第287回 石川美南『体内飛行』

銀紙で折ればいよいよ寂しくて何犬だらう目を持たぬ犬

石川美南『体内飛行』

 本年(2020年、令和2年)3月20日、新型コロナウィルスの流行が深刻化して来た頃に出版された石川の第5歌集『体内飛行』が、短歌研究社により創設された塚本邦雄賞の第1回受賞の栄に輝いた。折しも書肆侃侃房から現代短歌クラシックスとして新装復刊された第1歌集『砂の降る教室』でその才能を注目された石川だが、今まで短歌関係の賞には縁がなく、これが初めての受賞だろう。私が実際に会って言葉を交わしたことのある数少ない歌人で、その人懐っこい人柄に魅了されたこともあり、実にめでたいことだ。

 『体内飛行』はいろいろな意味で注目に値する歌集である。1つ目はその出版までの経緯で、これは2017年1月号から『短歌研究』誌に三ヶ月ごとに連載した30首詠をまとめたものである。石川は連載依頼をもらったとき、自分にいくつかのルールを課したという。そのうち重要なのは、毎回身体の一部をテーマとするというルールと、自分の身に起きたことを時系列に盛り込むというルールである。身体の方は途中からうやむやになったようだが、2つ目のルールはますます重要性を帯びることとなった。連載中に祖母の死去、自身の結婚と出産という人生のメルクマールとなる重要な出来事が立て続けに起きたからである。作者自身あとがきで、「もし作品連載がなかったら、私の人生は、これほど大きく変化していただろうか」と述懐しているほどである。

 注目に値する2つ目の点は、今まで物語性が濃厚で現実の〈私〉をあまり作中に投影させることのなかった石川が、かなり生身の〈私〉に近い主体を歌に詠んでいることだ。これは自分に課したルールの2つ目の「自分の身に起きたことを時系列に盛り込む」の帰結の一つではあるのだが、それ以上に結婚・出産という大きな出来事が歌の質を変化させたということもある。「体内飛行」という連載のタイトルを決めたときには思いもよらなかった妊娠・出産を経験して、「タイトルに実人生が追いついて来た」という転倒した感慨を抱くのも無理からぬところである。

 収録された歌を順を追って見てみよう。第1章「メドゥーサ異聞」からして今までの歌と感触がちがう。

中学生の頃が一番きつかつただらうな伏目がちのメドゥーサ

目を覗けばたちまち石になるといふメドゥーサ、真夜中のおさげ髪

遠視性乱視かつ斜視勉強はできて球技がすこぶる苦手

朗らかに答ふ 卒業アルバムの写真撮り直しは要らないと

〈柳眼〉の項ひらかれて詩語辞典はガラスケースに鎮もりゐたり

 一連のテーマは「目」なのだが、そこへ見ると石に変えられるというギリシア神話のメドゥーサを持って来た。もともと石川は具体的な物を出発点として想像を膨らませるのが得意なのだが、この一連には目が悪く眼鏡が離せない石川自身が投影されていると思えてならない。確かに石川は勉強はできるが球技は苦手そうに見える。

 第2章「分別と多感」のテーマは「手」だが、その中に次のような相聞が混じる。今までの石川の歌集にはあまり見られなかった感触の歌である。

空き壜を名残惜しげに愛でながらあなたが終へる今日の逢ひ引き

浅い雪 あなたと食事をするたびにわたしの胸の感触が変はる

逡巡の巡の湿り、今週はあなたが風邪を引いて会へない

 第3章「胃袋姫」のテーマは胃袋と食欲だが、ここにも次のような歌が混じる。「唐辛子マークふたつ」というのは料理の辛さを表すメニューの記号。「指のサイズ」はもちろん婚約指輪か結婚指輪である。

柏餅の餅含みつつ恋人の故郷の犬に吠えられてゐる

指のサイズ確かめたのち唐辛子マークふたつの肉と野菜を

 第4章「北西とウエスト」の「ウエスト」は西の意ではなく、胴回りの方。

人生のくびり辺りの暗がりで薄明かりなす人と落ち合ふ

試着室に純白の渦作られてその中心に飛び込めと言ふ

ウエストを締め上げらるる嬉しさに口から螢何匹も吐く

勘違ひだらうか全部 判押して南東向きの部屋を借りる

 これはどう読んでもウェディングドレスの試着の光景と、結婚して住む新居の賃貸契約である。結婚への準備が着々と進んでいることが知れる。続く第5章「エイリアン、ツー」では同居生活が始まる。婚姻届を出すと花をくれる自治体もあるらしい。

思ひのほか上手に化けてゐるでせう絹ごし豆腐粗く崩して

市役所でもらつた薔薇を数日で枯らして眠たがるわたしたち

南にはネパール料理店がありあなたと掬ふ温かい豆

 第6章「飛ぶ夢」では様々な本からの引用と詞書きが多用されており、祖母の死と結婚式が描かれている。どうやら祖母のお葬式と自分の結婚式が数日違いだったらしい。さぞかし慌ただしかっただろう。四首目では自分の中のメドゥーサに優しく語りかけている。

祖母の好きな賛美歌流れ、わたしよりなぜかあなたが先に泣き出す

赤き目の伯父・父・伯母が順番に駄洒落を言つてそののち献花

をととひと同じ賛美歌、曇つては晴れてゆく視界、はい、誓ひます

親族も友人もやさしくてメドゥーサ、今日は寝てていいのよ

 何と言ってもおもしろいのは第7章「トリ」と第8章「予言」だろう。「トリ」とは胎内の我が子に石川が付けたニックネームである。子宮内の胎児はヒトの進化の過程と再現すると言われているので、胎児をヒトになる前のトリと捉えてもおかしくはない。

ごみピットの匂ひがすると振り向けば苺ひと箱提げてゐる人

淡々と人は告げたり「ピコピコしてゐる、これが心音です」と

見なくてもいいとやんはり断られひとりつくづく見る出べそかな

トリが人に育ちゆく頃新しい燕の家に燕どつと増ゆ

「西瓜さんが西瓜を切るよ」と歌ひつつ硬い丸みに刃を当ててをり

目を細め生まれておいで こちら側は汚くて眩しい世界だよ

薄明に目をひらきあふときのため枕辺に置く秋の眼鏡を

 一首目は妊娠悪阻に伴う異臭感覚で、二首目は妊娠初期のエコー検査だろう。三首目はお腹がずいぶん大きくなって出べそになった歌。最後の眼鏡の歌で連作「体内飛行」はぐるっと回って円環をなして第1章へと戻る。集中屈指の美しい歌だ。

 俗に「自然は芸術を模倣する」と言う。それをもじって言うならば、現実は想像力に追いつくことがある。連載の最初に「体内飛行」というタイトルを決めたとき、作者はまさか自分がこのようにほんとうに体内を経巡る濃密な体験をするとは夢にも思わなかったにちがいない。石川の得意とする想像力に現実の重みが加わって、これから石川の短歌がどのように変化してゆくのか楽しみでならない。

 個人的に私が楽しんだのは歌人が登場する楽屋落ち的な歌である。

『穀物』同人一人ひとつ担当の穀物ありて廣野翔一ひろのはコーン

「燕麦よ」「烏麦よ」と言ひ合つて奈実さん芽生さん小鳥めく

全開で笑ふ田口綾子たぐちよ「予言の書」と呼べば「医学書です!」と正して

「三十代で為し得たことは何ですか」光森さんに聞かれてキレる

 一首目は「京大短歌」「塔」の廣野翔一、二首目の奈実さんと芽生さんは本郷短歌会の小原奈実と川野芽生、三首目の田口綾子は「まひる野」所属、四首目は光森裕樹で、あちこちの短歌団体に出入りしている石川の交友関係の広さが窺える。