第91回 尾崎左永子『鎌倉もだぁん』

行きちがふ電車の窓を幻のごとく透かして照る街衢がいく見ゆ
                尾崎左永子『鎌倉もだぁん』


 自分の乗る列車と逆方向に進む列車がすれ違うとき、自分の列車の窓ともうひとつの列車の二枚の窓、計三枚の窓硝子を透かして向こう側の風景が見える。掲出歌はこのような一瞬の都市風景を詠んだ歌である。列車どうしはすれ違うのだから、窓を通して向こう側の風景が見えるのは須臾の間にすぎない。それを「幻のごとく」と表現すると、あたかも窓硝子の向こうに見えている街が、現実には存在しない幻想の街のように見えてくる。もし街が幻想ならば、それを見ている〈私〉とは何か。〈私〉もまた須臾の間しかこの世にあらぬ幻想なのではないかという想いを誘う歌である。後で述べるが、「硝子を通して世界を見る」というのは、尾崎に特有の身振りなのだ。
 尾崎左永子を第一歌集『さるびあ街』(1957)の著者松田さえこの名で記憶している人も多いだろう。1927年に生まれ、女学校の頃から短歌に親しんだ尾崎は、佐藤佐太郎に師事した。『さるびあ街』は日本歌人クラブ推薦歌集に選ばれている。これは現在の日本歌人クラブ賞に当たるという。この歌集は長らく絶版だったが、1994年に沖積舎から再刊された。再刊版には1989年時点での栞文が添えられていて、岡井隆、久保田淳、田中子之吉、吉原幸子、春日井建が文章を寄せている。
 栞文というのは帯文とならんで日本の出版界に特有の慣習だが、思いがけぬエピソードや作者の肉声が聞けることがあり、興味の尽きぬものだ。岡井は尾崎との思い出はいくつもあるが、どれも中井英夫がらみなので書きたくないと述べている。さては岡井は中井と仲が悪かったのか。春日井建の語るエピソードもおもしろい。春日井が尾崎と初めて会ったのは、日本推理小説の傑作『虚無への供物』の出版記念バーティーだったという。そこで『虚無への供物』の登場人物の奈々久生のモデルが尾崎だと、中井本人の口から聞いたという。これには驚いた。
 私が松田さえこの歌を初めて読んだのは、短歌への手引き書とした塚本邦雄『現代百歌園』(現在は絶版)だった。塚本は『さるびあ街』から次の歌を引いている。

悲しみをもちて夕餉に加はれば心孤りに白き独活食む
硝子戸の中に対照の世界ありそこにも吾は憂鬱に佇つ
膚光る銀糸さよりを箸にはさみつつ幸ひはいつ吾がうちに棲む
砂糖壺に砂糖入れゐしが庇間ひあはひに鋭き月みゆこの夕まぐれ
いくばくか死より立ち直るさま見をり金魚を塩の水に放ちて

 「独活」「さより」「砂糖」「塩」「金魚」などは実に塚本好みのアイテムで、選歌に個人的嗜好が強く反映されているが、そのことはひとまず措くとして、ここで注目したいのは二首目の歌である。『さるびあ街』の主要テーマは結婚生活の破綻と別離に至るまでの作者の悲しみと苦悩なので、二首目の「憂鬱」はそのことをさす。この歌では硝子戸のなかに自分が映っていて、そのもう一人の自分もまた同じように憂鬱を抱えた存在として把握されている。この自己把握に注意したい。
 自分を映す代表的なものは鏡だが、『さるびあ街』には鏡の歌は一首もない。それに対して硝子の歌は他にもある。

きざし来る悲しみに似て硝子戸にをりをり触るる雪の音する
愛情を口にするとき虚しくて硝子戸滑る雨をみてゐし

 鏡に映るのは自分だけだが、硝子には淡く映る自分の向こう側に現実の世界がある。単純化を怖れず言えば、鏡の眼差しは自分のみに注がれるが、硝子の眼差しは自分の他に世界も見ている。鏡が自己中心的で感情的だとすれば、硝子はもう少し自分を突き放した知的で客観的な視線と言えるだろう。この冷静な眼差しが松田(尾崎)のスタンスの根底にある。『さるびあ街』が結婚生活の破綻という重いテーマを詠んでいるにもかかわらず、過度に感情に溺れることなく理知的で、むしろ明るさの印象すら与えるのはこのような理由による。
 ひるがえって冒頭の掲出歌に戻ると、列車の窓硝子に映るのは向こう側の街の風景のみで、もはや〈私〉は映っていない。二つの歌集の間に流れた歳月のためと思われる。まことに年月は多くのものを流し去るのである。
 『鎌倉もだぁん』は1994年に沖積舎から刊行された歌集で、『さるびあ街』の再刊と同年ということになる。ふらりと立ち寄った三月書房でたまたま手に取り買い求めたものである。著者は鎌倉に20年近く住んでおり、鎌倉を詠った歌を集めたものだという。春夏秋冬の伝統的な季節別の部立構成で、恋の章はない。書名から文士が住み着き、西洋館も多く残る鎌倉の景物を詠んだものかと思いきや、案に相違して作者の眼差しが向かうのは主に自然である。

あとさきもなく霧降れりものの芽の萌ゆる匂ひをこめし低山
春浅き沖の遠くに一束の光を置きて海翳りたり
珈琲店に冷えゐるわれと照り反る炎暑の街を硝子がへだつ
海の色とどむるゆゑに小鰯の光るを買ひて風の街帰る
谷戸の紅葉しぐるる夕べ肩よりぞ濡れつつおはす露座の仏は

 山と海に挟まれたいかにも鎌倉らしい歌を選んでみた。「谷戸」とは山に囲まれた谷の地形で、鎌倉では「やつ」というらしい。柴田泉『鎌倉の西洋館』(平凡社)によると、鎌倉では本来なら日当たりの悪い谷戸に好んで住宅が建てられたようだ。背後と左右を低い山に囲まれ、南に開けて海が見えるところが好立地と見なされたのだろう。
 歌の造りは端正な定型文語で古語を好んで用いている。驚くのは尾崎がすでに『さるびあ街』の時代にすでにこのような作風を確立していたことである。尾崎には短歌製作を中断していた時期があるが、数十年を隔ててその手つきはいささかも変化していない。

引潮の遺しし水に日が透り砂の色もつうろくづおよぐ
                      『さるびあ街』
青磁いろに水しづまれる潮だまり影透くごときうろくづおよぐ 
                    『鎌倉もだぁん』

 二つの歌集からよく似た歌を選び出してみたが、作風に変化のないことは驚くばかりである。いずれの歌にも色と光と動きが詠み込まれているところも同じである。
 先に尾崎のキーアイテムとして硝子戸をあげたが、それより多く見られるのは光である。『鎌倉もだぁん』は光の歌集と言ってもよいかもしれない。山と海に挟まれて坂の多い鎌倉という風土が光を産むということもあるだろう。

液体のやうに滴る光ともみえつつ海に夕日落ちゆく
海みゆる街に棲むゆゑ夕潮の光のごとき風に吹かるる
遠くにてひぐらしの鳴けりあかつきの光を刻むごときそのこゑ
野茨の青き棘など晩夏おそなつの光にものの翳鋭くなりぬ

 しかしただそれだけではあるまい。歳月を経て見いだした生の充実が、狂騒の光ではなく静かな光を目に照らすからだろう。次のような歌がそれをよく示している。

照らさるるわが過去あらん冬の海光を千々に砕くまひるま