第410回  穂崎円『オメラスへ行く』

死にたいと殺してやるの境目に差し込みひらくうつくしい傘

 穂崎円『オメラスへ行く』

 作者の穂崎円ほさきまどかは1981年生まれ。2012年頃から作歌を始めたとプロフィールにある。2019年に第30回歌壇賞候補、2019年に第1回笹井宏之賞の最終選考候補、今年 (2025年) 第68回短歌研究新人賞の最終選考を通過している。掲出歌は笹井宏之賞に応募した連作「くりかえし落日」の中の一首である。

 『オメラスへ行く』は今年 (2025年)の9月に刊行されたばかりの著者第一歌集で、佐藤弓生、東直子、岩川ありさが栞文を寄せている。岩川は早稲田大学教授で、現代日本文学、フェミニズム、クィアやトラウマ研究の専門家ということだ。歌集題名の「オメラス」とは、SF作家のアーシュラ・ル=グインの短編『オメラスから歩み去る人々』から採られている。架空の世界オメラスはみんなが幸福に暮らす場所だが、その安寧は一人の子供の不幸の上に成り立っているという設定の思考実験的デストピア小説である。小説ではオメラスから人が出て行くのだが、歌集題名ではオメラスに行くと方向性が逆になっている。そこに何かの著者の意図があるのだろう。

 余談になるが、アーシュラ・ル=グインの父親は人類学者のアルフレッド・クローバーで、母親シオドーラは『イシ ─ 北米最後のインディアン』を著した文化人類学者という家系である。ル=グインのSFに異世界構築型の小説が多いのは両親の影響だろう。

 著者の穂崎について私は何も知らないが、巻末のプロフィールに、BL短歌合同誌「共有結晶」vol.2-4編集部と、二次創作短歌非公式ガイドブック主催とある。BLとはboys’ loveの略で、男性同士の同性愛を扱った小説やコミックスに使われる用語で、BL短歌とはその短歌版である。また「二次創作」とはコミックスやアニメの登場人物を素材として自由に創作することをいい、コミケ(コミック・マーケット)に多く出品されている。また収録された短歌の初出を見ると、SFウェブマガジンなどが含まれており、サブカルチャーの世界と親和性の強い人物と見受けられる。『ヴァーチャル・リアリティー・ボックス』と題された私家版の歌集もあるようで、SFの世界とも通じているらしい。

ないことになるはずはなく薄明ににごった水の匂いがのぼる

死んでのち行く場所のこと まだ何の証も持たぬ査証ビザ欄の白

生きものは重たいにおい。雨の夜に捲り続けたグレッグ・イーガン

パスポート開いたままで押し出して許されるまでの霧の湖

光へと指紋をひたしながら待ついつか遺跡に変わる空港

 巻頭の「オデッセイ」と題された連作から引いた。三首目のグレッグ・イーガンはオーストラリアの覆面SF小説家。『しあわせの理由』、『ディアスポラ』などが邦訳されている。穂崎はあとがきで、「短歌をつくることは『本当のことを』『ありのままに』書くべきだ、それは誰にでも障害なくできることのはずだという要請・見解への苛立ち」を綴っている。生活実感と写生という近現代短歌の王道を真っ向から否定しているわけだ。ではそれに代わる作歌の手法として穂崎がめめざすものは何かというと、それは詩や小説などと同じ位相の創作としての短歌だと思われる。想像力を解き放って、ル=グインのように私たちが生きている現実とは異なる世界を創り上げること。連作「オデッセイ」では古代ギリシアの物語が枠組として利用されていて、テーマは「果てしない旅」である。査証、パスポート、空港などのキーワードからそれが読み取れる。このような作歌姿勢をとる作者の短歌を読むときには、歌の中に作者の生活の断片や、作者が投影された〈私〉を探すのは無意味だ。言葉の作り出す異世界に身を委ねるしかない。

 とはいえ短歌は抒情詩なので、どうしても歌の基底に何らかの感情が流れるのを避けることができない。また歌に使われた語彙から作者の心の傾きを感じ取ることもできる。そのような感情のベースラインを読み取ると、いくつかのキーワードが得られる。その一つは「喪失」である。

トランクを開ければすでに干上がってもう語られぬ係累たちよ

Longとはつまり一生、と気が付いてそれからずっと白夜のなかを

はじいても音を立てないプロフ写真砕かれていく暗い雑踏

生きるためのまぼろしをもう信じないまた起動するスクリーンセーバー

 二首目の詞書きに添えられたLong Covidとは、新型コロナウイルスに罹患した後に長く残る後遺症のこと。四首目のスクリーンセーバーをもう知らない人もいるだろう。パソコンのモニターがブラウン管だった頃に、画面の焼き付きを防止するために流す画像のことで、私は空飛ぶトースターを使っていた。これらの歌に通底するのは何かを失ったという感覚である。ゲームやアニメの世界では核戦争で荒廃した世界などが舞台になることがよくあるので、そんな設定と関係しているのかもしれない。

 もう一つよく出くわすテーマは「死」である。

くりかえし死ぬ狼の疾走を硝子をへだてて雨などと呼ぶ

キューブラー・ロスの受容は五段階ここは踊り場のような明るさ

まだ死ぬと知らない頃の君の声どの声の君も死ぬって知らない

うたふとき口腔暗く光りたりいかな死者にも翼のなくて

 二首目のキューブラー・ロスは精神科医で、人が死を告げられたときにそれを受け入れるのには五つの段階を踏むと提唱したことで知られる。歌の中の「ここ」は私たちが生きている今・ここである。何人も生の果てには死が待っている。現在はロスの五段階のどの段階かと問うているのだ。三首目には物故した歌手のアルバムを聴いているという背景がある。このように繰り返し現れる主題を通じて、作者の心がどこに向かって傾いているかを感じ取ることができる。言葉を使う以上、それは避けられずどこかに着いて来るものだ。

 集中には音楽のライブを詠んだ歌や、アイルランドの文化や音楽に想を得た歌もあるのだが、ちょっと不思議なのは「カタコンベの魔女」と題された連作である。

被災地に行きて目視で数へよと長(おさ)は言ひきと遠風にこゑ

表下にアステリスクの付記増えぬ─調査時点、地震なゐ、津波、死者

死者達の数の寄せくる気配して紙の真白をしばし恐れつ

 東日本大震災を背景とした連作だと思われる。ここでは旧仮名が使われているが、それは著者によると異なる「声」を持つためだという。歌の中の〈私〉はどうやら震災対策本部のような部署で、震災で亡くなった人のリストと統計を作成する仕事をしているらしい。短歌は創作という立場をとる作者だが、現実の共鳴はいやおうなく伝わって来るということか。

それぞれに悲鳴を上げる方法は異なっていて静かな水面

書棚にも水際のありてあふるれば鳥野辺のごと積まれ行くのみ

差し出せば両のてのひら湿らせる死者の名前のごとく流水

折れ曲がる自分の影に囲まれてヴァイオリン弾きが弾く変拍子

海馬という無性の馬を曳きながらひたすらに行く霧雨のなか

海よりも遠い記憶を懐かしみひとは左右に耳たぶひらく

花びらは音もたてずにひび割れて終わらない神さまの金継ぎ

美しい古代神話のように見るWikipedia・ブラキストン線の項

 特に心に残った歌を引いた。最後の歌のブラキストン線とは、本州と北海道の間にある生物境界線のこと。二首目は大いに共感した歌だ。書棚の水際とは、本が置かれた場所とまだ置かれていない場所の境目だろう。本が増えると水際はどんどん後退する。やがて置く場所がなくなり、本は床に山積みされることになる。愛書家なら誰もが知っていることだが、本は背表紙が読めて、すぐ取り出せるように書架に縦に並んでいないといけない。横向きに山積みされた本はやがて死ぬ。本にも生命というものがある。歌の中の「鳥野辺」が平安京以来死者の遺骸を風葬していた場所をさすのなら、「鳥辺野」が正しいのではなかろうか。「ヴァイオリン弾きが弾く変拍子」の増音破調や、「終わらない神 / さまの金継ぎ」の句割れ・句跨がりなど韻律に関わる修辞もうまく処理されている。

 一風変わったテイストを持つ歌集で、現在の短歌シーンでは伝統的な写生・写実によらない歌風を持つ作者が増えていることを感じさせる。

 

 


 

第409回 上川涼子『水と自由』

ながくひかりを吸つてこころはうつろふとしてピンホールカメラにのこる冬の市

上川涼子『水と自由』

 大幅に字余りの歌で全部で38音節ある。おまけに句の意味の係り方がよくわからない。「ながくひかりを吸つて」はピンホールカメラに繋がるのだろう。ピンホールカメラは露光時間が長いからだ。カメラには冬の市の風景が上下逆さまに写されている。しかし途中に挟まれた「こころはうつろふとして」が行き所なく漂流する。いったい誰の心なのか、ピンホールカメラとどんな関係があるのか、また連語的接続助詞の「として」が何と何を結ぶのかも不明である。この句はあたかも独り言か心内語でもあるかのように歌の中を浮遊する。これは景物を視覚的に描く伝統的な短歌の作法ではない。しかし「ひかり」と「うつろうこころ」と「冬の市」がゆるやかに結びつけられて、言葉は詩的浮揚を果たし、そこに清新な詩情が生まれている。はたして作者は短歌に手を染める前に詩を書いていたというからむべなるかなと言えよう。

 作者の上川涼子は1988年生まれで、未来短歌会所属、短歌同人誌「波長」同人。『水と自由』は第一歌集で版元は現代短歌社。詩人・小説家の小池昌代、詩人の石松佳、歌人の菅原百合絵が栞文を書いている。この人選にも作者の立ち位置が現れているようだ。

 歌集題名にも含まれているが、本歌集は「水の歌集」である。水を詠んだ歌がたくさん収められている。いくつか引いてみよう。 

(サイン・コサイン)(サイン・コサイン)わづかなる波紋は雨にみひらきて消ゆ

如雨露よりみづ降らせをり降るみづは鳥の喉ほどやはらかく反る

カミツレの石鹸をうすく湿らせてみづは春へと流れゆくべし

水鳥のかばねは昏くまろやかにみづに研がれし石のごとしも

水の肌くぐりて水の影うごく光の視力届くかぎりを

 一首目の(サイン・コサイン)は、水面に重なりながら拡がる波紋を正弦波に喩えたものかと思う。「雨にみひらきて」に目を開く喩があるので二重の喩となっている。二首目は庭の植物に撒水している場面を詠んだ歌で、今度は如雨露の水である。集中に「放尿の抛物線のごとく昏れ犬につづいてゆく人の影」という歌があり、作者は物が描く曲線に関心があるようだ。三首目は浴室の歌。「カミツレ」はカモミーユとも呼ばれるハーブの一種。香りか高くハープティーにも用いる。浴室から流れ出す水の行方は春である。四首目の「ごとしも」は昨今あまり使わなくなった表現だが、水鳥の屍骸を川の流れで丸くなった石に喩えた歌。五首目はいちばん作者らしい歌で、水の中を水の影が動くと表現するところがおもしろい。

 あとがきに「水は一日をとおして色を転じながら、しかし闇を湛えても透明です。そのように澄んだ眼で、あるいは文体で、一切を見透すことができたら、と水のめぐりに思います」と書かれており、水の清澄と透明にひとかたならぬ憧憬を覚えていることが知れる。また次の一種が印象に残る。

景物はぬれて映れりみづうすく張りてひらける人の眼に 

 この水は目の角膜の表面を覆っている涙である。人の目はいつも濡れていて、私たちは涙を通して現実を見ているということにはっと気づかされる。

 一巻を読んでいて注目されるのは作者の繊細な感性である。 

音の名で楽譜を歌う直截は手をつなぐときの骨の直截

はつあきの産毛にふれてゐるごとし夜半ふかく動く大気を聴きて

活版が紙をりたる稜を撫でいまゆつくりと詩行へと入る

淡き輻を風に吹きゆくたんぽぽに風の面もわづか崩れき

釘の上に帽子を掛けて夜がふつと近くなるふつとやはらかになる

 一首目、楽譜に書かれた音符を歌詞ではなくドレミで歌うと、音楽により近く触れる気がする。それを手をつないで感じる人の骨との触れ合いに喩えている。二首目、秋の夜更けに感じた空気の動きが産毛に触れるようだというのは見た覚えのない喩。三首目、活版印刷の本のページには活字を押した窪みがある。それを指先で愛しんでから詩の世界に足を踏み入れるという美しい所作。四首目、蒲公英の花弁を自転車のスポークに喩えており、そこに吹く風はその抵抗で少し向きを変えるという微細な描写だ。五首目もおもしろい。帽子掛けに帽子を掛ける。すると夜が近く感じられるという。いずれも物との触れ合いを繊細な感覚で捉えている。

 次に引く歌にはどれにも詩的飛躍があり、読んでいてとても楽しい。

月、そしてそこから冷えてゆく音叉 ひかりにみちて鳴ることもなし

指をぬらして傘を結はふるひとときの透明な透明な都市の花束

飛来地に立つのは素足 ベランダにこの世のどこかから夜が来る

蠟梅や モジュラーシンセサイザーの回路にめぐり逢ふ0と1

冷えびえと床にビー玉散りみだれ乱り尾をひく孔雀見ゆ、見る

 月と音叉、ビニール傘と花束、渡り鳥の飛来地とベランダ、蠟梅とモジュラーシンセサイザー、ビー玉と孔雀の間に詩的飛躍があり、これらの歌を読むとき、私たちの脳内シナプスの接続がふだんは使わない形に組み替えられる思いがする。それが詩や短歌や俳句を読むときに私たちが感じる根源的体験に他ならない。 

豹のを模る蓋の重さにて壜のなかなる香気うごかず

いちまいの羽根、放たれてしばしのち時の錘りに鎮むまで見つ

釣り糸にとほくつながる食卓にペスカトーレの海老はすはだか

同じ川に二度は入れず真鍮のちひさき把手ノブを引きてもどれり

春雷にしたがひ暗き帆を立つるグランドピアノに影ゆきわたる

水平線のあたりしづかに足折りて瞑るけものよ貿易船よ

 集中のあちこちに散りばめられた貴石のようなこれらの歌を、川中の飛び石を渡るように楽しみながら読んだ。四首目の「同じ川に二度は入れず」という言葉を残したのは「万物は流転す」(パンタレイ)のヘラクレイトス。充実の一巻と言えよう。

       *        *        *

 元大阪大学学長で哲学者の鷲田清一氏が、朝日新聞の朝刊に「折々のことば」というコラムを連載している。2025年10月3日の朝刊に那須耕介さんの本の一節が取りあげられた。那須さんは大学の私の同僚で法哲学者だったが、病を得て若くして泉下の人となった。刀を振り上げて論破するような言葉ではなく、人の傷にやさしく触れるような言葉で語る人だった。近所にあるけいぶん社という書店の書棚の一角に、那須さんの著作がずっと置かれている。折に触れて立ち寄り一冊を手に取ると、那須さんの思想がその本の中に生き続けていることが感じられる。肉体は滅びても言葉は残る。

 

 

第408回 岩岡詩帆『蔦の抒べ方』

仰がるるところ木蓮咲くゆゑにひかりを負ひて花暗みたり

岩岡詩帆『蔦の抒べ方』

 木蓮は早春の時期に咲く花である。白木蓮の方が早く開花し、紫木蓮はやや遅れて咲く。それほど高木ではないが、見上げる位置に花をつける。だから「仰がるるところ」なのだ。この助動詞「る」の意味は自発だろう。「おのずから仰ぎ見る」というほどの意味である。「ゆゑに」は因果関係を表すので、詩歌では嫌われる。因果は理知に属するからである。しかし短歌ではそれほどではなく、掲出歌では上句と下句とをうまく橋渡ししている。上句は「木蓮の花はやや見上げる位置に咲く」という一般論、もしくは百科事典的知識を述べている。そこに〈私〉はない。一方、「それゆえに」と続く下句は観察であり写生である。歌の中の〈私〉は逆光で花を見ている。日光が花の背後から差しているので、白いはずの花が暗く見えるのだ。この的確な描写によって、木蓮の花と歌の中の〈私〉との位置関係が明確に叙せられる。このように現実を理知的に把握し、それを歌に書き下ろす作風が作者の持ち味なのだ。また自然とともに歩む落ち着いた歩調も好ましい。

 最近、拙宅に届けられた歌集の中に注目すべきものがいくつかあったので、順次取り上げてゆきたい。今回は岩岡詩帆『つたべ方』である。作者の岩岡は未来短歌会に所属。2013年に未来年間賞を受けている。病床にあった岡井隆に師事することを許されたとあとがきにあるので、岡井の最後の弟子ということになろう。巻末のプロフィールに生年が記されていないが、文語(古語)を駆使し、難解語を多く使っているので、それなりの年齢の方とお見受けする。歌集を読みつつ辞書を引くことが何度もあった。本歌集には、石川美南、さいとうなおこ、山田富士郎が栞文を寄せている。歌集題名は「うつくしき書体のやうに罅に添ふ蔦には蔦の抒べ方のある」から採られている。

 歌集巻頭あたりからいくつか歌を引いてみよう。

日を追ひて満ちゆく月は重からむしづかにけふの手秤に載す

ほのしろく枇杷は咲きたり僧院の出入りわづかにふゆるこの頃

畝におく夜明けの霜のうすあおく火よりしづけく灼くもののあり

寒林を近づくひとの珈琲の湯気たなびけり神さびながら

抜きさりし本の厚みに薄闇のととのひてゐて寒の図書館

 一首目、新月から満月に向かって満ちる月は、まるで太ってゆくようで身体が重かろうと想像を巡らす。そんな月を手のひらに載せて支えてあげる仕草をする。上手いのは「けふの」だ。この一語によって〈私〉が生きる〈今〉という時間か現出する。二首目、枇杷の花は晩秋から冬にかけて開花する。この歌集にはキリスト教に関連する歌がいくつかあるので、僧院はおそらくキリスト教のものだろう。枇杷の開花という自然の営みと、僧院への訪れという人の営みとがゆるやかに結びつけられている。三首目、夜明け、田の畝に霜が降りている。それがガスの炎のように薄青く見えて、まるで畝を焼いているかのようだという歌。四首目、寒林は冬枯れの林という意味だが、その昔、インドの王宮近くにあった死体を捨てる林という意味もあり、転じて墓地を指すこともある。そこに手にコーヒーを持った人が現れるのだが、その様が神々しいという歌。五首目、〈私〉は図書館の書庫にいるのだが、誰かが借りたのか、本が一冊書架から抜き取られていて、その虚空間が薄闇をいっそう際立たせている。

 端正な文語定型で、言葉の斡旋をとっても句の連接をとっても、間然とするところがない。このレベルの歌がずらりと並んでいる歌集は滅多に見られるものではない。また特筆すべきは歌の季節感である。上の五首は「天体の庭」と題された連作から引いたのだが、歌の季節は冬で統一されている。後に続く連作は春・夏・秋の順に配されていて、最後はまた冬が巡って来るという構成である。あたかも古典の和歌集の部立にならったかのごとくである。

 一巻を通読して気づくのは、ほとんどが自然を詠んだ歌で、人事の歌がほとんどない。家族で登場するのは「寝返りてわがふところにゐるおさなすべらかに夜は球体をなす」などの数首の歌に詠まれた子供にとどまる。どうやら作者の関心事は自然の移りゆきと、その一部として含まれる〈私〉にあるようだ。

 とはいえ読み進むと次のような歌に出会ってはっと虚を突かれる思いがする。

やはらかくさざなみのるこの海にみづかねひそと流されをりき

すなどればじきにつながるかなしみの牡蠣殻れてうづたかきかな

しづけさに鳥帰る見ゆさきがけて戦はじめし国をさしつつ

花のさきに白き花ありいまもなほ硝煙とほくあがりつづけて

毀たれてぬかれし窓のひとつ見ゆ没陽のなかにイコンのやうに

 一首目の「みづかね」は水銀のこと。チッソの流した有機水銀によって引き起こされた未曾有の公害水俣病を詠んだ歌である。二首目にあるごとく有明海は有数の漁場だ。三首目以下はロシアによるウクライナ侵攻に想いを馳せた歌。作者の態度は時事を歌に詠む際にも、直截に怒りなどの感情をぶつけるのではなく、いったん身の内に引き取って、心の中に湧き上がる言葉によって出来事を綴るというもののようだ。

 栞文の中で石川は「歌のなかに『今・ここ』以外﹅﹅の空間を立ち上げるのが抜群にうまい」と評し、それと呼応するように山田は「幻想と書いたが、幻想から出発するのではなく、言語表現をていねいに錬磨してゆく過程で自然に生まれてくるもののように思える」と述べている。また石川は「岩岡作品においては、しばしばこのような喩と実景の反転が起きる」とも書いている。二人とも「幻想」「異界」と「喩」との関係に着目しているのだ。少し見てみよう。

みづからの息の白さのなかにをり物語よりはぐれて鹿は

うす青き窓に来てをりクラバートその表紙絵のごとき鴉が

しづかなる春の海退ありしかにけふ花びらの嵩は見えざり

とほき世に蹴られし鞠も越えて来よ山吹咲きてあかるめる里

散文を読みすすみゆくしばらくは冬の灌木帯のあかるさ

 一首目、白く息を吐く鹿はまるで物語の中から出て来たかのように森のはずれに佇んでいる。「物語よりはぐれて」が喩で、白い息を吐く鹿が実景なのだが、両者は融合しているかのようである。二首目のクラバートはオフリート・プロイスラーのファンタジーの主人公で、表紙絵では人面の鴉として描かれている。「クラバートその表紙絵のごとき」が喩なのだが、この一首を読む人の脳裡にはクラバートの表紙絵の方が強く浮かぶだろう。三首目、「しづかなる春の海退ありしかに」が喩。海退とは海進の反対語で、地面の隆起などによって汀が遠ざかること。実景としては桜が散り、昨日まで見えていた一面の花が見えないということ描いているのだが、実景が不在だけに喩の印象が強まる。四首目の実景は山吹の咲く春の里だが、その昔に王朝人によって蹴られた鞠が時空を超えて来るという想像の方が歌の中で重さがある。五首目にも同様のことが言えて、実景の読書の有様は描かれていないため、灌木帯を進むような明るさという喩の方にハイライトが当たる。このように岩岡の作る短歌世界では、喩は単に歌の主意を際立たせるための修辞という役割を超えて、歌の実景と同じ比重で機能しているように思われる。

このうみを空としあふぐひともゐむ冥府あかるむ四月は来たり

黒揚羽あふられゆける八月の、光にかげとルビを打ちたり

水無月のすがりの坂を上りゆくとほき山河のみづをひきて

ゆつくりと息つくときにしづみゆく鎖骨しづかに夜の底ひまで

十薬を目路のかぎりに置きて去る五月の挙措のうつくしきかな

貝殻にヤコブ掬ひしみづうすき五月よわれもかすか渇して

 特に印象に残った歌からいくつか引いた。一首目の湖を空として仰ぐ人は、おそらくこの湖で溺死した人だろう。二首目の読点がなければ「八月の光」と繋がるはずだが、作者は「八月の」でひと呼吸置いて、「の」を間投助詞にしたかったのだろう。三首目はコンビニで南アルプスの水というミネラルウォーターを買って坂を登る場面を詠んでいるのだが、それをかくも典雅に描くとは言葉の魔術である。六首目のヤコブの貝殻とは、聖ヤコブが帆立貝の貝殻で水をすくったという言い伝えから。フランス語では帆立貝を「聖ヤコブの貝」(coquille Saint-Jacques)と呼ぶ。

 私が感服したのは次の歌である。

水差しの夜半は二重におく影のあはきひとつを指になぞりぬ

 ほんとうに影が二重になるものか実験してみた。硝子の水差しに水を入れ、部屋を暗くしてひとつの光源で照らしてみる。すると水が凸レンズのはたらきをするためか、影の中央に明るい部分ができる。どうもこれではないようだ。すると光源がふたつあって、ふたつの影が重なる部分が濃くなるということか。いずれにせよ作者が現実を知的に把握する様をよく表している歌である。

ほそき火をさらに細うす 冬瓜を煮てをり神の時間のなかに

筋道のしき葉脈透けながらイザヤの書には桑の木のこと

声ひたにキリエをうたふ重なりは翅脈のやうにをひろげつつ

油を足して均せる生地に陽のぬくみカナンしづかにいまだあるべし

丸椅子にかけて夕餉を待つイエスあかがね色の鍋のとなりに

 集中にはキリスト教につながる歌が散見される。作者はキリスト者ではないにせよ、キリスト教に親和性を持つ人なのだろう。そんな人にとっては移りゆく季節の時間は神の時間なのだ。歌を読んでいて狭小な〈私〉を超えるものへのまなざしを感じるのはそのためかもしれない。

 

第407回 白川ユウコ『ざざんざ』

蒼いまま眠れバジルよヴェローナの夕空をゆく鳥たちの声

白川ユウコ『ざざんざ』

 作者の白川は1976年生まれの歌人。「コスモス」編集委員であり、同人誌「COCOON」に所属している。第一歌集『制服少女三十景』、第二歌集『乙女ノ本懐』があり、本歌集は第三歌集にあたる。歌集題名の「ざざんざ」は集中の、「遠州のざっざざんざ風つよく松の木を打つざっざざざんざ」から採られている。強く吹く海からの風を表す擬音語で、オノマトペが題名になっている歌集は珍しい。雨宮処凜が帯文を寄せている。曰く、「ページを開いた瞬間、90年代から今に至るまでの爆裂にエモい風が吹き抜けてきた。」そう、作者の生年が鍵なのだ。ロスジェネ世代と呼ばれた就職氷河期を生きた世代どんぴしゃなのである。

 歌集を開いて驚いた。巻頭の「1999 キットカットとカッターナイフ」に収められているのはなんと自殺未遂の歌なのだ。

かつてわれ屋上の柵乗り越えし東急プラザ解体される

「落ちますよ!」「どいてくださーい」下に来たひとたちに言う大きな声で

神妙に靴を揃えてみたものの膝から下をぶらぶらさせる

パトカーが着いてわたしのはるか下、白いなにかを広げはじめた

警官は優しい声のおじいちゃんそんなに歳じゃないかもだけど

 鳥居の歌集を読んだときにも衝撃を受けたが、確か自殺未遂の歌はなかったように思う。幸い未遂に終わり、作者はその後の生を生きてこの歌集を編んでいるわけだが、ここまで赤裸々に過去を語る人も珍しい。その後にも「ローソンで『袋いいです』二十四時キットカットとカッターナイフ」、「無保険で生きてる友の妊娠の検査のために貸す保険証」などの歌が続く。カッターナイフを買ったのはリストカットのためか。まさに「生きずら短歌」で雨宮処凜が共感したのはこの辺りだろう。リアリティがありフィクションとは思えない。

 本歌集は1999年に始まり編年体で編まれており、作者の人生行路を順番に辿ることができる。

静岡を出でてわたしは三島にて産まれた人と浜松に住む

新居にはわたしひとりの部屋があり夫婦ふたりの暮らす浜松

浴衣見る松屋三越プランタン旧友は知るわが派手好み

結婚は散文的な生活で起承転結まだ「承」あたり

遠州の風にはアルミサッシ鎖したったひとりの耳鳴りを聴く

 作者は結婚して浜松の海辺にほど近いマンションに住む。あとがきの言葉を借りれば、「大きな病気や怪我もなく、喧嘩や失恋もなし、労働も不要、親は死なず子も産まれない、奇跡的な天下泰平の日々が続いた」という。この後は巻頭の歌のようにどっきりする歌はなく、生活のさまざまな場面で出会った事柄が詠まれている。おもしろいのはその視点と思いきりの良さである。

美酒うまさけの一升瓶は〈八海山〉妊る前に飲んでしまおう

御休憩したことありしホテル燃ゆ燃え落ちるべしニュースを見つむ

もはやわれを雹のごとくに叱る人あらわれるまい三十九歳

鏡台をまえに思ほゆこの世とは神様用のリカちゃんハウス

韓国の旅行を勝手に申し込みさすがに怒られたるが、仁川インチョン

一首目は新潟の銘酒八海山の一升瓶を妊娠しないうちに飲もうという酒飲みの歌。二首目は入ったことのあるラブホテルが火事で焼け落ちたという歌。短歌は抒情詩ということになっているので、ふつうはこういうことを歌には詠まない。それをあけすけに歌にするところが作者の個性で、こう言っては失礼だが歌の上手さよりも作者の人としてのおもしろさで読ませる歌である。三首目は不惑を目前にして、もう自分をひどく叱る人はいるまいという居直りの歌。四首目は発想が愉快だ。子供がリカちゃんハウスで遊び、人物を着せ替えたり家具を配置したりするように、天の神さまはこの世の私たちを操って遊んでいるという。五首目は夫に内緒で韓国旅行を申し込み、怒られつつも仁川空港に到着しているという歌である。ぺろっと舌を出している作者の顔が見えるようだ。

 そんな一見泰平な暮らしの中にも悩みはそっと忍び寄る。

引き戸あけまた引き戸あけ襖あけテレビの前の母にただいま

なにかっていうと「わたしには孫がいないから」母のつぶやく仏間の狭さ

母さきに去らばさびしき父ならんやがて猫屋敷となりゆかん

びろーどが剥げてスポンジ飛び出したピアノの椅子を捨てられぬ父

父いつか母いつか去るひとつひとつ小石を積んだこの世を去るよ

 静岡の実家には老いた父母が暮らしている。自分には孫がいないことを嘆く母親と、物が捨てられずに溜め込む父親。よくある光景で、誰もがいつかは通らなくてはならない道である。とはいえ老いて弱っていく両親を見るのは辛いことだ。これも現世の苦のひとつである。

 あとがきによると本歌集を編んでいる間に実父と夫の父親が相次いで旅立ったという。「世界は変わってしまっています」と作者は書いていて、本歌集が西暦の年号で区切った編年体になっている意味が少しわかった気がする。折に触れて新型コロナの流行や、安部元首相の暗殺事件や、裏千家の跡目を継ぐはずだった千明史君の死去などが詠まれているのは世界の移り変わりを記録するという意図もあるにちがいない。

 作者の人となりで読ませる歌が多いと書いたが、短歌王道の叙景歌や叙情歌ももちろんある。

お昼寝をしているあいだ扇風機を初秋の風がしずかにまわす

細き影冬の光に折り曲げて枯れたる蓮の茎のこりおり

河骨は水に死にたる水鳥のたましいの黄にささやかに咲く

絶版の本を貸したるままのひと一人を想う夏の終わりは

春の野は死後の世界にひろがりて少年の吹く細きフルート

アルプスのマロヤ峠にうかぶ雲 死に近きもの白さを帯びて

まなざしはななめに垂れてメンタルは昏い貌してにんげんのなか

 一首目は後京極藤原良経の名歌「手にならす夏の扇とおもへどもただ秋かぜのすみかなりけり」の現代版とでも言うべきか。二首目の枯蓮は俳句によく詠まれるアイテムで実に渋い。これらの歌は短歌的に美しい。ただできれば旧仮名遣で読みたかったという気もする。読み応えのある歌集である。


 

第406回 洞口千恵『芭蕉の辻』

しろたへの袖朝羽振り夕羽振りだれをさがしに来る鷺娘

洞口千恵『芭蕉の辻』

 詞書に板東玉三郎特別講演とある。舞踊の名作演目の鷺娘の舞台である。演劇や絵画などを題材として短歌を詠むのはなかなか難しい。芝居や絵の描き出す世界が大きすぎて呑まれてしまい、距離を取ることができなくなるからだ。しかし掲出歌はその弊から逃れている。初句の「しろたへの」は「衣、袖、帯」などの白い布製品にかかる枕言葉。「朝羽振り」と「夕羽振り」は万葉集でも使われた言葉で、朝夕に鳥が羽ばたいたり風が吹いたりする様を表す。対で使われることが多く、何かの様子を表しているとはいえ、その意味は空疎で枕言葉か序詞に近い。全体として玉三郎が鷺を表す白い袖を振りながら舞っている様を詠んでいるのだが、その描写は写実ではなく、古来より受け継がれてきた定型的な言葉によるものである。一首の中で意味を持つのは下句のみだが、これとて写実ではなく演目の内容の一部を書いたものに過ぎない。ところが全体を読むと舞台の上で美しく舞う玉三郎の姿が目に浮かぶ。これはひとえに言葉の力によるものである。

 洞口ほらぐち千恵は1971年生まれで、「短歌人」会所属。『緑の記憶』(2015年)という第一歌集がある。『芭蕉の辻』は今年(2025年)刊行された著者第二歌集である。帯文は小池光。洞口は東北大学で小池の後輩にあたるという。歌集題名の「芭蕉の辻」とは、仙台市の中心部にある交差点の名で、城下町の町割りの起点となり、かつては商店が軒を連ね栄えていた場所だという。本歌集は仙台愛に溢れた歌集なのだ。

 あとがきによれば、歌風を「人生派」と「表現派」(=コトバ派)に二分するならば、洞口は人生派だと自認している。しかしその割に作者は自分を詠むことが少なく、何をなりわいとしているのかまるでわからないという不思議な人生派である。帯文に小池も書いているように、本歌集の大きなテーマは東日本大震災と父親の死である。第I章は震災前、第II章は震災と父の死まで、第III章は父の死以後という分類がなされていることからも、このふたつのテーマが作者の人生においてひときわ重要であることが知れる。

 第II章から引く。

空間のひづめるところ反るところをりをり見えつ激震のなか

瓦礫の浜、浸水の田にさす朝陽の余光がとどくわが窓の辺に

おほなゐに崩れゆきたるふるさとの団地をおもふ雪しづるとき

みづに降る雪もろともに汲みあげて運び来たりき震災四日目

風花がひかりのいろとなるときに還へらぬひとらまたたきにけり

 まさに震災被害の当事者の歌である。東日本大震災をきっかけに多くの短歌が生まれたことは記憶すべきことだ。激しい体験は激しく詠むとよいかと言えばそんなことはない。激しい体験を静かに詠むことによって伝わることがある。例えば上に引いた一首目は大津波が押し寄せる瞬間を詠んだ歌だが、まるでストップモーションで時間が止まったかのようである。他の歌でも表現は押さえ気味に詠まれており、全体としてとても静謐な世界を描いているように見える。また「わたつみ」「おおなゐ」などの古語を用いることは、〈私〉と詠む対象のあいだに適度な距離感を生み出すようにも感じられる。五首目は平仮名を多用し、鎮魂の気持ちが溢れていて心を打たれる。 

犠牲者の生をぬすみて在るわれかおくずかけのなかとろける豆麩

をさなきころ塩豚浜とおぼえゐし菖蒲田浜がガレキの浜に

震災のときに着てゐしセーターを棄てむとすれどまた洗ひをり

見ゆる塵見えざる塵の降るなかを祈りのごとく来る散水車

餓死したる福島の牛の写真見つ骨よりも歯のあらはとなれる 

 震災が過ぎても以前の日常は戻らない。一首目に詠まれているように、震災死を逃れた人には自分だけが生き残ったという思いがあるからだ。作者が住む場所は原発事故が起きた福島県から距離はあるが、四首目の「見えざる塵」の中には空から降るセシウムが含まれているかもしれない。読んでいて感心するのは語の適切な選択である。一首目は「とろける」、二首目は「おぼえゐし」、三首目は「棄てむとすれど」、四首目は「祈りのごとく」、五首目は「あらはとなれる」が歌のポイントを作っている。

 震災から数年後に作者の父親は病に斃れる。 

青衣なる救急隊員に抱へられ父は出でゆく春のうつつを

仙台のさくらの季を病み籠りすこしく白みたる父のかほ

いつまでの父と娘か桜雨に冷えたる朝を車椅子押す

名月の出を待つ窓のカーテンがはげしくはためき 父逝きにけり

父はもう障害者ならずかるらかなる足に越ゆらむよもつひらさか 

 歌集のこのあたりはずっと病床に伏す父親を詠んだ歌で占められている。あとがきによると、作者は父親の死を契機として、自分のルーツに目を向けることになった。それによると作者の父方の祖父は戦前に小学校の訓導をしていたという。訓導とは旧制小学校の正規教員のこと。芦田恵之助の考案した国語教育法の信奉者で、国語学者の山田孝雄よしおとも接点があったらしい。作者はこの祖父のことをたいそう誇らしく感じているようだ。 

八十年やととせまへ祖父が満州へと発ちし仙台駅に甘栗を買ふ

仙台駅の地霊はおぼえゐたるべし「洞口先生万歳」のこゑ

新聞のとりもつ縁や木町小に学びし晩翠と父

デブ先生と呼ばれし祖父をおもはしめ偉軀そびえ立つ瞑想の松

すめろぎに最敬礼する六年生男子のなかの丸刈りの父 

 作者の祖父は国語教育のために戦前に満州に赴いたようで、一首目と二首目はそのことを想った歌。五首目は昭和天皇が父親の通っていた小学校を視察に訪れたことを詠んだ歌である。このように作者の父親と父方の祖父への思いは、時を越えて歴史を繋ぐ意識となっている。

 このように東日本大震災と父親の死を契機に遡ることになった自らのルーツが本歌集の大きなテーマなのだが、私が心惹かれたのはむしろ第I章に収められたそれ以前の歌である。

水張田をすべりゆく鷺のしろき影ひと畔ごとに小さくなりぬ

春の砂にあさりは深く眠りゐむ塩乾珠しほひるたまのひかりを帯びて

うすべにをゆるしの色とおもふとき闇を脱ぎゆくしののめの空

てのひらより生るるさみしさ丸めつつしらたま作る春の逝く日を

行きあひの空の底ひの地上にてわれは馬俑のしづけさに立つ

 一首目、時は五月、田植えに備えて水を張った水田の上を白い鷺が飛ぶ。水田に映る鷺の影は、ひと畔飛ぶごとに小さくなってゆくという動きのある歌である。二首目の塩乾珠は、海幸彦山幸彦の物語に登場する珠で、潮を引かせる霊力があるとされている。春ののどかな海辺の砂の中で浅蜊が眠っているだろうという歌。三首目は夜明けの曙光を詠んだ歌で、聴色とは禁色の逆で誰でも着用できる服の色のこと。四首目は厨歌で、立夏を控えた日に白玉団子をこしらえている。〈私〉は何に悲しみを感じているのか。五首目、「行き会ひの空」とは夏から秋に変わる季節の空のこと。馬俑は古代中国で墳墓に納められた馬を象った陶器である。空から地上へと移動する視線がダイナミックな歌だ。

 言葉に無理をかけることなくすらすらと歌が生まれているような印象を受けるが、そのように見せるところが作者の技倆というものだろう。瞠目の歌集である。

 

第405回 2025年 第4回 U-25 短歌選手権

 今年もこの季節がやって来た。第1回の応募総数は98篇、第2回は100篇、第3回は172篇、今回は144篇あったという。昨年に較べれば少し減ったものの、相当な応募数だ。やはり若い人たちの間でも短歌は流行っているのだろうか。選考委員は変わらず栗木京子、穂村弘、小島なおが勤めている。

 優勝作品に選ばれたのは東京大学Q短歌会に所属する山本仮名の「TOKYO」である。

誰しもが片手になにか引いていて下船のような新宿・二月

旅人の資格のように渡されるリーフレットに簡易な神話

靑色は誰かの停止と引き替えになんども往来を点る色

 山本は今年の第36回歌壇賞にも同名の連作「TOKYO」で応募しているが受賞を逃している。今回は小島が4点、穂村が1点を入れた。小島は「さまざまな人種や文化を持つ人が混在するサラダボウルとしての東京を描き出している」とし、「主体がこの都市を眺めるまなざしが、内からというよりどちらかというと異国からのまなざしで」あることが不思議だと評している。穂村は「全体にハイセンスで、近未来のような不思議な空気感がある」が、「代表歌を挙げるとなると、どれを挙げていいのか悩んでしまう」と述べている。点を入れなかった栗木は、「言葉にいいセンスがあって面白いけれども、脈絡が掴めない作品もある」としている。「下船のように」、「旅人の資格のように」や、「救命浮環のような」などの喩が目を引く。しかし中には「別々の場所のパネルへ全員の僕が押し込む同じ四ケタ」のように歌意がよくとれない歌もある。東京大学Q短歌会は第2回にからすまぁが「春風に備えて」で優勝しており、この選手権での活躍が目立つ。

 準優勝は塔短歌会所属の椎本阿吽の「なんだかんだピース」である。椎本は昨年のU25選手権では「白亜紀の花」で栗木京子賞を受賞し、今年の短歌研究新人賞で「獣の系譜」により次席に選ばれている。

変革を信じて生きる春の終わり ただ集めてるポストカードを

                     「白亜紀の花」

水色の空に残っている半月あなたの薄いクラムチャウダー

湖に海が混じっているようなあなたの名前に紛れる私

 

ホールケーキ切らずに掘って食べあえば徐々にかたむく砂糖人形

                        「獣の系譜」

あなたと寝たシーツを干した 聖骸布扱うように端まで伸ばす

パートナーシップ制度は降り出した雨が窓へと張り付くごとく

 

大根のみずみずしさに刃を落とす音立てながら履くコンバース

                  「なんだかんだピース」

献血のティッシュ配りをおおらかに避けてそうして落ち葉を踏んだ

二つともおんなじ柄のミトンだけどあなたにとっての左右があった

 穂村が4点、栗木が3点を入れた。穂村は、「従来のオールドファッションな口語の文体から永井祐以降の文体まで自在に駆使されているような印象です」と言い、栗木は「日常の小さな気づきがとてもけなげな明るさを伴って詠まれていて、読んでいるうちに、嬉しい気持ちになる」としている。点を入れなかった小島は好きな歌がたくさんあるとしながらも、「こういう多くの人に受け入れられる親切な作品が短歌ブームのひとつの中心になっている気がして」いると述べている。

 後は審査員賞で、栗木京子賞ははじめてのたんかの「就職前夜」に与えられた。

ベランダの椅子に花瓶を置き咲かすガーベラ卒業したよ婆ちゃん

それぞれに就職前夜 ビジネスの角度にひげを揃えろサンタ

窓のないエレベーターは階を告げ人はうたがうことを知らない

 栗木一人が5点をつけた。「何かのモラトリアム期間が終わりかけて、これから新たな一歩を踏み出す。今まで既成の事実として、当然に思っていたことをもう一度見つけ直してみる。やや斜交いからの視点の作品にいい歌が多かった」と評している。

 「はじめてのたんか」は筆名で、所属なし、平成14年生まれという以外何もわからい謎の人物である。筆名の選び方が巧みで、「はじめてのたんか」で検索すると、穂村弘の著書ばかりが出て来る。検索を逃れるうまい手だ。

 穂村弘賞には木本奈緒の「Alice in Wonderland」が選ばれた。

歯磨きのすがたを反射し終えたらひとり光れり夜の鏡は

大学の木が樹となれるまでの風、その舞い方を語る先生

制服の胸元チェスト にありしおメダイは失せやすくなり鍵につければ

 穂村が5点を入れている。「一連の中で不思議の国とされているものは普通の大学生活で、クリスチャンである『私』はそこに飛び込んだアリスということだと思います。」と述べ、「しばしば自分の中の聖的な世界とリアルな外界がぶつかる瞬間が描かれている」と評価している。また小島は、「イノセントに昇華された世界観が一連の美質だと思います」と述べながらも、「主体自らを少女アリスとする世界観に若干の無防備さを感じました」と付け加えている。

 木本はカトリック系の女子校に通っていたようだ。男子学生もいる大学に入学すると、驚くことばかりでそれが不思議の国に飛び込んだアリスということだろう。三首目の「おメダイ」とは、「メダイユ」の省略形に「お」を付けたもので、フランス語のmédailleのこと。カトリックで信者が持つ金属製のメダルである。高校の時は制服の胸元に付けていたのだが、大学生になって制服がなくなって、今ではキーホルダーに付けている。木本は各地で開催されている若者対象の短歌コンクールに応募しているようだ。「そういえば留学の地で妹は口にすらむや教えし祈り」のように文語(古語)にも果敢に挑戦している。ちなみに「そういえぱ」の文語は「まことにや」である。いつまでもアリスではいられないので、今しか作れない時分の花だろう。

 小島なお賞は月島理華の「Hidden」が受賞した。

その朝に予感のように触れてみたおとうとの山川の世界史

とうさつ、と母の唇 藤の花は学名の重たさにひらいて

被害者の子の歳のころ描いた絵のスイミーが褪せている勝手口

 月島はつくば現代短歌会所属。第3回のU-25選手権では同じつくば現代短歌会の渓響が優勝したのが記憶に新しい。「Hidden」は今回の最大の問題作と言えるだろう。弟が盗撮容疑で警察に捕まり、家族には賠償の責任が生じ、〈私〉の志望大学は私立から公立に変わったという内容だからである。「カメラには無数のこども 磨り硝子ひとつひとつに夕闇が来る」、「弁償のこと話すとき両親のチェスを置きあうような音階」のように、事件が起きてからの推移に叙景と抒情を重ね合わせたような歌が特徴的である。

 本作品に5点を入れた小島は、「選者賞に推したいんですけど、これがもし当事者からの作品だった場合に、私は被害者の感情が気になって、表彰されるべきではないと思ってしまう気持ちがどうしてもあります」と述べ、迷いに迷った末に選者賞に選んでいる。しかし小島には気の毒だが、小島の懸念は杞憂に終わったのである。月島はnoteへの書き込みで「Hidden」は100%フィクションで、加害者の家族側の視点から描いてみたかったと述懐しているからである。寺山修司の先例もあり、短歌でフィクションを描くのがいけないということはまったくない。問題はそれが作品としてどれくらい昇華されているかである。とはいえ今回のように審査員を大いに悩ますことがあることは知っておいていいだろう。

 月島は今年の第36回歌壇賞に「ペルセウス」で応募し、候補作品に選ばれている。

四十ミリ測って水を飲む 父の左脳を溢れた血を思いつつ

一艘の小舟は父を離岸してわたしがゆっくりと引くロープ

ペルセウス流星群の夜 父は失語という椅子に腰掛ける

 父親が脳溢血で倒れて言葉を失う後遺症を背負ったという内容である。読んだ限りでは、「Hidden」よりも「ペルセウス」の方に優れた歌が多いように感じた。ちなみにnoteへの書き込みによると、こちらは80%ノンフィクションだそうだ。優れた歌が多いように感じたのは事実の力によるところがあるのかもしれない。

第404回 村上きわみ『とてもしずかな心臓ふたつ』

誰も彼もだれかの死後を揺れながらこの世の庭に実る野葡萄

村上きわみ『とてもしずかな心臓ふたつ』

 本書は村上の第一歌集『fish』、第二歌集『キマイラ』に加えて、それ以後に発表された1,600首ほどから405首を選び、歌友の錦見映理子の編集によって上梓された遺歌集である。版元は左右社で、穂村弘、岡野大嗣、平岡直子、枡野浩一、田中槐が栞文に代えて一首評を寄せている。

 村上が2023年にこの世を去ったことを私は不覚にも知らなかった。入手が困難になっている第一歌集と第二歌集に加えて、結社誌「未来」や題詠マラソンに投稿されて未刊行だった歌群が一冊に纏められたことは実に喜ばしい。錦見映理子の尽力の賜物である。錦見自身が使っている「歌友」という言葉がとてもよい。しかし村上と錦見は、短歌によって繋がっているだけの友人というだけではなかったようだ。あとがきによると、二人は2000年代の頃にネット掲示板で知り合ったという。その後、実際に顔を合わせるようになり、同じ「未来」に所属して、錦見は村上をたった一人の友人と思うようになったとある。

 私は2003年の4月から短歌評をネットで書き始めた。当時は「今週の短歌」という味も素っ気もないタイトルである。その年の12月に村上の評を書いているので、最初期に書いたものの一つということになる。きっかけはその年の5月に創刊された『短歌ヴァーサス』に掲載された村上の「かみさまのかぞえ方」という連作を読んだことである。興味を引かれた私は『fish』を取り寄せた。ただし、私が入手したのはヒヨコ舎から刊行されたもので、今回の遺歌集では緑鯨社から出たオリジナル版を底本としているので、内容が一部異なる。短歌評をアップしてまもなく、村上から第二歌集『キマイラ』が郵便で送られてきた。同封されていたマン・レイのモンタージュ作品の絵葉書に、癖のある文字で短歌評へのお礼が綴られていた。また川柳作家のなかはられいこと共作の『まめきりん』という手作りの豆本も同封されていて楽しい驚きだった。この豆本は今でも愛蔵している。

 今回『とてもしずかな心臓ふたつ』を通読して、改めて村上きわみは繊細な感性と鋭い言語感覚に恵まれた優れた歌人だとの思いを深くした。その言葉が創り上げる作品世界は静かで親密な手触りに満ちていて、個人的に私の好む世界でもある。今回村上の作品世界を旅して私の耳に届いたのは「押し殺した無音の叫び」だった。それは次のような歌に見え隠れするものだ。 

それからは悲鳴のような沈黙のつづく静かなれんあいでした

(にくたいはいつなくなるの)樹木から今こんなにもしたたるしずく

街路樹を順に見送る どの木にもよく似た傷がつけられている

いま口をひらけばぬるい夕闇がどっとこぼれてしまうのだろう

ある朝はちぎれるように立ち上がり誰の名前を呼んでいるのか

親しさにも骨格はあり或る夜にふっと語られる希死のこと

その胸はしずかな沃野 傷口に赤ダリア白ダリア咲かせて

 一首目の「悲鳴のような沈黙」は撞着語法(オクシモロン)だが、沈黙の中に押し殺した悲鳴が感じられると解する。二首目の(にくたいはいつなくなるの)は無音の叫びを括弧に括ることで言語化したものと思われる。その疑問文は作者村上のものでもあり、またその歌を読む人のものでもあろう。新緑の樹木からは生命のしずくが滴り落ちているのに、私たちの肉体はやがて滅びる定めにある。三首目の「見送る」は不思議な語法で、まるで街路樹が列をなして移動しているかのようだ。どの街路樹も傷を負っているのはこの世にあるからに他ならない。四首目にあるように、村上には「内部が開かれる」ことへの畏れがあったように思われる。口から夕闇がこぼれ出すというイメージは禍々しい。五首目では「ちぎれるように」が激しさと切迫感を感じさせる。誰かの名前を大声で呼んでいるのだが、おそらく答える声はないのだ。六首目、「親しさにも骨格はあり」とは、親しい間柄でも守るべき距離はあるということか。にもかかわらずふと口を突いて出るのは希死念慮の思いである。七首目、胸は沃野と言いつつ、ダリアを咲かせているのは血の滴る傷口である。このような歌を読んでいると、詩的空間の中に声のない叫びが満ちている思いがする。叫びたくなる理由は、私たちがこの世にあり、私たちの存在には終わりがあるからだ。

 ここで村上が短歌の中で用いる言語の特徴について考えてみたい。村上が歌を綴る言語は見事なまでに詩的言語になりおおせている。日常言語と詩的言語の根本的差異は、言語学者ヤーコブソン (Roman Jakobson 1896-1982) の提唱する言語の6つの機能のうちの関説機能 (referential function) のちがいにある。平たく言えばそれは何かを指す (refer) はたらきである。日常言語は現実の出来事を指す。「私は昨日散歩中に犬に吠えられた」と言えば、それは私が体験した現実の出来事である。日常言語は現実ではないことも語ることがある。「いつかアマルフィに行きたい」は私の願望で、「昨夜の夢で私は空を飛んでいた」は夢の中の出来事で現実ではない。しかし私がそのような願望を抱いていることや、夢を見たことは現実であり、これらも広い意味で現実を指す言葉と言える。一方、詩的言語はこのような関説機能から解き放たれている。

堪へがたければわれ空に投げうつ水中花。

金魚の影もそこに閃きつ。

 伊東静雄がこのように詠っても、誰も〈私〉がほんとうに水中花を空に向かって投げたとも、そこに金魚の影が閃いたとも思わない。詩的言語は現実の位相から浮上して、意味を伝達するという有用性から自由になる。日常言語は意味を伝達すれば役目を終えて消滅するが、詩的言語は意味と引き替えに物質性を獲得するために消えることがない。詩や短歌はいつまでもそこに留まり、何度もの鑑賞に耐えるのだ。村上の短歌の言語はこのような意味で詩的言語たりえており、このため私たちは村上の短歌を読むとき、現実とは異なる「村上ワールド」にさまよいこむのである。

きざみのりふりかけるとき息を止めおかあさんおそろしいおかあさん

祖父おおちちの胡座であそぶ真冬日の煙管の羅宇がまだあたたかい

そしてすべてが父につながる悔しさを補遺とさだめて飲むふゆの水

死に近き時間をねむるはげしさも豊かさも母そのものなれば

ゆっくりと世界に別れを告げていた とても静かな絶唱でした

 集中でわずかに親族を詠んだ歌があり、他の歌との位相のちがいが注目される。一首目は、袋から刻み海苔を振りかけるとき、飛ばさないように息を止める母が恐ろしいという歌だが、妙にリアリティがある。二首目の羅宇は、キセルの火口と吸い口をつなぐ竹の管のこと。祖父の膝で遊んだ記憶を詠んでいる。村上の父親の村上白郎は『新墾』『潮音』『樹氷』などに所属した歌人で歌集が二冊あるという。村上が短歌に手を染めたのは父親の影響からなのだ。しかし三首目では自分のすることのすべてが父親に繋がることを悔しく感じている。四首目は母親が亡くなったときの歌で、「父に」という詞書きを持つ五首目は村上白郎氏がこの世に別れを告げた折の歌である。

 第二歌集『キマイラ』から引く。

名を告げあい名を呼びあって河口までひかがみに水匂わせてゆく

宇宙論冷えゆく真昼 すさまじき色に煮崩れゆくヘビイチゴ

花ミモザ咲きあふれ咲きこぼれして天金本の天汚すまで

パパに踏まれたプリンみたいにぼくたちは世界をにくむよりほかなくて

ニッポニアニッポンほろびさわさわときざはしに咲く少女らの臍

 一首目の「ひかがみ」は膝の裏の窪みのこと。五首目のニッポニアニッポンは絶滅した日本固有種のトキ。村上から送ってもらい、今から22年前に読んだ『キマイラ』を書庫の奥から引っ張り出して、今回付箋の付いた歌と昔付けた付箋の歌とを較べてみた。するとすでに四半世紀近くの時を隔てているにもかかわらず、付箋を付けた歌のちがいは数首しかなかった。私の昔と今とを結ぶ世界線にブレがないことに安堵した。

 『キマイラ』以後の歌から引く。

ひかりなす螺旋の溝につかのまの青をこらえて硝子のペンは

ただならぬことの次第を告げにゆく痩せた冬田に鳥を招いて

少しずつ遅れて響く真冬日の肉体というさびしい音叉

どの性もすこしふるえて立っているあおいうつしみ芯までひやし

戦から次のいくさへ春服の少女がこぼす焼き菓子の粉

 こうして書き写して改めて気づいたことがある。村上の作歌の基本は口語(現代文章語)の定型なのだが、口語短歌につきまとう文型の単調さからうまく逃れている。特に結句の処理が単調になりがちだが、村上の歌の場合、上に引いた歌だけでも、「ペンは」の倒置法、「招いて」のテ形終止、「音叉」の体言止め、「ひやし」の連用止めなどの技法を駆使している。一方で前衛短歌によく見られる句割れ・句跨がりは少なく、定型をほぼ遵守している。口語(現代文章語)定型でこれだけの短歌が作れるというよいお手本である。また問と答の合わせ鏡(by永田和宏)のように上句と下句とが対比をなすような歌はあまり見られず、俳句によく見られる二物衝撃も少ない。一首全体で読み下す造りになっていて、一首全部で何事かを語っているのも特徴と言えるだろう。ルビが少ないのも言葉に余計な負荷をかけていない証拠だ。

 やはり私にとって村上と言えば『fish』所収の次の歌だ。

出刃たてて鰍ひらけば混沌はいまだ両手にあふれるばかり

 歌友錦見の尽力によって刊行された本書を手に取って、村上の短歌ワールドを訪れる人が門前市をなすことを願う。ちなみに神さまの数え方は「一柱」「二柱」である。


 

第403回 丸地卓也『フイルム』

解決と死で厚みゆくクロニクル相談記録に日付を記す

丸地卓也『フイルム』

 作者は医療機関で医療相談員をしている。患者と家族に対して、介護・障害や経済的困窮の相談にのり、社会保障制度や福祉サービスについての助言をする職業だという。一日の業務の終わりに日誌をつける。相談を受けたなかには解決した課題もあれば、患者の死によって終止符が打たれた課題もある。作者はそのどちらも記録するので、日誌は日々厚みを増す。その厚みは過ぎて行く日々の嵩でもあり、その重みは肩にずっしりとのしかかる。最近、職業詠を読むことが少なくなった気がするが、自分の仕事を正面から見据えた職業詠である。

 作者の丸地卓也は1988年生まれ。歌林の会に所属している。『フイルム』は昨年 (2024年) 上梓された第一歌集で、坂井修一・北山あさひ・寺井龍哉が栞文を寄せている。歌集題名の「フイルム」を含む歌は、「戦争と感染症をお決まりに加えてフィルムはまだ回りいる」という歌しかないので、この歌から採られたものと思われる。歌の中では「フィルム」のように「ィ」は小さいが、歌集題名では他の字と同じ大きさである。歌集題名では旧仮名のつもりなのかなとも思うが、真相はわからない。

 一読してやはり目に止まるのは医療相談員という職業に関わる歌だろう。

名を抜かれ症例になる患者おり故郷の海はわれしか知らず

ご遺族はカルテでは〈遺族〉泣きながら挨拶されたことも書かざり

ホスピスに移る前の死キャンセルの電話をいれてカルテを閉じる

病窓の灯り灯りにいのちあり冬の夜ことに明るく見える

結核の男のカルテに書かれいる家族関係図に名はひとつ

 一首目、入院患者は「山田さん」という名前ではなく、「5号室の肺癌」のように症例で医者に呼ばれることがあるのだろう。人格と個性は背景に後退し、病がその人の顔となることに作者は一抹の悲しみを感じている。そこに私だけは故郷の海を知っているという思いに重ねている。二首目、会話では「ご遺族」と呼ぶが、カルテには「遺族」と書く。亡くなった患者の家族から、「お世話になりました」という涙の挨拶を受けるのだ。三首目、終末期の患者は苦痛軽減のためホスピスに入るが、それも間に合わず患者は死亡する。ホスピスには予約キャンセルの電話を入れるのも仕事のひとつである。夜に外から病院を見ると、病室の窓に灯るひとつの灯りの下にひとつの命があることを作者は噛みしめている。五首目、カルテには連絡のために血縁者の氏名を書くが、結核を患う男性のカルテには名がひとつしかない。その名は老母のものだろうか、それとも子供のものだろうか。いずれも命に関わる職業の実相を伝える歌である。

 とはいえ作者は医療相談員という職業にのみ自分という存在を感じているわけではない。職業に還元されえない〈余剰〉が作者の〈私〉を支えているようだ。

一方の鞄の奥に潜ませる江戸川乱歩の怪人たちを

ふところに明りの苦手な歌の精しのばせ医療相談員われ

 そんな作者が日常の風景を眺める視線は、時にほろ苦く、時に文明批評の色彩を帯びる。その視線がなかなかおもしろい。

永遠に上がりつづける階段のだまし絵のなかの勤め人たち

なれ鮨にしてやりたいと獄卒は通勤電車に男を詰める

スキナーの鳩の幸福感が満ちメダルゲームに興じるおとこ

所得格差はジェンガのごとくして一番下のピースを抜くか

からだ中ひかる警備の男いて闇に溶けないこともかなしい

 一首目の騙し絵はエッシャーだろう。朝の駅で急ぎ足で階段を上る勤め人がまるで騙し絵の中の人のように見える。このように丸地の作歌法の基本は「見立て」である。見立てとは、ある物を何かになぞらえることを言う。これは江戸時代の浮世絵でも駆使された技法で、役者の顔を茄子になぞらえたり、幕府のお偉方を動物になぞらえたりする日本の伝統的表現法である。鍾乳洞の鍾乳石が地蔵菩薩や屏風に見立てられているように、日本は見立ての王国と言ってもよい。二首目では満員電車に乗客を押し込む駅員が獄卒に見立てられている。びっしりと詰め込まれた通勤客はまるで樽に詰められたなれ鮨のようだという。これもひとつの見立てである。三首目のスキナーはアメリカの行動主義の心理学者。スキナーの鳩の実験とは、ゲージに入れた鳩がどのような行動を取っても一定の時間に餌が出て来るようにしておく。するとやがて鳩はある特定の行動を取るようになるという実験である。鳩はその行動をすると餌がもらえると信じ込むらしい。かくのごとく私たちは根拠もなく、風が吹けば桶屋がもうかる式の因果関係を信じているというわけだ。四首目は社会に拡がる格差の歌。いつも犠牲になるのはジェンガの一番下にいる社会的弱者だ。五首目、夜間工事の警備員は安全のために光る電飾を付けた服を着ている。ふつうならば人間は闇に溶け込んで目立たなくなることができるのに、闇に輝く警備員はそれすらもできないことを作者は悲しんでいる。

人生に迷ったようなカナブンをよけて向えり早朝の駅

糸のなき凧が青さに飲まれゆくかくなる終わりにあこがれており

七割が再現部分の土器ありきその三割を縄文と呼ぶ

キャスター付回転椅子は上座にも下座にも動くいもたやすく

未開通のまま遺跡になるのだろ深草しげるバイパス道路

 一首目、カナブンが人生に迷っているように見えるのは、作者自身が人生に迷いを感じているからだ。二首目はストレートに脱出と消滅への憧れを詠んでいる。三首目、博物館に展示されている縄文土器の七割は再現された部分で、元の土器は三割しかないのにこれを縄文土器と呼ぶのかという歌。一滴でも源泉が混じっていれば、「源泉掛け流し」と称することができるのと似ている。四首目も皮肉が効いている。字面ではキャスター付きの椅子が移動しやいすことを詠みながら、その裏では会議で上座に座っている人にも下座に座っている人にもいい顔をするご都合主義を皮肉っているのだろう。五首目も見立ての歌で、用地買収が難行しているのか、何十年も塩漬けになっているバイパス工事はそのまま遺跡になるだろうという歌。

 ここで「見立て」の効用について考えてみよう。その一つは未知のものに既知のものを当てはめて理解するという認知的効果である。パンダの家族がいるとする。観客はお父さんパンダ、お母さんパンダ、子供パンダと呼ぶだろう。しかし、パンダの家族関係と人間の家族関係が同じである保証はない。人間の家族関係をパンダに投影することで、パンダの世界を理解しようとしているのだ。

 「見立て」にはもう一つ別の効用がある。それは対象と〈私〉を切り離す効果である。上に引いた「なれ鮨にしてやりたいと獄卒は通勤電車に男を詰める」という歌では、満員の通勤電車の乗客がなれ鮨に、乗客を詰め込む駅員が獄卒に見立てられている。見立てとは、〈私〉もそこに属している世界の一部を、突然別の世界にワープさせる知的操作である(この「世界」をフォコニエのメンタル・スペース理論では「スペース」と呼ぶ)。満員の通勤電車は、獄卒となれ鮨の世界へと転轍されることによって無害化される。本来は〈私〉も通勤電車の乗客の一人なのだが、見立ての効果によって満員電車の光景は〈私〉から切り離されるのである。丸地が見立てを多用するのにはこのような動機もあるのではないだろうか。

手のひらに蟻を歩かせ生命線途切れるあたりで吹き飛ばしたり

母に似た祖母が施設にはいる日よ菜の花ゆれてわれ少し老ゆ

流木の椅子に座りし君のいて話せばわれに届く波紋が

子の無くば地の果てに立つ心地せり背後に人類史を感じつつ

磨りガラス越しに過ぎゆく人の見ゆ気配と声をそれぞれこぼし

遠景の団地の灯りはまぼろしの家族のたましい手を伸ばしたり

うつし世の夢の蠟梅木製のベンチに微睡む老い人たちは

 特に心に残った歌を引いた。とてもよい歌だと思う。かと思えば「医療費の日割増額えぐられた地層を拡大鏡でみるわれ」のような現実そのままの歌もある。このような歌では言葉が詩の言葉になっていないと感じる。言葉を蒼穹の高みへと飛翔させるのは難しいとしても、地上から数ミリでも浮揚させないと詩の言葉にならない。現実を指示するという実用性からどのくらい離脱することができるかで詩の純度が決まる。そういう歌を読みたいと思うのである。

 

第402回 辻和之『夏の雪』

はじまりと終はりと海をすこしだけいれておくから夏のふうとう

辻和之『夏の雪』 

 「海水浴」と題された連作中の一首である。「日に焼かれうなだれたまま海水を拭つてもらふちひさなからだ」のように、自分の子供時代の、あるいは自分の子を連れての海水浴の光景と思われる歌があり、これは確かに海水浴である。しかし掲出歌はそうではなく謎に満ちている。「夏のふうとう」とあるので、誰かに当てて手紙を送るのだろう。しかしその中に封入するのが「はじまりと終はりと海」だというのだから、これは現実の事柄ではない。一気に想像または非現実の世界にワープする。「海をすこし」というのはまだわかる。しかし実際に封筒に海水を入れたらふやけて破れてしまうので、これは海の思い出ということだろう。わからないのは「はじまりと終はり」だ。何の始まりと終わりかが明かされていないからだ。ここからは読者が各自想像力を働かせる領域になる。私は自分の人生の始まりと終わりと読んだ。それに海の思い出を加えて封筒に封入し誰かに向けて送るのは、まるで未来に届くタイムカプセルのようだ。この封筒は子供に残すものかもしれない。

 辻和之は1965年生まれで、「短歌人」に所属する歌人という巻末のプロフィールに書かれていること以外はいっさいわからない。あとがきに書かれているのは子供時代の思い出だけだ。今年 (2025年) 6月に上梓された本歌集はおそらく著者の第一歌集だろう。同じ「短歌人」の藤原龍一郎が「黙示録としての一巻」と題された栞文を寄せていて、その冒頭に「この歌集は他の歌集とはまったく異なっている」と藤原は記している。拙宅に送られて来た本歌集を一読して喫驚した。確かに藤原の言うように本歌集は他のどの歌集にも似ていない。何より驚いたのは辻の文体である。私は文芸の肝は文体にありと考えており、そのことを実証したような歌集である。

 藤原が「黙示録」というのは、歌集冒頭に配された次のような歌を見ればその理由がわかる。歌集題名と同じ「夏の雪」と題された連作である。

雪あれは灰かそれともみわかねどみわかぬままにひとひらぞふる

まぶしげに胸をはだけて手団扇の、「暑いねえ」「ええ」、八月六日。

てのひらにゆきのひとひら世界史のふりぬるおとはなほもかそけし

 一首目には「たらちねは夏姿してちのみこは胸にすいつきいくさおはんぬ」という歌が、二首目には「なほ夏を消さずとどめよつば広の帽のかげなる時じくの目に」という歌が詞書き風に添えられている。「いくさ」「八月六日」「世界史」と散りばめられたヒントからわかるように、これらの歌は1945年8月6日に広島に投下された原爆を詠んだものなのである。「夏の雪」とは夏空から降り落ちる放射性の灰の喩だ。この連作の題名を歌集タイトルに選んだところに作者の強い思い入れが感じられる。

 文体の特徴としてまず挙げられるのは、平仮名を多用していることだろう。これにより歌の姿が王朝時代の和歌に似る。それと平行して古典和歌の言い回し、例えば一首目の「それともみわかねど」や三首目の「ふりぬる」など使っている。ひょっとしたら本歌取りもしているのかもしれないが、そこまではわからない。

 もう一つ指摘しておかなくてはならないのは、タイポグラフィの工夫というか、その凝りようだ。たとえば上に引いた「夏の雪」の連作中には、活字のポイントを落として、斜めに頭下げした次のような歌が挿入されている。

ああ果てだ加速するトンボそいつといまあの夏にゐるわかつてる

 天のやうに明かかりけむそはひとが灰をふり蒔く野であるゆゑに

  日は雲にひとさしゆびはくちびるに死者との距離があまりに近い

   気づいたら火のふところに町はゐてあやされながら星を見てゐる

 そうかと思えば次のようにページ上に配された「数へうた」という連作もある。

はは来よ

ここ来よ

 

 

     来よ来よ

     はよ来よ

 

 

          ひふみや

          いむなや

          くちすさまうよ

 推察するに、作者は活字のポイントやページ上での配列などのタイポグラフィ的な設計まで含めて、一巻を有機的な詩集として彫琢したかったのではないだろうか。これはまるでマラルメだ。版元の六花書林は組版に苦労したことだろう。実際に苦労したのは版元から組版を発注された印刷業者だが。

 辻が操る多様性な文体も見逃せない。上に引いたような王朝和歌を思わせる古雅な文体の歌と並んで、次のような歌もある。

いちどでも橋をわたるとなによりも橋をわたるとにどと会へない

声がして死霊を真似てともに飛ぶ さうだつたのか 声だ ぼくらは

いまはよるははにぶたれたゆきのよるかあさんぼくはゆきのよるです

おとうさんぼくもほんとは馬なんだむすこよあすはうみまでいかう

 一首目と二首目はそれまでとは打って変わって口語(現代文章語)である。また三首目と四首目は子供が話すような言葉遣いで書かれている。辻はまるで魔術師のようにさまざまな文体を操っている。

 平仮名表記の効果について考えてみよう。平仮名を多く使うと読字時間が長くなる。漢字の場合、私たちは一文字文字読んでいるのではない。パターン認識によって数文字を一気に認識している。たとえば「石破首相衆院解散を決定か」という新聞の見出しがあるとすると、「石破首相」「衆院解散を」「決定か」くらいのまとまりで認識している。これは視線の滞留と跳躍を測定する器具でわかる。読むスピードが早いのは表意文字の特性である。ところが表音文字の平仮名はふつう一文字ずつ読む。まして短歌のように切れ目なく一行に並んでいると、読者は意味の切れ目を探しながら読むので、一首の滞留時間がさらに長くなる。場合によっては意味の切れ目を探して、行きつ戻りつすることもあり、さらに滞留時間が長くなる。平仮名は読者を長く歌の中に閉じ込めるのだ。それに加えて漢字はいかめしい雰囲気があるが、平仮名は流麗でやわらかい印象を与える。そんな特性を持つ平仮名を用いて死の灰のように深刻なテーマを詠むと、まるで恐ろしいわらべ歌を聴く心地がするのである。

 冒頭の連作「夏の雪」に限らず、本歌集には死が充満している。

海を死を少女の胸を起伏する沃野を見たよ、夏といふ名の

ペコちゃんのふりをしてにこやかになりその日いちにち死霊とあそぶ

さんぐわつの母にほほよせほろほろとなにほろぶみるつねよりながく

わたしにはいま死者は死にちかけれど死にはとどかじなどおもはれる

あめさりて木膚のにほひ朽ちかけの死すらあたらし生きざらめやも

ほんたうにおかへりなさいあちらでは死者とよばれてゐたさうですね

綿で塞がれわづかにひらきをり死の人が人の死に逢うてわらふ

 三首目の「さんぐわつの」は御母堂が逝去されたことを詠んだ「気韻」の前に置かれた歌だがおそらく関係しているだろう。五首目「あめさりて」の結句「生きざらめやも」はおそらく堀辰雄が『風立ちぬ』で引用したヴァレリーの詩句の翻訳「風立ちぬ、いざ生きめやも」を踏まえたものだろう。原文は Le vent se lève, il faut tenter de vivre.で、直訳すると「風が吹き始めた、生きようとしなくてはならない」となる。大野晋と丸谷才一は『日本語で一番大事なもの』の中で堀の翻訳を誤訳だと批判した。「生きめやも」だと、「生きようか、いや、断じて生きない、死のう」という意味になるというのだ。これについては仏文学者の牛場暁夫が『受容から創造へ』で興味深い論考を試みている。七首目「綿で塞がれ」は、亡骸が棺に収められ、耳や口に綿を詰められている葬式の場面を詠んだものだろう。「死の人」とはやがて死ぬ生者のことである。まさに本歌集はMemento Mori「死を想え」の歌集と言ってよい。しかしこの金言には続きがある。Carpe diem「その日を生きよ」である。まこと生と死はあざなえる縄のごときものだ。だから本歌集には生を詠んだ向日性の歌もある。

桃を剥く妻の背中に蟬しぐれ妻と向きあふ笑ふしづかに

光る皿たれそ洗ひ置きたる夕日のいとほそやかに差し入るに

をとこのこ雨をみあげてをんなのこ鞠をかかへて大楠の下

あのかげを待つているのか木陰から海へと光る麦わら帽子

幼名を呼ばれながら駆け上がりてし石段を妻と下りゆけり

 生と死は光と影、その光の部分は多く思い出につながっているようにも見える。分量としては光よりも影のほうが多い。

夕くれの名づけられないものたちが州に舞ひ降りて骨を啄む

むすびおくおもひはあせず落ち椿しべもあらはにいろくゆりたる

石楠花を見つめゐる人うす紅を塗られしくちに笑みこぼれたる

踏みしだかれて桑の実のいのちあたらしむらさきに今を染めなむ

あさがほに出づるいのちのあをやかさゆるされてうなづきてかぞへよ

甘やかな肉なる葡萄わが闇のふかきふちへとちかしくながれ

いのれどもゆきよりしろきかげはなしこゑとどまらぬあけぐれのそら

 特に心に残った歌を引いた。どれも単純な写実の歌ではない。石楠花や朝顔などの素材は現実の自然に借りているが、そこから立ち上る詩想は極めて理知的かつ思弁的である。一首の意味を説明せよと言われるとはたと口ごもるしかないが、本来詩とはそういうものである。日常的な意味に還元できない想念が韻律の力を借りて姿を与えられている。確かにこの歌集は藤原の言うように、他の歌集とはまったく異なっていると言わざるを得ない。

忘れよとをんなのこゑのゆふがほの半身の花のしづむゆふやみ

 この歌は集中の白眉と思う。辻が構築した詩的世界が多くの人の訪れることになるよう祈念するところである。


 

第401回 鈴木牛後『にれかめる』

脱いでなほ思ふかたちよ冬帽子

                                 鈴木牛後『にれかめる』

 

 鈴木牛後は話題の俳人である。それは句作を初めて10年で伝統ある角川俳句賞を2018年に受賞したからである。『にれかめる』はその翌年上梓された第一歌集。巻末のプロフィールによると1961年生まれ。2009年から夏井いつきが主催していたネット俳壇「俳句の缶づめ」に投稿を始める。2011年に黒田杏子の主催する結社「藍生あおい」に入会。2016年に旭川に本拠を置く俳句結社「雪華ゆきはな」に入会。2017年には北海道俳句協会賞と藍生賞を受賞している。すでに注目の俳人だったわけだ。

 俳号の牛後は中国の故事に由来する鶏口牛後、つまり「鶏口となるとも牛後となるなかれ」から採られている。この故事を逆手に取り、自分はリーダーではなく牛の群れに後から着いて行く人間だということから付けた俳号だろう。句集題名の「にれかめる」は動詞の「にれかむ」から来ている。「にれかむ」とは牛や山羊や羊などの動物が食べた草を反芻すること。集中には「にれかめる」を含む句が二句ある。 

にれかめる山羊と秋思の目を合はす

にれかめる牛に春日のとどまれり 

 かつての師の黒田杏子が寄せた「牛飼詩人六十頭の草を干す」という句が巻頭を飾っている。鈴木は北海道で酪農を営んでいたので、句の素材のほとんどは牛と牧場から採られたものである。酪農は牛と自然を相手にする仕事なので、牧場での日々の作業のそれぞれに自然の移ろいが感じられる 

羊水ごと仔牛どるんと生まれて春

餌箱に牛の残せし春うれひ

水温むほぐして香る草ロール

夏草や牛のあひだを鳶の影

霏霏と雪牛の眠りのみじかさに 

 一句目は牛の出産で季節は春。春は命の息吹が感じられる季節だ。三句目の季語は「水温む」で春。刈り取った牧草はビニールで巻いてロールにして保存し冬の飼料とする。草のロールをほぐすと閉じ込められていた牧草の匂いがあたりにたちこめるのだ。北海道の夏は短く冬は長くて厳しい。霏霏と雪の降る冬は牛の眠りも短いのだろう。

 命を相手にする仕事なので、仔牛が誕生することもあれば、飼っている牛が死ぬこともある。次の四句目は話題になった句で、本句集の帯にも印刷されている。 

牛の死に雪は真白を増しゆけり

牛の死に雪のつめたくあたたかく

幾度見る死せし仔牛や日雷

牛死せり片眼は蒲公英に触れて 

 牧場を取り巻く自然は豊かで、そこに暮らす生きものの死もまた詠まれている。 

ばつた死せりそのかたはらに肢死せり

トラクターに乗りたる火蛾の死しても跳ね

越冬の蝿うららかに覚めては死

出来事は小さく冬の蝶が死ぬ 

 牛や生きものの死を詠んだこのような句を見て、第一次大戦後にドイツで起きた芸術運動の新即物主義(ノイエ・ザハリッヒカイト)を思い浮かべた。その大きな特徴は過剰な主観性の排除と客観描写にある。牧場で牛を飼い毎日世話をして、ミルクを出してくれる牛が可愛くないはずはない。牛が死ねば悲しいだろうし、経済的損失も大きかろう。しかし鈴木の句には過剰な悲しみは表現されておらず、むしろ淡々とした態度である。生きものを飼っていると、新たな命が産まれることもあれば、さっきまで元気だった命が死ぬこともある。それは自然の大きな流れで、生と死は隣合わせというような思いがこれらの句には感じられる。

 特に感心したのは次の句である。白い蝶が元気に羽ばたいているときの白が死ぬときにはその色を失うという句だが、死んだときに色を失うではなく、色を失ったときに死ぬという逆転の発想が秀逸だ。 

白蝶の白をうしなふとき死せり 

 牧畜を離れた句にもおもしろいものが多い。 

みな殴るかたち炎暑の吊革に

トラクターの影にわが影ある晩夏

ちろろ抱く拳もっともやはらかく

八月を飛ぶたましひとレジ袋

蝦夷梅雨の馬具は革へと戻りたき

 一句目は電車かバスの吊革を握っている様が、人を殴る拳のようだという句。確かに吊革を握り締めている様子は拳闘の拳に見えなくもない。二首目は詩情溢れる句。挽歌の夕暮れの西日だろう。トラクターの大きな影と自分の小さな影とが重なっている。季節は晩夏がぴったりだ。三首目の「ちろろ」はコオロギのこと。コオロギを捕まえて握っているのだが、強く握るとコオロギを潰してしまうのでそっと柔らかく握っている。命の愛しさが感じられる句だ。四句目、八月は盂蘭盆会の季節なので、先祖の魂がこの世に戻ってくる。見えているのは風に飛ばされるレジ袋だが、その傍らに先祖の魂も飛んでいるかもしれない。五句目、梅雨の湿り気で革製品の馬具が元の動物の皮に戻ろうとしているかのごとき生々しい艶を帯びている。 

獣声のけおんと一つ夏果つる

いちまいの葉の入りてより秋の水

くものすのいつぽん春風が見える

暮れてゆく白蝶翅を畳むたび

牛追つて我の残りし秋夕焼

倒木はみな仰向けと思ふ秋

盆の夜の電灯揺るるとき楕円 

 いずれも詩情溢れる句ばかりだ。こう書き写して並べてみると、鈴木の句風の特徴がよくわかる。先に鈴木の俳句は新即物主義を思わせると書いたが、それはいささか修正が必要なようだ。それは鈴木の句が純粋な写生ではなく、どこかに〈私〉の分子が含まれているからである。五句目の「牛追つて」には「我」があるので明らかだが、一見そうは見えない句にもそれは潜んでいる。例えば二句目「いちまいの」では、落葉が一枚水に落ちたときから秋の水になるというのは客観描写ではない。〈私〉がそう感じたから秋になったのである。六句目「倒木は」ではもっとはっきりしている。本来は倒木に仰向けもうつ伏せもない。しかし〈私〉には木が力尽きてどうと仰向けに倒れたように感じられたのである。

 鈴木は数年前牧場を人に譲って離農し、現在は埼玉県に在住と聞く。牛を離れた鈴木はこれからどういう句を作ってゆくのか見るのが楽しみだ。