第11回 池田裕美子『朱鳥』『ヒカリトアソベ』

ありあけのなかぞらに浮く花暈(はながさ)のさくらは冷えて時なきがごと
              池田裕美子『ヒリカトアソベ』
 私は短歌を作らない/作れないので、自在に言葉と韻律を操る歌人の方々の奇術師のごとき幻妙な手つきを見てただ驚嘆するばかりである。歌を繰り出す歌人たちの手つきを観察すると、いくつかのタイプに分けられることがわかる。「虚空を一閃して花束をつかみ出す」と言ったのは中井英夫だが、絶対的虚から歌を取り出す「つかみ出し型」は、若手ならさしずめ黒瀬珂瀾あたりが代表か。過去の体験や子供時代の記憶の柔らかい闇から言葉を汲み上げる「汲み上げ型」の歌人もいる。東直子の短歌を読んでいると、何だかなつかしい気持ちになるのはこのためだろう。心に沈殿した澱のごときものを毒を交えて吐き出す「吐き出し型」の人もいる。森本平や島田修三の名が頭に浮かぶ。この他に「織り上げ型」と呼びたい歌人もいて、蜘蛛が透明な糸を吐いて巣を織り上げるように、言葉を丹念に紡いで歌を織り上げる。池田裕美子はそんな印象を与える歌人である。
 掲出歌を見ると、「ありあけ」「なかぞら」という古典和歌の語彙を格助詞ノ・ニ・デで柔らかに連ねて桜を眼前に現出させ、さらに倒置法により結句に置かれた「時なきがごと」であたかも桜の花群を中空に氷結させるような言葉の運びである。滑らかな韻律とあいまって、一首三十一音の短さの中にそれをはるかに超える広がりを持つ歌の空間を織り上げている。
 池田が歌を紡ぎ出す手つきをもうひとつ見てみよう。
まぐのりあ そのおんいんの敬虔のおもむくところ──ヒリカトアソベ
 原文では外来語であることを示すため「まぐのりあ」に傍点が振られている。マグノリアは木蓮・泰山・辛夷などの花木の総称。しかし直前に「薄明のはくれん美(くわ)し死を告(の)らす神があたえしきよきくちづけ」という歌があり、白木蓮であることがわかる。作者は「まぐのりあ」という樹木名から、マリア、グロリア、マグダラというキリスト教に因む単語を紡ぎ出す。その音韻上の連想から「敬虔」という語が導かれ、視線は自然と天上へと向かう。歌集題名ともなっている結句の「ヒカリトアソベ」は、作者が敬愛する浜田到の「こよひ雪片ほどに天よりほぐれ落ちて来る死者の音信『ヒカリトアソベ』」から採られている。浜田は死の想念に浸された形而上的世界を魂の震えとともに詠った歌人である。「まぐのりあ」の音韻に導かれた宗教的連想と、手を合わせて祈るがごとく天に向かって咲く白木蓮の花序と輝く白とが、織り上げられるように浜田の天上的世界への憧憬へと収斂している。この歌は池田が言葉から歌を紡ぎ出す手つきをこの上なくよく示していると言えよう。
 いつものように今回も歌人ご本人に関する知識は皆無で、私の前には『朱鳥』(1999年 雁書館)と『ヒリカトアソベ』(2007年 砂子屋書房)の2冊の歌集があるばかりである。『朱鳥』のあとがきによれば、1986年頃から作歌を始め、「かりん」「あまだむ」と所属を変えて、現在は「短歌人」所属。第一歌集『朱鳥』には小池光が跋文を寄せている。歌を読んでいくと、第二次世界大戦に従軍した父を持ち、少し前に定年退職した夫がいることがわかるので、それ相応の年齢の人だろうと推察される。
 2冊の歌集を統べる主題をざっくりと摘出するならば、それは「時間」と「光」ということになろう。この主題はすでに歌集題名に明らかである。第一歌集の「朱鳥」は「あかみどり」と読み、「這いおりる鬼千匹の紅葉谷 朱鳥元年大津皇子はや」という歌にちなむ。朱鳥とは天武天皇の時代西暦686年に短期間用いられた元号で、この年の10月に大津皇子が謀反の嫌疑により死を給わっている。だから歌の紅葉谷は大津皇子が埋葬された二上山にちがいない。眼前にあるのは血のように赤い紅葉だが、作者の想念は時間を飛び越えて大津皇子の悲劇へと向かっているのである。このように歌集題名の「朱鳥」は、歴史の厚みの彼方へと読者を誘うタイムマシンとして働く。
 作者の時間の観念は次のような歌によく現れている。
アンティーク通りの窓辺そぞろゆく時間(とき)の詐術のようなたそがれ 
                      『ヒリカトアソベ』
とうろりと時間の壺の煮詰れるうみの名上総(かずさ)が安房(あわ)へと移り
打ちて殺めし子を背負いたる油壺ざくろのいろのゆうばえ冷えつ
 一首目は古美術商の立ち並ぶ通りを歩いている情景を詠んだもの。作者は黄昏時の古美術商の飾り窓に歴史的時間の重層性を見ると同時に、〈私〉の生きる今という時間の不可思議を詐術と表現しているのだろう。二首目は「時間の壺」という表現がおもしろい。壺の中には様々な時間が煮詰められているのである。自動車で千葉県の中央部から南部へと移動しているのだが、上総と安房という古名により時間的広がりを出している。三首目は夕景を詠んだ歌だが、三浦半島の油壺に伝わる伝承を景色に重ねることで景色の色を深めている。油壺には湾に飛び込んだ武将の血で一面油を引いたようになったという伝承もあるらしい。これらの歌を見てもわかるように、作者は「今・ここ」という局所的時空に歌を閉じこめるのではなく、歌を時間の中へと解き放つのである。そのとき跳躍台となるのがしばしば言葉であることにも注意しよう。現在は過去の集積の上に成立しているのであり、私の生きる今は過去から切り離すことはできないという思想がおそらくそこにはある。歌人を空間派と時間派に二分するならば、池田は断然時間派の歌人なのである。
 次に光の主題だが、第二歌集『ヒリカトアソベ』の題名の由来についてはすでに述べた。浜田の歌にも「白昼の星のひかりにのみ開く扉(ドア)、天使住居街に夏こもるかな」のように、天上的な光が満ちている。池田の歌集から光にちなむ歌をいくつか引いてみよう。
ひさかたのひかりの春やまなうらを聖三稜玻璃くだけやまずも 『朱鳥』
ふり仰ぐ楝(おうち)のこずえ透明な神経叢のひかりふる秋
朝雲のたなびくあわいを光りつつ神の素足の降(お)りたたんとす
あさじめるはなびらひらきゆくときを鳥のこえひくひかりはのぼる 
                     『ヒカリトアソベ』
寒のそら二層に明けて朱を離るるみずのひとみのみひらきてゆく
生命の褥(しとね)のごとき羊歯類のさみどりに沁む五月のひかり
 一首目はh音の連続が心地よいリズムを作り出している。「聖三稜玻璃」は山村暮鳥の詩集の題名であり、暮鳥の詩にも溢れる光のイメージと遠く交感している。二首目の神経叢に喩えられた秋空から降り注ぐ光、三首目の雲間から矢のごとく降る朝の光などその姿は様々であるが、いずれも歌の内部を静謐な明るさで満たしている。このように池田は「時間と光の歌人」と呼ぶのがふさわしい。
 池田の時間の襞に分け入る眼差しは、第二歌集に至ってその深度を一層増しているようだ。
しんとした野獣が居座る厳冬はドン・コサックの馬橇が走る
古書店の外積みの百円コーナーに『日本植民地史』あるはるのあわゆき
終戦の日のどの家にも直立したる柱時計あり玉音の刻
馬車馬のあますなく血肉を奉じたる昭和暮れがた父老いづけり
要塞の〈鷲の巣〉にさす薄荷光しみのようなり遺書の平凡
テニアン島に死者たちが漕ぐ潮舟の金環蝕のリングをなせり
「昭和40年頃を住んだ北海道」という詞書のある一首目は若い頃の記憶だが、作者の時間遡行は老いを深める父親を媒介として、戦争の昭和へと後ずさりするように進んでゆく。古書店に売られている『日本植民地史』を引き金として、終戦の日や父親の戦争体験へと連想が広がる。五首目の「鷹の巣」はヒトラーの山荘の名で、作者の想いはヒトラーとエヴァへと、また南海に散った兵士たちまで及ぶのである。
 先に池田が歌を紡ぎ出す手つきを「織り上げ型」と呼んだのは、歌の随所に周到に配置された語彙や固有名が、呼応し交感しつつ立体感のある世界を組み上げているからで、読者は通り一遍の読み方ではなく、知識と共感を動員して織物を解きほぐすように読むことを求められるのである。なかでも池田が好むのは固有名であり、人名と地名である。
薄氷(うすらい)のごときが閉ざす上空ゆ〈神を呪え〉とヨブにその妻
厚雲のしたびを洩れて白金(はっきん)の刃(やいば)ひらめく ミケランジェロ忌
雨戸洩るひかりのなかに浮かびきてルドンのBuddaのまどろむおもて
太陽の朱の芯おつる海に添いラスコーリニコフの斧の半島のぼる
夏泊はかなき名なり夏果ての海に老太陽のような月浮く
入善町小摺戸(にゅうぜんまちこすりど)……蝋の仄ぐらさぬくき根雪に墓はくるまる
宮益坂志賀昆虫普及社におとうとに買う蝶の眠りを
 ヨブは旧約聖書の人名。身に降りかかる災厄に〈神を呪え〉を囁くのは悪魔である。ミケランジェロは血管の浮く隆とした筋肉を想起させ、ルドンは白昼夢のような幻想的光景へと連想を導く。ラスコーリニコフはドストエフスキーの小説『罪と罰』の主人公で、斧で老女を惨殺することを知っていれば、斧の形の下北半島に一層の暗さが増す。夏泊は陸奥湾に突き出た半島の名で、瀕死の太陽とともに東北地方の夏の短さを際だたせている。入善は富山県の地名。昔は裏日本と呼ばれた日本海側の沿岸地方には、味わい深く淋しい地名が多い。固有名に意味はないというのが言語学の定説だが、地名は土地の個別性を強く喚起するのであり、かのプルーストが地名の詩的喚起力にこだわったことはよく知られている。宮益坂は渋谷駅の東口から続く坂。「志賀昆虫普及社」は、塚本邦雄の「ロミオ洋品店」、村上きわみの「小笠原義肢装具店」などと並ぶ効果を一首の中で上げている。季刊『現代短歌雁』34号(1995)の「地名の喚起力」特集で、「近代・現代短歌の聖地」と題する記事をまとめたのは他ならぬ池田であった。この記事には海石榴市から東急ハンズに至る近現代短歌の歌枕が集められており、池田の地名に対する興味が窺える。ただ第二歌集では固有名の出現頻度は低下していて、池田の歌作が抽象性を増していることを示唆している。
 歌に詠み込まれた固有名にはどのような効果があるか。それは歌の質によって異なる。池田の歌に出現する固有名は藤原龍一郎の歌に頻出する固有名と機能を同じくしない。かつて永田和宏は「普遍性という病  ― 読者論のために」(『喩と読者』所収、初出『短歌現代』1982)の中で、執筆当時に発表された短歌に固有名が少ないことを指摘し、若手の歌人たちが「事実の具体性」よりは「真実の抽象性」を重んじる「普遍性という病」にかかっており、「想像力の自家中毒」に陥っているのではないかと警鐘を鳴らした。それからはや四半世紀を経て、永田の指摘は現代の若い歌人たちの作る歌にはもはや妥当しないように思われる。若い歌人たちは「普遍性という病」ではなく、その対局にある「個人性という病」に罹患していて、〈小さな私〉と恋人と僅かな友人だけから成る小世界の外側に目を向けることが少ない。この場合も「普遍性という病」に罹った時と見かけは同じように、固有名の使用は減少することに注意しよう。世界は名からできており、目を向ける世界が矮小化すれば名の数もまた減るからである。
 池田の歌に登場する固有名は、一首三十一文字の小世界を大きな時間の流れへと接続する。固有名という転轍機を媒介として歌はより大きな「外部」と繋がり、音韻と意味の交響を紡ぎ出すことで一首に奥行きを与えるのである。「外部」を失なうと詩の言葉は痩せる。池田の歌はこのことを教えてくれているように思われるのである。