138:2006年1月 第2週 市原克敏
または、呻吟しつつ虚空に神を求める歌

落下する骨と螢と石ころと
    見ているわれとモナドと神と

           市原克敏『無限』
 日常的現実はこの歌のなかにはいささかも詠われていない。「骨と螢と石ころ」は確かに現実の実在(の概念)であるが、その三者相互間に何らの連関もなく、「ホネ」「ホタル」の頭韻がかすかな音的架橋として働いているものの、それはこの歌においては挿話的でしかない。この歌は「~と」で等位接続された項目が並ぶという異色の構造を持っているが、上句と下句の間に明らかな断絶がある。上句の「骨と螢と石ころ」は落下するところを「見られている」側であり、下句の「われとモナドと神と」はそれらの落下物を「見ている」側である。作者には「抛られたる一ヶはわれの骨となり一ヶはとおく砂上をあそぶ」という歌があり、好んで自らの肉体を「骨」として表象する発想が見られるから、上句の「落下する骨」は重力の支配を受ける形而下的肉体をさすのだろう。「螢」は昔から死者の魂の表象として短歌に現われているので、「骨」を肉体と取ったついでに「螢」を魂と解釈し、ここに心身二元論を見ることもできるかもしれない。「石ころ」は〈私〉と関係のないこの世の事物の代表である。一方、見ている方の「われ」は、何とライプニッツが構想した究極の単子であるモナドと神の側に立っている。つまり、この世界の生成流転を超時的視座から俯瞰しているのであり、この「われ」は形而上的認識主体しての〈私〉にほかならない。〈私〉は肉体と魂と認識主体の三様に分裂している。

 日常生活の喜怒哀楽と徹底的に切断された観念的な短歌である。作者の市原は「僕の歌はメタフィジカルな歌だと言ってほしいんです」と語っていたそうだから、これは意図されたものなのである。日常生活の塵埃と無関係な宇宙的短歌というと、SFファンタジー系の井辻朱美が頭に浮かぶが、内容はまったく異なっている。市原の短歌を特徴づけるのは〈私〉と神をめぐる肺腑を絞るような煩悶であり、これは井辻には無縁なものである。

 市原克敏は1938年(昭和13年)に生まれ、木村捨録との出会いを通じて林間短歌会に入会し、その後同会編集人を長く務め、1997年に創刊された『短歌朝日』の編集にも参加した。歌歴は長いが歌集は遺歌集となった『無限』一冊のみである。市原は2001年に急性骨髄性白血病を発症し、闘病の末2002年5月3日に永眠している。『無限』は跋文を寄せた村山大和により編集出版されている。巻末に賤香夫人の筆による闘病記が付されているが、一個の人間が死へと向かうあり様を描いて余すところなく、読んでいて慄然とする。

 『現代短歌大事典』〔三省堂〕には「作風は、思索的色合いが強く、抒情は硬質である」とあり、代表歌として「なおもがく廃馬に似つつ〈永遠〉が暗き銀河に溺れていたり」があげられている。確かに市原の短歌は思索的・哲学的であり、それは市原が若い頃キリスト教に触れ、それ以来〈神〉を思い続けてきたからである。市原の思索的傾向は次のような歌によく現われている。

 存在の雲の方へと白鳥が旅をしているクォーククォークと

 遠ざかる粒子一個に遠ざかる星としてあるわれはおそらく

 そこに夜を小石のようにいま落とす待つコスモスの輝く瑕へ

 一首目のクォークは物質を構成する究極の粒子の名で、この歌では白鳥の鳴き声に擬せられている。雲に向かって白鳥が鳴きながら飛ぶという情景に、「存在」と「クォーク」という存在論的語彙がかぶせられることで、白鳥は実体を喪失してひとつのイコンと化し、一首は形而上的問いかけの歌として立ち現れる。市原のこのように〈私〉と宇宙という次元のまったく異なる存在を強引に対置する発想は、二首目にも十分に見て取れよう。三首目は集中でも屈指の美しい歌だと思う。「コスモスの輝く瑕」とは謎めいた表現だが、ここでは地球のことと解釈しておきたい。地球は青く輝く生命の満ちる星だが、それはまた人間の欲と暴力によりコスモス(=宇宙 / 調和)を乱す瑕でもある。そこに小石のように夜を落とす主体は超越者以外ではありえず、落とされた夜は人類への呪詛のようでもある。ここには「人は何故かくあるのか」という市原のうめくような問いかけが結晶していると言えよう。

 超越者として全能の神を信じようとするとき、信仰の前に立ちはだかる最大の疑問は、「人生にかくも苦しみが多く、地上に殺戮が絶えないのはなぜか」という疑問である。幼い子供を凶悪な犯罪者に殺された親は、「この世には神も仏もいない」と叫ぶだろう。もし神が善で全能であるならば、「どうして神は何とかしてくれないのか」という疑問を抱くのは人の性である。市原にとっての神もまた、ただ善であるだけの超越者ではない。

 十字架の雨を切る音ひりひりと下ゆく人ら夢裂かれつつ

 師よ弟子に神への祈りを祈らせよ祈りを祈る意味の無意味を

 なんぜんの神過ぎゆくも愚かなる神を問う神いまだ渉らず

 日もすがらひろばに立ちて神を待つ遅刻をわびる声など雲に

 なにごとも自力に非ず他力なりと弥陀の企み血の海照らす

 十字架の下を歩み行く人々の夢は無惨に切り裂かれ、祈りつつも祈りの無意味も同時に痛いほど意識されている。人に辛苦を強いる神は愚かな神かも知れず、広場に待てども神は現われない。どこかゴドーに似た不条理な実存的状況に人間は置かれているという認識がここにはある。驚くのは市原は次のような一見すると冒涜とも取れる歌も作っていることである。

 ゴルゴタにいやいやながら吊されよメシアよ君はズブの素人

 いやらしい女に逢うこそわが望み弾むこころにあの世が弾む

 そうならば神は女の方がいい女ざかりのからだがロゴス

 これを見ても市原の神への想いが決して一途な帰依ではなく、屈折し煩悶するものであったことがわかるだろう。

 『無限』を論じて次の一連を取り上げないわけにはいかない。それほど衝撃的な歌なのである。

 9841237ヘテ人を焼きわれは数うるかくのごとくに

 9152348アモリ人を撃ちわれは数うるかくのごとくに

 9263451カナン人を追いわれは数うるかくのごとくに

 9374562ペリジ人を侵しわれは数うるかくのごとくに

 9485673ヒビ人を滅ぼしわれは数うるかくのごとくに

 9516784エブス人を奪いわれは数うるかくのごとくに

 9627815ユダヤ人を呪いわれは数うるかくのごとくに

 9738126アラブ人を殺しわれは数うるかくのごとくに

 「われはショアーなり」と題された連作で、1996年11月に作られている。「ショアー」とはヘブライ語で「殲滅」を意味する。旧約聖書「ヨシュア記」によれば、モーゼに率いられてエジプトを脱出したユダヤの民は、モーゼの後継者ヨシュアを頭としてヨルダン川を渡る。旧約の神はヨルダン川の向こう側の土地をユダヤの民に与えることを約束し、その地に住むすべての民を殲滅せよとヨシュアに命じる。ヘテ人・アモリ人などはこうして滅ぼされた民族の名前である。市原は一連の最後にユダヤ人とアラブ人の名前を付け加えている。現在のパレスチナ問題の原因は、西欧列強の植民地的野心とサイクス・ピコ協定に代表される二枚舌外交であることは疑いを容れないが、市原の目には血で血を洗う争いはもっと歴史の長いものと映っている。ここには人間の奥深い業があると同時に、「殲滅せよ」と叫ぶ神への疑いをも見てとることができるだろう。羅列された無意味な数字が殺戮の無意味さを物語っている。

 市原の歌の多くはこのように、黙示録的世界観と宇宙論のあいだをさまようがごとき趣の歌で、日常の情景を詠んだものは少ない。しかしなかには次のような歌もある。

 わがゆびの影をいぶかる蜘蛛といる蜘蛛に流れる時間の外で

 ゆきずりの真昼の丘に木を怖るしたたるものの緑より濃く 

 当つる刃に桃若やぎてけぶらえる生毛そよぐも青らむ皿に

 見下ろせばひしめく墓の波の秀のひとつひとつに方代が乗る

 一首目では蜘蛛に流れる時間とヒトである自分に流れる時間の非共役性が主題である。二首目では「緑したたる」という慣用表現を分解し、「緑」から「したたるもの」を分離したところに観念性が色濃い。三首目は青い皿にのった桃を詠んだものだが、単なる静物ではなくどこかに危機の意識が潜在している。四首目はなかなかおもしろい歌で、方代はもちろん山崎方代のことである。「見下ろせばひしめく墓の」は喩とも序詞とも取ることができる。

 足もとに蟻が見えればわれまたぐ時折りわれを何かがまたぐ

 市原にとって神とはこの歌に詠まれているように、「〈私〉をまたぐもの」として把握されていたのかもしれない。入院し死を目前に控えていた市原は、「神は遠きが故に我信ず」とメモ帳に記したという。『無限』一巻は市原と「遙かな神」との内的対話と闘争の証として、われわれの目の前に置かれている。