080:2004年12月 第1週 高柳蕗子
または、意味の脱臼のかなたに浮上する短歌的意味

抱き癖の大王イカを寝かしつけ
       僕を殺しに戻る細い腕

         高柳蕗子『潮汐性母斑通信』
 高柳蕗子は1953年(昭和28年)生まれ。同人誌「かばん」を活動の場としており、短歌結社には所属していない。もし結社に入っていたならば、高柳のような短歌は「ちょっとあなた、いいかげんにしたら」と主宰から言われていただろう。第一歌集『ユモレスク』、第二歌集『回文兄弟』、第三歌集『あたしごっこ』に続いて、今年 (2004年)に第四歌集『潮汐性母斑通信』が上梓された。「潮汐性」とは潮の満ち干に関係するとの意で、「母斑」とは先天的なアザやホクロの類の意味だから、この題名は「潮の満ち干で生じる先天的アザのお知らせ」という意味になるが、まるで意味をなさない。このような「意味の脱臼」が高柳の最も得意とする技である。掲出歌も意味不明だが、「抱き癖」「大王」のダ頭音、「癖」「イカ」「つけ」の脚音のリズムの軽快さに加えて、上句のユーモラスな情景と下句の不吉な場面の対比が鮮やかで、不思議と意味を超えて読ませてしまう歌になっている。

 第一歌集『ユモレスク』が出版されたのは1985年のことである。穂村弘は『短歌ヴァーサス』第5号の連載「80年代の歌」のなかで高柳の『ユモレスク』を採り上げている。穂村はあからさまに言ってはいないけれど、それまでの号で論じた歌集に対する論評から類推すると、『ユモレスク』もまた80年代のバブル景気の過剰な消費気分を背景として生まれた歌集だと言いたいようだ。サラダ旋風の2年も前にこのような歌集が世に出ていたのは、驚きと言えば驚きである。どんな調子か『ユモレスク』からちょっと引用してみよう。

 殺人鬼出会いがしらにまた一人殺せば育つ胃癌の仏像

 吸血鬼よる年波の悲哀からあつらえたごく特殊な自殺機

 布教終え行ってしまった神父らの不快な息で滅ぼされた街

 骸骨ら他には何もないからと大骨小骨贈りあう聖夜

 これらの歌に通常の意味を読み取る解読を期待してはいけない。言葉遊び・イメージの連鎖・奇想・物と観念の意外な出会い、これらの要素が組み合わされることで作り出される不思議な情景や、星新一のショート・ショートを思わせる奇抜な物語が、定型短歌という形式を借りて展開されているのである。

 蕗子の父の高柳重信は俳句界の重鎮で、三行書きの俳句を作ったことでも知られている。

 身をそらす虹の       船焼き捨てし
 絶巓            船長は
     処刑台       泳ぐかな

 重信には『蕗子』という題名の句集があり、『ユモレスク』にも「パパへ」という章があるくらいだから、父娘の結びつきは相当強いものだと考えてよいだろう。俳句にはもともと「二物衝撃」という句作法がある。本来はつながりの少ないふたつの物を並置することで、意味的な衝撃力を生じさせることを言う。シュルレアリスム詩人のロートレアモンが言った「解剖台の上でのミシンとこうもり傘の出会い」と同じことである。形象の文学である俳句は、一句の衝撃と結像度の鮮明さで勝負するところがあり、必ずしも意味に依存しない。この俳句の句作法が蕗子の作歌法に大きな影響を与えていると考えられる。事実、蕗子の短歌に見られる奇想や奇抜なイメージや、時に生じる滑稽味は、俳句との連続性を感じさせるのである。

 早起きの老人ばかりの暗殺団不吉なことは内緒にされる 『ユモレスク』

 密航の少年が股間に蜜柑ぬくめて潜むスカバソの港  『回文兄弟』

 鼻つまみ詩人ペッシカス追放し市民の樟脳臭い懊悩  同

 あだぶらる電柱の兄横たえて検温すれば花野かだぶら  『潮汐性母斑通信』

 「早起きの老人ばかりの暗殺団」は、季語なし切れ字なしだが、これだけでも俳句として読める。老人ばかりなので、誰それが死んだなどという不吉な噂は隠すというが、職業が暗殺団だけに滑稽である。二首目と三首目は逆読みした言葉を埋め込んだ連作で、「スカバソ」は「ソバカス」、「ペッシカス」は「スカシッペ」を反転したもの。二首目の「股間」「蜜柑」、三首目の「樟脳」「懊悩」の語呂合わせも凝っている。四首目は架空の枕詞を詠み込んだ連作から。「あだぶらる」がそれなのだが、この歌ではご丁寧に、結句の「かだぶら」と呼応して「あぶらかだぶら」となるように作られている。

 それでは高柳の短歌はすべて言葉遊び・語呂合わせ・奇抜なイメージの競演を目的として作られたもので、そのようなものとして言葉の表層において味わえばよく、その奥に作者の人生や境涯に直結するような短歌的意味を期待するべきではなく、また読み取ろうとする鑑賞態度もまちがいなのだろうか。どうもそう言い切れない所が事情を複雑にしているのである。

 問題の在所ははっきりしている。それは高柳が一見単なる言葉遊びとも見える言語活動を、短歌定型という器において展開しているという点にある。韻文定型には定型としての「場」が備わっている。そもそも物理学において「場」の概念は、そこに置かれた物体に作用を及ぼす空間とされており、「重力場」「電磁場」などがそれに当たる。「場」には場の特性が備わっていて、そこに置かれた物体に等しく作用を及ぼすのである。これを定型短歌に適用すると、韻文定型という「場」におかれた言葉は、それらが本来持っていた意味とは異なる意味作用を、場によって引き出されるということになる。だから高柳の短歌がどれほど場に起因する意味作用を逃れようとしてもそれは不可能であり、どうしても「意味」が生じることは避けがたく、それはまた必然的に「短歌的意味」として受領されることになるのである。だから次のような歌に出会うと、私の視線は表層の言葉の戯れにではなく、その背後に送り返す意味に向かうことになる。

 自転車で「不幸」をさがしにゆく少年 日は暮れてどの道もわが家へ 『ユモレスク』

 流刑星姿かわいい生き物をブタと名づけて喰う悲しみ         同

 文献は焼かれあるいは散逸しどの星もみな地球をなのる        同

 胸深く抱きとめてしまった鶏を放すため月に駈け登る伯父       同

 日常の安穏に不満な少年は不幸を探しに行くのだが、夕暮れの不安が迫ると足は我が家へと向かうという一首目は、甘酸っぱい青春歌の趣さえある。二首目はレイ・ブラッドベリの火星ものの短編を思わせる味わい。流刑地の星にいた生き物にブタと名づける行為は、不味い動物を我慢して食べるためのごまかしとも、余りに愛らしい動物なので罪悪感をごまかすためとも取れる。三首目もブラッドベリ風で、惑星移民史の意図的隠蔽の結果、どの星も人類の故郷である地球を名乗るようになったという皮肉である。四首目を例に取ってもう少し詳しく分析すると、「胸深く抱きとめてしまった鶏」という形象が定型短歌という「場」におかれると、それはもはや字義的意味に解釈されることはなく、定型の場の作用の結果、本質的な多義性の海をたゆたうようになる。この形象を定まった岸に繋留することはできない。この鶏が字義どおりの鶏でないとするならば、それを何物かの〈喩〉として解釈するという定型の場の圧力が、読者としての私の解釈を誘導することになる。「抱きとめてしまった」という措辞からは、「そうするべきでなかった」という言外の意が感じられる。だから「胸深く抱きとめてしまった鶏」は、例えば「何物かへの禁断の愛情」の〈喩〉となり、ここに高柳好みのブラッドベリ風の設定を加味するならば、「詩歌が禁じられた国」で禁を犯してしまった伯父の物語を私がこの歌に読み取ることを妨げるものは何もないということになる。言うまでもないがこれは多様な読みの一例に過ぎないし、作者が意図した意味だというわけでもない。そう読めてしまうということである。

 『潮汐性母斑通信』にも様々な言葉遊びや語呂合わせ短歌が並んでいるが、長いあとがきが意外にマジで驚いた。高柳はそのなかで、生まれなかった自分の兄について語っている。生まれなかった兄とは次のようなことである。蕗子が生まれたとき、父の重信は男の子の名前しか用意していなかった。明らかに男子の誕生が期待されていたのである。蕗子はその事実を知ったとき、生まれ損ねた兄に負けたという敗北感と同時に、自分の存在に対する不確定感を抱いたという。蕗子はこの消化しきれない感情と折り合いをつけるために、自らが抱く存在の不確定感を非在の兄に押しつけ、兄を向こう側に葬ることによって自分の誕生の正当化を図るという解決法を見い出した。これが次のような歌となって現われる。

 てのひらに星揉みこめばはきくまのいちばん弱い兄はけらいに  『潮汐性母斑通信』

 花野 ああ倒れ込むとき兄の胸が凍りながら鳴るアコーディオン  同

 傍受せり 裏の世に兄は匿われ微吟する「二一天作ノ五」     同

 両親の全的存在承認を得ることができない子供の不全感と、それを想像上で解消するために考案された非在の兄という物語は、わかりやす過ぎるほどである。しかし、このトラウマが高柳の作歌の原動力となっていて、すべての歌がこのトラウマとの関係で読まれるべきだというような、俗流フロイトの単純な図式ではもちろんない。生まれ損ねた兄の影が揺曳する歌が散見されるということにすぎないのだが、「コトバ派」の歌人だと思っていた高柳に、このような一面があるのは意外と言えば意外である。

 最後に特に印象に残った歌をあげておこう。これらの歌には「言葉の戯れ」を遙かに超えて、短歌的意味が感じられるのである。

 いつの日か命取りとなるその音痴海図の上で爪切る船長       『ユモレスク』

 人類の長い余生の庭先に夢見心地に卵抱く鳥             同

 不倒翁みごと魚腹に葬られ 水の中ではおくれる喝采         同

 花を摘む花占いにみせかけてパパの昔の恋人ちぎる          同

 生涯を逆さに辿る長い夢終えた死者から海底を離れ         『回文兄弟』

 一度でも人のこころに触れたものは燃やせばわかるどーりーどーりー 『潮汐性母斑通信』

 忘れられた兄よ 母を泣く黒服に混じって一人まっぱだかの月     同

 穂波 このさきに心臓ひとつもなしと聴診器を胸から掴み去る     同

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