第263回 『藤原月彦全句集』

野菊までつひにとどかぬ亡兄あにの影

藤原月彦『貴腐』

 過日『藤原月彦全句集』がわが家に届いた。日頃より歌集・歌書・句集をお送りいただくことは多いが、『藤原月彦全句集』はことのほか嬉しい。藤原さんが短歌よりも早く俳句を作っていたこと、「鬱王」こと赤尾兜子の俳句結社「渦」に所属していたこと、『貴腐』など数冊の句集があるものの、もはや入手不可能な幻であることを知っていたからである。早速、一週間かけて全句を読んだ。

 あとがきによると、藤原月彦はSF少年であった藤原龍一郎が高校生の頃に使っていた筆名だという。その後、本格的に俳句を作るようになって月彦を俳号としたようだ。本書の巻末には詳細な作者年譜が置かれている。セレクション歌人『藤原龍一郎集』にもかんたんな略歴はあるが、本書の年譜は格段に詳細である。藤原も定年退職を迎えて思うところあったのかもしれない。年譜を読んで、藤原が一時期鎌倉書房に勤務していて、婦人雑誌『マダム』編集部にいたことなど、今回初めて知った。また藤原が摂津幸彦らと俳句結社『豈』を創刊し、現在存命中の唯一の創刊同人であることも初めて知った。歌人の余技などではなく、藤原は本格的に俳句にのめり込んでいたのである。

 『藤原月彦全句集』は、『王権神授説』(1975年)、『貴腐』(1981年)、『盗汗集』(1984年)、『魔都 魔界創世記篇』(1987年)、『魔都 魔性絢爛篇』(1987年)、『魔都 美貌夜行篇』(1989年)の6冊の句集からなる。刊行年度の近さからも初出の発表媒体からも、『魔都』シリーズの3冊は一体をなすものと見なすべきだろう。読後感としては、『王権神授説』、『貴腐』、『盗汗集』と『魔都』の4部立てという印象を受ける。

 さて、月彦の俳句を味わうにはいささかの予備知識が必要だ。まずなぜ月彦が赤尾兜子の俳句結社「渦」に入会したかである。年譜によれば、「神々いつより生肉嫌う桃の花」のような異様な世界を描く赤尾の俳句に引かれたからだという。赤尾は前衛俳句の代表的な作者で、次のような句を作った人である。

ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥

帰り花鶴折るうちに折り殺す

音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢

男来て天暗くなる著莪の花

大雷雨鬱王と会ふあさの夢

 月彦の言葉からも、伝統的な花鳥風月の対極にある異様とも言える美の世界とワンダーを俳句に希求したことがわかる。もうひとつの手がかりは月彦が高校生のときSF少年であったことで、言うまでもなくSFは現実世界とは異なる異世界を描くジャンルである。また月彦は本書全体のあとがきで『魔都』シリーズに触れて、当時 (昭和末期)はこのような色合いの俳句を作っている人は他におらず、またBL俳句というジャンルもなかったと述懐している。BLとはBoys’ loveの略称で、男性同士の同性愛を描いた作品のこと。以上を勘案すると、月彦の俳句を読み解くキーワードは、「SF」「異世界」「耽美」「ワンダー」「BL」「前衛」ということになるだろう。

弾痕疼く夜々抱きあう亡兄あに亡兄あに  『王権神授説』

貝殻砕く父の追放遠からず

全山紅葉徒手空拳の正午まひるかな

致死量の月光兄の蒼全裸あおはだか

三点鐘仮死のピエロが花を喀き

他界より来てまた帰る生姜売り

双眼に虚無あふれしめ冬埴輪

 俳句の鑑賞は短歌の鑑賞より難しい。短歌より短い分だけ意味の比重が減じ、言葉自体の強度と、言葉の衝突によって生まれるイメージの火花が重要になるからである。一句ごとに意味を解説するのは野暮である。確かなのは月彦は念入りに選り分けた言葉の選択と結合・衝突によって、今まで誰も見たことのない世界を句の中に作り出そうとしたということである。それが弾痕と亡兄であり、三点鐘とピエロであり、他界から来る生姜売りなのである。読む人は脳裏に明滅する絢爛たるイメージ自体が輻射する美を感じればよい。あとがきに「現世は夢、夜の夢こそ真実 (まこと)」という晩年の江戸川乱歩が好んだという警句が引かれていることも手がかりとなろう。

 ところが第二句集『貴腐』になると、『王権神授説』の絢爛たる反世界の耽美は影を潜めて、ぐっと有季定型俳句に接近する。

夏寒し壺の中にも幾山河

わが午後の視野の限りを冬帽子

日に夜に枕つめたき生者われ

過失美し神父の独逸訛さへ

亡母ははに恋文牛の舌煮る午餐かな

天上に誰が訃かあり忘れ霜

菜殻火の昨日へ続く母郷かな

 見てわかるようにまず季語が増えている。一句目の季語は「夏寒し」で夏、二句目は「冬帽子」で冬、三句目は「つめたき」で冬、四句目、五句目は無季か、六句目は「忘れ霜」で春、七句目は「菜殻火」で夏。菜殻火とは、油を絞った菜種を燃やすこと。筑紫平野の風物詩であったようだ。加えて「幾山河」「忘れ霜」「菜殻火」といった俳句特有の語彙が駆使されていて、第一句集より切れ字も増えている。思うに月彦は第一句集以後、さらに俳句の世界に深く足を踏み入れるにつれて、反世界の耽美という表層的な主題よりも、俳句的表現を深める方向に舵を切ったのではないか。

 第三句集の『盗汗集』ではその度合いがさらに増す。俳句的語彙が格段に増えて来て、こうなると国語辞典では追いつかず、ネット検索しまくりで読んだ次第である。ちなみに句集タイトルの盗汗とは寝汗のこと。

誰か戸を叩くかはたれ血止草

またの名を名のる慣らひを敗醤をとこめし

夏古ぶ本家の仏壇返しかな

涅槃西風石見銀山売りに来る

返り花糸からくりの姉いもと

 一句目、「かはたれ」は「彼は誰時」で明け方のこと。血止草は漢方で止血に用いられた草で季語は秋。二句目の「をとこめし」はおとこえし(男郎花)のことで季語は秋。三句目の「仏壇返し」は大相撲の決まり手で「呼び戻し」のこと。四句目の「涅槃西風」は2月の涅槃会の頃に吹く西風の名称で季語は春。五句目の「返り花」は冬に狂い咲きした花のことで季語は冬である。ここには異世界のワンダーを求めるキッチュ感はもはやなく、季語を中心としたまごうことなき有季定型の本格俳句である。

 月彦はこの本格俳句路線をさらに進むのかと思いきや、読者は『魔都』シリーズに逢着して意外な展開にあっと驚くのである。まずタイトルである。『魔都 魔界創世記篇』『魔都 魔性絢爛篇』『魔都 美貌夜行篇』と並べると、まるでゲームの世界であり、そもそも『魔都』という言葉はサブカルで使い古されたものだ。

水晶球の中の人狼摩天楼  『魔都 魔界創世記篇』

宝石の名の〝少年男娼ジルベール〟黄水仙

相対死とは故郷の靑葉闇

さかしまや若衆歌舞伎も花の闇

極彩色の極悪の華アマゾネス  『魔都 魔性絢爛篇』

嗚呼春の夜は赤テント黒テント

はつ夏のあつき化粧の兄を撲つ

春は酣なぜに美少女墜つる魔都

仏蘭西の春腐敗する男役   『魔都 美貌夜行篇』

親衛隊全裸の夜の花吹雪

桜陰に兄と情夫の苦き蜜

刺青の美姫に嗜虐の秋の闇

 一読してわかるように季語と俳句特有の用語を駆使した本格俳句は影を潜め、全体的に外連味が増して、アングラ芝居の書割か、江戸川乱歩や三島由紀夫が熱愛したという絵師の月岡芳年を思わせる句すらある。

 年譜によれば、『盗汗集』刊行の翌年1985年に藤原はニッポン放送に入社して、ラジオ番組のディレクターとなる。『魔都』三部作はこの時期と重なる。その後、藤原は軸足を短歌に移して、1989年に第一歌集『夢見る頃を過ぎても』を上梓し、翌年「ラジオ・デイズ」で短歌研究新人賞を受賞し、月彦から歌人藤原龍一郎となるのである。つまり『魔都』三部作は藤原が、不眠都市東京の流行の最先端を行くマスコミの業界人というギミックをわが物とした時期と重なるのだ。そこにはすでにプロレスや日活ロマンポルノや歌謡曲の歌手の名が散見され、固有名を新たな季語とする藤原の現代都市抒情短歌の一端が覗いている。『魔都』三部作の世界は、第一歌集『夢見る頃を過ぎても』の次のような歌と地続きなのである。

つきて夢つきざれば夢いまさらに夏炉冬扇を胸に抱きて

ほろびたるもの四畳半、バリケード、ロマンポルノの片桐夕子

千代田区有楽町AM放送局午前二時あるいはわれのバンザイ岬

ワープロをかかえる椎名桜子に憐れみ受けているような夜は

紫陽花の紫にじむ雨の夜のデビル雅美のヌードもさびし

 かくして俳人月彦は消え歌人藤原龍一郎が誕生したことを言祝ぐべきかどうか、私にはわからない。われわれの手に遺された数々の秀句をただ玩味するに留めたい。

白坩堝水銀罰のごと滾る  『王権神授説』

古都曇天祖母死者のごと発光す

禁色の水脈さかのぼる破船かな

白内障そこひ病む眸に定家忌の水明かり

水中花死者の目にまず秋は来て

兄妹羽化しつつありあかずの間  『貴腐』

花崩れたましひ秋のの彼方

春昼に昔と出逢ふ磨硝子

石板に鳥彫り殺す走梅雨

日沈まば晩夏も終る海の死者

白昼に影大いなる蛇つかひ  『盗汗集』

あぶな絵の春やむかしの埃吸ふ  

裏庭のカンナ淫らに変声期

額に咲く血糊の花の浄土かな

梔子の闇かと問へば否と応ふ  『魔都 魔界創世記篇』

鶏卵に血の糸まじる冬館

夏薊大航海時代終りても

見えかくれして菜の花の中の亡兄

はつ夏の水銀あはれ世紀末  『魔都 魔性絢爛篇』

裏庭をダリア地獄と誰が呼びし  

軍服の父のみ燃ゆる夏座敷

冬晴や護謨風船に母の呼気いき

断念のごとうつくしき雪夜火事  『魔都 美貌夜行篇』

寒北斗氷砂糖に舌荒れて

寒凪に定形の毒あまきこと