086:2005年1月 第2週 成瀬 有
または、岬の思想

サンチョ・パンサ思ひつつ来て何かかなし
        サンチョ・パンサは降る花見上ぐ

           成瀬有『遊べ、櫻の園へ』

 成瀬有の代表歌となると、どうしてもこの一首を挙げることになる。『短歌WAVE』2003年夏号の特集でも、成瀬はこの歌を代表歌三首のひとつに選んでいる。自分でも気に入っているものと思われる。成瀬が選んだ残りは次の二首である。

 水界の峠は越えよ舞ふ白きひとひらの身のかなしくば、鳥

 思ひみる人のはるけさおもかげはしづけき秋のひかりをまとふ

 上の歌には成瀬の短歌世界を構成するキーワードのひとつ「峠」が含まれており、掲出歌のどこか物憂げな調子から一転して、強い呼びかけを含むトーンの高い歌である。

 さて掲出歌だが、初句六音で三句も六音の増音なのに破調感は余りない。この歌についてよく指摘されるのは、上三句と下二句の切れにおける視点の入れ替わりだろう。上三句ではサンチョ・パンサは思う対象であり、主体はあくまで表現されていない〈私〉である。ところが下二句の主体はいつのまにかサンチョ・パンサにスイッチされている。上三句では〈私〉が「何かかなし」と感じているが、下三句ではあたかも〈私〉がサンチョ・パンサに成り代ったかのように、漠然とした悲しみを抱きながら櫻の花を見ているのである。

 成瀬は1942年(昭和17年)生まれ。國學院大學で岡野弘彦の知遇を得て作歌を初めている。第一歌集『遊べ、櫻の園へ』は 1976年に、角川書店の「新鋭歌人叢書」のうちの一巻として上梓された。ちなみにこの「新鋭歌人叢書」の残りの巻は、小野興二郎『てのひらの闇』、杜沢光一郎『黙唱』、小中英之『わがからんどりえ』、玉井清弘『久露』、辺見じゅん『雪の座』、高野公彦『汽水の光』、下村光男『少年伝』である。篠弘がこの叢書で世に出た歌人たちを、「微視的観念の小世界」と評したことはよく知られている。この表現は、現実や時代と格闘し対峙することなく、自己の内面に沈潜する内向的傾向をさしたものであり、篠は当時30代の若手男性歌人たちの現実への関わりの淡さ、社会性・歴史性の後退、孤独感の深まりに対して警鐘を鳴らしたのである。これに替わって篠が称揚したのは、72年に『森のやうに獣のやうに』でデビューした河野裕子に見られた「体性感覚」である。この「体性感覚」はやがて、80年代に活躍する女性歌人によって歌のなかに肉化されることになる。このあたりから短歌シーンは大きく舵を切り、女性歌人の活躍が目立つようになるのである。

 『遊べ、櫻の園へ』から何首か引用してみよう。

 夜(よ)の雨の気配なぎ来つ樹々ふかくひそみて鳥も息づくらむか

 日の夕べ珈琲の香のたちくるをかみしみにつつ街に入り来(く)も

 このたゆき心は遺(や)らむ歩道橋に眼つぶりて聞く衢(ちまた)のとよみを

 つぶやくは夜(よ)の鳥かわれか生くるなればこの遺(や)りがたきむなしさは来つ

 玻璃窓に雨滴いくすぢもかがよひて鋭(と)く垂るる夜(よ)をひとりわが醒む

 やりどなき心にとほく街の空かがやく塔を残し昏れたり

 集中には「夜」「雨」「窓」「靄」「懈(たゆ)し」「佇む」「見てゐる」といった単語が頻出する。使用された単語の偏りはそのまま、作者成瀬の心の傾きである。これを繋げると〈私〉は、「雨の夜に言いようのない倦怠感を心に抱いて佇み、暗い窓の外に流れる靄を見ている」となるが、これはそのまま成瀬の作品世界の正確な描写になっている。何ゆえのここまで深い倦怠感なのだろうか。もちろん作者の持って生まれた性向もあるだろうが、作品が作られた時代の空気もまたそこに反映しているにちがいない。『遊べ、櫻の園へ』の後記には、「ここ二年間ほどの作品を中心にして、制作時に関係なく新たに構成した」とあるから、1973年頃から二年間の歌作ということになる。この時期、60年代後半に昂揚した学生運動はすでに終息し、72年には連合赤軍浅間山荘事件が起こり世間を震撼させる。73年に第一次石油ショックが起こり、74年には戦後初めて経済成長がマイナスになる。つまり社会主義革命の理想は同志リンチ事件という結末を迎え、信じられる大きな物語は終焉する。それと同時に日本経済が高度成長から不況に転じた時期に当たる。成瀬の歌に漂う深い倦怠感と無力感は、このような時代の空気を背景としていると考えられる。

 『遊べ、櫻の園へ』には、詩人の吉増剛造が解説を寄せている。吉増は成瀬の短歌世界を、「ほとんど地上すれすれのところを飛ぶつばめ」のようであり、葛原妙子や宮柊二のような魔力を発する凸型ではなく、「ゆるやかな凹型の地形を見せている」と評している。詩人の感受性は的確であり、「身を沈める姿にさらに想像的な凹みをもたらす言葉」という評言もまた、成瀬の短歌の傾向をよく言い当てていると言える。

 作歌上の特徴としては、「歌が歌でありうるのは結局その持つ音楽性をおいて他にはない」と後記にあるように、文語定型の韻律を重んじた作歌になっている。前衛短歌は「奴隷の韻律」から逃れるために、句割れ・句跨りによる短歌的韻律の解体を志向したが、成瀬は釈迢空 (折口信夫) から岡野弘彦へと続く系譜につならる歌人なので、前衛短歌の方向性とは逆に、万葉集から綿々と続く短歌的韻律を信じ、それに賭けているのである。現代歌人は多かれ少なかれ前衛短歌の影響を受けているものだが、成瀬はその中にあって数少ない例外と言えるかもしれない。そのためもあって、やや古風な歌という印象を受けるのもまた事実なのである。『遊べ、櫻の園へ』の二年前の1974年には、村木道彦の『天唇』が刊行されており、同じく青年の漠然とした憂愁を詠っても、村木の歌は明確に口語ライトヴァースの方向を向いている。両者を並べて見れば、その歌ことばの質感の違いは歴然とする。

 疲れたるまなこもてみよガラス戸の水一滴のなかのゆうぐれ  村木道彦

 歩めるはこの憂さを遣らはむのみなるか花すさぶ風に吹かれまぎるる  成瀬有

 村木の歌をあらためて読むと、同じ青春の倦怠でも豊かな時代に生きる青年の憂愁を先取りしているようで、80年代になって盛んになるどこか底抜けに明るい口語短歌の出現を予言しているようですらある。これに対して成瀬の倦怠感はもっと内向が深く、臓腑に沈むものがある。

 成瀬の反前衛・反近代の傾向は、第二歌集『流されスワン』(1982年)ではさらに自覚的な形を取る。たとえばこんな風である。

 哭(ね)に泣けるけものながらにわが在(あ)らむきよき初源(はじめ)を常見むがため

 など裂ける目と問ふをとめにたはれしがほとりと朽ちるごと老いし身や

 夜の山のとよみ切れぎれの夢に聞こゆ悲にかなしめるをぐなのこゑか

 『流されスワン』の冒頭は、ヤマトタケルと「ひめ」との対話による歌劇の形を採っており、このような構成においても特異な歌集と言える。題名の「スワン」とは、白鳥に姿を変えたヤマトタケルのことだと知れる。『遊べ、櫻の園へ』では青年の捉えようのない倦怠感を低い韻律で詠った成瀬は、『流されスワン』に至って心を古代に飛ばしてより強靱な韻律を求めようとしたと考えられる。実際、『遊べ、櫻の園へ』の流れるようなつぶやくような韻律は、『流されスワン』ではずっとハイトーンの韻律へと変化している。

 ふかぶかと闇し垂るれば焚く火すらこゑに荒(すさ)びを放たむものを

 吹く雪のくらき明りにそそりたちしづみゆきつついま都市は荒野(あらの)

 時代意志といへるはげしきに会はむと行く夢ぬちの男 怒号(おらび)つつ―嗚呼 

 そして今まではなかった次のような時代や政治を詠った歌も、歌集の終りに配置されている。

 すべもなくもの懈き身を歩まする昭和末期のキホーテひとり

 かの夏の空の青きを言ひ継ぎしのみに果てたるらしも「戦後」は

 かの夏に失ひしものはた得しものを統(す)べ得ずてまつりはてたるはいつ

 残照にほのか明るむ道を来て分たず わが経(ふ)る時代(とき)、戦後以後

 「かの夏」とはもちろん先の大戦が終った夏である。これらの歌を収録した章の始めには、戦後の社会事件が詞書のように列挙されている。成瀬が短歌を時代をで向き合わせようとしたことは明らかだ。篠に「微視的観念の小世界」と評され、時代や現実との関わりの希薄さを批判された内向の世代のひとりである成瀬は、『流されスワン』で遙か古代へと心を通わせると同時に、これらの歌ではっきりと戦後の時代批判を展開している。それは『遊べ、櫻の園へ』では従者としての傍観者サンチョ・パンサの立場にあった自分が、主人公のドン・キホーテへと変化していることからもわかる。

 記紀古代へと心を飛翔させ時代を遡行する精神と、戦後日本の社会と人心の荒廃を批判する精神とは、実はひとつにして不可分であることに注意しよう。成瀬は古代への遡行と呪術的韻律の獲得をめざしたとき、はっきりと反近代の精神として自己を規定した。そして古代の人々の精神のあり様に身を沿わせたとき、戦後日本を逆光のように照射する視座を獲得したのである。

 『遊べ、櫻の園へ』に「岬にて」と題された章がある。そこには次のような歌がすでに見られる。

 みんなみの洋(わた)の青澄む想ひ持ちて醒めをり今宵鳥啼き渡る

 浜木綿の葉むらの蒼く漂へる死にたるもののひくく哭くこゑ

 南洋の海の青さは古代への憧憬であり、海から聞こえて来る死者の声は過去の呼び声である。成瀬が獲得したのは「岬の思想」なのだ。岬は陸の突端にあり海を望む位置にある。岬から振り返れば、海の視点で陸が見える。岬は反近代の拠点として低く屹立するのである。

 最後に成瀬の近作をいくつかあげておこう。角川『短歌』2004年6月号所収の「鎮花祭」と題された連作である。

 咲きそむる並木の桜ほのぼのとかかる世をすら花明かり美(は)し

 あれは確か幼くて聞くあるはずのなき出で立ちを送る声、声

 かの神もこの神も千年を飽くなくてかかる殺戮を許す不思議

 散りいそぐ花ほうほうと人の世は夕べ中空(なかぞら)とろりと澱む

 「出で立ちを送る声」は出征兵士を見送る声、「かかる殺戮」はイラク戦争を踏まえての歌である。ここにはもう『遊べ、櫻の園へ』のやり場のない倦怠感は影も形もない。人の世を見つめる覚めた眼差しがあるだけだ。