第216回 勺禰子『月に射されたままのからだで』

刻々と報道される事実より吾は信じる線路の勾配
勺禰子『月に射されたままのからだで』 

 「刻々と報道される事実」とは、新聞・TV・ラジオ・ニュースサイトなどのメディアが私たちに伝える「遠景」で、その多くは私の住んでいる町から離れた場所、遠い国で起きた出来事である。一方、「線路の勾配」とは、電車に乗っている〈私〉が今感じている体感であり「近景」である。作者は前者ではなく後者を信じると述べている。この歌の近くには「はつきりとわかる河内へ帰るとき生駒トンネル下り坂なり」という歌がある。「線路の勾配」は抽象的に捉えた観念ではなく、近鉄奈良線に乗って奈良から大阪に向かう時に通る生駒トンネルの強い下り勾配のことなのだ。この歌を見ても作者が観念やスローガンではなく、近景を生きる自分の体感に重きを置いていることが見てとれる。事実この歌集は近頃珍しく街の匂いや人の体臭が感じられる歌集なのである。
 プロフィールによれば、勺禰子しゃく ねこは1971年大阪の堺生まれ。後でも触れるが勺にとって出身地は大きな意味を持つ。関西学院大学を出ているので佐藤弓生と同窓になる。2007年短歌人会に入会。『月に射されたままのからだで』は今年 (2017年)5月に六花書林から上梓された第一歌集である。栞文は江戸雪と藤原龍一郎。
 栞文の中で藤原は勺の短歌の特徴として、土地への愛、言葉へのこだわり、時代の危機への申立ての三つを挙げている。そして例歌として「紛う方なき依代としてホテルLOVE生國魂いくたま神社の脇に佇む」などを引いているが、いかにも藤原好みの歌だと妙に感心する。確かに藤原の言うように、この歌集には土地、言葉、時代への拘りが感じられるのだが、もう少し深度を下げた歌の手触りというレベルで顕著なのは、やはり体感と体臭である。たとえば次のような歌だ。

嘆き死んだ遊女の墓のあるあたりから湧き出づる温泉ぬるし
落ちたての花びらを轢く感触のなまなまと車輪伝ひ登り来
小さければ小さくにほふ往き過ぎの植ゑ込みにきつと仔猫のむくろ
君帰り河内にひとり眠る夜の君の匂ひのすれば、泣かぬよ
鶴橋は焼肉のみがにほふにはあらで鮮魚のあかき身にほふ

 一首目、遊女の墓があるのだから遊郭に近い寺だろう。そのあたりから湧く温泉がぬるいというのが体感的ではつかエロティックである。二首目、ついさきほど散った桜の花びらを踏むのはきっと自転車にちがいない。自動車では身体が環境から遮断され、感触を感じることはできまい。もちろん花びらを踏みつけた感触を実際に感じることはない。あくまで作者の「体感」である。三首目は植え込みで死んだ仔猫の臭いがするという街の匂いの歌。四首目は恋の歌で妙に古風でまるで源氏だ。五首目に登場する鶴橋は焼き肉で名高い街だが、それだけではなく市場には鮮魚もあるよと言っている。
 街の風景とその移り変わりもまた作者にとっては「近景」であり、体感の届く範囲内にあるものである。土地を感じさせる歌が多く、それらもまた本歌集の基底をなしている。

猥雑にくりかへしては生れ消ゆる町に街道あまた交差す
雨の降る上本町に毀たれてゆかむと近鉄劇場は立つ
近鉄大阪線高架から見おろせば瓦なみうつ愛染小路
平城の宮よみがへりその脇にボウリング場の廃墟かなしも
カーネル・サンダース引き上げられてのちもなほ道頓堀に沈む累々

 NHKの人気番組「ブラタモリ」でタモリが何度も言っているように、建物は次々と建て替えられても道路は昔のまま残っていることが多い。一首目では猥雑な建物の消長と永続する道路の対比がある。二首目、上本町うえほんまちは大阪有数のターミナルで繁華街である。そこにあった近鉄劇場も2004年に閉館した。三首目、愛染小路はよく知らないがたぶん昭和レトロ感溢れる飲み屋街だろう。四首目、作者は現在奈良に住んでいる。奈良では平城京の建物の復元が進行中で、昔のものが今に甦る反面、現代のボーリング場は廃墟となっているのが皮肉である。五首目、1985年に阪神タイガースが優勝したとき、熱狂したファンがカーネル・サンダース像を道頓堀川に投げ込んだ。タイガースがその後長く優勝から遠ざかったのはサンダース像の呪いだというのが都市伝説である。その後、サッカーの試合の後などに川に飛び込む若者が続出した。大阪らしい風景である。
 作者は堺生まれの関西人である。関西といえばオモロイ歌だ。

ベルリンもベンツもBで始まれどモンゴロイドのVの幻聴
この師走にクリスマス色に彩られほんまにうれしいんか?通天閣
台風のちかづくといふまひる間の日傘しなるわしなるでしかし
ズボン裾の長い男とよもや連れ添ふなと幼き吾にのたまひき
地下鉄を降りて地上へ向かふとき傘をななめに振る人はあほ

 一首目、BerlinもBenzもBで始まるのだが、日本人は l と r の区別と並んで b と v の聞き分けが苦手である。誤答率が最も高いのは b と v の聞き分けだという研究もある。二首目、ディープ大阪の新世界に立つ通天閣は大阪のシンボルでだ。しかし足元に串カツ屋が立ち並ぶ通天閣がこじゃれたクリスマス色にライトアップされるのは似合わない。三首目、大阪弁のおもしろい語法に文末で用いる「しかし」がある。「怒るで、しかし」のように使うのだが、どう見ても butのような逆接ではなく強調である。どこから来た用法なのだろう。四首目はアイビールックの信奉者であった作者の父親が作者に向かって言ったという言葉。五首目、傘を斜めに振ると危ないのはもちろん後ろの人に当たるからである。結句のあほが効いている。方言が体感と密接に関係することは言うまでもない。関西人は関西弁を方言というと怒るだろうが。
 作者は出版社に勤務して編集者をしていたので言葉にはとりわけ鋭敏である。

とりわさは何故にとりわさびといわぬ行方不明の「び」を思ひ食む
今津とはもはや「今」ではあり得ぬが津々浦々に今宮、今里
「税」一字足りないことが気にかかる「消費増税」踊る紙面に
キーボードに引き裂かれゐし子音母音なつかしみつつ君の名を呼ぶ

 一首目、確かにそうで、蕎麦屋で出て来る「板わさ」も「び」がどこかに消えている。なぜ「び」を省くのだろう。二首目の今津、三首目の消費増税も同じく言葉への疑問である。四首目は今風に言えばとりわけ「刺さる」歌である。私はパソコンで文章を書くとき、「ローマ字漢字変換」ではなく「かな漢字変換」をしている。キーボードで直接かなを打っているのだ。「病気」は「びょうき」であり決して「byouki」ではない。だから電子辞書で検索語をローマ字で打つとき強烈な違和感を感じる。国語の破壊ではないかとすら思う。日本人は子音と母音を分離して聞いているわけではない。日本語の基礎は「子音+母音」からなる音節である。
 最後にもう少し趣のちがう歌を挙げておこう。

うつそみのものとしてある夕焼けの川面が櫂を揺らしてをりぬ
三日月は中有ちゅううの中をさまよひて行方不明のやうなベランダ
くちびるできみをふふめばたちまちにふふみかへされる昼のしづけさ
人の波引いてしばらく思慮深くエスカレーター止まりゆくさま
大雪のなかで見し胞衣えな 片割れの鎖をつなぎわれら生きゆく

 夕焼けは現実の事象であるが、夕焼けの川面で岸に繋がれたボートの櫂が揺れているのをぼんやり見ていると、ふと現実ではない他界の風景のように見えてくる。そんな経験が誰にでもあるだろう。中有とは人が死んで次の生に転生するまでの期間で49日をいう。「行方不明のやうなベランダ」がおもしろい。三首目は平仮名を生かした相聞歌。四首目は発見の歌である。節電のために人が近づくと運転を始め、人がいなくなると自動的に停止するエスカレーターを詠んでいる。人の波が引いて少し時間が経過してから停止する様を見いだしたのが発見である。五首目、胞衣とは胎盤のこと。牛の出産だろうか。「片割れの鎖」はDNAのこと。DNAは二重螺旋構造をしていて、螺旋がほどけてそれが型となり遺伝情報を伝えてゆく。「片割れの鎖をつなぎ」は親から子へと遺伝子の連鎖が続く様を表している。
 ほんとうは「食ひ下がる接続詞さへ踏み潰す官房長官の眼が死んでゐる」「清やかに『珍々鈴』は鳴り渡る ろくでなし子捕へるこの国の丘に」といった社会派の歌も取り上げるべきなのだが、長くなりすぎるのでこのくらいにしよう。大阪という風土に根ざし、体感と体臭を感じさせる読み応えのある第一歌集である。

 

第215回 正木ゆう子『羽羽』

つかみたるひよこに芯のありて春
正木ゆう子『羽羽』
 都市生活を送る人間には、生きた鶏やヒヨコに触れる機会はそうはない。あるとすれば最近はめっきり見なくなったが、縁日で売られているヒヨコくらいのものだ。生まれたばかりのヒヨコは骨も細く産毛もふわふわしていて、まことに頼りない存在である。そんなヒヨコでも手で掴み上げるとはっきりと手に感じる芯があるという。この芯とは命の核にほかならない。ヒヨコを掴んだ作者は自分は今命を掴んでいるのだとハッと気づく。この気づきがこの句の生命である。作者は対象に触れる「やはらかさ」を特色とする俳人で、この句はその特色をよく表している。ちなみに正木は有季定型を基本とするが、あまり季語が句中で目立つ作り方をしない人である。そのため出来てみれば無季だったという句も混じる。掲句では「雛」が春の季語なので、一見すると季重なりなのだが瑕疵とはならないだろう。
 『羽羽』は2016年9月に春秋社から上梓された第五句集である。これまでに『水晶体』、『悠HARUKA』、『静かな水』、『夏至』の四冊の句集があり、前の三冊は邑書林刊のセレクション俳人シリーズ『正木ゆう子集』で読むことができる。句集題名『羽羽』は「はは」と読み、集中の「たらちねのははそはのはは母は羽羽」から採られている。言うまでもなく造語である。正木は今までにも数々の賞を受賞しているが、『羽羽』で高橋睦郎と並んで第51回蛇笏賞に輝いた。蛇笏賞がどんなにすごい賞かは、過去の受賞者一覧を見ればすぐにわかるが、ざっと見ただけでも桂信子、佐藤鬼房、鈴木六林男、金子兜太、鷹羽狩行、黒田杏子と、目が回るほどである。
 正木の作る句の特色は、先ほど上げた対象に触れる「やはらかさ」と並んでその居住まいの自然さではないだろうか。熊本で写真館を営んでいた両親も兄も俳句を作る人だったので、生活の中に俳句がごく自然にあったという。本人の言によると、「或る日、黄色い小菊を抱いて歩いていると、ふと季語入りの十七文字の短い言葉が口をついて出てきた」(『水晶体』跋)というから驚きである。自分が俳句を作るのではなく、俳句の方からやって来たのだ。
はなびらと吹き寄せられて雀の子
藤の花よりもはるかに桐の花
紫陽花と静かに糸を待つ針と
ひんやりと家霊もわれも跣足にて
サラダさっと空気を混ぜて朝曇
 一句目、花びらはもちろん桜の花だから落花盛んな春の終わりである。風に吹き寄せられる花びらといっしょに雀の子も片隅に吹き寄せられているという微笑ましい情景である。雀の子は春の季語。二句目、藤の花は藤棚のように人の目の高さに咲いていることが多い。一方、桐は大木で桐の花は高い所に咲く。近景が藤、遠景が桐となっていて遠近感の強い句である。ちなみに藤は春の季語、桐は夏の季語なので本来はまずいのだが正木は気にしないのだろう。三句目、紫陽花だから季節は梅雨時の6月である。糸を待つ針とは針山に刺された針と読んだ。紫陽花は室外で庭か道に咲いていて、針山は室内にあるという対照の句。静謐さが際立つ。四句目、夏期休暇で田舎の実家に帰省した折の句であろう。家霊が居るのだから年期が入った古い日本家屋である。季語は「跣足」で夏。五句目、「朝曇」は夏の季語なので、夏の朝の食卓風景で、ポイントは言うまでもなく「空気を混ぜて」。爽やかさが匂い立つ。
 正木の長兄の正木浩一は1992年に49歳の若さで鬼籍に入っている。ゆう子は俳句仲間でもあったこの兄を慕っていたようで、1993年に自ら編集して『正木浩一句集』(深夜叢書社)を上梓している。また父も特別な存在だったようで、ゆう子には父を詠んだ句が少なからずある。その父もすでに他界し、本句集で詠まれているのは母の死である。句集題名『羽羽』は母恋を表しているのである。
けふ母を死なさむ春日上りけり
死にゆくに息を合はする春の星
もうどこも痛まぬ躰花に置く
此処すでに母の前世か紫雲英畑
たましひの寝そべるによき麦の秋
 肉親の死は身を引き裂かれるように悲しい。親を看取った経験のある人間には三句目は殊に心に響く。死は悲しいが、それは病苦や痛みからの解放でもあるからだ。四句目もはっとする句で、ゲンゲが咲いている畑は現実のこの世の光景だが、来世に生まれ変わる母親にとっては、もうそれは前世である。地軸がグラリと揺らぐ感覚がある。
 親の死にはあまり気づかれない意味がある。自分が子供の頃は、両親がいて祖父母がいて、死は抽象的にしか捉えられない遠い存在である。しかし祖父母に続いて親が死ぬと、自分と死を隔てていた防波堤がなくなる。親は私に死が迫ってこないよう堰き止めてくれていたのである。親が死ぬとそれがなくなり、私は剥き出しで死に直面する。親を亡くすと初めてそれがわかる。
 正木は俳論もよくする人で、『起きて、立って、服を着ること』(深夜叢書社)という俳論集があるが、一部はセレクション俳人シリーズ『正木ゆう子集』で読むことができる。「生命と俳句 — 俳句とは何か」と題された文章の中で、正木は「二句一章が呼び込む不思議」と「一句一章が切り取る瞬間」という言葉を使っている。二句一章とは一句の中に切れがある句で、一句一章は切れが最後にある句を言う。俳句を俳句たらしめているのは「切れ」である。ここが短歌とちがう。短歌には切れがなくてもいっこうに構わない。正木によれば切れは論理が切断される場所で、切れによって俳句は論理の飛躍と時空の超越を可能にするという。例えば、「少年や六十年後の春の如し」(永田耕衣)では「少年や」で切れる。目の前の少年は現在にいるのだが、それと同時に60年後の未来にもいるというように、時空が捻れている。一方、一句一章は「流れ行く大根の葉の早さかな」(高浜虚子)のように瞬間を切り取ることによって、モノの存在を顕現させる力があるとする。
 これを踏まえて改めて上に引いた句を眺めてみると、圧倒的に一句一章が多い。正木の論に従えば、切れによって論理を切断し時空を捻れせしむる句よりは、瞬間を切り取ることで存在を顕現させるタイプの句を好むということになる。正木の文章に、「自己が詩となって時を充填できるのは、今の瞬間においてだけであろう。なぜならそこでしか人は時と交差しないからだ」とあるのもそのことを裏付けている。最近、「私の俳句は、私が『今』『ここ』に在ることの証でなければならない」という上田五千石の言葉を知ったが、正木の文章と通じるものがある。翻って現代の歌人は自らの歌の根拠をどのように考えているのだろうかとふと思ってしまう。
 本句集から以下赴くままに句を引いてみよう。
青葉木菟眼底月の逆さ影
飛ぶ鳥のまりにも水輪春の湖
降る雪のときをりは時遡り
天地創造葛湯の匙を引き上げて
月の出や前脚そろへ狐の子
はだれ雪鹿のかたちに鹿の骨
うすらひのふれあふおととわかるまで
 一句目、青葉木菟は夏の季語。アオバズクの眼底に月が逆さに映っている。われわれ人間も同じで、水晶体を通過した光は網膜に天地逆さの像を映す。写生ではなく想像の句である。二句目、鳥が糞を落とすと静かな小面に水輪ができる。それほど穏やかで静かな湖面なのである。「水輪」は俳句では「みなわ」と読むが広辞苑にも載っていない。「湖」は「うみ」と読む。三句目、雪は上から下に落ちてくるが、時折突風にあおられて上に流れる。それを時間を遡ると表現している。四句目、正木にはときどきこのような宇宙的スケールの句がある。葛湯を作ってかき混ぜたスプーンを引き上げると、先から雫が垂れる。それが日本書紀に書かれているイザナギとイザナミの国造りのようだと詠まれているのである。五句目はとりわけ可愛い句である。「月の出」は秋の季語。山端に上る月を狐の子が見ているのだ。ポイントは「前脚そろへ」。六句目、雪が溶けるとそれまで雪に被われて見えなかったものが姿を現す。絶命した鹿の骨である。鹿の骨が鹿の形をしているのは当たり前なのだが、そう詠まれるとなるほどと気づかされる。七句目は平仮名表記で柔らかくしてある。薄氷がぶつかり合う音は聞こえないほど微かだからである。
 俳句は自然だけでなく人事も詠む。本歌集には東日本大震災と福島第一原発事故に思いを馳せる句もあり、句集の奥行きを深くしている。充実の句集である。
真炎天原子炉に火も苦しむか
校庭をはつるや花にまだ早く
原発まで十キロ草の花無尽
絶滅のこと伝はらず人類忌

 

 

第214回 日本語の「現在形」について

巣づくりのその身にかなふ枝銜え

正木ゆう子『羽羽』

 このたび第51回蛇笏賞を受賞した正木ゆう子の句集を今回取り上げようと思っていたのだが、ちょっと気になる文章を見てしまったので、今回は掲句だけに留めて本体は次回に回すことにする。ちなみに掲句は巣作りに励むスズメを詠んだもので、藤島秀憲も喜ぶことだろう。我が家のルーフテラスにもよくスズメが来る。日本でも珍しいスズメ研究者である三上修の好著『スズメ つかず・はなれず・二千年』(岩波書店)を読むとより可愛さが増すこと請け合いである。

 閑話休題。気になる文章というのは、『塔』7月号の花山周子の短歌時評「歌を死なせては元も子もない」である。花山は角川『短歌』2月号に松村正直が寄せた「日本語文法と短歌」という時評を取り上げている。松村の文章の趣旨は、文語文法まで視野に入れた従来の国語文法ではなく、現代日本語に重きを置く日本語文法を導入することで、近年口語の勢いが増している現代短歌をよりよく批評できるのではないかという提言である。花山はこの松村の提言自体には賛意を表しているのだが、松村が例歌として引いた東直子の歌の解釈に異論を唱えているのだ。その歌とは「おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする」。松村はこの歌の「渡されている」を、「過去に渡されて今持っている」(結果状態用法)と解釈し、花山は「今まさに手渡されつつある」(現在進行用法)と取って松村の読みを批判しているのである。

 確かにテイル形には少なくとも3つの用法があるのでまぎらわしい。どちらの解釈を取るかはここでは関係ないのであえて触れない。私が気になったのは松村の時評を要約しながら花山が書いている次のくだりである。

 例えば口語では文語のような助動詞がないため、表面的には現在形と終止形ばかりとなり、口語短歌には「今」しかないと否定的に語られる側面があったが、松村はそこに「日本語文法」という客観性と新しい視座を持ち込むことで、積極的に口語短歌の表現を読み込もうとしているのだ。

 私が引っ掛かったのは「現在形と終止形ばかり」の部分だ。言語学者として声を大にして言いたいのは、「日本語に終止形はあるが、現在形というものはない」ということである。この点について未だに多くの誤解があるようなので、少し論じておきたい。

 まず議論の前提として、日本語のいわゆる「活用」と、英語やフランス語の「活用」はまったく異なるものであることを知っておかなければならない。英語やフランス語の活用形は、法・人称・数・時制によって動詞の語尾が変化するもので、例えばフランス語の動詞aimer「愛する」の、直説法・1人称・単数・現在形は j’aimeで、直説法・3人称・複数・半過去形は ils aimaientという具合である。一方、日本語の「活用」とは、次に続く語類によって語形が変化することで、例えば五段活用動詞「行く」ならば、未然形は次に否定が続く「行か・ない」、連用形は次に助動詞が来る「行き・ます」、終止形は言い切りの形「行く」、連体形は次に名詞が来る「行く・とき」、仮定形は仮定を表す「行け・ば」、命令形は「行こ・う」となる。語幹末音節が「か・き・く・く・け・こ」と変化するので五段活用という。

 日本語動詞には英語やフランス語のような「時制による活用」というものがない。現代日本語で唯一時制を表すとされているのは過去の助動詞タである。「僕は昨日縁日に行った」は過去の出来事を表す。したがって「行った」は「過去形」と呼んでもよい(しかしタには「さあ、買った、買った」のようにこれ以外の用法もあるので、過去形と呼ぶのはお奨めできない)。日本語にはタ以外に時制らしき標識はない。現在形も未来形もないのである。

 日本語の歴史を振り返ると、古語は過去表現の豊富な言語だった。過去の助動詞にキとケリがあり、「昔、男ありけり」「我が谷は緑なりき」と使い分けられていた。また完了の助動詞にヌ、ツ、タリ、リがあり、これも使い分けがあった(ただしタリとリは異形)。ところがこれらはすべて姿を消し、現代語ではタリに源を持つタしかなくなった。現代日本語は時制の貧弱な言語なのである。言葉による時間表現が不得手な言語なのだ。

 もっともこれ以外にアスペクトを表すテイルとテイタがある。時制を広義に取って時制・アスペクト体系と考えるならば、日本語には次の4種があることになる。日本語学ではそれぞれ語尾の形を捕らえてカッコに示したように呼ぶ習慣である。

 1) 太郎は走る。   (ル形)

 2) 太郎は走った。  (タ形)

 3) 太郎は走っている。(テイル形)

 4) 太郎は走っていた。(テイタ形)

 さて、では現在まさに起きている事態を表すとき、日本語はどうするか。これを知るにはまず「状態動詞」と「動作動詞」の区別が必要である。状態動詞とはその名の示すとおり、動きのない状態を表す動詞であるが、実は日本語にはあまり数がない。英語では-ingの進行形にできない動詞が状態動詞で、be、have、like、love、know、live、resemble、please などたくさんある。日本語では次のようなものがあると考えられる(これは金田一春彦の「状態動詞」と一部異なる)。

 a) 存在動詞「いる」「ある」と否定形の「いない」「ない」

 b) 知覚動詞「見える」「聞こえる」「感じる」

 c) 思考動詞「思う」「考える」および類語

 d) 可能の「できる」、必要の「要る」

 e) 感覚を表す「~する」: 変なにおいがする、生きた心地がしない、etc. 

 f) 自発のレル、ラレル : 春の訪れが感じられる、そう思われる、etc.

 g) その他 : 気にかかる、気になる

 これら状態動詞のル形は、終止形で現在の事態を表す。「変なにおいがする」は「ただ今現在臭っている」という意味だ。従って、状態動詞に限っては終止形を「現在形」と呼ぶのはあながち間違いではない。『日本語教育事典』(大修館書店)もこの立場を採っている。次の例も同じである。

 5) 遠くに海が見える。

 6) 私もそう思う。

 7) もう少し金が要る。

 これに対して「動作動詞」とは、時間の中で始まり、展開し、終了する動作・行為を表す動詞である。日本語は圧倒的に動作動詞が多い。英語では状態動詞であるhave、knowなども、日本語では「持つ」「知る」は動作動詞である。動作動詞のル形(終止形)は、今まさに起きている事態ではなく、習慣的事態か近未来に起きる事態を表す。

 8) 太郎は毎朝5km走る。(習慣的現在)

 9) 花子は朝シャワーを浴びる。(習慣的現在)

 10) 一彦は金曜にうちに来る。(習慣的現在、または近未来)

動作動詞で現在起きていることを表すには、ル形ではなくテイル形を用いなくてはならない。英語の -ingによる現在進行形と同じである。

 11) 太郎は今走っている。

 12) 花子は今シャワーを浴びている。

従って、圧倒的多数の日本語動詞については、終止形(ル形)は「現在形」ではないのである。日本語の動詞に関して「現在形」という用語を使うべきではないのはこのような事情による。日本語学ではタ形を「過去形」、ル形を「非過去形」と呼ぶ慣行があるが、個人的にはこの名称は好まない。

 このような次第であるので、ル形が多いからと言って「口語短歌には『今』しかない」というのは正しくない。多くの場合、ル形は「今」を表してはいないからである。

 本コラムの第164回で竹内亮の『タルト・タタンと炭酸水』を取り上げたとき、私は次のようなことを書いた。口語短歌が克服すべき問題点のひとつは「文末表現の貧弱さ」である。文語短歌では過去や完了の助動詞の他、「はも」「かな」などの感動助詞もあり文末表現が多彩である。これにたいして現代語の口語短歌では、体言止めでなければル形かタ形の連続になり単調を免れない。「昨日動物園に行きました。ライオンとカバがいました。楽しかったです」のような小学生の書く文章になりかねない。『タルト・タタンと炭酸水』にもル形で終わる歌が多くある。ル形の終止は出来事感が薄い。口語短歌の多くが未決定の浮遊状態に見えるのはこのためかもしれない。おおむねこのようなことを書いた。

 竹内に限らず、現代の口語短歌にはル形で終わるものが多いのは事実である。

チョーク持つ先生の太い親指よ恋知る前に恋歌を知る  野口あや子

東京に環状のもの多いことひとかたまりの野良猫ねむる  平岡直子

ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす  笹井宏之

B型の不足を叫ぶ青年が血のいれものとして僕を見る  木下龍也

片耳をそっとはなした電話から鎖のように声はこぼれる  原田彩加

 第164回のコラムでは次の高野公彦の歌と比較して、ル形で終わる歌は出来事感が薄いと述べた。確かに次の歌では結句に完了の助動詞リが用いられていて、「確かにそのようなことがあった」という出来事感が強く感じられる。

水苑のあやめの群れは真しづかに我を癒やして我を拒めり

 しかし今回改めてル形で終わる歌を眺めていると、私が書いたことを微妙に修正しなくてはならないように思えて来たのである。動作動詞のル形は現在形ではなく、現在起きていることを表さないということ動かないのだが、上に引いた歌が特別に出来事感が薄いかと言えば、必ずしもそうとも言えない。また文語でも偉人が死んだときなどに「巨星落つ」と報道されることがあり、「落つ」は文語の終止形だが出来事感は十分にある。どうやらこの問題は見かけ以上に複雑なようだ。今回は長くなりすぎるのでまた稿を改めて考えてみたい。

 

【附記】

 第164回の私の文章を中西亮太氏がブログで取り上げてくださり、松村正直氏も加えて何度かコメントの交換があった。その記録はこちらにある。

 

第213回 松平修文『トゥオネラ』

夜空の果ての果ての天体ほしから来しといふ少女のほとは草の香ぞする
松平修文『トゥオネラ』
 松平修文の『トゥオネラ』が出版された。第一歌集『水村すいそん』、第二歌集『原始の響き』、第三歌集『夢死』、第四歌集『のや』に続く第五歌集である。今でこそ2011年に刊行された現代歌人文庫(砂子屋書房)の『松平修文歌集』で手軽に読めるようになったが、昔は『水村』は幻の歌集だった。私は小池光・今野寿美・山田富士郎編『現代短歌100人100首』(2001年刊)で初めて松平の短歌に触れ、すっかり魅了されてしまった。あちこち探してようやく『水村』を入手したときの嬉しさはまだよく覚えている。
 『トゥオネラ』には2007年から2016年までに制作された歌が編年体で収録されている。栞文は福島泰樹、伊藤一彦、越沼正、穂村弘、岡部隆志、吉野裕之、田中綾、黒岩康、跋文は加藤英彦。福島泰樹は『水村』を世に出した人で、長いあとがきまで書いている。伊藤一彦は合同作品集『現代短歌’74』で、松平の「水村」とともに「明滅」が収録された縁だろう。また田中綾は松平と同じく北海道出身だからか。まだ無名の歌人ならば栞文や跋文はよくあるが、松平ほどのベテラン歌人には珍しい。今回病床の松平に代わって刊行の労を取った加藤の心遣いかと思われる。
 「トゥオネラ」はフィンランド神話の黄泉の国で、シベリウス作曲の「トゥオネラの白鳥」で知られている。フィン族の神話では、人は死ぬと善人悪人を問わずみなトゥオネラに行く。この世とトゥオネラの境には三途の川が流れていて、その川に白鳥がいるのだという。またフィン族が最も神聖視する動物は熊であり、アイヌ民族と共通する。死は松平にとってすでに親しいテーマだが、北海道北見の出身である作者は故郷の大地とフィンランドの神話を重ねて見ているものと思われる。 
 アーティストなどで独特な世界観を作り上げている様を指して「○○ワールド」などと言うことがある。例えば音楽グルーブ「SEKAI NO OWARI」のまるでRPGのような世界観を「セカオワ・ワールド」と言ったりする。その言い方を借りると、松平ほど独自の「松平ワールド」を作り上げている歌人は少ない。そのキーワードを拾い出してみると、「ゆふぐれの沼」「湖底美術館」「夜行性少女」「死者の森」「貯水池」「黒いダリア」などで、こう並べただけですでにひとつの世界が立ち上がる。
みづうみのほとりの駅に電車待つひとたちは魚のかほをしてをり  『水村』
その森の家につくのはいつもかなかのこゑがしてゐるゆふまぐれ
湖底寺院の僧侶たち月夜の網にかかり朝の競り市に運ばれてゆく  『夢死』
湖底の森からの土産、と乾魚ひざかなを置きて帰りき 再びは来ず     『蓬』
 『トゥオネラ』にも「松平ワールド」から降臨した歌が多くある。
水番の老婆星なき夜に目覚め、憑かれしごと泥の林檎をつくる
我が家の便所からはやく出てゆけ いつまでゐるつもりか、おまへ(隣家の鰐)は
ゆふぐれの沼べりを行くのは彼か 形見の『評伝ギュスターヴ・モロー』開くに
夜の電車の窓から見える〈ホテル砂漠〉では浴槽に紫の烟を充たす
何処かから蝉声がして、くれなゐ少女むらさき少女暁の街をただよふ
 日本画家でもある松平の歌は絵画との親和性が強い。三首目のモローは19世紀フランスの幻想的な画風の画家で松平ワールドと近い。これらの歌は絵画的であると同時に幻想物語的でもあり、写実を基盤とする近代短歌の〈私〉とは無縁である。また前にも指摘したことだが、歌の中における〈私〉の相関物である固定した視点がないのも特徴的だ。近代短歌は視点の短歌であり、このあたりに松平の反近代の姿勢がよく表れている。
 しかし『トゥオネラ』にはこのような松平ワールドの歌とは肌合いの異なる歌も多くみられる。たとえば次のような歌がそうだ。
地吹雪に吹かれ吹かれし野の墓地のエゾオニシバリ、黄のちさき花付け
早春の疎林の花ぞ 糠雨あめに濡れ、あをむらさきのエゾエンゴサク
母のかよひし学舎を訪へば、白樺にかこまれしテニス・コートに励む
もういちど行きたい、母のふるさとへ もういちど見たい、エゾシロテフを
高原の蝉声荒く、植物採集の父と子のゆくてに花期の柳蘭群
 これらの歌では幻想性は影を潜め、ぐっと現実に近くなって具体的な場所を喚起する。それは松平が子供時代を過ごした北海道である。エゾオニシバリ、エゾエンゴサクは北海道固有の植物で、白樺も北国の風物である。もともと松平の歌には動植物、特に草花と昆虫・鳥がよく登場するが、それには松平の父親が植物学者であった影響が大きいのだろう。五首目は少年時代の作者が父親と植物採集に行ったときの歌だと思われる。これらは少年時代を懐かしむ望郷の歌である。
 第四歌集『蓬』は父の死を悼む父恋の歌集でもあった。
父が逝きし日のゆふぐれの屋上に黒き犬ゐて吾を見おろす
行きどまりにヲトコヘシの花咲き残り、荒草は亡父ちちとわれを隔つ
捨てがたきもののひとつぞ 枯草がつまりゐる父の古き胴乱
 『トゥオネラ』は母の死を悼む母恋の歌集でもある。
母と野の駅に降り木苺の実を摘みしとほきとほき晩春の一日ひとひ
過ぎ去りし時間の闇の奥に立ち花林糖揚げてゐる母が見ゆ
帰らうと老母ははが言ふ 何処に、昔にですか、遠く過ぎ去つた昔に
曲り角にて見かへれば、藻琴嶺もことねは母びとの亡きのちの夕映え
老母ははが先づ忘れしは亡夫つまのこと、そして四人の子を下より順に忘れき
 その多くは一首目や二首目のような追憶の歌であるが、跋文で加藤が指摘しているように、松平の歌の世界は時空が捻れているので、亡くなった母を詠んだ歌の後に、存命の母が登場する歌があり、続けて読んでいるとこちらも時間と空間の中をゆっくりと漂う心地がする。親を失うのはまことに悲しいことである。松平の慟哭も深い。
 しかし何といっても集中で異色なのは、破調を通り越してこれははたして短歌かと思われるような〈長い歌〉ではないだろうか。
収斂すべきときぞ 混交と言ひ越境と言ひ、文明の譬喩ひゆにあらざる塵芥山ごみやまを生む
コンテナに収納されて運ばれてゆくものは、象牙でも珊瑚でもなく僕の高く売れない古本ですよ
形見としてあなたにぼろぼろの燕尾服を、あなたに底の抜けた水甕を、あなたに褪色したドライ・フラワーの緋薔薇を
不味いコーヒーも不味いチョコレート・ケーキも忘れがたく、憎まれ口をたたく女主人も
 以前から松平には長い歌があったが、ここへ来てますます長くなっている。しかしこのような長い歌があちこちにあるわけではなく、特定の連作に集中しているので、ある程度意識的に制作しているものと思われる。このような長い歌から立ち上がるのは濃厚な物語性である。その一部は師である大野誠夫から受け継いだものにちがいない。
 歌の質がまったく異なるのであまり適切な比較ではないかもしれないが、〈長い歌〉と言えば思い出されるのがフラワーしげるである。
小さなものを売る仕事がしたかった彼女は小さなものを売る仕事につき、それは宝石ではなく
わたしが世を去るとき町に現れる男がいまベルホヤンスク駅の改札を抜ける
ここが森ならば浮浪者たちはみな妖精なのになぜいとわしげに避けてゆく美しい母子よ
 フラワーしげるは西崎憲名義でファンタジー小説を書く小説家であり、これらの歌の物語性は明白だろう。『トゥオネラ』収録の「どの棚にも宝石箱を押し込めてをり、どの引出しにも宝石箱を詰め込みてをり」という歌を見ると、松平の中にはフラワーしげると案外近い部分があるのではないかという気もする。それをひと口に言えば「反近代」であり、美を追究する姿勢にちがいはあるものの、松平もフラワーしげるもある意味で近代短歌を乗り越えようとしていると言えるかもしれない。
 最後に心に残った歌をいくつか挙げておこう。
風のにほひ水のにほひに酔ふごとく夜の卓上に湿原に
都市の彼方の風吹きすさぶ崖巓に在りて凍てつきし魂の竪琴
空港への路は昏れむとするになほ立つ女あり 陽炎といふ名の
鉛筆で描かれたやうなゆふぐれの亡母ははのふるさとの街にたたずむ
霧を固めて作つた菓子のひと切れをすすめられてをり 深更よはの茶房に
あははと笑ひつつ傾斜の街のゆふぐれの路りてくる銀色少女
 松平は病を得て加療中であると聞く。一刻も早い本復を願うばかりである。

 

第212回 阿部久美『ゆき、泥の舟に降る』

人を待ち季節を待ちてわが住むは昼なお寂し駅舎ある町
阿部久美『ゆき、泥の舟にふる』
 阿部久美あべくみは「短歌人会」所属で、北海道の留萌に住む歌人である。所属していた劇団で詩の朗読会をすることになり、書店で詩集を探していて偶然歌集を見つけたのが歌の始まりだという。2000年に第一歌集『弛緩そして緊張』を上梓し、道新短歌賞の候補となる。2002年には短歌人賞を受賞し、翌年に角川短歌賞の佳作に選ばれている。『ゆき、泥の舟にふる』は2016年に出版された第二歌集である。藤原龍一郎が解説を寄せている。
 粒子の粗いモノクロームの裸体写真をあしらった表紙と、中に一枚だけ挿入された後ろ姿の裸体写真が目を引く。歌集を演出するという意図が感じられる。そういえば歌集題名もいささか奇妙で、「ゆき」は「雪」だろうが、わざと仮名書きにして読点を打っている。「泥の舟」は集中の、「泥の舟漕いでいたのは夢をみてたがを外した男だったか」、「泥の舟塗っていたのは算を打つたぶらかされた女だったか」、「諸恋の貸し借り返す泥の舟しずんで春の漣おこる」の3首から取られている。この3首も物語的で演劇的と言えなくもない。
 ここであらためて掲出歌を見てみよう。「人を待ち季節を待ちて」という軽快な対句に始まる歌で、作者の住む町を詠んでいる。作者の住む留萌市は北海道北西部の海に面した町で、人口は2万人くらいである。港がありロシア船が入港する。冬の最低気温はマイナス20度にも達する厳しい気候である。鉄道が通っているので駅舎があるが、昼なお寂しいという。留萌ではないが集中に「朱文別しゅもんべつ」という地名があったので、ネットで検索してみたら海沿いの無人駅の写真があった。確かに寂しい風景である。
 藤原龍一郎は解説で、「ひとはかなしいから詩を書くのだ」という高柳重信の言葉を引用し、阿部の歌の根底に苦しさ、悲しさ、寂しさがあると指摘する。確かに次のような歌では正面から寂しさや悲しさが詠われている。
夕映えてどうしようもない峠ありここからずっと悲しいじかん
ロシア菊ひと群れ咲いている道をさびしさは来る夕立のあと
かくまでも春のたそがれ悲をひろげわたしはうすらに煤ける雪だ
冷淡な号令のあとどの人も横顔になる横顔さびし
写真うつしえに脚をそろえてわが立つをわが見るいよいよ悲しくなりぬ
 歌を作るとき、「悲しい」「寂しい」とあからさまに書いてはいけない、情景を描いて読む人がそこから悲しさ、寂しさを感じるようにするのがよいとよく言われる。「叙景を通じて叙情に至る」というのが古来の和歌以来の歌の王道なのだから、確かにそのとおりである。だから阿部のように「悲しい」「寂しい」とはっきり書くのは邪道だということになるのだが、不思議と読んでいて邪魔にならない。むしろ繰り返される「悲しい」「寂しい」という語が、まるで日常の点景としてのつぶやきか、あるいは低く唱える呪文のように聞こえてくる。
 もちろん中には次のように叙景を主とする歌もある。
夏終わるうずくまりたる砂浜のかもめは群れてみな海をむく
あしたはく靴をそろえて玄関に靴のみじかい影あるを見る
夕川に木の影とけて流るるを橋の上より見て帰りたり
花降れるごとく雪降る今の世を霊柩車発つ警笛鳴らし
エレベーター扉が開き夏野へと僧形のひと降りてゆくなり
 一首目、北国の夏は短いのだろう。砂浜のカモメが整列したようにみんな海の方を向いているというのがおもしろい。あとがきで作者は、「自分の歌は空想・幻想・捏造と感じている」と書いているが、実景を見てもそのまま写実的に詠むのではなく、どうしても景物に自分の心模様を読み込んでしまうのではないか。「うずくまりたる」に擬人化がある。二首目は短歌が得意とする細部を取り上げた歌で、揃えた靴の影を詠んでいる。ブーツなら長い影だろうが、パンプスなら短い影である。三首目、夕暮れの川面に木の影が映るのを見て帰ったというだけの歌だが、「夕」「影」「流るる」「橋」という語の組み合わせによって、寂しさの心情がかもし出されている。四首目は葬儀の風景である。いつの頃からの慣習か知らないが、出棺時に霊柩車は長くクラクションを鳴らす。それは「今の世」との別れである。五首目はなかなかおもしろい歌。エレベーターと夏野が直結しているかのように描かれているが、現実にはエレベーターのドアが開いて墨染めの衣を着た僧侶が降りて、公園か草地の方角に歩み去ったということだろう。「エレベーター」と「夏野」のミスマッチの「僧形」が演劇的である。
 作者は留萌に生まれ今も留萌に暮らしているらしい。おそらくは地元の風土に対しては愛憎半ばする感情を抱いているだろう。北海道の風土を感じさせる歌も多い。
えぞにゅうはただいたずらに高々と伸びて海など見尽くすごとし
ほのくらくうつむきながらひとびとがこぞりて雪を始末する朝
冬に裂け冬に折れたる白樺に芽吹きをさせて四月が去りぬ
毛衣のロシアの男降りてくる錆びて大きな船の腹より
咲き揺るるエゾエンゴサク沢すじに間奏曲のごとし 明るし
 一首目の「エゾニュウ」は海辺に生える植物らしい。その姿は異形である。二首目は雪かきの風景。雪との戦いは北国のならいである。三首目は「芽吹きをさせて」という語法が特徴的。冬の雪と風は白樺の枝を折るほどなのだろう。四首目は寄港したロシア船の風景。五首目の「エゾエンゴサク」というのは青い可憐な花を付ける植物で、沢地に生えるらしい。珍しく明るさを感じさせる歌である。
 しかし読んでいて目を引かれるのは何といっても、次のような「おもしろい歌」ではないだろうか。
選り分けて棄つる夏服セロニアス・モンクの憂鬱もかかるものかや
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長げえよ、なんだよ長々しいよ
十指組み頭をたれて跪きそしてこの後どんだけ待つんだ
われの愚と一国の愚と関わるか担いでやるから褌を貸せ
この冬は来る日も夜も火を守り火には事情があると知りたり
銃弾はeau de Cologneは神託はこの世の身体いちころにする
シャンプーのポンプを押せば手ごたえのそれなりにある夜更けなりけり
 一首目、古くなった夏服を捨てているのだが、なぜ突然セロニアス・モンクが出てくるのかわからない。ちなみにセロニアス・モンクは往年のモダンジャズのピアニストである。二首目、柿本人麿の歌をそのまんま引いておきながら、途中から突然伝法な口調に早変わりしている。腹の虫の居所でも悪かったのか。三首目も同工異曲で、「十指組み頭をたれて跪き」はおそらくキリスト教の礼拝だろう。「この後どんだけ待つんだ」はまるでベケットの「ゴドーを待ちながら」だ。四首目は今の政治に対する憤りの歌と読んだ。五首目、「火にも事情がある」というのが愉快。六首目のeau de Cologneはオーデコロンのこと。原義は「ケルンの水」。「銃弾」と「オーデコロン」と「神託」を並べて「いちころ」というのが痛快だ。七首目のポイントはもちろん「それなりに」。
 最後に写真と向き合うようにこれだけ一首特別な位置に置かれた歌を引かないわけにはいくまい。
わがうなじそびらいさらいひかがみにわが向き合えぬただ一生ひとよなり
 うなじ、そびら (背)、いさらい(尻)、ひかがみ(膝の裏側)と、身体の背面の部位を上から下へと列挙し、私は一生それらと向き合うことはないと詠む。鏡で見ればいいだろうという話ではない。ここにも作者の悲しみがあり、私たちの生のあり様がある。おもしろい歌集である。最後に付言すると、阿部はほぼ同時に第三歌集『叙唱 レチタティーヴォ』を上梓している。

 

第211回 大野道夫『秋意』

火のつかぬ松明のよう人は立ち亡き父と入りし立ち飲みは夜明け
                   大野道夫『秋意』
 大野の歌にはしばしば「父」が登場するが、それは常に回想としてであり、時代の象徴として扱われていることが多い。掲出歌においてもそれは言える。昔、父と入ったことのある庶民的な立ち飲み屋である。立ったまま酒を飲んでいる客たちは、まるで「火のつかぬ松明のよう」だという。松明は火がついてこそ松明で、燃えていなければただの木切れにすぎない。不全感と閉塞感とノスタルジーの漂う歌だ。
 『秋意』(2015年)は、『秋階段』(1995年)、『冬ビア・ドロローサ』(2000年)、『春吾秋蝉』(2005年)、『夏母』(2010年)に続く第5歌集である。律儀に5年ごとに歌集を上梓している。また歌集タイトルに季節名が入っているのも特徴だ。『秋意』は作者の造語で、「秋の意志ぐらいに思ってほしい」とのことである。
 『秋意』は3部構成になっており、第I部と第III部は所属する「心の花」や短歌総合誌に発表した歌を収録していて、間に挟まれた第II部はすべて題詠である。題詠は兼題を与えられて即興で詠む歌なので、歌集を編むときには捨てることが多い。しかし大野は捨てずに歌集に入れる。このあたりに歌人としての大野のスタンスを見ることもできるかもしれない。
 大野は1956年(昭和31年)生まれである。前年の1955年に自民党が結成され、いわゆる55年体制が築かれている。現代まで続く戦後の始まりである。大野は青年問題を専門とする社会学者で、卒業論文は東大闘争をテーマにしたという。20人くらいの元活動家にインタヴューし、その中には元全学連委員長の山本義隆も含まれていたそうだ。1960年代後半の学園紛争・新左翼運動を牽引したのは、主に戦後ヘビーブーマーの1945年から49年生まれの人たちである。大野から見れば一回り近く年長の世代である。大野たちの世代は、社会や政治に関心を持ちつつも、派手に暴れる上の世代を仰ぎ見て育った「遅れて来た世代」ということになる。「社会の中の個」という視座は社会学者という職業もさることながら、もともと持っていた社会・政治への関心に由来するものであり、また「過剰な陶酔の不在」は全共闘世代の短歌と大野の歌を隔てる大きな特徴だろう。
節電や七十七歳天皇(すめらぎ)の重ね着底の忍耐ぢから
ツインビル崩れるように死は忘れられてゆくのかその子らの死も
インクの香生徒会室雨音に問い返したりぜんきょうとう
敗戦後知識人の反戦の「反」押すように 反ゲンパツよ
(校長はフェチなんやろか?)(ボクタチの口見詰めとる?)「こけのむすまで」
 一首目は東日本大震災、東京電力福島第一原発事故による節電要請を受けて、皇居でも節電が行われたことを詠んだ歌である。天皇が暖房を止めて寒さを防ぐために重ね着をしている。二首目は2001年にアメリカで起きた同時多発テロを詠んだもの。三首目は大野の出身校である湘南高校の創立90周年を記念しての歌で、高校生時代を回想しているが、ここにも全共闘が顔を出す。四首目はF1事故後雪崩を打って反原発へ傾く知識人を皮肉る歌で、「『反』押す」は「判押す」を掛けている。五首目は学校の式典における国家斉唱問題を歌にしたもの。校長が生徒の口を見詰めているのは、ちゃんと歌っているかどうか監視するためである。
 大野の歌でやはり注目されるのは日常詠・身辺詠ではなく、上に引いた歌のように社会や政治に触れた歌だろう。どうやら大野にとって短歌形式は単なる「抒情の器」ではないらしい。ましてや短歌という楽器の特性を最大限発揮するため力を込めて打ち鳴らすということもしない。勢い韻律よりも意味が重視され、抒情よりは知に傾く歌になる。また陶酔の不在は、あらゆる問題は複雑であり多面的性格を持つことを、社会学者として知悉していることによるものと思われる。このため現代の若手歌人たちとは理由は異なれど、結果として低体温で熱量の低い歌が多くなる。
「廃」と言えぬ唇乾く冬の夜にビラは舞いたり季語「炉」を乗せて
全ての採り尽くせないかなしみの採血車は巡る列島の身を
自爆とはかく美しくきあきあと月の夜をゆく地雷除去機よ
南氷洋泳ぎし尻尾が渋谷の湯泳げり鯨しゃぶしゃぶとなり
スカイツリー見上げる都民の一厘が密かに祈るモスラの帰巣
 一首目は「廃炉」の文字を二つに分けて詠み、声高に「廃炉」を叫ぶことができない気持ちを季語に託している。このような煮え切らぬ態度を批判する向きもあろう。二首目は日本赤十字社のスローガン「献血は愛のアクション」を踏まえた歌。大野は不思議なオノマトペを操る歌人で、三首目の「きあきあ」は機械の軋む音を表している。四首目は典型的な機知の歌。詠まれているのは渋谷駅から東急本店へと続く道にある鯨料理店「くじら屋」だろう。五首目は東宝の怪獣映画「モスラ」で怪獣モスラが東京タワーを破壊したことを踏まえ、モスラが今度は東京スカイツリーに帰って来ないかと密かに願うという歌である。映画のモスラもまた水爆実験による放射能の産物だった。どの歌にも時代と社会の反映があり、渦巻く疑問と微かな悲しみと、押し込まれた破壊衝動が感じられる。
「綱」の名の男らんらん現れて埋められてゆく親族の席
蝋燃やし聴いているのかの部屋のパソコン浸す暗き泉を
溶けて降る花の粉の夜包むよう子を抱き西へ逃げしともはも
炎天の舗道を歩む妹は赤きスコップと金魚を握り
Jちゃんと舐めし膝の血「十円玉?」「五円玉の味?」舌ひからせて
 本歌集には題詠も多いが、何かの機会に作られた機会詠も多く収録されている。一首目は「心の花」主宰佐佐木由畿逝去の折りの歌である。大野は佐佐木信綱の曾孫に当たるのだ。葬儀には名に「綱」の時を持つ男がわらわらと現れるのである。二首目と三首目は東日本大震災の折の歌。「蝋燃やす」「暗き泉」というと、どうしても宗教的なものを連想してしまう。作者もこの歌を作ったときにはそのような心持ちだったのかもしれない。「母」に「とも」と読みと異なるルビを振るのも大野がよく用いる手である。戦後の55年体制とともに時代を生きた大野にとって、昭和には特別な思いがあるはずだ。四首目と五首目は昭和の時代を詠んだ歌である。妹がスコップと金魚を握っているのは、死んだ金魚をどこかに埋めるためだろう。大野に妹はいないはずなので、これは昭和という時代を感じさせる虚構である。血を舐めると鉄の味がするのは、酸素を取り込むため鉄分が含まれているからである。
 大丈夫、こういった歌に飽き足らない向きには、次のような抒情的な歌が用意されている。
夜の海鞘初めて食みしひとの舌見つつ燗を飲めば波立つ
丁寧語で母親と話す昼の雨ひかり乏しきホームの底に
ものくろーむ家族旅行の釣り堀の泥水の底ゆ跳ねし虹鱒
肌へ夏留めるように海月くらげ浮く九月の海を泳げり姉は
父へ、父へ食べさす西瓜へじうじうと降らさん死海の岸辺の塩を
片足の男と娼婦が凭りかかり液化してゆくホテルの硝子
夕に起く吾と擦れ違う黒光るランドセルの香よ雨の舗道に
コップ越しに青澄む世界亡き母の入れ歯洗浄剤を落とせば
 私はどちらかと言えば短歌を抒情詩として読んでいるので、大野が作るこのような歌が好きである。しかし歌人としての大野の真骨頂を示す歌ではないかもしれない。いずれにしても本歌集は、大きくくくれば近代短歌の王道を行く歌集と言うことができるものの、社会詠が多いという点において独自の道を歩むものである。
 最後に蛇足ながら、セレクション歌人「大野道夫集」巻末の本人による年譜を改めて見ていたら、1973年の項に「社会の中の自分について悩み、『心地死ぬべくおぼえければ』庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読む。学園紛争の高校生の一日を描いた作品に感動する」とあった。「心地死ぬべくおぼえければ」は伊勢物語である。ここでは青春の煩悶の日々を指している。おそらくこのあたりに大野の原点があるのだろう。私は大野より少し歳が上だが、私にとっても庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』は学生時代に読んで忘れがたい作品である。昔も今も若者が生き方に悩むのは同じだが、『赤頭巾ちゃん気をつけて』には確実に昭和のある時代の若者の悩みが刻印されている。小説も時代の産物なので、今ではもう読む人もいないだろうが。

 

第210回 白井健康『オワーズから始まった。』

三百頭のけもののにおいが溶けだして雨は静かに南瓜を洗う
白井健康『オワーズから始まった。』
 作者の白井健康たつやすは静岡県に住む獣医師である。獣医師というと、私たちに馴染みがあるのは町なかの動物のお医者さんで、犬や猫などのペットを扱う人を思い浮かべる。しかし実は獣医師の大きな仕事は家畜の衛生管理と治療で、県庁や保健所で公務員として働く人も多い。おそらく白井もそういう獣医師の一人だろう。
 まだ記憶に鮮しい平成22年に宮崎県で口蹄疫が発生したとき、白井は宮崎県からの要請で現地に派遣され、防疫活動と家畜の殺処分に従事した。掲出歌は、この経験から生まれた連作「たましいひとつ」の一首である。「三百頭のけもの」は殺処分された宮崎の牛だ。これから掘った穴に埋められるか、あるいは埋められてすぐなのだろう。300頭の牛からは相当な臭いがするはずだ。雨にその臭いが混じっている。その臭いのする雨が畑に放置されたままのカボチャに降り注ぐという場面である。白井は「たましいひとつ」で平成23年の第22回歌壇で次席に選ばれている。
夏の日が忘れ去られてゆくように日照雨のひかりを餌槽に食べる
頸静脈へ薬物注射するときに耳たぶのへり蚋が血を吸う
倒れゆく背中背中の雨粒が蒸気に変わる たましいひとつ
射干玉の黒い眸はたちまちに海溝よりもかなしく沈む
二十一ナノメートルのウィルスの螺旋のなかのオワーズのひかり
青葉生うる日照雨のひかり血のひかり手のひらに掬えばいきもののみず
 宮崎の口蹄疫は3月頃発生が確認され、7月初旬に終息した。白井が派遣されたのは6月のことである。一首目、これから夏を迎えるという季節に、夏を忘れたように日照雨が降っている。殺処分される前の牛はいつものように餌を食べていて、餌を入れる桶に日照雨の光が差しているという悲しい光景である。二首目、殺処分する牛にはまず鎮静と苦痛軽減のためセラクタールという鎮静剤を打つ。その後、頸静脈に薬物を注射するという。まさにその時、牛の耳たぶでブヨが血を吸っているのを見つけている。三首目は連作の題名となった歌。地面に倒れた牛の体温はまだ高いので、降る雨が水蒸気に変わる。水蒸気が立ち上る様がまるで牛の魂が昇天するようだという歌である。四首目、殺処分された牛の眼は、たちまち生気を失い虚ろな穴となる。五首目、ナノメートルは10億分の1メートルで、二十一ナノメートルは口蹄疫ウィルスの大きさを表している。「螺旋」はDNAのことで、ウィルスはDNAに外殻を被せたようなものである。そのDNAの螺旋の中にオワーズの光があるという。オワーズはフランスの県名で、パリから北東に30Kmくらいの所にある。宮崎県で発生したO型口蹄疫のウィルスはオワーズ県で最初に確認されたのだそうだ。だから歌集の題名が『オワーズから始まった。』なのだ。
 壮絶な歌である。獣医師は本来ならば家畜の健康を維持し、病気を治療するのがその職務なのに、口蹄疫の伝染を防止するために、まだ罹患していない健康な牛を殺すというのは、獣医師にとっては苛酷な体験にちがいない。しかし上に引いた歌が示すように、白井は過度に感情に走らず冷静に、しかし鎮魂の祈りを籠めて歌を詠んでいる。口蹄疫の防疫作業に題材を得た「たましいひとつ」と「まだ動いてる」が巻頭に置かれており、その印象があまりに強烈なので、本歌集の印象が巻頭部分で決まってしまう。これには良い面と悪い面の両面があるだろう。第2部と第3部には、「未来」の加藤治郎選歌欄に掲載された歌と未発表の歌が収録されている。
 そのなかで注目したのは次のような歌である。
陽に翳すいのちが赤い海ならばメランジェールのなかに漂う
なりかけのまま消えてゆく雲だけをバルサムのなか包埋しておく
細胞がレンズの下で狂ってるヘマトキシリン・エオシン染色
メッケル憩室の午後二時窓辺から記憶の積み木が崩れるばかり
喉奥に人差し指で押し込んだシクロスポリンぴすとるが鳴る
せんせいの顔が歪んでしまうほど菜の花畑に打つケタラール
 いずれにも獣医師が使うカタカナ語が入れられている。専門用語なので素人にはわからない。私も素人なので全部インターネットで調べた。一首目の「メランジェール」は赤血球や血小板を目視で数えるためのガラス管で、一方の端が球形をしている器具。いのちの「赤い海」は血液のことである。二首目の「包埋」は「ほうまい」と読む。包んで埋めること。電子顕微鏡で観察するとき、資料の安定のためバルサム(樹脂)の中に埋め込むことをいう。三首目の「ヘマトキシリン・エオシン染色」は、顕微鏡で細胞を観察するときに行う一般的な染色法である。細胞が狂っているのだから、おそらくガン細胞なのだろう。四首目の「メッケル憩室」はドイツ人医師メッケルの名を冠した病理で、憩室とは腸などの臓器の一部が飛び出した突起物である。五首目の「シクロスポリン」は抗生物質の名前。六首目の「ケタラール」は獣医師がよく用いる麻酔剤である。
 おもしろいのはこのようなカタカナ語が短歌に読み込まれると、不思議なポエジーが発生することである。その発生源の一つが音にあることはまちがいない。たとえば「ヘマトキシリン・エオシン」は二つの単語の語尾が「リン」「シン」と[in]音で韻を踏んでいる。「シクロスポリン」も同じである。また「メランジェール」と「ケタラール」も正体は素人には分からないものの、何かイメージが湧く。ちなみに「メランジェール」はフランス語で mélangeur 「かき混ぜるもの」「攪拌機」を意味する。「ケタラール」は薬品の商品名だが、インドのどこかの州の名のようでもあり、エキゾチックな感じがある。
 ポエジーのもう一つの発生源は、これらのカタカナ語が身に纏っている理系の空気感だろう。抒情詩である短歌の中に硬質な理系の語彙が混じると、異なる意味の位相が一首の中で衝突することで、日常を離れた語彙空間が現出し、それがうまく作用すると詩が発生する。理系の人は本能的にそのことを知っているのではないか。
ケルダール分解夜に長引けり中庭に出て木の花におう  永田紅 
 白井は現代詩も書く人のようで、本歌集にも詩が何編か収録されている。また短歌の作りにもイメージの転換を重視した現代詩的手法が用いられており、近代短歌に学んだ人とは少し肌居合いの異なる歌があることも特徴だろう。最後に上に引いたものの他に心に残った歌を挙げておこう。
死はいつもどこかに漂う気のようなたとえば今朝のコーヒーの湯気
君が代は相聞歌だと思うとき手のひらのうえ震えるプディング
夏はすでにひかりのなかに椅子を置くふたりの椅子をひとつの場所へ
みつばちが瓦礫を越えて飛んでゆく除染されないひかりのなかを
眼球に点滴されて重くなる秋の窓辺や空のちゅうしん
七色の貝のボタンを外すとき八番目のだけ海からの便り
蝶の/収集家のよう少年は稽留熱の眸のままに

 

第209回 高石万千子『外側の声』

測量士冬に来たりかぎりなき雪上に紙上の文字を重ぬる
高石万千子『外側の声』
  世に「伝説の人」もしくは「生ける伝説」という人物が実在するとすれば、おそらく高石万千子がその名にふさわしいのはまちがいない。年譜によれば、高石は1929年(昭和4年)生まれで、1951年(昭和26年)の「未来」創刊に参加したとある。
 『現代短歌事典』(三省堂)を繙くと、確かに歌誌「未来」は1951年に、世田谷区にあった清水建設社宅内の近藤芳美宅を発行所として創刊されたと書かれている。参加したのは「ぎしぎし」「フェニキス」「芽」「環」などの同人誌に属していたアララギ系の若手と、「新泉」「羊蹄」「九州アララギ」などのアララギ系の地方誌の人たちだったという。出発当初はアララギの中の同人誌的性格が強かったようだ。高石は出来上がった歌誌「未来」を束ねて発送のため郵便局に運んだという。また慶応義塾大学医学部卒業間近の岡井隆を見かけたことがあるというではないか。まさに生ける短歌史である。
 高石にはすでに『旅の対位法』(1982年)、『美しい擬名詞』(1995年)の二冊の歌集がある。『外側の声』は2017年に六花書林から上梓された第三歌集である。しかし事情はもう少し複雑で、どうも本歌集では一章とされている「アンフォルメル」と「アンブレラ」は2008年と2009年にかいえ工房から少部数の私家版の歌集として出されているようだ。今回はそれらをまとめ直し新しい作品も加えて『外側の声』としたのだろう。
 序文を岡崎乾二郎という人が書いているので、誰だろうと思い調べてみたら、四谷にあった近畿大学アート・ストゥディウムという美術学校の主宰をしていた人らしい。高石はここで学ぶかたわら、大学の公開講座やカルチャースクールで哲学を学んだ経歴を持つ人である。
 そんな高石の詠む歌はひと言で言えば「哲学的思想詠」と言ってよかろう。
人棲まぬ図書館の灯のさいさいと差異の家族の棲むところまで
夕かげを堰き止めて待つあのあたり擦れちがひしか意味と出来事
旅の謂やさしけれども意味流れ「肯定装置」となりて乾けり
セクシュアリテかすかに傾斜するあたりちがふちがふとフーコーの声
少しづつ驚けよ美的持ち物になるまで家に三人みたりの女
 一首目、確かに図書館には人は住んではいない。本を読んだり借りたりする場所である。「さいさいと」はオノマトペだが、それが言葉遊び的に「差異」を引き出す。「差異」は構造主義とポスト構造主義思想のキータームである。高石は大学の講座などでフランスの思想家ジル・ドゥルーズを学び傾倒しているのだ。二首目では情景描写の中に突然挿入された「意味」と「出来事」という硬質の語が目立つ。思想詠にはしばしばこのような抽象語が用いられる。三首目、「旅」は高石にとって重要なもののようだが、人が旅行について語るとき、その言はしばしば「あそこはよかった」「あそこはきれいだった」と手放しの賛美に終わりがちである。「乾けり」に批評性が感じられる。四首目のフーコーはフランスの構造主義思想家のミシェル・フーコー。フーコーは著書『性の歴史』においてセクシュアリティーという概念を提唱した。五首目の「美的持ち物」は、恋人あるいは妻として男性の所有物となりがちな女性の立場を批判的に詠んだものだろう。なべて情よりは知に傾いた歌である。
 試しに『角川現代短歌集成』第4巻「社会文化詠」を見ると、中に「思想」が立項されている。しかし中身を見てみると、そこに収録されている歌は「革命」「デモ」「ゲバ」「主義」「シュプレヒコール」「党」などを詠んだ歌で、「思想」とは左翼思想のことだとわかる。これは高石の歌に充満している「哲学」とはいささかちがう。高石のような哲学的思索を詠む歌は珍しいのではなかろうか。
 勢い高石の歌は日常詠、身辺詠から限りなく遠ざかることになり、歌の中に生身の〈私〉が登場することはほとんどない。写実を重んじるアララギ派の「未来」に拠る歌人としては異例だろう。もっとも「未来」は岡井隆を中心とする前衛短歌の実験場となったのだから、それほど不思議なことでもないのかもしれない。高石自身も集中で、「日ぐれとも夜明けまへとも薄明かり掴みたい新しい私性わたくしせいを」と詠んでおり、従来の生活者としての個人へと収斂する私性とは異なる〈私〉の位相を模索しているのだろう。
 岡井隆にも「楕円しずかに崩れつつあり焦点のひとつが雪のなかに没して」という硬質の抽象語を用いた歌があるが、このような歌を読むときには、いたずらに歌の中に〈私〉すなわち作者に投影を探そうとせず、日常的な歌語と硬質の抽象語が一首のなかでこすれ合うことによって発生する熱を感じ取り、その傍ら言葉の意外な組み合わせを発条とする想像力の飛躍を味わうのが正しい読み方だろう。
聖橋たぶん後ろからあらはれしアンフォルメルの人手をにぎるかな
なぜなぜと思へば想ふ灰色のコギト・エルゴ・スムのま裸
曼珠沙華はなの終焉をはりののち萌ゆる「潜在性」へ庭へ水撒く
 お茶の水は作者にとって親しい場所のようだ。「アンフォルメル」はフランス語で「無定形」を意味する。「アンフォルメルの人」は「アンフォルメル絵画を描く人」のことだろう。「コギト・エルゴ・スム」(Cogiot ergo sum)は、デカルトの「我思う故に我あり」。「灰色」は脳細胞のことだろう。曼珠沙華の花が散ったということは、次の季節にまた咲くという潜在性の始まりでもある。
 「アンブレラ」の章では一首の歌を4行や5行に分かち書きしてページに配する空間的試みも行っている。
ベランダの
 ラビリントスの夏野菜に
  蝶?
   たましひか
    小さきアンブレラ落つ

花摘みてピレネー越えしやベンヤミン
あ、 
アレゴリー
か、
鞄の中身
 蝶はギリシア語でプシケーだがそれはまた「霊魂」を意味することが踏まえられている。「花摘みてピレネー越えしやベンヤミン」はまるで一句の俳句のようでもある。これまた歴史的事実を踏まえてある。
 最後に集中屈指の美しい歌を引いておこう。
通過する駅流れ語り得ぬままに沈黙の美しさ冬いちご手に
 「語り得ぬままに沈黙」あたりにウィットゲンシュタインの亡霊も感じるが、そんな姑息なことは抜きにしても、韻律といい明滅するイメージといい美しい歌である。

 

第208回 國森晴野『いちまいの羊歯』

親指はかすかにしずみ月面を拓くここちで梨を剥く夜
國森晴野『いちまいの羊歯』
 短歌に登場する果物でいちばん人気があるのはおそらく桃だろう。ブドウも捨てがたく、梨もなかなか健闘している。
暑のひきしあかつき闇に浮かびつつ白桃ひとつ脈打つらしき  小池光
童貞のするどき指に房もげば葡萄のみどりしたたるばかり  春日井建
たましいを預けるように梨を置く冷蔵庫あさく闇をふふみて 島田幸典
 掲歌の舞台は梨を剥く秋の夜である。日中の残暑は収まり、窓の外からは虫すだく音が聞こえている。月の比喩があるので、剥いている梨は幸水などの赤梨系統ではなく、色白の二十世紀梨がよかろう。この歌のポイントは「親指はかすかにしずみ」で、剥くために梨をつかむと親指がかすかに果肉に沈むというのだ。果肉には弾力があるので、確かに指が沈むかもしれないが、それはごくわずかなものである。そのわずかな沈みに着目したところがこの歌の手柄だ。次に「月面を拓くここち」とあるので、未踏の大地に足を踏み入れる、あるいは人類初の偉業を成し遂げる、といった心持ちが感じられる。たかが梨を剥くだけなのに大げさなと思われるかもしれないが、作者にはそのように表現すべき理由があったのだろう。
 『いちまいの羊歯』は書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの一冊として今年 (2017年) 3月に刊行されたばかりの歌集である。プロフィールによれば、作者の國森晴野は2010年からNHK文化センターで東直子の短歌講座を受講して作歌を始めたようだ。東北大学工学部の大学院で土木工学を学んだ理系女子、いわゆるリケジョである。監修と解説は東が担当している。
 あとがきによれば、東の短歌講座を受講する少し前の2007年に、東と穂村の共著『回転ドアは、順番に』を手に取ったのが短歌との出会いだったという。やはり今の若い人たちの多くは、東と穂村を入り口として短歌に触れるようだ。國森の作風も、東や穂村と同じく口語定型文体を採っている。
 ただし、同じ口語定型と言ってもその内実は多様である。國森の作る短歌は、「言葉の選択」、「定型のリズム感」、「結句の着地感」の三点において際だって優れており、伝統的短歌に固執する頭の固いオジサンにも抵抗なく受け入れられるだろう。私も感心しながら最後まで楽しんで読んだ。そうたびたびはない経験である。新たな才能の出現と言ってもよかろう。
 短歌は抒情詩なので、短歌で用いられる言葉は詩の言葉でなくてはならない。しかし詩の言葉といっても、特別な言語があるわけではなく、私たちが日常用いている言葉と素材は同じである。素材は同じでも、詩の言葉になっている場合と、そうでない場合があるのはなぜか。それは置かれた場所がちがうからである。少し専門的に言うと、置かれた場所とは「文脈」で、新たな文脈に置かれることで新しい言葉の組み合わせが生まれ、意味が生まれるのである。國森の場合はどうか。いくつか歌を引いてみよう。
コンナコトキミダケデスと囁いた舌のうえにはいちまいの羊歯
バーナーの炎がつくる真円しんえんに降るものはなくきよらかな円
真夏日の街をまっすぐゆく君が葉擦れのように鳴らすスカート
さよならのようにつぶやくおはようを溶かして渡す朝の珈琲
せかいにはもういらないの糸鋸であなたのかたちを切り抜く真昼
 一首目は歌集題名にもなった歌。「コンナコトキミダケデス」が片仮名表記されているのは、直接話法であるからだけではなく、恋人同士のあいだでだけ通じ耳に届く秘密の言葉だからである。舌の上に置かれた羊歯が何の象徴かという謎が歌に奥行きを与える。二首目は実験室の情景で、「真円」という非日常語が効果的に使われている。炎に上から降る資料などがあるときは真円は乱れる。今は何も降っていないので炎は真円を保っている。真円はこの時の作者の心を現しているのだろう。三首目はピンと背筋の伸びた現代女性の肖像。「葉擦れのように」と表現することで、女性の身体とスッと立つ森の木立が二重写しになる。着ているのはきっとタイトスカートだろう。四首目は恋愛関係の終わりを予感しているカップルの歌。実際にコーヒーに溶かすのは砂糖かクリープなのだが、それを「おはようを溶かして渡す」と表現するところに詩的転倒と逸脱がある。五首目は一読して驚いた歌。恋人と別れたら、いっしょに写した写真から相手だけ鋏で切り取るという話は聞いたことがあるが、この歌では糸鋸である。糸鋸が衝撃的だ。ベニヤ板かプラスチック板に拡大した二人の写真が貼り付けてあるのだろうか。  
「言葉のセンス」と言ってしまえば身も蓋もないのだが、國森は文脈に即して適切な意外性のある言葉を選び取る感覚が優れている。また「定型のリズム感」と「結句の着地感」は密接に関係しているのだが、短歌の印象は下句で決まることが多い。上に引いた歌の下句を見てみると、「舌のうえには / いちまいの羊歯」は、音数が3・4と5・2となっており、ほぼ左右対称であることが着地感を生み出している。二首目は「降るものはなく / きよらかな円」で、5・2と5・2で今度は同じ音数の反復がリズムを作る。三首目は「葉擦れのように / 鳴らすスカート」で4・3と3・4、四首目は「溶かして渡す / 朝の珈琲」でまた4・3と3・4、五首目は「あなたのかたちを / 切り抜く真昼」で4・4と4・3。四句が増音されている五首目を除けば、いずれも左右対称型か同音数反復型である。國森が意識してそうしているのか、それとも無意識のうちに短歌のリズムを感得しているのか定かではないが、内的韻律に欠けることが多い現代口語短歌のなかでは、古典的な印象を受けるくらいに國森の短歌は韻律が優れている。
 集中で特に個性が光るのはリケジョならではの次のような歌だろう。
無いものは無いとせかいに言うために指はしずかに培地を注ぐ
コロニーと呼べばいとしい移民たち生まれた星を数える真昼
蛍光を放つかすかな色調を96けつプレートに置く
鈍色のきりんの群れが鉄を食む足元をゆく工場の朝
ナトリウムイオンの量でかなしみを測るあなたは定時に帰る
 一首目は菌を培養するためにシャーレに寒天培地を流し込む作業を詠んだ歌である。科学者は何かが存在することを証明するためではなく、存在しないことを証明するために実験をすることもあるのだ。二首目の「コロニー」は増殖した菌の塊のことで、顕微鏡で菌の数を数えているのである。菌を星に喩えたところに対象に対する愛情が感じられる。三首目では「96穴プレート」という専門用語が効果的。なぜ96かというと、8×12コの穴が並んでいるからである。四首目は工場の風景で、鉄骨を持ちあげるクレーンをキリンに喩えている。クレーンをキリンに喩えるのは常套手段ではあるが、「鉄を食む」にリアル感がある。五首目のナトリウムイオンはおそらく涙に含まれたイオンのことだろう。いかにも化学分析を職業とする理系人間の使いそうな言葉だ。
 「かたおもい」と題された連作には折り句が集められている。
正解をみつけたことを知らせずにぐいと飲みほす檸檬サイダー  せみしぐれ
読まれずに砂に埋もれた手紙には枇杷の葉ひとつ綴じられており  よすてびと
向こう岸 手を振るひとに告げぬままポラロイドには海だけのこし  むてっぽう
 折り句であることを忘れても十分に鑑賞に耐えるよい歌で、作者が言葉の斡旋に長けている人であることがよくわかる。才能に溢れた歌人の出発を喜びたい。最後にいつものように心に残った歌をいくつか挙げておこう。
千葉行きの車輌で向かいあうひとのつまさきばかりひかる二時半
うすがみに包まれているはつなつをひらいて僕らは港へ向かう
ゆうやけを縫いつけてゆくいもうとの足踏みミシンはちいさく鳴いて
指先にかすかな色をのこしつつ今日がひらいてゆく青の町
薄氷うすらいの蝶は遙かなひとからの手紙のようで触れたらひかり
色つきのひよこは知らない明日など見ずに空だけ見て鳴いている

 

第207回 松岡秀明『病室のマトリョーシカ』

眉の無い男の背の磔刑図を背景として羽斑蚊ハマダラカ飛ぶ
松岡秀明『病室のマトリョーシカ』
 眉がなく背中にキリスト磔刑図の刺青をしている男は、まちがいなくその筋の人である。作者は医師をしているので、診察に来る患者の中にはその筋の人も当然いるのだ。病は人を選ばない。病を得たら人皆患者である。ここまででもギョッとするのだが、何と磔刑図を背景としてハマダラ蚊が飛んでいるというのだ。単に蚊ではなく、ハマダラ蚊と生物学的に正しい名で呼ぶ所がさすがに医師なのだが、日常を超えたディテールの正確さがかえって歌に非日常性を与えている。おもしろい歌である。
 作った松岡は「心の花」所属の歌人。『病室のマトリョーシカ』は第一歌集である。50歳の時に突然短歌を作り始めたというのが2007年のことだから、今年還暦を迎える年齢だろう。精神科医であると同時に文化人類学者でもあるという。本歌集にも収録されている「解剖棟」で心の花賞の俵万智賞を、その数年後「病室のマトリョーシカ」で心の花賞本賞を受賞している。本歌集の前書きは俵万智、あとがきと編集は藤島秀憲が担当している。
 昔から医師にして文学者という人は数多い。しかし本歌集を一読して驚くのは、作者松岡の活動の幅広さと奥深さである。松岡は精神科医として終末期ホスピスに勤務しているらしく、医療の現場を題材とした歌が多くある。作者にとっては職業詠である。
ホスピスへの入院希望を書く紙に誰の意志かをただす欄あり
患者らの漕ぐ車椅子ゆつくりと森の方へと光をはこぶ
罫線も活字も美しき赤なるは麻薬を処方するための紙
Fの音わづかに低い古ピアノ患者弾きをりその思ひ出を
サングラスをかけぬ写真はないといふ女のひとみ深井のやうに
 一首目、「誰の意志かを質す」にドキッとする。当然ながら本人の意志ではなくホスピスに入る人もいるのだろう。「紙」がいささか気になる。二首目、ホスピスは死にゆく人が入る場所なので、海のほとりや森の中のような自然の豊かな美しい場所にあってほしい。松岡の勤務するホスピスも蝉やヒヨドリが鳴く山近い場所にあるようだ。「光をはこぶ」に明るさが感じられる。三首目、終末期の痛みの軽減のためにモルヒネなどの麻薬を用いることがある。目的は何であれ麻薬なので、一般の処方箋と区別するために赤くしてあるのだろう。医療従事者にしか知り得ないディテールが歌のリアリティを生み出している。四首目、患者が弾くためにホスピスにはピアノが置かれている。患者が弾いているのは「思い出のグリーン・グラス」(Green, green grass of home)である。実はこの歌は処刑前夜の死刑囚の歌なのだ。「低い古ピアノ」は「低き古ピアノ」でよいと思うが。五首目、視線恐怖症の患者を読んだ歌である。世の中には実に多くの病があることに驚く。
 若い医学生だった頃の解剖実習を詠んだ「解剖棟」にも、「実習を行なふ棟は空母のごとし 遺体二十五われらを待てり」、「回盲部に探し当てたる神経の光見紛ふ古き白磁と」など印象的な歌がある。
 職業を離れた松岡の関心が向くのはひとつには音楽である。レコードを多数所有しているようで、ジャズに詳しいらしいがクラシックの素養も相当なものだ。「五千ほどあるレコードのほとんどを記憶してゐるどうだ俺」と題された連作があるほどだ。
Harmonia mundi世の調和などてふことは鍋のなか(のみに!)顕はるるものとこそ知れ
幼子が持ち来るレコードを手に取れば〈世のおはりのための四重奏曲〉
無伴奏ヴィオラは降りて最弱音ピアニッシモ つひに二人に浄夜は来たり
 Harmonia mundiはクラシック愛好家には馴染みのフランスのレーベルである。二首目の幼子は作者の娘。「世のおはりのための四重奏曲」はオリヴィエ・メシアンの作品。子が持って来たレコードが「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」であればよかったのだろうが。ちなみに私はパリのトリニテ教会でのクリスマスミサでメシアンの弾くパイプオルガンを聴いたことがある。メシアンはこの教会付きのオルガニストだった。三首目の「浄夜」はシェーンベルクの弦楽六重奏曲。
 松岡はまたサッカーのブレーヤーでもあり、審判員の資格も有しているという。下の三首目と四首目はロンドンでアメリカの女子サッカーチームと対戦した折の歌である。
敵のミッドフィルダーの袖引つ張れば鎖骨のしたにキスマークふたつ
落ちてくるボールをめざし走るときわれとわが身は空へ溶けだす
薔薇園のベッカムといふくれなゐのかなたボールの上がり落つる見ゆ
ポニーテールの赤毛なびかせルーシーはギャロップにかへわれを抜き去る
 さらに松岡は自ら料理の腕を振るう人でもある。集中に「平日の晩餐をなすはわれにあり」と題された連作があるほどだ。
俎板に障泥烏賊あふりいか五杯のつたりと砥石の音に聞き入りてをり
豚バラをオーヴンに入れ火をば点け〈紫の煙パープル・ヘイズ〉を口ずさむ、ふと
挽肉を捏ね俎板へ叩きつけ叩きつけして時は流るる
出刃菜つ葉中華肉切りそれぞれの光のなかで秋は更けゆく
牛尾鍋テイルシチュウ情事アフェアーに通ずるものあらば肉を喰らふといふことならむ
 四首目にあるように、出刃包丁、菜切り包丁、中華包丁、肉切り包丁を揃えているらしい。しかも砥石を使って自分で研ぐのだから本格的だ。実は私も我が家の料理人で、菜切り包丁、出刃包丁、柳刃に砥石3種は備えているが、さすがに中華包丁までは持っていない。脱帽である。
 このように松岡の活動の幅広さと奥深さにまず目が惹かれてしまうのだが、ここで立ち止まって松岡の歌の美質を考えてみると、そのひとつは「連作の力」であることはまちがいない。〈一首の屹立〉、つまり「名歌主義」を目指すのではなく、連作を構成することによって歌の力を発揮させるということだ。受賞対象となった「解剖棟」も「病室のマトリョーシカ」も連作によってドラマが生まれている。
 また医療現場に材を得た歌は、確かに素材の目新しさに新奇性があるのだが、二度読み返してみると、何気ない歌におもしろいものがあることにあらためて気づく。たとえば次のような歌である。
膝裏に静脈透かせ娘らが手をつなぎ来て噴水の夏
牛を積む車と洋式霊柩車が権田原交差点を行きすぎにけり
髪形はひとの悩みを現はすと説く占ひ師頭髪はなし
高名な眼科教授の卓上に源氏パイひとつぼつねんとあり
ネクタイを買ふために行く伊勢丹へ そのためにだけネクタイをせり
 一首目は青春性が輝くような歌だが、ポイントは膝裏に透ける静脈である。身体の部分への注目はやはり医師ならではだろう。二首目は牛を運ぶ輸送車と霊柩車の取り合わせに、「権田原交差点」という固有名が効いている。三首目は人を喰ったような歌でこれはこれで味わいがある。四首目も「眼科教授」と「源氏パイ」の組み合わせが愉快。五首目、ネクタイを買いに行く時にしかネクタイを締めないのならば、そもそもネクタイは何のためにあるのかという存在論的疑問が浮かぶ。
 最後にいつものように付箋の付いた歌をいくつか挙げておこう。
エビスビールの空き缶蹴れば冥府へとひとを誘ふ軽き音せり
アイスパック瞼におけば浮かびくる地に崩れゆくチャウシェスク夫妻
わがうちに失語症の女一人ゐて「希望」の類語おほかた食めり
鎌となり向日葵一反刈りぬべしエル・グレコ描く冴ゆる夕べに
われもまた影持つゆゑに患者らの影と影とが遊ぶを見詰む
野に花をそしてわれらに永訣を運びゐし秋の陽冷えゆけり
 『病室のマトリョーシカ』は晩成の第一歌集ながらも、内容充実し近年珍しい男歌の歌集である。
 蛇足ながら、連作の題名が「八月の芝のピッチや濤しづか」、「平日の晩餐をなすはわれにあり」、「晩餐に対をなすものあまたあり」のように俳句になっていたり、「夏風邪でわが祖母の家のガラス窓のごとくかすかにわれは波打つ」、「病院のなかを駆けづり回つてもブラックジャックはどこにもいない」、「またとない十二時半は檜町公園の芝で喰らふバーガー(自家製)」のように短歌になっていたりして楽しい。中年男には遊びが必要である。