130:2005年11月 第3週 内藤 明
または、依るべきものなくして今を生きる〈私〉の歌

象さんの鼻となりたるわが弓手(ゆんで)
     背には殺意の馬(め)手遊ばする

          内藤明『壺中の空』
 おもしろい歌である。左手が象さんの鼻になっているというのだから,たぶん幼い子供と遊んでいて左手を振り上げ「ゾウさんパオーン」をしているのだろう。日曜日の家族の穏やかな風景である。ところがその反面,右手は背中に廻されて殺意を秘めている。団地暮しの平凡な勤労者としての私の中にも,内面深く仕舞われた志がある。この日常と理想という対比を弓手と馬手という古語に配分して,古格の香りの漂う一首に仕立てあげている。この歌に形象化された日常と理想との葛藤は,内藤の短歌の深層に流れる海流であり,内藤の歌はいかなる形態を取ろうともある意味で述志の歌なのである。

 内藤明は1954年 (昭和29年) 生まれで,早稲田大学文学部を卒業したのち,高校教員を経て現在母校早稲田の教員として日本文学・文化を教えている。第一歌集『壺中の空』(1991年),第二歌集『海界の雲』(1996年),第三歌集『斧の勾玉』(2003年,芸術選奨文部大臣新人賞・寺山修司短歌賞受賞)がある。今年 (2005年) になって邑書林のセレクション歌人シリーズ『内藤明集』が出版された。解説は藤原龍一郎。『内藤明集』では第一歌集『壺中の空』が完本収録されており,第二歌集『海界の雲』と第三歌集『斧の勾玉』は抜粋でわずかの歌しか載せられていない。セレクション歌人シリーズのようなアンソロジーの場合,どの歌集を重点的に採録するかが問題となるが,歌人にとって出来映えに自信のある近作に重点を置く傾向がある。『内藤明集』では第一歌集に極端な配分が見られるが,この選択にはプロデューサーである藤原の意向が強く働いたと考えるのが妥当だろう。あとがきには第一歌集は内藤本人の手許にも一冊しか残されていないとあり,入手困難になっているという事情がまずある。しかしそれよりも,歌人としての内藤の資質が第一歌集においてすでに十全に開花していることを世に示したいという選択があったと推察される。

 巻末に収録された藤原龍一郎の解説は,内藤が生きてきた「時代」に重点を置いたものである。1954年生まれだから,大学紛争に終止符を打った東大安田講堂攻防戦のあった1969年には15歳,三島由紀夫自決の年1970年に16歳,連合赤軍浅間山荘事件の1972年に18歳,ベトナム戦争終結の1975年に21歳である。60年代の終わりから70年代の初頭にかけて青春時代を過ごした世代には,積極的に参加したかは別として左翼運動や社会運動に心情的に親近感を覚えた人が少なくない。内藤もまたその一人であり,短歌的出発は1975年21歳の頃であるが,70年代という時代の刻印は痛いほど内藤の短歌に刻まれていて,同時代を生きた人間にはそれがよくわかる。

 イルカショー見つつ終はれり英雄をもたざるわれらの裏切りの夏

 青春を追ひてそのまま帰らざる君を探しにゆく地下酒場

 仁王立ちとなりて得意のポーズの子いまだ歩行を知らざり,知るな

 三人の家族が囲む卓上に切られざるまま梅雨越す檸檬

 橋越えて町に入りゆく夕まぐれわが友ユダの血は身をめぐる

 からつぽの手をぶらさげてゆふぐれを帰りてゆかむ一人の海へ

 身を賭して戦はざりし悔しみを哄笑の中に飼ひ慣らしゆく

 一首目の「英雄をもたざるわれら」は時代の旗として掲げるべき理想を喪失した状態をさしており,「裏切りの夏」はかつてあり得た理想に背を向けた罪悪感の反映である。二首目は寺山修司を思わせる青春短歌で,地下酒場ではかの国の民謡が歌われていたのかもしれない。三首目はまだ満足に歩けない我が子を詠んだものだが,結句の「知るな」という厳しい呼びかけが胸を突く。本来ならば立てば歩めの親心なのだが,逆に歩くなと願うのは,歩くようになると争いを知り挫折を知るようになるからである。四首目は梶井基次郎の檸檬の本歌取りだが,内藤の歌では檸檬は爆発する気配は一向になく,梅雨時の卓上で虚しく腐敗してゆくのである。同じ檸檬を詠っても,江畑實の「下宿までいだく袋の底にして發火點いま過ぎたり檸檬」では青春の蹉跌を詠いながらもそこには甘い感傷がある。内藤の檸檬に沈殿する自己の不全感と苦さとはかなり位相が異なるだろう。五首目では自分をキリストを裏切ったユダに比定しており,その意味するところは明らかである。六首目の「からつぽの手」が示す徒手空拳の想い,七首目の「身を賭して戦はざりし悔しみ」も,魂に染みる同じ黒点に発するものである。このように『壺中の空』全編を通じて通奏低音のように響いているのは,「拠るべきものなくて現在を生きる〈私〉」であり,「日は暮れ時は澱む」という想いである。

 このように内藤の短歌には時代が深く刻印されているのだが,同時代的体験を持たない読者が読んでも十分に共感できるだけの一般性を備えている。「拠るべきものなくて現在を生きる〈私〉」は私たちの大部分が現在置かれている情況そのものであると言えよう。しかしこのような視座に立ちながら,内藤の短歌は過度に情緒に流されたり,ことさらに偽悪的態度を取ることがなく,自己の現実の位相を誠実にまた知的に見つめようとする態度に貫かれている。

 一匹の孤狼であれば聴こえぬか風よ悲傷のマンドリンはや
                     福島泰樹『柘榴盃の歌』

 不義にして富むニッポンの俺である阿阿志夜胡志夜(ああしやこしや)こは嘲笑ふぞ
                     島田修三『晴朗悲歌集』

 内藤より10歳年長の福島は炸裂する抒情と酒のなかに自己を溶かし込むことで,この世の流れに拮抗しようとしている。内藤と1歳ちがいの島田は偽悪的態度の醸す毒を辺り構わず撒き散らすという戦略で,時代の毒に毒をもって対抗している。内藤の短歌はこういった戦略とは異なる視座から生み出されているため,おとなしく地味だという印象を与えることがあるかもしれない。第一歌集『壺中の空』は確かにその印象は拭えない。

 内藤の歌は〈私〉と時代とがこすれ合うところに生まれるものであるから,おのずから文明批評的性格を帯びることになる。

 ダーウィンの呪文のままに過ぎゆきし近代と呼ぶ鉄器の時代

 「滅びるね」― 軽々言ひし先生と会ふこともなく世紀は昏るる

 白き傘を親子がかざすバルコニー放射能入りのチョコは溶けゐむ

 「ダーウィンの呪文」とは適者生存であり,鉄器とはもちろん武器をさす。近代は発達した武器による大量殺戮の時代である。二首目は夏目漱石への言及で,明治時代に漱石が登場人物に語らせた文明批評は今でも有効なのだという認識がここにある。三首目は核時代を生きる我らの上に吊されたダモクレスの剣を詠っている。 

 森深くきらめくものに歩みより欠けし鏡にわが影を見る

 骨二本折れたる傘を差してゆく春の長雨(ながめ)の止むところまで

 「欠けし鏡」とは失墜した理想であり,自分の姿は欠けた鏡にしか映らない。このように内藤の歌のほとんどは自画像であり,ネガティヴな形を取りながらもまぎれもない述志の歌なのである。

 ところが内藤の歌は第二歌集・第三歌集と進むにつれて,性格が微妙に変化している。今回はセレクション歌人シリーズ『内藤明集』のみを読んだため,第二歌集以降の歌数が少なく物的証拠にいささか乏しいのだが,解説を担当した藤原も,第二歌集では発想の自在さが現われており,第三歌集では「存在の不全感」が昇華されて自然体とでも呼ぶべき新たな認識に至っていると論じているので,私の受けた印象もあながち間違っているとも言えまい。

 獅子の肝(かん) 山羊の胆(たん)などもちたらば楽しかるらむ心(しん)はいかにせむ 『海界の雲』

 白黒(シロクロ)の路地より出でて神田川越えむかきのふの恋にあふべく

 世紀二つ跨ぎて帰るゆふまぐれ鉄路のわきに揺るるコスモス

 みづがみづをうつおと聞こゆひむがしの青かぎりなき空の奥より    『斧の勾玉』

 一人(いちにん)が目を遣り二人が見下ろしてわが覗き込むホームの側溝

 水辺に棲みゐし遠き朝のごと空のどこかが開かれてゆく

 二度三度帽子の位置を正したりその中心に死を迎ふべく

 確かにやや発想にワンパターンの感のあった第一歌集と比較すると,歌を汲み上げる発想の源に多様性が見られるようになっている。また自己不全感を基調とする自画像の歌も少なくなっている。例えば「一人が」の歌を見ると,側溝に何があるのか知らないが,一人が目をやれば周りで電車を待っている人もつられて見てしまうという日常の光景を詠んでいるのだが,だからといって大上段に何かを批判しているわけでもなく,どこかおかしみが漂う歌になっている。そこに大人の余裕が感じられる。内藤は〈私〉と〈時代〉のこすれ合いという身を削る現場から,一段階メタレベルへと視点を上昇させる視座を獲得したようだ。それが歌の変化となって現われているのである。

 しかしだからといって「拠るべきものなくて現在を生きる〈私〉」という情況が変化したわけではない。ポール・リクールの云う「大きな物語」が消滅した今では,私たちは手を替え品を替えて,その場その場で局地戦を戦うしかない。あるいは外部に「拠るべき体系」が不在であるとしたら,それを内部に求めるか作り上げるかしなくてはならない。内藤がこの問いにどのような答を出すのか,それを見てみたい気がするのである。