第280回 富田豊子『漂鳥』

死に急ぐ者にはあらぬわが影をふたたび蝶のよぎる突堤

富田豊子『漂鳥』

 上句で「死に急ぐ者にはあらぬ」と断っているのは、一人ポツンと港の突堤に佇立する姿が、これから身投げしようとしている人に見えるからである。しかしわざわざ断る言葉に含まれる否定形が、歌の〈私〉が死を意識していることを否応なしに照らし出す。歌に描かれているのは〈私〉の影だけである。その影を一頭の蝶が横切る。それも一度ならず二度までも。それを吉兆と取るか凶兆と取るかはその時の心の有り様によるだろう。あるいはその両方かもしれない。どことなく不穏な気配の漂う歌で、これが作者の持ち味なのである。

 富田豊子は昭和14年(1939年)生まれ。1974年に安永信一郎主宰の歌誌「椎の木」に入会。安永蕗子の指導を受ける。1985年に「花粉症の猫」で第28回短歌研究新人賞候補となる。『漂鳥』は1987年刊行の第一歌集である。他に『薊野』(2004年)、『火の国』(2010年)、『霧のチブサン』(2016年)がある。

 短歌を読み始めた頃は、気に入った短歌や気になった短歌をノートに書き写していた。その中に富田の歌があった。

黄昏が黄泉へとつづく時の間を一輪車漕ぎ児は遊びをり

 出典まではメモしなかったので、どこで見た歌かはわからない。一読して心を捉えられた歌である。この歌を書き留めたのはもう15年以上も前のことなのだが、富田の短歌をもっと読みたいと思い、第一歌集『漂鳥』(1987年)を入手した。それまでに作った千首を超える歌から441首を選んだ堂々たる第一歌集である。跋文は安永蕗子、装幀は小紋潤。版元は富士田元彦の雁書館である。

 刊行された1987年という年号を見ると、現代短歌に親しんでいる人ならばピンと来るにちがいない。そう、俵万智『サラダ記念日』が出た年である。その他にも小島ゆかり『水陽炎』、大津仁昭『海を見にゆく』、加藤治郎『サニー・サイド・アップ』などが刊行され、短歌年表には「この年、ライトヴァースの是非をめぐる議論が白熱」とある。しかしライトヴァースを担った歌人たちよりずっと年長で、肥後の国熊本在住の家庭婦人である富田は、日本の中央で起きている短歌の流れとはまったく無関係に自分の個性を作り上げている。

 富田のベースは旧仮名の端正な文語定型であり、その主な主題は「生と死が絡み合いあざなえる日常」である。

葬り処の風を背負ひて来し我か黒きコートをぬぐ夜の部屋

トラックに満載されし鶏卵のかすかうめくがごとき坂みち

泣きながら足袋のこはぜをとめてをりかの屈葬のかたちのままに

影といふまがまがしきが従きてくる豆腐一丁下げゆく時も

卵白をかきまぜてゐる朱の箸自が骨片を拾ふことなし

 一首目は友人の葬儀から戻って来た場面。安全な場所であるはずの我が家にまで、死の臭いのする風が吹いて来る。二首目は養鶏場から鶏卵をトラックに乗せて出荷する場面だろう。何ということはない農村の日常風景だが、作者はそこに鶏卵のうめき声を聞いている。それは無精卵としてこの世に生まれたからか、それとも間もなく食べられてしまう運命にあるからか。三首目はなぜ泣いているのか理由は明かされていないのだが、足袋を履いているので和服の正装で出かける支度をしているのだ。かがんでこはぜを止める姿勢が古代の甕棺に埋葬する屈葬の姿勢と同じだという。喪服を着て葬儀に出かける前かもしれない。四首目は近所の豆腐屋で豆腐を買って帰る場面。ふつうならばこれから夕食と家庭の団欒が待っているはずなのだが、作者の目につくのは禍々しい影である。五首目は台所で卵白をかき混ぜている場面。手に持っている箸からの連想で、火葬場で焼かれた火との骨を拾うことを思っている。確かに骨を拾うのは他の人で、自分の骨を拾うことはない。

 これらの歌に登場する「鶏卵」「足袋」「豆腐」「卵白」「箸」などはごく日常的な家庭的アイテムなのだが、富田はそこに「あざなえる生と死の影」を見てしまう。日常生活の折節にふと顔を覗かせる不穏な気配を感じてしまう。それを歌に詠むことが作者の個性となっている。あとがきには「天翔るものへのひそかな思慕を抱きながら残光の坂をくだった」とあり、跋文で安永は「ふと垣間見た何ほどもない風景に、思いがけぬ人生の深淵を見てしまう。謂うならば不幸な感性を身につけている人である」と作者を評している。師の慧眼恐るべしである。また安永は、「文芸の業に身を入れたもののそれは不幸でもあるが、毒のうま味のある自己剖見が、表白の舌をよろこばせるのである」とも述べている。玩味すべき言葉であろう。「毒のうま味のある自己剖見」は次のような歌にある。

 

椅子盗りの椅子にはぐれてゐし日より幸運などの来ることのなし

風のなか人の乗らざる回転の木馬は回る汚れて回る

きりわりし南瓜が笊に乾きゆく自滅の過程みるごとき日々

小鰈の白き胞子はららご食ひつくすわれのうちなる辛酸の管

人間の貌を曝して夕ぐれの腸詰ひさぐ店先を過ぐ

 

 二首目の汚れた回転木馬や三首目の乾きゆく南瓜は眼前に自己投影された客体である。四首目の「辛酸の管」は自分の消化器で、五首目では自分は人前では人間の顔をしているが、実は人間ではない面も持っているという独白。富田は夫も子供もいる「普通の妻」(安永)だそうだが、「文芸の業に身を入れたもの」であるために、家庭婦人という立場を振り切っている。そこに歌の凄みが生まれる理由がある。

 富田の目は日常の取るに足りない細部にも注がれるのだが、その描き方が普通ではない。

昨日よりおく塵芥に濡れてゐる使ひ捨てたる水色のペン

ドラム缶のへりにそこばく溜りゐる雨水を時に風が吹きゆく

晩春の雨を吸ひゐるダンボールどのあたりより崩れはじむる

焼きすてし畑田にのこるまくわ瓜大き頭蓋のごとく転がる

少年の含羞のごときハムの耳截り落としたる俎の上

 ゴミ袋に入った捨てられたペンや、ドラム缶の縁に溜まった雨水や、雨を吸って膨れあがったダンボールなどは、美的観点から言えば歌に詠まれるような美しいものではない。畑に打ち捨てられたまくわ瓜や、ハムの切れ端も同様である。しかしながらこのような物もまた私たちの生活の一部であり、人生を彩るものでもある。まくわ瓜を「頭蓋のごとく」と喩え、ハムの切れ端を「少年の含羞のごとき」と喩えるとき、そこにふだん私たちが目にしているものとは異なる風景が現出する。

 

白蓮の花瓣のごとき軟骨が瓶に浮かびて在るガラス棚

喪の服の気付けをなして得たる銭折りじわつきてわがたなの内

方形の朱の壺ひとつ卓の上わが骨充たすことも幻

川の面に白き網打つ少年の網にとらるる夜の星群

西へき流るる野川に青き菜の帰命とおもひ石橋わたる

忽ちに雨の匂ひとなりてゆくバスを降りたる現し身われの

くもりたる天の片処にほのかなる井水と見えて冬の日輪

段丘をのぼりつめても冬の土蝶の青濃きしかばねに逢ふ

 

 印象に残った歌を引いた。いずれも日常の風景が作者の感性のフィルターによって濾過され、それが確かな措辞によって硬質の叙情へと昇華されている。バブル経済の前夜、世が口語短歌とライトヴァースへと向かっている時代に、その流れに敢然と逆らうような硬質の抒情詩が作られていたことに改めて驚く。もっと読み返されてよい歌集である。