第380回 『編棒を火の色に替えてから 冬野虹詩文集』

乳母車の車輪を秋の陽はこぼれ歩道の上に唄を移しぬ

冬野虹「かしすまりあ抄」

 先日、自宅に送られて来た封筒を開封すると、かなりぶ厚い本が出てきた。瀟洒なグレイの表紙に『編棒を火の色に替えてから 冬野虹詩文集』とある。版元は素粒社。あの野崎歓が帯文を寄せている。曰く、「冬野虹! その名はふしぎな想像界への扉をひらく合言葉だ。見よ、彼女の手が触れると、あらゆる事物は本来のポエジーを取り戻し、未知の出会いに向けて軽やかに浮遊し始める。」 なかなかの名文だ。文中に「取り戻し」とあるということは、事物には本来ポエジーが備わっていて、それを取り戻すためには触れるだけでよいということだろう。まるで触れた物すべてを黄金に変えたというミダス王の Midas touchのようではないか。私は読み始めた。そして、梅雨時のうっとうしい気候を忘れて、数日の間とても幸福な時間を過ごしたのである。

 本書は冬野のパートナーであった俳人の四ッ谷龍が編纂したもので、四ッ谷は巻末に回想を含む冬野虹論を執筆している。本体は第I部が俳句、第II部が詩、第III 部が短歌、そして第IV部が散文その他という構成になっている。浅学にして冬野の名を知らなかったが、これ以外に絵画作品もあるらしく、ずいぶん幅広く活動した芸術家だったようだ。

 年譜によれば、冬野は本名穴川順子として、1943年大阪に生まれた。実家は繊維業を営む裕福な家だったようだ。大阪は昔、「東洋のマンチェスター」と呼ばれていたこともあるほど繊維業が盛んだった。冬野は帝塚山学院短期大学を卒業後、絵とクラシック・バレエのレッスンを受け始める。したがって画家としての活動が最初ということになる。その後、1976年頃、33歳くらいで俳句を始め、藤田湘子の結社「鷹」に所属する。1992年頃、50歳の手前で短歌に手を染める。特定の師はいなかったようだ。四ッ谷と二人誌「むしめがね」を発行して活動の舞台とする。1995年頃から詩作を始めている。その間、舞踏家ピナ・パウシェ、俳人田中裕明、詩人高橋睦郎らと交流。2002年に虚血性心不全にて急逝とある。還暦を目前にして亡くなったことになる。すでに四ッ谷龍が編纂した三巻本の『冬野虹作品集成』があり、本書はその普及版という位置付けかと思われる。

 まず短歌から見て行こう。解題によれば、冬野は1992年から2001年にかけて677首の短歌を作った。四ッ谷はその中から387首を選び未完歌集『かしすまりあ』として『冬野虹作品集成』に収録したとある。本書には『かしすまりあ』からの抜粋と、未収録の歌が拾遺として掲載されている。まず『かしすまりあ抄』から引く。

部屋の奥で扇のやうに泣いてゐる婦人のためのパヴァーヌは雪

音別おんべつの駅に西瓜を下げた人ふらりと揺れて地に影おとす

籠にあるミネラル水の瓶の絵の氷の山の部分に夏の陽

泉川いづみかは清酢の店の前に来て誰か線香折っている音

深紅のカシスソーダ水つくる長いスプーンの尖のさびの香

はつなつのアテナインクの青のこと友に話しぬ動詞使はずに

 文体は旧仮名遣の定型で、文語(古語)混じりの口語(現代文章語)である。一首目には「式子内親王に」という詞書が添えられているので、平安王朝風の絵巻の場面を想像する。「雪」「扇」は恰好のアイテムだが、パヴァーヌに詩想の飛躍がある。パヴァーヌ (pavane) はフランス語で、16・17世紀に流行したゆっくりとしたテンポの舞曲。孔雀の動きを模倣したと言われている。ラヴェルが作曲した「亡き王女のためのパヴァーヌ」(Pavane pour une infante défunte)が名高いので、誰の脳内にもこの音楽が鳴るだろう。二首目の音別は北海道の釧路に近い場所の地名である。音別と西瓜の取り合わせにおもしろ味がある。夏の光と地面に落ちる影の対比が鮮やかだ。三首目の籠は、ビクニックに持って行ったか、あるいは庭の木陰のガーデンテーブルに置かれているラタン (籐) の籠だろう。ミネラルウォーターのラベルに描かれた雪山に夏の陽が当たっているという場面。「ミネラル水の瓶の絵の氷の山の」とずっと「の」で結んでクローズアップ効果を出している。四首目の泉川清酢いずみかわ せいすは、表千家と裏千家の家元が軒を並べている京都の小川通にある江戸時代から続く酢の製造販売店である。その前を通りかかると線香を折る音が聞こえたという。線香をあげるときに折るのは浄土真宗で推奨されているという。しかしポキッと線香を折るかすかな音が外にまで聞こえるものだろうか。どこかファンタジーの匂いがする。また季節は書かれていないが、夏の盂蘭盆会を連想する。五首目の「カシスソーダ」もまた夏の匂いがする。音数から言って「深紅」は「しんこう」と読み、「尖」は「さき」と読むのだろう。避暑地を思わせる一首である。カシスソーダを飲む女性は、できれば青い水玉模様のサマードレスを着ていてほしい。六首目の「アテナインク」はかつて丸善が製造販売していた万年筆用のインクである。色はたぶんブルーブラックだろう。そのインクのことを動詞を使わずに友達に話したという。「アテナインクを買ったのよ」ではなく、「アテナインクの青がきれいなのよ」ということか。

 歌の全体に「どこか別の国」感というか、「どこにもない国」感が漂っている。詠まれているアイテムは「西瓜」「ミネラルウォーター」「線香」「カシスソーダ」「インク」など、どこにでもある物なのに、冬野の短歌に詠まれてある特定の場面や状況に置かれると、とたんにポエジーを帯びて輝き出すように感じられる。これが野崎の言う「ポエジーを取り戻す」冬野マジックだろうか。

 この「どこにもない国」感は、紀野恵の短歌の世界とどこか似ているように思われる。

九月、日本製バスに乗り墓はらの石の白きを訪ふゆふまぐれ

ヴィクトリア朝風掛椅子朝焼けをじっと坐つて視るための物

               『フムフムランドの四季』

〈きのふまで〉をしづかに包み送り出すゆうびん局のまどろみの椅子

昼を寝(ぬ)るボボリ庭園三毛猫が擦り抜けてゆく時の天使も

                    『La Vacanza

 『フムフムランドの四季』では巻頭言に「フムフムランドは日本国の南方海上三百余里に有り」と高らかに宣言してあり、収録された歌が「どこにもない国」のものであることを明らかにしている。したがって、歌に詠まれたヴィクトリア朝風の椅子も、フィレンツェのボーボリ庭園も現実のそれではなく、フムフムランドという架空の国に転送され、その磁気を帯びたものである。

 冬野の短歌と紀野の歌のもうひとつの共通点は、近代短歌の写実性を支えた情意の主体であり視点主体でもある〈私〉の不在にある。写実性に代わって冬野の歌で追究されているのは、物と物とが触れ合い場を共有することによって立ち上るボエジーである。冬野の短歌にどこかそっと置かれて人を待つような気配が濃厚なのもそのためだろう。この点については紀野の短歌はやや異なる。紀野の短歌には、自らが作りあげたフムフムランドを統べる強い意志が感じられる。

 『かしすまりあ抄』に続いて拾遺に納められた歌にも心に残るものがある。

狭庭はエメラルドいまひとすじのサイダーの気泡夏へのぼりぬ

のそばの紫陽花の色ゆつくりと濃くなるときにまぶた閉ぢらる

風はもうすみれの庭を小走りに春の制服ちくたくと縫ふ

臾嶺ゆれい坂を蝉に押されるやうに下る風呂敷包の中の葛餅と

ベーコン焦げる匂ひのやうな喜遊曲ギャロップギャロップの日暮

 二首目には「龍・父上みまかりき 六月二十七日」という詞書がある。四ッ谷龍の父親が亡くなったのを悼む歌である。四首目の臾嶺坂は、外堀通りを神楽坂下から四谷方面に少し行った所から北に延びる狭い坂道。冬野の短歌のもうひとつの特徴は、ややもすると強すぎることもある「情意」と、短歌に伝統的にまとわりつく「湿り気」から自由であることだ。冬野の短歌を読んでいると、透明な硝子器の中に固く凍った氷片がカラカラと乾いた音を立てながら落ちてゆくような印象を受ける。

 次に俳句を見てみよう。解題によれば、冬野は『雪予報』という句集を1988年に沖積舎から出している。本書には『雪予報』の抜粋と、『網目』と題された未完句集の抜粋が収録されている。

荒海やなわとびの中がらんどう 『雪予報抄』

蚊帳吊草辿れば少女の骨の闇

メリケン粉海から母のきつねあめ

陽炎の広場に白い召使

生まれなさいパンジーの森くらくして

つゆくさのうしろの深さ見てしまふ

子規の忌のたたみの縁のふかみどり

姉死んで妹あける豆の缶

 俳句結社「鷹」と言えば、創立者の藤田湘子に続き、小川軽舟、高柳克弘と続く俳句の名門である。冬野は1981年に鷹新人賞を受賞している。一読して冬野の関心は言葉の組み合わせにあることがわかる。たとえば一句目の「荒海」という荒々しい冬の季語と「なわとび」という可愛らしい物の取り合わせがそうである。三句目の「メリケン粉」と「海」は意外な組み合わせに見えるかもしれないが、「メリケン」は「アメリカン」が訛った語なので、海の向こうからやって来たもので繋がりがある。「きつねあめ」は別名狐の嫁入りで夏の季語。しかしきらきらとした言葉の組み合わせの所々に暗い闇のようなものが潜んでいるのも魅力だ。一句目の「がらんどう」、二句目の「骨の闇」、五句目の森の暗さ、六句目の露草の向こうにある暗さなどである。

こけもものゼリーに淡き冬の妻  『網目抄』

一つ葉にホースの先の水しづか

ゆふぐれのコルクの床に葉書舞ふ

両の眼のひらかれてゆくまんじゅさげ

肉屋ブッチャーの長い休暇や罌粟ひらく

淳之介は海へ薔薇販売人眠れ

ひかりの野蝶々の脚たたまれて

 どの句も絵が鮮明でくっきりとしていて、何より詩情が豊かである。特に二句目や三句目や最後の句は美しい。二句目の一つ葉は庭にもよく植えられているシダ植物で、厚い緑の葉を持つ。ホースから出る水が静かに庭の一つ葉を揺らしているのである。三句目には何か物語があるようだ。ちなみに喘息を病んでいたプルーストはコルク張りの部屋で暮らしていたらしい。六句目の淳之介は吉行淳之介だろうか。

 冬野は書いていた詩を生前詩集に纏めることはなかったようだ。解題によれば、冬野の書いた詩から選んで『頬白の影たち』という未完詩集を『冬野虹作品集成』に主録したとある。本書にはその中から抜粋された詩が掲載されている。詩の引用は長くなるので一篇に留める。「まつゆき草 le perce neige」と題された詩である。

あの山は何だろう?

蒼ざめて

笑っているのは

 

鹿の睫毛に

囲まれたうみの中へ

しずみゆく

地震の寺院

 

私はその山にはいる

そして

私はその山の

裾に咲く

まつゆき草の

もえる

しずかな

ひとしずくの

遺体の

位置を

はっきりと知った

 私には詩の鑑賞を書く能力はないが、冬野の詩の言葉たちは日常の重力から解き放たれて、乾いた砂の上に存在の淡い影を落として浮遊しているように感じられる。その位相は冬野の短歌のそれとさして違わない。冬野の中では短歌と詩はひと続きのものだったのだろう。

 今年は前半を折り返したばかりで気が早いことは重々承知の上だが、本書は今年の収穫の一冊となりそうな予感が濃厚だ。梅雨のじめじめしたうっとうしい季節をひととき逃れて、ひやっと涼しく乾燥した天上的な空気の中で過ごしたいと願う人にはお奨めの一冊である。

 

第379回 第67回短歌研究新人賞雑感

道なりに進めば浄水場があり、あるはずの大きな貯水槽

工藤吹「コミカル」

 『短歌研究』7月号に第67回短歌研究新人賞受賞作が掲載された。今年の新人賞は工藤ふきの「コミカル」である。選考委員の交代もあった。長らく委員を務めた米川千嘉子が退任し、代わりに千葉聡が加わった。これで選考委員の陣容は、石川美南 (1980生)、黒瀬珂瀾(1977年生)、斉藤斎藤(1972年生)、千葉聡(1968年生)、横山未来子(1972年生)となった。誕生日を迎えているとして計算すると、平均年齢は50.2歳となり、ずいぶん若返った印象がある。私の手許にある新人賞受賞作が掲載された最も古い号は今から20年前の2004年9月号である。その年の受賞は嵯峨直樹の「ペイルグレーの海と空」だった。選考委員は岡井隆、石川不二子、馬場あき子、永田和宏、島田修二、道浦母都子の6人である。それからずいぶんと時間が経ったものだとあらためて感じる。

 新人賞の工藤吹は2001年生まれで盛岡出身。誕生日を迎えていれば23歳である。二松学舎大学に在学中の大学生で、結社の所属はないが、一時早稲田短歌会に参加していたこともあるようだ。『早稲田短歌』51号(2022年)を見ると「ミートパイ」という連作が掲載されている。受賞作「コミカル」から引く。

その昼の中に眩しい一室の、生活の、起き抜けの風邪だった

目が合うと段々部屋が散らかっていたことに焦点が合ってくる

遠泳のような余裕をたずさえてポカリのようなもの買いに行く

看板が増えれば町は賑わいのさなか微かに歩調を上げる

どこにでも光は届くものだけど秋には乾ききる用水路

 朝起きると風邪をひいていて、散歩がてら買い物をしに外出する。その道々の様子が実況中継のように詠まれている。選評で石川と斎藤が二人とも「風通しがよい」と評し、石川は続けて「抜群に好感度が高い一連」で、「何でもない時間を肯定的に書いている」と述べる。斉藤も「気分に町の空間の広がりが重なっていく感じがよくて」と評するが、一連の最後の方の歌が弱いとも述べている。

 確かにライブ感の感じられる詠み方で、何気ない日常の風景を肯定的に捉える感性も心地よい。文体に目を転じると、いかにも今風だなあと感じる。かつて近代短歌は、「夏至の日の夕餉をはりぬ魚の血にほのか汚るる皿を残して」(小池光)のように、結像性の高い情景を一幅の絵のように詠む傾向が強く、その際に大きな効力を発揮したのは助動詞である。小池の歌では倒置法が用いられているが、二句の完了の助動詞「ぬ」の力によって歌の情景は過去の時間軸にしっかりと定着する。この助動詞の効力は短歌が口語(現代文章語)化することによって失われた。現代文章語には過去の助動詞「た」一つしかない。その「た」ですら工藤の連作では二首にしか用いられておらず、それ以外の歌の文末は動詞の終止形(現在形ではない)か、さもなくば体言である。工藤の連作のライブ感は、「差し掛かる」「買いに行く」「見えてくる」「歩調を上げる」のように、結句の動詞の終止形を連ねることによって生じている。私の生きる「今」が焦点化されるのが現代の若い歌人たちの一つの特徴である。しかしそれがどこかふわふわした印象を与えることも否めない。

 選考座談会でおもしろかったのは工藤の作に点を入れなかった黒瀬の意見である。黒瀬が点を入れなかった理由はただ一つ、韻律が受け入れられなかったからだという。たとえば「歩道橋使うくらいに気が向いて休日の散歩なら悪くはない」の下句はだめだと述べている。確かに「決めたのは公園を通って帰ること、とても良い思いつきだと思う」の下句も散文的で短歌の韻律ではない。こういう文体を作者の個性として受け入れるか、それとも拒否するかは人によるかもしれない。

 ちょっと調べてみると、工藤は俳句にも手を染めているようだ。「週間俳句 Haiku Weekly」の2022年2月6日付のサイトに「大炬燵」と題された俳句が掲載されている。短歌作品とは趣がちがっていて、有季定型のなかなか良い句なのである。いろいろと異なるジャンルも試しているのだろう。

菓子箱に菓子の模様や冬椿

贈答のハムの転がる冬構

藁細工ほのと湿るや暮の市

箸乾く餅の貧しく付きしまま

白鳥の白や水面のうすにごり 

 今回の選考ではちょっとおもしろいことが起きた。選考委員が一位に推した作が全部異なっていたのである。「コミカル」を一位にした委員はおらず、二位と三位にした委員が一人ずついた。討議の過程で評価が変わることはよくあることで、結果的に「コミカル」が新人賞となったのである。

 工藤の歌で一つ気になったことがあるので書いておく。「窓に背が向くように置いてある本棚の本の色味を気に入っている」という歌があるのだが、本の「背」とは、ページが綴じられている側で、タイトルや作者名などが縦に印刷されている狭い部分を指す。本棚に並べるとこちらを向く部分である。背を窓に向けて置くと、タイトルや作者名が見えない。おまけに窓から入る日光によって日焼けするので、ふつうはそういう置き方はしないものだ。

 次席は津島ひたちの「You know」が選ばれた。津島は2002年生まれで京大短歌会所属である。『京大短歌』29号(2024年1月)を見ると、教育学部の2回生とある。今は進級して3回生だろう。

彼の死は八年前の冬でありそのあと冬は彼の死である

目を瞑れば彼があのころ統べていた教室 そこに声ふり積もる

先生に似合わぬ言葉が言えそうな鼻声だった渡り廊下に

カーテンは重たく濡れてこの部屋に朝になっても生きている蝿

子どもにはわたしに見せぬ顔がありわたしに見せてしまう顔もある

 8年前のおそらくクラス担任だった教師の突然の死を軸に展開する一連である。横山が一位に推している。横山は「孤独感と虚無感が伝わって余韻が長く残る」と述べ、また声や音を意識して詠っている点も印象に残ったと続けている。千葉と石川は七位に、黒瀬は八位に入れている。ただし、長いスパンにまたがる記憶を描く割には時間意識が薄いと黒瀬が指摘する点は確かに瑕疵かもしれない。

 黒瀬が一位に推したのは湯島はじめ「あなたの町に」である。

お互いの城下の古いアパートへ入居を青い契約印で

避難ということばの遠さわたしには汀はプール 海ではなくて

暴力のような芽吹きの町にいてあなたひとりが聴く犬の声

 湯島は1992年生まれで「かばん」所属。調べてみると『ジャッカロープの毛のふるえ』という短歌集を出しているようだ。選評で黒瀬は、「誰かと生きる、ということへの様々な試行が綴られる。そこには、他者と我とはそれぞれ独立した存在であり、けっして融合しないという確固たる認識がある」と述べている。石川は五位で取っている。また背景に福島の帰還困難区域の置かれた現状があるのではないかとも述べている。たしかに東日本大震災を背景に読むと、またちがった読みができるかもしれない。「かばん」の最新号を見ると、「光と希死いつも同時に瞬いてソルトアイスに顔顰めたり」のように良い歌を投稿している。

 石川が一位に推したのは穴根蛇にひきの「雪と雪の鵺」である。

初冬の結露を載せてもらわれる子どものようにしずかな鏡

新生児並べるようにタッパーへ夜のしじまへご飯を分ける

いつか痛みを花に喩えて言うときに声まで百合のように裂けつつ

 穴根蛇は「とにたん」「ウィーンガシャン派」「時庭歌会」所属とある。確か昔「かばん」でこの筆名を目にした記憶があるのだが。石川は、「ストレートな抒情を感じる歌が多く、一首一首の完成度が高い」と評している。黒瀬は七位に取り、「触覚や粘性、身体感覚を鋭く描写している」と評価する一方で、「世界の上澄みをすくっているように思ってしまった」とも述べている。現代の若手歌人とは異なる作風がおもしろいのだが、一首の中にたくさんのものを詰め込み過ぎているきらいもある。

 千葉が一位に推したのは石田犀の「あるブルー」である。石田は「塔」所属で1991年生まれ。

階段をあなたが先に降りていく想像上の指でつむじ押す

質量であなたは音を語りつつ意図がわたしに届くスピード

舌ひとつ青き火種として渡す冷えたふたつの耳殻のために

 千葉は「ジャズのライブに行き、ひととき音楽に身を委ねて、また日常に戻る。ライブの様子を、音楽そのものよりも、音楽に纏わりつく諸々で多くを語っている」と評している。黒瀬は、「テーマ一つで押し出してきて、力のある人だと思いました」と語る一方、ジャズ自体の歌にあまり魅力を感じなかったと述べている。千葉は短歌と音楽は相性がいいとしているが、そうでもなくて、言葉で音楽を語ることは存外難しい。掲載された抜粋からジャズ演奏の歌がすっかり抜け落ちているのもそのためだろう。

 斉藤斎藤が一位に推したのは梨とうろう「8週目の天気」である。

友だちはたぶん農家を継いでいて毎年野菜を送ってくれる

いつか見たホームページにあったドット絵の桜吹雪が流れるしかけ

夢を見る後部座席で遠ざかる動物園のネオンの光

 梨とうろうは東京大学Q短歌会所属。斉藤の選評が抜群におもしろい。斉藤は梨の文体が、「直球と変化球でフォームが変わらないダルビッシュのように、現実と幻想がおなじ文体で詠われている」と述べ、短歌を読んでいるとロイター板が見えるときがあるが、梨の連作にはそれがなく、「ずっとぬるっといく」というやり方もあるとする。ロイター板とは跳馬などの競技で使う踏切板のこと。斉藤が言いたいのは、「来るぞ、来るぞ」という構えが見えてしまう短歌があるということだ。梨の短歌にはそれがないという。また「物を見るのも夢を見るのも、それを認識して言葉に起こすときには同じOSを使っている」、「みんながコンテンツとかアプリを作っているとすれば、この人はOSに食い込んだところをやっていて、そこにアドバンテージがあると思いました」と激賞している。

 斉藤が言いたいのはこういうことだろう。OS (Operating System) とはコンピュータを動かす基本システムのことで、「短歌のOSがちがう」というのは穂村弘もよく用いる比喩である。他の候補者たちが同じOS、つまり同じ短歌の作り方で、そこに何を盛るかというコンテンツで勝負しているのにたいして、梨はOSそのものを改変する、あるいはOS自体に独自性を与えるような勝負をしているということだ。

 千葉は「斉藤斎藤コード」で読む納得できておもしろい歌もあるが、いきなり一首出されても意味がわからない歌があるとし、横山は「かみなりの流れに沿って一辺が16センチの悪魔と踊る」という歌の意味が取れないとしている。また石川は永井祐の文体に似ているところがあるが、ちょっとついていけない歌があると否定的である。斉藤のOS論は歌論としてはおもしろいが、他の選考委員にはあまり響かなかったようだ。

 最後の候補作は吉田懐の「白い虚」である。

サイレンを遠く遠くに聴きながら絵の具のひろがる水を見ていた

駅名を右から左へなぞり読むその頬骨の裏にある虚

泣き喚く子どもは画面に収まってきつく回している魔法瓶

 吉田は所属なしの大学生である。横山と千葉が二位に押している。横山は「大きな出来事はないが、流れゆく時間や他者との距離感を繊細な感覚で捉えている」と評し、千葉は「なかなか意識できないような微妙な部分を詠んでいる。一首の完成度の高さにも惹かれる」と述べている。確かに抜粋ながら私がいちばん多く○を付けたのは吉田の連作だった。

 2023年に角川短歌賞で佳作に選ばれ、2021年の短歌研究新人賞では長井めもの筆名で最終選考を通過している永井駿は残念ながら最終選考通過で終わっている。佐原キオも同様である。驚いたのは2005年の第41回短歌研究新人賞で最終選考を通過している今村章生(まひる野)が今回も「特別な日々」で最終選考通過作品に選ばれていたことだ。

 2023年のU-25短歌選手権で優勝したからすまぁ、栗木京子賞を獲得した雨澤佑太郎、小島なお賞に選ばれた市島色葉、2022年のU-25短歌選手権で栗木京子賞を受賞した酒田現、穂村弘賞をもらった今紺しだは佳作となっている。果敢に挑戦するものの、短歌研究新人賞のハードルはなかなか高いようだ。

 なお今回の応募総数は579篇で、昨年の718篇に較べると大きく減っている。理由は定かではない。ちなみに2004年の第47回の応募総数は603篇である。今回も無所属の歌人が多かった。無所属の人はインターネット歌会やネットプリントを媒体として活動していることが多い。今後もこの傾向は続くだろう。


 

第378回 金田光世『遠浅の空』

加湿器の水はしづかに帰り着く空を濡らして降る絵の雨へ

金田光世『遠浅の空』

 最後まで読んで「アッ」と声が出た歌である。加湿器のタンクの水は水蒸気に相転移して部屋の空気を湿らせる。空中の湿気はやがて上昇気流に乗り、空の高みに達して雲となる。そして雨となって降り地上に戻る。というのならば「水の循環」を詠った歌になる。しかし結句に至って雨が降るのは壁に掛かった絵の中だと知れる。まるでエッシャーの騙し絵のように、現実の世界と絵の中の世界が接続されていて、読む人は知らないうちに異なる世界に足を踏み入れることになる。これが作者のたくらみである。この「異なる世界を接続する」というあり様は、単に作歌の技巧や手法に留まらず、作者の深い所に根差す心持ちであるように思われる。

 歌集に作者のプロフィールがないので詳細は不明だが、金田光世は塔短歌会所属の歌人。栞文を寄せている浜松市立高校の国語教員の後藤悦良によれば、金田は高校在学中から文芸誌に短歌を寄稿しており、高校3年の時に塔短歌会に入会したようだ。その後、京大短歌会に籍を置いた時期もある。本歌集は20年以上にわたって詠んだ歌をまとめた第一歌集だという。ずいぶん遅い第一歌集だ。そのせいもあってか、収録された歌数がとても多い。またほぼ編年体で構成されているので、歌風の変遷も読み取ることができる。栞文は結社の大先輩の花山多佳子、先輩の澤村斉美と、前述の後藤悦良に小林久美子が稿を寄せている。版元は青磁社で、最近珍しいクロス装のハードカバーの造本である。

 花山はかつて結社の中にあった同人誌『豊作』に掲載された次のような歌を引いて、金田はこういう浮遊する感覚を持つひとであるとする。 

このからだどんなに深く眠つても根を張ることをしらないからだ

心より水にしたしい手をもつて水に紛れる心を掬ふ

 また歌の随所に見られる「イメージの飛躍」「イメージの拡散」や「抽象性」が金田の歌の特質だとしている。

 小林は、「金田さんの短歌の書き方には、明確に言語に託すことのできない純粋であえかな感覚や現象に向かって身を投じ、深い注意で見つめ、記憶し、時に幻想し、そして時に消し、やがて呼び戻して新たに知る、その連なりのなかで諒解され得たものごとを言葉に成してみる、そういう手法を思う」と綴っている。金田の短歌に見られる浮遊感と逡巡のよって来たる深源を捉えたすばらしい批評で、金田の短歌世界の特質を言い当てている。小林の短歌世界と金田のそれとはどこか深いところで繋がっているようにも思える。その理由は後で触れる。

 最初に注目したのは第I章の次のような歌群である。 

空の穴押さへて吹けばりゆうりゆうと夕闇は来る海の底より

目に見えるものは空へはのぼれない無口になつたサイダーの瓶

ガラスコップ桃色であるあやふさに水の光をくづして止まず

貝殻の合ひ間に匙を埋めればアサリスープにたましひ揺れる

フリージアの形をなくし夕刻の時計店へとしみてゆく影 

 一首目、穴を押さえて吹くのだから管楽器だろうと思うのだが、押さえるのは空の穴だという。人が押さえられるものではない。押さえるのは大いなるものだろう。「りゆうりゆうと」という壮麗なオノマトペと共にやって来るのは夕闇である。つまりは夕暮れの印象を描いた歌なのだが、異質な意味野から語彙を集めているためにイメージが散乱する。二首目、「目に見えるものは空へはのぼれない」という箴言風の上句である。この命題の対偶を取ると、「空へのぼれるのは目に見えないものだけである」となる。目に見えないものとは魂と天使と風か。下句は一転してサイダーの空き瓶の視覚像で終えている。三首目、ガラスのコップが桃色であるのはよいとして、それがなぜ「あやふい」のかが明かされていない。「水の光をくづす」というのはコップの水が光を反射したり屈折したりする様だろうか。四首目、スプーンで浅蜊のスープを飲んでいる。チャウダーかもしれない。するとスープの中に魂が揺れるという。ここにも異質なものの唐突な組み合わせがある。五首目はとりわけ美しい歌だ。フリージアは特徴のある形をした花だが、それが形をなくすというのは夕闇に紛れるからである。花は時計店の中に飾られているのだろう。店内に夕闇が拡がってゆく様を「しみてゆく」と感覚的に表現している。

 これらの歌に共通して見られる特徴は、可視と不可視、現実と幻想、思惟と感覚、具体と抽象といった相反する領域が一首の中にないまぜにされているために、統一的な視覚像に収斂することなくイメージが散乱するという点である。それがうまく行けば両立しえない領野を強引に接続することで、火花が散って詩が生まれる。しかしうまく行かなければ統一的なイメージを得られないフワフワした歌になる。花山の指摘する浮遊感の原因はこのあたりにあるかと思われる。

 金田の短歌のもうひとつの大きな特質は一首の独立性である。いちおう連作の体裁を採ってはいるものの、並べられている歌と歌の間に意味的あるいは主題的な連関はない。単純過去形で書かれる伝統的な小説とは異なり複合過去形で書かれているカミュの『異邦人』の文体について、かつてサルトルは「一つ一つの文が島」であると書いたことがあるが、金田の歌も一首一首が孤立した島であり、その間に橋は架かっていないのである。試しに「白く浮かぶ」と題された連作から三首引いてみよう。

薄雲はそのままに暮れ白桃を投げ込めば落ちてゆきさうな空

水があればその水を吸ふ綿棒は目の退化した生き物のやう

みつしりと詰められてゐる綿棒を取り出す前の気配、初雪

 一首目は薄雲のかかる空、二首目は綿棒、三首目も綿棒かと思えばそれは喩で初雪が詠まれており主題はばらばらである。

 連作というのは、ひとつの主題を中心に置き、近づいたり離れたり主題からさまざまな距離を取りながら変奏することで、一首では表しきれない意味世界の深まりを実現する手法である。どうやら金田が目指しているのはそのような境地ではなく、一首を独立性の高い絵のように仕立てるということのようだ。この一点において金田の短歌と小林久美子の短歌には共通するところがあるように思われる。

 

隔たりを均等にして

部屋に干す

時雨にぬれたGounod グノーの楽譜

           小林久美子『小さな径の画』

光線の端はゆびさき

壁の絵の少女に

触れる刻をゆるされ

 

 2022年に出版された最新歌集から引いた。小林は画家なので、一首を壁に掛けられたミニアチュールのように彫琢しているかのようだ。読むこちらもそのように読むのが正しい読み方かと思われる。

 栞文で澤村は「透明感に満ちたその作品世界を、私は一読者としてはつかみかねる時期もあった」と書いている。さらに「一首、一首は淡く、はかなく、清く、確かに美しい。しかし、そうした歌が並ぶとき、イメージが清浄に統御され、言葉がその枠からはみ出してこないというのか」と続けている。これは上に書いたような金田の短歌世界の特質をよく言い当てた言葉である。しかし第II章に入ると言葉が動き出し、「イメージがイメージの世界で完結し、『わたし』をなかなか出してこなかって金田さんの歌の大きな変化を示すものだと思う」と澤村は書いている。確かにその通りで、一幅の清涼な絵のような第I章の歌から時間を経て、金田の歌は変化したようだ。そのことは2022年に塔短歌賞を受賞した「川岸に」と題された巻末の連作を見ればよくわかる。

あなたがかつて暮らした国へひとつひとつの時間をかけて夕暮れは来る

洋梨が剥かれゆくやうな明るさに別れ来し人を一人一人思ふ

受胎するかどうかひかりに問ふ秋のイチヤウ黄葉は透きとほりゆく

女たちが残していつた椅子たちが見上げる先に半分の月

グァバ色の夕空へ鳥は帰りゆくかつて生きてゐたものたちも皆

 かつてのように可視と不可視や具体と抽象を強引に接続する歌風はもう見られない。これらの歌には風景を目にする〈私〉、何かの思いを抱く〈私〉がいる。考えようによっては、金田は長い道程を経て近代短歌へと着地したとも言えるかもしれない。

 最後になるが、増音を嫌わずきちんと助詞を置くのは好感が持てる。しかし口語(現代文章語)を基本としながら旧仮名遣いというのはどうだろうか。いささか疑問に思う所もある。20年以上にわたる歌歴が結実した充実の一巻である。

 

第377回 山田恵理『秋の助動詞』

ひそやかに語る女生徒ふたりいて渡り廊下は校舎の咽喉のみど

山田恵理『秋の助動詞』

 本コラムを書くときにはまず冒頭の掲出歌を選ぶ。付箋の付いた歌を中心に歌集を読み返す。そうすると歌人の体質や体温といったものが改めて強く感じられる。本歌集を読み返したとき、やはり選びたくなるのは生徒を詠んだ歌である。そこに作者の心の襞や傾きが最もよく感じられるからだ。

 歌の舞台は高校の校舎の渡り廊下。学校を舞台にするとき、絵になるのは教室よりも屋上や体育館の裏や渡り廊下だろう。生徒の表の顔ではなく、ほんとうの顔が見られるからだ。渡り廊下で女子生徒がふたり顔を近づけ声を低くして何かを話している。憧れの男子生徒の話だろうか。渡り廊下を校舎の咽喉に喩えているのには二重の意味があるだろう。咽喉は発声器官で、渡り廊下は本音が語られる場所だという類似性と、喉が口と胃や肺を結ぶ通路で、渡り廊下は校舎と校舎を結ぶ通路だという類似性である。

 山田恵理は1965年生まれの歌人。「コスモス短歌会」に所属し、同人誌「COCOON」にも参加している。本書は2023年に六花書林から刊行された第一歌集である。梶原さい子と大松達知が栞文を寄せている。

 作者は公立高校の国語教員であり、三人の娘の母でもある。つまり教師と妻と母とう三つの役割と顔を持っているのだが、集中で最も惹かれるのは何といっても教員として詠んだ歌だ。

モヒカン刈り叱られ教室飛び出した生徒を探し月曜はじまる

我ながらほれぼれするほど響くこえ隣の校舎の生徒を叱る

二人欠け修学旅行ははじまりぬお金のない子と行きたくない子

一番のやんちゃ坊主の担任を外れて少しつまらない 春

明日からは来ぬ生徒らの名を呼びぬ春まだ浅き体育館に

 一首目、さすがにモヒカン刈りは校則違反なのだろう。叱られた生徒はどこかにトンズラしてしまい捜索隊が出る。二首目、教員は教室の奥まで届く声で授業しなくてはならないので、自然と声帯が鍛えられる。中庭を挟んで向かいの校舎で良からぬことをしている生徒を大音声で叱っている。三首目、修学旅行に参加しない生徒が二人いて、それぞれ理由がちがっている。生徒を引き連れての修学旅行は日本独特の習慣で、引率する先生は大変だ。四首目、学年が変わりクラス一のやんちゃな生徒が別の組になった。ほっとすると同時に少し淋しい気持ちにもなるという歌だ。五首目は卒業式の場面である。高校生活のクライマックスといえば文化祭や体育祭もあるが、何と言っても真打ちは卒業式だろう。作者は卒業して明日からはもう学校に来ない生徒の名を、淋しさを感じながら読み上げている。

 これらの歌を一読して感じるのは、生徒たちへの深い愛情と、だからこそ保たれている生徒との適切な距離感である。教員たるもの生徒に愛情を持つのは当然だ。愛なくして教育はない。かといって生徒の生活や心の中に限度を越えて踏み込むのもよろしくない。作者は細やかな眼で生徒たちを見つめながら、適切な距離感を保っているように感じられる。

赤ペンで汚れし右手にお釣り受く閉店間際のスーパーレジ

プリントを出せない理由は殴られて血がついたから 鬱の養父に

時に手で黒板ぬぐった二十代チョークにきっちりカバーする今

四度目の異動希望を清書せり 窓の外には空しかなくて

「えいやっ」と定時に帰る西の空 雲の入り江にまだ青き波

 一首目、教員の大事な仕事に試験問題作りと採点がある。授業が終わってから放課後に採点をするので、勢い帰宅するのはスーパーの閉店間際になるのだ。教員は最初から給与を少しだけ上乗せしているのと引き替えに、残業手当が支払われない。残業し放題というブラック企業と変わらない。ちなみに採点するときには太字のペンがよいので、私が愛用していたのはOHTOのSaiten Ball 1.0とLamyの太字万年筆である。二首目、言葉を失う家庭内暴力の話で、これはもうソーシャルワーカーと警察の領分だろう。三首目、素手でチョークを握ると手が荒れる。若い頃は気にしなかったが、年齢を重ねて手を労るようになるという歌。四首目、公立高校の先生には異動が付きものなのだろう。異動はまた別れでもある。五首目、忙しい先生が定時に帰宅するにはこれくらい決断が必要なのかもしれない。

これだけは覚えておけよサッカー部 カ行一段動詞「蹴る」

「セカンドのサードの間」とヒント出し野球部員に読ませる「せうと」

いくつもの口を開きて人生を呑みゆくごとし「癌」という文字

はね、止めを呑みこんでいるゴシック体文化を滅ぼす字体にあらん

竜、竜人、竜之介もいる一年生 来年入ってくるか巳之介

 国語の先生らしい歌を引いてみた。一首目、「蹴る」は古語ではケ・ケ・ケル・ケル・ケレ・ケヨと活用するカ行下一段動詞である。二首目は旧仮名遣いで「せうと」はショートと読むことを野球に掛けて教えている。三首目は父親が癌と診断されたときの歌だが、「癌」という文字のなかに口がいくつも開いていることを不気味と感じている。四首目、漢字の習字で大事なのは書き順とはね・とめである。文字に書く順序があると説明すると外国人は驚く。この歌ははねも止めもないゴシック体の活字は国語の文化を滅ぼすとしている。新しいクラスを持つときのいちばんの悩みは生徒の氏名の読み方だ。私が在職中いちばん驚いたのは「東海左右衛門」という苗字の学生がいたことである。近頃はいわゆるキラキラネームが多くて、「空」と書いて「スカイ」と読ませたりするらしく油断がならない。五首目はクラスの生徒の名前に「竜」の字が多いことをおもしろがる歌。巳之介はおそらく谷崎潤一郎の小説の登場人物だろう。

 上に引いた歌にもユーモアが感じられるが、集中には「湯を沸かすのみが仕事の薬罐にてなぜか鍋よりよく磨かれる」という歌もあり、このようなユーモアも作者の魅力となっている。

雨の日は水槽のごとき校舎なり昇降口に藻のにおいして

 前にも一度書いたことがあるが、生徒らが登校して上履きに履き替えたりする場所でロッカーが並んでいる出入り口を「昇降口」と呼ぶ地方があるようだ。作者は愛知県に在住なので愛知ではそう呼ぶのだろう。関西では言わない。「昇降口」と聞くと、フォークリフトで持ち上げて荷物を積む飛行機の貨物室の開口部かと思ってしまう。

 学校の歌ばかり引いたが、両親や娘たち家族を詠んだ歌や身めぐりを詠んだ歌にもよい歌がある。家族や友人は近景、職場や町内は中景、国家や政治は遠景と区別すると、本歌集に収録された歌のほとんどは近景と中景である。「私」を滅却して短歌の芸術性を追求する歌人もいるが、作者はそうではない。あとがきに「怒濤のように流れていく」日常生活の中で、「何かを表現したい」、「形を残したい」という動機から作歌を始めたと書かれている。短歌は人生の伴走者であり、自分が生きた記録なのだ。

 短詩型文学には俳句と短歌と川柳があるが、このような特性がいちばん強いのは短歌だろう。俳句は人生の記録にするには短すぎる。ルナールの蛇の逆だ。世界を見まわしても、こういう文学は短歌を措いて他にはないのではないかと思う。そもそも有力新聞がこぞってポエムの欄を設け、毎週何千というポエムが投稿されるという国は日本以外にない。短歌を考える上で忘れてはならないことである。

いちまいの布になりたし子の展く空間図形に秋の風吹く

死は必然 生は偶然 なかぞらに圧倒的な死者のひしめく

形なきものが形を持つときにるる優しさ初雪が降る

木蓮のつぼみふくらみ青空に禅智内供の鼻のつめたさ

球児らの「あの夏」になるこの今を皆が見つめる高き高きフライ

教室の窓よりうろこ雲ながめふりむけばしばし暗む生徒ら

女生徒がふたり笑えば雲よりもはるかに白い夏のセーター

「ほぼほぼ」という語なずきは拒めどもほぼほぼ馴染みほぼ定着す

 二首目を読んで確かにそうだなあと思う。私がこの世に「私」として生を受けたのは偶然であり、そのうち死ぬことは必然だ。人の一生とはこの偶然と必然の間に挟まれた須臾の間である。四首目の禅智内供は芥川龍之介の短編で、木蓮のつぼみを禅智内供の大きな鼻に喩えたところが面白い。五首目の「高き高き」とくり返されたフライは、もちろん捕球されゲームセットとなる凡打である。六首目は生徒が何かに悩んで暗い顔をしていたということではない。明るい外を見ていて暗い教室に視線を移すと、目が慣れていないため暗く見えるという順応の歌だ。最後の歌は定着しつつある「ほぼほぼ」という言い方を取り上げたもの。「ほぼほぼ」を二度くり返し、自分は「ほぼ」を使っているところにささやかな抵抗がある。

 読後の爽やか歌集である。


 

第376回 楠誓英『薄明穹』

父を憎む少年ひとりをみつめゐる理科室の隅の貂の義眼は

 楠誓英『薄明穹』

 理由は定かではないが、父親を憎悪している少年がいる。少年は放課後に居残っているのか、人気のない理科室に一人でいる。時刻は薄暗い夕方だろう。理科室には人体模型や動物の剥製などが埃っぽい棚に並んでいる。隅には貂の剥製が置かれており、キラリと光るガラスの眼が少年を見つめている。この歌は俳句で言えば一物仕立てということになるが、倒置法が効果的に用いられている。それは下句で「理科室」→「隅」→「貂」→「義眼」という視野の絞り込みを可能にしているからである。この下句の絞り込みが一首の緊張感を生み出している。

 楠誓英くすのきせいえいは1983年生まれの歌人で所属結社なし。2013年に第1回現代短歌社賞を受賞。それを歌集として出版した『青昏抄』で第 40回現代歌人集会賞を受賞している。本歌集は第二歌集『禽眼圖』(2020年)に続く第三歌集で、川野里子と小説家の榎田尤利えだゆうりが栞文を寄せている。

 前回『禽眼圖』の評で、楠は目に見えるものよりも目に見えないものに心を惹かれていると書いた。そのような世界観を持つに至った理由のひとつは、12歳の時に阪神淡路大震災に遭遇し兄を亡くしていることだろう。本歌集にも震災に材を得た歌がある。

おそらくは玄関があった地震なゐののち潮風を長くそこにとどめて

階段は途切れて鳥ととびたてば須磨の海ゆく帆船の見ゆ

名も顔もみな忘れはて草のなか茶碗のかけらも墓標となれり

うすく濃くかげの重なる林にて樹になる前の亡兄あににあひたり

まなうらの兄の姿もくづれゆく魚鱗うろくづの雲ひとり見てゐる

 大震災は住んでいた町もそこに住んでいた人も彼方へと連れ去り、もう元の姿を目にすることは叶わない。大震災から29年の時が流れた。西宮北口から阪急今津線に乗って車窓から見える風景には古い木造家屋は一軒もない。すべて震災で破壊されたからである。復興した現在の町の姿の背後には、二重写しのように震災前の町が透けてみえる。作者の世界観の背後にはそのような事情があるかと思う。

 楠の歌の世界では可視と不可視がせめぎ合うだけではない。それと平行して、いやそれよりもさらに色濃く生と死とが踵を接している。

雨ふくみを傾ける紫陽花の地中にひかる納骨堂は

いま路地をかよへる死者は吾が頬のとがりに露をのこしてゆけり

水兵のねむりを眠れ早朝のプールの底をふれし身体よ

死んだこと気づかぬ人も立つてゐる緑濃き山のカーブミラーに

時々はあの世へ行くのに使はれて非常階段に花蕊たまる

 一首目、地上は梅雨時に咲く紫陽花のある寺の境内、地下は死者たちの眠る納骨堂で、生と死は垂直に重なって同時に存在する。雨に濡れて頭を垂れる紫陽花の花は死者に黙祷を捧げているようでもある。二首目はもっと生と死が近い。路地を歩いていて死者と擦れ違うのだ。三首目、夏の早朝に学校のプールで泳いでいる。息を吐いて沈み水底に触れる。その様は先の大戦で南洋に沈没した戦艦の乗組員の水漬く屍のようだというのである。「海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も水夫も」という塚本邦雄の歌を髣髴とさせる。四首目、曲がりくねった山道のカーブミラーには、この場所で自動車事故で亡くなった人が死んだことに気づかずに映っている。五首目、ふだんは使われることの少ない非常階段は、投身自殺に使われることもあるという。風に吹かれて溜まっているのは桜の蕊にちがいない。

 クナーベンリーベ(少年愛)を感じさせる歌は第二歌集『禽眼圖』にも散見されたが、本歌集にも引き続き見られる。

ひかがみに淡き闇ため立つたまま眠れる少年こずゑとなりて

うたれしは手首と聞ける少年の青白き筋にナザレはありて

水の藻にからまり果てし少年の踵みえたり暗渠のおくに

少年をながめしジッドの眼鏡がんきやうは毀れた雲をうつしつづけて

消しゴムを拾へばはつかふるへゐる少年のしろき踝がある

 一首目の「ひかがみ」は膝の裏側のくぼみのことで膝窩ともいう。『狭き門』の作者アンドレ・ジッドはアルジェリア旅行で少年愛に目覚めた。本歌集第III部の「Eternal yesterday」と題された連作は、榎田尤利の小説『永遠の昨日』に基づく。惹かれ合う男子高校生の一人が交通事故に遭うという筋書の小説で、TVドラマ化もされているようだ。

きみだけにあだ名で呼ぶこと許させてコンパスの針にとどめ刺す蝶

背伸びしてキスを交わせば肩の向かう夜にみちゆく白さるすべり

耳朶を噛む ふるへるきみの咽喉のみどには翡翠の皺のガラリヤ湖あり

逝くことのわかりてをれば初恋のあぎとのくらく尖りてゆくを

忘れてくれ あの世に半身残したまま街をゆく半透明のひと

 男子高校生同士の愛情がこの上なく純粋なのは、男女の愛恋と違って終着点がないからだ。それを詠う楠の歌も匂い立つように美しい。

面ざしを闇に与へようつむける人のかたちは正座をつづけ

供へ花いつもあたらし喪失をかかへしものの永遠のとき

刻まれし子らの名前にとまりたる紋白たかく高くそひゆけ

 「坂多き町」と題された連作から引いた。2001年に起きた明石花火大会歩道橋事故の現場を詠んだ一連である。楠はあとがきに次のように書いている。「歌には、体験の有無に拘わらず、その場所に生きていたひとの姿や風の匂い、木々の揺らぎを蘇らせ、とどめる力があるのではないか」と。それはまさにゲニウス・ロキ(羅典語でgenius loci)、つまり「地霊」である。ゲニウス・ロキとは、その土地に長年住み続けた何世代もの人々の集合的記憶であり、土地が発する磁場のごときものだ。バルテノン神殿があるアテネのアクロポリスの丘や、オーストラリアにあるアボリジニの聖地エアーズ・ロックや比叡山を思い浮かべればよい。そのような広く知られた場所だけでなく、ごく身近な所にも場所の記憶というものがある。楠はまるで呼び出されるように場所を訪れて、そこに積み重なった記憶に感応するように歌を詠んでいる。それが楠の歌に独自の陰影と奥行きを与えているように感じられる。

 1983年生まれの楠と同世代の歌人といえば、同じ年生まれに堂園昌彦、1982年生まれに笹井宏之と山崎聡子、1981年生まれに永井祐がいる。口語(現代文章語)を基本とするこれらの歌人と並べてみると、文語(古語)で旧仮名遣いの楠の短歌はひと時代前のもののようにも見える。まさに遅れて来た文学青年の面目躍如というところか。

 歌集巻頭にはパウル・ツェランの「迫奏」(ストレッタ)の一節がエピグラムまたはエピタフのように引用されている。その意味するところは紛れもなく「メメント・モリ」であろう。

 最後に心に残った歌をいくつか引いておく。

足もとに影を集めて立ちつくす昏き歩哨と夏の木立は

掌をふかくひたしてすくふとき沈没船のごとく豆腐は

うつ伏したきみの頭蓋か卓上にひそとおかれて在る晩白柚

埋められし鯨の心臓冬を越え真紅の蝶とならむ時まで

生と死に惹かれ在ることの苦しさを春の嵐に鉄塔はたつ

死者もやがて老ゆる日の来む崖下の廃園の夜のドクダミは咲き

永遠はこの世になくてまつしろなリラの花みたす小舟を遠くへ

 

【追記】

 ゲニウス・ロキに興味をお持ちの方には次の書物をお奨めする。

・鈴木博之『場所に聞く、世界の中の記憶』王国社、2005.

・鈴木博之『東京の地霊』ちくま学芸文庫、2009.

・Michel Butor, Le génie du lieu, Editions Grasset, 1958.

 一部は『現代フランス文学13人集 / 4』新潮社、1966に翻訳収録されている。


 

第375回 丸山るい

 朝日新聞夕刊の2面の隅に「あるきだす言葉たち」という小欄がある。現代詩や俳句や短歌の若手作家の作品を紹介している。4月10日の夕刊(大阪版)に丸山るいという人の短歌が掲載されていた。次の8首である。

埋めた骨のながくみつからない犬のこころのままに街を歩いた

吊り革を祈るかたちに握る手のほどけて雨のなか消えてゆく

あけがたの雪の気配よ なつかしい顔は夢へとかきあつめられ

円環のそとへゆきたしくりかえし輪ゴムを切ってあそんで猫は

描かれた松をふたつの影で見る 千年なんてあっというまの

ベビーカーにベビーのいない空白をみたして夜の空気のふるえ

青海波 かがやく部位をひとつずつ指さしてゆく春の午餐よ

顔認証するたびうすくなるような気のする顔にふるひかりたち

 一読して「ああ、いいな」と思った。それは歌の随所に翳りが感じられたからである。その翳りは一首目では初句から続く喩にある。後で食べようと犬が土を掘って骨を埋めるが、やがてその場所を忘れてしまう。そんな気持ちとは、何か大事なことを置いてきたような気持ちだろう。二首目で吊革を握る手の形を祈りに喩えているのは、心の中に何か祈りたいことを抱えているからだ。三首目で描かれているのは輪ゴムで遊ぶ猫だが、そこに〈私〉の願いが投影されている。円の外に出られぬというのは塚本の次の歌にも見られる喩である。

少女死するまで炎天の縄跳びのみづからの圓驅けぬけられぬ

                 塚本邦雄『日本人霊歌』

 六首目の赤ん坊のいないベビーカーは不毛と空虚の喩であり、八首目の顔認証するたびに薄くなる気がする自分の顔は、漠然とした存在の不安を表しているのだろう。

 丸山は1984年生まれで「短歌人」所属の歌人である。昨年の第66回短歌研究新人賞で候補にもなっている。まだ歌集は出していないようなので、寄贈していただき書庫に収蔵してある「短歌人」のバックナンバーを見ることにした。

雨の降るまえの匂いがやってきて実を剥くようにグラスを拭いた

夕暮れの遊具ウィンクしたままでこの世を褪せていく長い犬

                『短歌人』2022年9月号

足裏をはるかな死者とあわせては花の季節のながい信号

夢よりも夢の匂いがながれだす路面に濡れている宝くじ

               『短歌人』2022年10月号

そのさきに花野なけれどカーテンを九月の胸の前にひらいて

燃えた家の煤の匂いのマスカラを塗って出かけるバスがくるから

               『短歌人』2022年11月号

 二首目の「この世を褪せていく長い犬」というフレーズがユニークでおもしろい。おそらく塗装の剥げた公園の遊具を指しているのだろうが、喩の力によってまるで少しずつ姿が薄れてゆく犬がほんとうにいるように感じられる。三首目の足裏を死者と合わせるというのは、交差点で信号が変わるのを待っているのだが、私の足の下の土の中には遠い昔の死者が眠っているかもしれないと感じているのである。東京大空襲で多くの死者を出した台東区あたりを歩けば、決して非現実的な想像ではない。六首目の燃えた家の煤の匂いのするマスカラというのもユニークだ。楽しかるべき外出の背後に燃えさかる家が揺曳する。多くの歌に「匂い」が登場するのは、作者の世界構築に嗅覚が重要な役割を果たしているからと思われる。

歯の数のふいにただしくないような気がする夜の居酒屋にいて

入り口に白い鳥居のある森がみえる速度のなかの九月に

口ごもるからだが夜の植え込みへ落とす影にも咲く萩の花

動物のかたちはどれもおもしろくこの世の影をかさねるあそび

                『短歌人』2022年12月号

 ここまでは習作風の歌が多く見られたが、この時期に丸山は自らの作風を確立したようだ。一首目、何かものを食べていて、歯の数が正しくないような気がふとするというのは、自分の実在性に投げかけられた懐疑である。二首目でおもしろいのは詠まれている素材ではなく、歌の統語法だ。「入り口に白い鳥居のある森がみえる」の最後の「みえる」が終止形と連体形の間をふわふわと浮遊する。終止形と取ればそこに句切れがあるが、そうすると次の「速度」の収まりが悪くなる。連体形と取れば「速度」にかかる連体修飾句となるが、「森が見える速度」とはいったいどんな速度なのか不思議だ。しかも「速度のなかの九月に」と続き、ぐるっと回って初句に帰るようにも取れる。ここで作者が試みているのは、統語法の惑乱によって意味の十層性を生み出すことだと思われる。四首目は動物の形をしたピースを嵌め込むゲームだろう。そのピースを「この世の影」と表現しているところに心引かれる。

天と地がそうあるように藤棚の下に四月のつめたい砂場

はつなつの眠りの階をおりてゆく夢に陶器の手触りがある

グラシン紙ふいにやぶれるさみしさの低声とおくなる靑葉闇

               『短歌人』2023年7月号

対岸にあかるさだけの見えているだれかとだれかのしている花火

裏庭のさびた盥へ雨水のふえてなくなるだけの八月

               『短歌人』2023年10月号

雲はすぐ秋のかたちになりかわる グラムへ切り分けられて牛たち

うつくしい泥のながれてくるような会話に耳の濡れている午後

               『短歌人』2023年12月号

 三首目のグラシン紙とは、本のカバーなどに使われる半透明のつるつるした紙のこと。「グラシン紙ふいにやぶれるさみしさ」や「うつくしい泥のながれてくるような会話」などの喩がユニークだ。どの歌にも若干の空虚があり、ふと肩が冷たく冷えるような感覚が感じられるところに独自のものがある。

       *       *       *

 彫刻家の舟越桂が亡くなった。今年の3月29日のことである。新聞記事で訃報を知って驚き悲しんだ。舟越は、香月泰男、有元利夫、磯江毅(グスタボ磯江)らと並んで、私が最も愛する美術家の一人だったからである。

 舟越の父親の舟越保武も、東京藝術大学教授を勤めた高名な彫刻家で、キリスト者であった。舟越桂は父親と素材の違う木彫の道に進み、木彫に彩色するという独自の技法に辿り着いた。その彫刻世界は唯一無二のものである。

 2003年に東京都現代美術館で開かれた舟越桂展に行った。広い展示室にぽつぽつと置かれている木彫を見て回っていると、まるで深い森に誘い込まれるような気がした。モネのような人気作家の展覧会には、友達同士や団体で見に来ている人が多く賑やかだが、舟越の展覧会には一人で来ている人がほとんどで、静かに鑑賞し次の作品へと移動する様子には古代の敬虔な儀式を思わせるものがあった。彫刻作品と並んで創作ノートが展示されていた。見ると夥しい言葉が書き連ねられている。舟越は言葉の人でもあったのだ。2008年に東京都庭園美術館で開かれた「舟越桂 夏の庭」には行くことができなかったが、親しくしている学生さんが図録を送ってくれた。

 現代アートの主流はコンセプト重視である。舟越のように具象と想像力とを結合させて、存在の謎を詩にまで昇華した人はめったにいない。作者は泉下の人となったが作品は残る。芸術家はそうして不滅となる。フランスのアカデミー会員が「イモルテル」(immortel 不死の人) と呼ばれるのはそのためである。瞑目。

 

 

 

 

第374回 第35回歌壇賞

カーブする数秒間を照らされて蕾のようにひらく左眼

早月くら「ハーフ・プリズム」 

 第35回歌壇賞の受賞作が『歌壇』2月号で発表された。受賞作は早月はやつきくらの「ハーフ・プリズム」である。早月は1992年生まれで、2021年に作歌を始めたというから、始めてまだ3年しか経たずでの受賞である。短歌同人「絶島」所属。第9回詩歌トライアスロン三詩型融合部門でも受賞しており、詩も書くようだ。主に「うたの日」などで短歌を発表している。

しなやかなめまいがあって手をついた場所から果樹が広がってゆく

ほんとうを言わない喉のつめたさに無花果ふかい紅色をして

水道のゆるさつめたさ行き来して洗面台をひたす季節は

 選考委員の三枝昻之と水原紫苑が◎、東直子が○を入れている。吉川宏志は取っていない。選評で三枝は、どんな仕事をしてどんな暮らしをしているかが見えないが、ひとつひとつの場面への反応に詩的なセンスがあると評している。水原は、表現力勝負の作風で、言葉によって世界を組み替えることを目的としていると、いかにも水原らしい意見を述べている。三枝が、どこか着地していない宙吊り感が詩になっているという評に注目した。確かにひとつひとつの場面を克明に描かず、わざと言いさし感を残す詠み方で、そこに余情が生まれている。

 実は私は本コラムの第359回(2023年9月4日)の「『西瓜』に集う歌人たち」で早月の歌を三首引いているのだ。

窓際にひかりを溜めて不在とはまばたくたびに影を見ること

冬の陽がやわらかいのはシーグラスとよく似た仕組み 遠い眼球 

みなぞこは此処 薄明るい真昼間の壁に映画を浅くうつして

 どれも独自の清新なポエジーがある。二首目のシーグラスとは、浜辺に打ち上げられたガラス瓶などの破片のこと。「人魚の涙」とも呼ばれていて、独特な味わいがあり愛好家もいるようだ。この歌にも「眼球」という言葉が使われていて、作者は眼や光やガラスに親和性を感じているようだ。受賞の言葉によると、最初は自己表現として写真を撮っていたようなので、それも関係していると思われる。

 選考座談会で選考委員の誰も「ハーフ・プリズム」という連作タイトルに触れていないのでちょっと驚いた。ハーフ・プリズムとは、入射した光線の方向を45度あるいは90度変えるプリズムである。望遠鏡や光学式カメラのファインダーで使われている。これも光の縁語で、連作タイトルとしては出色だと思う。

 次席には福山ろかの「白昼」が選ばれた。福山は2004年生まれの若い歌人で、東京大学Q短歌会所属。2023年と2022年の角川短歌賞で連続して次席となっている。今回の歌壇賞も次席だったので、本人はさぞかし口惜しいことだろう。これにめげず頑張ってほしいものだ。

その胸に確かなくうを保ちつつ恐竜類の骨は立ちおり

まばたきのたびに途切れているはずの、まなうらを降り続ける雪の

姪っ子のためにわたしがめくるのはみな過去形でかかれた絵本

 吉川が◎、水原が○を付けている。吉川は、細かい所に着目してとても歌がうまいが、これまでの現代短歌の方法をよく吸収していて、そこが淡さにもなっていると評している。水原も歌のうまさは認めつつ、自意識の出し方に少し既視感があると言い、三枝は歌の上手さに新しさが少し欠けていると、東は比喩に驚きがなくどこかで見た気がするものが多いと評している。確かに、「森にいてよく見える雨 たましいが硝子細工のように冴えくる」の直喩などはもう少し工夫が必要かもしれない。

 以下は候補作である。坂中真魚まなは1986年生まれで、相田奈緒・睦月都と神保町歌会を運営している。

雨みんな海に降り終え貝がらを集めた手のひらひらく弟  「時計草」

切り株を踏めば足裏にやわらかく死を言祝いでしまうひととき

シーツ洗えば薄く時間の傷口がひらくあしたを丁寧に縫う

 東一人が◎を付けている。「引かれる手 波のちからを浴びながら春に父は海に連れられ」や「じゃないほうの子供に生まれて彼のみが父となり祖父と呼ばれる今は」などの歌を引いて、作中の〈私〉の父親は事情のある生まれで、祖母は父親と心中未遂をしていて、いろいろな人の孤独を描いた複雑な構成の連作ではないかと読み解いている。これにたいして残りの三人の選考委員は声を揃えて、これは東日本大震災を背景とする歌だと述べたので、東は驚いて絶句している。私は東とまったく同じ読み方をしたので私も驚いた。東日本大震災という読みはないのではなかろうか。そうだとすると、「眠たくなるような孤独をまなざしに 家族の誰もあなたに似てない」のような歌の収まり所がなくなる。連作タイトルの「時計草」は、パッションフルーツの生る植物の仲間で、十字形の花序が磔刑の十字架に似ていることから、「受難」を意味するパッション (passion) という名が付いた。だとすればこの連作の背景にも「受難」と「受苦」が隠されているはずだ。

 松本志李しりは1985年生まれで「塔」所属の歌人である。

馬よりは扱いやすき750ccナナハンで夕空の下ひとりとなれり

                  「海のもの、山のもの」

流れ弾でありしかわれは 一灯のヘッドライトに死ぬる虫見ゆ

かなしみは地を這いいるかひっそりと窓に張り付くニホンアマガエル

 三枝と水原が○を付けている。短歌に賭けている人特有の病んだ感じや暗さがないところがおもしろかったという水原の評に思わず笑ってしまった。確かに健康的で暗さのない歌だ。水原がこういう作風の歌に点を入れたのは少し意外だ。女性ながらナナハンを駆って東北地方を一人で旅する羇旅詠で、明るい青春歌である。吉川も○は付けなかったものの、印を付けていた作と言い、ていねいに読み解いている。しかしバイカーあるあるが時々見られるという東の評言も当たっている。

 乃上のがみあつこは1976年生まれで「玲瓏」所属。

朝礼前 集うわれらのときめきは新色リップの発色具合 「confidential」

エレベーター閉まり切るまでお辞儀する「さすが銀座」と小さく聞こゆ

一時間の通訳終えし空腹を銀巴里跡の蕎麦屋へ運ぶ

 三枝と吉川が○を入れている。この一連は職業詠で、作者は銀座の美容院で中国語の通訳をしている人らしい。正規職員ではなく通訳として働く外部スタッフという微妙な立場や、増えている中国人の客への対応など、短歌としては珍しい素材が詠まれている。タイトルのconfidentialは「部外秘」の意味。吉川は、具体的にうたわれていて、業界の細かいところが伝わるのがおもしろいと評し、三枝は現場の確かな手触りが歌のおもしろさになっていると吉川に同意している。

 これは一種の現代短歌の最前線へのアンチテーゼとなっているという水原の評になるほどと思った。現代短歌の最前線を行く若手歌人たちは、歌が描く場面の具体性をできるだけ削ぎ落とす方向に進んでいるからである。

よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから

                    永井祐『広い世界と2や8や7』

ライターをくるりと回す青いからそこでなにかが起こったような

 こんな現代短歌の動向に照らしてみると、乃上のように場面に具体性を持たせた職業詠は逆に珍しいものに見えるのである。

 からすまぁは2003年生まれで、東京大学Q短歌会とひねもす所属。昨年のU-25短歌選手権で優勝した記憶も鮮しい。

玄関の隅に埃は堆く〈登山家〉ではなく〈山屋〉の父よ  「追憶」

なぜという切り傷のような問いがある 答えは父の心音だった

そそり立つ岩壁のよう 面談の平たき椅子に父の不在は

 東と水原が○を付けている。水原は山という舞台があってうたわれている感じがいいと評し、東は学生生活を登山で捉えているのが特殊だと述べている。一連を読むとわかるが、山登りが趣味だった父親は、〈私〉が中学生か高校生で、妹がまだ幼かった頃に山で亡くなったのである。二首目の「なぜという問い」とは、「お父さん、あなたはなぜ私たちを残して山で死んだのですか」という問である。ユニークなのは、東も述べているように、トラバース、ポータレッジ、岩壁、アイゼン、ビレイといった登山の縁語を駆使して自分の学生生活を描写している点である。これはなかなかの力業だ。しかし吉川は、「追憶」というタイトルがよくなくて、これではもしかしたら若い人ではなく学生生活を振り返っているのかなと思ってしまうと述べている。よく理解してもらえなかったようで、〈私〉は父の死という傷がまだ癒えない若い人なのだが、その死はすでに手の届かない追憶の彼方にあるということなのだろう。

 はづき(早瀬はづき)は2003年生まれで、「京大短歌」所属。2023年の第2回U-25短歌選手権において「可逆」で予選通過している。連作タイトルのカストラートはイタリア語で、声変わりしないように去勢した男性歌手をさす。

調弦をすればそのあと手にのこる木のにおいごとひく二胡の弓 「カストラート」

わたしは利き手をきみは利き手じゃないほうの手をつないだら一対の羽

影の脚は足からのびて きみがいないふたつの冬がわたしにはある

 東と吉川が○を付けている。東は恋愛感情と身体性が印象に残り、喜びと絶望が表裏一体になっているのが特徴と述べ、吉川は男性同士の恋愛と読み、繊細でユニークな表現があると指摘している。吉川の言うとおりだとすると、これはBL短歌ということになるのだが、「おたがいに隆起のゆるい喉元を前世にふれるようにふれあう」という歌を見ると、女性同士の恋愛とも取れる。しかし性を超えることを指向しているのだから、どちらかに限定する必要もなかろう。この連作で「負晶」という言葉を初めて知った。なんでも結晶のなかにもうひとつ結晶が封じ込められている水晶だという。とても繊細な言葉選びが印象に残る連作である。

 荒川梢は1988年生まれで、「まひる野」所属。

もうこれは葬儀依頼の声だけど依頼されるまでファの声通す

                    「火をよせる」

十五分早いのですが始めましょう人より花のあふれる式場

地獄すらいけないだろうな御目閉ざすお守りとしてアロンアルファを

 三枝と東が○を付けている。葬儀社に勤めている人の歌である。三枝は現場の手触りがきちっとある一連もやはり選びたいと思ってこの歌にしたと述べ、東は葬儀という人間の一番最後の時を過ごす手伝いをするなかで見えてくる人間性が読みどころだと評している。明治時代の短歌改革以来、生老病死は近代短歌の重要な主題である。いずれも誰も避けて通ることのできない宿命で、葬儀は人の一生の最後に待ち受ける儀式だ。そんな特大の主題ながら、自分の職業からやや距離を取って、時には批判的に眺める眼差しが印象に残る。

 この他に、今紺しだ「コペルニクス的な」、乙木なお「降り積もる文字」、斎藤君「ナイトフィッシュ」、木村友「記念日」も候補作品に選ばれている。応募総数は397だったという。これだけの人が短歌を作り応募して来ることに改めて驚く。選考座談会でもそういう意見があったが、力作の多い回だったと思う。

 

第373回 川本浩美『起伏と遠景』

白壁にあかく日の差す丁字路の突きあたりまであゆみつつをり

川本浩美『起伏と遠景』

 白壁なので倉のような漆喰塗りの壁だろうか。あかく日が差しているのだから、晴れた日の午後か夕方だろう。おおまかに場所と時間が書かれている。〈私〉は丁字路の突きあたりに向かって歩いている。突き当たれば右か左に曲がるしかない。いったい何の用があってそこを歩いているのだろう。それはわからない。ただ〈私〉が他ならぬその場所を歩いているという感覚のみが詠われている。

 こういう歌の魅力を説明するのはむずかしい。私はこの歌を読んで、まるで茂吉だと思った。「雪の上にかげをおとせる杉木立その影ながしわれの来しとき」(『白き山』)という歌と造りが似ている。叙景歌かと言えばそうなのだが、景色に還元することのできない何かがある。それは歌の中を移動している〈私〉の感覚である。これが古典和歌とのちがいで、「あふち咲く外面の木陰露落ちて五月雨晴るる風わたるなり」という藤原忠良の歌にはそういう意味での〈私〉が不在である。描かれた絵の中に〈私〉の感覚や身体に関わる情報が埋め込まれていない。たとえ潜在的にでも歌の中に〈私〉を内包したのが近代短歌と言えるだろう。

 川本は1960年生まれ。藤原龍一郎の歌集『夢見る頃を過ぎても』(1989年)を読んで短歌を作り始めたという。1990年に「短歌人」に入会。二年目に新人賞(現在の高瀬賞)を、1998年には短歌人賞を受賞して注目される。その後、「関西短歌人会」などで活躍するが、2013年に52歳で死去。『起伏と遠景』は、その早すぎる死を惜しみ、歌業を世に残すべく短歌人会の歌友が2013年にまとめたのが本歌集である。解説を藤原龍一郎が、川本の紹介を歌友の斎藤典子が書いている。

 本歌集は、2012年に始まり1991年で終わる逆編年体で構成されている。佐々木実之の『日想』もそうだったが、逆編年体で編まれた歌集を繙くとき、一抹の哀愁にとらわれる。正岡豊『四月の魚』のような例外はあるが、始まりの年以後、作者にはもう時間が流れることがないことを思い知らされるからである。望遠鏡を逆さまに目に当てたときのように、レンズの向こうの風景が拡大されるのではなく、逆に縮小されて見えるような気がする。

 本歌集を読み始めると、川本の作品世界にすぐ引き込まれた。何という手練れだろう。よいと思った歌に付箋を付けてゆくと、あまりに付箋が多いために、歌集の天はハリネズミのごとき観を呈する有り様である。読み進むにつれて、作者の人柄や、ものの感じ方や、人生観から日々の暮らしぶりに至るまで手に取るようにわかる。読み終えると、極上の歌集を読んだ満足感と同時に一抹の哀切が胸を過ぎった。それは川本の歌が「この世に在ることの悲しみと淋しさ」を詠んでいるからである。

わが稼ぎ乏しきを嘆きこのあした確定申告ほ書きをへにけり

糖衣錠ひとつぶがたたみに落ちてゐてさみしいわれは呑まむとしたり

ひとりきりタコの滑り台をすべらむとするわたくしはいま世界の外

「超高層マンション建設予定地」と大書せり就中その「超」あはれ

ひともとのさくらまづしくアパアトの「しあわせはいつ」に散りかかりをり

送電線はるかにわたるくもりぞら人のおこなふことのさびしさ

 美術大学を出た作者は、フリーでイラストレーターをしていたという。一首目は収入の少なさを嘆く歌である。近代短歌と貧乏の歴史は長い。二首目は孤独の歌で、孤独は短歌の伴侶と言ってもよい。貧乏と孤独は個人がたまたま置かれる偶有的な状態なので、収入のよい職業に転職したり、恋人ができたり結婚したりすれば、その状態は解消される。しかし川本が感じていた悲しみや淋しさはもっと根源的なものだったと思われる。三首目は、よい歳をした中年男が平日の昼日中、児童公園の蛸形の滑り台を滑っている光景を詠んでいる。その時、〈私〉はこの世界に属してはおらず、世界の外にいる。このようにふらっとこの世の外に出てしまう感覚が川本の歌にはある。四首目は人の営みの虚しさを詠う歌である。高層マンションは今ではタワマンと呼ばれることが多い。タワマンの最上階は勝ち組の住居である。高層マンションの頭に「超」を付けて人々の欲望をさらに煽るのがこの世のならいである。五首目には言葉遊びがある。アパートの名前は「幸せハイツ」なのだが、ひらがなで書かれているために、「しあわせは、いつ」と読めてしまうのだ。六首目にも人の営みの淋しさが詠われている。高圧送電線は遠くの発電所から市街地まで電気を送る。なぜ高圧にするかというと、電流は長い距離を走る間に減衰するのだが、高圧にすると損失率が低く押さえられるからである。そんな送電線を人類の英知の賜物と見る人もいるだろう。しかし川本にはそれが人の営みの淋しさと見えてしまうのである。

 川本がとりわけ才を発揮するのは、道端の異景・不思議を発見する能力である。

石材展示場無人のひるにして何も彫られざる石碑はそびゆ

冬の日暮の生前戒名普及会ここなる門をわれ入らざらむ

すれちがふ下校の子らのひとむれゆ「冷凍ネズミ」と言ひをる聞こゆ

ゆきずりの川のほとりの「故池田警部殉難之碑」も記憶の栞

軍人墓域に花嫁人形飾りありたりあなあはれ夢の景色ごとく

梅田空中庭園にしろき灯はともり神の水母くらげはそこに顕ち来も

 一首目の石材は、いずれ死者の名が彫られる墓石だが、展示場なのでまだ誰の名も彫られていない。確かに不思議な光景である。ネットで調べてみると、二首目の生前戒名普及会は実在する団体である。その門の前を通りかかるのは、冬の日暮れという絶妙な時刻だ。三首目は子供が何か言ったのを聞き違えたのかもしれないが、実際に蛇を飼う人は冷凍ネズミを餌に与えるらしい。四首目の碑は池田警部殉職碑といい、大阪の生野区にある。昭和21年に起きた事件だという。五首目、旧日本軍人の墓に飾られている花嫁人形は、若くして結婚する前に散華した兵士を哀れに思って置かれたものである。六首目の梅田空中庭園は、1993年に竣工した建築家原広司設計の梅田スカイビルの屋上庭園で、大阪のランドマークのひとつとなっている。そんな建物も川本にかかるとまるで佇立する神の依り代である。

 何より川本の作歌技術が光るのは、トリミングの巧さと、最小限の的確な言葉で情景を描出するその能力だろう。

塀のうへブリキ煙突のあたま見ゆそのH字の影のゆふぐれ

午前より剣道のおとひびきけり夏椿咲く警察署うら

白シャツの影座れるは少年か泌尿器科医院のガラスとびら

とほりかかる一瞬にしてびはの木よりびはの実落ちぬその水の音

ももいろに褪せたる文字の皮フ科のフざわりゆらめく棕櫚の葉かげに

 塀の上に突き出たH字煙突が道に落とす影、剣道の練習をする声が響く警察署の裏に咲く夏椿、泌尿器科の医院の磨りガラスに映る少年の影、枇杷の実が落ちるその瞬間、医院の看板の「皮フ科」のフの字が色褪せた様子。どれも絶妙な切り取り型でトリミングされ、よく選ばれた言葉で描き出されている。

 

鳥の影ふともよぎりて西窓はあはき春陽はるひを容れゐたるのみ

コスモスの花のため降るひでりあめ市立授産場の庭にうつろふ

ケイタイの灯にうつむけるかほはぬ牡丹灯籠の女のごとく

とほく咲く白さるすべり小用の便所の窓ゆ見つつかなしも

ひしひしと夏空あをし煙突掃除のひとりの影ののぼりゆくとき

おとろへてゆくあさがほがしぼりだす赤紫色せきししょくのはな雨は撫でをり

 

 付箋の付いた歌からほんのごく一部を引いた。いずれも言葉の斡旋よろしく、その歌の想は心に沁みる。川本のような優れた歌人の歌業が広く人に知られることを願うばかりである。


 

第372回 笹公人『シン・短歌入門』

何時までが放課後だろう 春の夜の水田みずたに揺れるジャスコの灯り

笹公人『念力ろまん』

 先日、用もないのに近所の書店に行くと、新刊書籍の棚に短歌の入門書が三冊も並んでいたので、思わず全部買ってしまった。笹公人『シン・短歌入門』(NHK出版)、榊原紘『推し短歌入門』(左右社)、我妻俊樹・平岡直子『起きられない朝のための短歌入門』(書肆侃侃房)である。新刊書籍の棚に短歌入門書が三冊並ぶというのは、滅多にあることではない。帰宅してパラパラめくって見ると、いずれもひと癖ある入門書でおもしろい。榊原の本は、「推し」をキーワードに書かれている。「推し」とは、自分が特にひいきにしている歌手・俳優や、マンガのキャラクターをさす。我妻と平岡の本は、短歌をめぐる二人の対談形式で書かれている。短歌入門書では例歌を挙げて説明することが多いが、この二冊は最近の若手歌人の歌をよく引いているという点でも特徴的である。これにたいして笹の本では、昔の歌から最近の歌までまんべんなく引かれていていちばんオーソドックスである。今回は笹の本を取り上げてみたい。

 『シン・短歌入門』は、2020年から22年まで「NHK短歌」のテキストに連載された文章をまとめて加筆修正したものである。タイトルの『シン・短歌入門』はもちろん、「シン・ゴジラ」や「シン・仮面ライダー」など、最近の邦画で流行っている「シンもの」に乗っかったものである。

 サービス精神の旺盛な笹だけあって、本書には読者を飽きさせずいかに短歌へ導くかという工夫が凝らされている。まず本人は、アイドルグループ「アララギ31」のプロデューサー「笹P」として登場し、アイドルの明星コトハがアシスタントを務めるという設定だ。サングラスを頭に押し上げ、セーターを肩に巻く似顔絵は、1990年代のトレンディードラマのプロデューサーそのもので、レトロ感が強い。 

 さて内容はというと、驚くほどオーソドックスで、若干ふざけ気味の設定とは裏腹に、直球勝負のアドバイスが並んでいる。短歌入門書にはそれを書いた人の短歌観がよく出る。笹は念力短歌やオカルト短歌を書くアブナイ人と思われているが、実は正統派の歌人なのだ。

 本体は短歌のQ&A形式になっていて、短歌初心者から出そうな質問に笹Pが答えている。たとえば「歌を作るには何から始めたらいいですか」という質問には、「定型さえ守ればいいのです」「巧い下手にはこだわらず、最初の二、三年は、モノマネでいいので、どんどん歌を詠んでみてください」と答えており、「短歌ができないときはどうしたらいいでしょうか」という質問には、歌は非日常体験から生まれることが多いので、「電車で知らない駅に降りることをお勧めします」と答えて「乗越しし駅のベンチに何するとなく憩へれば旅のごとしよ」という高野公彦の歌を引いている。

 私が知らないことも書いてあった。上句で情景を、下句で心情を述べるという短歌の基本形式は、平安時代中期の廷臣歌人藤原公任きんとうの歌学書『新撰髄脳』に書かれたものだという。藤原公任と言えば、「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなお聞こえけれ」という『千載集』の歌がよく知られている。上句で情景、下句で心情という形式は、形を変えて永田和宏の「問と答の合わせ鏡」(『表現の吃水』)としてよく知られている。我妻・平岡の『起きられない朝のための短歌入門』でも、平岡が最初の一首の作り方として、「なにかしらの気持ちを書いたパーツと、なにかしらの物の描写を書いたパーツをまったく別々につくって、それを組み合わせる。『心情+景』または『景+心情』というのはかなりオーソドックスな短歌のかたちなんだけど、それをまずはインスタントにつくってみる、というやり方です。(…)とにかくばらばらにつくったものを最後に組み合わせることで一首を完成させる」と推奨している。もしこれが俳句ならば、「冬薔薇や賞与劣りし一詩人」(草間時彦)のように、上五に季語を置き、中七・下五に遠く呼応する景を配するというのがオーソドックスな形式ということになるだろう。これから短歌を作ってみようという人には役立つ実践的なアドバイスである。

 また短歌がなぜ五・七・五・七・七の三十一字なのかは諸説あるところだが、『知っ得短歌の謎 古代から現在まで』(學燈社)の佐佐木幸綱による序文に、『冷泉家和歌秘々口伝』の説が紹介されているという。一ヶ月は三十日で終わりそれから次の月の第一日がやってくる。天をめぐる月が一周りして、さらに周りつづけてゆく「天道循環無窮」を象徴する数が三十一だというのである。天道循環無窮とは、当時は天動説なので、天体が地球を中心として永遠に回り続ける様を言い表したものである。笹によると、三十一字が天体の運行と関係しているという説は『ホツマツタエ』にも書かれているらしい。

 ここで『ホツマツタエ』が登場するとは! 『ホツマツタエ』とは、本邦最古の文献とされる『日本書紀』『古事記』より古く、漢字渡来以前に日本にあった古代文字で書かれているとされる書物である。こういう古代文字を総称して神代じんだい文字という。学会の定説としては偽書とされているが、松本善之助『秘められた古代史 ホツマツタヘ』(毎日新聞社)、鳥居礼『ホツマツタヘ入門』(東興書院)などの解説本も多く書かれている。私は言語に関係するものには何でも興味があるので、こういう文献も趣味で蒐集しているのだ。密かな裏テーマと言えるかもしれない。

 本書の終わりの方には、笹がいままでいろいろな媒体に書いた短歌論が収録されている。私が思わず笑ったのは、「誤読の可能性」という文章である。「砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている」という俵万智の歌について、「なぜ卵サンドが気になっていると思う?」と問い掛けると、元AKB48メンバーの北原里英は「夏でしょ? 卵サンドが腐っていたから」と答えたという。笹は「この子は鋭い !! と驚くとともに、コロンブスの卵的な回答だと感心した」と続けている。

 永田和宏はよく短歌の読み(意味解釈)に正解はないと言っている。確かに一首の読みは人によって大きく異なることがある。しかし北原の答は、短歌が抒情詩であるという前提から外れているので、短歌的にはややまずいだろう。

 本書の巻末には「シン・短歌ドリル」として、虫食いにした歌に当てはまる語句を選ぶというドリルがある。たとえば、

 [    ]にゆかざる男みちみちるJR線新宿駅よ (大滝和子『銀河を産んだように』)

という歌に入る選択肢は次の四つである。

 1. スポーツジム 2. 墓参り 3. 同窓会 4. 羚羊かもしか

 正解は4.の羚羊狩である。確かに四つの中ではいちばんぶっ飛んだ候補だ。試しにドリルを全部やってみたが、正答率は8割くらいだった。

 という工合で、『シン・短歌入門』には短歌の素人を短歌へと導くべくさまざまな工夫が凝らされている。笹はすばらしい短歌というものがもっと世の中に広まってほしいと願っている人なので、本書も多くの人が手に取ってもらいたいものだ。

 

第371回 吉村実紀恵『バベル』

リヤドロの陶器人形たおやかに諫死しており書架のくらみに

吉村実紀恵『バベル』 

 リヤドロはスペインの高級陶器メーカー。この少し前に「われよりも永きいのちをヤフオクで落札したり陶器人形」、「陶製のうなじは潔し恋に恋せし少女期の忌として置かむ」という歌がある。ヤフーオークションでリヤドロの陶器人形を落札し、恋に恋した昔の自分への戒めとして自室の書架に置いているのだ。それなのにまた先の見えない恋をしてしまった。陶器人形の冷たい目を見ていると、まるで諫死しているかのようだと詠っている。諫死とは、死を覚悟して王や皇帝をいさめることを言う。それでいて人形の姿はたおやかである。何かを見つめる眼差しが自分に返ってくる自己省察の深さがあり、それなりの人生経験を積んだ人にしか持ち得ないものだろう。

 吉村実紀恵は1973年生まれ。大学生の時に同人誌「解放区」に参加して歌作を始め、1997年の第40回短歌研究新人賞において「ステージ」で次席に選ばれている。そのすぐ後に第一歌集『カウントダウン』(1998年)、第二歌集『異邦人』(2001年)と矢継ぎ早に歌集を上梓した後、短歌の世界を離れている。その経緯は本歌集のあとがきに率直に記されている。

 グローバルな世界で働いてみたいとの想いから自動車メーカーに転職し、10年の間ビジネスの最前線で活躍する。「海外出張に行くことになった日の夜、空港の煌めく滑走路と、離着陸する機体を眺めながら、ようやくここまで来たという達成感に浸っていました」という言葉が当時の高揚感を物語っている。40歳を迎え思うところあって短歌の世界に戻り、「中部短歌会」に所属。『バベル』は2024年に上梓された第三歌集で、栞文は東直子が寄せている。

 第三歌集とはいうものの、前の歌集から22年の時が流れており、結社も変わり歌風も大きく変化しているので、新たな出発の歌集と捉えた方がいいだろう。というのも第一歌集『カウントダウン』はロック音楽に傾倒していた荒ぶる青春像を描いた歌集で、とても同じ作者の歌とは思えないほどだからだ。

 本歌集を通読して私が感じたのは「言葉の強度」ということである。それは何も激しい言葉遣いをするということではない。ややもすれば平板になりがちな日常言語を詩の言語へと昇華する言葉の強さというほどの意味だ。だらっと横に広がりがちな日々の言葉を、一行の詩へと直立させるにはどうすればよいかということである。

 比較的作者の顔が見える第II章から見てみよう。この章には仕事にまつわる歌が多く収録されている。

ものづくり神話の終わりゆくさまを見届ける一兵卒なりわれは

ものつくる心は知らず颯爽と〈ガイシ〉に集う若きエリート

力みつつ在庫管理を説くわれは時おり胸の社章たしかむ

灯を消せばあかるむ一脚の椅子ありき 貴女もロスジェネを生きしともがら

氷河期もリーマンも耐えて現在いまあるとグラスに移して飲むレッドブル

 一首目は自社開発を諦めて他社製品を使うことを決めた会議での感慨である。かつて日本はものづくり大国と言われていたが、新興国に押されて昔日の面影はない。二首目の〈ガイシ〉は外資系企業で、その多くは金融やITでものづくりとは無縁だ。三首目は海外出張して現地法人の従業員にレクチャーしている場面。自分は会社の代表としてここにいるという責任感が滲む。作者は就職氷河期と言われた時代に大学を卒業したいわゆるロスト・ジェネレーション、略してロスジェネ世代にあたる。就職氷河期、バブル経済崩壊、リーマンショックと続く厳しい時代を生きた世代だ。それなりの自負もあるだろう。五首目のレッドブルは「翼をさずける」というキャッチコピーで知られる栄養ドリンクで、残業して働くサラリーマンの必需品である。自らの置かれた立場を外から冷静に眺める視線を持つ良い職業詠だが、特に吉村ならではの個性というものはない。

 栞文で東が取り上げている身体性を表す歌を見てみよう。

何をもて天与の性と和解せむ遂にいのちを産むことなくて

海とひとつづきとならむ抱擁に肌をさすらうあまたの水母

水底にしづもれるごと抱き合えり君を鎧えるものを剥がして

人間の味するらしと柘榴食む惰性で愛を交わしたあとに

鳥の羽ほどの重さでうえになる君の心音にふるえるほどの

 子を成さぬ女性であることへの想いを詠う一首目、抱擁された体の感覚を無数の水母に喩える二首目、愛を交わすことを水底に沈むようと詠う三首目、交情の後の懈怠を柘榴に喩える四首目、自らの身体を鳥の羽に喩える五首目。いずれも女性の身体性と大人のエロスを詩的な言葉で表現している。このような歌も東が言うように、歌人吉村の個性を表すものと言えるかもしれない。

 しかしより注目に値するのはもう少し観念性へと傾いた歌群で、そこには生と死の相克を巡る思念が貼り付いているように感じられる。

死者もろともに抱かれているのかもしれずそのまなざしの遙けさゆえに

手を取りてふたり迷えり終着はされこうべ吊されて鳴る森

しらほねをこの世に座礁した船と思えばかなし海に降る雪

そばにいてくれればいいと来世まで自殺を延期し続けるひと

あの世よりこの世に流れ込むごとしエンドロールに亡き人の名も

次の世もおんなでありたし生と死の境に赤い口紅を置く

 どこかに近松の情死の道行きの音が遠くに響いているような歌である。たとえば五首目、映画が終わるとキャストやスタッフの名前を延々と連ねたエンドロールが流れる。その中にはもうすでにこの世にいない人の名も含まれている。この世とあの世はそれほど隔絶した世界ではなく、その境界はふと跨ぎ越すものかもしれない。そんな「人間の条件」に冷徹な眼差しを注ぎ、六首目ではその境界に女性の象徴であるルージュを置くと決然と詠っている。

庇護の手をふりほどきわが見上げたる空の高みに雲雀うしなう

かなしみの核に柘榴を実らせて拾うほかなし神の布石を

執拗に果肉をつぶす先割れの匙にいびつな顔をひろげて

純血の馬馳せゆかむ空のはて少年院は取り壊されて

 日常言語を詩の言語へと昇華させる言葉の強度を特に感じるのは上に引いたような歌群である。具体的な出来事や情景が詠まれているのではない。しかし歌の背後に重大な体験や大きな感情の揺れがあったことが想像される。それらをそのまま言葉にするのではなく、抽象と思弁の水準へと転轍することによって、言葉による短歌の美を実現しているように感じられる。このような歌に特に吉村の個性を見たい。 

閉園のチャイムに押されて歩き出すゆうぐれの血をもてあましつつ

 動物園の閉園間際の光景である。作者が特に好む時間は夕暮で、好みの風景は残照らしい。歌集題名のバベルは猥雑な東京のことだろう。東京を詠んだ都市詠にもよい歌が多い。

欠番の第VI因子によるものか血を吹くほどのかなしみあるは

 人間の身体には出血を止める働きが備わっている。血液の凝固には全部で12の因子が知られているが、そのうち第VI因子は欠番となっている。つまり番号は振ったものの存在しないということだろう。だから第VI因子が欠番だから出血が止まらないということは実はない。しかしそう思えるほど身体から悲哀が噴き出すのである。

 本歌集の装幀はまさに鮮血のような深紅である。歌集のどのページを開いても血が滲むように感じられるのは、まさに言葉の強度によるものだろう。