輝きくるる吾に一瞬
坂口 弘
短歌はわずか31文字の短詩型である。短歌には、五・七・五・七・七のリズムとか、枕詞や句切れのような作歌上の技法など、詩型としてのいろいろな特徴があるが、最大の特徴は「短い」ということである。この短い詩型という器が、人間の切羽詰まった情念を盛り込むのに適しているようだ。切羽詰まった情念とは、燃え上がる恋愛感情や、自身の死を目前にした恐れや、肉親を失った悲しみのように、人間を根底から揺り動かす感情をいう。小説のような散文型式は、説明的・描写的記述に適しており、瞬発的な感情を盛り込むには向かない。短歌よりも短い17文字の俳句という型式もあるが、こちらはこちらで、人を揺り動かす感情の契機と、それを受け止める自分までを余さず盛り込むには短すぎる。短歌の31文字は、この点ちょうどよい長さの型式であり、盛り込まれた感情が他に持って行きどころのないものであるほど、歌は祈りに似た風貌を呈するに到る。
人間が追い込まれる切羽詰まった状況にはいろいろなものがあるが、牢獄につながれて自由を一切奪われるという状況は、なかでもとりわけ切羽詰まったものと言えるだろう。それが死刑判決を受けて刑の執行を待つ身であれば、なおのことである。
掲載歌の作者である坂口弘は、1972年(昭和47年)に世を震撼させた連合赤軍あさま山荘事件で逮捕された。首謀者の森恒夫が逮捕後、東京拘置所のなかで23万字にも及ぶ自己批判書を書き、逮捕からほぼ一年後の1973年1月1日に、房内で自殺したのとは対照的に、坂口は一切の弁明を拒否し、1993年に最高裁で死刑判決が確定した。以後現在に至るまで死刑囚としての日々を送っている。
1986年頃から支援者の指導で作歌を始め、1989年から朝日歌壇の熱心な投稿者となった。投稿のときの作者名は「東京都 坂口弘」となっているので、気づかない人も多く、朝日歌壇の選者も最初は気づかなかったと聞く。作歌をまとめて1993年に『坂口弘歌稿』(朝日新聞社)が刊行されている。ただ、最近は朝日歌壇にその名を見ないので、もう投稿はしていないようである。
坂口の歌のなかには、当然ながらあさま山荘事件に関するものが多くある。しかし、その内容があまりに現実とストレートに繋がり過ぎて、歌としては生硬であり、読むこちら側もあまり共感できない。ただただ凄惨とうつむくしかない。
自首してと母のマイクに揺らぎたるYに嫌味を吾は言いたり
リンチにて逝きたる友に詫びながら母と会いおり母を詠みおり
窓壊し散弾銃を突きいでし写真の吾はわれにてありたり
総括は友亡くなりて過酷化し死を思うさえ敗北となせり
女らしさの総括を問い問い詰めて死にたくないと叫ばしめたり
読んでいて心に沁みるのは、坂口が自分の行為を悔やんでも悔やみ切れない過ちと認識し、その想いに悶える歌である。ここには、短歌という形式以外には盛ることができない感情がある。それはほとんど慟哭である。
リンチ死を敗北死なりと偽りて堕ちゆくを知る全身に知る
爪を剥ぎ火傷をつくりてわが罪の痛みに耐うるは自虐なりしか
打続く鼓動を指に聴きし人の命の重み思い知られて
活動を始めし日より諫められ諫められつつ母を泣かせ来ぬ
さらに歌として心に響くのは、死刑囚として獄舎で送る日々を詠った歌である。
そこのみが時間の澱みあるごとし通路のはての格子戸のきわ
クレンザーを使いすぎると注意されお茶で食器を洗いいるなり
面会に臆さず君の唄いたるソプラノ低き「平城山」の歌
彼の人も処刑の前に聞きしならん通勤電車に地の鳴る音を
そを見ればこころ鎮まる夜の星を見られずなりぬ転房ありて
枯るるまえ茎断ち切りて監視を避けカーネーションを胸に挿しおり
激しい感情が渦巻いているわけではなく、平静な日常のひとコマや、ふと萌した想いを歌にしているのだが、坂口が置かれている境遇を背景として読むと、胸に迫るものがある。
朝日歌壇でもう一人獄中歌を作っている人がいる。郷隼人である。彼は第一級殺人を犯して、カリフォルニアの刑務所で終身刑に服しているらしい。朝日新聞でしばらく前に、彼の連載記事が掲載されたことがある。彼に注目している人は意外に多いようで、しばらく朝日歌壇に歌が掲載されないと、どうしたのか気になるという記事がインターネットにあった。
寒気刺す窓に佇み待ち俺は獄舎の屋根より初日の出ずる
護送車より最後に海を目にしたは幾年月ぞ海が見たしや
雨降れば心も病むか冬の雨房に籠れば「鬱」が顔出す
冤罪であったらばともう一度夢より醒めてやり直したい
独房の小さき水槽(タンク)に芽生うる生グッピーの赤ちゃん復活祭(イースター)の朝に
静寂を破る猫らの格闘を煽り立てたり目覚めし囚徒
交尾期の猫の格闘(ファイト)に囚徒らの大歓声湧く深夜の獄窓
獄中にあって、しかも死刑囚や終身刑で、二度と外に出ることがないという極限的状況で作られた歌は、限りなく祈りに近づく。たとえ、作歌技法が稚拙なものであっても、そこには心を打つものを感じることができる。ここに、歌の根源のひとつがある。