もうここへやってきている夕映えの手首まで塗るハンドクリーム
笠木拓『はるかカーテンコールまで』
不思議な歌である。「もうここへやってきている」は「夕映え」にかかる連体修飾句だから、夕映えの時間が予想よりも早く訪れたことを意味する。あるいはここへは来ないと信じていた夕映えが訪れたのかもしれない。だとすれば歌の〈私〉は幼児のごとくあり得ないことを信じ、それにすがって生きていたとも考えられる。この歌の工夫は三句の「夕映えの」の連接のずれである。「夕映の」が直接に「手首」を修飾するのは無理がある。だからここには統辞の詩的なずらしがあり、上句までと下句は繋がるようで意味的に断絶している。四句以下は手にハンドクリームを塗るという極めて日常的な行為が描かれている。ところが意味的にレベルを異にする上句があるために、その日常的な行為に、例えばこれから最終決戦に赴くというような、何か特別な意味が付与されているように見えるのである。その効果によって歌全体に、取り返しのつかない一回性、追い詰められたような切迫感が生まれている。
笠木拓は1987年生まれ。大学入学の頃から短歌を作り始め、京大短歌に所属。第58回角川短歌賞で「フェイクファー」50首により佳作、第6回現代短歌社賞次席。同人誌「遠泳」に参加している。『はるかカーテンコールまで』は2019年10月に刊行された第一歌集。版元は港の人で、たぶん京大短歌の先輩で角川短歌賞受賞者の光森裕樹に倣ったものだろう。
笠木の作風が多くのポスト・ニューウェーヴ世代もしくはゼロ年代の歌人と共通しているのは、ゆるやかな定型意識、文語を交えた口語ベース、会話体の挿入、低体温で希薄な〈私〉という点だろう。
手を振っているばかりだね僕たちは別な海辺の町で生まれて
映写機の中の世界を思わせてゆるやかに夜の市バスは過ぎる
噴水は水の額か この手のひらを添えたいけれどどうにも遠い
ビニールの撥水加工うつくしと傘の内側より見ておりぬ
(永遠は無いよね)(無いね)吊革をはんぶんこする花火の帰り
一首目の「僕たち」は恋人か恋人未満の関係だろう。「僕たち」には深く繋がりたいという欲求があるのだが、それを叶えることができずに手を振るばかりである。二首目、夜の町を市バスが過ぎる光景がまるで映画に映し出されたのように見えるのは、現実に対して疎外感を抱いているからだろう。自分はこの世界に生きているのだが、そこにほんとうに参画しているという実感が持てないのである。三首目はストレートに対象に手が届かない焦燥感を表している。四首目、ビニール傘の内側は何かに守られた世界であり自閉した空間である。その内側からビニール傘を通して外を見ている。五首目の(永遠は無いよね)(無いね)は、一首目の「僕たち」の会話だろう。花火大会を見た帰りにバスか電車に乗っている。車内は混んでいるので一つの吊革を二人で握っている。それは普通に考えればとても親密な空間である。しかし二人は睦言を交わす代わりに永遠など存在しないことを確認しあっている。それは裏を返せば二人が共有する「今」こそが大事なのだということでもある。
ポスト・ニューウェーヴ世代の短歌の特徴については、もうひと昔以上前になるが、2007年の『短歌ヴァーサス』終刊号に掲載された斉藤斎藤の「生きるは人生とは違う」という文章が今でも有効である。斉藤はまず短歌の私性を論じるときの私を二つに分ける。「私」は「私は身長178cmである」と言うときの私で、客体用法と呼ばれる。これは言わば公的な私であり、誰が見てもそう見える私である。一方、「私は歯が痛い」「私には黄色く見える」と言うときの〈私〉は主体用法と呼ばれていて、一人称の私が内側からしか知ることのできない私である。知ってか知らずか斉藤が例を挙げるとき、「痛い」という感覚述語、「見える」という知覚動詞を選んでいるところに注意しよう。日本語では「うれしい」「悲しい」のような感情述語、「寒い」「痛い」のような感覚述語は一人称でしか使えない。「私はうれしい」はよいが、「太郎はうれしい」とは言えない(ただし過去形ではこの制約は解除され、「太郎はうれしかった」と言える。それは語りになるからである)。また「ある」「いる」などの存在動詞、「ほしい」「したい」などの願望動詞と並んで、感覚動詞・知覚動詞は終止形で現在を表すことができる稀な動詞である(そうでない「走る」で現在を表すには「太郎は走っている」のようにテイル形を用いねばならない)。だからこれらの動詞は主体用法の〈私〉と親和性が高いのである。その上で斉藤は次のように述べている。
近代短歌において、「私」とは実在の「私」であった。前衛短歌において、虚構の「私」が導入された。(…)ニューウェーヴでは、前衛短歌にあった大きな物語が否定 / 無化され、「私」の特殊さが〈私〉に接続され、「わがまま」な歌となった。そしてポストニューウェーヴ世代において、「私」の特殊さは歌から排除され、あるいは「私」まるごと歌から排除され、そして〈私〉が生きるが残った。「私」から切り離された〈私〉というわかもののたたずまいは、若いころ威勢のよかった人々には羊のように歯がゆく映るかもしれない。しかし、若者が〈私〉に尊厳の根拠を置かざるを得ないのは、社会が流動化し、中長期的な「私」の安定が失われたからである。
要するに、現代の若手の短歌では、他者と共役することを初めから考えない極私的な自我に作歌の根拠が置かれているということである。その上で、ポストニューウェーヴ世代の短歌には「今ここの〈私〉を生きる」感覚が溢れていることを、中田有里の歌を引いて論じている。
本を持って帰って返しに行く道に植木や壊しかけのビルがある
カーテンの隙間に見える雨が降る夜の手すりが水に濡れてる
曰く、「断続的につらなる〈今ここ〉の意識が流れつく先で、〈私〉が「水」や「歯磨き粉」に出くわしている」、「「私」の心情は全く投影されていない」とし、「〈私〉のかけがえのなさをたいせつにするということが、ポストニューウェーヴのわかものをつらぬく特徴である」と結論している。
なかなか急所を突いた議論で、ポストニューウェーヴ世代の短歌の特徴を剔抉していると言えるだろう。確かに笠木の歌集にもそれを思わせる歌がある。
つま先が飛行機雲に触れるまでブランコをただただ軋ませる
捨てられた傘へと傘を差しかける最終バスを待つ束の間は
水切りにいい石が見つからないね うんと先まで残照の川
地下街の花にも雨をみせたくて背丈の低いひまわりを買う
しかしながら本歌集を通読すると、「今ここの〈私〉を生きる」からは遠く離れた感覚を詠む歌が多いことに気づく。そのことが笠木の歌の個性になっている。たとえば次のような歌である。
青鷺、とあなたが指してくれた日の川のひかりを覚えていたい
遠いものばかりを許し僕たちは雨の港に船を見送る
もう何も入れなくてもいい額縁をレインコートの腕が抱きぬ
テーブルを拭う夕べはさよならをしなかったひとばかりが遠い
乳液を貸すのもこれが最後だと気づいて朝の雨をみている
忘れた、といつか答えて笑うだろうこの夕暮れの首のにおいも
一首目、川の中州に佇む鳥をあなたが青鷺だと教えてくれたあの日はもう二度と戻らない。二首目、遠いものばかりを許すということは、近いものは許さないということだ。雨の港を出港する船は誰を乗せているのだろう。三首目、絵か写真を収めてあった額縁は今は空っぽだ。中身はとうに失われてしまい戻って来ない。四首目、夕食後にダイニングテーブルを布巾で拭いている。「さよなら」とちゃんと別れを告げた人に較べて、挨拶をせずに曖昧に別れた人の方を遠くに感じている。五首目、アパートに泊まった彼女に翌朝乳液を貸してあげる。それも今朝が最後なのは別れを決めたためである。六首目、今隣にいる恋人に頬を寄せると漂う首の匂いも、いつかは忘れてしまうだろうという予感がする。
これらの歌に通底しているのは切実な「喪失感」であり、「あの時は二度と戻って来ない」感ではないだろうか。どうやら作者にとっては、「今がいちばん輝いている」と感じることが難しく、現実の過去もしくは想像上の世界で輝く瞬間を哀惜する気持ちが強いのである。哀惜することによってその時はいっそう輝くという構図になっている。これは斉藤斎藤が指摘した、ポストニューウェーヴ世代の「今ここ」感覚とはほど遠いものと言わねばならない。なぜ失われたものを哀惜するのか。それは内向し漂流する〈私〉の繋留点を探し求めているからである。〈今ここ〉に輝きを認めることができないならば、探し求める〈私〉の繋留点は過去か想像界の中にしかない。未来はもとより射程の埒外である。
飛ぶものを目で追いかけた夏だった地表に影を縫われて僕は
鳥はその喉に触れえず鳴くものを地上の声を飛び越えてゆく
夏の日の空をめがけて投げ上げるラムネの瓶の喉元の玉
母からの花の絵文字を川べりにひらいて閉じるまでの黄昏
弟の頬に灯れりおそなつのテレビ小説のその照り返し
いつか死ぬそのいつかを鳥は鳴き渡りあなたは夜へ踵を返す
カーディガンのボタンの上を揺れていた木彫りの小鳥まどべのひかり
あめひかる夏のゆうべは浅瀬めく駅前広場踏み越え ゆかな
印象に残った歌を引いた。過去形で詠まれていなくても、〈今ここ〉は失われることを宿命づけられているかのように描かれている。そのために夏の光がきらきらと輝く歌でも、色彩にはすでにセピアの影が忍び寄っている。集中でいちばん好きな歌を挙げておこう。光と影とが交錯する歌である。
日の照れば返すひかりのはかなさのさくらばなとは光の喉首
最後に歌集タイトルに触れておく。カーテンコールとは、演劇で幕が下りた後に、観客に拍手に応えるように緞帳が上がり、舞台に出演者が並んで挨拶する場面をいう。芝居の余韻を味わう終幕の一瞬である。「はるか」には、終幕がまだ遠く先にあり、その瞬間まで平板な日常を生きねばならないという認識と、その瞬間までは何とか生き延びようという意志が込められているのだろう。よいタイトルである。