夕暮れが日暮れに変わる一瞬のあなたの薔薇色のあばら骨
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
堂園昌彦の第一歌集が出版された。堂園は1983年生まれ。「コスモス」「早稲田短歌会」を経て、「pool」同人、ガルマン歌会を主催している。まだコスモス短歌会に所属しているかどうか知らないが、伝統的な結社を経験しているので、純粋なネット系歌人とは言えないのだが、同じ早稲田短歌会の五島諭と同じくそのような文脈で語られることが多い。若手歌人には人気があり、この歌集も出版から日を置かずに重版の運びと聞く。
版元は角川短歌賞を受賞した光森裕樹の『鈴を産むひばり』と同じ「港の人」である。歌集出版に実績のある出版社ではなく、光森はネットで検索してこの版元を選んだそうだ。渋い瀟洒な装幀で、内扉が紫色なのは歌集題名の秋茄子にちなんでのことだろう。1ページに1首という贅沢なレイアウトで、なんと活版印刷である。やはり活版印刷は文字の風格がちがう。帯文なし、栞文なし、簡潔なあとがきのみという清楚な造りには、書き手の姿勢が現れている。
堂園は若手に人気がある歌人であるにもかかわらず、あまりきちんと批評されていないという印象がある。ネットで探してみても的を射た批評は見つからないし、年齢が上の世代の歌人が堂園の短歌について語ることもあまりない。どうしてだろうか。それは堂園の短歌の批評のしにくさに原因があるように思われる。
このように堂園の作る短歌は、従来の伝統的な短歌の読みのコードを拒否するのである。このことは近代短歌の文脈内で作られた歌と比較するとよくわかるだろう。
翻って堂園の歌を改めて眺めてみると、短歌の造りと言葉の質の位相が異なることに気づく。とりわけ言葉がなぜその場所にあるのかという理由がちがうように思われる。堂園の歌ではなぜ言葉がそこにあるのか。その謎を解く鍵は歌集巻末の簡潔なあとがきにある。ある日、代々木公園に行くと、五月の陽光のなかで子供達が芝生の上を駆け回ったり、じゃんけんをしたりして、楽しそうに遊んでいる。それを見た作者は次のように続けている。
別の比喩を用いると、これは望遠鏡を逆さまに覗いた時の映像に似ている。望遠鏡を逆に覗くと、風景が奇妙に遠くよそよそしく見える。望遠鏡を正しく覗くと、遠くの物が近くにはっきりと生々しく見えるのと逆である。それはどこか遠い風景であり、私とは関わりのなくなってしまった懐かしい風景のようにも見える。
堂園の短歌にくびれがなく読みのポイントを絞れないのは、そこに原因があるように思う。作り手の側から言うと、近代短歌の修辞を駆使して、「ここがポイントですよ」と提示する作り方をしていない。堂園の短歌の言葉たちは、そのような目的に奉仕するのではなく、「小さな墓」に納めておく忘れがたい記憶を定着するために使われているのである。「キャッチボール」も「飾り箱」も「鯖缶」もそのように納められたアイテムであり、何かの修辞力を発揮するようにそこに置かれた言葉ではない。だから堂園の短歌を読む人は、修辞のポイントを探すのではなく、目の前を通り過ぎて行く歌の列を、薄いパステルで描かれた淡彩画か詩画集のように味わうのが正しい読み方ということになろう。
中部短歌会の「短歌」2013年10月号で、菊池裕が『やがて秋茄子へと到る』を論評している。菊池は、「論理よりも審美を優先することに躊躇しない」「近年、稀に見る高潔な詩編である」と高く評価し、「修辞の鎧を纏わない」「ファイティングポーズはとらない」が、「表現のおだやかさに反して、洒脱な熾烈さ、よるべない狂おしさに特徴がある」と評している。堂園の短歌が修辞の鎧を纏わないのは、上に述べたように言葉が修辞に奉仕するために使われているのではないからであり、また「よるべない狂おしさ」が感じられるとすれば、それは堂園が世界を末期の眼で眺めているためだろう。
版元は角川短歌賞を受賞した光森裕樹の『鈴を産むひばり』と同じ「港の人」である。歌集出版に実績のある出版社ではなく、光森はネットで検索してこの版元を選んだそうだ。渋い瀟洒な装幀で、内扉が紫色なのは歌集題名の秋茄子にちなんでのことだろう。1ページに1首という贅沢なレイアウトで、なんと活版印刷である。やはり活版印刷は文字の風格がちがう。帯文なし、栞文なし、簡潔なあとがきのみという清楚な造りには、書き手の姿勢が現れている。
堂園は若手に人気がある歌人であるにもかかわらず、あまりきちんと批評されていないという印象がある。ネットで探してみても的を射た批評は見つからないし、年齢が上の世代の歌人が堂園の短歌について語ることもあまりない。どうしてだろうか。それは堂園の短歌の批評のしにくさに原因があるように思われる。
球速の遅さを笑い合うだけのキャッチボールが日暮れを開くこれらの歌に短歌の通常の読みを適用すると、一首目だと、友人同士で脱力のキャッチボールをしているという何気ない日常風景が詠まれているのだが、結句の「日暮れを開く」という措辞にやや詩的修辞が感じられるだけで、どこに読みのポイントがあるのかわからない。穂村弘の言う「短歌のくびれ」が感じられず、くびれのない寸胴体型の印象である。二首目では、昼寝の後か、午後遅く目覚め、やがてあたりは夕凪になるという。だから舞台は海岸だろう。夕凪の後、つまり夜になってから飾り箱を貰いに行くというのだが、それが何の飾り箱なのか、誰に貰いに行くのかさっぱりわからない。三首目の「はみだしてしまう命を持つ人」は、自殺願望があるのか、それとも死病を得た人なのか不明だが、それは置くとして、一緒に鯖缶をふたつ食べたというのが何を意味するのかこれまた要領を得ない。残りの二首についてもほぼ同じことが言える。
目覚めればやがて夕凪、夕凪の後に貰いに行く飾り箱
はみだしてしまう命を持つ人と僕も食べたよふたつ鯖缶
死ぬことを恐れて泣いた子供たちと交わした遠い春の約束
追憶の岸辺はかもめで充ち続けひかりのあぶら揺れてかなしい
このように堂園の作る短歌は、従来の伝統的な短歌の読みのコードを拒否するのである。このことは近代短歌の文脈内で作られた歌と比較するとよくわかるだろう。
樹の中を水のぼりつつ冷えてゆく泪のごとく花ひらきたる 大谷雅彦大谷の歌では「樹の中を水のぼりつつ冷えてゆく泪のごとく」までの長い助走が結句の「花ひらきたる」を導き出すために奉仕している。樹の幹の導管を伝って登る水の上昇する様が初句から四句までの流れを作り出していて、助走から開花への変化が見事である。また大野の歌は上句「学生が踏む銀杏にむせ返る」の情景描写と、下句「青春期をやや過ぎたれど」の主情とが「合わせ鏡」の構造を成していて、それぞれの句の存在理由と役割が明確である。吉川の歌では、「円形の和紙に貼りつく赤きひれ」が写実で、「掬われしのち金魚は濡れる」が発見である。ポイントは水の中では金魚は濡れているように見えず、水の外に出た時に初めて濡れるという逆説的真実の提示にある。吉川はこういう短歌のポイント作りが実にうまい。いずれの歌も近代短歌が前提とする読みのコードによって意味を受け取り、それを味わうことが可能である。これらの歌が手渡そうとしているものははっきりしている。
学生が踏む銀杏にむせ返る青春期をやや過ぎたれど
大野道夫
円形の和紙に貼りつく赤きひれ掬われしのち金魚は濡れる 吉川宏志
翻って堂園の歌を改めて眺めてみると、短歌の造りと言葉の質の位相が異なることに気づく。とりわけ言葉がなぜその場所にあるのかという理由がちがうように思われる。堂園の歌ではなぜ言葉がそこにあるのか。その謎を解く鍵は歌集巻末の簡潔なあとがきにある。ある日、代々木公園に行くと、五月の陽光のなかで子供達が芝生の上を駆け回ったり、じゃんけんをしたりして、楽しそうに遊んでいる。それを見た作者は次のように続けている。
この子たちは今日の光を覚えているだろうか。私は覚えていられないだろう。目の前の景色がどんなにうつくしくとも、いずれ日は翳り、季節は過ぎて、記憶は次第にあいまいになっていく。だから子供たちよ、どうか長生きをしておくれ。長生きをしてたくさんのことを忘れておくれ。せめて私は君たちが忘れてしまったほほえみや苦しみを拾い集めて小さな墓をつくり、その周りに賑やかな草花が咲くのを、長く、長く長く待っていようと思う。この文章を読めば、『やがて秋茄子へと到る』という歌集そのものが「小さな墓」であることが感得できるだろう。だからこそ版組や装幀をできるだけ美しくしようとしたのも理解できる。同時に上の文章からは、遠からずこの世を去ろうとしている人の息遣いが感じられる。こう言ったほうがよければ、人生は須臾の間であり、私は移ろう存在であると深く感じている人である。そのような人の目に映るすべては美しく見える。遊ぶ子供たちや咲く花だけでなく、軒先にかかる蜘蛛の巣も使い古した茶碗のひび割れでさえ美しく見えるだろう。
別の比喩を用いると、これは望遠鏡を逆さまに覗いた時の映像に似ている。望遠鏡を逆に覗くと、風景が奇妙に遠くよそよそしく見える。望遠鏡を正しく覗くと、遠くの物が近くにはっきりと生々しく見えるのと逆である。それはどこか遠い風景であり、私とは関わりのなくなってしまった懐かしい風景のようにも見える。
堂園の短歌にくびれがなく読みのポイントを絞れないのは、そこに原因があるように思う。作り手の側から言うと、近代短歌の修辞を駆使して、「ここがポイントですよ」と提示する作り方をしていない。堂園の短歌の言葉たちは、そのような目的に奉仕するのではなく、「小さな墓」に納めておく忘れがたい記憶を定着するために使われているのである。「キャッチボール」も「飾り箱」も「鯖缶」もそのように納められたアイテムであり、何かの修辞力を発揮するようにそこに置かれた言葉ではない。だから堂園の短歌を読む人は、修辞のポイントを探すのではなく、目の前を通り過ぎて行く歌の列を、薄いパステルで描かれた淡彩画か詩画集のように味わうのが正しい読み方ということになろう。
中部短歌会の「短歌」2013年10月号で、菊池裕が『やがて秋茄子へと到る』を論評している。菊池は、「論理よりも審美を優先することに躊躇しない」「近年、稀に見る高潔な詩編である」と高く評価し、「修辞の鎧を纏わない」「ファイティングポーズはとらない」が、「表現のおだやかさに反して、洒脱な熾烈さ、よるべない狂おしさに特徴がある」と評している。堂園の短歌が修辞の鎧を纏わないのは、上に述べたように言葉が修辞に奉仕するために使われているのではないからであり、また「よるべない狂おしさ」が感じられるとすれば、それは堂園が世界を末期の眼で眺めているためだろう。
秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは付箋を付けた歌のなかからランダムに選んだが、期せずして春夏秋冬の四季がすべてあり、またすべての歌に「光」がある。これは決して偶然ではなく、作者が世界の光を強く希求しているためだろう。
あなたは遠い被写体となりざわめきの王子駅へと太陽沈む
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
過ぎ去ればこの悲しみも喜びもすべては冬の光、冬蜂
春の船、それからひかり溜め込んでゆっくり出航する夏の船