028:2003年12月 第1週 葛原妙子
または、幻視と抽象の女王にひとたびは紫陽花の冠を

晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の瓶の中にて

              葛原妙子『葡萄木立』
 夏の終わりの薄暗くはなったが、まだ空には夏の光の名残が残る台所で、酢の瓶がまるで消えゆく光を集めるかのように立っている。ただそれだけの情景を詠んだ歌なのだが、その空気感と存在感が忘れがたい印象を残す。夏の光の透明感に、これも透明な酢の瓶の存在がふと際立ち、まるでふだんは見えないものが突然網膜に映ったかのようである。私はこの歌を読むたびに、モランディの静謐感溢れる絵を思い浮かべる。モランディもまた、「事物の存在」を執拗に描いた画家であった。ところがこの歌をもっとよく見ると、「酢の瓶が立っていた」のではない。「瓶の中に酢が立っていた」のであり、これは現実にはありえないことである。ここに葛原が「幻視の女王」(塚本邦雄)と呼ばれる理由がある。また初句の6・8音の破調に続き、一字空けて「酢は立てり」の5音で句切れがあり、5・7と続く韻律も印象的である。

 葛原は1907年(明治40年)生まれで、歌壇で注目されたのは処女歌集『橙黄』が刊行された1950年(昭和25年)頃だから、ずいぶん遅い出発というべきだろう。年代的には数年前亡くなった斎藤史が1909年生まれなので、ほぼ同世代なのである。葛原が1950年の『日本短歌』に寄せた歌は、もうまぎれもなく葛原の歌になっている。

 奔馬ひとつ冬のかすみの奥に消ゆわれのみが累々と子をもてりけり

 わがうたにわれの紋章いまだあらずたそがれのごとくかなしみきたる

 中井英夫は「『わが歌にわれの紋章いまだあらず』と歌い据えたとき、その紋章すなわち文体は額の上に輝いたのである」と評した(『黒衣の短歌史』)。塚本は葛原の短歌の評釈に『百珠百華』(砂子屋書房)一巻を捧げ、「奔馬」の歌については、「まさに女王然として、ここに光を聚め、響きを吸い寄せた感のある一首」と、「わがうた」については、「今から思へば、この『あらず』を含む『紋章』一聨に、この歌集の『霧の花』でやうやく形をなしつつあつた紋章の原形が、ゆるゆると現われ」たとした。

 葛原の歌を特徴づけるのは、多くの評者の言うように、そのモダニスムと抽象への志向であろう。歌人自身が、「花ひらくこともなかりき抽象の世界に入らむかすかなるおもひよ」と、自らの姿勢を高らかに宣言している。身の回りのなにげない情景を詠んでも、単なる日常的詠嘆に終わることなく、現実を越えた眼に見えない世界を凝視しようとする視線が常にある。その視線の源は、たとえば次の歌に見られるルーペで現実を拡大するような微視的視線ではないだろうか。「現実を微分する視線」と言ってもいい。

 昼しづかケーキの上の粉ざたう見えざるほどに吹かれつつおり

 乱立の針の燦(きらめき) 一本の目處より赤き絲垂れており

 一首目では卓上のケーキの粉砂糖が風に吹かれている情景を歌っていて、何ということのない情景かとも思えるが、よく見てみるとこれは異常な感覚である。細かい粉末である粉砂糖が風に吹かれて散る有様は、ふつう私たちが肉眼で目にできるものではない。空間だけでなく時間の流れもまた異常で、まるで微速度撮影を早回しして見ているような気がする。ここには現実への尋常でないズームインが行なわれている。二首目は針が無数に突き刺されていて、そのうち一本だけから赤い糸が垂れているという情景なのだが、その場の状況がわからないだけに一層不気味である。ふつう無数の針が突き刺されているというのは、裁縫箱の針山か寺院の針供養くらいだろう。しかしここでも垂れた一本の糸という微少な細部が異常にクローズアップされているところに、単なる叙景歌に終わらない特異性がある。ちなみに、次の柘榴や死神の歌にもあるように、赤色は葛原の好んで詠んだ色である。

 この微視的現実へのズームインは、さらに現実の風物のなかに別のものを幻視するという方向へ進む。

 止血鉗子光れる棚の硝子戸にあぢさゐの花の薄き輪郭

 夕雲に燃え移りたるわがマッチすなはち遠き街炎上す

 とり落とさば火焔とならむてのひらのひとつ柘榴の重みにし耐ふ

 医師の妻であった葛原にとって、止血鉗子は珍しい物ではない。ここでは止血鉗子がしまってある戸棚のガラス戸にアジサイの花が映っている。ごくふつうに捉えれば、庭に咲いているアジサイの色が室内のガラス戸に反映した情景ということになる。だがここには意図的なふたつの世界の重ね合せがあることは注意してよい。二首目では自分がすったマッチが夕雲に燃え映ったかのような夕焼けなのだが、そこから遠くの街の炎上を幻視している。三首目では柘榴が爆弾となって破裂するという見立てだが、柘榴のばっくりと口を開いた形状と、なかから覗く赤い実の密集がこの幻視を誘っていることはいうまでもない。

 葛原がもうひとつこだわるのは「球体」が誘う幻視である。

 死神はてのひらに赤き球置きて人間と人間のあひを走れり

 美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり

 あやまちて切りしロザリオ転がりし玉のひとつひとつ皆薔薇

 なぜ死神が赤い球を持っているのかわからないが、エドガー・アラン・ポーの名作『赤死病の仮面』を彷彿とさせる死と赤の組み合わせが鮮烈な印象を残す。二首目ではアジサイの花が球形をしているところに眼目がある。その花が透視を誘っているのである。三首目では糸が切れて床にころがったロザリオの玉のひとつひとつが薔薇になるという美しい幻想である。

 このように葛原は、叙景を通して抒情にいたるという古典的短歌の方法論に満足せず、「現実世界の抽象化と微分化」により、さらに理知的に世界という謎に迫る方略を編み出した。この方法論が戦後の前衛短歌に大きな影響を与えたことは言うまでもない。

 最後に私が葛原の代表作と考える二首をあげておこう。

 水の音つねにきこゆる小卓に恍惚として乾酪黴びたり

 他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水

 二首目は多く人の引くところで、「水の歌」の項でも述べたので繰り返さない。一首目はテーブルの上でチーズが黴びている情景なのだが、もちろんここでは「恍惚として」が効いている。なぜチーズが恍惚とするのか常識では説明できないのだが、この歌によって卓上に現出した光景は、微光を放つフェルメールの絵画のように、なぜか目を離すことができないほど惹きつけられる世界なのである。