第99回 喜多昭夫『早熟みかん』

滑るやうに車線変更してしまふコンサバティブな春の夕暮れ
                 喜多昭夫『早熟みかん』
 俳人の加藤郁乎さんが亡くなった。私にとって郁乎の俳句は次に尽きる。
天文や大食タージの天の鷹を馴らし
 俳句は短い分だけ衝撃力が大きい。この句に出会ったときにはほんとうに驚いた。それは加藤楸邨の「サタンる汗の片目をつむるとき」とか、安井浩司の「死鼠をとこの真昼へ抛りけり」といった句に出会った衝撃と通じるものだ。
 先月は安永蕗子さんが長逝された。安永さんの歌で手帖に控えてあるのは次の歌だ。
つきぬけて虚しき空と思ふとき燃え殻のごとき雪が落ちくる
 ポイントはもちろん四句にあり、八音の増音がまことに効果的な歌で、一度見たら忘れられない。あわせてご冥福を祈りたい。
     *     *     *     *     *     *
 最近、あまり気分の晴れることが少ないと感じている人は多かろう。長引く日本経済の不振、昨年の3.11以来の放射能への不安、はたまたEUの混乱による金融不安への懸念と、材料には事欠かない。政府は震災復興資金の捻出のため、国家公務員の給与を向こう2年間平均8%減らすことを決定した。私たち国立大学教員は法人化されたため、もう国家公務員ではないのだが、国庫から運営交付金をもらっている関係上、同列とみなされて給料が減ることになった。私はまあ年上のほうなので、今後2年間は10%給料が減らされる見込みだ。
 こんな風に鬱々として気持ちが沈みがちなときに読むとよい歌集が出た。喜多昭夫の『早熟みかん』である。簡素な造本の自費出版で、あとがきなし、略歴は3行のみでそのうち1行は住所という簡素さに驚く。『青夕焼け』(1989年)、『銀桃』(2000年)、『夜店』(2003年)、『青霊』(2008年)に続く第五歌集ということになる。
 私が喜多の短歌に出会ったのは、第三歌集の『夜店』を書店で手に取って買い求めた時に遡る。全編に漂う洒脱と俳味と「ズルムケ感」(喜多自身の表現)はもうすでに大人、いや中年の文学になっていた。その後、時代を遡るようにして第一歌集『青夕焼け』、第二歌集『銀桃』を読むことになるのだが、やはり本には読むべき順番と、読むべき年齢というものがある。そのことを思い知った。『青夕焼け』は次のような歌の並ぶ青春歌集の金字塔だったのである。
額の上にひとくれの塩戴きて白き鯨はくがめざすべし
手榴弾のごときレモンを握りしめまだ脚韻の詩を知らぬ君
水の上に薔薇羽搏けよ、チェス盤の騎士は倒れよ、わが誕生日
 短歌は青春の文学だと言われることがある。確かに第一歌集がその歌人の一番よい歌集だということも多い。春日井建に師事し、寺山修司に憧れた喜多の第一歌集も、青春の息吹に満ちている。しかし人は否応なく歳をとる。いつまでも青春歌でもあるまい。中年を迎えた歌人はどうするか。歌の別れをして短歌と決別しないとき、大きく分けて二つの道がある。ひとつは自らの美意識を貫徹して孤高の世界を築く道で、その代表格は塚本邦雄だろう。もうひとつは天空を天翔る翼を封印して、地べたをとぼとぼと歩く道である。こちらは小池光の採った方略で、喜多もまたその道を辿ったのである。
 『早熟みかん』に並ぶ次のような歌は、そのような経緯を知った上で読まれるべきものだ。
ああ、仕事をやめてしまひたいこんな夜はヒヨコ鑑定士に弟子入りしよう
はこぶねに乗れないことを悲観して心中をするふたこぶらくだ
ニャロメ忌は赤塚不二夫の忌日なりなにはともあれそれでいいのだ
魚ころし酢飯のうへに載せてなほぐるぐる回すとはなんてこと
Caカルシウム不足のわれか 時東ぁみの小さい「ぁ」にイラッと来たり
 旧仮名ながら口語を多用する文体は、一見すると今の歌壇に溢れるフラットな口語短歌のように見える。確かに受け取る感触としてはライトヴァースのノリなのだが、その見かけに騙されてはいけない。その背後には次のようなしっかりとした文語定型の骨格が隠れているのである。
町なかに人影あらずうすうすともののかたちに雪つもる見ゆ
金魚玉とをの尾びれのいつせいに赫き夕日を弾きけるかも
桃の箱解体すれどなほにほふ かなしみといふほどでなく
 鋭い言語感覚と確固とした定型の技法を自在に操りながら、口語とライトヴァースに遊んでみせるところに、喜多の含羞と洒脱がある。本当は深刻でも深刻ぶることを嫌い軽みを求めるのは、喜多が小澤實の主宰する俳誌『澤』に所属する俳人でもあるからかもしれない。軽みが俳句の命であることは言うまでもない。
 本歌集を一読して気づくのは挽歌の多さではないだろうか。その多くは泉下の人となった歌人に捧げられている。
デッキチェアたたんでゐたら一人づつ肩たたかれて連れていかれた
みづいろのクリアファイルにここだくの星を挟みて家へ帰らう
その歌をくちづさまむか 十二月五日 月曜 雨の久我山
死んでゐる場合ではない岸上よ その眼差しを楯として行け
晩年のしごとを人は穫りいれと呼びて励みき麻薬喫みつつ
地下書庫といふ湿原にひとり来ていまひとたびの『白雨』に遭はむ
頸動脈断ちて果てたるをとめごの泉湧きたりあらくさの中
夏蝶は龍在峠を越えてゆくこの世のことはなべてかりそめ
空蝉に一身上の都合あり生まれて産みて死にたまふなり
みづいろの氷菓包みし薄紙に一行の詩を記したまへな
 最初の二首は笹井宏之への挽歌。続いて岸上大作、春日井建、今泉重子いまいずみかさね、河野裕子への挽歌である。
 挽歌には喜多の短歌を読み解く秘密が潜んでいる。それは本歌取りである。笹井への二首は笹井の「それは世界中のデッキチェアがたたまれてしまうほどのあかるさでした」と、「水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って」を踏まえたものである。思えば喜多は第一歌集から本歌取りの技法をよく使っていた。
秋の午後傷つきたくてマッチ擦る 院生室のソファーのくぼみ
ケンタッキーフライドチキンの人形を横抱きにして地下鉄にのる
青空にレモンの輪切り幾千枚漂ひつつも吾を統ぶ、夏
 一首目と二首目の寺山の本歌はわざわざ挙げるまでもないだろう。三首目は「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」を踏まえている。喜多は若かりし頃、与謝野晶子の「春短し何の不滅の命ぞと力ある乳を手にさぐらせぬ」をパロディーにした「オッパイはオッパイでしょ恥しくなんかないのォと僕の手をひく」という歌を歌会に出して春日井を仰天させたというから、本歌取りは喜多の歌の発想の根幹にあるものと思われる。
 本歌集には他にも次のような歌がある。
笑ひながらほんかくてきになつてくる穂村弘は勝ち組である
アンパンマンの顔のかけらが県道に落ちてゐるからすこし悲しい
 一首目は穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の巻頭歌「目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき」を、二首目は斉藤斎藤の「雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁」を踏まえている。
 このように喜多は若い頃から多くの歌に親しみ、それをもじったりパロディーにしたり触発されたりして歌を作って来たのである。これは決して珍しいことではなく、実は古典和歌の世界でふつうに行われていたことにすぎない。古典和歌の世界では誰もが知っている歌の共通資産があり、それを踏まえてひねりを加えることでいかに新味を出すかを競っていた。したがって喜多は現代短歌に古典和歌の手法を復活させたとも言えるわけで、この意味で〈修辞ルネサンス〉をめざした加藤治郎らのニューウェーブと通じるところがある。
 また喜多が挽歌に特色を滲ませるのもこれと無縁ではない。挽歌は特定の個人の死を悼み、不在の人に呼びかける歌である。人への呼びかけもまた古典和歌が持っていて、現代短歌が失ったもののひとつである。
 次のような歌はもちろん挽歌ではないが、このように特定の人名を詠み込んだ歌もまた、ある意味で人に対する呼びかけが込められていると考えられる。
教壇にチョークを持てばジャパネットたかたのやうに絶好調だ
AKB48のセンターに立つてゐる久木田真紀の亡霊
やつとこさあてた感じのボテボテのゴロがヒットになるのよイチロー
横山やすしが「メガネ、メガネ」と探すとき〈世界〉はすでに終はつてゐたか
マッチ棒振るやうにして棒にふる田代まさしの本名まさし
 二首目の久木田真紀は1989年に「時間 クロノスの矢に始めはあるか」で短歌研究新人賞を受賞した歌人。19歳の女性として応募したが実は中年の男性で、後日そのことが問題となった。声の甲高い通販会社の社長、物故した漫才師、犯罪者となった芸人など、TVでお馴染みのサブカルチャーを短歌のアイテムとして取り上げているように見える。しかしここにも作者の個人への呼びかけがあり、どうやらそれが喜多の世界との関わり方であるようにも見えるのである。
 最後に思わずにんまりしてしまった歌を挙げておこう。
外つ国のをとめごなれど腰を振りわれを励ますKARAのうたごゑ
ロチューとは路上駐車のことでなく〈路上でキス〉の意味とこそ知れ
ひたすらに寄せてはあげる乳のこと知らないふりをしてゐるあなた
カナ、少し賢くなつた気がするの エンドルフィンはイルカではない
メンスキー・タカノビッチ・キミヒコフよ 僕は担々麺が好きです
 一首目など物覚えの悪い私が一発で覚えてしまった。それにしても喜多の手にかかると、どんなに卑近な物事でも三十一文字に納まってしまうから不思議である。二首目もおもしろい。先日、TVで「ガラケー」という言葉を聞いた。若者に意味をたずねると、スマートフォンのような進化した携帯に対して、進化せずそのままの「ガラパゴス携帯」の略だという。まことに世は新語に満ちている。五首目の「メンスキー・タカノビッチ・キミヒコフ」はしばらく考えて高野公彦のことだとわかった。「メンスキー」は「麺好き」だろう。
 どうも気持ちがじめじめしがちな昨今、パロディーと捻りと諧謔と軽み、そしてしずかな悲しみに満ちた喜多の『早熟みかん』を読まれるがよい。きっと心に清涼剤として効くにちがいない。

062:2004年7月 第4週 喜多昭夫
または、あくまで目線低く「ズムルケ感」にあこがれる歌

水の面にはなびらはのり
   はなびらの運ばるるゆゑみづぞ流るる

          喜多昭夫『夜店』(雁書館)
 掲載歌は作者の故郷であり、現在も住まいのある金沢の桜を詠ったものである。水面にはなびらが流れるゆえに水が流れるというのは論理的には誤謬だが、短歌的には真実である。普段は水の流れを意識しないゆるやかな水流でも、その面に桜の落花があると、動きがよくわかり、ああこんな溝のような川でも流れているのだなと気づかされる。喜多昭夫の『夜店』は、短歌は世界を詠うのではなく、世界の〈認識〉を詠う文学形式であることをあらためて教えてくれる歌集である。

 掲載歌は姿形も韻律も流れるように美しい歌だが、歌集『夜店』を代表する歌とは言い難い。むしろこの歌集では少数派に属する。多数を占めているのは次のような、まったく趣のちがう歌である。

 紫電改といふいかめしき名前もつ育毛剤ありがたく振る

 どこからが頭なのか分からねどなでなでしたきこの大海鼠

 そのむかしバス停近くの看板に水原弘は殺虫剤(アース)を持ちたり

 地味といふことをいふならなかんづく切手の裏に付着せし糊

 眉にやや力を込めてうな重のたれ少なきを嘆く妻はや

 次の世はどさんこに生れ競はずに愉しみ駆けよサイレントスズカ

 手首には真白きテニスバンド巻き伏目がちなるリスカをとめご

 掲載歌のように美しく、いかにも短歌的な歌も作ろうと思えば、巧者の喜多ならばいくらでも作れるのだ。しかし、喜多の目指すラインはちがっている。上に挙げた歌群を特徴づけるのは、韻律的には「トーンの低さ」であり、主題的には「目線の低さ」である。詠い上げるのではなく、変な言い方だが「詠い下げる」ことを目指していると思える。

 一首目、紫電改というごたいそうな商品名の育毛剤を自分の頭に振る作者は、どうしようもなく中年男である。喜多は1963年生まれなのでまだ40歳だが、薄毛が進行しているのだろうか。二首目のすぐ前には海鼠になりたいという歌もあるので、海底にうずくまる海鼠は作者の自己像である。三首目のバス停近くの看板は、今では懐かしい琺瑯看板だろう。水原弘が「黒い花びら」を歌って第1回レコード大賞を受賞したのは1959年のことだから、喜多はまだ生まれていない。だから「そのむかし」は現実の記憶ではなく、偽装された記憶であり、喜多は描く自己像は実際よりも年寄りなのである。四首目は「地味尽くし」の連作のなかの一首。切手の裏の糊という、文字通り日の当たらない存在をわざわざ取り上げていて、作者の「目線の低さ」を象徴する。この歌集には妻を詠った歌が多いが、五首目はその白眉。たれの少なさに眉に力を込めて嘆くというところに、おかしみと日常の些事へのこだわりがある。六首目、サイレントスズカは、圧倒的強さを誇りながら、1998年11月1日、府中競馬場で開催された天皇賞レースで、第三コーナーを曲がったところで骨折し、薬殺された悲劇の競馬馬である。生まれ変わったらのんびり暮らせと詠うこの歌は、だから挽歌である。七首目のリスカは、リストカットの略で、思春期の少女に多い自傷行為。作者は高校教員で、カウンセラーの研修を受けた折りのことを詠んだ歌もあるので、これは職場詠ということになろう。

 歌集のなかに「こころがけ」という連作があり、これは作歌の心得を歌にしたものである。

 才能は歌殺すゆゑ才八分くらゐにとどめ歌ふこと大事

 ふだん着のこころで歌ふこと大事あとはなあんにも考えるなよ

 「才八分」で「ふだん着」が信条だから、変に肩に力の入った歌は作らないという決意表明なのだ。「目線の低さ」のよって来る処である。

 喜多にはすでに『青夕焼』『銀桃』という歌集があり、『夜店』は第三歌集だという。私は例によって歌壇に昏いので、今までの歌集は読んだことがないのだが、『夜店』は注目されているらしく、あちこちに書評が載った。今井恵子は『歌壇』2004年5月号の「最近、おもしろい歌集を読みましたか 私の見つけた名歌集」という特集で『夜店』を取り上げ、「負性の肯定」という言葉で語っている。「表通りからはずれた路地の暗がりで、声もあげずに埋没していってしまうような感情や意識」を取り上げて肯定するという作者の目線にその特徴を見いだしている。確かにそうなのだが、それでは上に挙げた歌群が結像する「海鼠になりたいと思いながら育毛剤を頭に振る〈私〉」がこぼれてしまう。また今井は、「路地裏の小さな感情や意識は、人間の普遍へとつながり膨らむのである」と結んでいるが、本当に喜多はそんなことを目指しているのだろうか。「ふだん着」が信条の喜多が、「人間の普遍」など目指すはずがない。

 中部短歌会の『短歌』2003年11月号には、岡嶋憲治の長文の書評がある。岡嶋のトーンは苦言であり、かつて「青空にレモンの輪切り幾千枚漂ひつつも吾を統ぶ、夏」のような秀歌を残した喜多が、『夜店』では「調子が落ちて」「若々しさやエネルギーが失われて」おり、「『青夕焼』の切り開いた地平からの後退」だと断じている。私は『青夕焼』『銀桃』を読んでいないので、大きなことは言えないのだが、本当に岡嶋の言うとおりなのだろうか。『夜店』のトーンの低さや、どこか腑抜けたようなズルズル感を、「後退」とのみ断じていいのだろうか。

 この問題を解く鍵は、中部短歌会の『短歌』2004年7月号に掲載された喜多自身の文章「ぽっかりと口ひらく 香山ゆき江歌集『水も匂わぬ』を読む」にあるようだ。喜多は最近読んだ歌集で「スゴイなあ」と思ったものとして、高野公彦『渾円球』、前登志夫『鳥総立』、馬場あき子『九花』と並んで、無名の香山ゆき江『水も匂わぬ』を挙げている。「名歌集」ではなく「スゴイなあ」と思った歌集という所がポイントである。喜多は香山の次のような歌を引用して褒めている。

 まむしのような目をして夫が手招くに気合いを入れてわれの近づく

 錯乱の夫の眼はどんよりと底力ありわれはたぢろぐ

 わたしより視線はなさぬ遺影なり右に左に動いてみるが

 照れくさき顔して夫の逝きしより一回忌来てわが厚化粧

 喜多は香山ゆき江を評して、「この歌人は人道主義に陥らない」で「ただあるがままに受けとめる」、人だとし、「やっぱり生。生がいい。このズルムケ感がたまらなくいいのだ」とまとめている。

 「批評とは畢竟自己を語ることである」と喝破したのは小林秀雄だが、人の歌集の評価はそのまま己に還ってくる。喜多が香山ゆき江の歌集に贈る言葉は、喜多自身が自分の歌集で目指している境地に他ならない。「ズルムケ感」とは、表面を取り繕うことなく皮膚を晒しているということであり、また剥がれた皮膚の下から血を流しているということでもある。この「ナマ感覚」が、現在の時点での喜多が短歌に見いだしている「リアルなもの」なのだろう。「リアルでないもの」は、「作り物」「お体裁」「人道主義」「トーンの高さ」である。喜多はだから、「トーンの低さ」と「目線の低さ」を徹底することで、「リアルなもの」を掴めと主張しているのである。これを岡嶋のように、「『青夕焼』の切り開いた地平からの後退」と、一方的に断定されては、作者の立つ瀬がなかろう。私は個人的には、喜多の言う「ズルムケ感」が今の短歌にとっていちばんよいものとは思わないが、喜多がそのような境地に惹かれる理由は理解できるし、それが岡嶋の言うような「後退」だとも考えない。ある意味でそれは喜多の作歌態度の「深化」とも言えるからである。散見した書評には、このような解釈を前提として書かれたものは見られなかった。喜多が『夜店』で示した姿勢は、「現代の短歌にとってリアルなものとは何か」という重要な問題に繋がるものなのに、残念なことだ。

 喜多が『夜店』で実践して見せた「目線の低さ」と「裸丸出しの自己像」(もちろんこれも演出のひとつである)が、岡嶋から「後退」と否定的評価をされてしまうのは、喜多のような姿勢がひょっとしたら短歌の生理とは相性が悪いためかもしれない。というのは、伝統的和歌は祝祭的出自を持っているし(宮中の歌会始に続く伝統) 、山下雅人が言っているように、「短歌はすべて挽歌である」というところがあるからだ(福島泰樹の短歌を見よ)。祝祭の晴れがましい場に「ズルムケ感」は闖入者のようにそぐわないし、挽歌はその生理としてなべてトーンが高い。

 これに関しては、『夜店』のあとがきに長谷川櫂への謝辞があって、おやっと思った。喜多は俳句と近いところにいるのであり、私が知らないだけで句作もあるのかもしれない。いやあるにちがいない。そう思って見れば、『夜店』に収録された歌には、俳句・川柳・都々逸の調子の歌がある。

 たとえば次の坪内稔典の俳句と比較してみたらどうだろう。

 春の坂丸大ハムが泣いている

 桜散るあなたも河馬になりなさい

 がんばるわなんて言うなよ草の花

 春の蛇口は「下向きばかりにあきました」

 河馬は坪内お好みの自己像であり、喜多の海鼠と通じるところがある。俳人にはこのように、プロメテウス的に高い処を目指すのではなく、諧謔と軽みをまぶして自分を低くする態度がある。また草の花や水道の蛇口などに寄せる視線は、徹底的に日常的で低い視線である。だから喜多の『夜店』のトーンの低さは、作者の俳句的世界認識の型に由来するのかもしれないのである。

 最後に、短歌的修辞と喜多の考える「リアルなもの」とのバランスが均衡していると思われる歌をあげておこう。これらは私には十分に美しいものと思えるのである。

 目薬の目に落つるまで飛行せり春の一日の最終便か

 睡蓮の蕾思ひて夕暮れの大観覧車に一人乗り込む

 卓上にありて遙かなサンキスト・レモンに緑の刻印はあり

 風受くることなきままに常しへに帆をあげてゐるボトルシップは

 砂丘(すなおか)に膝折りたたみ腹這ひていかなる神も持たず駱駝は

 煮えてゆく小豆の粒のやはらかさ死までの時間あとどのくらゐ

 側溝の泥にまみれてくれなゐの都こんぶの小さき箱あり