第30回 林和清『匿名の森』

卓上の静物画ナチュールモルト 断つまでは果実のなかに流れゐる時間
                     林和清『匿名の森』
 静物画は英語では still life (動かぬ生)といい、フランス語では nature morte (死せる自然)という。セザンヌの静物画は木のテーブルに載せられた果物が多いが、その伝統は17世紀フランドル画派に遡る。市民生活の勃興とともに絵画が宗教から切り離され、日常生活の点景を描くようになった。テーブルに山積みにされた果物・魚・肉や煌めく銀器は当時の静物画で好まれた画題で、町人階級の現世肯定的思想の絵画的表現であった。静物画を nature morteと称するのは象徴的で、そこにあるのは生きた自然ではなく、万象の流転から切り離されたものだ。私たちは生命の流れから切り離された果物や魚を食べ、生命の流れを維持している。それを作者は時間の切断という局面において把握した。第三句「断つまでは」に洞察と断定が宿る。
 『匿名の森』は2006年に上梓された林の第三歌集である。本歌集の特異な構成は、2005年6月9日の塚本邦雄の死去が林にとっていかに大きな出来事であったかを物語る。第一部は「2005年6月9日以前」、第四部が「2005年6月9日以降」と題されており、春夏秋冬の部立で構成された第二部「四季」と第三部「羇旅」が間に挟まれるように置かれている。歌人・林の人生が2005年6月9日という日付で生木を裂くように真っ二つに分断されたことを示す構成である。
 以前「今週の短歌」時代に林の短歌を取り上げたとき、「異界との交通」をその特色と断じた。『匿名の森』でもそれは不変である。林の暮らす世界は普通の人が生きる世界よりわずかに広い。林の意識はたわやすく現世うつしよの外側へと滲み出るのである。例えば次のような歌がそうだ。
焼けてしまった骨のあかるさ思ふとき陶工が壺をまた叩き割る
死後の世にもビニールありてとき来れば寒風に青くはためいてゐる
ここでさへ誰かが死にき漆器屋のうるしにうつる八月の街
いまでないいつかの時を歩みつついつもの朝の駅へとむかふ
いまここにわたくしはゐて緑なす五月の古墳の中にもゐる
垣間見のおももちをもて覗きあるく白いシャネルや暗いカルチェ
うつせみの祭にはあらぬ蛭子鉾、逆髪鉾、弱法師鉾、路地に立てり
 一首目は歌集冒頭「骨原」の連作から。この前に「なめらかに舗道へ歩きだすあなた数本の骨の残像とともに」という歌があり、現世に歩く人もすでに林の眼には骨と映っている。焼けた骨の象徴する死後の明るさと、散らばる陶片の取り合わせが印象的である。二首目は死後の世界にも青いビニールがあるだろうという想像を詠ったもの。私事ながら私は青いビニール袋が大嫌いだが、結句の「青くはためいてゐる」は意外に明るく肯定的でこれなら許せるかもしれない。三首目の「ここでさへ誰かが死にき」は、京都で暮らす者には日常的感覚としてよくわかる。町のあちこちに墓碑のごとくに「○○遭難の跡」という石碑が立っているのだ。その多くは幕末のものだが、漆器屋の近くに立っていたのも同類の石碑だろう。千年の都京都では時間がうず高く堆積しており、その片鱗が町の至る所に顔を覗かせている。四首目は現代と昔の時間の交錯を詠ったもので、作者は今駅に向かって歩いていても、今ではない別の時間を同時に生きているのである。五首目も同工の歌。六首の「垣間見かいまみ」は平安朝文学でお馴染みだろう。家の垣根の隙間から中を覗くことで、多くは男性が女性を覗き見た。きらびやかなシャネルやカルチェのブランド店を平安貴族の垣間見に譬えており、ここでもまた千数百年の時間の隔たりは一気に越えられている。七首目は現実の祇園祭にはない鉾を想像で路地に立てた歌。逆髪さかがみ弱法師よろぼしは能の演目。蛭子ひるこは古事記か。このように林は些細な出来事をきっかけに現世を抜け出して死後の世界を見、また時間を遡って時の旅人となるのである。その自在さは瞠目に値しよう。
 そんな林にとって人との死別は幽明境を分かつ出来事であり、現実には泉下に下った人とは触れあえぬことを思い知らされる時でもあろう。かくして林の詩想は挽歌において最もよく羽ばたくのである。
よみがへるどの記憶にもリンネルの手触りがありまた薫りたつ
枕上まくらがみに夜毎流るる瀬音あり「死せる皇子のためのパヴァーヌ」
海へ還る月を見てゐたあの夜から目に嵌めたまますごすいろくづ
目を鎖せばいくたびも逢ふことができる花を枕にねむる女神と
かつて豊饒の咽喉ふさぎしは何なるかその一塊の午後の黒さは
師のうちに海ありたりき両の肩に貝殻骨の白きかひがら
 最初の二首は春日井建への挽歌。「リンネルの手触り」の比喩が秀逸で、春日井のイメージをよく伝えている。「死せる皇子のためのパヴァーヌ」はもちろんラヴェルの「死せる王女のためのパヴァーヌ」の写し。パヴァーヌは羽根を広げた孔雀の堂々たる歩みを模した舞曲で、歌の背後に絢爛たる孔雀のイメージも揺曳する。三首目は宮尾壽子、四首目は冬野虹への追悼と詞書にある。両親を理不尽な事故で失った男の子が、それ以後は世界を歪ませて映す眼鏡を外すことがなかったという、昔どこかで読んだ話を思い出す。最後の二首は師であった塚本邦雄への挽歌。一首目は師の死因である呼吸不全を詠んだもの。二首目の前には「おそらくはつひに視ざらむみづからの骨ありて涙骨オス・ラクリマーレ」という塚本の歌を詞書とした歌がある。涙骨という名前の骨が本当にあるのかどうか知らないが、言葉に強い美学を持つ塚本らしいこだわりで、林の歌はそれを受けて貝殻骨に思いを託した骨上げの歌である。
 人体を覆う皮膚の下に骨を幻視し、都の路地の辻々に冥界を透視する林だが、幻視を誘うきっかけは日常のごく些細な感覚で、なかでも嗅覚にこだわりがあると見た。嗅覚は原始的感覚でありその喚起力は大きい。
白いやうな擦れたやうなこのにほひ足組みかへるあなたの方から
ダムに落とした一滴のの味がするハーブのお茶を飲み干したあと
木箱より引きいだすとき雛らはこの家のくらがりの香をはなつ
 一首目の擦れたような臭いは骨の臭いである。二首目は嗅覚ではなく味覚だが、まるでプルーストのマドレーヌの挿話の現代における陰画のようだ。三首目では一年に一度取り出す雛人形の臭いが生々しい。確かに「古い臭い」というのはあるもので、それは時間の臭いかもしれない。ちなみに「雛」は音数から「ひひな」と読みたい。 このような林の異界的感覚は時に奇想の歌を生み出すこともある。
白く濡れたゆふぐれの雪散りかかる将校の猿の毛皮のコート
死につづけてゐるのも体力この春も式部の墓へ散りかかる花
ひと息にひらく扇よけざやかにきみが界、わが界とをわかつ
午後四時のミルスクスタンド白秋の手が垂れて壜を置けり空より
音を観る神がゐたのさ秋の朝のはりはりうすい空気を渡り
 一首目を見てすぐ頭に浮かんだのは、雪の連想から二・二六事件の皇道派青年将校か、満州国で暗躍した陸軍将校が身に纏ったコートだ。しかし猿の毛皮は使わないだろうから奇想にはちがいない。二首目、生き返らず死に続けているのにも体力がいるという逆転の発想。三首目は王朝和歌、それも後京極良経あたりを彷彿とさせる歌である。古典に精通した林ならではの手さばきと言えよう。四首目、空から秋が手を垂れて牛乳瓶を置くというのも奇想である。ちなみに近現代短歌には空から手や紐が垂れて来るという歌が多いのはなぜだろう。五首目、秋のピーンと張り詰めたような空気を形容するに「音を観る神」は秀逸。
 第一歌集『ゆるがるれ』、第二歌集『木に縁りて魚を求めよ』と較べるとやや口語脈の歌が多くなったかと感じるが、林の異界感覚はかくも健在である。ちなみに歌集題名『匿名の森』には、森は優れて異界の象徴であり、〈私〉は匿名の存在として森に隠れるという意味が込められているのだろう。モーリス・ブランショならば同じことを「非人称の〈私〉」と言うところである。
 折から古い屋敷の庭に泰山木の花が咲いている。乳白色の大きな花が開ききった様を見ると、それはまるで夢の形のようだ。異界への入り口は至る所に開いているのである。

067:2004年9月 第1週 林 和清
または、異界と自在に交通する想像力は痩せ知らず

白壁の一本の罅たどりつつ
    いのちのやぶれ目を見てゐたる

       林和清『木に縁りて魚を求めよ』(邑書林)
 我流の素人短歌評論を書いていて楽しみなのは、一冊の歌集からどの歌を冒頭に挙げようか、あれでもないこれでもないと迷う時である。なるべくならその歌人の作歌傾向を代表する歌を挙げたい。しかし、自分が好きな歌はそれとはちがうこともある。楽しい迷いであり、時間が過ぎるのを忘れてしまう。今回挙げた歌は、詩想や歌のしらべの点で、集中で必ずしも私がいちばん好きな歌ではないが、作者の歌づくりの根源を表わすと思われることから選んだ。白壁に一本ひびが入っているのを見ているというだけの歌であり、難解なところはどこにもない。しかし、そのひびが「いのちのやぶれ目」であると見る視点がこの歌の命である。そしてこの歌を十分に味わうためには、次の歌と遠く遙かに呼応していることも知らなくてはならない。壁に消える光は命の光なのである。

 真萩ちる庭の秋風みにしみてゆふひのかげぞ壁に消えゆく 永福門院

 林和清は1962年(昭和37年)京都生まれ。『玲瓏』会員で、第一歌集『ゆるがるれ』で第18回現代歌人集会賞を受賞している。『木に縁りて魚を求めよ』は第二歌集。林は佛教大学国文科で中世和歌を専攻した国文学徒だから、古典の知識は豊富で、なかでも永福門院を中心として研究しているという。永福門院は京極派の歌人であるが、京極派は二条派に押されるようにして衰弱した。だから永福門院の歌は滅びゆくものの歌である。ボッチチェリやルドンの絵を見てもわかるように、主流を外れて滅びゆくものはみな美しい。

 林の短歌を特徴づける感覚をひと言で言うならば、それは「異界との交通」だろう。「異界」とは、私がここでこうして生きている世界ではない世界をさす。時間軸においては、それは過去であり未来である。輪廻転生においては、それは前世であり来世となる。異界はとりわけ死者の暮す世界である。林の短歌は、このような異界との交通感覚を基に成立しており、その交通を可能にするのはしばしば日常の現実に生じたわずかな「裂け目」である。だから掲載歌の白壁にできた「いのちのやぶれ目」は、林がそこを通じて異界と交通する入り口なのだ。この歌集でしばしば睡眠と覚醒、そして夢が詠われていることも、これで理解できる。夢占や夢枕に立つなどの言い伝えからもわかるごとく、夢は最も身近な異界への入り口である。

 わが半身うしなふ夜半はとほき世の式部のゆめにみられていたり

 炭酸水のどいらいらとくだるとき覚えのなき記憶よみがへる

 前の世は濃みどりの藻のみなぞこに眠りゐしわれ さるにても鯉魚

 まくなぎの霞のむかうはらからのひとり立つわが知らぬ者なれど

 先をゆく仄しろき足袋ふたひらを追ひて見知らぬ棟に入りたり

 一首目、自分が眠っているとき、自分ははるか昔の式部が見る夢だという。現在と過去とは等価交換の関係にあり、夢と現もまた入れ替わる。世界は「胡蝶の夢」であるという思想は荘子の昔からある。この世は巨大な亀または魚が見ている夢に過ぎないという思想もある。短歌は世界の認識を表現するものであり、林が捉える〈現実〉とは決して「今・ここ」に狭く限定されるものではなく、異界と交通するものである。二首目、炭酸水を飲む時に蘇る「覚えのなき記憶」とは、前世の記憶に他ならない。このことは、自分の前世は水底に眠る鯉だったという三首目にいっそう明らかである。三首目、「まくなぎ」とは夏の季語である小さな羽虫のこと。霞の向こうに立つ顔もはっきりせず、自分が知らない兄弟とは、異界から出現した者に他ならない。五首目、白い足袋をはいて前を行くのは、たぶん女性だろう。私はそれを追いかけるようにして、見知らぬ建物、つまり異界に入り込んでゆく。「足袋ふたひら」とだけあって、足袋を履いている人の顔も姿もはっきりしないところが、いっそう異形感覚を強めている。まるでひらひらと飛ぶ二頭の白い蝶に誘われているかのようだ。

 次の歌にはもっとはっきりと死者が登場する。

 死者が来てゆふぐれを食ふ気配せり目には水揺るるのみなれど

 門灯のさゆらぐあたりわれよりも体温たかき死者が来てをる

 秋の塩きららの撒きて喪のひとは急にひかげる面輪をもてり

 しかし、ここに暗さや怖れはまったくない。手招きして自分を誘う異界や死者は肉親のように親しいものであるかのようだ。なぜだろうか。それは林が京都という町で生まれ育ったからではないだろうか。少なくとも林自身はそのように認識している。『現代短歌最前線』(北溟社)の自選200首に添えた「京都時間のベクトル」という文章のなかで、林は次のように書いているのである。

 「京都に生まれて、いまも住みながら、やはりここは不思議なところだなと思うことが、しばしばある。時間が、重層構造をなして存在しているのが見える。いまこの瞬間にも、過去の時間が重なりあってひしめいている。京都が存在しつづける価値は、時間の認識のしかたを示唆してくれることだろう。京都では、現在より過去の力のほうが大きいと思うことがよくある。」

 時間が降り積もり、天神さん(菅原道真)やお大師さん(空海)が町衆のなかに生き続けている京都では、異界や死者は遠く恐ろしいものではなく、すぐそこにある親しいものだ。この世と冥界とを往還したという小野篁のような人までいる土地柄である。歌人は知らず知らずのうちに、異界との境界に引き寄せられるのだろうか。

 荒神橋の凍霜の夜にいきづける百合鴎くれなゐのいきぎも

 鴨川に懸かる荒神橋は、京都に住む歌人には馴染み深い地名だろう。岡井隆を中心として最近まで開かれていた「左岸の会」の前身は「荒神橋歌会」と称した。荒神橋は荒神口に懸かっている。荒神口は洛中から洛外に出る7つの口のひとつで、ここから志賀街道が伸びている。人も知るように、出口・入り口は異界との交通の場所である。

 林は「京都時間のベクトル」のなかで、日本画家・上村松篁の描く鳥の絵は、忠実な写生でありながらナマの動きではなく、絵のなかに仕留めきったとでもいうような静謐な美を見せているという。鳥は絵のなかで生命に溢れながら、同時に死のベクトルをまとっている。生のベクトルと死のベクトルの危うい均衡、それが一瞬と永遠をつなぐ架橋になると結論する。松篁の絵に仮託した林のこの文章は、この上ない自歌解説ともなっていることに気づかされる。「生のベクトルと死のベクトルの危うい均衡」、それはしばしば日常のなかにふと生じる微かな〈揺らぎ〉を契機として表現される。上にあげた死者の歌に詠われた水面のわずかな揺れ、門灯のかすきな瞬き、このような微少な〈揺らぎ〉に心を留める感受性が林の歌の入り口であり、その〈揺らぎ〉をワームホールとして「生のベクトルと死のベクトルの危うい均衡」へと想像力を飛翔させるのが林の歌の技量である。だからこの歌集には、日常の〈揺らぎ〉が予感として満ち満ちている。

 天使の裸体ころぶす卓にひとはりのグラスの水はゆれやまずけり

 柔らかくくろく土ある園のすみに茸ののぴる音を聞きたり

 声あぐるほどの予感は満ち来たり合歓うすくれなゐのひとけぶり

 昏昏とねむる夢見るまくら辺のヒヤシンスみづに根を延ばしをり

 白壁のひびのようなかすかな〈揺らぎ〉を入り口とする〈異界〉との往還は、〈今・ここ〉(hic et nunc) に縛られることのない振幅と奥行きのある〈私〉の表現を、林の短歌において可能にした。これは考えてみる意味のある問題である。なぜなら現代短歌は、近代短歌の切り開いた道である「個の表現」としての短歌を追求するあまり、〈個の個別化〉と〈日常の断片化〉の道に踏み込んで、「〈私〉の痩せ細り」現象を招いているからである。

 折しも今年度の短歌研究新人賞が発表された。受賞者は1971生まれの嵯峨直樹、受賞作品は「ペールグレーの海と空」である。

 髪の毛をしきりにいじり空を見る 生まれたらもう傷ついていた

 「残酷な優しさだよね」留守電の声の後ろで雨音がする

 午前1時の通勤電車大切な鞄ひしゃげたままの僕たち

 この先は断崖 声を涸らしつつ叫ぶよ何をたとえば 愛を

 ここに表現されているのは、〈今・ここ〉に拘禁されて一歩も動くことのできない〈私〉である。「生まれたらもう傷ついていた」と自分を感じるひ弱さ、「大切な鞄ひしゃげたまま」という無力感、そのような感受性も短歌は表現することができるが、「〈私〉の痩せ細り」は覆うべくもない。残念ながらここに決定的に欠けているのは、〈私〉を世界に向かって開く契機である。その契機はイラク戦争や9.11テロのような「大事件」である必要はない。林の歌を読めばわかるように、日常のかすかな揺らぎも十分な契機となりうるのである。

 最後に『木に縁りて魚を求めよ』から白眉と思われる歌を挙げておく。いずれも林の感性の住む時空の広がりを感じさせてくれる歌である。

 死の側の水田のひかりわが刻のすぎゆくさまを月に見られて

 刃当つればおのづと割るる甘藍にみなぎるものををののきて見つ

 肌うすき者へ驟雨のつぶて来る死の前脚の垂るる空より

 一首目はすごい。「死の側の水田」とは、幽明の境界を越えた向こう側だから、これはあの世から世界を見ているのだ。想像力を梃子として実現される視点の重層性である。このような視点を持ちうる〈私〉が痩せ細ることは絶えてあるまい。