第78回 佐久間章孔『声だけがのこる』

近代を希望のごとく抱きとめて舵手は深みに沈む何度も
            佐久間章孔『声だけがのこる』 
   佐久間章孔さくま のりよしは1948年生まれで、「未来」「月光」所属。1988年(昭和63年)に「私小説8(曲馬団異聞)」で第31回短歌研究新人賞を受賞している。ちなみに前年度の受賞は荻原裕幸と黒木三千代、その前の年は加藤治郎で、1990年(平成2年)は西田政史と藤原龍一郎である。昭和から平成へのちょうど変わり目にニューウェーブ短歌がどっと世に出て注目された時代に当たる。経済はバブル景気の絶頂期で、ディスコのジュリアナ東京がしきりに話題になった頃だ。そのような時代背景に改めて置き直してみると、佐久間の短歌のトーンは時代の明るさと反比例するかのように重くて暗い。「希望のごとく」と述べているのだから、当然近代は希望などではなく、操船を委ねられた舵手は逃れようもなく近代を抱きとめるのだが、その重みに絶えられずに沈んでゆくのである。この歌はまぎれもなく思想詠であり、作者の視線の赴くテーマが時代であることを物語っている。そしてこの歌の重いトーンは、自分が時代に取り残されるという自覚が生んだものだ。本歌集が昭和から平成への変わり目である1988年に刊行されたということは大きな意味を持つだろう。
 栞文で岡井隆は佐久間の短歌を評して、「今の時代には珍しい、男性の思想歌だ」と述べている。また福島泰樹は佐久間の短歌は歌物語であり、その文体は口語文脈一人称饒舌話体だと断じている。いずれも的を射た評言と言えよう。しかし、いずれの言葉も佐久間の歌の独特の空気感には届いていないように感じられる。たとえば次のような歌である。
あかねさす虚無によろしく 銀行の番号札を貯めておくから
普遍的観念の逆襲をこそ企まんポップなコピーの比喩する街で
モダン・ラブそのかなしみの乳房さえ記号のうみの0のさざなみ
保養地の言葉遊び人あなぐらむびと 差異というあるかなしかの年金暮らし
帰属せよと海に誘われ……殻のないこの牡蠣の身をええなんとしょう
おりぼんでこの首くくってくださいな村はぼんやり戦後もぼやり
 おおむね定型によるこれらの歌は口語で書かれているが、この時代のニューウェーブ短歌のポップでライトな口語とは位相が異なる。わざと現実と言葉との間に距離を設定し、すべてを喩でくるむ手つきのなかに自嘲と呪詛が微量の毒のように混入されている。その理由はこれらの歌のなかに見いだすことができる。「ポップなコピー」とは、たとえば糸井重里が西部百貨店のために作った「おいしい生活」であり、「記号の湖」や「言葉遊び人」や「差異」は当時流行したニューアカデミズムがもてはやした記号学を思わせる。作者は祝祭的様相すら見せていた時代のポストモダン的状況に強い違和感を感じているのであり、これらの歌は時代の状況を揶揄する歌である。佐久間は時代に流されない「普遍的観念の逆襲」を企むのではあるが、翻って我が身を振り返れば自分は「殻のない牡蠣の身」にすぎない。今まさに終わりを告げようとしている昭和という時代と抱き合って心中するしかないのである。
 上に引いた最後の歌は注目される。佐久間は口語文体の影響を村木道彦と平井弘から学んだと述べているが、この歌の「村」と「戦後」は明らかに平井の語彙である。
倒れ込んでくる者のため残しておく戸口 いつから閉ざして村は
村々にひとときうつり 還りたきものら斃れておりしテレビは
                       平井弘『前線』
 したがって佐久間の短歌があぶり出すのはもう一つの「前線」であり、孤独な思想兵としての佐久間は昭和という時代の殿艦よろしく退却戦を戦っているということになる。
おれたちにゃもう船がない武器もない倉庫みたいに軽いぞこころ
かごめかごめ輪になっておどれぼくたちに刺されたものが還り来るまで
 村木と平井から口語文体を学んだという佐久間だが、村木のゆるやかな抒情性や平井の下句のリズム破調が生む粘着性はどこにもなく、佐久間の文体はときに都々逸のようでありときに戯れ歌のようで、下手をすると俗な流行歌にまで接近する。しかしこれはおそらく意図的な選択で、こうした文体が押し上げる〈私〉は世の中に対して斜に構えた無頼な拗ね者という感じになる。
 では佐久間が時代の何に対して抗っているのかというと、それは次のような歌が示してくれるだろう。
いちどだけあの黄の花が咲いたとさ轟々と行く近代の辺に
戦後史の一断片の名にかけてかがり火を焚く九月があれば
混乱のポルターガイスト党大会ぼくも負けずに椅子投げてみた
寝返ればみとこんどりあがゆれるのだもう目覚めるな君たちはもう
かの夢が人を噛むこともない街の時代ときを患うひとりになるさ
生涯が歳月が沈む海である 徒党を組みしことの結末
 徒党を組んでかがり火を焚き、近代に辺に黄色い花の実現をめざすというのは、言うまでもなく「かの夢」と詠われた革命幻想である。三首目の党大会とは、日本共産党が武装闘争路線を捨てた六全協のことだろう。その結果として作者が引き受けた身の上とは次のようなものとあいなる。
さくらあわれ韻律あわれ負け組はせめて無頼の破調口語左派
 さて、ここで立ち止まって考えてみなくてはならないのは、このような佐久間の歌の内容は事実であり、歌の一人称は佐久間自身かという問題である。これはどうやら疑わしい。佐久間はあとがきに次のように書いている。「そうだ、虚構の一人称というかたちで一首の臨場感と、中壮年の覚めた視線を両立させよう ! そうすることで同時代を気分ではなく認識の韻律で語ろう。十分に懐かしく情緒的であやふやなフォックス・トロット、アナーキーの後ろ手がそっと手渡す近代を弔うための花束」。
 つまり佐久間がこの歌集で展開したのは、「歴史のほんのはずみ一つで、そう在ったかもしれない架空の物事」であり、「すべての不在のもの達のために、懐疑と郷愁のカクテルを捧げ」ることが作者の目的なのである。つまりは歌集一巻全体が巨大な喩だというわけである。福島泰樹が栞文で述べている「歌物語」というのも、このことに他ならない。
 戦後短歌が寺山修司によって「虚構の私」を手に入れ、80年代のニューウェーブ短歌が修辞を復活させたとはいえ、佐久間のような歌の作り方は他に類を見ない。あとがきで佐久間はまた次のようにも語っている。「口語定型の歌が頻出するのは、文語定型のかっこいいリズムによる露骨な自己救済を回避したからだ。そしてそこにこそ歌が四十歳であることの意味を私は見つけた、といまは思いたい」。48年という団塊の世代のど真ん中に生まれ、おそらくは左翼運動で挫折を経験し、40歳で歌壇デビューという遅れて来た青年である佐久間にとって、最も難しいのが現実(=日常)との間合いの取り方である。一巻全体が喩という作りや戯れ歌のような口調による口語短歌は、この問題に対する佐久間なりの解答に他ならないのである。
男とは蛋白質の気まぐれの夕焼色したひとつの祭具