第400回 滝本賢太郎『月の裏側』

催花雨に濡れてやわらかき夜の街を菜の花色の電車はすべる

滝本賢太郎『月の裏側』

 「催花雨」とは花の開花を促す春の雨のこと。春の雨が静かに降る夜の街を、車体が黄色い路面電車がすべるように走っているという叙景歌である。しかしこの歌には言葉の仕掛けが施されている。催花雨はいつしか「菜花雨」と表記されるようになり、この語が「菜種梅雨」という言い方の元になったとされている。菜種と菜の花は同じものだ。すると歌に詠まれた電車が菜の花色なのは偶然ではなく、「催花雨」と「菜の花色」は裏側で縁語関係で繋がっていたことになる。

 滝本は1985生まれ。宝珠短歌会、りとむ短歌会を経て、まひるの会に入会。『月の裏側』は今年 (2025年)二月に上梓された第一歌集である。まひるの会代表の島田修三が帯文を寄せている。版元は六花書林。歌集題名は「たぶんここは月の裏側人と会う予定断り眠り続けて」という歌から採られている。

 帯文で島田は「戦後短歌からの現代短歌へと流れる水脈のひとつに、都市生活を背景とした知的抒情の系譜がある」とし、滝本の短歌はこの系譜を正統的に受けつぐものだとしている。作者はドイツ文学者で、現在大学でドイツ語やドイツ文学を教えているらしい。本歌集はほぼ編年体で編まれているのだが、読み進むにつれて歌風の変化が感じられる。

 歌集冒頭付近には次のような端正な歌が多く見られる。

クラウセヴィッツ語りしわれと向きあいてただ剥かれゆく甘夏の皮

夏至過ぎの空を沈めて昏みゆく窓につかのま海がきこえる

都市というセンチメントにふるるまで夕べを籠もるロイヤルホスト

またしても天使のことを話しつつあがたざかいの橋を越えたり

残暑とう光に濡れている路地のここより街の名前が変わる

 一首目のクラウセヴィッツは『戦争論』の著者。ナポレオンを初め多くの人が影響を受けたとされている。四首目の「あがたざかい」は県境のこと。文語(古語)定型の清新な抒情歌で、感性の若さが感じられる。大学の修士課程に在学していた頃の歌と思われる。

単位取得退学届に名を記し石積むごとくルビを振りたり

十代の半ばに泥みしスラングの日吉駅裏ひようら 、日吉のタクシーひよたく、とりわけ日大日吉ひよぽん

ひようらの裏の義塾の坂道を昼の無人に影をくぐらす

 大学院の博士課程で所定の単位を取得したら退学する。満期退学ということもある。その後博士論文を提出し、審査に合格すれば博士号が授与される。作者は慶應義塾大学日吉キャンパスで学んだようだ。三首目の「坂道を昼の無人に影をくぐらす」の助詞の使い方や、「影をくぐらす」という言い回しに修辞の工夫が感じられる。しかし滝本はこのように助詞にまで神経を使う清新な歌風を徐々に変化させてゆく。そのきっかけはおそらくドイツ留学にある。滝本は2年間ハイデルベルク大学に留学する。目的は博士論文の執筆である。博論の執筆は孤独な戦いだ。

博論のための留学たましいの半分くらいは学業に売る

ドイツにはもう慣れましたと嘘を書くしずかに轆轤回せるように

布袋に詰めれば鈍器となるほどの本携えて教授と会いぬ

世之介のごとく漁色に生くべきを学知のごとき世事にまみれて

ドイツとの金の切れ目の近ければ粛々と書く解約通知

 博士論文のために魂を半分売るくらいは学問を志す人は誰でもする。しかしこの歌には自嘲が感じられる。二首目にあるように留学先の異国に慣れるのは難しいこともある。三首目の「鈍器」には殺意が感じられて穏やかでない。四首目、学知を世事と断じるところにも自嘲がほの見える。五首目の解約通知は借りていたアパートの大家宛だろう。滝本はこうして2年の留学を終えて帰国するが、「よい思い出はほとんどない」と記している。

芦田愛菜をしまう校舎を窓越しに眺めて午後の教材を刷る

採点をつけつつ知りぬ九月より見ざる男の退学のこと

ドイツ語検定どくけんを無事取れましたとメール来る単位をせがむメールのあい

 芦田愛菜は慶應義塾大学法学部に入学したので、滝本も慶應でドイツ語を教えることになったのだろう。私も大学で教えていたので、大学教員あるあるだと感じる歌がいくつもある。このあたりから滝本の歌には憂鬱と疲労の霧が濃く立ちこめるようになる。それと平行して次の五首目のようななげやりな調子の歌も見られるようになる。どうやら作者は教員生活があまり楽しくないのか、あるいは孤独に苛まれているのかもしれない。

さびしさの臨界点をとっぷりと越ゆる夕べを浅蜊は煮える

労働がドイツ語がわれに背負わせる愁い捨つべし夜毎に走る

トルソーに対いつづけているごとく春のはじめのきまじめに鬱

夕過ぎていよよ濃くなるわが内の霧へ注げり大和のジンを

切れ味のよい歌がもうなんか無理シャワーヘッドは頭皮に当てる

 かと思ったら最終章の「炎、熾せば」では突然恋人が出現し、ラブラブの結末となり驚かされる。

指と指からめて繋ぐ手は熱く他愛ないことしかしゃべっていない

すみれの花の砂糖菓子より甘々きスタンプ送り合うにも馴れて

五時間の通話の内にまた君へ春の星座と共に傾く

 二首目のすみれの砂糖菓子はフランスのトゥールーズの名産品。同じ歌の「スタンプ」はLINEのものだろう。滝本の憂鬱はどこかへ吹っ飛んだようで、ご同慶の至りである。その後、結婚して幸せな新婚生活を送っていると聞き及ぶ。

分析のすずしさに指添わせつつわれも踏みゆく言語野の冬

ほのぼのと酔えば二階のこのバーの岸を離るる舟のごとしも

鷺一羽立たせる川に動かざりあぶらのように照るさびしさは

黒瑪瑙オニキスのカフスを通し冬立てば清しきまでに冷たしシャツは

たましいの彩度を上げるイタリアのリュートの楽を部屋に満たして

朝なさなコーヒー豆を挽くあいのわが頬を打つ夢の尾鰭は

冬の夜の重たさあれは憂鬱の酸っぱさだったかザワークラウト

 島田修三が帯文に書いた「都市生活を背景とした知的抒情」が感じられるのは上に引いたような歌だろう。一首目はドイツ語の文献を読んでいる歌で、指を添わせているのは印刷された文章である。二首目の「離るる」は「はなるる」ではなく「さかるる」と読みたい。酔いが回って陶然となった状態を詠んだ歌。三首目の「立たせる」は滝本がよく使う修辞で、「鷺が立つにまかせる、そのままにしておく」の意か。四首目には「オニキス」と「カフス」にス音の韻があり、その他にも「すがしき」「シャツ」にS音があって忍び寄る冬の冷気を感じさせる。最後の歌の「ザワークラウト」は乳酸発酵させた酸っぱいキャベツでドイツ料理に欠かせない保存食。

 プロフィールによると、滝本は文藝作品をその印象からお茶とスパイス料理で表現する「文スパの会」を主催しているという。テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』だったら舞台はニューオルリーンズなので、料理はジャンバラヤとなるのだろうか。何やら楽しそうだ。