滑るやうに車線変更してしまふコンサバティブな春の夕暮れ
喜多昭夫『早熟みかん』
喜多昭夫『早熟みかん』
俳人の加藤郁乎さんが亡くなった。私にとって郁乎の俳句は次に尽きる。
先月は安永蕗子さんが長逝された。安永さんの歌で手帖に控えてあるのは次の歌だ。
* * * * * *
最近、あまり気分の晴れることが少ないと感じている人は多かろう。長引く日本経済の不振、昨年の3.11以来の放射能への不安、はたまたEUの混乱による金融不安への懸念と、材料には事欠かない。政府は震災復興資金の捻出のため、国家公務員の給与を向こう2年間平均8%減らすことを決定した。私たち国立大学教員は法人化されたため、もう国家公務員ではないのだが、国庫から運営交付金をもらっている関係上、同列とみなされて給料が減ることになった。私はまあ年上のほうなので、今後2年間は10%給料が減らされる見込みだ。
こんな風に鬱々として気持ちが沈みがちなときに読むとよい歌集が出た。喜多昭夫の『早熟みかん』である。簡素な造本の自費出版で、あとがきなし、略歴は3行のみでそのうち1行は住所という簡素さに驚く。『青夕焼け』(1989年)、『銀桃』(2000年)、『夜店』(2003年)、『青霊』(2008年)に続く第五歌集ということになる。
私が喜多の短歌に出会ったのは、第三歌集の『夜店』を書店で手に取って買い求めた時に遡る。全編に漂う洒脱と俳味と「ズルムケ感」(喜多自身の表現)はもうすでに大人、いや中年の文学になっていた。その後、時代を遡るようにして第一歌集『青夕焼け』、第二歌集『銀桃』を読むことになるのだが、やはり本には読むべき順番と、読むべき年齢というものがある。そのことを思い知った。『青夕焼け』は次のような歌の並ぶ青春歌集の金字塔だったのである。
『早熟みかん』に並ぶ次のような歌は、そのような経緯を知った上で読まれるべきものだ。
本歌集を一読して気づくのは挽歌の多さではないだろうか。その多くは泉下の人となった歌人に捧げられている。
挽歌には喜多の短歌を読み解く秘密が潜んでいる。それは本歌取りである。笹井への二首は笹井の「それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした」と、「水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って」を踏まえたものである。思えば喜多は第一歌集から本歌取りの技法をよく使っていた。
本歌集には他にも次のような歌がある。
このように喜多は若い頃から多くの歌に親しみ、それをもじったりパロディーにしたり触発されたりして歌を作って来たのである。これは決して珍しいことではなく、実は古典和歌の世界でふつうに行われていたことにすぎない。古典和歌の世界では誰もが知っている歌の共通資産があり、それを踏まえてひねりを加えることでいかに新味を出すかを競っていた。したがって喜多は現代短歌に古典和歌の手法を復活させたとも言えるわけで、この意味で〈修辞ルネサンス〉をめざした加藤治郎らのニューウェーブと通じるところがある。
また喜多が挽歌に特色を滲ませるのもこれと無縁ではない。挽歌は特定の個人の死を悼み、不在の人に呼びかける歌である。人への呼びかけもまた古典和歌が持っていて、現代短歌が失ったもののひとつである。
次のような歌はもちろん挽歌ではないが、このように特定の人名を詠み込んだ歌もまた、ある意味で人に対する呼びかけが込められていると考えられる。
最後に思わずにんまりしてしまった歌を挙げておこう。
どうも気持ちがじめじめしがちな昨今、パロディーと捻りと諧謔と軽み、そしてしずかな悲しみに満ちた喜多の『早熟みかん』を読まれるがよい。きっと心に清涼剤として効くにちがいない。
天文や大食の天の鷹を馴らし俳句は短い分だけ衝撃力が大きい。この句に出会ったときにはほんとうに驚いた。それは加藤楸邨の「サタン生る汗の片目をつむるとき」とか、安井浩司の「死鼠を常の真昼へ抛りけり」といった句に出会った衝撃と通じるものだ。
先月は安永蕗子さんが長逝された。安永さんの歌で手帖に控えてあるのは次の歌だ。
つきぬけて虚しき空と思ふとき燃え殻のごとき雪が落ちくるポイントはもちろん四句にあり、八音の増音がまことに効果的な歌で、一度見たら忘れられない。あわせてご冥福を祈りたい。
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最近、あまり気分の晴れることが少ないと感じている人は多かろう。長引く日本経済の不振、昨年の3.11以来の放射能への不安、はたまたEUの混乱による金融不安への懸念と、材料には事欠かない。政府は震災復興資金の捻出のため、国家公務員の給与を向こう2年間平均8%減らすことを決定した。私たち国立大学教員は法人化されたため、もう国家公務員ではないのだが、国庫から運営交付金をもらっている関係上、同列とみなされて給料が減ることになった。私はまあ年上のほうなので、今後2年間は10%給料が減らされる見込みだ。
こんな風に鬱々として気持ちが沈みがちなときに読むとよい歌集が出た。喜多昭夫の『早熟みかん』である。簡素な造本の自費出版で、あとがきなし、略歴は3行のみでそのうち1行は住所という簡素さに驚く。『青夕焼け』(1989年)、『銀桃』(2000年)、『夜店』(2003年)、『青霊』(2008年)に続く第五歌集ということになる。
私が喜多の短歌に出会ったのは、第三歌集の『夜店』を書店で手に取って買い求めた時に遡る。全編に漂う洒脱と俳味と「ズルムケ感」(喜多自身の表現)はもうすでに大人、いや中年の文学になっていた。その後、時代を遡るようにして第一歌集『青夕焼け』、第二歌集『銀桃』を読むことになるのだが、やはり本には読むべき順番と、読むべき年齢というものがある。そのことを思い知った。『青夕焼け』は次のような歌の並ぶ青春歌集の金字塔だったのである。
額の上にひとくれの塩戴きて白き鯨は陸めざすべし短歌は青春の文学だと言われることがある。確かに第一歌集がその歌人の一番よい歌集だということも多い。春日井建に師事し、寺山修司に憧れた喜多の第一歌集も、青春の息吹に満ちている。しかし人は否応なく歳をとる。いつまでも青春歌でもあるまい。中年を迎えた歌人はどうするか。歌の別れをして短歌と決別しないとき、大きく分けて二つの道がある。ひとつは自らの美意識を貫徹して孤高の世界を築く道で、その代表格は塚本邦雄だろう。もうひとつは天空を天翔る翼を封印して、地べたをとぼとぼと歩く道である。こちらは小池光の採った方略で、喜多もまたその道を辿ったのである。
手榴弾のごときレモンを握りしめまだ脚韻の詩を知らぬ君
水の上に薔薇羽搏けよ、チェス盤の騎士は倒れよ、わが誕生日
『早熟みかん』に並ぶ次のような歌は、そのような経緯を知った上で読まれるべきものだ。
ああ、仕事をやめてしまひたいこんな夜はヒヨコ鑑定士に弟子入りしよう旧仮名ながら口語を多用する文体は、一見すると今の歌壇に溢れるフラットな口語短歌のように見える。確かに受け取る感触としてはライトヴァースのノリなのだが、その見かけに騙されてはいけない。その背後には次のようなしっかりとした文語定型の骨格が隠れているのである。
はこぶねに乗れないことを悲観して心中をするふたこぶらくだ
ニャロメ忌は赤塚不二夫の忌日なりなにはともあれそれでいいのだ
魚ころし酢飯のうへに載せてなほぐるぐる回すとはなんてこと
Ca不足のわれか 時東ぁみの小さい「ぁ」にイラッと来たり
町なかに人影あらずうすうすともののかたちに雪つもる見ゆ鋭い言語感覚と確固とした定型の技法を自在に操りながら、口語とライトヴァースに遊んでみせるところに、喜多の含羞と洒脱がある。本当は深刻でも深刻ぶることを嫌い軽みを求めるのは、喜多が小澤實の主宰する俳誌『澤』に所属する俳人でもあるからかもしれない。軽みが俳句の命であることは言うまでもない。
金魚玉十の尾びれのいつせいに赫き夕日を弾きけるかも
桃の箱解体すれどなほにほふ かなしみといふほどでなく
本歌集を一読して気づくのは挽歌の多さではないだろうか。その多くは泉下の人となった歌人に捧げられている。
デッキチェアたたんでゐたら一人づつ肩たたかれて連れていかれた
みづいろのクリアファイルにここだくの星を挟みて家へ帰らう
その歌をくちづさまむか 十二月五日 月曜 雨の久我山
死んでゐる場合ではない岸上よ その眼差しを楯として行け
晩年のしごとを人は穫りいれと呼びて励みき麻薬喫みつつ
地下書庫といふ湿原にひとり来ていまひとたびの『白雨』に遭はむ
頸動脈断ちて果てたるをとめごの泉湧きたりあらくさの中
夏蝶は龍在峠を越えてゆくこの世のことはなべてかりそめ
空蝉に一身上の都合あり生まれて産みて死にたまふなり最初の二首は笹井宏之への挽歌。続いて岸上大作、春日井建、今泉重子、河野裕子への挽歌である。
みづいろの氷菓包みし薄紙に一行の詩を記したまへな
挽歌には喜多の短歌を読み解く秘密が潜んでいる。それは本歌取りである。笹井への二首は笹井の「それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした」と、「水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って」を踏まえたものである。思えば喜多は第一歌集から本歌取りの技法をよく使っていた。
秋の午後傷つきたくてマッチ擦る 院生室のソファーのくぼみ一首目と二首目の寺山の本歌はわざわざ挙げるまでもないだろう。三首目は「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」を踏まえている。喜多は若かりし頃、与謝野晶子の「春短し何の不滅の命ぞと力ある乳を手にさぐらせぬ」をパロディーにした「オッパイはオッパイでしょ恥しくなんかないのォと僕の手をひく」という歌を歌会に出して春日井を仰天させたというから、本歌取りは喜多の歌の発想の根幹にあるものと思われる。
ケンタッキーフライドチキンの人形を横抱きにして地下鉄にのる
青空にレモンの輪切り幾千枚漂ひつつも吾を統ぶ、夏
本歌集には他にも次のような歌がある。
笑ひながらほんかくてきになつてくる穂村弘は勝ち組である一首目は穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の巻頭歌「目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき」を、二首目は斉藤斎藤の「雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁」を踏まえている。
アンパンマンの顔のかけらが県道に落ちてゐるからすこし悲しい
このように喜多は若い頃から多くの歌に親しみ、それをもじったりパロディーにしたり触発されたりして歌を作って来たのである。これは決して珍しいことではなく、実は古典和歌の世界でふつうに行われていたことにすぎない。古典和歌の世界では誰もが知っている歌の共通資産があり、それを踏まえてひねりを加えることでいかに新味を出すかを競っていた。したがって喜多は現代短歌に古典和歌の手法を復活させたとも言えるわけで、この意味で〈修辞ルネサンス〉をめざした加藤治郎らのニューウェーブと通じるところがある。
また喜多が挽歌に特色を滲ませるのもこれと無縁ではない。挽歌は特定の個人の死を悼み、不在の人に呼びかける歌である。人への呼びかけもまた古典和歌が持っていて、現代短歌が失ったもののひとつである。
次のような歌はもちろん挽歌ではないが、このように特定の人名を詠み込んだ歌もまた、ある意味で人に対する呼びかけが込められていると考えられる。
教壇にチョークを持てばジャパネットたかたのやうに絶好調だ二首目の久木田真紀は1989年に「時間の矢に始めはあるか」で短歌研究新人賞を受賞した歌人。19歳の女性として応募したが実は中年の男性で、後日そのことが問題となった。声の甲高い通販会社の社長、物故した漫才師、犯罪者となった芸人など、TVでお馴染みのサブカルチャーを短歌のアイテムとして取り上げているように見える。しかしここにも作者の個人への呼びかけがあり、どうやらそれが喜多の世界との関わり方であるようにも見えるのである。
AKB48のセンターに立つてゐる久木田真紀の亡霊
やつとこさあてた感じのボテボテのゴロがヒットになるのよイチロー
横山やすしが「メガネ、メガネ」と探すとき〈世界〉はすでに終はつてゐたか
マッチ棒振るやうにして棒にふる田代まさしの本名政
最後に思わずにんまりしてしまった歌を挙げておこう。
外つ国のをとめごなれど腰を振りわれを励ますKARAのうたごゑ一首目など物覚えの悪い私が一発で覚えてしまった。それにしても喜多の手にかかると、どんなに卑近な物事でも三十一文字に納まってしまうから不思議である。二首目もおもしろい。先日、TVで「ガラケー」という言葉を聞いた。若者に意味をたずねると、スマートフォンのような進化した携帯に対して、進化せずそのままの「ガラパゴス携帯」の略だという。まことに世は新語に満ちている。五首目の「メンスキー・タカノビッチ・キミヒコフ」はしばらく考えて高野公彦のことだとわかった。「メンスキー」は「麺好き」だろう。
ロチューとは路上駐車のことでなく〈路上でキス〉の意味とこそ知れ
ひたすらに寄せてはあげる乳のこと知らないふりをしてゐるあなた
カナ、少し賢くなつた気がするの エンドルフィンはイルカではない
メンスキー・タカノビッチ・キミヒコフよ 僕は担々麺が好きです
どうも気持ちがじめじめしがちな昨今、パロディーと捻りと諧謔と軽み、そしてしずかな悲しみに満ちた喜多の『早熟みかん』を読まれるがよい。きっと心に清涼剤として効くにちがいない。