乳母車の車輪を秋の陽はこぼれ歩道の上に唄を移しぬ
冬野虹「かしすまりあ抄」
先日、自宅に送られて来た封筒を開封すると、かなりぶ厚い本が出てきた。瀟洒なグレイの表紙に『編棒を火の色に替えてから 冬野虹詩文集』とある。版元は素粒社。あの野崎歓が帯文を寄せている。曰く、「冬野虹! その名はふしぎな想像界への扉をひらく合言葉だ。見よ、彼女の手が触れると、あらゆる事物は本来のポエジーを取り戻し、未知の出会いに向けて軽やかに浮遊し始める。」 なかなかの名文だ。文中に「取り戻し」とあるということは、事物には本来ポエジーが備わっていて、それを取り戻すためには触れるだけでよいということだろう。まるで触れた物すべてを黄金に変えたというミダス王の Midas touchのようではないか。私は読み始めた。そして、梅雨時のうっとうしい気候を忘れて、数日の間とても幸福な時間を過ごしたのである。
本書は冬野のパートナーであった俳人の四ッ谷龍が編纂したもので、四ッ谷は巻末に回想を含む冬野虹論を執筆している。本体は第I部が俳句、第II部が詩、第III 部が短歌、そして第IV部が散文その他という構成になっている。浅学にして冬野の名を知らなかったが、これ以外に絵画作品もあるらしく、ずいぶん幅広く活動した芸術家だったようだ。
年譜によれば、冬野は本名穴川順子として、1943年大阪に生まれた。実家は繊維業を営む裕福な家だったようだ。大阪は昔、「東洋のマンチェスター」と呼ばれていたこともあるほど繊維業が盛んだった。冬野は帝塚山学院短期大学を卒業後、絵とクラシック・バレエのレッスンを受け始める。したがって画家としての活動が最初ということになる。その後、1976年頃、33歳くらいで俳句を始め、藤田湘子の結社「鷹」に所属する。1992年頃、50歳の手前で短歌に手を染める。特定の師はいなかったようだ。四ッ谷と二人誌「むしめがね」を発行して活動の舞台とする。1995年頃から詩作を始めている。その間、舞踏家ピナ・パウシェ、俳人田中裕明、詩人高橋睦郎らと交流。2002年に虚血性心不全にて急逝とある。還暦を目前にして亡くなったことになる。すでに四ッ谷龍が編纂した三巻本の『冬野虹作品集成』があり、本書はその普及版という位置付けかと思われる。
まず短歌から見て行こう。解題によれば、冬野は1992年から2001年にかけて677首の短歌を作った。四ッ谷はその中から387首を選び未完歌集『かしすまりあ』として『冬野虹作品集成』に収録したとある。本書には『かしすまりあ』からの抜粋と、未収録の歌が拾遺として掲載されている。まず『かしすまりあ抄』から引く。
部屋の奥で扇のやうに泣いてゐる婦人のためのパヴァーヌは雪
音別の駅に西瓜を下げた人ふらりと揺れて地に影おとす
籠にあるミネラル水の瓶の絵の氷の山の部分に夏の陽
泉川清酢の店の前に来て誰か線香折っている音
深紅のカシスソーダ水つくる長いスプーンの尖の錆の香
はつなつのアテナインクの青のこと友に話しぬ動詞使はずに
文体は旧仮名遣の定型で、文語(古語)混じりの口語(現代文章語)である。一首目には「式子内親王に」という詞書が添えられているので、平安王朝風の絵巻の場面を想像する。「雪」「扇」は恰好のアイテムだが、パヴァーヌに詩想の飛躍がある。パヴァーヌ (pavane) はフランス語で、16・17世紀に流行したゆっくりとしたテンポの舞曲。孔雀の動きを模倣したと言われている。ラヴェルが作曲した「亡き王女のためのパヴァーヌ」(Pavane pour une infante défunte)が名高いので、誰の脳内にもこの音楽が鳴るだろう。二首目の音別は北海道の釧路に近い場所の地名である。音別と西瓜の取り合わせにおもしろ味がある。夏の光と地面に落ちる影の対比が鮮やかだ。三首目の籠は、ビクニックに持って行ったか、あるいは庭の木陰のガーデンテーブルに置かれているラタン (籐) の籠だろう。ミネラルウォーターのラベルに描かれた雪山に夏の陽が当たっているという場面。「ミネラル水の瓶の絵の氷の山の」とずっと「の」で結んでクローズアップ効果を出している。四首目の泉川清酢は、表千家と裏千家の家元が軒を並べている京都の小川通にある江戸時代から続く酢の製造販売店である。その前を通りかかると線香を折る音が聞こえたという。線香をあげるときに折るのは浄土真宗で推奨されているという。しかしポキッと線香を折るかすかな音が外にまで聞こえるものだろうか。どこかファンタジーの匂いがする。また季節は書かれていないが、夏の盂蘭盆会を連想する。五首目の「カシスソーダ」もまた夏の匂いがする。音数から言って「深紅」は「しんこう」と読み、「尖」は「さき」と読むのだろう。避暑地を思わせる一首である。カシスソーダを飲む女性は、できれば青い水玉模様のサマードレスを着ていてほしい。六首目の「アテナインク」はかつて丸善が製造販売していた万年筆用のインクである。色はたぶんブルーブラックだろう。そのインクのことを動詞を使わずに友達に話したという。「アテナインクを買ったのよ」ではなく、「アテナインクの青がきれいなのよ」ということか。
歌の全体に「どこか別の国」感というか、「どこにもない国」感が漂っている。詠まれているアイテムは「西瓜」「ミネラルウォーター」「線香」「カシスソーダ」「インク」など、どこにでもある物なのに、冬野の短歌に詠まれてある特定の場面や状況に置かれると、とたんにポエジーを帯びて輝き出すように感じられる。これが野崎の言う「ポエジーを取り戻す」冬野マジックだろうか。
この「どこにもない国」感は、紀野恵の短歌の世界とどこか似ているように思われる。
九月、日本製バスに乗り墓はらの石の白きを訪ふゆふまぐれ
ヴィクトリア朝風掛椅子朝焼けをじっと坐つて視るための物
『フムフムランドの四季』
〈きのふまで〉をしづかに包み送り出すゆうびん局のまどろみの椅子
昼を寝(ぬ)るボボリ庭園三毛猫が擦り抜けてゆく時の天使も
『La Vacanza』
『フムフムランドの四季』では巻頭言に「フムフムランドは日本国の南方海上三百余里に有り」と高らかに宣言してあり、収録された歌が「どこにもない国」のものであることを明らかにしている。したがって、歌に詠まれたヴィクトリア朝風の椅子も、フィレンツェのボーボリ庭園も現実のそれではなく、フムフムランドという架空の国に転送され、その磁気を帯びたものである。
冬野の短歌と紀野の歌のもうひとつの共通点は、近代短歌の写実性を支えた情意の主体であり視点主体でもある〈私〉の不在にある。写実性に代わって冬野の歌で追究されているのは、物と物とが触れ合い場を共有することによって立ち上るボエジーである。冬野の短歌にどこかそっと置かれて人を待つような気配が濃厚なのもそのためだろう。この点については紀野の短歌はやや異なる。紀野の短歌には、自らが作りあげたフムフムランドを統べる強い意志が感じられる。
『かしすまりあ抄』に続いて拾遺に納められた歌にも心に残るものがある。
狭庭はエメラルドいまひとすじのサイダーの気泡夏へのぼりぬ
扉のそばの紫陽花の色ゆつくりと濃くなるときにまぶた閉ぢらる
風はもうすみれの庭を小走りに春の制服ちくたくと縫ふ
臾嶺坂を蝉に押されるやうに下る風呂敷包の中の葛餅と
ベーコン焦げる匂ひのやうな喜遊曲ギャロップギャロップの日暮
二首目には「龍・父上みまかりき 六月二十七日」という詞書がある。四ッ谷龍の父親が亡くなったのを悼む歌である。四首目の臾嶺坂は、外堀通りを神楽坂下から四谷方面に少し行った所から北に延びる狭い坂道。冬野の短歌のもうひとつの特徴は、ややもすると強すぎることもある「情意」と、短歌に伝統的にまとわりつく「湿り気」から自由であることだ。冬野の短歌を読んでいると、透明な硝子器の中に固く凍った氷片がカラカラと乾いた音を立てながら落ちてゆくような印象を受ける。
次に俳句を見てみよう。解題によれば、冬野は『雪予報』という句集を1988年に沖積舎から出している。本書には『雪予報』の抜粋と、『網目』と題された未完句集の抜粋が収録されている。
荒海やなわとびの中がらんどう 『雪予報抄』
蚊帳吊草辿れば少女の骨の闇
メリケン粉海から母のきつねあめ
陽炎の広場に白い召使
生まれなさいパンジーの森くらくして
つゆくさのうしろの深さ見てしまふ
子規の忌のたたみの縁のふかみどり
姉死んで妹あける豆の缶
俳句結社「鷹」と言えば、創立者の藤田湘子に続き、小川軽舟、高柳克弘と続く俳句の名門である。冬野は1981年に鷹新人賞を受賞している。一読して冬野の関心は言葉の組み合わせにあることがわかる。たとえば一句目の「荒海」という荒々しい冬の季語と「なわとび」という可愛らしい物の取り合わせがそうである。三句目の「メリケン粉」と「海」は意外な組み合わせに見えるかもしれないが、「メリケン」は「アメリカン」が訛った語なので、海の向こうからやって来たもので繋がりがある。「きつねあめ」は別名狐の嫁入りで夏の季語。しかしきらきらとした言葉の組み合わせの所々に暗い闇のようなものが潜んでいるのも魅力だ。一句目の「がらんどう」、二句目の「骨の闇」、五句目の森の暗さ、六句目の露草の向こうにある暗さなどである。
こけもものゼリーに淡き冬の妻 『網目抄』
一つ葉にホースの先の水しづか
ゆふぐれのコルクの床に葉書舞ふ
両の眼のひらかれてゆくまんじゅさげ
肉屋の長い休暇や罌粟ひらく
淳之介は海へ薔薇販売人眠れ
ひかりの野蝶々の脚たたまれて
どの句も絵が鮮明でくっきりとしていて、何より詩情が豊かである。特に二句目や三句目や最後の句は美しい。二句目の一つ葉は庭にもよく植えられているシダ植物で、厚い緑の葉を持つ。ホースから出る水が静かに庭の一つ葉を揺らしているのである。三句目には何か物語があるようだ。ちなみに喘息を病んでいたプルーストはコルク張りの部屋で暮らしていたらしい。六句目の淳之介は吉行淳之介だろうか。
冬野は書いていた詩を生前詩集に纏めることはなかったようだ。解題によれば、冬野の書いた詩から選んで『頬白の影たち』という未完詩集を『冬野虹作品集成』に主録したとある。本書にはその中から抜粋された詩が掲載されている。詩の引用は長くなるので一篇に留める。「まつゆき草 le perce neige」と題された詩である。
あの山は何だろう?
蒼ざめて
笑っているのは
鹿の睫毛に
囲まれた湖の中へ
しずみゆく
地震の寺院
私はその山にはいる
そして
私はその山の
裾に咲く
まつゆき草の
もえる
しずかな
ひとしずくの
遺体の
位置を
はっきりと知った
私には詩の鑑賞を書く能力はないが、冬野の詩の言葉たちは日常の重力から解き放たれて、乾いた砂の上に存在の淡い影を落として浮遊しているように感じられる。その位相は冬野の短歌のそれとさして違わない。冬野の中では短歌と詩はひと続きのものだったのだろう。
今年は前半を折り返したばかりで気が早いことは重々承知の上だが、本書は今年の収穫の一冊となりそうな予感が濃厚だ。梅雨のじめじめしたうっとうしい季節をひととき逃れて、ひやっと涼しく乾燥した天上的な空気の中で過ごしたいと願う人にはお奨めの一冊である。