「フランス語100講」第6講 人称代名詞 (3)

第6講 人称代名詞 pronom personnel (3)

─ 自立形人称代名詞は人も物もさすのか

 

 1・2人称は話し手と聞き手をさすので、moi, toi, nous, vousが人をさし、物をささないのは当然です。(注1)しかし3人称の代名詞は先行詞があれば、人だけでなく物もさすことができます。では自立形のlui / elle / eux / ellesが物をさすことはあるのでしょうか。ほとんどの文法書はこの点について沈黙しています。また文法書で挙げられている例文は人をさす例ばかりです。

 

 (1) Les plus heureux ne sont pas eux.

   最も幸せな人は彼らではない。

          (目黒士門『現代フランス広文典』白水社)

 (2) On parle de lui pour la présidence.

  大統領候補に彼の名があがっている。

        (Grevisse, M. , A. Goose, Le Bon usage, Editions Duculot)

 (3) Il ne pourrait pas vivre sans elle.

  彼は彼女なしでは生きていけないだろう。

        (六鹿豊『これならわかるフランス語文法』NHK出版)

 

 3人称の自立形が人ではないものをさす例が見つからないわけではありません。

 

 (4) Nous ne voyons pas les choses memes ; nous nous bornons, le plus souvent, à lire les étiquettes collées sur elles.   (Henri Bergson, Le rire)

私たちは物自体を見ているのではない。たいていは物の上に貼り付けられたラベルを読むことで済ませている。

 (5) … les nations se trouvent nécessairement des motifs de se préférer. Dans la partie perpétuelle qu’elles jouent, chacune d’elles tient ses cartes.

               (Paul Valéry, Grandeur et décadence de l’Europe)

どんな民族にも他の民族より自分たちのほうが優れていると考える根拠がある。民族どうしがお互いを較べあう際限のないゲームでは、どの民族も切り札を握っているのだ。

 (6) La liberté est une valeur primordiale. Nous combattons pour elle.

   自由はかけがえのない価値である。私たちは自由のために戦っている。

 

 しかしよく見ると、(4)でellesが指しているのは les choses「事物」という意味がぼんやりした単語ですし、(5)では les nations「民族」は抽象名詞である上に、擬人化されて人間のように扱われています。(6)は私が作った例ですが、これも擬人化の匂いがします。

 一方、次も作例ですが、自立形が具体物を指すのは難しいように見えます。(*印はその文が非文法的であることを表す)

 

 (7) Hélène trouva une souche dans la clairiaire. *Elle s’assit sur elle pour se reposer.

         エレーヌは森の中の空き地に切り株を見つけた。彼女は休むためにそれに腰掛けた。

 (8) *Il a sorti un couteau de sa poche et a épluché une pomme à l’aide de lui.

         彼はポケットからナイフを取り出すと、それを使ってリンゴを剥いた。

 

 朝倉季雄『新フランス文法事典』(白水社)のsoiの項目を見ると、自立形は物を指すのにふつうに用いられると書かれており、次のような例文が見つかります。

 

 (9) tous les maux que la guerre entraîne après elle

   戦争がその後に引き起こすあらゆる災害

 (10) Les fautes entraînent après elles les regrets.

      過ちは後で後悔を招く。

 

 しかしこの例文はどちらも ellesがさしているのは entraîner「引き起こす」という能動的動作の主体で、多分に擬人化されていますし、さしているものも la guerre「戦争」、les fautes「過ち」のような抽象名詞です。

 同書のluiの項目には、「àde以外の前置詞とともに用いられた自立形は原則として人を表すが、物について用いられる場合もまれでない」と書かれていて、その条件が次のように示されています。

① 前置詞の副詞的用法が不可能か、俗用となる場合

J’apercevais au sommet d’un monticule herbeux une haute tour, semblable au donjon de Gisors et je me diregeais vers elle.

草の茂った小さな丘の頂きにGの城の主塔に似た高い塔を見つけ、そのほうに向かっていった。

② 前置詞が sur, sous, dans, au-dessus de, auprès de, autour deなどならば、これに対応する副詞 dessus, dessous, dedans, au-dessus, auprès, autourを用いて、事物を表すlui, eux, elle(s)を避けるのが普通

Ce siège est solide, asseyez-vous dessus.

この腰掛けはしっかりしています。これにお掛けなさい。

 

 順番を逆にして②から見たほうがわかりやすいです。surは前置詞で、ふつう sur la chaise「椅子の上に」のように後に名詞を必要とします。一方、surと意味の上で対応する dessus「その上に」という副詞があり、これは後に名詞を必要としません。ですから次のようなペアを作ることができます。

 

 (11) Il s’est assis sur la chaise.

   彼は椅子の上に座った。

 (12) Il s’est assis dessus.

   彼はその上に座った。

 

 (12)のように副詞を使うことで、Il s’est assis sur elle.を避けるというのが②の趣旨です。やはりla chaise「椅子」のような具体物に自立形を使うのは避けるべきとされているのです。

 上の①が述べているのは、避けられないときに限って、しかたなく具体物に自立形を用いるということです。たとえば次の例のように前置詞avecを副詞のように使うのは俗用とされています。

 

 (13) Il a pris son manteau et il est parti avec.

         彼はマントを取り、それを着て出かけた。(『小学館ロベール仏和大辞典』)

 

 やはり自立形代名詞は人をさすのが原則で、物をさすのは他にやり方がない場合に限られるのです。

 アントワープ大学のタスモフスキー教授も同じ意見です。(14) のように動詞の支えがなく単独で用いられたとき、自立形は必ず人をさすと述べています。たとえば、自分の自動車 (ma voiture) が思いがけない場所にあるのを見つけたときでも、自動車に自立形elleを使うことはできません。(14 b) のように指示代名詞のçaを使うそうです。(14 a) のようにするとelleは人をさすことになります。

 

 (14) a. Elle, ici ! 彼女がここにいるなんて。

            b. Ça, ici ! これがこんな所にあるなんて。

 

【人称代名詞の指示傾斜】

 人称代名詞についてここまで見てきたことをまとめると、次のようになります。○はさすことができる、×はさすことができない、△は微妙を表しています。

 

 (15)  主格 ─ 直接目的格 ─ 間接目的格 ─ 自立形

  人   ○            ○                    ○        ○

  物   ○            ○                    △        ×

 

 ここから次のような一般化を導くことができるでしょう。

 

 (16) 動詞にとって中核的な文法役割では、代名詞は人・物の区別をしない。

   文法役割が周辺的になるにつれて、代名詞は人をさす傾向が強くなる。

 

 「動詞にとって中核的な文法役割」とは、主語と直接目的補語のことです。ちょっとカッコ良くこの一般化を「人称代名詞の指示傾斜」と呼んでおきましょう。

 人称代名詞がさすものについて、なぜこのような傾斜が見られるのでしょうか。前にも少し書きましたが、日本語とは異なり、フランス語は人と物をあまり区別しません。同じ動詞や形容詞を人にも物にも使うことができます。

 

 (17) Jacques a marché des kilomètres sous la pluie.[Jacquesは人]

   ジャックは雨の中を何キロも歩いた。

 (18) Cette machine à laver a dix ans, mais elle marche encore bien.[洗濯機は物]

   この洗濯機は買って10年になるが、今でもよく動く。

 (19) Sa mère est morte il y a cinq ans.[お母さんは人]

   彼女のお母さんは5年前に亡くなった。

 (20) Cette ampoule est morte.[電球は物]

   この電球は切れている。

 

 人と物を区別しないという特徴は、(17)〜(20)に挙げた主語の場合と、次に挙げる直接目的補語に強く表れます。

 

 (21) La chaleur a abattu Jean.[Jeanは人]

   暑さでジャンは参ってしまった。

 (22) Ils ont abattu le mur de leur maison.[壁は物]

   彼らは家の壁を取り壊した。

 

 これはなぜかというと、フランス語の構文の基本は動詞の持つ他動性(仏 transitivité, 英 transitivity)を軸として組み立てられていて、他動性で中核的な役割を果たすのが主語と直接目的補語だからです。

 もう少しわかりやすく説明してみましょう。フランス語の構文の基本は、主語Aが動詞の表す動作・行為を通じて、直接目的補語Bに何らかの変化を引き起こすという図式です。フランス語では多くの出来事をこの他動性の図式で捉えて表現します。

 

 (23) Cécile a mangé une pomme.

   セシルはリンゴを食べた。

 (24) La rouille a mangé la grille.

   錆で鉄柵が腐食している。

 (25) Cette voiture mange trop d’essence.

   この車はガソリンを食いすぎる。

 

(23)ではセシルがA、リンゴがBで、「食べる」という行為がAからBへと及んでいます。(24)では錆がAで鉄柵がBで、ほんとうに食べるわけではありませんが、まるで食べるかにように腐食させると表現しています。(25)では自動車がA、ガソリンがBで、自動車はまるで大食いの人みたいにガソリンを消費すると言っています。このような他動性の図式では、AがBを変化させるということだけが大事で、AやBが人か物かは問題にされません。

 一方、間接目的補語ではちょっと事情が違います。〈A─動詞─à B〉という図式を当てはめると、(26)では le directeur「部長」がA、sa secrétaire「秘書」がBですが、tenir à〜「〜に執着する」という行為は間接目的補語である秘書さんに何か影響を及ぼすわけではありません。(27)でもAのPierreはBの「計画」にたいして「あきらめる」という行為をするのですが、それによってBの「計画」が変化することはありません。

 

 (26) Le directeur tient à sa secrétaire. Ça se voit.

   部長は秘書の女性にご執心だ。見え見えだよ。

 (27) Pierre a renoncé à ce projet.

   ピエールはこの計画をあきらめた。

 

 つまり間接目的補語では直接目的補語ほど動詞の表す行為が対象に及ばないので、「AがBに何かをする」という他動性の図式からすると、間接目的補語はこの図式から少し外れたものになるのです。

 状況補語になるとそれはいっそうはっきりします。

 

 (28) Les enfants jouent dans le jardin.

   子供たちは庭で遊んでいる。

 

 子供たちが遊ぶことで庭が何か変化することはありません。多少花壇が踏み荒らされるかもしれませんが、それは語用論的推論でjouerという動詞の意味には含まれていません。

 このように他動性の図式でどれだけ中核的な役割を果たすかを図式化すると、次のような階層が得られます。

 

 (29) [主語・直接目的補語]>[間接目的補語]>[状況補語などその他]

 

 このような他動性の階層が (15) で示した人称代名詞の指示傾斜の原因だと考えられます。

 しかし、教室での授業でここまで説明するのは難しいでしょう。フランス人の友人にたずねてみると、*Elle a trouvé une chaise et s’est assise sur elle. [elle=la chaise]はだめで、〜s’est assise dessus とするのがよいという答がすぐに返って来ました。〈前置詞+具体物を指す自立形〉が使えない場合もあることには授業で触れてもよいかもしれません。

 

(注1)野菜のなぞなぞで、Je pousse dans la terre. Je sers à faire des frites. On peut me faire en purée.「僕は土の中で育つよ。僕はフライにするけど、ピュレにしてもいいよ」のように、ジャガイモが擬人化されている場合はもちろん別である。

(注2)Tasmowski-De-Ryck, Liliane et S. Paul Verluyten, “Linguistic control of pronouns”, Journal of Pragmatics 1 (4), 1982