夏すべて壊れものなり指先に切子の波は鋭く立ちて
宮川聖子『水のために咲く花』
上句にまずあるのは、「夏には何もかもが壊れてゆく」というシオラン張りの崩壊感覚である。歌は二句切れで三句以下は叙景に転ずる。「指先に切子の波」はややわかりにくい。切子とは江戸切子や薩摩切子などで知られる硝子の器のことだろう。すると手に硝子の器を持っていることになる。指先で切子の鋭い角に触れる。すると硝子の角は波のように鋭く立ち上がるように感じられる。最後まで読んでから上句に立ち戻ると、「壊れもの」と「切子」とが縁語関係で反照し合い、また「夏」と「切子」の涼しげな様子が結びついて、一首に統一感を与える。なぜ作中の〈私〉は切子硝子の角が波のように鋭いと感じたのかは語られていないが、切子の波は作中の〈私〉の心の波を反映していることはまちがいない。なかなか美しい歌である。
『水のために咲く花』は2019年に書肆侃侃房からユニヴェール叢書の一巻として刊行された歌集である。巻末の短いプロフィールによれば、著者の宮川は2003年に未来短歌会に入会し、加藤治郎の選を受けている。本書は著者の第一歌集である。監修と跋文は加藤治郎。歌集題名は集中の「葉に露の流るる深き朝の底水のために咲く花を見ていた」から採られている。
驚くのは本歌集が「父の声」と題された父親の死をめぐる連作から始まることである。
声のする処置室の前のカーテンの下にうごめくゴムのスリッパ
病室の天井並んで見た夜の闇を囲んだ新緑の木々
春雷の伝わる空気に揺れながら煙の父は消えてしまった
枕には郵便受けあり父からの白紙の電報届く夜毎に
フォーマットされてはいないからだにはなにも書きこめないことを知る
一首目、スリッパを履いているのは医師と看護師である。処置の間、患者の家族はカーテンの外に出されて文字通り蚊帳の外である。スリッパだけが描かれているところが悲しい。二首目は付き添いのために病室に泊まった折の歌だろう。病室からの灯りで外の庭の木々が見えるのか、それとも消灯しているので木々の新緑は昼間の記憶なのか。三首目、春雷の遠く轟く日に父親は旅立った。四首目、亡き父から夜毎の夢に届くのが手紙ではなく電報なのは、急ぎ娘に知らせたいことがあるためか。五首目は父親の死の悲しみから何も手につかない状態を、フォーマットされていないハードディスクに喩えた歌。
あとがきによれば、父親の病室で付き添いながら、闘病記録の片隅に短歌を書いたのが、短歌に手を染めたきっかけだという。短歌の永遠のテーマは生老病死である。人は誰も生きて老いて病を得て死ぬ。宮川がノートの片隅に短歌を書き始めたのは、病者に付き添う長い夜の時間潰しではあるまい。心の中に何か吐き出したいものがあったからにちがいない。
歌人に限らず芸術家の個性の二大巨頭は主題と文体である。画家ならば何をどのような筆致で描くか、歌人ならば何をどのような文体で詠むかだ。現代芸術は「何を」つまり主題より「どのように」という手法にウェイトを置く傾向をどんどん強めた。その典型は現代音楽であるが、短歌も例外ではなく、前衛短歌も口語短歌もニューウェーヴ短歌も「どのように」を主戦場とした。しかし「何を」つまり主題も短歌の重要な構成要素であることを思えば、歌人が何に着目し何を取り上げているかに個性が出るのもまた当然のことである。
そのような目で宮川の短歌を眺めてみると、次のような歌が目に着くのである。
ワンスモア同じではないワンスモア薄まるしかない二回目の茶葉
ウィンカーのカチカチという方角は行きたい場所とは限らないよね
ほんとうは吊り上げられたくないのです水風船のゆらめきの光
立つ人のいない白線続きおり無人駅にはベンチとわたし
消しゴムに聞いてはみます消しカスの行方を気にしたことはあるかと
手紙束まとめ続けてはりついた切れる間際の輪ゴムによろしく
一首目、ティーバッグの紅茶を淹れるとき、一度目は濃く二度目は薄くなる。ワンスモア「もう一度」と唱えれば同じことがくり返されるように思えても、二度目は一度目と同じではないというのが厳正な真実である。二首目、ウィンカーを出すとカチカチと音がする。しかしウィンカーの示す方角が自分行きたい方角とは限らない。三首目は夜店の風船つりの光景で、作者には吊り上げられる風船が実は吊り上げられることを望んでいないように見えている。四首目、無人駅には乗客が誰もおらず、一人でベンチに腰掛けている。五首目は消しゴムの消しカスを詠んだ歌で、六首目では劣化してプチンと切れる間際の輪ゴムが詠まれている。
短歌はもともと大きな物語を入れる器ではなく、小さなものを掬い取るのが得意なのだが、それにしても取り上げられているのが出涸らしのティーバッグや切れる間際の輪ゴムというのはあまり見られない選択である。このような主題の選択が示しているのは、作者が心の深い所に不全感を抱えているということだ。不全感のような負の感情もまた作歌の発条となるのである。
その不全感の全部ではないものの大きな原因となっているのは、作者に子供ができないということである。
待ち合いの一方を向く顔顔顔産みます産みたい産めぬが座る
産みたいと産みたくないはひとくくり少子化要因にわれも入りたり
「二人でも家族なりけり」立て札に書かれてあった不妊の頂上
生まれ来ぬわが子よあなたがいたのならわたしが何かわかったものを
いくたびも画数を尋ねどちらにも合う名をつける透明な子に
「夫婦二人でも家族ですよ」というのは、誰かから掛けられたなぐさめの言葉かも知れないが、本人たちにとっては残酷な言葉だ。「自分は何者であるか」という対他的な自己規定に子供という項目が含まれているとき、その欠落は大きな不全感の要因となるのはまちがいない。歌に詠まれた光景のどこかに寂しさがいつも漂っているように見えるのはそれゆえだろう。
落陽の部屋にこの日も箱があり開ければひとつまた箱がある
海岸の小鳥は歌うかつて見たみどりの記憶とこもれびのゆめ
手を開けば風を選んだ灰である意味などないとあとかともなく
オールのないボートと気づくこの画面あなたが鳥と思えた朝に
何回もダイヤルしてはやり直す夢の歩道に無数の電話
いずれも実景ではなく心象風景を淡いタッチの水彩画のように詠んだ歌だが、どこを切っても寂しさが滲み出て来るような歌である。おそらく作者にとって短歌は、その時々に感じたことを描く心のメモのようなものなのだろう。歌は展覧会に出品する作品として彫琢されているというよりも、もっと作者の心の近くに置かれているように思える。
今を摘み今を束ねるてのひらの野に蒔かれゆく青き種子たち
夕焼けの搾り出したるオレンジを飲み干すばかりの遠い欄干
グレナデンソーダに遊ぶ炭酸がおさまるまでの恋する時間
グラウンド端の蛇口に初夏のひかり一滴落ちる間に間に
手のひらに真夏の点眼のせてみる幽かな青のかけら見るから
薄桜散り急ぐ日は花曇り空か花かを見紛うように
特に印象に残った歌を引いた。書き写していて気づいたが、作者にとって青という色は希望の色であり、良きものを象徴しているようだ。
本書でユニークなのは「昭和ファンタスティック」と題された連作である。
わぁっすれられないのぉ~ピンキーの山高帽にかかる指先
飛び出した笠谷幸生の着地見て夜毎布団にダイブする兄
美しく窒息しつつ咲くのだと教える「愛の水中花」ゆら
一首目は1968年にヒットしたピンキーとキラーズの「恋の季節」、二首目は1972年の札幌冬季オリンビックのスキージャンプの金メダル、三首目は1979年にヒットした松坂慶子の歌謡曲。平成の世を経てもはや令和となった現在では、「昭和は遠くなりにけり」なのだと改めて感じたことである。