生ける蛾をこめて捨てたる紙つぶて花の形に朝ひらきをり
森岡貞香『白蛾』
森岡貞香『白蛾』
2009年1月30日に森岡貞香さんが亡くなった。享年92歳の長逝である。この「橄欖追放」は短歌時評ではないので、そのときどきの話題を取り上げることはしていない。しかし、つい一週間前に『ひとさらい』の笹井宏之さんが26歳の若さで夭折されたという知らせが飛び込んだばかりである。歌壇の長老と新進気鋭の若手が相次いで鬼籍に入るという事態に悄然とした。お二人のご冥福を祈りたい。一人の歌人を失うことは、ひとつの独自の世界を失うことである。私たちは大切なものを失った喪失感とともにこの世に残る。
私は森岡の忠実な読者というわけではなく、歌集も短歌新聞社版の『白蛾』一冊を所有するのみである。気になりつつも、どこか自分からは遠くに位置する歌人という感じを拭えないでいた。塚本邦雄『現代百歌園』(花曜社1990)は、「流弾のごとくしわれが生きゆくに撃ちあたる人間を考えてゐる」という『白蛾』の歌を引いて、「単なる戦争の被害者の歌で終わらず、孤独な魂、生身の女性の、生きながらのレクイエムたりえたところに、作者のまれなる才質とこれらの歌の存在価値が認められる」としている。篠弘・馬場あき子『現代秀歌百人一首』(実業之日本社2000)は、やはり『白蛾』から「いくさ畢(をは)り月の夜にふと還り来し夫を思へばまぼろしのごとし」を引いている。いずれも夫が先の大戦に出征し、帰還直後に急逝するという悲劇に見舞われた森岡の境涯を念頭に置いての評であり抄出歌である。1958年刊行の第一歌集『白蛾』には確かに境涯的な歌が多く、刊行当時もそのような歌に注目が集まったものと思われる。塚本・篠・馬場らの世代の人たちには戦争が色濃く刻印されており、歌を引くならやはり戦争の影の濃い『白蛾』からということになるのだろう。
1969年生まれの吉川宏志になると着眼点は少しく異なる。評論集『風景と実感』(2008)のなかで、近代絵画の鼻祖セザンヌが一枚の画布の中に複数の視点を混在させることによって、見る人が絵の中をあたかも移動するかのような効果を与えていることを論じ、短歌でこれと近い感覚を与える歌人として森岡の名を挙げている。
身体性という切り口で考えるならば、私が森岡の歌を読んで強く感じるのは、一首の中でぎくしゃくするリズムである。
森岡は若い頃、胸部疾患で肋骨を切除したため、肺活量が極端に少なく、電話で人と話していても息が足りないほどだったという。上に引いた歌のリズムの乱れは、ひょっとしたら実生活における森岡の息の不足が引き起こしたものかもしれない。それは定かではないが、このリズムの乱れが歌に強い身体性を与えていることは事実である。ぎくしゃくしたリズムのせいで、初句から結句までひと息で滑らかに読むことができず、読む人は一瞬の逡巡とともに立ち止まる。その呼吸の乱れのなかに、人臭さに近い作者の濃密な息づかいが感じられる。
森岡の歌を読んでいて時折考え込んでしまうのは、「現実」とは一体何かということである。当たり前のことだが、いかに視たままを詠っているように見える写実的な歌でも、それは客観的現実ではなく、作者の眼を通して視られた現実である。そこには主観と身体による変形がある。唯脳論を唱える養老孟司は、私たちが客観的現実と思っているものは、脳が私たちに見せている世界にすぎないとしている。眼の前に赤いバラが一輪あるとする。そのバラの赤さは、バラという事物の属性として存在するか、それとも赤さを知覚した私たちの心の中に存在するかという問題は、唯物論と観念論の論争として哲学において長く論じられてきた。哲学がしばしば知覚論を出発点とする所以である。唯脳論という極端な形を取らずとも、森岡の歌の中では現実がしばしば独自の形で変形されていることに気づく。
森岡の歌には何とも名状し難いある感じがすることがある。その正体を正確な言葉で言い表すのは難しいのだが、例えば次のような歌に顕著である。
私は森岡の忠実な読者というわけではなく、歌集も短歌新聞社版の『白蛾』一冊を所有するのみである。気になりつつも、どこか自分からは遠くに位置する歌人という感じを拭えないでいた。塚本邦雄『現代百歌園』(花曜社1990)は、「流弾のごとくしわれが生きゆくに撃ちあたる人間を考えてゐる」という『白蛾』の歌を引いて、「単なる戦争の被害者の歌で終わらず、孤独な魂、生身の女性の、生きながらのレクイエムたりえたところに、作者のまれなる才質とこれらの歌の存在価値が認められる」としている。篠弘・馬場あき子『現代秀歌百人一首』(実業之日本社2000)は、やはり『白蛾』から「いくさ畢(をは)り月の夜にふと還り来し夫を思へばまぼろしのごとし」を引いている。いずれも夫が先の大戦に出征し、帰還直後に急逝するという悲劇に見舞われた森岡の境涯を念頭に置いての評であり抄出歌である。1958年刊行の第一歌集『白蛾』には確かに境涯的な歌が多く、刊行当時もそのような歌に注目が集まったものと思われる。塚本・篠・馬場らの世代の人たちには戦争が色濃く刻印されており、歌を引くならやはり戦争の影の濃い『白蛾』からということになるのだろう。
1969年生まれの吉川宏志になると着眼点は少しく異なる。評論集『風景と実感』(2008)のなかで、近代絵画の鼻祖セザンヌが一枚の画布の中に複数の視点を混在させることによって、見る人が絵の中をあたかも移動するかのような効果を与えていることを論じ、短歌でこれと近い感覚を与える歌人として森岡の名を挙げている。
今夜とて神田川渡りて橋の下は流れてをると氣付きて過ぎぬ 『百乳文』「今夜とて」「渡りて」「流れて」「氣付きて」と一首の中に4つもある「~て」が視点の移動を表しており、橋を渡っている時の視点と渡り終わった時の視点が混在しているため、強いねじれの印象を受けるという。『風景と実感』における吉川の問題意識は、歌の中でどのように風景と作者の身体性とが絡み合うかという点にあるので、そのような問題意識を反映した捉え方になっている。
身体性という切り口で考えるならば、私が森岡の歌を読んで強く感じるのは、一首の中でぎくしゃくするリズムである。
果物、肉など吊り降ろしおく白き紐井戸よりはみ出てをりぬ 『未知』たとえば一首目の初句「果物、肉など」は8音が読点で4・4に区切られているため、滑らかに読み下すことができずぎくしゃくする。おまけに下句「井戸よりはみ出てをりぬ」は11音しかなく、これもリズムに乗れない。二首目の上句「雨夜のレール散乱し」も12音で、5・7・5のリズムを刻むことができない。意図しての破調なのだろうか。
雨夜のレール散乱しうつくしき不安の中に貨車黒く來る
何を見むとしてひびわれし堀の底ひを埒越えて見る 『甃』
泥の玉産むやうなるこゑ 山鳩の息を大きく吸ひて吐きゐる 『黛樹』
けれども、と言ひさしてわがいくばくか空間のごときを得たりき 『百乳文』
森岡は若い頃、胸部疾患で肋骨を切除したため、肺活量が極端に少なく、電話で人と話していても息が足りないほどだったという。上に引いた歌のリズムの乱れは、ひょっとしたら実生活における森岡の息の不足が引き起こしたものかもしれない。それは定かではないが、このリズムの乱れが歌に強い身体性を与えていることは事実である。ぎくしゃくしたリズムのせいで、初句から結句までひと息で滑らかに読むことができず、読む人は一瞬の逡巡とともに立ち止まる。その呼吸の乱れのなかに、人臭さに近い作者の濃密な息づかいが感じられる。
森岡の歌を読んでいて時折考え込んでしまうのは、「現実」とは一体何かということである。当たり前のことだが、いかに視たままを詠っているように見える写実的な歌でも、それは客観的現実ではなく、作者の眼を通して視られた現実である。そこには主観と身体による変形がある。唯脳論を唱える養老孟司は、私たちが客観的現実と思っているものは、脳が私たちに見せている世界にすぎないとしている。眼の前に赤いバラが一輪あるとする。そのバラの赤さは、バラという事物の属性として存在するか、それとも赤さを知覚した私たちの心の中に存在するかという問題は、唯物論と観念論の論争として哲学において長く論じられてきた。哲学がしばしば知覚論を出発点とする所以である。唯脳論という極端な形を取らずとも、森岡の歌の中では現実がしばしば独自の形で変形されていることに気づく。
月させば梅樹は黒きひびわれとなりてくひこむものか空間に 『白蛾』月が梅の木を照らすのではなく、一本の影として空間に食い込むひび割れとなるという把握は、非常に主知的なフィルターを通しての現実の変形である。低く垂れ込めた曇天という水平方向の広がりと、垂直に立つ芦の枯茎の対比もまた、それ以外の要素を捨象する抽象化の操作を施した現実である。ここには日々の歌に還元することのできない強い構成意志があると見るべきだろう。また「なりてくひこむ/ものか空間に」の句割れをものともせず結句まで食い込む断定の強さも注目される。
曇天が池にとどくと思ふときほそき枯莖は立ちて動かぬ
森岡の歌には何とも名状し難いある感じがすることがある。その正体を正確な言葉で言い表すのは難しいのだが、例えば次のような歌に顕著である。
果物、肉など吊り降ろしおく白き紐井戸よりはみ出てをりぬ 『未知』短歌的喩の見地からすれば、一首目の井戸からはみ出す紐は何かの喩と解釈すべきかもしれないが、どうもそうは思えない。ただの紐にしか見えない。二首目の黒いトランス(変圧器)の箱もそうである。月の光の白さとトランスの黒さの対比はあるが、それがこの歌の眼目とも思えない。トランスはただそこにあるのである。しかし何気ない紐やトランスがこのように詠われるとき、かく作り出された小空間にはそれらの事物を凝視する知覚主体が濃厚に現前して感じられる。三首目になるとさらにその度合いは増し、「この海星の場合」というとぼけたような散文的初句に、コンクリートの上で死んでいるという乾いた観察が続くことによって、そのように視、そのように認識した主体が、意味内容の陳腐さと反比例して強く前景化されるのである。この主体を短歌の〈私〉と呼ぶことにいささかためらいを覚えるのは、そこに通常あるべき抒情が欠如しているからだろう。沖ななもは『森岡貞香の歌』(雁書館1992)で、森岡の歌の持つ知的・認識的特質を指摘していて、確かにその通りである。しかし、同じ作者の手になる次のような歌を読むとわからなくなってしまう。
電柱にトランスの黒き箱を見き月のま下とあふげるときに
この海星(ひとで)の場合、港灣に突き出たるconcreteのうへにて死せり 『百乳文』
樹の下の泥のつづきのてーぶるに かなかなのなくひかりちりぼふ 『黛樹』泥とテーブルがひと続きという捉え方は尋常ではない。何か不可思議な感覚がそこにある。またかなかなの鳴く声ならわかるが、鳴く光というのも不思議である。泥玉を産むような声とは、美しい声でないことだけはわかるが、想像がつかない。「この沼を出でゆきしもの」の正体も不明だ。常識的に考えれば、水鳥か亀やイモリなどの水生生物だろうが、名指されていない分だけ不気味である。しかも本体は不在で足跡だけが残されている。それを助詞の「し」で強めてまで見ようというところに、何か尋常ではない不穏さを感じてしまう。このような歌を見ると、森岡の歌に見られる世界の知的把握という分析がぐらりと揺らぐのである。どこか自分から遠くに位置する歌人という気持ちを拭えなかったのは、このあたりに原因があったのかもしれない。
泥の玉産むやうなるこゑ 山鳩の息を大きく吸ひて吐きゐる
この沼を出でゆきしものの何気なき跡をし見め眼つよめて