第396回 小原奈実『声影記』

あぢさゐの天球暮れて風わたる世のうちそとよ髪ほどきたり

小原奈実『声影記』

 紫陽花は短歌で好まれる素材だ。梅雨の時期に咲く代表的な花であり、土壌のPHによって花の色が変化するところや、球形の花の形といった特徴が好まれる理由だろう。掲出歌では紫陽花の花を天球に喩えている。「天球」「風わたる」「世のうちそと」という言葉の連なりが宇宙規模の空間の広がりを感じさせる。切れ字の助詞「よ」で詠嘆した後に、「髪ほどきたり」という身体的な描写を置くことで、前半の空間の広がりと結句の個人的空間の対比が表現されている。結句だけが日常的な描写で、残りは天空を翔るがごとき高踏的な歌である。この高踏性が小原の短歌の持ち味だ。

 『声影記』は多くの人が待ち望んでいた小原の第一歌集である。平成21年(2009年)の第55回角川短歌賞において「結晶格子」50首で佳作に選ばれたときは弱冠18歳であった。それから16年経過しての第一歌集は遅いデビューと言えるだろう。版元は港の人。社の方針で帯を付けないないので帯文はなく、栞文もなくて、あとがきはわずか8行、プロフィールも2行という素っ気なさである。これほど素っ気ない第一歌集は珍しい。第一歌集はいわば歌人としてのデビュー戦なので、親しい歌人に栞文を依頼し、結社の主宰が解説を寄せることも珍しくない。そういうことを一切しないところに小原の歌人としての矜恃を感じる。「作品がすべて」ということだろう。ちなみに歌集題名の「声影」は声と姿形という意味だという。

 私は第56回角川短歌賞において小原の「あのあたり」50首が次席に選ばれたときに、その短歌の質に喫驚して本コラムで取り上げた。前年の第55回角川短歌賞では「結晶格子」で佳作に選ばれているが、小原自身もこの連作には満足していなかったようで、本歌集では「注がれて細くなる水天空のひかり静かに身をよじりつつ」という歌だけが、「天空」とタイトルを変えて収録されている。ちなみに「あのあたり」は「鳥の影」と改題されて本歌集に収録されているが、数えてみると21首しかないので残りの29首は捨てたのだろう。

 目次を見ると、「蘂と顔」は2012年の「詩客」、「声と水」は『本郷短歌』第2号 (2013)、「時を汲む」は第3号 (2014)、「光の人」は第4号(2015)、「静水」は第5号 (2016)に出詠した連作で、「鳥の宴」は同人誌『穀物』の創刊号(2014)、「野の鳥」は第2号 (2015)、「錫の光」は第3号 (2016) に掲載された連作であることが確認できる。あとがきには2008年から2021年までに製作した304首を収めたとあり、多少の前後はあってもほぼ編年体で編まれた歌集だと思われる。

 とはいうものの捨てられた歌も少なくない。批評する側から言わせていただくと、歌集巻末に初出一覧を付してもらうとありがたい。初出掲載誌に当たって、どの歌を採りどの歌を捨てたかを確認できるからである。また改作の有無も確認できる。初出の形と歌集掲載時の形との異同は作家研究の常道である。どの歌を捨てたか、また歌をどのように書き換えたというところに、作者の隠れた資質を覗うことができるからだ。

 さて、小原の歌の特質はどのあたりにあるのだろうか。歌集の中ほどからランダムに引いてみよう。

ざくろ割れば粒ごとに眼のひらきゆき醒めてかをれる果実のねむり

朴の葉のすみやかに落つみつむれば白くれゆく氷雨の昼を

遠ければひよどりのこゑ借りて呼ぶそらに降らざる雪ふかみゆく

朝の陽は硬く充ちゆき蜘蛛の糸に触れて切らざる指のしじまを

冬鴉空のなかばを曲がりゆきひとときありてとほく来るこゑ

 まず最初に注目されるのは文語(古語)を自在に操る巧みさである。小原の文体の基本は文語・旧仮名遣で、口語(現代文章語)や話し言葉が混じることはまずない。それは文語・旧仮名を詩の言葉と認識し、日常の言葉と厳格に区別しているからだろう。現代の若い歌人が口語や話し言葉で短歌を作るのは、そのほうが自分の気持ちを歌に乗せやすいからだ。今の自分の気持ちを表すには、今の言葉の方が適している。これを逆に考えると、小原が口語を選ばないのは、歌を詠む目的が自分の気持ちを表すことにはないからということになる。短歌を自己表現の手段と見なすか否かによって、決定的なちがいが生ずる。短歌で自分の今の気持ちを表現したい歌人が求めるのは〈共感〉である。「わかる、その気持ち」、「そういうことってあるよね」というボタンを読者に押してほしいのだ。小原はそういう歌人ではない。では〈共感〉を求めない歌人が歌を作るのは何のためか。それは言葉の湧き出す深く暗い泉から言葉を汲み上げ、それを玄妙な順序に配置することによって、見たことのない世界の断片をこの世に生み出すことにある。小原の短歌が高踏的というのは、このように意味合いにおいてである。

 一首ごとに鑑賞すると長くなるので、上に引いた一首目のみ触れる。秋に実り皮がばっくり割れた柘榴の赤い実が割れ目から覗いている。その様を「粒ごとに眼のひらきゆき」と表現するのは、柘榴の実の一粒一粒を眼球に見立てているのである。そうして眠りから覚めることによって、果実は芳醇な香りを放つようになるという。これは写実ではない。柘榴の実の粒は眼球ではなく、果実が目覚めることもなく、香りはすでに漂っているからである。柘榴を写実的に描写することが小原の短歌の眼目ではない。柘榴という素材を弾機として、そこに開かれる思惟によって知的に構築された抽象世界を描き出すことこそが、小原の目的なのではないだろうか。

 歌に詠まれているのが知的構築であることがとりわけよく感じられるのは、三首目・四首目に見られる否定形である。三首目では「そらに降らざる雪ふかみゆく」とあり、雪は降っていないのだから深くなることもないはずだ。しかし「降らざる雪」と否定されたとしても、雪の存在は否定の彼方に揺曳する。四首目の「糸に触れて切らざる指」では、蜘蛛の糸に指が触れても切れることはないのに、否定の向こう側に切れた指の残像がちらつく。そのメカニズムは定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」という歌で、何もない秋の夕暮れの彼方に非在の花と紅葉が現出する様と同じである。小原が駆使しているのはこういう業なのだ。

 小原が得意とするもう一つの業を見てみよう。

切り終へて包丁の刃の水平を見る眼の薄き水なみだちぬ

枝ながら傷みゆくはくもくれんの花に花弁のかげ映りゆく

身にかろくかかりそめたる夕闇のほつるがごとく黒揚羽ゆく

脚ほそく触れたるおもてせきれいの重量ほどに砂緊りたり

空のくち享けたるごとき水紋のひらきつつゆくひとつあめんぼ

 一首目は第56回角川短歌賞の評でも触れた歌で、私はこの歌に接した時に文字通り驚愕した。包丁の刃を水平にして見たとき、眼の角膜の表面をわずかに覆う涙が波立つというのである。そんなことありえないし、もしあったとしても見えるはずがない。二首目では花に花弁の影がさし、三首目では揚羽蝶の飛ぶ様が夕闇がほつれるようだと言い、四首目ではセキレイが舞い降りた地面の砂がわずかにへこみ、五首目ではアメンボの脚が作る小さな水紋が、天空と対峙するかのごとき大きさに描かれている。セキレイが砂の上に降り立つと、確かに理論上はセキレイの体重分だけ砂はへこむだろう。しかし小鳥は軽いのでそのへこみは感じられないほどわずかのはずだ。だからこれらの歌が描いているのは、まるで写実のような衣裳をまとった虚構である。それを「幻視」と呼びたい誘惑にかられるが、小原の資質はそれとはやや異なる。これはいったん要素にまで分解してから、知的に再構築され直した世界なのだ。小原のたぐい稀な資質は「世界を微分するまなざし」だと言えるだろう。

 したがって、小原が作り出す歌は自分の気持ちを伝える歌ではない。そのような意味での「自分の気持ち」などというものは、どこを探しても見当たらない。小原の歌の中には近現代短歌が前提とする一回性の〈私〉の表現はない。それに代わってこれらの歌の背後に感じられるのは、世界を分解したのちに再構築するメタ的な〈私〉の存在である。そのような文脈で考えると、小原の短歌は近現代短歌よりも王朝時代の古典和歌の世界により近いと見ることもできるだろう。かつて佐佐木幸綱は、古典和歌の特徴は「抽象性」「観念性」「普遍性」にあるとしたが、小原の歌はここからそう遠くない場所で紡がれているように思う。

 医学生の日常に想を得た歌や、「きみ」が登場する数少ない歌や、小原の歌の「くびれ」のなさや、鳥への偏愛振りなどまだ論じたいことはたくさんあるが、そんなことをしていたら止めどなく長くなるので、山のような付箋の付いた中からいくつか引いて稿を閉じることにしよう。

梅雨の日を濡れざるままの木陰にてこの世の時の過ぎなづみをり

雲の上の空深くあるゆふぐれにひとはみづからの時を汲む井戸

梨裂きて梨のかたちの刃の痕を空ひろき日の昼餉となせり

みひらけどみえぬさくらよちりゆけば息つまるまでけはひみつるを

きぬのごとく骨のごとくにひらきたるからすうりこの紺のゆふべを

 『現代短歌』86号(2021)の特集「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」において、川野芽生はもっとも影響を受けた一首に小原の歌を選び、かつて本郷短歌会の歌会で自分の歌には一票も入らず、小原の歌がトップ票だったことを回想し、もしそんなことがなければ自分はこれほどまでに短歌にのめり込むことはなかっただろうと述懐している。そんな小原の待望の第一歌集である。必ずや世の高い評価を受けることだろう。


 

第395回 本多稜『時剋』

くれなゐの薔薇の一輪胃の底に咲かせたるわが戒めの神

本多稜『時剋』

 掲出歌は歌集の巻頭歌で、「二〇二二年八月二日 健康保険組合診療所」という詞書がある。あとがきによれば、医師からの呼び出しを受けて胃カメラ検査をしたところ、胃の底に咲きかけの薔薇のような腫瘍が発見されたという。著者の長く辛い闘病生活の始まりである。臓器の病変を花に喩えるのは、「肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は」という岡井隆の先例がある。本多の脳裡にもこの歌が揺曳したことだろう。若い人のために付け加えておくと、岡井の歌に詠まれているのは肺尖カタルといい、結核の初期症状の古い呼び名である。岡井は結核の専門医だった。結核は当時は難病だったので、告げる言葉がたわむのである。

 本多稜は短歌人会所属の歌人。『こどもたんか』(2012)を勘定に入れなければ、『時剋』は第五歌集にあたる。歌集題名の「時剋」は「時刻」の表記がふつうで、流れてゆく時の一瞬を意味する。病を得た著者には一瞬一瞬の時間がかけがえのないものだという思いから付けられた題名だろう。本多の歌集では、第一歌集『蒼の重力』と第三歌集『惑』を本コラムで取り上げている。東直子が寄せた帯文に、「一冊の歌集を、こんなに息を飲むように一気に読んだのは初めてだった」とあり、確かに息詰まるような闘病歌集である。

 世界を股に掛けるビジネスシーンの最前線で働き、スキューバダイビングをするかと思えばボルネオで登山するという行動派の歌人が、まさか壮年で発病するとは夢にも思っていなかっただろう。あとがきによれば、他の臓器への浸潤が見られたため、外科手術により胃を全摘し、膵臓と脾臓の一部も切除したという。癌治療の用語で浸潤とは、原発巣の周囲の臓器に癌が拡がることをいい、血流などによって離れた臓器に発生する転移とは区別される。本歌集は編年体で編まれた闘病記である。引用では省くが、多くの歌に日付が付されており、時間が重要な要素になっている。 

ほんたうに胃の腑切られてしまふのか夏季限定のメニューを頼む

ひたに死に向かふ細胞身の内にあれどなずきはなんにも出来ず

聞きたくても聞けず言ひたくても言へず未だリンパ腫か癌かわからず

好きなことを好きなだけやつてきたんだろ アスファルトに転がるアブラゼミ

玉子焼き鮭の塩焼き白ごはん何といふ明るさよ入院の朝

 術前に詠まれた歌である。病気に罹患した人はなべて、「よりによってなぜ私が?」という疑問に捕らわれて混乱する。心はあっちへこっちへと揺れ動く。三首目にあるように、検査では癌の種類が特定できず、術後の病理検査によって末梢性T細胞リンパ腫という血液の癌であることが判明したという。癌と診断された人は、四首目のように半ば自暴自棄に陥ることもあるだろう。知り合いの医者から聞いた話では、癌と告げた途端、病院から逃げ出す患者もいるそうだ。現実を受け止めきれないのだ。やがて五首目のように入院し手術を受けることとなる。

海溝の闇の深みに降りにしかおぼろげながら麻酔より醒む

辛うじて点滴棒にしがみつき砂浜這ひて行く海亀よ

生きることそのものを生きる目標にせざるを得ぬのかと思ふまで

洗面台が今はゴールぞ肉落ちて点滴棒に縋りて進む

つぶし粥にかき玉汁をいただきぬ胃を取りしより四日目にて

 臓器を摘出された身体は筋肉が衰えて体を支えることができなくなり、点滴のスタンドを頼ってかろうじて移動する有様である。五首目は術後ずっと点滴で命を長らえていた著者が初めて口にする食事の歌。さぞかし身体に染み渡ったことだろう。

熟したる桃の繊維を押しつぶす舌のよろこび病みて知りたり

葉月とはかういうことか伸び上がり夏のみどりが夏空を吸ふ

健常を捨てし身体は死ぬるまで一日ひと日を花と思へよ

噛みつぶす固形物蕪のそぼろあん進化遂げたるごとき心地ぞ

白粥とともにしみじみ箸に分け歯にほぐしゆく鰈の煮付

 一首目と二首目は術前の歌。人は病を得て初めて健常の尊さを知り、命の横溢する夏の自然に深く感じ入る。術後の歌に四首目や五首目のような食べ物の歌が多いのは、長らく口からの食事を断たれていたからで、味わって口から食事ができることの有り難さが溢れている。

 癌の外科手術を受けた後には、必ず抗癌剤の投与が行われる。乳癌などではこれに放射線照射が加わる。このセットが現在の標準治療である。抗癌剤は活発に細胞分裂している部位に作用するので、毛根・爪の付け根・腸粘膜・骨髄の造血細胞などが攻撃され、脱毛・爪の黒ずみ・吐き気・白血球の減少・貧血などの副作用が現れる。しかし近年優れた吐き気止めが開発されたり、副作用を抑える薬ができて、ずいぶん症状は軽減されているようだ。次の歌のように薬品名が詠み込まれると、まるで古代宗教の呪文のような効果すら感じられる。実際に患者には効果がわからないので、呪文と変わらない。術後に長い治療期間が続くのが癌の苦しいところだ。 

吐き気止めグラニセトロン静脈に入りぬCHOPの前哨として

オンコビンその冷たさに驚きぬCHOP先鋒血に混ざりゆく

狂ひたりわが細胞へ点滴のエンドキサンの祖は糜爛剤

 驚くのは作者の術後の体力の回復ぶりである。次に引いた一首目には「十一月二十七日 三鷹市民駅伝」、二首目には「三月十九日 板橋Cityマラソン」、三首目には「七月二十八日 奥秩父縦走」という日付と詞書が添えられている。

腹ひらきし日より七十四日経ちなんだかんだと駅伝も終ふ

三〇kmを過ぎたる辺りへとへとを抜いてにこやかなるに抜かれつ

水音の束を掴んで渡渉せり雨を含める道につづきぬ

 もちろん本人のたゆまぬ努力もあるのだろうが、さすがに世界中を飛び回るビジネスパーソンにして体力自慢のスポーツパーソンだけあって、駅伝やマラソンに出場して完走し、山岳を縦走するという猛者ぶりである。

 本歌集はすでに述べたように闘病の記録である。古典和歌とは異なり、近代短歌の時代を迎えてから生老病死、つまり生きてやがて老い、病に罹って死を迎えるという人生のひとつひとつの局面が短歌の重要な主題となった。主題性は近現代短歌の大きな特徴である。なかでも病は短歌において大きな位置を占める主題である。病と聞いてすぐに頭に浮かぶのは小中英之だろう。

昼顔のかなたえつつ神神の領たりし日といづれかぐはし

                   『わがからんどりえ』

黄昏にふるるがごとく鱗翅目りんしもくただよひゆけり死は近からむ

今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅

                       『翼鏡』

 一首目の歌集題名の「からんどりえ」(calendrier)はフランス語でカレンダーのこと。宿痾を抱えた小中が自らの死を見つめる視線は透明にして清澄で、唯一無二の境地に達している。絶唱の名にふさわしかろう。

 『時剋』は闘病記であり、作者はこのような形で歌を残しておくことに一定の意義を見出したからこその出版だろう。病と闘う歌の真実性が読む人の心に迫って来るのはもちろんなのだが、私は歌集のをちこちに挟み込まれている次のような写実の歌に特に心惹かれるのである。 

われが問ひ父が答ふるまでの間をゆたかに草の虫たち鳴けり

ひつじつかみ田から剥がせば針金のごとき稲の根陽に輝けり

大麦は列を崩さず芽を出しぬ畝踏みし子の足跡からも

咲きながら乾びし冬のくれなゐの薔薇を撫でつつ日の落ちゆけり

沖に向かひヒルギの大群駆け出せり引き潮なればその脚あら

 二首目の「穭」とは、刈り取った残り株からまた生えて来た稲のこと。闘病歌は自分の病状を詠むためにどうしても説明的になりがちで、それはやむを得ないことである。しかし病を離れて身辺や自然を詠んだ歌には的確な写実があり、また著者ならではの力強さもある。このような歌がまるで長い旅路の里程標のごとく歌集の随所に打ち込まれていることに心打たれるものがある。

 本多が作歌に託す思いは次のような歌によく表れている。 

一首作りわが細胞を一つ増やすがんに取られたら取り返すべく

歌かつて翼なす羽根なりにしを今は張るべき根としてわれに

 「文学は人を救うか」というのは答えるのが難しい問題である。その答はひとまず措いて、短歌が作者にとって杖となり道標となっていることはまちがいない。

 作者が歌集題名の「時剋」に寄せる思いは次の歌が雄弁に語っている。 

止まらせるなよ終点を思ふなら手繰り寄せよ溢れさせよ時間を 

 薬石の効あらたかなるを願い本復を祈るばかりである。


 

第394回 井上法子『すべてのひかりのために』

ひまわ  言い止したままゆっくりとあなたは蝶の影を追い越す

井上法子『すべてのひかりのために』

 2013年の第56回短歌研究新人賞で次席となり、第一歌集『永遠でないほうの火』(2016年)で鮮烈なデビューを果たした井上の第二歌集である。版元は第一歌集と同じ書肆侃侃房。反転文字と花弁を配した白い表紙が瀟洒で美しい。小野正嗣が帯文を寄せており、あとがきによれば井上の恩師だそうだ。小野は仏文学者で、NHKのEテレの日曜美術館のキャスターを務めていたので顔を知る人も多いだろう。井上は東京大学大学院総合文化研究科の博士課程で学んでいるが、小野が恩師ということは専攻はフランス文学なのだろうか。もしそうだとしたら同業者ということになり、仏文歌人には菅原(安田)百合絵という先達がいる。詩人の石松佳と歌人の服部真里子が栞文を寄せている。いずれもなかなかの力作で、特に服部の文章は井上の短歌世界を理解する指針となりそうだ。

 『永遠でないほうの火』の評で私は、井上は詩の技法で短歌を作っているという趣旨のことを書いた。その印象は第二歌集でも変わらない。現代の若手歌人の中で井上は最も詩の領土に近い人だと思う。本歌集を一読した印象では、その度合いは第一歌集と較べてさらに増している印象を受ける。

もう一度きり瞬いて花びらを、せめて香りを抱きとめて ゆけ

ふりかえれば薔薇の園ごと消えていて、ひかりのなかに立ち尽くす風

そこが海だと匂いでわかるくるしさを ふるさともふるきずもかみひとえ

ほら、ぼくら無傷でやる瀬ないけれど…ほら。めいっぱい咲けば此岸を

だからこそ教えてくれるこの生を綴じられるのは物語イストワール 、と

 五首目のイストワールはフランス語のhistoireで、「歴史」と「物語」のふたつの意味がある。英語では historyとstoryに分かれたがもともとは同じ単語である。

 こういう短歌を目の前にして、どのように読めばよいのかとまどう人もいるだろう。近代短歌の作法とはずいぶんちがう作り方をしているからだ。近代短歌の王道は生活実感に根ざした写実である。

缶ピース長髪下駄履き思草寮まだ何者でもなかった私

       篠原俊則 朝日歌壇 2022年8月14日

 思草寮とは愛知大学の昔の学生寮らしい。かまやつひろしの「我が良き友よ」を彷彿とさせる弊衣破帽の青春で、歌の主な感情は懐旧の念だ。この歌は人生の一時期を描いていて、「人生派」もしくは「生活派」短歌のひとつの典型である。私たちは人生を生きる間にさまざまな喜びや悲しみや悔しさを味わう。それを短歌という形式を通して表現し昇華する。それは文学の果たす大きな役割である。

 しかし別の道を辿って短歌に出会うこともある。それは言葉自体が発する磁力に感応するという道である。それはたとえば次のような歌を読むときに誰しもが襲われる印象ではないか。

硝子街に睫毛睫毛のまばたけりこのままにして霜は降りこよ 浜田到

 具体的な場面や歌の意味は十分にわからないままに、一首が硬質の光を帯びて輝いているように感じられる。そのような印象はどこから来るのだろうか。

 言語の大きな役割は意味の切り分けと伝達である。切り分けはちょっと横に置いておいて、意味の伝達に着目する。言語の役割が相手に何かを伝えることにあるというのはまず確かなことだろう。伝達機能の典型は新聞の言葉である。新聞の言葉は情報を正確に読者に伝えるべく磨かれている。無駄な言葉はそこに入る余地はない。しかし言葉の機能はそれに留まるものではない。

 フランスの詩人・評論家のポール・ヴァレリーの「詩と抽象的思考」という作品は、詩の発生を論じた文章としてよく知られている。ヴァレリーはその中で次のように述べている。煙草を吸おうとしたがマッチがない。近くにいる人に Avez-vous du feu ?「火をお持ちですか」とたずねる。相手は私に火をくれる。私が発したAvez-vous du feu ?という言葉の役割はそこで終わる。意味の伝達が達成されたからだ。しかし私の言葉はそこで終わらず、まだ生き延びたいと願う。私もその言葉を何度も繰り返して聴きたいと望む。意味が終わったところに生じる言葉のもう一つの生、それが詩だとヴァレリーは言う。

 意味が終わった言葉に何が残るのか。ひとつは音、つまりリズムや韻律である。Intel inside.というCMは頭韻を踏み、その日本語版の「インテル、入ってる」は脚韻を踏んでいる。しかしそれだけではない。単語が発散するイメージや、他の言葉と親和性のある結びつきや,硬い単語やくだけた単語といった語感や、共感覚など、狭義の意味に回収されないものは他にもある。このような要素が複雑に絡み合って言葉の持つ磁場が生まれる。それを重んじるのが「コトバ派」の歌人である。井上は穂村弘を通して塚本邦雄の短歌を知ったという。塚本はコトバ派歌人の典型だ。井上の短歌はこのような背景のもとに読むのがよいと思われる。

 では上に引いた一首目の「もう一度きり瞬いて花びらを、せめて香りを抱きとめて ゆけ」をどう読むのか。「もう一度きり」という表現から何かの終わりが連想される。終焉を迎える何かがあるのだ。「瞬く」は人が目をぱちぱちすることか、星などがチカチカ光ることをいうが、ここには意味の未決定性があり、どちらか決めることができない。この浮遊感が嫌いだという人にはこういう歌は楽しめないだろう。「花びらを」は言いさしで止められており、花びらをどうするのかが明かされていない。ここにも未決定がある。「せめて」には何かの断念があり、「香りを抱きとめて」には相手に対する強い思いがある。そして一字空けの後で「ゆけ」の強い命令が何かを断ち切る意志を表す。終焉と断念と決意の渦巻く何かの物語が歌の背後に感じられ、すべてが過ぎ去った後に薔薇のほのかな香りだけが漂っている。そんな読み方はどうだろうか。

 本歌集でもうひとつ注目されるのは、言葉遊び的要素である。

さみどりにさやぐさざなみ 風は火を 火は運命をおそれず生きて

うつくしい海辺をもって生まれればうたげのごとく天涯孤独 

 一首目では「さみどり」「さやぐ」「さざなみ」とサ音の頭韻があり、二首目では「うつくしい」「海辺」「生まれれば」のウ音の頭韻と、「ごとく」「こどく」の類似音がある。このような歌は言葉が言葉を引き寄せることによって生まれる。このような技法は掛詞や序詞と同じく近代短歌が排除しようとしたもので、このあたりにも井上のコトバ派歌人の志向性が感じられる。

 2022年9月7日付けの東大新聞オンラインにかなり長い井上のインタビューが掲載されていて興味深い。その中で井上は何度も、私が言葉で世界を表現するのではなく、私は世界から言葉をもらう、私は仲介者にすぎないと述べている。また井上はかねてより、言葉だけの透明な存在になりたいとも言っている。井上の短歌において〈私〉の占める場所が極小なのはそのような理由によるのである。余談だが、「煮えたぎる鍋を見すえてだいじょうぶこれは永遠でないほうの火」という第一歌集のタイトルともなった歌が、IHコンロでおでんを煮ているときに吹きこぼれて、自動的にスイッチが切れたのを見て生まれた歌だというのはおもしろかった。

夜ごとひとつの詩を泡立たせしののめに届くひかりを。向こう岸まで。

眼裏まなうらにつきのひかりをたたえつつ夢のころもを着るわたしたち

いつかこの世を振り切るために書きのこすぼくらは星の面影を 死を。

立ち葵 希死はときおりきらめいてことばこぼれるまえのからだは

ゆめに ときに 銀の雨ふるなかをおもかげは影になる幾たびも

撫でられたあとかもしれずさざなみのきらめく模様すべからく、みな

はつなつの破れてひらく花の火の まだ末葉を知らないままの

 とりわけ美しく感じた歌を引いた。比較的意味が取れる歌も、そうでない歌もある。最後の歌の「末葉」は「すえば」とも「うらば」とも読むようだが、音数からして「まつよう」と読むのだろう。「すえば」は草木の茎の先のほうにある葉をさすが、「まつよう」は子孫の意のようだ。「はつなつの破れてひらく花の火の」は序詞のように置かれている。

 あとがきで井上は、「非人称の世界で育まれる読みの豊かさを、ことばの可能性を、わたしは信じています」と述べている。「非人称の世界」とは、この世に生きる生身の〈私〉を離れた世界ということだろう。「非人称」に遠くモーリス・ブランショ (Maurice Blanchot) の影を感じるのは私だけだろうか。

 

第393回 藪内亮輔『心臓の風化』

くちづけのたびに朽ちゆく遠い木をもついつからか死よりも遠く

藪内亮輔『心臓の風化』 

 昨年(2024年)八月に書肆侃侃房から上梓された著者第二歌集である。藪内の紹介はもはや必要ないと思うが、京大短歌会・塔短歌会に所属し、2012年に「花と雨」で満票を獲得して角川短歌賞を受賞。第一歌集『海蛇と珊瑚』(2018年)で現代歌人集会賞を受賞。2020年から角川短歌賞の選考委員を務めている。

 藪内の短歌を批評したもののなかでは、瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』(左右社、2021年)が抜群におもしろい。瀬戸によれば、藪内は並み居る年長歌人を唸らせる優等生としてデビューしたが、そのうち岡井隆の作風を丸バクリと見紛うほどに模倣した短歌を作り始めたという。

詩は遊び? いやいや違ふ、かといつて夕焼けは美しいだけぢやあ駄目だ

アルティメットチャラ男つて感じのきみだからヘイきみのなかのきみだらけヘイ

 「花と雨」路線を期待していた大人たちは失望したかもしれないが、極度に素直なのが藪内の美質だと瀬戸は言う。藪内は岡井の影響をたっぷり浴びた後に、元の基本路線に戻ったようだ。

 そこで本書である。版元の書肆侃侃房も本歌集を出版するに当たって、いささかの勇気が必要だったろう。本書には死が充満しているからだ。死が充満した書物は危険物である。詞書風の短い散文が添えられた第1部のWeatheringは、おそらくロシアによるウクライナ侵攻を機に作られたものだろう。ちなみにweatheringは英語で「風化」を意味する。

冬雨は靴を濡らしき みづからの骨ほどの本抱えてゆけば

凄惨な晩餐われら屍体のみ皿にならべてその皿の白

懐王は雲雨うんうと夢に契りたり淋しきぬかをゆめにあはせて

人類は原爆の花植ゑむとす撃つがはからはすべてが供花くげ

あなたは燃えて夕暮れしいす一本の桜、劫初ごうしょゆここでひとりで

 一読して意味の取りにくい歌もある。こういう歌を読むときは、選ばれた難しい単語が誘発するイメージと、そのイメージ同士が衝突して飛び散る火花を心に感じるのがよい。一首目はわかる。冬の雨に濡れながら、本を小脇に抱えて歩いている。それが字面の意味だ。しかし「みづからの骨ほどの」という喩の不穏さによって、場面は暗い方へと暗転する。二首目は家庭の夕食の場面だ。皿に盛られた肉も魚も見方を変えれば死体である。この歌の遠くには「夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿をのこして」という小池光の歌が響いている。私たちの生の不穏さを差し出す歌である。三首目の懐王は中国の楚の時代の王で、暗愚の王として知られている。朝は雲に夕には雨になる女性と夢の中で契ったという故事から、雲雨は男女の情交を意味するという。王の夢の儚さに心を寄せている。四首目の「原爆の花を植ゑむとす」は多少わかりにくいが、「原爆の花」はキノコ雲の喩で、「原爆の花を植えようとする」は原爆を落とそうとするという意味だろう。供花は仏前・霊前に供える花だから、全体として恐ろしい皮肉になっている。ここには核兵器の使用も辞さないことを匂わせたロシアのプーチン大統領の影が揺曳している。五首目の「弑す」は、臣下が君主を殺したり、子が親を殺したりすることを意味する。「劫初」はこの世の始まりのこと。読み下すと「あなたは一本の桜で、この世の初めからここに一人で立っており、夕暮になると燃え上がって誰か目上の人を殺す」というくらいの意味か。しかし意味だけ取っても興ざめだ。小高い岡に立つ樹齢百年を超す一本桜が満開を迎え、夕映えに燃え上がるように光っている光景を脳裡に思い浮かべるのがよろしかろう。

位置について よーい終はりのわたしたち とてもきれいなだけの夕暮れ

ぬひぐるみ身体全体縫はれをり縫はれねばならずまづ虚無を抱き

安置所モルグから引き出してくる自転車は骨ばかりにて矢鱈と光る

窓のの雨もやつれてくるころに死は訪れて身をかたうせむ

飛ぶ鳥は自らを打つ雨音をのみ聴くだらう死へ墜ちるまで

 かなり危険物の歌を引いた。一首目は私たちの生の短さを詠んだ歌で、生を徒競走に喩えている。それはいわば「位置について、用意」の次に「ドン」と言う前に終わるほどの短さということだろう。二首目、縫いぐるみは全身を針で縫われているが、その中心には虚無があるという。三首目の死体安置所は自転車置き場の喩だろう。自転車の骨は車輪のスポークのこと。四首目を読むとどうしても岡井隆の「生きがたき此ののはてに桃ゑて死もかうせむそのはなざかり」という歌を思い浮かべてしまう。このあたりには岡井の影響が色濃く感じられる。五首目は鳥の歌で、鳥は歌人に好まれる素材だ。この歌にも死が暗い影を落としている。

 かと思えば次のような美しい歌もある。

ひとびとは傘をわづかに傾けて咲かせてゆきぬ淡い雨へと

なみだまで届かなかつた表情で服にほの光る冬の釦を

刮目せよ一縷のたましひ草花はそれぞれの燃える生を俯き

秋昏れて訣れむとする胸と胸その断崖へ紅葉ちりやまぬ

この世には花を拾へばつめたさに雨を思へるゆびさきがある

未だなき季節のもとへ雨よゆけ足には薄きさくらばなしき

 これらの歌は「花と雨」路線そのもので、一読してうっとりするほどの美しさだ。しかしこのような歌ばかりで歌集を編むことができなかった理由はあとがきが明かしている。それによると藪内は高校生の頃からタナトフォビア(死恐怖症)に苛まれているという。やがて訪れる死とともに世界が消滅する恐怖に居ても立っても居られなくなる強迫神経症の一種である。

 確かに死は恐ろしい。深夜に目覚めて死の思いに取り憑かれる人は少なくなかろう。死の恐怖にどう対処するか。死の向こうにもう一つの生を信じる宗教を持っていればよいのだが、そうではない人のために腹案がふたつある。

 ひとつは物理学の質量保存則に訴える方法である。質量保存則とは、燃焼などの化学反応の前後で物質の総重量が変わらないという法則である。その理由は原子は不変だからだ(ただし、ウラニウムのように原子量が大きく自然崩壊する元素は除く)。私が死んで火葬に付されたとして、身体の70%を占める水は水蒸気となり、他の炭素や水素や窒素なども空気中に蒸散する。残った骨の主成分は炭酸カルシウム (CaCO3)である。それらの総量を加算すると生前の私の体重と一致する。空中に飛散した分子はやがて雨となり地上や海中に落下する。そして植物や動物に吸収されて他の生物の一部となる。私を構成する原子はひとつも失われることなくただ形を変えるだけだ。道端に咲いているタンポポの中に元は私の身体の一部だった原子があると想像すると楽しいではないか。

 もうひとつは生物学を援用するやり方だ。ペットとして人気があるハムスターの寿命は約2年と短い。それは個体を早く成熟させるためで、ハムスターは生後6ヶ月で出産可能になる。寿命を短くして子孫を多く残すという戦略を採用したのだ。種の繁栄のためには個体の早い死が必要とされる。死は生の一部としてあらかじめ組み込まれているのだ。それが生きるということの有り様である。

 私たちの身体を構成する細胞は常時分裂している。細胞分裂が早いのは、毛髪・爪・口内などの粘膜・腸壁などで、口の中にできた傷の治癒が早いのはこのためだ。骨も7年くらいで細胞が入れ替わっているそうだ。しかし細胞は無限に分裂することができない。細胞にはテロメアという回数券のようなものがあり、その回数券を使い切ってしまうとそれ以上分裂できなくなり、やがてアポトーシスを迎える。テロメアがあるのはおそらくDNAのコピーミスの蓄積を防ぐためだろう。このように生命の中には死がプログラミングされている。

 そのことをよく示す言葉を残したのが浄土真宗の宗教者である清沢満之きよさわまんし (1863〜1903)である。清沢は真宗大学(現在の大谷大学)の初代総長を務めた人だが、若い頃に当時は不治の病だった結核にかかり、死の恐怖と戦ううちに次のような思いに至ったという。曰く「生のみが我等にあらず、死もまた我等なり。」

 死が意味を持つためには、〈私〉を超えるものの存在を認めなくてはならないようだ。宗教ではそれは神であり来世で、物理学や生物学では自然を統べる大いなる原理である。そのことは短歌についても形を変えて当てはまるかもしれない。〈私〉を超えるものに向かって呼びかけるとき、短歌は大きな力を持つように思えるからである。

 

 

第392回 尾崎まゆみ『ゴダールの悪夢』

泰山木の白がなげきをおほふ歌おもひつつゆく海岸通

 尾崎まゆみ『ゴダールの悪夢』
 泰山木は両手を祈りの形に合わせたような白い花をつける。昭和初期の庭木としてよく植えられた。泰山木と棕櫚が植えられているのはその頃に建った住宅と見てまちがいない。海岸通は神戸の町の海沿いの道路で、かつての外国人居留地に接していたことから、貿易商社などが立ち並んでいた。確か昔、この通りにフランス領事館があり、留学する時にヴィザを申請に行った。健康診断が必要なので、紹介された医院に行くと、そこはとても病院らしくない怪しいビルの一室で、来ている人はほとんど外国人だった。たぶん船員だろう。海岸通りにはそんな思い出がある。

 なぜ白がなげきを覆う歌を思うのか。それは阪神淡路大震災で亡くなった人々と、生き残った人たちが受けた大きな被害を記憶しているからである。折しもこのコラムを書いている1月19日の二日前の17日は、大震災から30年経った記念日であった。TVでは一日中追悼番組を流していた。セレクション歌人『尾崎まゆみ集』に寄せた藤原龍一郎の解説「深き淵より」によれば、大震災が起きた1月17日は尾崎の誕生日だという。自分が生を受けたのと同じ日に町が壊滅的被害に遭うとは何という暗合だろう。第二歌集『酸っぱい月』は震災から3年後に刊行された鎮魂の歌集である。

破壊もまた天使であるとグレゴリオ聖歌が冬の神戸を駆ける

                    『酸っぱい月』

ペットボトルをみたす浄水わたくしの胸の屈折率のかなしみ

生きる重たさ今日の続きの黄昏にかならず墜ちて壊れる思ひ

 『ゴダールの悪夢』は2022年に出版された尾崎の第七歌集である。セレクション歌人『尾崎まゆみ集』を読んで本コラムの前身「今週の短歌」で批評したのが2004年のことだから、あれから20年近くの時が流れたことになる。大震災から30年近く経って刊行された本書にも鎮魂の思いは燠火のように消えていない。

白にまじれる赤のひかりはいのちなりルミナリエとは祈りであれば

眩しさのなかにわたしの踏みしめた瓦礫まみれのなつかしい街

誕生日ぬばたまの夢にうかびくる平成七年一月の街

火の匂する誕生日亜米利加の高速道路の毀れた写真

携帯とパソコンを買うメルアドは地震のときに欲しかったもの

 一首目のルミナリエは、震災の年の暮れから犠牲者を追悼するために開催されているイルミネーションである。四首目の「火の匂する誕生日」は、第一歌集『微熱海域』所収の「大杉栄、山口百恵、私の誕生日火の匂ひして」と響き合う。日本で携帯電話が爆発的に普及したのは1996年からなので、震災の年にはまだ携帯電話を持っていない人が多く、インターネットを介したパソコン通信もまだ普及していなかった。そういった当時の事情が思い起こされる。

 本歌集で一番多く詠まれている題材はまちがいなく「月」だろう。本歌集は「月の歌集」と呼んでもよいくらいだ。

生きものは匂もつもの真夜中の少女に月のにほひが染みて

おほぞらに月と呼ばれるもののかげあの三輪山の背後をてらす

ほのじろく透ける繊月爪の痕空をすうつとひらく傷口

蘭鋳らんちうのあぎとふ水にくずれつつ月の舟ゆふぐれにゆらめく

のりしろを剥がしてひらく記憶ありそこにも架かる上弦の月

煌めくは豆名月また栗名月クロスワードパズルを照らす

 上に引いた歌以外にもまだまだある。また第II章「水の愛撫」の冒頭には、「おほぞらの月のひかりしきよければ影見し水ぞまづこほりける」という『古今集』の歌が引用されていて、作者の月に寄せる思いが感じられる。六首目の豆名月と栗名月はどちらも陰暦9月13日の月をさすらしい。

 尾崎の歌に詠まれた月は、王朝和歌の花鳥風月の月を思わせつつも、そこには個人的な思い入れがあるように感じられる。それは三首目に見られるように、繊月せんげつや細い三日月が夜空が負った傷口のように見えるという見立てである。それは満月がほとんど詠まれていないことからも察することができる。夜空に開いた傷は神戸の街が震災で負った傷とも取れるが、私たちがいやおうなく生きて負う傷と取ることもできよう。四首目に詠まれたあぎとう金魚もstruggle of lifeの隠喩と見ることもできるかもしれない。

 本歌集を一読して気づくのは、絵画・彫刻・文学・音楽などの芸術作品に触発されて詠まれた歌が多いということである。

曲線をたもちつつ右のはうへとヴィーナスのしろい胸の骨格

アーモンド形の眸のテッツアーノあの肌色の白いほてりを

愚かとふ貴い徳のものがたり潤一郎の「細雪」には

L’Arc~en~Cielのゆらぎの声の網貂明朝てんみんてうの文字の妖しさ

ころがってゆくビー玉を追ひかけてシューベルトの「鱒」のメロディーの揺れ

愛はうしろに沈む誰かのかなしみを浴び花ひらくクリムトの絵も

なだめては歪みのなかにぜつぼうをエゴン・シーレの枯れた向日葵

手弱女としろき光の波のゆれ緑の日傘モネのよろこび

青空に沁みる紫陽花ヴィスコンティ「ヴェニスに死す」の蒼い感傷

 一首目はルーブル美術館を訪れた折の歌だろう。右へ回って鑑賞する〈私〉の動きが折り込まれている。見ているのはもちろんミロのヴィーナスだ。二首目のテッツィアーノはヴェネチア派の画家で、官能的な色使いが特徴。ヴェネチア派の絵画は日本ではほとんど見ることができないのが残念だ。四首目の貂明朝は、パソコンソフトで有名なAdobe社のタイポデザイナーの西塚涼子がデザインした字体である。字体のくねりとロックバンドL’Arc~en~Cielのボーカルの怪しい声のうねりを重ねている。五首目はシューベルト作曲のピアノ五重奏『鱒』の弾けるようなピアノの音を転がるビー玉に喩えた歌。六首目はウィーンで活躍した死と性愛の画家クリムト、七首目は少し年下で痙攣するような自意識の美を描いた画家のエゴン・シーレを詠んだもの。一昨年、東京都美術館でエゴン・シーレ展が開催されて日本でも人気が高まっている。八首目はモネの「日傘をさす女」の絵が題材で、九首目はヴィスコンティの名作映画『ヴェニスに死す』だ。ダーク・ボガードの演技とマーラーの交響曲が印象的だった。

 絵画などの芸術作品を題材として歌を詠むのはなかなか難しい。しかしクリムトやシーレの歌は作品世界に入り込んで成功している例だろう。尾崎の師の塚本邦雄も芸術作品に題を得た短歌をよく作っており、シャンソンを論じた『薔薇色のゴリラ』(1975年、人文書院)という本まであるくらいだ。尾崎の短歌にも掌編小説のような味わいがある。固有名を短歌に詠み込むと、固有名から立ち上る濃密な意味世界を召喚することになる。詳しくは本コラムの「固有名の歌」を見られたい。

指先は雛のこころのうらがはをなぞりつつはなびらのかたちに

白い足首のつめたさ擦れ違ふくれなゐの濃きペディキュアの爪

水なき空のみづを含んでゆれてゐる靄ふかく青空は遠くて

甦るいのちであれば玉蜻(たまかぎる)ほのかはぢらふくれなゐの芽は

なきがらは流れるままにアスファルトゆらめきに蟬の声のとろけて

右の眼にこれから先の愁ひなど左眼は過ぎた日日のゆらぎを

 本歌集の中で一番長く立ち止まった歌を引いた。これらの歌には第一歌集『微熱海域』以来よく見られる、定型を危うく外れそうになりながら、ぎりぎりの所で留まる韻律の揺れがあり、それが尾崎の短歌の魅力となっている。

 最後に一点だけ。第I章の最後の連作の題名が「白傷きらめく」となっているが、二首目は「まどろみをさそふ電車の窓の海の自傷きらめく傷跡の波」で、「白傷」と「自傷」とで漢字か違っている。「白傷」という言葉は聞き慣れないので、おそらく「自傷」のまちがいではないかと思うが、目次も「白傷」となっているのでわからない。

 

第391回 遠藤由季『北緯43度』

驟雨去り歩道にひらく反転の世界に深く蒼き空あり

遠藤由季『北緯43度』

 驟雨はにわか雨なので、季節は夏だろうか。雨があがると歩道に水溜まりができている。水溜まりは短歌ではにわたずみとも呼ばれていて、歌人に好まれる素材だ。水溜まりに青空が映っている。鏡像はふつうは左右が反転するが、水溜まりは水平で、それを斜めの角度から見ているので、上下が反転したかのように見える。水溜まりの中にもうひとつの世界がある。しかしこの歌に続けて「みずからの深きところにひろげたる蒼知らぬまま消える水溜まり」という歌が置かれていて、その世界はたまゆらのものだという認識がある。しかし翻って考えてみれば、私たちの生きているこの世界もそれほど永続的なものかという疑問が心をよぎる。コロナ禍のパンデミックを経験した今となっては、その問はそれほど馬鹿げたものとも思えない。

 『北緯43度』は遠藤の第三歌集で、2021年(令和3年)に上梓されている。遠藤は1973年生まれで歌林の会に所属しており、第一歌集『アシンメトリー』(2010年)、第二歌集「鳥語の文法」(2017年)がある。私は両方とも本コラムで取り上げているので、本歌集で三度目ということになる。意図して全部取り上げて論評しようとしたわけではなく、「次はどの歌集を読もうかな」と書庫を漁って自然にそうなっただけである。歌集題名の『北緯43度』は札幌の緯度で、彼の地を訪れた折の連作から採られている。版元は短歌研究社で、装幀は花山周子。あとがきによれば、『短歌研究』誌などに発表した短歌を中心にまとめたもので、二転三転して最終的に形となったのは新型コロナウィルスが蔓延する前の世界をパッケージしたものだという。確かに新型コロナのパンデミック以前と以後とでは、世界のあり方がずいぶん変わったと感じられるので、それ以前の世界をとどめておきたかったという作者の願いも無理からぬものがある。

 私小説というわが国特有の文芸形式を除けば、短歌ほど作者の人生が反映される文芸はない。それはひとえに明治時代の短詩型文学革新運動の結果、短歌は〈自我の詩〉となったからである。それによって近現代短歌は、花鳥風月の美意識と様式美が重んじられた和歌の伝統と別れることとなった。

〈御社〉へは膝上スカート穿いてゆけ不思議な呪い今もあるらむ

ストッキングと笑顔で氷河を渡らんと挑戦したり若きわたしは

おんなゆえ減点されたり墨染めのたそがれに咲いているゆうがお

久しぶりに給与を得たり皆人の得るべきという給与を得たり

この夏の母に受給の始まった年金われらにはしんきろう

苗字戻さず誰かと墓石を分かち合うこともなからむわたしの骨は

 作者の遠藤は第二次ベビーブーム(1971年〜1974年)の時代に生まれ、大学を卒業した頃は就職氷河期だった世代である。そんな時代を生き抜いて来た女性の姿が上に引いた歌によく現れている。一首目は入社試験の面接で、「御社」は試験を受ける会社を指す常套句。私は入社試験というものを経験したことがないのでわからないのだが、女子は膝上スカートを穿いて行けという暗黙のルールがあったのだろうか。二首目は就職氷河期世代の心意気を表す歌。四首目には「再就職」という詞書があるので、それまで勤めていた会社を辞めて再就職した折の歌だろう。五首目、母親は65歳となり年金受給が始まったが、自分たちの世代がその年齢を迎えたころに年金制度がどうなっているのかわからない。六首目を読むと、作者は離婚して苗字を旧姓に戻していないようだ。だから苗字の同じ元夫の墓にも、苗字が異なる親の墓にも入らないのだ。しかしそのような身の上を歌に詠みつつも、いたずらに嘆くことなく強く生きようとする姿勢が感じられる。

 文体は新仮名遣いの文語(古語)定型に口語(現代文章語)を取り混ぜたもので、川本千栄の言うキマイラ文語である。言葉の選び方と連接の手つきは揺るぎなく、読んで歌意がはっきりしない歌は一首もない。増音のほとんどはセオリー通り初句で行われていて、前衛短歌の遺産である下句での句割れ・句跨がりも非常に少ない。近代短歌の語法をしっかり守った歌風である。コトバ派の歌人は短歌文体の更新を目指すことがあるが、遠藤は人生派の歌人なのでそのようなことは目指さないのだろう。そのような歌風なので、毎日の暮らしのあらゆる場面が歌の素材となる。

血を分けた存在なれど他人の子 姪と子のなきわれの焼き肉

飢餓あるいは発熱により突然の別れとなりぬiPhone 6

夏風邪にからだは正直者となりうどんとプリンを食べたいという

この町には良いパン屋なしと思いつつそれから十年その町に住む

 作者には姉がいるらしく、一首目の姪はその姉の子で、いっしょに焼き肉を食べている。若い人には焼き肉が一番だ。二首目は愛用のスマホが突然故障した様を詠んだもの。三首目は夏風邪に罹ったときの歌。こういうときは誰でも喉通りのよい食べ物が欲しくなる。作者は無類のパン好きらしく、四首目のようにパンを読んだ歌が散見される。余談ながら京都人はパンが大好きで、私が住んでいる左京区はパン屋の激戦区である。このように日々の生活とともにある歌というのが、近現代短歌のひとつの典型的なあり方で、新聞の短歌欄に投稿される歌も同じ大陸の住人である。

 しかし遠藤の美質がこのような歌にあるかといえば、私にはあまりそうは感じられないのである。次のように叙景に徹した歌のほうが良いように思われる。

並べたる翡翠の色を夏の陽に磨かれアオスジアゲハは照りぬ

噴水のしぶきが風に散るたびに子らはひかりをくぐる幾度も

冬枯れのあめりかやまぼうし累々と分離帯からはみ出さず立つ

銅色に照りつつ蟬は啼いているしずかに閉じるまぶたの中に

一斉に藤の花房煽られて抜け道のような風を見せたり

 とはいえこれらの歌は単なる写生ではない。一首目では「並べたる」に蝶の羽根の模様がまるで翡翠を並べたようだという喩が折り畳まれていて、二首目では噴水の噴き上げる水がまるで光の煌めきのようだという把握がある。三首目の「累々と」は、同じものが連なる様を表すが、その他に志を得ない、あるいは元気をなくしている様も表す意味がある。街路樹の冬枯れのヤマボウシには分離帯をはみ出す気概がないのだ。四首目、啼いている夏蟬の叙景かと思えば、下句に至って実は歌の中の〈私〉は目を閉じていることが明かされる。五首目、藤棚に一陣の風が吹き抜けて開いた空間を抜け道と捉えている。このように写生に基づく叙景歌に気づきにくいほどの量の心情を織り交ぜるところに遠藤の真骨頂があるように思う

 歌集を読むと教えられることが多い。たとえば次の歌がそうだ。

よくきょうを光らせて発つ鳥だったドアミラー照り返したあの人

 小中英之に『翼鏡』という歌集があり、珍しい言葉なので小中の造語かと思っていた。遠藤の歌にもあったので調べてみたら、鳥の風切羽の一部で金属的な光沢があるのでそう呼ばれているという。何とも風雅な名称かと感心した。

キラルなるわれの両手で明日よりは煮炊きすさよなら化学薬品

キラル (chiral) はふつうの辞書には載っていない化学の専門用語である。ギリシア語の「手のひら」を意味する語に由来し、右手と左手のように重なり合うことのない鏡像異性体の分子構造をさす。遠藤は理科系の学問を学んだいわゆるリケジョなのだ。こういう歌をもっと作るとおもしろいだろうと思う。理系と短歌は実は相性がよいというのがかねてより私の持論である。

青みなきイルミネーション懐かしく銀座通りの電飾見つむ

 町を彩るクリスマスのイルミネーションに靑色がなかったのは、1993年に開発されるまで靑色のLEDがなかったからである。靑色LEDを開発した中村修二氏らはその後ノーベル賞を受賞することになる。こんな所にも理科系の視点が感じられる。

 最後に集中白眉の美しい歌を挙げておこう。

かもめ飛ぶ空から水面へ夜は垂れ沼の底まで暮れ尽くしたり

 ゆりかもめが飛ぶ千葉県北部にある手賀沼の風景である。「夜は暮れ」ではなく「夜は垂れ」とし、夕暮れが沼の底にまで及ぶ場面に想像を加えている。本来は詠嘆の意のない完了の助動詞「たり」にまで詠嘆が感じられるほどである。


 

第390回 太田二郎『季節の余熱』

生き延びることゆるされて耳寒し夜風に曲がる冬の噴水

太田二郎『季節の余熱』

 「ゆるす」にはふつう「許す」という字を使う。「許す」ならば「許可する」という意味で、やってよろしいとゴーサインを出すことである。「宥す」という字は、「まあよかろう」と大目に見ることを意味する。掲出歌の作者はどこかに生き難さを抱えている。しかしどういう成り行きか、まあ生き延びてもよかろうと寛恕を得て、いまだこの世に在るという思いを持っている。冬の夜の公園は無人である。ただ噴水だけが虚しく水を噴き上げていて、その水は吹きつける風に曲がっている。曲がる噴水が〈私〉の喩であることは言うまでもない。

 この歌集が私の目を引いたのは、塚本靑史が寄せた解題のせいである。それによると、太田が2016年に玲瓏に入会したとき、古株たちが「あの太田二郎」とどよめいたという。太田は1980年代に塚本邦雄が週刊誌で担当していた投稿欄の常連だったらしく、その筋では名高い存在だったようだ。巻末のプロフィールによれば、太田は1951年生まれ。塚本と寺山に影響されて29歳から作歌を始めたとある。投稿時代が長かったようだ。あとがきによると、短歌を始めたきっかけは塚本の言葉の魔術に衝撃を受けたからだという。歌歴は長いが『季節の余熱』は今年 (2024年)の夏に刊行された第一歌集である。歌集題名『季節の余熱』の季節は後に余熱を残すくらいだから、それは朱夏つまり青春にちがいない。

 塚本の影響下で作歌を始めた歌人ならば、その人はコトバ派にちがいないと思われるのだが、案に相違して本歌集に収録された歌には人生がぎっしり詰まっている。それは重くて生き難い人生である。

十五歳鬱が何かを知らねどもアッシャア家巻末の月光

鬱という重き字積みて吃水は深し乗り換えられぬわが船

秋の川あるいは鬱の置き場所はここかも知れず雲一つ浮く

生きるのがだんだん重くなる夕べ時は無傷で過ぎてはくれぬ

 一首目、十五の少年に鬱は無縁なるも、既にしてポーの世界に惹かれていたか。二首目、鬱という漢字は画数が多く、それを抱えた〈私〉という船は今にも沈みそうだ。三首目は希死念慮の歌で、この川の流れに〈私〉ごと鬱を捨てようかと思案している。四首目、黄昏が迫ると暗い思念か頭をもたげる。時は無傷ではないと感じるのは、過去に悔恨があるからだろう。

 その理由が奈辺にあるかは不明ながら、作者は人生に大いに生き難さを感じている。それは本歌集の章につけられた小題にも現れていて、「撤退」「難破船」「敗軍の兵」「傍観者」といった具合だ。

明日もかく生きよというか壁際に予定調和のごときワイシャツ

部屋の灯へ蕩児のごとく帰宅して脱いだ背広にぎっしりと闇

途中駅桜いっぽん咲きおればふと人生を降りる瞬間

地下街に紛れ込みたる蛾のごときわれか前後を死の挟み打ち

紺背広皮膚剥ぐように投ぐるとき溢れ出すわがうちのくらやみ

 作者は勤め人らしく背広とワイシャツを着用している。それは仕事に必要なものではあるが、〈私〉にとっては身の内にある言い知れぬ闇を包んで隠す第二の皮膚のようなものらしい。だから帰宅して背広を脱ぎ捨てると、包みこまれていた闇が溢れ出すのだろう。

 そのように日々を送る人にとって、ほんとうに恐ろしいのは過去ではなく未来である。「手帳」や「カレンダー」というアイテムが登場するのはそのためだ。

さしあたり死の予定なくまっさらの手帳一年分の未来が

死ぬ理由生くるよすがもともになく徹夜終えざらざらの舌先

日時計のごとく暮らしてその影のように消えむかこの地上より

ともかくも今日やり過ごしアリバイの外れ馬券は風に委ねる

生きているそれも何かの手違いで目覚め冷凍庫のごとき部屋

 二首目にあるように、作中の〈私〉には生きるよすががなく、生に意味を見出すことができない。かといって積極的に死ぬ理由もない。そんな〈私〉にとって、何の予定も書かれていないまっさらの手帳は恐怖である。作歌の技法としては、上に引いた「溢れ出すわが / うちのくらやみ」や、すぐ上の「徹夜終えざら / ざらの舌先」、 「目覚め冷凍 / 庫のごとき部屋」のような句割れ・句跨がりに前衛短歌の強い影響が見られる。しかし塚本が得意とした初句六音はあまり使わないようだ。

ママレード壜の底なる美しさ腐敗わが晩秋がはじまる

驟雨去る街路の凹み数ミリの水に沈みし空の深さよ

踏切の向こうもこの世 回送の列車は運ぶ空席のみを

つむじから踵へ至る弾劾のそれぞれ深く駅行くわれら

花瓶より百合引き抜けば生じたる花火が消えし後ほどの闇

ああどこにいても場違い珈琲のカップに充ちるたけなわの春

落ちてゆく夕日に向けばおのずから残照となるわれの西側

立つものはすべて祈りのかたちして鋭し雨の中の電柱

 特に注目した歌を引いた。巻末に初期作が掲載されていて、「野望破れたり初夏へ窓開き部屋に籠もれるバッハを放つ」のような清新な歌も捨てがたい。

 

 

第389回 小田桐夕『ドッグイヤー』

窓辺にはブリキの犬が置かれゐて胴の継目はくきやかにあり

小田桐夕『ドッグイヤー』

 喫茶店の風景だろうか。窓辺にブリキの犬のおもちゃが置いてある。ブリキ製のおもちゃは今ではもう作られることが少ないので、たぶん昔のものだろう。ところどころ錆びているかもしれない。製作時に半身ずつ作って繋いだので、胴体に継ぎ目がはっきりと見えている。そのような情景を感情を交えずに詠んだ歌である。

 しかし歌から何の感情も伝わって来ないかというと、そんなことはない。胴に継ぎ目を残したままずっと窓辺に置かれている犬のおもちゃに向ける暖かい眼差しが感じられる。またそのような姿で置かれているブリキ製の犬に対するかすかな憐憫の情も滲んでいるように思う。

 私たちは言葉で作られた短歌を読んで、なぜ作った人の心がわかるのだろうか。短歌に限らず、私たちは日頃から他人の感情や心を察して行動することがある。なぜ私たちには他人の心がわかるのだろうか。

 私が研究している言語学は、心理学を含む認知科学から多くのことを学んでいる。言語は認知の結晶だからである。私たちになぜ他者の心理や知識状態がわかるのかという問題は、「心の理論」(英 theory of mind / 仏 la théorie de l’esprit)と呼ばれ、昔から議論されている問題である。私たちには読心術という超能力はない。したがって何らかの方法で他者の心理を推論するプロセスがあるはずだ。

 現在では次のように考えている研究者が多い。私たちは自分の心の一部に、他者の心のメンタルモデルを作っている。そのモデルは、私たちが他者について知っていることや、他者の言動などを材料にして、無矛盾的に構成されると考えられる。

 言語学からひとつ例を挙げよう。日本語には自分が知らない単語には「というのは」とか「って」などメタ形式と呼ばれる記号を使うという規則がある。

 

 (1) Aさん : 昨日、Kさんの出版記念パーティーで、三枝さんに会ったよ。

   Bさん : 三枝さんって誰ですか。

 

AさんはBさんも三枝さんを知っていると思って話したのだが、Bさんは知らない人なので「って」を使ってたずねている。これなしで「×三枝さんは誰ですか」とは言えない。英語では Who is Saigusa?と言い、メタ形式は必要ない。

 おもしろいのは、日本語では相手が知らないだろうと思われる単語にも「という」を付けなくてはならないことである。

 

 (2) 私は京都で生まれました。

 (3) 私は山口県の三隅町という所で生まれました。

 

 山口県の三隅町という町はそれほど知られていない所なので、「という」を付けている。ちなみに三隅町は母方の祖父が住んでいた所で、画家の香月泰男の故郷でもある。一方、京都はよく知られているので付けていない。もし「私は京都という町で生まれました」と言ったら、「京都くらい知ってるわい」と言われてしまう。このようにメタ形式の使用が義務的な言語は日本語以外にはないようだ。日本語は相手の心の状態を察する言語なのである。

 私たちはこのように、自分の心の一部に他者の心のメンタルモデルを作っている。だから何かを見たときに、「あの人ならばこう感じるだろうな」と推測することができる。このモデルが共感の基盤になっていると考えられる。自分の心と他者のメンタルモデルの一致点が多いときに共感が生まれる。

 前置きが長くなった。小田桐夕は1976年生まれで、2014年から「塔」に所属している。第14回塔短歌会賞で次席に選ばれており、「記憶を残す╱継ぐ ─ シベリア抑留と短歌をめぐって」という評論で、塔の七十周年記念評論賞を受賞している。プロフィールなどで本人についてわかるのはこれくらいだ。『ドッグイヤー』は今年 (2024年)に上梓された第一歌集である。小島なお、梶原さい子、そして師の真中朋久が栞文を寄せている。

 歌集タイトルのドッグイヤーとは、直訳すれば「犬の耳」で、雑誌や本などで印を付けておきたいページの隅を三角形に折ることをいう。集中の「いくそたび巡るページか一冊はドッグイヤーに厚みを増して」から採られている。

 作者の歌風だが、旧仮名遣いを用いていることもあってか、所属する結社「塔」の歌人では珍しく、古典的でときには王朝的な雰囲気を纏う歌が多いのが特徴と言える。歌集の冒頭付近から引く。

文字を書く手とわたくしを撫づる手のおなじとおもへず まなぶたを閉ず

とほき灯のつらなりのごとき林檎飴あぢははぬまま思春期過ぎき

沸点がたぶんことなるひととゐる紅さるすべり白さるすべり

うしろから抱かれゆくことゆるすときあなたから取る鍵のひとつを

死をもつて話がをはる必然を両手のなかに撓めて夜更け

 一首目では、パートナーが書き物をしているときの手と、自分を愛撫するときの手とは表情がちがうとしている。二首目はお祭の夜店で売られているリンゴ飴を詠んだもの。紅色のリンゴ飴を遠い灯火に喩えている。短歌定型の最強の修辞は喩である。「つらなりのごとき」の増音が、リンゴ飴がたくさん並んでいる情景のアイコン的な喩となっているとも取れる。この歌では過去の助動詞は「けり」ではなく「き」がふさわしい。本歌集の隠れた主題はおそらく自己と他者の差異の確認なのだが、三首目はそれを端的に表した歌。沸点とは、何かに夢中になるポイントとも、怒り出す限界値とも解釈できる。下句の「紅さるすべり白さるすべり」がまるで童謡のようなリフレインの効果を出している。四首目、パートナーが自分をバックハグするとき、相手から鍵をひとつ奪い取るという少々恐い歌である。その鍵は相手に秘めていた小箱の鍵か。五首目では誰かの死で終わる物語を読んでいる。その結末は避けることができない必然である。しかし両手の中で撓めているのはペーパーバックの本だ。「必然」は抽象概念であり、撓めることができない。このように抽象と具象とを強引に連結するのもまた短歌の修辞のひとつである。

 作者はどうやら絵を描く人で、パートナーもそうらしいということが歌を読んでいるとわかる。

白紙つてこんなに広い コピックのさきを素足のやうに置きたり

窓のを見てゐる人を描くとき私のまなこは絵のなかの窓

病室でスケッチはじめミリペンで白い蛇腹の凹凸を追ふ

花嫁のまはりに薔薇を描きゆくきみは植物図鑑ひらいて

たのまれて絵筆を握るきみがもつとも描きたい世界とは、なに

趣味なのか仕事にするか迷ひゐしわがすぎゆきをふかく沈める

筆先になにかを探すやうな顔いくたびも見きこれからも見る

 一首目のコピックとは、デザイナーなどが使う水性の不透明マーカーで、色の種類が多い。三首目のミリペンとは、漫画家などが使う細い線を引くドローイングペンのこと。いずれも絵を描く人の専門用語だ。四首目、五首目を見ると、パートナーも絵を描くことがわかる。六首目からは絵を趣味とするか職業とするか迷っている様子が窺われる。

 画家であることは短歌製作にどのような影響があるか。画家とは、何よりも対象を視る人である。そのことは短歌における事物の描き方に影響するにちがいない。それはたとえば次のような歌に感ずることができる。

なびきゐるゑのころの穂のあひのみづ、うつりこむ街、町つつむ空

 えのころ草の穂が風に揺れている。穂と穂の間に小さな水面があり、その水に町の風景が反転して映っていて、その上に空が拡がっているという描き方は、視点の反転とズーム効果がありとても映像的だ。

 しかしながら物事を映像的に描くのが小田桐の短歌の眼目かというと、そうではないように思われる。

けふをまだ記しをはつてゐないのに罫線にかすれるボールペン

くやしさをおぼえてゐたい点描のなかにしずもる花のひとつの

いひわけを遠くの海に流したいすこしいたんだサンダル履いて

散りをへてかすかににほふだれかれのそしてわたしの血と葉とほたる

真冬にはしろく固まるはちみつの、やさしさはなぜあとからわかる

 一首目の日記を書き終える前にかすれるボールペンは、そのままの事実とも何かの喩とも取れるが、そこに未完の残余を思う気持ちがある。二首目でも点描の中の花は、実際に見た絵と喩との間をたゆたって、意味の未決感を漂わせる。読者にはなぜかがわからないが、その花は〈私〉の悔しさと結びついているらしい。三首目でも〈私〉は何かの言い訳をしたことを悔やんでいる。四首目は秋の紅葉を詠んだ歌だが、結句に不思議な激しさが感じられる。五首目では三句目までが序詞のように置かれている。それは後になって気づく人の優しさの喩としてもある。

 思うに小田桐は、毎夜に机に向かってその日の出来事を日記につけるように歌を作っているのではないか。その日の出来事はその時に感じた感情と結びついている。もしそうだとすると、歌は日々の感情の記録でもあることになる。これは小説や詩などの他の文芸にはない機能である。短歌が長く命脈を保ってきた理由はそのあたりにあるのかもしれない。

ためらひをふふめる筆の穂の先にかするるままにはらはらと、空

そそぎくるひかりの束をうけとめてちひさき傘は夏をただよふ

湿りゐる髪をたがひに持つことを夏のはじめの切符とおもふ

世のなかは空の瓶だとおもふ日にひときは響く雨音がある

ひらかるる日までひかりを知らざれば本のふかみに栞紐落つ

まなぶたにアイマスクの熱そつと乗す一日ひとひの底にいをは沈むよ

 特に印象に残った歌を引いた。書き写していて改めて感じるのは言葉の連接の滑らかさで、そのあたりに小田桐の歌が古典調と感じられる理由がありそうだ。ごつごつした手触りの観念的な言葉がなく、言葉から言葉への移行に無理がない。それは声に出して朗読してみるとよくわかる。

 集中で最も技巧的な歌はおそらく次の歌だろう。これもまた古典的な美を現代に蘇らせている。

葉のあひにひかりは漉され流れこむはだらはだらに午後のあやぎぬ


 

第388回 堀静香『みじかい曲』

停車中の電車は少し傾いていまここにあるだけの奥行き

堀静香『みじかい曲』

 以前から不思議に思っているのだが、歌集を読んでいて、すっと心に入って来る時と、なかなか入って来ない時がある。どうやら読んでいるこちらの体調や気持ちの浮き沈みが微妙に影響しているらしい。体調がいい時にすっと入って来るかというと、どうもそういう訳でもないようだ。多少疲れてぼんやりしているときに短歌が心に沁みることもある。歌と心の距離の遠さ近さには一筋縄ではいかない複雑な面があるらしい。

 今回取り上げる堀の『みじかい曲』は、少し疲れている時に読んだのだが、その時に私を捉えた感覚を言葉にするならば、それは多幸感と呼ぶしかない。喩えるならば、寒い部屋で電気毛布にくるまっているような、暗い道で遠くに灯りを見つけたような、目覚めに暖かいチキンスープを一口飲んだような、とでも言えばいいだろうか。

 掲出歌で作中の〈私〉は電車に乗っている。電車は信号か駅で停車していて、地面に傾斜があるせいか、車体が少し傾いている。〈私〉は車内を見まわして、自分が乗っている車両の奥行きを確認している。それは「いまここにあるだけ」の奥行きだという。考えてみるまでもなく当たり前のことである。車両の奥行きが日によって変化することはないので、奥行はいつも一定だ。しかし〈私〉がそれを「いまここにあるだけ」と改めて確認することによって、歌に詠まれた情景に繰り返しのきかない「一回性」が生まれる。〈私〉はいまここに在る自分が一回きりの存在だと自覚する。すると見慣れたはずの風景もふだんとは違った色を帯びるのである。

 堀静香は1989年生まれで、「かばん」所属。第11回現代短歌社賞で佳作に選ばれており、本歌集で第50回現代歌人集会賞を受賞している。短歌の他にエッセーも手がけていて、『がっこうはじごく』『せいいっぱいの悪口』などの著書がある。『みじかい曲』は2024年に刊行された著者の第一歌集で、服部真里子、堂園昌彦、大森静佳の三人が栞文を寄せている。装丁は花山周子で、表紙の絵はドーナツだろうか。版型やタイトルから、歌集と言うよりハヤカワ・ミステリの一冊のような趣がある。

どこに生きても雨には濡れるよろこびを言えば静かに頷いている

なんてことない一度きりの夕焼けの町にあなたを差し出している

その人を好きだったって横顔できみがきちんと包む春巻き

そこからは何も見えない踊り場でただとどまって色うつす空

あの日着ていたなんてことないTシャツがこの夕映えに照り返されて

 歌集の冒頭あたりからランダムに引いた。詠まれているのは日常のどうということのない出来事や情景で、大仰な言葉や表現やおどろおどろしい漢字は使われていない。そのためルビもほとんどない。特筆すべきなのは喩もほぼ皆無なことである。パラバラとめくると、「パラフィン紙みたいなうすい満月が高圧線の向こうに覗く」という歌に直喩があるくらいだ。喩は短歌にとって重要な修辞技法である。その喩をほぼ封印して短歌を作る作者は何をめざしているのか。

 一首目、どこで生きていても雨が降れば濡れる。それを喜びだという。静かに頷くのは恋人か伴侶だろう。二首目に詠まれているのは何ということのない夕焼けだ。その夕焼けは一度きりだという。ここにも強く生の一回性への想いが感じられる。三首目、相手が元カノの話をしているのだろうか。話しながらも春巻きをきちんと包んでいる。四首目に詠まれているのは何も見えない階段の踊り場だ。見えるのは切り取られた空しかない。五首目も何ということのないTシャツが、「いまここ」にある一度切りの夕映えに照らされている。

 堀がこれらの短歌で捉えようとしているのは、日々の日常のひとコマひとコマに刻印されている「生の一回性」の煌めきなのではないだろうか。もう二度と同じ情景に会うことはないと思えば、平凡なTシャツも踊り場も春巻きもいとおしい。それを描くのに大仰な言葉はいらない。

 文体的な特徴を探すと、まず初句の増音が多い。上に引いた歌でも一首目と二首目と五首目が初句七音である。また体言止めと結句に「ている」形が多く使われている。現代日本語は時制の貧弱な言語で、タ形(過去形)・ル形(非過去形)という時制以外に、テイル形とテイタ形というアスペクト形式を併用している。テイル形は現在の状態や現在進行している動作を表す。堀のように「いまここ」を捉えようとすると、勢いテイル形を使うことになるのだろう。

通りの名をはじめて知って少しずつあなたに馴染んでゆく信号機

きれぎれのこうふくだろうあなたからレーズンパンを受けとる夕べ

どこに向かってというのではなく風に向かって自転車を漕ぐ 朝の半月

小さめのを三つではなく大きめのを二つ握って包んで渡す

残り少ないグミを分け合う冷房が効きすぎた後部座席のすみで

 こういう歌を読んでいると、「小確幸」という言葉が頭に浮かぶ。「小確幸」というのは、「小さいけれど確かな幸せ」をつづめて略したもので、村上春樹のエッセー集『ランゲルハンス島の午後』に出て来る村上の造語である。余談だが田口トモロヲと池田エライザが出演している『名建築で昼食を』を見ていたら、その中で「小確幸」が使われていて驚いた。引越先で通りの名を初めて知る、相手からレーズンパンを受けとる、弁当に作ったおにぎりを渡すといった些細なことから日常はできている。そのひとつひとつに小さな幸せを感じている。そういう歌だろう。

 しかし堀が感じているのはもちろん小さな幸せだけではない。

たくさん生きて一回死ぬのだ僕たちも 夏この成層圏の明るさ

骨だけがこの世に残るおかしさの掃き出し窓をあふれくる風

ほんとうはきっとまぶしい死ぬことも 自動筆記のように狂えば

きみが死ぬこわさを言えばふと痛む右耳の端がまた切れている

死ぬまでの立ち往生に食べかけのケチャップライスがまとう粘り気

 生の裏側には死がぴったりと張りついている。生の一回性の果てには一回の死がある。その冷厳な事実をふと思うとき、私たちは歩みを停めてその場に立ち止まる。堀もまたそのことはよくわかっている。わかっているからこそ日常の何気ない出来事が輝くのだろう。

いき違う話の途中なめらかなカーテンレールに見ているひかり

自転車のかごにミモザはいまあふれ、何度か握り直すハンドル

ふいに綿毛が目の前にきて目で追えば乾いた朝の横断歩道

うれしくっても駆け出さない みな命ある限り生きればうつくしい皿

天国へゆくことだけをこの世のめあてのように鳩の首のきらめきは

 その他に心に残った歌を引いた。堀の新しいエッセー集の感想として、「かばん」の先輩の穂村弘は「永遠に初心者マークを付けているような」と言ったそうだ。初心者の気持ちを持ち続けているからこそ見えるものもある。そういうことだろう。

 


 

第387回 第70回角川短歌賞

 角川『短歌』11月号に今年の角川短歌賞受賞作が掲載されたので、今回はこれについて書いてみたい。角川短歌賞の審査員は、昨年までの俵万智が中川佐和子に交替して、松平盟子、坂井修一、藪内亮輔と中川の4人が務めている。

 今年度の角川短歌賞を射止めたのは平井俊の「光を仕舞う」である。

影のいろは黒ではないと吾の手に手を添え母は絵筆をすす

〈バートナー〉と口にするときのざらつきよ言い得ることば無きこの国に

流木のように互いを添わせたり産めないからだと産めないからだ

目を伏せて話し始めるまでの間はフォークを沈む苺のムースに

燃え尽きる精子のごとく降る雪を高架歩道ペデストリアンデッキに見上ぐ

 作者の平井は1990年(平成2年)生まれ。「八雁」に所属し、阿木津英に師事している。平井はすでに2018年の第64回角川短歌賞で「蝶の標本」と題した連作で次席となっている。今回で5度目の挑戦だという。平井の所属する「八雁」は、石田比呂志の歌誌「牙」が石田の死去により終刊になった後、かつて「牙」に所属し「あまだむ」を主宰していた阿木津英が島田幸典らと創刊した歌誌である。「八雁」は「はちかり」と読み、万葉集から取られている。

 「光を仕舞う」には、藪内が5点を、坂井が4点を入れている。連作の主な登場人物は作者とその母親である。連作の主題は同性を愛している作者と、それを母親に告げるまでの葛藤であり、LGBTQという極めて今日的なテーマを扱っている。1位に押した藪内は、一連の構成がしっかりしており、一つの気持ちをこちらに伝えてくるという意味で他の作品とは明確な違いがあると評している。坂井も、完成度が高く、作品の読ませ方を心得ていると述べている。

 今回の「光を仕舞う」はテーマ性の方が前面に出ているが、以前に次席となった「蝶の標本」も読んだときに注目した作品である。文語(古語)の歌も混じっていて、今回の受賞作よりも抒情性が高い。審査員の伊藤一彦などは、作者は若い女性だろうと言っているほどだ。

心臓を持たざるものはうつくしく胸をそらしてマネキンは立つ

薔薇色の香りに飢えた傷兵の集まるようなスターバックス

鎖骨へと指を這わせるまっしろな朝のひかりの満ちたる部屋で

 今回の角川短歌賞の選考座談会はいつにも増して激論となり、その結果、次席はなしで佳作が3点という結果となった。

 佳作の一人目は刈茅の「アパートメント」である。名前をどう読むのかわからない。「かるかや」だろうか。1968年(昭和43年)生まれで、この人も「八雁」の所属なので、今回は「八雁」がワンツーフィニッシュということになる。

地にあくた掃きたつる音のぼりきてはらはらねむり解けゆく朝は

洗濯を晴れわたりたればせねばとて硬貨を借りに隣人が来る

アパートは夜をいさかひやまぬおとどこかで水のほとばしる音

隣室のふたり小雨を出でゆけりひとりしらかみひとりはあふろ

Noli me tangereわたしにふれるなかれよ 椅子のうへ折りたたまれて丸めがねあり

 作者については情報が一切ない。坂井が受賞作の「光を仕舞う」とどちらにしようか迷ったと言いつつ5点を、藪内が2点を入れている。まず連作題名が素っ気ない。また内容はたぶん古いアパートに住んでいる一人暮らしの作者の日常が淡々と詠まれているだけで、特に事件もなく盛り上がりもないという不思議な感触の作品である。しかし、芥、飲食おんじきましらくさびら予言かねごと翡翠そにどりなどの古語が散りばめられていて、なかなかの歌人かとお見受けする。淡々とした詠み振りながら何とも言えない味わいがある。坂井は「光を仕舞う」の方が作品の質は高いが、こちらの方が文学的に何か形にしようという意図が強いので選んだと述べている。何となく言いたいことはわかる。

 しばらく前の朝日新聞の「折々の言葉」というコラムに、哲学者の鷲田清一が社会学者の鶴見和子の言葉を紹介していた。データをいくら取って統計処理しても学問にはならない。学問にするためには魂をくぐらせねばならないという意味の言葉だった。含蓄のある言葉だ。

 「アパートメント」の作者の詠風にも似たようなことが言えるかもしれない。作者は現実をありのままに描いているのではなく、〈私〉という眼鏡を通して世界を見ているのだが、その眼鏡が独特の歪み方をしている。その歪み方がブンガクなのだ。

 佳作の二人目は藤島花の「花を抱えて」が選ばれた。藤島は2004年(平成16年)生まれで、応募時の年齢は19歳となっている。京大短歌会の所属。

医療とはサービス業と説かれたる講堂の机は傾いて

学生のうちに読めよと渡されし『偶然と必然』のつややか

可惜夜の星のかたちの細胞が脳にあるらし 教科書を閉ず

君の背を指でなぞりて椎骨に棘突起あることを確かむ

死に向かうものの一人として我は交差点ゆく花を抱えて

 中川が5点を、藪内が1点入れている。中川は知的な抒情性で詩情が豊かなのが魅力だと言い、藪内は技巧もありつつ華もあってバランスがいいと評している。

 連作の題名は五首目から採られている。私たちはなべて死へと向かう存在であるという冷厳な事実が詠われている。一首目を読むと、医学部に入学して1年目か2年目だということがわかる。講堂の机が傾いているような気がするのは、先生が思いがけないことを言ったからだ。サービス業ではなく、人のために働く仕事とでも言えばよかろう。二首目の『偶然と必然』は分子生物学者ジャック・モノーの名著。私は原文をときどき教材に使っていた。三首目の可惜夜は「あたらよ」で、何もせずに過ごすのは惜しいような夜のこと。「惜夜」と書くことの方が多い。脳に星形の細胞があるとは知らなかった。若手の歌人には珍しく文語(古語)を巧みに使っていて、清新な抒情性のある歌で、全体に歌のレベルが高い。

 作者の藤野は関西の医科大学に通う大学生で、今までは本名の船田愛子名義で歌を作っていたという。『京大短歌』29号に船田名義の短歌が掲載されている。高校生の時から短歌を作っていたらしく、『短歌研究』の第1回短歌研究ジュニア賞の高校生部門で金賞を受賞している。受賞作は次の歌で、高校一年生の時の作である。

「エル・グレコの受胎告知みたいな空」指差す君にうなずいてみる

 この他に、大友家持大賞児童生徒の部で大賞を受賞したりしていて、歌の完成度が高いのも頷ける。

 第1回短歌研究ジュニア賞が発表されている『短歌研究』2021年1月号を見ていたら、第1回U-25短歌選手権で優勝した中牟田琉那の「真夜中の台所にてリプトンの光の部分だけを飲み干す」という歌が入選作に選ばれていたことに気づいた。中牟田も当時は高校1年生である。いずれ劣らぬ将来が楽しみな歌人だ。

 三人目の佳作は千代田らんぷの「雨宿り」が選ばれた。千代田は1985年(昭和60年)生まれで、所属なしとある。

こんなにも卵を抱えて立っていて子宮の位置にある製氷器

体内を覗くことなく終わるのにプラネタリウムの暮れていく空

自分だけ濡れていなくてきっと夢、水族館は順路を逆へ

パンだけを並べた店の明るさに手を閉じ込めて帰る黄昏

県境の川 お互いの性別が逆だったらと噛む林檎飴

 松平が5点を入れている。言葉の展開のさせ方に意外性があり、こう来たらこう行くかと思うとそうじゃない方に読者を運んでくれると評している。藪内も上位に残っていた作品で、ノスタルジックなイメージがあると述べている。

 なかなかおもしろい歌だと思うが、意味が取れない歌も少なくない。一首目は冷蔵庫に卵を仕舞おうとしている場面だろう。自分は手に鶏卵を持っていて、製氷器のある位置に自分の子宮があり、そのなかにも卵があるということか。二首目は私たちは自分の体内を見ることができないのに、プラネタリウムでは何光年も遠くにある星を見ることができるという驚きを詠んだ歌。プラスチック容器に入った鶏卵と自分の子宮内の卵、人間の体内と遠い星辰のように、遠くにあるものを結びつけてポエジーを発生させるという手法か。三首目は、水槽の魚はみんな水に濡れているのに、自分だけは濡れていなくて乾いているのが夢だろうという歌。水族館なのだから魚が水の中にいて、観客は濡れていないのは当たり前なのだが、その常識を敢えてひっくり返している。

 千代田は千代田環の名前でも短歌を書いており、南紀短歌大会や和歌の浦短歌賞などでも入選している。故郷の和歌山に根を下ろして歌を作っている人らしい。

 今回の角川短歌賞の応募総数は721篇で、昨年より150篇少なかったというが、昨年が870篇という過去最高の応募者数だったので特に少ないわけではない。しかし予選通過作品一覧を見ると、昨年は短歌賞の渡邊新月、次席の福山ろかなど入選者が多かった東京大学Q短歌会に所属する人が一人も入っていない。学生短歌会は有力会員の卒業などメンバーの入れ代わりがあるので、そのせいかもしれない。昨年は短歌賞以外に次席が1篇と佳作が4篇あったが、今年は次席なしで佳作が3篇とやや淋しい結果となっている。