車窓よりつかのま見えてさむざむと乗馬クラブの砂にふるあめ
小池光『サーベルと燕』
短歌や俳句などの短詩型文学を読むことは日々の暮らしに大きな喜びを与えてくれる。もちろん短歌には楽しいこと嬉しいことばかりが詠まれているわけではない。むしろ逆で、暮らしの苦労、恋の破局、肉親との別れや災害など、悲しいことが詠まれていることのほうが多い。生老病死は近代短歌の重要なテーマである。しかしそれが短歌定型というフィルターを経ると、古代の錬金術の秘法によって卑金属が金へと錬成されるように、極めて個人的な体験が誰もが感じることのできる普遍的な類型へと昇華される。かくして姿を変えた悲しみに歌を通して触れることにより、私たちの生の理解は深みを増し、眼に映る世界の姿は陰影を深める。
とはいうものの、短歌を読まなければ知らなかったであろう別な悲しみというものもある。歌人の訃報に接した時である。私は短歌結社や同人誌などとは無縁で、歌会に連なることもないので、個人的に面識のある歌人はごくわずかしかいない。しかし歌集を通して作者の個人生活の一面を知り、作者の思考や感情の機微に触れ、時には魂の質感までをも感じる瞬間がある。日頃ごく通り一遍の付き合いしかしていない親戚縁者などよりはるかに内面に踏み込んでいる。だからこそ幽明境を隔てることになった寂しさには他にはないものがある。
送られて来た「短歌人」3月号の小池光の歌で、最近二人の歌人が鬼籍に入られたことを知った。
酒井佑子の原稿の文字みごとにてブルーブラックのインクひかりを放つ
酒井佑子去りて十日ののちにして有沢螢の訃報に接す
有沢螢われよりひとつ年下かとおもふまもなくゆきてしまへり
有沢螢いのちのかぎりを尽くしたり最後の最後まで歌をはなさず
同号のあとがきによれば、酒井さんは昨年の12月24日に、有沢さんは年が明けて今年の1月9日に亡くなったという。お二人とも拙ブログにて歌集を取り上げさせていただいた。酒井さんの『矩形の空』は2008年6月16日に、有沢さんの『朱を奪ふ』は橄欖追放の前身の「今週の短歌」で2007年4月9日に読後評を書いている。有沢さんは脊椎損傷で寝たきりの状態にもかかわらず、最近になって歌集『縦になる』を刊行されている。
実は有沢さんはお会いしたことのある数少ない歌人の一人だ。私の歌集評をお読みになられたからだろうが、『朱を奪ふ』の批評会に声を掛けていただいた。日記によると、批評会は2007年8月18日に神保町の日本教育会館で開かれた。バネリストは佐伯裕子、川野里子、藤原龍一郎、魚村晋太郎の4氏。参加者には岡井隆、小池光、佐藤弓生、黒瀬珂瀾もいた。ひとしきり発表と討論が済んだ後、最後に出席者が一人ずつひと言述べることになり、私は有沢さんの短歌に見られる原罪の意識について話した。すると会が終わった後に、有沢さんは私の所にいらして「原罪に触れていただきありがとうございました」とお礼をおっしゃったのが記憶に残る。長い苦しみから解放された有沢さんの眠りの安からんことを祈るばかりである。
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この短歌ブログではなるべく初めての歌集を出したばかりの若い歌人を取り上げることにしている。短歌や俳句などの短詩型文学は、「読み」の積み重ねによってその真価を発揮するという特性がある。原石を磨いて輝くダイヤモンドにするには「読み」の積み重ねが必要なのである。若い歌人にはまだ歌を押し上げる「読み」が不足している。若い歌人を取り上げるのは、その不足を少しでも補おうとの気持ちからである。
しかし今回その方針から外れて超ベテラン小池光の『サーベルと燕』を俎上に乗せることにしたのは、本歌集が現代短歌大賞と詩歌文学館賞をダブル受賞したことに加えて、角川短歌年鑑令和5年版のアンケート特集「今年の秀歌集」で最も多く名前が挙がったのがこの歌集だったからである。大勢の歌人が昨年を代表する優れた歌集だとみなしたことになる。
短歌を読み始めた頃から小池光の著書は歌集だけでなく、『街角の事物たち』、『現代歌まくら』。『うたの動物記』、『うたの人物記』なども愛読している。機知と諧謔に溢れる短歌や、ユニークな視点が光る散文には学ぶ所が多い。
小池が作風を変えたのは第三歌集『日々の思い出』あたりからだろうか。それまでのトーンの高い抒情は影を潜め、日常の何気ないことを詠むようになったのは、これがもともと日付を添えて一日一首歌を作るという『現代短歌雁』の企画によるものだったせいかもしれない。
ゆふぐれの巷を来れば帽子屋に帽子をかむる人入りてゆく
蜂蜜の壺に立てたるスプーンの 次に見てなきは蜜に沈みけむ
何気ないことを詠みながら面白みがあるというのはそうかんたんなことではない。一首目には、帽子屋に来る人は帽子を買い求めに来るはずなのに、すでに帽子を被っているとはいかなる仕儀かという軽い疑問があり、二首目には蜂蜜の壺にスプーンを立てておいたはずなのに、ちょっと目を離しているうちにスプーンの姿が消えているというささやかな発見がある。このような作風の変化を目にして、「小池光には翼があるのになぜ飛ばないのか」といぶかしんだのは穂村弘である。『日々の思い出』のあとがきには、「思い出に値するようなことは、なにもおこらなかった。なんの事件もなかった。というより、なにもおこらない、おこさないというところから作歌したともいえる」と書かれている。この言葉に小池の短歌に対する姿勢がよく現れている。
さて第11歌集となる『サーベルと燕』はというと、短歌定型に対する自由度が一段と増しているという印象を受ける。角川短歌年鑑の「今年の秀歌集」の三行評には、「心を過ぎるあまたの感傷を、平明な用語によって表白している」(伊勢方信)とか、「機知に富んだウィットは影をひそめ、しみじみと詠んだものが多く心を打たれる」(嵯峨直樹)などというものがあり、「平明な表現」「深さ」を語った人が多い。
うつしみの手首にのこる春昼の輪ゴムのあとをふといとほしむ
亡き妻の老眼鏡を手にとればレンズはふかく曇りてゐたり
四個の団子つらぬく竹の串さえざえとありいざ食はむとす
観客のゐない相撲であるときも塩は撒くなりましろき塩を
その足は傷めるものかぽつりぽつりとホームのうへを鳩のあゆめば
肩の力の抜け具合は相当なものだが、そこは短歌巧者の小池のこと、どんな素材でも短歌に収めてしまう。特に感心するのは語順である。一首目の手首にはめる輪ゴムは何かを忘れないための印だろう。「手首にのこる輪ゴムのあと」が順当な連接だが、「春昼の」が間に割って入っているのは音数調節のためだけではあるまい。この歌のポイントは結句の「ふといとほしむ」だ。二首目は「とれば〜ゐたり」という順接ながら、「ふかく」の語が一首の翳りを深めている。三首目の初句「四個の」は「四個ある」とすれば破調にならないのだが、なぜかわざと破調にしている。団子の竹串に「そえざえと」という大げさな修飾を用いているのが愉快だ。四首目はコロナ禍で無観客相撲となった様を詠んだ歌。五首目も語順が効いている。初句二句と読むと誰か知人のことを詠んでいるのかと思うが、結句まで読んで実は鳩のことだったと知れる。この頃小池は足の指を痛めて歩行に不自由していたようで、自身の不具合を鳩に投影したものと思われる。
本歌集を通読すると、肉親や知己知人が詠まれているのは近景を詠むのが近代短歌の常なので当然として、過去の体験や読書の記憶に結びつくおびただしい人名や地名が登場することに驚く。そしてようよう次のことに思い到るのである。小池光という人間は「小池光」という名の生身の肉体に留まるものではない。その記憶の中に保存蓄積され体験の中に刻まれている無数の事物や人物との関係の総体を指すということに。
芥川龍之介生誕の地を過ぎて隅田川ちかし水の香にほふ
昭和史のくらやみに咲く断腸花永田鉄山伝を読みつぐ
日露の役たたかひたりし祖父が大正三年に死んでその墓
西城秀樹六十三歳の死をおもふ野口五郎はゆふべ聞きしに
谷川雁「毛沢東」の一行がおもひだされて冬の蜂あるく
「雨の降る品川駅」をそらんじて十九はたちのわれはありたり
四百日ぶりにプールに入りたる池江璃花子にこみあぐるもの
「山科は過ぎずや」ふともよみがへり口に出でたり夜汽車の旅の
二首目の永田鉄山は1934年に斬殺された陸軍中将。六首目の「雨の降る品川駅」は「辛よ さようなら」で始まる中野重治の詩。八首目の「山科は過ぎずや」は萩原朔太郎の詩「夜汽車」の一節である。そういえば北村薫の『うた合わせ 北村薫の百人一首』(新潮社)にこの詩に触れた文章があったなあなどと思い出すと、人名から本へ、また本から人名へと連想は跳び、文学の森の深くに入ってゆく。そのようにして本歌集を繙くのもまた一興だろう。四首目の西城秀樹や野口五郎のように、本来は雅の世界のはずの短歌の中に俗の要素を平気で詠み込むのもまた小池の自在さである。七首目の「池江璃花子」を詠んだ歌を見て、確か小池に「シャラポワに跪拝す」という歌があったなと思い出す。
「昭和十四年直木賞」の懐中時計が仏壇のひきだしの奥にありたる
父の死後五十年となり小雨の日ふるさとの墓の墓じまひせり
父恋をすることありて下駄の鼻緒切れたるたびに直しくれにき
小池の父親は直木賞作家であった。小池の初期歌編の中で父は大きな存在である。第一歌集『バルサの翼』には次のような歌がある。
父の死後十年 夜のわが卓を歩みてよぎる黄金蟲あり
亡父の首此処に立つべしまさかりの鉄のそこひにひかり在りたり
倒れ咲く向日葵をわれは跨ぎ越ゆとことはに父、敗れゐたれ
北村薫は『うた合わせ 北村薫の百人一首』の中の「父」をテーマとする章で、小池には父を詠んだ歌が多いと書いている。そして小池が『歌の動物記』の中で内田百閒の『冥土』という短編の一節を引き、あえて引用しなかった一行から物語を紡いでいる。しかしながら本歌集を読むと、父親の死から五十年を経てその物語は終焉したようにも見える。
集中から愉快な歌を引いてみよう。小池にとってユーモアは短歌の重要な要素である。
鼻毛出てる鼻毛を切れとむすめ言ふ会ふたびごとにつよく言ふなり
泥棒に入られたることいちどもなく七十年過ぐ 泥棒よ来よ
まな板はかならず洗つておけと説教するわが子をにくむことあり
賞味期限きれて五年のつはものが冷蔵庫の奥の奥に潜める
十二時間飛行機に乗つてフィレンツェへ行つたところでなにがどうなる
二首目は「われの一生に殺なく盗なくありしこと憤怒のごとしこの悔恨は」という坪野哲久の歌を思わせる。もちろん小池もこの歌を意識しているだろう。年齢を重ねてますます自在になるということがあると知る一巻である。