「フランス語100講」第11講 主語 (2) – 主語と主題

【無標の主題としての主語】

 前回の終わりに書いたように、フランス語で主語は無標の主題 (thème non marqué)としてはたらきます。その意味するところを少し見てみましょう。

 

 (1) Nicolas a oublié son parapluie dans le bus.

   ニコラはバスに傘を忘れた。

 

 (1)をふつうのイントネーションで発話したとき、この文は主語のNicolasについて何かを述べる文と解釈されます。(1) は次のような文に続けて使うことができます。実際の対話ではNicolasはilと代名詞化されますが、それはここでは考えません。

 

 (2) Quoi de neuf avec Nicolas ?

   ニコラについて何かニュースはあるかい。

    ─ Nicolas a oublié son parapluie dans le bus.

     ニコラはバスに傘を忘れたよ。

(3) Qu’est-ce qu’il a, Nicolas ? Il a l’air triste.

   ニコラに何があったんだい。しょげているよ。

     ─Nicolas a oublié son parapluie dans le bus.

    ニコラはバスに傘を忘れたんだよ。

 

 (2) (3) の文においてニコラは話題の中心になっています。このように「それについて語るもの」(ce dont on parle) を「主題」(thème) といいます。(1)の文は、「ニコラについて何か語るなら、彼はパスに傘を忘れたのだ」と言い換えができます。

 (1)では主語が主題を兼ねているので、主語を無標の主題と呼びます。無標というのは、特別な理由がない限り選ばれるものという意味で、デフォルトということです。

 

【主題の連続性の原則】

 ここまで述べたことを踏まえて、次の例文を見てみましょう。

 

 (4) Jean a frappé Paul au ventre. Il s’est mis à pleurer.

  ジャンはポールのお腹を殴った。彼は泣き出した。

 

 さて、泣き出したのはJeanでしょうか。それともPaulでしょうか。殴られた方が泣き出したと考えたくなりますが、正解は殴った方のJeanです。そう解釈できるのは、フランス語には次のような原則があるからです。(注1)

 

 (5) 3人称の人称代名詞の主語は原則として前の文の主語をさす。

 

 例文 (4) では前の文の主語はJeanですから、IlはJeanを指すと解釈されるのです。なぜこのような原則があるのでしょうか。それは「主題の連続性」(英 topic continuity / 仏 continuité thématique)のはたらきによります。主題とは話題となっているものですね。私たちが何かを話すとき、ある話題についてしばらく続けて話すことが多いでしょう。たとえば新しいカフェが駅前にオープンしたら、あの店のコーヒーはおいしいとか、あの店ではWifiが無料だとか、「新しいカフェ」がしばらくのあいだ話題の中心になるでしょう。これが主題の連続性です。もし「駅前に新しいカフェができた」に続けて、「今日のフランス語の授業は休講だ」、「私は昨日寝坊した」などと続けたら、話題がころころと変わってしまい、一貫した会話になりません。ですから主題の連続性はフランス語に限ったものではなく、どの言語でもある程度成り立つ普遍的な原則だと考えられます。

 ただし、(5) は談話の進め方についてできるだけ守るべきとされるゆるやかな原則で、文法の規則のように破ってはだめというものではありません。主語が人称代名詞ではなく名詞のときは、次の例のように新しい主語に変えても差し支えありません。

 

 (6) Claire est entrée dans le salon. Georges lisait le journal.

   クレールは居間に入った。ジョルジュが新聞を読んでいた。

 

 また (5) の原則が成り立つのは3人称の人称代名詞 il(s) / elle(s)に限られます。同じ代名詞で主語として使われる指示代名詞の ce には当てはまりません。

 

 (7) Hélène a vu bouger quelque chose au coin de la cuisine. C’était une souris.

   エレーヌは台所の隅で何かが動くのを見た。それはネズミだった。

 

(7)ではふたつ目の文の主語になっているC’ (=Ce) は、ひとつ目の文の直接目的補語 quelque choseをさしていて、主語の Hélèneをさしているのではありません。

 

【主題をスイッチする手段】

 それでは (4) の文に続けて、主語のJeanではなく直接目的補語のPaulを次の文の主語にしたいときにはどうすればよいのでしょうか。そのときは指示代名詞 celui / celle–ciという接辞を付けたものを使います。次の例を見てみましょう。女性名詞のla radioではなく、男性名詞のle radioとなっているのは男性の無線技師を指しているからです。(注2)

 

 (8) Le radio toucha l’épaule de Fabien, mais celui-ci ne bougea pas.

   無線技師はファビアンの肩に手を触れたが、ファビアンは身じろぎもしなかった。

                          (Saint-Exupéry, Vol de nuit

 

 mais以下の文でもし il ne bougea pasのように人称代名詞のilを使うと、前の文の主語のle radio「無線技師」をさすことになってしまいます。このように celui-ci は主語を別のものに切り替える手段となっています。

 このはたらきは指示代名詞 celui / celleの次のような用法に由来するものです。

 

 (9) La Seine et le Rhône sont deux grands fleuves français ; celui-ci coule vers le sud et celle-là vers le nord.

セーヌ川とローヌ川はフランスの二大河川です。後者(ローヌ川)は南に流れ、前者(セーヌ川)は北に流れています。(注3)

 

 もともとの直示的用法では接辞の –ciは話し手から近い場所を、-làは話し手から遠い場所をさします。名詞の後に付けて次のように使います。

 

 (10) Lequel préfères-tu, ce vélo-ci ou ce vélo-là ?

   こっちの自転車とそっちの自転車のどちらがいい?

 

 指示代名詞のcelui-ciは、〈指示形容詞 ce+人称代名詞の自立形 lui+接辞 –ci〉が組み合わさってできたものです。日本語で言うと「こっちのほう」くらいになるでしょうか。このように celui-ciは話し手に近いものを、celui-làは話し手から遠いものをさす直示的用法が基本だと考えられます。

 

【物理的空間からテクスト空間への拡張】

 ところが例文 (9) ではcelui-ci / celui-làは発話の場にあるものをさすのではなく、celui-ciは前の文にある le Rhôneを、celui-là はla Seineをさしています。これはどういうことでしょうか。フランス語には次のような原則があるのです。

 

 (11) 発話の場にあるものを直示的にさす言語記号は、テクスト内にある

   ものを照応的にさす記号として用法が拡張される。このときテクス

   トは擬似的な発話の場としてはたらく。

 

 このような用法の拡張によって、celui-ciはそれが用いられたテクスト上の場所から前にさかのぼって近い所にあるものをさします。(9)で近い所にあるのは le Rhôneですから、celui-ciはle Rhôneをさします。一方、eelle-làは遠い所にあるものをさすのでla Seineが先行詞となります。ですからcelui-ciは「後者」、celle-làは「前者」と訳すこともできるのです。

 このような発話の場という物理的空間からテクストという言語空間への拡張は、次のような例にも見られます。

 

 (12) Voici ce que tu dois faire. Finis tes devoirs et va au lit.

   今からお前がしなくてはならないことを言うよ。宿題を済ませて寝なさい。

 (13) On n’y pouvait rien faire. Voilà tout ce qu’il m’a dit.

   どうしようもなかったんだ。これが彼が私に言ったことのすべてです。

 

 voici / voilàは提示詞 (présentatif) と呼ばれていて、voiciは話し手から近いもの、voilàは話し手から遠いものを提示します。

 

 (14) Voici mon lit et voilà le vôtre .

     こっちが私のベッドで、そっちがあなたのです。

 

 この用法から拡張されて、(12)ではテクスト上でこれから述べることを、(13)ではそれまでに述べたことをさします。この用法ではこれから述べることが話し手から近いもの、今まで述べたことが遠いことと見なされています。

 

【有標の主題】

 主語は無標の主題ということはお話ししました。それでは主語以外のものを主題にしたいときはどうするのでしょうか。それには特別な統語的手段を使って、主題であることをはっきりさせます。特別な手段を使って主題としたものは、有標の主題 (thème marqué) といいます。フランス語では主に次のような手段が用いられます。

 

 (15) a. 転位構文 (dislocation) / 遊離構文 (détachement)

   主題となる語句を文頭に置き、それを文中で代名詞で受けます。i)では主語が、

   ii) では直接目的補語が転位されています。主題化 (thématisation) と呼ぶこと

   もあります。

   i) Mon père, il est terrible. うちのお父さんときたら、ひどいんだよ。

   ii) Cette poupée, je l’ai trouvée au marché aux puces.

    この人形はノミの市で見つけました。

   b. 主題標識

  Quant à 〜「〜については」、Pour ce qui est de 〜「〜に関しては」、Concernant〜「〜については」、A propos de〜「〜については」のような表現は、文頭に置いてそれが主題であることを示します。

   i) Quant à la rémunération, on en parlera plus tard.

       報酬についてはまた後で相談しましょう。

   ii) Pour ce qui est du tennis, Claude est le meilleur.

    テニスに関してはクロードが一番だ。

 

 有標の主題は談話の途中で主題を変更する場合などに使われます。

 

 (16) Ton père est gentil. Tu as de la chance. Mon père, il est terrible.

   君のお父さんは優しいね。君はついてるよ。僕の父ときたら、そりゃひどいんだよ。

 

 この例では最初は ton père「君のお父さん」が主題ですが、途中から mon père「僕の父」に主題が切りかわっています。         (この稿次回に続く)

 

(注1)フランスの学校でよく使われている E. Legrand, Stylistique française, J. de Gigordにも次のように書かれている。

Pierre a volé Paul ; il a porté plainte.

   On veut dire que Paul a porté plainte ; on dit en réalité que Pierre est à la fois le voleur et le plaignant. (…)En effet, quand deux propositions se suivent, il / elle , en tête de la seconde, représente toujours le sujet de la première. (Livre du maître, p. 68)

ピエールはポールから盗んだ。彼は訴えた。

 ポールが訴えたと言いたいのだろうが、実際にはピエールが泥棒であると同時に訴えた人であるという意味になる。(…)二つの文が続くとき、二つ目の文頭のil / elleは常に一つ目の文の主語をさす。        

(注2)朝倉季雄『新フランス文法事典』(白水社)の文例。 

(注3)京都大学フランス語教室編『新初等フランス語教本〈文法篇〉』白水社         

「フランス語100講」第10講 主語 (1) – 主語とは何か

 第8講の文(1)に書いたことですが、フランス語や英語のような欧米の言語では、文の基本構造は〈主語+述語〉(sujet+prédicat)だとされています。「主語」という用語は、中学校の英語の授業で初めて耳にする人が多いでしょう。しかし文の組み立ての基本だとされているにもかかわらず、主語とは何かをきちんと定義しようとするとなかなか面倒なのです。代表的な定義をいくつか見てみましょう。

 (1) La grammaire traditionnelle définit le sujet comme celui qui fait ou subit l’action exprimée par le verbe. C’est ainsi un terme important de la phrase puisqu’il est le point de départ de l’énoncé et qu’il désigne l’être ou l’objet dont on dit quelque chose en utilisant un prédicat.          

  (Jean Dubois et als. Dictionnaire de linguistique, Larousse, 1973)

伝統文法では、主語を、動詞によって表現される行為をするもの、または受けとるものと定義する。それゆえ、主語は発話の出発点でもあり、また人物や事物を指し、それについて述語を用いることにより、何かを語るものであるので、文の重要な辞項である。

   (伊藤晃他訳『ラルース言語学用語辞典』大修館書店、1980)

 まず伝統文法の定義が挙げられています。動詞が表す行為をするもの、または受けとるものというのは次のようなことを想定しています。

 

 (2) Le directeur a grondé Julia.

   部長はジュリアを叱った。

 (3) Julia a été grondée par le directeur.

   ジュリアは部長に叱られた。

 

 (2) の能動文では部長が「叱る」という行為をする人で、(3) の受動文ではジュリアが「叱る」という行為を受ける人です。つまり主語とは、能動文では動作主 (agent) で、受動文では被動作主 (patient) であるという意味論的な概念によって定義されています。しかしよく考えてみてください。(2)の能動文ではジュリアが動作を受ける人ですが、主語ではなく直接目的補語です。また(3)では部長が動作をする人なのですが、これも主語ではなく動作主補語 (complément d’agent) です。これはちょっとまずいですね。どれが主語かを判定することが、能動文・受動文という態 (voix) に依存しているからです。

 上の定義の後半では、「それについて何かが語られるもの」(ce dont on dit quelque chose) と述べられています。しかし、現代の言語学では「それについて何かが語られるもの」は「主題」(thème / topique) と呼ぶのがふつうです。主題というのは談話文法でよく使われる概念です。実はアリストテレスのいう主語 subjectumは、sub-「下に」+ jectum「投げ出された」で、「これからこれについて話しますよ」と相手に提示するもののことで、今で言う主題に近い概念です。こうして見ると、上に挙げられている伝統文法による主語の定義は、意味論の概念と談話文法の概念をミックスしたものになっていて、ほんとうの意味で文法的な定義とは言いにくいものです。

 次の定義はこれとはちょっとちがっています。

 (4) SUJET. Ce mot dénote la fonction assumée par le terme ou le membre qui confère à un verbe ses catégories de personne, de nombre et éventuellement de genre. Il a donc une valeur strictement grammaticale et n’est pas à confondre avec les termes qui évoquent l’agent, le siège ou le patient du procès.

(Wagner, R. L. et J. Pinchon, Grammaire du français classique et moderne, Hachette Université, 1962)

主語。この語は、動詞に人称・数そして場合によっては文法的性のカテゴリーを付与する語句または文要素が担う機能を指す。したがって主語は完全に文法的な価値を持つものであり、動作主や行為の座や被動作主といった概念を表す用語と混同してはならない。 

 おやおや、ヴァグネールとパンションは、「動作主や被動作主と混同してはならない」とわざわざ伝統文法の定義に陥らないよう釘を刺していますね。彼らによれば、主語とは、文の中核的要素である動詞の人称・数を支配するという文法的機能のみによって定義されるものです。

 もうひとつ見てみましょう。代表的な文法書である Le Bon usageのものです。ここではJean rougit.「ジャンは顔を赤らめる」という2語からなる文を例に挙げて、どのような基準によって主語と判定するかが論じられています。それによると主語は次の4つの基準によって特徴づけられるとされています。

 

 (5) a. 語順:平叙文では先に来るのが主語

   b. 品詞:主語は名詞で、述語は動詞

   c. 活用の支配:主語は動詞の人称・数を決める

   d. 主題:主語はそれについて何かを述べるもの (ce dont on dit quelque chose)

 

 ところが同書ではこれに続けてこのような基準を満たさない例を挙げて、Par conséquent, il est impossible de donner du sujet et du prédicat des définitions qui satisfassent entièrement. 「したがって、主語と述語に完全に満足のいく定義を与えることは不可能である」と匙を投げる始末です。

 

【主語とは相対的概念である】

 現代の言語学で主語をめぐる議論は1970年代から80年代にアメリカで盛んに行われました。その代表的なものはキーナン (Edward Keenan) の研究です(注1)。その研究のなかでキーナンは主語が持つ計30ほどの特徴をリストにしています。それらはおおまかに4つのグループに分かれます。代表的な特徴だけ挙げてみましょう。

 

 (6) 主語の特徴

 (A) 指示の自立性 (autonomy principles)

  i) 主語は文に不可欠の要素である、ii) 主語名詞句は自立した指示を持つ

 (B) 格表示 (case marking properties)

  主語名詞句はしばしば格の表示を持たない

 (C) 意味役割 (semantic role)

  主語名詞句は能動文では動作主、受動文では被動作主の役割を持つことが多い

 (D) 直接支配 (immediate dominance)

  Sノードに直接支配され、動詞の人称・数を決める

 

 キーナンは、このように主語を定義する特徴を列挙した上で、ある言語Lでこれらの特徴をいちばん多く持つ要素を主語と認定することを提案しています。つまりある要素が主語であるかどうかは程度問題ということです。(注2)世界中の言語を考慮に入れて主語を定義しようとすると、どうしてもこうなってしまうのですね。

 しかし心配することはありません。フランス語では主語はとてもはっきりと定義することができます。それは上に挙げたヴァグネールとパンションの主語の定義に近いものです。次のように考えればよいでしょう。

 主語は、i) 文に不可欠の名詞句・代名詞である

     ii) 動詞の人称・数を支配する 

この定義によれば、次の例文のボールド・イタリック体の語句が主語となります。

 

 (7) Paul adore les macarons.

  ポールはマカロンが大好きだ。

 (8) Il me serait agrébale de vous rencontrer.

  あなたにお会いできればうれしいのですが。

 (9) Il lui est arrivé un grand malheur.

  彼(女)の身に不幸な出来事が起きた。

 (10) Ça, c’est une autre histoire.

  それはまた別の話だ。

 

 (8) と (9) は非人称構文ですが、非人称主語のilは文に不可欠であり、動詞の人称・数を決めているので上の条件を満たしています。(de) vous rencontrerや un grand malheurを実主語とか真主語と呼ぶかどうかはまた別の問題です。どうしてフランス語ではこのようなシンプルな定義で済むのでしょうか。

 

【主語優位言語と主題優位言語】

 注(1)に挙げた Subject and Topicという論文集に収められているリーとトンプソンの論文(注3)は新しい類型論を提案してその後の研究に大きな影響を与えました。その類型論によると、世界中の言語は主語 (subject) が優位な言語と、主題 (topic) が優位な言語に分けられるとされています。(注4)

 フランス語や英語は典型的な主語優位言語 (subject prominent language) です。主語優位言語では、主語は文に欠かせない要素で、また文中の名詞句のどれが主語かを比較的はっきり判定できるとされています。このような言語では〈主語+述語〉が文の基本的な構造となります。(英)It rains. / (仏)Il pleut.「雨が降る」のような非人称構文を持つのもこのタイプの言語の特徴です。どうしても主語が必要なので、何も指さない it / ilのような意味的に空の要素を主語に置くのですね。

 一方、中国語や日本語は主題優位言語 (topic prominent language) です。このような言語では〈主題+解説〉(topic+comment) という構造が文の基本となり、主題は明らかならば省略できるので、「車の運転できますか?」という質問に「できます」と解説だけで答えられます。主題卓越言語では、主語がはっきり定義できなかったり、「象は鼻が長い」のようないわゆる二重主語構文があるのが特徴です。

 日本語とフランス語がこのように異なる類型に属していることを知るのも、フランス語を学ぶ上で大事なことです。

 

【主語は文法化された主題】

 川本茂雄編著『フランス語統辞法』(白水社、1982)は、主語についてユニークな解説をしています。まず文とは何かを考えるにあたって、Fermé「閉め切り」、Horrible !「おそろしい!」のように、単語ひとつからなるものを挙げて、これを一肢文と呼んでいます。ひとつの要素からできているという意味です。たとえばドアにFermé「閉め切り」という貼り紙があるとしましょう。閉め切りなのは貼り紙が貼られたドアですから、これはCette porte est fermée.「このドアは閉めきりです」という意味です。この「〜は」の部分を主題 (thème) と呼びます。この場合のように、使われている状況から主題が明らかならば主題は省略されます。Ferméは説述 (propos) (注5)といい、一肢文は主題を省略して説述のみからなる文です。

 次に二肢文が挙げられています。Moi, mentir !「僕、嘘付くって!」、Cela, impossible !「そりゃあ、出来ないことだ!」のように、ふたつの単語からできている文です。二肢文では、Moiが主題で mentir ! が説述になります。これに続けて同書では次のように述べられています。

 (11) 上掲の例において、 « Maman, partie. »は « Maman est partie. », « Cela, impossible ! »は « Cela est impossible ! »とほぼ同じ意味をもつものである。このことから、主題は文法において〈主語〉と一般に称されるものに近いということがわかるであろう。(…)多くの文が主語を備えているという事実は、何らかの説述が行われるためには主題が与えられることが必要であり、主題はしばしば文法上の主語として表されるものであことを、ここにすでに予見することができる。(同書、p. 15)

 ここには〈主題+説述〉という関係が〈主語+述語〉の関係へと発展していったというニュアンスが読み取れます。現代の言語学ならば、「主語は文法化された主題である」と言うところです。このため現代フランス語においても、主語は無標の主題 (thème non marqué) として働きます。「無標」というのは構造主義言語学の用語で、特に理由がないときに選ばれる要素、つまりデフォルト要素ということです。

                      (この稿次回に続く)

 

(注1)Keenan, Edward L., “Toward a universal definition of ‘subject’”, Charles N. Li (ed.) Subject and Topic, Academic Press, 1975.

(注2)”Thus the subjecthood of an NP (in a sentence) is a matter of degree.” (Keenan, op. cit. p. 307)「このように(ひとつの文で)どの名詞句が主語であるかは程度問題ということになる」

(注3)Li, Charles, N. & Sandra A. Thompson, “Subject and topic: A new typology of language”, Charles N. Li (ed.) Subject and Topic, Academic Press, 1975.

(注4)正確には提案されているのは4つのタイプである。i) 主語が優位な言語 ii) 主題が優位な言語 iii) 主語も主題も優位な原語 iv) 主語も主題も優位ではない言語。日本語は iii) に分類されているのだが、フランス語と対比させるために、ここでは日本語は主題が優位な言語として話を進める。

(注5)『フランス語統辞法』の用語をそのまま用いている。本稿では説述とは言わず、解説 (commentaire) と呼んでいる。thèmeと proposは、Charles Bally, Linguistique générale et linguistique française, Editions Francke, 1932が使っている用語。

 

「フランス語100講」こぼれ話(3)─ duとdesをめぐる話

 フランス語の初級文法の最初の方に冠詞が出て来る。フランス語では原則として名詞には何かの冠詞が付いているので、早くから学ばなくてはならないのだ。不定冠詞 は単数形がun / une 、複数形がdesで、定冠詞は単数形が le / la 、複数形がlesであり、部分冠詞は du / de laと学ぶ。

 同じ頃に前置詞の deと定冠詞の縮約も登場する。deleduになり、delesdesとなる。ここでおかしなことに気づかないだろうか。deleが縮約したduは部分冠詞の男性形と形が同じで、delesが縮約したdesは不定冠詞の複数形と同じではないか。実にまぎらわしい。jouer du piano「ピアノを弾く」のduがどちらなのかはまちがう人が多い。これはdeleの縮約形である。一方、jouer du Mozart「モーツアルトを弾く」のduは部分冠詞だ。これはどういうことだろうか。

 もうひとつおかしなことがある。不定冠詞の単数形のun / uneと複数形のdesは形がちがいすぎる。おまけに複数形のdesは前置詞のdeと定冠詞のlesが縮約したものと形が同じだ。これも不思議なことである。

 このことを理解するには、フランス語がたどってきた歴史を振り返る必要がある。フランス語の親であるラテン語には冠詞がなかった。冠詞はラテン語からフランス語に変化する間に作り出されたものである。英語でもそうだが、不定冠詞の単数形は数詞の1の un / uneから作られた。古フランス語の時代には冠詞の体系は次のようになっていた。

 

       男性    女性

     単数  複数  単数  複数

 主格  uns         un

                                                  une        unes                   

 斜格  un           uns

 

 

 主格単数のunsの語尾の-sは、複数の印ではなく主格の印である。この表のうち斜格の形が残って、現代語の不定冠詞となった。unの複数形はもともとはunsなのだ。スペイン語は今でもそうで、不定冠詞の男性単数形はunoで複数形はunosである。このほうがずっとすっきりしている。ではどうしてdesunsにとって代わったのだろうか。それには部分冠詞の形成が関係している。

 部分冠詞は不定冠詞からずいぶん遅れて現れた。その形成過程は次のようである。まず前置詞のdeにはもともと何かの部分を表す意味があった。今でもその意味は残っていてIl a mangé de ces fruits.「彼はその果物を少し食べた」ように使う。定冠詞はラテン語の指示詞から発達したもので、le painには今のように「パンというもの」を表す総称の意味はなく、「目の前にあるパン」(現場指示用法)「(話題に出た)そのパン」(前方照応用法)を意味した。deleが縮約したものは当時はdelと綴ったので、mangier del painは「(特定の)そのパンの一部を食べる」を意味した。何かの一部なので部分冠詞 (article partitif)と呼ばれたのである。やがて定冠詞は総称の意味を持つようになり、それにともなって manger du painは今のように「(不特定の)パンを(少し)食べる」を意味するようになった。複数形のdesは使われることが少なかったが、類推によって同じように変化したと考えられる。manger des cerisesが「そのサクランボの一部を食べる」という部分の意味から、「サクランボを(少し)食べる」という不定の意味へと変わり、やがてunsを駆逐して不定冠詞複数形の場所に収まったのである。こうして不定冠詞は単数形が un / uneで複数形がdesという不ぞろいな形になってしまった。

 このように部分冠詞の男性形のduが前置詞deと定冠詞leの縮約形と同じ形をしており、また不定冠詞複数形のdesが前置詞deと定冠詞lesの縮約形と同じ形なのは決して偶然の一致ではなく、もともとは同じものだったから当然のことなのだ。

 少し古い時代の文法書では、desは不定冠詞ではなく部分冠詞の複数形としているものがある。たとえば次がそうだ。(注1)

Les formes de l’article partitif sont : du (anciennement de le, del, deu), de l’, de la, des (anciennement de les, dels).         

部分冠詞の形態は、du(古くは de le, del, deu)、de l’、de laとdes(古くはde les, dels)である。

 フランス語の歴史を考えれば、確かにこうまとめた方がすっきりしている。

 部分冠詞が前置詞deと定冠詞の縮約形に由来することを知っていると、次の文法規則がよく理解できる。前置詞deの次に不定冠詞複数形のdesや部分冠詞の du / de laが続くと、冠詞は削除されて名詞が無冠詞になる。

 

 (1) le toit couvert {de+des} ardoises → le toit couvert d’ardoises

   スレートで覆われた屋根

 (2) la table pleine {de+de la} poussière → la table pleine de poussière

   ほこりだらけのテーブル

 

ところが不定冠詞の単数形だけは削除されずそのまま残る。

 

 (3) Nous avons besoin {de+un} bon dictionnaire.

  → Nous avons besoin d’un bon dictionnaire.

     私たちにはよい辞書が必要だ。

 

 (1)をもし de des ardoisesとすると、元を正せば {dedeles} となり、前置詞のdeが二度重複して現れる。これはまずい。だから前置詞dedesが続くとdesは省略されるのだ。{dedele}も同じである。一方、不定冠詞の単数形の {deun / une}という連続には何の問題もない。だから不定冠詞の単数形は省略されないのである。

 最後に部分冠詞 (article partitif)という呼び名に異議を申し立てたい。何かの部分を表しているのは昔の用法で、今のフランス語では boire du vin「ワインを飲む」は、そこにある特定のワインの一部を飲むことではなく、不特定のワインを少し飲むという意味だ。何かの部分ではないので部分冠詞という呼び名はふさわしくない。今のフランス語では「非可算名詞用の不定冠詞」と呼ぶほうが実態に即している。(注2)

 

(注1)Anglade, Joseph, Notes sur l’emploi de l’article en français, Didier, 1930.

(注2)森本英夫『フランス語の社会学』(駿河台出版社、1988)で森本氏も、「部分冠詞」という呼び方は混乱のもとなので、いっそ不定冠詞は「数冠詞」、部分冠詞は「量冠詞」と呼び替えてはどうかと提案している。

「フランス語100講」第9講 フランス語の基本文型

 フランス語の文法書で基本文型についてきちんと説明しているものは意外に少ないものです。基本文型とは、疑問文・命令文・感嘆文などを除く平叙文の主節において、どのような要素がどんな順序で並ぶかをタイプ分けしたものをいいます。英語ではふつうSV、SVC、SVO、SVOO、SVOCの5文型を習うことが多いでしょう。不思議なことにフランス語ではこのように教えることはあまり一般的ではありません。

 文を形作る構成要素は、名詞・動詞・形容詞などのいろいろな品詞 (partie du discours) です。しかし、これらの品詞は文の中で文法機能 (fonction grammaticale) を持ちます。ですから基本文型は品詞ではなく、文法機能によって記述しなくてはなりません。フランス語の文の中で品詞が持つ文法機能には次のようなものがあります。(注1)

 

 (1) a. 主語 (sujet)

   b. 直接目的補語 (complément d’objet direct)

        c. 間接目的補語 (complément d’objet indirect)

        d, 状況補語 (complément circonstanciel)

   e. 属詞 (attribut)

 

 英文法の用語とのちがいに注意しましょう。英文法で補語 (complement)というと、次の例の斜体太字の部分をさします。

 

 (2) John is a teacher.

   ジョンは先生だ。[主格補語]

 (3) I found the book interesting.

   私はその本をおもしろいと思った。[目的格補語]

 

 しかしフランス語では英語の「補語」を「属詞」(attribut) と呼びます。フランス語で補語 (complément) というのは、主語と属詞以外のすべての句をさします。たとえば次の文では、主語のCélineと動詞の a rencontréを除いて、後は全部補語と呼ばれます。英文法では à la Gare de Lyon「リヨン駅で」のように場所を表したり、la semaine dernière「先週」のように時間を表す語句は「付加詞」(adjunct) と呼びますが、フランス語では補語になります。(注2)

 

 (4) Céline / a rencontré / une vieille amie / à la Gare de Lyon

         主語      動詞             直接目的補語           状況補語 

        / la semaine dernière.

                状況補語

        セリーヌは先週リヨン駅で旧友にばったり出会った。

 

 主語をS、動詞をV、直接目的補語をCOD、間接目的補語をCOI、属詞をAと略称すると、フランス語の基本文型は次のようになります。(注3)

 

 i) S-V  

       Jean travaille.

       ジャンは働いている(働く)。

  動詞は目的補語を取らない自動詞 (verbe intransitif) です。

 ii) S-V-A

        Annie est pianise.

  アニーはピアニストだ。

  Pierre restera célibataire.

  ピエールは独身のままだろう。

 動詞はコピュラのêtreの他に、rester「〜のままでいる」、devenir「〜になる」、paraîrre「〜のように見える」などの準コピュラ動詞 (verbe copulatif) です。属詞は主語にかかる主語の属詞 (attribut du sujet) です。

 iii) S-V-COD

        Luc regarde la télé.

  リュックはテレビを見ている(見る)。

  動詞は直接目的補語を取る他動詞 (verbe transitif) です。

 iv) S-V-COI

         Nicole ressemble à sa tante.

    ニコルは叔母さんに似ている。

         Lucie s’occupe de ses enfants.

   リュシーは子供たちの世話をする。

  動詞は間接目的補語が必要な間接他動詞 (verbe transitif indirect) です。(注4)

 v) S-V-COD-COI

          Karine a offert un stylo à son père.

    カリーヌはお父さんに万年筆をあげた。

  動詞は直接目的補語と間接目的補語の両方を取る動詞です。

 vi) S-V-COD-A

          Je trouve ce flim intéressant.

           私はこの映画はおもしろいと思う。

  属詞は直接目的補語の属詞 (attribut de l’objet direct) です。

 

 ここでひとつ注意しておきたいのは直接目的補語と間接目的補語の見分け方です。英語には次のような二重目的語構文があります。

 

 (5) I gave Peter a book.

  私はピーターに本をあげた。

 

 Peterは間接目的語、a bookは直接目的語なのですが、どちらも裸の名詞で形だけでは見分けがつきません。しかしフランス語にはこのような二重目的語構文はありません。フランス語では動詞に続く裸の名詞が直接目的補語で、間接目的補語には必ず前置詞のàdeが付きます。次の例では前置詞のない un livreが直接目的補語で、前置詞のあるà Pierreが間接目的補語です。

 

 (6) J’ai donné un livre à Pierre.

  私はピエールに本をあげた。

 

 さて、上に示した i)〜vi)の基本文型は構文として必ず必要な要素だけをあげているので、状況補語や副詞などのその他の要素は入っていません。場所や時を表す状況補語は文の中のあちこちに置くことができますが、基本は次の三箇所です。

 

 (7) 文頭

   En France, on roule à droite.

   フランスでは車は右側通行だ。

 (8) 動詞の直後

   Le café occupe dans la vie des Français une place importante.

   カフェはフランス人の生活で重要な位置を占めている。

 (9) 文末

   Mon grand-père avait l’habitude de promener son chien dans le jardin public.

   祖父は公園に犬を散歩に連れていくのを日課にしていた。

 

 これ以外の場所に状況補語を置くときは、前後にヴィルギュール ( , )を置きます。ヴィルギュールに挟まれた語句は挿入句 (incise) となります。

 

 (10) Il est courant, dans beaucoup de pays, d’attendre que celui qui parle ait terminé pour prendre la parole.

   多くの国では話している人が話し終えるのを待って発言するのがふつうだ。

 

 では上にあげたフランス語の基本文型は、実際にはどのくらいの頻度で使われているのでしょうか。少し古い文献ですが、次のような調査結果があります。(注5)数字は見つかった用例の数です。順位が飛び飛びになっているのは、C’est構文やIl y a構文などの非人称構文を別に数えているからです。

 

 1位 S-V-COD     [415]

 2位 S-V-A         [244]

 3位 S-V           [234]

 4位 S-V-COI       [115]

 9位 S-V-COD-COI [16]

 13位 S-V-COI-COD [10]

 16位 S-V-A-COD   [6]

 

 数から見ると、上位の4位までが圧倒的に多いですね。9位や13位の目的補語を二つ持つ文は実際には少ないことがわかります。

 さて、基本文型を構成する主語や直接目的補語や間接目的補語は、それがなくては文が成り立たない必須要素です。これにたいして状況補語は場所や時間の情報を付け加えて文の意味をより豊かにするものとされています。

 しかしこう考えると都合の悪いこともあります。次の例文を見てみましょう。

 

 (11) Ma grand-mère habite à Nice.

   私の祖母はニースに住んでいる。

 (12) Je vais à Londres demain.

   私は明日ロンドンに行く。

 (13) Elle pèse quarante-huit kilos.

   彼女の体重は48kgだ。

 (14) Ce livre coûte vingt euros.

   この本の値段は20ユーロだ。

 (15) Je me souviens de cet événement. 

   その出来事は覚えている。

 

 (11)でもし à Niceを取ってしまうと、*Ma grand-mère habite.「私の祖母は住んでいます」となり、意味をなしません。他の例も同様です。同じ à Niceという前置詞句でも、次の例文では必須ではない状況補語です。à Niceを取り去っても文として成立します。

 

 (15) Claire a trouvé un bon appartement à Nice.

   クレールはニースでよいアパルトマンを見つけた。

 

 このため最近では (11)〜(14)の斜体太字の補語を complément essentiel 「必須補語」と呼ぶようです。この場合、補語はもう単なる「補い」ではなく、文とって必要な要素になります。

 ということは à Niceという前置詞句は、それ自体では省略可能な補語かそれとも必須補語かが決まっているわけではなく、(11) の動詞 habiterが必須補語を必要とするために、à Niceは必須補語という役割を果たしているということになるでしょう。この意味でも文を作る主役は動詞だと言えます。

 

(注1)(1)に挙げたもの以外に「同格」(apposition) を文法的役割に含めることがあるが、それがはたして適切かどうかは議論の余地がある。

(注2)「補語」(complément) という用語はフランス語の世界では古くから使われていて、人によって意味するものが少しちがうことがある。たとえば la montre de mon père「父の腕時計」のように名詞の意味を限定したり、Elle est allergique à la farine.「彼女は小麦アレルギーだ」のように形容詞の意味を限定する語句も補語と呼ぶことがある。

(注3)主語 (S) や直接目的補語 (COD) や属詞 (A) は文法機能 (fonction grammaticale)だが、動詞 (V)はそうではなく品詞である。したがってS-V-CODなどの基本文型は、文法機能と品詞が混在した不ぞろいなものである。このことは言語学では古くから認識されていた。ここでは伝統に従うものとする。

(注4)間接他動詞という分類を認めず、ressembler à 〜、obéir à 〜などを自動詞に含める立場もある。

(注5)Corbeil, Jean-Claude, Les structures syntaxiques du français moderne, Klincksieck, 1968.

「フランス語100講」第8講 文 (2)

 国語学・日本語学を学んだ目で欧米の言語学を眺めると、「文」は〈主語+述語〉からなるという一本槍で、とても硬直した印象を受けます。一方、国語学・日本語学では昔から文タイプの研究が盛んに行われてきました。その理由のひとつは、日本語には次の例のように助詞の「ハ」と「ガ」の区別があることです。

 

 (1) a. 空青い。

         b. あっ、空まっ赤だ!

 (2) a. Le ciel est bleu.

         b. Tiens ! Le ciel est tout rouge !

 

 フランス語では (2 a) (2 b) のように〈主語+être+形容詞〉という文型にちがいが現れません。日本語の文タイプについては今までにさまざまな提案が行われてきました。ここでは仁田義雄氏(注1)と三尾いさご氏(注2)の文タイプを見てみましょう。(注3)

 仁田氏はモダリティのちがいに基づいて次のような文タイプを提案しています

 

 (3) 働きかけ         命令「こっちに来い」

                                   依頼「いっしょに食べましょう」

 (4) 表出           意志・希望「今年こそがんばろう」

                                   願望「明日天気になあれ」

 (5) 述べ立て      現象描写文「子供が運動場で遊んでいる」

                                   判定文「彼は評議員に選ばれた」

 (6) 問いかけ         判断の問いかけ「彼は大学生ですか」

                                   情意・意向の問いかけ「水が飲みたいの」

 

 このうちでここでの話に関係があるのは「述べ立て」です。「働きかけ」や「問いかけ」とはちがって、「述べ立て」は何らかの事実や判断を述べるときに用いる文です。「述べ立て」には「現象描写文」と「判定文」の2種類があるとされています。現象描写文と判定文にはいろいろなちがいがありますが、ここで重要なのは次の特徴です。

 

 (7) a. 現象描写文は助詞「ハ」でマークされた主題を持たない(無題)。

    i) 子供が遊んでいる。

   b. 判定文は「ハ」でマークされた主題を持つ(有題)。

    ii)私はこのチームのキャプテンです。

 (8) a. 現象描写文は疑問や否定の対象にならない。(注4)

         i)?あっ、荷物が落ちるか?

           ii) ?あっ、荷物が落ちない。

                (文頭の疑問符は容認度が低いことを表す)

   b. 判定文は疑問や否定の対象になる。

    i) あなたはこのチームのキャプテンですか?

    ii) 私はこのチームのキャプテンではありません。 

 

 (7 a) (7 b)が示しているように、現象描写文と判定文のちがいは、助詞の「ハ」と「ガ」のちがいと強く結びついています。さきほどフランス語では文型のちがいは現れないと書きましたが、実はフランス語にも次のような現象描写文に特有の文型があります。しかしフランス語学ではこのような文タイプはあまり注目されていません。(注5)

 

 (9) Tiens ! Le facteur qui passe.

   ほら、郵便屋さんが通る。

 

 次に三尾氏の文の理論を見てみましょう。三尾氏の理論では「場」という概念が重要な役割を担っています。その定義はちょっとわかりにくいので、私の解釈を交えて説明してみましょう。

 日常、私たちは何のきっかけもなく「空は青い」などと言うことはありません。隣に座っている人が突然そう言ったら驚きますね。私たちが何かをのべるときには何らかのきっかけがあります。たとえば、「あっ、雨だ」と言うときには、雨が降り出したという外界の様子がきっかけです。また、「あなたはどちらのご出身ですか」とたずねられて、「京都です」と答えるときは、相手の質問がきっかけになります。このように、何かの発話をうながすきっかけとなるものが三尾氏の言う「場」なのです。

 「何だ、それは言語学で言う発話状況 (situation d’énonciation) と言語文脈 (contexte linguistique) を足し合わせた co-texteのことじゃないか」と思った人もいるでしょう。しかしふつう言語学では、発話状況や言語文脈は、文のあいまい性を除去し解釈を助けるものとされています。しかし三尾氏の文理論では、「場」はそのような補助的なものではなく、ときには文の一部となるものだというちがいがあります。

 「場」と文との関係に基づいて、三尾氏は次のような4つの文タイプを提案しています。

 

 (10) 場の文(現象文) 「雨が降っている」

 「場の文」は「現象文」とも呼ばれています。現象文は、現象に判断の加工をほどこさずありのままに述べたものとされています。形式的には、格助詞の「ガ」が使われ、述部は動詞で「〜ている」や「〜た」の形になります。「場の文」では、場と文とは一体化しているとされます。

 (11) 場を含む文(判断文)

 「場を含む文」は「判断文」とも呼ばれています。この文タイプの特徴は助詞の「ハ」でマークされた主題を持つことで、「AはBである」という話し手の判断を表します。

 (12) 場を指向する文(未展開文)「あ! 」「雨だ!」

 梅が咲いていることに気づいて「あ!」と言葉を漏らしたり、雨が降り出して「雨だ!」と言うとき、文の内容は十分に展開されておらず不十分ですが、「梅が咲いている」や「雨が降り出した」という「場」を指向して表現しようとしています。

 (13) 場と相補う文(分節文) (これは?)「梅だ」

 「場と相補う文」は、「これは?」とたずねられたときに、「梅だ」と答える場合です。「これは?」という問が場として働き、それを受けて「梅だ」と答えるので、「これは(場)+梅だ」のように、場と相補って文として成り立ちます。

 

 三尾氏の「現象文」はほぼ仁田氏の「現象描写文」、「判断文」は「判定文」と同じものとみなしてよいでしょう。三尾氏のユニークな点は、未展開文や分節文のように、ふつうは文の断片とされるものまで文タイプに含めたところにあります。

 このように日本語学で提案されている文タイプは、フランス語を考えるときにどのような手がかりになるのでしょうか。それは文というものをどう捉えるかという問題に深く関わります。文法書には次のような例文がよく見られます。(注6)

 

 (14) Ce qui entend le plus de bêtises dans le monde est peut-être un tableau de musée.   (Les Goncourt)

世の中でいちばんたわ言を聞かされているのは、おそらく美術館に展示されている絵だろう。(ゴンクール兄弟)

 この例文の特徴は、〈主語+述語〉の構造を取っているだけでなく、文の意味を解釈するために文脈も発話状況も必要としないという点にあります。教科書や辞書の例文は、それだけで十分に意味が取れるものでなくてはなりません。この例文の意味を理解するために、誰が、誰に向けて、いつ、どこで、何を受けて発話されたかという付随的な情報が必要ないのはそのためです。三尾氏の用語を使うと、「場」の拘束や規定が一切ないのです。「場」に影響されることなく、いわば無重力の真空中を漂っているような文です。

 しかし、実際に私たちはこのように場の影響を受けずに話すことはありません。実際のフランス語の会話例を見てみましょう。家の改装計画を工事業者と話しているところで、Aが業者で、Bが発注者です。(注7)

 

 (15) A : Voilà alors euh je vais vous expliquer ce que j’ai fait.

            B : Oui.

            A : Puis après vous regardez les prix.

            B : C’est le prix qui intéresse en plus en premier.

            A : Ah, non. C’est quand même le travail … c’est… voilà je vous ai fait un petit croquis là.

            A : じゃあ私が用意したものを説明しましょう。

            B : ええ。

            A : それから後で値段を見てください。

            B : いちばん大事なのは値段ですよね。

            A : いや、でも仕上がりの方が…、それは…、ここにかんたんな図面を用意しました。

 

 自宅の改装工事の話をしているという説明がなければ、何の話をしているのかさっぱりわからないでしょう。工事を発注するという話し手Bの意図や、業者Aが用意した図面、ひとつ前のターンで相手が言ったことなどが、この会話の「場」を形成しています。私たちが実際に言葉を使うときには、話し手と聞き手のキャッチボールのようなやり取りの中で、「場」に規定され、「場」と呼応するように会話が進むのです。

 フランス語で「場」を考慮に入れなければ意味が取れない文をひとつ紹介しましょう。(注8)

 

  (16)[夫にベッドで朝食をとらせようと運んで来たのに夫がもう起きているのを見て]

   Moi qui me réjouissais de te server ton petit-déjeuner au lit !

                                                                   (Simenon, Un Noël de Maigret)

   あなたにベッドで朝食を食べてもらうのを楽しみにしていたのに!

 

 この〈Moi+関係節〉構文は、期待・予期していたこととは逆のことが起きたときに使います。妻は夫のメグレ警視にベッドで朝食を食べてもらおうと、寝室まで朝食を運んで来たのですが、夫はもう起床して服を着替えていたのです。この文には次の① ② が発話を支える場として働いています。

 ①「夫にベッドで朝食を食べてもらおう」という話し手の意図

 ② 予想に反して「夫はもう起きていた」という出来事

 どちらが欠けてもこの文は成立しません。このような構文を理解するには「場」という概念はとても有効だと思います。

 

(注1)仁田義雄『日本語のモダリティと人称』ひつじ書房、1991.

(注2)三尾砂『国語法文章論』三省堂、1948.『三尾砂著作集 I』ひつじ書房、2003に再録。

(注3)国語学における文タイプの研究は、おそらく松下大三郎『標準日本文法』(1924)までさかのぼる。松下は「有題的思惟性断定」と「無題的思惟性断定」を区別した。また三上章『続・現代語法序説 — 主語廃止論』(1959)は、「有題文」と「無題文」の区別を提案している。これ以外にも、Kuroda, S.-Y.(黒田成幸)の categorical judgement(二重判断)/ thetic judgment(単一判断)、益岡隆志の「属性叙述文」と「事象叙述文」などがあり、文タイプの研究は日本語学では盛んに行われている。

(注4)ただし、「あっ、財布がない!」のような現象文では否定が可能である。

(注5)フランス語学ではDanon-Boileau, L. « La détermination du sujet », Langages 94, 1989が、現象文と判定文に相当する文タイプを提案している。Un étudiant a appelé ce matin pour toi.「今朝、学生が君に電話してきた」のような文は énoncé événement「出来事文」と呼ばれていて「現象文」に当たる。Ravaillac détestait la poule au pot.「ラヴァイヤックは鶏のポトフが嫌いだった」のような文はénoncé de type propriété「属性叙述文」と呼ばれていて、「判定文」に相当する。

(注6)京都大学フランス語教室編『新初等フランス語教本 文法篇』白水社

(注7)エクス・マルセイユ大学 (Université d’Aix-Marseille) 大学で採取されたフランス語会話コーバスより。

(注8)このタイプの文は、小川彩子「〈Moi+擬似関係節〉型構文と脱従属化」『フランス語学研究』54, 2020 でくわしく考察されている。

「フランス語100講」第7講 文 (1)

【文とは何か】

 フランス語統語論を論じようと思えば、「文とは何か」という問を避けることはできません。しかし、「言語学者の数だけ文の定義がある」と言われるほど、文を定義するのはむずかしいのです。

 佐藤房吉・大木健・佐藤正明『詳解フランス文典』(駿河台出版社1991)は、文を次のように定義しています。

 1個の単語、または文法に則して配列された1群の単語が、ある思想や感情や意志などを表明している時、これを文 (phrase) と言う。1個の文は、例えば Oh ! là ! là !(やれやれ、なんてこった)のように間投詞だけから、あるいは Oui(そうだ)のように副詞だけから成る場合もあるが、ふつうは1個または数個の動詞を含んでいる。〔間投詞や副詞だけの文を語句文(mot-phrase)と言う〕(p. 408)

 伝統的にはこのように、文とは「ひとつのまとまった思想や感情を表す」ものであり、いくつかの単語からできているが、Oui.のように1つの単語だけでも文となる場合がある、というように定義されることが多いようです。

 しかし次の引用はこのような定義のむずかしさを示しています。

   En grammaire traditionnelle, la phrase est un assemblage de mots formant un sens complet qui se distingue de la proposition en ce que la phrase peut contenir plusieurs propositions (phrase composée et complexe). Cette définition, qu’on rencontre encore dans certains manuels, s’est heurtée à de grandes difficultés. Pour définir la phrase, on ne peut avancer l’unité de sens, puisque le même contenu pourra s’exprimer en une phrase (Pendant que je lis, maman coud) ou en deux (Je lis. Maman coud.). Si on peut parler de « sens complet », c’est justement parce que la phrase est complète. En outre, on a posé à juste titre le problème de telle phrase poétique, par exemple, dont l’interprétation sera fondée uniquement sur notre culture et notre subjectivité, et de tel « tas de mots » ayant un sens clair et ne formant pas une « phrase » , comme dans Moi y en a pas d’argent.

 (Jean Dubois et als. Dictionnaire de linguistique, Larousse, 1973)

伝統文法では、〈文〉とは、全体で1つのまとまった意味をなす語の集まりで、複合的な文や複文ではいくつもの節を含むことがあるという点で、節とは区別される。この定義は、今なお一部の教科書に見られるものだが、大きな難点がある。文を定義するために、意味のまとまりをもちだすことはできないのである。Pendant que je lis, maman coud.「ぼくが本を読んでいる間、ママはお裁縫をしている」と Je lis. Maman coud.「ぼくは本を読んでいる。ママはお裁縫をしている」のように、同じ内容が2つの文でも1つの文でも表現できるからである。《まとまった意味》と言えるのも、文がまとまっているからにほかならない。さらに、例えば、もっぱら我々の教養及び主観に基づいて解釈されるような詩的な文とか、moi y en a pas d’argent「ぼく、お金、ないの」のように、意味ははっきりしているが、《文》を形成しない《語の集積》のごときものとかの問題も、当然のことながら起こってくる。(伊藤晃他訳『ラルース言語学用語辞典』大修館書店)

 上の引用で持ち出されている例「ぼくが本を読んでいる間に〜」は、1つの文からなる単文と、主節と従属節からなる複文のちがいを示すためのものです。終わりの方で引用されている Moi y en a pas d’argent.はくだけた話し言葉の言い方で、もう少し文法的に正しく書き直すと、Moi, il n’y en a pas, d’argent.となります。中性代名詞のenは最後のd’argentを受けているので、文法的には余剰で、話し言葉ではよくあることです。「僕、そんなものないよ、お金なんて」くらいの意味でしょうか。しかしだからといって「語の集積」と言うのは言いすぎのような気もします。

 これよりもっと過激なものもあります。ムーナン (Georges Mounin 1910-1993) が編集した『言語学事典』には、なんと定義が5つも並べられているのです。

   Il existe au moins cinq classes de définitions différentes de ce concept intuitif.

1/ Une phrase est un énoncé complet du point de vue du sens.

2 / C’est une unité mélodique entre deux pauses.

3/ C’est un segment de chaîne parlée indépendant syntaxiquement (… ) Autrement dit, la phrase (…) est la plus grande unité de description grammaticale. (…)

4/ Une phrase est une unité linguistique contenant un sujet et un prédicat.

5/ C’est un énoncé dont tous les éléments se rattachent à un prédicat unique ou à plusieurs coordonnés

                     (Georges Mounin (ed.) Dictionnaire de la linguistique, PUF, 1974)

 

「文」というのは直感的な概念であり、少なくとも5つの異なる定義群がある。

1/ 文とは意味の点においてまとまった1つの発話である。

2/ 文とは2つの休止に挟まれた音調単位である。

3/ 文とは統語的に独立した話線の切片である。(…)言い換えれば、文は文法が記述する最大の単位である。

4/ 文とは、主語と述語からなる言語の単位である。

5/ 文とはそれを構成するすべての要素が、1つまたは複数の述語の組み合わせと関係する発話である。

 

 1/は「まとまった意味を表す」という伝統的な定義ですね。2/は音調曲線に着目したものです。イントネーションは文の始まりから上昇し、文の終わりで下降します。3/は文が統語的に最大の単位であることを述べたもので、ここには構造主義や生成文法の考え方が見られます。4/は文が主語と述語からなるとしています。これは上に引用した佐藤他の文法書や、Duboisの辞典にはなかったものです。5/は4/をさらにくわしく述べたものです。定義を5つも並べているのは、どれも満足のいく定義ではないからでしょう。

 このようにすべてのケースに当てはまることをめざしたやり方とはちがって、たいへんユニークな考え方が橋本陽介氏の『「文」とは何か ─ 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)に見られます。それは「文とは、必要なことが必要なことだけ表されたものである」という見方です。次の例を見てください。

(1) A : 今日、いつ大学に行くの?

     B : 3限目から。

 ふつうはBの答の「3限目から」は完全な文ではなく、「今日、僕は3限目から大学に行く」が省略されたものされるでしょう。しかし、「文とは、必要なことが必要なことだけ表されたものである」という見方に立てば、これも立派な文です。これだけで必要にして十分なことを述べているからです。橋本さんはこのような考え方を野間秀樹氏の『言語存在論』(東京大学出版会 2018)から学んだようです。『言語存在論』では、言葉の意味が最初からあるのではなく、意味になるのだとされています。解読者(聞き手、または読み手)が、その言葉を解読する具体的な場において、その都度意味を作り出すのであって、言語は話し手から聞き手への単純な意味の伝達ではないということでしょう。(注1)

 私はこのような考え方に賛成です。論理学と隣り合わせの西欧の言語学の伝統では、「完全な文」というものがあり、そこには現実を過不足なく表現するものだという思想が根強くあります。ですからこの基準にそぐわないものは、不完全なもの、省略されたもの、崩れたものと断じがちです。しかし、言葉の意味はあらかじめ文の中にあるものではなく、具体的な場において作り出されるものだと考えるならば、「完全な文」などなくなります。

 

【文は主語と述語からなる】

 ムーナンの『言語学辞典』の文の定義 4/ にあるように、文は主語(仏 sujet / 英 subject)と述語(仏 prédicat / 英 predicate)からなるというのも西欧の言語学の伝統的な考え方です。それはアリストテレスにさかのぼると言われています。主語にあたるsubjectumは、sub-「下へ」と-jectum「投げられた」からなりますが、それは「今からこれについて話しますよ」と相手の前に提示されたものという意味です。ですからそれは話題の中心で、今日の言語学でいう「主題」(仏 thème / 英 topic)に近いものです。〈文 = 主語+述語〉という考え方は、代表的な英文法にも当然見られます。

 文は、1語からなるものもあるが、通例は、「ある事柄について、何かを述べる」という形式をもっている。伝統的に、「ある事柄」の部分は主部 (subject)、「何かを述べる」部分は述部 (predicate) と呼ばれている。以下の例で、太字体の箇所が主部、斜字体の箇所が述部である。

 (1) Birds sing. (鳥は歌う)

 (2) The pupils went to a picnic.(生徒たちはピクニックに行った)

 (3) The doors of the bus open automatically.(このバスのドアは自動的に開く)

                (安藤貞雄『現代英文法講義』開拓社 2005

 上の引用に挙げられている例では、どれを主語と認定するかは特に問題がありません。しかし主語を「ある事柄について、何かを述べる」の「ある事柄」だとすると、次のような例では問題が生じます。

(2) Il est bien connu que Homo Sapiens est né en Afrique.

  ホモ・サピエンスがアフリカで生まれたことはよく知られている。

 この文で「ある事柄」は「ホモ・サピエンスがアフリカで生まれたこと」で、それについて「よく知られている」ことが述べられています。しかし (que) Homo Sapiens est né en Afriqueはこの文の主語ではなく、主語は非人称のilです。教室ではこのような場合、ふつうilは何も指さない「見かけ上の主語」(sujet apparent)であり、(que) Homo Sapiens est né en Afriqueが「実主語」または「真主語」(sujet réel) だと説明します。

 次のような例も問題となります。

(3) Des touristes américains, on en trouve partout.

    アメリカ人の観光客ならどこにでもいる。

 この文は「アメリカ人観光客」について何かを述べている文です。しかし、Des touristes américainsは文頭に遊離 (détachement)あるいは転位 (dislocation)されていて、代名詞enで受けられています。代名詞enは文中では直接目的補語になっています。すると「アメリカ人観光客」はこの文の主語とは認められなくなってしまいます。そうなることを避けるために、Des touristes américainsは文法的主語 (sujet grammatical)ではなく、「心理的主語」(sujet psychologique) だとする考え方が生まれました。

 主語には伝統的にもうひとつの考え方があります。それは他動的な動詞の動作の主体、つまり「何かをする人・物」を主語とする定義です。言語学では「動作主」(agent) といいます。

(4) Les députés socialistes ont critiqué vivement les politiques du gouvernement.

   社会党の議員たちは政府の政策をきびしく批判した。

(5) Les politiques du gouvernement ont été vivement critiquées par les députés socialistes.

   政府の政策は社会党の議員たちにきびしく批判された。

 能動文の (4)では批判しているのは les députés socialistesですから、それが動作の主体で主語になっています。ところが受動文の (5) ではそうではありません。動詞の活用を支配している文法的主語はLes politiques du gouvernementで、les députés socialistesは動作主補語 (comlément d’agent) になっています。このように動作主が典型的な主語であるという考え方を保持するために、(5)でles députés socialistesは「論理的主語」(sujet logique) であるとする向きもあります。動作主を主語とする考え方は、フランス語は「直接語順」(ordre direct) の言語であるという考え方に基づきます。

 しかし、「文法的主語」「見かけ上の主語」「心理的主語」「論理的主語」などのように、主語がまるでウォーリーのように増えるのは好ましいことではありません。現在では、「論理的主語」は意味論における「動作主」で、「心理的主語」は談話文法における「主題」であると整理されています。しかしこのようにいろいろな主語が提案されてきたことは、ヨーロッパの言語において〈文=主語+述語〉という思想の呪縛がいかに強いかを物語っています。

 『象は鼻が長い』を書いた日本語学者の三上章はかつて「主語廃止論」を唱え、日本語では「主語という概念は百害あって一利なし」と断じました。またモントリオール大学の金谷武洋氏は『日本語に主語はいらない』(講談社2002)という本を出しています。確かに日本語ではそうかもしれませんが、主語が大きな役割を担っているフランス語ではそういう訳にもいきません。この点に関して、日本語とフランス語は類型論的に別のグループに属しています。何だかんだ言ってもフランス語には主語が必要なのです。                                                      (この稿次回につづく)

 

(注1)橋本陽介『「文」とは何か ─ 愉しい日本語文法のはなし』には、文についてもうひとつの重要な指摘がある。それは、話し手の主観を表すモダリティこそが、文を成立させるものだという指摘である(p. 53)。モダリティというのは、「今日は暖かい」では「断定」、「洋子さんは元気?」では「疑問」、「柴漬け食べたい」では「願望」などの話し手の判断を指す。これは日本語学特有の「陳述論」に基づく考え方で、ヨーロッパの言語学には見られないものである。「陳述論」はフランス語学にも貢献できる重要な考え方なので、また別の場所で取り上げたい。

「フランス語100講」こぼれ話 (2) ─ フランス語の発音異聞

 先日、何気なくNHK・Eテレのフランス語講座を見ていたら、出演していた若いフランス人男性が、impressionismeを「アンプレショニム」、japonismeを「ジャポニム」と発音していたので仰天した。語尾の-ismeは「イスム」と濁らずに発音するのが決まりのはずだ。

 教室では綴り字の –s- は前後を母音字で挟まれたときだけ [z] と濁ると教わる。たとえば maisonは「メゾン」で、désertは「デゼール」だ。子音字と隣り合ったときは、veste 「ヴェスト」、dessert「デセール」のように濁らない。テレビの若いフランス人が –ismeを「イズム」と濁って発音したのはおそらく英語の影響だろう。

 最近、次のようなことも耳にした。来日したフランス人の言語学者が、linguistiqueを「ランギスティック」と発音したというのだ。フランス語の綴り字の –guiはふつう「ギ」と発音する。languir「ランギール」、guide「ギード」などがそうである。しかし、aiguille「エギュィーユ」、linguistique「ランギュィスティック」など少数の語では「ギュイ」[ɡɥi] と発音する。フランス人の言語学者が「ランギスティック」と発音したのが英語の影響によるものかどうかはわからない。英語でlinguisticsは「リングゥィスティックス」と発音し、「リンギスティックス」ではないからである。

 確かに発音は時代とともに変化する。たとえば綴り字の –oiは、もともとはローマ字どおりに「オイ」と発音していたのだが、時代とともに変化して、次は「ウェ」となった。絶対王政をよく示す有名な L’État, c’est moi.「朕は国家なり」という言葉を、ルイ14世は「レタ セ ムェ」と発音していたはずである。古い文章を見ていると、半過去形の avaisがavoisと綴られていることがあるが、これは当時の読み方の名残りである。その後、-oiは現在の「ウァ」[wa] へと変化した。

 だから –ismeも将来「イズム」と発音するのがふつうになるかもしれないが、未来のことは誰にも予言できない。国語学の泰斗金田一春彦先生が若い頃、「東京山手方言(標準語)のガ行鼻濁音はいずれ消滅するだろう」と書いたことがある。しかし、その後、何十年経っても鼻濁音はなくなることがなかった。金田一先生は、「言語の未来は予測できない」と反省したという。フジテレビの「めざましテレビ」の軽部真一アナウンサーが見事なガ行鼻濁音を出しているのを聞くにつけ、確かにそのとおりだと痛感するのである。

    *        *         *

 フランス語を学ぶ人を悩ませるもののひとつにリエゾン (liaison) がある。読まない子音字で終わる単語の次に母音で始まる単語が来ると、読まないはずの子音字を読むようになるという現象である。次の例ではlesの語尾の –sを「ズ」と読むようになる。

 

 les「レ」+enfants「アンファン」→ les enfants「レザンファン」

 

 なぜこのようなややこしい規則があるかというと、それはフランス語が母音連続 (hiatus)を嫌う言語だからである。(注1)フランス語では、[子音+母音+子音+母音]のように開音節(注2)が並ぶのを好む。もしリエゾンをしなければ「レアンファン」となり、「エア」と母音が続いてしまう。これを嫌うので語尾の-sを「ズ」と発音して母音連続になるのを避けるのだ。

 無音のhで始まる語はリエゾンするが、有音のhで始まる語はリエゾンしないとも習う。ややこしいのは無音・有音と言いながら、どちらのhも発音しないことである。無音のhと有音のhの区別はフランス語の歴史にさかのぼる。

 フランス語の親であるラテン語では、紀元ゼロ年頃にはすでにhを発音しなくなっていたと言われている。homo「人間」は「オモ」だったわけだ。このようにラテン語由来の語が無音のhで、その意味は「ラテン語ですでに無音となっていたh」ということである。しかし5世紀頃に始まるゲルマン民族の大移動で、フランク族がやって来た。ゲルマン語はhを強く発音する。ゲルマン語から流入したhache「斧」、haie「生垣」、hanche「腰」などの単語の頭の hはやがて黙字となったが、発音していた歴史のせいで、今でも子音字扱いされてリエゾンしないのである。

 母音・無音のhで始まる単語でも、数詞のhuit「8」やonze「11」はリエゾンしない。toutes les huit heures「8時間ごとに」は「トゥート レ ユイ トゥール」で、les onze garçons「その11人の少年」は「レ オンズ ギャルソン」と発音する。数は重要な情報なので、数詞であることをはっきりさせるためにリエゾンしないのである。un enfant de huit ans / de onze ans「8歳 / 11歳の子供」のようにエリジヨンもしない。

 有音のhについては謎がいくつかある。haut「高い」はラテン語のaltusから来ていてゲルマン語由来ではない。しかし形容詞では珍しく有音のhなのは、ゲルマン語の hohの影響とされている。もっと不思議なのは héros「英雄、主人公」だ。これもラテン語の herosから来ているのに有音のhとされている。Le Bon usageなどの文法書に書かれている説は、リエゾンして les héros「レゼロ」(英雄たち)と発音すると、les zéros「レゼロ」(役立たず、能なし)と混同されるからというものである。どうやらこの説の源はヴォージュラ(Claude Fabre de Vaugelas 1585-1650) らしい。(注3)17世紀に一人の文法家が唱えた説が今でも引き継がれているのは驚くべきことだ。この説が正しいかどうかは神のみぞ知るである。

 ヨーロッパ統合によってフランスの通貨のフランがユーロになったせいで、フランスで買い物をする日本語話者には新たな問題が生じた。deux euros「2ユーロ」とdouze euros「12ユーロ」の混同である。eurosが母音字始まりなので、deux eurosは「ドゥーズューロ」とリエゾンする。するとdouze eurosとの発音のちがいは –eu– [ø]-ou- [u]の差だけになり、発音し分けるのはとてもむずかしい。誤解を避けるには、deux euros, deux、douze euros, douzeと deux, douzeを繰り返すのがいいだろう。カフェで給仕が注文を厨房に伝えるときにも、deux cafés, deuxと数字を繰り返すことがあるが、それと同じやり方だ。

 リエゾンについてはおもしろい思い出がある。フランスにZ’amino「ザニモ」という動物の形をしたビスケットがある。この製品名はリエゾンに関する子供の誤分析に由来する。子供は類推により次のように誤って言葉を句切る。

 

 les crayons 「レ・クレヨン」(鉛筆)

 les animaux「レ・ザニモ」(動物)

 

 子音字始まりの単語で「レ」が定冠詞だと理解し、それを母音字始まりの単語にも当てはめて、「動物」の複数形は「ザニモ」だと考えるのである。

 フランスの幼稚園に通って半年ほどになる当時5歳の娘が、家族で南仏を旅行していたときに、「次はどこのノテルに泊まるの?」とたずねるのを耳にして驚いた。これも子供がよくやる誤分析である。

 

 un crayon「アン・クレヨン」(鉛筆)

 un hôtel「アン・ノテル」(ホテル)

 

 子音字で始まる単語に不定冠詞の単数形が付くと、「アン・クレヨン」となる。それを母音字で始まる単語にも当てはめると、-nのリエゾンがあるので「アン・ノテル」と聞こえる。そこから「ホテル」の単数形は「ノテル」だと考えるのである。フランスに滞在して半年にしかならない子供が、類推によって新しい言語を習得していく姿を目の当たりにするのはとても印象深い体験だった。

 

(注1)最近、ハイエイタスというロックバンドがいることを知った。ハイエイタスは hiatusの英語読みである。

(注2)開音節とは ma 「マ」のように母音で終わる音節のこと。but「ビュット」のように子音で終わる音節を閉音節という。

(注3)『フランス語覚え書き』Remarques sur la langue françoise, 1647.

「フランス語100講」第6講 人称代名詞 (3)

第6講 人称代名詞 pronom personnel (3)

─ 自立形人称代名詞は人も物もさすのか

 

 1・2人称は話し手と聞き手をさすので、moi, toi, nous, vousが人をさし、物をささないのは当然です。(注1)しかし3人称の代名詞は先行詞があれば、人だけでなく物もさすことができます。では自立形のlui / elle / eux / ellesが物をさすことはあるのでしょうか。ほとんどの文法書はこの点について沈黙しています。また文法書で挙げられている例文は人をさす例ばかりです。

 

 (1) Les plus heureux ne sont pas eux.

   最も幸せな人は彼らではない。

          (目黒士門『現代フランス広文典』白水社)

 (2) On parle de lui pour la présidence.

  大統領候補に彼の名があがっている。

        (Grevisse, M. , A. Goose, Le Bon usage, Editions Duculot)

 (3) Il ne pourrait pas vivre sans elle.

  彼は彼女なしでは生きていけないだろう。

        (六鹿豊『これならわかるフランス語文法』NHK出版)

 

 3人称の自立形が人ではないものをさす例が見つからないわけではありません。

 

 (4) Nous ne voyons pas les choses memes ; nous nous bornons, le plus souvent, à lire les étiquettes collées sur elles.   (Henri Bergson, Le rire)

私たちは物自体を見ているのではない。たいていは物の上に貼り付けられたラベルを読むことで済ませている。

 (5) … les nations se trouvent nécessairement des motifs de se préférer. Dans la partie perpétuelle qu’elles jouent, chacune d’elles tient ses cartes.

               (Paul Valéry, Grandeur et décadence de l’Europe)

どんな民族にも他の民族より自分たちのほうが優れていると考える根拠がある。民族どうしがお互いを較べあう際限のないゲームでは、どの民族も切り札を握っているのだ。

 (6) La liberté est une valeur primordiale. Nous combattons pour elle.

   自由はかけがえのない価値である。私たちは自由のために戦っている。

 

 しかしよく見ると、(4)でellesが指しているのは les choses「事物」という意味がぼんやりした単語ですし、(5)では les nations「民族」は抽象名詞である上に、擬人化されて人間のように扱われています。(6)は私が作った例ですが、これも擬人化の匂いがします。

 一方、次も作例ですが、自立形が具体物を指すのは難しいように見えます。(*印はその文が非文法的であることを表す)

 

 (7) Hélène trouva une souche dans la clairiaire. *Elle s’assit sur elle pour se reposer.

         エレーヌは森の中の空き地に切り株を見つけた。彼女は休むためにそれに腰掛けた。

 (8) *Il a sorti un couteau de sa poche et a épluché une pomme à l’aide de lui.

         彼はポケットからナイフを取り出すと、それを使ってリンゴを剥いた。

 

 朝倉季雄『新フランス文法事典』(白水社)のsoiの項目を見ると、自立形は物を指すのにふつうに用いられると書かれており、次のような例文が見つかります。

 

 (9) tous les maux que la guerre entraîne après elle

   戦争がその後に引き起こすあらゆる災害

 (10) Les fautes entraînent après elles les regrets.

      過ちは後で後悔を招く。

 

 しかしこの例文はどちらも ellesがさしているのは entraîner「引き起こす」という能動的動作の主体で、多分に擬人化されていますし、さしているものも la guerre「戦争」、les fautes「過ち」のような抽象名詞です。

 同書のluiの項目には、「àde以外の前置詞とともに用いられた自立形は原則として人を表すが、物について用いられる場合もまれでない」と書かれていて、その条件が次のように示されています。

① 前置詞の副詞的用法が不可能か、俗用となる場合

J’apercevais au sommet d’un monticule herbeux une haute tour, semblable au donjon de Gisors et je me diregeais vers elle.

草の茂った小さな丘の頂きにGの城の主塔に似た高い塔を見つけ、そのほうに向かっていった。

② 前置詞が sur, sous, dans, au-dessus de, auprès de, autour deなどならば、これに対応する副詞 dessus, dessous, dedans, au-dessus, auprès, autourを用いて、事物を表すlui, eux, elle(s)を避けるのが普通

Ce siège est solide, asseyez-vous dessus.

この腰掛けはしっかりしています。これにお掛けなさい。

 

 順番を逆にして②から見たほうがわかりやすいです。surは前置詞で、ふつう sur la chaise「椅子の上に」のように後に名詞を必要とします。一方、surと意味の上で対応する dessus「その上に」という副詞があり、これは後に名詞を必要としません。ですから次のようなペアを作ることができます。

 

 (11) Il s’est assis sur la chaise.

   彼は椅子の上に座った。

 (12) Il s’est assis dessus.

   彼はその上に座った。

 

 (12)のように副詞を使うことで、Il s’est assis sur elle.を避けるというのが②の趣旨です。やはりla chaise「椅子」のような具体物に自立形を使うのは避けるべきとされているのです。

 上の①が述べているのは、避けられないときに限って、しかたなく具体物に自立形を用いるということです。たとえば次の例のように前置詞avecを副詞のように使うのは俗用とされています。

 

 (13) Il a pris son manteau et il est parti avec.

         彼はマントを取り、それを着て出かけた。(『小学館ロベール仏和大辞典』)

 

 やはり自立形代名詞は人をさすのが原則で、物をさすのは他にやり方がない場合に限られるのです。

 アントワープ大学のタスモフスキー教授も同じ意見です。(14) のように動詞の支えがなく単独で用いられたとき、自立形は必ず人をさすと述べています。たとえば、自分の自動車 (ma voiture) が思いがけない場所にあるのを見つけたときでも、自動車に自立形elleを使うことはできません。(14 b) のように指示代名詞のçaを使うそうです。(14 a) のようにするとelleは人をさすことになります。

 

 (14) a. Elle, ici ! 彼女がここにいるなんて。

            b. Ça, ici ! これがこんな所にあるなんて。

 

【人称代名詞の指示傾斜】

 人称代名詞についてここまで見てきたことをまとめると、次のようになります。○はさすことができる、×はさすことができない、△は微妙を表しています。

 

 (15)  主格 ─ 直接目的格 ─ 間接目的格 ─ 自立形

  人   ○            ○                    ○        ○

  物   ○            ○                    △        ×

 

 ここから次のような一般化を導くことができるでしょう。

 

 (16) 動詞にとって中核的な文法役割では、代名詞は人・物の区別をしない。

   文法役割が周辺的になるにつれて、代名詞は人をさす傾向が強くなる。

 

 「動詞にとって中核的な文法役割」とは、主語と直接目的補語のことです。ちょっとカッコ良くこの一般化を「人称代名詞の指示傾斜」と呼んでおきましょう。

 人称代名詞がさすものについて、なぜこのような傾斜が見られるのでしょうか。前にも少し書きましたが、日本語とは異なり、フランス語は人と物をあまり区別しません。同じ動詞や形容詞を人にも物にも使うことができます。

 

 (17) Jacques a marché des kilomètres sous la pluie.[Jacquesは人]

   ジャックは雨の中を何キロも歩いた。

 (18) Cette machine à laver a dix ans, mais elle marche encore bien.[洗濯機は物]

   この洗濯機は買って10年になるが、今でもよく動く。

 (19) Sa mère est morte il y a cinq ans.[お母さんは人]

   彼女のお母さんは5年前に亡くなった。

 (20) Cette ampoule est morte.[電球は物]

   この電球は切れている。

 

 人と物を区別しないという特徴は、(17)〜(20)に挙げた主語の場合と、次に挙げる直接目的補語に強く表れます。

 

 (21) La chaleur a abattu Jean.[Jeanは人]

   暑さでジャンは参ってしまった。

 (22) Ils ont abattu le mur de leur maison.[壁は物]

   彼らは家の壁を取り壊した。

 

 これはなぜかというと、フランス語の構文の基本は動詞の持つ他動性(仏 transitivité, 英 transitivity)を軸として組み立てられていて、他動性で中核的な役割を果たすのが主語と直接目的補語だからです。

 もう少しわかりやすく説明してみましょう。フランス語の構文の基本は、主語Aが動詞の表す動作・行為を通じて、直接目的補語Bに何らかの変化を引き起こすという図式です。フランス語では多くの出来事をこの他動性の図式で捉えて表現します。

 

 (23) Cécile a mangé une pomme.

   セシルはリンゴを食べた。

 (24) La rouille a mangé la grille.

   錆で鉄柵が腐食している。

 (25) Cette voiture mange trop d’essence.

   この車はガソリンを食いすぎる。

 

(23)ではセシルがA、リンゴがBで、「食べる」という行為がAからBへと及んでいます。(24)では錆がAで鉄柵がBで、ほんとうに食べるわけではありませんが、まるで食べるかにように腐食させると表現しています。(25)では自動車がA、ガソリンがBで、自動車はまるで大食いの人みたいにガソリンを消費すると言っています。このような他動性の図式では、AがBを変化させるということだけが大事で、AやBが人か物かは問題にされません。

 一方、間接目的補語ではちょっと事情が違います。〈A─動詞─à B〉という図式を当てはめると、(26)では le directeur「部長」がA、sa secrétaire「秘書」がBですが、tenir à〜「〜に執着する」という行為は間接目的補語である秘書さんに何か影響を及ぼすわけではありません。(27)でもAのPierreはBの「計画」にたいして「あきらめる」という行為をするのですが、それによってBの「計画」が変化することはありません。

 

 (26) Le directeur tient à sa secrétaire. Ça se voit.

   部長は秘書の女性にご執心だ。見え見えだよ。

 (27) Pierre a renoncé à ce projet.

   ピエールはこの計画をあきらめた。

 

 つまり間接目的補語では直接目的補語ほど動詞の表す行為が対象に及ばないので、「AがBに何かをする」という他動性の図式からすると、間接目的補語はこの図式から少し外れたものになるのです。

 状況補語になるとそれはいっそうはっきりします。

 

 (28) Les enfants jouent dans le jardin.

   子供たちは庭で遊んでいる。

 

 子供たちが遊ぶことで庭が何か変化することはありません。多少花壇が踏み荒らされるかもしれませんが、それは語用論的推論でjouerという動詞の意味には含まれていません。

 このように他動性の図式でどれだけ中核的な役割を果たすかを図式化すると、次のような階層が得られます。

 

 (29) [主語・直接目的補語]>[間接目的補語]>[状況補語などその他]

 

 このような他動性の階層が (15) で示した人称代名詞の指示傾斜の原因だと考えられます。

 しかし、教室での授業でここまで説明するのは難しいでしょう。フランス人の友人にたずねてみると、*Elle a trouvé une chaise et s’est assise sur elle. [elle=la chaise]はだめで、〜s’est assise dessus とするのがよいという答がすぐに返って来ました。〈前置詞+具体物を指す自立形〉が使えない場合もあることには授業で触れてもよいかもしれません。

 

(注1)野菜のなぞなぞで、Je pousse dans la terre. Je sers à faire des frites. On peut me faire en purée.「僕は土の中で育つよ。僕はフライにするけど、ピュレにしてもいいよ」のように、ジャガイモが擬人化されている場合はもちろん別である。

(注2)Tasmowski-De-Ryck, Liliane et S. Paul Verluyten, “Linguistic control of pronouns”, Journal of Pragmatics 1 (4), 1982

「フランス語100講」第5講 人称代名詞 (2)

第5講 人称代名詞 (pronom personnel) (2)

 

 前回は接辞代名詞である主格 (je, tu, etc.)、目的格 (me, te, etc.)についてお話しました。今回取り上げる話題は残る強勢形人称代名詞です。

 

【強勢形という呼び名は適切か】

 前回「強勢形」という呼び名は音声の特徴に着目した名称で、統語的振舞いを反映していないので、あまりよい呼び名ではないと書きました。ではどういう呼び名がいいのでしょうか。「自立形」と呼ぶ人もいます。接辞とはちがって、動詞から離れて自立的に使うことができるからです。「離接形」(forme disjointe)と呼ぶ人もいます。Moi, je suis d’accord.「私はOKですよ」のように文から離れた位置で使うこともあるからです。同じ理由から「遊離形」(forme détachée) と呼ぶ人もいて、呼び方はまちまちです。

 言語学では他の語にくっついて使われる形態素を「拘束形態素」(英 bound morpheme)、他の語にくっつかず単独で使えるものを「自由形態素」(英 free morpheme)といいます。それにならえば強勢形人称代名詞は「自由形」とでも呼ぶのがよいのでしょうが、これだと水泳の泳ぎ方の一種とまちがわれかねないので、ここでは「自立形」としておきましょう。

 

【自立形人称代名詞はどんなときに使うのか】

 接辞代名詞と自立形の代名詞の用法はほぼ相補分布(distribution complémentaire)の関係にあります。つまり、接辞形が使える場所では自立形が使えず、接辞形が使えない場所で自立形を使う補完関係にあるということです。接辞形を使う主語・直接目的補語・間接目的補語の位置では自立形は使えません。これらは言語学では「項」(英 argument)と呼ばれていて、動詞が完全な意味を持つために必須の要素とされています。意味的・統語的に動詞と密接な関係のある項の位置には接辞代名詞が用意されているのです。次の各ペアのb.が示すように、この位置では自立形は使えません。

 

 (1)   a. Je vais bien. 私は元気です。(主語)

           b. *Moi vais bien.

 (2)   a. Claire n’est pas là ? Je la cherche depuis une heure.(直接目的補語)

             クレールはここにいませんか。1時間前から探しているんですけど。

           b. *Je elle cherche depuis une heure.

 (3) a. Jeanne ne vient pas. Je lui ai dit de venir ici à dix heures.(間接目的補語)

        ジャンヌは来ないな。10時にここに来るように言ったのに

         b. *Je elle ai dit de venir ici à dix heures.

 

 ただし、いつくか例外があります。自立形の3人称のlui, elle, eux, ellesは、接辞形に代わって主語になることができます。この場合、主語に多少の強調が置かれます。

 

 (4) Lui au moins soutient notre proposition.

       少なくとも彼は私たちの提案を支持してくれている。

 

 またなんらかの文法的理由によって接辞形が使えないときには、他にしようがないので自立形を使います。次の例 (5) は ni… ni…によって等位接続しているケースです。否定される項目を並べた ni… ni…は動詞の後に置かなくてはならず、接辞形のme, teは使えないので自立形を使います。

 

(5) Carine n’aime ni toi ni moi.

    キャリーヌは私も君も好きじゃないんだよ。

 

 またne…queによる制限では「Aだけ」のAは必ずqueの後に置かなくてはならないので、この場合も接辞形は使うことができず自立形を使います。

 

 (6) Carine n’aime que toi.

        キャリーヌが好きなのは君だけだ。

 

 以上のことは間接目的格でも同じです。

 

 (7) Sandrine ne parle ni à toi ni à moi.

         サンドリーヌは君にも私にも話さない。

 (8) Eléonore n’a parlé qu’à toi.

         エレオノールは君にしか話さなかった。

 

 今まで見てきたのとは逆に、接辞形の代名詞が使えないところでは自立形を使います。それは主に次のような場合です。

 

 (9)[属詞]Qui est là ? — C’est moi.

        「そこにいるのは誰ですか」「私です」

 (10)[前置詞の目的語]Venez avec moi.

          私といっしょに来てください。

 (11)[形容詞・副詞の比較級のqueの後]

            Pierre est plus fort que moi au tennis.

           ピエールはテニスで私より強い。

 (12)[同格]Xavier, lui, m’approuvera.

           グザヴィエなら私の意見に賛成してくれるだろう。

 (13)[aussi, non plus, autres, seulなどとともに]

            Je suis fatigué. — Moi aussi.

         「私は疲れました」「私もです」

            Lui seul est venu.

            彼だけが来た。

 (14)[動詞を省略した文で]

            Qui m’aidera ? — Moi.

      「誰が手伝ってくれる?」「私」

 (15)[関係節が付くとき](注1)

            Il est déjà huit heures. Et moi qui n’ai pas fini de me maquiller !

            もう8時だわ。なのにまだお化粧も終わっていないなんて。

 

 上の例の自立形代名詞を名詞に置き換えると、(9) C’est Paul.「ポールです」、(10) Venez avec Hélène.「エレーヌといっしょに来てください」、(11) Pierre est plus fort que Nicolas au tennis.「ピエールはニコラよりテニスが強い」などとなり、自立形代名詞はふつうの名詞と同じ場所で使えることがわかります。

 また (9) から (15) で自立形が使われているのは動詞と密接な関係を持たない場所です。たとえば (10) はavec moiを取り去って Venez.「いらっしゃい」だけでも十分使えます。接辞形が動詞と結びつきが強い「項」の位置で用いられ、動詞と融合してしまうのにたいして、自立形が用いられるのは「項」ではない周辺的な場所なのです。(注2)

 

luiyのどちらを使うか問題】

 英語と比較したときに、フランス語の人称代名詞の大きな特徴は、3人称で人と物を区別しないという点にあります。英語では人を指す he / sheと物を指す itを区別しますが、フランス語ではil / elle は人に物にも使われます。目的格のle / laも同じです。

 

 (16) Jacques ? Il s’occupe de ses enfants. [人]

            ジャックですか。子供たちの世話をしています。

 (17) Ma voiture ? Elle est garée dans la cour.[物]

            私の車ですか。中庭に駐めてあります。

 (18) Sandrine ? Je l’ai vue à la bibliothèque.[人]

            サンドリーヌですか。図書館で見かけましたよ。

 (19) Mon vélo ? Je l’ai vendu à un ami.[物]

            私の自転車ですか。友達に売りました。

 

 しかしこのことが言えるのは人称代名詞の主格と直接目的格までです。間接目的格になると、事情が少しちがいます。多くの文法書では人称代名詞 lui / leurは人を指し、物を指すときには中性代名詞のyを用いると書かれています。たとえば朝倉季雄『新フランス文法事典』(白水社)には、「à qn (=quelqu’un), à qch (=quelque chose)のどちらも伴い得る動詞では lui, yで人・物が区別される」(p. 293)と書かれていて、次のような例文が挙げられています。

 

 (20) Il m’a écrit et je lui ai répondu.

            彼は私に手紙をくれたので、私は彼に返事を書いた。

 (21) Cette lettre était insolente, je n’y ai pas répondu.

            その手紙は無礼だったからそれには返事を書かなかった。

 

 répondre「返事をする(書く)」という動詞は、人に返答するときも、手紙に返事を書くときも使えて、間接目的補語は人・物の両方が可能なので、多くの文法書の例文として使われています。白状すると私も『フランス文法総まとめ』(白水社)では安易にこの動詞を使っていまいました。

 ただし朝倉文法事典の記述には続きがあります。「多くは、〈à+人〉を補語とする次の動詞は、luiが人を表すと解される恐れのない場合には、物についても lui, leurを用い得る」とあり、物でも lui / leurを取ることができる動詞が並んでいます。次はその一部です。

            comparer「比較する」、consacrer「捧げる」、donner「与える」、

   ôter「奪う」、 rendre「返す」、nuire 「損なう」、demander「要求する」、

           obéir「従う」、etc.

 

 そして次のような例文が挙げられています。

 

 (22) La lune baignait la salle et lui donnait une blancheur aveuglante.

            月の光は一面に差しこみ、部屋はまばゆいばかりに白かった。

 (23) De plus en plus, les machines nous commandent, et nous leur obéissons.

            ますます機械は我々に命令し、我々はその言うままになる。

 

 これとは逆に人なのに yを使う場合もあります。次の例ではyは後に置かれた à ton lieutenantを受けています。

 

 (24) Tu y penses toujours, à ton lieutenant ?

            相変わらず思いつめているの、例の中尉さんのことを。

 

 これはどういうことなのでしょうか。実はこれは大変ややこしい問題なのです。多くの文法書に書かれている「3人称の間接目的補語では人には lui / leurを、物にはyを使う」というのは、教育的な配慮からうんと単純化したものなのです。

 多くの研究者がこの問題に挑みました。元神戸大学教授の林博司さんは、「受影性」と「主題性」による説明をしています。(注3)「受影性」とは影響を受ける度合のことです。

 

 (25) Laisse donc tes chaussettes. Tu va leur faire des trous.

            靴下をいじくるのはやめなさい。穴をあけてしまいますよ。(注4)

 (26) Il y tient toujours, à cette fille. (注5)

            彼はこの娘にあいかわらずくびったけだ。

 

 (25)は物なのにleurが、(26)は人なのにyが使われています。それは「穴をあける」が影響の大きなこと、つまり「受影性」が高く、一方「執着する」は相手にほとんど影響を与えません。つまり「受影性」が高いとlui / leurが使われる傾向にあり、「受影性」が低いとyが使われるというわけです。

 これにたいして元西南学院大学教授の西村牧夫さんは、間接目的補語の「自立性」で説明しようとしています。(注6)

 

 (27) Frapper la balle de biais de manière à lui imprimer un movement de rotation sur elle-même.

            ボールが回転するように斜めから打つ。

 (28) Votre description est trop sèche, ajoutez-y quelques détails.

            あなたの描写は味も素っ気もない。少しディテールを加えなさい。

 

 どちらも間接目的補語は物ですが、(27)では打ったボールはその後自立的に回転するのにたいして、(28)ではあなたの描写は何かを加えられるだけで、自立性がありません。同じ物でも自立性が高いときは lui / leurが、低いときはyを使うというのが西村さんの説明です。

 以上の分析を総合すると、lui / leurは間接目的補語がさすものの個体性が高く、自立的に動くことができたり、動詞の表す行為によって影響を受けやすいものをさすときに使われると言えそうです。自立性が高く影響を受けやすいものの典型は人です。一方、yはもともとは J’habite à Paris. 「私はパリに住んでいます」→ J’y habite.「私はそこに住んでいます」のように、場所を表す副詞的代名詞ですので、場所のように状態性が強く自分では動かず、また動詞の表す行為によって影響を受けにくいものをさすと考えられます。その典型は場所や物です。しかしその境界線は微妙でグラデーションをなしていて、「ここまでは lui / leurでここからはy」のように、はっきり線引きできるものではないようです。

 実は今回の講義は、lui / leuryの使い分け問題に決着を付けるためのものではありません。目的は別のことなのですが、だいぶ長くなりましたので、次回にお話することにします。                     (この稿次回につづく)

 

(注1)ただし次のような場合には接辞代名詞に関係節を付けることができる

           i) Je l’ai vu qui pleurait. 私は彼が泣いているところを見た。

 これは J’ai vu Paul qui pleurait.の直接目的補語 Paulを代名詞化したもので、関係節は擬似関係節である。これについては別のところで改めて扱う。

(注2)(9)の属詞(英文法では主格補語)は取り去ってしまうと *C’est.となり、非文法的になってしまうので、コピュラ動詞êtreに必須な項とする考え方もある。

(注3)林博司「『à+名詞句』を受けるy とluiについて — フランス語におけるdatifとlocatif」、大橋保夫他『フランス語とはどういう言語か』駿河台出版社、1993.

(注4)文意を考えて日本語訳は原文とは異なるものにした。

(注5)例にしやすいように例文を少し変えた。

(注6)西村牧夫「間接補語y vs à lui vs lui」、東京外国語大学グループ《セメイオン》『フランス語を考える ─ フランス語学の諸問題 II』三修社、1998.

 

 

「フランス語100講」第4講 人称代名詞 (1)

第4講 人称代名詞 pronom personnel (1)

 

 フランス語の人称代名詞をまとめて次の表に示します。

 

                           主格 直接目的格 間接目的格 強勢形(自立形)

1人称単数            je (j’)    me (m’)      me (m’)          moi

2人称単数            tu         te (t’)           te (t’)               toi 

      男性   il         le (l’)           lui                   lui

3人称単数  女性   elle      la (l’)           lui                  elle

      不定   on                                                  soi

1人称複数           nous     nous            nous             nous

2人称複数           vous     vous            vous              vous

3人称複数  男性    ils        les               leur               eux

     女性    elles    les              leur               elles

 

onをどこに入れるか問題】

 上の表がふつうの文法書とちがうのは、3人称単数に不定のonを置いているところです。ふつうon は不定代名詞 (pronom indéfini) とされています。しかしonは人称代名詞に含めたほうがよいのです。(注1)その理由はいくつかあります。

 

《理由その1》

 他の不定代名詞の quelqu’un, quelque chose, chacun, ne… rienなどは主語だけでなく、他の文法役割でも使われます。

 

 (1) Quelqu’un est venu.  [主語]

        誰か来ました。

 (2) J’ai vu quelqu’un dans le jardin.  [直接目的補語]

       庭に誰かいるのを見ました。

 (3) Ça ne sert à rien.  [間接目的補語]

      そんなこと何の役にも立たない。

 

 しかしonは主語としてしか使えません。

 

 (4) On peut être heureux et triste en même temps.

  人には嬉しいと同時に悲しいことがある。

 

《理由その2》

   onは (5) のように疑問文では動詞と単純倒置します。単純倒置とは、主語代名詞と動詞の順序を入れ替えて、間にハイフンを置くことをいいます。onが (6) の主語人称代名詞と同じように単純倒置することは人称代名詞の仲間であることを示しています。

 

 (5) Arrive-t-on bientôt à la gare ?

   まもなく駅に着きますか。

 (6) A-t-elle été en Chine ?

        彼女は中国に行ったことがありますか。

 

 他の不定代名詞は (7) のように複合倒置しなくてはなりません。複合倒置とは、主語 (quelqu’un)をいったん代名詞 (il) で受けて、代名詞と動詞を倒置することを言います。フランス語では英語とはちがって、Is the president sick ?「大統領は病気ですか」のように主語の名詞 (the president)と動詞 (is)を倒置することはできません。このことはon以外の不定代名詞が普通の名詞と同じ部類に属することを示しています。

 

 (7) Quelqu’un est-il venu ?

   誰か来ましたか。

 (8) *Est-quelqu’un venu ?

 

《理由その3》

 これは根拠というよりは利点というべきですが、onを人称代名詞の表に含めておくと、強勢形のsoiをうまく教えることができます。教科書では強勢形の人称代名詞の表にsoiは含まれておらず、触れる機会がないこともままあります。(注2)

 

 (9) On a souvent besoin d’un plus petit que soi.

  人は自分より小さいものの助けが要ることままもある。

 

【接辞代名詞と自立代名詞のちがい】

 上の表にまとめて示した人称代名詞は大きく二つのグループに分かれます。1人称単数を例にとると、主格 (je) / 直接目的格 (me) / 間接目的格 (me)がひとつのグループをなし、強勢形 (moi)だけが別になります。

 ちょっと横道に逸れますが「強勢形」という呼び名について少し触れましょう。強勢形人称代名詞はフランス語では pronom personnel toniqueといいます。toniqueというのは「強勢がある」という意味で、これにたいして主格・直接目的格・間接目的格の代名詞はpronom personnel atoneと呼ばれます。atoneとは「強勢がない」という意味です。

 英語では主語人称代名詞の にも強勢を置いて次のように言うことができます。

 

 (10) I dit it.(他の人ではなく)私がやったんだ。

 

 しかしフランス語ではこれはできません。主格の je に限らず、目的格の me にも強勢は置けないのです。ですからatoneと呼ばれているのです。

 これにたいして強勢形は次のような場合に使います。(11)では属詞として、(12)では前置詞とともに使われています。

 

 (11) C’est moi.  それは私です。

 (12) Viens jouer avec moi.  私と遊びにおいで。

 

 フランス語では強勢(アクセント)は英語ほど強くはなく、リズム・グループ(注3)の最後に置かれます。(11)や(12)で moi はちょうど強勢が落ちる位置にあり、このために強勢形と呼ばれるのです。このように強勢形というのは音声に着目した呼び名で、文法書でふつうに使われていますが、あまりよい呼び名とは言えません。それはこの代名詞の文法的な振る舞い、少しむずかしく言うと統語的実態を表していないからです。

 統語的に見ると、主格・直接目的格・間接目的格は接辞代名詞(仏 pronom clitique / 英 clitic pronoun)と見なされます。接辞というのは言語学の用語で、独立して使うことはなく、他の語にくっついて使う小さな記号のことをいいます。たとえば名詞の接頭辞で「再び」を表す ré- / re-などがそうです。redescendre のように、動詞の前に付いて「再び降りる」という意味を作ります。

 これと同じように、Je crois que oui.「私はそうだと思う」/ Il me déteste. 「彼は私を嫌っている」/ Elle me téléphone.「彼女は私に電話する」のように使われた人称代名詞も接辞なので、必ず動詞といっしょに使われます。

 「動詞にくっついていない。離して書かれているじゃないか」と思った人も多いことでしょう。そのとおりですね。アンドレ・マルチネ André Martinet (1908〜1999)という高名な言語学者は、je mange「私は食べる」のようにjeとmangeを離して書く習慣になっているが、ほんとうはjemangeと続けて書いた方がよいと言いました。卓見だと思います。それほど主語人称代名詞と動詞は緊密に結びついているのです。この結果、次のようなことが起こることに注意しましょう。

 

《その1》

 接辞代名詞は動詞と隣り合った位置でしか使えません。(13)は動詞の前にあり、(14)では疑問倒置されていますが、動詞のすぐ後にあるのでOKです。しかし(15)のように動詞から離れてはだめです。(注4)

 

 (13) Je pense, donc je suis.

          我思う、故に我あり。(Descartes)

 (14) Que sais-je ?

         私は何を知っているというのか。(Montaigne) 

 (15) *Paul gagne plus que je.

        ポールは私より稼いでいる。

 

 英語の人称代名詞は接辞性が弱く、自立性が強いので、(16)のように動詞から離れた場所でも使えます。しかし は主語人称代名詞なので、英語の授業ではつじつまを合わせるために「〜 than I (do)のようにdoが省略されている」と説明することが多いですね。

 

 (16) Paul earns more that I. ポールは私より稼いでいる。

 

《その2》

 接辞である人称代名詞は動詞と強く結びついているために、他の語が間に入ることができません。たとえば英語では often、always、seldomなど頻度を表す副詞は、(17)のように主語と動詞の間に置くのがふつうです。しかし、(18)でわかるようにフランス語ではこれはできません。(19)のように副詞は動詞の後に置きます。

 

 (17) I often go to school on foot. 

           私はよく学校まで歩いて行きます。

 (18) *Je souvent vais à l’école à pied.

 (19) Je vais souvent à l’école à pied.

           私はよく学校まで歩いて行きます。

 

 複合時制を作るavoir / êtreなどの助動詞は、(20)のように主語代名詞と動詞の間に置かれているように見えますね。しかし複合時制では助動詞が動詞の役割を果たしていて、過去分詞 atteintはいわば動詞のミイラとなって動詞としての特性を失っています。ですから nousは新たに動詞の役割を引き受けたavonsの前で使われているのでOKです。

 

 (20) Nous avons atteint le sommet.

          私たちは頂上に到達した。

 

 この原則の例外は (21)の否定辞のneと、(22)のlaや (23)のenなどの他の接辞代名詞です。enは中性代名詞と呼ばれていますが、人称代名詞と同じく接辞代名詞の仲間です。

 

 (21) Je n’aime pas les chats. Ils sont capricieux.

           私はネコがきらいだ。ネコは気まぐれだ。

 (22) Nicole ? Je l’ai vue ce matin au bureau de poste.

          ニコルですか。私は今朝郵便局で見かけましたよ。

 (23) Tiens, il y a un serpent. J’en ai peur.

          ほら、ヘビがいる。僕はヘビが恐い。

                         (この稿次回につづく)

 

(注1)『フランス文法総まとめ』を書いたときは、他にはない独創的な見解だと思っていたのだが、朝倉季雄『新フランス文法事典』(白水社)に、「一般に不定代名詞の1つとみなされるが、これを主語人称代名詞の中に加えることができる」(p. 344)と書かれていることに後で気づいた。また倉方秀憲『倉方フランス語講座 I 文法』(トレフル出版、2023)にも、「onは不定代名詞と呼ばれる品詞に分類されますが、動詞の主語として用いられる代名詞という点では主語人称代名詞と同じです」(p. 42)と書かれている。

(注2)朝倉季雄『新フランス文法事典』(白水社)では、soionではなく、再帰代名詞seの強勢形とされている。目黒士門『現代フランス広文典』(白水社)でも同じ見解を採っている。しかしながら、seil / elleの再帰代名詞でもあるが、特定の人を指すil / ellesoiは使わないので、そこにいささかの齟齬が感じられる。

 ちなみのsoionだけでなく、plus d’un(一人ならずの人々)、personne … ne (誰も〜ない)、tout le monde(みんな)、quiconque(誰でも)などの不定代名詞の強勢形としても使われる。 

  i) Tout le monde dit du bien de soi.

        誰しも自分のことをよく言うものだ。

 したがってsoionだけの強勢形ではなく、先行詞が不定のときや、le respect de soi(自尊心)のように先行詞が表現されていないときに用いるとするほうがより正確である。

(注3)リズム・グループ (groupe rythmique)の定義は難しいが、統語的・意味的に一つのまとまりをなす語群をさす。統語的には句(仏 syntagme、英phrase)に対応することが多い。次の例では / / がリズム・グループの境界を表す。

 i) / Il est à la maison. /

          彼は自宅にいる。

 ii) Un grand homme / n’est pas toujours / un homme grand.

        偉大な人は背が高いとは限らない。

(注4)公的文書などでは次のように人称代名詞jeを動詞から離して用いる例がある。

   i) Je soussigné, Président de l’Université de Paris VI– Sorbonne, certifie que…

        私、パリ第4大学ソルボンヌ校の学長は〜であることを証明する。

 これはjeなどの人称代名詞が強勢を持つことがあり、自立的に使われていた古フランス語の名残りである。