水の面にはなびらはのり
はなびらの運ばるるゆゑみづぞ流るる
喜多昭夫『夜店』(雁書館)
はなびらの運ばるるゆゑみづぞ流るる
喜多昭夫『夜店』(雁書館)
掲載歌は作者の故郷であり、現在も住まいのある金沢の桜を詠ったものである。水面にはなびらが流れるゆえに水が流れるというのは論理的には誤謬だが、短歌的には真実である。普段は水の流れを意識しないゆるやかな水流でも、その面に桜の落花があると、動きがよくわかり、ああこんな溝のような川でも流れているのだなと気づかされる。喜多昭夫の『夜店』は、短歌は世界を詠うのではなく、世界の〈認識〉を詠う文学形式であることをあらためて教えてくれる歌集である。
掲載歌は姿形も韻律も流れるように美しい歌だが、歌集『夜店』を代表する歌とは言い難い。むしろこの歌集では少数派に属する。多数を占めているのは次のような、まったく趣のちがう歌である。
紫電改といふいかめしき名前もつ育毛剤ありがたく振る
どこからが頭なのか分からねどなでなでしたきこの大海鼠
そのむかしバス停近くの看板に水原弘は殺虫剤(アース)を持ちたり
地味といふことをいふならなかんづく切手の裏に付着せし糊
眉にやや力を込めてうな重のたれ少なきを嘆く妻はや
次の世はどさんこに生れ競はずに愉しみ駆けよサイレントスズカ
手首には真白きテニスバンド巻き伏目がちなるリスカをとめご
掲載歌のように美しく、いかにも短歌的な歌も作ろうと思えば、巧者の喜多ならばいくらでも作れるのだ。しかし、喜多の目指すラインはちがっている。上に挙げた歌群を特徴づけるのは、韻律的には「トーンの低さ」であり、主題的には「目線の低さ」である。詠い上げるのではなく、変な言い方だが「詠い下げる」ことを目指していると思える。
一首目、紫電改というごたいそうな商品名の育毛剤を自分の頭に振る作者は、どうしようもなく中年男である。喜多は1963年生まれなのでまだ40歳だが、薄毛が進行しているのだろうか。二首目のすぐ前には海鼠になりたいという歌もあるので、海底にうずくまる海鼠は作者の自己像である。三首目のバス停近くの看板は、今では懐かしい琺瑯看板だろう。水原弘が「黒い花びら」を歌って第1回レコード大賞を受賞したのは1959年のことだから、喜多はまだ生まれていない。だから「そのむかし」は現実の記憶ではなく、偽装された記憶であり、喜多は描く自己像は実際よりも年寄りなのである。四首目は「地味尽くし」の連作のなかの一首。切手の裏の糊という、文字通り日の当たらない存在をわざわざ取り上げていて、作者の「目線の低さ」を象徴する。この歌集には妻を詠った歌が多いが、五首目はその白眉。たれの少なさに眉に力を込めて嘆くというところに、おかしみと日常の些事へのこだわりがある。六首目、サイレントスズカは、圧倒的強さを誇りながら、1998年11月1日、府中競馬場で開催された天皇賞レースで、第三コーナーを曲がったところで骨折し、薬殺された悲劇の競馬馬である。生まれ変わったらのんびり暮らせと詠うこの歌は、だから挽歌である。七首目のリスカは、リストカットの略で、思春期の少女に多い自傷行為。作者は高校教員で、カウンセラーの研修を受けた折りのことを詠んだ歌もあるので、これは職場詠ということになろう。
歌集のなかに「こころがけ」という連作があり、これは作歌の心得を歌にしたものである。
才能は歌殺すゆゑ才八分くらゐにとどめ歌ふこと大事
ふだん着のこころで歌ふこと大事あとはなあんにも考えるなよ
「才八分」で「ふだん着」が信条だから、変に肩に力の入った歌は作らないという決意表明なのだ。「目線の低さ」のよって来る処である。
喜多にはすでに『青夕焼』『銀桃』という歌集があり、『夜店』は第三歌集だという。私は例によって歌壇に昏いので、今までの歌集は読んだことがないのだが、『夜店』は注目されているらしく、あちこちに書評が載った。今井恵子は『歌壇』2004年5月号の「最近、おもしろい歌集を読みましたか 私の見つけた名歌集」という特集で『夜店』を取り上げ、「負性の肯定」という言葉で語っている。「表通りからはずれた路地の暗がりで、声もあげずに埋没していってしまうような感情や意識」を取り上げて肯定するという作者の目線にその特徴を見いだしている。確かにそうなのだが、それでは上に挙げた歌群が結像する「海鼠になりたいと思いながら育毛剤を頭に振る〈私〉」がこぼれてしまう。また今井は、「路地裏の小さな感情や意識は、人間の普遍へとつながり膨らむのである」と結んでいるが、本当に喜多はそんなことを目指しているのだろうか。「ふだん着」が信条の喜多が、「人間の普遍」など目指すはずがない。
中部短歌会の『短歌』2003年11月号には、岡嶋憲治の長文の書評がある。岡嶋のトーンは苦言であり、かつて「青空にレモンの輪切り幾千枚漂ひつつも吾を統ぶ、夏」のような秀歌を残した喜多が、『夜店』では「調子が落ちて」「若々しさやエネルギーが失われて」おり、「『青夕焼』の切り開いた地平からの後退」だと断じている。私は『青夕焼』『銀桃』を読んでいないので、大きなことは言えないのだが、本当に岡嶋の言うとおりなのだろうか。『夜店』のトーンの低さや、どこか腑抜けたようなズルズル感を、「後退」とのみ断じていいのだろうか。
この問題を解く鍵は、中部短歌会の『短歌』2004年7月号に掲載された喜多自身の文章「ぽっかりと口ひらく 香山ゆき江歌集『水も匂わぬ』を読む」にあるようだ。喜多は最近読んだ歌集で「スゴイなあ」と思ったものとして、高野公彦『渾円球』、前登志夫『鳥総立』、馬場あき子『九花』と並んで、無名の香山ゆき江『水も匂わぬ』を挙げている。「名歌集」ではなく「スゴイなあ」と思った歌集という所がポイントである。喜多は香山の次のような歌を引用して褒めている。
まむしのような目をして夫が手招くに気合いを入れてわれの近づく
錯乱の夫の眼はどんよりと底力ありわれはたぢろぐ
わたしより視線はなさぬ遺影なり右に左に動いてみるが
照れくさき顔して夫の逝きしより一回忌来てわが厚化粧
喜多は香山ゆき江を評して、「この歌人は人道主義に陥らない」で「ただあるがままに受けとめる」、人だとし、「やっぱり生。生がいい。このズルムケ感がたまらなくいいのだ」とまとめている。
「批評とは畢竟自己を語ることである」と喝破したのは小林秀雄だが、人の歌集の評価はそのまま己に還ってくる。喜多が香山ゆき江の歌集に贈る言葉は、喜多自身が自分の歌集で目指している境地に他ならない。「ズルムケ感」とは、表面を取り繕うことなく皮膚を晒しているということであり、また剥がれた皮膚の下から血を流しているということでもある。この「ナマ感覚」が、現在の時点での喜多が短歌に見いだしている「リアルなもの」なのだろう。「リアルでないもの」は、「作り物」「お体裁」「人道主義」「トーンの高さ」である。喜多はだから、「トーンの低さ」と「目線の低さ」を徹底することで、「リアルなもの」を掴めと主張しているのである。これを岡嶋のように、「『青夕焼』の切り開いた地平からの後退」と、一方的に断定されては、作者の立つ瀬がなかろう。私は個人的には、喜多の言う「ズルムケ感」が今の短歌にとっていちばんよいものとは思わないが、喜多がそのような境地に惹かれる理由は理解できるし、それが岡嶋の言うような「後退」だとも考えない。ある意味でそれは喜多の作歌態度の「深化」とも言えるからである。散見した書評には、このような解釈を前提として書かれたものは見られなかった。喜多が『夜店』で示した姿勢は、「現代の短歌にとってリアルなものとは何か」という重要な問題に繋がるものなのに、残念なことだ。
喜多が『夜店』で実践して見せた「目線の低さ」と「裸丸出しの自己像」(もちろんこれも演出のひとつである)が、岡嶋から「後退」と否定的評価をされてしまうのは、喜多のような姿勢がひょっとしたら短歌の生理とは相性が悪いためかもしれない。というのは、伝統的和歌は祝祭的出自を持っているし(宮中の歌会始に続く伝統) 、山下雅人が言っているように、「短歌はすべて挽歌である」というところがあるからだ(福島泰樹の短歌を見よ)。祝祭の晴れがましい場に「ズルムケ感」は闖入者のようにそぐわないし、挽歌はその生理としてなべてトーンが高い。
これに関しては、『夜店』のあとがきに長谷川櫂への謝辞があって、おやっと思った。喜多は俳句と近いところにいるのであり、私が知らないだけで句作もあるのかもしれない。いやあるにちがいない。そう思って見れば、『夜店』に収録された歌には、俳句・川柳・都々逸の調子の歌がある。
たとえば次の坪内稔典の俳句と比較してみたらどうだろう。
春の坂丸大ハムが泣いている
桜散るあなたも河馬になりなさい
がんばるわなんて言うなよ草の花
春の蛇口は「下向きばかりにあきました」
河馬は坪内お好みの自己像であり、喜多の海鼠と通じるところがある。俳人にはこのように、プロメテウス的に高い処を目指すのではなく、諧謔と軽みをまぶして自分を低くする態度がある。また草の花や水道の蛇口などに寄せる視線は、徹底的に日常的で低い視線である。だから喜多の『夜店』のトーンの低さは、作者の俳句的世界認識の型に由来するのかもしれないのである。
最後に、短歌的修辞と喜多の考える「リアルなもの」とのバランスが均衡していると思われる歌をあげておこう。これらは私には十分に美しいものと思えるのである。
目薬の目に落つるまで飛行せり春の一日の最終便か
睡蓮の蕾思ひて夕暮れの大観覧車に一人乗り込む
卓上にありて遙かなサンキスト・レモンに緑の刻印はあり
風受くることなきままに常しへに帆をあげてゐるボトルシップは
砂丘(すなおか)に膝折りたたみ腹這ひていかなる神も持たず駱駝は
煮えてゆく小豆の粒のやはらかさ死までの時間あとどのくらゐ
側溝の泥にまみれてくれなゐの都こんぶの小さき箱あり
掲載歌は姿形も韻律も流れるように美しい歌だが、歌集『夜店』を代表する歌とは言い難い。むしろこの歌集では少数派に属する。多数を占めているのは次のような、まったく趣のちがう歌である。
紫電改といふいかめしき名前もつ育毛剤ありがたく振る
どこからが頭なのか分からねどなでなでしたきこの大海鼠
そのむかしバス停近くの看板に水原弘は殺虫剤(アース)を持ちたり
地味といふことをいふならなかんづく切手の裏に付着せし糊
眉にやや力を込めてうな重のたれ少なきを嘆く妻はや
次の世はどさんこに生れ競はずに愉しみ駆けよサイレントスズカ
手首には真白きテニスバンド巻き伏目がちなるリスカをとめご
掲載歌のように美しく、いかにも短歌的な歌も作ろうと思えば、巧者の喜多ならばいくらでも作れるのだ。しかし、喜多の目指すラインはちがっている。上に挙げた歌群を特徴づけるのは、韻律的には「トーンの低さ」であり、主題的には「目線の低さ」である。詠い上げるのではなく、変な言い方だが「詠い下げる」ことを目指していると思える。
一首目、紫電改というごたいそうな商品名の育毛剤を自分の頭に振る作者は、どうしようもなく中年男である。喜多は1963年生まれなのでまだ40歳だが、薄毛が進行しているのだろうか。二首目のすぐ前には海鼠になりたいという歌もあるので、海底にうずくまる海鼠は作者の自己像である。三首目のバス停近くの看板は、今では懐かしい琺瑯看板だろう。水原弘が「黒い花びら」を歌って第1回レコード大賞を受賞したのは1959年のことだから、喜多はまだ生まれていない。だから「そのむかし」は現実の記憶ではなく、偽装された記憶であり、喜多は描く自己像は実際よりも年寄りなのである。四首目は「地味尽くし」の連作のなかの一首。切手の裏の糊という、文字通り日の当たらない存在をわざわざ取り上げていて、作者の「目線の低さ」を象徴する。この歌集には妻を詠った歌が多いが、五首目はその白眉。たれの少なさに眉に力を込めて嘆くというところに、おかしみと日常の些事へのこだわりがある。六首目、サイレントスズカは、圧倒的強さを誇りながら、1998年11月1日、府中競馬場で開催された天皇賞レースで、第三コーナーを曲がったところで骨折し、薬殺された悲劇の競馬馬である。生まれ変わったらのんびり暮らせと詠うこの歌は、だから挽歌である。七首目のリスカは、リストカットの略で、思春期の少女に多い自傷行為。作者は高校教員で、カウンセラーの研修を受けた折りのことを詠んだ歌もあるので、これは職場詠ということになろう。
歌集のなかに「こころがけ」という連作があり、これは作歌の心得を歌にしたものである。
才能は歌殺すゆゑ才八分くらゐにとどめ歌ふこと大事
ふだん着のこころで歌ふこと大事あとはなあんにも考えるなよ
「才八分」で「ふだん着」が信条だから、変に肩に力の入った歌は作らないという決意表明なのだ。「目線の低さ」のよって来る処である。
喜多にはすでに『青夕焼』『銀桃』という歌集があり、『夜店』は第三歌集だという。私は例によって歌壇に昏いので、今までの歌集は読んだことがないのだが、『夜店』は注目されているらしく、あちこちに書評が載った。今井恵子は『歌壇』2004年5月号の「最近、おもしろい歌集を読みましたか 私の見つけた名歌集」という特集で『夜店』を取り上げ、「負性の肯定」という言葉で語っている。「表通りからはずれた路地の暗がりで、声もあげずに埋没していってしまうような感情や意識」を取り上げて肯定するという作者の目線にその特徴を見いだしている。確かにそうなのだが、それでは上に挙げた歌群が結像する「海鼠になりたいと思いながら育毛剤を頭に振る〈私〉」がこぼれてしまう。また今井は、「路地裏の小さな感情や意識は、人間の普遍へとつながり膨らむのである」と結んでいるが、本当に喜多はそんなことを目指しているのだろうか。「ふだん着」が信条の喜多が、「人間の普遍」など目指すはずがない。
中部短歌会の『短歌』2003年11月号には、岡嶋憲治の長文の書評がある。岡嶋のトーンは苦言であり、かつて「青空にレモンの輪切り幾千枚漂ひつつも吾を統ぶ、夏」のような秀歌を残した喜多が、『夜店』では「調子が落ちて」「若々しさやエネルギーが失われて」おり、「『青夕焼』の切り開いた地平からの後退」だと断じている。私は『青夕焼』『銀桃』を読んでいないので、大きなことは言えないのだが、本当に岡嶋の言うとおりなのだろうか。『夜店』のトーンの低さや、どこか腑抜けたようなズルズル感を、「後退」とのみ断じていいのだろうか。
この問題を解く鍵は、中部短歌会の『短歌』2004年7月号に掲載された喜多自身の文章「ぽっかりと口ひらく 香山ゆき江歌集『水も匂わぬ』を読む」にあるようだ。喜多は最近読んだ歌集で「スゴイなあ」と思ったものとして、高野公彦『渾円球』、前登志夫『鳥総立』、馬場あき子『九花』と並んで、無名の香山ゆき江『水も匂わぬ』を挙げている。「名歌集」ではなく「スゴイなあ」と思った歌集という所がポイントである。喜多は香山の次のような歌を引用して褒めている。
まむしのような目をして夫が手招くに気合いを入れてわれの近づく
錯乱の夫の眼はどんよりと底力ありわれはたぢろぐ
わたしより視線はなさぬ遺影なり右に左に動いてみるが
照れくさき顔して夫の逝きしより一回忌来てわが厚化粧
喜多は香山ゆき江を評して、「この歌人は人道主義に陥らない」で「ただあるがままに受けとめる」、人だとし、「やっぱり生。生がいい。このズルムケ感がたまらなくいいのだ」とまとめている。
「批評とは畢竟自己を語ることである」と喝破したのは小林秀雄だが、人の歌集の評価はそのまま己に還ってくる。喜多が香山ゆき江の歌集に贈る言葉は、喜多自身が自分の歌集で目指している境地に他ならない。「ズルムケ感」とは、表面を取り繕うことなく皮膚を晒しているということであり、また剥がれた皮膚の下から血を流しているということでもある。この「ナマ感覚」が、現在の時点での喜多が短歌に見いだしている「リアルなもの」なのだろう。「リアルでないもの」は、「作り物」「お体裁」「人道主義」「トーンの高さ」である。喜多はだから、「トーンの低さ」と「目線の低さ」を徹底することで、「リアルなもの」を掴めと主張しているのである。これを岡嶋のように、「『青夕焼』の切り開いた地平からの後退」と、一方的に断定されては、作者の立つ瀬がなかろう。私は個人的には、喜多の言う「ズルムケ感」が今の短歌にとっていちばんよいものとは思わないが、喜多がそのような境地に惹かれる理由は理解できるし、それが岡嶋の言うような「後退」だとも考えない。ある意味でそれは喜多の作歌態度の「深化」とも言えるからである。散見した書評には、このような解釈を前提として書かれたものは見られなかった。喜多が『夜店』で示した姿勢は、「現代の短歌にとってリアルなものとは何か」という重要な問題に繋がるものなのに、残念なことだ。
喜多が『夜店』で実践して見せた「目線の低さ」と「裸丸出しの自己像」(もちろんこれも演出のひとつである)が、岡嶋から「後退」と否定的評価をされてしまうのは、喜多のような姿勢がひょっとしたら短歌の生理とは相性が悪いためかもしれない。というのは、伝統的和歌は祝祭的出自を持っているし(宮中の歌会始に続く伝統) 、山下雅人が言っているように、「短歌はすべて挽歌である」というところがあるからだ(福島泰樹の短歌を見よ)。祝祭の晴れがましい場に「ズルムケ感」は闖入者のようにそぐわないし、挽歌はその生理としてなべてトーンが高い。
これに関しては、『夜店』のあとがきに長谷川櫂への謝辞があって、おやっと思った。喜多は俳句と近いところにいるのであり、私が知らないだけで句作もあるのかもしれない。いやあるにちがいない。そう思って見れば、『夜店』に収録された歌には、俳句・川柳・都々逸の調子の歌がある。
たとえば次の坪内稔典の俳句と比較してみたらどうだろう。
春の坂丸大ハムが泣いている
桜散るあなたも河馬になりなさい
がんばるわなんて言うなよ草の花
春の蛇口は「下向きばかりにあきました」
河馬は坪内お好みの自己像であり、喜多の海鼠と通じるところがある。俳人にはこのように、プロメテウス的に高い処を目指すのではなく、諧謔と軽みをまぶして自分を低くする態度がある。また草の花や水道の蛇口などに寄せる視線は、徹底的に日常的で低い視線である。だから喜多の『夜店』のトーンの低さは、作者の俳句的世界認識の型に由来するのかもしれないのである。
最後に、短歌的修辞と喜多の考える「リアルなもの」とのバランスが均衡していると思われる歌をあげておこう。これらは私には十分に美しいものと思えるのである。
目薬の目に落つるまで飛行せり春の一日の最終便か
睡蓮の蕾思ひて夕暮れの大観覧車に一人乗り込む
卓上にありて遙かなサンキスト・レモンに緑の刻印はあり
風受くることなきままに常しへに帆をあげてゐるボトルシップは
砂丘(すなおか)に膝折りたたみ腹這ひていかなる神も持たず駱駝は
煮えてゆく小豆の粒のやはらかさ死までの時間あとどのくらゐ
側溝の泥にまみれてくれなゐの都こんぶの小さき箱あり