001:2003年4月 第4週 小野茂樹
または、輝き続ける永遠の夏の抒情

あの夏の数かぎりなきそしてまた
   たつたひとつの表情をせよ

        小野茂樹『羊雲離散』

 作者は昭和11年生まれ。角川書店・河出書房新社で編集者として勤務していたが、昭和45年にタクシーで帰宅途中に事故死。享年34歳。掲載歌は作者の代表歌として知られ愛唱されている。

 誰もが指摘するのが小野の歌の相聞的性格であるが、この歌にはその特質が余すところなく現われている。相聞とは手紙などで相手の様子をたずねあうことであり、転じて相手に対する愛情を表明する対人的性格の強い歌をいう。この相聞の呼びかけ的性格の強さは、結句の「表情をせよ」という命令形にも強く感じられる。

 「あの夏」とはどの夏か。それは私とあなたが楽しいひとときを過ごした記憶のなかにある夏であり、読者はその夏の経験を持たないにもかかわらず、ことばの力によってその経験に参入する。その夏はおそらくは短く終わった夏にちがいない。どこにもはっきりと書かれてはいないが、「あの夏」と特定的に表現されることで、その夏は記憶のかなたに遠ざかり、あたりには炎熱が収まり秋風の立つ晩夏の空気が感じられる。君は私のもとをすでに去ったのである。

 君は数かぎりなく様々な表情を私に見せてくれたが、今あらためて記憶のなかに君の顔を思い浮かべようとすると、様々な表情はひとつに集約され、最後にひとつの忘れがたい表情が残る。そんな風に解釈できる。

 『現代秀歌百人一首』(篠弘、馬場あき子編 実業之日本社)でこの歌を論じた小池光は、「君は実にゆたかなさまざまな陰翳を帯びた表情をみせてわたしの心をときめかせたが、その数かぎりない思い出はついに一つの表情に還元されてゆくのであった。その表情をもう一度みせてほしい、わたしはそれを忘れないから、と彼女に呼びかけている。(…)
高調した恋愛感情のもたらす純粋な気分としてごく感覚的に受け止めればよい。」として、私の彼女の関係が終わったとは解釈していない。

 しかし、私は「あの夏」という表現に、どうしても記憶のかなたの短い夏を感じてしまう。夏は熱く燃え上がると同時に、その暑さの頂点において、すでに終わりを予感させる。長い夏は暑苦しいだけだが、短い夏は感傷の契機となるのである。

 塚本邦雄『現代百歌園』(花曜社)は、小野の代表歌として、「あせるごと友は娶りき背より射す光に傘の内あらはなり」を選んでいる。また岡井隆『現代百人一首』(朝日新聞社)は、「体刑の庭よりひとりまぬがれて帰り来たれば友欲し購ひても」を採っている。前衛短歌運動の立て役者であった二人がともに、青春の自意識の屈折を読み込んだ歌を選んでいるところが興味深い。