第313回 永井祐『広い世界と2や8や7』

横浜はエレベーターでのぼっていくあいだも秋でたばこ吸いたい

永井祐『広い世界と2や8や7』

 2020年に左右社から上梓された永井の第二歌集である。永井が2002年に第一回北溟短歌賞で次席に選ばれて短歌シーンに登場した時は、「トホホ短歌」「緩い短歌」の代表格と見なされて、年長歌人たちからずいぶん叩かれたものだ。しかし、その後の時間の流れの中で、永井が作る短歌の本質の理解はずいぶん進んだ。そのような変化の契機は大きく3つあったように思う。

 一つ目は2005年に行われた第4回歌葉新人賞である。この回の新人賞は笹井宏之が「教えてゆけば会えます」で受賞した。次席は宇都宮敦の「ハロー・グッバイ・ハロー」である。書肆侃侃房から「ねむらない樹」別冊として刊行された『現代短歌のニューウェーヴとは何か?』(2020年)に、永井が「第4回歌葉新人賞のこと」という文章を寄稿している。永井は全部で5回行われた新人賞の選考会では、第4回がベストだったと書いている。その理由は、笹井と宇都宮の対決は「一種のスタイルウォーズだった」からである。 

 少し抜き出して引用してみる。

「遠いところを目指す笹井の歌に対して近いところの見方を変える宇都宮の歌。表現の飛躍が魅力の笹井に対して、一字空けの間や『とりあえず』『ふつうに』などの言い回しから葛藤や空気感を伝える宇都宮」。「笹井の歌は一首での引用に向いている」が、「宇都宮の歌は三十首の流れやうねりにキモがある」。「その対立は口語短歌の行方にとって本質的である」、「当時、キラキラした言葉が飽和気味で行き詰まりかけていたネット / 口語短歌の中に新しい原理と方法を持ち込むものとして、宇都宮の歌はわたしに見えていた。」

 宇都宮の「ハロー・グッバイ・ハロー」には次のような歌が含まれていた。これも年長の歌人の目から見れば相当な「緩い歌」と見えるだろう。選考委員で宇都宮を推したのは穂村弘一人だったという。

真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは

それでいてシルクのような縦パスが前線にでる 夜明けはちかい

牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ

 明らかに宇都宮は永井と同じ方向性をめざしていた。キラキラした言葉ではなく、近いところの見方を変える歌という永井の言は、そのまま自身の短歌の特徴を語っていると見てよい。

 『短歌研究』2020年6月号は「永井祐と短歌2010」という特集を組んでいる。そのインタビューの中で永井は次のように語っている。歌を作り始めた頃は、穂村弘の影響が大きかった。しかしそれではだめだと感じて、自分の持っているものを自覚して文体に落としていく作業に時間がかかった、と。聞き手の梅崎実奈は、第一歌集の『日本の中でたのしく暮らす』に北溟短歌賞の「総力戦」が収録されているが、穂村っぽい部分が全部カットされていると指摘すると、永井は、テンションの高さやキラキラした部分はカットしたのだと明かしている。永井の短歌の文体は自覚的に作り上げたものであることがわかる。

 永井の評価の潮流が変化した第二の契機は、永井が何をやろうとしているかについての年長歌人の理解が深まったことである。たとえば『レ・パビエ・シアン II』2012年9月号の「若手歌人を読む」という特集に、大辻隆弘が「新しき『てにをは派』」という永井論を書いている。大辻は2011年7月に長浜ロイヤルホテルで開かれた現代歌人集会の「口語のちから・文語のチカラ」というシンポジウムに登壇した永井が語った言葉に瞠目したと明かしている。永井は、口語・文語・外来語といった様々な言語を「ツール」として選ぶという言語観を否定する。言葉とは、自分の存在を規定している「身体の延長」であり、口語は「自分が生まれた国」であるとする。またニューウェーヴ世代の短歌の不自然な口語と文語の混交に違和感を感じていたとも述べている。詳しく引くのは避けるが、大辻は永井の文体のキモは「てにをは」つまり助詞であり、助詞の選び方に永井独自の工夫があると熱く語っている。これはユニークな視点である。

 第三の契機は、ゼロ年代のリアル系歌人と呼ばれる若手に永井フォロワーが増えたことである。試しに『現代短歌』2021年9月号の特集「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」から引いてみよう。

特別な何かを手に入れたとしても幸せになれるかは、わからない

                          中野霞

気をつけてねと送り出されたこの道で死ねば気をつけなかったわたし

                          乾遙香

てきとうな感じで生きている人がいたっていいしいたってふつう

                         中澤詩風

 このような若者のしゃべり言葉に限りなく近い口語短歌は、永井や宇都宮が始めたものである。前衛短歌が積み残した使命として現代短歌の口語化を挙げる加藤治郎の短歌と較べてみると、そのちがいは一目瞭然だろう。

やりなおすことはできないどこからもどこからも鈍器のひかりあれ

                        『噴水塔』

韻律の香りのなかに言葉ありさよふけぬれば風は囁く

ひらがなの流れるような雲がゆくふるえるばかりひとひらの舌

 加藤の歌は美しいとは思うが、永井が違和感を感じたという文語と口語の混交とはまさにこのような文体を指すのだろう。日常の生活で、「さよふけぬれば」とか、「ふるえるばかり」なんて言う人はいない。

 「口語によるリアリズムの更新」という問題意識は、加藤治郎らのニューウェーヴ世代にもあったが、永井の特徴は、一見ハードルが低そうで、つい真似をしてみたくなるところにあると穂村弘は指摘している(『短歌研究』2020年6月号所収「作り手を変える歌」)。永井が北溟短歌賞でデビューしたときにはそれと意識されていなかった「リアリズムの更新」というテーゼが、その後時間が経つにつれて短歌シーンに徐々に浸透していったということになろう。

 前置きが長くなったが『広い世界と2や8や7』である。まず数字に意味があるのかと考えてしまう。合計すると17になるが、俳句ではないのでこれには意味はあるまい。収録されている連作のタイトルにも、「それぞれの20首」「7首ある」「12首もある」のようにとぼけたものがある。永井は意識的に不必要な意味を消去しているのだ。

よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから

ライターをくるりと回す青いからそこでなにかが起こったような

オレンジ色に染まってる中央通り 市ヶ谷方面 酒屋を右に

雪の日に猫にさわった 雪の日の猫にさわった そっと近づいて

待てばくる電車を並んで待っている かつおだしの匂いをかぎながら

 永井は単に歌を不自然な文語から解放して、若者の日常のしゃべり言葉で書こうとしているわけではない。日常の言葉を写しただけでは詩にならないからである。できるだけ口語で書いてポエジーを発生させるには文体の工夫が必要である。永井は意識的な文体派なのだ。穂村の言うように、ハードルが低そうでつい真似をしてしまう人とのちがいはそこにある。

 一首目は巻頭歌である。ここには手の込んだ倒置法が使われている。正置に戻すと、まず三句目までと残りを「ジャケットでジャケットでしないことをするからよれよれにジャケットがなる」とひっくり返し、次に「よれよれにジャケットがなる」を「ジャケットがよれよれになる」とまたひっくり返す。残りは「[ジャケットでしないこと]をジャケットでするから」と入れ子構造になっているという複雑な文になっている。穂村と山田航はこの歌を「これはやりすぎだね」と評しているが無理もない。

 二首目の工夫は「青いから」にある。ライターを手の中で回すのは、人が無意識によくする行為だ。しかし「青いから」と「そこでなにかが起こったような」の間に論理的連関はない。論理的連関を断ち切ることによって意味の脱臼が起こり、言葉は日常の地平を離れて浮遊し始めるのである。三首目は意図的に助詞と述語を省略することによって、言葉の連接を疎外して、「言いさし感」と「言い足らず感」を浮上させている。四首目は永井を「てにをは派」とする大辻ならば喜びそうな歌である。「雪の日に猫にさわった」の「雪の日に」は時間指定を行う連用修飾句であり、文全体に掛かる。一方、「雪の日の猫にさわった」の「雪の日の」は「猫」に掛かる連体修飾句であり、「雪の日の猫」という大きな体言内部で完結している。「雪の日に猫にさわる」という体験を通して、猫は単なる猫ではなく「雪の日の猫」という一回限りの特性を帯びることになる。言わば外部が内部へと浸透するのである。五首目は通勤のために駅のホームで電車を待っている光景だろう。かつおだしの匂いというのは、駅のホームにある立ち食い蕎麦の店から漂う匂いだろうか。この歌でおもしろいのは「待てばくる」だろう。駅なのだから待てば来るのは当たり前である。当たり前のことをわざわざ言うのはどこかおかしい。そのどこかおかしい感が日常の言葉と少しずれを生んでいる。

 永井の短歌のもうひとつの特徴を挙げておきたい。ものすごく乱暴に短歌を二分すると、「名詞中心の歌」と「動詞中心の歌」に分けられる。名詞中心の歌の代表格は何と言っても塚本雄だろう。

煮られゐる鶏の心臓いきいきとむらさきに無名詩人の忌日

                   『日本人霊歌』

ペンシル・スラックスの若者立ちすくむその伐採期寸前の脚

                    『緑色研究』

 名詞は基本的に動きを表さず、時間性を内包しない。このため名詞中心で描かれた光景は、あたかも一幅の絵画のごとく凍り付いたように空間に固定される。それゆえ結像性が高く、読む人の心に視覚的印象が深く刻まれる。永井の歌集にこのような歌は一首もない。永井は動詞中心派なのである。

デニーロをかっこいいと思ったことは、本屋のすみでメールを書いた

目をつむり自分が寝るのを待っている 猫はどこかへ歩いて行った

とおくから獅子舞を見る 駅ビルの階段の上でゆっくりうごく

 永井が動詞中心派なのは、ふつうの世界に生きている〈私〉の「今」を表現したいからだろう。一首目や二首目のように過去形の「タ」で終わる歌もあるが、三首目のように非過去形の「ル」で終わる歌も多くあり、この歌のように一首の中に動詞が複数使われているものもある。それが〈私〉の「今」とどうつながるかは、別の所に書いたのでここでは繰り返さない。

 文体派の永井の面目躍如の歌集である。本歌集は今年の大きな話題となるだろう。

 

第312回 山下翔『温泉』

檀弓まゆみ咲くさつきのそらゆふりいづる母のこゑわれにふるへてゐたり

山下翔『温泉』

 山下翔は1990年(平成2年)生まれで、2007年頃から作歌を始めたという。17歳だからまだ高校生か。九州大学理学部に入学後、しばらくしてから短歌に力を入れるようになり、九州大学短歌会を創設して代表になる。第一歌集『温泉』に収録された50首の連作「温泉」は、『九大短歌』第4号 (2006年) に掲載されている。他の会員が10首や20首の出詠の中で、50首の連作は異例である。早くから連作を構成する技量を持っていたことがうかがえる。山下が注目されたのは、現代短歌社賞で二度にわたって次席になったことによる。第1回目のタイトルは「湯」、第2回目が「温泉」であった。選考委員だった外塚喬は、「二十代の若者ならもう少しかっこいいタイトルを付けてもよいだろうと思った」と栞文に書いている。

 『温泉』は2018年に現代短歌社から上梓された第一歌集である。栞文は島田幸典、花山周子と外塚喬。本歌集は第44回現代歌人集会賞、第63回現代歌人協会賞、福岡市文学賞を受賞している。現在「やまなみ」所属。

 瀬戸夏子は『はつなつみずうみ分光器』で山下を紹介する文章を「いぶし銀の新人の登場であった」と始めている。「現代短歌ではなく、近代短歌の継承者が突然姿を現した」、「とにかくいい意味でいまどきの若者らしくない」と続けて、「大物だ」と締めくくっている。どうやら、いまどきの若者らしくない近代短歌というのがキーワードのようだ。さてその作風はというと、なかなかに個性的で確かにおおかたの現代の若手歌人の短歌とはひと味ちがうのである。

店灯りのやうに色づく枇杷の実の、ここも誰かのふるさとである

厚切りのベーコンよりもこのキャベツ、甘藍キャベツ愛しゑサンドイッチに

そんなに握りつぶしてどうするまた展く惣菜パンの袋であるに

みりん甘くて泣きたくなつた銀鱈の皮をゆつくり噛む夏の夜

食べをへた西瓜の皮のうつすらと赤みがかつて夕空かるし

 一首目、熟れた枇杷の実の橙色が飲み屋街の店の灯りのようだと述べる韻律のよい上句は突然分断され、下句はつぶやくような口語の感慨へと転じている。この転調は山下の得意技である。二首目はキャベツとベーコンを挟んだサンドイッチの歌で、後でも述べるが山下には飲食の歌が多い。山下はよほどキャベツが好きなのか、キャベツの歌が他にもある。この歌では特に統辞の工夫に注目したい。三句目で体言止めして、「甘藍愛しゑ」といったん感慨し、最後にサンドイッチという正体を明かす。この出し方に工夫がある。三首目は口語脈で独り言のような歌で、惣菜パンを入れた袋を強く握りすぎているという瑣事を詠む脱力系である。こういうとぼけた味わいの歌も多い。四首目は男一人の飲食の歌に侘しさが漂う。侘しさは短歌によく似合う。高額の宝くじに当選したという短歌は見たことがない。五首目は三句目までが「赤み」を導く序詞のように作られていて、山下はこのような技法を好んでいるようだ。次のような歌もある。

朝食のふぐのひらきのしろたへのウエディングスーツきみも着るのか

 栞文で島田幸典は「この歌集で最も輪郭濃く描かれた登場人物は、お母さんである」と述べている。確かに島田の言うように、本歌集には両親を詠んだ歌、とりわけ母親を詠んだ歌が多くあり味わいが深い。

母がまだ煙草を吸つてゐるとしてやめようよなんて言つてはいけない

母の日を過ぎてそろそろ誕生日の母をおもへど誕生日知らず

母の通ひ詰めたるパチンコ店三つひとつもあらずふるさと日暮れ

四十代さいごの年を生きてゐむ母にさいはひあるならばあれ

会はないでゐるうちに次は太りたる母かもしれず 声を思へり

 歌に描かれた母は、パチンコ屋に通い煙草を吸うというなかなか豪快な女性である。これらの歌にとりわけ味わいがあるのは、何か事情があって母親は作者と離れて暮らしているからである。「母にかはつてとほくから来るバスを見きつぎつぎに行き先を母へ伝ふる」という幸福な子供時代を回想する歌もあり、母親は作者にとって記憶の中に生きている思慕の対象であるようだ。

 記憶があやふやだが、永井祐の作る短歌は舞台が東京でないと成立しないと山田航がどこかで書いていた。それはひょっとしたら西田政史の『ストロベリー・カレンダー』(1993年)あたりからはっきりした傾向となって、現在まで続いているのかもしれない。無機質で風土性の欠如した都市空間は様々なものを漂白して提示する。どこまでも続くユークリッド空間のように凹凸と陰翳がない。しかし山下の歌には強い風土性が感じられ、これも現代の若手歌人にはあまり見られない特色となっている。

この墓がどこに通じる友人の精霊しやうろう流しの手伝ひに来て

新盆の家をまはると細き路地に船押す人と曳く人とあり

母がしてゐたやうに花買ひ水を買ひ生家の墓へと坂をのぼりつ

鬼灯を今年は買つてまぜてみる墓に冷たく祖父が来てゐる

ふるさとに見過ごすもののおほきゆゑ今年は咲いて百日紅あり

 お盆に故郷で墓参りをする光景が描かれていて、九州なので精霊流しの船もある。生家の近くには先祖の墓があり祖父も眠っている。私の世代ならごく普通の景色だが、現代の都市に暮らす若い人たちには「日本昔ばなし」の世界だろう。こういうところにも山下が近代短歌の血脈を継ぐと言われる理由があるのかもしれない。

 先にも書いたように本歌集には飲食の歌が多く、どれもおもしろい。

それでキャベツを齧つて待つた。焼き鳥は一本一本くるから好きだ

戻り鰹のたたきの下のつましなれば玉ねぎのうすらうすら甘かり

円卓をまはせばここに戻りくる あと一人分の酢豚をさらふ

ざく切りのキャベツちり敷く受け皿にまづバラが来てズリ、皮、つくね 

ほの甘いつゆにおどろくわが舌がうどんのやはきにもおどろきぬ

 どの歌もいかにもおいしそうに詠まれていて、作者にとって飲食が楽しみであることが伝わってくる。四首目は焼き鳥の歌だが、「回転の方向はそれ左回り穴子来て鮪来てイカ来て穴子」という小池光の回転寿司の歌を想起させる。「つましなれば」をさらりと潜ませるなどなかなかの腕だ。このような飲食の歌もまた、近代短歌に通じるところがある。よく知られているように、斎藤茂吉もまた食べることに人一倍執着があり、大好物は鰻だったというのは有名な話である。

ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも

ゆふぐれし机のまへにひとり居りて鰻を食ふは樂しかりけり

 山下は本歌集の巻頭に、「山道をゆけばなつかし眞夏まなつさへつめたき谷の道はなつかし」という斎藤茂吉の『つゆしも』の歌を引いているくらいだから、茂吉の短歌世界に引かれているのだろう。『現代短歌』2021年9月号の「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」で山下は、最も影響を受けた一首として「たくさんの鉢をならべて花植ゑし人は世になし鉢ぞ残れる」という小池光の歌を挙げて、助詞の「ぞ」による係り結びにことに打たれると書いている。いまどきこんなことを書く若手歌人は他にはいない。

 本歌集で特に印象に残った歌を挙げておこう。

 

はつなつのものみな影を落としゐる真昼もつともわが影が濃し

橋ひとつ渡りをへたるかなしみは朝、後ろから抜けていく風

前に出す脚が地面につくまへの、ふるはせながら人ら歩めり

追ふともう二度と会へなくなるんだよとほく原付のミラーひかつて

ほとんど平らな橋の広さを見下ろせば雪のゆふぐれに人は行き交ふ

思ひ出すだけならあなたは死者になる冬の終はりの長い長い雨

真中なるもつとも長きひと切れのロースカツ食べつ春はさみしよ

スケートボード足に吸はせて跳ね上がる六月はじめの空あかるくて

たれの死にもたちあふことのないやうなうすい予感に体浮くことあり

 

 『温泉』のモノトーンの表紙は良く言えば渋く、悪く言えば地味だ。中の紙も上質紙ではなく、わざとざらつきの多い粗悪な感じの紙を使っていて、装幀にもポリシーが感じられる。瀬戸夏子は目を懲らして見ると、表紙には斎藤茂吉の写真がシルエットになっていると書いているが、私はいくら目を懲らしても見えなかった。目が悪いのだろうか、確かに老眼ではあるけれど。山下は第二歌集『meal』を準備中だという。タイトルから想像するに、全篇飲食の歌だろうかとも思うが、まさかそんなことはあるまい。

 蛇足ながら山下は九大短歌会の代表を辞していて、後任は石井大成だという。石井はいくつかの短歌賞で佳作・次席になり、「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」にも取り上げられているので少し引いておこう。

はたはたとティッシュ舞う夏の洗濯よ不在は在の、あなたの影だ

雪見だいふくだとあまりにふたりで感なのでピノにして君の家に行く 月

気持ちはもう思い出せずにただ白い箱が窓辺で日を浴びている


 

第311回 上村典子『草上のカヌー』

トライアングルぎんいろの海をみたしつつ少年が打つ二拍子ほそし

上村典子『草上のカヌー』

 学校の音楽の授業の場面である。男子生徒がトライアングルを鳴らしている。トライアングルは音楽室の窓から射し込む陽光に鋭く光り、そこに三角形の海があるように見える。少年は二拍子を叩いているのだが、その音はか細い。この歌のポイントは結句の「ほそし」にある。その理由は、少年が特別支援学級の生徒で、障碍を持っているからである。そのことはこの歌のある連作全体を見れば明らかだが、この一首には書かれていない。短歌は一行詩だが、その性格上、そこに書かれていない情報を補填しつつ読まれる。昨今、そのような短歌の性格に疑義を呈する向きもあるが、それは短歌の本質に関わる問題である。

 瀬戸夏子の『はつなつみずうみ分光器』(左右社、2021)をおもしろく読んだ。タイトルに「はつなつ」とあるせいか、どことなく夏向きの本である。穂村弘の『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』の「まみ」のモデルが小林真実(雪舟えま)で、この歌集は二人の共同幻想から生まれたと書かれていて、そのことをまったく知らなかった私は驚いた。『はつなつみずうみ分光器』は改めて論じることにして、今回は収録されたある歌人について書くことにしたい。

 この本で取り上げられている歌集はほとんど読んでいるが、二人だけ知らない歌人がいた。『開放弦』の上村典子と、『アネモネ・雨滴』の森島章人である。森島の歌集は古書価が高すぎてあきらめた。一方、上村典子は現代短歌文庫の『上村典子歌集』(砂子屋書房、2011)があるので、それを取り寄せて読んだ。一読して、こんなに美しく切ない歌を詠む歌人がいることに驚いた。

 プロフィールによると、上村典子は1958年生まれ。高校生の時から作歌を始め、26歳の時に「音」に入会して武川忠一・玉井清弘らの薫陶を受けている。第一歌集『草上のカヌー』(1993)、第二歌集『開放弦』(2001)、第三歌集『貝母』(2005)、第四歌集『手火』(2008)、第五歌集『天花』(2015)がある。高校・中学校の教員を務めた後、郷里に戻り特別支援学校の教員として勤務している。

 瀬戸が『はつなつみずうみ分光器』に上村の第一歌集ではなく第二歌集『開放弦』を取り上げたのは、2000年以後に出版された歌集を論じるというこの本の制約のせいだろう。『上村典子歌集』には『開放弦』が抄録されているが、全篇収録されている第一歌集『草上のカヌー』の瑞々しさは圧倒的なのである。

並び立つ書架にどよめく死者のこゑ樟のひかりにしずむ図書館

けふひと日海の呼吸をおもふかなほのあかりする布を纏ひつつ

ソーダ水みたし透かせるおとうとのガラスコップか春はあけぼの

はつ夏のひかりめぐりて駆けゆける自転車の輪のこぼすアレグロ

兄妹とおもはれし写真ピンで留め五たびの夏のしほの香はする

 上村の短歌の特徴のひとつは、五感に訴える描写の巧さにあり、それが清新な抒情を生み出している。一首目はおそらく大学生時代の歌だろう。図書館の書架に並ぶ無数の本に死者の声を聞き、窓外の樟の木を通して届く光を感じている。ここには聴覚と視覚の交感がある。二首目の「呼吸」は聴覚、「ほのあかり」は視覚で「布」は触覚だろう。身に付ける服が微光を放ち、潮の香を漂わせるかのようだ。三首目の「ソーダ水」からは、透明さと冷たさとパチパチと弾ける炭酸の音が聞こえてくる。かと思えば四句までは結句の「春はあけぼの」の喩であることが最後に明かされるという仕掛けになっている。四首目の「ひかり」は視覚に、「アレグロ」は聴覚に訴えることで紛れもない青春性を感じさせる。五首目では「写真」が視覚で、「潮の香」は嗅覚である。写真に写る自分と恋人は兄妹と見られてしまうほどまだ若い。

姉ならぬ母ならぬわれ透明な鋭角体の生徒にむかふ

頭ひとつわれより高き十五歳まづ坐らせて諭しはじめつ

常夜燈に坂はかがやくバス降りてわれを憎める少女を訪ねゆく

 大学を卒業して中学校の国語教師になった頃の歌である。「透明な鋭角体」とは生意気盛りで尖った中学生を表現したものだろう。生徒をまず座らせるのは、生徒が自分より背が高いため、教師としての優越的ポジションを確保するためである。三首目はおそらく家庭訪問の情景だろう。担任をしている生徒たちとの細やかな関係性がよく描かれている。

 佳品が多いのは特別支援学校に転勤してからの歌である。

スタッカートの勢ひもちて駆けてこし少年今朝のわがかほを抱く

発語なき生徒のおもてを奔りゆく音楽のごときに手触れてをりぬ

ビー玉に川がながれてゐるといふ弱視の生徒は瞳を寄せて

失禁をはぢらふ少女わが髪を掴みて指に力こめくる

プールにて抱きとるをさなき体温のどこかいたまし水の秋来ぬ

少女にはことばともりぬくちびるのア音はきよきランプのかたち

 特別支援学校に通う生徒はどこかに障碍を抱えている。その種類は様々だが、体が不自由な生徒との日常には身体の接触が多くなるのだろう。「かほを抱く」、「手触れて」、「髪を掴みて」、「抱きとる」のように、普通の学校の教員と生徒の間にはあまりない濃密な身体的触れ合いが描かれており、そのことが歌に力強さとリアリティーを与えている。六首目のみ『開放弦』から引いた。発語のなかった児童が初めて言葉を発した瞬間を詠んだ歌で、それを「灯りぬ」と表現して縁語の「ランプ」と続けている。ここにも音(聴覚)と灯火(視覚、触覚)の交感が、初めての発語という特別な時間を描いている。

 家族を詠んだ歌も多い。

雪はるか森に降れると窓に寄りわれの森なる父の告げしか

わがために母のつくりし和紙の雛いつかなくして雪降る節句

亡兄ひとり冷えゆくまでを泳ぐかな星降る夜の屋上プール

いまだ独身ひとりの弟眠る籐椅子に泳ぎしあとの髪みだす風

 作者には弟の他に、死産で生まれた兄がいる。父母と弟と亡兄が家族のすべてで、家族にたいする細やかな愛情は読んでいて羨ましいほどだ。特に弟にたいする愛情

は深いようだ。

おとうとと左右さうに坐りて連弾のあのころひと日ゆつくり過ぎき

                           『開放弦』

鎖骨より真珠をはづすさやうならおとうと婚のはつなつゆふべ

おとうとの体をめぐる透析のきらきらとして銀河の浮力

                    『貝母』

おとうとに分かたむ腎臓夜半にはつぼむ百合ほど灯りてふたつ

わが左腎右腹腔にをさめられおとうとの手指しづかに置かる

 一首目は子供の頃にピアノの連弾をした思い出である。二首目は弟が結婚した折の歌。ところが弟は腎臓病を患い人工透析を受けることになる。作者は自分の腎臓をひとつ提供して腎移植を行なうのである。肉親とはいえ大きな決断であることにはちがいない。

 こうして上村の短歌を時系列に読んでいると、つくづく短歌とは特別な文学形式だと改めて感じる。桑原武夫の第二芸術論が発表されたとき、アララギの総帥高浜虚子は「とうとう俳句も芸術になりましたか」とうそぶいたと伝えられている。俳句と同じように、短歌も文学ではないとする見解も可能ではあろう。しかし百歩譲っても短歌が言葉を綴る芸であることには変わりはない。作者の人生の軌跡と日々の思いに留まらず、家族の様子や同僚・生徒の有り様に至るまでこれほどつぶさに描かれ、そしてそれが抒情詩として成立しているという文学形式は、世界広しといえども短歌以外にはない。稀有なことと思うべきであろう。

遺影とふ触るるをこばむ笑みありてみづつるなく封じゆく生

木の階を夕光ゆふかげと折れてのぼりゆくわれが運べるものの寡し

たれまつにあらずわれへと還りゆくたそがれにがきみづくぐる刻

卓上にわたしそこねる月いろの水差カラフ砕けて夏はじまりぬ

古詩一篇脚韻ぬらすほどを降る梅雨の季果てむ夜のとほり雨

少年の体にあかずめぐりゐむこくんと陽射しうけつつ水車

うち捨てにされたる智惠の輪のやうにゆふべ路上になはとび光る

ゆふされば母撒くみづにちまよふあかねあきつのはねふるひつつ

 特に印象に残った歌を引いた。二首目のような内省の歌にも佳品が多い。歌い上げるような造りではなく、逆に内へと沈むような作風である。

 上村は何度か短歌賞の候補に残っているが、受賞は逃している。田島邦彦編『現代短歌の新しい風』(ながらみ書房、1995)の『草上のカヌー』の解説(栗木京子執筆)には、「1993年は第一歌集の当たり年で、個性豊かな歌集が出揃った感がある。それらの多彩な歌集の中にあって、『草上のカヌー』の端正な抒情はやや地味な印象を与えがちだったかもしれない」とある。確かに同じ年には、尾崎まゆみ『微熱海域』、早坂類『風の吹く日にベランダにいる』、西田政史『ストロベリー・カレンダー』、谷岡亜紀『臨界』、早川志織『種の起源』、中津昌子『風を残せり』などが出版されていて、前年の1992年には、穂村弘『ドライドライアイス』や荻原裕幸『あるまじろん』が出ている。世はライトヴァースからニューウェーヴへと雪崩を打って多彩な修辞の季節を迎えていた頃である。そんな時代の流れの中では『草上のカヌー』のような作風はあまり目立たなかったのだろう。しかしそんな時代の流行も「様々なる意匠」にすぎない。『草上のカヌー』は現在読んでも清新さをいささかも失っておらず、まるで青春をタイムカプセルに閉じ込めたような歌集である。おそらくそれは短歌には作者が生きる〈今〉が刻印されているからだろう。


 

第310回 北辻一展『無限遠点』

われの血の通いてちいさな臓器となるその一瞬の蚊を打ちりぬ

北辻一展『無限遠点』 

 夏の蚊が体に止まって血を吸っている。それが見えるのだから止まっているのは腕か足だろう。血液は蚊の口吻を通って体内へと運ばれてゆく。その有り様を、蚊が私の臓器の一部となると捉えているところがユニークだ。確かに血を吸われているときは、〈私〉の血液が蚊の内部に通うことになり、〈私〉と蚊とは一体となると見ることもできる。とはいえ次の瞬間には蚊を手で叩き殺すのではあるが。

 北辻一展は1980年生まれ。同人誌「豊作」の2006年第3号のプロフィールには「歌歴3年」とあるので、2003年頃から歌作を始めたようだ。「京大短歌会」「塔」に所属し、「アークの会」や「豊作」などでも精力的に活動している。今までは北辻千展(きたつじ ちひろ)の名前で短歌を発表していたが、本歌集から北辻一展(きたつじ かずのぶ)の筆名で活動することにしたようだ。『無限遠点』はかなり遅めに上梓された北辻の第一歌集である。解説は「塔」の主宰で師でもある吉川宏志。歌集題名の無限遠点とは、ユークリッド平面では交差することのない平行線が交差すると考えると理論的にうまくゆくことがあり、そのために考案された仮想的な点のことらしい。つまり現実には存在しない点である。大学院に在学中に量子力学に熱中していたという理系の作者らしいタイトルである。作者は理系の研究者であり、また医師でもある。研究者としてはタンパク質の制御機構の研究をしていたようだ。「塔」には元主宰の永田和宏や永田紅のような先蹤がいるが、私はかねてより理系と短歌の抒情は相性がよいと考えている者である。本歌集もそのことを実証しているように思える。

 北辻の歌風はいかにも「塔」らしく、言葉が派手に煌めくことなく、生活実感に根差した静謐な詠いぶりである。文体は文語に適度に口語が混じるという、現代の多くの歌人が採っているものだ。

吹雪の日は望遠鏡にいるようで白さの中に人吸われゆく

起きぬけのしずかなマウス裏返し腹の黒きに薬剤を打つ

早朝に起きて出てゆくのみの部屋 線描ほどの淡さを持ちぬ

会える日を告げえざるときはつ夏の立葵のごとのみどは伸びる

一日のデータをノートに記載する染色液ダイにて青く汚れた指で

 一首目は作者が北海道にいた頃の歌である。激しい吹雪は視界を閉ざしてしまう。その視野狭窄を望遠鏡の中に閉じ込められたようだと表現している。二首目は理系の研究者の歌で、実験に用いるマウスを処理している場面。ポイントは「腹の黒き」だろう。三首目、理系の研究者は長い時間を研究室で過ごす。時には研究室で毛布にくるまって寝泊まりすることもある。夜中に大学の研究棟の横を通ると、窓に煌煌と明かりが灯ってまるで不夜城のようだ。だから借りているアパートの部屋はただ寝に帰るだけの部屋となり、生活感が薄くなる。それを線描と表現しているのである。四首目は相聞歌である。恋人と別れるとき、次に会える日を告げることができない。多忙で予定が立たないのか、それとも遠方に転居を控えているのか。言いたくても言えない状態を喉が伸びると表現している。五首目も研究の場面の歌。実験データは何より重要なものである。研究者は必ず日付のあるノートに実験の結果を書き留める。第一発見者が誰か係争が生じた時のためである。

月光の香り満ちたり核磁気共鳴分光測定棟に

かたちほぐして細胞をとるぽつねんと胎児のくろき眼はのこる

放射光科学研究施設フォトン・ファクトリーよりひとは戻りくる夕立が降る気配をつれて

戦争イソスポーラは目のかたちしてわれらを見つむ顕微鏡下に

皮膚も歯もあらわな鼠ハダカデバネズミその長寿遺伝子DeBAT1(デバワン)

 理系の用語が詠み込まれている歌を引いた。一首目の核磁気共鳴装置はMRAと呼ばれていて、大きな病院では診断に用いられている。そんな装置が置かれている研究棟なのだろう。漢字が連なる厳めしい名前と月光の香りという詩情の組み合わせがよい。二首目には「マウス胎児繊維芽細胞」という詞書が付されている。繊維芽とは細胞の結合組織を形作っているもの。組織を採取した後に、黒い目だけが残ることに作者は哀れを感じているのだろう。三首目、放射光とは、陽子や電子を猛スピードで加速するシンクロトロンで生まれる光のこと。物質の成分分析などに用いられる。この歌でも放射光科学研究施設という硬質の名と夕立が降る気配という日常的感覚とが並置されている。四首目の戦争イソスポーラは寄生虫の一種で、第一次世界大戦時に流行したためにこの名があるらしい。五首目のハダカデバネズミはアフリカの地中に暮らしているネズミの一種で、文字どおり体毛がなく大きな前歯がある。ネズミの寿命がふつう2年程度なのにたいして、ハダカデバネズミは何と30年も生きる。その長寿遺伝子がDeBAT1(デバワン)なのだが、何というネーミングだろう。

祖父の死を考慮に入れて組み立てる大腸菌培養のスケジュール

焦点の合わぬまなこに呼びかければまなこはわれに焦点の合う

祖父と写るはすべて幼きわれなりき日付の赤き数字ぼやけぬ

わが顔を祖父は凝視し祖父はその記憶を持ちていずこへゆきしか

祖母がまだ生きている間に編集を急ぎぬ祖父の文学全集

 祖父の死を詠んだ一連から引いた。三首目の「赤き数字」とは、撮影した日付を写真に写し込む、昔のフィルムカメラの機能である。大人になってから祖父と写真を撮ることはなかったのだ。五首目にあるように、作者の祖父は作家だったようだ。二首目の「まなこ」と「焦点」の繰り返しと、四首目の「祖父」の反復が、どこかのっぴきならないような印象を歌に与えている。

少年天使像つくらんとする父のためわれの背中を見せしあの頃

木塊をのみで大きくえぐるたび青年の厚き胸になりゆく

おまえのは趣味だろうがと前置きし父は語りぬ芸術論を

 北辻の父親は彫刻家の北辻良央で、その装画が歌集の表紙に使われている。一首目は父親のモデルとなった幼少時の記憶である。父親は北辻が研究者・医師をしながら短歌を作っていることを単なる趣味・余技としか見ていない。その悲しみは感じつつも、芸術論を語ることができる親子関係は羨ましいものでもある。

サイレンでプールサイドに浮上して黙祷をする長崎の夏

戦争は総力戦にて供されし馬ありそして青銅馬あり

銃声とともに畔へと倒れこみ死んだふりした幼き祖母は

列なせる島民たちの胸元に聴診器おき眼閉じたり

漁船にて往診をする医師たちと雲間より降るひかり見ており

 故郷の長崎に医師として赴任した時の歌である。長崎に原爆の記憶は消えることがなく、それを歌に詠むこともまた歌人としてのひとつの選択である。長崎には離島が多くある。四首目と五首目は離島に船で島民の健康診断に赴いた折の歌だろう。近年このような職業詠が少なくなったように感じられる。職業詠は近代短歌が生み出したジャンルであり、もっと試みられていいように思う。

袋詰めのキャベツを食めばさきの世の馬のたましいさめてゆく夜

コインランドリーの乾燥機より蝶いづる冥界からの手紙のごとく

風景の折り目のごとく目のまえに蜘蛛の糸垂れ夏は閉じゆく

わが喉ときみの耳管はうつくしい言葉を待ちぬ鮮やかな夕に

生きるとはなにか死ぬとは ハンドソープがわが手に吐きし白きたましい

寄り添いの言葉を選りて話すときマスクの内で擦れる唇

 特に印象に残った歌を引いた。北辻の歌の造りの骨格のひとつは、「ケージの隅でかたまりて寝るマウスたち桜の花片のごとき耳もつ」のように、直喩を用いた「見立て」にある。日常的に出会う事物に「見立て」の操作を施すことによって、日常の空間から詩的な空間へとワープするところにポエジーが発生する。「マウスの耳」と「桜の花片」という異なる領域に属するふたつの事物が喩によって近接することによって詩が立ち上がる。これは短歌に限らず、詩や俳句にも通じる技法だろう。

 しかし上に引いた六首目の歌は造りが少しちがう。医師として患者に寄り添う言葉を選んで語りかけている場面を詠んでいるのだが、下句がそのような言葉を発している自分にたいする違和感を滲ませている。これは他者へと向かう眼差しが自己へと戻って来る自意識の歌である。いらぬおせっかいかもしれないが、本歌集にはまだ少ないこのような歌が増えることで歌境がいっそう深まることだろうと思えるのである。

 

第309回 平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

きみにしずむきれいな臓器を思うとき街をつややかな鞄ゆきかう

平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』

 上句の発想がユニークな歌だ。ふつうは体の中に臓器があると捉える。この歌では「きみ」と呼びかけられるおそらく異性の人体に臓器が沈んでいると捉えている。「沈む」と言うと、まるで人体が容器か湖のようだ。下句では一転して町の風景が描かれているが、町を行き交うのは人ではなく鞄である。それは上句で人体ではなく臓器に焦点が当たっていることと呼応している。臓器のぬらぬらする照りと鞄の艶やかな表面とが、人体の内と外との照応として描かれていておもしろい。

 平岡直子は1984年生まれ。早稲田短歌会を経て、同人誌「率」「町」に参加し、現在は「外出」同人。2012年に「光と、ひかりの届く先」で第23回歌壇賞を受賞して注目される。この年の応募者の中には、服部真里子、佐佐木頼綱、𠮷田恭大、笠木拓、春野りりんなど、後に名を上げる歌人がいるのだが、このような面々を押さえての受賞である。選考委員の東直子と今野寿美が二重丸を付け、内藤明と道浦母都子は一重丸で、伊藤一彦は無印となっている。選考座談会でいちばん強く平岡を押したのは東である。曰く、「自分が見ている世界から、丁寧に探っていって、見えないものも言葉で探ろうとしている」、「一首一首の中で『生きる』ということをうたおうとしていて、その生きることの中に死が含まれている」、「この人は言葉から作っていく作者代表みたいな作り方ですが、その中でも現実感とかリアルさを手放していない」。さすがは東で、平岡の短歌の本質をずばり突いていて、あまり付け加えることがないほどだ。

 『みじか髪も長い髪も炎』は歌壇賞受賞作を含む第一歌集で、今年(2021年)4月に本阿弥書店から刊行された。栞文は水原紫苑、正岡豊、馬場めぐみ。装丁は名久井直子。ポップな色の多角形と紐模様が組み合わされた瀟洒なデザインである。水原の栞文は熱い。本歌集の出版は「ひとつの事件」であるとして、平岡の歌には「儚く純粋な他者への希求」と「灼けつくような孤独な魂の呼びかけ」があり、平岡は「歌に呼ばれた狂おしい魂」だと断じている。このような最大級の賛辞とともに世に出る歌人はそうはいない。山田航は『桜前線開架宣言』の中で、平岡は論じることが難しい歌人だとして、弱者が最後の砦として言語表現を選んだというタイプの歌人とはちがうと述べている。言葉によって「生きる」ことに活路を見出そうとしたのではなく、「生きる」ことにすら不器用なのだとしている。確かに平岡は輪郭を捉えにくい歌人のようだ。それはなぜだろうか。

動物を食べたい きみのドーナツの油が眼鏡にこすれて曇る

遊びおわったおもちゃで遊ぶ冬と夜 きみに触れずに雨がとおった

ああきみは誰も死なない海にきて寿命を決めてから逢いにきて

王国は滅びたあとがきれいだねきみの衣服を脱がせてこする

裸眼のきみが意地悪そうな顔をしてちぎるレタスにひかる滴よ

 歌集の最初のほうから引いた。一首ごとの鑑賞と解釈は、平岡の歌の場合、あまり役に立たない。むしろ有害であるとさえ感じる。その理由のひとつは、短歌に描かれた情景が何かの現実の場面を指しているとか、実生活の体験に基づいているということがないからである。上に引いた歌にはすべて「きみ」が含まれているが、この「きみ」は特定の人物ではなく、平岡が歌を差し出す相手を指す無人称的な「きみ」だろう。同じように歌に散りばめられた「ドーナツ」「おもちゃ」「レタス」などのアイテムも、何かの喩として用いられているのではない。平岡の短歌で使われている言葉は、短歌的な喩としての機能をあらかじめ封じられているように見える。

 では平岡の歌の言葉は何に奉仕しているか。それは平たく言えばある「感じ」を表現するためではないだろうか。「感じ」とは、作者が実生活の生きづらさを覚えたり、死の予感に怯えたり、他者との関係性において遠さや軋みに苦しむとき、心に去来する光や影のゆらめきである。それはもう少し抽象度の高い思惟の領域で明滅する何かのこともあるだろう。上に引いた歌でそれは、日常のささいな場面で感じる不全感や喪失感や死の予感や他者への希求だと思われる。本歌集のあとがきに平岡は、「歌を生きる頼りにしたことはないけれど、歌に救われた経験がないといえば嘘になる」、「歌集として差し出せるのも自分のみている幻覚ばかりである」と書いている。「幻覚」とは平岡独特の表現で、日常の場面に必ずしも対応しない、心に明滅する表象ということだろう。もしそうであるならば、平岡の短歌を読むときは、無理に意味の脈絡を探したり、「このレタスは何を表しているのだろう」などと詮索せずに、言葉の流れに身をゆだねて、言葉が心をこする度ごとにスパークする光を感受すればよいということになる。こういう短歌の読み方はかんたんそうに見えるが、慣れていない人には案外難しい。

 詩や絵画では、形に表すことのできない感情や観念を具象を用いて表現する技法を象徴主義(サンボリスム)と呼ぶ。詩のボードレール、絵画のギュスターヴ・モローやオディロン・ルドンなどがそれにあたる。平岡の短歌も言葉を組み合わせ連接することで、直接的に表現できないある「感じ」を表現しようとしているとするならば、それは一種の象徴主義と見なすこともできる。そう考えると、水原紫苑があれほど平岡の短歌を高く評価し、「ひとつの事件」とまで呼んでいることも理解できる。水原もまた対応する現実を持つ写実によらず、言葉によってひとつの美の世界を現出させようとしている歌人だからである。

花の奥にさらに花在りわたくしの奥にわれ無く白犬棲むを

                水原紫苑『あかるたへ』

巻貝のしづけく歩む森に入りただひとりなる合唱をせり

                   『さくらさねさし』

回廊のごとくにをのこ並びゐる水底みなそこゆかむ死の領布ひれもちて

 平岡の歌をもう少し見てみよう。

震えてきれいなきれいなきれいな虫の羽きれぎれにこの世界

きみの骨が埋まったからだを抱きよせているとき頭上に秒針のおと

きみが思うわたしの顔を思うときそこにぽっかりあく空洞の

手をつなげば一羽の鳥になることも知らずに冬の散歩だなんて

飛車と飛車だけで戦いたいきみと風に吹かれるみじかい滑走路

 一首目では三回繰り返される「きれいな」が感情の強度を示している。歌の言葉が指し示しているものを敢えて言葉で表せば、それは「崩れゆくもの」への哀惜だろう。二首目はもう少しわかりやすくて「命の有限性」の悲しみだ。三首目は君が思っている私の顔を私が思うという捻れがすでに関係性の複雑さを感じさせる。一首が立ち上げる「感じ」は〈私〉という存在の希薄さだろう。四首目、歩く二人が手をつなぐと二つの体が大きな二枚の羽のようになる。比翼連理の喩えである。表されているのは関係性への希求とその不全である。五首目の「飛車と飛車だけで戦いたい」も感情の激しさを表している。歩や香車には見向きもせずに、最強の駒である飛車だけで勝負したいというのである。ここにも激しい関係性への希求があるが、「みじかい滑走路」が表しているように、その気持ちは空へと離陸することができないのである。

夢の廃墟が見ている夢に響かせるように額へきみのてのひら

夜と窓は強くつながるその先にひとりぼっちの戦艦がある

この朝にきみとしずかに振り払うやりきれないね雪のおとだね

魂に沿わないからだの輪郭をよろこびとしてコーンフレーク

ひかりふるあめふるおちばふる秋のあわいできみはのどをふるわせて

そしていつかきみを剥がれおちるものたち内臓を抱きしめる骨

冬には冬の会い方がありみずうみを心臓とする県のいくつか

燃えあがる 床を拭くとき照らされる心に地獄絵図はひらいて

 特に印象に残った歌を引いた。平岡の短歌には「夢」と「魂」という語がよく登場する。それは平岡が目に見える現実(と私たちが見なしているもの)に飽き足らず、現実を超えるもの、不可視の領域に心を引かれているからだろう。東が選考座談会で「目に見えないものを探っている」と評したのは当を得た見方だ。短歌史で目には見えないものを追究した前例を探すと、まず頭に思い浮かぶのは幻視の女王と呼ばれた葛原妙子だろう。不可視の領域への親和性という点において、平岡は2000年代のリア系若手歌人と一線を画していると言えるだろう。

 集中で私が最も美しい実現と感じたのは次の歌である。

きみの指を離れた鳥がみずうみを開いていけば一枚の紙

 「きみの指を離れた鳥」とは、指に留まっていた小鳥が飛び立ったともとれるが、ここでは君が折った折り紙と取りたい。折り紙の小鳥が飛び立って湖を開くというのは幻想の世界である。鳥が飛び立つことよって、眼前に森の中の湖が現出するのである。しかしやがて飛翔を終えた鳥は元の一枚の紙に戻る。現実と幻影とが一首のなかに混在し、ふたつの世界が「いけば」という接続表現によって折り合わされている美しい歌である。

 

第308回 北山あさひ『崖にて』

変わりたいような気がする廃屋をあふれて咲いているハルジオン

北山あさひ『崖にて』

 北山あさひは1983年生まれ。高校の国語の時間に短歌と出会い、歌を作り始める。しばらく作歌を中断した後、2013年にまひる野に入会。翌年にはまひる野賞を受けている。2019年に第7回現代短歌社賞を受賞。受賞作がそのまま第一歌集『崖にて』として現代短歌社から2020年に出版されると、翌年第27回日本歌人クラブ新人賞と、第65回現代歌人協会賞を立て続けに受賞して注目されることとなった。『崖にて』の帯文は島田修三、装丁は花山周子。

 「現代短歌」2020年1月号に第7回現代短歌社賞の選考座談会が収録されている。選考委員は、阿木津英、黒瀬珂瀾、瀬戸夏子、松村正直の四名。「崖にて」は予備選考で最高点を取り、第二位だった森田アヤ子の「かたへら」とダブル受賞となっている。現代短歌社賞の選考では、たいてい2名ずつ2組で意見が分かれるのだが、今回は瀬戸が10点、残りの3名が9点を付け、珍しく得点に大きな開きがない。しかし松村と黒瀬は森田アヤ子「かたへら」に10点を付けたので、両者の競り合いとなった。瀬戸はのっけから「読んだときに今回はこれで決まりかな」と思ったと言い放ち、終始北山を推す論陣を張っている。曰く、「人生の経過をバランスよく詠みこむつくりになって」いて、「表現に新規性があり、構成は王道で」あると持ち上げている。これに対して黒瀬は、最初は10位以内に入れていなかったが、読み返す度に順位が上がったとする。不思議な迫力がある反面、自虐が強く表現に拙いところがあるとも述べている。松村は「芯の強さを感じさせる文体」と評し、北海道に住む地域性があり、家族を詠んだ歌もよいと評価している。阿木津は9点を付けた割にはネガティヴで、特に「ピクニック、ぶらんこ、痴漢、蝶の刺繍入りのブラジャー 春の季語クイズ」のようにシンタックス(統辞)をぶつぶつ切る文体に苦言を呈している。

 さて北山はどのような歌を詠むのだろうか。評価の高かった「グッドラック廃屋」から引く。掲出歌もここから採っている。

いちめんのたんぽぽ畑に呆けていたい結婚を一人でしたい

三十代過ぎればぽっ、ぽっ、と廃屋ばかり光って見える

湿地から漁村へ抜けてゆくバスの窓辺でわたしは演歌の女

美しい田舎 どんどんブスになる私 墓石屋の望遠鏡

約束の数だけ長く生きられる駅から光こぼれやまず

母でなく妻でもなくて今泣けば大漁旗のハンカチだろう

ハズレくじ三枚ぎゅっと丸めたら明るくなって春の曇天

 一首目は、現在置かれているつらい境涯からの脱出願望とジェンダー意識を並列した歌である。「いたい」「したい」と語尾が揃っていて、独り言感が強い。二首目、「廃屋」というのがこの連作のキーワードなのだが、それは残念なものとして捉えられている人生の側面のようだ。廃屋ばかりが目につくとは、振り返るとそのような場面ばかりが頭に浮かぶということか。三首目はどこか本音を隠して他の人を演じているようで、「私にはこんな一面もあるのよ」ということだろうか。四首目は三段切れながら話題になった歌である。最後の「墓石屋の望遠鏡」でうんと遠くへ飛ばしている。北山はこのように結句で遠くに飛ばす歌が得意なようだ。五首目はわかりやすい歌。人との約束は生きる希望であり、未来への切符でもある。最後を「こぼれてやまず」とすれば定型に収まるのだが、収めたくなかったのだろうか。六首目は30歳を過ぎてまだ家庭を持たない境涯を詠んだ歌。大漁旗ほど大きなハンカチがいるということである。七首目、何の籤かわからないが、籤に当たったことがない身の不運を嘆きつつも、最後はそれでも元気で生きて行こうという前向きの歌になっている。

 一読して気づくのは「生きづら感」だろう。黒瀬は選評で「サバイブ感」と表現している。穂村弘の言を借りれば、「生きる」と「生き延びる」の「生き延びる」の方だ。「生きづら感」は現代の若手歌人の歌に濃淡の差はあれ広く見られるものである。だから北山に特徴的というわけではない。やはり北山の短歌の特色は、黒瀬が「不思議な迫力」と表現したところにあるのだろう。黒瀬は、「現代のちょっとした諦念みたいなものが微妙に出ていて」、「読者に鋭いものを突きつけてくる」、「怖い歌集になるんじゃないかと思います」とも述べている。そのような読後感がどこから来るのか考えてみると、その原因のひとつは言葉のオブラートに包むのではなく、身も蓋もなくズバッと言ってしまう作風にあるように思われる。それは上に引いた歌では、「結婚を一人でしたい」とか、「どんどんブスになる私」とか、「大漁旗のハンカチ」とかに表れている。それが高じると、「顔面で受け止めている波飛沫ろくでなしの子はろくでなし」とか、「こうなればジャン=ポール・エヴァン五千円銀のトレイに叩きつけたろ」のように、何か心に溢れて来るものを吐き出すような歌となって表れる。歌の〈私〉が今どんな人生を送っていようとも、斜に構えたりすることなく、正面からどーんとぶつかっている感じがあり、それが黒瀬の言う迫力になっているのではないだろうか。

 現代短歌社賞の選考座談会でも評価が高かったのは家族を詠んだ歌である。

夏雲のあわいをユー・エフ・オーは行くきらめいて行く母離婚せり

父は父だけの父性を生きており団地の跡のように寂しい

紙という燃えやすきものにわが家あり戸籍謄本抱いて走る

ちちははの壊れし婚にしんしんと白樺立てりさむらい立てり

 北山の両親は離婚し北山は母親の籍に入っている。一首目は四句までは夏空を悠然と進む未確認飛行物体をゆったりと描き、結句でシーンを切り替えてストンと落としている。この手法はどちらかと言うと「未来」流なのだが、北山お得意の手法である。二首目では「団地の跡」という喩がおもしろい。高度経済成長の時代に立てられた大規模団地だろう。三首目では自分の家の根拠が戸籍謄本という紙の中にしかないという心細さが詠まれている。四首目では唐突に「さむらい」が登場するが、これは北山にとっては心を奮い立たせるときにイメージするアイテムのようだ。とてもコミック的である。

 作者は札幌のテレビ局で非正規職員として働いている。次の最初の三首は東日本大震災が起きた時のテレビ局の様子を詠んでおり、後の三首は2018年に起きた北海道胆振地方の地震の歌である。

わたくしを心臓が呼ぶ東北に緊急地震速報起てり

ブザーより一秒早く回り出すパトランプ、赤、誰か走ってる

一枚のFAX抱いて駆けて行く 字幕を作る 津波が来ると

Tさんが「カメラ回して!」と叫びつつ消えてゆく暗い廊下の先へ

バッテリーライトに照らし出されたる報道記者の顔のはんぶん

揺れていますスタジオも揺れています揺れてもきみは喋り続けよ

 震災を詠んだ歌は多くあるものの、このように災害発生時点での報道現場を詠んだ歌は少ない。体験した人にしか表せない迫力があり、証言としても貴重だ。

 笑ったのは次の連作で、どうやら作者は身代限りを企て、大金をはたいて東京は目白にある椿山荘に宿泊したらしい。明治の元勲山縣有朋の旧宅で、キッチュで豪華な内装で知られたホテルである。

北山様、北山様と呼ぶ声に痴れてゆくなりCHINZANSO TOKYO

やたらと壺、それにいちいち手を触れてキタヤマサマは非正規職員

苛立ちはざくりと兆しあの庭もこの絵も燃やしたろか 燃やせぬ

 その他に心に残った歌を挙げてみよう。

花びらのごみとなりたる一瞬にこころの水平つめたく測る

秋のあさ秋のゆうぐれこくこくと人の静脈あおざめゆくも

群青の胸をひらいて空はあるかけがえないよさみしいことも

大きさを確かめるため芍薬に拳をかざす路地仄暗し

夏薔薇はコンクリートに咲きあふるいのちに仕事も貯金もなくて

ひとりじゃないようでひとりだ梨を剥き梨に両手を濡らしていれば

さわらせてほしい背中の骨格のどこかに春のスイッチがある

遠のいてしまうとしてもがたんごとん路面電車は夕風のなか

くちづける猫のあたまの小ささよ悲しいことはヒトの領分

傘差してなお少しずつ体濡らす人々に守りきれぬものあり

帰るべき星のなければあの夏のサン=テグジュペリ空港を恋う

 断っておくが、これはあくまで私の好みに従って選んだもので、必ずしも北山の作風のベースラインを表しているわけではない。北山らしいのはむしろ、「だれもいないタオル売り場に左手を埋める尼にはどうやってなる」とか、「あかね雲グラクソ・スミスクラインのクソの部分を力込めて読む」のような歌だろう。

 こうして書き写してみると、帯文で島田修三が書いているように、作者には韻律を感受する優れた耳があるようで、定型に落とし込む手つきが確かである。最後の歌のサン=テグジュペリ空港はフランスのリヨンの空港である。昔はサトラス空港という名前だった。北山は数週間フランスでホームステイした経験があるらしい。

 謎なのは「崖にて」という歌集の題名である。崖という語は何首かの中に登場している。

お豆腐はきらきら冷えて夜が明ける天皇陛下の夢の崖にも

の中に小さく祈るちいさくちいさく心の果てに崖はひらけり

 もし崖の上にいるのなら、崖とはもう一歩退けば真っ逆さまに転落する境界となる。もし崖の下にいるのならば、それは行く手を阻む越えがたい障害となるだろう。しかし歌集を読んでもどちらかの像に収束することがない。おそらくは北山の心の中にときどき明滅する何かのイメージなのだろう。

卓袱台をひっくりかえす荒くれの心に卓袱台なければうたを

 北山にとって短歌がどういうものかを雄弁に語る歌である。卓袱台返しは『巨人の星』の星一徹で広く知られるようになった。両親は離婚し、自分は非正規雇用という不安定な身分で働かざるをえないという状況に、怒りが爆発すると卓袱台をひっくり返したくなるのだが、いかんせん現代の生活にもう卓袱台はない。北山にとって短歌とはひっくり返す卓袱台の役割を果たしているのであろう。これもまた短歌の効用のひとつと言うべきだろうか。

 

第307回 小笠原和幸『黄昏ビール』

生は揺らぎ死はゆるぎなし夕暮れて紫深きりんだうの花

 小笠原和幸『黄昏ビール』 

 短歌総合誌の新刊歌集評をぱらぱらと見ていたら、小笠原が新しい歌集を出版したことを知り、さっそく取り寄せた。小笠原はセレクション歌人『小笠原和幸集』に収録された『馬の骨』『テネシーワルツ』『春秋雑記』の後に、『風は空念仏』『穀潰シ』という二冊の歌集を出しているようだが、そちらは見ていない。あとがきによれば、第五歌集『穀潰シ』を刊行してから12年ほどほとんど短歌を作らなかったようだ。ある日一首を得てからまた作るようになり本歌集の上梓に到ったという。岩手県に住み、短歌結社などにまったく所属しない孤高の歌人であり、短歌総合誌などで作品を見る機会がほとんどないのが残念なので、新しい歌集の出版は喜ばしい。

 あとがきで本人が、「前五歌集の作とは随分違うものになった」と書いているように、作風は少しく変化している。前の歌集には次のような歌があった。

穢土浄土秋の畑に火を焚けばほむらへだてて真向かふ父子おやこ

                   『馬の骨』

ただ二人この家に住む日が来たら継母よ蜆が煮え立つてゐる

               『テネシーワルツ』

一切は烏有に帰する悦びへ火は立ち上がる逝く秋の野に

花はただ花の世に咲き人の世の道に散るとき花また芥

                  『春秋雑記』

 小笠原の短歌の特徴は、東北の風土性、複雑な家庭環境から立ち上がる物語性、「生とは死へと到る道である」という仏教的無常感であり、そのような要素の複合から立ち上がる濃密な抒情であった。その歌は時に箴言のようであり、時に真言かご詠歌のようにも響くことがある。

 第六歌集『黄昏ビール』に到って小笠原は、肩の力の抜けた飄逸と風狂、老醜の自虐の傾向を強めたように見える。

老ゆるとは若きらに蔑さるる事かつて誰かがうしたやう

エレベーターに駈込まんと来しOLは我一名に後退りせり

履歴書に書く来し方の覚束なしその日その日を思ひ起こして

本を出すため仕度せる黄白を嘲りし人わが父にして

すれ違ふさをとめが香を心肺のキャパの限りにわが吸い込みつ

 小笠原は1956年生まれなので、今年65歳を迎えるのだが、殊更に老いを歌にしている。一首目、自分も若い頃に老人を馬鹿にしたように、今は自分が若者から馬鹿にされているという歌。二首目は、OLが駈け込んで来たエレベーターに、歌中の〈私〉一人しか乗っていないのを見て、OLが一瞬ひるむという歌である。作者は高校卒業後、上京していくつもの職を転々としたようなので、三首目のように履歴書に経歴を書こうとしても記憶が定かではないのだ。この三首には「我」「吾」の文字はひとつもないが、それでも自分を詠んだ歌であることがわかる。短歌が一人称の文学である所以だ。四首目の「黄白」は、黄金(くがね)と白銀(しろがね)から転じたお金の異称。小笠原は若き日に寺山修司の短歌を読んで寺山病に罹患した一人なのだが、四首目はまるで両親と故郷に容れられなかった萩原朔太郎のようだ。文学はある意味で業であるというのは事実だ。五首目も老残の自虐の歌で、吸い込んでいるのは香りだけではなく若人の発散する活力でもある。

老人の消し忘れたる瓦斯の青あの世とやらへ導きのあを

三回忌雨中を遠く近く来てその幾人か今日に見納め

田村家の刀自が孤独に死にゐたり遠からずわが恃む死に方

帰り来て身に塩まけば日の暮を己れが影を見定めがたし

 前歌集に引き続き「生とは死へと到る道」というメメント・モリの歌は依然としてあるものの、前歌集で見られた苛烈さは影を潜めて、歌は軽みを帯びて飄逸さが顔を出している。少し肩の力が抜けた歌い方へと変化しているのは時の作用によるものだろうか。

裏通りに口を糊する身の程のぬばたまの過去あかねさす恥

「何といふ無駄な一生だつたらう!」理解し易き中野好夫訳

生きていて何するでない一つ身はおでんの為にローソンへ向く

地下通路に来て方向を失ひぬ然して用なき空蝉ながら

ゆるやかに下る坂道思ひのほか老といふこと楽チンにして

 上に引いた歌のように、自分の人生の無為と老と貧を歌う歌にも軽妙さが漂っていて、どこか境涯を楽しんでいる節すらある。すぐに頭に浮かぶのは山崎方代の歌である。

湯呑よりしずかに湯気の立ちのぼるそれをみつめて夕餉を終る

そこだけが黄昏れていて一本の指が歩いてゆくではないか

人生をお尻に敷いてまたたびの塩辛なんどを漬けておりたり

 山崎は先の大戦で視力を大いに失い、「身を用なき者と思ひなして」一生を送った歌人である。山崎や小笠原の歌を読んでいると、『聖ジュネ』でサルトルが書いたように、文学には価値の極を転換する回転扉のような働きがあると思えてならない。

 固有名を詠み込んだ歌もおもしろい。トニー谷が広辞苑に載っているとは知らなかった。

トニー谷広辞苑には見えれども算盤のこと記憶におぼろ

その顔に生まれ変わりたしと二枚目の文士は言ひき下條アトム

谷啓にガチョーンはありき昭和まつ芸でも何でもない芸にして

てんぷくを免れて一人伊東四朗╱老境にして〈タフマン〉を

 私が特に心を引かれるのは次のように何でもないことを詠んだ歌である。内容が空疎であればあるほど定型の持つ力が前に出て来る。

一つ世の行きずりにして新聞に氏名同じき人の死を見つ

風の日に余慶はありてお向ひの美魔女のものかその娘のか

歳晩の理髪店にて思ふらくアルジェリアの位置・ナイジェリアの位置

春宵に鍵屋と電話に話す時ヲス・メスで言ふ鍵と鍵穴

 その他に心に残った歌を引く。

明け方のヘッドライトに照らされて逃げまどひつつどぶを這う靄

流れ行く紙の舟しづむ紙の舟夏の終りの灯ともし頃を

夕方の渋滞にしてわが見上ぐ進まぬ自転車バイクフロアに漕ぐを

これの世の秋のあはれを犬のふん拾ふと屈むペディキュアは見ゆ

何切ると云ふにあらねど折折は光に見入るカッターナイフ

宵闇の墓に線香せんこの火をつけるまだ生きてゐる者のともし火

死ぬ前に目を瞠りたりその時に初めて見たる何かがありて

 集中で出色の抒情的な歌は二首目だろう。飄逸と皮肉と露悪が主低音の歌集の中にこのような歌を見つけると、まるで泥田に咲く蓮の花のように見える。

 

第306回 中沢直人『極圏の光』

言葉淡き地上にあれば手は常に強く握れと教えられたり

中沢直人『極圏の光』

 上句の「言葉淡き地上にあれば」はまるで何かの書物の一節のようだ。「我ら衆生の暮らすこの世は言葉の淡き世界である」、つまり言葉が頼りにならず約束も消えてしまいがちな世界ということである。そんな世界にあって人と人との繋がりを保とうとするならば、手を強く握れと教えられたという。教えたのは父親かもしれないが、作者はキリスト者なので、通っている教会の牧師の言葉かもしれない。師の岡井隆は中沢を「アフォリズム好き」と評しているが、その面目はこの歌にもよく現れていると言えよう。

 私の心を魅了してくれる歌人を探知すべく日頃からアンテナを張っているつもりなのだが、そこは個人の限界があり、いまだ出会えていない歌人も数多くいる。先日、拙宅に届いた『かばん』5月号をばらばらと見ていたら、中沢の「ネロリウォーター」という連作が目に留まった。寡聞にして私には未知の歌人だったが、二首ほど読んですぐにネット検索し、古書店から『極圏の光』を取り寄せた。2009年に本阿弥書店から上梓された中沢の第一歌集である。

 プロフィールによれば中沢は1969年生まれ。東京大学法学部を卒業後、ハーバード大学法科大学院 (Law School) を修了し、現在は東京の私立大学の法学部の教壇に立っている。キャリアから見るとバリバリのエリートである。1999年に「かばん」と「未来」に入会。「未来」では岡井隆に師事する。2003年に第14回歌壇賞と未来年間賞を受賞。本歌集『極圏の光』で2010年に第16回日本歌人クラブ新人賞を受賞している。ちなみに中沢直人は筆名なので、大学で中沢の講義を受講している学生は、教壇の人物を憲法と英米法の先生としか認識していないだろう。そう思うとちょっと愉快である。

 さて中沢はどういう短歌を詠むのだろうか。初期作品から引いてみよう。

年を経てゆがむ鉛の穂先から斜めに水を放つ噴水

何もせぬ者には功も罪もなく国会中継見るケネディ忌

前方に横須賀ランプ 高速を降りねばならぬ日がいつか来る

スーツ着た人々の群れほの見える北窓に置く恩師の遺影

九条は好きださりながら降りだせばそれぞれの傘ひらく寂しさ

 「文京区本郷通り」と題されたこの連作は『歌壇』に掲載されたという。本郷通りは東京大学本郷キャンパスのある場所だ。あとがきによれば、この頃中沢は先の見えない研究生活の中で鬱屈していたという。一首目は噴水を詠んだ歌。老朽化して先端が曲がった噴水の穂先からは、水がまっすぐ出ずに斜めに放たれる。それが〈私〉の喩であることは明らかだ。二首目のケネディ忌は11月22日で、詠まれているのは自分はまだ何者でもないという青春の鬱屈だ。三首目もまた喩が明らかな歌である。降りねばならぬ高速とは、ポストと栄誉を求めて邁進する研究生活とも、より広く人の生とも読める。五首目の九条はもちろん戦争放棄を謳った日本国憲法の第9条である。降り出せば開く傘とは、それぞれの国を防衛する核の傘のこと。このように中沢の短歌の特徴は、歌への強い自己投影と喩の多用にあると思われる。その姿勢と技法は師の岡井隆のよく知られた「海こえてかなしき婚をあせりたる権力のやわらかき部分見ゆ」などに学んだものと考えられる。

 「歌への強い自己投影」の帰結のひとつとして、歌と作者の距離が(一見すると)近いということが挙げられる。角川『短歌』の本年(2021年)4月号の「時代はいま」という連載エッセイ欄に、堂園昌彦が「作者と定型の融和について」という興味深い文章を書いている。堂園は、吉本隆明が「夜の雨あした凍りてこの岡に立てる冬木をしろがねとしぬ」という窪田空穂の歌を引用して、空穂が取り上げるモチーフの必然性がわからないと書いたことに触れる。つまりなぜこのように何でもない光景を歌に詠むのかわからないということである。そして堂園は「短歌はテーマの選択や詠われる内容よりも、作者の定型への距離の取り方の方が問題の中心になる」のではないかと述べている。なかなかに鋭い指摘である。

 もう少し説明すると、作者の定型への距離の取り方とは次のようなことだ。吉本は空穂の歌では、「光景の写生のようにみえて、ほんとは光景の描写のなかに光景をみているものの眼や主観が入り込んでいて」、「作歌している作者とどれだけ和解しているるか計りしれない。その和解の風姿があたえる温和さ、心持(ママ)よさ」こそが短歌にとって本質的だと書いているのである。この論に基づくと、空穂の歌には表面上は〈私〉がまったく表現されていないにもかかわらず、作者と短歌定型との距離は極めて近いことになる。いや、「定型との距離」よりも「定型との親和」と言う方が的確かもしれない。堂園はこのような短歌定型が内包する特性を肯定するのではなく、むしろ否定的に捉えて警鐘を鳴らしている。

 堂園の提起した問題をどう考えるかがこのコラムの目的ではないので、中沢の歌に戻ることにする。もし「歌との距離」を上に述べたような意味で捉えると、逆接的ながら中沢の歌に見られる「強い自己投影」は、短歌定型と作者の距離を遠くしていると見ることもできる。それは短歌を「自己表現の道具」と見なすかどうかにも関わっている。中沢が若い頃に抱えていた先の見えない研究生活の鬱屈が作歌の動機となったことはあとがきから窺える。人はいろいろな機会にさまざまなやり方で短歌と出会う。その出会い方が規定することも多かろうと推測される。

 一方の「喩」は次のような歌に顕著である。

銀色の尾をふりたてて餌を探すアメリカリスの爪の鋭さ

更けゆけばすずしきジャパンタウンなり毛を刈られたる羊と歩く

決議あまた採択される金曜日すべては右に幅寄せされて

角の丸い窓と尖った窓がありどちらかに押しつけられる朝

本線を示す矢印かがやけりためらう者は省かれてゆく

 一首目は訪れたアメリカの公園の光景だが、リスの爪の鋭さには合衆国の突出した軍事力や強引な外交交渉が投影されている。二首目はたぶんシアトルの日本人街で、毛を刈られた羊とは第二次大戦後の日本の喩に他ならない。三首目はどこかの会議の光景で、右への幅寄せとは右傾化・保守化の喩である。四首目はラッシュアワーの通勤電車の光景だが、ここにも二者択一を迫られる立場が投影されている。五首目に詠まれているのは法学者としてのキャリアである。学者の王道を歩く人もいれば、そこから逸れたりはじかれる人もいる。

来なくなった仲間のことは語られずハーバード会すずしげに果つ

微分して負となるキャリアわが前にあり再校の字間なおしぬ

すがれゆくパルテノン多摩若すぎて憎まれるうちに教授になりたい

胡麻味の豆乳プリンを食べ終えて京都へは行けませんと答えつ

後輩のためにポストを取りに行く血のにおいする扇状地まで

ほつほつと水苔立ち上がる二月同期の母校帰還決まりぬ

 法学者としてのキャリアに関係する歌を引いた。一首目のハーバード会は、ハーバード大学の法科大学院の卒業生の集まりだろう。二首目の「微分して負となる」とは関数の曲線が下を向いている、つまり自分のキャリアは下降気味という意味だ。三首目はあまりのストレートさに驚く。ちなみにどこでも法学部は若くして准教授・教授に就任する人が多い学部である。四首目はたぶん京都の大学からの移籍話を断ったという歌だろう。五首目も表現の激しさにびっくりする。六首目は少し説明が要る。東大を出ても学者としてのキャリアの振り出しは、たいてい地方大学や私立大学である。研究業績を積んだ人の中から母校の准教授や教授に迎えられる人が出る。するとそれ以外の同期の人が母校に戻れる可能性はなくなるのである。

ほの暗い谷間のポスト軽くなで静かに落とす別れの手紙

あたたかな沼地へ続く緩傾斜すべり出すとき光るスポーク

最後までこれほど甘いはずがない ほどほどでやめにするカプチーノ

胸の奥に壊れたカメラひとつずつ持つ者たちを招く裏門

ひと息に引くクレヨンの赤い線ほつりと森に消える自転車

 中沢の好む技法を示す歌を選んで引いた。上句で叙景や感興をまず述べて、下句は〈連体修飾句+体言〉という体言止で終えるという技法である。上句と下句の間には意味的な関連性があることもないこともある。一首目は関連性のある例で、「ポストをなでる」と「手紙を落とす」は一連の動作である。しかし五首目のクレヨンの線と自転車の間には意味的な紐帯はない。この場合、下句は「遠くへ飛ばした」状態となり、上句との付け合わせの妙が鍵となる。

エリートは晩秋の季語 合理人の孤独を映す水面静けし

穏やかな同僚といて間違いにはっきり気づく夜の地下鉄

ぬけぬけとココアはぬるく言い訳として語られる鬱に倦む春

木の床のところどころが擦り切れていてこんなにも父に似たバス

軋みつつしぶしぶ開く木の扉たゆたし日暮れのクィーンズカレッジ

自転車で駆け抜けたあと思い出す背の高い司書が住んでいた村

少年の潜熱あわく椅子の背にカーディガンしたたる二階席

重なった師とわれの影うすくなる曇り日の午後信号を待つ

 特に心に残った歌を引いた。一首目の「合理人」は造語だろう。経済学では理性的判断によって自己の利益を最大化するよう行動する人を「経済人」(ホモ・エコノミクス)と呼ぶが、それにならったものか。三首目の「ぬけぬけと」は次の「ココアはぬるく」に係るのではなく、それを飛ばして「言い訳として」に係るのだろう。七首目の「潜熱」は物理学の用語で、固体が液体に、また液体が気体に相転移するときに発生する熱をさす。この歌では少年が大人へと成長する過程を相転移になぞらえたものか。結果として選んだのは、歌への強い自己投影も喩もない歌ばかりで、これは個人的な好みの問題なのでいたしかたない。

 第一歌集刊行からすでに12年を閲している。次の歌集を期待したいところだ。

 

第305回 門脇篤史『微風域』

くれなゐを久遠に閉ざすかのごとく光をおびてゆくりんごあめ

 門脇篤史『微風域』

 先日、思い立って京都にオープンしたばかりの泥書房に行った。京都流に言うと、新町通六角下るにある京都逓信病院の向かいの狭い路地を入った所にある。路地の入口には看板も標識も出ていないので、知っている人しかたどり着けないという隠れ家的書店である。三軒長屋の一軒を改装して書店にしている。染野太朗さんが店番をしていて、ていねいに応対していただき、楽しいひと時を過ごすことができた。その折りに購入したのが門脇篤史『微風域』(現代短歌社 2019年)である。帰宅して開いてみると、著者サイン本だった。泥書房についてはまた別の機会に詳しく書くつもりである。

 本歌集は「風に舞ふ付箋紙」というタイトルで、2018年の第6回現代短歌社賞を受賞した作品である。ふつうの短歌賞は30首とか50首の短歌を募集しているが、現代短歌社賞のユニークな点は、そのまま歌集として出版することを前提に、300首の提出が求められているという点だ。300首作るのはたいへんなことと思うが、この年は104編の応募があったというからすごい。その中で見事受賞したのが門脇篤史の「風に舞ふ付箋紙」である。次席は笠木拓の「はるかカーテンコールまで」と山階基の「風にあたる」で、この2作はすでに歌集として出版されている。

 『現代短歌』2018年12月号に選考座談会が掲載されていて、これがなかなかおもしろい。選考委員は阿木津英、黒瀬珂瀾、瀬戸夏子、松村正直の4名。「風に舞ふ付箋紙」は選考委員が行なった点数制の投票で最高点を獲得している。阿木津と松村は最高点の10点、黒瀬と瀬戸は6点を入れている。松村曰く、現代の都市に生きる若い男性の、仕事の歌や日常の歌を中心に構成されていて、力のある作者であると、高く評価している。阿木津曰く、31歳にしては内面的に成熟していて、思弁的なところがよい。批評意識もあり、比喩もうまいとこちらも高評価である。おもしろかったのは瀬戸の弁だ。この作品を見たとき、「これで決まりかな、うーん、嫌だな」と感じたという。その理由が×を付けた歌が2首しかなかったというのである。他は○か△しかつかなくて、それが不気味だと続けている。日常を流れるように秀歌にしていくマシンのようで、読んでいて怖くなったという。黒瀬も瀬戸の意見に同意して、レトリックで見ればこの作品が群を抜いているが、その反面驚きがなく、世界を淡々と肯定している所に若さがある。作者の感情に世界をとりこまない潔癖さが若く、青臭いとまで言っている。

 なかなか考えさせられる発言だ。阿木津や松村が「よい歌」と考えるものと、黒瀬や瀬戸が○を付ける歌が少しずれているのである。ほんとうは黒瀬も自分ではレトリックを駆使した歌を作っているので、阿木津・松村軍勢の一員なのだが、短歌賞の選考委員という立場から、受賞作に何を期待するかという観点から発言しているのだろう。阿木津や松村は、短歌定型を基盤とし、レトリックや喩を用いて現実の出来事やそれに喚起された感情をていねいに定着する歌をよい歌としている。一方、瀬戸の目にそれは、何でも掬える柄杓、触れるだけで何でも金に変えてしまうミダス王の手 (英 Midas touch)と映るのだ。瀬戸には従来の短歌定型にたいする深い懐疑がある。それがこのような発言として表面化しているのだろう。一方、黒瀬は作者の力量を十分に認めつつも、新人を世に送り出す短歌賞に期待される新しさや破壊力がない点を残念がっている。しかしこのような選考座談会での委員の発言は、裏を返せば門脇の短歌作者としての力量が極めて安定して高いということを実証しているようなもので、本人にとっては栄誉なことと見なしてよかろう。

 前置きが長くなってしまった。作者の門脇篤史は1986年生まれ。2013年から作歌を始め、短歌投稿サイト「うたの日」に投稿する。2015年に「未来」に入会し、大辻隆弘の選を受ける。2016年に未来賞を受賞している。現代短歌社賞に応募した時は、作歌を始めてから5年しか経っていない。短期間でこのレベルの作歌能力を身に付けるとは驚きだ。作風は師の大辻と同じく端正で細やかな文語定型である。歌集冒頭のあたりからいくつか歌を引いてみよう。

曇天をしんと支ふるビル群の一部となりてけふも生きをり

ひと月を賭して作りし稟議書の分厚き束に孔を穿ちつ

紙袋ばかり増えゆく日常に低温火傷のやうな出会ひを

天上のスピーカーからこぼれ落つ死んだ男のピアノの音が

tempo rubato. 崩ゆる世界の表面を自由自在に雨は鳴らせり

 一首目は作中の〈私〉が生きる日常を詠んだ歌である。〈私〉は勤め人としてビルの中で働いている。聳え立つビル群は、まるで低く垂れ込める曇天を下から支えているようでもある。〈私〉はおほかたの勤め人と同様に、個性を剥奪された日常を生きている。結句の「けふも生きをり」に深い感慨が込められている。二首目、稟議書の作成にひと月を費やしたのである。それを綴じるためにパンチで穴を開けている。そこに〈私〉はいささかの誇りを感じつつも、稟議書がどう扱われるかに不安も抱いているだろう。三首目、買い物が入っていた紙袋なのか、それとも職場の資料を入れて保管する紙袋なのか、いずれにせよ紙袋の増加は徒労のメーターである。〈私〉の生きる日常では、燃え上がるような熱い出会いはもとより望めない。せめて低温火傷のような出会いくらいあってほしいと願う。四首目、場所は喫茶店か蕎麦屋か、BGMが流れている。往年の名曲とは、言い換えれば死んだ男の演奏ということだ。五首目のテンポ・ルバートとはイタリア語で「盗まれた時間(テンポ)」という意味。楽譜に書かれた音符・休符どおりではなく、演奏者が自由に緩急を付けるという指示である。ここでは雨音が速くなったり遅くなったりしている様を表している。集中には音楽用語を用いた歌が散見される。作者の趣味だろうか。雨は一切の制約から自由なのに、〈私〉の生きている日常は「崩ゆる世界」つまり崩れつつある世界なのだ。シオランばりの崩壊感覚と言えよう。全体として激しい感情や熱い理想とは無縁な日常が、細部に目を留めつつていねいに描かれている。

 しかしそんな作者の人生にもドラマがなかったわけではない。

両親の稼ぎで買ひし味噌を溶き火を弱めけり けふがはじまる

民法の問題集を解くことをたとへばけふの生きる意味とす

東京に打ちのめされた経験はたぶん何にもならんのだらう

最終の面接試験の日程を指でなぞりてなぞりてなぞる

暗闇に糖衣のやうに包まれて高速バスのシートを倒す

封筒を逆さにすればあらはるる鍵を差し込み扉を開く

なにもない空間ゆゑに目を閉じるあと五日間無職のわたし

前職の記憶はるけし首都高を二度と走らぬ余生と思ふ

 上に引いた歌からストーリーを読み解くと次のようになる。作者は故郷の島根県から京都の大学に進学し、卒業後おそらく東京の会社に就職したのだろう。しかしその会社に馴染めず間もなく離職する。それが「東京に打ちのめされた経験」である。故郷へ戻り、就職浪人生として両親と暮らす。それが「両親の稼ぎで買ひし味噌」である。民法の問題集を解いているのは公務員試験を受験するためだ。四首目の「最終の面接試験」は前職かそれとも公務員試験かどちらかわからない。交通費を節約するため夜行バスに乗って会場のある町に向かう。宿泊するのはおそらく民泊だろう。部屋の鍵が封筒に入って送られて来る。その部屋は何もないがらんとした空間である。その後、作者は無事公務員試験に合格し、今はどこかの地方都市で勤務している。だいたいこういうことだ。

 大学を卒業して就職した人の約3割が3年以内に離職しているそうだから、入社した会社を辞めるのはそう珍しいことではない。しかしそれはあくまで統計上の話である。本人にとっては生きるか死ぬかの大事件だ。その大事件が比較的淡々と詠まれているので、それが選考委員の黒瀬には「感情に世界を取り込まない潔癖さ」と映ったのだろう。しかし私は読んでいて少し異なる印象を受けた。確かに燃え上がるような激情や世界に対する鋭い呪詛はなく、いずれも端正な言葉の中に落とし込まれてはいるが、言葉の背後に燠火のようにくすぶる感情がちらちらとほの見える。それが「けふがはじまる」や「なぞりてなぞりてなぞる」や「首都高を二度と走らぬ」という語句にはつかに感じられるのである。

先月に辞めた同期の消しゴムを遺品のやうにまだ持つてゐる

いつからか蛍光灯は間引かれて我らを淡くあはく照らせり

わたくしをぢつと薄めてゆく日々に眼鏡についた指紋を拭ふ

権力の小指あたりに我はゐてひねもす朱肉の朱に汚れをり

地方自治法のあはひに溜まる解釈に溺れぬやうに夜を進みつ

 地方公務員として働く作者の職場詠を中心に引いた。同期入庁からすでに退職者がいるという現実。節電のために間引かれた天上の蛍光灯は薄い光しか発しない。それはまるで天国から差す救いの光も薄くなるように感じられる。日々のルーティーンワークで自分の個性がひたすら薄められてゆくように感じる。〈私〉のいる場所は権力の小指あたり、つまりは末端で、仕事と言えば書類に印鑑を押して次に回すことである。つづめて言えば「平凡な日常に耐える〈私〉」像ということになる。しかし誰にとっても現代の日常とは多かれ少なかれここに描かれているようなものではないだろうか。女優を恋人にして宇宙飛行士を目指す人のように、毎日を面白おかしく暮らしている人が世の中にそうそういるとは思えない。

原形をたもち続けて雑踏にマーブルチョコのひとつぶはあり

反故を裂き密かに作るメモ用紙きりえきりえと音を立てつつ

青ねぎは屈葬されて真つ暗な野菜室にて冷たくなれり

蟹缶を自分のために開けてゐる海がこぼれぬやうにそおつと

押しピンを抜きたるのちに穴ひとつ消ゆることなき穴ひとつ見ゆ

 観察と措辞が冴える歌を引いた。一首目、繁華街か地下街の人通りの多い道路に、なつかしい明治製菓のマーブルチョコがひと粒落ちている。マーブルチョコは様々な色の糖衣にくるまれている。まずその鮮やかな色が目に飛び込む。ふつうなら行き交う人の靴に踏まれて潰れてしまうのだが、なぜか奇跡的に原形を留めている。そこに作者は目を付けた。けなげに原形を保っているマーブルチョコは、世の荒波に揉まれて遭難しそうになる〈私〉の喩とも読める。二首目、役所の書類作りでは大量の反故紙出る。私も教室で学生に配るプリントが必ず余るので、余った分は持ち帰り、鋏で切ってメモ用紙にしている。作者も同じことをしているのだが、この歌のポイントは「きりえきりえ」である。「きりえ」は「切り絵」に通じ、また鋏の音のオノマトペとも取れるのだが、この裏には「キリエ、エレイソン」が隠れている。「主よ、憐れみ給え」というキリスト教の祈りである。私が本歌集を通読して強く感じたのはこの「祈り」である。短歌は祈りに近づくほど人の心の琴線に触れる。門脇の歌には祈りがある。三首目、スーパーで葱を買うと、長すぎて袋に入らないので二つに折ることが多い。冷蔵庫の野菜室に入れるときも同様である。それを「屈葬」と表現した所がこの歌のポイントだ。そこにはもちろん死のイメージが揺曳する。四首目、まず「自分のために」によって、歌の〈私〉が一人暮らしであることがわかる。作者は結婚しているので、たまたま妻が他出した日と取れなくはないが、ここは結婚前の一人暮らしの時期と取りたい。蟹缶は高価なものだ。一人暮らしの男性がふつう開けるものではない。その日に何かあったのだろう。もうひとつのポイントは、缶詰のなかの汁を「海」と表現している点にある。孤独な儀式のようでありながら、海と繋がるところに救いがある。五首目のような押しピンの穴を詠んだ歌が他にないわけではないが、この歌では「穴ひとつ」がリフレインにように反復されていることがリズムと効果を生んでいる。

臨時記号。雨に降らるるけふの日ははつかに移調するごとく濡る

ハムからハムをめくり取るときひんやりと肉の離るる音ぞ聞ゆる

なにもなき日々をつなぎて生きてをり皿の上には皿を重ねて

たましひを抜き取るやうに一本の薄荷煙草をきみから貰ふ

ゆくりなく沈没しさうな軍艦ゆ皿に降りたる魚卵ぞ赤き

生きるため坐るデスクの片隅にインクの切れたペンは立ちをり

ダイソーで買ひし湯呑みの欠けたれば我が悲しみの対価を思ふ

真ん中に穴の空きたるキャンディに傷つきてゆくやはらかき舌

ひえびえと異国のみづに満たされてペットボトルはひかりのうつは

 特に印象に残った歌を引いた。一首目の「臨時記号」は、シャープ(#)やフラット(♭)のように半音の上げ下げを指示する記号のこと。ふつう使う言葉ではないので、門脇は音楽に詳しいのだろう。二首目は選考座談会で阿木津が「思弁的」と褒めた歌。バック入りの薄切りハムを一枚剥ぎ取るという日常的瑣事までが短歌に詠まれるところに、瀬戸の言う「修辞マシン」の本領が発揮されている。しかしここでも「めくり取る」という言葉の選択の確かさに注目したい。また五首目のように対象を名指しすることなく詠む技量も抜群である。これは回転寿司店でイクラの軍艦巻きからイクラがこぼれた様を詠んだもの。軍艦巻きを本物の軍艦に見立てた上句から下句への運びが手練れである。

 歌集題名の『微風域』もよく考えられて付けられている。歌の〈私〉のいる場所は暴風が吹き荒れるほどの所ではない。吹いているのは微風なのだが、そこに生きる青年が日々感じる真綿で首を絞められるやうな閉塞感や焦燥が歌集全体に通底するテーマだろう。楠誓英、阿木津英、内藤明が文を寄せた栞はあるものの、あとがきがない。作者渾身の第一歌集を世に問うのならば、志を述べたあとがきはあってもよかったのではなかろうか。充実の第一歌集である。


 

第304回 本川克幸『羅針盤』

鉢の上にブーゲンビリアの苞落ちぬ思慕燃え残るごときむらさき

本川克幸『羅針盤』

 ブーゲンビリアは華やかな花を咲かせる熱帯性の植物である。その名は『ブーガンヴィル航海記』を著したフランス人探検家ブーガンヴィルにちなむ。色鮮やかな花と思われているものは実は苞葉で、ほんとうの花は中央にある小さな白い部分だという。掲出歌では鉢植のブーゲンビリアの苞葉が時を得てはらりと落ちた情景が描かれている。その苞葉の紫色が遠い人への思慕が燃え残るような色だという。静かな中に秘めた情熱を感じさせる歌だ。「ごとき」を用いた直喩がポイントの歌で、作者は喩に特徴がある人である。

 2017年に砂子屋書房から刊行された『羅針盤』は本川克幸の遺歌集である。本川は2012年に「未来」に入会し作歌を始め、佐伯裕子の選を受けていた。詠草は遠い北海道の地から送られて来たという。それから4年後の2016年に本川は51歳で急逝する。あとがきを書いた夫人によると、砂子屋書房から歌集を上梓するのが夢だったという。その夢は夫人と編纂の労を採った佐伯の手によって死後に叶えられた。

 遺歌集を読むときは少し特別な心持ちになる。若い歌人の第一歌集を読むときは、その清新さの向こう側に、この人の短歌は今後どのように展開してゆくのだろうかという未来への期待がある。しかし遺歌集には当然ながらそれがない。そのことが独特な佇まいを一巻に与えている。もうこの人がこの先歌を詠むことはないという事実が、立ち籠める霧のように一巻を静かに満たすのである。

 しかしながら私が本歌集に惹かれたのには別な理由がある。本川は現職の海上保安官だったのだ。僅かの例外を除いて歌人はふつう職業を持っている。だから本川が職に就いていても不思議はないのだが、海上保安官は珍しい。海上保安官とは、海の上での安全と治安を維持する役目を持つ公務員で、海難救助に携わり密航などを取り締まる海の警察官でもあり、時には武器を所持することもあるという。ばりばりの実務系の職業で、あまり短歌などの文芸には縁がないように思える。しかしながら本歌集を一読すると、本川は繊細な心を持った詩心溢れる人だったことがわかる。

 本川の赴任地は北海道の東端の根室であった。冬期には海が荒れて雪が降りしきる厳しい自然の地である。そんな自然を詠んだ歌がまず目に付く。

東洋の果てなる国の北側の角地のような岬におりぬ

凍りつくポブラも樹氷にならぬ木もしんと静まる朝焼けである

海鳴りにひれ伏しながら眠る夜に回り続けている羅針盤

大時化をしのいだ後の海に飛ぶ鳥よおまえも此処にいたのか

衝撃を受けつつ越ゆる海峡の六メートルの波、けわいしね

まだ冬の風を抱うる港内に浮かび合う白き鳥黒き鳥

 詠まれていのは冬の北の海の厳しさである。しかしながらこのような歌は、漁業関係者など海に携わる仕事をしている人なら詠むこともあるだろう。でも次のような歌はちがう。

ただ青き海原が見ゆせめぎ合う領海線のあちらとこちら

「飛び乗って取り抑えよ」と指示を出すとりもなおさずわれの声音で

本当は誰かが縋っていた筈の救命浮環を拾い上げたり

右腿のケースに銃を差し入れて「彼ら」と呼ばれているそのひとり

〈海に死ぬ〉インドネシアの青年の瞳はこんなに美しいのに

パスポートの凜々しき写真 青年を心肺停止のまま見送りぬ

硝煙の匂は此処に届かねど樟で彫られたるマリア

 一首目、北の海だから領海線の向こう側はロシアである。線を越えた漁船が拿捕されることもあるが、実際に見えるのはただ青い海ばかりである。二首目は緊迫感が漂う歌で、おそらくは日本の領海侵犯をした船を拿捕するために飛び移るように部下に指示をしているのだろう。一歩まちがえば下は冷たい海だ。三首目は波間に漂う救命浮環を拾い挙げた場面。誤って船から外れたものかもしれないが、遭難した船員が縋っていたのかもしれない。その昔、海は「板子一枚下は地獄」と言ったものだ。四首目も緊張感が漂う。領海侵犯した船か、密輸している船か、臨検のために武装しているのである。相手は自分たち海上保安官を「彼ら」と呼んでいる。五首目は海難救助に場面で、助けたインドネシアの青年が努力の甲斐もなく死亡したのである。六首目はその続き。七首目はやや場面がわかりにくいが、相手は密漁船か何かでこちらに向けて発砲しているのだ。木造船の船首には木彫りのマリア像が飾られている。聖母マリアは船乗りの安全を守ってくれると慕われているのである。

 分類からすれば職業詠ということになろうが、その職業が特殊なものであるために、他に類を見ない歌となっている。明治以来の近代短歌には民衆の詩としての性格がある。現在でも全国紙の新聞には歌壇の欄があり、毎週何千通という投稿が送られて来る。短歌を作っているのはごくふつうの市井の人だ。これは世界的に見てもとても珍しいことである。昔は自分の職業を歌にした職業詠はふつうにあったが、近年の歌集にはあまり見られない。どんな暮らしをしている人が詠んだ歌なのか、ちっともわからない歌が多い。そんななかで本歌集は一際異彩を放っていると言えよう。

 任務に就くと海に出て一定の期間家族と離れて暮らすことが多いためなのか、本川が作る歌には遠くにある手の届かないものに思いを馳せるものがよく見られる。

秋の日の言葉を包む封筒に百舌の切手を貼る「飛んでゆけ」

便箋をひらけばわれに届きたるほんの少しの愛に似たもの

再会を願う手紙も書かぬまま心地よくまた夏がすり抜ける

はるかなる手紙に記す空のいろ空のいろはるかなる手紙に

君のいる街が遠くに見えている雪のなか君の街がとおくに

 最後の歌は海上から陸を遠望している歌だが、その他は誰に宛てたものなのか手紙の歌である。機密保持のために携帯電話やメールの使用が制限されているのだろうか、とにかく手紙の歌が多い。そのためか、人との繋がりが古典的と言ってもよいものとなっていて、あらためて短歌にはSNSより手紙がよく似合うと思わされる。

 わずか4年足らずの歌歴なのだが、その歌風に変化がないわけではない。解説を書いた佐伯も触れているが、編年体の歌集後半に差し掛かるあたりから、翳りを帯びた歌が多くなる。

海の上に凱旋門のごとく立つ虹 透明にくずおれてゆく

逃避する水路をすでに持たざれば溢れ続けているわれは壺

言葉さえやがて烟らん弔えば窓から抜けてゆく影ぼうし

船室の浅き眠りに夢を見き死神の髪がまだ濡れている

傍らで黙り続けている君の記憶からわれが消えてしまう日

 本川の心に何が忍び寄ったのか定かではないが、負のベクトルへと心が向かう有り様が歌の向こうに透けて見えるようだ。修辞に少し触れておくと、本川は「~のごとく」という直喩を好んで用いる。上の一首目の「凱旋門のごとく」がそれである。直喩は陳腐な喩のときはマイナス点になりやすいが、凱旋門は合格だろう。海に浮かぶ楼閣のように聳え立つ凱旋門はまるで海市のようにも見える。

 次も直喩の歌である。

切れ目なく防潮堤のめぐる島スメルジャコフの素顔のように

晩夏よりうみのいろ濃しベルリンで貨車に積まれた絵具のように

 一首目のスメルジャコフはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の登場人物で、私生児であるために召使いのように使われている男である。その内実が見えないことの喩として使ったのだろうが、スメルジャコフには驚いた。二首目のおもしろい点は、湖の青色が濃いという描写よりも、喩として出された「ベルリンで貨車に積まれた絵具のように」の方に濃厚な物語性があって、歌の主従が逆転しているところである。短歌における喩の機能について改めて考えられさせる。

 最後に特に心に残った歌を挙げておこう。

地に降りて水へと戻る束の間の白きひかりを「雪」と呼び合う

夕焼けの見える浜辺へ抱えゆくフリューゲルホルンに翼があれば

善と悪が戦い続ける物語読みつつ暮れてゆく半夏生

チェロ弾きの空のケースが床にあり舟のように柩のように

為し遂ぐるべきこと為し遂げられぬこと路肩の雪はゆるらかに消ゆ

消ゆるとき影の残れり沖合で船から眺めたる遠花火

読みさしのミステリー枕辺に置いて待てども夢に来ぬ黒揚羽

 実生活における作者と短歌は切り離して見るべきであるという意見がある。確かにそのとおりだ。短歌は文芸でありテクストがすべてだという人もいる。それも至極もっともな意見だ。しかしながら、そのように割り切ってもどうしても割り切れぬ残余が残るのが短歌というものだ。『羅針盤』は作者の本川克幸がこの世に残した生の記録であり、そのように読まれるべきものであろう。