東京の水渡りゆくゆりかもめこの日も一生と墨いろに啼く
鈴木英子『月光葬』
鈴木英子『月光葬』
作者の鈴木は東京都中央区の勝閧橋近くの下町に生まれ育っている。水路が縦横に通う地区であり、掲出歌の「東京の水」は住まいに近い運河の水である。ゆりかもめは又の名を都鳥といい冬の季語。「名にに負はばいざこととはむ」の在原業平と伊勢物語の影が背後に揺曳する。冬にはごくありふれた鳥である。ちなみに京都の賀茂川にも冬になると多くゆりかもめを見るが、琵琶湖をねぐらにしていて、朝になると比叡山を越えて通って来ると聞く。ゆりかもめはかもめの一種なので甲高い声で鳴く。それが作者には「この日も一生」とばかりに鳴いているように聞こえるのである。「この日も一生」とは、おそらく仏教の言葉「一日一生」から来ているのだろう。今日のこの日が一生の最後の日と思い大切に生きよという意味か、あるいは一生は一日一日の積み重ねからできているので一日を大切にせよという意味だと思われる。比叡山延暦寺の大阿闍梨で千日回峰行を二度も達成した酒井雄哉の本のタイトルが「一日一生」だった。しかしなぜ「墨色」か。そこには隅田川東岸の雅称の「墨東」が遠く揺曳していると思われる。生まれ育った風土に深く根ざした歌である。
『月光葬』は作者第四歌集。歌集題名は集中の「殺されっぱなしが積まれどの道もイラクの夜の月光葬なり」から採られている。第三歌集『油月』が2005年刊行なので、9年ぶりの歌集である。一読しての印象は、はかない命に注ぐ暖かいまなざしと、それと相反する多くの死を見つめるまなざしが交錯する、目線低く「にんげん」を詠う歌集というものである。セレクション歌人『鈴木英子集』(邑書林)に解説を書いた藤原龍一郎が、鈴木のことを「人間愛の歌人」とすでに呼んでいるので、私の感想は後追いになるのだが、確かにそう呼ぶのがふさわしい。
しかしそれ以上に本歌集に溢れているのは水のイメージである。すでに『油月』の巻頭で「水無月にかなしき水を湛えおり家族をつつむ東京の水」と詠んだ鈴木にとって、水は生命を育むものである。
水が流れていればそこには橋がある。水のほとりでの生活に橋は欠かせない。
建築や都市論で使われる「地霊」(genius loci)という言葉がある。先ごろ惜しまれつつ亡くなった鈴木博之に『東京の地霊』という好著があるが、その土地の地政学的状態やら歴史的伝承やらか渾然一体となって形成する、その土地固有の「記憶」のごときものを指す。月島の近くに生まれ、結婚を機に転居するが、その後ふたたび佃に戻って来た鈴木にとって、水路の巡る東京の下町は離れることのできない地霊が呼ぶ土地なのである。転勤族の親を持ち、地霊と縁がない私のような人間には、実感することができずうらやましい気がする。もちろん土地のしがらみが負に転じることもあるのは承知の上である。
鈴木が人間に注ぐまなざしの低さと柔らかさを示すのは次のような歌だろう。
ここに書くのは心苦しいが、このようなまなざしは鈴木の長女が自閉症の障碍児であることと無関係ではない。その子は桃の子と呼ばれている。
以下目に留まった歌を挙げてみよう。
こうして見ると、鈴木には単純な叙景の歌がない。どれもこれも「にんげんの歌」と言ってよい。私自身はボオドレエルの詩やジャン・ジュネの小説のように、汚穢を黄金へと転換する芸術の錬金術に最も心惹かれるので、鈴木にそのような志向が見られないことに少しく不満を覚えないではない。とはいえ「人間派」歌人として充実した一冊と言えるだろう。
『月光葬』は作者第四歌集。歌集題名は集中の「殺されっぱなしが積まれどの道もイラクの夜の月光葬なり」から採られている。第三歌集『油月』が2005年刊行なので、9年ぶりの歌集である。一読しての印象は、はかない命に注ぐ暖かいまなざしと、それと相反する多くの死を見つめるまなざしが交錯する、目線低く「にんげん」を詠う歌集というものである。セレクション歌人『鈴木英子集』(邑書林)に解説を書いた藤原龍一郎が、鈴木のことを「人間愛の歌人」とすでに呼んでいるので、私の感想は後追いになるのだが、確かにそう呼ぶのがふさわしい。
しかしそれ以上に本歌集に溢れているのは水のイメージである。すでに『油月』の巻頭で「水無月にかなしき水を湛えおり家族をつつむ東京の水」と詠んだ鈴木にとって、水は生命を育むものである。
ゆっくりとひろげれば蝶はいざなえり極彩色のみずのありかへ人体の主成分は水であり、人間は胎内の羊水に浮かんで生まれる。上に引いた歌には水のさまざまなイメージがあるが、最後の歌の東京大空襲の記憶を除いて、水が生命を育むものであり憧憬の対象となっていることがわかるだろう。これが極まると次のような歌になる。
大川にさくらが零すゆめのいろ水にはゆめを喰うものが棲む
ひとつ水にゆらりいのちを浮かばせて舟にいる一期一会の時間
五月には光がみずをふくらますわれも光の景を生きたし
悠々の川なれどかつて火を背負う人にあふれき東京の川
身に巡るみずを揺すらせ身をのばす次の世いかなるかたちのわれかここで作者が幻視していのは水が繋ぐ生命の連鎖であり、狭い意味での今生きている〈私〉を超えるまなざしがある。
水が流れていればそこには橋がある。水のほとりでの生活に橋は欠かせない。
橋をゆくこころはあやし みずの上をすすっと大きく滑れる気のする地元に留まる決意を述べた二首目は別にして、その他の歌にはどこか怪しい気配が漂っている。それは橋が此岸と彼岸を結ぶものであり、この世とあの世の境界が二重写しになるためである。四首目の橋の上で手を合わせる人がすでに彼岸に渡った人のようだということにも、また五首目で少しずつ萎れてゆく花を彼岸へと命を移すと表現していることにもそれが見てとれる。五首目は視覚的には、見るたびに花が少しずつ向こう岸に移動しているかのようでおもしろい。水と橋は、生があれば死があることの反照である。
どこへ行くにも橋を越えねばならぬからわたしはここで紡ぎ続ける
どこへ行くにも橋に彼岸に渡される 雨の日は雨の温度となりて
橋の上で手を合わせいる横顔のそのひとこそが亡きひとのよう
置かれたるまま少しずつ彼岸へといのちを移す橋上の花
建築や都市論で使われる「地霊」(genius loci)という言葉がある。先ごろ惜しまれつつ亡くなった鈴木博之に『東京の地霊』という好著があるが、その土地の地政学的状態やら歴史的伝承やらか渾然一体となって形成する、その土地固有の「記憶」のごときものを指す。月島の近くに生まれ、結婚を機に転居するが、その後ふたたび佃に戻って来た鈴木にとって、水路の巡る東京の下町は離れることのできない地霊が呼ぶ土地なのである。転勤族の親を持ち、地霊と縁がない私のような人間には、実感することができずうらやましい気がする。もちろん土地のしがらみが負に転じることもあるのは承知の上である。
鈴木が人間に注ぐまなざしの低さと柔らかさを示すのは次のような歌だろう。
ひとつひとつ苺に名前を与えたり生まれるはず生きているはずの子の生まれなかった子や亡くなった子の名前を苺に与えるという一首目、モザイク病の斑点を偏愛の証と見る二首目(まるで聖痕のようだ)、運動会の親子の不揃いを肯う三首目、耳の不自由な人たちの手話を影絵の狐に喩える四首目、いずれも生命をあるがまま肯定し慈しむまなざしに溢れている。
偏愛のあかしのように斑点を抱えるモザイク病のみどりよ
馬跳びの馬ちいさくておおきくて小学生も親も不揃い
影絵なるキツネひゅんひゅん幾匹も喜びあうようなり夏の手話
ここに書くのは心苦しいが、このようなまなざしは鈴木の長女が自閉症の障碍児であることと無関係ではない。その子は桃の子と呼ばれている。
声が言葉にならざる桃の子六歳よゆっくりしずかにひらければよし障碍児を持つ母親の心は想像を尽くしても手の届くものではないが、娘をありのままに慈しむ気持ちが感じられると同時に、五首目のひりひりするような感情もまた偽らぬ真実であろう。
表現の濃い子淡い子 桃の子も母には見える心を持てり
身を預け眠る娘はじゅういちのからだにさんさいほどの脳置く
ひとりでは生きられない子を得てわれは命に執着する冬の母
人のいぬところに生きたし人の目の痛さを知らず娘といたし
以下目に留まった歌を挙げてみよう。
十月いし世を忘れざるあかしとてまなこにいまもいただく水色「十月いし世」とは母の胎内にいて生まれる前の時間のこと。生物学的にはすでに生命としてあるが、私たちの感覚としては生まれるまでは未生である。その時間の証が目の水色にあるとする美しい歌。
静物と描かれながら背きたくすみやかに林檎は身を腐すかなキャンバスに静物として描かれた自分に満足せず、背くために林檎が腐るというおもしろい歌。私は一種の自画像として読んだ。
紙折りてひらきて次元を行き来するこの指はきのう愛された指折り紙を折っているのだろう。「次元を行き来する」という表現がおもしろい。線は一次元、面は二次元、立体は三次元で、折り紙は平面から立体を作るので、二次元と三次元を行き来するということだろう。世界の壁をすり抜ける感覚と、昨日の性愛の記憶とが交錯している。
こうして見ると、鈴木には単純な叙景の歌がない。どれもこれも「にんげんの歌」と言ってよい。私自身はボオドレエルの詩やジャン・ジュネの小説のように、汚穢を黄金へと転換する芸術の錬金術に最も心惹かれるので、鈴木にそのような志向が見られないことに少しく不満を覚えないではない。とはいえ「人間派」歌人として充実した一冊と言えるだろう。