第31回 黒瀬珂瀾『空庭』

ああ吾は誰かの過去世まなかひに雪ふる朝を地の底として
                     黒瀬珂瀾『空庭』
 絢爛と黒い光を放つ第一歌集『黒燿宮』で2002年にデビューした黒瀬珂瀾の待望の第二歌集が出た。奥付に本年(2009年)6月5日発行の日付を持つ『空庭くうてい』である。著者から拝領したのは一週間前なので、おそらくこの文章が最初の批評になるだろう。第一歌集から閲すること7年の年月はやはり長く、才気溢るる一人の青年が時間という微粒子の中を泳ぐことで変貌するに十分な長さである。7年という時間は収録歌数にも反映されている。基本は1頁5首組で、前書き・目次・跋・後書きを除くと165頁あり、空白頁をざっと20と見積もって引くと145頁になる。単純に5を掛けると725となり、おおよそ700首という数を得る。花山周子の『屋上の人屋上の鳥』が出た時、収録歌数860首は茂吉以来と話題になったが、その数に迫らんとする歌数である。跋文は岡井隆。ソフトカバーの瀟洒な装幀はあのクラフト・エヴィング商會。自己陶酔的な青年のイラストが表紙を飾る第一歌集の黒を基調とした装幀と比較すると、驚くほどシンプルでおとなしい。人が現在いる位置は見えにくいが、以前いた位置と較べると見えやすくなる。過去の位置Aと現在の位置Bの差分を取ることで、見えてくるものがあるのだ。黒瀬の第二歌集『空庭』を読み解こうとする時も、この接近法は有効なのである。
 歌集題名の『空庭』は著者の造語で、Empty gardenとCelestial gardenの両方を意味するという。「空虚な庭、光あふれる庭としての世界を嘆き、希求する心を、この造語に託した」とあとがきにある。集中に題名の由来を示すと思われる一首がある。「Garden アフガン侵攻への一瞥」と題された連作中の一首である。
ガーデン」(ガーデン)が、眼の前にありわがうちに空虚満ちつつ初冬の晩暉
 水と緑の溢れる楽園のイメージは古代ペルシアに端を発するとされている。ならば同じ中東のアフガン侵攻が蹂躙される庭園の連想を導くのは自然だが、その庭園はひたすら空虚なものとして認識されている。第一歌集『黒燿宮』にも「回廊」や「薔薇」などの語の背後に庭園のイメージは揺曳しているが、はっきりと庭園に言及しているのは巻末の次の歌のみであった。
わがために塔を、天を突く塔を、白き光の降る廃園を
 この歌に「血の循る昼、男らの建つるもの勃つるものみな権力となれ」という別の歌を重ねると、「男性原理」「権力」「エロス」またその陰画としての「同性愛」などのキーワードが得られる。第一歌集において「庭園」は、希求する対象であると同時に、廃園の語が示すように、挫折・喪失の文脈において捉えられている。庭園がここで世界の喩であるとしても、その把握はあくまで観念的な範囲に留まる。振り上げるナイフはただ我が身を突くのみなのだ。ところが『空庭』においては庭園はただ観念の対象ではなく、アフガン侵攻という日付を持つ時事的文脈の中に置かれており、空想の紡ぎ出すものであることに変わりはなくても、そこに確かな現実との紐帯が認められる。この立ち位置の変化が『黒燿宮』から『空庭』への変化の中で最も意味深いものである。それは村上春樹がかつてのdetachment (離接)からattachment (接続)へと、世界への立ち位置を変化させたのと似ているかもしれない。この点に7年の年月がもたらした表現者黒瀬の成熟を見るべきだろう。
 制作年代が最も古い第四部には、『黒燿宮』を思わせる黒瀬調の歌が見られる。
俺は見た、我が掌に汝がこぼしたる精を 真夏の啓示としての
神々の捨てたまふこの苑にゐて朝日の塔を幾千と見む
汝が口を口もてふさぐ われの名を零さむとする暁の百合を
俺は飛ぶお前は落ちろ日輪を背にする街を抱く運河へ
銃だった、あれは確かに、緩徐調子アダージョの街との別れ際に見たのは
 硬質の質感を持つ漢語を組み合わせ暗喩を多用する詩法は前衛短歌譲りで、語の強度から滲み出る高踏的詩情は地上のものと言うよりは天空の領分である。これは額に汗して地上を歩く人の歌ではない。高踏的な言語への拘りは塚本邦雄と似た所もあるが、大いに異なる点は、塚本は俳句もよくしたのに対して、黒瀬は俳句に向かないところだろう。なぜなら黒瀬の歌の言葉は「物語」を呼び込んでしまうからである。人も知るように俳句は過剰な物語を嫌う。『黒燿宮』のあとがきに、「僕は物語を書き綴るつもりでした。(…)でも、ようやく最近になって気が付いたように思います。僕には語るべき物語は無いし、それを語る術も持たないということに」と黒瀬は書いているが、黒瀬の歌はこの言葉に反して物語を常に内包している。歌が何か大きなストーリーの断片のように見える。近代短歌の〈私〉は物語の地層に紛れて見えなくなり、物語を紡ぐメタ的〈私〉としてしか把握できなくなる。この点において、物語を内包せず近代短歌の〈私〉を前景化する吉川宏志と黒瀬は、現代短歌シーンにおいて180度対極的な作風の歌人と言えるだろう。
 しかし『空庭』の他の章においては黒瀬の変化が顕著に見られるのだ。
海ゆ戻れば居間には闇が膝をかかへて座せり、まるで日本だ
降嫁する人をことほぐ広告アドを書く 夜更けの塩の塊のため
枝々ゆ光はさむくこぼれつつ九段(POWERを!)坂のぼりゆく
ぽすころ、と宵の闇から鳴く声がする鳴き出すはつねに本国
ウサマ・ビン=ラディンの眉の太さかな黒葡萄食む夜明けの餐に
ムスリムの愛か知らねど何者かに抱きすくめられ崩れゆくビル
国家対国家とならぬ戦ひのかたみに愛を打ち交はす頬
 一首目は渡辺白泉の名句「戦争が廊下の奥に立つてゐた」を髣髴とさせる歌。作者も意識しただろう。『黒燿宮』の舞台がどこでもよく、またどこでもない世界 (everywhere and nowhere)だったのにたいして、はっきりと日本を名指ししている点が注目される。二首目の「降嫁する人」は結婚して黒田清子となった紀宮清子内親王で、「塩の塊」はサラリー、つまり給与のこと。食うために書きたくもない広告コピーを書くという歌である。三首目の坂は靖国神社へと続く九段の坂。四首目の「ぽすころ」は、ポスト・コロニアリズムの略。列強による植民地収奪は見かけ上は終焉したものの、経済的・文化的収奪はなお続いているとする理論的立場をさす。五首目以降はアフガン侵攻を詠んだ連作から。黒瀬が愛を語るとき、それはしばしば暗い陰影を帯びる。
 『黒燿宮』に登場する王や権力は、言葉が創り上げた耽美的世界に奉仕するものであった。この点は三島由紀夫と似ているかもしれない。これにたいして『空庭』に登場する日本や国家はより具体性を帯び、私たちの住む現実世界に接近している。黒瀬は『空庭』のあとがきで、21世紀には世界は激変し、もはや誰一人20世紀の世界観に戻ることはできないと書いている。観念が生み出す耽美的世界から出発した黒瀬も、世界の事件と共振しそれに寄り添うことで世界に対する立ち位置を変化させ、同時に歌の質をも変化させたのだと思われる。
 同じ変化は日付のある歌の連作にも見ることができる。
12.14.00
はやう子を作れ、と言ふに頷けり 頷くほかになき昼下がり
12.14.50
大学の前に手を振る一滴の羊水もまだなさざる妻よ
12.16.00
短歌を作つてゐますと言はれおののけり闇にあわ立つビール温めり
1月5日 コンタクトレンズ紛失
見えすぎる世界もいやでコカコーラ飲みつつ歩む闘技場まで
1月7日 コンタクトレンズ発見
雪は雪待たず溶けゆき〈わたくしの輪郭〉などは見なくてよいぞ
 最初の三首は、塚本邦雄の訃報に接して実家に戻った旅行を詠んだ「六月の」と題された連作から。残りの二首は「去年今年」から。日付のある歌は河野裕子の歌集にもあり、小池光も『日々の思い出』で多く試みているが、詠まれているのはたいてい日常生活の小事であり、小事を掬い取るところに短歌の本質があるとする短歌観と表裏一体を成す。これは現実世界と似て非なるひとつの世界を言語によって構築する短歌観とは大きく異なる。黒瀬は今まで後者の短歌観に拠っていたので、日付のある歌を作るようになったこともまた前歌集からの大きな変化と言えよう。
 『黒燿宮』に多く見られたサブカルチャーとゲーム感覚に基づく歌は本歌集にも確かにあるが、その比率は以前よりはずっと低い。それに代わって『黒燿宮』には少なかった次のような作風の歌がかなりある。
酸漿の一輪白くうつむけるままに優しく知る海開き
抱き合ひて気付くわが身の冷たさをかなしみにつつ冬は終わるも
君去れば飲まれぬままに薄まれるコーヒーに浮く氷片ぼくは
勤めきし身を朝靄にまかせれば我が帰路に踏む硝子のひかり
物ひさぐ悲しみに満ちて花枯るる道端に水わづかかがよふ
 技巧者の黒瀬ゆえどの歌も上手い造りなのだが、以前のような外連味は影を潜め、短歌定型を意識した静かな歌である。青年の激情が壮年の沈思へと変化したのか。いやいや、ここはニーチェが提唱したアポロンとディオニソスという概念を借りて語るべきだろう。『黒燿宮』の基調は激情と混沌のエネルギーが支配するディオニソス的世界である。それから7年を経て、黒瀬は調和均衡と論理とが支配するアポロン的世界に接近してきたのではないか。あらゆる芸術にはアポロン的要素とディオニソス的要素の両方が必要なのは事実だ。しかしいずれが支配的になるかは、一人の芸術家においても時代や年齢により変化する。そういえば黒瀬の師であった春日井建もまた、ディオニソス的世界から出発してアポロン的世界へと移行した歌人と言えるかもしれない。
 制作年代が最も新しい第五章は作者のこの変化をよく感じさせる。
夜の底に開くみづうみ夜の底へ雪のひとひら沈めてしづか
ししむらを持つゆゑ飛べず春雪をかづけば無言なる遊園地
贄のごと気球を浮かせこの街は夜に入るかも星なき夜に
蛾を踏みてやはりわたくし 灯を落とし海底となるアトリウムにて
あてびとは吾よりしくサイダーを飲みて夏解げあき熟睡うまいをなせり
狭きわが棲みはつひにうつぼ舟 世界に万の雨降りそそぐ
夕映えをまとふ歌集は卓上に死せる浅蜊のごとくに開く
 世界を畏れて遁走したり破壊しようとするのではなく、静かに世界に手を伸ばすような歌である。惜しむらくは本歌集が7年という長い期間にわたっているためか、様々な傾向や作風の歌が混在しており、歌集全体を通観して集を代表する一首を選べと言われると、考え込んでしまうところがある。しかし全体を通読して、現在の黒瀬が辿り着いた地点は上に引いたような歌境ではないかと推測される。もっとも短歌技巧に長けた黒瀬のことゆえ、テーマや場に合わせてどんな歌でも作れるだろう。本集の最後の章は「金をくれるといふのならどんな歌でもよろこんで」と題されている。しかしどんな歌でも作れるということが歌人にとって幸いなことかどうかは、また別問題であることは言うまでもないのである。