剤をテーブルに並べて寒きひと日に沈む
家族とは茨の香りに満ちながらふとかなしみのなかに融和す
夜半に吹く野分にしをるる白萩の朝のメトロにおみなら眠る
ベビーバスに浮かぶ裸身の輝きの一糸まとわぬものの重たさ
風景を閉ぢむとて降りいそぐ雨の平針三丁目ゆく
衰微とやよりあふ皺のうつろひに水とて老ゆる夕まぐれどき

 一首目、犬につく蚤は猫につく蚤より高く跳ぶなどというどうでもよいようなことを研究している生物学者を称えている。学問の基本は無用である。二首目は誰にも覚えのあることだろう。日々通りすがりに眺めて楽しんでいた植物が、ある日、ばっさりと切られているのを見たときの落胆はや。三首目の錠剤が抗うつ剤というのは出来すぎか。「置く霜の」はもちろん百人一首の歌の本歌取りである。四首目の「茨の香り」は諍いの不穏の喩だろう。ふだんは些細なことで諍う家族だが、悲しい出来事が起きると共に悲しむのである。五首目はおもしろい。「夜半に吹く野分にしをるる白萩の」までが「おみな」を導く序詞になっている。朝の通勤風景である。六首目は娘が誕生した時の歌だろう。七首目は平針という喩と三丁目という数字が効果的。八首目は集中屈指の美しい歌である。池か沼か湖か、風に波立つ水の表を見ていると、まるで人間の顔の皺のように思えてきて、「水までもが老いるのか」という思いにかられるという歌である。
 あとがきには1999年から2013年までに制作した歌から取捨選択して本書を編んだとある。なぜ2013年までかというと、その年の四月に加藤はロンドン大学客員研究員として渡英したからである。ちなみに加藤は東海学園大学で国文学を講じる学究の徒である。渡英以前と以後とでは「生活も意識も様変わり」したという。このためそれ以後の歌は収録されていないのである。どう変わったのだろうか。
 加藤は国文学の研究の傍ら、剣道・合気道などの古武術に通じ、柳生新陰流兵法、柳生制剛流抜刀術を習っており、熱田神宮で演武まで披露する腕前である。セレクション歌人シリーズ『加藤孝男集』の自身の手になる略歴の平成九年の項には「もはや伝統しか信じられないと思う」と記されている。日本の伝統に深く傾倒しているのである。
 日本人が初めてヨーロッパに長期滞在するとどのような変化を被るか。大きく分けて二通りの変化が見られる。伝統主義の深化か普遍主義への転向である。ある人は憧れの対象だった欧州の文物思想に触れ、その多くが過去の遺物になり果てていることに失望し、日本回帰して伝統主義をますます深める。またある人は欧州の思想・芸術の根幹に横たわる普遍主義の息吹に触れて、それまでの日本伝統主義を相対化する目を持つようになる。だいたいこのどちらかなのだが、果たして加藤自身はどうだったのだろうか。とても気になるのである。

 

第219回 松村正直『風のおとうと』

この先は小さな舟に乗りかえてわたしひとりでゆく秋の川
 松村正直『風のおとうと』

 掲出歌は句切れのない歌である。このように句切れのない歌を三枝昻之は「流れの文体」と呼ぶ(『現代定型論 気象の帯、夢の地核』)。吉田弥寿夫によれば、句切れのない文体はモノローグ的であり、集団から疎外された単独者のものであるという(『雁』4号)。そこまで言うかという気もしないでもないが、確かにこの歌はモノローグ的であり内省的である。
 もし秋の行楽で遊覧船に乗っているとしたら、小さな舟に乗り換えて船頭も乗せずに一人で川を行くというのはちょっと考えられない。するとにわかにこの歌は幻想性もしくは隠喩性を帯びて立ち上がり、近代短歌の人生派はそこに人生の喩を読み取ることになる。そこまで行かずとも少しくメルヘン的な歌の情景と、下句に句跨がりがある歌のリズムを楽しんでもよかろう。
 『風のおとうと』(2017年)は、『駅へ』(2001年)、『やさしい鮫』(2006年)、『午前3時を過ぎて』(2014年)に続く著者の第四歌集である。短歌総合誌・短歌新聞などの媒体と、自らが編集長を務める結社誌『塔』に発表した歌、歌会に出詠した歌が編年体で収められている。
 本コラムで『午前3時を過ぎて』を取り上げたとき、松村の短歌の特徴として「感情の起伏がある揺れ幅を決して超えないこと」と、「日常のなにげない経験をただ表面的に描くのではなく、その内奥へと柔らかに入り込む心の動き」を挙げた。本歌集においてもその特徴は変わらないのだが、今回は少し違う角度から松村の短歌を見てみたい。
 そのひとつは「日常の中に潜む不穏」である。本歌集には妻の病気と義父の死という作者にとって大きな出来事を詠んだ歌群があるのだが、それを除けば詠まれているのは日常の些細なことである。しかしその中に不穏な気配を漂わせる歌があり、少しばかり目を引く。たとえば次のような歌がそうだ。

隣室に妻は刃物を取り出してざくりざくりと下着を切るも
砲弾のごとく両手に運ばれてならべられたり春のたけのこ
鎌を持つおとこと道ですれ違うおそらくは草を刈るためのかま
片道の燃料だけを積み込んでこの使い捨ての黒ボールペン
竹藪より出で来しひとの右の手に握られており長き刃物は

 一首目、古くなった下着を適当な大きさに切って靴磨きなどに使うのは、どこの家庭でもしていることだろう。しかし隣の部屋から妻が古着を切っている音が響くと、にわかに不穏な気配が感じられる。大ぶりの裁ちばさみだから、聞こえる音は濁音である。二首目、京都は筍の名産地なので、季節になると大きな筍が店先に丸ごと売られている。その形状を「砲弾のごとく」と形容するのはどこかにきなくさい戦争の気配を感じているためだろう。三首目はおそらく農作業をしている人とすれ違っただけなのだろうが、二度繰り返される「鎌」が不吉である。四首目はインクが切れたら捨てられる運命にあるボールペンを詠んだ歌だが、そこに重ねられるのは片道切符で出撃した人間魚雷の特攻である。魚雷とボールペンの形状の類似が発想を導いたものか。五首目もまた刃物の歌で、「長き刃物」が禍々しい。このような歌が生み出される背景には、やはり作者が生きている(そして私たちも生きている)現代の日本社会が影を落としているのだろう。
 もうひとつ取り上げたいのは、ほとんど「ただごと歌」に近いような次の歌である。

ひととせの後に編まれし遺歌集に死ののちのうた一首もあらず
中心でありし場所からひときれの切られしピザを食べ始めたり
道の駅の棚にならびて親のない春のこけしはみな前を向く
上流の橋を見ながら渡りゆくみずからのわたる橋は見えねば

 一首目、歌人が亡くなって一年後に遺歌集が編まれた。もう死んでいるのだから、死後の歌が一首もないのは当たり前である。しかし改めてそう指摘されると、ハッとするものがある。歌人が死ぬということは、もう歌が作れなくなるということなのだと得心する。ちなみに師が亡くなって私が感じたのは、学者の死とは膨大な蔵書がもう何の役にも立たなくなるということだ。二首目、丸いピザは誰でも車軸状に切れ目を入れて食べる。食べ始める場所はいちばん尖ったところだが、それは丸い状態のときは円の中心だった場所だ。しかし切り分けるとそれはもう中心ではない。「中心」という特性は「円」という形状との関係性のみに基づくものだとわかる。三首目、生き物ではないこけしに親がないのは当たり前である。また商品として並べられているこけしが前、すなわち客の方向を向いているのもまた当然だ。奥村晃作の「次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く」を彷彿とさせるただごと歌である。四首目、自分が渡っている橋は見えないので、上流にかかる別の橋を見ながら渡る。これまた当然と言えば当然のことを歌にしている。
 ユーモアと言うほどのものがあるわけではないのだが、このような歌が放つ脱力感というか肩すかし感というか、そのようなものは決して悪いものではない。むしろ当たり前のことが詠まれているだけに、定型の持つ力が一層強く感じられるという功績もあるかと思う。
 もう少し注目した歌を見てみよう。

烏瓜の揺れしずかなり死ののちに語られることはみな物語
あぜ道の日当たりの良い場所に立つ木の電柱に木の色ほのか
ゆうぐれにドアにドアノブあることのこんなにもなつかしくて 触れたり
人形をあきなう店が地下にあると知りてよりここに階段がある
橋の上に降り出す雨は傘を持つ人と持たざる人とを分かつ
缶詰の中に知らない町がありカラフトマスの中骨がある
コースからしずかに逸れてゆく馬を見ており秋の競馬場にて
かき氷とけて器にくれないのみずをわずかに残せり日暮れ

 一首目は高島野十郎の絵を彷彿とさせる歌だ。壁から垂れ下がった蔓に真っ赤に熟れた烏瓜の実が静かに揺れている。その情景が下句で箴言のように述べられる言葉に諦念を滲ませる。二首目、都会ではもう木の電柱は珍しい。田畑のある農村の情景である。結句の「木の色ほのか」に対象に分け入る目が感じられる。三首目は山崎方代を思わせる歌で、下句が大破調のように見えて実は18音である。四首目は認識の転倒の歌。階段はずっと前からそこにあったのだが、地下の店を知って後に私の認識にその存在が書き込まれる。認識は存在に先行するのである。五首目は動きのある歌。突然の雨に傘を持っている人はおもむろに傘を開いて歩みを変えることはない。一方、傘を持たない人は雨宿りができる場所を求めて駆け出す。「橋の上」が効いている。物陰がないからである。六首目、カラフトマスだから北海道の近海かオホーツク海の遠洋で捕獲され、漁港の工場で缶詰にされたのだろう。そこに知らない町の物語を見ているのだが、この歌では「中骨」が効いている。七首目はいかにも松村らしい歌。場所はのどかな地方の競馬場だろう。他の馬のようにゴールを目指して一直線に走ることができず、コースを逸れる馬に共感を感じているのである。八首目はとりわけ美しい歌だ。かき氷が溶けて器に水が残っているというだけの情景を詠んでどうしてこんなに美しい歌になるのか。あとがきに松村は、「本当の歌の良さというものは、説明したり分析したりできるものではないことを、あらためて強く感じる」と書いているが、そのとおりである。そもそも美とは沈黙を強いるものだからだ。
 一巻を読んで季節は秋が多く時刻は夕暮れが多いことにあらためて気づく。著者不惑の充実を実感させる歌集である。


 

第218回 大室ゆらぎ『夏野』

地図に散る島のかたちのそれぞれに夜明け飲み干す水の直立
大室ゆらぎ『夏野』

 夜明けに喉が渇いて目覚め、台所に行きコップに水を汲んで飲むという日常よくある光景である。一読して「カッコいい歌だなあ」と思ったが、よく考えると意味が取りにくい。上句と下句の間に詩的跳躍があるからだ。「地図に散る島のかたちのそれぞれに」までは、瀬戸内海のような多島海を思い浮かべる。地図上でここに小豆島、ここに直島、あそこに手島と島が点在している。ところが下句では一転して台所のステンレスシンクの前で水を飲んでいる場面に切り替わる。このような場面転換を伴う詩的跳躍で最もよくあるのは、どちらかがどちらかの暗喩になっているというケースだろう。
 私は次のように解釈した。ステンレスシンクに蛇口から水を流して止めると、流れきらずにシンクの底面に水が残る。残った水は表面張力のためにわずかに盛り上がり、まるで地図上の島のような体裁を見せる。それを多島海に喩えたのだろう。
 では「水の直立」とは何か。ふたつの解釈がある。ひとつはコップに汲んだ水のことで、コップは縦長だから中の水は直立していると言える。もうひとつは蛇口から垂直に流れ落ちる水である。しかし「水の直立」には「夜明け飲み干す」という連体修飾句がかかっているので、結果的にコップの水に軍配が上がる。溜まり水の水平とコップの水の垂直とが幾何学的に対比され、定型に落とし込まれた技巧的な歌である。
 歌集巻末のプロフィールによると、著者の大室は1961年生まれで、短歌人会の会員。結社内で数々の賞を受賞しており、2017年には本歌集のタイトルともなった「夏野」30首で短歌人賞の栄誉に輝いている。短歌人会入会前に『海南別墅』という第一歌集があるので、『夏野』は第二歌集ということになる。まったく知らない歌人であるが、手に取り表紙を開くよう私を誘ったのは造本の美しさである。永田淳さんの青磁社の刊行になる本書は上製本で、水色の花布と同色の栞紐が付けられている。近頃栞紐は珍しい。カバーは半透明で、少し緑がかった水色で大きく「夏野」と印刷されており、爽やかな風が吹き抜けるような美しい造本である。
 収録されている歌は旧仮名による文語定型で、編年体で編まれている。いくつか引いてみよう。

蓮の骨浅く沈めて澄みわたる冬しづかなる水生植物園
消えやらぬ昨夜よべの声々沼水にいよよ吸わるるみぞれ雪の影
草の刺触れて鋭しつぶらなる子牛のまなこにまつはる狭蝿さばへ
川の辺のおほきあふちの木の花の濃き香至りて宵を苦しむ
午後二時われに眠りの差すときにうつつにひらく睡蓮のはな

 一首目の上句「蓮の骨浅く沈めて澄みわたる」を見ただけで、著者は古典和歌に親炙していることがわかる。文語の手練であることは、詩語の選択だけでなく、その連接、斡旋においていっそう明らかだ。一首目、「蓮の骨」は枯蓮の残った茎で、人気のない冬の水生植物園の清明な空気感がよく感じられる。二首目、「消えやらぬ昨夜の声々」は前夜の何かの議論の声だろうか。沼の水に吸われてゆくのが雪ではなく雪の影だとしたところに工夫があり詩が感じられる。三首目は「触れて鋭し」に目が行く。草の刺が鋭いのは触れる前からそうなのだが、触れて初めて鋭いことが感じられるという表現である。狭蝿さばえは陰暦の五月頃に群れなす蝿のことで、夏の季語。四首目に詠まれている「おうち」は栴檀せんだんのことで、五月頃に花をつける。「栴檀は双葉より芳し」と言われた木である。五首目は初句「午後二時」が珍しく四音で軽い切れがある。眠りの夢と現実の睡蓮が対比されているのだが、逆にまるで夢の中で睡蓮の花が開いているようにも感じられるところがおもしろい。
 本歌集に帯文を書いた小池光は、大室の短歌は韻律がさわやかでイメージが美しく、確立された様式美があるとして、「これはまぎれもなく『新古典主義』の一巻である」と断じた。つまり古典和歌の世界を現代に現出させたものということで、確かに小池の言うとおりだろう。
 ではその新古典主義により描き出されている短歌世界はどのようなものかというと、「身体を通じた世界との交感」と言えるだろう。そこから大室の歌に刻印されている季節の移ろい、動植物など小さきものへの愛情、枯れたものや骨への偏愛、そして人間界と自然界の境界のゆらぎなどが生まれる。

木のうろに入りしばかりにおもむろにあはれあはれわれは蔓草になるぞ
片靡く枯れ葦原に立ち交じりかくも吹かれて人外じんぐわいにをり
かひ覆ふ青葉の界に参入す いささかわれを失はむとして
薄暮光けふは世界に触れ過ぎた指が減るまで石鹸で洗ふ
沼に湧く菱を覗いてゐるときもわれを出で入る呼気と吸気は

 一首目にあるように、作者は木の虚や藪の中などを好み、しばしば足を踏み入れる。そうすると人間界と自然界の境界はゆらぎ始め、人と草木が一体化する。そのときは「いささかわれを失う」のだが、それは不快なことではなく逆に作者の望むことなのである。しかし世界との交感が限度を超えると、たましいのメーターがレッドゾーンに入ってしまうこともある。この世界との交感が決して観念的なものではなく、五首目からわかるように身体を通して触れあうことによってなされていることにも注目しよう。勅撰和歌集の部立てが示しているように、季節の移ろいと自然との交感は古典和歌の根幹をなすテーマである。この意味においても大室の短歌は新古典主義と呼ぶにふさわしい。
 しかし読んでいて気づくのは、集中に桜の花を詠んだ歌が一首もなく、月もわずかしか登場しないということだ。登場するのは枯れ蓮や荒草や野茨や反魂草のように、ふだんはうち捨てられているような目立たない草木ばかりである。このあたりに作者の好みがよく現れている。

身は朽ちて流れ着きたり砂の上に清く連なる頸の骨かも
けだものの骨かと見えて川砂のうへに砕けている蛍光灯
さらされてさきけものの頸の骨三つばかりのしろき歯残る
狸の骨があると分かつてゐる道をけふも通れば目はそれを見る
欄干が低過ぎる橋きのふから砂にまみれて死んでゐる蛇

 作者は動植物や自然物のなかでも、小さきもの、毀れたもの、死んで骨となったものへの愛着が深い。このような歌がよく表しているように、いくら新古典主義といっても、雪月花と花鳥風月ばかりではなく、もう少し剥き出しの自然を詠んだ歌も多くあるのである。

叢にむくろさらしてゐるわれを荒くついばむ鳥にあてがふ
蔓草に口のうつろを探らせて喉の奥まで藪を引き込む
延びてゆく髪と蔓草しろき根に吸はれてわれは蔓草になる

 自分の遺体を鳥葬に付しているところを想像した一連である。日本の文化・文芸の特徴のひとつが自然との一体化であることに異論はあるまい。日本の伝統的家屋の室内と庭の連続性を見てもそれはわかる。しかしそれはあくまで風雅の世界での観念的一体化である。ところが上に引いた歌が示しているのは、もう少し荒々しいレベルでの一体化で、自我と自然の境界を強引に踏み越えようとしているように見える。この一連を読んで私は日本画家の松井雪子の絵を思い浮かべた。

たましひを揺らしに行かうむつちりと青き胡桃の生る下蔭に

 作者の世界をよく表している歌だ。お好みの木の下蔭が登場する。そこに人に見られないよう潜り込むのは「たましいを揺らす」ためである。
 すべてが自我の詩、〈私〉の表現となっている短歌はつまらない。私は見ず知らずのあなたの自我などには何の興味もないからである。歌が個から出発しながら個を超えて、普遍的レベルに昇華したとき、初めて歌は人の心に届くものになる。大室の歌で言うならば、身体を通した〈私〉と世界との往還、〈私〉と自然の「あいだ」のゆらぎ、人間界と自然界の境界の揺れに見るべきものがある。おっと、そう言えば作者の名前は「ゆらぎ」だった。これは果たして偶然の一致か。
 最後にいつものように心に残った歌を引いておこう。

沈黙をわれと分かちて朝を歩む雉のかうべに降れる水雪
人ひとり失せしこの世の蒼穹を夏へとよぎる一羽のつばめ
おびただしき羽黒とんぼは立ち迷ふ林の果てにひらく水明かり
真葛這ふカーブミラーの辺縁に歪んで映るわれと犬たち
烏さへ黙つてゐるあさ北半球なかば熟れたる桃は落ちたり
川土手にジグソーパズルは燃やされてジグソーパズルのかたちの灰は残りぬ
野づかさの墓地のはづれに束のまま捨てられてをり枯れた仏花は
蚊柱に入りて出づれば以前とはいくらか違ふわれとはなりぬ

追記 : この評をアップした後で、本歌集が第43回現代歌人集会賞を受賞したことを知った。喜ばしいことである。

第217回 西田政史『スウィート・ホーム』

世界よりいつも遅れてあるわれを死は花束を抱へて待てり
西田政史『スウィート・ホーム』』

 思い立って先週東京まで展覧会を見に行った。国立新美術館で開かれている「ジャコメッティ展」である。ジャコメッティと言えばわが青春のアイドル。これは見に行かないわけにはいかない。フランス留学仲間の東大の小林康夫がNHKの日曜美術館に出演したとき、「自分の青春を刻印した本」として、矢内原伊作の『ジャコメッティとともに』を挙げていた。やはり時代というものはあるのだ。
 今回の展覧会では彫刻作品と並んで、デッサンが多く展示されていて、興味深く見た。モデルを前にして描くとき、目を向ける度毎に見え方が異なるため、デッサンの線は何重にも重ねて引かれ、ついには蜘蛛の巣のごとき観を呈する。その線の錯綜を見て、戦後画壇の寵児となったベルナール・ビュッフェの描く線と似ていると思った。また人物の顔の描き方はどことなくフランシス・ベーコンにも通じるところがある。やはり時代というものがあるのだろう。

 ジャコメッティの作品には「完成」というものがない。「見えるままに描く」のは不可能な目標だからだ。「不可能な目標をめざすプロセス自体が芸術の本質だ」というのは極めて現代的な芸術観で、その源流はまちがいなくモネにある。
    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆
 前回の勺禰子『月に射されたままのからだで』評を書き上げた直後に郵便が届き、開けて驚いた。あの西田政史の第二歌集『スウィート・ホーム』ではないか! 第一歌集『ストロベリー・カレンダー』(1993年)から数えて実に24年振りの第二歌集である。版元は書肆侃侃房で、叢書ユニヴェールの4巻目に当たる。
 西田は荻原裕幸と並んでかつて「玲瓏」に所属し、塚本邦雄に師事していた。1989年に「The Strawberry Calendar」で第32回短歌研究新人賞次席(ちなみにこの年に新人賞は久木田眞記)。翌年「ようこそ! 猫の星へ」で見事第33回の新人賞を受賞している。それを受けての第一歌集『ストロベリー・カレンダー』刊行だが、西田はその後歌から離れる。その経緯は加藤治郎の手になる『スウィート・ホーム』の巻末解説に語られている。それによると西田は「妹、一九七二年夏」(「短歌」2000年2月号)をもって作歌を休止したという。いわゆる「歌のわかれ」である。歌と別れた動機は詳らかではない。本歌集あとがきによると、西田は2013年春頃に再び作歌を始めている。きっかけは書店で偶然手に取った穂村弘『短歌の友人』と加藤治郎『短歌のドア』だったらしい。主にブログで歌を発表していたが、2015年に加藤と再会。加藤から「歌集を出しませんか」と誘いを受け本歌集の刊行に至ったという。短歌総合誌に以前発表した歌と、作歌を再開してからブログに掲載していた歌を手直しし再構成して一巻を編んだとある。
 加藤の解説は短歌史的に見て興味深いもので、今日ニュー・ウェーブ短歌というと、荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘の3人の名が挙げられることが多い。しかし加藤によるとそれは正しい把握ではなく、作品世界も近く歳も同じ荻原裕幸と西田政史がニュー・ウェーブを牽引し、加藤と穂村がその流れに巻き込まれていったというのが実情らしい。ニュー・ウェーブ短歌をめぐる短歌史を少し修正する必要があるようだ。西田はニュー・ウェーブを語る上で欠かすことができない名前なのである。
 第一歌集『ストロベリー・カレンダー』は2部構成になっている。第I部は記号を駆使したニュー・ウェーブ短歌のオンバレードで、第II部は打って変わって端正な叙情的短歌が並んでいる。両方から3首ずつ引いてみよう。

この街のすべてがぼくのC#mの音にとざされている
WOWOWが「忠臣蔵」の放送をやめないつまりレのあとのファラ
恋人と**失踪のパサウェイのためのパックのミルク**のむ

われの知らぬ空いくつ経てしづまれる戸棚の中の模型飛行機
ワイシャツの襟やはらかきゆふぐれのわれの内なるかれ目覚めたり
水彩の尽きたる空の色買ひにゆかむ睡りの熟るる時刻に

 『ストロベリー・カレンダー』の跋文で師の塚本は西田の才気を愛で、「この歌集は、五線紙に印刷した方が生きるのではないか、と思ふくらゐだが、次はサティに曲をつけて貰つて歌ひたくなるに決つてゐる」と書いた。しかしアンソロジー『現代短歌の新しい風』の西田の欄にノートを書いた栗木京子は、「IIの抒情性だけで一冊をまとめれば文句のつけようのない第一歌集が出来上がったのだろうが、そこにおさまりきれなかったところにこそ『ストロベリー・カレンダー』の栄光を読み取るべきであろう」と評している。
 さてでは『スウィート・ホーム』はどうかというと、掲出歌一首からなる序章に続き、第一章「漸近線のヴィジョン」、第二章「亜細亜の底の形而上学」、第三章「父国」、第四章「スウィート・ホーム」、最後に終章という構成である。全体を通じてかつての才気溢れる実験的な記号短歌は影を潜め、旧仮名表記による文語と口語の混じった落ち着いた歌が多いという印象を受ける。
 序章は連作「もう何も起きない部屋で」ひとつからなる。

もう何も起きない部屋にもう誰も起きないアラーム・クロックがある
もう何も起きない部屋にかぐはしく腐る洋梨ほどの異変を
「もう何も起きない部屋」と君は言ふクリネックスに火をつけながら

 加藤は「もう何も起きない部屋」とは、西田と文学との関わりのメタファーだと読む。もしそれが正しいとするならば、歌のわかれを経て「もう何も起きない部屋」と化していた詩魂に異変が起きてドアが開き燃え上がったということで、序章はいわば作者の決意表明ということだろう。
 第一章「漸近線のヴィジョン」にはかつての『ストロベリー・カレンダー』の基調をなしていた若者の倦怠と憂愁を漂わせる歌がある。

雨の日の仔犬みたいについて来る遊びぢやないんだろうな憂鬱
ぼくを立ち止まらせ淡く抒情する春には春のセブン・イレブン
恐ろしくリアルな夢を抜け出してあるいは夢のままの桜桃
失はれさうなDNAとして生きる世界が終はるときまで
わけもなく狂ふ時代の優しさの明るいガラス越しの蜜蜂

 第二章「亜細亜の底の形而上学」には「一度も存在したことがない姉さんのうた」という連作がある。実在しない肉親を仮構するのは前衛短歌の常套手段で、新作のこの連作にはほのかなエロスが感じられる。

春の夜の姉はほほゑむゆびさきでレモンひときれ搾りつくして
姉さんの名前を呼んだりはしない湿度みたいな姉さんの髪
姉さんに触れることばを話せないぜつたい死んでしまふぼくには

 かと思えば「アンドロギュヌスの微睡」には「玲瓏」調の語彙を駆使したテンションの高い歌が並んでいる。こちらは旧作か。

緑陰のごとく少女期かげりつつはつか羞恥の草を纏ひき
童貞は鋼の匂ひたたしめてなまぬるき夜の腋下に沈む
掌に零す精液の熱あはあはと冷めれば雨のさなかなる夏至

 第四章「スウィート・ホーム」の「一九七二年・妹」は歌のわかれの直前に発表された「妹、一九七二年夏」だと思われる。

一九七二年いもうとの眉から碧い夏がはじまる
夢のごとく写されてゐるいもうとの膝から下の海のしづけさ
立つたまま泣き出すときのいもうとの右手の中にある夏の繭

 このように『スウィート・ホーム』は、第I部と第II部が截然と分かれていた『ストロベリー・カレンダー』ほどではないが、硬質の語彙を駆使した技巧的な前衛短歌と、ニュー・ウェーヴをくぐり抜けたポップで軽快なライト・ヴァース風の歌とが混在している。どちらが歌人西田の本質なのかと問われれば、「どちらも西田である」と答えるしかないとは思うのだが、私は個人的に『ストロベリー・カレンダー』の西田政史、大塚寅彦、『青夕焼』の喜多昭夫が現代歌人の最も優れた抒情だと思っているので、西田の抒情的な歌により多く引かれるのである。

Tシャツの文字あをあをと残りゐる箪笥の中に輝けり夏   西田政史
わがうちに満ちわたる虚を知るゆゑかけふ故郷より着きたる林檎

死者として素足のままに歩みたきゼブラゾーンの白き音階   大塚寅彦
秋のあめふいにやさしも街なかをレプリカントのごとく歩めば

日照雨そばえふる夏の埠頭に花殻はながらのごとき自転車は倒れてゆけり  喜多昭夫
ためらひてとぶ鳥ありや南風にいだかれてわがおくつきは建つ

 今改めて『ストロベリー・カレンダー』の跋文を読むと感慨深いものがある。その中で塚本は「『夢を売る仕事に従事するあなた!薔薇色申告で節税を!』」という西田の歌を引いて、「やられた」と思ったと述懐している。『魔王』巻末の「おしてるやなにはともあれ『月光の曲』を聴きつつ青色申告」という塚本の歌の本歌取りならぬ「本歌ゆすり」だというのである。そして塚本は西田の第二歌集の題名は『薔薇色申告』とすべしと命じている。この師の諧謔を含む期待は裏切られ、第二歌集の題名ははるかに散文的な『スウィート・ホーム』となった。
 塚本はこうも書いている。「そして彼(=西田)が知命に達する頃は、苺も猫も古典に列して、四半世紀後の若者に月旦されてゐるはずだ。そしてその時、君はいかなる文體で、君の生きる二十一世紀の短歌を拓くつもりなのか、私に訓へてほしい。その頃、私は白壽で、『神變』を準備してゐるかも知れない」と。
 1962年生まれの西田は今年55歳、まさに塚本が前望した知命を越えている。しかしその後「歌のわかれ」をした西田の第一歌集『ストロベリー・カレンダー』は、塚本の期待に反して古典とはならず、ニュー・ウェーブ短歌の記念碑となった。そして塚本は白壽を迎えることなく『神變』も幻と化した。塚本の忌日である神變忌にその名を留めるのみだ。『スウィート・ホーム』を読むとそのようなさまざまな事が脳裏を去来するのである。
 掲出歌「世界よりいつも遅れてあるわれを死は花束を抱へて待てり」は紙の色まで変えた巻頭頁に一首のみ置かれている。次の巻末の一首も同じ扱いである。

この国に朽ちるわたしのかけらからそれもいい草花が咲いたら

 あとがきに、自分の肉体的生命よりも自分が作った短歌の方がこの世界に長く残留しそうだと気づいたとある。巻頭歌と巻末歌はこの思いを表しており、また第二歌集出版に至った動機だろう。「わたしのかけら」とは西田の歌に他ならない。どこか白鳥の歌のようにも聞こえるのである。
 最後に心に残った歌をいくつか挙げて稿を閉じることにしよう。

睫毛伏せて珈琲店にゐるあひだふいにすべてをひらくひるがほ
ながいながい休符のやうな蒼穹をだれかのセスナ機が飛んでゆく
浴槽にひらく手のひら無をにぎりしめて生まれたはずのてのひら
匿名の指が行きかふ自販機にすこしうつむきながらふる雪
きのふよりやや優美なる鬱のジャムもつと明るい銀のスプーンを
この国にしたたる雨を聴きながらしづかに瞼閉ぢる鳥たち
十一歳、祝福されてゐるきみの膝のかさぶたから欠ける夏

 

 

第216回 勺禰子『月に射されたままのからだで』

刻々と報道される事実より吾は信じる線路の勾配
勺禰子『月に射されたままのからだで』 

 「刻々と報道される事実」とは、新聞・TV・ラジオ・ニュースサイトなどのメディアが私たちに伝える「遠景」で、その多くは私の住んでいる町から離れた場所、遠い国で起きた出来事である。一方、「線路の勾配」とは、電車に乗っている〈私〉が今感じている体感であり「近景」である。作者は前者ではなく後者を信じると述べている。この歌の近くには「はつきりとわかる河内へ帰るとき生駒トンネル下り坂なり」という歌がある。「線路の勾配」は抽象的に捉えた観念ではなく、近鉄奈良線に乗って奈良から大阪に向かう時に通る生駒トンネルの強い下り勾配のことなのだ。この歌を見ても作者が観念やスローガンではなく、近景を生きる自分の体感に重きを置いていることが見てとれる。事実この歌集は近頃珍しく街の匂いや人の体臭が感じられる歌集なのである。
 プロフィールによれば、勺禰子しゃく ねこは1971年大阪の堺生まれ。後でも触れるが勺にとって出身地は大きな意味を持つ。関西学院大学を出ているので佐藤弓生と同窓になる。2007年短歌人会に入会。『月に射されたままのからだで』は今年 (2017年)5月に六花書林から上梓された第一歌集である。栞文は江戸雪と藤原龍一郎。
 栞文の中で藤原は勺の短歌の特徴として、土地への愛、言葉へのこだわり、時代の危機への申立ての三つを挙げている。そして例歌として「紛う方なき依代としてホテルLOVE生國魂いくたま神社の脇に佇む」などを引いているが、いかにも藤原好みの歌だと妙に感心する。確かに藤原の言うように、この歌集には土地、言葉、時代への拘りが感じられるのだが、もう少し深度を下げた歌の手触りというレベルで顕著なのは、やはり体感と体臭である。たとえば次のような歌だ。

嘆き死んだ遊女の墓のあるあたりから湧き出づる温泉ぬるし
落ちたての花びらを轢く感触のなまなまと車輪伝ひ登り来
小さければ小さくにほふ往き過ぎの植ゑ込みにきつと仔猫のむくろ
君帰り河内にひとり眠る夜の君の匂ひのすれば、泣かぬよ
鶴橋は焼肉のみがにほふにはあらで鮮魚のあかき身にほふ

 一首目、遊女の墓があるのだから遊郭に近い寺だろう。そのあたりから湧く温泉がぬるいというのが体感的ではつかエロティックである。二首目、ついさきほど散った桜の花びらを踏むのはきっと自転車にちがいない。自動車では身体が環境から遮断され、感触を感じることはできまい。もちろん花びらを踏みつけた感触を実際に感じることはない。あくまで作者の「体感」である。三首目は植え込みで死んだ仔猫の臭いがするという街の匂いの歌。四首目は恋の歌で妙に古風でまるで源氏だ。五首目に登場する鶴橋は焼き肉で名高い街だが、それだけではなく市場には鮮魚もあるよと言っている。
 街の風景とその移り変わりもまた作者にとっては「近景」であり、体感の届く範囲内にあるものである。土地を感じさせる歌が多く、それらもまた本歌集の基底をなしている。

猥雑にくりかへしては生れ消ゆる町に街道あまた交差す
雨の降る上本町に毀たれてゆかむと近鉄劇場は立つ
近鉄大阪線高架から見おろせば瓦なみうつ愛染小路
平城の宮よみがへりその脇にボウリング場の廃墟かなしも
カーネル・サンダース引き上げられてのちもなほ道頓堀に沈む累々

 NHKの人気番組「ブラタモリ」でタモリが何度も言っているように、建物は次々と建て替えられても道路は昔のまま残っていることが多い。一首目では猥雑な建物の消長と永続する道路の対比がある。二首目、上本町うえほんまちは大阪有数のターミナルで繁華街である。そこにあった近鉄劇場も2004年に閉館した。三首目、愛染小路はよく知らないがたぶん昭和レトロ感溢れる飲み屋街だろう。四首目、作者は現在奈良に住んでいる。奈良では平城京の建物の復元が進行中で、昔のものが今に甦る反面、現代のボーリング場は廃墟となっているのが皮肉である。五首目、1985年に阪神タイガースが優勝したとき、熱狂したファンがカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ込んだ。タイガースがその後長く優勝から遠ざかったのはサンダース像の呪いだというのが都市伝説である。その後、サッカーの試合の後などに川に飛び込む若者が続出した。大阪らしい風景である。
 作者は堺生まれの関西人である。関西といえばオモロイ歌だ。

ベルリンもベンツもBで始まれどモンゴロイドのVの幻聴
この師走にクリスマス色に彩られほんまにうれしいんか?通天閣
台風のちかづくといふまひる間の日傘しなるわしなるでしかし
ズボン裾の長い男とよもや連れ添ふなと幼き吾にのたまひき
地下鉄を降りて地上へ向かふとき傘をななめに振る人はあほ

 一首目、BerlinもBenzもBで始まるのだが、日本人は l と r の区別と並んで b と v の聞き分けが苦手である。誤答率が最も高いのは b と v の聞き分けだという研究もある。二首目、ディープ大阪の新世界に立つ通天閣は大阪のシンボルでだ。しかし足元に串カツ屋が立ち並ぶ通天閣がこじゃれたクリスマス色にライトアップされるのは似合わない。三首目、大阪弁のおもしろい語法に文末で用いる「しかし」がある。「怒るで、しかし」のように使うのだが、どう見ても butのような逆接ではなく強調である。どこから来た用法なのだろう。四首目はアイビールックの信奉者であった作者の父親が作者に向かって言ったという言葉。五首目、傘を斜めに振ると危ないのはもちろん後ろの人に当たるからである。結句のあほが効いている。方言が体感と密接に関係することは言うまでもない。関西人は関西弁を方言というと怒るだろうが。
 作者は出版社に勤務して編集者をしていたので言葉にはとりわけ鋭敏である。

とりわさは何故にとりわさびといわぬ行方不明の「び」を思ひ食む
今津とはもはや「今」ではあり得ぬが津々浦々に今宮、今里
「税」一字足りないことが気にかかる「消費増税」踊る紙面に
キーボードに引き裂かれゐし子音母音なつかしみつつ君の名を呼ぶ

 一首目、確かにそうで、蕎麦屋で出て来る「板わさ」も「び」がどこかに消えている。なぜ「び」を省くのだろう。二首目の今津、三首目の消費増税も同じく言葉への疑問である。四首目は今風に言えばとりわけ「刺さる」歌である。私はパソコンで文章を書くとき、「ローマ字漢字変換」ではなく「かな漢字変換」をしている。キーボードで直接かなを打っているのだ。「病気」は「びょうき」であり決して「byouki」ではない。だから電子辞書で検索語をローマ字で打つとき強烈な違和感を感じる。国語の破壊ではないかとすら思う。日本人は子音と母音を分離して聞いているわけではない。日本語の基礎は「子音+母音」からなる音節である。
 最後にもう少し趣のちがう歌を挙げておこう。

うつそみのものとしてある夕焼けの川面が櫂を揺らしてをりぬ
三日月は中有ちゅううの中をさまよひて行方不明のやうなベランダ
くちびるできみをふふめばたちまちにふふみかへされる昼のしづけさ
人の波引いてしばらく思慮深くエスカレーター止まりゆくさま
大雪のなかで見し胞衣えな 片割れの鎖をつなぎわれら生きゆく

 夕焼けは現実の事象であるが、夕焼けの川面で岸に繋がれたボートの櫂が揺れているのをぼんやり見ていると、ふと現実ではない他界の風景のように見えてくる。そんな経験が誰にでもあるだろう。中有とは人が死んで次の生に転生するまでの期間で49日をいう。「行方不明のやうなベランダ」がおもしろい。三首目は平仮名を生かした相聞歌。四首目は発見の歌である。節電のために人が近づくと運転を始め、人がいなくなると自動的に停止するエスカレーターを詠んでいる。人の波が引いて少し時間が経過してから停止する様を見いだしたのが発見である。五首目、胞衣とは胎盤のこと。牛の出産だろうか。「片割れの鎖」はDNAのこと。DNAは二重螺旋構造をしていて、螺旋がほどけてそれが型となり遺伝情報を伝えてゆく。「片割れの鎖をつなぎ」は親から子へと遺伝子の連鎖が続く様を表している。
 ほんとうは「食ひ下がる接続詞さへ踏み潰す官房長官の眼が死んでゐる」「清やかに『珍々鈴』は鳴り渡る ろくでなし子捕へるこの国の丘に」といった社会派の歌も取り上げるべきなのだが、長くなりすぎるのでこのくらいにしよう。大阪という風土に根ざし、体感と体臭を感じさせる読み応えのある第一歌集である。

 

第215回 正木ゆう子『羽羽』

つかみたるひよこに芯のありて春
正木ゆう子『羽羽』
 都市生活を送る人間には、生きた鶏やヒヨコに触れる機会はそうはない。あるとすれば最近はめっきり見なくなったが、縁日で売られているヒヨコくらいのものだ。生まれたばかりのヒヨコは骨も細く産毛もふわふわしていて、まことに頼りない存在である。そんなヒヨコでも手で掴み上げるとはっきりと手に感じる芯があるという。この芯とは命の核にほかならない。ヒヨコを掴んだ作者は自分は今命を掴んでいるのだとハッと気づく。この気づきがこの句の生命である。作者は対象に触れる「やはらかさ」を特色とする俳人で、この句はその特色をよく表している。ちなみに正木は有季定型を基本とするが、あまり季語が句中で目立つ作り方をしない人である。そのため出来てみれば無季だったという句も混じる。掲句では「雛」が春の季語なので、一見すると季重なりなのだが瑕疵とはならないだろう。
 『羽羽』は2016年9月に春秋社から上梓された第五句集である。これまでに『水晶体』、『悠HARUKA』、『静かな水』、『夏至』の四冊の句集があり、前の三冊は邑書林刊のセレクション俳人シリーズ『正木ゆう子集』で読むことができる。句集題名『羽羽』は「はは」と読み、集中の「たらちねのははそはのはは母は羽羽」から採られている。言うまでもなく造語である。正木は今までにも数々の賞を受賞しているが、『羽羽』で高橋睦郎と並んで第51回蛇笏賞に輝いた。蛇笏賞がどんなにすごい賞かは、過去の受賞者一覧を見ればすぐにわかるが、ざっと見ただけでも桂信子、佐藤鬼房、鈴木六林男、金子兜太、鷹羽狩行、黒田杏子と、目が回るほどである。
 正木の作る句の特色は、先ほど上げた対象に触れる「やはらかさ」と並んでその居住まいの自然さではないだろうか。熊本で写真館を営んでいた両親も兄も俳句を作る人だったので、生活の中に俳句がごく自然にあったという。本人の言によると、「或る日、黄色い小菊を抱いて歩いていると、ふと季語入りの十七文字の短い言葉が口をついて出てきた」(『水晶体』跋)というから驚きである。自分が俳句を作るのではなく、俳句の方からやって来たのだ。
はなびらと吹き寄せられて雀の子
藤の花よりもはるかに桐の花
紫陽花と静かに糸を待つ針と
ひんやりと家霊もわれも跣足にて
サラダさっと空気を混ぜて朝曇
 一句目、花びらはもちろん桜の花だから落花盛んな春の終わりである。風に吹き寄せられる花びらといっしょに雀の子も片隅に吹き寄せられているという微笑ましい情景である。雀の子は春の季語。二句目、藤の花は藤棚のように人の目の高さに咲いていることが多い。一方、桐は大木で桐の花は高い所に咲く。近景が藤、遠景が桐となっていて遠近感の強い句である。ちなみに藤は春の季語、桐は夏の季語なので本来はまずいのだが正木は気にしないのだろう。三句目、紫陽花だから季節は梅雨時の6月である。糸を待つ針とは針山に刺された針と読んだ。紫陽花は室外で庭か道に咲いていて、針山は室内にあるという対照の句。静謐さが際立つ。四句目、夏期休暇で田舎の実家に帰省した折の句であろう。家霊が居るのだから年期が入った古い日本家屋である。季語は「跣足」で夏。五句目、「朝曇」は夏の季語なので、夏の朝の食卓風景で、ポイントは言うまでもなく「空気を混ぜて」。爽やかさが匂い立つ。
 正木の長兄の正木浩一は1992年に49歳の若さで鬼籍に入っている。ゆう子は俳句仲間でもあったこの兄を慕っていたようで、1993年に自ら編集して『正木浩一句集』(深夜叢書社)を上梓している。また父も特別な存在だったようで、ゆう子には父を詠んだ句が少なからずある。その父もすでに他界し、本句集で詠まれているのは母の死である。句集題名『羽羽』は母恋を表しているのである。
けふ母を死なさむ春日上りけり
死にゆくに息を合はする春の星
もうどこも痛まぬ躰花に置く
此処すでに母の前世か紫雲英畑
たましひの寝そべるによき麦の秋
 肉親の死は身を引き裂かれるように悲しい。親を看取った経験のある人間には三句目は殊に心に響く。死は悲しいが、それは病苦や痛みからの解放でもあるからだ。四句目もはっとする句で、ゲンゲが咲いている畑は現実のこの世の光景だが、来世に生まれ変わる母親にとっては、もうそれは前世である。地軸がグラリと揺らぐ感覚がある。
 親の死にはあまり気づかれない意味がある。自分が子供の頃は、両親がいて祖父母がいて、死は抽象的にしか捉えられない遠い存在である。しかし祖父母に続いて親が死ぬと、自分と死を隔てていた防波堤がなくなる。親は私に死が迫ってこないよう堰き止めてくれていたのである。親が死ぬとそれがなくなり、私は剥き出しで死に直面する。親を亡くすと初めてそれがわかる。
 正木は俳論もよくする人で、『起きて、立って、服を着ること』(深夜叢書社)という俳論集があるが、一部はセレクション俳人シリーズ『正木ゆう子集』で読むことができる。「生命と俳句 — 俳句とは何か」と題された文章の中で、正木は「二句一章が呼び込む不思議」と「一句一章が切り取る瞬間」という言葉を使っている。二句一章とは一句の中に切れがある句で、一句一章は切れが最後にある句を言う。俳句を俳句たらしめているのは「切れ」である。ここが短歌とちがう。短歌には切れがなくてもいっこうに構わない。正木によれば切れは論理が切断される場所で、切れによって俳句は論理の飛躍と時空の超越を可能にするという。例えば、「少年や六十年後の春の如し」(永田耕衣)では「少年や」で切れる。目の前の少年は現在にいるのだが、それと同時に60年後の未来にもいるというように、時空が捻れている。一方、一句一章は「流れ行く大根の葉の早さかな」(高浜虚子)のように瞬間を切り取ることによって、モノの存在を顕現させる力があるとする。
 これを踏まえて改めて上に引いた句を眺めてみると、圧倒的に一句一章が多い。正木の論に従えば、切れによって論理を切断し時空を捻れせしむる句よりは、瞬間を切り取ることで存在を顕現させるタイプの句を好むということになる。正木の文章に、「自己が詩となって時を充填できるのは、今の瞬間においてだけであろう。なぜならそこでしか人は時と交差しないからだ」とあるのもそのことを裏付けている。最近、「私の俳句は、私が『今』『ここ』に在ることの証でなければならない」という上田五千石の言葉を知ったが、正木の文章と通じるものがある。翻って現代の歌人は自らの歌の根拠をどのように考えているのだろうかとふと思ってしまう。
 本句集から以下赴くままに句を引いてみよう。
青葉木菟眼底月の逆さ影
飛ぶ鳥のまりにも水輪春の湖
降る雪のときをりは時遡り
天地創造葛湯の匙を引き上げて
月の出や前脚そろへ狐の子
はだれ雪鹿のかたちに鹿の骨
うすらひのふれあふおととわかるまで
 一句目、青葉木菟は夏の季語。アオバズクの眼底に月が逆さに映っている。われわれ人間も同じで、水晶体を通過した光は網膜に天地逆さの像を映す。写生ではなく想像の句である。二句目、鳥が糞を落とすと静かな小面に水輪ができる。それほど穏やかで静かな湖面なのである。「水輪」は俳句では「みなわ」と読むが広辞苑にも載っていない。「湖」は「うみ」と読む。三句目、雪は上から下に落ちてくるが、時折突風にあおられて上に流れる。それを時間を遡ると表現している。四句目、正木にはときどきこのような宇宙的スケールの句がある。葛湯を作ってかき混ぜたスプーンを引き上げると、先から雫が垂れる。それが日本書紀に書かれているイザナギとイザナミの国造りのようだと詠まれているのである。五句目はとりわけ可愛い句である。「月の出」は秋の季語。山端に上る月を狐の子が見ているのだ。ポイントは「前脚そろへ」。六句目、雪が溶けるとそれまで雪に被われて見えなかったものが姿を現す。絶命した鹿の骨である。鹿の骨が鹿の形をしているのは当たり前なのだが、そう詠まれるとなるほどと気づかされる。七句目は平仮名表記で柔らかくしてある。薄氷がぶつかり合う音は聞こえないほど微かだからである。
 俳句は自然だけでなく人事も詠む。本歌集には東日本大震災と福島第一原発事故に思いを馳せる句もあり、句集の奥行きを深くしている。充実の句集である。
真炎天原子炉に火も苦しむか
校庭をはつるや花にまだ早く
原発まで十キロ草の花無尽
絶滅のこと伝はらず人類忌

 

 

第214回 日本語の「現在形」について

巣づくりのその身にかなふ枝銜え

正木ゆう子『羽羽』

 このたび第51回蛇笏賞を受賞した正木ゆう子の句集を今回取り上げようと思っていたのだが、ちょっと気になる文章を見てしまったので、今回は掲句だけに留めて本体は次回に回すことにする。ちなみに掲句は巣作りに励むスズメを詠んだもので、藤島秀憲も喜ぶことだろう。我が家のルーフテラスにもよくスズメが来る。日本でも珍しいスズメ研究者である三上修の好著『スズメ つかず・はなれず・二千年』(岩波書店)を読むとより可愛さが増すこと請け合いである。

 閑話休題。気になる文章というのは、『塔』7月号の花山周子の短歌時評「歌を死なせては元も子もない」である。花山は角川『短歌』2月号に松村正直が寄せた「日本語文法と短歌」という時評を取り上げている。松村の文章の趣旨は、文語文法まで視野に入れた従来の国語文法ではなく、現代日本語に重きを置く日本語文法を導入することで、近年口語の勢いが増している現代短歌をよりよく批評できるのではないかという提言である。花山はこの松村の提言自体には賛意を表しているのだが、松村が例歌として引いた東直子の歌の解釈に異論を唱えているのだ。その歌とは「おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする」。松村はこの歌の「渡されている」を、「過去に渡されて今持っている」(結果状態用法)と解釈し、花山は「今まさに手渡されつつある」(現在進行用法)と取って松村の読みを批判しているのである。

 確かにテイル形には少なくとも3つの用法があるのでまぎらわしい。どちらの解釈を取るかはここでは関係ないのであえて触れない。私が気になったのは松村の時評を要約しながら花山が書いている次のくだりである。

 例えば口語では文語のような助動詞がないため、表面的には現在形と終止形ばかりとなり、口語短歌には「今」しかないと否定的に語られる側面があったが、松村はそこに「日本語文法」という客観性と新しい視座を持ち込むことで、積極的に口語短歌の表現を読み込もうとしているのだ。

 私が引っ掛かったのは「現在形と終止形ばかり」の部分だ。言語学者として声を大にして言いたいのは、「日本語に終止形はあるが、現在形というものはない」ということである。この点について未だに多くの誤解があるようなので、少し論じておきたい。

 まず議論の前提として、日本語のいわゆる「活用」と、英語やフランス語の「活用」はまったく異なるものであることを知っておかなければならない。英語やフランス語の活用形は、法・人称・数・時制によって動詞の語尾が変化するもので、例えばフランス語の動詞aimer「愛する」の、直説法・1人称・単数・現在形は j’aimeで、直説法・3人称・複数・半過去形は ils aimaientという具合である。一方、日本語の「活用」とは、次に続く語類によって語形が変化することで、例えば五段活用動詞「行く」ならば、未然形は次に否定が続く「行か・ない」、連用形は次に助動詞が来る「行き・ます」、終止形は言い切りの形「行く」、連体形は次に名詞が来る「行く・とき」、仮定形は仮定を表す「行け・ば」、命令形は「行こ・う」となる。語幹末音節が「か・き・く・く・け・こ」と変化するので五段活用という。

 日本語動詞には英語やフランス語のような「時制による活用」というものがない。現代日本語で唯一時制を表すとされているのは過去の助動詞タである。「僕は昨日縁日に行った」は過去の出来事を表す。したがって「行った」は「過去形」と呼んでもよい(しかしタには「さあ、買った、買った」のようにこれ以外の用法もあるので、過去形と呼ぶのはお奨めできない)。日本語にはタ以外に時制らしき標識はない。現在形も未来形もないのである。

 日本語の歴史を振り返ると、古語は過去表現の豊富な言語だった。過去の助動詞にキとケリがあり、「昔、男ありけり」「我が谷は緑なりき」と使い分けられていた。また完了の助動詞にヌ、ツ、タリ、リがあり、これも使い分けがあった(ただしタリとリは異形)。ところがこれらはすべて姿を消し、現代語ではタリに源を持つタしかなくなった。現代日本語は時制の貧弱な言語なのである。言葉による時間表現が不得手な言語なのだ。

 もっともこれ以外にアスペクトを表すテイルとテイタがある。時制を広義に取って時制・アスペクト体系と考えるならば、日本語には次の4種があることになる。日本語学ではそれぞれ語尾の形を捕らえてカッコに示したように呼ぶ習慣である。

 1) 太郎は走る。   (ル形)

 2) 太郎は走った。  (タ形)

 3) 太郎は走っている。(テイル形)

 4) 太郎は走っていた。(テイタ形)

 さて、では現在まさに起きている事態を表すとき、日本語はどうするか。これを知るにはまず「状態動詞」と「動作動詞」の区別が必要である。状態動詞とはその名の示すとおり、動きのない状態を表す動詞であるが、実は日本語にはあまり数がない。英語では-ingの進行形にできない動詞が状態動詞で、be、have、like、love、know、live、resemble、please などたくさんある。日本語では次のようなものがあると考えられる(これは金田一春彦の「状態動詞」と一部異なる)。

 a) 存在動詞「いる」「ある」と否定形の「いない」「ない」

 b) 知覚動詞「見える」「聞こえる」「感じる」

 c) 思考動詞「思う」「考える」および類語

 d) 可能の「できる」、必要の「要る」

 e) 感覚を表す「~する」: 変なにおいがする、生きた心地がしない、etc. 

 f) 自発のレル、ラレル : 春の訪れが感じられる、そう思われる、etc.

 g) その他 : 気にかかる、気になる

 これら状態動詞のル形は、終止形で現在の事態を表す。「変なにおいがする」は「ただ今現在臭っている」という意味だ。従って、状態動詞に限っては終止形を「現在形」と呼ぶのはあながち間違いではない。『日本語教育事典』(大修館書店)もこの立場を採っている。次の例も同じである。

 5) 遠くに海が見える。

 6) 私もそう思う。

 7) もう少し金が要る。

 これに対して「動作動詞」とは、時間の中で始まり、展開し、終了する動作・行為を表す動詞である。日本語は圧倒的に動作動詞が多い。英語では状態動詞であるhave、knowなども、日本語では「持つ」「知る」は動作動詞である。動作動詞のル形(終止形)は、今まさに起きている事態ではなく、習慣的事態か近未来に起きる事態を表す。

 8) 太郎は毎朝5km走る。(習慣的現在)

 9) 花子は朝シャワーを浴びる。(習慣的現在)

 10) 一彦は金曜にうちに来る。(習慣的現在、または近未来)

動作動詞で現在起きていることを表すには、ル形ではなくテイル形を用いなくてはならない。英語の -ingによる現在進行形と同じである。

 11) 太郎は今走っている。

 12) 花子は今シャワーを浴びている。

従って、圧倒的多数の日本語動詞については、終止形(ル形)は「現在形」ではないのである。日本語の動詞に関して「現在形」という用語を使うべきではないのはこのような事情による。日本語学ではタ形を「過去形」、ル形を「非過去形」と呼ぶ慣行があるが、個人的にはこの名称は好まない。

 このような次第であるので、ル形が多いからと言って「口語短歌には『今』しかない」というのは正しくない。多くの場合、ル形は「今」を表してはいないからである。

 本コラムの第164回で竹内亮の『タルト・タタンと炭酸水』を取り上げたとき、私は次のようなことを書いた。口語短歌が克服すべき問題点のひとつは「文末表現の貧弱さ」である。文語短歌では過去や完了の助動詞の他、「はも」「かな」などの感動助詞もあり文末表現が多彩である。これにたいして現代語の口語短歌では、体言止めでなければル形かタ形の連続になり単調を免れない。「昨日動物園に行きました。ライオンとカバがいました。楽しかったです」のような小学生の書く文章になりかねない。『タルト・タタンと炭酸水』にもル形で終わる歌が多くある。ル形の終止は出来事感が薄い。口語短歌の多くが未決定の浮遊状態に見えるのはこのためかもしれない。おおむねこのようなことを書いた。

 竹内に限らず、現代の口語短歌にはル形で終わるものが多いのは事実である。

チョーク持つ先生の太い親指よ恋知る前に恋歌を知る  野口あや子

東京に環状のもの多いことひとかたまりの野良猫ねむる  平岡直子

ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす  笹井宏之

B型の不足を叫ぶ青年が血のいれものとして僕を見る  木下龍也

片耳をそっとはなした電話から鎖のように声はこぼれる  原田彩加

 第164回のコラムでは次の高野公彦の歌と比較して、ル形で終わる歌は出来事感が薄いと述べた。確かに次の歌では結句に完了の助動詞リが用いられていて、「確かにそのようなことがあった」という出来事感が強く感じられる。

水苑のあやめの群れは真しづかに我を癒やして我を拒めり

 しかし今回改めてル形で終わる歌を眺めていると、私が書いたことを微妙に修正しなくてはならないように思えて来たのである。動作動詞のル形は現在形ではなく、現在起きていることを表さないということ動かないのだが、上に引いた歌が特別に出来事感が薄いかと言えば、必ずしもそうとも言えない。また文語でも偉人が死んだときなどに「巨星落つ」と報道されることがあり、「落つ」は文語の終止形だが出来事感は十分にある。どうやらこの問題は見かけ以上に複雑なようだ。今回は長くなりすぎるのでまた稿を改めて考えてみたい。

 

【附記】

 第164回の私の文章を中西亮太氏がブログで取り上げてくださり、松村正直氏も加えて何度かコメントの交換があった。その記録はこちらにある。

 

第213回 松平修文『トゥオネラ』

夜空の果ての果ての天体ほしから来しといふ少女のほとは草の香ぞする
松平修文『トゥオネラ』
 松平修文の『トゥオネラ』が出版された。第一歌集『水村すいそん』、第二歌集『原始の響き』、第三歌集『夢死』、第四歌集『のや』に続く第五歌集である。今でこそ2011年に刊行された現代歌人文庫(砂子屋書房)の『松平修文歌集』で手軽に読めるようになったが、昔は『水村』は幻の歌集だった。私は小池光・今野寿美・山田富士郎編『現代短歌100人100首』(2001年刊)で初めて松平の短歌に触れ、すっかり魅了されてしまった。あちこち探してようやく『水村』を入手したときの嬉しさはまだよく覚えている。
 『トゥオネラ』には2007年から2016年までに制作された歌が編年体で収録されている。栞文は福島泰樹、伊藤一彦、越沼正、穂村弘、岡部隆志、吉野裕之、田中綾、黒岩康、跋文は加藤英彦。福島泰樹は『水村』を世に出した人で、長いあとがきまで書いている。伊藤一彦は合同作品集『現代短歌’74』で、松平の「水村」とともに「明滅」が収録された縁だろう。また田中綾は松平と同じく北海道出身だからか。まだ無名の歌人ならば栞文や跋文はよくあるが、松平ほどのベテラン歌人には珍しい。今回病床の松平に代わって刊行の労を取った加藤の心遣いかと思われる。
 「トゥオネラ」はフィンランド神話の黄泉の国で、シベリウス作曲の「トゥオネラの白鳥」で知られている。フィン族の神話では、人は死ぬと善人悪人を問わずみなトゥオネラに行く。この世とトゥオネラの境には三途の川が流れていて、その川に白鳥がいるのだという。またフィン族が最も神聖視する動物は熊であり、アイヌ民族と共通する。死は松平にとってすでに親しいテーマだが、北海道北見の出身である作者は故郷の大地とフィンランドの神話を重ねて見ているものと思われる。 
 アーティストなどで独特な世界観を作り上げている様を指して「○○ワールド」などと言うことがある。例えば音楽グルーブ「SEKAI NO OWARI」のまるでRPGのような世界観を「セカオワ・ワールド」と言ったりする。その言い方を借りると、松平ほど独自の「松平ワールド」を作り上げている歌人は少ない。そのキーワードを拾い出してみると、「ゆふぐれの沼」「湖底美術館」「夜行性少女」「死者の森」「貯水池」「黒いダリア」などで、こう並べただけですでにひとつの世界が立ち上がる。
みづうみのほとりの駅に電車待つひとたちは魚のかほをしてをり  『水村』
その森の家につくのはいつもかなかのこゑがしてゐるゆふまぐれ
湖底寺院の僧侶たち月夜の網にかかり朝の競り市に運ばれてゆく  『夢死』
湖底の森からの土産、と乾魚ひざかなを置きて帰りき 再びは来ず     『蓬』
 『トゥオネラ』にも「松平ワールド」から降臨した歌が多くある。
水番の老婆星なき夜に目覚め、憑かれしごと泥の林檎をつくる
我が家の便所からはやく出てゆけ いつまでゐるつもりか、おまへ(隣家の鰐)は
ゆふぐれの沼べりを行くのは彼か 形見の『評伝ギュスターヴ・モロー』開くに
夜の電車の窓から見える〈ホテル砂漠〉では浴槽に紫の烟を充たす
何処かから蝉声がして、くれなゐ少女むらさき少女暁の街をただよふ
 日本画家でもある松平の歌は絵画との親和性が強い。三首目のモローは19世紀フランスの幻想的な画風の画家で松平ワールドと近い。これらの歌は絵画的であると同時に幻想物語的でもあり、写実を基盤とする近代短歌の〈私〉とは無縁である。また前にも指摘したことだが、歌の中における〈私〉の相関物である固定した視点がないのも特徴的だ。近代短歌は視点の短歌であり、このあたりに松平の反近代の姿勢がよく表れている。
 しかし『トゥオネラ』にはこのような松平ワールドの歌とは肌合いの異なる歌も多くみられる。たとえば次のような歌がそうだ。
地吹雪に吹かれ吹かれし野の墓地のエゾオニシバリ、黄のちさき花付け
早春の疎林の花ぞ 糠雨あめに濡れ、あをむらさきのエゾエンゴサク
母のかよひし学舎を訪へば、白樺にかこまれしテニス・コートに励む
もういちど行きたい、母のふるさとへ もういちど見たい、エゾシロテフを
高原の蝉声荒く、植物採集の父と子のゆくてに花期の柳蘭群
 これらの歌では幻想性は影を潜め、ぐっと現実に近くなって具体的な場所を喚起する。それは松平が子供時代を過ごした北海道である。エゾオニシバリ、エゾエンゴサクは北海道固有の植物で、白樺も北国の風物である。もともと松平の歌には動植物、特に草花と昆虫・鳥がよく登場するが、それには松平の父親が植物学者であった影響が大きいのだろう。五首目は少年時代の作者が父親と植物採集に行ったときの歌だと思われる。これらは少年時代を懐かしむ望郷の歌である。
 第四歌集『蓬』は父の死を悼む父恋の歌集でもあった。
父が逝きし日のゆふぐれの屋上に黒き犬ゐて吾を見おろす
行きどまりにヲトコヘシの花咲き残り、荒草は亡父ちちとわれを隔つ
捨てがたきもののひとつぞ 枯草がつまりゐる父の古き胴乱
 『トゥオネラ』は母の死を悼む母恋の歌集でもある。
母と野の駅に降り木苺の実を摘みしとほきとほき晩春の一日ひとひ
過ぎ去りし時間の闇の奥に立ち花林糖揚げてゐる母が見ゆ
帰らうと老母ははが言ふ 何処に、昔にですか、遠く過ぎ去つた昔に
曲り角にて見かへれば、藻琴嶺もことねは母びとの亡きのちの夕映え
老母ははが先づ忘れしは亡夫つまのこと、そして四人の子を下より順に忘れき
 その多くは一首目や二首目のような追憶の歌であるが、跋文で加藤が指摘しているように、松平の歌の世界は時空が捻れているので、亡くなった母を詠んだ歌の後に、存命の母が登場する歌があり、続けて読んでいるとこちらも時間と空間の中をゆっくりと漂う心地がする。親を失うのはまことに悲しいことである。松平の慟哭も深い。
 しかし何といっても集中で異色なのは、破調を通り越してこれははたして短歌かと思われるような〈長い歌〉ではないだろうか。
収斂すべきときぞ 混交と言ひ越境と言ひ、文明の譬喩ひゆにあらざる塵芥山ごみやまを生む
コンテナに収納されて運ばれてゆくものは、象牙でも珊瑚でもなく僕の高く売れない古本ですよ
形見としてあなたにぼろぼろの燕尾服を、あなたに底の抜けた水甕を、あなたに褪色したドライ・フラワーの緋薔薇を
不味いコーヒーも不味いチョコレート・ケーキも忘れがたく、憎まれ口をたたく女主人も
 以前から松平には長い歌があったが、ここへ来てますます長くなっている。しかしこのような長い歌があちこちにあるわけではなく、特定の連作に集中しているので、ある程度意識的に制作しているものと思われる。このような長い歌から立ち上がるのは濃厚な物語性である。その一部は師である大野誠夫から受け継いだものにちがいない。
 歌の質がまったく異なるのであまり適切な比較ではないかもしれないが、〈長い歌〉と言えば思い出されるのがフラワーしげるである。
小さなものを売る仕事がしたかった彼女は小さなものを売る仕事につき、それは宝石ではなく
わたしが世を去るとき町に現れる男がいまベルホヤンスク駅の改札を抜ける
ここが森ならば浮浪者たちはみな妖精なのになぜいとわしげに避けてゆく美しい母子よ
 フラワーしげるは西崎憲名義でファンタジー小説を書く小説家であり、これらの歌の物語性は明白だろう。『トゥオネラ』収録の「どの棚にも宝石箱を押し込めてをり、どの引出しにも宝石箱を詰め込みてをり」という歌を見ると、松平の中にはフラワーしげると案外近い部分があるのではないかという気もする。それをひと口に言えば「反近代」であり、美を追究する姿勢にちがいはあるものの、松平もフラワーしげるもある意味で近代短歌を乗り越えようとしていると言えるかもしれない。
 最後に心に残った歌をいくつか挙げておこう。
風のにほひ水のにほひに酔ふごとく夜の卓上に湿原に
都市の彼方の風吹きすさぶ崖巓に在りて凍てつきし魂の竪琴
空港への路は昏れむとするになほ立つ女あり 陽炎といふ名の
鉛筆で描かれたやうなゆふぐれの亡母ははのふるさとの街にたたずむ
霧を固めて作つた菓子のひと切れをすすめられてをり 深更よはの茶房に
あははと笑ひつつ傾斜の街のゆふぐれの路りてくる銀色少女
 松平は病を得て加療中であると聞く。一刻も早い本復を願うばかりである。

 

第212回 阿部久美『ゆき、泥の舟に降る』

人を待ち季節を待ちてわが住むは昼なお寂し駅舎ある町
阿部久美『ゆき、泥の舟にふる』
 阿部久美あべくみは「短歌人会」所属で、北海道の留萌に住む歌人である。所属していた劇団で詩の朗読会をすることになり、書店で詩集を探していて偶然歌集を見つけたのが歌の始まりだという。2000年に第一歌集『弛緩そして緊張』を上梓し、道新短歌賞の候補となる。2002年には短歌人賞を受賞し、翌年に角川短歌賞の佳作に選ばれている。『ゆき、泥の舟にふる』は2016年に出版された第二歌集である。藤原龍一郎が解説を寄せている。
 粒子の粗いモノクロームの裸体写真をあしらった表紙と、中に一枚だけ挿入された後ろ姿の裸体写真が目を引く。歌集を演出するという意図が感じられる。そういえば歌集題名もいささか奇妙で、「ゆき」は「雪」だろうが、わざと仮名書きにして読点を打っている。「泥の舟」は集中の、「泥の舟漕いでいたのは夢をみてたがを外した男だったか」、「泥の舟塗っていたのは算を打つたぶらかされた女だったか」、「諸恋の貸し借り返す泥の舟しずんで春の漣おこる」の3首から取られている。この3首も物語的で演劇的と言えなくもない。
 ここであらためて掲出歌を見てみよう。「人を待ち季節を待ちて」という軽快な対句に始まる歌で、作者の住む町を詠んでいる。作者の住む留萌市は北海道北西部の海に面した町で、人口は2万人くらいである。港がありロシア船が入港する。冬の最低気温はマイナス20度にも達する厳しい気候である。鉄道が通っているので駅舎があるが、昼なお寂しいという。留萌ではないが集中に「朱文別しゅもんべつ」という地名があったので、ネットで検索してみたら海沿いの無人駅の写真があった。確かに寂しい風景である。
 藤原龍一郎は解説で、「ひとはかなしいから詩を書くのだ」という高柳重信の言葉を引用し、阿部の歌の根底に苦しさ、悲しさ、寂しさがあると指摘する。確かに次のような歌では正面から寂しさや悲しさが詠われている。
夕映えてどうしようもない峠ありここからずっと悲しいじかん
ロシア菊ひと群れ咲いている道をさびしさは来る夕立のあと
かくまでも春のたそがれ悲をひろげわたしはうすらに煤ける雪だ
冷淡な号令のあとどの人も横顔になる横顔さびし
写真うつしえに脚をそろえてわが立つをわが見るいよいよ悲しくなりぬ
 歌を作るとき、「悲しい」「寂しい」とあからさまに書いてはいけない、情景を描いて読む人がそこから悲しさ、寂しさを感じるようにするのがよいとよく言われる。「叙景を通じて叙情に至る」というのが古来の和歌以来の歌の王道なのだから、確かにそのとおりである。だから阿部のように「悲しい」「寂しい」とはっきり書くのは邪道だということになるのだが、不思議と読んでいて邪魔にならない。むしろ繰り返される「悲しい」「寂しい」という語が、まるで日常の点景としてのつぶやきか、あるいは低く唱える呪文のように聞こえてくる。
 もちろん中には次のように叙景を主とする歌もある。
夏終わるうずくまりたる砂浜のかもめは群れてみな海をむく
あしたはく靴をそろえて玄関に靴のみじかい影あるを見る
夕川に木の影とけて流るるを橋の上より見て帰りたり
花降れるごとく雪降る今の世を霊柩車発つ警笛鳴らし
エレベーター扉が開き夏野へと僧形のひと降りてゆくなり
 一首目、北国の夏は短いのだろう。砂浜のカモメが整列したようにみんな海の方を向いているというのがおもしろい。あとがきで作者は、「自分の歌は空想・幻想・捏造と感じている」と書いているが、実景を見てもそのまま写実的に詠むのではなく、どうしても景物に自分の心模様を読み込んでしまうのではないか。「うずくまりたる」に擬人化がある。二首目は短歌が得意とする細部を取り上げた歌で、揃えた靴の影を詠んでいる。ブーツなら長い影だろうが、パンプスなら短い影である。三首目、夕暮れの川面に木の影が映るのを見て帰ったというだけの歌だが、「夕」「影」「流るる」「橋」という語の組み合わせによって、寂しさの心情がかもし出されている。四首目は葬儀の風景である。いつの頃からの慣習か知らないが、出棺時に霊柩車は長くクラクションを鳴らす。それは「今の世」との別れである。五首目はなかなかおもしろい歌。エレベーターと夏野が直結しているかのように描かれているが、現実にはエレベーターのドアが開いて墨染めの衣を着た僧侶が降りて、公園か草地の方角に歩み去ったということだろう。「エレベーター」と「夏野」のミスマッチの「僧形」が演劇的である。
 作者は留萌に生まれ今も留萌に暮らしているらしい。おそらくは地元の風土に対しては愛憎半ばする感情を抱いているだろう。北海道の風土を感じさせる歌も多い。
えぞにゅうはただいたずらに高々と伸びて海など見尽くすごとし
ほのくらくうつむきながらひとびとがこぞりて雪を始末する朝
冬に裂け冬に折れたる白樺に芽吹きをさせて四月が去りぬ
毛衣のロシアの男降りてくる錆びて大きな船の腹より
咲き揺るるエゾエンゴサク沢すじに間奏曲のごとし 明るし
 一首目の「エゾニュウ」は海辺に生える植物らしい。その姿は異形である。二首目は雪かきの風景。雪との戦いは北国のならいである。三首目は「芽吹きをさせて」という語法が特徴的。冬の雪と風は白樺の枝を折るほどなのだろう。四首目は寄港したロシア船の風景。五首目の「エゾエンゴサク」というのは青い可憐な花を付ける植物で、沢地に生えるらしい。珍しく明るさを感じさせる歌である。
 しかし読んでいて目を引かれるのは何といっても、次のような「おもしろい歌」ではないだろうか。
選り分けて棄つる夏服セロニアス・モンクの憂鬱もかかるものかや
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長げえよ、なんだよ長々しいよ
十指組み頭をたれて跪きそしてこの後どんだけ待つんだ
われの愚と一国の愚と関わるか担いでやるから褌を貸せ
この冬は来る日も夜も火を守り火には事情があると知りたり
銃弾はeau de Cologneは神託はこの世の身体いちころにする
シャンプーのポンプを押せば手ごたえのそれなりにある夜更けなりけり
 一首目、古くなった夏服を捨てているのだが、なぜ突然セロニアス・モンクが出てくるのかわからない。ちなみにセロニアス・モンクは往年のモダンジャズのピアニストである。二首目、柿本人麿の歌をそのまんま引いておきながら、途中から突然伝法な口調に早変わりしている。腹の虫の居所でも悪かったのか。三首目も同工異曲で、「十指組み頭をたれて跪き」はおそらくキリスト教の礼拝だろう。「この後どんだけ待つんだ」はまるでベケットの「ゴドーを待ちながら」だ。四首目は今の政治に対する憤りの歌と読んだ。五首目、「火にも事情がある」というのが愉快。六首目のeau de Cologneはオーデコロンのこと。原義は「ケルンの水」。「銃弾」と「オーデコロン」と「神託」を並べて「いちころ」というのが痛快だ。七首目のポイントはもちろん「それなりに」。
 最後に写真と向き合うようにこれだけ一首特別な位置に置かれた歌を引かないわけにはいくまい。
わがうなじそびらいさらいひかがみにわが向き合えぬただ一生ひとよなり
 うなじ、そびら (背)、いさらい(尻)、ひかがみ(膝の裏側)と、身体の背面の部位を上から下へと列挙し、私は一生それらと向き合うことはないと詠む。鏡で見ればいいだろうという話ではない。ここにも作者の悲しみがあり、私たちの生のあり様がある。おもしろい歌集である。最後に付言すると、阿部はほぼ同時に第三歌集『叙唱 レチタティーヴォ』を上梓している。

 

第211回 大野道夫『秋意』

火のつかぬ松明のよう人は立ち亡き父と入りし立ち飲みは夜明け
                   大野道夫『秋意』
 大野の歌にはしばしば「父」が登場するが、それは常に回想としてであり、時代の象徴として扱われていることが多い。掲出歌においてもそれは言える。昔、父と入ったことのある庶民的な立ち飲み屋である。立ったまま酒を飲んでいる客たちは、まるで「火のつかぬ松明のよう」だという。松明は火がついてこそ松明で、燃えていなければただの木切れにすぎない。不全感と閉塞感とノスタルジーの漂う歌だ。
 『秋意』(2015年)は、『秋階段』(1995年)、『冬ビア・ドロローサ』(2000年)、『春吾秋蝉』(2005年)、『夏母』(2010年)に続く第5歌集である。律儀に5年ごとに歌集を上梓している。また歌集タイトルに季節名が入っているのも特徴だ。『秋意』は作者の造語で、「秋の意志ぐらいに思ってほしい」とのことである。
 『秋意』は3部構成になっており、第I部と第III部は所属する「心の花」や短歌総合誌に発表した歌を収録していて、間に挟まれた第II部はすべて題詠である。題詠は兼題を与えられて即興で詠む歌なので、歌集を編むときには捨てることが多い。しかし大野は捨てずに歌集に入れる。このあたりに歌人としての大野のスタンスを見ることもできるかもしれない。
 大野は1956年(昭和31年)生まれである。前年の1955年に自民党が結成され、いわゆる55年体制が築かれている。現代まで続く戦後の始まりである。大野は青年問題を専門とする社会学者で、卒業論文は東大闘争をテーマにしたという。20人くらいの元活動家にインタヴューし、その中には元全学連委員長の山本義隆も含まれていたそうだ。1960年代後半の学園紛争・新左翼運動を牽引したのは、主に戦後ヘビーブーマーの1945年から49年生まれの人たちである。大野から見れば一回り近く年長の世代である。大野たちの世代は、社会や政治に関心を持ちつつも、派手に暴れる上の世代を仰ぎ見て育った「遅れて来た世代」ということになる。「社会の中の個」という視座は社会学者という職業もさることながら、もともと持っていた社会・政治への関心に由来するものであり、また「過剰な陶酔の不在」は全共闘世代の短歌と大野の歌を隔てる大きな特徴だろう。
節電や七十七歳天皇(すめらぎ)の重ね着底の忍耐ぢから
ツインビル崩れるように死は忘れられてゆくのかその子らの死も
インクの香生徒会室雨音に問い返したりぜんきょうとう
敗戦後知識人の反戦の「反」押すように 反ゲンパツよ
(校長はフェチなんやろか?)(ボクタチの口見詰めとる?)「こけのむすまで」
 一首目は東日本大震災、東京電力福島第一原発事故による節電要請を受けて、皇居でも節電が行われたことを詠んだ歌である。天皇が暖房を止めて寒さを防ぐために重ね着をしている。二首目は2001年にアメリカで起きた同時多発テロを詠んだもの。三首目は大野の出身校である湘南高校の創立90周年を記念しての歌で、高校生時代を回想しているが、ここにも全共闘が顔を出す。四首目はF1事故後雪崩を打って反原発へ傾く知識人を皮肉る歌で、「『反』押す」は「判押す」を掛けている。五首目は学校の式典における国家斉唱問題を歌にしたもの。校長が生徒の口を見詰めているのは、ちゃんと歌っているかどうか監視するためである。
 大野の歌でやはり注目されるのは日常詠・身辺詠ではなく、上に引いた歌のように社会や政治に触れた歌だろう。どうやら大野にとって短歌形式は単なる「抒情の器」ではないらしい。ましてや短歌という楽器の特性を最大限発揮するため力を込めて打ち鳴らすということもしない。勢い韻律よりも意味が重視され、抒情よりは知に傾く歌になる。また陶酔の不在は、あらゆる問題は複雑であり多面的性格を持つことを、社会学者として知悉していることによるものと思われる。このため現代の若手歌人たちとは理由は異なれど、結果として低体温で熱量の低い歌が多くなる。
「廃」と言えぬ唇乾く冬の夜にビラは舞いたり季語「炉」を乗せて
全ての採り尽くせないかなしみの採血車は巡る列島の身を
自爆とはかく美しくきあきあと月の夜をゆく地雷除去機よ
南氷洋泳ぎし尻尾が渋谷の湯泳げり鯨しゃぶしゃぶとなり
スカイツリー見上げる都民の一厘が密かに祈るモスラの帰巣
 一首目は「廃炉」の文字を二つに分けて詠み、声高に「廃炉」を叫ぶことができない気持ちを季語に託している。このような煮え切らぬ態度を批判する向きもあろう。二首目は日本赤十字社のスローガン「献血は愛のアクション」を踏まえた歌。大野は不思議なオノマトペを操る歌人で、三首目の「きあきあ」は機械の軋む音を表している。四首目は典型的な機知の歌。詠まれているのは渋谷駅から東急本店へと続く道にある鯨料理店「くじら屋」だろう。五首目は東宝の怪獣映画「モスラ」で怪獣モスラが東京タワーを破壊したことを踏まえ、モスラが今度は東京スカイツリーに帰って来ないかと密かに願うという歌である。映画のモスラもまた水爆実験による放射能の産物だった。どの歌にも時代と社会の反映があり、渦巻く疑問と微かな悲しみと、押し込まれた破壊衝動が感じられる。
「綱」の名の男らんらん現れて埋められてゆく親族の席
蝋燃やし聴いているのかの部屋のパソコン浸す暗き泉を
溶けて降る花の粉の夜包むよう子を抱き西へ逃げしともはも
炎天の舗道を歩む妹は赤きスコップと金魚を握り
Jちゃんと舐めし膝の血「十円玉?」「五円玉の味?」舌ひからせて
 本歌集には題詠も多いが、何かの機会に作られた機会詠も多く収録されている。一首目は「心の花」主宰佐佐木由畿逝去の折りの歌である。大野は佐佐木信綱の曾孫に当たるのだ。葬儀には名に「綱」の時を持つ男がわらわらと現れるのである。二首目と三首目は東日本大震災の折の歌。「蝋燃やす」「暗き泉」というと、どうしても宗教的なものを連想してしまう。作者もこの歌を作ったときにはそのような心持ちだったのかもしれない。「母」に「とも」と読みと異なるルビを振るのも大野がよく用いる手である。戦後の55年体制とともに時代を生きた大野にとって、昭和には特別な思いがあるはずだ。四首目と五首目は昭和の時代を詠んだ歌である。妹がスコップと金魚を握っているのは、死んだ金魚をどこかに埋めるためだろう。大野に妹はいないはずなので、これは昭和という時代を感じさせる虚構である。血を舐めると鉄の味がするのは、酸素を取り込むため鉄分が含まれているからである。
 大丈夫、こういった歌に飽き足らない向きには、次のような抒情的な歌が用意されている。
夜の海鞘初めて食みしひとの舌見つつ燗を飲めば波立つ
丁寧語で母親と話す昼の雨ひかり乏しきホームの底に
ものくろーむ家族旅行の釣り堀の泥水の底ゆ跳ねし虹鱒
肌へ夏留めるように海月くらげ浮く九月の海を泳げり姉は
父へ、父へ食べさす西瓜へじうじうと降らさん死海の岸辺の塩を
片足の男と娼婦が凭りかかり液化してゆくホテルの硝子
夕に起く吾と擦れ違う黒光るランドセルの香よ雨の舗道に
コップ越しに青澄む世界亡き母の入れ歯洗浄剤を落とせば
 私はどちらかと言えば短歌を抒情詩として読んでいるので、大野が作るこのような歌が好きである。しかし歌人としての大野の真骨頂を示す歌ではないかもしれない。いずれにしても本歌集は、大きくくくれば近代短歌の王道を行く歌集と言うことができるものの、社会詠が多いという点において独自の道を歩むものである。
 最後に蛇足ながら、セレクション歌人「大野道夫集」巻末の本人による年譜を改めて見ていたら、1973年の項に「社会の中の自分について悩み、『心地死ぬべくおぼえければ』庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読む。学園紛争の高校生の一日を描いた作品に感動する」とあった。「心地死ぬべくおぼえければ」は伊勢物語である。ここでは青春の煩悶の日々を指している。おそらくこのあたりに大野の原点があるのだろう。私は大野より少し歳が上だが、私にとっても庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』は学生時代に読んで忘れがたい作品である。昔も今も若者が生き方に悩むのは同じだが、『赤頭巾ちゃん気をつけて』には確実に昭和のある時代の若者の悩みが刻印されている。小説も時代の産物なので、今ではもう読む人もいないだろうが。