151:2006年4月 第2週 小塩卓哉
または、日常を詠うのがよいのだバカボンのパパ

留守番の妻の声聞くつまらなさ
    辻褄合わせのメッセージ入れる

          小塩卓哉『樹皮』
 掲出歌がこの歌集を代表する歌という訳ではない。小塩の歌集を読み進むうちに、ピントをどのあたりに合わせて読めばいいのかよくわからなくなったのである。読書には「ピント合わせ」もしくは「焦点深度」というものが確かにある。ピントを合わせて読まなくては内容を十分に理解できないし、それ以上に著者のスタンスに共感することができない。最後まで読み終えて巻頭に戻り、もう一度並んだ歌を見て行くと、掲出歌のあたりにピントを合わせて読むべきだろうという一応の結論に立ち至ったのである。

 自宅に電話すると妻の吹き込んだ留守録メッセージが流れる。それがつまらないという。妻の声は毎日自宅で聴いているので、この上留守録メッセージで聴くには及ばないからだろう。しかしメッセージだけ聴いて電話を切るのもためらわれる。留守録メッセージの再生、ピーッという発信音、用件の録音という流れが浮世の仁義として定着しているからである。だから単に辻褄を合わせるためだけに、特に必要のない用件を誰も聴いていない受話器に話すのである。「妻」「つまらなさ」「辻褄」と繰り返される「つま」のリフレインが軽快なリズムを作り出している。歌のテーマは、英雄でもなく犯罪者でもない平凡な市民が送る日常生活の中で、ふと感じる違和感でありひっかかりである。それを世界の不条理や人間の運命などと大上段に振り被らずに、どこか都々逸を思わせる飄逸なリズムのなかに詠うというのが、小塩のスタンスなのだろう。

 小塩卓哉は1960年(昭和35年)生まれで「音」「ノベンタ」同人。『樹皮』は第一歌集『風カノン』に続く第二歌集である。「緩みゆく短歌形式」により第10回現代短歌評論賞を受賞している。また海外移住者の短歌を論じた『海越えてなお』という著書もあり、評論の分野でも活躍しているようだ。

 『樹皮』で特に印象深いのは次の歌である。

 韻律に殉ずる気など我になく散文の野に放つ歌虫

「六月二十一日(日) 大辻隆弘『抱擁韻』批評会。彼は言う『短歌的文体に殉じたい』と。」という日記風の詞書が付されている。大辻もまた小塩と同じく評論でも活躍する論客であり、大辻が「短歌的文体に殉じたい」と言い放つとき、その歴史意識と近代主義批判を考えるとこれは大辻の credo (信仰告白)なのだが、小塩はこの信条を共有しないと宣言しているのである。そして小塩は歌虫を「散文の野に放つ」という。評論「緩みゆく短歌形式」を鑑みると、小塩は韻律と短歌的抒情へと収斂してゆく短歌観を否定していて、より緩んだ散文的な短歌へと向かう方向性を持っているようだ。事実、『樹皮』の中には相当緩んだ形式の歌が散見されるのである。

 君の言うほど僕は大人じゃない 蹴上がりがまだできないままだ

 パンダ舎まで父と私を駆けさせたものを今では思い出せない

 ぼっとしてちゃいけない呼び出しの二回目までに電話を取れと

音数が合っている歌でも定型短歌を収斂させる内的韻律は不在であり、散文的文体にかなり近寄っている。

 短歌界の部外者である私がここで不思議に思うのは、それでは大辻の批評会での発言をきっかけに、大辻と小塩の間で短歌をめぐる論争が起きたかというと、どうもその気配はないという点である。篠弘の労作『近代短歌論争史』を繙くまでもなく、近代短歌は論争を梃子にして発展・展開してきた。戦後にも前衛短歌をめぐる論争が起きたが、最近はあまりそういう話を聞かない。現代短歌は「論争不在」状況が続いているのである。これはよいこととは思えない。「カンタン短歌論争」とか「念力短歌論争」なども起きてほしいものだと思うが、大辻と小塩の短歌観の相違は短歌定型そのものに関するものであるだけに、一層事態は深刻だと言えよう。

 話を小塩の短歌の日常性に戻すと、それは次のような歌によく現れている。

 妻が熱出して伏すゆえ厨房に夕餉のメニュー考えており

 周富徳みたいにやってとせがまれてフライパン振るチャーハンが降る

 もう遅刻するなと言うために呼びたるに悠然と来てピアスが光る

 真新しき名札を胸に頭下ぐ慣れぬ事務職頭も慣れぬ

 竹の皮ずんずん脱いでゆくごとく娘等はみな足長くなり

一首目は妻が熱を出して伏せった日常のひとコマ。二首目はその続きで、周富徳は有名な中華料理のシェフである。三首目は教師としての日常から、四首目は職場が変わり事務職に就いてのエピソードである。これを見てもわかるように、小塩の歌の題材は家庭・家族・職場から採られていて、相聞と挽歌のないのが特徴となっている。もちろん日常の中にも死はころがっているのだから、死を詠んだ歌がないわけではない。

 君らまだ死に遠き道歩みいるが死は足裏(あなうら)にひったりと付く

 教師として生徒に語りかけているという設定であるが、死はもとより逼迫したものではない。相聞と挽歌の不在は象徴的である。韻律の力が最も発揮され、短歌的抒情が昂揚するのは、相聞と挽歌においてだからである。日常に拘り相聞と挽歌を作らないというのがもし小塩の意識的選択であるとすれば、それは小塩の「短歌的文体に殉じない」短歌観に基づいているのだろう。

 一読者としての私の感想を言わせていただければ、見も知らぬ他人の日常を歌で読まされてもおもしろくも何ともない。これは現在の短歌が作り手中心で展開しており、「短歌読者論」が不在であることとも関係していよう。『樹皮』のなかで印象に残ったのは次のような歌であるが、ここには短歌的韻律が健在なのである。

 食卓にキーウィは立たず口中に酸味湧き来る金曜の朝

 嗅覚の研ぎすまさるる夕べには酢の匂いする人を厭わん

 あああきのそのふところのふかくしてくちにふふめるままのほおずき

 どうやってキリンは寝るのと子が問いぬ子を守るため眠らぬ父に

 忘れられゆくべき果実子らに頒く二十世紀の皮剥き終えて

 壮年の我に流るる電流をそっと放ちぬ地下鉄の闇に