『朱鳥』(1999年)、『ヒカリトアソベ』(2007年)に続く著者第三歌集である。第二歌集から15年という年月を経ているので、その間に作風が変化していることが当然予想されるが、降り積もる時は作者に大きな変化をもたらしたようだ。
もともと池田は浜田到の天上的美の世界に傾倒し、ていねいに織り上げた言葉によって抽象に踵を接するような美を現出させる歌を得意としていた。
薄明のはくれん美し死を告らす神があたえしきよきくちづけ
『ヒカリトアソベ』
蜘蛛の糸かぜにたわみて光りおり今生というはつかゆりかご
しかし『時間グラス』にはこれとは肌合いの違う次のような歌が見られる。
デブリや汚染水フレコンバッグの汚染土と手に負えぬもの積み重なりぬ
六十六万余人、一万六千柱を迎え入れし引揚桟橋迫り出しかなし
ちちの入善ははの宇奈月ふるさとは名のみとなれる墓に草生し
炉窯のごとき鉄骨ドーム残照に熱きてただれおちたる肉は
平和のための抑止力というキャンペーン戦艦長門・大和にもありき
一首目は東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発の苛酷事故を詠んだ歌である。事故が残したものを歌に詠み込むうちに大きく破調となっている。二首目は舞鶴の引揚記念館に足を運んだ折の歌で、三首目は父母が戦後暮らした土地を訪れた折の歌。四首目はヒロシマの原爆ドーム、五首目は呉の大和ミュージアムを訪れた際の歌である。
著者は一人旅を好むようで、その行き先は例えば吉野や須磨のようないかにも歌人らしい歌枕の地であることもあるが、それにも増して足を運ぶのは、舞鶴、広島、呉や千鳥ヶ淵の戦没者墓苑など先の戦争の記憶が残る場所である。実はその兆候は第二歌集『ヒカリトアソベ』にすでにあり、あとがきには認知症を発症した老父が戦場の幻影やうわ言を口にすることに衝撃を受けたと書かれている。そして自分が無関心に過ぎてしまったものにきちんと向き合わなくてはならないという気持ちにかられたとある。著者はこのような動機に突き動かされるように昭和史を学ぶゼミにも通っている。
兵装の永久にとかれぬ不明死者おもう声明の和に目つむりて
ことし還りし遺骨二三三七体をうたに迎えん「ふるさと」合唱
教育勅語死語をとかるるこの春のさくらの校門くぐりゆく子ら
銃剣道教練もありていつしらに捧げ銃雨の出陣行進のため
歌集題名の時間グラスとは砂時計のことだという。時は降り積もるものである。私の生の前には父母の生があり、その前には祖父母の生がある。作者は時間を遡行する旅に誘われたようだ。
とはいえ次のような変わらず美しい歌もまた本歌集の魅力である。
そらに爪立てたるような掻き傷が祈りに向かう朝にありたり
砂時計を時間グラスとよぶときのすいせんの香をこめて雪ふる
末枯れ咲く紫陽花の毬を剪りてゆく からまわりするせかいのまひる
さくらさくら仰ぐかたわらに死者はきてわれより若き髪をそよがす
くれないのくずれし薔薇すてるとき花瓶の水ににげるひとひら
『短歌人』2022年9月号