今月号から半年の間、歌壇時評を担当することになった。私の名前を見て「いったい誰だ?」といぶかしむ人もいるかと思うのでひと言自己紹介しておくと、私はインターネット上で「橄欖追放」という短歌ブログを書いている。月に二回歌集・歌書を取り上げて批評しているが、自分では短歌を作らない純粋読者である。
短歌や俳句のような短詩型文学の世界では「作者イコール読者」であり、作者の外延と読者の外延はほぼ一致する。自分で短歌を作るが人の短歌は読まないという人はいても、自分では短歌を作らず読む専門という人は少ない。とはいえかつては深く短歌を読んだ吉本隆明や、『終焉からの問い ― 現代短歌考現学』(ながらみ書房、一九九四)など短歌評論で活躍した小笠原賢二がいたし、同時代では好著『うた合わせ ― 北村薫の百人一首』(新潮社、二〇一六)などで自在に詩歌の世界を逍遥する北村薫がいる。とはいうものの、歌壇の外にいる人間が短歌総合誌の歌壇時評を担当するのは珍しいことかもしれない。
ふつう歌壇時評に期待される役割は、短歌総合誌を広く見渡し、結社誌や同人誌や大学短歌会の雑誌まで目を通し、短歌賞や短歌関連のイベントにも目を配って、歌壇で今起きていることを紹介したり論じたりすることだろう。言わばそれは不易流行の流行の部分である。しかし時評は時とともに移ろいゆく流行ばかりに目を向けず、深部に横たわる不易の層にもまた目を配るべきだろう。
そのような眼差しで見つけたのは、本誌二月号から始まった新連載「短歌の底荷」である。これは毎号二つの結社を取り上げて、ゆかりの深い歌人に紹介してもらうという企画である。たとえば第一回目の二月号では「沃野」と「白珠」が取り上げられている。私が注目したのは記事の内容ではなく「短歌の底荷」という連載の題名の方だ。この題名が歌人の上田三四二(一九二三〜一九八九)が提唱した「短歌底荷論」にちなんだものであることはまちがいない。上田は一九八三年(昭和五十八年)に「オアシス」という雑誌に「底荷」という短い文章を寄稿した。現在は上田三四二『短歌一生』(講談社学術文庫)で読むことができる(版元品切だが古書で入手可能)。その文章の中で上田はおおむね次のようなことを述べている。
短歌や俳句は日本語の底荷である。底荷とは船の安定航行のために船底に積み込まれる荷や砂で、それ自体に商品価値はない。利益を追求するためには役立たないどころか、お荷物でさえある。しかし船が安全に航行するためにはなくてはならぬものである。短歌や俳句は日本語という船を推し進めるマストのような力は持たない。しかし日本語を転覆から救う目に見えない力になっているのである。(時評子による要約)
上田の文章が発表されてからまもなく四十年になろうとするが、本誌が新しく始める連載に「短歌の底荷」という題名を付けたのは、この上田の主張が短歌の不易の一部と考えてのことだろう。
短歌の流行の面においては、前衛短歌やライトヴァースやニューウェーヴ短歌や記号短歌などなど、その意匠は時代とともに変化するが、上田の主張にはそのような流行の奥深くに沈潜することによって得られた確信という響きがある。日々の流行に目を奪われることなく、上田のように短歌の本質について考察を深めることもまた大切なことではないだろうか。
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そんなことを改めて思ったのは、高等学校の国語教育が大きく変わりそうだと報道された頃なので、少し前のことになる。高等学校の教育方針を定めた「学習指導要領」は十年に一度改訂されるが、二〇一八年に告示されたものは「戦後最大の教育改革」という触れ込みだった。二〇二二年度、つまり来年度からはこの指導要領に従って教育が行われることになる。現在は必修科目「国語総合」と選択科目「国語表現」「現代文A」「現代文B」「古典A」「古典B」という分類になっている国語の教科が、新指導要領では必修科目「現代の国語」「言語文化」と選択科目「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典研究」に変わると定められている。必修科目は高校の一年目で履修し、二年目には選択科目の中から二科目選ぶことになる。必修科目の「現代の国語」には文学的な文章は一切入れないのが文部科学省の方針だという。
大いに物議を醸したのは「論理国語」と「文学国語」という日本語としてこなれていない名称ばかりではない。そもそも国語を「論理」と「文学」とに二分するのはあまりに乱暴ではないかという意見が噴出した。そればかりではない。今回の指導要領の改訂は、大学入試の改革とセットになっている点に特徴がある。しかしその目玉であったはずの記述式問題の導入と、英語試験の民間委託が早々と頓挫したのはご承知のとおりである。
新指導要領に準拠した大学入学共通テストの第一回プレテスト(試行)が二〇一七年度(平成二十九年)に実施され、多くの高校生がこのテストを受けた。そのテストで「国語」の試験問題として出題されたのは「青原高校の生徒会の部活動をめぐる規約」という文章であった。事前にサンプル問題として公表されていた試験問題には、「街並み保存地区景観保護ガイドライン」と「管理会社と交わした駐車場の契約書」が問題文として選ばれていたという。これを見て多くの人が驚いた。
文部科学省が新指導要領を定めた目的は、主体的・対話的で深い学びを実現し、思考力・判断力・表現力を育てることにあるという。そのような目標に賛同しない人はいないだろう。しかしプレテストの問題文として選ばれたのは「論理国語」の文章であり、「文学国語」ではない。「論理国語」とは、契約書や法律・条例を始めとして、マンションの管理規約や電気製品の使用説明書など日常生活で出会う実用的な文章を読み解く力を養成することを目標としている科目であることは明らかである。
二〇一八年度(平成三〇年)に実施された第二回のプレテストの国語の問題文の第一問は、鈴木光太郎『ヒトの心はどう進化したのか』、正高信男『子どもはことばをからだで覚える』、川添愛『自動人形(オートマトン)の城 人工知能の意図理解をめぐる物語』からの抜粋、第二問は「著作権法のイロハ」(ポスター)、法律の著作権法の抜粋、名和小太郎『著作権2.0 ウェブ時代の文化発展をめざして』、第三問は吉原幸子「紙」(詩)、吉原幸子「永遠の百合」(エッセー)となっている。第四問と第五問は古文と漢文なので略す。第三問でわずかに文学的な文章が出題されており、第一問は学術的なエッセーからの出題となっているが、全体的な傾向は第一回のプレテストと大きく変わらない。
新指導要領による国語の授業では、一年次に履修する必修科目の「言語文化」で文学的テクストを少し読むことはあるかもしれない。しかし二年次になれば大方の高校生が「論理国語」を選ぶことは、プレテストの出題傾向を見ても明らかである。現役の高校の先生も、「文学国語」は開店休業状態になるだろうと言っている。漱石も鴎外も芥川もまったく読んだことのない大学生が入学して来るのである。
少し昔のことになるが、東京大学教授の石田英敬が雑誌『世界』二〇〇二年十二月号に「『教養崩壊の時代』と大学の未来」という文章を寄稿して話題になったことがある。ある日のこと、石田が研究室で東大の院生相手にバフチンのポリフォニー理論について話していたところ、その院生がこう質問したそうだ。「先生の話に出て来たドストエフスキーって誰ですか?」と。石田は喫驚して「ついにその日が!」と叫んだという。今から数年後に、新指導要領に基づく教育を受けた高校生が大学に入学して来たときに、「漱石って誰ですか?」と質問する学生が出て来て、「ついにその日が!」と心の中でつぶやく先生がいないとも限らない。ここに書いた新指導要領の国語教育改革については、伊藤氏貴責任編集『別冊季刊文科 ― 国語教育から文学が消える』(鳥影社、二〇二〇)と、紅野謙介『国語教育の危機』(ちくま新書、二〇一八)および同著者の『国語教育 ― 混迷する改革』(ちくま新書、二〇二〇)に詳しく書かれている。
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時評子は「高等学校の国語の教科書から文学が減るのはけしからん」と言いたいわけではない。若手歌人の中には、初めて短歌に触れたのが国語の教科書だったという人が少なからずいるようだ。だとすると国語の教科書から文学が減ればそのような機会も減ることになるので、残念なことにはちがいない。しかしそれ以上に重要なのは、新指導要領のめざす国語教育改革が日本語の底荷を減らすということである。これはゆゆしきことと言わねばならない。新指導要領には言語の存立と働きについての深い洞察が決定的に欠けていると思われてならない。
このことを理解するためにはアラビア語を例に取るとわかりやすいだろう。もともとアラビア半島で話されていたアラビア語は、今では中東のイラクからアフリカのエジプト、アルジェリア、モロッコに到る広大な地域で使われている。日常用いる話し言葉のアラビア語(アーンミーヤ)は方言差が極めて大きい。イラクの人が話しているアラビア語とモロッコの人が話しているアラビア語はかなり異なるのである。それでも話者に自分たちが使うアラビア語は同じひとつの言語であるという強固な意識があるのは、ひとえに啓典クルアーン(コーラン)の存在による。クルアーンの言語は現代の標準的な書き言葉のアラビア語(フスハー)の基礎にもなっている。イラクからモロッコに到る広大な地域に住んでいる人たちが、「自分たちは同じひとつの言語を使っている」と感じるのは、クルアーンの言語がアラビア語の底荷として厳然と存在しているからである。
アラビア語を使う地域の子供は、学校に上がるとクルアーンを学ぶ。彼らにとってクルアーンの言語は古典語であり、日本の子供たちが平家物語や枕草子を古典として学ぶのと同じである。ちがうのはクルアーンの言語こそが正当なアラビア語であり、疑問が生じた時には常に立ち戻るべき源泉だとされている点にある。英語ならば底荷としてあるのは聖書とシェークスピアだろう。イタリア語ならばダンテのトスカーナ方言で、ドイツならばゲーテというところになろうか。
短歌や俳句が日本語の底荷であるという主張にはもうひとつの側面がある。現代に生きる私たちの感性は、多少とも短歌や俳句によって水路づけされている。桜の花が散るのを見ると、「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌が思い浮かぶし、夏の朝に朝顔が咲いているのを見ると「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」という句を思い浮かべない人はいないだろう(ただし朝顔は秋の季語)。先人の作った短歌や俳句の中にはいわば「感性の型」がレコード盤に刻まれた溝 (groove) のように彫琢されている。私たちは無意識のうちにその溝にガイドされるように物事を感じているのである。だからこそ歌人・俳人は先人が彫り込んだ溝を脱却して、新しい溝を刻むべく刻苦するのである。
さらにもう一歩踏み込んで考えることもできる。ことは感性に留まらず、私たちが現実を捉えるやり方(認知 cognition)は言語によって規定されているという考えがある。この考えを主張したのはイェール大学教授の言語学者のエドワード・サピア(一八八四〜一九三九)と弟子のベンジャミン・リー・ウォーフ(一八九七〜一九四一)で、二人の名前を取ってサピア・ウォーフの仮説と呼ばれている。彼らは次のように主張した。
言語は私たちの思考を条件づけている。私たちは言語が定める線に沿って現実を分割して、意味の世界を作り上げている。私たちが現実の世界と見なしているものが私たちを離れて客観的に存在すると思うのは幻想である。私たちが現実の世界と見なしているものは、言語の習慣の上に作り上げられたものである。(時評子による要約)
新指導要領がめざしているのは、法律の条文や契約書や電気器具の使用説明書のような実用的文章を読み解く力、つまり現実に適切に対処する能力の涵養である。文学を含むさまざまな言語の形に触れることによって私たちの感性が形作られ、現実を認知する力、つまり「心」が育まれるという視点が見落とされているのである。
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今年の三月二十日に町屋の並ぶ京都市の中心部に泥書房という新しい書店がオープンした。短歌・俳句・詩を専門に扱う書店である。京都にはかつて伝説的な三月書房という歌集・歌書を多く置く書店があった。京都を訪れる歌人が一度は足を運んだ場所である。古書店と見紛うばかりの外観が異彩を放っていた。ところが残念なことに三月書房は二〇二〇年の六月に閉店してしまい、短歌関係者の嘆きは大きかったのである。京都で学生時代を過ごした青山学院大学教授の生物学者福岡伸一が閉店を惜しみ、店主と相談のうえで店のシャッターに店内の風景の騙し絵が残されている。
三月書房の閉店からそれほど間を置かずに泥書房が開店したことはまことに喜ばしい近年の快事である。泥書房の一角は販売コーナーとなっており、まだ点数は少ないものの歌集・歌書が販売されている。新刊書だけでなく古書もある。それより面積が広いのが隣の図書室で、ここには歌集・歌書だけでなく、短歌総合誌、結社誌、同人誌、個人誌などが壁一面に収蔵されている。短歌について何か文章を書くときに、調べ物をするのに絶好の場所だ。図書室は三百円の入室料を支払って会員になると利用できる仕組みになっている。
泥書房は短歌総合誌『現代短歌』を発行する現代短歌社(一般社団法人三本木書院)が運営しており、本社の所在地でもある。現代短歌社は二〇一七年に解散し、事業譲渡を受けた三本木書院が目白を拠点として運営を続けていたが、二〇二〇年十月に思うところあって本社を京都に移転したそうだ。今後は短歌関係のイベントも続々と開催する予定のようだから、これから歌人が集まる拠点となることだろう。
角川『短歌』2021年7月号に掲載