第135回 本多稜『惑』

シメコロシノキに覆はれて死んでゆく木の僅かなる樹皮に触れたり
                       本多稜『惑』
 短歌人会所属の本多稜の第四歌集である。本多は1967年生まれ。『蒼の重力』(2003年 現代歌人協会賞)、『游子』(2008年 寺山修司短歌賞)、『こどもたんか』(2012年)がある。『惑』は編年体で、2007年に始まり、2011年までに作られた短歌を収録している。あとがき・跋文・栞文など一切なし。私が惹かれたのは表紙で、古萩茶碗の銘「蒼露」の貫乳がカバー一杯に写されている。箱書きは「朝まだきいそぎ折つる花なれど我より先に露ぞおきける 其心庵」とある。其心庵とは茶道遠州流11代目の小堀宗明。歌集題名の「惑」は不惑から「不」の字を削り、まだまだ不惑の境地には達していないという意味かと思われる。
 一読してまず驚いたのは収録歌の数だ。1ページに5首印刷で281頁ある。目次や中扉や余白、それに長歌など形式の異なる歌の分を差し引いて、少なめに200頁と見積もっても1,000首である。これだけの量の言葉を生み出す膂力に圧倒される。
 本多は外資系の金融関係の会社に勤務し、世界中を飛び回って金融ビジネスの第一線で働いている。グローバル化し国境という概念が溶解しつつある現代世界の最前線を生きているような人である。そういう現実まみれの世界に生きている人と短歌という伝統詩型の結び付きは珍しい。おまけに本多は忙しい日々の間を縫うようにして、世界中の山に登り海に潜るという行動の人でもある。また家に帰れば三人の子供を持つ子煩悩な家庭人である。短歌には文弱の徒というイメージがあり、また短歌・俳句などの短詩型文学には不幸の影も付きまとうのだが、その一切がない短歌というのは極めて珍しい。
 『蒼の重力』の評にも書いたことだが、もともと短歌人会には男歌の系譜があり、本多はその系譜に連なる歌人である。最近の短歌シーンでは大学の短歌会所属歌人が各賞を受賞し、若手歌人の歌集も陸続と出版されているが、その歌風の主流はおおむね女性的か中性的であり、血と汗が飛び散るような男歌は皆無に近い。そもそも身熱を感じさせる歌が少ない。宗教学者の山折哲雄が『「歌」の精神史』で嘆いたとおりである。そんななかで骨太の男歌を作り続ける本多は貴重な存在と言えるだろう。
 いくつか歌を引いてみよう。
水の音は涼し煙の沁みわたり身ぬち微かに泡立つ水煙草シーシャ
山海関はたより見ればタンカーを連ね伸びゆく長城があり
中央駅グラセンまで送つてもらふ「この次に飲むのは多分金融街シティーですかね」
山をなすハイビスカスの花の下山羊の血の川流れてゐたり
アララトに頭預けて昼寝せむ脚は大草原へ投げ出し
羅漢果のお茶の甘さにチワン族の歌への期待ふくらむばかり
水平線ひろがりをれど波はなしラプラタこれも河なると知る
雲裂けて大運河カナル・グランデの灰色にラピスラズリの青み差したり
鮮やかにいのちみつしり珊瑚礁勝ち抜きて勝ち残りてかがやくものら
風そよぐ草原に足踏み入るるごとくソグドの文字を目に追ふ
 一首目は現在のチュニジアにあるカルタゴを訪れた折りの歌で、二首目は中国の杭州、三首目はニューヨーク、四首目はインドのコルカタ、五首目はトルコのアララト山、六首 目は中国の少数民族壮族の歌海という催しを見に行った折りの歌、七首目は南米、八首目はヴェネチア、九首目はマレーシアのコナキタバルの海、十首目は中央アジアのサマルカンド。読み進むうちにまるで世界一周秘境ツアーに紛れ込んだような気になり、頭がくらくらするほどである。これほどの行動力と体力がいったいどこから生まれるのか、絵に描いたような文弱の徒である私には謎である。
 集中の圧巻はボルネオ島のムル山の登頂だろう。一帯はグヌン・ムルとして世界遺産にも登録されており、山頂の海抜は2,377mという。4日間の登頂の過程を21頁にわたって詠んだ長大な連作である。
リュックの奥に腕時計しまひムル山とわれの時間を合はせて歩く
振り下ろすナタの角度の冴え冴えとわが行く道を新たに伸ばす
ムル山に容れともらへど雨ふればたちまち泥の川となる道
腹に脚にヒルの総攻撃を受け森を抜けんとする風われは
宙の午後。この世に音のあることを時折鳥が教へてくれる
生乾きのシャツに沁みたる火の匂ひ 今日この山と決着を付けむ
ボルネオの空の高みに入りゆくカエルの声に包まれながら
ムル山頂。腹の底より叫びたれば天涯にわがこゑの泡立つ
   熱帯の密林の中をナタで植物を払って進み、スコールに見舞われれば登山道は泥の川となるという困難な登山で、読んでいて筋肉の軋みが聞こえて来るようだ。私が不思議に思うのは、本多はこの歌をいつ作ったのだろうかということである。登山の経路に従って展開する連作は具体性と体感に満ちている。夜にテントの中でアルコールランプの光でこれだけの分量の歌を作るのは体力的に難しいだろう。しかし、帰国して書斎の机で作ったにしては記憶が鮮明で描写が具体的なのである。
 『蒼の重力』の栞文で小池光が、「この歌集には折々の歌というものがない」と書いていた。折々の歌というのは日々の生活で何かに触れて、ふと心をよぎったことを詠む歌である。折々の歌がないということは、裏返せばすべてが主題を持つ歌だということだ。折しも『短歌研究』の昨年12月号の短歌展望で、佐佐木幸綱が「主題を持つことの重要性」を説き、今は主題を持ちにくい時代になっていると指摘している。主題を持って詠う歌人が少なくなったという。もしそうだとするならば、本多のようにほぼすべてが主題を持つ歌という歌人は貴重な存在と言えるだろう。
 もうひとつ本多の歌を読んでいて気づくのは、ほとんどの歌が〈今・ここ〉に視点を置いた歌だという点である。上に引いたグヌン・ムル登頂連作をもう一度読み返してみればよい。短歌の〈私〉と〈今・ここ〉とが隙間なく密着していて、両者の間にずれがない。これは本多が思弁の人ではなく行動の人であることの自然な帰結なのだ。〈私〉と〈今・ここ〉の間にずれがある歌というのはたとえば次のような歌をいう。
古りにたるわが身にも迫りやまぬかな闇つたふ梔子の花のかをりは 
                         木俣修
 直接的に詠まれているのは夜に漂う梔子の香りで、これは確かに〈今・ここ〉に存在するのだが、作者が見ているのは実はそれではない。作者の視線の先にあるのは自らの老いであり、今までの人生の来し方である。本多の歌にこのような造りのものがないのは上に述べた理由による。しかし逆に言えば〈私〉と〈今・ここ〉とが隙間なく密着しているということは、作風がワンパターンで単調になる弊害を招くのも事実である。このことを意識してか、集中には日本語の短歌と漢詩とハングルの歌が並んでいる連作がある。ハングルは読めないし漢詩にも不案内なので、三者の関係がよくわからないが、表現の幅を広げるための実験と思われる。〈私〉と〈今・ここ〉との距たりは時に歌に奥行きを与える。本多の課題は案外このあたりにあるのかもしれない。

037:2004年2月 第1週 本多 稜
または、折々の歌を否定する行動派の抒情

蒼穹に重力あるを登攀の
  まつ逆さまに落ちゆくこころ

            本多稜『蒼の重力』
 作者は1967年生まれ。処女歌集『蒼の重力』(本阿弥書店)で1998年に第9回歌壇賞を受賞している気鋭の新人である。私は作者について何の予備知識もなく、歌壇に疎いので失礼ながらそのお名前も受賞歴も知らなかった。ある日、郵便で作者から歌集が送られて来た。歌人から直接歌集の贈呈を受けるのは初めてだったので、ちょっとわくわくしてしまった。栞文には、佐佐木幸綱、栗木京子、小池光が寄稿するという強力布陣である。

 ふつう私はどこかで目にした短歌が気に入り、その人の歌集を買う。だから私が買う歌集は、基本的には好きな歌人のものばかりだ。自分で買ったのではない歌集を読むというのは、考えてみれば初めてのことである。行き先のわからない列車に乗せられたようなもので、期待もあるが不安も大きい。しかし、一読して期待は裏切られなかった。

 作者はどうやら外資系の証券会社か商社に勤めていて、海外勤務も長いらしい。「フランクフルトからロンドンに異動させ即座に解雇せし米系は」「先物に振り回さるる現物の価値の霞にまぎれてゆくも」といった職場詠を見ると、グローバル化した資本主義の最先端で、生き馬の目を抜くような為替取引か先物取引の仕事をしているようだ。こういう現実まみれのタフな職業と、伝統的な詩形である短歌の取り合わせが、まず珍しいことだ。

 次にこの歌集には海外詠が多いのだが、それがパックツアーによる物見遊山の旅行ではなく、本格的なアルプスやヒマラヤ登山、沖縄でのスキューバダイビング、ブータン旅行、聖地アトス山と、秘境に分け入って行く体育会系肉体派の旅行なのである。ラグビー選手だった佐佐木幸綱のような例はあるが、だいたい文学をやる人は軟弱派が多いので、これまた珍しい取り合わせである。

 このように本多の短歌は〈行動派〉の文学である。その結果、生み出された歌は、自己の内面を観照する内省的なものではなく、自然と肉体とが格闘する外向的なものになる。

 真向かへば斬りかかりくる雪稜の空の領地を奪い取るなり

 我が足よ雪の峰々つらなりて天の果(はたて)に怒濤をなせり

 くれなゐを闇にしづむる雪嶺よ眼を灼く山の一切放下(ほうげ)

 いずれも勇壮な歌で、肉体と骨のきしみが聞こえて来るようだ。形式はおおむね文語定型を遵守し、前衛短歌が駆使した破調の句割れや句跨りはほとんど使われていない。このような文体的選択も、端正な男歌という印象を強めている。

 単に雪山を詠めばそれは叙景歌になる。「風になびく富士の煙の空にきえてゆくへも知らぬわが思哉」という西行の歌は、「叙景を通して抒情に到る」という古典和歌の中心的美学の実現である。ここでは力点は山ではなく私の心のゆくへの方にある。雪山を見ている人は、こちら側にいて対象と向き合っているのだが、思いはいつのまにか内面へと移動している。この視線のなめらかな推移が31文字の短歌のリズムに乗ったとき、古典和歌はフルパワーを発揮する。

 ところが本多の歌では、作者は山を見ているのではなく、山に分け入っていて、対象と斬り結ぶという関係になる。だから掲出歌のように、天地が逆転して頭の上の青空が重力を帯びて、自分の体を引きつけるというような特異な肉体感覚が生まれるのである。作者と対象のこのような関係の類例を過去に探すと、写実を重んじたアララギと実感尊重を唱えた自然主義文学の影響から生まれたとされる次のような歌に近いと言えるかもしれない。

 槍が岳そのいただきの岩にすがり天(あめ)の真中に立ちたり我は

                         窪田空穂

山の次は海である。

 おもむろにイトマキエイの糸巻を垂らして海を覆ひたりけり

 わたつみのはらわた見するやさしさや身の丈ほどの海鼠に遇へり

 わが吐きし息のふるへる銀粒を目に追ひながら海面へ向かふ

 スキューバダイビングから生まれたこれらの歌にもまた同じ構造がある。ここには情景を観照する静止した自己がない。自分もまた自然に動的に参入することにより、自意識の核としてのエゴが水中に溶解している。このことを端的に示しているのが次の歌だろう。

 チョモラリの峰頂ふふむ天心を見霽(みはる)かすなり 我在りて無し

 しかし集中の歌のすべてが、このような行動派の勇壮な歌ばかりというわけではない。そのことがこの歌集の印象の厚みとして表れている。

 古生代シルル紀末の海水に妻はわが子を泳がすらしも

 響き合ふいのち水輪うつしよに吾子のみなわのひろがりはじむ

 若き木を額(ぬか)に育つる観音の微笑みながら潰えてゆくも

 たまゆらに夜空一点輝きぬ我を狙へる星あるあはれ

 最初の二首ははじめて子供が産まれたときの歌である。古代から綿々と続く命の連鎖に思いを馳せつつも、ここにも外へと自己を開く視線が強く感じられる。次の二首はアンコールワットとバリ島を訪れたときの旅行詠だが、木々に浸食され崩壊していく観音像を見ても、滅びの感傷に流れないところに作者の位置取りが明確に表れていよう。

 金色の海の底より細雪ル・シャンパーニュ空へ降り積む

 ローマ風オッソブッコの骨髄のとろみのやうな奴であるべく

 熟したるロックフォールの緑青の黴ピリピリと進む月蝕

 読んでいて楽しいのは、上のような飲食の歌だ。立ち上る泡を降り積もる雪に見立てて天地を逆転したり、ブルーチーズの青黴を月蝕に見立てるなど、作者も楽しんで歌を作っていることは明らかだろう。

 栞文で小池光が指摘しているように、この歌集には「折々の歌」がない。日々の生活のなかでふと感じた些細なことを歌にしたというものがないのである。すべては主題詠であり、何かを明確な主題として作られている。これが本多の短歌意識の根源であり、対象から主題を掴み出さずにはおかない強靱な意志が、本多の短歌の骨格を作っていると言えるだろう。


 付 記

『蒼の重力』は2004年度の第48回現代歌人協会賞を受賞しました。おめでとうございます。(2004年4月30日記)