068:2004年9月 第2週 地名の歌

行きて負ふかなしみぞここ鳥髪に
       雪降るさらば明日も降りなむ
               山中智恵子

神田川流れ流れていまはもう
       カルチェラタンを恋うことも無き
               道浦母都子

不易糊(ふえきのり)賣りゐるよろづ屋があるはうれし
       太秦和泉式部町(うづまさいづみしきぶちやう)
               塚本邦雄

 上の三首の歌に共通するのは、いずれも地名が詠み込まれている点である。「鳥髪」は出雲国は簸之川上流の船通山の古名で、実在の地名である。記紀神話では素戔嗚尊が天上から追放され、初めて降り立った土地だとされており、山中の歌では生きるすべての悲しみが凝結する場所と表現されている。「神田川」は東京の学生街を流れる川であり、南こうせつを中心としたフォーク・グループ「かぐや姫」の往年のヒット・ソングのタイトルでもある。「カルチェラタン」はパリ5区の学生街で、1968年の学生運動の舞台となった。「太秦和泉式部町」は、京都市右京区の太秦(うずまさ)に実在する町名。太秦は平安遷都の以前から、渡来系の秦氏が住んでいた古い土地である。

 上の三首では詠み込まれた地名が、歌の意味作用にとって欠かせない働きをしている。まず「鳥髪」という地名を構成する「鳥」も「髪」も、短歌の世界では重く意味を備給されている語で、それが結合した「鳥髪」には一種異様なまでのイメージ喚起力がある。それだけではない。この歌は記紀神話を背景とし「鳥髪」を入り口として古代へとワープすることで、現在と古代とが重層する世界を作り出している。この意味作用は「鳥髪」という地名なくしては実現することが難しかっただろう。

 道浦の歌では、「神田川流れ流れて」に複数の意味が託されている。神田川の水が流れるという字義通りの意味、神田川の水が流れたのと同量の時間が経過したという比喩的意味、そしてフォーク・ソング「神田川」のメロディーが巷に流れたという意味である。この歌で表現されているのは、かつては学生運動に参加した自分も年齢を重ねて遠い所にやって来たといういささか安易な感慨だが、学生運動の「ガ」の字も言わずにそれを間接的に表現することを可能にしているのは、ここでもまた地名の持つ喚起力である。

 塚本の歌は、もう文房具屋で見かけなくなった不易糊が売られていたという嬉しさと、和泉式部町という地名を見つけたときの嬉しさとを一首のなかに並べたという、ただそれだけのものである。塚本の歌に登場するのはほとんどが実在の地名で、天使突抜や空鞘町など創作としか思えないものも、実在の地名である。この歌のおもしろさもまた、和泉式部町という地名の発見がなくては成り立たない。

 永田和宏は、最近の若い女性たちの作品に固有名詞が極端に少なく、特に地名が少ないという興味深い指摘をしたことがある(「普遍性という病 – 読者論のために」『喩と読者』所収)。永田の文章はもともと『国文学』昭和58年2月号に掲載されたものだから、ここで言う「最近」とは1983年から見ての最近である。永田は科学者らしく、「最近の若い女性たちの作品」を『短歌現代』58年3月号の「30代歌人の現在」に収録された24名の女性歌人の作品に限定したうえで、より年長の女性歌人、同年代の男性歌人を比較集団として統計調査し、その上で「最近の若い女性たちの作品」には固有名詞の出現率が低いことを確認している。

 他の集団と比較して、昭和58年当時の若い女性たちの作品に固有名詞が少ないという、統計的に有意な偏りを説明する仮説として、永田はふたつの可能性を指摘する。

 ひとつは若い女性たちの短歌が、想像力のみによって構成され、「いつ」「どこで」「何を」「誰と」といった〈事態の個別性〉を必要としていないという可能性である。この道を突き進むと「想像力の自家中毒」に陥ると永田は警告している。ただし、歌人を乱暴に「言葉派」と「人生派」に二分すれば、「言葉派」の人たちは言語によって / のなかで喚起される想像力を梃子として作歌するのだから、「想像力のどこが悪い」という反論も可能だろう。

 もうひとつの可能性は、短歌の胚珠となった歌人個人の体験の〈事実性〉が故意に隠蔽されていることが、固有名詞減少の理由だとするものである。なぜ体験の〈事実性〉を隠蔽するのか。それは重要なのは〈事実〉ではなく、事実の奥に潜む〈真実〉だというテーゼが信じられているからである。素朴リアリズムから脱却するには、事実の具体性・個別性よりも、真実の抽象性・普遍性を志向するのは当然のことである。しかし永田はこのような態度にも潜む危険性を指摘し、それを「普遍性という病」と呼んでいる。「想像力の自家中毒」と「普遍性という病」が相乗作用を起こすと、「ある日ふと気がつくと、どれもこれも似たりよったりの抒情の、ヴァリエーションばかりを読まされている気にもなる」という訳なのである。

 永田の立論はなかなか刺激的だが、ここではその議論の妥当性を吟味するのは控えておこう。それより問題にしたいのは、「最近の若い歌人の歌には固有名詞が少ない」という事実認識の方である。というのも永田が今から20年前に行なった検証は、現在でも有効であるのみならず、ますますその傾向に拍車がかかっているようにすら思えるからである。

 言うまでもなく地名は、和歌においては歌枕として数多く歌に詠み込まれてきた。試みに『歌枕歌ことば辞典』(笠間書院)をひもとくと、なかにはおびただしい地名が収録されている。そして吉野といえば桜、宮城野といえば萩、竜田川や小倉山といえば紅葉というように、地名はそれと結びつく美的概念の記号として駆使された。小池光は地名という〈実〉が概念という〈虚〉をさす記号となったと述べているが、そのとおりである。古典和歌はこのようにして共有された美意識を場とする〈虚〉空間として展開されたのである。

 明治になって短歌の革新運動が起きたとき、真っ先に否定されたのが歌枕であったのは当然のことだ。短歌がそれまで共有されていた美意識の場を離れて写実の地平に降りたとき、〈虚〉以外の何ものでもない歌枕は否定されざるをえない。しかしだからといって短歌から地名が消えたわけではない。写実を通しての個の表現となった短歌において、地名は個と結びつくものとして生き残った。斉藤茂吉の最上川、佐佐木信綱の大和、佐藤佐太郎の蛇崩がよい例である。

 最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも 茂吉

 ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲 信綱

 蛇崩の道の桜はさきそめてけふ往路より帰路花多し 佐太郎

 『現代短歌雁』34号は「地名の喚起力」という特集を組み、近代と現代短歌に詠み込まれた地名を並べている。小池光『現代歌まくら』もまた、歌枕は現代の短歌でもしぶとく生き残っているという視点から編まれた好著である。おそらく短歌という定型の文学形式そのもののなかに、地名という〈実〉を〈虚〉の空間へと絶えず誘い出す契機が内在しているのだろう。

 しかし改めて感じるが最近の若い歌人の短歌には地名が少ない。サンプルとして取り上げるのは気が引けるが、試しに佐藤りえの『フラジャイル』のなかで地名が詠み込まれている歌を探すと、見つかるのは次の4首にすぎない。(念のため断っておくが、地名の有無と短歌としての優劣には関係はない。また佐藤の『フラジャイル』は優れた歌集であり、私の好きな歌がたくさんあるので付箋だらけである)

 きらきらに撃たれてやばい 終電で美しが丘に帰れなくなる

 神様が降りると聞いた雨雲の切れ間の空に抱かれる渋谷

 コンビニを探す真夜中核直後なのか人無き西新宿は

 後ろ手にコートを脱いで話し出す遠きワルシャワの春のこと

 「美しが丘」はいかにもありそうな郊外ベッドタウンで、「光が丘」でも「つくしが丘」でもいっこうにかまわない。個という次元で考えても、ここでは地名にもはや〈虚〉への喚起力はない。残りの「渋谷」「モスクワ」にも同じことが言えるだろう。ただし「西新宿」だけには、「核直後」と共鳴する未来都市=廃墟の意味作用が認められる。同じモスクワでも塚本邦雄の次の歌では、どうしてもモスクワでなくてはならない必然的な理由がある。それは社会主義の聖地として、かつて多くの知識人が希望を託した土地から立ちあがる意味作用である。ここでは地名は歌枕であり、私たちを〈虚〉へと誘う喚起力を保持している。

 暗渠の渦に花揉まれおり識らざればつねに冷えびえと鮮しモスクワ

 佐藤りえの短歌を改めてこのような視点から読み直してみると、具体的な地名は意図的に消されているのではないかと思えて来る。例えば次の歌などどうだろう。

 かくはやく流れる川を眺めおり 向こう岸から手を振らないで

 朝焼けの街をわずかに消え残る水銀灯を数えて帰る

 声をあげて泣くことがもう難しい商店街をアリアがよぎる

 「かくはやく流れる隅田川」ではないのだ。「朝焼けの高円寺」でもなく、「天神橋筋商店街」でもない。単に「川」「街」「商店街」でしかない無名性は、作者の意図したものだろう。もし「かくはやく流れる隅田川」としたら、歌に詠まれた出来事は特定の地点に個別化される。「川」の無名性はこの個別化を忌避する担保として働いている。だから地名の無名性は故意なのだと思う。これは果たして永田が20年前に指摘した「想像力の自家中毒」あるいは「普遍性という病」という診断が当てはまる現象なのだろうか。どうも微妙にちがうような気がするのである。

 短歌は31文字の短詩型なので、一首で完結する意味を盛り込むには限度がある。だから古典和歌では本歌取り・掛詞・歌枕のような装置を発明して、一首の歌をそれまでに詠まれたすべての歌が構成する広大な「短歌空間」という場に置いて味わうという技法を開発した。いいかえれば歌枕は、外部から意味が流れ込んで来る蛇口である。しかし近代短歌の革新運動を経て、前衛短歌の時代を迎え、「一首の屹立性」が重視されるようになると、この蛇口は邪魔になる。外から意味が流れ込んで来ては具合が悪いからである。では蛇口を閉めましょうということになる。歌枕に代表されるような意味の喚起力のある地名が現代短歌に少ないのは、このような背景があるからだろう。

 では例としてあげた佐藤りえのような短歌はどうか。私は前衛短歌とはまた少しちがう意味で、佐藤たちの短歌も「一首の屹立性」をめざしているのだと思う。ただし、塚本の短歌のように、屹立することによって強烈な意味作用の磁場を放射することを目的としているのではない。今の若い歌人は例外なく内省的である。いや、内省的という言葉は少しそぐわないので、〈ワタシ的〉と言い換えておこう。〈ワタシ的〉とは自分の心・自分の感覚をなによりも重視する心性をさす。〈ワタシ的〉心性の持ち主にとって、短歌は言うまでもなく自分の心を盛り込む器である。一首が100%自分の心でなくてはならない。そこに異物があっては〈ピュアなワタシ〉は表現できない。だから外から流れ込む意味作用の喚起力を持つ地名や固有名は、異物として排除されるのである。お出入りを許されるのは、ワタシのお眼鏡にかなったアイテムだけである。このような〈ワタシ純度100%〉のモルトウィスキーのような傾向を極端に強めているのが、例えば加藤千恵の『ハッピーアイスクリーム』だろう。

 まっぴらなまっぴるまにも立っている赤いポストはいつもの場所に

 昼休み友達がくれたポッキーを噛みくだいてはのみこんでゆく

 投げつけたペットボトルが足元にころがっていてとても悲しい

 加藤の言葉の選択は実に巧みで感心するが、これらの歌は私の愛するラフロイグにも劣らぬ〈ワタシ純度100%〉である。ちなみに『ハッピーアイスクリーム』に地名はひとつもなく、さらには固有名は「小沢健二」と「キディランド」のふたつだけという事実が、〈ワタシ純度100%〉の財務省酒税局品質保証である。

 さて、ここからは「オジサンの説教」めくので恐縮だが、〈ピュアなワタシ〉というのは幻想であり、〈純度100%のワタシ〉は必ず痩せ細ってゆく。〈ワタシ〉を育てる栄養は〈外部〉から来るのであり、それは〈ワタシ〉にとって本質的に異物だからである。〈ワタシ〉のお眼鏡にかなったアイテムにしか出入りを許さないようでは、〈ワタシ〉の成長に必要な栄養素は摂取できない。だから若い歌人たちも自分の短歌に地名や固有名を詠み込むことで、〈ワタシ〉の外部と通底する回路を短歌の意味作用に組み込んだ方がよいのではないだろうか。

 最後に地名ではないが固有名が詠み込まれた代表的現代短歌をひとつあげておこう。若くして亡くなった仙波の代表歌であり、一読して忘れることのできない秀歌である。

 夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓碑となすまで 仙波龍英