第313回 永井祐『広い世界と2や8や7』

横浜はエレベーターでのぼっていくあいだも秋でたばこ吸いたい

永井祐『広い世界と2や8や7』

 2020年に左右社から上梓された永井の第二歌集である。永井が2002年に第一回北溟短歌賞で次席に選ばれて短歌シーンに登場した時は、「トホホ短歌」「緩い短歌」の代表格と見なされて、年長歌人たちからずいぶん叩かれたものだ。しかし、その後の時間の流れの中で、永井が作る短歌の本質の理解はずいぶん進んだ。そのような変化の契機は大きく3つあったように思う。

 一つ目は2005年に行われた第4回歌葉新人賞である。この回の新人賞は笹井宏之が「教えてゆけば会えます」で受賞した。次席は宇都宮敦の「ハロー・グッバイ・ハロー」である。書肆侃侃房から「ねむらない樹」別冊として刊行された『現代短歌のニューウェーヴとは何か?』(2020年)に、永井が「第4回歌葉新人賞のこと」という文章を寄稿している。永井は全部で5回行われた新人賞の選考会では、第4回がベストだったと書いている。その理由は、笹井と宇都宮の対決は「一種のスタイルウォーズだった」からである。 

 少し抜き出して引用してみる。

「遠いところを目指す笹井の歌に対して近いところの見方を変える宇都宮の歌。表現の飛躍が魅力の笹井に対して、一字空けの間や『とりあえず』『ふつうに』などの言い回しから葛藤や空気感を伝える宇都宮」。「笹井の歌は一首での引用に向いている」が、「宇都宮の歌は三十首の流れやうねりにキモがある」。「その対立は口語短歌の行方にとって本質的である」、「当時、キラキラした言葉が飽和気味で行き詰まりかけていたネット / 口語短歌の中に新しい原理と方法を持ち込むものとして、宇都宮の歌はわたしに見えていた。」

 宇都宮の「ハロー・グッバイ・ハロー」には次のような歌が含まれていた。これも年長の歌人の目から見れば相当な「緩い歌」と見えるだろう。選考委員で宇都宮を推したのは穂村弘一人だったという。

真夜中のバドミントンが 月が暗いせいではないね つづかないのは

それでいてシルクのような縦パスが前線にでる 夜明けはちかい

牛乳が逆からあいていて笑う ふつうの女のコをふつうに好きだ

 明らかに宇都宮は永井と同じ方向性をめざしていた。キラキラした言葉ではなく、近いところの見方を変える歌という永井の言は、そのまま自身の短歌の特徴を語っていると見てよい。

 『短歌研究』2020年6月号は「永井祐と短歌2010」という特集を組んでいる。そのインタビューの中で永井は次のように語っている。歌を作り始めた頃は、穂村弘の影響が大きかった。しかしそれではだめだと感じて、自分の持っているものを自覚して文体に落としていく作業に時間がかかった、と。聞き手の梅崎実奈は、第一歌集の『日本の中でたのしく暮らす』に北溟短歌賞の「総力戦」が収録されているが、穂村っぽい部分が全部カットされていると指摘すると、永井は、テンションの高さやキラキラした部分はカットしたのだと明かしている。永井の短歌の文体は自覚的に作り上げたものであることがわかる。

 永井の評価の潮流が変化した第二の契機は、永井が何をやろうとしているかについての年長歌人の理解が深まったことである。たとえば『レ・パビエ・シアン II』2012年9月号の「若手歌人を読む」という特集に、大辻隆弘が「新しき『てにをは派』」という永井論を書いている。大辻は2011年7月に長浜ロイヤルホテルで開かれた現代歌人集会の「口語のちから・文語のチカラ」というシンポジウムに登壇した永井が語った言葉に瞠目したと明かしている。永井は、口語・文語・外来語といった様々な言語を「ツール」として選ぶという言語観を否定する。言葉とは、自分の存在を規定している「身体の延長」であり、口語は「自分が生まれた国」であるとする。またニューウェーヴ世代の短歌の不自然な口語と文語の混交に違和感を感じていたとも述べている。詳しく引くのは避けるが、大辻は永井の文体のキモは「てにをは」つまり助詞であり、助詞の選び方に永井独自の工夫があると熱く語っている。これはユニークな視点である。

 第三の契機は、ゼロ年代のリアル系歌人と呼ばれる若手に永井フォロワーが増えたことである。試しに『現代短歌』2021年9月号の特集「Anthology of 60 Tanka Poets born after 1990」から引いてみよう。

特別な何かを手に入れたとしても幸せになれるかは、わからない

                          中野霞

気をつけてねと送り出されたこの道で死ねば気をつけなかったわたし

                          乾遙香

てきとうな感じで生きている人がいたっていいしいたってふつう

                         中澤詩風

 このような若者のしゃべり言葉に限りなく近い口語短歌は、永井や宇都宮が始めたものである。前衛短歌が積み残した使命として現代短歌の口語化を挙げる加藤治郎の短歌と較べてみると、そのちがいは一目瞭然だろう。

やりなおすことはできないどこからもどこからも鈍器のひかりあれ

                        『噴水塔』

韻律の香りのなかに言葉ありさよふけぬれば風は囁く

ひらがなの流れるような雲がゆくふるえるばかりひとひらの舌

 加藤の歌は美しいとは思うが、永井が違和感を感じたという文語と口語の混交とはまさにこのような文体を指すのだろう。日常の生活で、「さよふけぬれば」とか、「ふるえるばかり」なんて言う人はいない。

 「口語によるリアリズムの更新」という問題意識は、加藤治郎らのニューウェーヴ世代にもあったが、永井の特徴は、一見ハードルが低そうで、つい真似をしてみたくなるところにあると穂村弘は指摘している(『短歌研究』2020年6月号所収「作り手を変える歌」)。永井が北溟短歌賞でデビューしたときにはそれと意識されていなかった「リアリズムの更新」というテーゼが、その後時間が経つにつれて短歌シーンに徐々に浸透していったということになろう。

 前置きが長くなったが『広い世界と2や8や7』である。まず数字に意味があるのかと考えてしまう。合計すると17になるが、俳句ではないのでこれには意味はあるまい。収録されている連作のタイトルにも、「それぞれの20首」「7首ある」「12首もある」のようにとぼけたものがある。永井は意識的に不必要な意味を消去しているのだ。

よれよれにジャケットがなるジャケットでジャケットでしないことをするから

ライターをくるりと回す青いからそこでなにかが起こったような

オレンジ色に染まってる中央通り 市ヶ谷方面 酒屋を右に

雪の日に猫にさわった 雪の日の猫にさわった そっと近づいて

待てばくる電車を並んで待っている かつおだしの匂いをかぎながら

 永井は単に歌を不自然な文語から解放して、若者の日常のしゃべり言葉で書こうとしているわけではない。日常の言葉を写しただけでは詩にならないからである。できるだけ口語で書いてポエジーを発生させるには文体の工夫が必要である。永井は意識的な文体派なのだ。穂村の言うように、ハードルが低そうでつい真似をしてしまう人とのちがいはそこにある。

 一首目は巻頭歌である。ここには手の込んだ倒置法が使われている。正置に戻すと、まず三句目までと残りを「ジャケットでジャケットでしないことをするからよれよれにジャケットがなる」とひっくり返し、次に「よれよれにジャケットがなる」を「ジャケットがよれよれになる」とまたひっくり返す。残りは「[ジャケットでしないこと]をジャケットでするから」と入れ子構造になっているという複雑な文になっている。穂村と山田航はこの歌を「これはやりすぎだね」と評しているが無理もない。

 二首目の工夫は「青いから」にある。ライターを手の中で回すのは、人が無意識によくする行為だ。しかし「青いから」と「そこでなにかが起こったような」の間に論理的連関はない。論理的連関を断ち切ることによって意味の脱臼が起こり、言葉は日常の地平を離れて浮遊し始めるのである。三首目は意図的に助詞と述語を省略することによって、言葉の連接を疎外して、「言いさし感」と「言い足らず感」を浮上させている。四首目は永井を「てにをは派」とする大辻ならば喜びそうな歌である。「雪の日に猫にさわった」の「雪の日に」は時間指定を行う連用修飾句であり、文全体に掛かる。一方、「雪の日の猫にさわった」の「雪の日の」は「猫」に掛かる連体修飾句であり、「雪の日の猫」という大きな体言内部で完結している。「雪の日に猫にさわる」という体験を通して、猫は単なる猫ではなく「雪の日の猫」という一回限りの特性を帯びることになる。言わば外部が内部へと浸透するのである。五首目は通勤のために駅のホームで電車を待っている光景だろう。かつおだしの匂いというのは、駅のホームにある立ち食い蕎麦の店から漂う匂いだろうか。この歌でおもしろいのは「待てばくる」だろう。駅なのだから待てば来るのは当たり前である。当たり前のことをわざわざ言うのはどこかおかしい。そのどこかおかしい感が日常の言葉と少しずれを生んでいる。

 永井の短歌のもうひとつの特徴を挙げておきたい。ものすごく乱暴に短歌を二分すると、「名詞中心の歌」と「動詞中心の歌」に分けられる。名詞中心の歌の代表格は何と言っても塚本雄だろう。

煮られゐる鶏の心臓いきいきとむらさきに無名詩人の忌日

                   『日本人霊歌』

ペンシル・スラックスの若者立ちすくむその伐採期寸前の脚

                    『緑色研究』

 名詞は基本的に動きを表さず、時間性を内包しない。このため名詞中心で描かれた光景は、あたかも一幅の絵画のごとく凍り付いたように空間に固定される。それゆえ結像性が高く、読む人の心に視覚的印象が深く刻まれる。永井の歌集にこのような歌は一首もない。永井は動詞中心派なのである。

デニーロをかっこいいと思ったことは、本屋のすみでメールを書いた

目をつむり自分が寝るのを待っている 猫はどこかへ歩いて行った

とおくから獅子舞を見る 駅ビルの階段の上でゆっくりうごく

 永井が動詞中心派なのは、ふつうの世界に生きている〈私〉の「今」を表現したいからだろう。一首目や二首目のように過去形の「タ」で終わる歌もあるが、三首目のように非過去形の「ル」で終わる歌も多くあり、この歌のように一首の中に動詞が複数使われているものもある。それが〈私〉の「今」とどうつながるかは、別の所に書いたのでここでは繰り返さない。

 文体派の永井の面目躍如の歌集である。本歌集は今年の大きな話題となるだろう。