はじまりと終はりと海をすこしだけいれておくから夏のふうとう
辻和之『夏の雪』
「海水浴」と題された連作中の一首である。「日に焼かれうなだれたまま海水を拭つてもらふちひさなからだ」のように、自分の子供時代の、あるいは自分の子を連れての海水浴の光景と思われる歌があり、これは確かに海水浴である。しかし掲出歌はそうではなく謎に満ちている。「夏のふうとう」とあるので、誰かに当てて手紙を送るのだろう。しかしその中に封入するのが「はじまりと終はりと海」だというのだから、これは現実の事柄ではない。一気に想像または非現実の世界にワープする。「海をすこし」というのはまだわかる。しかし実際に封筒に海水を入れたらふやけて破れてしまうので、これは海の思い出ということだろう。わからないのは「はじまりと終はり」だ。何の始まりと終わりかが明かされていないからだ。ここからは読者が各自想像力を働かせる領域になる。私は自分の人生の始まりと終わりと読んだ。それに海の思い出を加えて封筒に封入し誰かに向けて送るのは、まるで未来に届くタイムカプセルのようだ。この封筒は子供に残すものかもしれない。
辻和之は1965年生まれで、「短歌人」に所属する歌人という巻末のプロフィールに書かれていること以外はいっさいわからない。あとがきに書かれているのは子供時代の思い出だけだ。今年 (2025年) 6月に上梓された本歌集はおそらく著者の第一歌集だろう。同じ「短歌人」の藤原龍一郎が「黙示録としての一巻」と題された栞文を寄せていて、その冒頭に「この歌集は他の歌集とはまったく異なっている」と藤原は記している。拙宅に送られて来た本歌集を一読して喫驚した。確かに藤原の言うように本歌集は他のどの歌集にも似ていない。何より驚いたのは辻の文体である。私は文芸の肝は文体にありと考えており、そのことを実証したような歌集である。
藤原が「黙示録」というのは、歌集冒頭に配された次のような歌を見ればその理由がわかる。歌集題名と同じ「夏の雪」と題された連作である。
雪あれは灰かそれともみわかねどみわかぬままにひとひらぞふる
まぶしげに胸をはだけて手団扇の、「暑いねえ」「ええ」、八月六日。
てのひらにゆきのひとひら世界史のふりぬるおとはなほもかそけし
一首目には「たらちねは夏姿してちのみこは胸にすいつきいくさおはんぬ」という歌が、二首目には「なほ夏を消さずとどめよつば広の帽のかげなる時じくの目に」という歌が詞書き風に添えられている。「いくさ」「八月六日」「世界史」と散りばめられたヒントからわかるように、これらの歌は1945年8月6日に広島に投下された原爆を詠んだものなのである。「夏の雪」とは夏空から降り落ちる放射性の灰の喩だ。この連作の題名を歌集タイトルに選んだところに作者の強い思い入れが感じられる。
文体の特徴としてまず挙げられるのは、平仮名を多用していることだろう。これにより歌の姿が王朝時代の和歌に似る。それと平行して古典和歌の言い回し、例えば一首目の「それともみわかねど」や三首目の「ふりぬる」など使っている。ひょっとしたら本歌取りもしているのかもしれないが、そこまではわからない。
もう一つ指摘しておかなくてはならないのは、タイポグラフィの工夫というか、その凝りようだ。たとえば上に引いた「夏の雪」の連作中には、活字のポイントを落として、斜めに頭下げした次のような歌が挿入されている。
ああ果てだ加速するトンボそいつといまあの夏にゐるわかつてる
天のやうに明かかりけむそはひとが灰をふり蒔く野であるゆゑに
日は雲にひとさしゆびはくちびるに死者との距離があまりに近い
気づいたら火のふところに町はゐてあやされながら星を見てゐる
そうかと思えば次のようにページ上に配された「数へうた」という連作もある。
はは来よ
ここ来よ
来よ来よ
はよ来よ
ひふみや
いむなや
くちすさまうよ
推察するに、作者は活字のポイントやページ上での配列などのタイポグラフィ的な設計まで含めて、一巻を有機的な詩集として彫琢したかったのではないだろうか。これはまるでマラルメだ。版元の六花書林は組版に苦労したことだろう。実際に苦労したのは版元から組版を発注された印刷業者だが。
辻が操る多様性な文体も見逃せない。上に引いたような王朝和歌を思わせる古雅な文体の歌と並んで、次のような歌もある。
いちどでも橋をわたるとなによりも橋をわたるとにどと会へない
声がして死霊を真似てともに飛ぶ さうだつたのか 声だ ぼくらは
いまはよるははにぶたれたゆきのよるかあさんぼくはゆきのよるです
おとうさんぼくもほんとは馬なんだむすこよあすはうみまでいかう
一首目と二首目はそれまでとは打って変わって口語(現代文章語)である。また三首目と四首目は子供が話すような言葉遣いで書かれている。辻はまるで魔術師のようにさまざまな文体を操っている。
平仮名表記の効果について考えてみよう。平仮名を多く使うと読字時間が長くなる。漢字の場合、私たちは一文字文字読んでいるのではない。パターン認識によって数文字を一気に認識している。たとえば「石破首相衆院解散を決定か」という新聞の見出しがあるとすると、「石破首相」「衆院解散を」「決定か」くらいのまとまりで認識している。これは視線の滞留と跳躍を測定する器具でわかる。読むスピードが早いのは表意文字の特性である。ところが表音文字の平仮名はふつう一文字ずつ読む。まして短歌のように切れ目なく一行に並んでいると、読者は意味の切れ目を探しながら読むので、一首の滞留時間がさらに長くなる。場合によっては意味の切れ目を探して、行きつ戻りつすることもあり、さらに滞留時間が長くなる。平仮名は読者を長く歌の中に閉じ込めるのだ。それに加えて漢字はいかめしい雰囲気があるが、平仮名は流麗でやわらかい印象を与える。そんな特性を持つ平仮名を用いて死の灰のように深刻なテーマを詠むと、まるで恐ろしいわらべ歌を聴く心地がするのである。
冒頭の連作「夏の雪」に限らず、本歌集には死が充満している。
海を死を少女の胸を起伏する沃野を見たよ、夏といふ名の
ペコちゃんのふりをしてにこやかになりその日いちにち死霊とあそぶ
さんぐわつの母にほほよせほろほろとなにほろぶみるつねよりながく
わたしにはいま死者は死にちかけれど死にはとどかじなどおもはれる
あめさりて木膚のにほひ朽ちかけの死すらあたらし生きざらめやも
ほんたうにおかへりなさいあちらでは死者とよばれてゐたさうですね
綿で塞がれわづかにひらきをり死の人が人の死に逢うてわらふ
三首目の「さんぐわつの」は御母堂が逝去されたことを詠んだ「気韻」の前に置かれた歌だがおそらく関係しているだろう。五首目「あめさりて」の結句「生きざらめやも」はおそらく堀辰雄が『風立ちぬ』で引用したヴァレリーの詩句の翻訳「風立ちぬ、いざ生きめやも」を踏まえたものだろう。原文は Le vent se lève, il faut tenter de vivre.で、直訳すると「風が吹き始めた、生きようとしなくてはならない」となる。大野晋と丸谷才一は『日本語で一番大事なもの』の中で堀の翻訳を誤訳だと批判した。「生きめやも」だと、「生きようか、いや、断じて生きない、死のう」という意味になるというのだ。これについては仏文学者の牛場暁夫が『受容から創造へ』で興味深い論考を試みている。七首目「綿で塞がれ」は、亡骸が棺に収められ、耳や口に綿を詰められている葬式の場面を詠んだものだろう。「死の人」とはやがて死ぬ生者のことである。まさに本歌集はMemento Mori「死を想え」の歌集と言ってよい。しかしこの金言には続きがある。Carpe diem「その日を生きよ」である。まこと生と死はあざなえる縄のごときものだ。だから本歌集には生を詠んだ向日性の歌もある。
桃を剥く妻の背中に蟬しぐれ妻と向きあふ笑ふしづかに
光る皿たれそ洗ひ置きたる夕日のいとほそやかに差し入るに
をとこのこ雨をみあげてをんなのこ鞠をかかへて大楠の下
あのかげを待つているのか木陰から海へと光る麦わら帽子
幼名を呼ばれながら駆け上がりてし石段を妻と下りゆけり
生と死は光と影、その光の部分は多く思い出につながっているようにも見える。分量としては光よりも影のほうが多い。
夕くれの名づけられないものたちが州に舞ひ降りて骨を啄む
むすびおくおもひはあせず落ち椿しべもあらはにいろくゆりたる
石楠花を見つめゐる人うす紅を塗られしくちに笑みこぼれたる
踏みしだかれて桑の実のいのちあたらしむらさきに今を染めなむ
あさがほに出づるいのちのあをやかさゆるされてうなづきてかぞへよ
甘やかな肉なる葡萄わが闇のふかきふちへとちかしくながれ
いのれどもゆきよりしろきかげはなしこゑとどまらぬあけぐれのそら
特に心に残った歌を引いた。どれも単純な写実の歌ではない。石楠花や朝顔などの素材は現実の自然に借りているが、そこから立ち上る詩想は極めて理知的かつ思弁的である。一首の意味を説明せよと言われるとはたと口ごもるしかないが、本来詩とはそういうものである。日常的な意味に還元できない想念が韻律の力を借りて姿を与えられている。確かにこの歌集は藤原の言うように、他の歌集とはまったく異なっていると言わざるを得ない。
忘れよとをんなのこゑのゆふがほの半身の花のしづむゆふやみ
この歌は集中の白眉と思う。辻が構築した詩的世界が多くの人の訪れることになるよう祈念するところである。