第37回 柏原千恵子『彼方』

おほ空に色かよひつつ桐さけり消ぬべく咲けり消ぬべく美しも
                 柏原千惠子『彼方』
 柏原千惠子さんが今年2009年6月に徳島の病院で亡くなった。享年89歳の長逝である。第三歌集に収録する歌をまとめて、あとがきを長女の三久潤子さんに口述筆記するところまで準備が進んでいたのだが、出版された歌集を見ることなく亡くなられた。したがって『彼方』は遺歌集ということになる。柏原さんは「未来」同人だが、中央に背を向けて徳島を離れず、歌誌「七曜」を主催しておられた。歌集に『水の器』『飛去飛来』があり、『彼方』は第三歌集ということになる。華やかな受賞歴とは無縁ながらも、素晴らしい歌を作っておられた。ご冥福をお祈りしたい。
 掲出歌は大木となり空の高みに紫の花を咲かせる桐を詠んでいる。その様を「おほ空に色かよひつつ」と表現する広大な空間感覚が、柏原の歌の特徴のひとつである。花は短い命を終えてやがて散る。「咲く」ことの中には「散る」ことがあらかじめ内包されている。花はそのようなものとして在る。語調の静かさが印象に残る歌である。
 私は角川『短歌』平成16年8月号の「101歌人が厳選する現代秀歌101首」という特集で、紀野恵が挙げていた「とぶ鳥を視をれば不意に交じりあひわれらひとつの空のたそがれ」という歌で柏原を知った。鳥とそれを見る〈私〉とが交じり合うという主客混淆の感覚が、スケールの大きな空間把握の中で表現されている秀歌である。この歌に出会ったときは、一首が不意に私を打つという感覚に見舞われたが、『彼方』を通読して作者の歌境の深化に震える思いすら感じたのである。柏原の独特な主客混淆の感覚は、この歌集にもまた散見される。
山峡に瀧みれば瀧になりたけれなりはてぬればわれは無からむ
聲なくて見てをるわれとこゑなくてひたゆく雁と朝あけむとす
硬貨とり落して拾はぬ拾へざる戸外にわれはわれを捨てゆく
とほざかる感じのしばしつづきつつ桐の花あるままを歩めり
 一首目、〈私〉が瀧になればもう〈私〉はなく〈私〉が瀧であるというのだが、「なりはてぬれば」という完了形が示すように、完全になりきるまでは〈私〉のいくぶんかは瀧であり、瀧のいくぶんかは〈私〉なのである。柏原の歌では「視る」ことが大きなウェイトを占めているが、どうやら「視る」こと即、対象の一部と同化するという感覚を持っていたと思われる。二首目では雁と〈私〉の混淆ではなく平行共存が歌われているが、天の雁と地のわれとに深い呼応があることは言うまでもない。三首目、誤って戸外に硬貨を落としてそのままにするのだが、〈私〉を捨ててゆく気持ちがするというのである。四首目は少し不思議な歌だが、咲いている桐の花から〈私〉が遠ざかると読みたい。歩を進めるという空間移動を「とほざかる感じのしばしつづきつつ」と自身の内的感覚に変換して表現するところに、独自の感性を感じるのである。
 『彼方』は歌誌「七曜」に長年にわたって発表した歌を集めたものだと推察されるが、老境に入るにつれて「〈私〉を超えるもの」と「存在と非在の往還」という境地が加わったものと見える。
内に向くものかもまして冬の夜は知らざる界の奥深きまで
冬の夜を細りほそりて卓上に鉛筆はありぬいづくより来し
見えざればまして迫りて夕ぐれの海は一枚の手紙とおぼし
在らずして在るもののごとゆふぐれのかなかなのこゑ空に華やぐ
刈田未明鴉一羽がわたりをりゆるぎなく低く遠世わたれる
 一首目の「内に向く」は内面を凝視することだが、冬の夜はどこまで深く降りてゆくのか知れぬほどで、その果てにあるものはもはや〈私〉ではあるまい。二首目、卓上にころがる鉛筆は確かにそこに在るのだが、その存在は非在の感覚と背中合わせである。三首目、夕暮れの海は見えないからこそ迫って来るのであり、時に非在は存在よりも生々しい。四首目、姿は見えず鳴き声だけが聞こえる蝉を「在らずして在るもののごと」と表現している。五首目は、稲刈りの終わった冬田の上を鴉が低く飛ぶ光景を詠んだ歌だが、結句に至り転調して、この世のものではない光景に転じている。先に柏原の歌の特徴として「スケールの大きな空間表現」を挙げたが、ここに至って「〈私〉を超えるもの」と「存在と非在の往還」という次元が加わり、その歌の世界はますます重層的かつ多元的なものになっているのである。
 その一方で次のような歌もある。
この町のひとつのビルの片面が夕日浴びをりしばらくのこと
いづこにか在るゆえ映る古びたる外国の街の海岸通り
雨戸より落ちしは守宮おちたれば落ちたるものの體重の音
曇るとも晴るるともなきはるぞらに高らかに犬の声になく犬
 一首目はビルの片面が夕日を浴びているという、ごく日常的な当たり前の光景を詠んだ歌である。それが結句の「しばらくのこと」によって、毎日繰り返される日常風景から今ここでしか経験できないかけがえのない景色へと転じる。そこに浮上するのは「生の一回性」の感覚に他ならない。二首目でTVの画面に映る外国の風景は、どこかにあるから映っているのだという、これまた当たり前のことが詠われている。しかしそれがたまらなく愛おしいことに思えるのは何故だろう。落ちたヤモリが体重相応の小さな音を立てるのも、犬が犬の声で鳴くのも当たり前のことである。しかし、私たちが日頃当然のこととして看過していることを、殊更に取り立ててこのように表現されると、私たちの目に入っていなかった世界が浮上する。それはほとんど魔術的と言ってもよいのである。
 柏原は晩年は体が不自由になり、老人ホームに入所していたらしく、体の不如意を詠った歌も集中にはある。しかしそれにも増して視線を遠く虚空に、また時には非在の世界へと遊ばせる歌が多く、感性の自在さと言葉の斡旋の巧みさは驚くばかりである。
傷口に集りをれる血球のざはめくまでに夏のゆふぐれ
夕映えにひととき早き真澄には柿の裸のこずゑの自在
おもおもと緋桃はひらく夜の底のまぶたのうらのときじくの花
「ハルシオン」しづかに溶けよ概念の青き藻屑の夜のねむりに
水のような光のような自由欲りわれらがわれにかへるゆふぐれ
 いずれも絶唱というにふさわしい。なかでも最後の歌は、作者が不自由な状況に置かれていただけに心に染みる。作者は歌集題名のごとく彼方へと去り、私たちには三冊の歌集が残された。あらためてご冥福を祈りたい。

129:2005年11月 第2週 柏原千恵子
または、物と出会う〈私〉は関係性の網の中

とぶ鳥を視をれば不意に交じりあひ
    われらひとつの空のたそがれ

        柏原千恵子『七曜』126号
 柏原千恵子の歌を知ったのは,角川『短歌』2004年8月号の特集「101歌人が厳選する現代秀歌101首」においてである。紀野恵が掲出歌を秀歌として推薦し,弟子が師に寄せる暖かい文章を寄稿していた。私はこの歌の圧倒的な美しさに打たれてしまった。最初は空を飛ぶ鳥とそれを見ている〈私〉とが客体と主体として独立に存在しているのだが,両者は〈見る・見られる〉という関係性を梃子としてある時ふと合一し,その後にはただたそがれの空だけが残されている。このように解釈したい。この歌を伝統的な古典和歌の世界観である人間と自然の融合の延長線上にあると見ることももちろん可能である。しかし私はそれよりも,〈見る・見られる〉という関係性が内的に孕んでいる「〈私〉の滲み出し」と考えてみたいと思う。なぜ〈私〉が滲み出すのか。それは,〈私〉が対象を見て認識することにより,〈私〉と対象とのあいだに一回性の抜きがたい関係が生まれるからである。この関係性が一旦確立すると,関係の一端にある対象は〈私〉を構成する要素と認識されるようになる。だから〈私〉は世界へと滲み出すのである。短歌という形式は他のどのような文学形式にも増して,この「〈私〉の滲み出し」が強く働いており,この「滲み出し」を弾機として一首のなかに世界を立ち上げる,そのような構造になっている。

 柏原千恵子は大正9年生まれで,『未来』と『七曜』に所属し,徳島に住んで歌を作り続けている。私は第三歌集である『飛来飛去』のみを読んだのだが,これ以外に歌集が二冊というのは寡作の歌人である。

 柏原の歌の特徴は,上に述べたような意味での「〈私〉の滲み出し」による〈私〉と対象との関係性の濃密さにあり,ここから立ち上がる世界の実在感に真似のできない独特なものがある。

 ひと去(い)にて忘れてゆきしハンカチはひとり不思議な在りやうをする

 拾はねばいつまでもそこに菊の葉の落ちてゐて夜の疊となりぬ

 圓筒の紙屑入れはいくばくの疊の距離の夕さりに立つ

 さるすべり花の重みに撓みゐるこの眼前(まなさき)のぬきさしならぬ

 その觸(さや)りまだてのひらにありながら水切りの石水切りて無し

 戸棚よりゆふべとり出す藍の濃き皿繪の魚と深くあひあふ 

 一首目の置き忘れられたハンカチ,二首目の畳に落ちている菊の葉は,それ自体を取り出せば何でもない物体でありながら,対象を認識する〈私〉との関係性の網の目に補足された途端に「不思議な在りやう」をするようになる。読者はここにひとつの世界が立ち上がる瞬間を感じるだろう。三首目の屑籠もまた,〈私〉から「いくばくの距離」に立つことにより〈私〉との関係性に搦め捕られて,まるで個性を付与されたかのような実在感を帯びるようになる。四首目のさるすべりの歌は,まさにこの〈私〉と対象との「ぬきさしならぬ」相互規定性の重みを詠ったものと解釈できる。五首目はたった今まで掌の中にあった石の不在が詠まれており,これもまた同じ文脈で理解できよう。六首目は特に心を打たれた歌である。掲出歌の「われらひとつの」と通じあう「深くあひあふ」という結句の重さのなかに,作者が対象と向き合うときの一回性の関係の深さが感じられる。

 作者は老齢ながら毅然と独り暮らしを続けていて,何かの手術も経験したらしいことが歌から読みとれる。しかし自らのそのような日常を視る眼差しは静謐の一語に尽きる。

 生きのこり生きのこれるは日常の底ひに冷ゆる桃をはみをり

 内蔵の缺けしところをあたらしき闇とぞなして身を運ぶなり

 待つなくて待たるるなきはましづかにいたくかそかに溢れていたり

 鰈の身まふたつに切る一隅がありてひとりにわが住まふなり

 テーブルを拭ふわが手の動きをり動けりひとつ永遠のなか

 鹽少し小瓶に殘りあかねさすこの人界の朝の食卓

 待つ人もなく人に待たれることもなく過ぎる一日,台所で鰈に包丁を入れる動作,テーブルを拭く自分の手の動きといった何でもない日常の些事が詠われているが,この実在感と一首に流れる空気の濃さはどうだろう。「物と逢う」ことは取りも直さず「〈私〉と逢う」ことに他ならないという事実をこれほど感じさせてくれる歌は少ない。塩入れに少し残った塩という些事すらも歌になる。短歌界ではときおり短歌における「主題性」をめぐる議論がかまびすしく行なわれることがあるが,柏原のこのような歌を読んでいると洒落臭いとしか思えなくなるのである。

 川端康成に確か「末期の眼」というエッセーがあり,末期の眼で眺めた世界は今まで見たこともないような新鮮な表情をしているという趣旨のことが書かれていたと記憶する。いかにも文藝の根幹に死を据えた川端らしい物言いである。『飛来飛去』に収録された歌のなかには,まるでこの末期の眼で見たかのように感じられるものがある。それはまるで夕立に洗われて磨かれた清々しい黄昏の大気のようだ。

 ひたすらにひとつ蝉なき澄み入るは死後のはろけき時のなかにや

 すでに世を離れしもののごとく来て雪敷く飛騨の町に眠りぬ

 われ在りてこの現世(うつしよ)の夕ぐれの水に浮く茄子しづめるトマト

 もののかげ忘じをはりて初夏未明ただしろがねの水ならむとす

次の歌は柏原の歌人としての覚悟を示すものと受け取りたい。

 詩ありきそれはほとんど水の聲この惑星に興(おこ)れるものの

 ともし火をかかげきぬればかかげたる歌ことごとく返し歌なる

 詩はほとんど水の声とは,この水惑星に遍在しながら形を自在に変え静かに流れ行くものに詩を喩えたものだろう。また自分の歌はすべて返歌であるとは,ひとつには過去の膨大な歌の世界の存在を意識すれば自分が新たに作る歌もその大きな世界への呼応でしか有り得ないという意味であり,もうひとつには歌とは〈私〉と世界の事物が織り上げる網の目の中で,呼ばれ呼び返すという関係性を通してしか立ち上がって来ないものであるという意味だろう。

 このような視座に立って歌を作り続ける柏原が生み出す最も上質な世界は,たとえば次のような歌が具現している。

 小流れをうづめつくせる大葦にここのみの時間(とき)が動くゆるらに

 川の流れにゆっくりと揺れる葦に流れているのは「ここのみの時間」,つまり反復することのできない一回性の時間である。それは今この瞬間に立ち会う以外には経験することのできない「現在」である。この歌が内包している「ここのみの時間と」は,作者と眼前の対象の間に一時的に確立された関係の一回性の謂に他ならない。たまゆらの仮なる命を生きゆく私たちに,この関係の一回性がかくまで鮮やかに開示されるとき,柏原の短歌はひとつの啓示であると同時に限りない慰藉を与えてくれるものでもある。