035:2004年1月 第3週 小池 光
または、ほの暗い人の世を照らす白桃の灯り

サフランのむらさきちかく蜜蜂の
   典雅なる死ありき朝のひかりに

            小池光『廃駅』
 気に入って愛唱する短歌はいろいろあり、好きな歌人もたくさんいるのだが、なかでもいちばん好きな歌人は誰かと問われたら、たぶん小池光だと答えるかもしれない。というわけで、いよいよ真打ち登場である。

 小池は昭和22年(1947年)生まれだから、私の兄や姉の世代に当たる。いわゆる団塊の世代である。この世代に属する多くの人と同じように、小池もまた東北大学理学部在学中に全共闘による学生運動を経験している。処女歌集『バルサの翼』で現代歌人協会賞を受賞したのが昭和54年(1979年)、小池が34歳のときだから、歌人としての出発は比較的遅いほうだろう。私はごく最近短歌を読み始めたので、私が出会った小池はすでに50歳を越えた現代短歌界を代表する論客だった。あとになって処女歌集『バルサの翼』を読んで驚いた。次のような歌が並んでいるのである。

 あかつきの罌粟ふるはせて地震(なゐ)行けりわれにはげしき夏到るべし

 青春のをはりを告ぐる鳥の屍の掌にかくばかり鮮しきかな

 ああ雪呼びて鳴る電線の空の下われに優しきたたかひあらず

 鳥よ ひとみをあけて死ぬるものよわれ一息におまへを裂きぬ

 いちまいのガーゼのごとき風たちてつつまれやすし傷待つ胸は

 ここに並んでいるのは傷つきやすい心を持つ青年の鮮やかな抒情である。昭和40年代後半に登場した歌人たちの内向的傾向を、篠弘は「微視的観念の小世界」と呼び批判した。1941年生まれの高野公彦、42年生まれの成瀬有、40年生まれの玉井清弘たちのことをさすとされている。この世代の人たちが短歌を作るとき、外的な社会状況に向かう視線よりも、個人の内面へと沈潜する眼差しが色濃く反映される。小池は世代的にはこの歌人たちより少し年下なのだが、『バルサの翼』はまぎれもなくこの時代的な刻印を受けた歌集なのである。

 歌集を貫く基調となる旋律は、〈生の偶有性にたいする畏れ〉である。私たちは故なくこの生に投げ出されているという実存的不条理の感覚は、代表歌とされる次の歌によく現われている。

 バルサの木ゆふべに抱きて帰らむに見知らぬ色の空におびゆる

 バルサは模型飛行機の材料として使われる軽い木材である。少年は模型飛行機を作ろうとして、バルサ材を買って家に帰るところなのだ。出来上がった飛行機は、青空高く飛ぶはずで、このとき飛行機は少年の夢と未来への希望の象徴である。ところが少年の上に拡がる空は、不安な見知らぬ色に染められている。少年の作る飛行機は、きっと空高く飛ぶことはないことを予感させる。

 小池は喜ばしいはずの子供の誕生も次のように詠っている。

 さくらばな空に極まる一瞬を児に羊水の海くらかりき

 溶血の空隈なくてさくら降る日やむざむざと子は生まれむとす

 子供はきっと四月に生まれたのだろう。桜の季節である。しかし、子供が浮かんでいた母親の胎内の羊水は暗く、桜を映す空も血が滲んだような不吉な色に染まり、子供は「むざむざと」この世に生まれて来るのである。「私はなぜこの世に生まれて来たのか」という疑問は、多感な青春に特有のものである。

 だからといって小池のまなざしが生の暗い側面だけに向けられているというわけではない。小池の短歌では桃に特別の記号的役割が割り振られているようで、次のような歌では生を肯定する姿勢が感じられる。

 稚(わか)き桃ほのかに揺れゐる瞑れば時のはざまに泉のごとしも 『バルサの翼』

 暑のひきしあかつき闇に浮かびつつ白桃ひとつ脈打つらしき

 したたれる桃のおもみを掌に継げり空翔ぶこゑはいましがた消ゆ

 宙に置く桃ひとつ夜をささふべし帰るべしわが微熱のあはひ

 灯の下に真泉となる白き桃うつしよに在る悲哀をこめて  『廃駅』

 白桃は時間のはざまに泉のように清新なものをわき出させる何物かである。また中空に置かれた白桃は、それだけで夜の圧倒的な重みを支える力のある何かである。夜の底の食卓にひっそりと置かれた桃は、自らの力で発光するかのごとくであり、小池が短歌に込めた抒情を汲み上げる生の根源である。

 思うに小池における桃は、不遇の詩人・大木惇夫における朱欒(ざぼん)に相当するのだろう。大木にとって朱欒は、ついに到達することのない憧れの象徴であり、自らの薄明の生を照らす洋燈である。

 冬、ほのぐらい雨の日は
 朱欒が輝く、
 朱欒が
 これは、眼をひらいて見る夢なのか。
  (中略)
 わたしの身体は凍えている
 わたしは祈りをわすれている、
 そうして、わたしはただ見る、
 ほのぐらい雨の影のなかに
 ぽっかり朱欒の浮かぶのを 輝くのを。
          大木惇夫「雨の日に見る」 

 小池の処女歌集『バルサの翼』は、このように生の不条理に対する実存的不安と若々しい抒情を湛えたみずみずしい歌集なのである。

 小池のもうひとつの顔は、『街角の事物たち』(五柳書院)、『短歌 物体のある風景』(本阿弥書店)、『現代歌まくら』(五柳書院)などで、歌論やエッセーに健筆を揮う文章家としての顔である。山田富士郎は小池の散文を評して、「思い屈した時に読むと大変よろしい、というか、よく効く」とし、これを「メランコリーの妙薬」と呼んだ(『短歌と自由』邑書林)。まさに同感である。私は小池の散文が怜悧なのは、小池が理学部を出て高校で理数系の教員をしているということと関係があるのではないかと思っている。私も核物理学を志望して大学に入り、その後仏文科に転じた経歴があるのだが、小池の散文には短歌を論じていても、どこか理科系的な分析的思考が行き届いていて、心情に流れるということがない。これが心地よく感じられるのである。余談だが、私にとって最近の「メランコリーの妙薬」は、小池の散文以外では、佐藤雅彦『毎月新聞』(毎日新聞社)と、内田樹『「おじさん」的思考』『期間限定の思想』(晶文社)である。いずれも「思い屈した」時に読むとたいへんよく効く。

 小池は第二歌集『廃駅』を経て、第三歌集『日々の思い出』で一転してそれまでの抒情を捨てて、作歌態度を変えた。そこに並んでいるのは、どうでもよいような日常の些事を取り上げた歌である。

 遮断機のあがりて犬も歩きだすなにごともなし春のゆふぐれ

 アパートの隣は越して漬物石ひとつ残しぬたたみの上に

 家ひとつ取り毀された夕べにはちひさき土地に春雨くだる

 しまったと思ひし時に扉閉まりわが忘れたる傘、網棚に見ゆ

 このような作歌態度を、「ただごと」歌に堕したと批判する意見と、小池の方法論的深化として評価する意見と、相半ばするようだ。

 ここからは私のまったくの私見なのだが、『バルサの翼』のようなハイトーンの青春の抒情は、長く続けられるものではない。人は歳を取り、日々の塵埃にまみれる。そのとき取りうる態度としては、20歳で詩を捨ててアフリカで武器商人になったランボーのように「歌のわかれ」をするという道がある。村木道彦、(かつての)春日井建、平井弘、寺山修司、中山明らがこの道をたどった。小池はどうやらこれとは違う道を選択したようだ。それは団地に住む小市民としての日常のなかに、歌を詠む根拠を見いだすという道である。これはなかなかに困難な道だと思われる。しかし、第四歌集『草の庭』に次のような歌を見つけるとき、小池は今までとはちがう抒情の根拠を見いだしつつあるのかとも思えるのである。

 みみかきの端なるしろき毛のたまよ触るるせつなにさいはひのあれ